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2012年4月

2012年4月30日 (月)

田端~御徒町

田端駅から谷中・千駄木を抜け御徒町駅まで、1万6千歩、11Kmの散歩。

①田端の切通し・・・・・・・・田端駅北口から文京区側へ続く切通しの道は昭和8年(1933)に完成した。かなり深い切通しだ!・・・・・・・・・切通しの両端を結ぶ橋が2本ある。1本は田端駅に近い「東台橋(とうだいはし)」で、古い橋を架け替えた。もう1本は、切通しと同時期に架けられた、歩行者専用の鉄骨アーチ橋の「童橋(わらべばし)」。

・・・・・・・・・・東台橋

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・・・・・・・・・・・童橋

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②向陵稲荷坂(こうりょういなりざか)・・・・・・・・西日暮里にある名門:開成学園の高校と中学校舎の間にある坂。・・・・・・・・坂の上には向陵稲荷の祠がある。・・・・・・・・・・“開成”と聞くと、私が、反射的に頭に浮かぶのが“麻布・開成・京華”の言葉。 わが母校京華学園では、私が卒業する頃(昭和40年頃)の合言葉で、東京の三大私立名門高校は“かつて、麻布・開成・京華だった”! わが母校がその一角から脱落したので、在校生は頑張って東大を目指し、名門復活に努めるように励まされた!(まだ、効果が表れていないようだ!)

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青雲寺・・・・・・・・・西日暮里にある、臨済宗妙心寺派の寺院。創建は宝暦年間(1751~64)と伝えられている。・・・・・・・・・・本堂は昭和35年(1960)に建てられた。・・・・・・・境内には滝沢馬琴の筆塚もある。

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④路地を行く・・・・・・・・・・西日暮里、谷中、千駄木と、観光客の来ない裏道を歩く。

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⑤旧忍旅館(上田邸)・・・・・・・・池之端3丁目に建つ、元旅館。昭和4年(1929)に建てられた、木造3階+搭屋、モルタル塗りの建物は、一見石造りに見える。・・・・・・・・・各階の窓廻り、柱のデザインはバツグン!・・・・・・・・東京都選定歴史的建造物だ!

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⑥森鴎外旧居跡・・・・・・・・・・・・池之端の「水月ホテル鴎外荘」の中庭に、明治の文豪:森鴎外の旧居が保存されてる。

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⑦上野東照宮・・・・・・・・・・言わずと知れた、徳川家康(東照大権現)を祀る神社。・・・・・・・・・只今、修復工事中にて社殿は見えない!・・・・・・・・・本日は、鳥居と燈籠を見て帰る。

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⑧花模様・・・・・・・・・・クルメツツジは、その名のごとく九州久留米で育成された、鮮やかなツツジだ!・・・・・・・・アジサイは、まだ!・・・・・・・・・白とピンクのツツジ

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2012年4月29日 (日)

芝浦

浜松町駅から芝浦を歩き品川駅まで、1万4千歩、10kmの散歩です。

①小便小僧・・・・・・・・浜松町駅3・4番線ホームの田町寄りに“小便小僧”は立っている。・・・・・・・昭和27年(1952)の鉄道開通80周年に際し、歯科医師小林光氏が白い陶器製の“小便小僧”を寄贈した。昭和30年(1955)には同医師から新たにブロンズ製の小僧が寄贈された。この頃より、駅近くに勤務していた女性が、衣装を作り着せるようになったらしい。・・・・・・・・・私が“小便小僧”を知ったのもこの頃で、当時は衣装を着替えるたびに、新聞記事となり話題となっていた。女性の死去により“小便小僧”の話題も遠のき、最近はほとんど耳にすることも無かった。・・・・・・・今日、ホームで元気よくオシッコする姿を目にし、懐かしかった。 現在はボランティア・グループの人達が衣装を作っているそうだ!

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②東京港・・・・・・・・・靄ってる!

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③シーバンス (Seavans) ・・・・・・・・・芝浦1丁目の清水建設、NTT都市開発等により建設された複合ビル。・・・・・・・・地上24階建ての、外観がガラス張りの同じような建物が2棟並んでいる。・・・・・・・・ここには、清水建設の本社があり、当然、建物は清水建設の設計・施工だ。

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・・・・・・・・・・・・建物の前に、「重箱掘」と呼ばれる、運河が凸型に出っ張ったところがある、ここの石造りの護岸は大正2年(1913)に造られたそうだ。

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・・・・・・・・・・・近くには、大正10年(1921)建築の旧木村屋、昭和11年(1936)建築の旧芝浦見番がある。

④鹿島橋・・・・・・・・・港区スポーツセンター前の、芝浦1丁目と3丁目を結ぶ鋼製橋。 昭和5年(1930)の架設、長さ36.2m、幅16.5mの、何処にでもあるような橋。 橋名は、某建設会社の名前ではなく、隣接する鹿島神社の名だ! ・・・・・・・・・橋を跨いでモノレールが通過して行く。

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⑤西原衛生工業所本社・・・・・・・・・現在は子会社の「西原環境テクノロジー」本社ビル。昭和30年(1955)竣工。 設計は上野の東京文化会館を設計した前川國男、施工は戸田組(現:戸田建設)。

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⑥旧東京電燈株式会社・・・・・・・・現:日本電気計器検定所別館2号館・・・・・・・・・昭和4年(1929)竣工。

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⑦高輪橋架道橋・・・・・・・・・・・JR東日本の品川車両基地を挟み、港南2丁目と高輪2丁目を結ぶ「高輪橋架道橋」。・・・・・・・・身長165cmの私が歩いて、天井とスレスレの、タッパの低い架道橋。タクシーは高さ制限1.5mでスレスレ状態で走行し、自転車に乗ってる人は頭を下げた状態で運転。 ・・・・・・・・この“架道橋”は、基地の下を抜けており、拡張工事もままならぬようだね!大正時代に造られた架道橋だ!

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2012年4月26日 (木)

浅草

今朝は小雨、散歩は休みのつもりだった。8時過ぎに、妻より買い物を頼まれ、霧雨の中、歩いて浅草へ、お店は10時過ぎに開くので、“浅草見物”で時間を過ごし、用事を済ませ、歩いて帰宅。結局、1万歩、7kmの散歩となった。

①浅草寺・・・・・・・・・毎度おなじみ、山門と本堂・・・・・・・・今日は、諸堂を重点紹介!

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・・・・・・・・・・・弁天堂・・・・・・・・・・本堂の東南、弁天山と呼ばれる小高い丘に建つ、昭和58年(1983)に鉄筋コンクリート造で、再建されたお堂。弁天様が祀られている。・・・・・・・・お堂の手前に、芭蕉の句 “花の雲 鐘は上野か 浅草か” で有名な鐘がある。鐘楼は昭和25年(1950)の再建であるが、鐘は元禄5年(1692)に改鋳されたものだ。江戸時代の“時の鐘”の一つ。現在も毎朝6時に鳴っている。我が家では聞こえない!・・・・・・・・浅草橋の我が家で、大晦日に聞こえる“除夜の鐘”は、何処の鐘だ? 地図で測ると、日本橋石町の“時の鐘”らしいが、浅草のこの“時の鐘”かも?

