2017年8月21日 (月)

西荻窪~上井草

中央線西荻窪駅から西武新宿線上井草駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
西荻窪駅 ・・・・・・・・・・・・・1922年(大正11年)7月15日に、同じ杉並区内の高円寺駅、阿佐ヶ谷駅と共に同日開業した。、、、、、昨年、西荻窪駅の乗降客数は一日平均45,500人程で、JR東日本管内では102位。 吾輩の住む浅草橋駅は54,000人程で89位。 『勝った!』と叫びたいのだが、西荻窪駅は快速が停まる、エスカレーターがある、高架下に商店街がある、駅周辺には骨董品などを売る小さなショップも多い、近くには女子大もある。 浅草橋はいずれも無く、駅の魅力では残念ながら負けだ。
 
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②丸山橋・・・・・・・・・・・西荻窪駅を出て裏道を北へ歩く。(気持ちは北へ、足は北東へ向かっていた)、、、、、善福寺川に架かる、昭和43年(1968)1月完成の丸山橋を渡り上荻4丁目の町に入る。 丸山橋は、上荻窪村字丸山に架かる橋なのでその名がつけられた。 この付近、終戦直後までは鬱蒼たる雑木林だったそうだ。 今は、その当時の面影はない。、、、、、善福寺川はコンクリートで囲われた深い川底を流れているが、水は清く、親水公園と整備したらいいと思う。 
 
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③荻窪八幡神社・・・・・・・・・・・荻窪八幡神社は、第59代:宇多天皇の寛平年間(889~898)に創建された。 第70代後冷泉天皇の永承6年(1051)に、鎮守府将軍:源頼義が奥州東征の折この地に陣し戦捷を祈願した。 康平5年(1062)の凱旋では、八幡神を勧請し武将を拠らしめた。、、、、、神社の境内は約2,600坪の広さを有し、チョットした森となっている。 姿を拝めない本殿は明治28年(1895)、回廊に囲まれた拝殿は昭和11年(1936)に建てられた。 回廊と神門は昭和43年(1968)の造営である。、、、、、結婚式、七五三、これから祝い事で華やかな季節が来る。 吾輩も、60数年前に七五三を行い、鳥居前で撮った可愛い写真が残っている。 しかし、戦後まもない当時は、写真館の幕に描いた鳥居の前で記念撮影したので、神社は???・・・いまだに謎の神社!
 
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④桃井原っぱ公園・・・・・・・・・・・荻窪八幡神社前の青梅街道を挟み、向かい側に荻窪署、荻窪消防署、河北総合病院などの公共施設が並び、その裏側にはURの団地、そして広大な一面芝生の公園がある。 これぞ、大正14年(1925)に開設した中島飛行機(株)東京工場で、昭和41年(1966)からは日産自動車(株)荻窪工場となり、平成10年(1998)に工場移転した跡地である。、、、、跡地は、公共性の高い跡地利用を望む日産自動車の要請により、「防災公園街区整備事業」を活用し、ヘリコプターの発着できる防災公園として整備された。
 
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・・・・・・・・・・・・・・原っぱ公園に隣接し、青梅街道に面する「日産プリンス東京販売荻窪店」の敷地の一角に「旧中島飛行機発動機発祥之地の碑」がある。 ここには、中島飛行機製作所東京工場に始まり、冨士精密工業、プリンス自動車工業、日産自動車荻窪工場と続いた工場跡地であったことをしるしている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・そして、隣にもう一つ、「日本ロケット発祥の地」の碑がある。 中島飛行機原動機工場は、国産第一号の飛行機用のエンジンをはじめ、零戦のエンジンも設計・製造した。 戦後、日産自動車荻窪工場となり、日本のロケット第一号も開発された。、、、、工場では、昭和28年(1953)東京大学生産技術研究所からの要請で、当時の富士精密工業荻窪工場内で少量の無煙火薬系推進薬を用いたロケットモータの地上燃焼実験を実施したのを始まりとして、昭和30年(1955)ペンシルロケット(直径1.8cm、長さ23cm、重さ200g)を完成させ、水平飛翔実験が行われた。 まさしく、我が国のロケット開発の始まりである。、、、、、碑の中にはペンシルロケットが埋め込まれているのだが、連日の雨模様でガラスが曇り殆ど見えない。
 
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⑤観泉寺・・・・・・・・・・・・荻窪駅と上井草駅を直線で結び、その中間地点(杉並区今川2丁目)に観泉寺はある。、、、、、宝珠山観泉寺といい、本尊は釈迦如来で、戦国時代の名門今川氏ゆかりの寺である。 慶長2年(1597)今の下井草二丁目付近に開山鉄叟雄鷟大和尚により創建され、観音寺といわれていた。 正保2年(1645)今川13代直房は、将軍家光の命をうけて京に上り、東照大権現の宮号宣下の使者を勤め、その功により井草村など三か村五百石の加増をうけた。 これを機に、当寺を菩提寺と定め、現在地に移して寺号を観泉寺と改め、祖父氏真を開基とし、信仰厚く伽藍建立に寄与した姉(観泉寺殿簾室慶公大姉)を中興とした。 その後万昌院 (現中野区)から祖父氏真の墓所を当寺に改葬した。
 
・・・・・・・・・・・・・・静かな参道を進み、突き当りの山門をくぐる。、、、、、誰もいない!
 
