2012年1月30日 (月)

田町~新橋

“さむい~、さむい~、ちゃぶい~”と叫びたくなる寒さ、健康のため我慢して散歩しよう! JRの線路に沿い、左右にブレながら田町駅から新橋駅まで、1万2千歩、9kmの歩きです。

①芝浜(しばはま)・・・・・・・・田町駅前の第一京浜国道に面し、森永プラザビル(旧森永製菓本社ビル)、第一田町ビル(三菱自動車工業)が建っている。この辺は、江戸時代の海岸で、“芝浜”と呼ばれていた。・・・・・・先日他界した立川談志の得意とした人情話「芝浜」の舞台となったところ。・・・・・・・・明治5年(1872)の鉄道開業時は、田町駅は開業しておらず、鉄道は東京湾の中に土手を築き走っていた。つまり、東海道線は芝浜の沖に敷かれた線路だ!

・・・・・・・・・・・・第一田町ビル(三菱自動車)の建つ、このあたりは薩摩藩所有の蔵屋敷で、慶応4年(1868)、江戸城開城に向け勝海舟と西郷隆盛が会見したところ。・・・・・・・・きっと屋敷から海が見え、焼き蛤でも食べながらの会談だったかな?

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・・・・・・・・・・・・御穂鹿嶋神社(みほかしまじんじゃ)・・・・・・・・・・この地に古くからあった御穂神社(文明11年(1479)創建)と鹿嶋神社(寛永年間(1624~44)創建)の2社を、平成17年(2005)合祀した。・・・・・・・西郷・勝会見之地の石碑が建つ裏に神社はある。

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・・・・・・・・・・・・・神社前の公園・・・・・・・・公園の後ろには東海道線が走る。・・・・・・・鉄道開通の頃は、公園が砂浜で、海の中の土手を機関車が走っていたであろう!

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・・・・・・・・・・・・・公園から東海道線下のガードを抜けると、雑魚場(ざこば)と呼ばれた、魚を水揚げした浜に出られる。(もちろん、現在は浜が無く、1km程先にレインボーブリッジがある)・・・・・・・・ガードには「雑魚場架道橋」と記されている。

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旧芝浦見番・・・・・・・・芝浦花柳界の見番(けんばん)として、昭和11年(1936)に建てられた。目黒の雅叙園と同様に大工の酒井久五郎(さかいきゅうごろう)が手がけた。・・・・・・・1階は事務所、2階は芸妓の稽古場、大広間が中心で、玄関の唐破風などに花柳界全盛期の華やかさが偲ばれる建築。・・・・・・・太平洋戦争が始まると、港湾労働者の宿泊施設となり、戦後も「協働会館」として利用されていた。平成12年(2000)、宿泊施設を閉鎖し、現在は文化財として保存を検討中。

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旧木村屋・・・・・・・・・芝浦の昭和10年(1921)の建築

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④讃岐小白稲荷神社・・・・・・・浜松町駅近くの讃岐小白稲荷神社。讃岐(さぬき)社は高松藩の下屋敷に、小白(こはく)社は芝湊町(現:浜松町二丁目)にそれぞれ鎮座していた。両稲荷は昭和13年(1938)、区画整理により合祀した。・・・・・・・・・戦後、花柳界が復活し、神社の玉垣には、芸妓組合だけでなく、懐かしの名が刻まれている。

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渡邊ビル・・・・・・・・・・浜松町駅前の昭和レトロなビル。昭和6年(1931)に竣工した帝冠様式(昭和初期に流行した、鉄筋コンクリート造の建物に和風の瓦屋根を載せた和洋折衷様式)のビル。

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⑥浜松町駅前で・・・・・・・・・・・・・東京タワーと汐留

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⑦金井医院・・・・・・・・・古そう! 年代不詳? 浜松町の裏通り。 閉院したようだ!

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⑧芝大神宮・・・・・・・・創建が寛弘2年(1005)と言われている由緒ある社、これが芝大神宮だ。町火消し「め組」の鳶と相撲力士の喧嘩で有名な神社。

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・・・・・・・・・・・・・大神宮から右に入ると「芝神明花街」と言われた三業地があった。大正時代には料亭40軒以上、芸妓120名以上がで花街の全盛だった。戦後は細々と復活し、昭和50年代には、遊里の燈火が消えた。・・・・・・・数件ほどの面影残す建物も、取り壊し直前だ!

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2012年1月28日 (土)

浅草橋~木場

我が家(浅草橋)から地下鉄東西線木場駅まで、1万4千歩、10kmの散歩です。

①本格・・・・・・・・・・浅草橋の橋と駅の中間に位置する「本格」と称する雑貨卸問屋が入っているビル。戦前の建物と思われる。・・・・・・・・江戸通りを挟み斜め前には「浅草橋ビル」がある。

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②旧メリヤスビル(合名会社ニ興)・・・・・・・・・昭和3年(1928)頃の建物で、傷みがひどくなっている。・・・・・・・・・日中でもシャッターが降り、今は空き家かも? もったいない!       

