2018年7月17日 (火)

浅草橋

猛烈な暑さが続き、我が家では階段の窓際に置いてある寒暖計が35.6℃を指していた。 これでは外に出たら、誰に頼まなくても「熱中症」にしてくれそうだ。 今日も我が家でエアコンをガンガン、扇風機もブンブン、冷たいドリンクをグイグイ、テレビを見ながらスヤスヤ昼寝のナマケモノ状態で過ごす。、、、、、夕食を済ませたら、まだ30℃の夕暮れ、チョイト、家の周りを歩いてみることにした。、、、、、台東区浅草橋の町を約2時間かけて歩いた。

 
 
 
①浅草橋1丁目・・・・・・・・・南は神田川、東は江戸通り、中央にJR浅草橋駅がある一画。
 
浅草橋・・・・・・・・・神田川に架かる浅草橋、台東区浅草橋と対岸の中央区日本橋馬喰町を結ぶ。 現橋は昭和3年(1928)に開通した震災復興橋。
 
180717194349079
 
180717194331078
 
 
●左衛門橋・・・・・・・・・浅草橋の上流に架かる橋。 昭和5年(1930)完成の震災復興橋。、、、、、神田川には釣り船が係留されてる。
 
180717193250059_2
 
180717193021056
 
 
●JR浅草橋駅・・・・・・・・・・昭和7年(1932)7月1日に、総武線の駅が開業。 昭和40年(1965)12月4日には、都営地下鉄1号線の駅も開業し、乗り換え駅となる。、、、、、、最近は外人観光客が、駅周辺のホテルに泊まっているようだ。
 
・・・・・・・・・・・・江戸通りに面する東口は、駅の表玄関。
 
180717194727092
 
180717194634090
 
・・・・・・・・・・・・・秋葉原駅寄りの西口はチョイト寂しい裏口か?
 
180717192648049
 
・・・・・・・・・・・・・・東西の改札口の間は、高架の張りだし部分にホームが造られている。
 
180717192659050_2
 
●浅草橋駅周辺・・・・・・・・・駅周辺は浅草橋随一の飲食店・歓楽街で、夜になると周辺のビジネスホテルに泊まった外人(多くは中国・インドネシアなどのアジア系)が食事に出てくる。
 
180717193938071
 
180717194020072
 
180717194117073
 
180717194237075
 
180717194507083
 
・・・・・・・・・・・・・・「変なホテル」と云う名の変なホテルが駅近くに今週オープンする。、、、、、ロボットがフロントにいるそうだ!
 
180717193658062
 
・・・・・・・・・・・・・駅周辺のビーズ屋さんは20時近くまで営業中。 鯛焼き屋さんもまだ焼いてる。 人形屋さんは、シャッターが下りてる。
 
180717194550086
 
180717194247076_2
 
180717194519084
 
・・・・・・・・・・・・・駅の裏にある、我が家の氏神様:銀杏岡八幡神社は明かり灯り、賽銭箱は出ているが、扉は閉まっている。、、、、、“賽銭を置いて行きなさい”ということか?
 
180717195005098
 
180717195041099
 
 
②浅草橋2丁目・・・・・・・・・1丁目の北側に続く町。 浅草橋駅からは約200mぐらいの処。
 
●下町の建物・・・・・・・・・・・チョイト古そうな住宅、長屋が残っている。、、、、、東京大空襲で焼けずに残った家もある。
 
180717184034003
 
180717184212006
 
180717184559009
 
180717184611010_2
 
・・・・・・・・・・・・・2丁目で最も古い建物:旧福井ビル。 大正から昭和にかけ建てられたビルと思われる。
 
1807171954280104_2
 
 
③浅草橋3丁目・・・・・・・・・2丁目の北側に続く町。 この先は台東区鳥越の町となる。
 
●下町の建物・・・・・・・・・この町にも古そうな建物が残っている。
 
180717184748013
 
180717184840015
 
 
●甚内神社・・・・・・・・・・「甚内霊神」の名で、江戸時代初期に創建された。 伝承によれば、甚内は武田家の家臣高坂弾正の子で、主家滅亡後、諸国を行脚するうち宮本武蔵に見出されて剣を学び奥義を極めた。 武田家再興をはかり、開府早々の江戸市中の治安を乱したため、瘧(マラリア)に苦しんでいたところを幕府に捕えられた。 鳥越の刑場で処刑されるとき「我瘧病にあらずば何を召し捕れん。我ながく魂魄を留、瘧に悩む人もし我を念ぜば平癒なさしめん」といったことから、病の治癒を祈る人々の信仰を集めたらしい。
 