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・・・・・・・・・・影向堂(ようごうどう)・・・・・・・・観音さまの説法や活躍に登場・関係する仏を“影向衆(ようごうしゅう)”と呼び、これらの仏さままつるお堂。旧影向堂は、現淡島堂として利用されている。現在の影向堂は、鉄筋コンクリート造により平成6年(1994)に落慶した。・・・・・・・・・内陣、須弥壇中央に聖観世音菩薩、左右に十二支の守り本尊八躰がまつられている。+(プラス)、七福神の大黒天もまつられている。

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・・・・・・・・・・六角堂・・・・・・・・・室町時代(16世紀頃)の建立とされる、都内最古の木造建造物。日限(ひぎり)地蔵尊をまつる、六角形のお堂。

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・・・・・・・・・・淡島堂(あわしまどう)・・・・・・・元禄年間(1688~1704)に紀州加太の淡島明神を勧請し、淡島堂が建立された。本尊は阿弥陀如来。現:淡島堂は旧影向堂を、平成6年(1994)に移築・改修したものだ。

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・・・・・・・・・・伝法院・・・・・・・・・浅草寺の本坊。明治4年(1871)築の大書院、大正時代の木造建物などがある。約3,700坪の回遊式庭園は、寛永年間(1624~44)の小堀遠州作と伝えられている。普段は非公開で、来月7日までは特別公開だ! 見学のチャンス!

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②東武浅草駅ビル・・・・・・・・・改装中だった東武浅草駅ビルの、シックな外装が姿を現した。工事全体は、5月のスカイツリーのオープンには間に合わず、チョイとずれて秋に工事完了する予定。・・・・・・・・昭和6年(1931)、ターミナルデパートのはしりとしてオープンした頃のアールデコ様式の姿に戻った。

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③浅草地下街・・・・・・・昭和28年(1953)に完成した地下鉄銀座線浅草駅の地下街。“昭和の浅草”が残っている地下街だ。・・・・・・・・地下鉄への入り口は何か所かあるが、お薦めは、東武浅草駅正面前から下りる階段、出口は新仲見世のレコード店隣りに出る階段。・・・・・・・・立ち食い蕎麦、珈琲スタンド、カレーショップ、すし屋、床屋、ビデオ雑貨屋、占い館など20軒程の店舗が並ぶ。天井の低い、昭和レトロの空気が漂う地下街。(写真の一部、4月1日撮影)・・・・・・・・・地下街は地下鉄改札に直結、もちろん、松屋浅草店の地下食品売り場にも直結、便利だ!

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2012年4月25日 (水)

東小松川~錦糸町

東小松川から、船堀橋を渡り、亀戸、錦糸町まで、1万6千歩、11Kmの散歩です。

①宝積院・・・・・・・・・東小松川にある、真言宗豊山派の宝積院。創建年代は不詳。本堂は鉄筋コンクリート造。・・・・・・・・・けして、ボタンの名所ではないが、境内のあちら、こちらに咲いていた。・・・・・・・・ちょうどいい時期だ!

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②江戸川競艇場・・・・・・・・・名前は江戸川区に属するから「江戸川競艇場」、レースは中川で実施している。昭和30年(1955)に、初めて開催された。・・・・・・・・・・投票券売り場を覗いてみたら、まだ午前9時前なのに人がいる! 場内のモニターには、オッズが表示され、投票券自販機の前にも何人かいる! 好きな人らしい!・・・・・・・・・・私、40年ほど前に、競馬は賭けたことがあるが、競艇・競輪・オートレースは未経験。 やってみようかな?  

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③荒川・・・・・・・・・・船堀橋から眺める“荒川”。けっこう川幅があり、人工河川とは想像しにくい。・・・・・・・・・・岩淵水門から下流は、大正2年(1923)から昭和5年(1930)にかけ、17年間の歳月をかけ開削された。完成時は「荒川放水路」だった。昭和40年に「荒川」本流となる。・・・・・・・・岩淵水門から下流の、それまでの旧「荒川」は、「隅田川」となった。

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④旧小松川閘門・・・・・・・・・・・閘門は荒川と旧中川の合流点に位置し、両川の水位差を解消し、船の航行を円滑にした。昭和5年(1930)の竣工し、昭和51年(1976)に閘門としては撤去された。現在は下流に荒川ロックゲートが造られている。・・・・・・・・・・現在は、閘門の周囲を土で盛られ、約2/3程が土の中に埋まり、小高い丘の上に頭を出している状態だ。閘門前から、旧中川を見下ろすと、けっこう高い位置に在る。・・・・・・・・・・閘門の中には、ゲートを上げ下げしたウインチの歯車が見える。動かない歯車は、もの悲しい感じがする!

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⑤中川船番所資料館・・・・・・・・旧中川を挟み、旧小松川閘門の対岸に中川船番所資料館がある。ここは、江戸時代、小名木川(おなぎがわ)を行き来する船を見張っていた番所の、歴史を紹介する施設だ!・・・・・・・・さすがに区の施設だけあり、見学者は私一人。200円の入場料で維持できるの?

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⑥東大島駅・・・・・・・・・都営地下鉄新宿線の東大島駅。駅が旧中川の真上に在る、珍しい“河川橋上駅”の一つ。“河川橋上駅”は、東京の埼京線北赤羽駅、兵庫県の阪神電鉄武庫川駅、高知県の土佐北側駅ぐらいしかない。・・・・・・・・旧中川は江東区と江戸川区の区境となっており、東大島駅の大島口(西側)は江東区、小松川口(東側)は江戸川区にある。出口を間違えると、川を渡って戻るのが大変!

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⑦東大島神社・・・・・・・・東大島地区には、戦前、多くの神社があった。昭和20年(1945)の空襲で神社が灰燼に帰した。戦後、この付近にあった5つの神社が統合して、昭和24年(1949)「東大島神社」となった。当然、創建は昭和24年(1949)で、歴史の浅い神社だ!・・・・・・・・戦後の創建なんて、珍しい!

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2012年4月24日 (火)

稲毛~千葉

パソコン同好会の帰り、稲毛から千葉まで、1万歩、7kmの散歩です。JR総武線と京成千葉線に挟まれた、細長い一帯を歩いてきた。

①稲毛東公園・・・・・・・・・昭和55年(1980)に筑波の研究学園都市に移転した工業技術院微生物工業技術研究所の跡地だ。同研究所は昭和15年(1940)頃、商工省燃料局酒精研究所として設立し、その後工業技術院発酵研究所と称した。昭和44年(1969)、微生物工業技術研究所となった。・・・・・・・・つまり、微生物によるアルコール類の利用研究していた所だ! 公園の前にはアルコール工場の跡地もある。・・・・・・・・・パソコン同会の会場は、広い芝生の公園の一角に建つ、「稲毛いきいきプラザ」だ。

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②チョイト気になる色のマンション・・・・・・・黒砂台1丁目に建つ新しいマンション。建物の緑色は遠くから見ると、工事用のネットを掛けたようにも見え、個人的には好きになれない色だ!・・・・・・・余計な、お世話だね!

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③廃墟(?)・・・・・・・・・西千葉駅前の取り壊し直前のストアーと隣りのビル。木造のストアーは、1階に居酒屋、喫茶店が入居していたらしい。全て立ち退き、“危険立入禁止”の貼紙が! お隣のビルも、立ち退きが終わったようで、こちらも“キケン”の文字が! だけど、1階中央の“キケン”な入口を通り抜けた先に、営業中の居酒屋があるのだ!

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④カトリック西千葉教会・・・・・・・・・・前身は、明治15年(1882)の「千葉教会」に始まる、歴史ある教会。昭和29年(1954)、現在地(中央区汐見ヶ丘町)に移り「カトリック西千葉教会」と称するようになった。聖堂はその時の建設で、木造建てである。・・・・・・・・・内部はシンプルで清楚な感じだ。

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⑤千葉機関区の碑・・・・・・・・・・千葉駅前のそごう脇に、蒸気機関車の車輪を配した碑がある。千葉鉄道機関区は大正9年(1920)に開設し、昭和36年(1961)閉鎖した。この間、戦前は千葉鉄道連隊の実地教育、戦後は気動車要員の育成にあたった。戦中の爆撃では23名の犠牲者も出した。昭和43年(1968)に、殉職者の霊を弔い、先人の労苦を偲ぶため、この碑が建立された。

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⑥千葉駅改良工事・・・・・・・・まだまだ、完成しない。平成27年度(2015)の駅開業、平成28年~29年(2016~2017)の駅ビル開業を目指し頑張ってま~~す。・・・・・・・・・西口の再開発も実施されているが、完成までにはもう少し時間がかかるようだ!

