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2016年2月 9日 (火)

船橋市本町の4寺

稲毛へ行った帰り船橋で下車し、本町3丁目の寺にある四つの寺院を見てきた。 8千歩、6㎞。

船橋市本町3丁目は、南側に千葉街道、北側に船橋のメインストリート“本町通り”、東側には海老川が流れ、西側にはJR駅前から伸びる“駅前通り”、大きな通りと川に囲まれた、チョイと傾いているがほぼ矩形の町である。 ただし、町の中は細い道が多いゴチャゴチャした町である。 地図で見ると、ここに7寺院の名を見つけることができた。、、、、、、なんとなく、寄ってみたい“町”だった。



①浄勝寺
・・・・・・・・・・・・・駅前通りに面した、本町3丁目の寺院では一番大きな本堂の寺。、、、、、浄土宗増上寺の末派で、西光山と号す。 明応5年(1496)に開基し、天正19年(1591)には徳川家康より寺領10石の朱印状を拝領した。、、、、、現在は、広い境内に幼稚園を併設している。、、、、、信州・善光寺の別院にもなっており17年ほど前に善光寺を模した唐破風の向拝の本堂を再建した。 ついでに、漬物屋、蕎麦屋なども模して、参道をにぎやかにしてほしいね!

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・・・・・・・・・・・・・境内の一隅に「お女郎地蔵」が祀られていた。、、、、、私は、この手の地蔵さんには目ざとく、その由来を調べてみた。、、、、、昔、常陸国(今の茨城県)の18歳ぐらいの気品ある女性(越後新発田藩主の落胤?)が行き倒れとなり、元は別の場所に墓があったが、なぜか浄勝寺が引き取ることになった。 それが江戸時代になってお女郎地蔵として、浄勝寺近くの新地の遊女の信仰を集めるようになった。 “下の病”に効くという霊験あらたかな地蔵として信仰を集め、“下の病”に悩む多くの遊女たちが参った。、、、、、、境内の祠の中央に、板碑の形をした墓塔があるこれが「お女郎地蔵」である。 左の地蔵様は、客寄せ“パンダ”かも?、、、、、、、いつの間にか「お上臈地蔵」が「お女郎地蔵」に変身したようだ!

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②不動院
・・・・・・・・・・浄勝寺境内の本堂脇の細い道を突っ切ると、本堂裏の参道に出る。 その参道の北側に、真言宗豊山派の海應山不動院がある。 江戸時代中期以前の創建といわれている。

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・・・・・・・・・・・・・門前に大仏(?)の石像が祀られている。 この大仏追善供養について、掲示板には以下のように説明されていた。、、、、『船橋の海は、江戸時代初めことから半ば近くにかけて幕府に魚介を献上する「御菜浦」とされた好漁場でした。 元禄16(1703)年の大地震による海底地形の変化などで、翌年から魚介の献上は中止され、代金納になりました。その後この漁場を巡って、近隣(堀江・猫実・谷津・鷺沼など)の漁師たちと多くの争いが起こりました。 文政7(1824)年、船橋村と猫実村(現在の浦安市)との漁場の境界を巡る争いが続いていた時、船橋漁師の占有漁場の船が侵入してきました。その中に、一橋家の幟を立てた船があり、乗っていた侍を船橋の漁師が殴打し、幟を奪ってしまいました。大きな事件であったことから、船橋の猟師総代3名が入牢させられました。1名は牢死し、1名は牢を出て間もなく死亡しました。そのため、延享3(1746)の津波による溺死者と、漁場を守り死んでいった漁師総代の供養をあわせて行うようになったのです。 大仏追善供養は事件の翌年の文政8(1825)年以来、毎年1月28日(明治以降は2月28日)に行われるようになりました。本来この大仏は、津波によって溺死した漁師や住民の供養のため、延享3年に建立された石造釈迦如来坐像です。供養の日には、炊き上げた白米の飯を大仏に盛り上げるようにつけます。これは牢内で食が乏しかった苦労をなぐさめるためといわれています。』

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③覚王寺
・・・・・・・・・・・不動院門前の道を東へ行って右に曲がると(行く人は地元の人に聞いてね!)、真言宗豊山派の覚王寺がある。 創建年代等は不詳であるが、江戸時代には寺はあったそうだ。、、、、本堂は鉄筋コンクリート造で建て替えられた。

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④円蔵院
・・・・・・・・・・・覚王寺の東隣りにある真言宗豊山派の円蔵院。 号は海岸山である。 この寺も、創建年代は不詳であるが、江戸時代中期以前の創建と言われている。、、、、、新しい本堂では、入るとお不動様が迎えてくれる。

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・・・・・・・・・・・・・・本堂前の地蔵堂に「えんが地蔵尊」が祀られている。 堂の中央で、お高そうな赤い衣をまとい頭上にはキンキラキンが輝き、道端の赤いアブチャンを付けた地蔵尊とは格が違うようだ!、、、、“えんが”とは“因果”のこと。

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