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・・・・・・・・・・・・・吾輩とあろうものが、大失敗! 迂闊であった! まだ修業が足りぬ! この寺を知らなんだ! ものすごい寺だ! 広大な寺域の寺ではないが、東京の住宅地にあっては大きな寺だ! 江戸時代に建てられた、歴史ある本堂・庫裡の前に立ち、360度ぐるりと見渡しても、目に入るのは、緑豊かに囲まれた手入れの行き届いた境内である。 すばらしい気に入った!、、、、、写真順に、本堂正面、本堂左側の庭、本堂とは反対側の山門、右に鐘楼
 
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・・・・・・・・・・・・・本堂は宝暦12年(1763)に火事で全焼し、同年に庫裡、翌年に本堂が再建された。 この庫裡と本堂は区内最古の大型木造建築物。
 
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・・・・・・・・・・・・・・樹々の中に見え隠れする閻魔堂鐘楼
 
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・・・・・・・・・・・・・・きれいな芝と滝を配した石組みの庭は、特に有名と言うわけではないが、訪れる人を静かな気持ちにさせてくれる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・観泉寺には、今川家累代の墓所がある。 慶長20年(1615)12月28日の一周忌銘のある今川氏真、明治20年(1887)11月3日の没年銘のある範叙(26代)など一族の墓が、墓地の中程に低い塀で囲まれ、並び供養されている。、、、、、戦国の武将今川義元の息子氏真は、桶狭間の戦いで敗死した父の後を継いだ。 しかし桶狭間の敗戦は致命的で、今川氏の滅亡を招くこととなった。 その後、氏真は出家し、歌人として多くの歌を残している。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・・境内を歩き、春の枝垂桜、秋の紅葉狩りに有名な寺であることを知り、納得! ぜひ、秋になったら再訪したい! 夏の竹林も一見の価値あり!
 
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・・・・・・・・・・・・・・観泉寺山門前の参道両脇に、石仏・地蔵が残されていた。
 
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⑥上井草駅・・・・・・・・・西武新宿線の停車場。 昭和2年(1927)4月16日西武村山線(西武新宿線の前身)の高田馬場(仮)~東村山間の開業と同時にできた。 相対式ホーム2面2線の地上駅。 それぞれのホームは完全に独立していて、跨線橋がないため双方の行き来はできない。 それゆえ、駅舎は上下線それぞれ別になっている。 下り側が南口、上り側が北口で、駅事務室も双方にある。 
 
・・・・・・・・・・・・・下り側(1番線側)の南口
 
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・・・・・・・・・・・・・・上り側(2番線側)の北口
 
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・・・・・・・・・・・・・・・上下線ともホームの先端が踏切まで伸びて、電車が停まると、踏切にはみ出しそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・木造のホーム上屋に、木製の長~~いベンチ。、、、、酔って寝た人もいたであろう、懐かしのベンチ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・電車が来た、帰るぞ!
 
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2017年8月19日 (土)

幸せの黄色い電車

『今日の散歩は何処から歩くかな?』と行くえ定まらず、都営浅草線の浅草橋駅ホームに立った。 すると丁度、黄色に特別塗装した1000形電車の"­;KEIKYU YELLOW HAPPY TRAIN(京急イエローハッピートレイン)"が停車中である。 この塗装の電車は1編成しかなく、乗れると幸運であることから「幸せの黄色い電車」と言われている。 無我夢中で、電車に飛び乗った。 乗ったはいいが、何処で降りようか? 考えるのは面倒だ、電車の終点「高砂」まで行ってみるか。、、、、、と言うことで、今日の散歩は、イエローハッピートレインに運命を託し、高砂駅から京成小岩駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
イエローハッピートレイン・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・・・先頭車両まで移動し、イエローハッピートレインの運転手気分で御満悦!
 