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2012年4月21日 (土)

日本橋~神谷町

夫婦で買い物の日、日本橋から銀座へ。買い物がスムーズに終わり、足を延ばし神谷町まで散歩。

①日本橋高島屋・・・・・・・・・昭和8年(1933)に、日本生命のビルとして建てられ、高島屋が借り受けたそうだ。戦後は高島屋の店舗として増改築が実施され、大きなデパート建築となった。設計した高橋貞太郎は、学士会館、上高地帝国ホテル、現;帝国ホテル本館なども手掛けている。・・・・・・・・・今日は買い物、カメラを持ってウロチョロしてると、目的を達成できないので、売り場を素通りする。・・・・・・・・さすがに重要文化財だ! 内外装とも一級の質が維持され、見るべきものも多い。 買い物とは別に、ゆっくり来よう!

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②明治屋・・・・・・・・・こちらも買い物。妻が支払している間、飲めない男でも、酒のボトルを見るのは楽しいもんだ。

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③ライオン銀座七丁目ビル・・・・・・・・・日本で一番古いと言われているビアホール。昭和8年(1933)竣工、菅原営蔵の設計、竹中工務店の施工。・・・・・・・・・外観は改装され古さを感じさせない建物だ。内部も“This is ビアホール”の雰囲気を出している。・・・・・・・禁酒を通告されてから、ビアホールとも疎遠になったな~~あ。

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④銀座柳の碑・・・・・・・・・銀座の街路樹として、明治の煉瓦街の頃より柳が植えられ、大正10年(1921)にイチョウに植え替えられた。 昭和4年(1929)には、西条八十作詞、中山晋平作曲、佐藤千夜子歌唱、「東京行進曲」 ♪♪ 昔恋しい 銀座の柳 仇な年増を 誰が知ろ ジャズで踊って リキュルで更けて あけりゃダンサーの 涙雨 ♪♪が、一世を風靡した。 柳並木を歌で惜しんだのだ!・・・・・・・・・・昭和12年(1937)に、柳並木が復活した。復活を記念し、「銀座の柳」の唄が作られた。西条八十作詞、中山晋平作曲、四家文子歌唱 ♪♪ 植えてうれしい 銀座の柳 江戸の名残りの うすみどり 吹けよ春風 紅傘日傘 今日もくるくる 人通り ♪♪ ・・・・・・・・・・石碑の歌は「銀座の柳」 ・・・・・・・・ 昭和43年(1968)の銀座通りの大改修で街路樹の柳は消えた!・・・・・・・・・・・・石碑は銀座8丁目の隅に、4代目の銀座の柳とともに建てられている。

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⑤路上将棋・・・・・・・・・久しぶりに見た、路上将棋。新橋駅前だ!将棋も大判だ!・・・・・・・指す人、見る人、熱心だ!・・・・・・・・・東京の浅草、大阪の通天閣などで、よく見た光景だ!懐かしさを感じるね!

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⑥愛宕神社・・・・・・・・・・火産霊命(ほむすびのみこと)〈火の神〉を主祭神とする神社で、慶長8年(1603)に徳川家康の命により創建した。・・・・・・・・・自然に形成された愛宕山(標高26m)の山頂にある。講談などでおなじみの曲垣平九郎の故事にちなんだ、正面の「出世の石段」と呼ばれる急な石段は、凄い! 45度の角度で昇るようだ!・・・・・・・・スカートの女性は右側の「女坂」の方がいいかも? 

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・・・・・・・・・・・・・社殿

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・・・・・・・・・・・・・境内には、測量の三角点がある。・・・・・・・山の証だ!

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・・・・・・・・・・・・几号(きごう)水準点・・・・・・・・明治初期に内務省地理寮(国土地理院の前身の一つ)が高低測量の標識の様式を定め、全国の地図作成の基礎とするため各地に測量標(几号水準点)を設置した。その一つがある。草加の神明宮にもあった。・・・・・・・・・・写真の石碑台座の右下(矢印)の位置に、○印の几号水準点がある。

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⑦愛宕隧道・・・・・・・・・愛宕山を堀りぬいた、23区内唯一の「山岳トンネル」だ。昭和5年(1930)竣工。

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⑧愛宕の住宅・・・・・・・・出窓が洒落た感じの2軒長屋。戦前の建物か?

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2012年4月19日 (木)

篠崎~東小松川

都営新宿線篠崎駅から、東小松川まで、1万3千歩、9kmの散歩です。

①ヤナギ・・・・・・・・・篠崎駅近くの広場に立つ、大きなヤナギ。・・・・・・・・日本では、古くから街路樹としてヤナギが使用されてきた。8世紀の平城京には、タチバナとヤナギの並木が。平安京には、ヤナギとエンジュの並木が。明治17年(1884)、銀座ではシダレヤナギが街路樹に。・・・・・・・・・終戦直後ぐらいまでは、街路樹と言えばヤナギだったが、今は少なくなった。銀座のヤナギも、街路樹から撤退し、銀座8丁目に記念植樹されてる。・・・・・・・わが町、浅草橋でも、街路樹はヤナギからマロニエに変わった。

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②城立寺・・・・・・・・・・・江戸川区春江町の城立寺(じょうりゅうじ)は、元和2年(1616)の開基。境内にある鬼子母神堂には、伝教大師の作と伝えられる鬼子母神像が祀られてる。石造釈迦如来坐像は、寛文3年(1663)の作で、台座を含め3m余りある一石丸彫りの大きな石造仏だ。・・・・・・・・この寺は、地元の名主であった田島一族の菩提寺でもある。墓地には“田島”と彫られた墓石がズラリと並び、どれが、だれの墓か、判らなくなりそうだ!

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③一之江名主屋敷・・・・・・・・・江戸時代に現:春江町の一帯の名主であった田島家の住宅。安永年間(1772~1781)に建てられた主屋と長屋門、明治24年(1891)に建てられた蔵が保存されている。・・・・・・・・・・本日は開門前に来たので、中には入れず、散歩を続行した。

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④抹香屋のタブ・・・・・・・・・京葉道路と環七の交差点から、「一之江親水公園」が始まり、その脇に、樹齢750年以上の「抹香屋のタブ」が茂っている。・・・・・・・・ここには、仏事で焼香にに使用する抹香(まっこう)づくりを生業としていた田澤家があった。田澤家では、抹香の原料としてタブノキの葉や皮を使用していた。・・・・・・・田澤家跡は「一之江抹香亭」として、地域活動の拠点となっている。

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⑤可哀そうな松江交番・・・・・・・・・江戸川区松江1丁目の交番、隣に立派な公衆便所ができ、チョイト、見劣りする可哀そうな交番だ!・・・・・・・・どうせ造るなら、交番と一体として建てればよかったと思うね!・・・・・・・・・大きさも、交番の方が小さいようだ。お巡りさんは所用を、交番内の便所、隣の公衆便所、どちらで済ますのか?

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⑥鈴木工業・・・・・・・・・東小松川のプレス工場。こちらの、社屋は昭和初期の建築。立派な煉瓦造りの門柱の奥に木造2階建ての事務所がある。傷みが激しいが、現在も使用されており、感動した!・・・・・・・・・・・工場全体の劣化も激しいので、今後どうするのか? 建物の修理・保存は難しいと思うよ!

