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2017年3月19日 - 2017年3月25日

2017年3月24日 (金)

三河島事故

昨夜、寝ながら読んだ本に「三河島事故」の話があり、事故現場には何も残されていないとの記述があった。 今朝、起きると気になり、チョイト事故現場に行ってみることにした。 常磐線南千住駅から、事故の跡を求めウロウロ。 結局、隣の三河島駅まで9千歩の散歩となった。
 
・・・・・・・・・・三河島事故、、、、、昭和37年(1962)5月3日(憲法記念日)の21時37分頃、田端発水戸行のD51牽引の貨物列車が三河島駅を過ぎたところにある、貨物線が本線に合流するポイントで、安全側線に衝突し脱線した。 そこに上野発取手行の下り電車が衝突。 さらに数分後、取手発上野行の上り電車が衝突した。 二重衝突である。 死者160人、重軽傷者383名を出した、日本の鉄道史上に残る大惨事となった。
 
 
①南千住から三河島方面を遠望・・・・・・・・・・事故後50年以上経過し、事故を語る人も少なく、町も変わっているが、現場には何か残っていないか? 行ってみよう!
 
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②盛土を走る常磐線・・・・・・・・・・三河島~南千住間は盛土で、線路際まで建物が迫っているところもある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・煉瓦造りの第3三の輪ガード
 
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・・・・・・・・・・・・・・この付近が事故現場と思われるところ。 線路際まで建物が迫っている、三河島事故の現場を標すものは何もない。、、、、、、線路は4本あり両外側の2本が貨物線、内側の2本が常盤線本線となっている。 貨物線は田端方面から三河島駅の先(南千住側)で本線に合流している。
 
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●・・・・・・・・・・・・事故の原因は、貨物列車の機関士の信号無視であった。、、、、その日は、早朝から地震の影響でダイヤが乱れていた。 定刻通り運行していた45両編成の貨物列車は貨物線から常磐線本線に合流するポイントに向かっていた。 そのころ、貨物列車より先にポイントを通過している予定の下り電車は、ダイヤの乱れで遅れていた。 下り電車を通すためポイントが切り替わっていなかったが、貨物列車の機関士は本線との合流地点手前の勾配上で停止すると再起動が難しいことから見切りで列車を進めてしまい、脱線を引き起こした。 そこに、遅れていた下り電車が突入しこちらも脱線した。 不幸なことに、約6分後、早いスピードで走ってきた上り電車が脱線した下り電車に激突し、大惨事となった。
 
 
③浄正寺・・・・・・・・・・・・三河島事故を記憶にとどめ慰霊する聖観音像が、三河島駅の北東(荒川3丁目)にある浄土宗の清国山快楽院浄正寺に建立され、現在も献花が絶えない。、、、、、昭和37年(1962)に発生した事故では、遺体収容所となったそうだ。
 
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●・・・・・・・・・・・事故の起きた昭和37年(1962)、私は16歳だった。 当時、新聞、TVのニュースで惨事が報道されていたことは記憶しているが、事の重大さ、悲惨さを痛感することはなかった。、、、、現場を見ず、報道の表面を読んだにすぎず、他人事として受け止めていたのかも。、、、、碑の側面に刻まれた詩:「三河島事故に捧ぐ   安らかに眠れとは 如何に悲しき言の葉か つま待つ家の帰り路を 知るよしもなき此の惨事 あゝ たれぞ知る此の惨事」、、、、、未だに身元が判明しない犠牲者が一人いるそうだ。
 
 
④三河島駅・・・・・・・・・・・島式ホーム1面2線の高架駅であるが、本線の両外側に一本づつ線路がある。 これが貨物線である。 
 
・・・・・・・・・・・・・事故現場からは、尾竹橋通りを挟み向かい側に駅がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・本線の外側(写真右側)にもう一本線路がある、これが貨物線。 貨物線は勾配がついている。 三河島駅の先(南千住側)で本線に合流する。 その合流点が事故現場。
 
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●・・・・・・・・・・・事故後、再発防止策として、自動列車停止装置(ATS)の設置を急ぎ、昭和41年(1966)までに国鉄前線に設置された。
 
●・・・・・・・・・・・「三河島」の地名は太田道灌の時代からある歴史ある地名だが、この事故が原因か(?)、昭和43年(1968)の住居表示にて消えた!、、、、現在は、駅名(JR、京成)として残るのみ。 これ、また、悲し!

