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2012年10月

2012年10月31日 (水)

中川

京成高砂駅から中川沿いに歩いてJR新小岩駅まで、1万4千歩、11Kmの散歩です。

①京成高砂駅・・・・・・・・・・・大正元年(1912)、京成が押上~江戸川・柴又間を開業したとき、同時に“曲金(まがりかね)”駅として開業した。・・・・・・・・現在は地上ホームが2面4線で京成本線と北総線が走る。このほかに高架ホーム1面1線に金町線が発着する。・・・・・・・・・・朝のホームに“駅そば”のダシの匂いが漂い、目茶苦茶に食欲をそそる。 耐えることの辛さを知る駅だ!

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②高砂天祖神社・・・・・・・・・創建年代不詳の古い神社。旧曲金村(高砂の旧地名)の鎮守さま。

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③高砂橋・・・・・・・・・・中川は、埼玉県羽生市を水源とし、三郷市・八潮市をとおり高砂で、旧中川と新中川に分離する。旧中川は昔の風情を残し、葛飾区内を蛇行して荒川に合流する。新中川は昭和38年(1963)に放水路として開削され、高砂橋から南下し旧江戸川と合流する。・・・・・・・・・・旧中川と新中川の分岐点上流に架かる高砂橋は、平成5年(1993)に斜張橋(塔から斜めに張ったケーブルを橋桁に直接つなぎ支える構造の橋)に架け替えられた。長さ186.5mの2径間連続斜張橋。・・・・・・・・・・・シンプルで美しい橋だ!

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・・・・・・・・・・・高砂橋から、旧中川(右)と新中川(左)を眺める

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④青砥橋・・・・・・・・・・昭和58年(1983)に架けられた青砥橋。青砥駅の高架化と同時期に竣工し、橋上を通る環七通りも同時期にこの橋の開通を最後として全線開通となった。

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・・・・・・・・・・・青砥橋から眺める

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・・・・・・・・・・・川沿いの桜の木は秋色に! 隣りの柿の木も秋色に!

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⑤奥戸橋・・・・・・・・・・・地元の人のみ知る“本奥戸橋”、“奥戸新橋”に比べ、さらにマイナーな“奥戸橋”。立石と奥戸を結ぶ、飾りの少ないガータ橋だ。

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⑥熊野神社・・・・・・・・奥戸橋の西側(立石)には、平安時代中期の長保年間(999~1003)に陰陽師によって勧請された熊野神社がある。・・・・・・・・・・御神体を安置する石造りの神殿は寛政8年(1796)に、本殿は明治12年(1879)に、幣拝殿は昭和36年(1961)に建てられた。さらに、平成20年(2008)に御神門・神楽殿が建てられた。・・・・・・・裕福そうな神社だ。神様の御利益か?

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⑦本奥戸橋・・・・・・・・・・奥戸街道が中川を越える位置に架かる橋。昭和62年(1987)に架け替えられたトラス橋、長さ122.1m。

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・・・・・・・・・・・橋の立石側の際には、江戸時代の地蔵尊と馬頭観音と道しるべが置かれている。・・・・・・・・・・・草の匂いがする街道沿いに在ったのか?

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⑧平和橋・・・・・・・・・足立区と江戸川区を結ぶ平和橋通りが中川を渡る位置に架けられた橋。昭和35年(1960)に架橋。・・・・・・・・・“平和橋”とは、札幌、広島、大田区などに在り、安易な命名なのか(?) 親柱・欄干の鳩もなにかわざとらしいね。

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⑨上品寺・・・・・・・・・・・・東新小岩の上品寺(じょうぼんじ)は、創建年代不詳だが、享保元年(1716)に新義真言宗の寺となった。・・・・・・・・・・本堂は、古い建物ではないが、屋根の勾配が綺麗で、私好みの寺だ!

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・・・・・・・・・・・・・本堂脇のゑんま大王安置堂には、高さ2mの室町初期のエンマ大王が座している。

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・・・・・・・・・・・・・・・・明日は、私の後頭部の髪の中に住み着いた“悪性腫瘍”の撤去のため、再手術の日だ。痛くないように、賽銭を奮発し手をあわせた。『ゑんま様、よろしく!』

2012年10月29日 (月)

上野の山

我が家(浅草橋)から上野の山へ、1万3千歩、9kmの散歩です。

①台東区台東の建築・・・・・・・・・“台東”とは、浅草橋と御徒町の間に位置する地名で、昭和39年(1964)の住居表示変更以前は、“御徒町1丁目、2丁目”、“二長町”、“竹町”と呼ばれた処だ! この辺は、江戸時代の旗本・大名屋敷が在ったところで、大正・昭和は、商業の町となりそれなりに活気が在った。・・・・・・・・今でも、看板建築(関東大震災後、商店などの木造の建物の前面を、モルタル/銅板などで、看板のように飾った建物。)を多く見ることのできる一帯だ。・・・・・・・・・我が家のまわり浅草橋から、台東、小島、東上野などには、看板建築が多く残り、裏道には“昭和の下町”の匂いがプンプン!

・・・・・・・・・・・・銅板の3軒長屋・・・・・・・・1階は家ごとに改装しているが、2階はそろっている。

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・・・・・・・・・・・西郷医院・・・・・・・・・・・窓枠はアルミサッシに変わったが、建物の全体イメージは変わらず、残して欲しいモルタル系看板建築の診療所。・・・・・・・・・玄関の円柱がいいね!

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・・・・・・・・・・・・トタンの看板建築

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・・・・・・・・・・・・スクラッチタイル貼り、腰は石貼りの超モダンな蔵。昭和初期の建築(?)

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・・・・・・・・・・・・出桁造りの商家も健在・・・・・・・・・・玄関には「備長炭あります」の貼紙が、燃料屋さんだ!・・・・・・・・・・主戦直後は、燃料屋さんでは、炭はもちろん、薪・練炭・七輪・豆炭などを売っていた。ガソリンスタンドはなかったな!

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・・・・・・・・・・・・こちらも出桁造りの商家

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・・・・・・・・・・・蛇腹の縦型のシャッターが時代を偲ばせる銅板建築。 既に空き家となり大分時間が経過した。

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②東京電力下谷変電所・・・・・・・・・上野のマルイ裏の飲食店が軒を連ねている一角に寂しくたたずむ大正ロマンの建物。昭和6年(1931)に建てられた変電所だ。・・・・・・・・蔵前の変電所(昭和8年築)と同じ頃の建物。

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③京成上野駅・・・・・・・・・・昭和8年(1933)、2面4線(4両編成)の地下駅として、上野の山の真下に造られた。昭和47年(1972)から大規模改良工事が行われ、昭和51年(1976)に現在の2面4線(10両編成)のホームとなった。・・・・・・・・JR、地下鉄とは開業時から地下道で結ばれているが、さらには正面の中央通り向うにあった「京成聚楽ビル」(跡地に現在はヨドバシカメラが建っている)とも地下で結ばれていた。・・・・・・・・・この辺りは、終戦直後には、浮浪者・パンスケの溜り場であり、傷痍軍人が路上で援助を乞い、暮には救世軍の社会鍋が現われる処だ! 今でも、公園に向かう階段には似顔絵描きが健在だ! 思い出すと、、、、、、、懐かしいね!

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④博物館動物園駅・・・・・・・・・・・昭和8年(1933)開業の京成電鉄の博物館動物園駅。4両編成のホームしかないため、平成9年(1997)を最後に廃止となった。・・・・・・・・・出入口は国立博物館脇に国会議事堂の中央部分のような形状をしたものと、動物園の旧正門脇に出るものの2か所だった。・・・・・・・・・話のついでに、この駅の日暮里よりに、昭和22年に廃止になった地下駅の寛永寺坂駅もあった。

・・・・・・・・・・・博物館側の出入口・・・・・・・・けっこう知名度の高い出入口。ピラミッド型の屋根の飾りにも凝っている!

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・・・・・・・・・・・動物園側の出入口・・・・・・・・・地下へ下る階段部分に物置小屋のようなものが建てられ、窓は封鎖され、悲しい姿に!

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⑤旧動物園正門・・・・・・・・・東京都美術館の裏側に旧正門がある。4本の御影石の柱と、4枚の鉄扉、左右の小屋に、切符売り場で構成されている。明治44年(1911)、新家孝正:工学博士の設計で建てられた重厚な門だ!

