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2016年6月12日 (日)

飯田橋~早稲田

中央線飯田橋駅の改良工事をじっくり見て、目白通りと早稲田通りに挟まれた、五軒町、中里町、天神町を抜けて地下鉄東西線早稲田駅まで、1万歩、7kmの散歩です。



①飯田橋駅
・・・・・・・・・明治27年(1894)10月9日に甲武鉄道の牛込駅が現在の飯田橋駅よりも新宿寄りに開業した。 翌明治28年(1895)4月3日には、現飯田橋駅より東京寄りに飯田町駅が開業した。 そして、昭和3年(1928)11月15日、牛込と飯田町の両駅を統合して、現在地に飯田橋駅が誕生した。

・・・・・・・・・・・・現駅は、島式ホーム1面2線の高架駅で、駅舎は東西に出入口がある。 傾斜している地形上にあるため、目白通りに面する東口は高架下に出入口がある。

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・・・・・・・・・・・・・早稲田通りの牛込橋に面する西口は、橋上駅舎となっている。、、、、、私が、昭和40年代から通勤で利用した駅だが、いよいよ建て替えられることになった。

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・・・・・・・・・・・・・西口改札からホームまでは長い斜路が続く。

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・・・・・・・・・・・・・ホームは半径300mの急カーブに造られており、ホームと電車の間には約30㎝程の広い隙間ができ、乗降の際には要注意。、、、、、ちなみに、高齢の私の母も数年前に電車から降りる際、転んだホームである。、、、、、JRはこの急カーブを解消するため、ホームを牛込橋(現:西口)の橋下よりもさらに市ヶ谷寄りの地点まで、約200m移動する予定だ。 完成時期は?

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・・・・・・・・・・・・・現在は準備工事で、線路脇に西口の仮駅舎を建設中。、、、、、工事は、前田建設工業と鉄建建設のJV。

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②飯田橋
・・・・・・・・・飯田橋駅東口を出ると北側に、目白通りと外堀通りが交差しさらに大久保通りが伸びる「飯田橋交差点」がある。 その直前に、目白通りが外堀を渡る「飯田橋」が架かっている。、、、、飯田橋が初めて架けられたのは明治元年(1868)で、簡単な 木橋であった。 その後、明治23年(1890)には鋼製の橋に架け替えられた。、、、、現在の飯田橋は関東大震災の復興橋梁として昭和4年(1929)に架けられた。、、、、外堀は橋の際まで暗渠化され、交差点は拡張され、橋の上には歩道橋が造られ、橋の全容を見るのは難しい。、、、、、、蛇足:飯田橋は神田川に架かってない。 神田川は飯田橋の直前で直角に折れている。 神田川に架かるのは外堀通りで橋名は「船河原橋 」。

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③熊谷組
・・・・・・・・・・・大久保通り、築土八幡町交差点角に建つ、ゼネコン:熊谷組の本社。、、、、、私が大学を出てゼネコンに入社した昭和44年(1969)頃の熊谷組本社は、いかにも土建屋らしい、石造りの塀に囲まれ、前庭の広い洋風住宅のような事務所であったように記憶している。、、、、、現本社の建物は、オリンピックも終わり、ゼネコンが近代化に向け取り組み始めた、昭和49年(1974)に竣工した。

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・・・・・・・・・・・・・「熊谷組」と聞くと、映画『黒部の太陽』を思い出す。 三船敏郎、石原裕次郎が共演し、“世紀の難工事”と言われた黒部ダムとそこに通じるトンネル工事の苦闘を描いている。 昭和43年(1968)に公開された。、、、、、大学生時代に私が見た、“男の中の男”、男が惚れるカッコイイ男、熊谷組石岡班の班長を裕次郎が演じている。 建築科の学生だった私が、土木に憧れた瞬間。

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④築土八幡神社
・・・・・・・・・・・熊谷組の斜向かい、新宿区筑土八幡町にあり、応神天皇、神功皇后、仲哀天皇を祭神とする八幡神社。 創建年代は不詳であるが、嵯峨天皇の代(今から約1200年前)武蔵国豊島郡牛込の里に住んでいた翁がご神託により松の樹を祀ったことにはじまるらしい。 その後、伝教大師が筑紫の宇佐の宮土をもとめて礎とし神像を彫刻して祠に祀ったことから筑土八幡と名づけられたそうだ。、、、、境内は約2200㎡の広さであるが、社殿は昭和20年(1945)の戦災で焼失した。 現本殿は昭和38年(1963)に熊谷組より寄進されたそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・社殿前に控える狛犬は、文化7年(1810)に奉納された。 

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⑤相生坂
・・・・・・・・・・築土八幡神社の北側:東五軒町は地盤が低くなっており、坂がいくつかある。 相生坂は、北から南に上り、東西2本の坂が並行している。、、、、、同名の坂が至近の位置にある珍しい坂。

・・・・・・・・・・・・・東側の相生坂、、、、、、、東側の相生坂は 新宿区白銀町と東五軒町の境界にある。

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・・・・・・・・・・・・・西側の相生坂、、、、、、、西側の相生坂は 新宿区赤城元町と東五軒町の境界にある。、、、、東側の坂とは、50m程の距離で並行する。

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⑥赤城神社
・・・・・・・・・・神社は正安2年(1300、=鎌倉時代)の創祀、群馬県赤城山麓大胡の豪族大胡氏が牛込に移住のさい、本国の鎮守であった赤城神社の分霊を祀ったもの。 最初は牛込早稲田村田島(現:早稲田鶴巻町)に鎮祭したが、弘治元年(1555、=戦国時代)に現在地に遷座した。 昭和20年4月の大空襲により、社殿などは一宇を残さず焼失した。、、、、、終戦後、昭和26年(1951)に本殿を復興し、最終的に拝殿、幣殿ができあがったのは、昭和34年(1959)であった。、、、、、さらに神社では、赤城神社再生プロジェクトを立ち上げ、平成22年(2010)の「本殿竣工例大祭」にて全ての工事を完了し、新しい姿となった。 境内の一部に分譲マンションを建て、その売却益で社殿を建設した。 このプロジェクトは新国立競技場を設計した建築家:隈研吾の設計による、杜と坂をイメージしたデザインと言われている。 施工は熊谷組である。

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・・・・・・・・・・・・・・境内社も新しく建てられた。 こちらも隈研吾のデザインか。

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・・・・・・・・・・・・・・・狛犬も新しいデザイン、チョイとマンガチックだ!
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⑦赤城下町
・・・・・・・・・・・・・・チョイと小高い位置にある赤城神社境内横の階段を下ると、新宿区赤城下町を東西に横切って、早稲田方面に伸びる道がある。 この道は、魚の骨のように、一本伸びており、そこから枝状に複数の道が分かれているが、ほとんどは行き止りである。 地図を見ると一目瞭然、面白い道だ!

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・・・・・・・・・・・・・枝分かれした路地の奥にある「あかぎ児童遊園」。 コンクリート造の象が二匹重なったすべり台、おもしろいデザインで気に入った!

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⑧渡邊坂
・・・・・・・・・・・山吹町交差点から 早稲田通りまで、比較的なだらかな坂道。 これと言った特徴もない、ごくありふれた坂。 なぜか、同姓だから、親しみを感じたようだ。、、、、、、江戸時代、坂の東側に旗本渡邊源蔵の屋敷があったのでこう呼ばれた。源蔵は五百石取りの御書院番で、寛文7年(1667)に市谷鷹匠町の屋敷と引換えにこの屋敷を拝領し、渡邊家は幕末までこの地にあった。
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