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③人形町二丁目・・・・・・・・・・・順に、加島酒店、歯科多和田、神谷商店、空き家3軒

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④永楽屋・・・・・・・・・・・日本橋蠣殻町に建つ看板建築の「永楽屋」。創業明治27年(1894)のオーダーシャツ専門店。現在の店舗は大正14年(1925)に建てられた。・・・・・・・・・・看板は、昇る朝日に、ニワトリが二羽、そしてモダンな書体で屋号が、いいね~~! 今日は休みかな?

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⑤茅場町タワービル・・・・・・・・・ピントこない人は、平成9年(1997)突然廃業した「山一證券」の本社ビルと言えば思い出すだろう。当時は連日このビルがテレビに映し出されていた。・・・・・・・このビルは倒産の前年、平成8年(1996)に竣工し、地上21階、高さ99.9mの規模を有する。当時、地上1階から16階までは山一証券のオフィスで、17階以上は山一證券の社宅だったそうだ。現在はオフィスのテナントとしてNTTデータが入居し、17階以上は賃貸マンションとなっている。・・・・・・・・・ビル前を通ると、ドラマのようであった一連のバブル崩壊劇の時代を思いだすね!

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永代橋・・・・・・・・・・関東大震災の復興事業として大正15年(1926)に竣工した。橋長184.7m、幅員25.0mの堂々としたアーチ橋。橋のたもとには、“日本国重要文化財”と記されている。・・・・・・・鋼材重量3932トンを4か所のピン(ヒンジ)で支えている。まさに、力強いデザインだ!

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⑦大横川の倉庫群・・・・・・・・・越中島の「ヤマタネ」の倉庫・・・・・・・建設年代不詳だが、コンクリート造、切妻屋根の倉庫なので終戦直後の建物か?・・・・・・・・・・桜が咲くころ、大横川に面したこのあたりは絶好の花見ができそうだ!

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2012年1月27日 (金)

南千住

買い物ついでに散歩です。南千住から我が家(浅草橋)まで、1万3千歩、10kmです。

JR貨物隅田川駅・・・・・・・・・隅田川駅(すみだがわえき)は、明治29年(1896)に日本鉄道の貨物駅として開業した。プラットホーム、キヨスクなどの旅客設備はなく、開業以来終始一貫して貨物のみ取り扱ってきた。現在は南北に5面10線のコンテナホームが並ぶ、JR東日本・JR貨物の駅である。・・・・・・・・・昭和45年(1970)に製作された“DE101553”ディーゼル機関車が活躍中だ!

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②浄閑寺(じょうかんじ)・・・・・・・・吉原遊廓が誕生した明暦3年(1657)より以前の、明暦元年(1655)に創建された浄土宗の寺。・・・・・・・・安政2年(1855)の大地震では、新吉原(元吉原は現:人形町(葭町)、新吉原は現:千束(浅草))の遊女が、投げ込み同然に葬られたことから「投込寺」と呼ばれるようになった。慰霊のため、「新吉原総霊塔」が建立されている。・・・・・・・・・作家永井荷風は、遊女の暗く、悲しい生涯に思いをはせ、度々この寺に訪れていたそうだ。荷風の没後、「永井荷風文学碑・筆塚」が建てられた。・・・・・・・“その荷風を偲び、私はこの寺を訪れた”と書きたいけれど、たまたま、偶然、立ち寄っただけ!・・・・・・・・・・遊女が気になり、本堂の写真は撮り忘れた!ご免!

・・・・・・・・・・・・・新吉原総霊塔・・・・・・・懇ろに手を合わせてきた

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・・・・・・・・・・・・・永井荷風文学碑・筆塚

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・・・・・・・・・・・・・ひまわり地蔵尊・・・・・・・・近くの山谷(ドヤ街)で、ひとり淋しく人生を終えた人を弔い地蔵尊が建立されている。

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③永久寺(目黄不動)・・・・・・・・・三ノ輪まで来たら、チョイト寄ってみよう! 一昨日、平井の最勝寺に祀られていた“目黄(めき)不動”の仲間である、永久寺(えいきゅうじ)の“目黄不動”・・・・・・・・・本堂脇の不動堂に居られた! たしかに黄色の目だ!