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⑥東京藝術大学美術学部・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・旧正門・・・・・・・・・・・美術学部と音楽学部の正門は、互いに面して建っていたが、大学美術館建設により、東京都美術館側に移設した。

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・・・・・・・・・・・参考に、こちらは音楽学部の正門

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・・・・・・・・・・・・陳列館・・・・・・・・・岡田信一郎の設計により、昭和4年(1929)に竣工した、鉄筋コンクリート造2階建ての建物。 大学美術館ができるまでは、 メイン・ギャラリーとして親しまれてきた展示施設だ。・・・・・・・・・外壁はスクラッチタイル貼りで、1階は窓のある展示施設、2階はトップライトを生かした空間となっている。

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・・・・・・・・・・・旧皇居正門鉄橋飾電燈・・・・・・・・明治19年(1886)にドイツに発注し、明治21年(1888)に竣工した、皇居二重橋の飾電燈。新宮殿造営時に二重橋も架け替えられ、飾電燈4基のうち1基が藝大に移設された。

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・・・・・・・・・・・・正木記念館・・・・・・・・・・・東京美術学校の第五代校長:正木直彦の功労を記念するために建設された展示施設。昭和10年(1935)竣工、金沢庸治設計、鉄筋コンクリート造2階建ての、城郭のような帝冠様式が特徴の建物。

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⑦噴水前で・・・・・・・・・・・・・改装工事も終わり、噴水がよみがえった!・・・・・・・・噴水前には、なぜか、稲が植わっていた・・・・・・・・・日向ぼっこ。

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2012年10月27日 (土)

東中野~目白

東中野駅から目白駅まで、1万1千歩、8kmの散歩です。

①ムーンロード・・・・・・・・・・東中野駅の東口を出ると、駅の斜めに“昭和の街”、“ムーンロード”の看板が立つ駅前飲食店街ある。全長100m、一車線程の狭い通りの両側に、飲食店がビッシリ! 新宿ゴールデン街のミニ版のようだ!・・・・・・・・・・JAZZバー、シャンソニエ、プロレスバー、スナック、焼き鳥屋、、、、、など、など、、、、、夜の帳が下りてから行くところ。・・・・・・・・・今日の私のように、午前中に行っても、店は閉まって、面白くもない!

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②上落合の路地・・・・・・・・・オウ!御影石を敷いた、私好みの路地だ!

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③中井駅付近・・・・・・・・・妙正寺川、西武新宿線を越え、“中落合”に入る。

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④N邸・・・・・・・・・・・中落合の坂の上に建つ、阿部美樹志の設計による瀟洒な邸宅。大正14年(1925)の建築。・・・・・・・・・阿部美樹志は、大正・昭和に活躍した建築家であり、土木技術者。コンクリート工学の大御所で、竹中土木の初代社長でもある。・・・・・・・・手がけた作品は、日比谷映画、有楽座、東京建物ビル、阪急百貨店など。

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・・・・・・・・・・・参考に、今年3月に撮った東京建物ビル。(昭和4年竣工)

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⑤聖母病院・・・・・・・・・・・上智大学1号館を手がけたスイス人ヒンデルの設計で、昭和4年(1929)に建てられた病院。鉄筋コンクリート3階建て。うす茶色のタイル張りの外壁と建物の屋上中央の二つの塔が特徴敵な建物で、玄関前のヒマラヤ杉とも調和している。・・・・・・・・・病院は「マリアの宣教者フランシスコ修道会」が、キリスト教の愛の精神に基づき運営している。今日も病院の廊下には多くの患者さんが診察を待っていた!

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⑥聖母病院聖堂・・・・・・・・・聖母病院の西側に、平成22年(2010)に竣工した聖堂。竹中工務店の設計・施工、鉄筋コンクリート造の建物で、“2011年グッドデザイン賞”を受賞した。・・・・・・・・片流れの屋根、屏風折れの外壁、縦長のスリット状のステンドグラス(既存のものを再利用)、梁・柱のない内部、、、、印象的な祈りの空間を演出している。・・・・・・・・受賞、納得できる!

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⑦佐伯祐三アトリエ記念館・・・・・・・・・・聖母病院の北側に、画家佐伯祐三のアトリエが整備・保存されている。記念館は、住居の一部とアトリエ部分が残され、敷地全体が公園として整備されている。・・・・・・・・・・大正10年(1921)建築のアトリエは、洋風下見板張りで、北側の大きな窓が特徴だ。・・・・・・・・・・・本日はボランティアのガイドさんが、佐伯祐三の生涯・作品などを丁寧に説明してくれた。チョイト、タイムオーバーだったが!

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2012年10月26日 (金)

中野~東中野

中野駅から歩きはじめ、新井薬師、中井をまわって東中野駅まで、1万2千歩、9kmの散歩です。

①新井天神北野神社・・・・・・・創建年代は天正年間(1573-1593)以前と言われている古い神社。旧新井村の鎮守さま。・・・・・・・・境内社の大鳥神社では、11月8日の“一の酉”に向け、鳶職が提灯飾りの柵をいそがしそうに準備中。・・・・・・・・・宵宮では、神社の熊手を買った先着100名に福升が授与されるそうだ。 参考に開催日時は、“一の酉神事”が7日(水) 23:30~24:00、“宵宮”が8日(木) 0:00~1:00、“当日祭”が10:00~24:00  “二の酉”は11月20日。

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②新井薬師・・・・・・・・新井薬師の正式名は、新井山梅照院薬王寺という、真言宗豊山派の寺院だ。西武新宿線の駅名にもなるほどの、中野区最大の寺院。古来より、子育ておよび眼の治癒にご利益があるとされ、現在も参拝する人が後を絶たない。・・・・・・・・私もその一人で、ここに来る直前に中野の「東京警察病院」の眼科で診察を受けてきた。 10年程前から良性の緑内障で4カ月毎に定期検診を受けているのだ!・・・・・・・・・・薬師如来のご利益なのか、今年から担当の先生が30代の美人に変わり、今日も先生の顔を見たら目がパッチリ! 「異状ないですね。来年の2月に予約を入れておきます。ハイ、大事にしてくださいね。」の会話だけ、チョイト寂しかったね。

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③食品ストアー?・・・・・・・・・上高田の商店街に残る“食品ストアー”。昭和40年代の建物と推定した(?) 玄関上の丸みある部分には“食品ストアー”の文字が薄く読める。・・・・・・・数年前から雨ざらしの状態だったが、今日前を通ると金物屋さんが営業中。 ビックリ!、どうやら一時的に使用しているようだ。・・・・・・・・・ダイエー、イトーヨーカ堂などの大型スパーが出てくる前は、各地の商店街に1軒は在った“○○○ストアー”。いつのまにか消えていくね!

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・・・・・・・・・・・2年前の写真です。何も変わっていない!

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④上高田氷川神社/不動院・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・上高田氷川神社・・・・・・・旧上高田村(現:上高田4)の鎮守として享徳2年(1453)に創建された。

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・・・・・・・・・・東光寺別院桜ヶ池不動院・・・・・・・・・氷川神社前の桜ヶ池不動院。近所の人か(?)、境内には清水が湧き、ポリタンクやペットボトルで汲みに来ていた。

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⑤西武新宿線・・・・・・・・・・・下落合、新井薬師前をとおる新宿線は、昭和2年(1927)に高田馬場~東村山間が開業した。・・・・・・・・下落合、新井薬師前、野方あたりの高架化、または地下化により、そろそろ踏切の除去が必要になるだろう。

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⑥山手通り・・・・・・・・・・中井、東中野付近の山手通りには、地下鉄大江戸線と首都高中央環状線が地下を走り、道路が整備された。道幅は広く、歩道には自転車専用レーンが設けられ、電柱・電線もなく、気持ちよく歩ける道路だ!

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⑦上高田で・・・・・・・・・・・

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2012年10月25日 (木)

幡ヶ谷~中野

京王線幡ヶ谷駅から中央線中野駅まで、1万3千歩、9kmの散歩です。

①幡ヶ谷駅・・・・・・・・・・大正2年(1913)、京王電気軌道の駅として開業し、戦時中は東急に合併されたが、昭和23年(1948)から京王帝都電鉄が分離し、同社の駅となる。昭和53年(1978)京王新線開通により国道20号(甲州街道)下の地下駅となる。・・・・・・・・・・・甲州街道に面した地上出口の前には、首都高が立ちはだかり、広い道路も狭く、ゴチャゴチャした感じの駅周辺だ! 

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②水道道路・・・・・・・・・幡ヶ谷駅から「6号通商店街」を北へ向かうと水道道路に出る。水道道路は、淀橋浄水場(現:新宿副都心)と和泉給水所を、真直ぐつなぐ水路跡を道路に転用したものだ。・・・・・・・・水路は、トンネル、橋、盛土により、起伏のない直線で設置されたため、その跡を転用した道路も周辺より高い位置に在り、トンネル、階段が随所に見られる。

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③福島屋質舗・・・・・・・・・・中野区南台、路地裏の質屋さん。・・・・・・・・・大谷石の質蔵、“金融”の看板、昭和の雰囲気がプンプン匂う。

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④正蔵院川嶋地蔵尊・・・・・・・・・・中野区弥生町(旧:川嶋村)の道路脇に立つ、「川嶋地蔵尊」。中央の背丈の高い地蔵尊は享保10年(1725)に建立された。 両脇の六地蔵は宝暦7年(1757)川嶋村地蔵講中で建てたもの。・・・・・・・・・平成の代に、近くの正蔵院の境内にあった地蔵尊を、参道である現在の地に移した。・・・・・・・・・・・地蔵尊は道端にあると、しっくりするね!

