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2012年9月

2012年9月29日 (土)

京急空港線

京浜急行空港線が第一京浜を横断する踏切、糀谷駅付近の踏切などが、来月21日から完全高架化される。踏切をとおる電車を見納めるつもりで、京急空港線大鳥居駅からJR大森駅まで、1万3千歩、9kmの歩きです。

①大鳥居駅・・・・・・・・・・・明治35年(1902)、蒲田~稲荷橋間の開通と同時に開業した。平成9年(1997)には、産業道路と環八通りの交差点下に、ホームが地下化された。・・・・・・・・「大鳥居」の駅名は、近くの穴守稲荷神社の大鳥居が在ったことに由来する。

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②大鳥居~糀谷間・・・・・・・・・・・

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・・・・・・・・・・・ここより蒲田方に高架となる。右側の線路はまだ高架線に接続しておらず、高架下から伸びている。来月21日に切り替えられるはずだ!

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③糀谷駅・・・・・・・・・・明治35年(1902)、大鳥居駅と同時期に開業。昭和の時代は地上ホームで、工場地帯の駅だった。・・・・・・・・・平成22年(2010)、上り線(蒲田方面行)ホームが高架化した。来月21日は下り線(羽田方面行)が高架化される。

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④糀谷~蒲田間・・・・・・・・・・・・・・・

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・・・・・・・・・・・・「箱根駅伝」の名物、第一京浜を横切る「京急蒲田(空)第一踏切道」では、ランナーを優先し電車を止めたが、もう見ることはできなくなる。

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・・・・・・・・・・・京急蒲田駅ホームから、「京急蒲田(空)第一踏切道」を見る。左へ曲がる空港線。

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⑤糀谷で・・・・・・・・・・そろそろ終わりの芙蓉、これからの青い蜜柑、チョイト早いが暮を感じさせる質屋の暖簾と松・・・・・・

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⑥薭田神社(ひえたじんじゃ)・・・・・・・・・・蒲田3に在るこの神社は、和銅2年(709)に創建された古社。・・・・・・・・・正面の石鳥居は、寛政12年(1800)に氏子より寄進された。花崗岩の明神型鳥居で、中央に「稗田神社」の社号を刻した石額が掲げられている。・・・・・・・・・安定感のある美しい鳥居だ!

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⑦三ツ木橋・・・・・・・・・東海道線大森駅と蒲田駅のほぼ中間地点から、真東に向かい東京湾に注ぐ小さな川が内川だ。その上流部に“三ツ木橋”がある。昭和6年(1931)竣工のコンクリート橋。・・・・・・・・・・この橋については、大森山王にある「三ツ木建設工業」の社史に、『大正14年(1925)、大森地区の河川工事における功績により、この川に架かる橋が「美津木橋」と命名されました。』と記されている。しかし、年代がおかしい?・・・・・・・・・私は、現橋以前に、「美津木橋」と言う木橋があり、その後、現在の橋に架け替えたと想像した。架け替えた橋を「三ツ木橋」と命名したのだろう? 

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2012年9月27日 (木)

浅草橋~押上

我が家(浅草橋)から、蔵前橋際の病院にチョイト立ち寄り押上まで、1万2千歩、8kmの散歩です。

①能勢の妙見さん・・・・・・・・・・“能勢の妙見さん”と聞くと勝海舟を思い出し、昭和31年(1956)の北小路欣也の東映デビュー作「親子鷹」を思い出し、さらに昭和49年(1974)のNHK大河ドラマ「勝海舟」を思い出す。大河ドラマでは、松形弘樹が海舟(勝麟太郎)で、尾上松緑が父親の勝小吉。松緑の小吉が素晴らしい“江戸っ子”だった。・・・・・・・・・・小吉は麟太郎の病(犬にチン玉を喰われた)の時、妙見さんで水垢離をして祈ったと言われている。・・・・・・・・・その妙見さんが、墨田区本所4丁目に在る。攝津の能勢妙見山の東京別院だ。・・・・・・・・・こじんまりとした小奇麗な寺で、境内には、四季の野草などが花を咲かせている。海舟の像が花を楽しんでいるようだ!

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②紅葉橋・・・・・・・・・・能勢妙見堂の東、大横川親水公園に架かる昭和5年(1930)竣工の橋。・・・・・・・・親柱はアールデコ?・・・・・・・・・紅葉橋の名は、近くに楓川という小川があったので、それにちなみ付けられたそうだ。

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・・・・・・・・・・紅葉橋から

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③横川橋・・・・・・・・・紅葉橋の上流(北側)に、昭和3年(1928)に架けられた橋。・・・・・・・・・最近、塗り直されたようで橋裏まで綺麗だ。・・・・・・・親柱には、かつて街路灯でもあったようだ、台座部分が残っている。

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・・・・・・・・・大横川・・・・・・・・紅葉橋、横川橋の架かる大横川の歴史は、明暦3年(1657)の大火に始まる。江戸幕府は、火除地の確保など、大火後の土地整備の一環として、大横川を掘削した。それ故、スカイツリーの立つ“業平”から、江東区“木場”まで、ほぼ南北に真直ぐ伸びる運河だった。・・・・・・・・昭和56年(1981)から埋め立てられ、現在は親水公園となっている。・・・・・・・・・写真は昭和50年代の大横川。

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・・・・・・・・・・・・・大横川際の日本たばこ産業工場前から

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④押上城?・・・・・・・・・“押上城”なんて在るはずがない、ここは天下の“お江戸”。・・・・・・・・昭和8年(1933)創業の押上の和菓子屋さん。・・・・・・・・・私は、ここの「栗入り最中」が好きだ!

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・・・・・・・・・・・・・和菓子屋の横から

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⑤業四市場商栄会・・・・・・・・・業平4丁目の裏通りにある、昭和45年(1970)頃に設立した、13店舗で構成する小さな商店街。・・・・・・・・小さいながらも、賑わっているようだ!

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・・・・・・・・・・・商店街から

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⑥柳島の妙見さま・・・・・・・・・こちらは“柳島(亀戸天神の北側)”の妙見さま。日蓮宗:法性寺は、柳嶋妙見山玄和院と号し、明和元年(1492)の建立。北辰妙見大菩薩を奉安した妙見堂がある。・・・・・・・・・現在はマンションの1階が柳島妙見山法性寺となっている。・・・・・・・鬼平犯科帳にもでてくる古い寺院で、境内には近松門左衛門、豊国筆塚、落語柳家など多くの碑が残っている。

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・・・・・・・・・・・侠客上萬墓・・・・・・・・・境内に大きな碑があり『侠客上萬墓』と刻まれている、右隣りには御影石に『侠魂碑』とある、左隣には『上萬一家』と刻まれ下に名前がズラリ。 上萬一家(じょうまんいっか)は松葉会系の東京の博徒系暴力団。・・・・・・“コリャ、ヤクザ屋さんの墓だ!”

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・・・・・・・・・・・・・柳島の妙見さまから

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⑦十間橋・・・・・・・・・・・スカイツリー工事中は“逆さスカイツリー”を撮るのに賑わった橋。昭和14年(1939)に架橋。・・・・・・・・・石造りの欄干は、コリャ、珍しい!・・・・・・・・完成すると、誰もここまで足を運ばないようだね!

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・・・・・・・・・・・・十間橋から

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⑧京成電鉄本社・・・・・・・・・現在はスカイツリーの隣りに位置する本社ビルを来年、市川市八幡に移転する。・・・・・・・昭和42年(1967)完成の現本社ビルは老朽化が著しく移転するそうだが、跡地の利用が気になるね。なにせ、スカイツリーの隣りの超一等地だからね!

