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2012年5月

2012年5月30日 (水)

早稲田

高田馬場から牛込まで、早稲田2丁目を中心に歩いてきた。1万3千歩、10km。

①木造洋館風建築・・・・・・・・・高田馬場1丁目の木造建築。板張りに、漆喰壁(?)のような洋館風建築。・・・・・・・味わいのある、昭和初期の建物か?

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②諏訪神社・・・・・・・・・・大国主命(おおくにぬしのみこと)、事代主命(ことしろぬしのみこと)、武御名方命(たけみなかたのみこと)を祭神とする、弘仁年間(810 - 824)創建の都内有数の古社。明治天皇の行幸もあった聖跡だ。・・・・・・・・・・社殿は昭和55年(1980)に再建された。なんとなくガンダムを思い出させるような大きく、厳つい造りだ!

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③日本館・・・・・・・・・・今や、探さなければ見つからない“賄付きの下宿屋さん”。女子禁制のここには、高校生や予備校生、大学生が住んでいるそうだ。部屋は4畳半の和室で24室、共同トイレ、風呂なし、食事付で月5万7000円程度の家賃。・・・・・・・・・建物は昭和11年(1936)に竣工した、木造2階建て。中庭があるそうだ。・・・・・・・・・・建物竣工時は病院として利用されたらしい(?)

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④早稲田大学各務記念材料技術研究所・・・・・・・・・・・西早稲田2丁目の住宅街の中に研究所はある。研究所は昭和13年(1938)、各務幸一郎・良幸父子のご寄付により、鋳物研究所として創立した。当初は、名前通り、鋳造および鋳物材料の研究が主体であったが、その後の技術発展・時代の要請により、昭和63年(1988)「各務記念材料技術研究所」と名を改めた。現在は、電子材料などの研究も行われている。・・・・・・・・・建物は早稲田大の教授:桐山均一の設計により、昭和13年に竣工した。

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⑤早稲田教会(スコットホール)・・・・・・・・・・教会は、早稲田奉仕園(キリスト教精神による学生センターの活動)の事業に理解を示したJ.E.スコット夫人(1851-1936)の寄付により、大正11年(1922)、ヴォーリズ建築事務所(浅草聖ヨハネ教会東洋英和女学院明治学院礼拝堂などを手がけた)の設計監理で建てられた。

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⑥旧東京市早稲田尋常小学校・・・・・・・・・現在の新宿区立早稲田小学校。・・・・・・・・明治33年(1900)、生徒数226名で「早稲田尋常小学校」として開校。関東大震災で校舎は被災し、現校舎が昭和3年(1928)復興小学校として再建された。・・・・・・・・設計は銀座和光、上野の国立博物館などを手掛けた渡辺仁(1887~1973)。半円などの曲面多用した、凝ったデザインだ。鉄筋コンクリート3階建て、総工費約87万円は安いか、高いか?

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2012年5月29日 (火)

浅草橋~南千住

昨日に続き、今日も不安定な気象状況で、雷雨、突風、竜巻、雹(ひょう)などが予測される荒れ模様の天気。散歩は午前中の天気の安定した間に済ませよう! 我が家(浅草橋)から南千住まで、1万4千歩、10kmの歩き。

①秋葉神社(あきばじんじゃ)・・・・・・・・・・明治の始め、東京に火災が頻発し、明治天皇の勅命で、明治3年(1870)に現在のJR秋葉原駅構内(千代田区神田花岡町)に、火の神“火産霊大神”、水の神“水波能売神”、土の神“埴山毘売神”の三柱を勧請したのが始まり。・・・・・・・・当時の江戸っ子は、静岡県天竜の秋葉大権現の火防(ひぶせ)の神が祀られたと勘違いして、神社を“秋葉様”と称した。これが、現:秋葉原の名の由来。・・・・・・・・だが、 明治21年(1888)、日本鉄道が現在の東北本線を上野から秋葉原まで延長し駅を設置するため、秋葉原に在った秋葉神社を現在地(台東区松が谷)に移転した。拝殿は戦後の再建。・・・・・・・・この秋葉神社は、「AKB48」の名のルーツかも!

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②千束稲荷神社・・・・・・・・・・倉稲魂命(ウガノミタマノミコト)を祭神として、江戸時代初期寛文年間(1661〜1672)に創建された稲荷神社。江戸時代から戦前は“吉原遊郭”、戦後は“ソープランド街”があり、樋口一葉の住んでいた龍泉寺村も属していた“千束郷”の氏神様。・・・・・・・・・・境内の鳥居は、文化年間(1804~1817)に造られ、亀田鵬斎の書が刻まれている。・・・・・・・・一葉の『たけくらべ』の舞台にもなっている神社だ!境内には一葉の胸像がある。

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③新吉原総霊塔・・・・・・・・地下鉄三ノ輪駅北側の浄閑寺(じょうかんじ)本堂裏に「新吉原総霊塔」がある。・・・・・・・・日本橋葭町(よしちょう)にあった遊郭が、明暦の大火により、現在の千束4丁目の吉原に移り、“新吉原”と称した。そこの遊女は病気などで死ぬと、身寄りもないため、淨閑寺に投げ込まれたそうだ。安政(1855)の大地震でも多くの遊女が死に、この寺に投げ込まれ葬られた。 “新吉原総霊塔”には、多くの遊女の霊がまつられている。昭和20年(1945)の東京大空襲で死んだ遊女の霊もまつられている。・・・・・・・・・現在の“新吉原総霊塔”は昭和4年(1929)に改修されたものだ。塔の基壇には「生まれては苦界 死しては淨閑寺」と刻まれている。

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④南千住の質屋さん・・・・・・・・・・・2軒

・・・・・・・・・・・ながさわ質店・・・・・・・・2棟の質蔵(年代不詳)

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・・・・・・・・・・・浅香質店・・・・・・・・・昭和12年(1936)建築の三階建ての蔵、鉄筋コンクリート造らしい。

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⑤円通寺・・・・・・・・・創建年が延暦10年(791)と伝えられている曹洞宗の寺。・・・・・・・・・明治維新の際、彰義隊が上野の寛永寺の黒門で戦い亡くなった、その死骸を弔ったのは、ここ円通寺の住職だ。その縁で黒門がこの寺に移築されている。・・・・・・・・黒門には無数の弾痕があり、想像するに、凄い戦いだった!