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⑤弥生町のカリン・・・・・・・・・・・・

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⑥よ!棟梁!・・・・・・・・・・・建設会社の玄関上で、仕事の真っ最中。・・・・・・・・・昭和30年頃までえは、住宅の建設現場で大活躍の大工の棟梁の懐かしい姿だ! この頃の私は10歳ぐらい、鉋で削った薄い木の皮が、クルクル丸まるのがおもしろく、拾って伸ばしたことを思い出す。 さらに、建設現場では、左官屋さんが舟(フネ)で土壁をこねていたのを、脇でジーと見ていたね。 木の香り、土と藁の匂いが懐かし~~い。

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⑦桃園橋・・・・・・・・・・中野通りが桃園川に架かる橋。・・・・・・・橋の親柱には、「昭和十一年二月完成」とある。下を流れる桃園川は昭和42年(1967)に暗渠化し、平成23年(2011)には緑道公園となった。

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・・・・・・・・・・桃園川橋の近くに、戦前の病院建築で「河井医院」が在ったが、今日は更地となっていた。 残念!

⑧桃園会館・・・・・・・・・・中野3丁目(旧:桃園町)の路地奥に在る建物。豊川稲荷の祠が併設されている。・・・・・・・・・・会館玄関の梁には彫り物があり、古さを感じる。昭和レトロだ!

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2012年10月24日 (水)

蔵前橋

本日は、私の後頭部に住みついた“悪性の腫瘍”を、完全除去するための準備検査の結果について、手術する病院へ私の循環器系主治医からの手紙を届けてきた。 結論は手術して問題なし。2泊3日の簡単な手術で終わるそうだ! 11月1日、美人先生の執刀で、チョイト怖いが、男の子はジッと堪えて、頑張るぞ!・・・・・・・ 

・・・・・・・と、いうことで、浅草橋の我が家から、隅田川の対岸の病院まで、片道20分程の“散歩にならない散歩”

●蔵前橋・・・・・・・・・・鋼+コンクリート造の道路アーチ橋、長さ173.2m、重さは測れないくらい重たい。大正13年(1924)に着工し、昭和2年(1927)に竣工した。設計は東京市復興局橋梁課の井浦亥三(申し訳ないが、私の知らない人)。・・・・・・・・・隅田川では、震災復興事業として、相生橋、永代橋駒形橋についで4番目に架けられた。この次に千住大橋が架けられる。・・・・・・・・・この橋の総工費は、約175万円也。当時の物価は、宮田自転車70円、男子日雇日給1円40銭、明治サイコロキャラメル2銭だ。・・・・・・・・・・・橋は、全体的にはシンプルで力強いデザインだ。 当初の色ではないと思うが、見慣れたせいか? 黄色の桁も味わいがあるね。

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・・・・・・・・・蔵前には、昭和59年(1984)まで蔵前国技館があり、昭和60年の初場所から対岸の現(両国)国技館に相撲は移った。その名残か、欄干には横綱の土俵入りの透かし彫りが施されている。そして、屋形船に立つ柳橋芸者の透かし彫りも! いいね。

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・・・・・・・・・・蔵舞橋が架けられた、昭和2年は、嵐寛寿郎主演の鞍馬天狗第1作が封切られた時代だ! 私は、戦後に我が家の近く(現:浅草橋5)にあった「鳥越日活」で、嵐寛寿郎主演の鞍馬天狗、高田幸吉の伝七捕物帳など見たことを記憶している。 チョイト古いかな!

2012年10月22日 (月)

四万温泉

夫婦で旅行のため、散歩は休み。立ち寄った文化財を、チョイト紹介。

①旧吾妻第三小学校・・・・・・・・・・・明治18年(1885)に建てられた校舎。木造2階建て、寄棟、瓦葺きの建物だ。外壁は漆喰塗りの洋風だが、内部は和風であった。明治時代の学校建築の特徴が出ていた。・・・・・・・・大正7年(1918)から昭和53年(1978)までは、役場として利用さていた。・・・・・・・・・・現在は博物館「ミュゼ」として、中之条町歴史民俗資料館となっている。群馬県の重要文化財。

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②白井屋・・・・・・・・・明治25年(1892)頃に旅館として開業した、木造2階、切妻の建物。正面には、だいぶ年季の入った看板で、よく見ると「旅人宿」と記されている。国登録有形文化財。

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③町田家住宅・・・・・・・・・・中之条町の名主・村役人の住宅で、江戸時代末期の建物。・・・・・・・・明治11年(1878)から明治20年(1887)までは、吾妻郡役所として使用された。群馬県の重要文化財。

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④積善館・・・・・・・・・・・・文化財の多く残る、四万温泉の積善館・・・・・・・・私は、アニメを見なかったが、「千と千尋の神隠し」の舞台となった旅館だそうだ。 (次の写真は積善館に貼ってあったもの)

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・・・・・・・・・・積善館本館・・・・・・・・・・寛政12年(1800)以前から建てられた建物で、当初は木造2階建てであったが、明治に3階部分を増築した。群馬県唯一で日本最古の湯小屋建築。内部には、上段の間、帳場などもある。群馬県の重要文化財。

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・・・・・・・・・・積善館“元禄の湯”・・・・・・・・・昭和5年(1930)に本館前に建てられた。アーチ型の窓、高い天井などに、大正ロマンの面影が残る風呂だ! ぜひとも入浴を! 国登録有形文化財。・・・・・・・浴室上部の木造の部屋は利用されていないようだ!

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・・・・・・・・・・積善館山荘・・・・・・・・・・昭和11年(1936)の建物。本館の山側に、「浪漫のトンネル」と呼ばれる、地下トンネルで結ばれている。山荘の外観は見渡せなかったが、内部は拝見できた。国登録有形文化財。・・・・・・・・こちらの建物は現在も宿泊できるそうだ。

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・・・・・・・・・・渡り廊下・・・・・・・・・・“元禄の湯”と川の手前に在る建物を結ぶ、川の上の渡り廊下。こちらも群馬県の重要文化財。

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⑤日向見(ひなたみ)薬師堂・・・・・・・・・四万温泉の薬効への祈りが湯場の薬師信仰となった。現在の薬師堂は慶長3年(1598)に建てられた、3間四方の小ぶりの建物だ。国指定重要文化財。・・・・・・・・・・薬師堂のスグ前には、ほぼ同じ大きさの“お籠堂(おこもりどう)”が建っている。 湯治客が南無妙法蓮華経、南無阿弥陀仏など念仏を唱えたり、断食をするお堂だ。こちらは中之条町指定文化財。

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2012年10月20日 (土)

浅草

墨田区の病院で検診を受け、帰りに散歩がてらの買いもので“4時ころの浅草”へ、二日続けて浅草へ行くとは! 7千歩、5km

①六区・・・・・・・・・昨日の今日で気になり、チョイト様子見で、まずは六区から歩く。

・・・・・・・・・・・土曜の夕方なので人も、チャリンコも、人力車も出ている。

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・・・・・・・・・・・オー! 大勝館跡の前には大道芸人も! うれしいね。

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・・・・・・・・・・中映劇場前を歩いてる人も、明日で閉館になることを知らない人が多いようだ! 昨日、劇場の方の話では“しっそり、静かに閉館する”そうだ!

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・・・・・・・・・・・凌雲閣跡・・・・・・・・・・浅草新劇場前(上の写真の中央パチンコ屋付近)に凌雲閣(通称:十二階)が建っていた。・・・・・・・・パチンコ屋の前に記念碑が造られている。記念碑には凌雲閣のイラストが芸人と共に描かれていた。・・・・・・・・・・凌雲閣は明治23年(1890)開業、高さ52m、設計は英国人:ウイリアム・K・バルトン、構造は10階までが煉瓦造・11~12階は木造で、内部には日本初の電動式エレベータが設置されていた。大正12年(1923)関東大震災で倒壊・消滅。

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②花やしき・・・・・・・・六区の突き当りをチョイト右に折れると、見えます。嘉永6年(1853)開園で、日本最古の遊園地。・・・・・・・・・・遊園地には久しく入園していないな~~~。20年程前は娘を連れて遊びに来たっけ。

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③木馬館・・・・・・・・・明治40年(1907)、昆虫学者:名和靖が、日露戦争の勝利記念に浅草に“昆虫館”を建設した。昆虫の人気は下火となり、大正初期頃に建物を鉄筋コンクリート造2階建てにし、1階は木馬が設置され、2階に昆虫を展示した。昭和6年(1931)からは昆虫展示をやめ、2階は大衆演劇の舞台と変わった。戦後、1階には浪曲・講談の定席として「木馬亭」がオープンした。・・・・・・・・たまには、観劇もいいかも?