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⑦そろそろツツジの季節・・・・・・・・・・植込みのツツジも赤くなり、花が開いた!

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2012年4月18日 (水)

小岩~篠崎

総武線小岩駅から、都営地下鉄篠崎駅まで、1万3千歩、9kmの散歩です。

①栃錦の像・・・・・・・・・小岩駅に横綱栃錦の像がある。・・・・・・・・栃錦は現在の江戸川区南小岩で生まれ育った。大正14年(1925)生まれ。8人兄弟の次男で、小さい頃から身体は大きかったそうだ。昭和14年(1939)が初土俵、昭和27年(1952)に関脇で初優勝、昭和30年(1955)に横綱となる。その後、ライバルの若乃花と栃若時代をきづき、昭和35年(1960)引退。優勝10回の大横綱。・・・・・・・・私には、横綱時代の記憶より、引退後、春日野理事長として活躍した記憶の方が強く残っている。・・・・・・・・・・栃錦は平成2年(1990)に亡くなり、その年に小岩駅に銅像が建てられた。

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・・・・・・・・・・栃錦が横綱になるときには、既に4横綱がおり、その一人、東富士が引退した。東富士と栃錦が交代したのだ! 東富士は江戸っ子で、小学校は私の母校で、先輩だ! 残念だが、私と顔を合わせたことはない。・・・・・・・・子供の頃のメンコには、相撲は東富士、野球は川上が印刷されてたのを思い出す。

②小岩駅前再開発の着手・・・・・・・・・・小岩駅南側の南小岩6丁目の再開発が、いよいよ本格的に着工となる。7丁目でも地上29階建てのマンションを建設する準備組合がスタートした。・・・・・・・・・・写真の駅前ロータリーから見る景色も、数年後には一変しそうだ!

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③江戸川土手・・・・・・・・・土手下を通る狭い「篠崎街道」、河川敷は広いグランド。・・・・・・・・・春、タンポポだ!

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④善養寺・・・・・・・江戸川土手に近い東小岩2丁目に、善養寺(ぜんようじ)がある。真言宗豊山派に属し、本尊は地蔵菩薩。奈良長谷寺を総本山、護国寺を大本山とする。足利時代の大永7年(1527)に京都醍醐山の僧が霊夢のお告げで、小岩の地を訪れ、堂宇を建立したのが始まりらしい。境内の不動堂には「小岩不動」もまつられている。・・・・・・・・・この寺で、最も有名なのが、樹齢600年の「影向(ようごう)の松」。

・・・・・・・・・・不動門

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・・・・・・・・・・仁王門

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・・・・・・・・・・本堂

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・・・・・・・・・・おびんずるさま・・・・・・・本堂にまつられている、“撫で仏”

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・・・・・・・・・・不動堂

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・・・・・・・・・・影向殿

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・・・・・・・・・・境内中央にドッシリ構える、影向(ようごう)の松・・・・・・・・枝の広がりは東西31m、南北28m。・・・・・・・・“影向”とは、神仏がこの世に仮の姿で現れるということ

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・・・・・・・・善養寺には、なんじゃらかんじゃらの石碑や道標なども多くあり、栃錦との関係も深く子供相撲大会も開かれていた。

⑤萬福寺(まんぷくじ)・・・・・・・・・善養寺から南に200m程行くと、天文5年(1536)に創建された、真言宗豊山派の萬福寺がある。本堂は明治15年(1882)に公立小学校「明物小学校」(現:小岩小学校)として貸し出された。・・・・・・・・・小岩生まれの横綱栃錦の菩提寺。栃錦(春日野清隆)の墓がある。

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⑥篠崎公園・・・・・・・・・公園の起源は昭和15年(1940)に戦時用の緑地として計画された。戦時中は高射砲陣地として活用、戦後は一部宅地として開放された。昭和42年(1947)には、公園として開園し、今後も拡張される予定だ。・・・・・・・・今後は防災拠点になるのかな?

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2012年4月17日 (火)

高田馬場~中野

高田馬場駅から中野駅まで、1万5千歩、11Kmの散歩です。

①茶道会館・・・・・・・・・・高田馬場3丁目に茶道会館がある。ここは、昭和25年(1950)に完成した、裏千家の稽古場のようだ。敷地内には数寄屋造りの建物があり、茶道の道場として、落ち着いた空間を提供している。

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②月見岡(つきみがおか)八幡神社・・・・・・・・・上落合1丁目に鎮座する創建年代不詳の神社。・・・・・・・・源義家が奥州征伐の際に参詣したと伝えられている。ほんとか?・・・・・・・・・神社は昭和20年(1945)の空襲で被災したため、現本殿は昭和23年(1948)に再建した。

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③上落合の路地・・・・・・・・・・私の好きそうな道だ!

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④最勝寺・・・・・・・・・・山手通りに面して建つ、真言宗豊山派の最勝寺。創建年代不詳だが、江戸時代には中井御霊神社、下落合東山藤稲荷神社の別当寺を勤めていた。・・・・・・・・・枝垂れ桜も、いよいよ葉桜に!

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⑤宝泉寺・・・・・・・・・・中野区上高田にある、曹洞宗の寺。宝泉寺は永禄5年(1562)、江戸城清水門外に創建された。その後、移転をかさね、明治41年(1909)に現在地に移転。創建後、450年を超える古刹。・・・・・・・・・・古い寺だけに、歴史上の人物の墓も多い。島原の乱の官軍総指揮官・板倉内膳正重昌の墓、藤田東湖の筆による剣客・岡田十松の墓、江戸北町奉公・初鹿野依興の墓、儒者・石川柳溪の墓、荻生徂来の門下生・長坂黒肱の墓、など。・・・・・・・・

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⑥北野神社・・・・・・・・・新井薬師の横を抜け、中野通りを横切ると新井天神北野神社がある。神社の創建年代は不詳。天正年間(1573-1593)に新井薬師梅照院を開基した僧が神社に梅を植えたと言われてるので、古い神社だ!・・・・・・・・天神様なので、祭神は菅原道真公。

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⑦旧豊多摩監獄表門・・・・・・・・・現:法務省矯正研修所の構内に旧豊多摩監獄の表門が残されている。・・・・・・・・豊多摩監獄は明治43年(1910)に着工し、大正4年(1915)に竣工した。監獄は4万坪の広さで、将棋の駒の形をしており、表門はその底辺部分中央にあった。 表門正面には警察旭日章と月桂樹が描かれていた。・・・・・・・・江戸時代の「伝馬町牢屋敷」が、明治8年に落成した「市谷囚獄」(後に、市谷監獄)に移り、さらに「豊多摩監獄」に移転した。その後、「豊多摩監獄」は「豊多摩刑務所」、「中野刑務所」と名前を変え、昭和58年(1983)に廃止となった。・・・・・・・・最後まで残った収監者には、記念品が贈られたという話は聞かないね!・・・・・・・・・できることなら、一度は体験入所してみたかった。

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⑧春です・・・・・・・・・・・・・

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2012年4月15日 (日)

水道橋~大塚

水道橋から大塚まで、1万5千歩、11Kmの散歩です。

①東京ドームと東京ドームホテル・・・・・・・・・東京ドーム、昭和63年(1988)に竣工、設計は竹中工務店と日建設計、施工は竹中工務店、工費は約350億円。東京ドームホテルは平成12年(2000)に竣工した地上43階建てシティホテル。設計は丹下健三、施工は清水建設、竹中工務店、大成建設のJV。・・・・・・・・・東京ドームが完成したころ、巨人は王監督の時代で、私はゼネコンに勤務していた。ドームを見学に行き、王監督の監督室を見せてもらい、立派な机にビックリ。スタンドには火災予防のため、各所に消火用放水器があり、その威力にビックリ。ドーム内は気圧を上げ膨らませてるので、出入り口の回転ドアがグルグル回り、ビックリ。なにせ、出来たころは驚いた!