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・・・・・・・・・・・円通寺の几号水準点・・・・・・・この円通寺にも、几号水準点がある。門を入り左側に、裏に「明和元年(1771)」と記された“百観音”碑がある、その台座部分に几号(“不”)が彫られている。几号の下半分以上が埋まり、“ここに在ることを知る人にのみ”見つけることができる。・・・・・・・・・・撮影のため少し掘ったが、これ以上掘ると寺の人に怪しまれるので、ここまでにした。・・・・・・・・・・(参考に:皇居の几号水準点はこちら

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⑥素盞雄神社(すさのおじんじゃ)・・・・・・・・・円通寺の几号水準点を見たら、すぐ近く(南千住6丁目)の素盞雄神社の几号水準点も見ることにした。・・・・・・・・・神社は延暦14年(795)の創建、名のとおり、素盞雄大神(すさのおおおかみ)と飛鳥大神(あすかおおかみ)を祭神としている。・・・・・・・・ここの正面鳥居の左足下に几号水準がある。

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⑦栗友亭跡・・・・・・・・・南千住7丁目の雑貨屋「栗本」は、現:栗本商店の亡くなられた経営者:栗本友爾氏が、昭和30年(1955)に開場した「演芸場栗友亭」の跡だ。・・・・・・・・・栗友亭は東京漫才界の悲願であった定打寄席となり、後に「東京漫才発祥の地」と呼ばれる。・・・・・・・・・・ 昭和30年頃に、リーガル千太・万吉を会長に “東京漫才研究会“が結成され、 コロンビアトップ・ライト、 内海桂子・好江、 獅子てんや・瀬戸わんやなどのコンビが演芸に出るようになった。だが当時は、既設の寄席は落語が中心であり、漫才を演じる場が少なかった。昭和32年、栗友亭が漫才の定打寄席となった。しかし、低料金の寄席は経営が難しく、昭和34年(1959)には幕を下ろした。・・・・・・・・・・・今でも、建物2階の看板跡は、「演芸場栗友亭」という文字の跡に見える。

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⑧小塚原刑場・・・・・・・・・南千住2丁目の常磐線と地下鉄日比谷線の線路敷きに挟まれた処が“小塚原刑場”跡だ。現在ここには延命寺がある。・・・・・・・・・・江戸の、南に鈴ヶ森刑場、北に小塚原刑場(こづかっぱらけいじょう)が、明治初期にかけ存在した。

・・・・・・・・・・延命寺・・・・・・・刑場跡に「首切地蔵」ある。首切地蔵は、刑死者の菩提を弔うため、寛保元年(1741)に刑場敷地内に立てられた。いつしか、地蔵は「首切地蔵」と呼ばれるようになった。・・・・・・・・久しぶりに、今日、この地蔵を見に行ったら、首、手がバラバラとなり、処刑された状態だった。実は、昨年の東日本大震災で、左腕が落下、胴体はズレ、倒壊の危険にさらされた為、現在修理中なのだ! 修復寄付を募集中なので、私も金一封を!・・・・・・・・・写真は、今日の主なき台座。台座脇の首と手。平成22年の五体揃った健康な地蔵様。

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・・・・・・・・・・・回向院・・・・・・・刑死者を弔うため、寛文7年(1667)に本所回向院の住職が、刑場近くに堂を建てた。これが現在の南千住回向院となった。こちらの寺には、著名な刑死者の墓がある。また、蘭学者杉田玄白らが解剖(腑分け)した記念碑もある。・・・・・・・・・・写真は、有名盗賊の4人の墓(腕の吉三郎、義賊 鼠小僧次郎吉、 毒婦 高橋お伝、片岡直二郎の墓)。安政の大獄の吉田松陰の墓(正面)と堂の中には橋本佐内の墓。

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2012年5月27日 (日)

東京~浅草橋

早朝に出かけ、東京駅から我が家(浅草橋)まで、歩いて帰宅した。1万2千歩、8km。

①東京駅丸の内口・・・・・・・・・旧東京中央郵便局(JPタワー)と東京駅舎

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・・・・・・・・・・・・・・・人通りの少ない、丸ビル裏の「仲通り」

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②旧川崎貯蓄銀行富沢町支店・・・・・・・・・・昭和7年(1932)に建てられた銀行建築。ローマのパンテオンの柱に似たコリント式の柱が特徴だ! 3階部分は後の増築。 国の登録有形文化財。・・・・・・・・現在は「ハリオグラス」と言う、ガラス製品のメーカ本社。

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③旧古河銀行元浜町支店・・・・・・・・・・・・・・こちらも、現:日本橋富沢町に残る、銀行建築。中村與資平の設計により、大正15年(1926)に竣工した旧古河銀行元浜町支店。・・・・・・・・平成10年(1998)から、「ベストブライダル」という会社の結婚式場となり、外装、内部とも手が加わっている。・・・・・・・・・結婚式場なので、60過ぎのオヤジには、チョイト拝見しにくいね!

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④懐かしのゴミ箱・・・・・・・・・東日本橋の飲み屋の前に置かれてた、昭和のゴミ箱!・・・・・・・・どこの家庭も、玄関わきにゴミ箱が置かれていた。戦後間もない頃の、都のゴミ収集は、大八車の上に大きな箱を乗せたようなものを人力で牽いて、各家庭をまわっていた。収集する人が、ゴミ箱の前面のスライド式の前板をはずし、竹で編んだザルの中にゴミを入れ、大八車にゴミを移すのだ。 収集後、各家庭でゴミ箱を水で洗い悪臭を消し、衛生状態を保ったもんだ。・・・・・・・・・ゴミ箱と防火用水は昭和の象徴だね!

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⑤両国橋・・・・・・・・・関東大震災で旧橋は壊れずにすんだが、壊滅した他の橋梁復興に合わせ、デザインを一新して架け替えられた。3径間ゲルバー式(両側から突き出した桁が、中央の桁を支える構造)鋼鈑桁橋。間組の施工で昭和7年(1932)竣工。

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・・・・・・・・・・・Wikipediaにあった、昭和7年(1932)の両国橋・・・・・・球形の親柱は変わっていない! 奥(両国側)のドーム屋根は両国国技館だ!

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⑥柳橋・・・・・・・・・・このブログでは毎度おなじみの柳橋・・・・・・・・今日は橋の上で撮影会。モデルはアイドル(?)。

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⑦総武線隅田川橋梁・・・・・・・・・・総武線が浅草橋と両国の間で、隅田川を越える橋。3径間ゲルバー桁の橋で、設計は元土木学会会長:東京大学教授の田中豊。 この橋、昭和6年(1931)2月に着工し、翌昭和7年(1932)3月に竣工している、なんと工期は1年1か月、早すぎる!・・・・・・・当時は震災復興のため、国民総動員の雰囲気で物事が進んでいったのであろう。

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2012年5月25日 (金)

浅草橋~浅草

本日は雨模様。15時過ぎに雨もひと休み! いつ降るか判らないので、とりあえず近くを歩いて、我が家(浅草橋)から浅草まで。7千歩、5kmのミニ散歩。

①金桝屋ゴム・・・・・・・・・・・・・蔵前交差点近くのゴム風船屋さん。昭和25年(1950)に創業したゴム風船専門店。建物は創業時のままで、60年以上経過した。木造2階建て、アーチ型の窓廻りのデザインと、2階窓上の屋号の看板が特徴的だ。・・・・・・・・・店は、最近「アド町」などのテレビ番組で紹介され有名なようだ。

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浅草聖ヨハネ教会・・・・・・・・・蔵前に建つ、鉄筋コンクリート造2階建ての教会。・・・・・・・・・1階の隅に、喫茶店がオープンしてた。(去年できたようだ!) チョイト、ひと休みと覗いてみたら、だれもいないので、あきらめて散歩を続ける。

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③曇天の隅田川の橋・・・・・・・・・・厩橋、駒形橋、吾妻橋

・・・・・・・・・・・厩橋(うまやばし)・・・・・・・・・・昭和4年(1929)竣工

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・・・・・・・・・・駒形橋(こまがたばし)・・・・・・・・・昭和2年(1927)竣工

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・・・・・・・・・・吾妻橋(あづまばし)・・・・・・・・昭和6年(1931)竣工・・・・・・只今、橋脚補強中!

