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2013年9月16日 (月)

浜町

台風18号は午後に埼玉を通過し東北へ向かった。 私ども夫婦と90歳の祖母の3人暮らしの我が家では、どら焼きをパクつき、京都桂川の氾濫をテレビニュースで見て、台風一過の話題にとなった。 ・・・・・・・ チョイト、ご近所・神田川・隅田川の被害状況を視察に外に出てみたら、普段の日となんら変わるところなし。 ブラブラ、近所廻りしているうちに、日本橋浜町まで足を踏み入れたが、どこもかしこも被害なし。 ・・・・・・・・ 若い娘が助けを求めていたら、即救助し、これが縁でロマンスが、、、、、期待外れでガッカリ! 

・・・・・・・・・・・・・・・被害状況の視察がミニ散歩になってしまった。

①台風一過の隅田川・・・・・・・・・・・・

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・・・・・・・・・・・・・・ついでに、柳橋から神田川も・・・・・・・・・・・・

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・・・・・・・・・・・・・・柳橋から両国橋を見る

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②両国広小路・・・・・・・・・・・両国橋西詰(中央区東日本橋2)に両国広小路の碑がある。・・・・・・・・明暦3年(1657)の大火(別名:振袖火事)は、江戸市中の大半を焼失し10万人以上の死者を出した。 大火後、対岸(現:墨田区)への避難路として両国橋が架けられ、橋の両詰に“広小路”として、火除け地が整備された。 特に西詰の広小路一帯は、見世物小屋、茶店などが並び、江戸一番の盛り場となった。 さらに、両国橋、柳橋、蔵前橋あたりまでは、隅田川沿いの料亭が競って桟敷を設け、夏の夕涼み、花火大会と客を呼び込んだ。 昭和初期には、現:中央区東日本橋2あたりを「日本橋両国」と地名変更している。 現在、中央区で“両国”の名が残るのは、両国広小路の碑と浅草橋際の両国郵便局ぐらいだ。

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・・・・・・・・・・・・・・・京葉道路がはしる両国橋西詰のこのあたりが両国広小路。

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③薬研堀不動院・・・・・・・・・・・・・・両国橋際のお不動さん。 正式には、真言宗智山派薬研堀不動院(現在は川崎大師東京別院)。現在地に堂宇が建立されたのは天正13年(1585)である。

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・・・・・・・・・・・・・今日は、なにを血迷ったか、内心大吉で、“待ち人来る”、“恋愛成就”、“賭け事良し”などの文句を期待して、100円払って“おみくじ”を引いてみた。  ギャー、ウソ―、何だコリャ、ナ・ナント、第54番“凶”である。 「物事阻互錯交して纏らず家門の不和なる魚の水なきが如し一心に不動尊を念じ静かに加護をまつべし」 だって!・・・・・・・・100円返して!  

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・・・・・・・・・・・・・・不用なおみくじは、境内のフヨウの木に結んできた!

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・・・・・・・・・・・・・薬研堀不動院の境内に建つ二つの碑・・・・・・・・一つは、順天堂発祥之碑。順天堂の始祖・佐藤泰然が、天保9年(1838)に和蘭医学塾を開講した場所である。

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・もう一つは、講談発祥記念之碑である。・・・・・・・・・・・発祥地であることから、寺では“講談の会”が毎月開催されている。・・・・・・・・・昭和40年頃までは、NHKラヂオでよく講談を放送しており、近所では、ラヂオを聴きながら仕事をしている職人も多く、床屋に行っても流れていた。 一龍齋貞丈、宝井馬琴、小金井芦州などが、ラヂオから聞こえ、私も好きだった! 最近は講談もすたれ、聴く機会が少なくなった、時代だね!

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④日本橋浜町の建築・・・・・・・・・・・・

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