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2012年11月

2012年11月30日 (金)

曙橋~信濃町

曙橋駅から直線距離で1.5km程の信濃町駅まで、途中の舟町・愛住町・左門町などを、キョロキョロ、ウロウロ、グルグルしながら、1万4千歩、10kmの散歩です。

①セツ・モードセミナー・・・・・・・・・・・・・・曙橋駅南側の「新坂」と「暗闇坂」、二つの坂の中間(舟町15)に、かなりキツイ名無しの坂がある。傾斜のある坂道が中程で階段に変わるところに、チョイト、モダンな建物があった。最初は喫茶店か、美容院かと思ったが、「セツ・モードセミナー」の校舎だった。・・・・・・・・・「セツ・モードセミナー」とは、イラストレーター、ファッション評論家、映画評論家と多才な活躍をした、故:長沢節が開校したデザイナーズスクール。・・・・・・・・昭和29年(1954)、「節スタイル画教室」として杉並区高円寺に開校し、港区高樹町に移り、昭和40年(1965)に現在の新宿区舟町に校舎を新築移転した。白い建物に、青い窓、ツタの絡まる外壁に、急な階段、どことなく地中海風でもあり、洒落ている。

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②西迎寺の阿弥陀如来座像・・・・・・・・・・・・セツ・モードセミナーの階段を上がりきると、浄土宗の西迎寺がある。この寺の境内に、元禄7年(1694)旗本伏見勘七郎為智が父の供養のために、名鋳物師といわれた椎名伊予守良寛に製作させた、青銅製、像高237cmの阿弥陀如来座の像がある。

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③愛住公園・・・・・・・・愛住町の旧四谷第四小学校隣りの公園。どこにでもある公園だが、紅葉が綺麗だったのでパチリ!

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④都のマーク入りの車止・・・・・・・・・・ごく普通の区道だと思うが、(都道とは思えない!)道の先が階段のため石の車止めが置かれている。なぜか、都のマーク入りで!

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⑤四谷於岩稲荷田宮神社・・・・・・・・左門町の四谷於岩稲荷田宮神社は、江戸幕府の御家人田宮家の屋敷社であった。“四谷怪談”の主人公田宮伊左衛門の妻:於岩を合祀し於岩稲荷と称している。・・・・・・・・・・・ところで、最近“四谷怪談”の映画・落語・芝居を鑑賞する機会が少なくなったようだ。 私の幼き頃は、冬の“忠臣蔵”、夏の“四谷怪談”が定番だった。・・・・・・・・お岩が崩れた顔で、行燈の灯りの横で振り向くときは、ぞ~っとしたね。 今のオカルト映画などとは違う怖さだ! 映画を見た後は、トイレに行くのが怖かった。

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⑥陽運寺・・・・・・・・・・四谷於岩稲荷田宮神社の斜向かいに、日蓮宗の陽運寺があり、こちらにも於岩稲荷が祀られている。・・・・・・・・・どっちが、どうなのか?

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⑦須賀神社・・・・・・・・・・・・江戸時代初期から四谷の地に鎮座する、18ヶ町の鎮守さま。社殿は戦災を受け、さらに老朽化し、平成元年に改築した。 内陣は金色燦然と輝き、荘厳華麗を極めた建物だ。・・・・・・・・・社殿には天保7年(1836)に完成した“三十六歌仙”の絵が、一人一枚に描かれ飾られている。

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⑧文学座アトリエ・・・・・・・・・・・信濃町に建つ、昭和25年(1950)竣工、伊藤義次設計のチューダー様式の木造建物。・・・・・・・・・・アトリエでは公演も行われており、冬はお客様が入場前に寒空の下で待たなくてもすむように、入り口前にテントが張られていた。・・・・・・・・・・・(去年の写真はこちら

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⑨陸軍省所轄地の境界石・・・・・・・・・・信濃町慶応病院と隣の創価学会民音文化会館の敷地境界に“陸軍省所轄地”の境界石が埋められている。・・・・・・・・この辺は、江戸時代に幕府の御焔烟蔵(ごしょうえんぐら)や御鉄砲場があった。 信濃町には明治6年(1873)から陸軍輜重兵(物資輸送部隊)の部隊が設けられた。 大正時代に部隊は目黒に移り、その後を慶応大学が買収し、医学部と附属病院となった。・・・・・・・・・いつのまにか、無くなってしまいそうな境界石だ! 道の真ん中でしゃがんで、境界石を撮っていると、通りすがりの人に変な目で見つめられ、恥ずかし~~い。 

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⑩慶応大学予防医学教室・・・・・・・・・・・・昭和4年(1929)竣工、信濃町キャンパスに現存する最も古い建造物だ。 鉄筋コンクリート造4階建て、曾禰中條建築事務所の設計、清水組の施工で建てられた。・・・・・・・・・・・傷みがひどく、はやく保存のための改修工事をして欲しい。・・・・・・・・・・・中を覗いたが、内部ももちろん古く、使い勝手が悪そうだ。・・・・・・・・玄関には「熱帯医学寄生虫学教室」の表示があり、きびが悪い!・・・・・・・・・隣の図書館は建物の保存状態もよく綺麗だ!

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2012年11月28日 (水)

高田馬場~曙橋

JR高田馬場駅から都営新宿線曙橋駅まで、1万4千歩、10kmの散歩です。

①玄国寺・・・・・・・・・・・・真言宗豊山派の玄国寺は、龍池山上珠院と号し、慶長6年(1601)頃、現在地の高田馬場1丁目に創建された。かつては、隣の諏訪神社の別当寺だった。・・・・・・・・・山門正面に、高床の本堂が在る。その右に、馬場先門にあった明治の元勲岩倉具視の屋敷を大正15年(1926)に移築した庫裏がある。

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②都営西大久保アパート・・・・・・・・・・諏訪通りを挟み、玄国寺・諏訪神社の向かい側に建ち並ぶ都営アパート。昭和40年(1965)から昭和51年(1976)にかけ建設されたが、築50年になると、そろそろ“お手入れの時期”だ。・・・・・・・・山手線の内側、早稲田大学・戸山公園に隣接し、都心の住宅地としては良い環境だ!

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③学習院旧正門・・・・・・・・・現在、新宿区戸山の学習院女子大学と学習院女子中・高等科の正門になっている「学習院旧正門」は、神田錦町にあった学習院から移築したものである。・・・・・・・・・・明治10年(1877)に川口の鋳物工場で製作された鋳鉄製の門で、文明開化期の貴重なもので、国登録の重要文化財に指定されている。

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④戸山駐車場ビル・・・・・・・・・タクシー・ハイヤー会社の「グリーンキャブ」グループが、明治通りに面した新宿区戸山に昭和38年(1963)に建てた、わが国最大級の収容台数1000台を誇る駐車場ビル。・・・・・・・・明治通り側からはガソリンスタンドが在り、大きさがつかめないが、裏に回るとデカイ!

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⑤箱根山・・・・・・・・・・・箱根山は戸山公園内にある、山手線内で一番標高が高い人造の山である。山頂には水準点があり、標高44.6mと標されている。・・・・・・・・ふもとからは1分程で、頂上に達することができ、軽装で日帰り登山ができる。秋のハイキングに、いかが?・・・・・・・・・・江戸時代、ここは尾張徳川家の下屋敷で、回遊式庭園「戸山山荘」として整備された際に、池を掘った残土で山が造られたらしい。・・・・・・・戦前は、箱根山に陸軍戸山学校があった。

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⑥陸軍戸山学校将校集会所跡・・・・・・・・・箱根山の山頂からは、すぐ隣に戸山教会の建物が見える。この教会の下層(基礎のような石積みの部分)が、半地下式の将校集会所だった。当時は上部の教会部分はなかったので、地上に半分顔を出した要塞のような造りだった。・・・・・・・・この周囲には、かつて陸軍病院、戸山ヶ原射撃場、陸軍医学校などもあった。現在の残る遺構はここだけか?・・・・・・・・・・・・現在の教会は幼稚園を兼ねて、集会所跡の上部に造られている。

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⑦東京監獄市ヶ谷刑務所跡・・・・・・・・・・新宿区余丁町に広い「余丁町児童遊園」がある、その公園と地続きで狭く小さな「富久町児童遊園」がある。その狭い公園の一隅に「東京監獄市ヶ谷刑務所 刑死者慰霊塔」が立っている。明治8年(1875)頃に伝馬町牢屋敷は、現富久町児童遊園一帯に移り明治36年(1903)東京監獄と改称、明治38年(1905)からは斬首場が設けられ300人あまりが処刑された。昭和12年(1937)池袋に東京拘置所ができ市ヶ谷刑務所はなくなった。・・・・・・・・現:富久町児童遊園の位置に絞首台が在ったそうだ。弔いの手を合わせてきた!

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2012年11月25日 (日)

立教大学

池袋の立教大学から高田馬場まで、1万2千歩、8kmの散歩です。

●立教大学・・・・・・・・・・11月16日にライフスナイダー館4号館を拝見した、今日は続きを拝見。

・・・・・・・・・・・・大学本館(モリス館=1号館)・・・・・・・・・・池袋駅から立教通り通ってくると、まず目に入る校舎。 正門を入った学生は、赤煉瓦にツタの絡まるこの2階建て校舎の中央をとおり抜けて、キャンパス内の各校舎に向かう。最高のアプローチだ!・・・・・・・・・立教大学の赤煉瓦によるシンボル的建物群(本館、2号館、3号館、図書館旧館、諸聖徒礼拝堂、第一食堂)は、アメリカの建築事務所「マーフィ&ダナ建築事務所」の設計、清水組(現:清水建設)の施工により、大正7年(1918)に竣工した。諸聖徒礼拝堂は大正9年(1920)の献堂。

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・・・・・・・・・・・・図書館旧館・・・・・・・・・・正門から眺め、本館左側に建つ図書館。図書館前には、大学の創立者:宣教師:チャニング・ムーア・ウィリアムズ主教の像が立つ。

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・・・・・・・・・・・・諸聖徒礼拝堂・・・・・・・・・・本館右側にはチャペルが建ち、常時開かれている。

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・・・・・・・・・・・・二号館・三号館・・・・・・・・・・本館を抜けると左右対称に建つ校舎。・・・・・・・・・出入口部分には、ツタではなく、テイカカズラの木がツルを伸ばし緑を演出している。

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・・・・・・・・・・・・第一食堂・・・・・・・・・・本館を抜けると、塔のある建物が正面に見える。

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・・・・・・・・・・・・鈴懸の径(すずかけのみち)・・・・・・・昭和17年(1942)の灰田勝彦の歌。立教大学は灰田勝彦の母校で、キャンパス内にモデルになった鈴懸の径が存在し、記念碑がある。・・・・・・・・・・♪♪  友と語らん 鈴懸の径 通いなれたる 学舎の街 やさしの小鈴 葉かげに鳴れば 夢はかえるよ 鈴懸の径  ♪♪・・・・・・・・・・・ペギー葉山の「学生時代」、♪♪ つたの絡まるチャペルに 、、、、、 ♪♪のモデルは青山学院の礼拝堂。間違えないように!