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④駒形橋交番・・・・・・・・・駒形橋東詰(墨田区)のたもと、高速道路に下の交番。現在は地域安全センター。・・・・・・・・・・昭和初期(3年頃)に作られた交番の一つ。同じ頃の現存する交番建築としては、厩橋交番月島警察署西仲通交番南品川の交番などがある。

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⑤アサヒビール吾妻橋ビル・・・・・・・・・ビールジョッキのデザインをした、「アサヒビールタワー」(本部ビル)と、黒い台座に金の“うんこ”がのった「スーパードライホール」。フランスの有名デザイナーフィリップ・スタルクの設計で、昭和64年(1989)に竣工した。・・・・・・・・・・右側に建つ高層ビルは、公団住宅「リバーピア吾妻橋ライフタワー」

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2012年5月24日 (木)

スカイツリー

22日のスカイツリーのオープン、あいにくの雨模様で行きそびれた。23日は、私用で行きそびれた。そして今日、昼間、私一人で様子見の散歩。夜、夫婦で冷やかしの散歩。合計1万7千歩、12km。

本日は、スカイツリーの開店祝い、ご祝儀で写真はスカイツリー関連に限定した。

①22日のスカイツリー・・・・・・・・・錦糸町駅ホームから・・・・・・・・地上350mの展望デッキまでしか見えない!

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①昼の散歩・・・・・・・・・・・亀戸駅から本所吾妻橋まで

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②夜の散歩・・・・・・・・・まずは、Solamachiの中を拝見

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・・・・・・・・・・・・・・ライトアップ、本日は“雅”

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2012年5月21日 (月)

中野区上高田

世間は金環日食の日だが、私は通院日。しかも、午前中に病院が2か所。中野の警察病院で眼科検診を受け、秋葉原の耳鼻科へ、予約時間の合間に、中野区上高田近辺を少々歩いてきた。1万2千歩、8km。

①日食時間の浅草橋駅・・・・・・・・・・駅前は、空を見上げる人がチラホラ! ホームは、乗客もまばら! みなさん、日食観測に忙しいのかも?・・・・・・・私は、朝一の診察に遅れないよう中野に向かう。

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②新井・上高田の路地・・・・・・・・・早稲田通りの北側、中野区新井・上高田の、車も通れない路地を中心に歩いてみた。・・・・・・・・当然、方向感覚も薄れ、どこに向かうか、どこに出るかは神のみぞ知る!

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③間口の狭い家・・・・・・・・・上高田の大妻中野中・高等学校裏で遭遇!・・・・・・・・玄関幅が2m以下の狭い家。奥の方まで同じような幅に見えた!

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④上高田のチョイト懐かしい門構えの家・・・・・・・・・・・・

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⑤上高田の寺院・・・・・・・・・・上高田4丁目には、落ち着いた、静かな寺院が多く、“寺町”のようだ!・・・・・・・・順に、宝泉寺、境妙寺、願正寺、神足寺

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2012年5月20日 (日)

大崎~恵比寿

大崎駅から恵比寿駅まで、1万1千歩、8kmの散歩です。

①大崎橋・・・・・・・・・目黒川に架かる東急池上線橋梁の下に大崎橋はある。なぜか五反田駅前にある“大崎”橋。橋は平成10年頃架け替えられた。旧大崎橋(昭和5年(1930)竣工)の親柱が橋の横の公園に保存されている。・・・・・・・・・“ややっこしい”ついでに、大崎駅の東側に「東五反田2丁目」がある。大崎駅から2つ目の目黒駅は「品川区上大崎2・3・4丁目」の交点の中央に在る。目黒駅が目黒区にない!

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②五反田公園の坂・・・・・・・・・五反田駅近くの池田山に上る、公園わきの静かな坂道。東京の坂道の多くは名があり、名の由来を記した案内板や説明書きがあるのだが、ここにはそれがない。・・・・・・・・・コンクリートと鉄パイプの手摺がいいね!・・・・・・・・・坂を上がった先には、現皇后の生家跡にできた「ねむの木の庭」、池田藩下屋敷跡の「池田山公園」がある。

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③タイ王国大使公邸・・・・・・・・・・この建物は、 実業家・十代目濱口吉右衛門(1883-1946)の邸宅として、慶応大学北里記念医学図書館を手掛けた和田順顕の設計、清水建設の施工により、昭和7年(1932)に着工し、昭和9年(1934)竣工した。・・・・・・濱口吉右衛門はヒゲタ、キッコーマンの前身銚子醤油の社長であり、ラストエンペラーの愛新覚羅溥傑のもとに嫁いだ浩の伯父でもある。・・・・・・・・・ゴシックスタイルのこの建物は、昭和18年(1943)に当時のタイ王国大使に100万円で売られた。

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④山田信一郎邸・・・・・・・・・・タイ王国大使公邸の隣に建つ山田邸。大正13年(1924)の建築、設計は山田信一郎自身。

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⑤白金桟道橋・・・・・・・・・・古レールを構造材に利用した、国内に現存する跨線橋。昭和元年(1926)に完成した。山手線部分(写真手前の2線)は単純な垂直橋脚だが、山手貨物線(埼京線)部分は一段深く掘り下げられ、高度差が大きいため優美な曲線のアーチ橋だ。

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⑥日本基督教団白金教会・・・・・・・・・大正7年(1918)白金伝道教会として始まる、大正13年(1924)現在地に会堂を建設、昭和51年(1976)現在の会堂を建設。・・・・・・・・・内部は清楚な感じの教会だ!・・・・・・・・今日は日曜礼拝もあり、平成3年(1991)に設置されたパイプオルガンも美しい音色を奏でていた。

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・・・・・・・・・・・玄関前には牧師さんが育てたバラも・・・・・・・・・

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⑦土浦亀城邸・・・・・・・・・・・・白金の台地「長者丸」に建つ、モダニズム建築家として土浦亀城(つちうらかめき)が設計し建てた自邸。昭和10年(1935)に竣工。・・・・・・・建物は地上2階/地下1階の木造竪羽目板張り。・・・・・・・昭和初期の小型住宅の代表的な建物だ!

