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2016年1月

2016年1月31日 (日)

亀戸天神

雪か?、雨か? はっきりしない天気が続き、今日は晴れるかな? 午後には晴れた空が見える。 妻と一緒に買い物に出て、ついでに亀戸天神に寄ってきた。 8千歩、6㎞の散歩。


●・・・・・・・・・・・東風吹かば にほいおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春なわすれそ  (菅原道真:拾遺和歌集)
・・・・・・・・・・・・・学問神様には受験祈願をしたいけど、私たち夫婦も娘も蛍雪時代は過去の話となり、お願いできないので、只今1歳10か月になった孫の東大合格を、チョイと早めに祈願してきた。 受験まで時間がたっぷりあるので、お賽銭はとりあえず100円にまけてもらった。

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●・・・・・・・・・・・・君ならで たれにか見せむ 梅の花 色をも香をも 知る人ぞ知る  (紀友則:古今和歌集)
・・・・・・・・・・・・・・手を合わせた後は、おみくじを引いてみた。 まず妻は順当に『大吉』、周りでも『大吉』を引いてる人が多いようだ。 彼方、此方で歓声が聞こえる。、、、、よし、次は私だ! ここで『大凶』を引いたら何か言われそうだ、プレシャーがかかる。 “神さま、仏さま、キリストさま”と唱え、引いたくじは『小吉』。 残念、妻に負けた!

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●・・・・・・・・・・・梅の花 一輪咲いても 梅は梅  (土方歳三)

・・・・・・・・・・・・・天神様のウメは2月中旬以降が見ごろ。
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2016年1月28日 (木)

浅草橋~町屋

今日も『梅一輪 一輪ほどの 暖かさ』を期待して、我が家(浅草橋)から清洲橋通り、小竹橋通りに沿って町屋駅まで歩いてきた。 1万3千歩、10km。


①旧柳北小学校
・・・・・・・・・・・我が家から徒歩1分、浅草橋に残る関東大震災の復興小学校の一つ旧柳北小学校(りゅうほくしょうがっこう)は、わが母校なり。 小学校は、明治9年(1876)に設立し、平成13年(2001)に少子化により廃校となった。 現在、校舎は区立の保育室として使用されている。、、、、、大正15年(1926)に建てられた現校舎は鉄筋コンクリート造、3階建て。、、、、、今から60年程前の昭和30年頃は、私が学んだ3階の教室から富士山が見えた、当時としては周囲に比べ高い建物だった。

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②コンゴ大使館
・・・・・・・・・小学校の北西側に、本物の大使館がある。 浅草橋5丁目の「コンゴ民主共和国大使館」。 人の噂では、港区・渋谷区などの山手は家賃が高いので、比較的家賃が安く、交通の便が良い、浅草橋に移ったそうだ。、、、、、近くのスーパーへ行くと大使館の人をよく見るね、暇なのか?

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③清洲橋通り
・・・・・・・・・蔵前橋通りと清洲橋通りが交差する「鳥越1丁目交差点」から、清洲橋通りを歩くことにした。、、、、、「清洲橋通り」は、台東区入谷から明治座前をとおり、隅田川を清洲橋で渡り、江東区を東西に横切り、葛西橋の近く東砂6丁目交差点までの道路の通称である。

・・・・・・・・・・・・・鳥越1丁目交差点。、、、、、まだテレビの無い頃、交差点の近くには3軒の映画館があった。 「鳥越日活」、「新東京」、「?(名前を思い出せない)」、私もボケたか?

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・・・・・・・・・・・・・元浅草1丁目交差点。、、、、、春日通りと交差する。

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・・・・・・・・・・・・・稲荷町交差点。、、、、、仏具屋が並ぶ浅草通りと交差する。

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・・・・・・・・・・・・・・東上野5丁目付近。

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・・・・・・・・・・・・・・清洲橋通りの起点、入谷交差点。、、、、、、写真:右側は昭和通り、左側が清洲橋通り。

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④永昌寺
・・・・・・・・・・地下鉄稲荷町駅の出入口近くに、室町時代に開創された浄土宗の永昌寺がある。 ここは、講道館柔道の祖である嘉納治五郎が、明治14年(1881)に寺内の書院に12畳の道場を開いた処である。 道場は関東大震災で焼失した。、、、、、現在は石碑があるのみ。、、、、、なお寺の北側には、数年前まで“同潤会最後のアパート”と言われた「上野下アパート」があった。

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入谷鬼子母神・・・・・・・・・・入谷交差点にある、萬冶2年(1659)に開山した法華宗本門流の仏立山真源寺。 『恐れ入谷の鬼子母神』と言われる鬼子母神を祀っている寺で、毎年7月、門前で催される朝顔市は有名である。

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御行の松不動尊
・・・・・・・・・・・根岸4丁目の不動尊の境内に「御行(おぎょう)の松」と呼ばれる松がある。 「御行の松」とは、江戸時代に松の木の下で、寛永寺門主が行法を行ったことに由来している。 松は江戸時代の錦絵にも描かれる有名な松であったが、昭和初期に枯れてしまった。、、、、、その松が植えられていた不動尊で、「御行の松不動尊」と呼ばれ、根岸の人々に親しまれた。 玉垣には、「根岸」の花街時代の料亭・置屋・待合・芸子の名が見られる。、、、、、今日は、節分の豆まきの準備か? 不動尊の前では仮設の舞台が組まれていた。

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⑦神々森猿田彦神社
・・・・・・・・・・台東区根岸から荒川区東日暮里に入り、東日暮里3丁目に「神々森(かんかんもり)猿田彦神社」と称する神社がある。 当地は江戸時代「カンカン森」と呼んだそうだ。、、、、、神社は汐入の胡録神社の分霊を勧請して祀ったと伝えられ、第六天社と称していたともいわれ、明治に入り胡録神社、次いで猿田彦神社と改称したそうだ。、、、、境内には、胎蔵界大日如来の種子(梵字)を刻む享保13年(1728)銘の庚申塔、根岸氏子中が文化7年(1810)に寄進した手水鉢、本殿内に「猿田彦太神」の銘を刻む自然石型の庚申塔などがある。、、、、、小さな神社だが、手を合わせる人は多いようだ。

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・・・・・・・・・・・・・神社の裏手には、建て替えられた「東京朝鮮第一初中級学校」がある。 この付近には朝鮮の人は多いと知っていたが、低学年の子供が校庭で楽しそうに遊んでいるのを見て、その多さに驚いた。

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三河島駅
・・・・・・・・・尾竹橋通りに面して、ガード下に出入口がある三河島駅。、、、、、三河島駅は日本鉄道(現:常磐線)の駅として明治38年(1905)に開業したが、乗降客は少なく駅も地味だ。 マニア好みの駅である。

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⑨六地蔵
・・・・・・・・・尾竹橋通りを北上し、宮地交差点を越えて荒川区荒川4丁目の裏道角に、地蔵尊と石仏が数基建っている。、、、、寛永12年(1672)と刻まれた庚申塔などが数基並び、右端には地蔵尊が祀られて、本来の六地蔵ではないが、いつの間にか六地蔵と呼ばれているそうだ。、、、、、この辺りは古くから集落が開け、江戸へ向かう人々の道しるべとなっていたようだ。

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⑩町屋駅
・・・・・・・・・“町屋駅”と言われ、京成本線の町屋駅と東京メトロ千代田線の町屋駅、さらに都電荒川線の町屋駅前停留場をイメージできる人は地元の人ぐらいだと思う。 おそらく多くの人は3駅のどれかをイメージし、残りは思い浮かばないかもしれない。、、、、、、私は“町屋”と言われると、まずは斎場をイメージする駅である。千代田区・台東区には斎場はなく、私の身内の多く、ご近所の住民の多くは町屋の斎場(昔は火葬場といった)で骨となった。

・・・・・・・・・・・・都電町屋駅前停留場、、、、、大正2年(1913)に王子電気軌道(現:荒川線)の停留場として開業した。 以来、地元住民の足となっている。

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・・・・・・・・・・・・・東京メトロ町屋駅、、、、、上下2層の構造で、各層に1面1線の地下駅。 昭和44年(1969)、営団地下鉄千代田線の町屋駅として開業した。

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2016年1月27日 (水)

西馬込~久が原

『今日はどっち方面に行くの?』妻の問いに、『まだ、きめてない、地下鉄乗るまでに考えるよ』と家を出たが、浅草線の浅草橋駅に着いても決まらない。 とりあえず来た電車に乗り、車中でも、『大門で降りるか? 泉岳寺で降りるか?』悶々としながら、前に座る娘を見ていたら、終点の西馬込に着いた。、、、、、今日の散歩は、西馬込駅から池上線の久が原駅まで、1万歩、7kmです。



馬込車両基地
・・・・・・・・・・西馬込で下車したら、まず車両基地を見たくなった。 ちょっと寄ってみよう。、、、、昭和35年(1960)に都営1号線(現:浅草線)の押上~浅草橋間が開通した。 8年後の昭和43年(1968)に、現在地に「馬込検車場」が開設し、翌年には西馬込駅の西側に「馬込車両工場」が開設した。 平成12年(2000)に、馬込検車場と馬込車両工場が統合・整備され、馬込車両検修場(現:馬込車両基地)が発足した。、、、、、朝は稼ぎ時で、大半の車両は出払っている。 車両の姿が見えないカラの線路が並んでいる、線路好きの私にはうれしい光景だ!

