« 浅草橋~飯田橋 | トップページ | 上中里~熊野前 »

2012年9月 1日 (土)

浅草橋~錦糸町

9月1日は防災の日、私は『震災記念日』として、幼き頃は教えられてきた。我が家(浅草橋)から蔵前橋を渡り、震災記念堂(現:東京都慰霊堂)に慰霊に行くのが楽しみだった。記念堂の周りには、多くの屋台が並び、金魚、カルメ焼き、べっこう飴、ヨウヨウ、水鉄砲、、、、、何か買ってもらえる期待が大きかった。

今日は、我が家から、震災記念堂に寄り手を合わせ、本所を抜けて錦糸町まで、1万歩、7kmの散歩です。

①隅田川・・・・・・・・・・・・・・蔵前橋から

2012_0901_152916s

2012_0901_153100ts

②旧震災記念堂・・・・・・・・・・現在は「東京都慰霊堂」、三重塔を後ろに従えた寺院建築。昭和5年(1930)に関東大震災の身元不明の遺骨を納め、死者の霊を祀る建物として建てられた。・・・・・・・・・記念堂がある墨田区横綱のこの敷地は、元陸軍被服廠があった場所で、震災当時は跡地を公園にするため更地であった。地震の罹災者は避難場所として、この更地に逃げ込んだが、火災旋風によりこの地で3万人以上が死亡した。・・・・・・・・・記念堂は、東大名誉教授:伊東忠太の設計で、鉄骨鉄筋コンクリート造3階建ての規模で建てられた。・・・・・・・・後ろの三重塔の基部は納骨堂となっており、本日は扉も開けられて、線香が手向けられていた。・・・・・・・・・・昭和23年(1948)より、東京大空襲で被災し仮埋葬された身元不明の遺骨も安置し、昭和26年(1951)に「東京都慰霊堂」と改称した。

2012_0901_155806cs

2012_0901_160414tcs

2012_0901_160152cs

2012_0901_154001s

2012_0901_153915s

③東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑・・・・・・・・・・・記念堂の隣りに平成13年(2001)に建てられた碑。碑の内部には東京大空襲で犠牲となった方々の名前を記録した「東京空襲犠牲者名簿」が納められている。一巻に2500名の名を記し、計34巻(約8万人)の名が納められている。

2012_0901_154347s

2012_0901_154148s

2012_0901_154250tcs

④東京都震災復興記念館・・・・・・・・・・・・関東大震災の復興事業を記念するために、震災記念堂の付帯施設として建設された。こちらも伊東忠太の設計で、鉄骨鉄筋コンクリート造2階建て、昭和6年(1931)に竣工し、東京市に寄贈された。

2012_0901_155720ts

2012_0901_154626s

⑤屋台・・・・・・・・・震災記念堂前には、今年も屋台が並んでいた。・・・・・・・・・私の幼き頃は、記念堂がある横綱町公園を囲むように多くの屋台が出ていたが。今日は30店ほどだ! 食べ物の屋台が大半で、子供相手より、大人相手の商売のようだ!

2012_0901_160716ts

⑥徳之山稲荷神社・・・・・・・・・・池波正太郎の小説に登場する“火付盗賊改”。墨田区石原のこの神社は、火付盗賊改:徳山五兵衛の屋敷跡だ。境内には「日本左衛門首洗い井戸跡之碑」が建っている。

2012_0901_161348s

⑦本所のスカイツリー・・・・・・・・・・墨田区本所、大平、石原の界隈は、関東大震災で燃え尽くされ、その後、震災復興道路として蔵前橋通りが整備され、大きく区画整理された。(地図を見ると碁盤上に道路が敷かれているので、よく判る) さらに、東京大空襲で被災し、戦前の建物は少ない。・・・・・・・・・・錦糸町まで、スカイツリーでも見ながら、ブラブラ歩きだ! 

2012_0901_162414tcs

2012_0901_163836tcs

2012_0901_164722s_2

2012_0901_165446ts

« 浅草橋~飯田橋 | トップページ | 上中里~熊野前 »

散歩」カテゴリの記事

建築」カテゴリの記事

墨田区」カテゴリの記事