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2016年10月 7日 (金)

矢切~国府台

北総鉄道矢切駅から、千葉県道1号市川松戸線沿いに歩いて京成本線国府台駅まで、9千歩、7kmの散歩です。
 
 
①矢切駅・・・・・・・・・平成3年(1991)3月31日に、江戸川を挟み、柴又の対岸に開業した、2面4線の地下駅。、、、、、駅は“やぎりえき”、歌は「矢切(やぎり)の渡し」、だが、地名の「矢切」は“やきり”で濁らない。 戦国時代、国府台の合戦で、里見方の矢が切れ負けたことから、「矢きれ」→「矢きり」→「矢ぎり」と変化したと言われる説がある。 また、『戦はもうこりごり』、戦(矢)と縁を切ろうと、「矢切」にしたと言われる説もある。、、、、矢の切れ目は戦の切れ目、金の切れ目は縁の切れ目。、、、、「財布なくした お主の袖を 切って切れない 裁ちバサミ」
 
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・・・・・・・・・・・・・・・駅前の千葉県道1号線(市川松戸線)を歩き始めた直後、右手奥に、昭和12年(1937)3月31日に完成した栗山浄水場の配水塔 が見える。、、、、、今日は、浄水場を横目でチラリ、足は県道を進む。
 
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・・・・・・・・・・・・・配水塔を過ぎると、松戸市と市川市の市境となる。 境を示すものは、道路上の案内板以外は何もない。
 
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②泉養寺・・・・・・・・・・市境を越えた処(市川市国府台5)に、阿弥陀如来を本尊とする天台宗寺院の泉養寺がある。 泉養寺は、深川(江東区)を開拓した深川八郎右衛門が開基となり、慶長元年(1596)深川元町に創建、元禄6年(1693)に猿江(江東区)へ移転した。 寺は江戸時代を通して深川神明宮の別当寺を勤めていた。、、、、、大正12年(1923)の震災で被災し、昭和2年(1927)に現在地へ移転した。 浅草、浅草寺の末寺でもある。、、、、、本堂と庫裡は昭和4年(1929)に完成し古刹とはいいがたいが、その雰囲気を漂わせる寺である。
 
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③源光寺・・・・・・・・・・・国府台5丁目にある、阿弥陀如来像を本尊とする浄土宗寺院の源光寺は、鼠小僧で有名な両国回向院の別院である。 昭和4年(1929)に開創した。、、、、朱の山門を入ると、緑豊かで静かな参道が続き、奥にはモダンな本堂がある。、、、、本堂は平成21年(2009)に建て替えられた。 新しい本堂は、建築家:河原泰の設計で、「千葉県建築文化賞」を受賞した作品である。、、、、境内には、本堂のほか、観音堂、動物の納骨堂もあり、また、周囲には竹林などもある。 参拝者を楽しませてくれる寺だった。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・山門出たとたん、、、、、かいかい、痒い~~~ィ、やぶ蚊に刺された!、、、両腕を、手の甲も、、、、、両腕を両手で同時に掻く、高難度の技が要求された!、、、、そうこうしていると、蚊に刺されていないズボン下の脛や股間が痒くなり、さらに身体じゅうが痒くなる現象となった。、、、、泣きたい!叫びたい!怒りたい!、、、、、痒みが引くまで、約30分間、男の痩せ我慢は辛かったね。
 
 
④飛地天満宮・・・・・・・・・・・国府台4丁目に、正式には「国府台道明寺天満宮」と称する小さな神社がある。、、、、この神社の由来、、、、かつて、この地は国府台村の飛地であった。 この地の村人は、本来は「国府台天満宮」を信仰するのであるが、国府台天満宮から離れているため、近くの栗山(松戸市)にある天満宮を信仰していた。 ところが、栗山の天満宮が祭神を変えたため、天神様を信仰したい村人と争議が起こった。 村人は向島(墨田区)の三囲神社に相談し、河内(大阪府)の道明寺天満宮から分祀を受け国府台道明寺天満宮とした。 こうして、一件落着したそうだ。 以来、今もここは三囲神社の神主さん兼務している。、、、、、まさに、信仰もここまですると、頭(こうべ)も下がる、天神様々! 
 
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⑤国府台3丁目・・・・・・・・・・国府台の大地に残る土の匂い。
 
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⑥国府台天満宮・・・・・・・・・・国府台の里見公園の北側に鎮座する国府台天満宮は、文明11年(1479)、国府台の鎮守として太田道灌が建立した。 建立当時は付近の他の地に祀られたが、明治8年(1875)に、大学校設立の用地として周辺地域が買い上げられた時、農家と共に現在地に移された。、、、、村の鎮守さまとして、田舎の空気が漂う神社だ。
 
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⑦里見公園・・・・・・・・・・・・下総台地の西端、江戸川に面し国府台台地にある。 ここは、かつて下総国府が置かれ、下総国の政治や文化の中心地であった。 室町時代になり、天文7年(1538)、足利義明は里見義堯等を率いて国府台に陣をとり、北条氏綱軍と戦ったが敗れ、義明は戦死し、房総軍は敗退した。 引き続き永禄7年(1564)、里見義堯の子義弘は再度国府台城で北条軍と対戦し、大敗をきした。 以降この土地は北条氏の支配するところとなり、江戸時代になると国府台城は江戸俯瞰の地であることから廃城となった。、、、、明治から終戦まで国府台は兵舎の立ち並ぶ軍隊の街となる。、、、、昭和34年(1959)、市川市はこの由緒ある古戦場を記念し、憩いの場として里見公園を開設した。、、、、、今日は北側(裏側)から入園し、正門からサヨナラした。
 
・・・・・・・・・・・・・・台地の上からは、木々の間に江戸川と対岸の東京が見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・・熟年夫婦が、バードウォチング。 仲いいね、我が家みたいだ! ここで、喧嘩したら鳥は飛んで行っちまうよ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・石垣のようだ、、、、国府台城の跡か?
 
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・・・・・・・・・・・・・・・北原白秋(1885~1942)が小岩で暮らしていた大正5年(1916)頃の草舎。 移築した。
 
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・・・・・・・・・・・・・・バラ園は今が最高!
 
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⑧国府台駅へ・・・・・・・・・県道1号線(市川松戸線)に再び出て、国府台駅に向かう。
 
・・・・・・・・・・・・・・県道沿いには病院と大学が多い。 写真は、国府台病院和洋女子大
 
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・・・・・・・・・・・・・・・切り通しのような下り坂。 逆から来れば上り坂。 当たり前だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・国府台駅から大学へ向かう学生。 写真、道路の右側を歩くのは和洋女子大、左側を歩くのは千葉商科大学の学生か(?)
 
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・・・・・・・・・・・・・・・国府台駅 へ到着、私はここから帰宅。
 
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