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2016年10月23日 (日)

おばけ煙突

北千住駅から、千住の町を横切り、尾竹橋を渡り町屋駅まで、1万2千歩、8kmの散歩です。
 
 
①北千住を横切る・・・・・・・・・・北千住駅から西に向かい、相変わらず私好みの裏道を歩く。
 
・・・・・・・・・・・・・・商店街と商店街を結ぶ裏道を抜けて行く。 お稲荷さんにも、ご挨拶忘れずに!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・♪♪ この道はいつか来た道 ああ そうだよ 去年の暮来た道  ♪♪、、、、、千住本氷川神社ニコニコ商店街タカラ湯を通り過ぎて行く。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・足立区千住元町に鎮座する倉稲魂命(うかのみたまのみこと)、素盞嗚尊(すさのおのみこと)。 ここは元宿神社(もとじゅくじんじゃ)。 天正2年(1574)の創建。 この地には鎌倉街道が通り、千住宿成立以前から集落ができていたので、千住宿に対して元宿と称した。
 
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・・・・・・・・・・・・・・ミルクホール・モカ、、、、、千住元町、帝京科学大学入口交差点角に暖簾を下げるは、知る人ぞ知る、昭和36年(1961)開業の元祖喫茶店!、、、、味は? 昭和の味らしい。
 
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②お化け煙突・・・・・・・・・下町で育った高齢の方は、見ているはず、記憶しているはず、懐かしい「お化け煙突」に会ってきた。、、、、、現在の足立区千住桜木に東京電力千住火力発電所があった。 隅田川沿いに位置し、大正15年(1926)から昭和38年(1963)まで稼働した火力発電所である。 昭和39年(1964)11月、発電所は解体された。 ここには4本の煙突があり、薄い菱形の各頂点に煙突を配した平面配置であった。 それゆえ、見る角度により、4本、3本、2本、1本と見える不思議な「お化け煙突」であった。、、、、、浅草橋の我が家からは見ることはできなかったが、常磐線に乗ると北千住駅付近で見え、車窓から本数が変化する姿を興味深く見つめていたのを思い出す。
 
・・・・・・・・・・・・・・尾竹橋北詰に帝京科学大学千住キャンパスがある。 写真中央が校舎。 その右、低くなった処が発電所跡地。
 
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・・・・・・・・・・・・・・キャンパスに残されている「お化け煙突」のモニュメント。 モニュメントの上半分(鋼製の部分)が煙突の実物。 モニュメントの後ろには、本数の異なる写真も展示されている。、、、、、煙突の構造設計は、東京タワーを設計した内藤多仲(文化功労者)。 煙突は鋼板・リベット止め製で、内部は耐火煉瓦が張られていた。 高さ:83.82m、外径は頂部:4.81m  底部:6.40m。
 
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・・・・・・・・・・・・・・帝京科学大学にある、「お化け煙突」モニュメントの解説にあった航空写真。 中央に解体中の煙突4本が見え、その上部の点線は現在の帝京科学大学のキャンパス位置、左に隅田川、尾竹橋が写っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・Wikimediaに載せられていた、昭和20年代の「お化け煙突」
 
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・・・・・・・・・・・・・・千住桜木1丁目、墨堤通りに面して元宿堰稲荷神社がある。、、、、神社は、宝暦4年(1755、=9代徳川家重将軍の時代)に創建された。、、、、、昭和20年(1945)元宿神社に合祀され、昭和23年には千住桜木町の鎮守として再度独立した。、、、、神社は千住火力発電所の北隅に位置していた関係で、「お化け煙突」(四本煙突)建設に関する神事はこの神社の扱いであった。 境内には「旧千住四本煙突守護社」の碑も立っている。
 
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尾竹橋 ・・・・・・・・・・・尾竹橋(おたけばし)は、隅田川に架かる橋で尾竹橋通り(都道313号線)を通す。 南岸は荒川区町屋、北岸は足立区千住桜木町。 橋名はこの場所にあった「尾竹の渡し」の名に因む。 尾竹の渡しは別名お茶屋の渡しとも呼ばれ、茶屋の看板娘の名が「尾竹」であったそうだ。、、、、ここに橋など架けずに、渡しを残し、茶屋の尾竹さんを残しておいて欲しかったね。 もちろん、尾竹婆さんではなく、娘の尾竹さんを!
 
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町屋の町や! ・・・・・・・・・・尾竹橋を渡ると、右手に町屋6丁目、左手に町屋7丁目の町が広がる。
 
・・・・・・・・・・・・・尾竹橋通りを歩いていると、一見、衝突防止の柱と思える、橋の親柱が残されていた。 さらによく見ると、通りの反対側にもあった。、、、、荒木田新橋の跡で、今は暗渠化された江川堀という堀があったそうだ。、、、、橋は昭和6年(1931)に架けられた。 暗渠化された時期は不明(?)、、、、広い東京、東西南北、川だ、堀だ、用水だ、戦後まで多くの水路が存在していた、その一つかも?
 
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・・・・・・・・・・・・・・家具屋さんの看板、「御婚礼家具調度品」の文字が目に入った。、、、、、昭和40年代頃までは、トラックに婚礼家具を積み、家紋を染め抜いた幕を掛け運ぶ光景がまだ見られたが、今は完全になくなったようだ。 箪笥の中には着物も入れて嫁いだが、世の中は団地住まいとなり、嫁入りの風習も大きく変わったことを歩きながら考えてしまった。、、、、家具屋さんも、呉服屋さんも、商売が難しくなってきたね。
 
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・・・・・・・・・・・・・・6丁目、7丁目付近を歩いていると、中華料理、韓国料理、韓国物産店が結構あるね。、、、、、この付近は韓国人が多く住む町で、韓国系の教会・寺院も多数ある。
 
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