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・・・・・・・・・・京成電鉄本社前から

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2012年9月26日 (水)

岩淵水門

北区志茂、隅田川の最上流部に在る「岩淵水門」を見に行った。赤羽駅から往復歩き1万2千歩、8kmの散歩です。

①カトリック赤羽教会・・・・・・・・・赤羽駅東側の商店街近くに教会は建っている。昭和26年(1951)に建設されたゴシック調の建物、聖堂上部の塔にはマリア像(高さ約1.5m、鉄鋳物製)が安置されている。・・・・・・・・・戦後の物資が不足している時代の建物だが、それを感じさせない、デザイン的にまとめられた建物だ。

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②国土交通省荒川下流河川事務所・・・・・・・・荒川放水路開削工事の着手にあたって、内務省土木局は明治44年(1911)に用地買収事務のため千住に事務所を開設したのが始まり。その後、荒川下流維持事務所(建設院関東地方建設局)となり、江戸川区平井、北区志茂三丁目などに移転した。昭和63年(1988)、旧土木研究所跡地である現在の北区志茂五丁目地先に庁舎を建設し移転した。・・・・・・・・・場所は、新旧の岩淵水門に挟まれた場所で、航空写真では半島状のところ。・・・・・・・・現在の河川事務所の位置に、旧土木研究所の赤羽分室(当時の建物は取り壊された)があった。昭和41年頃ここで水理実験の助手としてバイトしていた学生が、実は私だ!建築を学ぶ学生だったが、何故か土木系のバイトが多かった?

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③旧岩淵水門・・・・・・・・・・“荒ぶる川”と称され洪水を繰り返していた荒川(現:隅田川)から下流域を守るため、本流を新たに掘削した放水路(現:荒川)に流し、隅田川の流入量を制御する水門として旧岩淵水門は作られた。大正5年(1916)に着工し、大正13年(1924)に完成した、鉄筋コンクリート造、9m幅のゲート5門、設計は青山士(あきら)。・・・・・・・・・設計した青山士は、日本人では唯一パナマ運河工事に携わり、世界最先端の土木技術を学んで帰国した。その知識は、荒川放水路建設工事、信濃川大河津分水路改修工事などで活かされた。・・・・・・・・赤く塗られ通称「赤水門」と呼ばれている。既に水門としての役割は終え、現在は産業遺産として残されている。

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④岩淵水門・・・・・・・・・・現:岩淵水門はその色から通称「青水門」と呼ばれている。旧水門の老朽化、地盤沈下対策、また洪水調整能力の強化を考え、300mほど下流に作られた。昭和49年(1974)着工、昭和57年(1982)完成、事業費は約70億円、鉄筋コンクリート造、10m幅のゲート3門。・・・・・・・・・・只今、改修工事中。

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⑤黒田機器株式会社赤羽工場・・・・・・・・・北区志茂5丁目に在る、昭和10年(1935)以前に麻布あたりに建てられた木造2階建ての洋館。「黒田機器」の先代社長が、大使館として使用されたこともある英国人住宅を購入し、移築した。現在は会社の事務所として使用されている。・・・・・・・・小ぶりの洋館だが、保存状態もよく、美しい。

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・旧土木研究所のバイトでは、研究所の食堂で昼食を食べていた。当時の食堂は、調理のおばさんが作る一品だけで選択の余地はなかった。おかずは網戸つきの棚に並び、各自取り出して食べるスタイルだ! 今では、懐かしい味だ、美味かった!・・・・・・・・・帰りの電車では、そんなこと思い出していた。

2012年9月24日 (月)

佐賀町

我が家(浅草橋)から隅田川沿いに門前仲町まで、1万4千歩、10kmの散歩です。

途中の江東区佐賀は、隅田川の左岸に位置し、川向うは中央区箱崎である。寛永6年(1629)に開発された、深川猟師町八か町の一つ。開発者の名から藤左衛門町、次兵衛町といったが、その後、地形が肥前国(現・佐賀県)佐賀湊に似ているので佐賀町とした。江東区の中では奇跡的に戦災を免れ、戦前の建築が現存している。

萬年橋・・・・・・・・・・・・小名木川が隅田川に流れ込むスグ手前に架かる橋。現在の橋は昭和5年(1930)に架けられた、長さ56.4m、幅11mのアーチ橋。施工は鹿島組。関東大震災時は木橋で、壊れず耐えたようだが、その後復興計画の一部として架け替えられた。

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・・・・・・・・・・・萬年橋から見る清洲橋新大橋・・・・・・・・・ドイツ・ライン河の吊り橋をモデルに、ここから見る清洲橋は“ケルンの眺め”らしい。

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上之橋跡・・・・・・・・・清澄1と佐賀2の境に仙台堀川が流れ、隅田川から仙台堀川への第1橋梁として、“上之橋”があった。昭和5年(1930)竣工、長さ36m、幅15mの単径間鋼製アーチ橋だった。昭和59年(1984)、清澄排水機場設置に伴い撤去。・・・・・・・・・現在は道路際に親橋が残されている。

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セメント工業発祥の地・・・・・・・・・・清澄排水機場隣りのアサノコンクリート深川工場の一角に浅野総一郎の像がある。・・・・・・・・この地は、明治8年(1875)、工部省が日本初のセメントを製造した工場があった場所だ。明治16年(1883)、浅野総一郎が払い下げを受け、その後民間のセメント工場として発展した。

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・・・・・・・・・・・明治23年(1890)のセメント工場の図・・・・・・・・手前が隅田川、右の川が仙台堀川、右下に上之橋がみえる!

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佐賀の蔵・・・・・・・・・・佐賀2の住宅の蔵。現在の老主人の父が建てられたそうで、築100年程経過しているそうだ! 大正初期の建築か? 内部はヒノキの木組みで、外部は最近、黄土色で塗られたようだ。

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復興橋・・・・・・・佐賀にある、豊島橋、緑橋、御船橋の3復興橋。・・・・・・・位置は看板を見てね!

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・・・・・・・・・・豊島橋・・・・・・・・・・昭和5年(1930)竣工、1径間鋼製ガーター橋。・・・・・・・親柱の無い、実用本位の橋だが、味がある!

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・・・・・・・・・・・緑橋・・・・・・・・・昭和4年(1929)竣工、鋼鉄製トラス橋。・・・・・・・可愛らしい橋だ!

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・・・・・・・・・・御船橋・・・・・・・・・昭和3年(1928)竣工、3径間鋼鉄ガーター橋。・・・・・・・・・・アールデコ調の親柱、そして特徴ある欄干デザイン、お洒落な橋だ!

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精麦会館・・・・・・・・・昭和26年(1951)に設立された全国精麦工業協同組合連合会の建物。連合会HP掲載の昭和37年(1962)当時の写真では、クラシカルなデザインが外壁を覆い、特徴ある建物であった。現在は補修したのか? 凹凸、飾りは無くなり、味のない建物だ!

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村林ビルディング(旧村林商店) ・・・・・・・・・・・テラコッタで飾られた、昭和3年(1928)竣工、鉄筋コンクリート造3階建て、関根要太郎の設計、大林組の施工による商店建築。・・・・・・・・・・現在は設計事務所が入居しているようだ!

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佐賀の建物・・・・・・・・・・

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佐賀のザクロ・・・・・・・・色づいてきた!

