田町~新橋
“さむい~、さむい~、ちゃぶい~”と叫びたくなる寒さ、健康のため我慢して散歩しよう! JRの線路に沿い、左右にブレながら田町駅から新橋駅まで、1万2千歩、9kmの歩きです。
①芝浜(しばはま)・・・・・・・・田町駅前の第一京浜国道に面し、森永プラザビル(旧森永製菓本社ビル)、第一田町ビル(三菱自動車工業)が建っている。この辺は、江戸時代の海岸で、“芝浜”と呼ばれていた。・・・・・・先日他界した立川談志の得意とした人情話「芝浜」の舞台となったところ。・・・・・・・・明治5年(1872)の鉄道開業時は、田町駅は開業しておらず、鉄道は東京湾の中に土手を築き走っていた。つまり、東海道線は芝浜の沖に敷かれた線路だ!
・・・・・・・・・・・・第一田町ビル(三菱自動車)の建つ、このあたりは薩摩藩所有の蔵屋敷で、慶応4年(1868)、江戸城開城に向け勝海舟と西郷隆盛が会見したところ。・・・・・・・・きっと屋敷から海が見え、焼き蛤でも食べながらの会談だったかな?
・・・・・・・・・・・・御穂鹿嶋神社(みほかしまじんじゃ)・・・・・・・・・・この地に古くからあった御穂神社(文明11年(1479)創建)と鹿嶋神社(寛永年間(1624~44)創建)の2社を、平成17年(2005)合祀した。・・・・・・・西郷・勝会見之地の石碑が建つ裏に神社はある。
・・・・・・・・・・・・・神社前の公園・・・・・・・・公園の後ろには東海道線が走る。・・・・・・・鉄道開通の頃は、公園が砂浜で、海の中の土手を機関車が走っていたであろう!
・・・・・・・・・・・・・公園から東海道線下のガードを抜けると、雑魚場(ざこば)と呼ばれた、魚を水揚げした浜に出られる。(もちろん、現在は浜が無く、1km程先にレインボーブリッジがある)・・・・・・・・ガードには「雑魚場架道橋」と記されている。
②旧芝浦見番・・・・・・・・芝浦花柳界の見番(けんばん)として、昭和11年(1936)に建てられた。目黒の雅叙園と同様に大工の酒井久五郎(さかいきゅうごろう)が手がけた。・・・・・・・1階は事務所、2階は芸妓の稽古場、大広間が中心で、玄関の唐破風などに花柳界全盛期の華やかさが偲ばれる建築。・・・・・・・太平洋戦争が始まると、港湾労働者の宿泊施設となり、戦後も「協働会館」として利用されていた。平成12年(2000)、宿泊施設を閉鎖し、現在は文化財として保存を検討中。
③旧木村屋・・・・・・・・・芝浦の昭和10年(1921)の建築
④讃岐小白稲荷神社・・・・・・・浜松町駅近くの讃岐小白稲荷神社。讃岐(さぬき)社は高松藩の下屋敷に、小白(こはく)社は芝湊町(現:浜松町二丁目)にそれぞれ鎮座していた。両稲荷は昭和13年(1938)、区画整理により合祀した。・・・・・・・・・戦後、花柳界が復活し、神社の玉垣には、芸妓組合だけでなく、懐かしの名が刻まれている。
⑤渡邊ビル・・・・・・・・・・浜松町駅前の昭和レトロなビル。昭和6年(1931)に竣工した帝冠様式(昭和初期に流行した、鉄筋コンクリート造の建物に和風の瓦屋根を載せた和洋折衷様式)のビル。
⑥浜松町駅前で・・・・・・・・・・・・・東京タワーと汐留
⑦金井医院・・・・・・・・・古そう! 年代不詳? 浜松町の裏通り。 閉院したようだ!
⑧芝大神宮・・・・・・・・創建が寛弘2年(1005)と言われている由緒ある社、これが芝大神宮だ。町火消し「め組」の鳶と相撲力士の喧嘩で有名な神社。
・・・・・・・・・・・・・大神宮から右に入ると「芝神明花街」と言われた三業地があった。大正時代には料亭40軒以上、芸妓120名以上がで花街の全盛だった。戦後は細々と復活し、昭和50年代には、遊里の燈火が消えた。・・・・・・・数件ほどの面影残す建物も、取り壊し直前だ!













































































最近のコメント