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②池上梅園
・・・・・・・・・・・・・車両基地を抜けて直進すると池上本門寺 だが、第二京浜(国道1号)の方に曲がると本門寺の山の斜面に池上梅園がある。、、、、、、梅園の北側は戦前まで日本画家:伊東深水(女優:朝丘雪路の父)の自宅兼アトリエであった。 建物は戦災で焼失し、戦後は料亭の所有となり、梅園の南半分が拡張された。 その後、所有者が没し、都に譲渡され、昭和53年(1978)より大田区に移管された。 区では、池上梅園として整備を行ってきた。、、、、今日は、『チョイと早いかも』と思いつつ、『ここまで来たのだから寄ってみよう』と入園してきた。、、、、、『二・三分咲き』と言うところ!

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・・・・・・・・・・・・・園内には茶室が2棟移築されている。 まずは、伊東深水のアトリエを設計した建築家:川尻善治の自宅茶室。 移築後「清月庵」と命名。
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・・・・・・・・・・・・・こちらは、政治家:藤山愛一郎の自宅茶室「聴雨庵」。
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③本光寺
・・・・・・・・・・・・・梅園の出て、第二京浜を横断し、呑川を越えると大田区久が原2丁目である。 町の中央に付近に、日蓮宗の本光寺(ほんこうじ)がある。 慶長14年(1609)に没した、十乗院日能が開基した寺と言われている。 日能は本門寺の僧で、寺は現在まで本門寺の末寺となっている。、、、、、道路から石段を数段上がり山門をくぐると、正面に木造の本堂が見える。 柱・梁には見事な彫刻が見える。 本堂の隣には七面天女像を安置する鉄筋コンクリート造の七面堂(七面鳥にあらず)がある。 七面堂は昭和49年(1974)に改築された。、、、、、、七面堂に祀られている七面天女は、日蓮宗においては法華経を守護するとされる女神である。 「女神」と聞くと、拝見したくなるが、あいにく扉は閉じていた。

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④久が原東部八幡神社
・・・・・・・・・・・本光寺の西側に坂があり、「宮坂」と書いた案内があった。 チョイと感じの良い坂なので、上がってみると八幡神社がある。、、、、、、神社は、天平神護元年(765)久が原の高台に創建された。

・・・・・・・・・・・・・・上りやすい坂だ! 

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・・・・・・・・・・・・・「久が原東部八幡神社」と記されていた。 さては、“西部”があるなと推測し、調べてみたら久が原4丁目にあった。(いずれ、寄らしてもらうことにした。)

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・・・・・・・・・・・・・・拝殿は文久2年(1862)に竣工し、昭和53年(1978)に銅板葺きの屋根となるまでは、茅葺き屋根であった。 屋根の形に茅葺きの面影が残っている。

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⑤久が原駅・・・・・・・・・・・・住宅街を抜け、池上線久が原駅 に出て帰宅。

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●・・・・・・・・・・・・梅一輪 山を圧して 咲けりけり(山口青邨)

2016年1月25日 (月)

寒い浅草

連日の寒さで我が家では、エアコン、ホットカーペット、電気ストーブ、電気ヒーター、電気毛布、と暖房器具の総動員、さらに腰にはホッカイロが3つ、4つ、これでも寒い。、、、、、60年前を振り返ると、火鉢で股を温め、豆炭のアンカを布団に入れて、炭火のこたつに足を入れ、湯たんぽを足下に置き、そしてベンジンを浸み込ませた白金カイロを腹にあて、アッチッチ!、、、、、、隙間風の入る寒い家だったが、のどかで、暖かい我が家であった。

、、、、、寒さが応え、散歩は休みと決め込んで、家でゴロゴロしていたら、、、、夕方近く、妻が一言『散歩に行くの?』、、、、さらに一言『浅草に行くの?』、、、、、ダメ押しの一言『買い物してきて!』、、、、、『ヨシ、男だ! 寒さに負けず、行ってくる!』と、家を出たが、やっぱし寒かった! 

東京楽天地浅草ビル・・・・・・・・・・・浅草六区の映画館街で、最後の映画館がなくなって、そろそろ4年の歳月が過ぎようとしている。 昨年の暮れに、「浅草東宝」と「楽天地浅草ボウル」の跡地に建てられた「東京楽天地浅草ビル」がオープンした。 地上13階/地下2階から成る建物で、高層階には「リッチモンドホテル プレミア浅草インターナショナル」が入居し、また地下1階はパチンコホールが営業を始めた。 そして、1~4階には地域、地方の情報拠点、アンテナショップが入居した「まるごとにっぽん」と称する商業施設がオープンした。、、、、外は寒いので、チョイと覗いてみた。

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・・・・・・・・・・・・・・・取り壊し前の「浅草東宝」と「楽天地浅草ボウル」 (撮影:2010年6月)

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・・・・・・・・・・・・・・「まるごとにっぽん」に入ってみた。
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・・・・・・・・・・・・・1階は地方の食材を揃えた店が並ぶ、、、、、、試食ができるミ店は女性に人気があるようだ。

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・・・・・・・・・・・・・2階は地方の伝統工芸品などの店、、、、、ゆったりスペースで、ゆっくり品物を見ることができる。

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・・・・・・・・・・・・・3階は市町村単位の体験型のコーナー、、、、、料理教室もあった!

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・・・・・・・・・・・・・4階は各地方の7店舗が入る飲食店。、、、、売り切れの店もある!

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・・・・・・・・・・・・・・六区の中程の交番もついでに建て替えたみたいだ。、、、、3階建てになった!

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●浅草六区
・・・・・・・・・映画館がなくなり、建て替え工事中が多かった六区だが、工事も終了し営業を始めた処が出てきて元気が出るか?、、、、、、寒い日の月曜日で、JRAの場外馬券売り場も休みで、この程度の人出、チョイと増えたかな? 六区の復活が楽しみだ!

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●観音様に手を合わせて帰ろう
・・・・・・・・・・

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・・・・・・・・・・・・・・スキー場と間違えたのか、、、、、、アレ、リフトがないぞ!

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・・・・・・・・・・・・・・中国? 韓国? どちらにしても、観音様に合格祈願?

