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2017年5月18日 (木)

伊興寺町

東武伊勢崎線竹ノ塚駅で下車し、日暮里舎人ライナーの見沼親水公園駅を目指し歩きはじめたが、途中で目的が変わり、竹ノ塚駅に戻る。 1万1千歩の散歩です。
 
 
 
竹ノ塚駅 ・・・・・・・・・・明治33年(1900)3月21日に伊興村に開業した東武伊勢崎線の駅。 この時、駅名は隣村であった竹ノ塚村の名を頂戴し、竹ノ塚駅と名乗る。 伊興村、竹ノ塚村は共に昭和7年(1932)に東京市に編入合併され足立区の一部となった。、、、、、開業から100年以上経過し、駅周辺は高架化工事の真っ最中。 ホームはまだ地上にある、高架上にホームが移るのはまだ数年先か?
 
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●・・・・・・・・・・・今日の散歩は、ここ竹ノ塚駅から北西方向に日暮里舎人ライナーの終点:見沼親水公園駅まで歩くことにした!、、、、、予定は変わるもの、今日も途中で変更!
 
 
②東岳寺・・・・・・・・・・・竹ノ塚駅から北西へ300m程(伊興本町1)、尾竹橋通りに面して、曹洞宗の南昌山東岳寺がある。 東岳寺は、慶長18年(1614)浅草鳥越に創建した。 (鳥越とは、、、、我が家の近くだ!) 関東大震災後、鳥越から現在地へ移転した。 境内は広くないが、日本庭園の趣で、本堂や細い参道の周りには多くの木が並んでいる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・初代安藤広重の墓と記念碑が境内にある。 安藤広重(1797~1858)は江戸時代後期の浮世絵師で、天保年間には御存じ「東海道五拾三次」を発表している。 墓所(写真右端)は昭和33年(1958)の再建で、記念碑(写真中央)は大正13年(1924)に建てられた。 震災後、墓も寺と共に移転してきた。、、、、、念のため、今は安藤広重ではなく、歌川広重という呼称が一般的らしい。 私は、安藤広重しか知らん!
 
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③眞國寺・・・・・・・・・・・・東岳寺から西へ400m程歩くと、立派な松の陰に本堂の屋根が見える。 伊興5丁目の日蓮宗寺院の蓮栄山眞國寺である。 創建は建武2年(1335)といわれる古刹。、、、、、山門の正面に本堂があるのだが、参道両側の松の大木に遮られ、全容が見えない。
 
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④薬師寺・・・・・・・・眞國寺から北西に150m程歩くと薬師寺がある。 あれ、奈良の薬師寺の支店かな?、、、、、こちらは、曹洞宗の医王山薬師寺で、御本尊はもちろん薬師如来である。、、、、小さな山門をくぐると、正面奥に本堂があるのだが、なんと、新緑の紅葉が茂り視界を遮る。、、、、住職の話では、秋になると多くの人が紅葉狩りに来るそうだ。 私もあとで知ったが、この寺は、知る人ぞ知る、紅葉の名所だ!
 
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●・・・・・・・・・・・薬師寺の住職が教えてくれた、、、、、寺から北東に行くと、関東大震災後、浅草から移転してきた寺院が並ぶ寺町があるとのこと。 「ぜひ、寄っていきなさい。」、、、、これにて、私の北西に向かっていた足は、北東に向かうことにした。
 
 
⑤伊興寺町・・・・・・・・・・現在は東伊興4丁目だが、以前は伊興狭間町と呼ばれていた処。
現在、18か寺あるそうだ。、、、、、ついでに、“伊興”の地名は、いろはの“い”で、いの一番に始まり、興ったところの意だ。 “狭間”は谷下の沼のある狭いところの意。、、、、今は、竹ノ塚駅から1.0km程北に行ったところで、北隣の草加市との境までは400m程である。、、、、、、いくつかの寺院を紹介する。
 
・・・・・・・・・・・・・・・街並みは、、、、、、
 
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・・・・・・・・・・・・・・易行院、、、、、、芝増上寺末の浄土宗寺院易行院。 文亀年中(1501~1503)、浅草山に起立し、浅草山谷町(現台東区清川)を経て、昭和3年(1928)に現在地へ移転した。、、、、、本堂左手に、歌舞伎で名高い花川戸助六と揚巻の墓がある。 地蔵さんと共に祀られ、夫婦円満の御利益が期待できるそうだ。、、、、、、笑点でおなじみであった五代目三遊亭円楽師匠の実家。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・・東陽寺、、、、、、曹洞宗の萬年山東陽寺は、寛永元年(1624)頃の開山で、慶長16年(1611)八丁堀に創建、寛永12年(1635)浅草八軒寺町へ移転。 震災後の昭和3年(1928)に現在地へ移転した。、、、、、、境内には、上州沼田に生まれ、江戸に上り、炭のはかり売りから業を興して莫大な財産を築いた塩原太助の墓がある。 お年寄りは、「塩原太助一代記」として講談や歌舞伎で知っているはず、若者は知らないかもね。
 
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・・・・・・・・・・・・・・法受寺、、、、、、、、浄土宗の法受寺は普賢山新幡随院と号します。 正暦3年(992)に豊島郡下尾久の地で開創、宝暦3年(1753)豊島郡谷中に移転、新幡随院法受寺と称した。 浅草にあった安養寺と合併し、昭和10年(1935)に現在地へ移転した。、、、、、境内には五代将軍徳川綱吉の生母:桂昌院の墓がある。 桂昌院は将軍の生母として大奥で絶大な勢力を振るい、女性にとって最高の位階である従一位を生前贈られている。、、、、、境内は広く、本堂を探すのに戸惑い、墓地を抜け出たところに建つ住宅風の建物の前で、僧侶に『本堂はどこですか?』と尋ねると、『ここだよ!』と返ってきた。 本堂の前で尋ねてしまった、シマッタ~~! 私は裏門(?)から入ってしまったのだ。、、、、、僧侶は快く本堂を開けて、焼香を焚いてくれた。 失礼しました!、、、、、三遊亭円朝が語る「牡丹燈籠」の中で、カランコロン、カランコロンと下駄の音をさせながら夜な夜な現れる、お露とお米の幽霊二人。 この二人が葬られたのが新幡随院法住寺(法受寺)という設定で、ゆかりの寺として石碑が建てられてる。
 
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●・・・・・・・・・・・・今日は14ヵ寺歩いたので、チョイト食あたりならぬ、坊主あたりで頭の中がゴチャゴチャ、罰あたりかも。、、、、、この後、竹ノ塚駅まで戻り帰宅。
 
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