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2016年5月29日 (日)

木下街道 (下総中山~船橋法典)

先日、中山競馬場の方向へ歩くつもりが、法華経寺の方角へ向かってしまった。 その時、帰宅後、地図を見たら、競馬場の近くに「木下街道」が通っていることを知った。、、、、、今日は、総武線の下総中山駅で下車し、「木下街道」の起点から街道を歩き、武蔵野線の船橋法典駅まで、1万1千歩、8kmの散歩です。

木下街道・・・・・・・・・木下(きおろし)街道は旧江戸川の本行徳河岸から八幡、鎌ヶ谷、白井を経て利根川の木下河岸(成田線木下駅近く)までの約9里の街道。 江戸時代中期(元禄の頃)、江戸の人口は100万人以上となり、江戸前の魚貝類だけでは供給が間に合わず、銚子沖で獲れた魚貝類を江戸に運ぶために整備された道である。 銚子で水揚げされた魚貝類は舟で利根川を遡り、木下河岸で馬に積み替え陸路で本行徳河岸まで運び、再び舟に乗せ替えて日本橋・小網町の河岸まで運ばれた。、、、、、、現在の木下街道は、「千葉県道59号市川印西線」で、千葉県市川市鬼越(鬼越二丁目交差点)を起点として、印西市大森(中ノ口交差点)を終点とする県道である。



①木下街道起点
・・・・・・・・・国道14号(千葉街道)の「鬼越二丁目交差点」が木下街道の起点である。

・・・・・・・・・・・・・国道14号(千葉街道)から見る鬼越二丁目交差点。

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・・・・・・・・・・・・・木下街道から見る交差点。 T型交差点の正面には、国登録有形文化財の中村家住宅がある。、、、、、車が文化財の住宅に突っ込んでいきそうだ!

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・・・・・・・・・・・・・中村家の前から見る木下街道。

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②中村家住宅
・・・・・・・・・・・・中村家は、明治時代には陸軍御用達の馬糧商(ばりょうしょう)を営み、大正時代になると味噌醸造業に転じた。 馬糧商時代の倉庫を転用するなどして、広大な味噌工場を有し、東京方面に出荷するほどの大規模醸造所であった。 敷地内に建つ、主屋、離れ、煉瓦蔵、土蔵、北蔵及び事務所、倉庫、稲荷社、防空壕、門及び石塀、これら全ては国登録有形文化財に指定されている。、、、、、、どの建物も、明治時代以降のものだが、たくさんあるので、できることなら、博物館にして公開して欲しいね。

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③高石神社
・・・・・・・・・・鬼越二丁目交差点から50m程北へ向かった地に鎮座する神功皇后を祀る神社。 創建年代は不詳であるが、室町時代の中期(1438年頃)以前らしい。

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④立体交差化
・・・・・・・・・・・現在、京成本線と木下街道は平面交差のため、踏切遮断による交通渋滞が著しく、また、歩道が狭く歩行者も危険なため、県は、平成11年(1999年)度から平成32年(2020)度にかけて立体交差化事業を進めている。 総事業費:約63億円で、踏切を挟み465mの区間で、幅員を36m程に広げ、車道を掘り下げ踏切の下を通すことにするらしい。、、、、、只今、用地取得中です。

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⑤泰福寺
・・・・・・・・・・・・京成電鉄の踏切を越えて、街道の裏を250m程北東に進むと、日蓮宗の泰福寺がある。 開山の僧:日寂はもと浅草寺(天台宗)の僧であったが、弘安年間(1278~1288)に富木常忍(とき じょうにん、1216~1299)によって日蓮宗に改宗し、泰福寺の開祖となった。、、、、、、遠い昔は改宗する僧は多かったようだ、今のサラリーマンも転職が多いからね。

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・・・・・・・・・・・・・・・泰福寺の境内を回るように、急な坂と塀で遮られた裏道がある。 その途中に、庭の木立に囲まれ、昭和初期の建築と思われる住宅:TA邸があった。

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⑥東山魁夷記念館
・・・・・・・・・・・・市川市中山1丁目、木下街道に面して建つ「東山魁夷記念館」。 この建物は、東山魁夷が、戦後、死去するまで暮らしていた自宅に隣接して建てられ、平成17年(2005)11月に開館した。 魁夷の留学の地:ドイツの雰囲気を意識した、八角形の塔のある西洋風外観の建物となっている。、、、、、、上野精養軒の直営のカフェレストランで、コーヒータイムと思ったが、時刻は9:00で開館1時間前、入ることもできず、“残念でした、またのおこしを!”

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⑦中山1丁目付近の木下街道
・・・・・・・・・・木下街道は、このあたりでは、市川市中山1丁目と市川市北方3丁目の境となっている。

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⑧北方十字路交差点
・・・・・・・・・・・・市川市若宮3、木下街道と千葉県道180号松戸原木線の交差点。、、、、、交差点の横には、中山競馬場があり、馬券を求めて今日も多くの人が“ご来場”。 交差点は混雑するぞ!

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⑨中山競馬場
・・・・・・・・・・中山競馬場の歴史は、明治40年(1907)、松戸競馬場が開設されたことに始まる。 大正7年(1918)に、松戸から船橋へ、大正12年(1923)には、現在地へ移転する。 昭和19年(1934)から昭和22年(1947)までは、日本軍、進駐軍などに接収され、競馬場は閉鎖された。 返還後、昭和29年(1954)には、日本中央競馬会中山競馬場となる。、、、、、今日は、中山でのレースは開催されていないが、馬券は売っている、中へ入ってきた。 本日は日本ダービー(東京競馬場にて)、馬券を求めてファンがゾロゾロ。

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・・・・・・・・・・・・・・熱心に新聞読む人、床に座って予想する人、階段で横になって考える人、、、皆さん熱心だ!

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・・・・・・・・・・・・・・・正門前に復元した旧正門:「メモリアルゲート」。
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⑩船橋法典駅
・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・競馬場を出て、船橋法典駅に向け、木下街道を歩く。

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・・・・・・・・・・・・・・船橋法典駅、、、、、、、昭和53年(1978)、国鉄の武蔵野線の駅として開業した。 ホームは掘割の下にあり、駅舎は掘割の上に在る。 島式ホーム1面2線。

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