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●・・・・・・・・・・・・・・「寒い 寒いと 震える 身体 抱いて 温め 燃やしてね」と、一人で勝手に願いつつ、はやく帰ろう、寒空の下。

2016年1月22日 (金)

阿佐ヶ谷~荻窪

阿佐ヶ谷駅から中央線の南側をブラブラして荻窪駅まで、1万歩、7kmの散歩です。


①阿佐ヶ谷駅
・・・・・・・・・・・JR中央線で新宿駅から5つ目、我が家(浅草橋)から中央・総武緩行線で乗り換えなしの30分、私には生活圏内の駅であるがなじみの薄い駅である。、、、、、、大正11年(1922)に開業し、昭和41年(1966)に高架複々線化工事が完了した。

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②川端通り
・・・・・・・・・・・・阿佐ヶ谷駅南口前のロータリーから西へ向かい「川端通り」が伸びている。 庶民的な飲み屋・スナック・料理屋が並び夜は楽しそうな街である。 ここには、かつて小川が流れ、この名のいわれとなったようだ。 飲食店の先には、その名残らしき暗渠化された細い道が、クネクネと曲がり伸びている。

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③IS邸
・・・・・・・・・・・阿佐ヶ谷南3丁目に残る、昭和初期に建てられたと思われる住宅。

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④青梅街道
・・・・・・・・・・『ドキ! パトカーだ! ヤバイ!』と一瞬身構えて、『あわてるな!』と自分に言い聞かせ、『まだ、何もしでかしていないぞ!』と小声で言い放ち、『ご苦労様です』と歩道橋を渡りわざとらしく挨拶して通り過ぎる。

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・・・・・・・・・・・・・・本当に何も悪い事はしていないのだが、パトカーは嫌だ! 『三十六計逃げるに如かず』と速足で裏道に入り、遠ざかる。、、、、気が付くと、杉並区成田東5丁目なり。、、、、この辺りは静かな住宅街となっている。

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⑤シャレール荻窪
・・・・・・・・・・・・・杉並区荻窪3丁目、善福寺川の東に大きな公団の「荻窪団地」(昭和33年竣工、21棟、875戸)があった。 荻窪団地は老朽化により取り壊され、平成23年(2011)に「シャレール荻窪」という“しゃれーた”名前に変わり、16棟、全411戸から成る都市再生機構の賃貸住宅に生まれ変わった。、、、、、、洒落た名前に、モダンな建物、若い夫婦の多い、新しいコンセプトの現代版公団(UR)団地、いつまでもこの状態が続くことを願う!

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角川庭園・幻戯山房
・・・・・・・・シャレール荻窪の北側、住宅街の中に角川書店の創設者:角川源義(1917~1975)の旧邸宅が残されている。 昭和30年(1955)竣工の木造2階建の数寄屋造りの住宅で、設計は建築家:加倉井昭夫(1909~1988)。 建物は国の登録有形文化財に指定されている。、、、、、、邸宅は杉並区に寄贈され、句会・茶会などに利用されているそうだ。

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大田黒公園
・・・・・・・・・・・・・音楽評論家:大田黒元雄(1893~1979)の屋敷跡と仕事部屋があった洋館を杉並区が公園に整備し、公開している。、、、、、広い屋敷跡は、門をくぐると、イチョウ並木が伸び、芝を張った庭園は明るく開放的で、その一隅に仕事部屋のある瀟洒な洋館風建物がある。 建物は、記念館として遺品などが展示されてる。、、、、、私には羨ましいほどの住環境だ!

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●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あとは、荻窪駅から帰宅。

2016年1月21日 (木)

十条~赤羽

埼京線十条駅から北へ向かい赤羽駅まで、1万1千歩、8kmの散歩です。


①十条駅
・・・・・・・・・明治38年(1905)、東京砲兵工廠に発着する貨物を取り扱う、日本鉄道の貨物駅として十条駅は開業した。 明治43年(1910)には旅客営業の十条駅が開業した。 駅の改札は、駅前ロータリーのある北口と、路地裏の南口 がある。、、、、、北口駅舎の脇に、駅開業70周年記念碑(昭和55年建立)と動輪が置かれている。 この碑文では、駅は明治43年11月1日の旅客駅開業からカウントしているようだ。 いずれにしても古い話で、歴史ある駅だ。

・・・・・・・・・・・・・現駅舎は大正14年(1925)に建てられ、昭和34年(1959)に改築した。

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・・・・・・・・・・・・・・駅の脇にある、「十条駅開業70周年記念碑」(昭和55年建立)。 なぜか、「EF5870」のプレートと動輪が置かれている。 廃車の時期と碑の建立時期がほぼ同じ頃だからかな?

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・・・・・・・・・・・・・ホームは、埼京線内で唯一の相対式ホーム2面2線の地上駅となっている。 結構、乗降客があるようだ、とくに、降りてくるのは近くの女子大生が多い、

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②十条銀座の裏道
・・・・・・・・・・まだ、商店街も開いていないので、十条仲原の裏道を歩いてみた。 どこへ行くやら、どこへ出るやら、迷路のような裏道が続く、私には楽しい町だ!

・・・・・・・・・・・・・・駅前の「十条銀座」のアーケード下を歩かずに、三井住友銀行の横の裏道へ入った。 

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・・・・・・・・・・・・・・一昨日降った雪がまだ残る裏道は『This is JYUUJYOU』だ。

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・・・・・・・・・・・・・宝暦二年(1752、北町奉行:大岡越前守の亡くなった翌年)の庚申塔がお出迎え。 

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③十条仲原貯水槽
・・・・・・・・・・・裏道を抜け十条仲原2丁目で環七通りに出ると、円筒形の都水道局の貯水槽がある。、、、、、、小さな貯水槽だが、役割は?

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④十条仲原3丁目
・・・・・・・・・・・環七通りを横断して、北側の十条仲原3丁目に入る。 十条の“下町”に来たようだ! 赤く塗られたトタンの家、路地裏には井戸か?、日影の裏道は雪も残り、寒い!

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⑤游鯉園の坂
・・・・・・・・・十条仲原の台地から、現在は暗渠化された稲付川に下る坂。 大正時代から戦前まで、坂下の川下にあった川魚料亭が遊鯉園(ゆうりえん)で、この坂の名前は、その料亭の名に因んで付けられた俗称。 明治の頃、坂下に水車小屋があり、旧稲付村(現在の赤羽西、西が丘、赤羽南にあたり)の農家がよく利用していました。、、、、、長さ50m程の急な坂である。

・・・・・・・・・・・・十条仲原3丁目10番地付近の裏道で、『この先階段・・・・・』の看板が目に入った。、、、、、興味が出てきた、行かずばなるまい。

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・・・・・・・・・・・・・行った先には小さな階段が確かにあった。

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・・・・・・・・・・・・・・階段は細い急な坂にぶつかっていた。 この坂が「遊鯉園の坂」である。、、、、、台地を一気に下り河原に出る山里の雰囲気を残した坂だ。

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⑥水車の坂
・・・・・・・・・・・・遊鯉園の坂を下り、かつての稲付川の河原に出た。 次は対岸の稲付の台地に上がる坂が「水車の坂」である。 現在は石段(北区西が丘2と赤羽西3の境界)となっている。 名前は、昔、坂の下に水車小屋があったことに由来している。、、、、、、こちらは、クランク状に折れ曲がる急な階段だ!

・・・・・・・・・・・・・遊鯉園の坂を下ると、『この先行き止まり・・・・』の標識が目に入る、こちらも行かずばなるまい。

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・・・・・・・・・・・・・・突き当りの左側に幅の狭い階段が見える。、、、、、『北限海峡、吉幾三!(ヨシ、行くぞ)』と一人で叫び、階段を上る。

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・・・・・・・・・・・・・途中で折れ、さらに階段は続く、、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・上りきり振り返ると、眼下に住宅の屋根、目の先には十条仲原の大地が見える。

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●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・稲付の台地では、鳳生寺法真寺香取神社に手を合わせ。 台地を下れば赤羽駅

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●・・・・・・・・・・・・・電車の中では暇なので、一句。、、、、「ミニスカは 席が空いても ドアに立つ」、、、、、たまには、親切心で「私の前の席空いてるよ」と、教えてあげたいね。

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2016年1月20日 (水)

新小岩~小岩

寒い、寒い、北風が強く、なお寒い。 『男は度胸、女は愛嬌、坊主はお経。ついでに牧師は説教で、子供は勉強。』と言い残し、北風吹き抜く町に散歩に出た。、、、、、新小岩駅から歩くつもりで下車したが、この寒さと強風では、やせ我慢もほどほどにして、小岩駅まで歩いてきた。 1万1千歩、8km。


①新小岩駅
・・・・・・・・・・駅改良工事(駅舎中央を貫く南北自由通路 の設置:2018年完成予定)も着々と進み、そろそろ写真の駅も見納めになるかも!

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・・・・・・・・・・・・・駅前の葛西、西葛西方面行きのバス停は、毎日待ち行列ができている。 新小岩駅は葛飾区だが、駅の南側はほぼ江戸川区である。 広い江戸川区を走る電車は全て東西に向かい、南北の交通機関はバスだけだ!