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2012年5月19日 (土)

三社祭

今日と明日は、浅草三社祭の神輿の渡御、昼から夫婦で買い物を兼ね、祭り見物。

①三社祭・・・・・・・・・・・・・“三社(さんじゃ)さま”は浅草寺境内に在る浅草神社のことだ。・・・・・・・・・浅草寺の草創に関わった、土師真中知(はじのまなかち)、檜前浜成(ひのくまはまなり)、檜前武成(ひのくまたけなり)の三人を主祭神とし、「三社権現」、「三社さま」と称されてる。

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②東武浅草駅・・・・・・・昨日(5月18日)、東武浅草駅ビルの外観工事完了。屋上の大時計も復活し、昭和6年(1931)、建設当時のアール・デコ建築に戻った。・・・・・・・・内部のリニューアル工事は11月頃までかかるようで、4階以上は工事中につき閉鎖中。・・・・・・・・私が幼き頃、連れて行ってもらった屋上の遊園地、7階の食堂は、復活しないようだ!

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③今年初・・・・・・・・・・・いよいよ、かき氷のシーズン、“よお!待ってました!”。今年は、「いづ美」の“氷あずき”からだ! 淡雪のような氷の削り方、ほどよい甘さのつぶ餡、“美味い”の一言。

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④本日のお買いもの・・・・・・・・・銀座「TORAYA」の帽子、柴又「丸仁」の佃煮、狸通りで狸の置物、松屋で和菓子と惣菜、どれも“浅草”へ行かなくても買えるもの? “ま~、いいか”

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2012年5月17日 (木)

大森~大崎

大森駅から、中延、戸越を通り、大崎駅まで、1万4千歩、10kmの散歩です。

①天祖神社・・・・・・・・・・大森駅西口を出ると、目の前の池上通りを挟み、崖上に上るような階段がある。上には天照大神を祀る天祖神社がある。創建年代不詳。・・・・・・・・・・神社の後ろは“山王”の高級住宅街だ!この辺りに、明治から昭和にかけ、多くの多くの文士が住み、“馬込の文士村”と称されている。

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②山王小学校校門・・・・・・・・・大正14年(1925)設立の山王小学校。校舎は戦後改築したが、校門は古そうだ。アールデコ風のデザインだ!

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③尾崎士郎記念館・・・・・・・・・昨年7月に立ち寄り、今日も再び立ち寄ってみた。尾崎士郎が昭和29年(1954)から死去した昭和39年(1964)まで住んでいた家だ。・・・・・・・・・横綱審議委員を努めたほどの相撲好きだったようだ、自宅の庭でまわしを締めシコをふむ写真、相撲にまつわる作品などが展示されている。

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④O邸・・・・・・・・品川区西大井の邸宅。大きな邸宅で、窓の造りなどから推測すると、戦前の建物と思われる。

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⑤上神明天祖神社・・・・・・・・・・旧上蛇窪村(現:品川区二葉4丁目付近)の鎮守。創建年代不詳だが、鎌倉時代には神社はあったようだ。・・・・・・・・・・社殿などは、戦災で焼失し、昭和36年(1961)に再建した。・・・・・・・・・境内には荏原七福神のひとつとして弁財天が祀られている。

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⑥大森のバラ・・・・・・・・・・

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2012年5月16日 (水)

水道道路

新宿駅から京王線明大前駅まで、西新宿の旧淀橋浄水場と明大前の和泉給水所を結ぶ「水道道路」を歩き、2万歩、15㎞です。

「水道道路」とは・・・・・・・・江戸時代、“お江戸”の水源として多摩川の水を羽村取水堰から江戸城の方へ引き込んだ、これが「玉川上水」だ。 明治31年(1898)、淀橋浄水場の新設に伴い、現在の和泉給水所地点から分岐し浄水場まで、ほぼ真直ぐな一本の水路が開削された、これが「玉川上水新水路」だ。新水路は、高低を盛土により調整し、起伏の無い直線水路となった。既設の道路と交差する部分には、トンネルや橋を造り盛土の上に水路を通した。 新水路は、関東大震災で決壊し、その後は並行して通る甲州街道の下に管を埋設し、淀橋浄水場に水を供給した。そして、水路跡のほとんどは「水道道路」と都営住宅に転用されている。 淀橋浄水場も昭和40年(1965)に廃止され、跡地は都庁をはじめ多くの超高層ビル群に生まれ変わった。

①小田急百貨店・・・・・・・・・・地上14階建て、地下に小田急線・JRの地下改札口およびコンコースがある百貨店だ。昭和41年(1966)に完成、設計は坂倉準三建築研究所。・・・・・・・ところで、小田急百貨店開業時の建物は現:本館前に建つ「ハルク(HALC)」である。「ハルク」は昭和37年(1962)に完成した地上8階建ての建物。・・・・・・・・昭和40年から、私が明治大学へ通学するのは、新宿乗り換えだったので、小田急百貨店にはしばしば立ち寄った。本館の建物が変わったのもこの頃だ、「ハルク」の建物には、以来、約40年間立ち寄っていない。今日も前を通過してしまった。

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②淀橋浄水場跡地・・・・・・・・超高層が建ち並ぶ街

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③水道道路の隧道・・・・・・・・・渋谷区本町1丁目に、水道道路の下を抜ける、2本のトンネルがある。

・・・・・・・・・・・本村隧道・・・・・・・・大正9年(1920)竣工。ポータルの両側に柱のデザインが施されている。

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・・・・・・・・・・本町(ほんまち)隧道・・・・・・・・・こちらは昭和50年(1975)に拡張工事が行われたようだ。・・・・・・・・・・旧隧道と思われる、ふさがれた壁が隣にあった。

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④水道道路の橋の跡・・・・・・・・・・・水路を横ぎる道路のために、水路には16の橋が架けられていたそうだ。橋は淀橋側から、1号橋、2号橋・・・と名づけられた。・・・・・・・今は、橋は無くなっているが、「六号通商店街」、「7号通り」バス停、「七号通り公園」、「十号坂street」などと、名が残っている。

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⑤水路跡の都営住宅・・・・・・・・・水道道路に沿いに、幡ヶ谷から笹塚まで約2.3km程におよび、何十棟かの都営住宅が建ち並んでいる。・・・・・・・・5階建て程度で、昭和40年代の建築だ!・・・・・・・・敷地が水路跡のため、細長~~い~~、どこまでも続く団地。

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⑥水道道路の終点・・・・・・・・環七と交わる“泉南交差点”。・・・・・・・・・写真、正面の道路が「水道道路」、奥にはオペラシティが見える。

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・・・・・・・・・・・・・環七を越えると「水道道路」は“水道路地”となる。細い道の両側には木造の家並みが続く。

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⑦和泉給水所・・・・・・・・・・杉並区和泉2丁目には、2本の給水タンクが建っている。・・・・・・・ここが、玉川上水新水路の分岐点だった!