2017年3月23日 (木)

靖国通り

気象庁は21日、東京で桜が開花したと発表した。 平年より5日早い開花宣言である。 気象庁は間違えることはないと思うが、念のため私が自分の目で確かめるべく、今日の散歩では、靖国神社の標本木開花状況を確認に行くこととした。、、、、、浅草橋の我が家から、靖国通りを歩き靖国神社へ、帰りは市ヶ谷駅から帰宅。 1万2千歩の散歩です。
 
 
①浅草橋交差点・・・・・・・・・・「浅草橋」の町と駅は台東区側に、神田川に架かる「浅草橋」の両岸は台東区と中央区、「浅草橋交差点」は中央区側にある。 毎度のややっこしい説明である。、、、、、浅草橋交差点には、都電12系統(新宿駅~両国駅)、29系統(葛西橋~須田町)の浅草橋停留所があった。 中学生の私は、ここから都電通学をしていた。、、、、、、交差点角の旗店(写真左端)は、私が高校生の頃、夏・冬休みの間、数年間バイトで世話になった店である。 、、、、写真右端には、昭和初期に建てられたイーグルビル がある。
 
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②東神田交差点・・・・・・・・・・・50年ほど前、ここには豊島町停留所があった。 角に建つのは、平成3年(1991)に竣工した龍角散ビル。、、、、、交差点角に植えられた桜は散り始めていた。
 
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③岩本町交差点・・・・・・・・・12系統、29系統の都電は、浅草橋、豊島町と停まり、次は岩本町停留所である。 今は、都営新宿線の岩本町駅が地下にある。、、、、、私の勤務先のオフィスが交差点の角のビルにあり、短い期間であったが徒歩通勤できた時期もあった。
 
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④須田町交差点・・・・・・・・29系統はここ須田町停留所が終点。 通学する私は、ここで10系統(渋谷駅~須田町)、12系統に乗り換える。、、、、、、写真左端のビルが建つ前は、フルーツパーラーも営業していた高級果物屋「万惣」があった。 戦前からモダンなビルで営業し、ホットケーキ、フルーツパフェは絶品であった。 その万惣は東日本大震災によって変わったビルの耐震基準を満たせず建て替えが検討されたが、経営が難しく廃業することとなった。 私は6歳ぐらいまで、祖母とよく万惣にきた思いでの店だった、残念!
 
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・・・・・・・・・・・・・・万惣とは180度反対側の交差点角に、鷹岡東京支店のビルがある。 こちらは、昭和10年(1935)に建てられた建物で、千代田区景観まちづくり重要物件に指定されている。
 
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⑤淡路町交差点・・・・・・・・・10系統、12系統とも須田町の次は淡路町停留所。、、、、、淡路町交差点を北へ向かうと「神田志乃多寿司 」がある。 明治35年(1902)創業の老舗である。、、、、、我が家では、月に1回は食する食事メニューの定番。
 
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・・・・・・・・・・・・・もう一つ、味の老舗、蕎麦の「神田まつや」(創業明治17年)。 こちらは、自分で行って、食べれば判る! 現在の建物は大正14年(1925)の築。
 
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⑥小川町交差点・・・・・・・・・・・・ここには、小川町停留所があった。、、、、かつて、近くの美土代町にYMCAの本部ビル(写真:中央左側の大きなビルの付近)があり、そこの地下にプールがあった。 中学生の私が利用しに行って驚き、恥ずかしく、胸ドキドキしたことを忘れることはできない。 昭和37年頃の話だが、当時はまだ衛生状態が悪く病気に注意している時代。 YMCAのプールは男性専用で、主にアメリカ人が利用し泳ぐ人は皆“ふるチン”だった。 私も用意してきた海パンを着用せずに利用したが、泳ぎの練習にはならず、恥ずかしさのみ残った。(あそこも、ちいさかったからね) 2度と行くことはなかったね!
 