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2012年9月21日 (金)

本所

我が家(浅草橋)から蔵前橋を渡り、病院で頭の手術跡を消毒してもらい、そのまま散歩を続けたが、途中、本所を過ぎたところで大雨、もちろん散歩は中止。9千歩、6kmの歩きです。

①旧厩橋交番・・・・・・・・・・・墨田区本所1丁目の交差点角にある、昭和3年(1928)建築の小さな交番だ。現在は「厩橋地域安全センター」として使用されている。角地で三角形の交番は狭そうだな!・・・・・・・・・この地で東京大空襲の戦禍を見てきた交番だ!・・・・・・・・・現在、都心部に残る古き交番は、駒形橋交番(昭和初期)、皇居の祝田町見張所千代田区猿楽町町会詰所(昭和5年)、旧月島警察署西仲通交番(大正15年)、南品川の交番跡などがある。

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②スカイツリーも泣き出しそうな空模様・・・・・・・・・・・・

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③本降り・・・・・・・・・・・墨田区横川で大雨に遭遇、雨宿りしてもビッショリ!

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・・・・・・・・・・・・30分の雨宿り、グチョグチョの靴、ビショビショのズボン、ダランコダランコの精神状態で帰宅する!

2012年9月20日 (木)

同愛記念病院

私の後頭部に住みついた、“いぼ”か、“おでき”か、強制退去させるべく、本日午後より、美人女医の執刀による、手術の日となった。 朝から、手術の恐怖と美人先生への期待で、ドキドキ、オロオロ、ハラハラの極限状態だ! 川向う両国の病院まで、気を落ち着けるため、早めに出て歩いて行くことにした。

①原歯科医院・・・・・・・・・・小ぶりの銀行建築と間違えそうな、台東区柳橋1丁目の歯医者さん。昭和3年(1928)建築の木造2階建て。石造りにみえ、病院風の信頼感ある建物だ。玄関上の看板もいいね!・・・・・・・・・・我が家から徒歩5分くらいの位置にあるが、60余年、お世話になった記憶がない。虫歯ができたら、診てもらうかな?

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②人形の昇玉・・・・・・・・原歯科医院の並びに在る人形屋さん。この一角は戦災に焼けず残ったようで、ここも建物は昭和初期(?)の建築か。凸型の屋根部分にはラーメンのドンブリ模様(=雷文(らいもん))のようなデザインが施されている。

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両国橋・・・・・・・・・・・・・

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④両国駅・・・・・・・・・・・明治37年(1904)開業。現駅舎は、昭和4年(1929)に、鉄道省の設計、錢高組の施工で竣工した。・・・・・・・昭和20年代、私は、現在の総武線ホーム下に見える頭端式ホームから、外房方面に向かう汽車に、たびたび乗った思い出がある。・・・・・・・現在は飲食店になっている正面玄関が汽車乗り場の改札で、暑い夏の日の朝、家族で並んだ思い出だ! 当時、駅で売っていたアイスクリームは、マッチ箱をひとまわり大きくした経木の箱に入った、シャーベット的なガリガリのアイスクリームだった。 美味しかった! 懐かし~~い。

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⑤両国国技館・・・・・・・・・・収容人数11,000人の大空間を誇る、両国国技館。地上2階・地下1階、高さ39.6m、竣工は昭和59年(1984)、施工は鹿島建設、ついでに工費は150億円。・・・・・・・・・・蔵前に在った国技館の土地を売り、両国駅北側の旧両国貨物駅跡地を国鉄から購入したそうだ。このとき、蔵前(浅草橋側)の地価が高く、建築費のいくばくかを土地の売買で得ることができ、結果、国技館は無借金で建てられた。・・・・・・・・・・今日は、九月場所12日目。日馬富士は12戦全勝好調だね!

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⑥増田外科医院・・・・・・・・・・大正10年(1921)に建てられた家屋は、震災、戦災にも焼け残り、 昭和30年(1955)に医院に改築されたそうだ。

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・・・・・・・・・・・気になる“お隣”・・・・・・・・増田外科医院の一軒おいて隣に気になる建物を発見!次の写真の右側出桁の木造家屋も気になるが、左側の駐車場奥にある木造住宅が気になるのだ。・・・・・・・・・2階屋根の庇裏はしっかり化粧され、屋根の妻には銅板が貼られ、窓は色ガラスでデザインされ、どうも洋館風だ!ひょっとしたら古い建物か?

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⑦同愛記念病院・・・・・・・・今日の私の目的地。・・・・・・・大正12年(1923)の関東大震災に際し、当時の駐日米国大使は、直ちにその惨禍を本国に報告し迅速な救援を要請した。時のクーリッジ大統領は、直ちに米国赤十字社に「あらゆる力を傾注して、迅速に援助の途を講ずべき」旨の教書を発した。これにもとづき、米国赤十字社が救援金品の募集を行い、大正14年(1925)までに、義捐金総額は1960万ドル(当時邦貨換算6860万円)となった。この義捐金の一部で、被災地域に救療事業を行う病院として、同愛記念病院が、被害の最も大きかった陸軍被服廠に近接する現在地(安田邸跡)に建てられた。病院は昭和4年(1929)から診療を開始した。・・・・・・・・戦後、病院は占領軍に接収され、昭和30年(1955)の返還後に、再び、現在の同愛記念病院として診療が開始された。・・・・・・・・・・現在の病院は平成14年頃の建築だが、旧病院は近藤十郎の設計で、アールデコ調の華麗な病院として、昭和4年(1929)に完成した。

・・・・・・・・・・・・病院内の案内板にある、旧病院の写真・・・・・・・・・私が幼き頃、蔵前橋を渡ると右側に旧病院があり、前を通るたびに、なんとなく恐かった!

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・・・・・・・・・・・・病院内部に飾られている、旧病院正面玄関の街灯と装飾金物

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・・・・・・・・・・・・現在の病院

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・・・・・・・・・・・病院到着12時、頭の悪者を退治して病院を出たのは16時・・・・・・・・・怖かった一日だ! 帰りに女医さんが『明日、頭の縫い目を消毒しますから、いらしてください。』 元気が出ました! 

⑧蔵前橋・・・・・・・・・夕日が当たる橋を、ルンルン気分で帰宅!

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2012年9月18日 (火)

浅草橋~新橋

雨が降るのか、降らないのか? 猛暑なのか、残暑なのか?  さらに、尖閣に攻めてくるのか、迎え撃つか? 結局、昼間は散歩しようか、止めとこか? 出そびれた!・・・・・・・・・陽が落ちたので、散歩の虫がゴソゴソ動き始めた。 とにかく、歩こう! 行くあてのないまま、我が家(浅草橋)から中央通りに出て新橋まで、1万2千歩、8kmの歩きです。

①ハロウィンのカボチャ・・・・・・・・浅草橋駅前の店では、10月31日の収穫感謝祭用のカボチャや、魔女、お化けの衣装が店頭に並び始めた。・・・・・・・・・ハロウィン、クリスマス、正月、これらの飾り付け用品が順に店頭に並び、いよいよ、これから年末に向かうのだ!

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旧川崎貯蓄銀行富沢町支店 ・・・・・・・・・・・昭和7年(1932)に建てられた銀行建築。隅切りされたコーナーにコリント式大オーダー(円柱)が配された玄関が特徴的な建物だ。・・・・・・・・・旧川崎貯蓄銀行富沢町支店→旧常陽銀行東京支店→旧常陽銀行堀留支店と変わり、現在は「ハリオグラス」の建物だ。

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③三越本店新館・・・・・・・・・平成16年(2004)にリニューアルオープンした日本橋三越本店新館。

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④野村証券本店・・・・・・・・・・・・日本橋の街路灯に照らされる、昭和5年(1930)に竣工した野村證券本店。・・・・・・・・・・戦後、米軍に接収されホテルとして使用されたらしい。それは、知りませんでした!・・・・・・・・返還後、建物は増築されより大きくなった。

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⑤日本橋の灯り・・・・・・・・・・・・

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⑥銀座の灯り・・・・・・・・・・・・・・

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・銀座の柳よ、good night!