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④牛すじ・モツ煮込みの街・・・・・・・・・・伝法院に西側にズラリ!

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浅草寺に病気平癒の願掛け・・・・・・・・・・

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⑥被官稲荷社・・・・・・・・・浅草神社(三社さま)裏の小社。安政元年、新門辰五郎の妻が重病のとき、京都伏見稲荷神社に祈願し、病気は治り回復した。そして、安政二年、伏見稲荷神社から祭神分身を勧請した。これが、被官(ひかん)稲荷社の由来。・・・・・・・・・私もあやかりたいので、賽銭を少々!・・・・・・・・・・・建物は安政二年に創建されたもので、一間社流造。社殿は杉皮葺で、創建以来のまま。覆屋は大正期の建築物らしい。・・・・・・・震災、戦災にも免れた、大変貴重な建築物。

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⑦浅草寺一山支院・・・・・・・・・黒田記念館明治生命館などを設計した岡田信一郎が、昭和7年(1932)に手掛けた集合住宅です。・・・・・・・・浅草寺裏の1100坪の敷地に21の支院が建てられている。建物はRC造2階建て(現在は3階が増築されている)で、2院で1棟(玄関は正反対となっている)となる形式だ。2本の路地のような内部の路は、多少折れ直線ではない。外観は緑の屋根瓦で統一された和風の住宅だ。

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・帰りは、新仲見世でお買いもの!

2012年10月19日 (金)

浅草六区最後の映画館

明後日の21日、浅草六区の映画館、三館が閉館となることをきき、閉館前にお別れに行ってみた。我が家(浅草橋)から六区、浅草寺を回ってきた。1万2千歩、9km。

●浅草六区・・・・・・・・・明治17年(1884)に浅草寺境内(=浅草公園)を一区から七区までに区割りした。浅草寺裏(浅草田圃)の一部に池を造り、まわりには街区が造られ、浅草寺裏の通称「奥山」あたりから見せ物小屋・劇場・活動写真館・オペラ館なども開業し歓楽街となっていった。これが浅草六区だ。・・・・・・・・・・私が知る“浅草六区”は、通称「瓢箪池」が埋め立てられ、そこに複合娯楽施設「新世界」できた昭和36年(1903)頃あたりからだ。

・・・・・・・・・雷門通り・・・・・・・・・・・

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・・・・・・・・・すしや通り・・・・・・・・雷門通りから六区への入り口となる通り。

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・・・・・・・・・・・新仲見世通り・・・・・・・すしや通りを105m程行くと、右に新仲見世通りがある。この位置から、六区興行街が始まる。・・・・・・・・写真、新仲見世通り左側(日乃出せんべいの後ろ)に「新ROX3」を建設中。来年夏、6階建ての複合施設がオープンする。・・・・・・・ここから六区の改造がが始まる!・・・・・・・・・日乃出せんべいの位置に「金竜館」があり、その隣に女剣劇の「常盤座」があり、さらに隣りに名画座の「東京クラブ」があった。

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・・・・・・・・・・ROX・・・・・・・・六区興行街と国際通りに面する大きな一角に建つ、9階建ての衣料品・書店・健康ランド・食料品・飲食などの複合施設。昭和61年(1986)竣工。・・・・・・・・・ここには、国際通りに面した松竹少女歌劇の「浅草松竹座」、松竹直営の映画館「浅草松竹映画劇場」、デン助劇団が公演していた「浅草松竹演芸場」があった処だ!

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・・・・・・・・・・・・電氣館ビル・・・・・・・・ここには、明治36年(1903)日本最初の常設映画館「浅草電気館」があった。現在は、賃貸マンションと店舗からなる、平成2年(1990)竣工、地上8階・地下3階の「電気館ビル」が建っている。

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・・・・・・・・・・パチンコ屋・・・・・・・・・ROXと浅草演芸ホールの間にあるパチンコ屋。ここには日活直営の「浅草日活映画劇場」(それ以前は浅草富士館)があった。

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・・・・・・・・・・浅草演芸ホール・東洋館・・・・・・・・・「浅草演芸ホール」は落語の定席。「東洋館」は同じ建物にある色物専門の演芸場。・・・・・・・・・・この建物には昭和26年(1951)から、あの有名なストリップの「フランス座」があった。「フランス座」は途中2回閉館し、3度目の営業も平成11年(1999)に打ち切り、ストリップ興行からは撤退した。この間に、渥美清、萩本欽一、ビートたけしらが「フランス座」から輩出された。・・・・・・・・「浅草演芸ホール」には、早朝から修学旅行の学生が団体で鑑賞? 「東洋館」は11時の開園に向け、お年寄りの行列が、いずれ私もこの仲間入り?

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・・・・・・・・・・・大勝館跡・・・・・・・・・演芸ホール前の工事中の一角、昭和46年(1971)までは、松竹系ロードショー館だった。・・・・・・・・また、地下にはストリップの「浅草カジノ座」が在った。 私が中・高校生当時のことで、鑑賞した記憶はなし!・・・・・・・・・現在の工事は地上7階・地下1階建ての「ドン・キホーテ浅草店」を建設中。

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・・・・・・・・・・浅草東宝会館跡・・・・・・・・・映画館「浅草東宝」とボーリング場「楽天地浅草ボウル」の跡地。現在は、阪急阪神東宝グループで、平成26年(2014)末のオープンを予定して、ホテル・物販店などが入居する地上14階建ての複合施設を建設中。総事業費は約100億円が見込まれている。・・・・・・・・・・私が小学生の時、『ゴジラ』を見た映画館だった。

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・・・・・・・・・・右側の工事は大勝館の跡地、その奥に浅草演芸ホール、ROX。左側の工事は東宝会館の跡地、その奥に電氣館ビル。

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・・・・・・・・・・ロック座・・・・・・・・・いまだ健在のストリップ劇場。

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・・・・・・・・・・JRA・・・・・・・・・ここは、「瓢箪池」があったところで、昭和34年(1959)に埋め立てられた。・・・・・・・私は生まれていたが、瓢箪池の記憶はない!

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・・・・・・・・・中映劇場・・・・・・・・建物1階は名画座の「中映劇場」。地下には、邦画名画座の「浅草名画座」 。両館とも、明後日21日に閉館が予定されている。・・・・・・・・・・建物は昭和8年(1933)に「大都劇場」として建てられた。その後、何度か改装している。

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・・・・・・・・・・・・「次週上映」からポスターが消えた上映案内

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・・・・・・・・・・内部の拝見! オー、感激! あの、映画館独特の湿気と汗の混じったような臭い、スクリーンと客席の昭和レトロの渋い色、床のスロープ、そして冷たく厚いコンクリート壁。 さらに後部中央にフイルムで投影する映写室の窓。 1階から見上げる2階席。 間違いなく浅草の映画館だ!

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・・・・・・・・・・中映劇場の売店のおばさん。ここで50年近く働いているそうだ、元気な75歳。 私が浅草六区の映画館、最後のポスターを所望したら、きよく奥から持ってきて丸めてくれた。アリガトウゴザイマス。 売れ残りのアンパンの返品も最後の仕事になるかな?・・・・・・・・・お勤め、ゴクロウサマデシタ。

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・・・・・・・・・・おばさんに頂戴した、浅草六区最後のポスター・・・・・・・・・お宝に!

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・・・・・・・・・・浅草新劇場・・・・・・・・建物1階はのヤクザ映画の多かった「名画座」。「名画館」も明後日閉館する。地下には、ポルノの「浅草世界館」と、同じくポルノの「浅草シネマ」が在った。両館とも先月閉館した。・・・・・・・・・「中映劇場」と「浅草新劇場」の跡地を合わせ再開発する予定らしい。具体的にはこれからだそうだ!

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・・・・・・・・・・・・ポスターの隣りに張られていたかっての浅草新劇場の写真・・・・・・・・・・RC造4階建て、清水組の施工で昭和12年(1937)に竣工した。スパニッシュ風の建物だったのを覚えている。

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・・・・・・・・・・・もう、浅草では映画を見ることはできなくなる!・・・・・・・・・浅草六区の復活は中身が変わり、多くの再開発計画にゆだねられたようだ!

・・・・・・・・・・・2012年10月21日は、浅草六区から映画館の灯が消える。 残念な日!

・・・・・・・・・・・チョイト、ついでに、10月21日は私の誕生日だ! 