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⑧東京山手急行電鉄遺構・・・・・・・・・・明治大学和泉キャンパス横に、京王井の頭線が玉川上水の下をくぐるトンネルの部分がある。ここは、4線分のレールが敷設される予定で構築された。・・・・・・・・・つまり、右側2線が井の頭線用、左側2線が山手急行線用だった。・・・・・・・・・東京山手急行電鉄とは、昭和初期に設立した会社で、東京の外側に約50kmの環状線を作る計画だったが、世界恐慌のあおりで頓挫し、最終的には小田急電鉄に合併された。

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⑨LA PORTA IZUMI・・・・・・・・・杉並区和泉の奇妙奇天烈なマンション。平成2年(1990)の建築で、設計はドラード早稲田を手掛けた梵寿鋼(ぼんじゅこう)。

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2012年5月14日 (月)

昭和島~大森

東京モノレール昭和島駅からJR大森駅まで、1万5千歩、11Kmの散歩です。

①貴船掘緑地・・・・・・・・・大森東3丁目の「貴船掘緑地」は、昭和55年(1980)、海苔船係留用の運河を埋め立て整備された、細長い緑地だ。運河の下流200m程は埋め立てられず、船溜まりと貴船水門が残っている。

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②貴舩神社(きふねじんじゃ)・・・・・・・・・・・・大田区大森東にある神社で、京都の貴舩神社を総本社とする。創建年代は不詳だが、文永3年(1266)に以前からあったらしい。・・・・・・・・この辺りは、東京オリンピックまでは、海苔漁場として栄えたところだ。神社へは細い道をクネクネ曲がり、たどりつく。・・・・・・・・旧社殿は関東大震災により倒壊し、現社殿は昭和30年(1955)に、正面の柱間が一間の流造りで建立された。・・・・・・・・・アプローチから始まり、漁村の守り神の雰囲気が残る、親しみを感じる神社だ!

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・・・・・・・・・・・・・社殿の前には、太鼓橋がある。

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・・・・・・・・・・・・明治33年(1900)に奉納された、六郷石工:竹内六之助作の狛犬。

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③海苔問屋・・・・・・・・・・京浜急行平和島駅・大森町駅から海側に70軒ほどの海苔問屋がある。まさに、江戸時代延宝年間(1673~)から始まる、江戸前・大森海岸の海苔漁場が繁栄していた頃を感じさせてくれる。・・・・・・・昭和30年代の高度成長期に、漁場の埋め立てが進み、東京オリンピックを最後に海苔漁場は姿を消した。・・・・・・・・浅草の仲見世でお土産に売ってる、海苔は韓国産(?)、中国産(?)、どこ産(?)、オッサン!

・・・・・・・・・・・・金子海苔店の倉庫(蔵)

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・・・・・・・・・・・・旧東海道に面する、川良海苔店と川島屋。

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2012年5月13日 (日)

三鷹

今日は夫婦で三鷹に行き、“お隣り”吉祥寺駅まで、7千歩、5kmの歩き。

①三鷹橋・・・・・・・・三鷹駅南口駅前、玉川上水に架かる橋。現在の三鷹橋の脇に、旧三鷹橋の親柱と高欄が保存されている。(高欄は1/3程に短くなっている)・・・・・・・・・旧三鷹橋は昭和32年(1957)に古レールを橋脚に使用した、ひなびた橋だった。・・・・・・・・・現在の橋は、平成17年(2005)、駅前広場の整備により架け替えた。

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②山本有三記念館・・・・・・・・・・・作家・山本有三が昭和11年~21年(1936~1946)まで、家族とともに住んだ家。戦後、進駐軍に接収され。その後、国立国語研究所三鷹分室となり、山本有三に返還された後は、東京都に寄贈し現在に至る。つまり、昭和21年以降はこの家に戻ることはなかった。・・・・・・・・・・建物は貿易商・清田龍之介の別邸として、大正15年(1926)に建てられた。外壁はスクラッチタイルを貼り、暖炉の煙突まわりは石張り。・・・・・・・・こじんまりした、洗練された洋館だ!

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・・・・・・・・・・・内部には、洋室が中心だが、和室もある。 また各部屋には、山本有三の生涯と作品を紹介する資料が展示されている。

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・・・・・・・・・・「路傍の石」の映画ポスターもあり、懐かし~い。私は、小学生の時「路傍の石」の映画を見た記憶がある。「路傍の石」は、昭和13年(1938)日活で、昭和30年(1955)松竹で、昭和35年(1960)東宝で、昭和39年(1964)東映で、それぞれ映画化されていた。 自分が鑑賞したのはどれ? 戦後、“文部省特選”の映画が多かったのを思い出すね。

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③スペース・S・・・・・・・・・・自宅をギャラリーとして公開している、下連雀のF邸。・・・・・・・・・建物は昭和16年(1941)頃の竣工と思われる。壁には、葡萄や蔦が茂り緑多い、大きな三角屋根が特徴的な洋風家屋だ。

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④井の頭公園・・・・・・・・・・・

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2012年5月12日 (土)

飯田橋~東京

二日続けて几号水準点を見たので、事の序でに、日本の中心“皇居”にある“几号水準点”を見ながら散歩した。飯田橋駅から東京駅まで、1万4千歩、10kmです。

①飯田橋駅・・・・・・・・・飯田橋駅は、昭和3年(1928)に、それまでの「牛込駅」(現駅より300~400m程新宿寄り)と「飯田町駅」(現駅より400~500m程東京寄り。JR貨物の入居する高層ビルの位置。)を統合し開業した。・・・・・・・・西口は「牛込橋」に面した、橋上駅舎となっている。・・・・・・・・・・キツイ急カーブの途中にホームがあり、電車とホームの間が広く開いている。昨年、88歳の私の母が電車から降りるとき転び。それを見た私は、一瞬“ヤッタ~!”と思ったが、すぐに立ち上がり、“残念!?”。・・・・・・・・・18年ほど前まで、駅から靖国神社を抜け、皇居に面した勤務先まで25年間通った、勝手知ったる最寄駅だ! 

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②東京大神宮・・・・・・・・・・明治13年(1880)、東京における伊勢神宮の遥拝殿として創建された。“東京のお伊勢さま”であり、伊勢両宮の御祭神:天照皇大神と豊受大神が祀られている。・・・・・・・・・・明治33年(1900)、明治天皇第三皇子:明宮嘉仁親王(後の大正天皇)と九條公爵家令嬢:九條節子(後の貞明皇后)の結婚の儀が宮中に於いて執り行われた。その時の儀式を基本として、当神社にて組織された神宮奉賛会が神前結婚式のスタイルを全国に広めた。“神前結婚式”の誕生地だ! 今は、若い女性のパワースポット!・・・・・・・・ちなみに、わが両親も当神社で式を挙げたそうだ。

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③山口万吉邸・・・・・・・・・・九段高校前に建つ、スペイン瓦の屋敷。大正14年(1925)竣工。設計は内藤多仲、木子七郎、今井兼次の3人。・・・・・・・・・・山口万吉は明治21年(1888)に新潟県で創業した日本石油会社(現:ENEOS)の創業者の一人。・・・・・・・・現在は、人は住んでいないようだ、文化財として保存できないものか?