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②新小岩信号場駅
・・・・・・・・・・・総武本線新小岩駅と小岩駅の間、総武緩行線/快速線の線路の北側に数本の貨物線がある、ここはJR貨物の新小岩信号場駅である。 最盛期に比べると規模は大幅に縮小され、荷役設備はなく、常磐線金町駅と結ぶ新金貨物線 、その延長上にある越中島貨物支線 、総武快速線を利用した千葉貨物駅方面への接続などで、一日数本の貨物列車が発着するのみである。、、、、、、大幅に縮小された構内には、機関車の姿もあまり見ることができず、今日は「桃太郎」(EF210形)と、ジーゼル機関車(DE10形)を遠くから見ただけだ。

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・・・・・・・・・・・・・・新金貨物線が単線で金町方向に分岐していく。

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③下小松天祖神社
・・・・・・・・・・下小松天祖神社は、葛飾区新小岩4丁目、総武線の線路脇にある神社。 古くは、五社明神と称していた、下小松村の鎮守さま。、、、、、文久3年(1863)の本殿と大正4年の幣殿・拝殿が、戦後まで存在していたが、昭和29年(1954)に境内が国鉄総武線の拡幅用地となり、現在地に移転した。 移転後も社殿を使用していたが、昭和53年(1978)に総工費1億650万円をかけ現社殿を完成させた。、、、、、、一億円の豪邸に住む天照皇大神とは、どのような容姿か見てみたいね!

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④中川放水路橋梁
・・・・・・・・・・・・新中川(旧中川放水路)に架かる新金貨物線の橋梁。  1径間単線ワーレントラス橋+4径間単線プレートガーダー橋で、橋長は約155.0m、昭和34年(1959)に竣工した。、、、、、、シンプルで女性的な印象の橋梁。

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⑤上一色橋
・・・・・・・・・・中川放水路橋梁の下流側に架かる、上一色橋(かみいっしきばし)は都道315号(蔵前橋通り)を通し、江戸川区西小岩2と上一色3を結ぶ。 橋長は約120.0mの5径間連続ガーダー橋。 昭和41年(1966)竣工。

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●・・・・・・・・・・・・・・・・・・上一色橋を渡れば、小岩駅はスグそこだ。 ところが、オット・ドッコイ・ギッチョンチョンで、橋の上はもの凄い強風、帽子は飛ばされそう、カメラはブラブラ、橋も振動でグラグラ、とうとう自分自身がフラフラ、呼吸は苦しくハアハアハア(救心が欲しいね)、ヤットコ渡って、ホット一息、今度は寒さに震えブルブル。 早く帰ろう!、、、、、、「寒い からだに 追い打ち かける 厠 さがして なお寒い」

2016年1月19日 (火)

平和島~大森町

京浜急行平和島駅から南隣の大森町駅まで、1万歩、8kmの散歩です。



平和島駅
・・・・・・・・・・・・・京浜急行本線の駅で、明治34年(1901)に開業。 現在は、島式ホーム2面4線の高架駅。、、、、“平和島”とは、駅の東側の東京湾内に埋め立てて造られた人工島(昭和42年竣工)の名称。 現在は“島”ではなく、陸続きとなっている。、、、、、平和島競艇場、ビックファン平和島(旧平和島温泉)などがある。 また、島の東側は“流通センター”として、多くの倉庫が並んでいる。

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・・・・・・・・・・・・・・第一京浜側の出入口前はタクシー待ちの行列ができている。

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②王森稲荷神社
・・・・・・・・・・・大森東1丁目の裏通りに、稲荷神社がある。 王森稲荷神社の創建年代は不詳であるが、天保年間(1830~1844)の不作時に祈願したら、五穀豊穣となり、崇敬を集めたそうだ。、、、、旧社殿は戦災で焼失し、現社殿は昭和44年(1969)に再建された。

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③徳浄寺
・・・・・・・・・・・大森東1丁目、旧東海道に面し建つ、浄土真宗本願寺派の徳浄寺(とくじょうじ)。 寛永4年(1627)四ツ谷に創建、元禄年間(1688~1704)に現在地へ移転した。 本堂は戦災で焼失し、昭和35年(1960)に現在の鉄筋コンクリート造、ガンダーラ風建物を再建した。

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・・・・・・・・・・・・・境内に併設されていた大森幼稚園は園児の姿も見えず、先生もいない、大きな建物と新幹線の遊具がむなしく残る。、、、、、、少子化の影響か?

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④内川
・・・・・・・・・・元々は馬込・池上付近を水源として、東京湾に流れ込む小川が内川(うちかわ)であった。 現在は、JR東海道本線より山側は全て暗渠化され、“川”としては東海道本線の東側から東京湾に注ぐまでの1.55kmの短い川となった。、、、、、大森の海苔の町を流れる川で、かつては生活の川であったが、現在は護岸も整備され綺麗な水が流れる癒しの川に、徐々に変身している。、、、、、内川に架かる橋梁は鉄道橋も含めて15橋程あるが、今日は下流側の3橋を歩いてきた。

・・・・・・・・・・・・・旧東海道が通る内川橋。 昭和31年(1956)に架けられたコンクリート橋。

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・・・・・・・・・・・・・・内川橋の下流には新橋が架かっている。

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・・・・・・・・・・・・・・新橋の下流には、内川水門がある。 只今、耐震工事中。

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・・・・・・・・・・・・・内川の最下流には浜辺橋が架かり、内川は京浜運河に流れ、東京湾に注ぐ。、、、、、橋は、内川の両岸に造られた、「平和の森公園」と「大森ふるさとの浜辺公園」を結び一体化させ、水辺の広い緑の空間を創り出している。

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・・・・・・・・・・・・・・上流側には工事中の内川水門が見える。 右側には都営大森東一丁目団地が建ち並ぶ。

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・・・・・・・・・・・・・・下流側は京浜運河。

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⑤大森 海苔のふるさと館
・・・・・・・・・・・・平和の森公園にある、「大森 海苔のふるさと館」を挨拶代わりにチョイと覗いてきた。 見学は2度目であるが、大森周辺で江戸時代から昭和38年(1963)の生産中止まで、浅草海苔を生産していた様子が資料展示されている。 面白い処だ!

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⑥大森ふるさとの浜辺公園
・・・・・・・・・・・こちらは、京浜運河に白砂の浜辺を再現している公園。 まだ、水質が悪く、海水浴はできないらしいが、いずれきれいな砂浜になると思われる。、、、、、、ここまでやったら、水着の女性も期待するね。夏が楽しみだ!

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⑦都営大森東一丁目アパート
・・・・・・・・・・・昭和54~57年に建設された、総戸数725戸の都営住宅。、、、、、昭和の高層アパートの一つ。 なんとなく、昭和の懐かしい匂いが漂ってくるようだ!

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●・・・・・・・・・・・・・・・・このあとは、大森町駅 へ向かう、、、、、、、

●・・・・・・・・・・・・・・・・公園には、梅が咲いていた。、、、、、、「浮気 うぐいす 梅をば じらし わざと 隣の 桃に鳴く」、、、、、うぐいすに なってみたいね 雅万歩

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2016年1月18日 (月)

四ツ木~堀切菖蒲園

風邪も治り、カメラも直り、散歩に出るかと思う頃、雪が降りだした。 今朝、5時に目が覚めたら雪だ、寒いのでもう一眠りしたら雨だ、こんな天気に出ていき風邪をひいたら馬鹿だ! しかたなく我が家でゴロゴロしていたら、午後3時ころには雨も上がり青空もチラリ、『ヨシ! 病み上がりのウォーミングアップ』として、京成押上線四ツ木駅 から京成本線堀切菖蒲園駅まで、夕刻の散歩となった。 8千歩、6㎞。
 
