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2016年4月27日 (水)

浅草橋~南千住

我が家(浅草橋)から、国際通りを抜けて南千住まで、1万3千歩、9kmの散歩です。



①江戸通り
・・・・・・・・・・浅草橋駅前をとおる「江戸通り」は、千代田区大手町2丁目から室町三丁目交差点、浅草橋駅前、蔵前一丁目交差点、浅草駅前(東武伊勢崎線)、言問橋西詰までの道路の通称である。、、、、、今日歩いた、浅草橋から蔵前にかけては、日本を代表する問屋街で人形、玩具、文具、ビーズ、手芸、クラフト、造花など、見て楽しい、触って楽しい、買って楽しい、壊してガッカリのワクワクする街である。、、、、、“若い二人の散歩道”である、大手町から浅草まで全長約4.8kmの江戸通りに、“有ってあたまえだが、無いものがある、何~~だ?”。 その答えは、江戸通りに面してスターバックスが一軒も無いのだ! ドトール、ヴェローチェ、サンマルクはあって、スタバの無い、完全なる空白地帯である。 

・・・・・・・・・・・・・・浅草橋駅前、、、、、、通勤時間帯となってきた!

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・・・・・・・・・・・・・・私の住む町の古社:須賀神社、、、、、、創建は推古天皇の御代(600年代)とのこと。

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・・・・・・・・・・・・・・・街角の大木:メタセコイア

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・・・・・・・・・・・・・・蔵前一丁目交差点

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・・・・・・・・・・・・・・・蔵前二丁目交差点、、、、、、蔵前2丁目で江戸通りは二手に分かれ、右は、東武鉄道の浅草駅方面に向かう。 左は、「国際通り」でつくばエキスプレスの浅草駅方面に向かう。

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②国際通り
・・・・・・・・・・・・・蔵前二丁目交差点で江戸通りから分岐した「国際通り」は、昭和通りとぶつかる三ノ輪交差点までの約3kmの道路の通称。 名前の「国際」は、SKD(松竹歌劇団)の本拠地:国際劇場があったことに由来する。、、、、、、私の散歩も、今日は国際通りを歩くことにした。

・・・・・・・・・・・・・・タイガービル 、、、、、、、蔵前4丁目、昭和9年(1934)に建てられた集合住宅。 台東区内に現存するビルの中では最も古く、有形文化財に指定されている。、、、、、このビルを見ると思い出すのは、“何にでも効く”と言われた中国の軟膏「タイガーバーム」である。 昭和55年頃、“何にでも効く”効能を信じ、男性の勃起を助けてくれると期待し、買い求める人が多かった。 今では、日本向けは製造しておらず、国内で入手するのは難しいそうだ。 そろそろ、私も欲しくなるかも?

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・・・・・・・・・・・・・・国際通りは、春日通り、浅草通りと交差し北上する。

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・・・・・・・・・・・・・・雷門一丁目交差点、、、、、、国際通りに「雷門通り」(その名のごとく雷門前の通り)がぶつかる交差点。 、、、、この写真を撮った位置に、今は無き「仁丹塔」があった。、、、、仁丹塔とは、浅草のシンボルで関東大震災で倒壊した「十二階」:凌雲閣を模して昭和7(1932)年に建てられた仁丹の広告塔。 戦時中は金属回収の対象とされ、塔は撤去されたが、昭和29年(1954)に再建され、昭和61年(1986)に建物の老朽化の為、塔は取り壊された。 塔も懐かしく思い出すが、♪♪ジンジン仁丹ジンタカタッタッタ♪♪のCMも懐かしい、そして一番懐かしいのは、タバコ屋で売っていた緑のケースに入った銀の小粒。 中年のサラリーマンが一服した後、胸ポケットからケースを出し、仁丹を4、5粒口に含み、満足した顔。 今は見られぬ、懐かしき光景!

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・・・・・・・・・・・・・・浅草ビューホテル、、、、、昭和60年(1985)、国際劇場跡地に建てられた、高さ:108m、地上28階/地下3階、客室数342室のホテル。、、、、SKD(松竹歌劇団)のラインダンス、思い出すとワクワク、これまた懐かしいね!

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・・・・・・・・・・・・・国際通りをひたすら歩いていたが、言問通りとの交差点を過ぎたところで、横道に入り吉原神社 にお立ち寄り。、、、、、吉原遊女の悲しい祈りや願いを思いつつ、手を合わせてきた。

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・・・・・・・・・・・・・・ふたたび、国際通りに戻り、“酉の市 発祥の神社”である鷲神社と、“酉の市発祥の寺院”である長國寺に参り、閑散期の境内をチョイと拝見。、、、、酉の市では店が出る場所は、普段、駐車場となっており、年数回の市のため場所が確保されている。

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・・・・・・・・・・・・・・鷲神社の賽銭箱の上には「おかめ」がのっている。 “なでおかめ”で、悪い処をなでると、良くなるそうだ。、、、、、私も願いをかけてきた。 おでこを撫でて賢くなり、左の頬を撫でて健康になり、鼻を撫でて金運を願い、嗚呼、面倒だ! 顔全部撫でてきた。

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・・・・・・・・・・・・・「国際通り」が「昭和通り」に合流する三ノ輪駅前。 歩道橋から見る、歩いてきた国際通り。 

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・・・・・・・・・・・・・・歩道橋上で振り返り、昭和通りを見る。

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③昭和通り
・・・・・・・・・・・国際通りとの合流点から、200m程北東に進むと大関横丁交差点である。 昭和通りは、港区新橋交差点から、ここ大関横丁交差点までである。、、、、、200m歩き、大関横丁交差点に出た。

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④日光街道
・・・・・・・・・・・大関横丁交差点から先は日光街道となる。 これより、台東区から荒川区に移る。


・・・・・・・・・・・・・・梅澤写真館、、、、、、、日光街道に面し、都電荒川線の停留場の入口ゲートのような役割を担う建物。 昭和2年(1927)に竣工した旧王子電気軌道の本社ビル。 王子電気軌道は明治44年(1911)に飛鳥山~大塚間を、大正2年(1913)に飛鳥山下~三ノ輪間を開通させた。 現在の荒川線を誕生させた会社だ!

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・・・・・・・・・・・・・円通寺
、、、、、、、、円通寺は南千住1丁目の曹洞宗の寺院。 延暦10年(791)に坂上田村麻呂によって、開かれたと伝えられている。 慶応4年(1868)の上野戦争の際には、戦死した彰義隊隊員を住職が火葬しそうで、境内には隊員の墓、銃弾で穴の開いた寛永寺の黒門などがある。、、、、、本堂は、ナンダ? コリャ!

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・・・・・・・・・・・・・・・日光街道はここまでとして、南千住駅へ向かう。



⑤栗友亭跡
・・・・・・・・・南千住7丁目の雑貨屋「栗本」(現:栗本商店)は、亡くなられた経営者:栗本友爾氏が、昭和30年(1955)に開場した「演芸場栗友亭」の跡。、、、、、栗友亭は東京漫才界の悲願であった定打寄席となり、後に「東京漫才発祥の地」と呼ばれる。、、、、、昭和30年頃に、リーガル千太・万吉を会長に “東京漫才研究会“が結成され、 コロンビアトップ・ライト、 内海桂子・好江、 獅子てんや・瀬戸わんやなどのコンビが演芸に出るようになった。 だが当時は、既設の寄席は落語が中心であり、漫才を演じる場が少なかった。 昭和32年、栗友亭が漫才の定打寄席となった。 しかし、低料金の寄席は経営が難しく、昭和34年(1959)には幕を下ろした。 残念であるが、短命な演芸場であった。

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