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2012年11月24日 (土)

北千住

北千住駅西側の千住寿町、千住柳町、千住龍田町など古い町をウロチョロ歩いてきた。1万歩、7km。

①金蔵寺・・・・・・・・・北千住駅から100m程西側ににあるこの寺は真言宗豊山派に属し、氷川山地蔵院と号し、建武2年(1335)の創建と伝えられている。鎌倉時代の終わり頃だから古い寺だ!・・・・・・・・“千住宿”は日光街道の一番目の宿場で、江戸時代後期には、遊女屋が36軒、遊女は150人もいたそうだ。 遊里として栄えたかげで、病死した遊女は無縁仏同様に葬られた。 金蔵寺には、その薄幸な生涯を哀れみ供養するために供養塔が建てられている。・・・・・・・・・供養塔の隣りには、天保8年(1837)の大飢饉の飢餓者を慰める無縁塔も建てられている。

・・・・・・・・・・・・・・左側が遊女の供養塔、右側が飢餓者の無縁塔・・・・・・・・石には遊女の戒名らしき“○○○信女”がずらり並んでいる、中には“○○童女”もあり、幼い遊女もいたようだ! 合掌!

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②勝専寺・・・・・・・・・・・・・千住2の浄土宗勝専寺は、三宮神山大鷲院と号し、文応元年(1260)の開山。通称「赤もん寺」という。

・・・・・・・・・・山門はその名のとおり赤に塗装された格式の高い寺院だ!江戸時代には将軍の鷹狩のご休息所にもなったらしい。・・・・・・・・・門の両側は煉瓦塀が伸びている、こちらの塀は明治以降のものだが、煉瓦は隅田川の近くに多くあった煉瓦工場製のものだろう!

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・・・・・・・・・・本堂は明治39年(1906)に、煉瓦+コンクリートで造られた、珍しい建物だ!・・・・・・・・・本日は、植木屋さんが入り、本堂前の樹木の手入れ中。邪魔しないように、チョイト遠くからパチリ。

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③旧千住郵便局電話分室・・・・・・・・・・・国道4号線の西、千住中居町に建つ、現:NTT千住ビル。 山田守の設計により、大倉土木(現:大成建設)の施工で、昭和4年(1929)に竣工した電話局の建物。曲線・曲面を多用したモダニズム建築の代表作だ!・・・・・・・・設計者の山田守(やまだ・まもる:明治27年~昭和41年)は大正9年に東京帝大を卒業し、逓信省に入り、昭和20年の退官まで、建築(電信局・電話局)設計、清洲橋永代橋聖橋など震災復興の橋梁設計などを手掛けた。退官後は、設計事務所を開設し東海大代々木校舎などを設計し活躍した。・・・・・・・・私の好きな建築家の一人。

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④千住遊郭の跡・・・・・・・・・・大正中頃まで旧日光街道の千住宿に点在していた遊郭が、警視庁により、現在の千住柳町に移転させられ、16軒程の業者で営業が始まった。震災後は、板橋や吉原の業者も加わり50軒以上となる。戦後は昭和32年(1957)の赤線廃止まで営業を続けていた。・・・・・・・・・千住柳町とその周辺を歩いてみたが、夕暮れのせいか、それらしき建物はなかった。

・・・・・・・・・・大正記念道・・・・・・・・・今は通称「大正通り」と呼ばれている。荒川放水路の完成によって廃止になる堀を埋め立て、大正5年(1916)に完成した。大正天皇御即位の記念として、命名された道路だ。・・・・・・・・国道4号線の西側の、千住中居町から千住柳町をとおり千住大川町に至る、地域の幹線道路だ!・・・・・・・・・名前に釣られ、歩いてみたが、“大正ロマン”は見つからず、ガッカリ。

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・・・・・・・・・・・路地に入ると、、、、、真直ぐに抜ける路地は無い!方向感覚もおかしくなる!

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・・・・・・・・・・・千住大門商店街・・・・・・・・・千住柳町には、「大門通り」、「いろは通り」、「仲通り」なる、商店街があった。・・・・・・・・“大門”、“仲通り”は吉原に、“いろは通り”は玉ノ井にもある名前だ!赤線地帯を歩いている実感が出てきた!・・・・・・・・・しかし、赤線廃止から55年が経過し、それらしき名残も無いようだ、落ち着いた地域密着型の商店街だ。

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・・・・・・・・・・町のブリキヤさん、畳屋さん

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・・・・・・・・・・・大黒湯・・・・・・・・・千住柳町に近い千住寿町にある、昭和4年(1929)に建てられた、立派な破風の銭湯。

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⑤石黒のあめ・・・・・・・・・・国道4号線を横断し駅に近づくと、千住3丁目の“石黒のあめ”があった。昭和8年創業の飴の老舗。・・・・・・・・・玄関に横の並べたガラスケースには、懐かしい飴がカラフルに客を呼んでいる。 梅干しあめ、ニッキあめ、バターボール、抹茶あめ、しそあめ、ココアあめ、きなこあめ、ハッカあめ、、、、、、、、丸い、硬い、玉のあめが、ほっぺの中でゴロゴロしている感じだ。

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⑥千住本氷川神社・・・・・・・・・・徳治2年(1307)創建の古そうな神社。

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2012年11月22日 (木)

八広~堀切

京成八広駅から、荒川沿いを東武堀切駅まで、1万歩、7kmの散歩です。

①八広駅・・・・・・・・・大正12年(1923)、「荒川」駅として開業した。当初は荒川寄りに駅が在ったが、荒川橋梁の架け替え、駅高架化により、平成6年(1994)に「八広」駅と改称した。・・・・・・・・・高架下2階にコンコース・改札があるが、小さな売店が在るだけだ! 駅を出ると、高架下のフェンスで囲まれた空き地に放り出されたようだ。まさに何もない! 

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②京成押上線荒川橋梁・・・・・・・・・・・平成4年(1992)の架け替え工事着手時には、荒川の水面から約4.3の高さに橋梁の桁下があり、橋桁に船が頻繁に衝突する状態だった。また、地盤沈下により堤防の高さよりも橋梁は低い位置に在った。・・・・・・・・・国交省は約400億円の事業費で橋梁の架け替えを行い、平成11年(1999)に現在の荒川橋梁の共用が開始された。・・・・・・・現在の荒川橋梁は川の水面より8.3mの高さに桁下があり、船の衝突はなく、堤防よりも高くなり、安心、安心!

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③荒川土手から・・・・・・・・・・

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④隅田稲荷神社・・・・・・・・・・墨田4丁目の裏道の奥に鎮座する神社。神社は、当地(善左衛門村)を開拓した江川善左衛門が天文年間(1532-1553)に創建した。・・・・・・・・・古い、歴史ある神社だ!

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⑤神社わきの裏道・・・・・・・・・・墨田4丁目、私好みの雰囲気のある裏道だ!

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⑥鐘ヶ淵駅周辺・・・・・・・・・・・・明治35年(1902)開業の鐘ヶ淵駅周辺は、今でも“昭和”の面影を残す、懐かしさを感じる町だ。

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⑦カネボウ公園・・・・・・・・・・・・東武線の堀切駅から南に約500m程の所に、カネボウ物流の建物がある。その一角の「カネボウ公園」と称する小さな公園に、「鐘淵紡績株式会社 発祥の地 明治二十二年五月六日創立」と彫られた、石碑が寂しそうに建てられている。・・・・・・・・・この地は, かつては 鐘紡(鐘淵紡績)の大きな工場があった場所で、昭和44年(1969)まで東京工場として操業していた。・・・・・・・「鐘淵紡績」は「鐘紡」「カネボウ」と社名を変更し、化粧品・ガムなども手がけ業容を拡大したが、経営不振となるに至った。平成19年(2007)、カネボウの子会社「カネボウ化粧品」を花王に売却し、カネボウ自体はクラシエ・グループとなった。・・・・・・・・・・寂しい話だ!

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堀切駅 ・・・・・・・・・・・・・また来てしまった。好きな駅だ!

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2012年11月21日 (水)

靖国神社

市ヶ谷から、浅草橋の我が家まで歩くつもりでスタートしたが、途中、靖国神社の遊就館を拝観しタイムオーバーとなり飯田橋までに短縮した。1万歩、7kmの散歩。

①新見附橋・・・・・・・・・・靖国通りから一口坂を下りきった交差点の先に、JR中央・総武線を越え外濠を横切り、新宿区市谷田町に向かう橋。明治中頃、外濠の牛込橋(飯田橋駅西口前の橋)と市ヶ谷橋(市ヶ谷駅前の橋)の中間点を埋め立て造られた橋で、濠の埋め立て部分は盛土となり、線路上は鋼製桁橋となっている。・・・・・・・外濠は中間地点が埋め立てられ、二つの濠となった。・・・・・・・・・現橋は昭和4年(1929)の架橋で、長さ20.65m、幅11.27m。・・・・・・・・・・・30年程前、九段小学校の前で小学1年生くらいの男の子が迷子にになっており、家は一口坂の近くだと話していたので、この橋のところまで送ってきたことを思い出した。 その子は、今は40歳ぐらいだろう、私のことは覚えていないだろうね。新見附橋に来ると思い出すよ!