①荒川と綾瀬川を隔てる土手・・・・・・・・・綾瀬川は小菅1丁目あたりから荒川と並行して流れ、東四つ木1丁目で中川に合流し東京湾に流れ込む。 まずは、木根川橋東詰(四ツ木駅近く)から、新四ツ木橋の東詰まで、荒川と綾瀬川を隔てる土手の上を歩いてみた。
・・・・・・・・・・・・木根川橋、、、、、昭和44年(1969)に完成した、墨田区八広と葛飾区東四つ木を結ぶトラス橋。 橋の長さは466m。、、、、、片側1車線の幅は狭い橋だが、トラスのシルエットが美しい橋で、さだまさしも『木根川橋』で沿線の下町の情景を歌いこんでいる。
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・・・・・・・・・・・・・京成押上線荒川橋梁、、、、、、木根川橋の上流側に、平成11年(1999)に現在の新橋にかけ替えられた京成押上線荒川橋梁がある。 こちらも、夕日に映えるトラス橋が美しい。
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・・・・・・・・・・・・・・新四ツ木橋、、、、、、昭和48年(1973)に竣工した鋼製ゲルバー箱桁橋。 国道6号(水戸街道)の慢性的渋滞を解消する目的で、四ツ木橋の下流側にバイパス的に造られた。
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・・・・・・・・・・・・・・新四ツ木橋から下流の荒川(右側)と綾瀬川(左側)を眺める。 中央の土手を挟み、川に高低差を見ることができる。
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②若宮八幡宮
・・・・・・・・・・・・葛飾区四つ木3丁目にある神社。 文治年間(1185~1190)源頼朝が奥州征伐に向かう際に戦勝を祈願し、無事勝利した後に感謝して創建した。 その後、江戸時代には、若宮村の鎮守社であった。、、、、、親子で中学受験の願掛けかな?
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③善福院
・・・・・・・・・・・若宮八幡宮の北側に、永正16年(1519)に創建された真言宗智山派の善福院がある。 はじめは、「東照宮若王寺」と号したが、いちゃもんつけられるのが怖かったのか、徳川家康の神号をはばかり、善福院と改めたといわれている。、、、、、明治維新前までは、若宮八幡宮の別当職を勤めた。 本堂は、震災で大破し、戦災で焼失し、昭和44年(1969)に現本堂を新築した。
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④荒川と綾瀬川を隔てる土手
・・・・・・・・・堀切1丁目の堀切避難橋から、再び土手の上を歩いてみた。
・・・・・・・・・・・・・堀切避難橋、、、、、、、綾瀬川にかかり、堀切地区から荒川左岸の土手へ避難できるようにした人道橋。  昭和56年(1981)の架橋。
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・・・・・・・・・・・・・・対岸(荒川右岸)の墨田区には、東向島の防災拠点に建つ都営住宅のシルエットが見える。
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・・・・・・・・・・・・・・綾瀬川の上流に堀切菖蒲水門がある。、、、、、、ゲートの高さを低く抑えるため、「二段式ローラーゲート」と称するゲートで、円筒状のようなものが、かまぼこ型に2分割し、水門を閉鎖するチョイと変わったゲートである。 また、操作室も頭をカールしたようなユニークなデザインで面白い! 平成8年(1996)3月の完成。
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⑤堀切JCT
・・・・・・・・・・・・葛飾区堀切2丁目付近で、綾瀬川左岸にある、首都高速道路の6号向島線と中央環状線を結ぶジャンクション。
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堀切菖蒲園駅
・・・・・・・・・・・・まだ、雪が所々に残り、列車ダイヤ乱れ、帰宅する人も大変そうだ!
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2016年1月15日 (金)

まだ風邪治らず

まだ風邪が治らず、ティッシュペーパーを手放せない状態である。 近くの医院で処方してもらった風邪薬も効きが悪い。 薬の量を倍にして飲みたくなる気持ちだ。、、、、、今日は、半年前に予約していた総合病院皮膚科の定期検診日。、、、、電話で事情を話して、検診日を変えてもらうか迷ったが、今日の今日、予約変更も失礼かと思い、、、、、、病人が病院へ行くのだ、『途中で倒れたら救急車が病院まで運んでくれる』、自分に言い聞かせ行くことにした。
、、、、、朝一番、温かく着込み、まずは蔵前の榊神社 で手を合わせ、川風の冷たい蔵前橋 を渡って病院へ。
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、、、、、、、、、受付の可愛い娘と、美人の先生、二人の仕事ぶりを見ながら診察を待つこと30分。 アレ? 鼻水も止まり、咽喉の調子もよさそうだ!、、、、、、先生に、皮膚の悪性腫瘍は再発していない言われ、ますます調子が良くなった。、、、、、、診察済んだら、病院の隣の安田庭園 をぶらつき、、、、、ア・レ・レ 庭園の一画あった丸いドーム型の両国公会堂が消えた! 大正の劇場建築の一つだったのに、残念!
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、、、、、、、、、のぼりの色も鮮やかな国技館前を通って、両国橋を渡り帰宅。
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、、、、、、、、、家に着いたら、やっぱり風邪だ! また、鼻水が垂れてきた! 

2016年1月13日 (水)

風邪でダウン

3日前にカメラの調子が悪いと思っていたが、翌日散歩に持って出よう確認したら、シャッターがおりず、『コリャ、ダメだ、完全に壊れている!』 急遽行先をカメラ保守のサービスセンターへ切り替え、とりあえず、カメラを入院させ完治するまで待つことにした。

、、、、そんな、こんなで、寒くなった中を走り回り、雅万歩は風邪でダウンしました。 治るまで散歩は休みます。

2016年1月10日 (日)

押上~浅草

アレ? 私のカメラ、ピントを合わせる機構が壊れたか、2、3日前からピント合わせに苦労している。 チョイと不安だが、今日もカメラ持参の散歩。 どうも調子が悪そうだ、持ち主がボケているから、撮った写真は、寝ボケ、色ボケ、おとボケのピンボケ写真かな? でも、帰宅し撮った写真を見て一安心、まだ壊れてない!

日の落ちる頃に、押上駅から、スカイツリーの脇を流れる北十間川に沿って、浅草方面へ歩いてきた。 8千歩、6㎞。


①押上駅前自転車駐車場
・・・・・・・・・押上駅のロータリーに面して、平成24年(2012)にオープンした自転車駐車場。 内部は駐輪場で、屋上は展望広場となっており、スカイツリーと、東武鉄道を眺めることができる施設となっている。 高さは10m程であるが、見晴らしも良く、夜景も楽しめる穴場だ。、、、、、東京ソラマチ(スカイツリーの足元に在る複合施設)に行くのもいいが、二人の夜はここの展望広場からスカイツリーを静かに眺め、愛を語り、寒さに震え、ラーメン食べて帰れば、あくる日は風邪をひき、良き思い出になるでしょう。

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・・・・・・・・・・・・・・今日は、日没前でまだ明るいが、屋上からパチリ!

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・・・・・・・・・・・・・・1月4日に撮った、同じアングルの夜景

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②京成橋
・・・・・・・・・・押上駅前に近い、北十間川に架かる全長18.75mの橋。 京成橋(けいせいばし)は昭和4年(1929)に架けられたが、昭和37年(1962)に現在の橋に架け替えられた。、、、、、、、地下鉄1号線(現:浅草線)開通後は、押上駅は地下ホームとなり、その跡地には、京成電鉄の本社ビルが建った。 そして、昨年秋にはホテル、スパーなどが入る複合ビルに変わった。

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・・・・・・・・・・・・・・昭和35年(1960)当時の京成橋と押上駅。 上部は現在のスカイツリーの位置と東武鉄道

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・・・・・・・・・・・・・・平成25年(2013)、京成橋と京成電鉄本社ビル

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③東武橋
・・・・・・・・・・京成橋があれば東武橋もある。 こちらは、「とうきょうスカイツリー」駅側に在り、橋の斜め前には、かつて東武鉄道本社ビル(現:すみだ水族館付近)があった。、、、、、、、初代は昭和初期に架けられたが、現在の橋は昭和63年(1988)に架け替えられた全長19.7mの橋です。

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④小梅橋
・・・・・・・・・・・・隅田川に向かい東武橋の次に北十間川に架かる橋。 元は昭和4年(1929)に架けられた復興橋で、現橋は昭和28年(1953)に架け替えられたものである。、、、、、、この辺りは小梅村と呼ばれ、料亭や旗本・豪商の別宅があった処だ。

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・・・・・・・・・・・・・・・小梅橋から隅田川方向を見る。 川は北十間川。

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⑤源森橋
・・・・・・・・・・・・吾妻橋2丁目と向島1丁目を結ぶ橋、橋上には水戸街道がとおっている。、、、、、、現在の現森橋の初代は創架年不詳だが、古そうだ。 現橋は平成19年(2007)に架けられた新しい橋である。

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・・・・・・・・・・・・・・スカイツリー方向を眺めると、、、、

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⑥枕橋
・・・・・・・・・・・北十間川で、最も隅田川寄りに架かる復興橋。 寛文2年(1662)に初めて架けられた橋である。 明治8年に枕橋と呼ばれるようになり、現:枕橋は昭和3年(1928)に架け替えられたものである。、、、、、、昭和初期に施工され、アーチ型をしたコンクリート造の橋。 石橋のように見えるデザインは優れものである。 欄干の凹凸を出したデザイン、チョイと魅惑的なカーブを描く街灯、いい雰囲気を出しておる橋だ。

・・・・・・・・・・橋の脇で改修工事中のため橋の全体像が撮れず、2年前の写真を見てね!