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⑦駿河台下交差点・・・・・・・・・・ここも、その名と同じ駿河台下停留所があった。、、、、“三省堂前”と命名しても違和感のない停留所。 神保町から駿河台下までは本屋が並び、昭和30年代は学習参考書を買いに、昭和40年代は建築関連の図書を求め、昭和60年代はエロ本を求め裏通りの書店に、平成になると本も読まず本屋巡りは遠退いた!
 
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・・・・・・・・・・・・・・駿河台下から見る我が母校明治大学リバティータワー。 平成10年(1998)に完成した、地上23階/地下3階、高さ約120mの校舎。 私が学んだ頃は、こんな建物はなくドーム屋根の古びた記念館であった。 
 
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⑧神保町交差点・・・・・・・・・・・神保町停留所があった。 ここで、通学時の私は、18系統(志村坂上~神田橋)か35系統(巣鴨車庫~田村町一)に乗り換え、指ガ谷町(現:地下鉄三田線白山の近く)に向かった。、、、、、交差点角の廣文館書店は戦前からある書店だが、置いてある書籍は学習書ではなく、旅行・グルメ・雑誌が主であった。 今時の学生は『傾向と対策』、『赤尾の豆単』など買わないのか?
 
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⑨専大前交差点・・・・・・・・・・都電10系統、12系統は専修大前停留所と呼んでいた。、、、、、ここの交差点角にみずほ銀行のビルがある。 このビルは、私が勤務していたゼネコンが建て、東京支店が入居していたビルで、仕事の関係でしばしば訪れ勝手知ったるビルだった。 今はよそ者である。、、、、、その向かいに、知る人ぞ良く知るアダルト向けのH書店がある。 今はDVDの時代だが、私が入店していた頃は、ビニールのかかった“ビニ本”の時代。 雨の日、店先で傘をなくし、店内で会社の人に会い、互いに秘密を知った良き時代であった。
 
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⑩九段下交差点・・・・・・・・・交差点名と同じ、九段下停留所があった。 軍人会館九段会館はこちらで下車、ただし東日本大震災以降は閉館中。、、、、、、今日は、武道館で東洋大学の学位授与式・卒業式。 袴姿の卒業生がゾロゾロ、後ろからPTAもゾロゾロ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・ご存じ九段坂。 歌うは三橋美智也。 「雨の九段坂」(作詩:矢野亮  作曲:佐伯としを 昭和36年)  ♪♪ あえぐ洋傘(こうもり)かしげて仰ぐ 雨に煙った大鳥居 母は来ましたやっと来ました 可愛いお前が住むお社へ  一目なりとも逢いたさに ♪♪
 
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⑪九段上交差点・・・・・・・・・・九段下からキツイ勾配の九段坂を上がりきると、九段上停留所があった。、、、、、、私が学卒で入社したゼネコンの本社はここ九段上で、私の勤務地として20年以上かよった処である。 私が勤めていた頃、写真右角にあった、寿司屋、喫茶店、タバコ屋みんな無くなった。、、、、、写真、左右に向かうのが靖国通り、正面は内堀通りで、須田町から来た10系統(須田町~渋谷駅)の都電は交差点を曲がり、写真中央へ向かった。
 
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⑫靖国神社南門交差点・・・・・・・・・・靖国神社中門鳥居脇の南門前、ここには九段三丁目停留所があった。 本殿に最も近い停留所である。、、、、、交差点角に、地元の方が植えた枝垂れ桜も開花した。
 
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・・・・・・・・・・・・・私の今日のミッションは“桜の開花宣言した標本木”を確認することである。
さっそく確認。、、、、、能楽堂の隣の標本木には、5輪などとケチなこと言わず、50輪ぐらいは咲いていた。 気象庁の発表は間違いなし!
 