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・・・・・・・・・・・・橋の上から飯田橋側を眺める

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・・・・・・・・・・・・JRの4本線路が平行に敷かれているが、先の方(飯田橋駅手前)で一部左側の線路が膨らんでカーブしている。ここに、明治27年(1894)から昭和3年(1928)まで牛込駅があった。飯田橋駅ができ廃止された。

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②遊就館・・・・・・・・・遊就館(ゆうしゅうかん)は国防思想の普及のため、旧日本陸海軍の武器陳列所として明治14年(1881)に靖国神社内に建てられた。当時はイタリア人の設計による建物であったが、震災によって崩壊した。・・・・・・・・・現:遊就館は、陸軍省経理局建築課(陸軍技師内藤太郎・柳井平八、顧問:震災記念堂を設計した伊東忠太)の設計、銭高組の施工のより、昭和6年(1931)に竣工した。・・・・・・・・・・・戦後は、GHQにより接収され富国徴兵保険相互会社(現:富国生命)の本社として使用された。昭和55年(1980)富国生命が立ち退き、昭和61年(1986)に再度開館した。・・・・・・・・・・・・前を通るだけのつもりでいたが、『大東亜戦争開戦70年展』の表示を見て、拝観することにした。

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・・・・・・・・・・・・泰緬鉄C56型31号機関車・・・・・・・昭和11年(1936)日本車両で製造され、大東亜戦争でタイに運ばれ活躍した。昭和51年(1976)、日本に里帰りし靖国神社に奉納された。館内に陳列されている。

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●蛇足・・・・・・・・ミュージアムショップで昭和21年~昭和25年の「青春歌年鑑」のCDを購入してきた。このブログは市丸の「三味線ブギウギ」を聴きながら書いてます。

③旧国防館・・・・・・・・・遊就館の隣に建つ現:靖国会館、戦前は国防館と呼ばれ陸軍最新兵器や戦争関連の模型、資料などが展示公開されていたらしい。戦後は靖国会館と改称し、無料休憩所、靖国偕行文庫などで使用されている。・・・・・・・・・こちらも、陸軍省経理局建築課 (陸軍技師内藤太郎・柳井平八、顧問伊東忠太)の設計で、藤木工務店施工により、昭和9年(1934)に竣工した。

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④到着殿・・・・・・・・・・・・・旧国防館前に、靖国神社に参拝する総理大臣などの要人が利用する到着殿が在る。 こちらも、陸軍省経理局建築課の設計で、昭和7年(1932)に完成した。

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⑤能楽堂・・・・・・・・・・明治14年(1881)に東京・芝公園に建てられたものを、明治36年(1903)に靖国神社に奉納、移築した。・・・・・・・・・かつて、この建物の前に多くの白鳩がいたが、今は糞害のためか、管理された状態で飼われているようだ?鳩の姿がない!

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⑥拝殿・・・・・・・・・・・明治34年(1901)の建築。・・・・・・・・拝殿正面の白い幕は、神社の祭りの日(春秋例大祭・みたま祭・新年祭など)には、紫の幕に変えられる。

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⑦神門・・・・・・・・昭和9年(1934)に建てられた。中央扉の菊の紋章は、直径1.5m程の大きさだ。・・・・・・・・・この紋章を見ていると、仏事の盛菓子として、白とピンクの菊模様の落雁を思い出すね! 久しく味わっていないな!

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大鳥居 ・・・・・・・・・・昭和36年、三橋美智也が唄う「雨の九段坂」 ♪♪ あえぐ洋傘(こうもり)かしげて仰ぐ 雨に煙った大鳥居 母は来ましたやっと来ました 可愛いお前が住むお社へ  一目なりとも逢いたさに ♪♪・・・・・・・・・・「九段の母」とは、チョイト歌詞が違うので間違えないように!  

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2012年11月20日 (火)

二の酉

一の酉に行けなかったので、夫婦で二の酉に行ってきた。もちろん、地元台東区千束の鷲(おおとり)神社だ!・・・・・・・・・・今年の私は、医者通いが多く、疫病神がまとわりついた年だった。来年の福を“かっこむ熊手”にあやかりたく、神社のお酉さまとお寺のお酉さまの両方に手を合わせてきた。

①酉の市・・・・・・・・日本武尊が東夷征討の際、鷲神社に立ち寄り戦勝を祈願し、志を遂げた帰途、神社前の松に武具の「熊手」をかけて勝ち戦のお礼参りをした。その日が十一月酉の日であったので、この日を鷲神社例祭日と定めたのが酉の市だ。・・・・・・・・鷲神社(台東区千束)は、鷲在山長國寺(じゅざいさん・ちょうこくじ、法華宗本門流)の境内に在り、酉の市は神社の鷲神社とお寺の長国寺で行われている。・・・・・・・・・神社と寺のコラボだ!

・・・・・・・・・・・奉納された提灯の下から、鳥居・拝殿前まで行列だ! 拝礼まで30分の順番待ち。

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・・・・・・・・・・・神社で手を合わせたら、次はすぐ隣の長國寺にも参拝! こちらは、待ち時間なし。

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・・・・・・・・・・・御札・御守りも人気があるね! 巫女さんは神社、裃姿はお寺。

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・・・・・・・・・・・熊手やさん

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・・・・・・・・・・境内を出ると露店がズラリ!・・・・・・・・・切山椒もあるよ!

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②買い物・・・・・・・・夫婦で歩くと、いつの間にか買い物だ!

・・・・・・・・・・徳太郎・・・・・・・・・浅草寺裏の花柳界に店を構える創業明治36年(1903)の老舗和菓子屋さん。 私の知らない昔、上品な甘さのきんつばを、吉原遊郭が出していたらしい。・・・・・・・・・・美味しかった!

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・・・・・・・・・・・新仲見世では、漬物の河村屋、七味のやげん掘、帽子のトラヤ・・・・・

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浅草文化観光センター・・・・・・・・・・8階の展望施設からの眺め。Wonderful!

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2012年11月19日 (月)

日本橋蠣殻町・日本橋小網町

我が家(浅草橋)から、人形町を迂回するように、日本橋浜町・日本橋蛎殻町・日本橋小網町・日本橋横山町と回って我が家まで、1万2千歩、9kmの夕暮れ散歩です。

①水天宮の改築・・・・・・・・・・・日本橋蛎殻町(かきがらちょう)の鎮座する安産の神様が、どうやら、明治座の前にしばらく移転するようだ。 明治座前にあった空き地には仮囲いが組まれ、中では木造の仮社殿建設が始まった。竹中工務店の施工、来年2月の完成予定で、その後、神様を仮社殿に遷すのだろう。 現水天宮の改築はその後となり、全てが完成し、神様がもとの場所に戻るには数年はかかりそうだ。・・・・・・・・・・移転の理由は、なぜ? 工事中の作業員の話では、現在の神社の傷みがひどく建替えるためとのこと。 現在の社殿は鉄筋コンクリート造で、1階が駐車場、2階に社殿が載っている構造だ。しかも、昭和40年頃の建物と記憶しているが?・・・・・・・・・・我が家の娘二人の岩田帯を貰いに参拝したのは、30年前の話だ。私も劣化したが、神社も劣化したのかな?・・・・・・・・・改築後の神社を早く見たいね!

・・・・・・・・・・・現在の水天宮・・・・・・・・・神社1階に間借りしている(?)駄菓子屋さん、寿司屋さん、角の交番など、、、、、、どうなるのかな?

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・・・・・・・・・・・・明治座前の仮社殿の建設

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②日本橋蛎殻町の建物・・・・・・・・・・・蛎殻町(かきがらちょう)は、浜町・人形町などと隣接する町。江戸時代から商業の町で、醤油、塩、陶磁器の問屋が多い。・・・・・・・・・・・今でも、ヤマサ醤油や花らっきょの桃屋などが在る。

・・・・・・・・・・・I邸・・・・・・・・・・蔵のある民家

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・・・・・・・・・・・・銅板建築2軒・・・・・・・・・・・・・・

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・・・・・・・・・・・IK邸・・・・・・・・・・・・

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・・・・・・・・・・・・ゾートスサロンひらさわ・・・・・・・・・・モルタル系看板建築

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・・・・・・・・・・・・堀善商会・・・・・・・・・・・・

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・・・・・・・・・・・ゆたか印刷・・・・・・・・・・・玄関灯が渋い!

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・・・・・・・・・・・・計理士 三宅則義・・・・・・・・・・・・

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・・・・・・・・・・・・宏和スタジオ・・・・・・・・・・・・・

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・・・・・・・・・・・・・永楽屋・・・・・・・・・・・創業明治27年(1884)のオーダーシャツ専門店。・・・・・・・・・・現在の店舗は大正14年(1925)に建てられた看板建築。昇る朝日にニワトリが二羽、「永楽屋」の看板が歴史を語っているようだ!

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③日本橋小網町の建物・・・・・・・・・・・小網町(こあみちょう)は人形町・蛎殻町に隣接する、日本橋川沿いの町。

・・・・・・・・・・・東栄塩業・・・・・・・・・ネットに覆われてから、だいぶ時間が経過した。この建物の左奥に塩元売協同組合のビル(下の写真:今年1月撮影)が在ったが、取り壊し中だ。

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・・・・・・・・・・・・桃乳舎・・・・・・・・喫茶店

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・・・・・・・・・・・・日清製粉小網町ビル・・・・・・・・・・・昭和20年代のビル??

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・・・・・・・・・・・・・喜代川・・・・・・・・・・・明治7年(1874)創業のうなぎ屋さん。建物は昭和2年(1927)の建築。20121119_163912tc

・・・・・・・・・・・・商店建築・銅板建築3店舗(同じ造り)

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・・・・・・・・・・・小網神社・・・・・・・・・昭和4年(1929)築の社殿・神楽殿。

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2012年11月18日 (日)

南新宿

午後から新宿で開かれた、TULLY'S COFFEEの講師による「美味しいコーヒーの淹れ方」と題するセミナーに夫婦で参加。 レクチャーと実践で知識取得、明日から美味しく淹れることができると自信を得た! さらに、お土産も貰い、ニコニコ顔で大満足。

新宿まで来たついでに、ご近所をブラブラ!