180717185239020
 
 
④浅草橋4丁目・・・・・・・・・1丁目の西側(秋葉原寄り)に続く町。 JR総武線の北側に広がる町である。、、、、、建物は戦後の中小ビルが多く、あまり特徴のない町である。 
 
●JR総武線高架橋・・・・・・・・昭和7年(1932)の両国~お茶の水間開通に合わせて造られた高架橋である。、、、、、この高架橋自体は千代田区に属しており、台東区は高架橋の北側からとなる。 写真奥の明るい処は浅草橋駅西口。
 
180717191941044
 
180717192236046
 
 
⑤浅草橋5丁目・・・・・・・・・最後の5丁目は、4丁目の北隣で、北端は蔵前橋通りである。
 
●旧柳北尋常小学校・・・・・・・・・戦後は柳北小学校と称した。(私の母校) 明治9年に創立した歴史ある小学校も、少子化により平成13年(2001)に閉校した。 校舎は大正15年(1926)の建築。、、、、現在は蔵前小学校が建て替えの為、仮校舎として使用中。
 
180717190657034
 
 
●旧日光商事・・・・・・・・・・・旧持主がどのような企業か良くわからないが、建物のデザインは非常に凝っている。 大正から昭和初期の建築と思われる。
 
180717191445040
 
 
●カトリック浅草教会・・・・・・・・・・明治10年(1877)に創立した、歴史あるカトリック教会。 現在の教会は、平成元年(1989)頃に建て替えられたもので、建物は台東区建築景観賞を受賞した。
 
180717190115028
 
 
●町の銭湯・・・・・・・・・・5丁目には2軒の銭湯が健在である。 鶴の湯帝国湯。、、、、、 私の記憶では、戦後の浅草橋には7軒の銭湯があった、今は5丁目の2軒と1丁目の1軒の3軒となった。 住民も減り、さらに、内風呂のある住宅も増えているから、止むを得ないね!
 
180717185447024
 
180717185910027
 
 
 
●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・以上、私の住む浅草橋の夜景を撮ってみた。

2018年7月13日 (金)

浅草橋~上野

今朝の気温28℃、昼には33℃の予報。 散歩に出たいが、熱中症は怖い、何処へ行こうか思案橋、(『思案橋ブルース』で)♪♪ 哭いているのだ 浅草橋で 陽に照らされて 焼けた ふたつの心は 歩きたい歩きたい 無情の日射し ああ 浅草 浅草橋ブルース ♪♪
 
思案の結果、、、、、、我が家から歩いていける上野方面に向かって散歩することにした。
浅草橋の我が家から御徒町を抜けて不忍池・上野駅を回ってきた。 1万2千歩
 
 
①仕舞屋・・・・・・・・・・我が家の近く(浅草橋2)の仕舞屋(しもたや。=多くは玄関が格子戸になっている家を指すが、要するに普通の住居専用の家のことで「しもうたや(仕舞うた屋)」から変化した単語。)、、、、、、、チョイト見、文筆家の住まいか、三味線・小唄の師匠宅か、それとも質屋の親爺のお妾さんお宅か、、、、、、粋で色っぽい佇まいがいいね!、、、、、、、、、玄関を設け、窓の前には犬矢来を作り、仕舞屋の特徴がでている。 昭和初期の建物か(?)
 
180713073329001
 
180713073535005_2
 
 
②佐竹商店街・・・・・・・・・・現在の台東区台東3・4丁目の東半分は、江戸時代、出羽国久保田(秋田藩)の上屋敷があった地である。 藩主は佐竹氏で、20万石余を領有した東北地方屈指の外様大名であった。 佐竹家上屋敷は、元禄2年(1689)もしくは翌3年にこの地に開設した。 明治になって佐竹家上屋敷や近隣の武家屋敷が撤去され、当地は野原となり、俗に佐竹っ原と呼ばれた。 ここは見世物小屋が集中して賑わったが、明治時代半ばから民家が建ち並び、商店街として発展した。 現在、「佐竹」の名は、「佐竹商店街」として継承されている。、、、、、明治31年(1898)に商店街組合を結成し、金沢の片町商店街に続き、日本で2番に古い商店街である。 東京では最も古い商店街である。、、、、、最近は近くにスーパーができ、チョイト足が遠のいてきたが、この商店街は我が家の台所でもある。 
 
180713074809008
 
180713075817022
 
 
③西郷医院・・・・・・・・・・佐竹商店街から西へチョイト入ると元医院の看板建築の建物がある。 文化財級の診療所建築で、チョイと見には木造建築とは思えないほど保存状態がいい。 玄関の円柱、半円の飾りが付いた窓(窓枠はサッシに入れ替えた)、昭和レトロの建築。、、、、、隣の銅板建築もいいね!
 
