2019年8月22日 (木)

ダウン!

クーラーをガンガン、扇風機をブルブル、北京ビキニ・スタイルで、枕を抱いて鼻血ブーのリバブル先生の夢でもみてスヤスヤ。 今朝、起きたら大変、喉はカラカラ、鼻水はタラタラ。 朝一でクリニックへ駆け込み、ダウンしました。 5日分の風邪薬を頂戴し、家で休養!

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2019年8月19日 (月)

巾着腹と大根足

そろそろ夏バテする時期だ。 私は、隅田川花火大会で孫を抱き腰がイテテ、連日のアイスコーヒーの飲み過ぎでお腹はピーピー、昼寝が多く不規則な睡眠でお眼目シバシバ、熱中症と戦いエアコンと扇風機でガンガン躰はヒエビエ、リバブル先生に見とれ鼻血ブー(病院で血管を焼いてもらった)、、、、どうやら、私もバテてきた!

今日は、浅草寺の支院の一つ本龍院(待乳山聖天)と、浅草寺に行ってきた。




●巾着腹・大根足の寺? ・・・・・・浅草寺の北東650m程離れた隅田川沿いの小高い丘にある、浅草寺の支院で、聖観音宗の寺院である本龍院(ほんりゅういん)。 “小高い丘”は待乳山(まつちやま)と呼ばれ、寺は別名「待乳山聖天」と呼ばれている。、、、、この丘は推古天皇3年(595)に突然小高く盛り上がりできた。 そして、この山に金龍が舞い降り守護したと伝えられ、浅草寺の山号(金龍山)の由来となった。 この不思議な降起は、十一面観音菩薩の化身「大聖歓喜天」が出現するめでたい先触れで、それから6年後村人は天候不順に悩まされ、永い旱魃(ひでり)のために飢えと焦熱の地獄に陥っていた。その時大聖歓喜天が出現し、雨を降らせて村人を苦しみから救ったという。それ以来民衆の篤い尊信が集まり、天安元年(857)慈覚大師円仁が東国巡拝の折、この山に籠もって21日の間浴油修法して国家安泰、庶民の生活安定を祈願し、自ら十一面観世音菩薩像を彫んで奉安したと伝えられている。、、、、本堂などの建築物は震災・戦災で焼失し、現在の本堂は昭和36年(1961)に権現造りで再建されたものである。

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・・・・・・・・・・・・・・境内各所に印されてあります巾着大根は、信心し祈願することによって得られるその御利益を端的に表したもの。 大根は身体を丈夫にし、良縁を成就し、夫婦仲良く末永く一家の和合の御加護える功徳を表している。 巾着は財宝で商売繁盛を表し、聖天さまの信仰の御利益の大きいことを示している。 境内のあちらこちらに大根と巾着のシンボルを見ることができる。、、、、巾着のようにフックラした腹、大根のようにスラッとした足が、御利益ではないので、誤解なきように! 


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・・・・・・・・・・・・・・境内には、足利末期(1600頃)の作と云われてる出世観音、、、、昭和18年(1943)に浪曲協会が建てた浪曲相輪塔、、、、江戸時代の名残をとどめる築地塀、、、、いろいろ見るべきものがある。 戦前・戦後の美人女優:花柳小菊が献燈した燈籠もある。


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・・・・・・・・・・・・・・境内から見るスカイツリー。 チョイト木が茂り、判りづらいが隅田川も見える。

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●猿若三座? ・・・・・待乳山聖天と浅草寺の間の町、現在の浅草6丁目。 この地はその昔、丹波国(京都府)園部藩主小出氏の下屋敷であった。天保12年(1841)、徳川幕府は天保の改革の一環として、この屋敷を公収し、その跡地に境町・葺屋町・木挽町(現中央区)にあった芝居小屋の移転を命じた。 芝居小屋は、天保13年から翌14年にかけて当地に移り、猿若町はできた。 芝居小屋の移転とともに猿若町は、一丁目から三丁目にわけられ、一丁目には中村座および薩摩座、二丁目には市村座および結城座が移った。 そして、三丁目には河原崎座が移転してきた。このうち中村座、市村座、河原崎座が世にいう「猿若三座」である。 町名は、江戸芝居の始祖といわれた猿若勘三郎の名に由来する。、、、、現在は、芝居小屋の跡に碑が建つのみ。 


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●カッコイイ侠客が勧請した ・・・・・・浅草寺の裏手に、新門辰五郎が勧請した被官稲荷社がある。、、、、安政元年(1854)新門辰五郎の妻女が重病で床に伏した時、京都の伏見稲荷社に祈願した。 その効果があって病気全快、安政2年(1855)お礼の意味を込め、伏見から祭神を当地に勧請し、小社を創建して被官稲荷社と名付けた。、、、、江戸後期の町火消、鳶頭、侠客で、映画、芝居では、カッコイイね!


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●チョイト暑さもやわらいだ浅草寺 ・・・・・・・このブログでは、毎度おなじみの浅草寺。


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2019年8月17日 (土)

夜の堀切

この夏一番の暑さ、予報では36℃。 熱中症で彼の世へ行くのは嫌だ、今日は家でゴロゴロ、グダグダ、そしてグッタリ。 でも、陽も落ちる時刻となると、『ブラブラ歩いてくるか』、、、、今宵は暑そうだから無理をせず、私の好きな東武伊勢崎線の堀切駅と牛田駅・京成関屋駅に行ってきた。




●降りた客は二人! ・・・・・・・堀切駅は、明治35年(1902)4月1日、吾妻橋(現:とうきょうスカイツリー)~北千住間の開業と同時にできた駅。 当時の堀切駅は今よりやや東側、ちょうど荒川のど真ん中付近にあった。 当時はまだ現在の荒川がなかったためで、河川改修に伴って堀切駅が現在の位置に移転したのは大正12年(1923)のことである。 荒川の右岸、堤防沿いギリギリにつくられた駅で、優等電車はスピードを落としホームに沿った急カーブを通過していく。、、、、電車が着いた、降りた客は二人、乗る客はいない、寂しい駅。、、、、駅舎は上下方向別に2箇所ある。 乗降客も少なく、駅前には明かりを消した小さなラーメン屋が1軒あるだけ。 暗闇の中に駅の明かりがまぶしく見える。

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・・・・・・・・・・・・・・駅の東側は荒川。南西側400m程には隅田川が流れ、両川を結ぶように綾瀬川でつながっている。 綾瀬川の荒川側には、昭和43年(1968)に隅田水門が設けられた。

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・・・・・・・・・・・・・・駅前の荒川の堤防にあがって見ると、、、、荒川の向こう岸には首都高の堀切JCTの明かりが見える、、、、上流側には堀切橋が架かる、、、、ふりかえると、南千住方面にタワーマンションが並んでいる
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●下町を抜ける ・・・・・・線路際を歩き、牛田駅に向かう、、、、駐車場横を特急“りょうもう”が疾走、、、、低い桁のガード、、、、ぽつんと一軒家は中華そば屋、、、、線路際の十一面観音は夜中の犯罪を見守っている
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●向かい合わせ! ・・・・・・・東武伊勢崎線の牛田駅、京成本線の京成関屋駅、両駅の改札は40m程の距離で向かい合う。 共に電車が着くと、一方から一方へお客が移動するここは乗換駅である。
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・・・・・・・・・・・・・・両駅の間では、数軒の店が乗換客を狙って、手招きしている。
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・・・・・・・・・・・・・・幸い、私は呑めない身であり、誘惑には負けることもなく、牛田駅から帰ることにした。
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