①新宿駅南口地区基盤整備事業・・・・・・・・最大級のターミナル駅である新宿駅南口周辺では、車と人の行き来をスムーズにするため、甲州街道の新宿跨線橋の架け替え工事、JR駅ビルと高速バスターミナルの建設工事、JR新宿南口と地下鉄副都心線「新宿三丁目駅」を結ぶ地下道建設工事(完成済)などが、国交省東京国道事務所によって実施されている。・・・・・・・・・・どの工事も、JR線路上であったり、甲州街道の地下で、安全対策の難しい難工事だ! 全体的には工程も終盤となり、工事の関係者には、“もう一頑張り”、ご苦労さま。

・・・・・・・・・・・・跨線橋の架け替え工事は平成11年(1999)に着工し、今年度(平成25年春)に完了する予定だ! 足掛け14年の工事、長いのか、短いのか?

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・・・・・・・・・・・JR駅ビル(新南口)とバスターミナル・・・・・・・・甲州街道を挟み、現新宿駅南口正面に建設中。平成18年(2006)に着工し、平成27年(2015)度内に完成予定。これまた、9年間の長期工事だ!

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②小田急新宿1号踏切:新宿2号踏切・・・・・・・・・・・小田急線が新宿駅から出て、最初に横断する道路につくられている1号踏切、100m程離れて2号踏切がある。・・・・・・・・・・・高層ビルの建つ都心の踏切は、なぜか親しみを感じるね! 私が大学生の頃、新宿から小田急線で川崎の生田まで通学していた。その頃、車窓からも、この踏切を眺めていたのを思い出す。昭和40年代のその頃は、踏切周辺には小田急線の保線設備なども多く、線路の周囲はまだ木造の家屋も多く、のんびりしていたと記憶している。

・・・・・・・・・・・・・新宿1号踏切

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・・・・・・・・・・・新宿2号踏切

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③小田急旧本社ビル・・・・・・・・・新宿2号踏切の脇に、小田急電鉄の旧本社ビルがある。この建物は、銀座和光、第一生命相互館などを手掛けた建築家:渡辺仁(1897~1973)の設計により、清水組の施工で、昭和2年(1927)に竣工した。鉄筋コンクリート造地上3階/地下1階。・・・・・・・・昭和初期のモダン建築の一つだ!

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④南新宿駅・・・・・・・・・・・小田急線新宿駅の拡張工事が昭和42年(1967)完了する以前までは、昭和2年(1927)開業時から新宿1号踏切と2号踏切の中間に駅はあった。・・・・・・・・・・現在、駅は盛土上に在り、土地が窪んでいるため改札はホーム下となっている。

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●蛇足・・・・・・・・・“南新宿”と称する地名は東京には無い! 日本で“南新宿”があるのは埼玉県蓮田市だけ。 「南新宿」駅の所在地は、“渋谷区代々木”で、“新宿区”に属してもいない。 さらに、JR新宿駅の現在建てている“新南口”、高島屋新宿店なども、地図上では“渋谷区千駄ヶ谷”だ!・・・・・・・・何かに役立つ知識となるかな?

2012年11月16日 (金)

大山~池袋

東武東上線大山駅から、豊島区要町付近をまわって池袋駅まで、1万2千歩、9kmの散歩です。

①大山駅・・・・・・・・・大正3年(1914)の東上線池袋駅~川越市駅間の開通時には無く、昭和6年(1931)になって追加開業した池袋駅から三つ目の駅だ。・・・・・・・・朝夕のラッシュ時以外は乗降客も少なく副都心に近い住宅地の駅で、また、道路面から数段の階段を上るとホームに出られる身障者・年寄りには優しい駅でもある。・・・・・・・・・・・カーブする線形上に造られた駅で、ホームは当初は6両編成分であったが、現在は8両編成分に改良され長いカーブを描くホームとなっている。電車とホームの間がひろがり、チョイト危ないね!

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②山手通り・・・・・・・・・・池袋駅の西北、板橋区南町あたりの山手通りは、頭上に首都高中央環状線が走っている。中央環状線は、ここらから地下にもぐり新宿・渋谷方面に向かう。・・・・・・・・・・・ゴツイ橋脚の首都高は視界を遮り、醜い姿だ!

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③庚申塔・地蔵尊・・・・・・・・・・・板橋区南町の山手通りから、「南町庚申通り商店会」、「えびす通り高松商店会」、「えびす通り仲見世商店会」、「えびす中通り商店会」など、豊島区要町まで商店街が連続していた。要町の大通りを横断すると「地蔵堂商興会」に続いている。・・・・・・・・・これらの商店街は、道幅も狭く、「○○商店会」と標した街路灯が所々に立っているだけだ。残念だが寂れたようで活気がないね!・・・・・・・商店街の所々には、庚申塔・地蔵尊などが祀られている。歴史ある商店街か?

・・・・・・・・・南町庚申通り入口の庚申尊・・・・・・・・山手通りに面して祀られていた

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・・・・・・・・・・・えびす通り高松商店会には庚申塔

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・・・・・・・・・・・・えびす通り仲見世商店会には延命地蔵尊

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・・・・・・・・・・要町の商店街の出口(入口?)

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・・・・・・・・・・地蔵堂商興会には、正徳4年(1714)の地蔵と子育て地蔵が祀られている

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④カトリック豊島教会・・・・・・・・・・昭和24年(1949)に創立したカトリック豊島教会に建つ、建築家:レイモンド(星薬科大学などを設計)の設計で昭和31年(1956)竣工の聖パトリック聖堂。・・・・・・・・・・・・外観のみパチリ! 内部は後日!

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立教大学・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・大学院ライフスナイダー館・・・・・・・・・・ライフスナイダーは米国聖公会主教で、昭和15年(1940)に大学初代総長を辞任し、戦禍が想定されるため、米国へ送還された。建物はライフスナイダーの旧宅で、大正15年(1926)に清水組の施工で竣工した。・・・・・・・・ツタが美しく絡まる建物だ! 現在は大学院のレセプションルームとして使用。

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・・・・・・・・・・4号館・・・・・・・・・・米国の建築家:J・H・モーガン(Jay Hill Morgan)の設計による4号館。モーガンは46歳で来日し、昭和12年(1937)に63歳で亡くなった。・・・・・・・この4号館は、モーガンが亡くなる1か月前に竣工した。モーガンの作品は 横浜山手聖公会、旧横浜競馬場一等馬見所などが残っているが数は少ない。・・・・・・・・・・・鉄筋コンクリート造地上4階/地下1階建て、清水組の施工。・・・・・・・・・「BRICK & IVY」の立教キャンパスの中では、シンプルなデザインで、木立に囲まれ目立たない建物だ。現在は理学部の研究室などが設置されている。

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・・・・・・・・・・・1号館(モリス館)・・・・・・・・・壁一面にツタの絡まる赤煉瓦造りの校舎は、まさに、“This is 立教”。大正7年(1918)竣工、設計は米国の建築事務所、施工は清水組。・・・・・・・・・・・校舎の前に建つと、も一度、学生に戻りたくなるね!

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2012年11月15日 (木)

新橋~六本木

新橋駅から六本木まで、9千歩、6kmの夕暮れ散歩です。

①新橋駅改良工事・・・・・・・・・明治42年(1909)、烏森駅(からすもりえき)として開業した新橋駅だが、煉瓦造りの高架橋は開業当時のまま、駅の改札は狭く3か所に分散している。・・・・・・・JRは平成22年(2010)から駅の改良工事に着手した。工事内容は、●南北コンコースの一体化 ●各ホームへのエレベーター設置 ●東海道線ホームへの階段、エスカレータの拡充 ●高架橋の耐震対策 ●ホーム大屋根設置など。・・・・・・・・大屋根がホームの上に現われてきた。 工事の完了予定は平成28年(2016)で、まだまだ、当分続く!

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・・・・・・・・・・・この大屋根の柱・梁の鉄骨、チョイト太すぎないかな? ただの屋根にしては大げさだね! JRは何か企んでいるかも?

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・・・・・・・・・・・駅前のSL広場では“古本市”が開かれていた。・・・・・・・・・私も、覗いてみたが結構面白く、しばらく物色してみたが、欲しい本は無かった。

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②西新橋の建物・・・・・・・・・・西新橋(新橋駅西側の飲食店街のさらに西側)には、地上げされたのか、かつての住宅・料亭が朽ちて残っている。戦後の古いビルには雀荘もあるね!・・・・・・・・・場所は“一等地”、残念だが、いずれ消える建物だろう!

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③環状2号線プロジェクト・・・・・・・・・・新橋から虎ノ門を結ぶ「幻のマッカーサー道路」と呼ばれた「環状2号線」の整備が進む中。虎の門1丁目では、整備中の道路の真ん中にどえらい高さの超高層ビルが建設されている。・・・・・・・・・ビルは森ビルが施主で、地上52階/地下5階の規模、都内で2番目の高さとなる255.5m、大林組の施工により、平成26年(2014)竣工予定。・・・・・・・なぜ、道路の真ん中に?、、、、、、「立体道路制度」と言う制度があり、それを活用すると、建築物の中に道路を通すことができるのだ。その制度を適用したのだ。・・・・・・・・つまり、新橋から地下を通ってきた環状2号線は、このビルで地上に顔をだし虎の門に向かう。・・・・・・・・・・・凄い! 完成すると、また東京の新名物かも?

・・・・・・・・・・・汐留側で工事が進んでいる、この地下に環状2号線。

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・・・・・・・・・・・・・道路工事の前に建つ超高ビル。手前右側は既存の建物。左側は道路工事現場。超高層が道路にはみ出すように建設中。

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・・・・・・・・・・・・思わず見上げる高さ!

