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2012年11月 9日 (金)

大塚~板橋本町

山手線大塚駅から埼京線板橋駅を通り都営地下鉄板橋本町駅まで、1万2千歩、9kmの散歩です。

①巣鴨新田停留所・・・・・・・・・都電荒川線大塚駅前から王子方面に一停留所行くと「巣鴨新田停留所」がある。・・・・・・・・・・明治44年(1911)、飛鳥山~大塚間が、王子電気軌道として開業した。その時、巣鴨新田停留所の脇(現在は東電大塚支所)には、王子電気軌道の本社と車庫、巣鴨新田発電所が在った。王子電気軌道は電車の運転だけではなく、電力会社として巣鴨・板橋・滝野川・王子・三河島などの地区に電力を供給していた。昭和10年(1935)には、同社の収益の8割は電気事業が占めたほどだ。

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・・・・・・・・・・・荒川区ふるさと文化館の資料から、明治44年の巣鴨新田発電所。

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②トキハソース・・・・・・・・・明治通りを横断し、滝野川7丁目に入ると、強烈なソースの匂いが鼻の穴を刺激する。まだ午前中なのに、ソース焼きそばかたこ焼きか(?)。 キョロキョロ見わたすと“トキハピーコックソース”の看板を発見、納得!・・・・・・・・・・創業大正12年のソースメーカーだ。 会社名、知りませんでした!失礼しました。

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③板橋駅・・・・・・・・・・明治18年(1885)、日本鉄道の駅として開業した。駅の西口(板橋口)は板橋区、東口(滝野川口)は北区、そしてホームの半分以上は豊島区にある。3区の境に位置する、珍しい駅だ!・・・・・・・・・・地上駅で近くには踏切もある。

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④板橋の昭和・・・・・・・・・・板橋駅前本通り商店街で発見!

・・・・・・・・・・・細田ガラス・・・・・・・・・・・正面コーナー部の丸み、2階の大きめの窓、そして鋼製のサッシ、まさに昭和のモダンレトロだ!

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・・・・・・・・・・・荘病院・・・・・・・・・・・大正12年開設した産婦人科専門病院。専門病院としては大きいのに、ビックリ。・・・・・・・・私の興味は、病院内部ではなく、病院の外の柵(塀)にある。おそらく、現在の鉄筋コンクリートの病院を建てる前も、ここに大きな病院が在り、その当時の柵がそのまま残されているのであろう。 デザインがどう見ても古いよ! 

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⑤板橋宿の建物・・・・・・・・・・中山道(国道17号)を横断し、旧中山道板橋宿を歩く。

・・・・・・・・・・旧安田蓄財・・・・・・・・大正元年(1912)に安田貯蓄の建物を買い取って歯科医院として使用していた建物で、建築はそれ以前の明治時代か?・・・・・・・・現在は個人の住宅となっているようだ。・・・・・・・・よく見ると、塔の屋根裏、窓枠などにも装飾があり、手のこんだ建物だ!

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・・・・・・・・・・花の湯・・・・・・・・・・大型唐破風銭湯の花の湯は、昭和42年(1967)に建てられた建物だが、立派!昭和の銭湯だ!

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・・・・・・・・・・・新藤楼・・・・・・・・明治18年(1885)に建てられた遊郭。昭和18年(1943)に学徒動員の寮として使用され廃業となる。建物は昭和40年代に取り壊された。(写真は板橋郷土資料館保有のもの)・・・・・・・・・・・今は跡地にマンションが建っているが、中央の玄関部分の上部に唐破風の反りがデザインされている。チョイト悲しい名残だ!

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・・・・・・・・・・・板五米店・・・・・・・・・・・・大正12年(1923)に建てられた米屋さん。両側の煉瓦壁が火災から玄関先を守るなど、防火を意識した造りとなっている。表通りの母屋のほかにも、裏に煉瓦像の蔵もある。重厚な建物だ!

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・・・・・・・・・・・妓楼・伊勢孫楼の塀・・・・・・・・・・・・板橋宿は中山道の宿場として栄えていたが、鉄道が開通すると、宿場機能が薄れ、変わって遊郭が増えてきた。その中で最大の妓楼であった「伊勢孫楼」の煉瓦塀が残っている。・・・・・・・・現在は開業医の個人住宅であるが、結構大きな旅館(妓楼)であったことが、塀の大きさから推察できる。

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・・・・・・・・・・・板橋・・・・・・・・・昭和47年(1972)に架け替えられた板橋。江戸時代の板橋は木製の橋であったが、昭和7年(1932)にコンクリート製の橋となった。

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・・・・・・・・・縁切榎・・・・・・・・・江戸時代からの板橋宿の名所といわれている縁切榎(えんきりえのき)。・・・・・・・・もともとは天神さまの神木だったが、皇女和宮が京へ降嫁の際、縁起が悪いと、この場所を迂回したという逸話が残っている。そして、庶民の間では、悪縁を切り、良縁を結んでくれるということで、信仰の対象となった。・・・・・・・・小さな祠があり、三代目の榎が植わっている。

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