2012年10月16日 (火)

渋谷~幡ヶ谷

渋谷駅から京王線幡ヶ谷駅まで、1万3千歩、10kmの散歩です。

①道玄坂のマンサード・・・・・・・・・渋谷道玄坂の中程、ケヤキ並木の陰に2軒長屋が3棟並び、取り壊しを待っている。左端の1棟は、屋根が2段階で折れる寄棟屋根(=マンサード屋根)。中央と右端の棟はタイル張りの看板建築。いずれも昭和初期の建物だ。・・・・・・・・・平成16年(2004)頃に3棟ともネットがかけられ、すでに8年近く経過した。取り壊しを中止して、ヨーロッパ風の町並みに再生できないものか?

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②名曲喫茶ライオン・・・・・・・・・・・道玄坂の百軒店(ひゃっけんだな)商店街に、昭和元年(1926)創業の名曲喫茶「ライオン」がある。建物は昭和20年(1945)の東京大空襲で全焼し、昭和25年に以前と同じデザインで再建された。・・・・・・・・・・“名曲喫茶”といえば、昭和50年頃までは、お茶の水の「丘」、「ウィーン」、新宿の「名曲らんぶる」を思い出す。“名曲”は何もわからずに通ったものだ!

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③千代田稲荷神社・・・・・・・・・百軒店商店街の奥には、長禄元年(1457)に太田道潅が江戸城を築城した際、城内に伏見稲荷を勧請してきたことに始まる千代田稲荷神社が鎮座している。関東大震災後、百軒店商店街の創設にあたって、ここ道玄坂の地に遷座された。・・・・・・・・昔のことは知らないが、今はラブホテル街の神社だ!

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④神泉駅・・・・・・・・・・昭和8年(1933)の帝都電鉄渋谷~井の頭公園間開業時にできた駅。ホームの大部分はトンネルの中にある面白い駅だ。・・・・・・・・渋谷を出た井の頭線は渋谷エクセルホテル東急の下から“渋谷隧道”に入り、道玄坂・円山町の地下をトンネルで通り、神泉駅のすぐ手前で地上に顔を出す。この顔を出したところに“渋谷1号踏切”がある。そして神泉駅駅ビル下のホームに入り込む。

・・・・・・・・・・・・・渋谷隧道の上から神泉駅を見ると、、、、、トンネル、踏切、駅と連続しているのが一目瞭然!

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・・・・・・・・・・・踏切の中央からトンネル、駅を見ると、、、、、、なんとなく轢かれそう!

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・・・・・・・・・・・踏切の際には、『立入禁止 ホームへ上がるのは絶対おやめください』の標示がある。たしかに、踏切からホームへ上がる方が近くて、速いね!

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・・・・・・・・・・踏切脇の狭い17段の階段を上ると、トンネルの上は都内有数のラブホテル街“円山町”だ!

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⑤首都高中央環状線神山町換気塔・・・・・・・・・・換気塔は高さ45m、断面は6角形で、山手通りに14本建設された。・・・・・・・・・・私が気にいっているデザインだ!

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⑥東海大学代々木校舎・・・・・・・・・戦後、建築家:故山田守によって設計されたキャンパス。戦後、FM東海の電波を飛ばしたアンテナが立つX型の2号館は昭和33年(1958)竣工、螺旋形の特徴的な階段の4号館は昭和35年(1960)に竣工した。・・・・・・・・・・山田守は聖橋旧千住郵便局、武道館、京都タワーなどを設計した。・・・・・・・・・・2号館の建物を見ると、受験生の頃、愛読した(?)雑誌「蛍雪時代」を思い出すね!

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⑦上原の住宅・・・・・・・・渋谷区上原には、チョイト古い住宅がチラホラ。

・・・・・・・・・・I邸・・・・・・・・・明治30年(1897)に建てられた木造3階建て住宅。明治の建築とは思えない、丁寧に、綺麗に手入れされた建物だ。・・・・・・・・住んでみたくなるね!

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・・・・・・・・・・W邸・・・・・・・・昭和5年(1930)の建築。木造2階建て・・・・・・・・和風の落ち着いた住宅という感じがする。

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・・・・・・・・・・・N邸・・・・・・・・板張りの小柄な住宅だが、チョイトふるそうね!

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・・・・・・・・・・・・T邸・・・・・・・・こちらは、隣町の渋谷区西原にある、年代不詳、木造2階建て、玄関部分だけが洋風の住宅。チョイト傷みが気にかかる。

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⑧上原の秋・・・・・・・・・色づいてきました!

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2012年10月14日 (日)

桜新町~都立大学

久しぶりに世田谷区へ足を踏み入れてみた。田園都市線桜新町駅から東横線都立大学駅まで、1万4千歩、10kmの散歩です。

①桜新町駅・・・・・・・・・1面1線の単式ホームと壁に隔てられた通過線(ホームから見えない)が、上り・下りそれぞれ地下2階と地下3階の二層構造の地下駅だ。明治40年(1907)に、玉川電気鉄道の桜新町電停として開業した。昭和52年(1977)、地下駅となる。・・・・・・・・駅前にはサザエさん一家の像もある、サザエさんの誕生した駅だ。波平のたった一本の髪を抜かれ新聞沙汰になったのも、つい最近だった。

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②桜神宮・・・・・・・・・・・駅の近くの神社だが、神社の組織体である「東京都神社庁」のHPで紹介されていない神社(?)。 明治15年(1882)、伊勢神宮の祢宜が創建したらしい。ご祭神は、安産の神(水天宮)、商売の神(稲荷)、学問の神(菅原)、伊勢神宮の神(天照、豊受)など、など、全てで19神。どんなことでも、御利益がありそうだ! 参拝の作法も、一般の神社は“二拝二拍手一拝”だが、ここでは“二拝四拍手一拝”だ。・・・・・・・・・本当の神社なの? ま! 深く考えず拝礼してきた。

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③駒沢給水所・・・・・・・・・現在、駒沢給水所は無人管理で、門は施錠され立ち入り禁止だ。しかし、施設は震災時に応急的に飲料水を供給できるよう稼働している。約3000トンの水を配水池と2基の塔に貯留し、3日間で順次一定量の入れ替え操作をしている。

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・・・・・・・・・・給水塔・・・・・・・・・・・大正12年(1923)竣工の、内径:約14m、塔高:約30m、コンクリート製の巨大な給水塔が2基建てられている。設計は野方の給水塔なども手掛けた、近代水道建築の祖:中島鋭治。・・・・・・・・住宅地の中に在り、全体を一目で見ることが難しい。

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・・・・・・・・・・第一ポンプ場・・・・・・・・・・・昭和8年(1933)に建設された第一ポンプ室。アール・デコ風の美しいデザインだが、近くで見ることができず、残念!

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④善養院・・・・・・・・・・新町2丁目の曹洞宗の寺院。家岳山善養院は元和2年(1616)に創建された豪徳寺の末寺だが、万延元年(1860)と明治5年(1872)に火事で全焼した。 現在の本堂は、昭和10年(1935)に総工費4万2千円で建てなおされた。・・・・・・・・・狭い参道あたりから山門にかけ、その雰囲気がなんとなく曹洞宗の本山永平寺によく似ている感じがした。(永平寺の空気が漂っているのか?)

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⑤駒沢オリンピック公園・・・・・・・・・東京オリンピックのサブ会場として昭和39年(1964)に完成した総合運動場。

・・・・・・・・・・・オリンピック記念塔

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・・・・・・・・・・・・陸上競技場・・・・・・オリンピックではサッカー会場となった。サッカーは、当時、マイナーなスポーツだったね。

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・・・・・・・・・・体育館・・・・・・・・・・こちらはレスリング会場だった。レスリングでは金メダル5個、銅メダル1個の成績。当時からレスリングは日本の得意種目だったね。

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⑥八雲氷川神社・・・・・・・・・・創建年代不詳の古い神社。旧衾村(目黒区八雲周辺の旧地名)の鎮守さん。・・・・・・・・・社殿は安政4年(1857)に改修され、昭和51年(1976)にも改修した。・・・・・・・・・昭和6年(1931)建立の鳥居をくぐり、長い参道の奥に社殿が在る。さすが、鎮守さまだ、風格があるね。

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⑦八雲で・・・・・・・・・・・・

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2012年10月12日 (金)

両国

午後から造影剤入りのCT検査を受ける。結果は後日、美人先生から説明してもらえるので、今日はお預け! 昼食ぬきだったため、終了後は食欲が優先し、食後のミニ散歩となる。

①相撲博物館・・・・・・・・・昭和29年(1954)、蔵前国技館と同時に開館した博物館。昭和60年(1985)には、国技館と共に両国に移った。・・・・・・・・“博物館”といっても、“ミニ博物館”で、相撲協会の啓蒙・展示スペースという感じだ!・・・・・・・・・・年6回、展示内容を変更しており、只今は『栃錦清隆と春日野部屋』が展示されていた。・・・・・・・・・栃錦の横綱・化粧廻し・土俵入りの写真、など、など。栃の海・栃の若をはじめ、春日野部屋一門の力士も紹介している。・・・・・・・・・オウ~、懐かしい東富士の写真もあった。東富士は私の出身地と同じ台東区の出で、私が小学生の頃、メンコに登場し、始めてファンとなった横綱だ。ちなみに、栃錦は家内の出身地と同じ江戸川区の出だ。どちらも、懐かしい思いである名横綱だ!