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・・・・・・・・・・・・・虎の門側の道路から見ると、やはり道路にはみ出してる。

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④ホテルオークラ本館・・・・・・・・・・旧大倉邸に昭和37年(1962)に造られたシティホテル。別館は昭和48年(1973)に完成した。設計は谷口吉郎+小坂秀雄+清水一+岩間旭+伊藤喜三郎(ホテルオークラ設計委員会)の超豪華メンバーにて行われた。・・・・・・・・・・・・一度、泊まってみたいホテルだ!

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⑤アークヒルズ(ARK Hills)・・・・・・・・・・港区赤坂一丁目と同六本木一丁目にまたがって位置する複合施設。高層のオフィスビル、ホテル、集合住宅のほかに、コンサートホール、放送局などから構成されている。昭和61年(1986)に森ビルの手により完成した。・・・・・・・・・・・今日は中を素通り。

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2012年11月14日 (水)

板橋本町~大山

都営三田線の板橋本町駅から、東上線ときわ台駅をとおり円を描くように大山駅まで、1万4千歩、10kmの散歩です。

①清水稲荷神社・・・・・・・・・板橋本町駅から北へ300m程行くと、“イナリ通り”という小さな商店街があり、その奥に神社は在った。・・・・・・・・豊受姫命を祭神とする、創建年代不詳の古い鎮守さまだ。・・・・・・・・・・・境内ではギンナン干しをしていた。あの独特の臭さも消え、ザルに入ったギンナンは美味しそうだ!

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②エスビー食品・・・・・・・・・・・板橋区宮本町のエスビー食品の入口わきに石造りの古い倉庫がある。板橋工場が竣工した昭和初期の建物のようだ。妻の部分には「S&B」の商標が彫られている。

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・・・・・・・・・・・ヱスビー食品と言えば、コショウとカレーを思い出し。カレーと言えば、松山容子のボンカレーを、思い出す。    次のテレビコマーシャルも思い出すね!

・・・・・・・・・・・昭和29年(1954)発表 ♪ なつかしい なつかしい あのリズム エキゾチックな あの調べ オリエンタルの 謎を秘め 香るカレーよ 夢の味 あゝ夢のひと時 即席カレー 君知るや 君知るや オリエンタルカレー ♪、、、、、、、唄えるかな?

・・・・・・・・・・・昭和38年(1963)  ヱスビーカレーのCMで芦屋雁之助がターバン姿で飛び上がり、一言『インド人もビックリ』、、、、、、覚えているかな?

・・・・・・・・・・・昭和48年(1973)から  西城秀樹が唄った ♪ ハウスバーモントカレー 味はピリッと本場のカレー  ハウスバーモントカレー とろ~りとけてるりんごとはちみつ ハウス ハウス ハウスでなければできないカレー ♪、、、、、、私には、これは通しで歌えない。歌えたら、ヒデキ、感激!

③常盤台住宅地・・・・・・・・・・東武東上線の高級住宅街。昭和初期に東武鉄道は、当時提唱された「田園都市」構想をもとに「常盤台住宅地」の開発に取り組んだ。・・・・・・・・・昭和10年(1935)に住宅地の玄関となる「武蔵常盤」駅(昭和26年に「ときわ台」に改称)を開業した。・・・・・・・・住宅地は、田園調布のように、駅を中心に放射状に伸びる街路と、環状の街路で構成されている。 環状の街路は道路中央部に植栽され、“プロムナード”となっている。また、宅地の中央には“クルドサック”と呼ばれる、通り抜けられる道路ではなく、ロータリー上に回転して来た方向に戻る道路が造られている。

・・・・・・・・・・・・・ときわ台駅・・・・・・・・・開業時の姿が残されている。

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・・・・・・・・・・・プロムナード・・・・・・・要は、中央分離帯!

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・・・・・・・・・・・クルドサック・・・・・・・・・入ってきた車は、中央の植栽を回り出ていく。

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・・・・・・・・・・・常盤台の住宅・・・・・・・・・・新・旧まぜこぜで!

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④帝都幼稚園・・・・・・・・・“帝都”の名もレトロに響く、大正時代に開園した幼稚園。木造下見貼りの園舎はいいね。裏側には高窓のある建物(トイレのようだ)が見える。・・・・・・・・・門柱は、これまたレトロなタイル貼り!

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⑤サンタクロース・・・・・・・・・大山駅前の商店街“ハッピーロード”では、サンタも登場!

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2012年11月13日 (火)

船橋

稲毛でのパソコン同好会の帰り、チョイト、船橋の水準点を見に行った。船橋駅から西船橋駅まで、9千歩、6kmの散歩です。

①玉川旅館・・・・・・・・・船橋市役所の近くに建つ、大正10年(1921)創業の純和風旅館。船橋の老舗料亭で、戦前は海も近く、陸軍士官御用達旅館だったそうだ。・・・・・・・・・本館は、昭和16年(1941)建築の2階建で、外観を楼閣風にまとめた料亭建築です。第一別館は昭和3年(1928)建築の平屋建、第二別館は昭和8年(1933)建築の2階建で、本館を含め3棟は国登録有形文化財となっている。・・・・・・・・太宰治ゆかりの旅館で、内部は凝った造りだそうだ、泊まらないと内部様子が書けないね!

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②本町2の一角・・・・・・・・・・・玉川旅館とは千葉街道を挟み反対側は本町2丁目だ。その街道裏の一角に、昭和3年(1928)、街道沿いに点在した遊郭が集められ“船橋新地”と呼ばれるようになった。戦後はそのまま赤線となり栄えたらしい。・・・・・・・・・私はまだ乳飲み子で興味のなかったころの話だ!・・・・・・・・今、ストリップ劇場の若松劇場は、その頃、芝居小屋として赤線の中にあったそうだ。・・・・・・・・・どうみても、夜の繁華街とは思えないような住宅地に、現在、数件の飲み屋、若松劇場、1軒のソープランドが営業中。

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・・・・・・・・・・・千葉県内に残る唯一のストリップ劇場・・・・・・内部の拝観は後日だ!

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・・・・・・・・・・・・劇場に並び、営業するソープランド・・・・・・・こちらも、拝観はパス!

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③海神念仏堂・・・・・・・・・船橋市海神の念仏堂に、観音堂がる。この観音堂は、元禄14年(1701)に江戸神田の商人が寄進した建物だ。

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・・・・・・・・・・・・堂の傍らに、船橋市内最古の道標が残っている。元禄7年(1694)の銘があり、「右 いち川みち  左 行とくみち」と記されている。

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④龍神社・・・・・・・・・海神1に鎮座する、創建年代不詳、古くからの海神村の鎮守さま。ここの境内に、几号水準点(きごうすいじゅんてん)が残っている。・・・・・・・・・ここの几号水準点は、狛犬の台座前の花崗岩に刻まれ、古さを感じない。赤○の中に“不”型の水準点がある。見えるかな?・・・・・・・・おそらく、明治初期に内務省が設置した几号水準点よりも、新しい時期に設置されたようだ!・・・・・・・・今日の散歩は、この水準点を見たかったのだ!

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●・・・・・・・・・・・見るものを見たら、西船橋まで歩いて、サッサと帰ろ!

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2012年11月12日 (月)

市ヶ谷~有楽町

市ヶ谷駅から千鳥ヶ淵・桜田門をとおり有楽町駅まで、1万歩、7kmの夕暮れ散歩。

①市ヶ谷見附跨線水道橋・・・・・・・・・JR市ヶ谷駅前で、市ヶ谷橋と並行して外濠と複々線の線路を跨ぐ水道橋。雑誌「土木建築工事画報」昭和6年4月号によると、総長322呎(フィート)、幅員15呎の5径間下路鋼鈑桁橋で、工事は鉄道省が担当し、今井組の施工で、昭和4年(1929)に竣工した。 橋には一本の送水管が載っている。・・・・・・・・・・市ヶ谷のホームからは見ると、釣り堀の上を横切る黄色い橋だ。雑誌の写真では、釣り堀は無いが、市ヶ谷橋は現在と同じように架かっている。・・・・・・・・・20年ほど前までは、私の通勤先の最寄駅でもあり、毎日のようにホームから眺めた、釣り堀も橋も変わっていないね。

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②東郷元帥記念公園・・・・・・・・・・千代田区三番町に在る公園。公園は上下2段の高低差があり、昭和4年(1929)に低い部分が上六公園として開園した。その後昭和13年(1938)に公園に隣接していた東郷平八郎連合艦隊司令長官(昭和9年没)の私邸が寄附され、高い部分を公園として追加開園した。・・・・・・・・・・園内には東郷邸にあったライオン像や力石が残されているが、その他には元帥を知るものは何も残っていない。・・・・・・・・・・この公園も私の通勤経路の一部で、公園の桜の下で何度か花見をしたこともあった。 東郷さんの庭で酒を飲み、庭を横切って通勤した、バチ当たり野郎だったね!

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③旧東京市立上六小学校・・・・・・・・・東郷元帥記念公園に隣接する現:千代田区立九段小学校。・・・・・・・・・大正15年(1926)竣工の復興小学校のひとつ。鉄筋コンクリート造り3階建ての建物は、洒落た外観で、当時としてはモダンな学校として話題になったことであろう。20121112_155611

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④九段小学校わきの階段・・・・・・・・・都内では珍しい折り返しのある階段だ。・・・・・・・・この階段も、かつて私の通勤経路の一部だった。

・・・・・・・・・・・・九段小学校わきを曲がると正面に階段がある。・・・・・・・30年程前に階段の改修工事が行われ、その時壁に、私には意味不明の現在のデザインが施された。

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・・・・・・・・・・・・階段の折れる位置に一軒の住宅が在る。・・・・・・・この住宅の専用階段みたいなものだな!

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・・・・・・・・・・・・住宅の前で、階段は折れる。

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・・・・・・・・・・・・上から見ると、、、、、、

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⑤駐日ローマ法王庁・・・・・・・・・九段小学校前の高台に、味の素の創業者の一人:鈴木忠治の旧邸が在る。 昭和9年(1934)に建てられた邸宅は、現在:駐日ローマ法王庁として使用されている。・・・・・・・・・塀越しにパチリ!