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・・・・・・・・・・・・・・本殿に御挨拶。
 
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⑬一口坂交差点・・・・・・・・・・・靖国神社の西の端に近い、ここの交差点に一口坂停留所があった。、、、、、、かつて、飯田橋駅近くで小学一年生ぐらいの迷子の子を見つけ、『家はどこ?』と聞いたら、『一口坂』と返事され、人の良い私はタクシーで一口坂交差点まで送った。 タクシーを降り親に連絡させようとしたら、『自分で帰れるから』と一人でスタコラサッサと行ってしまった。 無事帰り着いたか、タクシー代を損したか、後味の悪い善意の経験を思い出すね!
 
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⑭市ヶ谷・・・・・・・・・現在のJR市ヶ谷駅の正面ではなく、外堀通りとぶつかった地点に、市谷見附停留所があった。 堀を挟んでJR駅の反対側になるので、チョイ不便!、、、、、今日の私の散歩も市ヶ谷駅までとする。
 
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2017年3月22日 (水)

椎名町~下落合

西武池袋線の池袋駅の隣「椎名町駅」から、西武新宿線の高田馬場駅の隣「下落合駅」まで、直線距離で1.3km程のところを2時間かけ歩いてきた。 1万歩。
 
 
 
①椎名町駅・・・・・・・・・・・・大正4年(1915)4月15日、武蔵野鉄道(西武鉄道の前身)の池袋~飯能間が開通。 9年後の大正13年(1924)6月11日に、椎名町駅は開業した。 現在の駅は、相対式ホーム2面2線を有し、駅舎は橋上である。、、、、、今は消えた「椎名町(しいなまち)」とは、北側の西武池袋線、南側の目白通りに挟まれた、現在の豊島区目白4丁目・南長崎1丁目~6丁目のほぼ全域が該当する、かなり広い町域の町であった。 池袋線の椎名町駅・東長崎駅、大江戸線の落合南長崎駅は、かつての椎名町の境界線沿いにある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅に貼ってあった「昭和40年頃の椎名町駅」
 
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②長崎神社・・・・・・・・・・・・・・駅の北側に長崎神社はある。 神社の創建年代は不詳だが、長崎村の鎮守として信仰を集め、江戸時代の中期には十羅刹女社(じゅうらせつにょしゃ)と呼ばれていた。 明治7年(1874)、神仏分離令により十羅刹女神に代わり須佐之男命を合祀し、氷川神社、そして長崎神社と改称し、現在に至る。、、、、、つまりは、女神に男神を娶らせ、夫婦で稼げと言うことか!、、、、、、精緻な彫刻物を有する本殿は嘉永2年(1849)に、拝殿は明治32年(1999)に建立された。
 
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・・・・・・・・・・・・・・「椎名町」と聞くと、「帝銀事件」を思い出す人もいるのでは、、、、、私はまだ2歳で、新聞も読めなかった頃の事件。、、、、昭和23年(1948)1月26日4時頃に、椎名町駅前の「帝国銀行椎名町支店」で起こった強盗殺人事件。 東京都のマークの付いた腕章を腕に付けた中年の男が現れ、集団赤痢が発生したから予防薬を飲まなければならないと言って、全員に青酸カリを飲ませ、12人を毒殺、現金16万円余りと1万7千円程の小切手を強奪した。 犯人は逮捕されたが、最後まで犯行を否認し、最高裁で死刑が確定した。 その後、刑は執行されず昭和62年八王子医療刑務所で死去した。 95歳であった。、、、、、当時の銀行の支店は質屋を改造した木造平屋の建物だったそうだ。 その支店があった場所は、長崎神社の横で、現在はマンションが建っているが、事件を思い出させるものは一切残ってない。、、、、、過去の暗いイメージを消し去るのか、町名も、事件の跡も無くなった。 
 
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③道歯科医院・・・・・・・・・・・・椎名町仲通り、ツタの枝が外壁を覆う廃屋となった歯科医院。 昭和初期の建築か?
 
