« 浅草 | トップページ | 三崎橋 »

2014年5月 7日 (水)

神谷町~六本木

地下鉄日比谷線の神谷町駅から六本木駅まで、1万1千歩、8kmの散歩です。


①西久保八幡神社
・・・・・・・・港区虎ノ門5丁目にある八幡神社です。 源頼信が石清水八幡宮の神霊を請うじて、現在の霞ヶ関のあたりに創建した。 寛弘年間(1004~1012)には、太田道灌の江戸城築城に際して現在地へ遷座された。・・・・・・・・・・神社のある地はかつて「西久保(にしくぼ)」と呼ばれ、現在の虎ノ門2丁目~5丁目で、概ね愛宕山の西側の窪地である。 西の窪地で「西久保」、これホント!・・・・・・・・も一つホントは、神社の境内に縄文貝塚がある。

20140507_005_1024x684

20140507_012_1024x683



②大橋茶寮
・・・・・・・・・・・・・・玄関まわりの塀、表門、内部茶室5棟など、9件の構造物が国の登録有形文化財に指定されている。 昭和中期(1946年頃)の数寄屋造りの建物で、戦後の一時期、裏千家14代・淡々斉の東京道場でもあった。 茶寮が建つ仙石山は、森ビルによる虎ノ門再開発のエリアに入り、建物が取り壊されるおそれがあり、平成18年(2006)に文化財に指定されて危機を間逃れた。・・・・・・・・・現在は茶会、懐石料理で利用されている。

20140507_019_1024x683



③仙石山再開発
・・・・・・・・・大橋茶寮の西側一帯は、「アークヒルズ 仙石山森タワー」(地上47階建て)を中心とした再開発が平成24年(2012)に竣工した。 今後、茶寮の東側、桜田通りに面する虎ノ門5丁目の再開発が残されている。

20140507_026_1024x683

20140507_033_683x1024

・・・・・・・・・・・・・・写真手前の窪地が、今後の再開発地区。 すでに空き家で“森ビル”の貼紙がある建物も多い。

20140507_041_683x1024



④三年坂・
・・・・・・・・日本郵政飯倉ビルと霊友会釈迦殿の間にある、歩きやすく、静かで、心地よい坂である。 私の好きな坂の一つ!・・・・・・・・坂の由来は、いつの頃から、誰が名付けたか、解りません。 京都清水寺近くの「三年坂」のパクリか?、「三念坂」と呼び若い二人が恋の成就を願ったか?

・・・・・・・・・・・・坂の上の大きな建物は霊友会釈迦殿

20140507_037_683x1024

・・・・・・・・・・・・・・坂の下は再開発を待つ窪地

20140507_046_1024x683



⑤霊友会釈迦殿
・・・・・・・・・・・・・三年坂を上がり、釈迦殿の前で見上げていたら、『どうぞ内部を見てください』の一声。 『ありがとうございます』と遠慮なく中へ、、、、、、凄い! 1階は吹き抜けで、その上に3500人収容の大ホール、廻廊が宙に浮いている構造だ。 幅50m、奥行100mの大ホールは、28本のV型の柱で支えられている。 外部・内部とも見える部分は全てブラジル産・スウェーデン産の御影石・大理石貼り。 建設費はいくらと聞きたくなった?・・・・・・・・・昭和50年(1975)竣工、竹中工務店の設計・施工、延床面積26,000㎡ (残念だが、敷地内は撮影禁止)

20140507_053_1024x683

20140507_048_1024x683



⑥日本経緯度原点
・・・・・・・・・・ロシア大使館の南側裏手に、測量法施行令により「東京都港区麻布台二丁目18番1地内日本経緯度原点金属標の十字の交点」が原点と定められた、日本経緯度原点がある。 この点は、東経139度44分28秒8869、北緯35度39分29秒1572、原点方位角32度20分46秒209、と定義されている。 先の大地震で、経緯度原点は東へ27cm移動し、日本水準原点の標高も24mm沈下したそうだ、これらの変化は即刻改正された。 ここには、明治7年(1874)海軍水路寮が観象台を設置した後、明治21年(1888)に東京天文台に移管され、明治25年(1892)に参謀本部陸地測量部が天文台の子午環の中心を日本経緯度原点として定めた。 しかし、大正12年(1923)の関東大震災で子午環が崩壊したため、その跡に金属標を設置した。 現在は、国土地理院の管轄。・・・・・・・・・・お国の大切な原点が、草の生えた地に野ざらし状態で、チョイト寂しいね。

20140507_067_1024x683

20140507_062_1024x683

20140507_060_c_1024x685

・・・・・・・・・・・・・・(おまけ) 経緯度原点の隣に建つ、アフガニスタン大使館

20140507_068_1024x683



⑦日本郵政飯倉ビル・
・・・・・・・・昭和5年(1930)に竣工した旧逓信省貯金局。 大蔵省営繕管財局の設計、銭高組の施工による、鉄筋コンクリート造4階建ての堅いイメージの建物。・・・・・・・・この建物の斜め前には、ロシア大使館があり、隣りは外務省の飯倉公館があるため、アチラ、コチラに制服の警察官がウロウロ。 悪いことしていなくとも、怖いね!

20140507_100_1024x682

20140507_103_1024x683

20140507_111_683x1024



⑧外務省飯倉公館
・・・・・・・・・・・・昭和46年(1971)に完成した、首脳・外相会談や各種会議およびレセプションなどで利用する、外務省の迎賓館的な建物。 吉田五十八の設計。 吉田五十八(よしだいそや、1894~1974)は昭和期に活躍した、数寄屋建築をイメージした洗練されたデザインの建築家である。 「太田胃散」創業者の五男として東京生まれ、東京美術学校(東京芸術大学)卒業。 文化勲章受章者。

20140507_122_1024x683

・・・・・・・・・・・・・公館の隣りに「外交史料館別館」がある。 今日は、チョイ内部も拝見させてもらった。 正面には、吉田茂の胸像がお出迎え。

20140507_134_1024x681

20140507_124_1024x683

20140507_131_1024x683

・・・・・・・・・・・・・・リンカーン大統領親書・・・・・・・文久元年(1861)、徳川家茂に送られた。

20140507_128_1024x684

・・・・・・・・・・・・・ナポレオン三世親書・・・・・・・文久3年(1863)、徳川家茂に送られた。 一番上の行に大文字で「Napoleon」と書かれている、凄い!

20140507_129_1024x684

・・・・・・・・・・・・・吉田茂のパスポート

20140507_130c_1024x683

« 浅草 | トップページ | 三崎橋 »

建築」カテゴリの記事

散歩」カテゴリの記事

港区」カテゴリの記事