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2012年7月

2012年7月31日 (火)

西日暮里~上野

連日の猛暑に負けぬよう、たまには、日中の散歩もしよう! 西日暮里駅から上野駅まで、山手線の西側の通称「諏訪台通り」に沿い、歩いてきた。1万1千歩、8kmの散歩です。

①道灌山通り・・・・・・・・・・・上野から王子の飛鳥山にかけ、JRの線路際に台地が続いている。西日暮里駅ホームから見下ろすと、「道灌山通り」が台地を切り開いて通っている。北側(写真右側)が開成学園のある「道灌山」、南側(写真左側)が「諏訪台(すわだい)」と呼ばれ、一帯は寺町として多くの寺院が在る。

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・・・・・・・・・・・・・ホーム下の坂道が「諏訪台通り」のスタート

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②諏方神社(すわじんじゃ)・・・・・・・・・・・・・社名の「諏方」は間違いではなく、古来の表記だ。現在は「諏訪」と表記する神社が圧倒的で、「諏方」と記す神社は数社だけらしい。・・・・・・・・・・元享2年(1323)の創立で、信濃の諏訪大社から御神体を勧請したのが始まり。・・・・・・・・・・明治には、日暮里・谷中の総鎮守として祀られたが、昭和20年(1945)戦災を受け、昭和27年(1952)に復興した。・・・・・・・・・♪♪ 村の鎮守の神様の 今日はめでたい御祭日 ドンドンヒャララ ドンヒャララ ドンドンヒャララ ドンヒャララ 朝から聞こえる笛太鼓 ♪♪と、歌いたくなる雰囲気の神社だ! 高台に在り見晴もよく、まさに、鎮守さま! 

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・・・・・・・・・・神社の境内から、JRに下をくぐり、西日暮里駅の東側に通じる坂道がある。境内から下る両側の石積みは、大正天皇即位の記念として大正4年(1915)に積まれたらしい。

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③浄光寺・・・・・・・・・・・諏方神社の隣に、真言宗豊山派の浄光寺がある。もと諏方神社の別当寺で、境内からの雪見が有名となって、別名:雪見寺と呼ばれていた。・・・・・・・・・境内には元禄4年(1691)に造られた地蔵菩薩像、文化6年(1809)に再建した地蔵菩薩立像がある。・・・・・・・・・・・地蔵菩薩像は、“東都歳時記による江戸六地蔵”(深川の地蔵坊正元発願の江戸六地蔵とは別)の三番目として知られており、一番は駒込の瑞泰寺、二番は千駄木の専念寺、三番は浄光寺、四番は下谷の心行寺、五番は上野大仏堂のうち、六番は浅草寺の正智院に安置された。現存するのは、専念寺と浄光寺だけ。

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④富士見坂・・・・・・・・・・都内各所に現存する「富士見坂」で、実際に富士山が見える唯一の「富士見坂」。・・・・・・・・・街路灯の富士山は見えたけど、本物は見えなかった!

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⑤長屋・・・・・・・・西日暮里に建つ木造の長屋。・・・・・・・“落語”の匂いがするね!

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⑥養福寺・・・・・・・・・・・・・・真言宗豊山派の養福寺は、創建の年代不詳だが、江戸時代から多くの文人が訪れていた。・・・・・・・・宝永年問(1704-1711)建立と伝えられている仁王門は、戦災での焼失を免れて、江戸時代の木造建造物として残っている。

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⑦経王寺・・・・・・・・・明暦元年(1655)創建の日蓮宗の寺。・・・・・・・・・慶応4年(1868)の上野戦争に敗れた彰義隊士がここへ隠れたため、新政府の攻撃を受けた。天保7年(1836)に建立した山門には銃撃を受けた弾痕が今も残っている。・・・・・・・・けっこう大きな弾痕で、こんな穴を身体に開けられたら、輸血の針孔では小さすぎるね! 直に、弾痕の穴から輸血しないと間に合わないようだ!

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⑧初音小路・・・・・・・・・・日暮里駅に近い台東区谷中7丁目の飲み屋小路。・・・・・・・・・・・・15軒程の飲み屋が小路の左右に並び、路の上には木製のアーケードが覆う。立石の「呑んべ横丁」に似た雰囲気だ。

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⑨錻力店吉川・大沢銅壺店・・・・・・・・・・玄関のガラスに書かれた“錻力店”、読めるかな?・・・・・・・“ブリキ店”だ。雨どい、屋根貼りなど、ブリキを加工して取り付ける商売。まだ、残っていたとは、、、、ビックリ!

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・・・・・・・・・・・・錻力店吉川の左隣は、「大沢銅壺店」だったようだ。・・・・・・・・・銅壷(どうこ)とは、かまどの側壁に取り付けたり、長火鉢の灰の中に埋めたりして、火気によって湯が沸くようにしたもの。

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⑩観音寺築地塀・・・・・・・・・・谷中の観音寺は明和9年(1772)の火災で焼失し、文政年間頃に再興された。・・・・・・・・・・・築地塀は境内の南側に長さ37.6mにおよび造られている。瓦と粘土を交互に積み重ねた練り塀で、途中に潜り戸一所が備えられている。国指定有形文化財。・・・・・・・・・時代劇のワンカット!

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⑪M邸・・・・・・・・・昭和初期の建物と思われる、木造1階建て、急勾配の切妻屋根が特徴的な、上野桜木の邸宅。

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2012年7月28日 (土)

隅田川花火大会

かつての「両国の花火大会」が、「隅田川花火大会」に変わったが、花火大会を待つ気持ちは変わらず。今年も、その日が来ました。・・・・・・・「隅田川花火大会」の第一会場は浅草寺の東側“桜橋”付近、第二会場は下流の“駒形橋”と“厩橋”の間だ。我が家はさらに下流の“蔵前橋”と“両国橋”の中間、毎年花火見物は“両国橋”と決めている。・・・・・・・理由は簡単、交通規制も緩く、比較的ゆっくり見物でき、我が家から徒歩10分だ。チョイト距離があり、迫力に欠けるのが難点だが、浴衣姿の女の娘も多く、こちらも比較的ゆっくり見物できる。

今年は時間に余裕もあり、夫婦で我が家と両国駅の間を、行ったり来たり・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・打ち上げ前の両国駅前・・・・・・・・・

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・・・・・・・・・・道路で花火見物の酒宴

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・・・・・・・・・・隅田川は既に屋形船が勢揃い

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・・・・・・・・・・打ち上げがはじまった!

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・・・・・・・・・・橋の上からゆっくり見物!

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・・・・・・・・・・・浜町岸には多くの警備艇も待機中

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・・・・・・・・・・見物後は、柳橋を渡って帰る

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・・・・・・・・・・浅草橋駅前は久しぶりの賑わい? 皆様ご帰宅で~~す

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2012年7月27日 (金)

四ツ谷~東京

猛暑・酷暑・激暑・極暑・炎暑・大暑・・・・ヨイショ・コラショ・ドッコイショ・・・・あつ~~い。 日中の散歩は、熱中症が怖いので、お休み。夕涼みの散歩で、四ツ谷駅から赤坂に出て皇居をとおり東京駅まで歩いてきた。 万歩計を忘れ、計測不能。

①夕暮れの迎賓館・・・・・・・・お雇い外国人建築家ジョサイア・コンドルの弟子にあたる片山東熊の設計により、明治42年(1909)、東宮御所として建設された。・・・・・・・・国宝だ!

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②赤坂・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・弁慶堀・・・・・・・・

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・・・・・・・・・・・赤坂交差点・・・・・・・

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・・・・・・・・・・・・・今年1月に竣工した、30階建ての「AKASAKA K-TOWER」・・・・・・・

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・・・・・・・・・・一ツ木通り・・・・・・

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③山王日枝神社・・・・・・・・赤坂の表通りを見下ろす高台に建つ、夜の日枝神社。参拝に来る人もなく、静かだ!・・・・・・・・日中の神社はこちら。

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④国会議事堂・・・・・・・・節電のためライトアップは中止、暗闇の中で厳重警戒中。徹夜の警備、ご苦労様です。・・・・・・・昭和11年(1936)竣工。・・・・・・・・・議事堂前には“原発反対”の陳情団が!

