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2012年6月22日 (金)

明神と天神

午後3時に雨もあがり、秋葉原の耳鼻科に行く。ついでに散歩で、神田明神、湯島天神をまわって我が家まで、1万歩、7kmです。

①神田明神・・・・・・・・・もうすぐ、“夏越の大祓(なごしのおおはらえ)”だ!・・・・・・・・全国の神社では、6月の晦日に、犯した罪や穢れを除き去る除災のための、祓えの行事が行われる。夏越の祓えでは“茅の輪(ちのわ)”が作られ、ここを8の字にくぐると穢れが祓われるそうだ。・・・・・・・・・私も8の字にくぐり、入念に穢れを祓ってきた。まだ、穢れているかも?

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・・・・・・・・・・神田明神の社殿は、鉄筋コンクリート造で昭和9年(1934)に建てられ、国の登録有形文化財に指定されている。

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・・・・・・・・・・大祓の話のついでに・・・・・・・大祓でお祓いの済んだ形代(かたしろ=人形)を川に流し心身を清める行事もある。我が家では、近くの浅草橋の神社に家族の名を記した形代を託し、大祓の日に隅田川に流してもらっている。 これでも、穢れているのは、なぜなんだ!

・・・・・・・・・・神田明神と言えば、“銭形平次”。・・・・・・・・舟木一夫が歌う ♪♪ 男だったら 一つにかける かけてもつれた 謎をとく 誰がよんだか 誰がよんだか 銭形平次 花のお江戸は 八百八町 今日も決めての 今日も決めての 銭がとぶ~ ♪♪・・・・・・・平時の記念碑(右端の灯籠前の小さな石は八五郎の碑)

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②遠藤家旧店舗・・・・・・・・・神田明神隣の宮本公園に移築されている、遠藤家(屋号『井政』)旧店舗と住宅主屋。遠藤家は、江戸時代以降の材木商で、店舗・住宅は昭和2年(1927)に鎌倉河岸(現:内神田1丁目)に建てられた。昭和48年(1973)に開発に伴う建替えで、府中に移築し、さらに平成20年(2008)現在地に移築された。・・・・・・・・・小さな商家だが、当時の東京には、この規模の建物が多かった。・・・・・・・・・今も、誰か、住んでいるような親しみある空気が漂っている!

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③清水坂(しみずざか)・・・・・・・・江戸時代、このあたりに霊山寺という寺があった。この寺の敷地はかなり広かったが、明暦3年(1657)の大火で寺は移転した。明治時代には、寺の敷地は「清水精機会社」の所有となり、大正時代に会社は湯島天神とお茶の水を結ぶこの坂を町に提供した。・・・・・・・・町民は清水家の徳を讃え、「清水坂」と命名し、坂に石柱を建てた。・・・・・・・・歩道に残る石柱の裏には「大正十三年一月」と彫られている。

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④妻恋神社・・・・・・・・・清水坂の中程近くにある、創建年代不詳の妻恋神社。日本武尊が東征のおり、東京湾で暴風雨に遭遇した、尊の妃である弟橘媛が身を海に投げて鎮め、尊の一行を救った。その後、尊が湯島の地に滞在したおり、尊の妃を慕われる心をあわれみ尊と妃を祀った。これが神社の起こりらしい。・・・・・・・・・湯島のラブホテル街に神社はあるので、関連があるのか? それにしても、いい名前の神社だね!

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⑤湯島の路地・・・・・・・・・湯島2丁目の路地。路地の奥には“成田光房”と称する写真家:成田秀彦のアトリエがある。内部には氏の写真が展示されていたので、チョイト拝見。

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⑥湯島天神・・・・・・・・・こちらも、大祓で茅の輪が作られていた。

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・・・・・・・・・・湯島天神の几号水準点・・・・・・・・上の写真の鳥居に彫られている几号水準点。

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