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2017年7月23日 (日)

深川

江戸六地蔵巡りも、いよいよ最後、今日の散歩は第五番の霊巌寺である。 都営新宿線の森下駅で下車し門前仲町まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
①森下駅・・・・・・・・・・・都営新宿線の島式ホーム1面2線を有する地下駅。 昭和53年(1978)12月21日に都営新宿線の駅として開業し、平成12年(2000)12月12日に大江戸線が開業し乗換駅となる。、、、、、今日は日曜日、通勤客も少なく、駅は閑散としていた。
 
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②深川神明宮・・・・・・・・・慶長年間(1596~1615)、摂津の人・深川八郎右衛門が一族を引き連れて当地を開拓するにあたり、屋敷内に小祠を設けて伊勢神宮の御分霊を奉斎したことに始まる。慶長元年江戸に入った徳川家康がこの地を訪れ、八郎右衛門に地名を尋ねたところ、未だ人も少なく“地名はない”と答えたので、八郎右衛門の姓をとって「深川」とするよう命じたという。 これが「深川」の始まり。、、、、、、その後、江戸の繁栄に伴って深川も発展し、神明宮は深川の総鎮守として崇敬を集めた。、、、、、現在は、寿老神を祀り、正月の七福神巡りで参拝客を増やしている。 ガッポリ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・大正・昭和の日本画家:伊東深水は、明治31年(1898)2月4日、ここ深川神明宮の門前で生まれたそうだ。 小学一年生まで深川で過ごし、二年生の時深川を離れた。 深水の雅号は深川の水にちなんでいる。 昭和47年5月8日没。、、、、ちなみに、深水の娘:朝丘雪路は昭和10年(1935)7月23日に東京市京橋区築地で生まれた。
 
 
 
③新小名木川水門・・・・・・・・・・・・小名木川は徳川家康が造った人工の運河で中川(今の旧中川)と隅田川を結んでいる。、、、、、、最も隅田川寄り(清澄2・常盤1)には萬年橋が架かっている。 その東隣りに新小名木川水門がある。、、、、、、これまで、鋼製単葉ローラーゲート形式、高さ11mのゲートが3連の水門(昭和36年(1961)に完成)であったが、耐震化工事で、1ゲートを撤去し、2連のゲートに改修される。
 
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・・・・・・・・・・・・・・完成予想図
 
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④清洲寮・・・・・・・・・・・江東区白河に建つ、“寮”とは言っても、民間のアパート。 大林組の設計・施工で、昭和8年(1933)に竣工した、鉄筋コンクリート造4階建ての建物。 総戸数66戸、長さ70m程の建物は大きい!、、、、、、最近、改装したようだが、むき出しの水道管、木製の引き戸、玄関床のカラータイル・壁のスクラッチタイルなど、昭和レトロの匂いがプンプン。 現在もアパートとして人気のある建物で、昭和のハイカラを求め空室待ちの人もいるようだ。
 
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⑤霊巌寺・・・・・・・・・清洲寮とは背中合わせの霊巌寺は、寛永元年(1624)、霊巌島(現:中央区新川)にて創建したが、明暦3年(1657)の大火で被災し、万治元年(1658)に現在地(江東区白河1)に移転した。
 
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・・・・・・・・・・・・・・江戸六地蔵の第五番が、ここ霊巌寺にある。、、、、、水戸街道を見守る像の高さは、2.73m。 深川の地蔵坊正元が発願し、享保2年(1717)に造立された。 製作者は神田鍋町の鋳物師太田駿河守正儀。、、、、、ここの像は低い位置に置かれ、顔立ち、姿も細部までよく見ることができる。 風雨にさらされ、チョイと傷みが見られる。 早い治療が必要かも?
 
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・・・・・・・・・・・・・・八代将軍徳川吉宗の孫にあたる松平定信(1758~1829)は、天明7年(1787)に老中となり、寛政の改革を行った。 その定信の墓所も、ここ霊巌寺にある。、、、、、突然ですがここで問題、松平定信が命名した超有名な菓子屋の名が現在も残っている、その菓子屋の名は?、、、、、答えは、全国に展開した「風月堂」である。 江戸時代、風月堂の本家となる、江戸・京橋鈴木町の「大坂屋」は定信に重用され、松平家の御用菓子商に指定され屋号も「凮月堂清白」(“風”の字は、“几”中が“百”)の5文字を頂戴した。 現在は、本家筋が上野凮月堂、暖簾分けされたのは神戸凮月堂、東京(銀座)凮月堂、長野凮月堂、甲府凮月堂などなど。 ちなみに、私も好きな銘菓「ゴーフル」は全国の凮月堂で売られている。
 
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⑥永代寺・・・・・・・・・・霊巌寺から南へ約1.2km、深川不動尊の参道脇に永代寺がある。 永代寺は寛永元年(1624)に、永代島に創建された。 江戸時代には富岡八幡宮の別当寺で、江戸六地蔵の第六番として栄えたが、明治元年(1868)の神仏分離により廃寺となった。 享保5年(1720)に造立した六地蔵はこの時取り壊された。 現在の永代寺は、明治29年(1996)に旧永代寺の塔頭の吉祥院が名称を引き継ぎ、再興したものである。
 
・・・・・・・・・・・・・現在の永代寺は、お不動様の参道に面した一画にある。本堂の上に塔がのる珍しい寺だ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・境内の隅に、取り壊された六地蔵に代わる地蔵様として、子育地蔵+取持地蔵の二体ペアにて仕込み中である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・今日はついでに、旧永代寺の寺域を歩いてみた。 旧永代寺は広く(約2万2千坪)、まず富岡八幡宮は永代寺が別当寺であった。 境内では骨董市が開かれていた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・旧永代寺が廃寺となった後、その一画に、明治11年(1878)に成田不動の分霊が引っ越してきたのが現在の深川不動尊である。、、、、旧永代寺には11の塔頭があり、その一つ吉祥院が現在の永代寺である。、、、、、地蔵さんは、どうやら不動さんに母屋を取られたようだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・富岡八幡宮と深川不動尊、永代寺などの周辺に、深川公園が点在する。 この公園も旧永代寺の跡地である。、、、、、公園の中に立つ「富岡八幡宮別当永代寺跡」の碑。、、、、、燈明塔も旧永代寺跡に立っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・ここでまた問題です。、、、、「門前仲町」の“門前”とは?、、、、もう、お判りですね、豆助!  そう、門前は永代寺の門前のことだったのです。 
 
 
 
●・・・・・・・・・・・・・これにて、江戸六地蔵を全て巡ったことにする。 門前仲町から都バスで浅草橋へ帰ることにした。、、、、「東京都シルバーパス」を持っていると、都内の主要バス、都営地下鉄は、年2万円ほどで乗り放題。 ありがたいね!

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