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⑤皇居桜田濠・・・・・・・・・警視庁前だ!・・・・・・・・市民ランナーが活躍中。

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⑥丸の内・・・・・・・・・・・

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明治生命館・・・・・・・・・・昭和9年(1934)竣工、設計は黒田記念館・歌舞伎座などを手掛けた岡田信一郎、鉄骨鉄筋コンクリート造、地上8階・地下2階建て、コリント式の列柱が並び業容に合わせた重厚で安心感を与える建物だ。国の重要文化財。・・・・・・・・・彫りの深いデザインで、ライトアップすると一層美しく見える。

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⑧JPタワー・・・・・・・・旧東京中央郵便局を建て替えた「JPタワー」が、今年5月31日に竣工した。地上38階建ての高層棟と旧中央郵便局の外観を保存した低層等から構成されてる。・・・・・・・・・10日前の7月17日から中央郵便局の業務も開始された。・・・・・・・・さすがに、できたてのホヤホヤの建物で綺麗だ!

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⑨東京駅・・・・・・・・・まだ工事中!

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2012年7月25日 (水)

永代橋・旧商船大

浅草線日本橋駅から、永代橋、旧商船大をまわり、東西線門前仲町駅まで、1万6千歩、11Kmの散歩です。

①第二井上ビル・・・・・・・・・日本橋茅場町の霊岸橋の際に建つ、昭和2年(1927)竣工の昭和レトロなビルだ。・・・・・・・・・現在は複数のギャラリーなどが入居しているが、昭和27年にはセーラー万年筆は本社をこのビルに移したそうだ。・・・・・・・・正面外観は柱型が屋根まで伸び、柱型の間の屋根には緑の洋風瓦が張られている。1階の石張りもいいね!

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②霊岸橋(れいがんばし)・・・・・・・・・日本橋茅場町と新川地区(江戸時代には霊巌島と呼ばれていた)を結ぶ橋。現在は永代通りの橋で、下を亀島川(霊岸川)が流れる。・・・・・・・・・橋は、江戸初期の寛永年間(1624-1643)に初めて架けられ、現在の橋は昭和60年(1985)に架け替えられた。

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③豊海橋(とよみばし)・・・・・・・・・・“お江戸日本橋”の下を流れる日本橋川にかかる橋で、隅田川に合流する位置に架けられている。IBM本社がある中央区日本橋箱崎町と、元山一証券があった中央区新川を結ぶ、昭和2年(1927)竣工の震災復興橋。・・・・・・・・・幅のある鋼材で組まれ、大きな窓が並んでいるような構造は、フィーレンディール橋と呼ばれ、重量感、安定感を感じる。日本では事例の少ない構造形式の橋で、中央区では土木遺産として維持・保存している。

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・・・・・・・・・・・・元山一證券本社ビルを背にした豊海橋・・・・・・・・平成9年(1997)、山一證券の経営破たんは衝撃的だった。私には、完全にバブルの時代は終わった!

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・・・・・・・・・・・隅田川対岸から望むIBM箱崎ビル

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④永代橋・・・・・・・元禄15年(1702)、赤穂浪士が吉良上野介の首を揚げて、本所松坂町の吉良邸から、泉岳寺へ向かう際に渡った橋が永代橋だ。・・・・・・・・・・関東大震災後には、復興橋の第一号として大正15年(1926)にアーチ橋として竣工した。田中豊の原案で、竹中喜忠が設計し、神戸川崎造船所が橋桁を製作し、間組が工事用足場を組んだ。・・・・・・・・・・勝鬨橋清洲橋と共に、国の重要文化財だ。

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・・・・・・・・・・・・・永代橋から佃島を望む

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⑤東京海洋大学海洋工学部・・・・・・・・・・ご存じ?越中島の旧東京商船大学だ! “海の男”の育成と、昭和初期の建築にふれてきた。・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・正門・守衛所・・・・・・・・スクラッチタイル貼りの古そうな建物だ。

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・・・・・・・・・東京商船大学1号館・・・・・・・・・・関東大震災後の昭和7年(1932)に再建された鉄筋コンクリート造3階建ての「東京高等商船学校本館」(建設時の呼称)。・・・・・・・・・・外壁はスクラッチタイル貼りで、屋上に校章が飾られている正面に、半円形の大アーチの車寄せ玄関が特徴的だ。内部は簡素な学校建築。国の登録文化財。・・・・・・・・内部が薄暗いのは、只今節電中の為、あしからず!・・・・・・・・本日は授業中の教室もあり、静かに拝見。

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・・・・・・・・・東京商船大学2号館・・・・・・・・・・東京商船大学は「東京高等商船学校」と隣の「水産講習所」の敷地から成り、2号館は昭和8年(1933)に水産講習所本館として再建された建物だ。左右対称型のスクラッチタイル貼りの簡素な外観で、正面中央に4本の柱型を強調したデザインだ。こちらも国の登録文化財。・・・・・・・現在は「越中島会館」として、学生会館のように使用されている。

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・・・・・・・・・東京商船大学事務管理棟・・・・・・・・・・1号館と同時に、昭和7年(1932)、図書館として再建された。こちらもスクラッチタイル貼りの外観で、船をイメージしたデザインらしい。国の登録文化財・・・・・・・・・現在は「先端技術研究センター」として使用している。

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・・・・・・・・・東京商船大学旧天体観測所(第一観測台)・・・・・・・・・・構内に建つ、明治36年(1903)竣工の、煉瓦造、2階建の観測台で、経緯儀室または赤道儀室が置かれた。一階は八角、二階は円形の平面の観測台。国の登録文化財。・・・・・・・・・・・・日本に現存する一番古い天文台だ。商船学校航海科学生の天文観測実習用施設である。今ならGPSで簡単に知ることができる位置観測を、当時は天体で知ったロマンチックな時代だ!

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・・・・・・・・・東京商船大学旧天体観測所(第二観測台)・・・・・・・・・・第一観測台と同じ年に建てられた、煉瓦造、平屋建の小規模な観測台。子午儀室が置かれた。国の登録文化財。

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・・・・・・・・・明治丸・・・・・・・・・・東京商船大学構内に保存されている、日本に現存する最古の帆船で、明治7年(1874)にイギリスで建造された。当初は灯台巡視船として使用され、明治30年(1897)に商船学校に練習船として貸与された。・・・・・・・・現在は、国の重要文化財として、“陸上勤務”に務めている。

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・・・・・・・・・・・職員会館・・・・・・・・明治丸の脇に建つ、年代不詳の建物。

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・・・・・・・・・・・百周年記念資料館・・・・・・・・・明治8年(1875)の開校から、昭和50年で100周年となり、記念して造られた、2階建ての資料館。 内部はお宝イッパイ。

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2012年7月23日 (月)

新小岩~船堀

総武線新小岩駅から、都営新宿線船堀駅まで、1万5千歩、11Kmの散歩です。

①新小岩駅・・・・・・・・・昭和3年(1928)に開業、快速電車も停まり、一日7万人が乗車する主要駅。・・・・・・・・・・・小岩駅の住所は江戸川区、新小岩駅の住所は葛飾区、江戸川区役所の最寄駅は新小岩駅、、、、、、ややっこしいですね!

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②朝の駅前商店街・・・・・・・・・シャッターの下りた商店街は、通勤・通学の人ばかり。

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③緑の小路・・・・・・・・・・・駅前商店街を過ぎると、何度か出くわす、緑豊かな幅2m程の真直ぐのびる小路。・・・・・・・・・戦前は一帯が田圃だった、高度成長期に宅地化し、住宅の裏側に用水路が作られ、さらに暗渠化しその上に小路が造られた。・・・・・・・・・この手の路地は生活用品の置き場と化し、汚くなることが多い。・・・・・・・・・・・さすが、江戸川区!何時来ても綺麗に清掃されている。

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④小松川境川親水公園・・・・・・・・・・昭和57年(1982)から昭和61年(1986)まで、順次完成し開園してきた歴史ある親水公園。全長3.5km。・・・・・・・・完成し30年経過したが、できたてのホヤホヤの公園のように、手入れされ、散策する人も気持ちよさそうだ!公園を流れる川にゴミが無い!