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⑥英国大使館・・・・・・・・・・・千代田区一番町の大使館は、震災後の昭和5年(1930)に建替えられ現在に至っている。・・・・・・・・大使館の近くに通勤していたので、前を通ると懐かしいね!

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・・・・・・・・・・・“懐かし”ついでに、会社の前のレストラン。20年御無沙汰。

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⑦皇居の濠・・・・・・・・・・半蔵門前で、岡山から来た老夫婦に道を尋ねられ、日比谷まで一緒にスローペースで歩き、その間に日が落ちた。・・・・・・・明日はスカイツリーを見て帰るそうだ、二人仲よくお元気で!

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2012年11月11日 (日)

仲見世

曇天の日曜日、“今日の散歩は近場にしよう”と思い家を出る。・・・・・・・我が家(浅草橋)から浅草寺まで、1万歩、7kmの散歩となった。

①蔵前変電所・・・・・・・・・・蔵前橋のたもとに建つ北部第一下水道事務所の北側、年寄りには“旧蔵前国技館の裏側”に、中高年には“浅草税務署の前”に、「蔵前変電所」がある。・・・・・・・・・・・明治19年(1886)、日本初の電力会社として東京電燈が営業を開始する。当初は、東京の市中各所に発電所を点在させていたが、明治28年(1896)に蔵前(現:蔵前変電所)に大規模発電所として浅草発電所が建設された。大正15年(1926)には、より大規模な発電所が必要となり、「お化け煙突」で有名な千住火力発電所が造られた。震災で被災した浅草発電所の跡には、その後昭和8年(1933)に浅草変電所(現:蔵前変電所)が建てられた。・・・・・・・・・・蔵前変電所は下谷変電所の2年後に建てられたが、両変電所とも静かな落ち着いた外観デザインで、存在を強調することなく80年の時が経過したようだ。

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②厩橋・・・・・・・・・・西岸の台東区蔵前と、東岸の墨田区本所を結び、墨田川に架かる橋。橋名は、蔵前の米蔵に荷を運ぶ馬用の厩が在ったことから命名された。・・・・・・・・・・・3径間タイドアーチ橋、橋長151.4m、大正15年(1926)に着工し、昭和4年(1929)に竣工した。・・・・・・・・・・橋の随所に馬を連想させるレリーフなどが施されている。・・・・・・・・・橋の際には、石のベンチもあり、戦前はここで弁当でも食べながら休憩したのか?

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・・・・・・・・・・・・台東区側の橋際の公衆便所。「平成4年度まちかど賞」受賞。

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③隅田川テラス・・・・・・・・・・・隅田川の両岸に整備されている川岸遊歩道。

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④浅草文化観光センター・・・・・・・・・・建築家:隈研吾(くま けいご)の設計により、今年、雷門前にオープンした地上8階建ての観光センター。・・・・・・・・・区民の一人として、区の施設をしっかり見学してきた。・・・・・・・・・1・2階は観光案内、3~5階は会議・事務スペース、6・7階は展示スペース、8階は展望スペース。見晴らしの良い、無料の展望台だ!

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・・・・・・・・・・・8階からの展望。観音さま・スカイツリー方向に、ほぼ180度の展望ができる。我が家のある浅草橋方向は展望できない、残念、ガッカリ!・・・・・・・・真下に雷門と仲見世が見えるよ。もちろん、スカイツリーも!

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⑤仲見世・・・・・・・・江戸時代、浅草寺境内の掃除の賦役を課せられていた近所の人々に、境内や参道に出店することが許された。これが仲見世の始まり。その後、震災で壊滅し、大正14年(1925)に現在の鉄筋コンクリート造の仲見世となった。長さ250mの両側合わせて89店舗が営業中。

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・・・・・・・・・・・・浅草は国際的観光地・・・・・・・・・フランス人はこれから見物?

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・・・・・・・・・・・イギリス人はポストカードのお買いもの?

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・・・・・・・・・・・・アメリカ人は箸を土産に?

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・・・・・・・・・・・・イタリア人は扇子を土産に?

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・・・・・・・・・・・・日本人はカツラをお探し中?

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・・・・・・・・・・仲見世の裏方・裏側・裏通り

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⑥浅草寺・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・中国or韓国の慰安旅行は団体さん?

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・・・・・・・・・・・・・一人で来日はアメリカの学生さん?

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・・・・・・・・・・・・真剣に空を見上げるのはカナダの気象予報士さん?

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・・・・・・・・・・・・・楽しそうなフランスの新婚さん?

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・・・・・・・・・・・おみくじを真面目な顔で読むアメリカの牧師さん?

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・・・・・・・・・・・・綺麗に着飾り日本の七五さん?

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・・・・・・・・・・・・これから、稼ぎに行くのは浅草のお猿さん!

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・・・・・・・・・・・♪ 若い希望も 恋もある ビルの街から 浅草へ 紺の制服 身につけて 私は東京の バスガール ♪ ・・・・・・・学生の思いでづくりに活躍するガイドさん!

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・・・・・・・・・・・ちょいとお待ちよ 車やさん!・・・・・・・・・これまた、偶然、美空ひばりの若い頃にそっくりだ!

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2012年11月10日 (土)

東四つ木

京成四ツ木駅から綾瀬川・中川沿いに新小岩駅まで、1万歩、7kmの夕暮れ散歩です。

葛飾区四つ木は荒川の東岸に位置する地域で、中小工場と住宅が混在する町。京成線の北側は“四つ木”、南側は“東四つ木”。今日は南側を歩く。(地名は“四つ木”、駅名は“四ツ木”) 東四つ木は、南の旧木下川村と、北の旧渋江村から成立している。“木下川”と書いて“きねがわ”と呼んでいたが、葛飾区となってからは“木根川”と書くようになった。・・・・・・・・以上、東四つ木を歩く時の予備知識!

①四ツ木駅・・・・・・・・・大正元年(1912)に開業した駅だが、荒川の開削工事、高架化工事などで駅の位置もその都度動いている。高架ホームの成田より2輌分ぐらいはホーム屋根がない! お客が少ないから?・・・・・・・・・駅前ロータリー、駅前の賑やか商店街、駅前喫茶、駅前交番、駅前パチンコ、駅前旅館、、、全てなし! 愛し合う二人が待ち合わせし、買い物し、食事する駅ではないな!

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②渋江商店街・・・・・・・・駅前から伸びる唯一の商店街。駅の北側にある、「まいろーど四ツ木」商店街に比べ、、、、来てビックリ、見てビックリ、歩いてビックリ、驚いてビックリ腰、、、寂しすぎるよ!

・・・・・・・・・・・駅前からの入り口

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・・・・・・・・・・・駅前歩いて1分の廃墟・・・・・・・どちらの建物も『頭上注意』の貼紙が!

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・・・・・・・・・・商店街の中程で数件のお店が営業していたが、客の姿は、、、、、、ない!

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③夕日の荒川土手・・・・・・・・・黄色く塗られた「東四つ木避難橋」が架かる荒川土手。

・・・・・・・・・・・ゼロメートル地帯の四つ木の住民が、手前の綾瀬川を越え、水面より高い荒川土手に逃げられるように、昭和62年(1987)に造られた避難橋。正面にスカーツリーを望む橋。

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・・・・・・・・・・土手からの夕日

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・・・・・・・・・・・夕日を受けて

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・・・・・・・・・・・夕日が落ちた!

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④かつしかハープ橋・・・・・・・・・・かつしかハープ橋は、綾瀬川が中川に合流する地点に架かるかかる首都高中央環状線の橋。・・・・・・・・・橋長:455m、最大スパン長:220mの4スパン連続S字形曲線斜張橋。・・・・・・・・・世界初のS字形曲線斜張橋で、複雑な構造をしているが、48本のワイヤー、S字の線形が織りなす姿は美しく、昭和61年度(1986)の土木学会田中賞を受賞した。

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⑤木根川商店街・・・・・・・・・東四つ木の中小工場地帯に在る小さな商店街。かつては寿司屋や鳥料理店、電器店、美容室など10軒程あったが、現在営業中の店は、中華料理「宮城」と理容店「タジマ」の2軒だけとなった。空き家となった店もあり、人影は少なく、猫の影は多い。・・・・・・・・・2軒でも“商店街”、頑張るね!

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⑥木下川薬師(きねがわやくし)・・・・・・・・・・嘉承2年(849)伝教大師作の薬師如来像を本尊として慈覚大師が創建した古刹。正式名称は青龍山浄光寺で天台宗の寺。・・・・・・・・・以前は現在の荒川の中央川底辺りに在ったが、大正8年(1919)に荒川の開削工事により、現在地(東四つ木1)に移転した。・・・・・・・・・この寺も、ゼロメートル地帯を意識して建てたとおもられる。本堂は海抜以上の高さになるよう高床で造られている。

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⑦上平井橋・・・・・・・・中川に架かる橋で、東四つ木1と西小岩を結んでいる。

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⑧西新小岩・・・・・・・・・・西新小岩3丁目アパートを横切り、蔵前橋通りを横断すれば新小岩駅。

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2012年11月 9日 (金)

大塚~板橋本町

山手線大塚駅から埼京線板橋駅を通り都営地下鉄板橋本町駅まで、1万2千歩、9kmの散歩です。

①巣鴨新田停留所・・・・・・・・・都電荒川線大塚駅前から王子方面に一停留所行くと「巣鴨新田停留所」がある。・・・・・・・・・・明治44年(1911)、飛鳥山~大塚間が、王子電気軌道として開業した。その時、巣鴨新田停留所の脇(現在は東電大塚支所)には、王子電気軌道の本社と車庫、巣鴨新田発電所が在った。王子電気軌道は電車の運転だけではなく、電力会社として巣鴨・板橋・滝野川・王子・三河島などの地区に電力を供給していた。昭和10年(1935)には、同社の収益の8割は電気事業が占めたほどだ。

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・・・・・・・・・・・荒川区ふるさと文化館の資料から、明治44年の巣鴨新田発電所。

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②トキハソース・・・・・・・・・明治通りを横断し、滝野川7丁目に入ると、強烈なソースの匂いが鼻の穴を刺激する。まだ午前中なのに、ソース焼きそばかたこ焼きか(?)。 キョロキョロ見わたすと“トキハピーコックソース”の看板を発見、納得!・・・・・・・・・・創業大正12年のソースメーカーだ。 会社名、知りませんでした!失礼しました。

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③板橋駅・・・・・・・・・・明治18年(1885)、日本鉄道の駅として開業した。駅の西口(板橋口)は板橋区、東口(滝野川口)は北区、そしてホームの半分以上は豊島区にある。3区の境に位置する、珍しい駅だ!・・・・・・・・・・地上駅で近くには踏切もある。

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④板橋の昭和・・・・・・・・・・板橋駅前本通り商店街で発見!