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・・・・・・・・・・・・館内は撮影禁止なので、チョイトだけ

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・・・・・・・・・・・入り口は国技館1階だ。入場無料。

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②両国駅・・・・・・・・・・明治37年(1904)開業の駅だが、駅舎は震災で被災し、昭和4年(1929)に現在の駅舎が建てられた。設計は鉄道省建築課、施工は銭高組、鉄筋コンクリート造2階建てで、当初は東京駅丸の内駅舎のように、乗車口と降車口が分離され駅舎左側に乗車口、右側に降車口があった。・・・・・・・・・今は、両国始発の列車もなく、頭端式ホームは縮小され、総武線の途中駅となった。・・・・・・・・・私は幼き頃、ここから汽車で外房へよく連れて行かれ、思い出多い駅だ!

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2012年10月11日 (木)

報恩寺

先月、私の後頭部に住みついた“いぼ”か“おでき”を、美人女医の執刀で“強制退去”し、今日は術後の確認に病院へ出向いた。 先生に『綺麗に治ったので、もう来なくていいですよ。』の一言を期待して行ったら、ガン、ガン、ガー~~ン!! 『病理検査の結果、悪性の腫瘍なので、再度手術させてくだい。』と、お言葉を頂戴した。 明日から、手術の為の検査が始まる。  美人先生とは、赤い糸で結ばれているのか、離れられないようだ!・・・・・・・・・喜ぶべきか?悲しむべきか?それが問題だ!

蔵前橋際の病院から、報恩寺橋を渡り報恩寺に病気平癒の願をかけ、“傷心”でなく、“焦心”の身で散歩した。 錦糸町で小雨がパラパラ、散歩はココまで、7千歩、5km。

①報恩寺橋・・・・・・・・・・現在は親水公園となった大横川が橋下を流れる、大正13年(1924)竣工の震災復興橋。ただし、橋の両端部のみで、中央部は昭和57年(1982)に架け替えられた。・・・・・・・大横川は江戸時代に埋立地に掘られた運河だ。報恩寺橋は運河が出来た万治2年(1659)に架けられた、橋の東には平河山法恩寺が在るので命名されたらしい。・・・・・・・・・今日は、橋を渡りながら“三途の架け橋”か、“恋の架け橋”か思いを巡らせた。ここは、強気に“恋の架け橋”となることに夢をつないで渡ってきた。

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②報恩寺・・・・・・・・・・・・太田道灌が江戸城築城(長禄2年(1458))に当たり、丑寅の方角に城内鎮護の祈願所として建立した。境内には太田道灌の墓もある。・・・・・・・・・・今日は病気平癒を願い、お賽銭は財布の小銭全額128円ほどをあげてきた。チョイト、奮発。

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・・・・・・・・・・・太田道灌の墓にも手を合わせてきた。

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●・・・・・・・・・・・・・小雨がパラツキ、散歩はココまで。

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2012年10月10日 (水)

広尾~渋谷

東京メトロ広尾駅からJR渋谷駅まで、1万2千歩、8kmの散歩です。

①広尾の路地・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・広尾駅近くの商店街の突き当りに、瑞泉山祥雲寺の山門がある。

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・・・・・・・・・・・・山門をくぐると右手に、香林禅院の綺麗な蔵が見える。

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・・・・・・・・・・・・蔵の脇を通りさらに奥へ進むと、突き当りに細い道が続く。アスファルト道の中央には御影石が敷かれ、一見して道の先に在る聖心女子大の方角に抜けられそうだ!

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・・・・・・・・・・・・・・道の先の階段中央に仏さんが立ち、“この先通行止め”と教えてくれる。仏さんの後ろはブロックで封鎖され抜けられない。・・・・・・・このブロックを壊せば、聖心女子大前の通りだ。なぜ、塞いだのか? ひょっとしたら、広尾の七不思議でも創るつもりか!

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②T邸・・・・・・・・・・・聖心女子大前の通りに建つ、チョイト、レトロな建物。・・・・・・・・・2階に見える丸窓、玄関まわりの雰囲気、戦前の建築かな?

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③東北寺・・・・・・・・・広尾2丁目に臨済宗妙心寺派の東北寺がある。寛永6年、麻布にて創建されたが、元禄9年(1696)当地へ移転し、寺号を東北寺に改めた。ここは島津家の菩提寺であり、また、吉良上野介の室の墓もあるらしい。・・・・・・・・建物は全て新しいく、明治以降のものだ!・・・・・・・・敷地内に大きな墓地もあり、そこには手入れされた古い立派な墓石がズラリ並んでいる。ビックリ!

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④広尾小学校・・・・・・・・・昭和7年(1932)に建てられた関東大震災の復興小学校。鉄筋コンクリート造3階建ての校舎は、国の登録有形文化財に指定されている。・・・・・・・・玄関まわりの装飾は凝っている。屋上の塔は建設時に消防署が同居し火の見櫓として利用したそうだ。

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・・・・・・・・・・・高台に建つ小学校で、学校前の道路も狭く、全体が見渡せないのと塔が見にくいので、一昨年に撮った写真をで我慢して!

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⑤塙保己一資料館・・・・・・・・・・渋谷の国学院大学横にある、昭和2年(1927)、清水組(現:清水建設)の設計・施工で建てられたRC造2階建の建物。正面中央に円形の玄関ポーチが在り、左右に翼を広げるデザインだ。国の登録有形文化財。・・・・・・・・・右翼の1階・2階には重要文化財の「群書類従」などの版木約2万枚を収蔵している。左翼1階は事務所、2階は和風の講堂となっている。・・・・・・・・・・塙保己一(はなわほきいち):江戸時代の国文学者。7歳で失明し、『群書類従』、『続群書類従』を編纂した。・・・・・・・・東日本大震災では、貴重な版木を保存しておく木製の棚が壊れていたが、修理したそうだ。一年ぶりの訪問で、係の人が親切に説明してくれた。

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⑥神社の連続・・・・・・・・・・塙保己一資料館近くには氷川神社、そこから渋谷駅に出る途中には金王八幡宮、その前には豊栄稲荷神社と続く、、、、、、、

・・・・・・・・・・・・・氷川神社・・・・・・・・・・創建は古く、日本武尊東征の時代らしい。・・・・・・・・・現在の社殿は昭和13年(1938)の造営で、屋根の銅板の劣化により雨漏りもするようだ、来年(2013)は大改修工事を行い、現在の建物の維持に努めるそうだ。

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・・・・・・・・・・・金王八幡宮(こんのうはちまんぐう)・・・・・・・源義家が、後三年役の勝利は河崎基家(渋谷氏の祖)の崇拝する八幡神の加護なりと渋谷城内に寛治6年(1092)に勧請した。・・・・・・・・・・現在の社殿は、慶長17年(1612)、春日局によって造営された。権現造りで、彫刻・彩色の美しい社殿だ!

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・・・・・・・・・・・豊栄稲荷神社・・・・・・・昭和36年(1961)に、渋谷駅近くにあった田中稲荷神社と道玄坂にあった豊澤稲荷神社が合祀されて建立された神社だ。

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⑦東横線渋谷駅・・・・・・・・・・2013年3月16日に予定されている、東横線と副都心線との相互直通運転開始により、渋谷駅は現:高架の頭端式ホームから副都心線の地下ホームに移ることになっている。移転後、現在の高架駅は解体され、跡地には埼京線と湘南新宿ラインのホームが移設される予定だ。・・・・・・・・いよいよ渋谷駅の大再開発が佳境に入る!東横線の波打つ大屋根も無くなるぞ!

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2012年10月 8日 (月)

東京駅

9月下旬から話題となっている東京駅丸の内駅舎、東京に住む住民としては復原工事完成後に見ておかないと世間様に就いて行けなくなるので、夫婦で買い物がてら見物に!

東京駅を見て銀座へ、8千歩、5kmのミニ散歩です。

話題の丸の内駅舎 ・・・・・・・・・凄い人、人、人、、、、、建物を見るつもが、見物人を見ることになった! 建物は後日ゆっくり見学することにし、今日は人間の見学だ!

・・・・・・・・・・・・普段はガラガラの中央口も、今日は見物人がゾロゾロ!

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・・・・・・・・・・・中央口を出ると見物人で、これまた、おったまげた!