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・・・・・・・・・・境川橋・・・・・・・千葉街道と公園の交差部に、「境川橋」が架かっている。現在は橋の下に親水公園がもぐる形で整備されている。・・・・・・・古そうな橋だ!調べてみたが架橋年代不明。

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⑤椎橋湯・・・・・・・・・首都高7号線小松川入口近くに、チョイト見慣れない形式の建物があった。・・・・・・・・・正方形に近い箱型の、2階建て鉄筋コンクリート造で、後ろに大きな煙突をつけた建物だ。遠くから見たら、“お、風呂や”と思い、玄関前に建つとシャッターが下り、店名・住所など一切の貼り紙・看板・注意書きが無い!右隣りには墓地があり。これはお寺かと思い建物を、グルリと回ってみたが正体不明。 イスラム寺院か? 火葬場か? このまま素通りすると、今夜、眠れなくなるので、ご近所の人に聞いてみた。・・・・・・・・やはり、「しいばしゆ」と称する銭湯だった。“椎橋”はオーナーの名字らしい。・・・・・・・・それにしても、東京では珍しい造りの銭湯だ! 2階前面のガラスブロックが、昭和の雰囲気を醸し出していた。

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⑥永福寺・・・・・・・・東小松川2丁目に在る、真言宗豊山派で、阿弥陀如来を本尊とする無量山光明院永福寺。開基年月不詳だが、開山した宥賢上人は永禄11年(1568)に没した。・・・・・・・・・・鎌倉の寺のようなアプローチの雰囲気が、いいね~~!

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⑦東小松川の夏の花・・・・・・・・・・・・・・

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2012年7月22日 (日)

銀座・浅草

家族で昼から銀座へ買い物に、夜は浅草へ食事に、トータル1万5千歩、10kmの歩きだが、間違いなくダイエットの効果は期待できない。

銀座では、妻と娘が買い物中に、私は一人で寂しく銀ブラ!・・・・・・・

①旧日本酸素本社・・・・・・・・・銀座松屋裏に建つ、昭和2年(1927)竣工、清水組施工の鉄筋コンクリート4階建てのビル。現在は松屋デパートの東別館として、事務所として利用されている。・・・・・・・・・少なくとも外部の改装は行われていないようで、コンクリートの剥離事故の無いようにネットで覆われている。・・・・・・・・・・チョイト、小奇麗に化粧をし直し、イタリアンか、フレンチレストランにでもして保存してもらいたいね!

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②銀座場外馬券売り場・・・・・・・・いまは、「ウインズ銀座」と呼ばれる、かつての場外馬券売り場。20年ぶりくらいで中に入ってみた。ビックリ、窓口の“おばさん”がいない! あるのは、TVモニターと自販機と警備員。・・・・・・・・私のような浦島太郎には、チョイト買い難い窓口だ!

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③ヨネイビルディング・・・・・・・・・銀座2丁目の旧米井商店本社ビル。昭和5年(1930)竣工、こちらも清水組の施工、鉄骨鉄筋コンクリート造6階建て。・・・・・・・1階の玄関、窓には、床屋のシンボルに似た中世ロマネスク風の螺旋模様付の柱と、上部の半円アーチに特徴がある。

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④電車のレール・・・・・・・・・・銀座6丁目の黒沢ビル北側の外壁に、電車のレールがモニュメントとして保存されている。・・・・・・・・現在の黒沢ビルは昭和55年(1980)に建てられたが、今は無き以前の建物は明治45年(1912)に建てられた。その時基礎工事の補強材として使用されたレールが、プレートの嵌め込まれ残されている。・・・・・・・・ビルのオーナーの心遣い、いいね!・・・・・・・・・都電の敷石とともに“銀座の鉄道遺産”だ!

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夕方からは浅草へ・・・・・・・・・・

⑤無限堂・・・・・・・・・・大正12年(1923)竣工と思われる、鉄筋コンクリート3階建ての旧安井商店ビル。

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⑥おなじみの浅草寺・・・・・・・・・・午後7時以降はお寺も閉門、仲見世商店街は閉店だ。

・・・・・・・・・・宝蔵門

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・・・・・・・・・本堂

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・・・・・・・・・・・・五重塔

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・・・・・・・・・・・・雷門

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2012年7月20日 (金)

中野~野方

中央線中野の警察病院で検診を受け、西武新宿線野方駅まで歩いてきた。1万1千歩、8km。

①中野サンプラザ・・・・・・・・・中野駅前にある、大小二つの三角形を組み合わせたようなビル。・・・・・・・・昭和48年(1973)に、旧労働省の外郭団体「 雇用促進事業団」により、勤労者の福祉施設として、正式名称「全国勤労青少年会館」として建設された。・・・・・・・・地上21階・地下2階、高さ92m・・・・・・・・・平成16年(2004)に“官”から“民”に営業が移り、「中野サンプラザ」として、複合文化施設(コンサート会場、ホテル、結婚式場、スポーツ施設など)の運営が行われている。・・・・・・・・平成30年(2018)には、隣接する中野区役所と一体で再開発の計画があり、取り壊される予定だ。中野のランドマークが消える!

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②NTTドコモ中野ビル・・・・・・・・・中野のランドマークをもう一つ。黒いビル、そっけないビル、味気ないビル。・・・・・・・・昭和51年(1976)竣工、地上18階、高さ115m。・・・・・・・電電公社時代の都市型高層局舎だ。・・・・・・・・私は中に入ったことはないが話では、内部は大型コンピュータ、中継機、交換機、アンテナなどが設置され、事務所スペース、社員食堂などもあるそうだ。・・・・・・・・・このビルの建設時に、私はゼネコンに勤務していた。当時の会社仲間がこのビルの建設JⅤに参加し、飲み会で高層ビル建設技術を語っていたことを思い出す。

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③中野警察学校跡地・・・・・・・・JR中央線の北側(現:中野4丁目)に、平成13年(2001)まで警察学校(戦時中は、陸軍中野学校)があった。学校が移転し、約14ha程の広大なその跡地の再利用が進んでいる。・・・・・・・・中央に「四季の森公園」(今年3月開園)を配し、西側は、既設の警察病院の他、明治大・帝京平成大は来年開校、早稲田大は再来年開校を予定している。公園の南側には21階建ての商業ビル「中野セントラルパーク」ビルが5月にオープンした。東側は中野区役所とサンプラザの取り壊し後、一体開発が予定されている。・・・・・・・・・・市川雷蔵が主演したスパイ映画『陸軍中野学校』をイメージする、この学校跡地の広さに改めてビックリ!

・・・・・・・・・・・・四季の森公園・・・・・・・サルスベリの咲く公園

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・・・・・・・・・・・・中野セントラルパーク・・・・・・・・・

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・・・・・・・・・・・・帝京平成大(右)と明治大(左)・・・・・・・・・

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・・・・・・・・・・・・・東京警察病院・・・・・・・・・病院が飯田橋に在ったころより、私を診てくれるありがたい病院だ!

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④A邸・・・・・・・・・・中野区新井、昭和13年(1938)築の木造2階建て住宅。・・・・・・・・・手入れが良く、古さを感じさせない住宅だ!

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⑤公団野方団地・・・・・・・・中野区野方5に建つ公団住宅。団地の規模は、スター型2棟、フラット型3棟から成る、総戸数100戸弱の小規模なものだ。昭和34年(1959)から入居が開始され、すでに50年以上経過した“歴史ある団地”。・・・・・・・・・今や珍しくなったスターハウス(星形平面形状の住宅)が残っているが、どうも半分以上は空き家のようだ。・・・・・・・・・全面建替え計画もあるようだ、住んでいる人には申し訳ないが、このまま戦後の公団住宅のモデルとして後世に残せないものか?・・・・・・・・・・・団地の敷地に大きな石灯籠がある。ここは、明治の元勲山本権兵衛の別荘跡だったらしい。石灯籠はその時の名残だ!

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⑥野方駅・・・・・・・・・・昭和2年(1927)開業、西武新宿線の駅。

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2012年7月19日 (木)

上野

私用で台東区役所(上野駅前)に行き、ついでに散歩で鶯谷まで、1万歩、7kmです。

①台東区役所・・・・・・・・・・地上10階建、昭和48年(1973)竣工の庁舎。築後約40年経過し、ただいま外壁・設備関連の改修工事が順次行われている。・・・・・・・外装の改修工事が終わり、汚れの落ちた美しい外観は、久米設計が手掛けた当初のデザインが再現された。

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②O邸・・・・・・・・・台東区役所裏にポツリと建つ、銅板建築の民家。・・・・・・・・おそらく昭和初期の建物だろう、2階の窓の形も洒落ているね。全面銅板で黒い建物だが、貼ったときは銅色で金閣寺みたいなものだ!