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②牛天神北野神社・・・・・・・・・・源頼朝が戦で、当地(文京区春日1)にあった岩に腰掛け居眠りをした。そのとき、夢で、牛に乗った菅原道真公が現れ「二つの喜びがある」と告げられた。翌年(1184)その喜びがあり、頼朝は、この岩を祀り牛天神を創建した。以来、境内にある牛の形をした岩を撫でると願いが叶うといわれてる。

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③澤蔵司稲荷 (たくぞうすいなり)・・・・・・・・・元和4年(1618)、澤蔵司(たくぞうす)と名乗る一僧が傳通院に修行のため入門した。この僧は、大変優秀で僅か3年余りで浄土教の奥義を修得した。元和6年(1920)、傳通院の和尚の夢枕に立ち、稲荷大明神を祀るように言い残し、雲に隠れたそうだ。・・・・・・・・参道には散った桜が薄っすらと!・・・・・・・・境内の窪地には、霊窟(おあな)がある。チョイトした霊気が漂い、冷気も感じた!

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④井上哲次郎宅跡・・・・・・・・・明治時代の哲学者・詩人である井上哲次郎(1855~1944)の旧居跡。ドイツ留学から帰国後、東京大学教授となり、それまでの英仏系哲学に対し、新たにドイツ系哲学を唱えた。新体詩運動にも深くかかわり、『新体詩抄』の著書もある。 明治25年の帰国時から没するまで52年間、この地を愛し住んだ。旧宅は第二次大戦で焼失したが、書庫であった土蔵2棟が今も残っている。・・・・・・・明治36年(1903)に建てられた木骨レンガ造りの蔵と、大正8年(1919)に建てられた鉄筋コンクリートの蔵が、跡地の公園の隅に残っている。

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⑤共同印刷本社ビル・・・・・・・・・小石川にある大手印刷会社の本社ビル。当敷地内の主要な建物(本館から6号館まで)は、全て昭和10年(1935)に竣工した。清水組(現:清水建設)の設計・施工。・・・・・・・・・・落成式では、招待客から「ホテルやデパートに勝るとも劣らない美しさ」、「業界随一の偉容」などと評価されたらしい。・・・・・・・・・機会あれば、一度内部を見てみたい!

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⑥小石川消防署門柱・・・・・・・・・白山3丁目の小石川消防署の門柱、上に何か乗っている? 答えは、、、、、旧大塚消防署(現:小石川消防署大塚出張所)の望楼の部分のを模した装飾。旧大塚消防署の建物は既に無く、今は、小石川消防署の門柱で偲ぶだけ。・・・・・・・・・・ついでに、消防署職員いわく、都内で門柱のある消防署はここだけだ!

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⑦旧・東京医学校本館(東京大学総合研究博物館小石川分館)・・・・・・・・・小石川植物園内に移築・保存されている、明治9年(1876)に建てられた東京医学校本館。・・・・・・本日は、植物園には入園せず、塀の外からチラリと拝見。

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⑧簸川(ひかわ)神社・・・・・・・・・・・孝昭天皇3年(473)創建と伝えられている、由緒ある神社。もとは、現在の小石川植物園内に鎮座していたが、江戸時代に現在地の千石2丁目へ遷座した。江戸時代は氷川大明神と称し、明治に入ると氷川神社へ改称し、大正時代に「氷川」は出雲国「簸川」に由来するという説から、「簸川神社」となる。・・・・・・・・・東京大空襲で、本殿・社務所等が焼失し、昭和33年(1958)に再建。・・・・・・・・・・参道階段が枝垂れ桜と菜の花に飾られ、wonderful!

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⑨大塚ビル・・・・・・・・・・大塚ビルの元は、今は無き白木屋百貨店の大塚分店。昭和12年(1937)、石本喜久治(現:石本設計事務所)の設計で、清水組(現:清水建設)の施工により竣工する。昭和31年(1956)には松菱ストアーとなり、昭和35年(1960)以降は、大塚ビルとしてテナントビルになっている。内・外装に手を加え、古い面影は見つけにくい。・・・・・・・・ビルの玄関には、竣工時の写真が飾られていた。

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⑩都電・・・・・・・・大塚駅で

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2012年4月12日 (木)

目白~高田馬場

目白駅から、下落合を抜け中野方面へ歩く予定が、途中で話し好きの方と遭遇し進路が変わり、着いたところは高田馬場駅、1万2千歩、8kmの散歩。

①日本聖書神学校・・・・・・・・下落合にあるプロテスタントの神学校(日本基督教団の認可神学校)。昭和21年(1946)に開校し、伝道者を養成している。 入学条件は、大卒か同等程度の学力があり、教会牧師の推薦状が必要だ! 入試は、筆記試験と面接。 聖職者になるには難しそうだね!・・・・・・・・この学校には、平成18年(2006)まで、大正9年(1920)建築の木造の宣教師館があった。今は解体され、千葉県東金市に移築された。・・・・・・・・・・現在の学校は新しい建物で整備されている。・・・・・・・・・・正門を入ると、右手に礼拝堂、正面に図書館、右手奥に校舎、さらに奥に寮が建つている。

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・・・・・・・・・・礼拝堂「メーヤー記念礼拝堂」・・・・・・・平成20年(2008)、図書館と共に新しい建物となった。設計は大岡山建築設計研究所。・・・・・・・・祭壇、ベンチなどには“桐”の木材が用いられ、温もりを演出しているそうだ。

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・・・・・・・・・・図書館

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・・・・・・・・・・校舎・・・・・・・・・・昭和58年(1983)に竣工

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・・・・・・・・・・・寮・・・・・・・・・平成6年(1994)に竣工

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②薬王院・・・・・・・・・・奈良の長谷寺(ボタン寺)の末寺で、真言宗豊山派瑠璃山薬王院。鎌倉時代の創建。・・・・・・・・・ここの寺も、総本山長谷寺のように、ボタンが有名で見物にくる人も多いようだ。・・・・・・・・・例年、今頃は咲いているようだが、今年は遅れており、20日過ぎでないと咲かないそうだ! 確かに、蕾も閉じた状態だ! 代わりに、裏山の枝垂桜が満開。

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③神田川の桜・・・・・・・・・落合中央公園横を流れる神田川・・・・・・・・こちらも満開

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2012年4月 9日 (月)

上野駅

我が家の近くの病院に行った帰り、上野駅まで散歩してきた。1万歩、7km。

①看板建築・・・・・・・・関東大震災後、東京の下町の繁華街を中心に、雨後の筍のように出現した商店の建築様式。看板のように、店の前面が壁面のように垂直に立ち上がり、銅板やモルタルやタイルなどで人を引き付けるような装飾が施されている。・・・・・・・・江戸っ子の見栄と意地と粋の表現方法かな?・・・・・・・・以下は、上野駅までの行き帰りに通った看板建築

・・・・・・・・・・・・・・・看板建築の看板?・・・・・・・・「請負 山田」

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・・・・・・・・・・・花のレリーフと庇の模様・・・・・・・・・「中村紙工所」・「中華和楽」

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・・・・・・・・・・・算盤模様の家・・・・・・・そろばん塾ではありません!

