新宿駅から京王線明大前駅まで、西新宿の旧淀橋浄水場と明大前の和泉給水所を結ぶ「水道道路」を歩き、2万歩、15㎞です。
「水道道路」とは・・・・・・・・江戸時代、“お江戸”の水源として多摩川の水を羽村取水堰から江戸城の方へ引き込んだ、これが「玉川上水」だ。 明治31年(1898)、淀橋浄水場の新設に伴い、現在の和泉給水所地点から分岐し浄水場まで、ほぼ真直ぐな一本の水路が開削された、これが「玉川上水新水路」だ。新水路は、高低を盛土により調整し、起伏の無い直線水路となった。既設の道路と交差する部分には、トンネルや橋を造り盛土の上に水路を通した。 新水路は、関東大震災で決壊し、その後は並行して通る甲州街道の下に管を埋設し、淀橋浄水場に水を供給した。そして、水路跡のほとんどは「水道道路」と都営住宅に転用されている。 淀橋浄水場も昭和40年(1965)に廃止され、跡地は都庁をはじめ多くの超高層ビル群に生まれ変わった。
①小田急百貨店・・・・・・・・・・地上14階建て、地下に小田急線・JRの地下改札口およびコンコースがある百貨店だ。昭和41年(1966)に完成、設計は坂倉準三建築研究所。・・・・・・・ところで、小田急百貨店開業時の建物は現:本館前に建つ「ハルク(HALC)」である。「ハルク」は昭和37年(1962)に完成した地上8階建ての建物。・・・・・・・・昭和40年から、私が明治大学へ通学するのは、新宿乗り換えだったので、小田急百貨店にはしばしば立ち寄った。本館の建物が変わったのもこの頃だ、「ハルク」の建物には、以来、約40年間立ち寄っていない。今日も前を通過してしまった。


②淀橋浄水場跡地・・・・・・・・超高層が建ち並ぶ街




③水道道路の隧道・・・・・・・・・渋谷区本町1丁目に、水道道路の下を抜ける、2本のトンネルがある。
・・・・・・・・・・・本村隧道・・・・・・・・大正9年(1920)竣工。ポータルの両側に柱のデザインが施されている。

・・・・・・・・・・本町(ほんまち)隧道・・・・・・・・・こちらは昭和50年(1975)に拡張工事が行われたようだ。・・・・・・・・・・旧隧道と思われる、ふさがれた壁が隣にあった。


④水道道路の橋の跡・・・・・・・・・・・水路を横ぎる道路のために、水路には16の橋が架けられていたそうだ。橋は淀橋側から、1号橋、2号橋・・・と名づけられた。・・・・・・・今は、橋は無くなっているが、「六号通商店街」、「7号通り」バス停、「七号通り公園」、「十号坂street」などと、名が残っている。




⑤水路跡の都営住宅・・・・・・・・・水道道路に沿いに、幡ヶ谷から笹塚まで約2.3km程におよび、何十棟かの都営住宅が建ち並んでいる。・・・・・・・・5階建て程度で、昭和40年代の建築だ!・・・・・・・・敷地が水路跡のため、細長~~い~~、どこまでも続く団地。




⑥水道道路の終点・・・・・・・・環七と交わる“泉南交差点”。・・・・・・・・・写真、正面の道路が「水道道路」、奥にはオペラシティが見える。

・・・・・・・・・・・・・環七を越えると「水道道路」は“水道路地”となる。細い道の両側には木造の家並みが続く。

⑦和泉給水所・・・・・・・・・・杉並区和泉2丁目には、2本の給水タンクが建っている。・・・・・・・ここが、玉川上水新水路の分岐点だった!

⑧東京山手急行電鉄遺構・・・・・・・・・・明治大学和泉キャンパス横に、京王井の頭線が玉川上水の下をくぐるトンネルの部分がある。ここは、4線分のレールが敷設される予定で構築された。・・・・・・・・・つまり、右側2線が井の頭線用、左側2線が山手急行線用だった。・・・・・・・・・東京山手急行電鉄とは、昭和初期に設立した会社で、東京の外側に約50kmの環状線を作る計画だったが、世界恐慌のあおりで頓挫し、最終的には小田急電鉄に合併された。


⑨LA PORTA IZUMI・・・・・・・・・杉並区和泉の奇妙奇天烈なマンション。平成2年(1990)の建築で、設計はドラード早稲田を手掛けた梵寿鋼(ぼんじゅこう)。


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