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・・・・・・・・・・・・・魅惑的な街灯

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・・・・・・・・・・・・・画になる橋上からのスカイツリー

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⑦源森川水門
・・・・・・・・・・・・昭和34年度(1960)に完成した、鋼製単葉ローラーゲートの水門。 江東デルタ地帯を守る防潮水門で、通常は開放されているが、高潮や津波の恐れがある場合は直ちに閉鎖される。 水門の手前は隅田川、内は北十間川。、、、、、只今、耐震補強工事中につき、ゲートは閉まっていた。

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2016年1月 7日 (木)

水道橋~上野

後楽園ドームの近くにある循環器内科クリニックで定期検診を受け、帰りは上野駅まで歩いてきた。 1万1千歩、8Km。



①後楽森ビル
・・・・・・・・・・地上19階、地下5階のビルが後楽園庭園 の横に建っている。、、、、都下水道局後楽ポンプ所の上部利用施設として、平成12年(2000)に竣工した「後楽森ビル」は、既存公共施設の機能を保ちながら、未利用の上部(地上)空間を有効活用したオフィスビルである。、、、、私の通うクリニックはこのビルの中に在る。 「顔を 見るだけ 名医か ヤブか たった 一言 異常なし」

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②後楽園ドーム
・・・・・・・・・・・設計は竹中工務店と日建設計、施工は竹中工務店により、昭和63年(1988)に竣工した初のドーム球場。 工費は約350億円。、、、、、東京ドームが完成したころ、巨人は王監督の時代で、私はゼネコンに勤務していた。 試合のないときドーム球場を見に行き、王監督の監督室を見せてもらい、立派な机にビックリ。 スタンドには火災予防のため、各所に消火用放水銃があり、その威力にビックリ。 ドーム内は気圧を上げ膨らませてるので、出入口の回転ドアがグルグル回り、ビックリ。 なにせ、出来たころは驚いたものだ。

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・・・・・・・・・・・・・・隣の遊園地、私には怖くて乗れないジェットコースターから、黄色い悲鳴が聞こえてくる。

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③東京メトロ後楽園第2架道橋
・・・・・・・・・・・・地下鉄丸ノ内線後楽園駅に直結し、大手町方にある後楽園第二架道橋。 電車が顔を出すビルが後楽園駅。 丸ノ内線池袋~御茶ノ水間の開通は昭和29年(1954)である。 架道橋もこの時に竣工したものか?

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④後楽園第1アパート・第2アパート
・・・・・・・・・・地下鉄後楽園駅を挟み南北に建つ2つの都営住宅。 共に昭和33年(1958)の建設で、まだ“戦後”の当時ではモダン建築であったに違いない!

・・・・・・・・・・・・・・後楽園第1アパート、、、、、総戸数32戸で5階建て。 春日通りに面し、裏側は礫川公園である。

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・・・・・・・・・・・・・・第2後楽園アパート、、、、、総戸数24戸で5階建て。 ドーム球場の前に建つ。

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菊坂
・・・・・・・・・・・・樋口一葉の文学でおなじみの菊坂は、本郷4丁目と5丁目の境に位置し、白山通り西方交差点の東から本郷通り本郷3丁目交差点の北側に上る坂。、、、、、、今日は、一葉の世界の匂いをチョイと嗅いできた。 私の好きな路地・裏道を堪能!

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本郷3丁目の文化財
・・・・・・・・・・・・・・日本基督教団本郷中央教会と、旧近藤薬局(現:さかえビル)の前を通過。

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⑦湯島天神
・・・・・・・・・・本郷から湯島にでたら、チョイと、天神様に手を合わせて帰ろう!、、、、、、15年前、娘の受験で世話になったので、賽銭もチョッピリ奮発。 15年後は孫も受験、その時はヨロシク! 

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上野駅
・・・・・・・・・到着しました!

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●補足は蛇足・・・・・・・・・・・・・今日は、歩いた処が多く、コメントは少なめです。

2016年1月 6日 (水)

潮見

生まれながらに東京に住んでいるが、今だ下車したことのない駅が都内にも多く残っている。 その一つ、JR京葉線の潮見駅で下車してみた。 潮見駅から東西線東陽町駅まで、1万1千歩、8Kmの散歩です。

・・・・・・・・・・・・潮見とは、、、、、東京湾の埋め立てで広くなっていく江東区。 「潮見」もその一地域で、北は塩浜、東は新砂、南は辰巳、西は枝川の各埋立地と、運河を挟んで独立する埋立地である。 大正時代には埋め立てが始まり、昭和42年(1967)に工事は竣工した。 同年から、準工業地区として鉄工所、造船所などと、さらに一般の居住も始まった。 その潮見に埼京線の駅が開業したのは平成2年(1990)である。



①潮見駅
・・・・・・・・・・・都区内のJRの駅ではワースト5に入る利用客の少ない駅。(平成26年の一日当たりの乗車人数は、12,110人)、、、、、1面2線の高架駅で、改札は高架下にある。 

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②潮見の町
・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・駅前は、人影少なく静かで、タップリとゆとりあるロータリーが広がる。 東京駅から、たった3つ目の駅(乗車時間7分)とは思えない! 駅前にはコンビニが1軒、パチンコ屋は無し、喫茶店も無し、もちろん商店街も無し。

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・・・・・・・・・・・・・・ロータリーの前には、印刷、製本工場が並んでいる。

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・・・・・・・・・・・・・・さらに奥は、工場兼住宅と一般住宅が入り混じる下町的雰囲気の町となる。

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③都営住宅潮見一丁目アパート
・・・・・・・・・・周辺は臨海部で高層ビルがないため、潮見駅ホームからも良く見える、36階建の都営住宅。 平成13年(2001)に、清水建設他のJVによる施工で、竣工した。 1棟(482戸)の超高層は潮見では目立つ存在である。 ちなみに家賃は約100,000円。

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④カトリック潮見教会
・・・・・・・・・・・・潮見駅の南にカトリック潮見教会がある。 現聖堂は、親建会一級建築士事務所の設計、間組の施工で、昭和61年(1986)に建てられた。、、、、、、シンプルなデザインの小さな教会である。

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・・・・・・・・・・・・・教会の隅に北原玲子(さとこ)の像がある。、、、、、年配の人なら「蟻の街のマリア」と言えば、思い出す人が多いことでしょう。

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・・・・・・・・・・・・・蟻の町の話しとは、、、、、、戦後、職もなく、住む家もない人々が隅田川の言問橋の近くに集まって、「蟻の会」という共同体を作り、廃品回収で生計を立てていた。 墨田公園の一角にあった「蟻の町」と呼ばれたその地を、修道士と共に訪れた北原怜子は、その後たびたび訪問し献身的に蟻の町の子どもたちの世話をした。 しかし、怜子は次第に持てる者が持たない者を助けるという姿勢に疑問を抱くようになり、自ら「バタ屋」となって廃品回収を行うようになった。 怜子は「蟻の町のマリア」と呼ばれるようになったが、いつしか結核を患い、病状は悪化し、これ以上の治療方法がないことが判ると、蟻の町の十字架が立つ建物の小部屋に住み込んだ。 そこで、怜子は貧しい人々のために必死の祈りを捧げた。    蟻の町は都から立ち退きを求められ、代替地として「8号埋立地」(現在地の潮見)が提示された。 昭和35年(1958)1月19日には移転が決定し、その直後の1月23日に28歳の若さで怜子は息を引き取った。   蟻の町は当時の地名で枝川と呼ばれた埋立地(現在地の潮見)に移り、新しい教会も建てられた。 当時は京葉線もなく、何もない地で、繁華街からも遠く、廃品回収には難しいものがあった。 昭和40年代には、高度成長もあり、蟻の会の人々は少しずつ離れ解散となった。  その後、地名は「潮見」に変わり、聖堂はコンクリート造となったが、教会はいつも貧しい人の教会であったことを忘れずに、現在も居場所を見失った人を暖かく迎えている。