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・・・・・・・・・・鉄筋コンクリート造のような木造の医院・・・・・「糠沢医院」

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・・・・・・・・・・・前面も、横も、銅板を貼った、出桁造りの商店

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・・・・・・・・・・銅板建築の3軒長屋・・・・・・・下町にはこの手の長屋建築が多かった

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・・・・・・・・・・・正面はモルタル系看板建築、横から見ると木造だ!・・・・・・・2階の円柱の付け柱が特徴的な「瀧澤薬局」

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②上野駅・・・・・・・・明治18年(1883)、日本鉄道のターミナル駅として開業。関東大震災で旧駅舎は焼失した。・・・・・・・昭和7年(1932)、震災復興建築として現在の駅舎が建てられた。設計は鉄道省(酒見佐市)、施工は鹿島組。

・・・・・・・・・・正面・・・・・・中国、大連駅は上野駅を模して造られたらしい。行ったことがないので私には??・・・・・・・・竣工当時は正面玄関の出入り口が上下に分離され、上が乗車口、下が降車口だった。

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・・・・・・・・・・正面玄関・・・・・・・・脇に、地下鉄銀座線乗り場に続く階段も。階段には、かつて降車口が覗けた丸窓がある。

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・・・・・・・・・・正面玄関を入った、吹き抜けホール・・・・・・・・店舗が入り、綺麗に修復されている。

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・・・・・・・・鉄骨の大屋根・・・・・・・・トラスに組まれた鉄骨、リベット、まさに昭和7年の製作だ!

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・・・・・・・・・・・・・大屋根の下の作品・・・・・・・・猪熊弦一郎の壁画「自由」。昭和26年(1951)製作。・・・・・・・・平山郁夫のステンドグラス「ふる里 日本の草」。昭和60年(1985)製作。節電の為か、バックライトが点灯してないので、暗くて残念!

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・・・・・・・・・・・・・高架ホームの1番線(山側)~8番線は大正14年(1925)に6両編成用のホームとして造られた。現在は日暮里側に延長している。ホームの上屋は古レールを使用し、当時のままだ!

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・・・・・・・・・・「あゝ上野駅」の歌碑・・・・・・・・昭和30年~40年(1955~1965)に集団就職で上京した多くの若者(私と同年代だ)を勇気づけた、井沢八郎の「あゝ上野駅」(昭和39年発表)を祈念した碑。・・・・・・・・♪♪ どこかに故郷の 香りをのせて 入る列車の なつかしさ 上野は俺らの 心の駅だ くじけちゃならない 人生が あの日ここから 始まった ♪♪・・・・・・・・私は集団就職をしたわけではないが、同年代として、期待を込めた気持ち、不安を抱いた気持ち、辛かった気持ち、わかるような思いがする。

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・・・・・・・・・・・・・・帰りは「あゝ上野駅」を、思い、懐かしみ、歩いてきた。

2012年4月 7日 (土)

新大塚~目白

丸ノ内線新大塚駅から、池袋駅に出て目白駅まで、1万2千歩、9kmの裏道散歩。

①gallery園と隣家・・・・・・・・・・豊島岡墓地(皇族墓地)の北側に閑静な住宅街がある。そこに、戦前の建物が2棟、「gallery園」と隣の住宅が残っている。・・・・・・・「gallery園」は純日本家屋を改修しギャラリーとして利用している。・・・・・・・・お隣は住宅だが、玄関まわりは“診療所”のような雰囲気がする。2階窓の矢羽根風のデザインもいいね!

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②キャッチボール・・・・・・・・・・・・・・

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③東池袋・・・・・・・・・・・・・・・・・

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④サンシャインシティ・・・・・・・・・・地上60階、高さ240mのサンシャイン60を中心とするサンシャインシティは、池袋のランドマークとして昭和53年(1978)に、巣鴨拘置所跡に建設された複合都市施設。・・・・・・・・・早いもので築後30年以上経過した、完成直後は、ここのホールで展示会などが開かれ、度々来たものだ! 本日は数年ぶりのお立ち寄り!

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⑤西武百貨店・・・・・・・・・昭和15年(1940)、池袋駅東口のデパートを買収し、「武蔵野デパート」として発足。戦後は逐次、増改築を進め、売り場面積8万㎡強の巨大なデパートとなる。・・・・・・・・デカすぎるね!

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⑥徳川黎明会・・・・・・・・・・尾張徳川家伝来の美術品の保管・研究を目的に、目白に昭和6年(1931)に設立された徳川黎明会の本部。普段は、緑の門扉が閉じられ、建物の全容が見えない。今日も“普段”だ!・・・・・・・建物は、銀座和光や東京国立博物館を設計した渡辺仁が手掛け、昭和7年(1932)に竣工した。・・・・・・・・・門扉中央の葵の御紋。

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⑦目白聖公会・・・・・・・・・・目白駅近くの「目白聖公会」は、日本聖公会に属するキリスト教の教会。大正7年(1918)に現在の地の病院を改造して、最初の礼拝が始まった。昭和4年(1929)に、現在のロマネスク様式の聖堂が建ち、戦災を免れ今日に至っている。坪井正太郎の設計による、木造平屋建ての建物。・・・・・・・・・・・・・明日4月8日はイースター(復活日)であるため、聖堂内の花・旗・燭台など全ての飾り物は片付けられ、普段以上に、より物静かな、落ち着いた状態の空気が漂っていた。今夜は神聖な礼拝が行われ、明日(復活日)は飾り物も飾られ礼拝が行われるそうだ。

・・・・・・・・・・・まずは、外観。

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・・・・・・・・・・・・・では、内部へ。

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・・・・・・・・・・・・昭和60年(1985)、英国あるエピファニー修道院から、1889年に造られた美しい12枚のステンドグラスが贈られた。

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・・・・・・・・・・・・・大理石でできている洗礼盤。・・・・・・・オルガンも忘れないで。

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2012年4月 6日 (金)

お花見(隅田公園)

散歩を兼ね、90歳に近い母を連れ、家族で花見。押上から、スカイツリーを見て、隅田公園をまわり、観音さまをお参りし、浅草橋の我が家まで、1万2千歩、8km。今週、この辺を歩くのは、今日で3度目、家族サービスで、仕様がないか!

①スカイツリー・・・・・・・・・そろそろ見飽きた!

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牛嶋神社・・・・・・・・・牛島神社は、貞観年間(859-79)の創建で、祭神は須佐之男命、天之穂日命、貞辰親王命。関東大震災後の昭和7年(1932)、隅田公園の建設により、桜橋近くにあった神社が、墨田公園の北側に移された。昭和20年(1945)の東京大空襲では、神楽殿は焼けたが、本堂は一部被害を受けたものの無事で、昭和7年の移転時のものである。・・・・・・・・・・撫牛(なでうし)を撫でると、体だけではなく、心も治るというご利益がある。・・・・・・・・・・・巫女さんを撫でると、怒られるよ。

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③隅田公園・・・・・・・・・・・満開?

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④向島芸者によるお茶屋・・・・・・・・・・桜橋では、向島墨堤組合の芸者さんがお茶屋を開いていた。甘酒を頂戴!

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⑤墨堤常夜燈・・・・・・・・・・隅田公園の土手上に、高さ4m強の常夜燈がある。明治4年(1871)頃、土手から下の神社に下る入り口に建立された。その神社が牛嶋神社だ。神社は震災後、言問橋の際に移転したが、常夜燈だけこの地に残された。

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⑥桜もちvs団子・・・・・・・・“長命寺の桜もち”と“言問団子”どちらを頂くか?・・・・・・・・・桜もちは店の前で行列。団子は座れそう。 決まり、年寄りがいるので、すぐ座れる団子だ!

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⑦桜橋を渡り、対岸の台東区へ・・・・・・・・

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⑧浅草寺・・・・・・・・手と手を合わせて幸せ!