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・・・・・・・・・・・・・・終点:高砂に到着。 降りたくないが、降りることにした。
 
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・・・・・・・・・・・・・・先頭車両を撮り、高砂検車区へ向かう後ろ姿を見送る。
 
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・・・・・・・・・・・・・『さて、これから何処へ向かうか、思案、こし餡、小倉餡。 悩むね?』 ホームでしばらく考え、今日は高砂駅をじっくり見て、そのあと、京成本線沿いに歩いてみることにした。
 
 
②高砂駅・・・・・・・・・・・・スカイツリーのある押上から、荒川・中川と大きな川を2本越えると高砂駅に着く。 東京都葛飾区の駅である、千葉県の駅と誤解しないように。、、、、、、大正元年(1912)11月3日に、曲金駅(まがりかねえき)として開業し、翌年6月26日に高砂駅に改称した。 現在の正式名称は“京成高砂”駅であるが、“京成”は省略されている。、、、、、京成本線、金町線、成田空港線、北総線が乗り入れている。 金町線は1面1線の高架ホームを使用しているが、その他の線は島式2面4線の地上ホームを使用している。 都心寄りの隣駅:青砥駅とともに、京成電鉄におけるジャンクションである。
 
・・・・・・・・・・・・・・高砂駅の正面(?)、、、、、手前踏切は有名な開かずの踏切。(正式には高砂1号踏切) 高架上には駅舎(中央)と金町線ホーム(左)がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅出入口は、踏切の脇、裏道の奥などに複数個所ある。 しかし、どれも小さな素っ気ない出入口で、『これから、電車に乗るんだ!』と思わせる、ワクワク感に乏しい駅だ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・階段を上がり駅舎2階には、京成本線・成田空港線・北総線の改札口と向かい合わせに、金町線の改札口がある。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・島式2面4線の狭い地上ホームには、引っ切り無しに電車が発着し、乗務員の交替、乗客の乗り換え、電車の始発終着、何となく落ち着かない下町の匂いが漂う駅である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅構内にある古レールのモニュメント。 明治44年(1911)のカーネギー社(米国)製のレールで、大正元年(1912)押上~金町間の開業時に使用されたもの。 その後、高砂駅のホーム屋根を支える支柱として使用されていた。、、、、、1世紀前のレールである。 吾輩の住むJR総武線浅草橋駅や、中央線水道橋駅のホーム支柱も古レールをアールデコ調の曲線に加工し、組み立て使用している。 ぜひ、一見あれ!  
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅を一周しても、周辺には、パチンコ、ファミレス、ドトール、コンビニ、ブティックなどが並ぶ、これぞ“高砂銀座商店街”と言えるような繁華街は無い。、、、、、小田急線、東横線、田園都市線など、山手を走る私鉄の駅には小洒落た店が並ぶ楽しい商店街が多いのだが、京成沿線は負けている、ダメだ!、、、、、、京成沿線の地価が安いのも、納得できる。
 
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③高砂第1号踏切・・・・・・・・・高砂駅ホームの東側に隣接する踏切。 踏切の頭上には京成金町線の高架ホームがある。 高砂駅は京成本線・成田空港線・北総線、さらに高砂検車区への入出庫線もある、一大ジャンクションで多くの線路が交錯し、発着量も多い。 第1号踏切は当然“開かずの踏切”となった。、、、、、線路を高架にする計画はあるそうだが、検車区が至近にあるため、工事が難しそうだ。 納得!
 
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・・・・・・・・・・・・・・踏切の先には高砂2号踏切があり、その奥に高砂検車区が広がる。
 
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④高砂第2号踏切で・・・・・・・・・高砂検車区手前の2号踏切で見えた! 『オゥ! イエローハッピートレインが車庫に停まっている。 ラッキー!』と思ったら、さらにこちらに向かってく来る、ウハウハ興奮したね。、、、、、、吾輩が高砂駅で下車してから、約1時間が経過している。 京急久里浜行きとして折り返すようだ。 踏切で入線を見送ることにした。
 
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●・・・・・・・・・・「幸せの黄色い電車」を充分堪能し、幸せいっぱい、腹いっぱい、あとは幸運の女神がやってくることを期待し、京成本線沿いを京成小岩駅まで歩いた。、、、、曇り空の下、梅雨時のようなジメジメ、ベトベト天気。 幸運を期待し、汗をダラダラ流し、線路沿いに大金が落ちていることを念じ、注意して歩いてみたが無駄だった。

2017年8月17日 (木)

船橋市行田

雨、雨、雨、連日の雨。 『今日は?』と外を見ると、曇り空だが散歩できそうだ。 途中、降られぬことを祈り、「船橋高架水槽」を見に行田団地まで行ってきた。 9千歩。
 
 
 
①京成西船駅・・・・・・・・・・京成本線の駅で、JR総武本線西船橋駅の北方300m程の処にある。 大正5年(1916)12月30日に葛飾駅として開業し、昭和62年(1987)に京成西船駅に改称した。 優等列車は全て通過し、普通列車のみ停まってくれる駅。、、、、、、、国鉄(JR)総武本線の西船橋駅の開業は、京成西船駅開業から42年後、昭和33年(1958)11月10日である。 駅の大きさ、駅前の賑やかさ、乗降客の多さ、どれを比べても、横綱と序二段ほどの差があり西船橋駅の圧倒的な勝ち! 
 