・・・・・・・・・・・・・・怜子が住んだ、言問橋際の蟻の町に最初(1951/5/11)に立てられた十字架。

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・・・・・・・・・・・・・昭和38年(1963)頃、現在地に建てられた教会。

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⑤砂潮橋・
・・・・・・・・・・江東区潮見2丁目と新砂1丁目を結び、曙北運河に架かる橋。 昭和48年(1973)に架けられた、橋長:90.5mの3径間鋼製ガーター橋。

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●・・・・・・・・・・・・砂潮橋を渡り、新砂の町から明治通りを北上し、東陽町駅に着いた。

2016年1月 5日 (火)

浅草橋~泉岳寺

今日は、我が家(浅草橋)から、ひたすら国道(江戸通り、中央通り、第一京浜)を歩き、都営浅草線の泉岳寺駅まで、1万6千歩、12kmの散歩です。


●am7:50
・・・・・・・・・我が家を出発。、、、、駅から勤務先へ向かうサラリーマン、早朝出勤ご苦労さま!

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・・・・・・・・・・・・・・浅草橋駅前をとおる「江戸通り」。 正式名称は国道6号。

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・・・・・・・・・・・・・・神田川に架かる浅草橋は、江戸城の浅草御門で見附門と言われ、寛永13年(1636)にできた。 現在は、御門も石垣もなく、橋の際に見附跡を示す碑が建っている。、、、、、現在の橋は昭和5年(1930)に竣工した。

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am8:30・・・・・・・・・室町3丁目交差点。、、、、、江戸通り(国道6号)と中央通り(国道17号)が交差する。 写真の中央奥へ向かうのは中央通り、手前を左右に向かうのは江戸通り。 右の超高層ビルは「日本橋三井タワー」、左手前の低層ビルは取り壊し中の「JPビル」。

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・・・・・・・・・・・・・・昭和50年(1975)2月に竣工したJPビル。(2011年撮影)

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・・・・・・・・・・・・・江戸通りから来て交差点手前にある「ニューカワイビル」玄関の彫刻。 コロンビアの抽象芸術家:Fernando Boteroの作品「母と子」(ブロンズ像、1988作)の像。、、、、、“可哀そう!”と思う前に、“大丈夫か?”と思う。

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・・・・・・・・・・・・・開店前の三越、、、、、、玄関で「ライオン像」が客を迎えるルネッサンス式建築の三越本館。 昭和10年(1935)の完成は、当時では国会議事堂、丸ビルに次ぐ規模であった。、、、、建物を見た人は、ビックリ、シャックリ、ブギウギ ♪ しっくり、かえって、ぽっくり ♪

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am8:45・・・・・・・・・日本橋に到着、、、、、橋を通る道路は「中央通り」だが、橋の北側は国道17号、南側は国道15号である。(正確には、国道1号・20号・4号・6号・14号の起点でもある) 御存じ、起点は橋の中央に埋め込まれた道路元標の中心である。、、、、、橋の際に、道路元標の複製がある。、、、、、現橋の完成は明治44年(1911)。

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・・・・・・・・・・・・・・昨年2月に、「COREDO日本橋」の前に完成した「東京日本橋タワー」は地上35階/地下4階の超高層ビル。

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・・・・・・・・・・・・・「東京日本橋タワー」の隣りでは、高島屋と一体となる31階建てのビルを建設中。、、、、、、大きく変貌する日本橋地区だ。

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am9:15・・・・・・・・・京橋跡に到着、、、、、高速の下に明治・大正それぞれの京橋の親柱が残されている。、、、、その一つ、大正11年(1922)に竣工した京橋の親柱である。、、、、、親柱の後ろは、映画館:テアトル東京の跡地で、「ホテル西洋銀座」などもあったが取り壊された。、、、、、日本橋・銀座が、どんどん変わっていく、寂しいね。

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・・・・・・・・・・・・・銀座の店はまだ開店前、アップルストアでは朝礼中。

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am9:30・・・・・・・・・銀座4丁目交差点、、、、、、、いつのまにか、中に入る機会がなくなった三愛ビル。、、、、、和光ビルと競う4丁目交差点のシンボル。 昭和38年(1963)に竣工したビルで、オープン当初は連日多くの人が入店し、狭い店内に三愛の女性用水着などを陳列し、若い私にはチョイと辛いビルだった。 その印象が強く残り、いまだに入ることを躊躇するビルとなった。 

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・・・・・・・・・・・・・・まだ、爆買ツアーが来ていない、静かな銀座を早く抜けよう!

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am9:40・・・・・・・・・新橋跡を通過、、、、、、、新橋の親柱、銀座の柳を横に見て私は先を急ぐ。 

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・・・・・・・・・・・・・JR山手線の煉瓦造りのガードを抜ける、、、、、、明治時代の煉瓦造の高架橋が渋い味を出している。

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am10:10・・・・・・・・・大門交差点を通過、、、、、、この辺りはオフィスビルが並び、年始の挨拶まわりする、サラリーマンの集団とすれ違うことが多い。 何だか、10年程前の自分のサラリーマン時代を思い出し、『あの人に似た営業マンがいたな! あの2人づれは上司と部下か? こっちのペアは同期入社の仲間だな?』、思い出し、想像して歩く。

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am10:30・・・・・・・・・三田を通過、、、、、、「第一京浜」と「日比谷通り」がぶつかる、三田の交差点角に、「港区立港勤労福祉会館」がある。、、、、、昭和50年頃の建物か、周辺の建物とは不釣合で、国道に面した立地に低層の味気ないビルだ。 そろそろ、建て替えの時期かも?

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・・・・・・・・・・・・・・三菱自動車のビルの前に「江戸開城 西郷南洲 勝海舟 会見之地」の碑が建っている。 このあたりは薩摩藩所有の蔵屋敷で、慶応4年(1868)、江戸城開城に向け勝海舟と西郷隆盛が会見したところである。、、、、、きっと屋敷から海が見え、焼き蛤で、酒を酌み交わしての会談だったか?

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・・・・・・・・・・・・・・日本船舶振興会元会長の笹川良一を記念した建物「笹川記念会館」で、正面玄関脇に笹川良一が母を背負い親孝行を実践している姿の銅像が建っている。、、、、、いろいろ、評価、批評された方だが、親孝行は誰もが納得するだろう。、、、、私も、我が母が階段を一気に下りられるように、バナナの皮でも置いてあげようと思っているが、なかなかチャンスはやってこない!

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am10:45・・・・・・・・・泉岳寺駅に到着、、、、、、浅草橋の我が家から、約3時間で都営浅草線泉岳寺駅に到着。

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・・・・・・・・・・・・・・地下に潜る前に、駅前に在る高輪大木戸跡 に立ち寄って帰ることにした。、、、、、、ここの石垣に、実は几号水準点 があるのだ。 知る人も、見た人も少ないと思われる。 その真相は、水準点が国道の車道側にあり、チョイと危険なので、見るには勇気がいる。

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2016年1月 4日 (月)

亀戸遊園地

今日は仕事始め、私も近所の挨拶まわりで、チョイと忙しかった。

夕暮れ近くにって、亀戸遊園地方面(現:江東区亀戸3丁目)に行ってきた。 JR亀戸駅から都営浅草線押上駅まで、1万1千歩、8Kmの散歩です。

・・・・・・・・・・現在の亀戸3丁目の亀戸天神裏(北側)には、戦前は遊郭や玉の井に並ぶ私娼街があった。 しかし、これらの街は戦災で全滅し、戦後、遊郭は廃止され、私娼街は「カフェー」、「特飲街」なる「赤線」変わって行ったそうだ。 そんな亀戸3丁目には、「亀戸遊園地」と呼ばれる一帯があり、アダルト向けの街を形成していたそうだ。、、、、「後楽園遊園地」のように子供づれでは行けないところ。


亀戸香取神社
・・・・・・・・・・・・亀戸天神より、少々小粒な神社である。 でも見所は多く、スポーツ振興の神様、こんにゃく神輿、亀戸七福神の大黒・恵比寿の像、“亀戸”由来の亀ヶ井、亀戸大根の碑、木遣音頭碑、などなど、、、、、今日は、七福神めぐりで参拝客でにぎわっていた。

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・・・・・・・・・・・・・・神社の東側の玉垣には、忘れ去られたか、「亀戸三業組合」の名が読める。

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②梅屋敷伏見稲荷神社
・・・・・・・・・・香取神社の北西、枝振りの良い梅の木が数本ある、細い裏道のお稲荷さん。 神社は梅屋敷と呼ばれた梅の名所に祀られていたが、梅の木は枯れ神社だけが残された。、、、、、七福神めぐりの人も立ち寄らない、静かなお稲荷さんだ!