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③輪王寺両大師堂・・・・・・・・・国立博物館の西隣りの寺。正保元年(1644)、寛永寺を開山した天海僧正像を安置する堂として建立された。天海僧正の号は慈眼(じげん)大師で、堂は「開山堂」また「慈眼堂」と称した。その後、天海僧正が尊敬した高僧慈恵(じえ)大師の像も安置したため、「両大師」と呼ばれるようになった。・・・・・・・・開山堂は平成元年(1989)に火災で焼失し、現在の本堂は平成5年(1993)に再建された。新しい堂だが、厄除けには御利益がありそうなので、賽銭も奮発してきた!・・・・・・・本堂前には大賀蓮が開花。

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④黒田記念館・・・・・・・・・・日本近代洋画の父:黒田清輝は、大正13年(1924)に没し、遺産の一部を美術の奨励に役立てるよう遺言した。これをうけ、昭和3年(1928)に竣工したのが黒田記念館。・・・・・・・・・・設計は岡田信一郎、施工は竹中工務店による鉄筋コンクリート造2階建ての建物だ。建物は竣工時から、美術研究所(現:東京文化財研究所)として利用されていたが、平成19年(2007)から国立博物館に移管され、黒田清輝の作品が一般公開されている。(ただし、現在は耐震工事で休館)・・・・・・・・・最近建てられたような新しさを感じる、重厚な建物だ!

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⑤東京藝術大学音楽学部・・・・・・・・・・藝大のキャンパスも増え、上野キャンパスのほかに千住キャンパス、横浜キャンパス、取手キャンパスなどがある。今日は、上野キャンパスの音楽学部を見てきた。

・・・・・・・・・・・・正門、守衛所

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・・・・・・・・・赤レンガ1号館・・・・・・・・・明治13年(1880)竣工、設計は林忠恕。この建物は明治10年(1877)に上野に創設された教育博物館の書籍閲覧所書籍庫であった。書籍庫として耐火を重視したのか、全ての開口部に鉄扉が付けれれている。・・・・・・・・都内最古の煉瓦建築。

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・・・・・・・・・赤レンガ2号館・・・・・・・・・1号館に隣り合わせで建つ赤レンガ2号館。こちらは明治19年(1886)の竣工、設計は小島憲之、地上2階建だが3層構造になっている。・・・・・・・・・この建物は旧東京図書館書籍閲覧所の書庫であった。・・・・・・・・緑の中に赤レンガ、、、、、いいね~~

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・・・・・・・・・・奏楽堂・・・・・・・・・平成10年(1998)に完成した、高さ27m、 地下2階・地上5階建てのコンサートホール。・・・・・・・・・旧奏楽堂は昭和59年(1984)に解体され、上野公園内に移築・保存されている。

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・・・・・・・・・・CHOPINの像

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⑥S邸・・・・・・・・・・大正10年(1921)に建てられた、上野桜木の和洋折衷の住宅。左側の洋館部分のコーナーに飾りが見える。

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⑦京成電鉄の遺構と隧道・・・・・・・・・

・・・・・・・・・旧博物館動物園駅・・・・・・・・昭和8年(1933)に開業した京成電鉄の博物館動物園駅の跡。平成9年(1997)3月末に営業を止めたが、鉄筋コンクリート平屋の駅舎とホームは現存する。

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・・・・・・・・・旧寛永寺坂駅・・・・・・・・旧博物館動物園駅と同じ、昭和8年京成の上野線開通に合わせ開設された地下駅だ。開設後、わずか10年後の昭和18年(1943)には閉鎖された。・・・・・・・・・現在駅舎の跡は倉庫会社が借りて使用している。チョイト、内部を拝見させてもらった。建物は平屋で当時まま現在も使用され、外観は、地方のローカル駅と言う感じだ。

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・・・・・・・・・・・倉庫として使用されている奥に、かつて地下ホームに下る階段があった。もちろん、現在は途中で封鎖されている。 壁に残る斜めの階段の腰。

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・・・・・・・・・・・内部の間仕切り、開口部も、当時のまま現存していた! 感激!!

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・・・・・・・・・・・上野トンネル・・・・・・日暮里駅を出た京成電車は、上野方向に高架橋をとおり、R160の右カーブで常磐線、東北本線、京浜東北線、山手線を越え上野公園の下にもぐっていく。これが上野トンネルで、昭和8年(1933)の開通である。・・・・・・・トンネルには「東臺門(とうだいもん)」(=東叡山寛永寺の臺地、という意味)の扁額が掲げられている。

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⑧寛永寺・・・・・・・・・元禄11年(1698)上野公園に建立された根本中堂は、慶応4年(1868)彰義隊の戦争で焼失した。現在の根本中堂は、明治12年(1879)に川越喜多院の本地堂を現在地に移築し再建したものだ。

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・・・・・・・・・・寛永寺境内の「寛永寺幼稚園」・・・・・・・・・・玄関庇部分に、旧字体のロゴで園名が標され、庇を支える円柱と鐘には懐かしさを感じる。大正12年(1923)の木造平屋建て建築。

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⑨寛永寺橋・・・・・・・・昭和3年(1928)竣工、言問通りが鶯谷駅北側でJRの線路を跨ぐ陸橋。

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2012年7月17日 (火)

人形町・清洲橋

今日も暑い! 日中の散歩は休み、夕方の夕涼みにした。 我が家(浅草橋)から、人形町、清洲橋までの往復、1万2千歩、8kmの歩きです。

①浅草橋の納涼屋形船・・・・・・・・・仕事はほどほどにして、これから暑気払いだ。・・・・・・・・・夕暮れとともに東京湾に出ていく屋形船。お一人・1万円からです・・・・・・・

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②夕暮れの人形町・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・老舗が並ぶ甘酒横丁を入る

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・・・・・・・・・・・甘酒横丁を曲がると料理屋が、すでに満席のようです。

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・・・・・・・・・・・つづらの衣装箱を作る店。昔は我が家にもつづらがあった!

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・・・・・・・・・・・・老舗の肉屋さん

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・・・・・・・・・・・・肉屋の隣は、何とも言えない、いい味だ!

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・・・・・・・・・・・・古そうで、新しい店も!

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・・・・・・・・・・・・古そううな横丁

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・・・・・・・・・・・・・・こちらも老舗の肉屋さん

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・・・・・・・・・・・節電グッズの店もある!・・・・・れっきとした、扇子屋さん

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・・・・・・・・・・・・甘酒横丁の人形町側の入り口・・・・・・・私は、浜町側の入口から来た!

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・・・・・・・・・・・“創業大正八年”が印象的だ!

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・・・・・・・・・・・・戦前の建物か?

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・・・・・・・・・・・・・・2階にチョコンとのった3階部分、木造の和菓子屋さんた

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・・・・・・・・・・・・・・・水天宮交差点から夕焼け

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・・・・・・・・・・・・・・・水天宮は、もう閉店です。また、明日のご来場を!

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清洲橋・・・・・・・・・・大正14年(1925)に着工し、昭和3年(1928)に竣工した、構造形式は自碇式鋼鉄製吊り橋の震災復興橋。 当時、世界で最も美しいと呼ばれたドイツ・ケルンの吊り橋(現存しない)をモデルに、設計したと言われている。・・・・・・・・たしかに、私好みの、いつみても美しい橋だ。・・・・・・・・国の重要文化財。大切にすること!

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・・・・・・・・・・上流にはスカイツリー、下流には佃島の高層建築を望む

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④夜の人形町・・・・・・・・・

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2012年7月16日 (月)

スカイツリー

日中の都心は33℃を超える暑さ、熱中症を避け散歩は中止。夜、夫婦で夕涼みを兼ね、スカイツリーのライトアップ、青の“粋”を見に行く。・・・・・・・・江戸紫(海苔の佃煮ではなく、色の名)の“雅”はこちら。

①夕暮れのスカイツリー・・・・・・・・・スカイツリーの隣にある、墨田区駐輪場の屋上展望台から眺めた!