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⑨並木藪蕎麦・・・・・・・・・藪蕎麦御三家のひとつ、雷門の藪蕎麦。大正2年(1913)創業。店舗は昨年改装した。

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2012年4月 5日 (木)

水戸街道

我が家(浅草橋)から、水戸街道(=国道6号線、言問橋までは別名:江戸通り)をひたすら歩いて常磐線松戸駅まで、2万6千歩、18kmの散歩です。

①浅草橋からスタート・・・・・・・・・みずほ銀行の横を入っていくと我が家だ!・・・・・・・・・文久2年(1862)創業、江戸時代から続く佃煮の老舗。浅草橋の地で営み、ただいま五代目。私は、濃いめの味だと思う。お茶漬けに、いいね!・・・・・・・・・・お祭りの提灯、造花、玩具、人形、、、、、、問屋の町。最近は小売りもOK!

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駒形橋・・・・・・・・・・享和元年(1801)創業のどぜう屋。ランチタイムも混んでるよ!・・・・・・・・スカイツリーを望む橋のたもとには、駒形堂と“むぎとろ”もある。

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浅草駅・・・・・・・・スカイツリー開業に合わせ、東武浅草駅も昭和6年(1931)の開業当時の姿に改装中。昭和初期を代表するアール・デコ様式の駅ビルが復元され、楽しみだ!

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④言問橋・・・・・・・・正面にスカイツリーを見て、橋を渡る。・・・・・・・・橋の両岸は、桜が七分咲き。・・・・・・・・橋を渡ると、水戸街道(6号線)は左折する。

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⑤東向島・・・・・・・・・ピンクの街路灯に“鳩の街”が!・・・・・・・・・・高度成長期以前は多かった糸屋さん。屋号の“萬屋糸店”、いいね~~・・・・・・・・昭和29年(1954)製の日光軌道の電車が保存されている「東武博物館」がある東向島駅。昭和62年(1987)までは玉ノ井駅だった。

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⑥四ツ木橋・・・・・・・・・墨田区と葛飾区を分ける荒川に架かる、橋長507mの鋼橋。開通は昭和27年(1952)で、それまでは木橋だった。

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⑦白鳥・青砥付近・・・・・・・・・京成本線のの下を行く。・・・・・・・・・日本橋から11Kmの地点だ。我が家からだと9kmぐらいかな?・・・・・・・・・さすが葛飾区、農協(JA)の支店があった!・・・・・・・・・延命寺の桜も七分咲き。

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⑧中川大橋・・・・・・・・・・葛飾区の中央を北から南に流れる中川。そこに架かる長さ134mの中川大橋。昭和60年(1985)に架け替えられた、2代目の橋。・・・・・・・・・橋を渡ると、すぐ左手には日枝神社の朱塗りの“山王鳥居”(明神鳥居の上に破風を付けたもの)が見える。

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新金貨物線・・・・・・・・総武線新小岩駅と常磐線金町駅を結ぶ単線の貨物線。大正15年(1926)に開通した。・・・・・・・・・貨物の本数が少なく、通過する場面に遭遇するのは難しい。2012_0405_141758s

⑩京成金町線の踏切・・・・・・・・・・・水戸街道を横断する京成金町線の踏切。車の多くは陸橋で越え、渋滞を生ずることもないようだ!

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⑪新葛飾橋・・・・・・・・・東京と千葉の境を流れる江戸川を渡る新葛飾橋(しんかつしかばし)。昭和39年(1964)に完成した、全長442mの橋だ。・・・・・・・・左手(上流側)には、常磐線江戸川橋梁がある。電車を見ながら橋を渡ると飽きないかも? 橋を渡ると“松戸市”。

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⑫小山浅間橋・・・・・・・・・ここで、水戸街道(国道6号)と分かれる。これより、常磐線を越え松戸市内に入る。この橋、平成23年(2011)に竣工した出来たての橋。施工は飛島建設。

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⑬小山樋門橋(こやまひもんばし)・・・・・・・・通称「めがね橋」と呼ばれ、明治31年(1898)に、当時の金額7,100円也で造られた。千葉県内で最も古い煉瓦造りの構造物。・・・・・・・保存状態の良い煉瓦橋だ!美しい!

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⑭松戸神社・・・・・・・・・・寛永3年(1626)創建の、松戸市の総鎮守。社殿は創建時に建てられたものだ。

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⑮松戸駅・・・・・・・・・・・・本日のゴール

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2012年4月 4日 (水)

お茶の水~新大塚

お茶の水から、本郷三丁目をとおり、丸ノ内線新大塚駅まで、1万4千歩、10kmの散歩です。

①お茶の水橋・・・・・・・・明治24年(1891)に日本人の設計による初の鉄橋として、トラス橋が架けられたが、関東大震災によって焼失した。その後、昭和6年(1931)に現在のラーメンプレートガータ橋に架け替えられた。長さ80m、幅24m。・・・・・・・・よく利用する橋だが、下流の聖橋に比べると、印象的なデザインではなく、影の薄い橋だ!

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・・・・・・・・・・橋上から上流左岸の橋脚部分を見下ろすと、謎のドアがある。さらによく見ると、非常用避難経路を示す表示がドアの前と、土手を通り外堀通りに上がる通路にある。(写真の○印) 何だコリャ?・・・・・・・・私の推理、、、、、、外堀通りの下に丸ノ内線お茶の水駅があるので、ホームからの避難通路だろう。

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②日本基督教団弓町本郷教会・・・・・・・・・・教会は明治19年(1886)に創立した。現在の聖堂は大正15年(1926)に竣工、鉄筋コンクリート造3階建て。・・・・・・・・・・方形の塔、アーチ状の窓など、ビザンチン(東ローマ)風の建物だ!

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③クスノキ・・・・・・・・・・・中央教会の近くのクスノキは、地上1.5mの幹回りが8.5mもあり、文京区内で最大らしい。・・・・・・・・・つまり、肥満体(メタボ)のクスノキだ!・・・・・・・・・ゴツイ根っこと周りの苔は、遠い昔からの時間を感じさせる!

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④本郷1丁目・・・・・・・・・修学旅行/合宿で利用される旅館・朝陽館・・・・・・内藤外記(げき)が住んでいた外記坂・・・・・・・・数年前、後楽園近くに勤務していた時、我が家から歩いて通勤すると、この旅館・この坂を通ることが多かった。思い出すな~~。

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⑤真砂(まさご)町・・・・・・・・浜のまさごのかぎりないように繁栄を願い、明治2年(1869)に命名された“真砂町”。多くの文人が好んで住み、愛された町。泉鏡花の「婦系図」に出てくる“真砂町”の先生が住んでいてところ。昭和40年に町名が変更され、本郷4丁目となった。・・・・・・・・・・「婦系図」の主人公 →→→ お蔦と主税 →→→ 湯島の白梅 ♪♪ 湯島通れば 想い出す お蔦主税の 心意気 知るや白梅 玉垣に 残る二人の 影法師 ♪♪ →→→ 湯島は鶴瀬の氷あずき ・・・・・・・連想ゲーム?

・・・・・・・・・・銅板建築の大津義男商店と古い木造の2軒長屋・・・・・・・昭和40年頃までは、この前を都電が走り、「真砂町」の停留所があった。当時は、私の通学路だ!

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・・・・・・・・・・・秩父セメント創業者:諸井家の和風邸宅。明治末期の建築で、一見、武家屋敷だ!