2012年9月17日 (月)

散歩は臨時休業

来週は“彼岸”で我が家の墓参り、今日は妻方の墓参り。散歩は臨時休業だ。墓参の帰り、買物を兼ねスカイツリー下のソラマチにお立ち寄り。

●ソラマチ前の噴水で・・・・・・・・・・・・・赤ちゃんもパンパース姿で積極的に水遊びに参加・・・・・・・・・浴衣の“お古”で作った、おむつを愛用している児は、サスガいないね!

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・・・・・・・・・・・あと20年ぐらいしたら、老人ホームの中庭で、パンパースしたお年寄りが集団で水浴びする時代になるかも? そして、その中に私が居たりして・・・・・・・今夜の悪夢かな?

2012年9月15日 (土)

東京駅

今日は散歩を休む予定であった。しかし、東京駅のライトアップが試験的に実施される情報を聞き、急遽現地に直行! ライトアップを見たついでに、赤煉瓦高架橋沿いに新橋駅まで、9千歩、6kmの歩きです。

①東京駅・・・・・・・・・大正3年(1914)、辰野金吾により設計された東京駅。復元工事もいよいよ終了し、10月1日にはオープンする。今日はオープン前に、駅中央の部分を対象に、試験的にライトアップが行われた。・・・・・・・・・・煉瓦造りの東京駅を愛するファンの一人として、立ち会うべく駆けつけた。(単なる野次馬かも?)

・・・・・・・・・・ライト点灯前・・・・・・・・・

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・・・・・・・・・・ライト点灯・・・・・・

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・・・・・・・・・・お母さんもライトアップの写真を!  俺には関心ない、眠たいのだ!

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・・・・・・・・・・中央口と南口・・・・・・・・・

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②東京駅~有楽町駅・・・・・・・・正式には、新銭座(港区浜松町)と永楽町(千代田区丸の内)を結ぶ線であることから、「新永間市街線高架橋」と称する。有楽町~呉服橋仮駅間は明治43年(1910)に開通した。・・・・・・・・赤煉瓦高架橋は、線路西側(山手線側)で見ることができる、東側は新幹線の高架橋だ。赤煉瓦高架橋の下には飲食店が入り夜は明るい、新幹線の高架下には雀荘・鉄道/交通関係の企業などが入り夜は暗い。

・・・・・・・・・・・・赤煉瓦高架橋下には飲食店が・・・・・

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・・・・・・・・・・・耐震補強工事の為か、赤煉瓦が見える

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・・・・・・・・・・・チョイト暗い、新幹線下・・・・・

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③有楽町駅・・・・・・・・・明治43年(1910)東海道本線の駅として開業。

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・・・・・・・・・・・駅中央部分の有楽町中央口架道橋は、煉瓦造りのアーチ曲線が大きく、美しい。ドイツ人技師:バルツアーが設計を指導した高架橋は、明治43年(1910)に竣工した、その後の関東大震災では無傷であった。

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・・・・・・・・・・・高架下で待ち合わせ?

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④有楽町駅~新橋駅・・・・・・・・・・・晴海通りを渡ると飲食店がビッシリ! 焼き鳥、焼き肉の煙と匂い、風になびいて豚骨スープの匂いも混ざる、タマラナイね! 健康の為の散歩だが辛いね、たまには散歩を放棄したくなるよ!

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⑤新橋駅・・・・・・・・・明治42年(1909)、烏森駅(からすもりえき)として開業。・・・・・・・・只今、高架橋耐震補強、ホーム上部の大屋根架設、高架下コンコースの拡張など新橋駅改良工事の真っ最中。数年前まで高架下にあった「京浜ストア」が無くなり、コンコースとなるようだ!・・・・・・・・・・「京浜ストア」で中村屋の“かりんと”を買って、夜道を食べながら帰ったことを思い出す。 一袋食べると気持ち悪くなるよ!

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⑥新橋駅~チョイト先まで・・・・・・・・・赤煉瓦の高架橋は駅の先、第一京浜のガードまで続く。

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・・・・・・・・・・ガードの先にはシオサイトの超高層がせまる!

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・本日はこれにて幕とする!

2012年9月14日 (金)

浅草橋~南千住

今夜は、台東区の南端の我が家(浅草橋)から、北の端に接する荒川区南千住まで、1万1千歩、8kmの散歩です。

①銅板建築・・・・・・・・・わが町浅草橋には、まだ昭和初期に多く建てられた銅板建築が残っている。浅草橋3丁目のこちらの建物は、その一つで2階窓廻りのデザインも凝っている。・・・・・・・・・この建物、我が家の近くに在り、かつては飴屋さんで、金太郎飴と書いた大きな看板が取り付けられていた。2階上部に、金太郎飴の“太郎”の字が読める。

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②鳥越神社・・・・・・・・・白雉2年(651)、日本武尊を祀って白鳥神社と称したのが始まりらしい。歴史ある神社。・・・・・・・・・鳥越祭りは有名だが、普段はチョイト静かな神社だ。本日は既に閉店!

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・・・・・・・・・・・神社前は蔵前通り

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③浅草からスカイツリー・・・・・・・・・・

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④新仲見世・・・・・・・・・・今日も家内から買物を頼まれ、「新仲見世」に寄り道。・・・・・・・・・雷門と浅草寺本堂を結ぶ参道が「仲見世」。「仲見世」と直交し、昭和5年に開店した浅草松屋と浅草六区を結ぶ商店街が「新仲見世」。・・・・・・・・・・今日は外人が目立つ「新仲見世」

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・・・・・・・・・・・「仲見世」の裏側

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⑤浅草寺・・・・・・・・・・・

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⑥浅草六区・・・・・・・・・・

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⑦浅草花街・・・・・・・・浅草寺の北側(浅草3丁目)に広がる花柳界。・・・・・・・・明治18年(1885)、浅草公園には浅草寺寺内の芸妓衆が集まり、現在の浅草芸妓のもととなる公園芸妓が誕生した。明治29年(1896)には、公園見番が組織され、芸妓の管理、花街の運営にあたった。その後、花街も発展し、場所を浅草公園から現在の浅草寺北側に移っていった。大正末期には料理店49軒、待合茶屋250軒、芸妓約1000名を擁したが震災で壊滅した。戦後、花街の復興に努め、昭和25年(1950)に芸妓の鍛えた伎芸を披露する場として、「浅草おどり」が催されることになった。・・・・・・・現在は7軒の料亭、約40名の芸妓・幇間を擁している。

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⑧山谷のドヤ街・・・・・・・・・“山谷”の地名は消え、現在は日本堤、清川だ! 一泊2500円~3500円くらいが相場らしい!・・・・・・・・建物も鉄筋コンクリート5階建てもある。もちろん、木造の旅館風もある。・・・・・・・・・・夜の“山谷”は、想像以上に静かだが、酒の匂いはプンプン! 夜空の下で夢みる人も!

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⑨南千住・・・・・・・・・

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・・・・・・・・・・・ちょうど浅草橋経由のバスが来た、これで帰ることにする!