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②ライトアップが始まった・・・・・・・・・・

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③スカイツリー脇の川沿いをブラブラ・・・・・・・・・・・・・

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④スカイツリーから浅草へ向かう・・・・・・・・・・スカイツリーが開業して、もう56日経過した。早いね!

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⑤浅草・吾妻橋の交差点でパチリ!・・・・・・・・・

・・・・・・・・・吾妻橋・・・・・・・・・・昭和6年(1931)竣工

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・・・・・・・・・浅草東武ビル(松屋浅草店)・・・・・・・・・復元工事も終わり、昭和6年(1931)建設時の姿に戻った、すっきりした外観。

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・・・・・・・・・神谷バー・・・・・・・・大正10年(1921)の建築。国の重要有形文化財。

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2012年7月15日 (日)

東京タワーの近く

地下鉄浅草線大門駅から、銀座線溜池山王駅まで、1万3千歩、9kmの散歩です。・・・・・・東京タワーを眺めながら、暑かった!

①芝大神宮・・・・・・・・・“関東のお伊勢さん”と言われ、祭神として、内宮の天照皇大御神と外宮の豊受大御神を祀っている。創建は、寛弘2年(1005)。 神明造様式の本殿は昭和39年(1964)に建てられた。・・・・・・・・神社の氏子域は広く、北は新橋、南は浜松町までの一帯をカバーしている。この氏子域を管轄していた町火消しが「め組」。「め組」の鳶と相撲の力士の乱闘事件、“め組の喧嘩”の舞台となった神社だ。・・・・・・・・・御手水舎は、昭和41年(1966)の落成だが、4本柱の両側に棟を支える2本の支え柱がある神明造で珍しい。・・・・・・・・・境内の鳥居脇には、現:りそな銀行の前身「不動貯金銀行」を設立した、貯金王:牧野元次郎の偉業を称えた「貯金塚」がある。

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②大門際公衆便所・・・・・・・・・・鉄筋コンクリート造の半地下式の公衆便所、昭和7年(1932)に区が大門の近くに設置した。歩道の一部に作られているが、和風のデザインに改修され清潔な状態だ。もちろん、無料で使用可能。・・・・・・・・戦前の公衆便所として、九段会館際の公衆便所、東京国立博物館の便所も半地下式だ!

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③大門・・・・・・・・・増上寺の総門・表門にあたる。昭和12年(1937)に、以前の木造の大門より大きく、鉄筋コンクリート造で竣工した。

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④常照院・・・・・・・・・港区役所裏の常照院は、芝増上寺山内寺院の一つで、宿坊でもあった。開創の年は未詳だが、古いことは間違いない。・・・・・・・・・昭和20年(1945)の空襲で建物の大半は焼失したが、土蔵造りの本堂内陣だけは焼失を免れた。現在は国の登録有形文化財となっている。・・・・・・・・・・常照院本堂内陣(あかん堂)は、江戸時代明和6年(1769)に建てられた、土蔵造平屋建、瓦葺の念仏堂であった。

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⑤増上寺・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・三解脱門(三門)・・・・・・・本来の表門は「大門」だが、日比谷通りに面した「三解脱門」が表門に見える。・・・・・・・・現在の門は、徳川幕府より元和8年(1622)に再建された。入母屋造、朱漆塗の門は、デカイ!

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・・・・・・・・・・本堂・・・・・・・・昭和49年(1974)再建

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・・・・・・・・・・・千躰子育地蔵尊・・・・・・・・子育て安産に霊験あらたかな西向聖観世音菩薩にちなみ、子供の無事成長、健康を願い昭和50年(1975)より順次奉安されている。

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⑥東京タワー・・・・・・・・・・・・・昭和33年(1958)建設。只今、電波塔から観光タワーとして性格転換中だ!・・・・・・・・・・けっこう賑わっていた。・・・・・・・・・・・高所恐怖症の私には、東京タワーも怖くて上る気がしない。スカイツリーは、もっと怖いだろうね!.

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⑦麻布狸穴町・・・・・・・・・・“狸穴”と言えば、“ソ連大使館”(現:ロシア大使館)があるところとして有名だった。ロシア大使館は、住居表示変更により、現在は麻布台2丁目となった。現在の麻布狸穴町は、ロシア大使館裏の窪地一帯で、小さな面積となり、静かな昭和の住宅地であった。・・・・・・・・・・いよいよ重機が入り、昭和の住宅地が、平成の住宅地に変貌する。

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⑧麻布永坂町・・・・・・・・狸穴町の隣、こちらも小さな町だが、ブリジストンの創業家、蕎麦屋の永坂更級の主人らも住む、由緒・歴史ある住宅地。・・・・・・・・・・街角に残る、昭和15年製の街路灯

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⑨狸穴でチョウチョ採り・・・・・・・・・・・親子で蝶・トンボを追っかけていた。懐かしの光景だ。・・・・・・・・残っていた昭和の親子!

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⑩久国神社・・・・・・・・・寛保元年(1741)に溜池から現社地に遷座した、六本木2丁目にある神社。・・・・・・・・・・境内の隣に、気になる蔵が、昭和初期の建築か?

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2012年7月13日 (金)

浅草橋~水道橋

二ヶ月に一回の循環器系の検診で、水道橋のクリニックへ行ってきた。我が家(浅草橋)から水道橋まで、1万1千歩、8kmの歩き。

旧柳北小学校・・・・・・・・・・私の母校。浅草橋5丁目の校舎は大正15年(1926)竣工の震災復興小学校の一つだ。小学校は、平成13年(2001)に少子化により閉校した。・・・・・・・・・平成15年(2003)から、今年の6月までは、「リセ・コレージュ・フランコ・ジャポネ」というフランスの学校が入っていたが、先ごろ引っ越し、ただいま空き家の状態だ!校門に、校名のプレートが残されている。・・・・・・・・・毎朝、多くのフランスの児童が通い、賑やかだった我が家の周りも静かになった。フランス人の美人先生もいた、寂しいね!

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②金剛稲荷・・・・・・・・・・わが母校の先は、千代田区神田和泉町となる。和泉町には、私が耳鼻咽喉科で診てもらっている三井記念病院がある。病院の裏手は現在「和泉公園」となっているが、この公園も戦前は病院の一部であった。病院と公園の東側に、現在、日本通運の引越センターがある。そして、公園とセンターの間には「日本通運株式会社」と染め抜いた赤いのぼり旗が立っている。・・・・・・・・・・この地は、日通、日本通運の先祖で、江戸時代、飛脚問屋京屋弥兵衛と言う人が、浪花(大阪)、京(京都)、江戸(東京)間の運送事業を開始した場所らしい。京屋は明治4年(1871)に陸運元会社に統合され、その後、内國通運、國際通運、日本通運と移り変わる。・・・・・・・・お稲荷さんは、京屋弥兵衛が、日頃から五穀豊穣・商売繁盛・道中安全の神として崇めていた伏見稲荷を自店に勧進したことに始まるらしい。・・・・・・・・のぼり旗の社名は、創業の志を大切に守る日通の気持ちだね。

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・・・・・・・・・・・・お稲荷さんの後ろに残る高いコンクリート塀・・・・・・・・・戦前には、日通側に食糧倉庫があり、この塀により病院と仕切られていた。・・・・・・・・・・ついでに、現在の公園があるところは、昭和23年(1948)から昭和46年(1971)まで、農林省東京食糧事務所が設置されていた。・・・・・・・・・この辺は、小学生頃の私の遊び場だ!

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③柳原(やなぎはら)土手・・・・・・・現在の万世橋から浅草橋までの神田川南岸沿いの長さ10丁(約1.1km)を云う。太田道灌が江戸城の鬼門除けに柳を植えさせたことが名の由来らしい。・・・・・・・・JR東北本線神田川岸の“柳町橋高架橋”、万世橋と和泉橋の中程に“柳森神社”、神田川北岸(柳原の対岸)の地名は“向柳原”(現:浅草橋)、私の母校“柳北小学校”、浅草橋の下流に架かる“柳橋”、やたらと多い“柳”だ。

・・・・・・・・・・和泉橋~万世橋間の写真(順に)、和泉橋、北原ビル、海老原商店と3軒の銅板建築、岡昌裏地ボタン店、柳森神社、神社の玉垣、柳町橋高架橋、神田川橋梁(JR東北本線)、万世橋

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④旧万世橋駅整備・・・・・・・・・・・・JR東日本は7月3日に、旧万世橋駅の遺構を整備し、公開することを発表した。来年(2013年)1月、旧万世橋駅舎(旧交通博物館の在ったところ)の跡地に、地上20階建ての神田万世橋ビルが竣工し、春には赤煉瓦の高架下に親水デッキを造り店舗がオープンする。また夏には、赤煉瓦高架橋の上に残っている旧駅ホームを展望カフェとしてオープンさせる。・・・・・・・・・いよいよ、赤煉瓦高架橋の整備に着手した。できるのが楽しみだ!