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●・・・・・・・・・・・西武池袋線の踏切を越え、山手通りを南に向かう。
 
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④佐伯祐三アトリエ記念館・・・・・・・・・・目白通りを越え、中落合2丁目に入ると、聖母病院北側の細い路地の奥に、画家佐伯祐三(1898~1928)のアトリエが整備・保存されている。 記念館は、佐伯が創作活動をしていた地に、住居の一部とアトリエ部分が残され、敷地全体が公園として整備されている。 アトリエは大正10年(1921)の建築で、洋風下見板張り、北側の大きな窓が特徴的である。、、、、、大正7年(1918)に東京美術学校(現:藝大)に入学し、大正10年(1921)にはアトリエ付きの自宅が完成する。 大正13年(1924)にはフランスに留学。 昭和3年(1928)8月、30歳の若さで死去。 その後、妻の佐伯米子が昭和47年(1972)没するまで、アトリエで創作活動を続けた。
 
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⑤聖母病院・・・・・・・・・・・・・・カトリック神田教会 上智大学1号館などを手がけたスイス人マックス・ヒンデルの設計で、昭和4年(1929)に建てられた病院。 鉄筋コンクリート3階建て、うす茶色のタイル張りの外壁と建物の屋上中央の二つの塔が特徴敵な建物で、玄関前のヒマラヤ杉とも調和している。、、、、、、病院は「マリアの宣教者フランシスコ修道会」が、キリスト教の愛の精神に基づき運営している。、、、、、病院の中を、勝手に歩くこともできず、内部の見学は入院してからにする!
 
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⑥聖母病院聖堂・・・・・・・・・聖母病院の裏側に、平成22年(2010)に竣工した聖堂。 竹中工務店の設計・施工、鉄筋コンクリート造の建物で、“2011年グッドデザイン賞”を受賞した作品である。、、、、、、片流れの屋根、屏風折れの外壁、縦長のスリット状のステンドグラス(既存のものを再利用)、梁・柱のない内部など、印象的な祈りの空間を演出している。、、、、、内部は飾り気の少ない、シンプルなデザインで、落ち着いた祈りの場を創っている。
 
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⑦薬王院・・・・・・・・・・・聖母病院の南、下落合4丁目に、奈良の長谷寺(ボタン寺)の末寺で、真言宗豊山派瑠璃山薬王院がある。 鎌倉時代の創建といわれる。、、、、、ここの寺も、総本山長谷寺のように、ボタンが有名で見物にくる人も多いようだ。 まだ、ボタンは蕾ができたばかりで、チョイト早すぎる。、、、、裏山の枝垂桜もチョイト早すぎた!
 
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●・・・・・・・・・・・西武新宿線下落合駅から帰宅。
 
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2017年3月19日 (日)

彼岸

陽射しが眩しくなってきた“春の彼岸”。 夫婦、両家の先祖と半年ぶりの御対面。 70歳を超えた私には、先祖に報告することも少なくなった。 墓前で手を合わせ、墓の中に引っ張り込まれることのないように、要注意! 夫婦二人揃って、もう少しこの世に居たいのだ!、、、、、、二人揃って 今日は東に 明日は西 煩悩かかえ 墓めぐり
 
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・・・・・・・・・・・・・・我が夫婦、年齢の合計は133歳。 でも、気持ちは、、、、、、、主は二十一 わしゃ十九 始終(=21+19=40)仲良く 暮らしたい

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