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・・・・・・・・・・・カメラを上に向け、人が写らないように撮るのも大変だ!

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・・・・・・・・・・北口へ回ってみると、“ドーム下のコンコースに立ち止まらないように!”アナウンスしている。 でも、皆さん天井にカメラ、携帯を向け、聞こえてないね!

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・・・・・・・・・・・北口前も人、人、人、、、、

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・・・・・・・・・・・東京駅の真正面、中央口から皇居和田倉門までまっすぐに伸びる全長約200m、幅74mの通称「行幸通り」から、撮ろう! もちろん、ここも人でいっぱい。

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・・・・・・・・・・・南口へ移動、状況は変わらず。

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・・・・・・・・・・・ステーションホテルも、物見遊山の人で迷惑状態だ! 私も話のタネに、ホテルロビーをチョイト拝見! オー、以前より広くなったね! 昔は、ロビーの隅に“赤帽”がいたのを思い出した。

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・・・・・・・・・・・中央の車寄せの付近は、記念撮影のポイントだ!

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②大丸東京店・・・・・・・・10月5日から増築部分が完成し、1.4倍の床面積となった大丸東京店。(写真の中層部分)・・・・・・・・今日は玄関前を素通り、ゴメン!

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③八重洲口・・・・・・・・・・八重洲口も再開発工事中。来年(2013)秋頃には、南北のグラントウキョウの2棟を結ぶペデストリアンデッキ「グランルーフ」が、八重洲口正面に竣工する予定だ。・・・・・・・・・こちらも、景観が一新するので、来年が楽しみだ!

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・・・・・・・・・・・・写真の左側にペデストリアンデッキ「グランルーフ」の一部が見える。

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④旧東京市城東尋常小学校・・・・・・・・・・・東京駅八重洲口正面の八重洲ブックセンター隣に中央区立城東小学校がある。昭和4年(1929)に建てられた関東大震災の復興小学校。

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2012年10月 6日 (土)

品川~広尾

JR品川駅から、五反田をまわり地下鉄日比谷線広尾駅まで、1万5千歩、11Kmの散歩です。

①品川駅創業記念碑・・・・・・・・・・品川駅高輪口駅前に碑が建てられている。前面には、『明治五年五月七日 品川駅創業記念碑 品川横濱間鉄道開業 伴睦 書』と刻まれている。・・・・・・・・あれ、『日本最初の鉄道は、明治5年(1872)10月15日に新橋~横浜間に開通した』と教わったが?・・・・・・・・正解は、、、、新橋~品川間の工事が遅れ、6月12日(旧暦では5月7日)に品川~横浜間で暫定開業した。公式の開業は、10月15日の新橋~横浜間である。つまり、品川駅は日本で一番初めに開業した駅だ。・・・・・・・・・石碑はその開業から80年経過した、昭和28年(1943)4月に建立された。書は建立時の衆議院議員:大野伴睦による。

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・・・・・・・・・・・2027年の中央リニア新幹線開業時には、品川駅は東京側の始発駅に決定しているので、また“日本で最初”が増える。 乞うご期待!

②旧ホテル品川別館・・・・・・・・・高輪4丁目、品川プリンス脇の坂道を上っていくと、昭和2~3年(1927~1928)頃の建物がある。・・・・・・・・・・昭和62年(1987)に休館するまではホテルとして営業していたが、現在は会社の寮か? 個人の所有か? 判りませ~~ん?・・・・・・・・・高輪の住宅街に建つ古い建物。石の門柱もいいが、その脇の木のポールにオレンジの傘を付けた外灯も渋いね!

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③坂のある道・・・・・・・・・高輪4丁目を東西に横切り、坂を下るとそこは五反田だ。

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東五反田5丁目 ・・・・・・・・・・“東五反田5丁目”と言えば、そうです、通称“池田山”と言い、皇后:美智子妃殿下の出身地。  ちなみに“浅草橋2丁目”と言えば、そうです、通称“問屋の街”と言い、私:60過ぎのブラブラ男の出身地。  だいぶ格と質が違うね!

・・・・・・・・・・五反田駅から池田山へ:登山道?

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・・・・・・・・・・坂の上には、天理教の教会が

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・・・・・・・・・・・T邸・・・・・・・・昭和初期の建物かな? 窓・玄関まわりに味がついている。

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・・・・・・・・・・インドネシア大使公邸・・・・・・・・・・昭和11年(1936)に建てられた、鉄筋コンクリート2階建・地下1階、竹中工務店の施工による、素敵な洋館。

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・・・・・・・・・・・トラヤマンション・・・・・・・・・・高級住宅街に、風格のある超オンボロマンションがドッシリと構えている。昭和48年(1973)の建築のようだが、コンクリートはうす汚れ、鉄部は錆び、貫録が出ているマンションだ。・・・・・・・・・かつての学生運動の拠点のような、チョイト怪しい雰囲気だった。

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・・・・・・・・・・池田山公園・・・・・・・・・旧岡山池田藩下屋敷跡の公園。高低差を生かした池泉回遊式の庭園だ。

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・・・・・・・・・・・道端で

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旧国立公衆衛生院と旧伝染病研究所 ・・・・・・・・・港区白金台の東京大学医科学研究所(旧伝染病研究所)とその地続きの一角に旧国立公衆衛生院がある。

・・・・・・・・・・旧国立公衆衛生院・・・・・・・・・・昭和15年(1940)に、内田祥三の設計、大倉土木の施工で完成した、鉄骨鉄筋コンクリート造8階建ての建物。現在、所有者の港区は保存に向け工事に着手したようだ。・・・・・・・遠目にはビックリするほど美しい建物、早く近づいて見たいものだ!

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・・・・・・・・・・・旧伝染病研究所・・・・・・・・・現在は東京大学医科学研究所1号館として、感染症、ゲノムなどの研究施設となっている。昭和12年(1937)竣工、設計は内田祥三、施工は大倉土木+大林組、鉄骨鉄筋コンクリート3階・地下1階建て。・・・・・・・・お隣の旧国立公衆衛生院の建物とは、兄弟のようなもので、ぜひ一体として保存してほしい。

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⑥亀屋橋・・・・・・・・・北里研究所病院の裏手の古川に架かる小さな橋。・・・・・・・・・古そうだ!(年代不詳) 名前の由来も不明?・・・・・・・・・鉄骨の状態・デザインから推定すると、昭和初期の架設かな? 今後、要調査!

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⑦広尾神社・・・・・・・・・・慶長年間(1596~1615)、徳川秀忠が鷹狩りをした折、この地に稲荷を勧請したことに始まる。現:本殿は大正14年(1925)の建造。

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2012年10月 5日 (金)

大井町~品川

大井町駅から、東海道本線の東側(旧東海道側)を品川まで、1万4千歩、10kmの散歩です。

①旧大井町変電所・・・・・・・・・大井町駅の北側にJR東日本の東京総合車両センターが在る。この中に大正11年(1922)竣工の旧大井町変電所が建てられている。・・・・・・・JR構内は、私のように無計画でブラブラ散歩している人は立ち入り禁止。線路反対側の土手上の道路からフェンス越しに見るのが精一杯だ。土手上は雑草が茂り、その僅かな隙間からパチリ。・・・・・・・・・大きな赤煉瓦の建物で、現在は(株)東日本鉄道整備の山手事業所となっており、鉄道の清掃をする会社の清掃員詰所などとして利用されているようだ。

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②日本ペイント(株)明治記念館・・・・・・・・・・・南品川の日本ペイント構内には、明治42年(1909)に竣工した煉瓦造りの日本最古の油ワニス工場が、現在は創業百周年を記念し「明治記念館」として保存されている。・・・・・・・・・内部には、日本ペイントの前身である明治14年(1881)設立の「光明社」時代の資料、製造設備などが陳列されていた。

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・・・・・・・・・・・明治30年代後半の日本ペイント工場の俯瞰図があった。デカい敷地の隅に現在の「明治記念館」の建物があったようだ。

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③天龍寺の煉瓦塀・・・・・・・・・・・大井町からは、ゼームス坂通りを北へ下ると古いレンガ塀に突き当たる。日本ペイントからは東に200m程、天龍寺というお寺の塀だ。この辺一帯は京浜工業地帯として古くから工場が建ち並んでいたので、古い煉瓦の遺構が散在しているらしい。・・・・・・・・天龍寺の煉瓦塀は、長く、綺麗な状態で残っている。・・・・・・・・お寺の本堂の屋根勾配も美しいね。

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・・・・・・・・・・境内に咲いていた、白花曼珠沙華(しろばなまんじゅしゃげ)

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④南品川の旧交番跡・・・・・・・・・・・・・旧東海道の目黒川(品川橋)南詰め交差点に残る旧交番跡。昭和初期に建てられたものかも?