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⑤鷹岡東京支店・・・・・・・・・・・昭和10年(1935)に、大阪の羅紗問屋の支店として建てられた、鉄筋コンクリート造地上5階の建物。1階部分の外壁は御影石、2階以上はスクラッチタイル貼りで、屋上と1階石張り上部の外周には帯飾りを施している。全体的にはシンプルなデザインで古さを感じさせないビルだ!

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⑥昌平橋・・・・・・・・・・昌平橋から聖橋方面(上流)を眺めると、神田川を斜めに横切る巨大な総武線のガーター橋が大股をひろげ、その奥には聖橋と地下鉄丸の内線の鉄橋を見ることができる。 また、下流は中央線の赤煉瓦高架橋が旧万世橋へと続く。 どちらも、好きな景色だ!・・・・・・・・・・チョイト影の薄い昌平橋とは、、、、、、、大正12年(1923)の震災直前に竣工し、昭和5年(1930)に両側歩道部分が増設された。・・・・・・・・・私が、秋葉原青果市場(現:UDX)の近くにいた小学生前の幼き頃、この橋の近くで迷子になった思い出がある。 その頃は、昌平橋の名も知らず、遠いところだった!!

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⑦元町公園・・・・・・・・・昭和5年(1930)に開園し、その後、改修されているが、震災復興公園では唯一、建設当時のデザインが保存されている貴重な公園だ。・・・・・・・お茶の水坂に面した入り口の階段上正面にはアーチ状の壁泉がある、路は左右分かれそれぞれ葡萄棚のような休憩スペースのある広場に出る。広場には水が段をなして落ちるカスケードが残っている。広場のコーナーには鷹のようなモニュメントも残されている。・・・・・・・・・神田川を走る中央線と駿河台の高台も望める最高の位置に残る公園を、再整備し保存してほしいものだ!

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・・・・・・・・・・公園に残るコンクリート造のすべり台と砂場・・・・・・・・・懐かし~~い!

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⑧旧文京区立元町小学校・・・・・・・・・・明治44年(1911)に創立した、小学校の老舗。震災後、昭和2年(1927)に現在地である元町公園の隣に移転し、鉄筋コンクリート製の校舎に建て替えられた復興小学校。・・・・・・・・・この小学校も少子化により平成10年(1998)に閉校した。現在は順天堂大学に貸し出されている。

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⑨桜蔭学園本館・・・・・・・・・・東京女子高等師範学校(現:お茶の水女子大)の同窓会 社団法人桜蔭会により昭和6年(1931)創立された、私立女子校。タレント:菊川怜も卒業した偏差値の“超”高い名門校。ちなみに、平成24年(2012)の東大合格者数は58名だ。・・・・・・・・・建物の本館は、昭和6年(1931)に大林組の設計・施工で建てられた。スパニッシュ様式の建物。

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2012年7月11日 (水)

馬込~大森

都営地下鉄馬込駅から、JR大森駅まで、1万2千歩、8kmの散歩です。・・・・・・・・・炎天下での、散歩は3時間が限度、それ以上は熱中症、マチガイナシ。猛暑、酷暑、コンチキショ!

①松原橋・・・・・・・・昭和15年(1940)に完成した、環状七号線と第二京浜(国道1号線)の交差点。上を第二京浜が走り松原橋で、下の環七通りを跨ぐ。環七通りと第二京浜は、ランプ(斜道)で結ばれ、インターチェンジ型の立体交差となっている。・・・・・・・・・日本最初の立体交差らしい。・・・・・・・松原橋の真下には、都営地下鉄がはしっている。その馬込駅の出入り口は橋の下に在る。つまり、地下に地下鉄、その上に直交する環七通り、さらにその上に地下鉄と並走する第二京浜の3層だ!

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②新馬込橋・・・・・・・・・松原橋から100m程西に、環七通り上に架かる橋。松原橋竣工の前年、昭和14年(1939)に竣工した、鉄筋コンクリート造の陸橋。

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③馬込陸橋・・・・・・・・東海道新幹線が第二京浜を跨ぐアーチ式陸橋。

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・・・・・・・・新幹線の下は第二京浜の馬込橋(品鶴線を跨ぐ)。こちらは、昭和15年(1940)竣工と標されていた。・・・・・・・・あれ? “新馬込橋”は昭和14年竣工なのだが? 判りませ~~ん?

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・・・・・・・・・新幹線の下で交わる、第二京浜と田無街道、その田無街道に架かる品鶴線を跨ぐ橋も“馬込橋”。・・・・・・・・すぐ隣どうしなので、両方で“馬込橋”なのか?・・・・・・・・写真:右側が第二京浜、左側が田無街道、両道路の橋の下に品鶴線が走っている。ややこしいね!

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④馬込橋食糧・・・・・・・・・・町のお米屋さん。店名に古さが、店構えに時代が、「三ツ矢サイダー」「タケダ プラッシー」に懐かしさが、、、、、、

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⑤長遠寺(ちょうおんじ)・・・・・・・・・・馬込小学校前に建つ、天仁元年(1108)に創建された、真言宗智山派の海岳山大乗院長遠寺。・・・・・・・・・・本堂は江戸時代の建物と思われる。茅葺の屋根が、銅葺きに変わったようだが、屋根の厚み、形状は、茅葺を想像させる。いい曲線を描いてるね!

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⑥馬込八幡神社・・・・・・・・・長遠寺隣りの、木の鳥居のある古風な八幡神社。鳥居をくぐると、も一つ門がある。門をくぐれば、石燈籠、狛犬と朱塗りの社殿がお出迎え!

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⑦河原家住宅・・・・・・・・明治18年(1885)建築の旧馬込小学校の玄関と教場部分を移築して、和風住宅に改造した。さらに、昭和38年(1963)には、馬込小学校校舎の時計台(大正14年建設)も書斎上部に移築した。国の登録有形文化財。・・・・・・・・・個人住宅であるが、小学校のシンボル的な部分を移築し、残している。

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⑧萬福寺・・・・・・・・・・南馬込1丁目の曹洞宗萬福寺は、鎌倉時代の武将梶原景時が創建したと伝えれる。しかし、当時の寺(品川区大井)は火災で消失し、現在地に再建された。・・・・・・・再建時期は諸説があり明らかではない。再建した時代も判らないほど古い寺だ!・・・・・・・・・・切妻造り茅葺きの山門は、いいね! ヒンズー風の建物は納骨堂、これもいいね!

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⑨T邸・・・・・・・・山王2丁目に建つ、大正13年(1924)建築の邸宅。・・・・・・・まさに、旧帝国ホテル、自由学園などを設計したフランク・ロイド・ライトを思い出させる建物だ!