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④靖国神社大鳥居・・・・・・・・・初代大鳥居は、靖国神社創建50周年記念として、大正10年(1921)に建立された。高さ21mで、当時は鉄板を丸め円筒にする技術が無く、青銅版を丸くして鋲で留め建設した。昭和18年(1943)に老朽化により解体され、仮の鳥居が建てられていた。三代目の現在の大鳥居は、全国約1万7千名の芳志による、浄財1億6千万円で、昭和49年(1974)に再建された。12㎜の耐候性高張力鋼版を使用し、総重量約100トン、柱の内部はコンクリートを充填し、1200年の耐久性を確保した。高さは25mは日本一の規模だ。設計・施工は日本鋼管。・・・・・・・・・昭和14年(1939)のヒット曲「九段の母」の2番 ♪♪  空をつくよな 大鳥居 こんな立派な お社に 神とまつられ もったいなさよ 母は泣けます うれしさに  ♪♪・・・・・・・この歌詞で、“空をつくよな大鳥居”と歌われているが、関東大震災後、九段坂の勾配を緩やかにするため、境内入口を3m程下げ、九段下から上がってくるとまさに見上げることとなり、見た目の大きさが増したようだ!・・・・・・・・・ついでに、二葉百合子が歌う「九段の母」もいいが、私の“お薦め”は鶴田浩二の「九段の母」がいいよ!(どちらもジ~~ンと胸にくる)

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・・・・・・・・・・・写真の鳥居の先に「大村益次郎」の像が写っているよ!判るかな~~。

⑤田安門と几号水準点・・・・・・・・寛永13年(1636)に建設の田安門は国指定重要文化財。・・・・・・・・・江戸城では、“北の丸”と称し、大奥に仕えた女性の隠遁所だったらしい。つまりは、女性の溜り場だ!五月蠅かったと思うよ!・・・・・・・現在は武道館の入り口のようだ!・・・・・・・・・門は九段下から高麗門をくぐり、その右手に櫓門がある、二重構造だ!

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・・・・・・・・・・写真○印のところに、一部削られた几号水準点がある。・・・・・・・・“不”形の下半分が残っている。(釘の頭みたいなものは違うよ!)

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⑥皇居竹橋の几号水準点・・・・・・・・・国立近代美術館の前に、お濠(天守閣?)を望む出っ張りがある。そこには石垣の頂部が顔を出している。その石組みの下、地面すれすれの位置に几号水準点を見ることができる。(“几号水準点”はマイナーなものらしく、どこに行っても案内表示がないので、自分で探すのだ!)

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⑦江戸城天守閣と几号水準点・・・・・・・・皇居東御苑内の江戸城天守閣跡、ここにも几号水準点がある。

・・・・・・・・・・天守閣跡・・・・・・・・・・太田道灌の18代目の子孫:太田資暁氏が会長となり、「江戸城再建を目指す会」が再建運動を始めた! 結果が楽しみだ!

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・・・・・・・・・・几号水準点・・・・・・・・石垣の下で写真を撮っていたら、外人に怪しまれた!

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⑧大手門と几号水準点・・・・・・・

・・・・・・・・・・大手門・・・・・・・・・・・・大手門は田安門と同様、高麗門と櫓門による二重構造だ! 両門ともに、明暦の大火で焼失し再建され、櫓門はさらに戦災で焼失し、昭和42年(1967)に再建された。

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・・・・・・・・・・几号水準点・・・・・・・・守衛さんが居るので、怪しまれずに注意して!

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・・・・・・・・・・皇居には、まだ桜田門にも几号水準点がある。・・・・・・今日は、パス!

⑨その他、皇居東御苑の写真・・・・・・・・・・

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⑩東京駅赤煉瓦駅舎・・・・・・・・・もうチョット、待っててね!

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2012年5月11日 (金)

お茶の水~東京

今日は耳鼻科の受診日、医者に行くついでに散歩した。御茶ノ水駅から東京駅まで、1万1千歩、8km。

お茶の水駅・・・・・・・・・・神田川は、“絵”になる景色だ!

・・・・・・・・・・・お茶の水橋から、上流と下流(聖橋側)を望む

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・・・・・・・・・・聖橋から、上流(お茶の水橋側)を望む

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・・・・・・・・・・お茶の水駅・・・・・・・・3か所の出入り口。新宿寄りから順に、お茶の水橋口、聖橋口、そして出口専用の臨時改札口

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②ニコライ堂の几号水準点・・・・・・・・昨日、鳥越神社の几号水準点を紹介したので、今日は、ニコライ堂(正式名:東京復活大聖堂)と一石橋の几号水準点を見てきた。・・・・・・・・・・あのドーム型のニコライ堂の前に、東京大主教館(日本ハリストス正教会教団 府主教庁)の建物がある。この建物の横側の出入り口階段に几号水準点を見ることができる。・・・・・・・・外壁に吹き付け塗装をしたと思われるため、“不”型の水準点記号が見つけにくいね!

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・・・・・・・・・・・ニコライ堂(聖堂)です

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③ユニークな建物が衣替え!・・・・・・・・・神田司町にある、それぞれファサード屋根がのっている3軒長屋の建物が、衣替えした。外形のユニークさは変わらないものの、外装が変わり“古さ”がなくなった。・・・・・・・・戦前の看板建築とは想像しにくい。

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・・・・・・・・・平成22年(2010)7月撮影

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④一石橋(いっこくばし)・・・・・・・・東京駅八重洲口前を横切る“外堀通り”が、日銀方向へ向かい日本橋川に架かる橋。・・・・・・・・・・現在の橋は、平成12年(2000)に改修し、架け替えられた。・・・・・・・・旧橋は、大正11年(1922)、鉄筋コンクリート、花崗岩張りアーチ橋として架橋された。その親柱が1本だけ残されている。・・・・・・・・・・橋の名の由来は、橋の両岸に「後藤家」があり、後藤(五斗)×2=一石という洒落らしい。いい名だ!

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・・・・・・・・・・・一石橋迷子しらせ石標と几号水準点・・・・・・・・・江戸時代、この辺りは繁華街で迷子が出た場合は、石標に迷子や尋ね人の特徴を書いて貼った。・・・・・・・・その石標の下部に、明治初期に“不”型の几号水準点が彫り足された。

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⑤東京駅八重洲口・・・・・・・東京駅では、丸の内側では駅舎の復元工事を行い、八重洲側では再開発を実施中だ。・・・・・・・八重洲口は駅前広場を挟み、左右に超高層(タワー)が建ち、中央は両タワーを結ぶ歩行者デッキとそれを覆う大屋根が造られる。・・・・・・・・タワーは既に出来、大丸百貨店などが入居している。大屋根の工事が始まった!