180713075308015
 
180713075406018
 
・・・・・・・・・・・・・この付近(台東3)には、戦前の建築と思われる銅板建築・蔵が残っている。、、、、、関東大震災後の建築であろう。
 
180713075218014
 
180713075516019_2
 
180713075610020_2
 
 
④アメ横・・・・・・・・・・・戦後の闇市が始まりである。 闇市では様々な物品が売られたが、特に飴を売り捌く店が当時200軒以上あった事から「アメヤ横丁」、略して「アメ横」と呼ばれた。、、、、私が知る戦後のアメ横では、駄菓子類、駐留軍横流しのガム・チョコレート・ビスケットなど、“その道の女性”が好んだ化粧品・ストッキングなども、さらには腕時計、舶来タバコなども、アメ横はアメリカに最も近い店でもあった。 私が小学生の頃には、興味湧く、面白そうな町であった。、、、、、今日は、早朝でまだ店は開いていない。
 
180713082319028
 
・・・・・・・・・・・・・・アメ横の中にある日蓮宗の寺院:妙宣山徳大寺。 本尊は大曼荼羅であるが、開運摩利支天を祀ることから摩利支天山とも称されている。 旧本山は大本山中山法華経寺である。、、、、、商店街の中にある寺は立体的な構造で、1階は店舗(初代林家三平のCM 『ニキ、ニキ、ニキ、ニキ、二木の菓子!』でおなじみのお菓子屋)、2階を境内としている。 現在の立体造りの伽藍として復興を果たしました。 昭和39年(1964)に完成した。
 
180713082939035
 
180713082841034
 
180713082743031
 
 
⑤不忍池・・・・・・・・・・・・池は、一面、蓮の花が咲いている。
 
180713083752040
 
180713083900042
 
180713090235064
 
・・・・・・・・・・・・・花を観て、、、、、有名な都都逸:「表向きでは 切れたと言えど 蔭でつながる 蓮の糸」 チョイトのたまえば、蓮は千切れても極細の繊維が糸を引くことから、表向きの関係を断ち切っても、内緒でコッソリ関係をしている仲。 さらに、蓮の糸は極楽往生の縁を結ぶとされているので、遠距離恋愛、すれ違いなど、なかなか逢えない遠い人を想い慕っているのだとしたら、切ない仲だ。 私は、現世の同じ蓮の葉の上で激しく燃える仲の方が、いいね。
 
180713085023053
 
 
⑦下町風俗資料館・・・・・・・・・・・・蓮を観ていたら、日差しはガンガン、頭はアッチアッチ、ペットボトルはカラカラ。 そろそろ熱中症対策を講じなければ!、、、、、そうだ! 池のほとりにある下町風俗資料館で、一休みすることにした。 ここは、下町の記憶を次世代に伝える貴重な資料を残す区立資料館。 入館料300円、一名様いらっしゃ~~い。、、、、、我が母校の写真、浅草橋近辺の写真、子供の頃の駄菓子屋の復元など、懐かしい昭和の資料を見て、一時間過ごす。
 
180713091938073
 
180713092128078
 
180713092137079
 
180713092202081
 
180713092755085
 
180713093127086
 
 
⑧上野駅・・・・・・・・・・・不忍池から上野駅に行く。 駅から電車で帰宅するのではない。 私の住む浅草橋駅近辺には本屋が無いのだ、それで帰りにアトレに寄って本を買って帰ることにした。、、、、、今どき、都会の駅の近辺に本屋が無いなんて、秘境駅では無いのだが信じられないね。 ついでに言うと、「スタバ」、「マック」も無い!、、、、、、買い物済ませて、帰路につく。
 
180713094713094
 
180713100257099

2018年7月11日 (水)

尾久三業地

南千住駅から三ノ輪橋に出て、都電で宮ノ前停留所にて下車、西尾久2丁目の町を行ったり来たり、最後は田端駅から帰宅。 9千歩の散歩です。
 
 
 
●・・・・・・・・・・・・南千住駅前、松尾芭蕉像から散歩はスタート。
 
180711081531002
 
 
①公春院・・・・・・・・・・南千住1丁目の浄土宗寺院:公春院は、満海山千日寺と号し、浅草聖徳寺の末寺として、寛文10年(1670)に創建した。、、、、大正12年(1923)の関東大震災では、火災は免れたものの本堂、観音堂ともに傾き、昭和14年(1939)に現本堂が落成した。、、、、、かつて、公春院の境内に入ってすぐ左の角に大きな松があったそうだ。 昭和9年(1934)に枯死したため伐採され、残念ながら今はその跡はない。 明治42年(1909)頃撮影の写真が残っているだけだが、その大きさは、周囲はおよそ4m、高さ14mで樹齢は優に500年を超すものであったと言われている。 寺域について争いが立ったとき、このお寺の古いことの証拠になったため「証拠の松」といわれていた。
 