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⑩鐵道院鉄柱・・・・・・・・・大森駅東口の駅前広場に保存されている「鐵道院」銘の鉄柱。明治45年(1912)に、当時の鐵道院の命によって鋳造された鉄柱が、駅前広場の喫煙コーナー近くに保存されている。この鉄柱は、かつて大森駅の階段に使用されていたものだ。・・・・・・・・一本には「鐵道院」、もう一本には「明治四十五年七月製造 合資会社高田商会柳島製作所」と鋳造されている。

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2012年7月10日 (火)

稲毛~幕張

パソコン同好会の帰り、稲毛から幕張本郷まで、旧千葉街道に沿い歩いてみた。1万3千歩、10km。

①京成千葉線・・・・・・・・・京成稲毛駅付近は盛土区間。電車も気持ちよさそうに疾走する。

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薬王山千蔵院・・・・・・・稲毛小学校の隣に在る、真言宗豊山派の寺。

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・・・・・・・・・・・お寺の周囲は、一昔前の、どこか田舎の匂いがする、静かな千葉の住宅地。

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③検見川5丁目・・・・・・・・・・スリット状の懐かしい板塀・・・・・・・・今は空き家の、かつての公営住宅か?・・・・・・・・・・狭い参道、急な長い階段、御利益を期待したくなる神社

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④旧千葉街道の面影・・・・・・・・・・・・・街道沿いの木造家屋・・・・・・・・昭和40年頃までは街道として活気があったことだろう? 現在、道沿いには「検見川商工振興会」の街路灯が、寂しそうに立っている。

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⑤新花見川橋・・・・・・・・・・・昭和40年(1965)竣工・・・・・・・・“特にコメントのない”橋だ! 隣りは京成千葉線の鉄橋。

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⑥秋葉神社+昆陽神社・・・・・・・・・神社前の道路工事の為、しばらく、近くの神社に移転していたが、工事の完了に合わせ、平成18年(2006)、京成幕張駅の前に、秋葉神社と昆陽神社の新社殿が建てられた。・・・・・・・・・そうか!この辺りで青木昆陽はサツマイモの試作をしたのだ。

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⑦京成幕張駅前の駐車場で・・・・・・・・・・持ち主は?

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2012年7月 5日 (木)

合羽橋付近

午後から浅草へ買い物に! チョイト、遠回りして、東上野、合羽橋をぬけ浅草へ、我が家から、1万歩、7kmの歩きです。

①上野下アパート・・・・・・・・・地下鉄稲荷町駅の北側に、現存する最後の同潤会アパート。・・・・・・・・昭和4年(1929)に建てられたが、劣化が目立つ、このままでは、いずれ取り壊しか?・・・・・・・・同潤会(どうじゅんかい)は、関東大震災後の大正13年(1924)に、復興のための住宅供給を目的として設立された法人である。昭和16年(1941)に業務を住宅営団に引き継ぎ解散した。・・・・・・・・昭和初期には、都市の中間層に良質の住宅を供給するため、青山、渋谷(代官山)、平沼町、鶯谷など、各所にアパートを建設した。・・・・・・・・・・最後の同潤会、保存できないものだろうか?

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②難波仏具店・・・・・・・・・・浅草通りの建ち並ぶ仏具屋さん、その1軒が、昭和4年(1929)建築の「難波仏具店」。・・・・・・・・鉄筋コンクリート造、3階建てだが、屋上に中国風の塔がある。外壁には大きな丸窓が3か所、こちらも特徴的だ! 全体的に東洋風の個性あるデザインの建物だ!・・・・・・・・・ちなみに、設計は榎本徳蔵(私の知らない人)、施工は戸田組。

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③合羽橋・・・・・・・・かっぱ橋道具街、七夕飾りの合羽橋本通りをぬけ浅草へ

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④浅草六区の取り壊し・・・・・・・・・あの、映画館街であった“浅草六区”。映画館街としては廃れ、JRA馬券売り場がメインとなった。その六区の中央に、“空き家”と化した2軒の映画館の取り壊しが始まった。・・・・・・・・私が「ゴジラ」を見た「浅草東宝会館」は、平成26年(2014)のオープン予定で、阪急阪神東宝グループにより総事業費100億で、地上14階建てのホテルを中心とした複合施設に生まれ変わる。・・・・・・・・・道路の反対側では、松竹系の洋画を上映していた「大勝館」が、平成25年(2013)完成予定で、7階建ての「ドン・キホーテ浅草店」となる予定。・・・・・・・・映画館で残るのはJRA前の2つのビルに入る5館かな? 浅草六区が再び活気づくのを待つか!

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2012年7月 4日 (水)

浅草橋~平井

我が家(浅草橋)から、蔵前通りに沿いに裏道を総武線平井駅まで、1万5千歩、11Kmの散歩です。

①旧東京貯金事務センター・・・・・・・・・・蔵前橋の近くに建つ旧東京貯金事務センター。平成4年(1992)の建物であったように記憶している。3万㎡以上の延床面積を有し、10階建ての大きなビル。事務センター機能は平成12年(2000)にさいたま市に移り、今は“日本郵政”が所有し、「日本郵政蔵前ビル」と名称を改めた。・・・・・・・・・“郵政のビル”としての特徴が、“各階に庇のように回る床板”、“縦長の窓に見えるスリット状のデザイン”などに見られる。逓信ビル旧東京国際郵便局旧東京北部小包集中局などと同じ、旧郵政省時代の伝統的なデザインだ!

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・・・・・・・・・・以前にも。書いたが私が幼き頃(戦後間もない頃)、蔵前のこの辺一帯は焼け野原で、瓦礫の中を多数のモンシロチョウが飛んでいた。蝶々を追いかけて遊んだ記憶は少なく、むしろ磁石で鉄屑を拾って歩いた記憶が残っている。

②蔵前橋から・・・・・・・・・午前8時、まだチョイト、靄がかかっている

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③山田記念病院・・・・・・・・・旧震災記念堂(東京都慰霊堂)から400m程東に行った病院。建物は平成16年(2004)に建てられ、玄関に巨大な碇(イカリ)が置かれている。・・・・・・・・この碇は、日本海軍駆逐艦「初霜」の碇だ。「初霜」は、昭和8年(1933)浦賀船渠で起工し、太平洋戦争に従事したが、昭和20年(1945)京都の宮津湾で米機の爆撃により沈没した。病院の初代院長:山田正明が「初霜」の軍医長(少佐)をしていた縁で、戦後、引き上げ・解体されたときに、病院にやってきた。

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・・・・・・・・・・・2年ほど前に、私の母(89歳)が家で転び、救急搬送されたのが、ここの病院だ。何度か母を連れて通院したのを思い出す。清潔で、親切で、待ち時間も短く、好印象だけが残っているね!

④カトリック本所教会・・・・・・・・・教会の歴史は古く、徳川幕府崩壊後の明治新政府は、キリシタンを解禁し、明治初期の本所地区にはカトリック教徒が増えてきた。明治12年(1879)現在地にて教会開設が行われたが、その後、教会は震災・戦災で、都度、建物を焼失した。 昭和26年(1951)、現在の聖堂が再建された。・・・・・・・・建物は木造で、三廊式パルテノン様式、格天井。・・・・・・・・・・2年ぶりに、聖堂内を拝見!

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⑤旧安田銀行蓄財銀行・・・・・・・・・大正12年(1923)、墨田区石原に建てられた銀行建築。・・・・・・・・現在は空き家となっている。

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⑥法恩寺橋 (ほうおんじばし)・・・・・・・・・墨田区石原4丁目と太平1丁目を結ぶ蔵前通りに架かる橋。かつては下を横川が流れていたが、現在は埋め立てられ親水公園となっている。橋の近くに平河山法恩寺があり、名はこの寺からとられた。・・・・・・・・・・・橋は、大正13年(1924)に架けられた震災復興橋。ただし、橋の中央部分は昭和57年(1982)に改修された。・・・・・・・・・・石造りのドッシリした橋だ!

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⑦法恩寺・・・・・・・・・開基は太田道灌。道灌が江戸城築城(1458)に当たり丑寅の方に城内鎮護の祈願所として本寺を建立した。日蓮宗のお寺。現在の本堂は昭和29年(1954)の建築。・・・・・・・・正面にスカイツリーを見上げる位置に在る。ミニスカイツリー(三重塔)もあった。・・・・・・・・・手を合わせると、本尊に? スカイツリーに?

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⑧亀戸天神・・・・・・・・・・まだ参拝客も少ない午前中の天神様。チョイトお立ち寄り。

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⑨東武亀戸線を越えて・・・・・・・・・

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⑩江東新橋・・・・・・・・・・蔵前橋通りが旧中川を渡る橋。1径間鋼製アーチ橋、昭和36年(1961)に新設。・・・・・・・・・この橋を渡ると、江戸川区平井だ!