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④中江と伊勢屋・・・・・・・・・吉原大門(遊郭の入り口)前の2軒の老舗(ともに、建物は国の登録有形文化財)・・・・・・・・明治38年(1905)創業の“桜鍋”の「中江」。吉原通いの客を相手に、20軒以上の桜鍋を売る店が軒を連ねていたらしい。今残るはここだけ!現建物は大正12年(1933)竣工。・・・・・・・・明治22年(1989)創業の“天麩羅”の「伊勢屋」 。創業以来変わらぬタレと、ドンブリからはみだす穴子の天ぷら、まさに絶品!現建物は昭和2年(1927)竣工。

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都営石浜アパート・・・・・・・・・・昭和38年(1963)に建てられた都営アパート。昭和30年代に建てられた都営アパートも少なくなってきた!貴重かも?

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・・・・・・・・・・・・1階にはハローワーク上野玉姫労働出張所があり、日雇いにかかわる業務を専門に担当している。早朝には日雇仕事を求めて労働者が集まってくる。

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・・・・・・・・・・・・かっての馬券売り場のような窓口・・・・・・・そこに貼紙が!

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⑥お化け地蔵・・・・・・・・・・・台東区橋場の松吟寺にある地蔵さま・・・・・・・・・・・“お化け地蔵”の謂れは、かつて大きな笠をかぶり、その笠が向きをかえたから、あるいは高さ3m余の並はずれた大きさからなど、諸説あり。・・・・・・・・地蔵さまは享保6年(1721)の建立。脇の常夜灯は、寛政2年(1790)に建てられた。

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今戸神社・・・・・・・・縁結びの神様・・・・・・・気温7℃の寒い中、あったかい2人が腕組んでお参り。御利益あるよ!

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2012年1月25日 (水)

平井~押上

総武線平井駅から、都営地下鉄押上駅まで、1万3千歩、10kmの散歩です。

平井駅・・・・・・・・・明治32年(1899)、総武鉄道の駅として開業した。総武線の駅の中では、私の住む浅草橋駅と同様に“知る人しか知らない”マイナーな駅だ!

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・・・・・・・・・・・・・・東京都建設局のHPに昭和24年(1949)のキティ台風で、駅が水没している写真があった。チョイト、拝借!(上の写真と同じアングルのようだ)

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②荒川土手・・・・・・・・・昨日の雪が残る土手・・・・・・・土手から遠望するスカイツリー

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・・・・・・・・・・・・・ここ平井1丁目では荒川土手は2段構造になっている。写真左側の民家の前の道路部分と、写真を撮った中段の道路部分、さらに右側には土手の頂部がある。

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・・・・・・・・・・・・・上の写真の右側土手の頂部に至る階段わきに、赤で“A.P.+5.1m高潮対策潮位”、左側の法面には、黄色で“A.P.+3.15mキティ台風潮位”、水色で“A.P.+2.1m満潮位”、青で“A.P.±0m干潮位”と表示されている。(A.P.とは荒川工事基準面の略号)・・・・・・・・つまり、荒川の水面が低いときは青の位置、満潮の時は水色の位置、過去の台風の実績では黄色の位置まで水がきたことになる。・・・・・・・堤防が無ければ、ベニスよりひどい状態で、水中都市だ!・・・・・・怖いね!

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③最勝寺(さいしょうじ)・・・・・・・・・・貞観2年(860)に隅田川畔(現在の墨田区東駒形)に草創された寺。大正2年(1912)、駒形橋の架橋工事により現在地(江戸川区平井)に移転した。・・・・・・・この寺は、“五色不動”の一つ、“目黄不動尊”で知られている。・・・・・・・・ちなみに他の“五色不動”は、“目黒不動”瀧泉寺(目黒区)、“目白不動”金乗院(豊島区)、“目赤不動”南谷寺(文京区)、“目青不動”教学院(世田谷区)、“目黄不動”永久寺(台東区)・・・・・目黄は複数あるようだ。

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④善通寺・・・・・・・・浄土真宗本願寺派の寺で、康正年間(1455~1457)に創建したと伝えられている。以前は小松川村にあったが、大正4年(1915)荒川の開削工事により現在地(最勝寺の並び)に移転した。・・・・・・・・本尊は、中将姫が織ったという蓮糸織阿弥陀如来曼陀羅。中将姫とは奈良時代の藤原氏の娘で、超美女だった(?)。しかし、継母によって身に危険を感じ、大和の当麻寺の尼となった。本尊の如来像は、房総・常陸に君臨 した千葉氏の基礎を築いた千葉常胤の本尊であったとされている。・・・・・・・・奈良の当麻寺は大学生の時に一人旅し、この時の出来事(ナイショ!)が、文学部の講義を私が受講する切っ掛けとなった。(懐かしい、青いレモンの思い出だ!)

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⑤平井から眺めるスカイツリー・・・・・・・・・・・・・・

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北十間川沿いに眺めるスカイツリー・・・・・・・・・・

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2012年1月24日 (火)

雪のため、散歩は休み

やっと、我が街にも雪が積もった! 朝、7時頃の積雪は1cm程。

本日は、足下が危険なため、散歩は中止とした。

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