・・・・・・・・・・・細田ガラス・・・・・・・・・・・正面コーナー部の丸み、2階の大きめの窓、そして鋼製のサッシ、まさに昭和のモダンレトロだ!

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・・・・・・・・・・・荘病院・・・・・・・・・・・大正12年開設した産婦人科専門病院。専門病院としては大きいのに、ビックリ。・・・・・・・・私の興味は、病院内部ではなく、病院の外の柵(塀)にある。おそらく、現在の鉄筋コンクリートの病院を建てる前も、ここに大きな病院が在り、その当時の柵がそのまま残されているのであろう。 デザインがどう見ても古いよ! 

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⑤板橋宿の建物・・・・・・・・・・中山道(国道17号)を横断し、旧中山道板橋宿を歩く。

・・・・・・・・・・旧安田蓄財・・・・・・・・大正元年(1912)に安田貯蓄の建物を買い取って歯科医院として使用していた建物で、建築はそれ以前の明治時代か?・・・・・・・・現在は個人の住宅となっているようだ。・・・・・・・・よく見ると、塔の屋根裏、窓枠などにも装飾があり、手のこんだ建物だ!

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・・・・・・・・・・花の湯・・・・・・・・・・大型唐破風銭湯の花の湯は、昭和42年(1967)に建てられた建物だが、立派!昭和の銭湯だ!

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・・・・・・・・・・・新藤楼・・・・・・・・明治18年(1885)に建てられた遊郭。昭和18年(1943)に学徒動員の寮として使用され廃業となる。建物は昭和40年代に取り壊された。(写真は板橋郷土資料館保有のもの)・・・・・・・・・・・今は跡地にマンションが建っているが、中央の玄関部分の上部に唐破風の反りがデザインされている。チョイト悲しい名残だ!

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・・・・・・・・・・・板五米店・・・・・・・・・・・・大正12年(1923)に建てられた米屋さん。両側の煉瓦壁が火災から玄関先を守るなど、防火を意識した造りとなっている。表通りの母屋のほかにも、裏に煉瓦像の蔵もある。重厚な建物だ!

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・・・・・・・・・・・妓楼・伊勢孫楼の塀・・・・・・・・・・・・板橋宿は中山道の宿場として栄えていたが、鉄道が開通すると、宿場機能が薄れ、変わって遊郭が増えてきた。その中で最大の妓楼であった「伊勢孫楼」の煉瓦塀が残っている。・・・・・・・・現在は開業医の個人住宅であるが、結構大きな旅館(妓楼)であったことが、塀の大きさから推察できる。

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・・・・・・・・・・・板橋・・・・・・・・・昭和47年(1972)に架け替えられた板橋。江戸時代の板橋は木製の橋であったが、昭和7年(1932)にコンクリート製の橋となった。

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・・・・・・・・・縁切榎・・・・・・・・・江戸時代からの板橋宿の名所といわれている縁切榎(えんきりえのき)。・・・・・・・・もともとは天神さまの神木だったが、皇女和宮が京へ降嫁の際、縁起が悪いと、この場所を迂回したという逸話が残っている。そして、庶民の間では、悪縁を切り、良縁を結んでくれるということで、信仰の対象となった。・・・・・・・・小さな祠があり、三代目の榎が植わっている。

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2012年11月 8日 (木)

横綱町・三崎町

午前中は後頭部の腫瘍の後始末で墨田区横綱の病院へ、午後は循環器の定期検診で水道橋のクリニックへ、散歩はそれぞれの近辺をブラブラ歩き。

①午前の部・・・・・・・・・我が家(浅草橋)から、病院へ・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・旧東京貯金事務センター・・・・・・・・・戦後しばらくの間、空襲による焼け野原状態で放置されていた旧蔵前国技館前の敷地に、平成4年(1992)に竣工した。・・・・・・・・・・・私の幼き頃の遊び場の一つ!

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・・・・・・・・・・・・首尾の松・・・・・・・・江戸時代、隅田川の岸(現:蔵前)にあった“松”のことで、新吉原(現:千束)通いの舟の目標となった。 名の由来は諸説あるが、私が個人的に好きな説は、『吉原に遊びに行く通人たちが、隅田川をさかのぼり吉原詣でをしたが、上り下りの舟が、途中この松陰によって“首尾”を求め語った』。・・・・・・・・蔵前橋の台東区側たもとに、三代目の「首尾の松」が植えられている。

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・・・・・・・・・・・北部第一下水道事務所・・・・・・・・・蔵前国技館跡に建つ都下水道局の処理場。ここには昭和25年(1950)から昭和59年(1984)の9月場所まで「蔵前国技館」のあり、現在の煉瓦色の事務所が立つ位置には、かつて“隅田川温泉”もあった。

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・・・・・・・・・・蔵前橋・・・・・・・・・今日は晴天、スカイツリーもよく見える。

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・・・・・・・・・・・安田庭園・・・・・・・・江戸時代は、本庄氏(常陸笠間藩)の下屋敷。明治22年(1989)からは、安田財閥の祖である安田善次郎が所有。大正11年(1922)には、東京市に寄贈された。丸いドーム型の両国公会堂も、大正15年(1926)安田財閥から寄贈された。・・・・・・・・・・私が手術してもらったのは、後ろに建つ病院だ。

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・・・・・・・・・・ホチキスの針・・・・・・今日は抜糸の日。後頭部を縫い合わせたのは“糸”ではなく、ホチキスの4本の“針”だった。・・・・・・・・手術の記念に抜糸(?)した針を貰ってきた。 一週間この針を頭に刺して寝ていたのだ、お~怖かった!

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・・・・・・・・・・・東京都慰霊堂・・・・・・・・・元陸軍被服廠があった横網町公園に建つ東京都慰霊堂。昭和5年(1930)完成。

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・・・・・・・・・・・東京都震災復興記念館・・・・・・・・昭和6年(1931)竣工の旧防災資料展示館。・・・・・・・・・・内部も見てきたが、見学者は私一人だった。寂しいね!

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・・・・・・・・・・・榊神社・・・・・・・墨田区から再び蔵前橋を渡り台東区へ戻り、蔵前警察署裏の榊神社(さかきじんじゃ)へ。かつて、ここには東京高等工業学校(現:東京工業大学)があり、神社はその一角に建てられた。 神社の隣りは、我が家の娘が通った「浅草中学」、その隣は「蔵前工業高校」、これらの学校も東京高等工業学校の在ったところに建っている。・・・・・・・・・・ついでに、娘は中学卒業後は、東京工業大学付属高校に進んだ。何かの縁かな!

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②午後の部・・・・・・・・・・・水道橋のクリニックから、お茶の水へ・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・小石川橋・・・・・・・・・神田川に架かり、水道橋駅からドーム球場に向かう後楽橋の上流約140mの所にある。昭和2年(1927)に架けられた旧橋を撤去し、今年4月に架け替えが完了した橋だ。

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・・・・・・・・・・・外堀通りのビル・・・・・・・・・小石川橋から眺めるビル。左から、トヨタ自動車東京本社、後楽森ビル(私の通うクリニックが入居)、コートレジデントタワー(マンション)、右端のチョイト煙突のように見えるビルは住宅金融支援機構本社。

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・・・・・・・・・・・・小石川橋通りガード・・・・・・・・・水道橋駅に近い小石川通り架道橋(三崎町3)は、明治37年(1904)に甲武鉄道が、ドイツの橋梁メーカー「HARKORT」社に発注し、輸入した橋梁だ。日本に現存する同社の橋梁としては唯一の上路ワーレントラス橋である。桁には銘板が残っている。・・・・・・・・・煉瓦の橋台、石積みの盛土にも当時の匂いが残っている。

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・・・・・・・・・・・カトリック神田教会・・・・・・・・教会は明治7年(1874)に現在地に創設された。・・・・・・・・・現聖堂は、上智大一号館を設計したマックス・ヒンデルが手がけ、昭和3年(1928)に完成した。側廊により中央部を囲うバジリカ様式の教会だ! 国登録有形文化財。

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・・・・・・・・・・・駿河台女坂・・・・・・・・・猿楽町から駿河台に上がる坂に、“男坂”と“女坂”が在る。 今日は“女坂”の方を上がる。・・・・・・・・この階段の石柱と手摺の交換工事が今月から始まり、古く味のある階段手摺が無くなるのだ、残念!

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2012年11月 7日 (水)

目白~大塚

山手線目白駅から大塚駅まで、1万3千歩、9kmの散歩です。

①Apartment 鶉(じゅん)・・・・・・・・・目白警察署裏で高級アパートを発見。・・・・・・・・・430坪程の敷地に、中央の池を囲み建つ、木造2階建ての共同住宅。チョイト見には、旅館か料亭をイメージさせる建物で、エントランス部分には、“2004年日本建築学会作品選奨”受賞のプレートが貼られていた。敷地の一角には“ギャラリー鶉”もある。平成14年(2002)完成、設計は「片岡鶴太郎美術館」を設計した泉幸甫。・・・・・・・・・・ちなみに、専有面積68㎡程のところで、賃料23万円ぐらいだそうだ! 高いか?安いか?