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・・・・・・・・・・本郷台地の上に建つ、金田一京助・春彦の旧居跡と近くの路地。・・・・・・・・・近くには新選組の斉藤一(後に藤田五郎と改名)も住んでいた。

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・・・・・・・・・・・・・・・金田一の旧居跡角に、細い木戸の路地がある。ここから入ると樋口一葉の菊坂旧居跡に出る。・・・・・・・・・手押しポンプ(一葉の井戸)の前が旧居跡だが、見学者が多いためか、以前は出ていた案内表示がなくなっている。・・・・・・・大勢がガサガサ行くと、住民に迷惑だな。・・・・・・・・・・今も残る「たけくらべ」の時代。

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・・・・・・・・・・・・・・旧東京市営真砂住宅・・・・・・・・・大正12年~14年(1923~1925)に本郷台地の一角で開発された東京市営真砂町住宅で、当初46棟75戸が建てられた、現在は数件が残っている。

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⑥東京都戦没者霊苑・・・・・・・・・・地下鉄後楽園駅に隣接する礫川公園の高台に東京都戦没者霊苑がある。このには、太平洋戦争の東京都の戦没者16万人の慰霊を祀っている。・・・・・・・・・この地は旧水戸藩邸であったが、明治に陸軍砲兵工廠・諸工伝習所となった。大正9年(1920)には陸軍工科学校となった。(私の父の母校だ。) 戦後、全ての施設は取り壊された。

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⑦伝通院(でんづういん)・・・・・・・・・・応永22年(1415)創建の浄土宗の寺。無量山傳通院寿経寺。・・・・・・・・徳川家康の生母於大の方を祀っている。於大の法名「伝通院殿」にちなんで院号を伝通院とした。・・・・・・・・・空襲で建物は全て焼失し、戦後の再建だ!

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⑧今日の春・・・・・・・・・・・・

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2012年4月 2日 (月)

銀座~本郷三丁目

丸ノ内線の元・西銀座駅(現:銀座駅)から本郷三丁目駅まで、1万3千歩、10kmの散歩です。

①西銀座通り・・・・・・・・・「外堀通り」の銀座1丁目(城辺橋)~8丁目(土橋)までを「西銀座通り」と称している。地元の人達が勝手につけた名前だ。正式名称は「東京都道405号外濠環状線」だが、正式名称の方が解りにくい。・・・・・・・どうでもいいか!

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②鍛冶橋の煙突・・・・・・・・・鍛冶橋(かじばし)交差点の高層ビルの一角に、オブジェのような巨大な円柱が建っている。八重洲の地下を走る首都高の換気所だ!・・・・・・・・後ろの高層ビルは、かって国労会館があった跡地に建つパシフィックセンチュリープレイス。階数 地上32階、高さ150m、平成13年(2001)竣工。

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③丸の内・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・東京駅・・・・・・・・・・平成19年(2007)に着工した復元工事も、いよいよ今年の10月で完成する予定だ! 足場もかなりの部分ではずされ、ベールの半分が取り払われた!・・・・・・・・銅のかがやきが、まぶしいドーム屋根。 まもなく大正3年(1914)の姿に戻るよ!

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・・・・・・・・・・旧東京中央郵便局・・・・・・・・・こちらも、今年完成のJPタワー。 低層部の旧東京中央郵便局の外壁復元部分が見えてきた。昭和8年(1933)の姿だ!・・・・・・・・まだ、中央の時計の針がないね。 取り付け忘れないでね!

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・・・・・・・・・・・丸ビルと新丸ビル・・・・・・・・・東京駅から皇居に向かい、左は茶色っぽい丸ビル(37階建て、高さ179.2m)、右が黒っぽい新丸(38階建て、高さ197.6m)

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・・・・・・・・・・・・・・工業倶楽部・・・・・・・・・・大正9年(1920)竣工、設計は横河民輔。正面屋上には、当時の日本経済の牽引役であった石炭と紡績を象徴した、ハンマーを持つ男性、糸巻を持つ女性の像が飾られている。

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・・・・・・・・・東京銀行協会ビル・・・・・・・・・・協会ビルの下層部分に外観を復元保存した。大正5年(1916)、横川工務店の松井貫太郎の設計で建てられた。煉瓦造り2階建てで、皇居に面して建っている。・・・・・・・・当時の華やかさが感じられるね!

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④鎌倉橋・・・・・・・・・・日本橋川に架かる復興橋のひとつで、大手町と内神田を結び、昭和4年(1929)に架橋された。長さ30m、幅22mのコンクリート橋。・・・・・・・川幅と同じくらいの道路幅の首都高が頭上を走り、邪魔だ!

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⑤日本大学理工学部5号館・・・・・・・・日大の宮川英二(1915-1989)の設計で、昭和34年(1959)に建てられた。・・・・・・・・・・駿河台の本郷通りに面し、大きなピロティと吹き抜けが特徴的だ!

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聖橋から・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・お茶の水橋・・・・・・・・・・通学・通勤に思い出多い駅と橋

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・・・・・・・・・・・・・東京医科歯科大学・・・・・・・・・救急車で運ばれたのを思い出す

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・・・・・・・・・・JRと丸ノ内線・・・・・・・・・・この景色、じっと見てても飽きないね!

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⑦エチソウビル・・・・・・・・・大震災直後の大正13年(1924)に、本郷に建てられた、幾何学模様が特徴的なアールデコ風のビル。・・・・・・・・名前の“エチソウ”とは、糸屋の「越前屋惣兵衛」の略らしい。

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2012年4月 1日 (日)

八広~浅草橋

京成押上線八広駅から、浅草橋の我が家まで、1万5千歩、11Kmの散歩です。

①京成押上線連続立体交差事業・・・・・・・・・押上線の“押上~八広間”(墨田区)と“四ツ木~青砥間”(葛飾区)で実施している連続立体交差事業の墨田区側の進捗状況を見てきた。・・・・・・・・・“押上~八広間”の工事は、押上駅(地下駅)から地上に顔をだし、東武亀戸線をオーバクロスした地点(押上駅からここまでは既存部分)から高架となり、京成曳舟駅は高架化され、既に高架駅となっている八広駅手前で既存高架部分に擦り付ける、約1.5kmの高架工事だ。・・・・・・・・平成24年3月31日(昨日)が工事完了予定日だったが、5年延長し平成29年3月31日が新たな完了予定日となった。(早い話、5年遅れだ!)

・・・・・・・・・・・押上駅(地下)から地上に顔を出す。右の高架は東武伊勢崎線。

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・・・・・・・・・・・・・・東武亀戸線踏切から眺める、写真奥のオーバクロス地点

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・・・・・・・・・・・煉瓦造りのガード・・・・・・・・オーバクロスした地点のチョイ先に、煉瓦造の小さなガードがある。・・・・・・東武亀戸線の開通は明治37年(1904)で、京成押上線の開通はその後の大正元年(1911)、よって、このガードはオーバクロスするため造られた盛土部分のガードのようだ?・・・・・・・・この辺りから高架工事が始まる。

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・・・・・・・・・・京成曳舟駅は高架駅となる。・・・・・・・完成予想図があった!

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・・・・・・・・・京成曳舟~八広間・・・・・・・どこに行っても、正面にはスカイツリーが見える

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・・・・・・・・八広駅側の擦り付け部分

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②曳舟湯・・・・・・・・・・創業昭和7年(1932)。今年で築80年の宮造りの銭湯。瓦葺きの塀も味を添え、静かに開店準備中。

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③スカイツリー・・・・・・・・・・・5月22日の開業まで、もう少しだ!

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・・・・・・・・・「押上駅前自転車駐車場」が地下鉄の出入口前に今日オープンした。この駐輪場は小高い丘のように造られていて、屋上からスカイツリー、東武鉄道の線路が一望できる。・・・・・・・・スカイツリー見学には、絶好の場所だ! もちろん無料!

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