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2012年9月13日 (木)

池袋~飯田橋

今宵は、池袋駅から目白へ出て、目白通りを江戸川橋、飯田橋駅まで、1万4千歩、10kmの夕涼み。

①池袋駅西口・・・・・・・・・西口は東武百貨店側、または立教大学側、さらには東京芸術劇場側、もしくはホテルメトロポリタン側、くどく言うと西武百貨店のある東口の反対側、ダメ押しで言うと山手線の外側にある出入口だ。

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自由学園明日館・・・・・・・・・・・大正10年(1921)、旧帝国ホテルを設計したFロイド・ライトによる代表的な建物。国の重要文化財。

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③婦人之友社・・・・・・・・ライトの弟子の遠藤新の息子:遠藤楽の設計により、昭和38年(1963)に、自由学園明日館の正面の敷地に建てられた。学園の創設者:羽仁夫妻が、女性に向けて創刊した雑誌の出版社。・・・・・・・・・・鉄筋コンクリート造3階建て、大明建設施工・・・・・・・・・・明日館のデザインを意識・踏襲した設計だ!・・・・・・・・・「婦人之友」は明治36年(1903)創刊の雑誌、現在も定価710円で出版されている。「家計簿」を普及させた功績は大きいね。

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④目白駅周辺・・・・・・・・・・・小洒落た店の灯りが、客足を引き付けるようだ。・・・・・・・・・私の住む浅草橋駅周辺とは、明らかに違う! 目白は“セレブ”、浅草橋は“おばさん”、この違いだ!

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千登世橋・・・・・・・・・・目白通りが橋上を通り、下を明治通りが走る跨道橋である。連続する千登世小橋は都電荒川線を跨ぐ。

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⑥鳳山酒店・・・・・・・・目白通りと不忍通りがぶつかる交差点に「鳳山酒店」はある。建物は大正から昭和初期の建築か?

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・・・・・・・・・・・店の中を覗いてビックリ! ナント、分銅を載せるハカリがあった。主人の話しだと、まだ現役で味噌を量り売りするときに使用しているそうだ。・・・・・・・・さらに、店の奥には古い時計、奥の机も古い、昭和の酒屋にタイムスリップした!

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東京カテドラル聖マリア大聖堂・・・・・・・・・・・・昭和39年(1964)に竣工した、丹下健三の代表作。・・・・・・・・・・月明かりの下、静かに祈りを。

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⑧江戸川橋・・・・・・・・・・

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⑨飯田橋駅・・・・・・・・・・・

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・・・・・・・・・・・・・・夕涼みのつもりが、ここまで歩いて、汗グッチョリ!

2012年9月12日 (水)

京成金町線

連日の猛暑、散歩は今宵も夕涼みにした。京成金町駅から京成金町線に沿って京成高砂駅まで、9千歩、6kmの歩き。

京成金町線とは・・・・・・・・京成高砂駅と京成金町駅を結ぶ、路線距離2.5km、途中駅は柴又の一駅のみの、短い路線だ。 明治32年(1899)、帝釈人車鉄道として金町~柴又間が開通した。大正元年(1912)には、京成電気軌道(京成電鉄)として、高砂~金町間が開業した。・・・・・・・・・歴史ある路線だ。

・・・・・・・・・・・・今日と同じコースを一昨年に歩いていた。その時の写真はこちら。

①金町駅・・・・・・・・・1面1線の地上ホームの駅。道路面の改札からホームまでは、階段を5段あがればよい、お年寄りにやさしい駅だ。・・・・・・・バリアフリー対応で、エレベータ、エスカレータを設置しても利用する人は少ないと思うね!

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②柴又6号踏切・・・・・・・・金町駅に接している“柴又”6号踏切。踏切を渡ると「金町栄通り」の小路に続く。

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③国道6号線の踏切・・・・・・・・・・6号線(水戸街道)を横断して、単線の線路が真直ぐ伸びていく。頭上には6号線の立体交差が走る。

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④金町~柴又間・・・・・・・・・・金町浄水場の前を走りぬけ、柴又駅に向かう。

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柴又帝釈天・・・・・・・・参拝の受付は17時まで、すでに参道の店は閉店だ! でもここまで来たら、手を合わせて帰ろう!

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⑥柴又駅・・・・・・・・唯一の途中駅。駅前の焼きそばやさんは営業中。

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・・・・・・・・・・お母さんと寝る前に電車を見に来た坊や。電車が好きで、毎日、駅に来るそうだ。・・・・・・・・・偉くなりそうだ、将来は柴又駅の駅長か、それとも、“フーテンの寅”かな?

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⑦柴又~高砂間・・・・・・・・・

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・・・・・・・・・・・右は高砂駅高架ホームへ、左は高砂車両基地へ

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・・・・・・・・・・車両基地と左側に高架ホームへ向かう単線の高架橋が続く

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・・・・・・・・・・高砂駅へ向かう本線(地上)と金町線(高架)

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⑧高砂駅・・・・・・・・・京成本線、成田スカイアクセス線、北総線の全ては地上ホームから発着しているが、京成金町線だけは1面1線の高架ホームを使用している。なぜか、改札も別になっている。高架になったのは平成22年(2010)からで、2年前だ!

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・私は、夜が怖いので、早く帰ることにする。

2012年9月11日 (火)

市場町

本日は稲毛へ行った帰りに、チョイト千葉県庁の周辺を、1時間ほどウロチョロしてみた。

①気になるモノレール・・・・・・・・・・よそ者の私には、大通りの真ん中に無骨な鉄骨の軌道が走り、どうしても気になり歩きづらいモノレールだ。東京・横浜・大阪などの市街地を走る高速道路も同じだが、都市の景観を壊しているとしか思えない。モノレールも高速道路も無くなると、サッパリとした明るい空間が誕生し、美しい新しい都市が誕生すると思うよ!・・・・・・・・・東京日本橋の頭上を走る首都高を地下化する計画も、同じ考えだ!

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②千葉県庁本庁舎・・・・・・・・・・20階建て(高さ95.4m)の高層ビルの本庁舎は、ご立派。平成8年(1996)竣工。・・・・・・・・・19階には展望回廊、20階にはレストラン、地上には由緒ある「羽衣の松」があるそうだ。いずれも知らず、今日は見なかった、残念!

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③吾妻橋・・・・・・・・中央区市場町の千葉県庁際を流れる都川に架かる橋。この辺は明治6年(1973)に県庁が現在地に建てられ、市街地として整備されたそうだ。

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④市場町(いちばちょう)・・・・・・・・・“中央区市場町”は県庁所在だ、すぐ目の前には千葉城も建っている。 この大通りを歩いてビックリ、“本当に県庁所在地か?”。 昭和40年代高度成長期に建てられたと思われる商店のビルにはシャッターが下り、開いている商店に客の姿はなく、商品は埃まみれ、、、、、、、森田知事へ、“町が死んでしまうぞ!”

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⑤日本キリスト教団 千葉教会・・・・・・・・・明治8年(1875)に布教を開始した千葉教会は、明治28年(1895)に本格的な洋風の教会を建てた。 市場町の家並みの中に埋もれるように建つ、木造の瀟洒なこの教会は、ドイツの建築家リヒャルト・ゼールの設計による。・・・・・・・・・この教会は内部の構造(木組み)に特徴がある建物だが、本日は施錠され、教会の人も見あたらず、外部のみ撮影して来た。

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⑥千葉城・・・・・・・・・市場町の隣りに、千葉氏の居城、千葉城(別名:亥鼻城)があった。・・・・・・・・・・鉄筋コンクリート造の白亜の天守は、立派な城に見えるが、実態は、、、、、、、、千葉氏が活躍した戦国時代には、このような城はなかったらしい。 現在の天守型の城は、昭和42年(1967)に築城された「千葉市郷土博物館」のなにものでもない。・・・・・・・・城の歴史に疎い私は、本当に存在した城の復元だと思った。まあ、青空に美しく映える、観光資源の一つと思えばイイカ!