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②雑司が谷の鬼子母神・・・・・・・・・江戸三大鬼子母神とは、恐れ入谷の鬼子母神(真源寺)、何故か中山の鬼子母神(法華経寺)、そして、すすきみみずくは雑司が谷の鬼子母神(法明寺)だ。・・・・・・・・・都電荒川線「鬼子母神前」駅から、ケヤキの巨木も残る参道を進むと、法明寺鬼子母神が在る。・・・・・・・・法明寺鬼子母神堂は、寛文4年(1664)、加賀藩主前田利常公の息女で、安芸藩主浅野家に嫁した自昌院殿英心日妙大姉の寄進により建立された。・・・・・・・・・雨上がりの土の匂い、落ちた銀杏の臭いがミックスしプンプン、堂内からは読経の声が、、、、、、、いい雰囲気だ! 賽銭も奮発! 南妙法蓮華経!

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③鬼子母神前の都電・・・・・・・・・・・・

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④雑司が谷で発見したレトロ風・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・参道際の「ビューティ・サロン・真佐美」

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・・・・・・・・・・・・・参道に看板建築の名残

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・・・・・・・・・・・・境内際に「関洋装店」

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・・・・・・・・・・・まもなく無くなるであろう廃屋

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・・・・・・・・・坂道あった、コンクリート製の柱に鉄パイプの手摺

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⑤雑司が谷旧宣教師館・・・・・・・・・・・・明治40年(1907)にアメリカ人宣教師のマッケーレブが自らの居宅として建て、昭和16年(1941)に帰国するまでの34年間この家で生活をしていた。・・・・・・・・・・木造総2階建て、アメリカ風住宅の特徴が出ている建物だ。・・・・・・・・・・只今、工事中のため外からチラリ拝見!

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⑥大塚の階段・・・・・・・・・ 上から、下から眺めてみたら、結構長い階段だ!

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⑦山本歯科医院・・・・・・・・・・・南大塚のチョイト古そうで、綺麗な建物は、歯医者さんだ!

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⑧JR大塚駅南口ビル・・・・・・・・・・・只今、建設中。12階建ての駅ビルが、来年秋に竣工予定。・・・・・・・・・大塚駅開業時の高架橋が見えなくなるね!

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2012年11月 5日 (月)

浅草橋~木場

我が家(浅草橋)から、両国橋を渡り、右に折れ左に折れ、また右に折れ左に折れ、ジグザグに歩いて深川木場の辺りまで、1万1千歩、8kmの散歩です。

①増田ビル・・・・・・・・・・柳橋のたもとに建つ、元病院と言われているビル。RC造、4階建て、おそらく昭和初期の建物だろう?・・・・・・・・・・4階外壁にはタイルが縦長に貼られワンポイントの演出をしている。

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両国橋・・・・・・・・・・・震災後の昭和7年(1932)に架け替えられた、長さ164.5mの鋼鈑桁橋。・・・・・・・・・・架け替え前の橋は、「南高橋」として中央区新川に架けられ現存している。

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・・・・・・・・・・・・写真右に小さく写る、神田川に架かる「柳橋」

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③岡田商事・・・・・・・・・・・両国橋際に建つ、年代は不明のモダンなレトロ建築。・・・・・・・・・岡田商事は鉄工関係の会社で、両国小学校の一角に残されている日本海軍の駆逐艦「不知火」の錨は同社が寄贈した。・・・・・・・・玄関ドアと半円の窓、外灯、室内の照明器具と灯りの色、全てにレトロな雰囲気を醸し出し、オーナーの心配りが憎いね。

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・・・・・・・・・・・両国小学校に寄贈された駆逐艦「不知火」の錨。(写真は今年3月に撮影)

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④首都高7号線・・・・・・・・・マクドナルドの日本第1号店が銀座にオープンした昭和46年(1971)に、7号線は開通した。竪川の頭上を走る首都高、日本橋の頭上を走るのと同じで、ジャマだ! どかして欲しいね!

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⑤みの屋・・・・・・・・・・江東区森下で、創業明治30年(1897)のさくら鍋屋。建物は昭和の再建で、炭を使っていたことから天井が高く風通しの良い造りになっている。・・・・・・・・・・これから、鍋の季節だ。寒いときにいいね!

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⑥都営高橋アパート・・・・・・・昭和32年(1957)に建てられた都営アパート。当時は岸内閣の頃で、ソ連が人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功した年でもある。・・・・・・・・2棟がL型に配置され、5階建て、全40戸。・・・・・・・・築後50年以上経過し、老朽化も目立つので、そろそろ建替えを考えたら!

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⑦大横川・・・・・・・・・薄暗くなり、三ッ目通りで小名木川を渡る。

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⑧江東区石島の工場・・・・・・・・・・鉄工所では何やら忙しそうだ!

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⑨錦糸町・・・・・・・・・木場の近くからバスで錦糸町へ

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2012年11月 4日 (日)

駒込の庭園

夫婦で駒込の庭園めぐり。1万歩、7kmの散歩です。

①古河庭園・・・・・・・・・明治期は外務大臣:陸奥宗光の邸宅であったが、大正6年(1917)に古河財閥第3代当主:古河虎之助によって、現在の洋館と庭園が造られた。・・・・・・・・・洋館は池之端の岩崎邸などを手掛けたジョサイア・コンドルの設計により、大正6年(1917)に竣工した。煉瓦造の躯体の上に、外壁として真鶴産の安山岩が城の石垣のように積まれ、屋根は天然ストレートで葺かれている。・・・・・・・・・本日、洋館は結婚式に貸し出され内部を見ることが出来なかった。残念!・・・・・・・・・庭園のバラは、そろそろ終盤で一部枯れていた。残念!・・・・・・・・・日本庭園は紅葉にチョイト早く、残念!・・・・・・・・・夫婦で散歩でき、良しとする!!

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・・・・・・・・・・バラの名前は知らないが、白は「ピース」、赤は「カーディナル」と記されていた。

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・・・・・・・・・・日本庭園・・・・・・・・・明治・大正に活躍した庭師:小川治兵衛の作庭。

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②六義園・・・・・・・・・・駒込駅と駒込橋を間にし、北に古河庭園、南の六義園。・・・・・・・・・元禄8年(1695)、五代将軍・徳川綱吉から与えられたこの地に、柳沢吉保が自ら設計・指揮して造った、回遊式築山泉水庭園。 庭園は、紀州(現:和歌山県)の「和歌の浦」など和歌に詠まれた景観が八十八境として表現されている。・・・・・・・・明治時代には、三菱財閥の岩崎弥太郎の所有となり、昭和13年(1938)に東京市に寄付された。・・・・・・・・・・園内は古河庭園より広いね!歩き応えがある!

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●おまけ・・・・・・・・・夫婦で散歩すると、途中でコレだ! 散歩の減量効果は、一瞬で消える。 「ALPES」のアップルパイ(私の大好物)。

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2012年11月 3日 (土)

浅草橋~東京

1日より今日の午前中まで、人間修理工場に入院してきました。・・・・・・・・・ことの発端は、後頭部の小豆大のできものから始まり、9月下旬に美人先生の執刀により取り除いた。その後、病理検査で“悪性の腫瘍”と判明し、この3日間入院し、“腫瘍”の周りをより大きく抉りとられた。・・・・・・・“中央手術室”と書かれた部屋には、4人のドクターと何人かのスタッフが待ち構えていた。(私は、よたよたした足取りで、緊張し、恐る恐る手術台へ!)・・・・・・・・手術は局所麻酔で行われ、ドクターの話し声・相談する声も聞こえる、「もっと大きく切りましょう! もっと深く切った方がよい!」。(私の、心臓はドキドキ、ハラハラの状態だ!)・・・・・・・最後は美人先生が、「4か所ホチキスでとめときました」。(ギャー、私の頭には金属のホチキスの針が4本突き刺さった状態で手術終了、恐ろしやー!)・・・・・・・・退院に際し美人先生から、「一週間後に来てください、ホチキスの針とりますから」。(感動と安心と期待する言葉をいただいた。嬉しくなりニコニコ帰宅!)

・・・・・・・・・と言うわけで、今日の散歩は足慣らしで、我が家(浅草橋)から須田町・小川町・大手町経由で東京駅まで、1万歩、7kmの散歩です。

・・・・・・・・・秋葉原に咲く・・・・・・・・・紫紺野牡丹

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①神田多町・須田町1丁目の建物・・・・・・・・・・多町(たちょう)・須田町1丁目は神田駅の北西に位置し、戦前の建物がまだ多く残る町。江戸時代から昭和3年(1928)までは「神田青果市場」は多町に在った。お江戸の台所だった町!

・・・・・・・・・・・・おでん三金(神田須田町1)・・・・・・・2階のデザイン凝ってるね!

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・・・・・・・・・・・・旧村木商店(神田須田町1)・・・・・・・・・現在は取り壊しを待つ廃屋状態だが、モルタル系看板建築のデザイン、建物側面の景観、壊すにはもったいないかも?・・・・・・・・この建物、岡田信一郎(浅草寺一山支院、黒田記念館などを手がける)の設計らしい。

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・・・・・・・・・・・びいんず(神田須田町1)・・・・・・・・・看板建築

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・・・・・・・・・・・上市園(神田須田町1)

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・・・・・・・・・・・O邸(神田須田町1)

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・・・・・・・・・・・・看板建築の並び(神田須田町1)・・・・・・・・・取り壊しを待つ看板建築の並び

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・・・・・・・・・・・・松本家(神田多町)・・・・・・・・・・市場時代の風情を残す出桁造、昭和6年(1931)建築の建物。国登録有形文化財。

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・・・・・・・・・・・サカエヤ(神田多町)・・・・・・・・・・銅板建築のミルクホール

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②松尾神社・・・・・・・・・神田多町二丁目の小さな鎮守さま。創建年代は不詳。・・・・・・・・今日は氏子の方に、御神体の写真を見せてもらった。・・・・・・・・御神体は小さな翁の立ち姿を狐が数匹取り囲み見つめている置物だ!浅草の彫師がこしらえてそうだ。・・・・・・・・松尾神社は京都の松尾大社を勧請したと言われているが、確かな証はないそうだ。しかし、氏子の皆さんは、毎年、松尾大社に参るそうだ。

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③東京駅・・・・・・・・・駅前はライトアップ目当てに満員状態。・・・・・・・点灯するまで待つのは嫌だ!今日は帰ることにした。

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