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2012年7月 3日 (火)

清澄白河~東陽町

大江戸線清澄白河駅から、門前仲町をぬけ、東西線東陽町駅まで、1万4千歩、10kmの深川観光です。

旧東京市営店舗向住宅・・・・・・・・・・清澄庭園の清澄通り側の外周に沿い50軒程の鉄筋コンクリート2階建ての長屋が並んでいる。1階が店舗で2階が住居のこの長屋は、昭和3年(1928)に、関東大震災の復興事業として建てられた、東京市営の賃貸店舗兼住宅だ。戦後、都から払い下げられたようで、各戸ごとに3階に増築したり、外観に手を加えたりしているが、建設時の面影を残す部分も見られる。・・・・・・・コーナー、2階縦長の窓などはライト風でもある。

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②旧東京市深川食堂・・・・・・・・・・昭和7年(1932)に建てられた、関東大震災復興事業の一つとして、低所得者のための市営食堂。昭和11年(1936)食堂は閉鎖され、終戦後は職業斡旋施設として利用され、昭和51年(1976)から江東区内職補導所となり、平成18年(2006)に閉鎖された。・・・・・・・・・深川の角地に建つ鉄筋コンクリート造2階建ての復興期の建物。国の登録有形文化財。・・・・・・・・震災・戦災、この当時の食糧事情の厳しさは、現在では想像しにくい時代となったね。・・・・・・・・・現在は「深川東京モダン館」として、江東区の観光案内・情報発信の基地として使用されている。

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・・・・・・・・・・・竣工時の東京市深川食堂

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③石造燈明台・・・・・・・深川不動尊の西隣り(深川公園)に、ブロック石を積み上げたような、8.5m程の古ぼけた塔が立っている。 この塔は、明治28年(1895)に、日清戦争の勝利を記念して着工し、明治31年(1898)に完成した燈明台だ。・・・・・・・ブロック程の安山岩の石板には、不動尊を信仰する人々(燈明講)が寄付し、その名前が刻まれている。市川団十郎、尾上菊五郎などの歌舞伎役者から、築地の魚問屋、洲崎の遊郭まで、359人の名前が読めるそうだ。・・・・・・・・・塔の設計・監督は佐竹七次郎で、日本水準原点標庫や旧日本郵船小樽支店などを設計した。

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④深川不動尊・・・・・・・・真言宗智山派成田山新勝寺の東京別院。昨年完成した新本堂に本尊の不動明王がまつられている。・・・・・・・・写真は旧本堂で、現在は木像の“おねがい不動尊”が安置されている。

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⑤富岡八幡宮・・・・・・・・・・お不動様のお隣は八幡様。こちらにも、チョイト、お立ち寄り。創建は寛永4年(1627)、三代将軍徳川家光の時代。 ・・・・・・・・“二礼、二拍手、一礼”で、失礼します!

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・・・・・・・・・・・神社では全員参加で、境内の掃除が行われていた。・・・・・・・参道の手摺まで拭いていただき、気持ちよく参拝できる。

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・・・・・・・・・・・末社の七渡神社で、オヤ! あれは!・・・・・・・・昭和9年(1934)に奉納された、コンクリート製の足のボンボリを発見!・・・・・・・・・昭和の匂いがする造りだ! 色だ!

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⑥旧弾正橋・・・・・・・・八幡様の東側に、八幡橋と名を替え、人道橋として保存されている。(橋の下の堀は埋め立てられ、現在は遊歩道)・・・・・・・この橋は、明治11年(1878)、工部省赤羽製作所が製作した国産第1号の鉄橋で、国の重要文化財だ。もとは、中央区の京橋楓川に架けられていたが、大正2年(1913)新しい弾正橋が架けられ、震災後の昭和4年(1929)現在地に移した。・・・・・・・・菊の御紋が付いてる、ありがたい鉄橋だ。・・・・・・・・・・・現在の弾正橋はこちら。

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⑦新田橋・・・・・・・・・東西線木場駅の南を流れる大横川に架かる人道橋。現在の橋は二代目で、旧新田橋は旧弾正橋の近くに保存されている。・・・・・・・・・旧新田橋は、昭和7年(1932)木場の開業医:新田清三郎が架けた。・・・・・・・・昭和27年(1952)の大映映画「稲妻」では、高峰秀子がこの橋を渡っていく。橋の先は、洲崎神社で、その先には洲崎の遊郭があった。

・・・・・・・・・現在の新田橋

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・・・・・・・・・・・旧新田橋

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・・・・・・・・・・新田橋を渡ると、洲崎神社。

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2012年7月 2日 (月)

浅草橋~清澄白河

我が家(浅草橋)から、新大橋を渡り、芭蕉記念館、清澄白河まで、1万歩、7kmの散歩です。

①玉置薬局・・・・・・・・・・・靖国通り浅草橋交差点にある玉置薬局のビル。昭和4年(1929)に建てられた、スクラッチタイル張り、窓廻りの装飾、3階のレリーフなど、手のこんだ古風なデザイン建物だ。・・・・・・・・・・我が家から遠くないので、たまには薬を買いに行こうか!

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②明治座・・・・・・・・・建物名は「浜町センタービル」、平成5年(1993)竣工、地上18階建て。明治座はこのビルの1階~6階に入居している。・・・・・・・・・・明治座と言えば、花柳章太郎、水谷八重子の新派、辰巳柳太郎、島田正吾の新国劇を思い出す。当時は劇場へ行かなくても、家庭のモノクロTVで中継していたのを見ていた記憶がある。古い話だ!・・・・・・・・思い出したついでに、その頃は、浅草松竹演芸場から、大江美智子、浅香光代の女剣劇、大宮敏光のデン助劇団などもTV中継していたね。

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③新大橋・・・・・・・・隅田川に最初に出来た橋は「千住大橋」、次は「両国橋」で1660年頃架けられた、三番目は「新大橋」で元禄6年(1694)に架けられた。「両国橋」が「大橋」と称され、その次の橋で「新大橋」と命名した。もちろん、江戸時代は木橋。・・・・・・・明治45年(1912)に、トラス式の鉄橋として、現在の位置に架橋されたが、震災、戦災にも耐え昭和50年(1975)頃まで使用されていた。(現在は、明治村に移築・保存されている。)・・・・・・・・昭和52年(1977)、斜張橋として現在の新大橋が竣工した。シンプルなデザインで、都会的なセンスだ!

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・・・・・・・・・・旧橋の親柱・・・・・・・・橋の東詰(江東区)に残されている。・・・・・・・・・Wikipediaに載っていた旧橋の写真。

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④芭蕉記念館・・・・・・・・・「ふる池や蛙飛びこむ水の音」の松尾芭蕉が居住していた地(江東区常盤)に、江東区立の記念館が建てられている。・・・・・・・・現在、「芭蕉の肖像」展が開かれ、肖像画・木像など多くの芭蕉を見ることができる。・・・・・・・・・入館料100円は安い!

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⑤芭蕉稲荷神社・・・・・・・・・・・記念館近くの小さな社。この地が芭蕉庵の跡地らしい。大正6年(1917)に、この地は大津波で被災し、その跡地から芭蕉の愛した蛙の石像が出土した。

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⑥芭蕉庵史跡展望庭園・・・・・・・・・・隅田川と小名木川の合流点に、水辺の風景を楽しむ小さな庭園がある。芭蕉の像もあるよ!・・・・・・・・・・どうも芭蕉に似ていない像だ!

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⑦萬年橋・・・・・・・・・・・・小名木川に架かるアーチ式鉄橋。鹿島組の設計・施工で、昭和5年(1930)に竣工した。

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・・・・・・・・・この橋も古く、江戸時代の木橋は、葛飾北斎「富嶽三十六景」で「深川万年橋下」と題し描かれている。(写真:案内板の画)・・・・・・・安藤広重「江戸名所百景」でも描かれている。

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⑧三野村株式会社・・・・・・・・・昭和2年(1927)に建てられた、「三野村株式会社」(現:不動産業)の社屋。・・・・・・・・・・入口には重厚な彫刻が施され、印象的だ!・・・・・・・・“三野村”とは、、、、、、、幕末から明治初期にかけて三井の危機を救い、三井財閥の基礎を築いた経営者:三野村利左衛門です。後に、三井からその功績をたたえられ、清澄2丁目一帯の広大な敷地を貰い、邸宅を構えた。隣りの岩崎家別邸(現:清澄庭園)と豪華さを競ったらしい。

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・・・・・・・・・・・入り口脇には、敷地の周囲に設置されていたと思われる柵のコンクリート柱が埋め込まれていた。

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