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2012年9月10日 (月)

水道橋~巣鴨

水道橋駅から白山通りの西側を巣鴨駅まで、1万3千歩、10kmの散歩です。

①水道橋駅・・・・・・・・・・・“水道橋”の駅名は、駅の北を流れる外濠(神田川)に架かっていた神田上水の掛桶(=かけひ。水道の通る橋)に由来する。ちなみに、Jazzライブハウス「東京倶楽部」の隣りのビルには掛桶の模型が飾られている。ビルの前には掛桶を説明した案内板もある。・・・・・・・・・水道橋駅は、明治39年(1906)9月、甲武鉄道の駅として開業し、翌月(10月)には国有化により国鉄の駅となる。・・・・・・・・・ホーム上屋の古レール架構は、美くしい形を造りだしている!

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②新水道橋架道橋・・・・・・・・・水道橋駅東口の、白山通りに架かる架道橋。明治37年(1904)に竣工した、甲武鉄道発注のHarkort(=ハーコート:かつて存在したドイツの橋梁メーカー)製プレートガーダーの橋。・・・・・・・・・ガード下に、わが母校「京華学園」の看板を発見!

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③大亜堂書店・・・・・・・・小石川に大正末期に創業し、昭和7年(1932)より現店舗にて営業中。スクラッチタイルと白地に黒の左書きの看板が特徴的な建物だ!・・・・・・・・・まだ、開店前です!

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④小石川二丁目の路地裏・・・・・・・・・・・大亜堂書店の裏側から上富坂教会そばに出る、ひそやかな坂道がある。階段状の細い坂道でクルマは入れず、周囲の高層ビルから見下ろされる位置に、数軒の民家がひそりと軒を並べている。・・・・・・・私好みの路地だ!

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⑤上富坂教会・・・・・・・・・・・明治24年(1891)に文京区富坂の地(現:小石川2)に新教神学校が建てられて以来、教会、幼稚園、学生寮などが整備されてきた。・・・・・・・・その一つ、現在の教会の建物は関東大震災に遭遇し、戦災では被災を免れたようだ! 教会後ろ側は煉瓦造りの部分もあり、古そう!・・・・・・・・平日は門も閉じられ、日曜礼拝の時などに内部を拝見できるそうだ。今日は外からチラッと拝見!

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⑥NTT小石川第二ビル・・・・・・・・・・・昭和13年(1938)頃の建築と推定されるが、年代、設計者などはわからない。・・・・・・・・・・“古そうだ!”の一言。

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⑦照井医院・・・・・・・・・・・大正初期に建てられたらしい、小石川の歯医者さん。正面はモルタル塗り、側面は下見板張りで、縦長の古い窓と木造のドアが、レトロな感じを演出している建物だ。医院の隣りは銅板建築、こちらも古そう!・・・・・・・・・・歯医者さんで、似た印象がある上野の比留間歯科医院を思い出した。

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⑧小石川白山教会・・・・・・・・・明治35年(1902)に現在地に宣教師館とチャペルが建てられ教会が誕生した。現教会の建物はその後建替えられたようだ?(年代不詳)・・・・・・・・・・教会の敷地内に幼稚園があり、朝の通園時間に重なったようだ。若いお母さんが、教会前に集まり、何やらミーティング中。私のような者は不審人物と思われるので、ヤバイから、教会から遠ざかることとした。

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⑨彰栄保育福祉専門学校・・・・・・・・・・・明治29年(1896)東京幼稚園保姆養成所として開設された、歴史ある学校だ。・・・・・・・・・・・建物は昭和7年(1932)、清水組の設計・施工で建てられた。・・・・・・・・・・白地の薄茶のスクラッチタイルでアクセントをつけた、可愛らしい建物。

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⑩明化小学校・・・・・・・・・・明治7年(1874)創設の、歴史ある、由緒正しいい小学校。校名は“文明開化”から名づけられた。“ナルホド!”・・・・・・・・・現校舎は昭和5年(1930)に復興小学校として建てられた。・・・・・・・・・・校舎の内部(正面玄関のまわり)をチョイト拝見させてもらい、昭和の学校の匂いを感じ、感動した。

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・・・・・・・・・・・真直ぐの廊下・・・・・・・アーチ形の梁型が、いいね!

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・・・・・・・・・・昭和初期のげた箱(?)

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・・・・・・・・・・・手洗い場? 水飲み場?

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・・・・・・・・・・職員室まわり

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・・・・・・・・・・玄関ホールに面した主事室の窓。腰のタイルと調和し、昭和レトロの味が出ている。

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・・・・・・・・・昭和16年(1941)に同窓会から贈られた釣鐘・・・・・・・・現在も、この鐘は鳴らされているそうだ。

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・・・・・・・・・・綺麗に納められた上履き。御見事!

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⑪路地・・・・・・・・千石4丁目の路地。つい、マンホールの数を数えたくなる路地。

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・・・・・・・・・・・・・・散歩はここまで

●おまけ・・・・・・・・夜、神田須田町の銅板建築が取り壊しとなるので、お別れのライトアップが本日から3日間行われ、さっそくパチリ!・・・・・・・・元交通博物館前に残っていた、大正末期に建てられた柏山邸。

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・・・・・・・・・・去年の8月撮影

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2012年9月 8日 (土)

越中島貨物線 続き

昨日は越中島貨物線の途中で散歩を切り上げたので、今日は続きを散歩することにした。

東陽町から、昨日の幹線3号踏切まで歩き、越中島貨物線の終点を確認して、地下鉄豊洲駅まで、1万2千歩、9kmの散歩です。

①幹線3号踏切から、続きを歩く・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・今日は土曜日、しかも午前中、さらにチョイ曇り、ディーゼル機関車との“ご対面”は期待せず、夏草の茂る線路を走る機関車を想像して歩く!

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②新砂踏切・・・・・・・・・・・・新砂1丁目に在る踏切。これより先は入れない。

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・・・・・・・・・・線路右側奥に進むと、越中島貨物駅だが、JR専用道なのか交通整理の人がいてJRバスを誘導している。 私は右へ真直ぐ行く。

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③東西線深川車両基地・・・・・・・・・・・江東区塩浜の東京メトロ東西線深川車両基地。“深川”は、旧地名“深川区”に由来しているらしい。・・・・・・・・・土曜半休か?多くの東西線車両がお休み中。・・・・・・・・・・・・越中島貨物駅は東西線の車両基地と川に囲まれ、近寄れません!

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④越中島貨物駅・・・・・・・・・・現在、貨物の取り扱いはやめ、東京レールセンターとして、短いレールをつないで長くする工場の専用駅だ。・・・・・・・・・・土曜でも、構内では仕事中だった。・・・・・・・・・写真は、越中島貨物線の終端部に架けられている跨線橋「しおかぜ橋」から遠望した。

・・・・・・・・・・・・中央左奥が越中島貨物駅、右側は京葉線

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・・・・・・・・・・・・地下に潜りこむ京葉線

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・・・・・・・・・・レールを移動中

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・・・・・・・・・・・越中島貨物線の終点、車止めが“一人寂しそう”。

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⑤越中島貨物線終点の先に・・・・・・・・・越中島貨物線の終点車止めの真後ろには、東京都港湾局所有の専用線:晴海線(はるみせん)の廃線跡が残っている。・・・・・・・・・戦後、港湾局は専用線を越中島から晴海・豊洲まで敷設したが、平成元年(1989)に全廃された。

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・・・・・・・・・・・・越中島貨物線は、ココまで!