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2012年5月10日 (木)

浅草橋~田端

我が家(浅草橋)から、根岸、三河島を抜け、田端駅まで、1万6千歩、12kmの散歩です。

鳥越神社の几号水準点・・・・・・・・・・我が家から歩いて2分の鳥越神社。ここの鳥居に几号(きごう)水準点がある。・・・・・・・・・・“几”の字は、“几帳面”の“几”で“き”と読み、机の意味がある。石碑・鳥居・石垣・欄干などに刻まれ、水準測量に用いた“不”の字に似た記号が、三本足の机に似ているところから“几号水準点”と称した。“不”の字の横棒が標高を示す位置となる。・・・・・・・・内務省では、明治9年(1876)の東京・塩釜間の水準測量(高低を測る)から、この記号を用いた。・・・・・・・・・几号水準点は、明治初期に関東を中心に使用されたが、測量が参謀本部に引き継がれると使用されなくなった。都内には、約30か所(靖国神社愛宕神社など)で現存しているようだ。

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②長屋の路地・・・・・・・・元浅草に残る、木造4軒長屋。建物の中央に路地がある、戦前の建物か?・・・・・・・・・この辺(我が家も含め、浅草近辺)は、昭和30年(1955)頃まで下水道の整備が行われていた。その頃までは、汚水は各戸の便所脇に溜められ、定期的に肥桶を担いだ“汲取り屋”が来ては、処分していたので、どこの家も便所近くに通じる路があった。この路地もそうした通路の名残かな?

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③英信寺・・・・・・・・・下谷2丁目、金杉通りに面する「英信寺」。慶長年間(1596~1615)に現在地に創建された、浄土宗の寺。 ・・・・・・・・・寺には、弘法大師作と伝えられる、“三面大黒天尊”が安置されている。大黒天は福を与え、出世、開運、商売繁昌の御利益があると伝えられ、江戸から明治にかけ、多くの講中の参拝があったそうだ。・・・・・・・大黒さまに手を合わせ、“オンマカ キャラヤー ソワカ”と唱えるらしい。意味不明!何語?

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・・・・・・・・・・境内には金柑が!食べたくなった!

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④鈴木食品工業・・・・・・・・・・根岸3丁目の看板建築。・・・・・・・創業は安政年間(1854~1859)の、食品販売の老舗企業。現在はドレッシング・ソース等製造販売。

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⑤根岸で見つけた、懐かしい~

・・・・・・・・・・路地裏で、防火用水に火鉢!・・・・・・・・・私が10歳頃(昭和30年頃)は、各家々の軒先には、巨大な金魚鉢に転用された“防火用水”と“ゴミ箱”があった。・・・・・・・ゴミ箱は、その後、大きなポリバッケツに変わり、消滅していく。・・・・・・・火鉢の多くも、電気ストーブ、石油ストーブと変わり、植木鉢に転用される運命となる。

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・・・・・・・・・・表通りの元本屋さん・・・・・・・・・・大正9年(1920)に講談社が創刊し、昭和63年(1988)に休刊となった、婦人向けの雑誌「婦人倶楽部」の看板。よく見ると、“女のよろこび.....妻のしあわせ”意味深なキャッチコピーに、3桁の市外局番・・・・・・・時の経過を感じた!・・・・・・・この頃は、「主婦の友」などもあり、1月号の付録は“家計簿”だった。(念のため、私ではなく、母が付録に釣られ買っていた!)・・・・・・・・・ついでに、「サクラカラー」の商標も昭和62年(1987)に「コニカカラー」に変更された。・・・・・・・・すべてが、昭和で止まっている!

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⑥根岸4丁目の元料亭街・・・・・・・・・・今は、料理屋さんが数件・・・・・・?

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⑦旧田端大橋・・・・・・・・・・・昭和10年(1935)に架設された旧田端大橋。この橋は当時の造船技術を生かし、全部溶接で造られた橋だ。主桁の継手には現場溶接も採用した。・・・・・・・昭和62年(1987)、隣りに新田端大橋が架設され、その後は、上部が歩行者専用の歩道橋に改良された。名称も「田端ふれあい橋」となる。・・・・・・・・・「田端ふれあい橋」の橋上には、旧田端大橋の親柱が残されている。・・・・・・・・この橋の主桁部分は、隣の新田端大橋、田端駅駅舎、新幹線高架橋などに囲まれ見にくくなった。今日はホームから橋脚部分(写真:草色の部分)を遠望。

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2012年5月 7日 (月)

穴守稲荷~昭和島

京浜急行羽田線穴守稲荷駅から、一昨日は南を歩いたので、今日は北に向かい、モノレール昭和島駅まで、1万3千歩、10kmの散歩です。

①南前掘(みなみまえぼり)排水場・・・・・・・・・この排水場は、大田区糀谷地域の地盤が低く、満潮の時海水が逆流しないように水門を設け、雨水や生活排水を堀へポンプで排水するために造られたものだ。煉瓦造、平屋建て。建設年不詳(昭和初期頃?)。・・・・・・・羽田の六郷水門と同様の目的で造られたようだ。・・・・・・・排水場は東京都で建設し、昭和16年(1941)より大田区に移管した。その後、下水道の普及により昭和56年(1981)に廃止し、同年に堀も埋立て、堀跡は緑地公園として整備された。

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②北前堀水門・・・・・・・大田区の中心部(蒲田)から東方に海老取川を挟み、羽田空港がある。東糀谷6丁目では、この海老取側に注ぐ2つの堀、「南前掘」と「北前掘」がある。共に、堀として使命は終わっているが、河口には水門(昭和40年頃の建設か?)が残り、船溜まりとして利用されている。

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③羽田可動橋・・・・・・・・・首都高羽田線上り線で、空港側から都心部に入るとき、海老取川河口を羽田トンネルでくぐるが、トンネルに並行して羽田可動橋(はねだかどうきょう)が架けられてる。この可動橋、海老取川を船舶が航行する時には、橋を川筋に対し斜めに回転させ、航路を確保する構造だ。・・・・・・・・可動橋は平成2年(1990)に使用開始され、平成10年(1998)に使用停止となった。利用期間わずか8年だ! 以後は、橋を斜めに回転させたまま、十数年が経過した。・・・・・・・・・利用しないなら壊したらと思うが、首都高では羽田線の交通量が変化し、再度利用することも計画しているらしい?(無駄遣い隠しじゃないか?ほんとかな?)・・・・・・・・・アクション映画だと、崩落した橋の間を、猛スピードで跳び越えるシーンが、よくあるね。ここも、ロケで使用したら面白いかも?