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③普門院
・・・・・・・・・・・香取神社と亀戸天神の間に位置する、真言宗智山派の普門院(ふもんいん)。 大永2年(1522)に武蔵国豊島郡石浜(現在の荒川区)に創建されたと伝えられ、元和年間(1615~1624)に現在の地に移った。、、、、、本堂は廃寺のように荒れ、住職は居ないのか、疑ってしまう。

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・・・・・・・・・・・・・こちらの寺には、亀戸七福神のうち毘沙門堂内に毘沙門さまのお姿を見た。、、、、、今日も参拝する人がいたが、寺の人が見当たらない、お札も売っていない???

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・・・・・・・・・・・・寺には、歌人/小説家:伊藤左千夫の墓がある。、、、、、伊藤左千夫は明治法律学校(現:明治大学)を中退、私は明治大学を卒業。 だから、どうだと言うのだ!

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亀戸天神
・・・・・・・・・・ご存じ、学問の神様:亀戸天神。 寛文元年(1661)の創建。 今日は、受験生などが参拝し、お札、お守りを求める姿が見られた。

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・・・・・・・・・・・・・・境内中央、太鼓橋の傍らに「大阪南地 明月楼 堀江 辻川」と彫った碑が、何の説明もなく置かれている。 “大阪南地”、“堀江”は昭和初期まで隆盛を極めた「大阪四花街」の内、二つの地区である。(残る二つは“新地”と“北新地”)、、、、、明月楼は、この地に在った遊郭か? 料亭か? ひょっとすると中華料理屋か?

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・・・・・・・・・・・・・・・境内に建つ、江戸懐石の若福。 花街時代からの老舗料亭だったそうだ。、、、、、建物は、昭和23年(1948)から10年かけて、各地から取り寄せた銘木で作られている。 

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⑤天神裏の建物
・・・・・・・・・・・・・・亀戸天神の裏(北側)に残る、チョイと古そうな、チョイと“遊園地”風な、チョイと興味が沸く沸くの建物

・・・・・・・・・・・・・天神裏の元料亭。 横から見ても元料亭。

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・・・・・・・・・・・・・・元料亭前の料理屋「寿々代
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・・・・・・・・・・・・・・料理屋前に建つ、入母屋の屋根の元見番。 元見番は現「亀三天神町々会館」。、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・元料亭前の天神湯。、、、、、経営者は変わったが、戦前から営業しているらしい。 現建物は昭和43年(1968)の改築。、、、、天神湯の裏手には、かってカフェー街が存在していたそうだ。 残念だが、私はまだ小学校に入るか、入らないかの時代で、自分の眼で確認はできなかった。

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・・・・・・・・・・・・・天神湯の裏手には、チョイと古い木造モルタルの2軒長屋が数棟並び建っている。、、、、、カフェー街の名残りか?

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・・・・・・・・・・・・・天神湯からカフェー街と思われる処を北へ進むと、木製ドアが施錠された元アパート「三富荘」がある。、、、、、取り壊しを待っているかのようだ!

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・・・・・・・・・・・・タイル貼りの柱・腰、狭い玄関、アーチ型の窓、、、、、カフェー建築の特徴をしっかり残す建物だ。

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・・・・・・・・・・・・・・歴史を感じる理容「ナグモ」。、、、、月曜日は定休日。

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⑥天祖神社
・・・・・・・・・・推古天皇の時代に建てられたらしい古~~い、古~~い神社。 境内には亀戸七福神:福禄寿が祀られている。

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・・・・・・・・・・・・・天祖神社の裏(北側)には、かつて“柳島”という都電の停留所があり、「亀戸遊園地」の入り口に位置していた。 遊園地で遊ぶお客さんは、都電24番で上野・浅草方面から、23番では月島・深川・両国方面から、電車一本で来ることができた。、、、、、神社の玉垣には、「城東三業組合」と「亀戸遊園地」の名が刻まれている。、、、、、「遊園地」は、現代用語では“楽天地”、“楽園”、“パラダイス”と解釈し、早い話しが戦後の赤線。、、、、、遊園地には年間のパスポートチケットは無かったようだ。
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・・・・・・・・・・・・・・天祖神社の裏は北十間川が流れ、写真右側の広い通りが「浅草通り」で、かつて都電「柳島」停留所があった。 左側は墨田区文化で都営団地が並ぶ。

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⑦スカイツリーのシルエット
・・・・・・・・・・・・

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2016年1月 1日 (金)

西新井大師

今年は娘が本厄で八方塞の運気を打破すべく、妻と娘を引き連れ初詣は西新井大師へ行ってきた。 寺に詣でた後は西新井まで歩き、8千歩、6㎞の散歩、、、、、平成28年のスタートをきった。

大師線 ・・・・・・・・・大師線(だいしせん)は、西新井駅と大師前駅を2両連結の電車で結ぶ、全長:1㎞の東武鉄道の単線路線である。 昭和6年(1931)に、伊勢崎線の西新井駅と東上本線の上板橋駅を結ぶ計画路線の一部として、西新井~大師前間1.1kmが開業した。 その後、上板橋までの延伸はなくなり、一駅間の盲腸線となっている。、、、通常は1本の電車が折り返し運転しているが、今日は稼ぎ時とあって、2本の電車で運転し、駅員も増員していた。 

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・・・・・・・・・・・・・松竹梅と猿を背景に“賀正”を表示したヘッドマーク。

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②行列
・・・・・・・・・・参拝客は大師前駅の前から、警察官の誘導に従い行列をつくり、待たされ、歩かされ、また待ったされ、また歩かされ、ダラダラ、30分で境内に入る。 (普段は5分くらい)

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西新井大師
・・・・・・・・・・・・本堂前でも「しばらく お待ちください」に従う。、、、、こんなに混んでいると“ヤバイ!” 妻と娘に「スリに気をつけろよ」、自分には「痴漢に注意しろよ」と気を引き締める。 

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・・・・・・・・・・・・・本堂では、賽銭投げて、手を合わせるのがやっと! 近くに、弁天様、観音様がいないか、キョロキョロする間もなく、人の流れに乗って放り出された。、、、、、「あれ!妻と娘がいない」と、一瞬喜び。 しばらすると、笑顔がみえ、ガッカリさせられた。 

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・・・・・・・・・・・・・お守札、おみくじ売場、、、、、「家内安全」のお札を買う前に、怪我するかも? 「交通安全」のお札を買ってからにしようか?

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・・・・・・・・・・・・・参拝を済ませた人は、正面の山門を通り抜ける。

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・・・・・・・・・・・・参道では、一年分の生活費を稼ぐつもりか、草だんご屋さんがフル稼働。

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・・・・・・・・・・・・・一枚一枚手焼きの煎餅を売る浅香家さんも、今日は忙しい。、、、、、三人で硬い硬い「馬目焼」という醤油煎餅を買い、一枚ずつ食べながら西新井駅まで歩いた。 娘は途中までで完食、妻は半分でギブアップ、私は三分の一で入れ歯に挟まり『ギャー! イテテ・イテテ・イテテ~~オ』 さっそく大師のご利益か、娘の厄が、私に転移した!

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