⑥豊洲駅前・・・・・・・・・・・・石川島播磨重工業を核とする工業地帯。住宅も、飲食店も、店舗も、洒落っ気なしの街だった。・・・・・・・・・・今は、高層マンションが立ち並ぶ若い人の街となった。その中で、「豊洲四丁目アパート」の周りは、昭和40年代の面影を残している。・・・・・・・・・・先月末で、団地内のクリーニング店も閉店した。近くの大型スーパーには勝てないようだ!

・・・・・・・・・・・・・豊洲四丁目アパート

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・・・・・・・・・・駅前の高層ビル・・・・・・・・・・・

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・・・・・・・・・・豊洲の若い人・・・・・・・・・

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2012年9月 7日 (金)

越中島貨物線

亀戸駅から越中島貨物線に沿って東陽町駅まで、1万4千歩、10kmの散歩です。

越中島貨物線は、総武本線小岩駅から亀戸駅を抜け、その後、江東区大島・北砂・南砂・新砂を南下し、塩浜(京葉線潮見駅近く)の越中島貨物駅を結ぶ、総武本線貨物支線の通称だ。昭和4年(1929)に亀戸駅~小名木川駅間が開業し、戦後には豊洲・晴海・越中島へと延伸した。現在は、一般貨物は輸送しておらず、JR東日本のレールを越中島の東京レールセンターへ運ぶ、平日の3往復がダイヤに組まれているだけ。・・・・・・・・・ダイヤは設定されていても、実運行は気儘なようで、今日の午前中はディーゼル機関車(DE10)とは“ご対面”できなかった。残念!

①亀戸駅・・・・・・・・・・ホームから見る越中島貨物線・・・・・・・・・平成15年(2003)前後から、越中島貨物線を活用してLRT(=次世代型路面電車システム)導入の話があったが、現在は様子見の状態だ! もし、実現したらホームからLRTの車両が見えるかも?

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②京葉道路を跨ぐ越中島貨物線・・・・・・・・・・・・・

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③竪川橋梁・・・・・・・・・・・・竪川(たてかわ)は埋め立てられ河川敷公園として整備されている。 竪川橋梁は、現在、頭上の首都高7号、足下の公園に挟まれた、チョイト、息苦しそうな橋梁だ。・・・・・・・・・昭和4年(1929)に鉄道省の設計で完成した。橋は、プレートガーダー橋+トラス橋+プレートガーダー橋の形式で、橋脚は煉瓦造。・・・・・・・・・・鉄道遺産か、産業遺産か、どちらでもいいから保存してほしいね!

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④煉瓦造のガードと盛土区間・・・・・・・・・・亀戸駅~小名木川駅までの間は、盛土区間で道路とは橋脚が煉瓦造のガータ橋によるガードが多い。・・・・・・・・開通時(昭和4年)の状態だろうと思うよ!

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・・・・・・・・・・・・炎天下の盛土部分で、雑草を刈っていた、ご苦労様。感謝!

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⑤幹線29号架道橋・・・・・・・・道路下を都営新宿線が通っている新大橋通りを跨ぐ架道橋。複線分の幅が確保されている。

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⑥小名木川橋梁・・・・・・・・・・・・その名の通り、小名木川(おなぎがわ)に架かる橋梁。形式は、トラス橋+プレートガータ橋。この橋も鉄道省の設計で昭和4年(1929)に開通した。ちなみに、橋桁の製作は、竪川橋梁と同じ東京石川島造船所。・・・・・・・・白塗りのトラス橋が特徴的だ!

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⑦小名木川貨物駅跡・・・・・・・・・江東区北砂2丁目に在った小名木川貨物駅は平成12年(2000)に廃止され、東京ドームの2倍以上ある広大な跡地はショッピングセンターとなった。・・・・・・・・・現在は、小名木川駅総合詰所の建物と待避線が残されているだけ。・・・・・・・・・・・亀戸駅から小名木川駅までは、複線分の線路敷きに単線の線路であったが、これより越中島貨物駅へは完全に単線となる。

・・・・・・・・・・右側の盛土上は貨物線、左は跡地のショッピングセンター

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・・・・・・・・・・・手前は跡地の公園、奥に貨物線

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・・・・・・・・・・・貨物線の奥に建つ「小名木川駅総合詰所」

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・・・・・・・・・・・・跡地の公園にはあるモニュメント

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・・・・・・・・・・・今日は“ご対面”できなかったので、昨年7月に撮った写真で我慢!

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・・・・・・・・・・・・これより先は単線となる

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⑧幹線27号踏切・・・・・・・・・・葛西橋通りを横断する踏切。

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⑨城東電軌跨線橋・・・・・・・・・南砂2丁目の軌道跡に造られた緑道には、都電になる前の城東電軌の軌道を跨ぐ跨線橋がある。・・・・・・・・跨線橋の下には、昭和2年(1927)から昭和47年(1972)まで都電(城東電車)が走っていた。・・・・・・・・跨線橋脇に、都電の車輪が残されていた。

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⑩幹線3号踏切・・・・・・・・・・永代通りを渡る踏切、道路下には地下鉄東西線が通っている。

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今日の散歩はココまで!  (続きはこちら)

2012年9月 4日 (火)

四ツ谷~飯田橋

今宵の夕涼みは、荒木町と神楽坂の花街散歩となった。四ツ谷駅から飯田橋駅まで、1万2千歩、8kmの歩きです。

四谷見附橋・・・・・・・・・・・四ツ谷駅前のJR中央線を跨ぐ跨線橋。現在の橋は2代目で、初代の橋は多摩ニュータウンに移設・保存されている。・・・・・・・・・・・・皇居から、明治42年(1909)に完成した「赤坂離宮」(現:迎賓館) に至る道の一部として、大正2年(1913)に初代の四谷見附橋は完成した。都内最古の鉄製アーチ橋で、赤坂離宮と調和させたデザインは素晴らしいものだ。・・・・・・・・現在の橋は、平成3年(1991)に交通量の増加による拡張工事で架け替えられた。旧橋のイメージ、デザインを踏襲するため、親柱・欄干・橋灯・橋脚など、可能な限り旧橋のデザインを復元している。・・・・・・・・・橋から四ツ谷駅ホームが見下ろせる。

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荒木町・・・・・・・・・・現在の荒木町は、ほぼ全体が、江戸時代には美濃国高須藩藩主・松平義行(摂津守)の屋敷があったところだ。屋敷の中央に大きな池があり、高低差の大きな窪地であった。明治時代になると、屋敷は小分けされ民間に渡った。中央の池・滝などが話題となり、人が集まり、やがて三業地化したようだ。・・・・・・・・現在でも、中央の池は「策(むち)の池」と呼ばれ、縮小されながらも「津の守弁財天」のところに残っている。・・・・・・・・・窪地であった名残で、路地・階段も随所に在り、石が敷かれ、芸者が行き交った花街の面影がまだ残っている。 四ツ谷の奥座敷は健在で~~す。

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③曙橋・・・・・・・・・・谷間を抜ける靖国通りの上に架かる外苑東通りの陸橋。・・・・・・・・・関東大震災の復興事業として、交通の便が悪かったこの場所に架橋する計画があった。しかし、資金不足で計画は放置され、戦後になって着工され、昭和32年(1957)、やっと、開通した。

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④防衛省・・・・・・・・・・外苑東通り側にある裏門(?)。テレビ塔ではないと思うが、シンボルタワーが立っている。

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⑤旧第一信用金庫本店・・・・・・・・・・・外壁は綺麗に塗り直されているが、鉄筋コンクリート造2階建て、大正14年(1925)完成の銀行建築。市谷柳町に建っている。・・・・・・・・・戦後、病院として使用し、現在はビストロ「かがり火」として、お洒落なレストランと洋菓子店として利用している。・・・・・・・・・美味しそうなレストラン、一度、食してみたい!

