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2016年2月16日 (火)

市ヶ谷~早稲田

JR中央線の市ヶ谷駅から東京メトロ東西線の早稲田駅まで、1万1千歩、8kmの散歩です。

市谷亀岡八幡宮 ・・・・・・・・・・外濠を挟み市ヶ谷駅の向かい側に鎮座する八幡宮。 神社は太田道灌が文明11年(1479)に、鎌倉鶴岡八幡宮の分霊を、江戸城西方の守護神として勧請したのが始まり。、、、、、、現社殿は昭和37年(1962)に再建されたものである。

・・・・・・・・・・・・外堀通りから急な階段を上り、文化元年(1804)建立の銅鳥居をくぐると社殿。

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・・・・・・・・・・・・・・ここ亀岡八幡宮にも几号水準点 が残されている。 境内にある手水鉢の左側面に几号水準点である“不”字に似た形が彫られている。

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・・・・・・・・・・・・・・急な階段の中程に、当地に古くからあった茶の木稲荷(境内社)が祀られている。、、、、、階段も、年とると一気に上がるのがつらいので、稲荷詣でにかこつけて途中でひと休み!

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②桝箕稲荷神社
・・・・・・・・・・・靖国通りを挟み、防衛省前の新宿区坂町に、町の鎮守様、桝箕稲荷神社(ますみいなりじんじゃ)がある。 元和年間(1615~1624=江戸時代初期)に創建され、当初は「真須美稲荷」と称していたが、稲を司る神様ということから稲穂にちなみ「桝箕(ますみ)」と称されるようになった。、、、、社殿は戦災で焼失し、昭和34年(1959)に現社殿を造営した。、、、、神社の鳥居の正面には道路があり、社殿裏側にも道路があり、境内は道路の一部と化したようだ! 知らない人は、邪魔な神社と思うかも! 街路灯もあり、24時間通行可。

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③余丁町通り
・・・・・・・・・・・通称「余丁町通り」と呼ばれている抜弁天交差点(都営大江戸線東新宿付近)から住吉町交差点(都営新宿線曙橋駅付近)までの道路は、都道302号線(=靖国通り)の支線である。 数年前に道路が拡張され、明るい通りだ。

・・・・・・・・・・・・・・住吉町交差点から「台町坂」と呼ばれる坂を上る。

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・・・・・・・・・・・・・・通りの中程に、「余丁町児童遊園」がある、どこにでもある公園だ。 この公園は南側で、小さな「富久町児童遊園」と接し、連続した広い公園となっている。 

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・・・・・・・・・・・・・・「富久町児童遊園」の片隅に「東京監獄市ヶ谷刑務所 刑死者慰霊塔」が建立されている。、、、、、明治36年(1903)、現東京駅近くの鍜治橋にあった「東京監獄」は、東京駅建設に伴い富久町に移転した。 大正11年(1922)には「市谷刑務所」と改称した。 市谷刑務所では未決囚を拘置し、裁判所へ送致することが主な目的であったが、その後既決囚を収容するに至り、死刑囚の収監と処刑も行っていた。 ここでは、斬首場が設けられ300人あまりが処刑されたそうだ。 昭和12年(1937)、巣鴨刑務所の跡地に移転し、「東京拘置所」と改称し、市谷刑務所は閉鎖された。、、、、慰霊塔は昭和39年(1964)に日本弁護士会が建立したものである。、、、、、、明治時代には、市谷刑務所の東側(現在の台町坂のあたり)に「市谷監獄」があり、“刑務所”と“監獄”が併存していたそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・話題は変わり、、、、、「東京都道環状第4号線」の一部として、若松町から伸び、若松河田駅前で分岐し、余丁町通りと余丁町児童公園前で交差し、公園を横切り、富久町西で外苑西通りに繋がる道路が整備中である。 この道路は富久町の東京監獄跡を通るように計画されている。、、、、また新しい道路ができ、歴史の一部は壊されていく。

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・・・・・・・・・・・・・余丁町12に在る出世稲荷神社。 神社は、長禄元年(1457)、太田道灌が「郭向の岡」と呼ばれていた地に創建し、大永6年(1526)遠山左衛門尉直影が現在地へ遷座した。、、、、社殿等は戦災で全焼し、現社殿は昭和47年(1972)に再建された。、、、、、道路工事の対象区域からは、チョイとズレており移転はする予定はないようだ。、、、、、“出世”の御利益、期待できるのか? 怪しいね!

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④内藤多仲博士記念館
・・・・・・・・・・・・大江戸線若松河田駅の近く、余丁町小学校の北側に、東京タワー、通天閣など多くの塔の設計を手掛けた建築構造学者:内藤多仲(ないとう たちゅう、1886~1970)博士の自邸跡がある。 建物は博士の死後、早稲田大学へ寄贈され、昭和61年に生誕百年を記念して内部が一部改築され、展示室となっています。(通常は非公開)、、、、、、内藤多仲自邸は大正15年(1925)に建設され、「耐震壁」のモデル住宅として有名です。 意匠設計は木子七郎、構造設計はもちろん内藤多仲による。、、、、、泥棒も入りにくい鉄の門扉が閉じられており、門の外からパチリ。 内部もぜひ見てみたいね!

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⑤国立国際医療研究センター
・・・・・・・・・・新宿区戸山に在る、平成22年(2010)に開所した国立の高度医療を専門とする大病院。 エイズ・HIV・メタボなどの研究に期待されている。、、、、、建物は平成22年(2010)、日建設計の設計、大林組の施工で竣工した。 地下2階/地上16階建て、約800床を有する病院。、、、、、エイズで入院は嫌だが、一度体験入院してみたいね!

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⑥陸軍戸山学校将校集会所跡
・・・・・・・・・都営戸山ハイツの隣接して戸山教会の建物がある。 この教会の下層(基礎のような石積みの部分)は、半地下式の旧日本陸軍戸山学校の将校集会所だった。 当時は上部の教会部分はなかったので、地上に半分顔を出した要塞のような造りだった。、、、、、この周囲には、かつて陸軍病院、戸山ヶ原射撃場、陸軍医学校などもあった。

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・・・・・・・・・・・・・・・ちょうど、園児の帰宅時間で若いお母さんがママチャリでお出迎え。 私は気の弱い男で、特に美人に弱く、幼稚園のママは苦手である。 教会の前をウロウロしていると怪しまれるので、写真を撮るのもあきらめた。

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⑦戸山ハイツアパート
・・・・・・・・・・この地(新宿区戸山2)には、元々は陸軍戸山学校が開かれ、戦後は米軍に接収され、昭和24年(1949)には兵舎が払い下げられ木造住宅が建てられていた。 昭和45年(1970)から現在のコンクリート式の団地として建替えられた。、、、、、約3000戸から成る大規模団地だが、緑豊かで、山手線内で利便性は良く、環境としてはもんくなし。

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