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⑤荏原神社・・・・・・・・目黒川の岸に在る荏原神社は和銅2年(709)の創建。古い!・・・・・・・・現在の社殿は弘化元年(1844)に建てられたもの。

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⑥八ツ山橋・・・・・・・・・北品川で東海道線を跨ぐ「八ツ山橋」だが、現在の橋は4代目だ。・・・・・・・・初代の八ツ山橋は、明治5年(1872)に架けられた日本初の跨線橋だ。しかし、この橋は木造だった。2代目は、大正3年(1914)に架けられた、アーチ橋。3代目は昭和5年(1930)に2代目の西側に併設されたアーチ橋。そして、現在の4代目は、昭和60年(1985)に架け替えられた。・・・・・・・・・現在の橋の際に、2代目の八ツ山橋の親柱が保存されている。

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⑦京浜急行八ツ山鉄橋・・・・・・・・・八ツ山橋のすぐ隣りに、京浜急行の八ツ山鉄橋(トラス橋)が架かっている。昭和8年(1933)に京急が品川へ延伸するとき、専用軌道として建設された、長さ48mのワーレントラス橋だ。・・・・・・・・・・橋の両側のRはきつく、電車はゆっくり通過して行く。写真撮影には、電車がポーズをとってくれているようで“ありがとう”だ。

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2012年10月 2日 (火)

浅草橋~北千住

台東区の南端(浅草橋)の我が家から、北端の三ノ輪をぬけ、足立区の北千住まで、1万6千歩、11Kmの散歩です。

表通りは避け、裏通り・路地を選びグニャグニャと歩いてみた。

①浅草橋から東上野へ・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・まだまだ健在の純木造住宅

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・・・・・・・・・・・・まだまだ健在(?)“淺草區”・・・・・・・・昭和22年(1947)まで存在した区名で、浅草橋・浅草・千束の一帯。上野方面の“下谷區”と合併し、現在の台東区となった。・・・・・・・・・と言うことは、私もこちらのお宅も“淺草區”生れの“台東区”育ちだ!

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・・・・・・・・・・・・4軒長屋・・・・・・・・・外装が変わり、チョイト目には判らないが、木造の4軒長屋だ。各家の境が連続し、軒高が同じで、間口幅も同じ。右端の銅板張りの家がオリジナルに近いようだ!

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・・・・・・・・・・・・細い裏道もに綺麗にして、ご近所付き合い円満に!

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・・・・・・・・・・・・・チョイト古そうな(戦後?)木造家屋。鉄筋コンクリート造に見えるかも?

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・・・・・・・・・・・・昭和4年(1929)築の比留間歯科医院も木造だ!

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・・・・・・・・・・・・・綺麗に揃っている5軒長屋

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②水上酒本店・・・・・・・・・明治33年創業の入谷の酒屋さん。・・・・・・・・・昭和4年(1929)に建てられた、出桁造り3階建ての建物は、そろそろ重要文化財に指定しては?

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③朝日山弁天院・・・・・・・・・・台東区竜泉1丁目の当寺は曹洞宗寺院で、寛永初年の創建らしい。・・・・・・・・下谷七福神の弁財天として参詣を得ている。

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④トンネルを抜けると、そこは荒川区だった・・・・・・・・・・・・常磐線の「第3三の輪ガード」

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⑤南千住の路地・・・・・・・・・・抜けて、素盞雄神社に向かう。

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千住大橋を渡ると、そこは足立区だった・・・・・・・・・・墨田川に架かる昭和2年(1927)竣工のタイドアーチ橋。

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⑦千住河原町の迷路・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・迷路の始まりは、京成本線の高架橋脇から

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・・・・・・・・・・・・クルマが入れそうもない路だ! 宅配便のおにいちゃんはどうするの?

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・・・・・・・・・・・・・まだまだ、続く、続く、遥かな道は、砂利とぺんぺん草の道となる!

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・・・・・・・・・・・・迷路の出口だ!

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⑧東京藝大千住キャンパス・・・・・・・・平成18年(2006)に開設された、音楽学部のキャンパスだ。

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⑨市川歯科医院・・・・・・・・・・駅に近い歯医者さん。・・・・・・・・普通の住宅風、2階は改造したようだが、1階と玄関は昭和レトロが残っている。上野の比留間歯科医院に似た造りだ!・・・・・・・・・残念だが、現状では、歯が痛くても通り過ぎる人がいるかも?

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2012年10月 1日 (月)

大森~大井町

JR大森駅から、西大井駅、下神明駅をとおりJR大井町駅まで、一駅間(?)の散歩です。1万3千歩、9km。

①山王小路飲食店街・・・・・・・・JR大森駅山王口(池上通り側)と山王北口(池上通りに面する駅ビル1階)の間で、池上通りとホームに挟まれた細長い一角。池上通りとホームは、高低差が6~7mぐらいあり、飲食店街には谷底へ降りるように階段を下る。谷底には、ホームと並行に100m程の長さで、幅2m程の路を挟み、両側に小さなスナックや居酒屋が並んでいる。路の中央には、『此処は公衆トイレではありません。 山王小路飲食店街のお客様と組合員が使用するものです、、、、、、』と掲示された共同便所もある。・・・・・・・・夜、訪れないとはっきりは言えないが、“新宿ゴールデン街”のような怪しい雰囲気はなく、立石の“呑べい横丁”のような暗さもなく、サラリーマンの通勤帰りにはちょうど良いかも?

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②山王1丁目の裏道・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・H邸の煉瓦蔵・・・・・・・・綺麗に積まれている赤煉瓦の蔵だが、全体が見えず残念!

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・・・・・・・・・・・・昭和40年代頃の建築雑誌に載ったようなピロティ形式(1階が吹き抜けの空間で柱だけが出ている)の住宅。その名も「山王ピロティ」。

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・・・・・・・・・・爆発する樹・・・・・・・・・岡本太郎のオブジェみたい刈られた大木

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③大井7丁目の住宅・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・K邸・・・・・・・・・・・・木造1階建て、昭和初期(?)の建物。玄関部分は、寺のような彫り物で飾られている。

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・・・・・・・・・・・Y邸・・・・・・・・ハーフチェンバー様式の木造2階建て住宅。こちらも古そう? 玄関には、円柱とステンドグラスが、チラリと見える。

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・・・・・・・・・・・ONERHINOアパート・・・・・・・・・・Y邸前に建つ、平成7年(1995)竣工の鉄筋コンクリート造3階建て、10戸程のアパートメントハウス。・・・・・・・・・建物わきのサボテンがアクセントか?

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④西大井駅・・・・・・・・・乗り入れている路線は、「品鶴線」の通称を持つ、東海道本線の支線で、昭和4年(1929)に線路は開設した。当初は貨物線であったが、昭和39年(1964)には頭上を新幹線が高架で走り、昭和55年(1980)には横須賀線が走るようになった。・・・・・・・西大井駅は昭和61年(1986)、新幹線高架下に開業した。・・・・・・・・・・都区内の駅ではワースト10に入る、乗降客の少ない駅らしい。

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⑤横山外科・・・・・・・・・品川区二葉2丁目の医院。名前は“外科”だが、看板には外科はもちろん、整形外科、胃腸科、皮膚科、泌尿器科、肛門科、性病科、産婦人科、内科、物療、X線科などがあり、病院のようだ!・・・・・・・・・古くからの医院で、建物も年代物だ!近所の人の話では、ドラマのロケもここでよくやるらしい。・・・・・・・・・・正面から見るとごく普通の医院のようだが、横の通りを見ると青い瓦を乗せた塀が長く伸び、奥行があること! まるで病院だ!

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⑥下神明天祖神社・・・・・・・・江戸時代から鎮座していた天祖神社が、正保年間(1644~1647)に、下神明天祖神社(二葉1丁目)と近隣の上神明天祖神社(二葉4丁目)とに分かれたとされている。・・・・・・・・・都心の町中の神社としては参道がかなり長く、隣りの小学校や幼稚園に浸食されたような細長い敷地となっている。

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⑦4層の立体交差・・・・・・・・・・東急大井町線下神明駅のすぐそば(戸越公園方)に、見た目4層の立体交差が在る。構造的にはバラバラで、4層の構造物があるわけではない。最下層と第2層は「第2戸越架道橋」として道路と上を横須賀線が走り、第3層に東急大井町線、そして最上層に横須賀線の真上を新幹線が高架で走行する。・・・・・・・・新幹線、横須賀線、大井町線が一つ点で交差する頻度を知りたくなるね!

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⑧下神明駅~大井町駅高架橋・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・下神明駅・・・・・・・・・・昭和2年(1927)に、戸越駅として開業した高架下の暗い駅。只今、改良工事中。

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・・・・・・・・・・・高架下の店舗の撤去・・・・・・・・・このての立ち退きでは必ずもめるようだ。 ここでも、もめてるみたいだね!

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