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神楽坂・・・・・・・・・・・古くからある毘沙門天(善国寺)の周囲の茶店が、明治時代に花街に変わった。最盛期には700名の芸者がいたが、現在は30名程となった。伝統文化を残すためにも、花街の活性化に、街ぐるみで取り組んで欲しいね!・・・・・・・・・・私の住む浅草橋では、柳橋芸者は“0”となり寂しくなったので、政治家・財界の皆さんは花街の活性化のため、ぜひ、ぜひ、大いに利用してほしい。期待するよ!

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2012年9月 3日 (月)

上中里~熊野前

JR上中里駅から舎人ライナー熊野前駅まで、1万2千歩、9kmの散歩です。

①上中里駅・・・・・・・・・・昭和3年に田端~赤羽間の複線電車線が完成し、それまで桜木町~田端間で運手されていた電車線が赤羽まで延伸された。これが『京浜東北線』の始まりだ! 上中里駅は、5年後の昭和8年(1933)に開業した。 島式ホーム1面2線の地上駅だが、駅舎は“橋上駅舎”となっている。 改札・出入口は上野寄りの1か所のみで、駅売店も無く寂しい駅だ!(現在はJRの職員も常駐しない委託駅らしい。)・・・・・・・・・・ホームの上屋の骨組みに古レールが使用され、波型スレート屋根の受け材には木材が使用され、歴史を感じさせる。

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②梶原踏切・・・・・・・・・・上中里駅から北へ150m程の位置に在る、東北本線の踏切。踏切は尾久車両センターの大宮寄りに在り、脇のエレベーター付き跨線橋から、全体が見える。ただし、嵌め殺しのガラス窓があるので、チョイト写真を撮るには邪魔だ!

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③都電梶原(かじわら)停留所・・・・・・・・・・・・朝の出勤時間帯は3分間隔程で運行している。・・・・・・・・・・乗客も多く、黒字だろう?

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④堀船の煉瓦塀・・・・・・・・・・隅田川の水運に恵まれ、原料の荒木田土が採れることから、北区堀船・荒川区西尾久の周辺では、明治時代、多くの煉瓦工場が創業した。北区堀船では、その名残の煉瓦塀、煉瓦蔵が随所に見られる。・・・・・・・・・モルタルで補強したのか、割れ目から煉瓦の見える塀もある。

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⑤船方神社・・・・・・・「あらかわ遊園」の隣り、隅田川右岸に背へを向け鎮座している、神亀2年(725)創建の古い神社。

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・・・・・・・・・・境内の神輿庫・・・・・・・・・「あらかわ遊園」西側に、大正11年(1922)まで「廣岡煉瓦工場」があった。そのオーナーであった廣岡幾次郎が寄進した神輿庫。

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⑥あらかわ遊園・・・・・・・・大正11年(1922)、「廣岡煉瓦工場」が失火で操業停止した跡地に、廣岡幾次郎(後に廣岡勘兵衛)が私立遊園地を開園した。戦前は陸軍の高射砲陣地にもなったが、戦後、荒川区営の遊園地となる。・・・・・・・煉瓦調にデザインされた正面玄関。

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・・・・・・・・・遊園地前に保存されている“一球さん(都電6000系)”・・・・・・・私が通学で利用した型式の都電、昭和24年(1949)製造。 懐かしい!

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⑦あらかわ遊園を囲む煉瓦塀・・・・・・・・大正11年(1922)の遊園地開園時に造られた煉瓦塀。遊園地を囲むように、総延長300m程が造られ、現在は170m程が残されている。・・・・・・・・使用されている煉瓦には、小菅集治監製の煉瓦もあるそうだ!

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⑧小台(おだい)橋・・・・・・・・・以前は、昭和8年(1933)竣工の橋が架かっていたが、老朽化により、平成4年(1992)の現在の橋に架け替えられた。下を流れる隅田川。

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⑨煉瓦の町のサルスベリ・・・・・・・・・

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2012年9月 1日 (土)

浅草橋~錦糸町

9月1日は防災の日、私は『震災記念日』として、幼き頃は教えられてきた。我が家(浅草橋)から蔵前橋を渡り、震災記念堂(現:東京都慰霊堂)に慰霊に行くのが楽しみだった。記念堂の周りには、多くの屋台が並び、金魚、カルメ焼き、べっこう飴、ヨウヨウ、水鉄砲、、、、、何か買ってもらえる期待が大きかった。

今日は、我が家から、震災記念堂に寄り手を合わせ、本所を抜けて錦糸町まで、1万歩、7kmの散歩です。

①隅田川・・・・・・・・・・・・・・蔵前橋から

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②旧震災記念堂・・・・・・・・・・現在は「東京都慰霊堂」、三重塔を後ろに従えた寺院建築。昭和5年(1930)に関東大震災の身元不明の遺骨を納め、死者の霊を祀る建物として建てられた。・・・・・・・・・記念堂がある墨田区横綱のこの敷地は、元陸軍被服廠があった場所で、震災当時は跡地を公園にするため更地であった。地震の罹災者は避難場所として、この更地に逃げ込んだが、火災旋風によりこの地で3万人以上が死亡した。・・・・・・・・・記念堂は、東大名誉教授:伊東忠太の設計で、鉄骨鉄筋コンクリート造3階建ての規模で建てられた。・・・・・・・・後ろの三重塔の基部は納骨堂となっており、本日は扉も開けられて、線香が手向けられていた。・・・・・・・・・・昭和23年(1948)より、東京大空襲で被災し仮埋葬された身元不明の遺骨も安置し、昭和26年(1951)に「東京都慰霊堂」と改称した。

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③東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑・・・・・・・・・・・記念堂の隣りに平成13年(2001)に建てられた碑。碑の内部には東京大空襲で犠牲となった方々の名前を記録した「東京空襲犠牲者名簿」が納められている。一巻に2500名の名を記し、計34巻(約8万人)の名が納められている。

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④東京都震災復興記念館・・・・・・・・・・・・関東大震災の復興事業を記念するために、震災記念堂の付帯施設として建設された。こちらも伊東忠太の設計で、鉄骨鉄筋コンクリート造2階建て、昭和6年(1931)に竣工し、東京市に寄贈された。

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⑤屋台・・・・・・・・・震災記念堂前には、今年も屋台が並んでいた。・・・・・・・・・私の幼き頃は、記念堂がある横綱町公園を囲むように多くの屋台が出ていたが。今日は30店ほどだ! 食べ物の屋台が大半で、子供相手より、大人相手の商売のようだ!

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⑥徳之山稲荷神社・・・・・・・・・・池波正太郎の小説に登場する“火付盗賊改”。墨田区石原のこの神社は、火付盗賊改:徳山五兵衛の屋敷跡だ。境内には「日本左衛門首洗い井戸跡之碑」が建っている。

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⑦本所のスカイツリー・・・・・・・・・・墨田区本所、大平、石原の界隈は、関東大震災で燃え尽くされ、その後、震災復興道路として蔵前橋通りが整備され、大きく区画整理された。(地図を見ると碁盤上に道路が敷かれているので、よく判る) さらに、東京大空襲で被災し、戦前の建物は少ない。・・・・・・・・・・錦糸町まで、スカイツリーでも見ながら、ブラブラ歩きだ! 

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