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2016年12月19日 (月)

亀島川

浅草線日本橋駅で下車し、亀島川沿いを歩き、鉄砲洲稲荷神社から浅草線宝町駅まで、1万1千歩、8kmの散歩です。
 
 
東京に住む人でも「亀島川」と言われて、ピンとくる人は少ないと思う。 亀島川は中央区新川(通称:霊岸島)の2辺を流れる総延長1.1km程度の短い川である。 亀島川は日本橋川から分流し、隅田川に注ぐ川で、川筋には、霊岸橋、 新亀島橋、 亀島橋、 高橋、 南高橋の5橋が架かり、最上流には日本橋水門、最下流側には亀島川水門が設置されている。、、、、、、昔、亀島川の西側(現:茅場町)は、亀島河岸と呼ばれていたそうだ。
 
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①日本橋水門・・・・・・・・・・・日本橋川から分流する亀島川、そのゲートが日本橋水門である。、、、、、日本橋水門は、河口の亀島川水門とともに、高潮発生時に亀島川を完全に締め切り、隅田川の逆流による洪水を防ぐ役割を担っている。、、、、長さ:30.00m、高さ:8.1m、鋼製単葉ローラーゲート形式。 昭和46年(1971)に清水建設の施工で完成した。
 
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②霊岸橋・・・・・・・・・・江戸初期の寛永年間(1624~1643)に霊巌上人がその法力により、当時海であった八丁堀を陸地にし、そこに霊巌寺を建て、この地(現:中央区新川地区)を霊巌島と呼ぶようになった。 なお、霊巌寺は明暦の大火後に深川に移転した。、、、、霊岸橋は日本橋茅場町地区と新川地区(霊岸島)を結ぶ橋。 創架の年代は不明だが、江戸時代後期には霊岸橋の名称が記録に残っているそうだ。、、、、、霊岸橋の東側(新川1・2丁目)は、江戸湊(現:亀島川水門の近くに碑が建てられている)における千石船の停泊地として栄え、樽廻船で運ばれる「下りの酒」を一手に引き受ける場で、「新川の下り酒問屋」として栄えた地である。、、、、、現在の橋は昭和60年(1985)に竣工した。
 
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・・・・・・・・・・・・・・霊岸橋から下流(新亀島橋)を望む。
 
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・・・・・・・・・・・・・・霊岸橋北詰に建つ第2井上ビル、昭和2年(1927)竣工の古いビル。 映画のワンシーンとなるような昭和レトロのビル。 
 
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③新亀島橋・・・・・・・・・・・・霊岸橋の下流に架かる新亀島橋、この橋は明治15年(1882)に架けられた当時は木橋であった。 下流には元禄時代からの亀島橋が既にあり、“新”を冠して新亀島橋と命名したらしい。 なお、橋の北岸:現:茅場町側は、「亀島町」と呼ばれていた。、、、、2代目は大正15年(1926)に、震災復興事業により鋼製の桁橋に架け替えられた。、、、、現在の橋は、平成7年(1995)に架けられた、橋長:30.5mの鋼床版ラーメン橋。
 
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・・・・・・・・・・・・・・下流側(亀島橋)を望む
 
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・・・・・・・・・・・・・・・橋の北詰には、「大震火災遭難者追悼碑」(大正13年建立)と、「戦災遭難死者慰霊碑」が建てられ、供養されていた。 私も合唱。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・お隣には、純子稲荷(じゅんこいなり)の赤い旗がなびいている。 “純子”って、なんだ!誰だ! まさか、小林旭の「純子」ではないだろうと思いながら境内の由緒書きを読んでみた、“純子”については御祭神:純子大神と書いてあるのみ。 このブログを書くにあたり、一生懸命、調べてみたが不明。 なお、稲荷の創建は元和2年(1616)、町奉行所内の千代田稲荷の分霊を勧請したことに始まるそうだ。、、、、、ちなみに、「純子」(遠藤実作詞・作曲)の歌詞は、♪♪遊び上手なやつに だまされていると聞いた 噂だけだね 純子 純子 僕は淋しい ・・・・・♪♪(歌の純子は可愛い女である)
 
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④亀島橋・・・・・・・・・・・・亀島川が霊岸島に沿って“く”の字に折れる位置に亀島橋はある。 
この橋は元禄12年(1699)頃に架橋されたそうだ。 それゆえ、赤穂浪士が討ち入り凱旋時に通った橋のひとつといわれている。、、、、、現在の橋は、平成14年(2002)6月に完成した、橋長:32.4m、鋼上路アーチ橋。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・亀島橋から上流側(新亀島橋)を遠望すると、真正面にスカイツリーが見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・・下流側(高橋)をみると、川が折れて流れ下る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・亀島橋西詰(中央区八丁堀)に、赤穂義士の堀部安兵衛武庸(1671~1703)が居住していたことにちなみ、堀部安兵衛武庸之碑が建てられている。 昭和44年(1969)、八丁堀一丁目町会によって建立された。、、、、私が住む浅草橋の脇に、「雅万歩之碑」がいずれ建つことを願って、私もこのブログを書き続けるか?
 
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・・・・・・・・・・・・・亀島橋から、右岸(八丁堀)を川沿いに歩くと、小さな社の日比谷稲荷神社がある。 神社のある辺りは、江戸時代、町名を「日比谷町」と称し、川岸は「日比谷河岸」と呼ばれていた。 これは江戸時代初期に、現:日比谷公園あたりの住民が徳川幕府による江戸城本格築城のあおりうけて当地に移転したためである。 この小さな神社に、当時の地名が残されているわけだ。
 
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⑤高橋・・・・・・・・・・・・JR京葉線の八丁堀駅の東端の出入口は、この高橋(たかばし)の西詰になる。 亀島川の入り口付近に架けられた橋で、船の出入りを妨げないように、太鼓橋のような背の高い橋にしたため高橋と名付けられたそうだ。(昔の話である) その後、明治15年(1882)10月に、吊橋式の鉄橋が竣工した。、、、、、、現在の橋は昭和59年(1984)3月に架けられた。
 
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・・・・・・・・・・・・・東詰めには、旧橋の親柱が残されている。
 
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・・・・・・・・・・・・・上流側(亀島橋)を眺める。
 
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⑥南高橋・・・・・・・・・・・明治37年(1904)に架けられた両国橋の中央径間が転用されて、昭和7年(1932)に架けられた震災復興橋。 橋長:63.1mの下路式単純プラットトラス橋。、、、、、全国でも6番目に古い鋼鉄トラス橋で、学術的にも貴重な橋として、今年度の土木学会選奨土木遺産に指定された。
 
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・・・・・・・・・・・・・・関東大震災以前の両国橋。 この、中央径間が南高橋に転用された。
 
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⑦亀島川水門・・・・・・・・・亀島川の最下流に位置し、高潮・津波に備えた防潮水門である。 鋼製単葉ローラーゲート形式の水門で、15m×2連、高さ:8mの門扉である。 昭和43年度(1968年度)の竣工。 この水門の外側は隅田川である。
 
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