180711082724006
 
180711082951009
 
 
三ノ輪橋停留場・・・・・・・・・・・現在は「梅澤写真会館」となった、昭和2年(1927)に竣工した旧王子電気軌道の本社ビル。 関東大震災後の東京では、鉄筋コンクリート造、3階建てのモダンなビルだった。 正面1階の通り抜けの奥に都電荒川線の“三ノ輪橋停留場”がある。
 
180711083211011_2
 
180711083438023
 
・・・・・・・・・・・・・『冷房の効いた電車にチョックラ乗ってみよう!』、、、、、、乗ってから、『行先の宛てもなく、どこで降りようか?』 
 
180711083715029
 
 
③宮ノ前停留場・・・・・・・・・・・名が気にいった『宮ノ前』停留場で降りることにした。、、、、、“宮”とは尾久八幡神社を指す。
 
180711085236032
 
180711090510057
 
 
④尾久八幡神社・・・・・・・・・・停留場の真ん前(西尾久3)にある、尾久八幡神社の創建年代は不詳だが、当地周辺が鶴岡八幡宮に寄進された正和元年(1312)頃に分霊を勧請したと、推定されている。 境内の広い、都心では大きな神社。、、、、、かつては神社の周囲に石神井用水を引き込んだ「八幡堀」が流れ、農業に活用された他、舟が入り込み交易も盛んであったといわれている。
 
180711085430036_2
 
180711090308048
 
 
⑤碩運寺・・・・・・・・・・・・都電の線路を挟み尾久八幡神社の向かい(西尾久2)にある、曹洞宗の寺院:碩運寺(せきうんじ)は、慶長元年(1596)に創建したといわれている。 大正年間に本所石原町から当地へ移転した。、、、、、、大正3年(1914)に寺内に温泉が湧き、「不老閣」の営業を開始した。 ラジウム鉱泉で、周辺には保生館、清遊館、大河亭、小泉園などの旅館も開業し、都電の開通と相まって寺の周辺は温泉街として賑わい、商店街も形成したそうだ。
 
180711090719058
 
・・・・・・・・・・・・・・ところが、ギッチョン・チョン、これが始まりで、周辺の温泉旅館、商店街の発展は、尾久三業地(現:西尾久、料亭・芸者置屋・待合のあった所)発展の幕開けとなり、色街へと変わって行く。
 
・・・・・・・・・・・・・・昭和11年(1936)2月、陸軍将校のクーデターである2.26事件が起きる。 世の中は大きく変わって行くことになる。 その年の5月18日、尾久三業地の待合「満佐喜」で殺人事件が起きた。 粋で鯔背な格好の40歳代の遊び人:名は石田吉蔵(糞まじめな私とは似ていないようだ。)と、30代の玄人美人が宿泊した。 翌朝、女は外出したが、男は起きてこず、女中が部屋に確認に行くと、蒲団の中で死んでいた。 男の一物が切り取られ、太股には血で「定、吉二人」と書かれていた。 こうして、猟奇的殺人事件の幕が開いた。、、、、、これぞ有名な阿部定事件である。、、、、、この後、事件の顛末は、皆さん自分で調べて!
 
・・・・・・・・・・・・・・戦後、尾久三業地は周辺の工業化で地下水を汲み上げすぎて温泉は出なくなり、廃業していった。 (私も知らなかった戦前・戦後の話てある。)
 
 
⑥西尾久2丁目の三業地跡(?)・・・・・・・・・・現在は、三業地(碩運寺の南から東京女子医大東医療センターの西あたり?)の跡はなく、何処に何があったやら? 
 
・・・・・・・・・・・・・・女子医大通り
 
180711091644070
 
180711091855072
 
180711093141091
 
・・・・・・・・・・・・・・女子医大通りから西の裏通りを歩いてみるが、、、、、もちろん、待合「満佐喜」はない。 色街の面影は皆無であった。
 
180711091136062
 
180711092613082
 
180711092846087
 
180711093207093_2
 
180711093354095
 
 
⑦八幡堀跡・・・・・・・・・・・・・尾久八幡神社の周囲、碩運寺の前などに、江戸時代から大正時代まで、八幡堀という石神井川用水が流れていたそうだ。 その水路は今は無くなったが、町の裏道にタイルが埋め込まれ水路跡が標されている。 また水路跡の道が「すいろみち」として整備されている。
 
180711091300064_2
 
1807110946430106
 
 
●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・この後、明治通りを横切り、田端駅から帰宅。 
 
1807111017050146

«田端~鶯谷