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②成瀬地蔵・・・・・・・・・・・西船駅から80歩ほど歩くと、踏切を越えた処(船橋市印内1)に成瀬地蔵(なるせじぞう)が祀られている。、、、、、旧葛飾町一帯は栗原郷であった。家康は側近の成瀬正成に慶長5年(1600)に栗原郷4000石を与えた。 のちに次男之成が、2代目の栗原藩主となったが39歳で病没。 その子之虎はわずか5歳で夭折。 寛永11年(1634)に断絶した。 この「成瀬地蔵」は、夭折した之虎の霊と、幼くして他界した地元の子らの霊を弔う為、貞享4年(1687)、印内村名主の田中徳左衛門、忠左衛門と女性だけの念仏講中によって寄進、建立されたものらしい。、、、、“女性だけの念仏講”とは“女子会 ”?
 
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③正延寺・・・・・・・・・・・京成本線とJR武蔵野線が交差する西船3丁目に、真言宗豊山派の正延寺がある。、、、、、明治41年(1908)、延命院跡に正覚寺と延命院が合併した寺で、名前も一文字ずつ頂戴し「正延寺」と、わかりやすいね。 本尊・胎蔵界五智如来像は、正覚寺の地中より掘り起こされたという伝承をもつ秘仏で、平安時代の作と推定され、船橋市最古級の仏像で県文化財に指定されているそうだ。、、、、、現本堂は昭和49年(1974)に建立。
 
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④印内八坂神社・光明寺・・・・・・・・・・・・JR武蔵野線沿いに歩くと、船橋市印内2丁目に、八坂神社がある。 神社の主神は須佐之男命だが、仏教の祇園精舎の守護神・牛頭天王を併せた祭神で“印内の天王様”と呼ばれている。、、、、神社の広い境内と地続きで、真言宗の光明寺がある。、、、、、八坂神社は、隣の光明寺が、約250年前にこの辺りで疫病が流行した際に、京都の八坂神社を勧請したのが起こりらしい。
 
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・・・・・・・・・・・・・・境内中央に堂々と腰を据える八坂神社。
 
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・・・・・・・・・・・・・・神社の境内隅に間借りしたような、チョイと寂しい雰囲気の光明寺。
 
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⑤船橋高架水槽・・・・・・・・・・・・今日の散歩でぜひ見てみたかった高架水槽。
 
・・・・・・・・・・・・・・印内2丁目付近から、畑の先、住宅の先に見えた! 後ろには行田団地が並んでいる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・近づいてみるとクラゲのようだ、16本の足(支柱)を数えることができた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・芝生上に高さ31m、直径16mの巨大なクラゲが立っている。 昭和36年(1961)に建設され、貯水量5000m3の水槽!
 
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・・・・・・・・・・・・・・行田団地の上から見ても、足は16本だった。 現在は、平時の給水より、災害時に停電しても給水できる非常用として稼働しているそうだ。
 
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⑥海軍無線電信所船橋送信所跡・・・・・・・・・・・・中山競馬場の東に、巨大な円を描いている海軍の無線電信施設の跡。 チョイと航空写真で見ると!、、、、、おそらく、誰もが見たことある写真だと思う。
 
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・・・・・・・・・・・・・この施設は日露戦争後、聯合艦隊の行動範囲の拡大に伴い、現:船橋市行田に設置された海軍の無線電信施設である。 太平洋戦争時に真珠湾攻撃部隊に「ニイタカヤマノボレ1208」の電文を送信した施設。 ジーメンス社に発注し、大正2年(1913)に着工したが翌大正3年に第一次世界大戦が起こり日本がドイツに宣戦布告をしたことからジーメンス社の技術者が図面を焼却、帰国してしまい工事は困難を極めたが、大正4年(1915)4月には開所式が行われた。 戦後は、進駐軍が接収し昭和41年(1966)に返還されたが、昭和46年(1971)から翌年までに解体された。
 
・・・・・・・・・・・・・現在、送信所跡を物語れるものは、この巨大な円形(直径約800m)と、円の中心部(行田公園)に設置された記念碑だけである。
 
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・・・・・・・・・・・・・・外周道路は円を描いているのだが、大きすぎて、カーブも緩やかである。
 
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・・・・・・・・・・・・・円形の中に昭和51年(1976)に誕生した、住宅公団の総戸数1736戸の行田団地。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・霧雨か? チョイと降ってきたので、団地内のバス停から駅に向かうことにした。 散歩は此処まで!

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