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・・・・・・・・・・・参考にGoogleマップの航空写真(チョイト拝借)

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④呑川水門・・・・・・・・・大森東5丁目の呑川(どんかわ)水門。昭和42年(1967)に完成。・・・・・・・・呑川は、北前掘と同様、昭和57年(1982)に埋め立てられ、川筋は緑地化した。現在は水門から120mほどまでが、残され船溜まりとなってる。

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⑤東糀谷・大森南の町・・・・・・・・・・・電動ノコの音、錆び色、フォークリフトの目玉、クレーンの櫓、ボートのエンジン音・・・・・・・・私好みの情景だ!

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2012年5月 6日 (日)

代々木上原~渋谷

大型連休前半は連日の来客、中頃は連日の雨、後半は娘の転居。 夫婦で外出は、今日が最初で最後。 代々木上原から渋谷まで、1万3千歩、10kmの散歩です。

①古賀政男音楽博物館・・・・・・・・・・代々木上原駅近くに、古賀政男の自宅跡があり、そこには「古賀政男音楽博物館」がある。今日の散歩はここからスタートした。・・・・・・・・・1階はホールとショップ。 2階は、日本の歌謡史を築いた、作曲家・作詞家・歌手の資料が展示されている。 3階は古賀政男の家の一部を再現し、資料・遺品を中心に、生涯を紹介している。・・・・・・・・・ゴールデンウィークなのに、見学者はわが夫婦だけだった。 懐かしいい、見覚えのある、多くの資料を見ていると楽しいもんだ!

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東大駒場リサーチキャンパス・・・・・・・・・・生産技術研究所 、先端科学技術研究センター、国際・産学共同研究センター、駒場オープンラボラトリーなど、研究施設が固まっている。 学生の多い「駒場キャンパス(昔の教養学部)」とは、離れており静かなところだ。・・・・・・・・今日は、キャンパス内を素通りするように歩いてきた。

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③日本民藝館・・・・・・・・・・・・東大駒場リサーチキャンパスの隣に「日本民藝館」がある。昭和11年(1936)完成の本館と昭和10年(1935)完成の西館が中心だ。国の登録有形文化財。

・・・・・・・・・本館・・・・・・・・・民芸品の美を唱えた柳宗悦が中心となり設計した、和風の展示施設。・・・・・・・・・・・本日は、棟方志功の板画作品などを中心とした展示が行われていた。棟方志功の作品は民藝品とも通じ、見ごたえがある。(内部は撮影禁止)

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・・・・・・・・西館・・・・・・・・・西館は旧柳宗悦邸だ。)は、設計は柳宗悦。72歳(昭和36年)で没するまで、宗悦が生活の拠点とした建物。栃木県から移築した。

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④旧前田侯爵邸・・・・・・・・・・・2つの東大駒場キャンパスに挟まれた位置に建つ前田侯爵邸。侯爵邸(旧加賀前田家の第16代当主前田利為(としなり)の邸宅)は洋館と和館の建物があり、広い敷地と建物は「駒場公園」として、都から目黒区に移管している。

・・・・・・・・・洋館(本邸)・・・・・・・昭和4年(1929)の完成。 東京帝大教授:塚本靖と、宮内省技師:高橋貞太郎(学士会館日本橋高島屋などを設計)が設計した、チューダー様式の鉄筋コンクリート、3階建ての建物。・・・・・・・・・外部はスクラッチタイルを貼り、内部はイタリア産の大理石、イギリス製家具などで飾られた、豪華な建物だ!

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・・・・・・・・・和館(迎賓館)・・・・・・・昭和5年(1930)完成の純和風建築。 前田家では、普段はこの建物を使用せず、節句や、茶会などで使用した。

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⑤駒場のクレマチス・・・・・・・・・・・・花言葉は“精神的な美しさ、旅人の喜び”。私のことかも(?)

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・・・・・・・・・・・家内と歩くと、散歩の後は、食事と買い物・・・・・・・・・・以下省略

2012年5月 5日 (土)

羽田

5月に入り、連日の雨、今日は晴れた! 京急穴守稲荷駅から、雑色(ぞうしき)駅まで、多摩川沿いを、1万3千歩、10kmの散歩。

①穴守稲荷・・・・・・・・・文化元年(1804)、現在の羽田空港内に位置する新田開墾では、海が荒れ堤防が決壊し、甚大な被害を受けた。村民は堤防の上に祠を勧請し、稲荷大神を祀り、海を静め、五穀豊穣した。これが神社の起こりだ。・・・・・・・・明治の頃、門前には温泉旅館や芸者置屋などもあり、おおいに賑わったそうだ。この繁栄に目をつけ、京浜急行電鉄は京急蒲田から穴守稲荷神社に向け、京急の支線を伸ばした。現:京急空港線の始まりだ。・・・・・・・・終戦直後、米軍の羽田空港拡張により、空港内の鎮座地から現在地に移らされた。その際、大鳥居は移らず空港内に残ったが、平成11年(1999)には空港脇の弁天橋際に移った。・・・・・・・・伏見・豊川・笠間などの稲荷神社と比べると、スケールが小さく、門前町も無く、ゴク普通の神社だ!

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②白魚稲荷神社・・・・・・・・・地元、羽田の漁師が、漁で得た白魚を奉納する慣わしにちなみ、白魚稲荷神社と称している。創建年代は不詳。・・・・・・・・・駐車場の中央に社殿だけが建っているような神社。

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③弁天橋と大鳥居・・・・・・・・海老取川が多摩川に合流する地点に架かる橋。写真の右側が羽田の町、左側が羽田空港、橋の際に見える鳥居が穴守稲荷神社の「大鳥居」。

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・・・・・・・・・・大鳥居だけが立つ。鯉のぼりがチョイト賑わいを!

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④旧煉瓦堤防・・・・・・・・多摩川左岸(東京都側)に沿い、大正7年(1918)から行われた河川改修工事による、洪水を防ぐ目的で築かれた煉瓦造の堤防が残っている。・・・・・・・・・現在は煉瓦堤防の外側に、さらに高い堤防が造られ、その役目を終えた。・・・・・・・・煉瓦堤防内側の道路に沿い、低い塀のように続いている。

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⑤多摩川・・・・・・・・・・・・・

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⑥六郷水門・・・・・・・・・・・多摩川下流の六郷町では、雨水・汚水は多摩川に自然排水していたが、大雨時には排水できなかった。そこで、地元では国・東京府の支援を受け、大雨時の下水対策に自前で造った六郷水門を昭和6年(1931)に完成させた。・・・・・・・・昭和47年(1972)、ポンプの圧力で強制排水できるようになり、役目は終わる。・・・・・・・・・水門に架かる橋の高欄には、“郷”の字を、9個の“口”の字がかこむ六郷町の町章がデザインされている。水門内の船だまりには、煉瓦のポンプ場も残っている。かつて“雑色運河”とよばれた頃の雰囲気が残されているようだ!

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・・・・・・・・・・・近くの公衆便所・・・・・・・・水門のデザインだ! 訪れた人も、自分の“水門”を開ける、ニクイ演出?

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