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2017年4月2日 - 2017年4月8日

2017年4月 6日 (木)

戸田橋

JR埼京線戸田公園駅から、荒川に架かる戸田橋を渡り、埼京線浮間舟渡駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
①戸田公園駅・・・・・・・・・・・東北新幹線の建設では、埼玉県南部の人口密集地を抜けるため、新幹線高架橋と並行して通勤新線を建設し住民の説得にあたったのが埼京線である。 昭和60年(1985)9月30日、その埼京線と同時開業した駅の一つが戸田公園駅。、、、、島式ホーム1面2線と、両外側に1線づつ通過線がある高架駅。 下り線の外側には新幹線の高架橋が並行する。
 
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・・・・・・・・・・・・・・このまま電車に乗って終点まで行きたくなった!
 
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②地蔵堂・・・・・・・・・・・・・荒川の左岸:戸田市川岸1丁目に地蔵堂がある。 堂は江戸時代の絵図にも記載されている、戸田市内最古の木造建造物だそうだ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・地蔵堂の近くにある水神宮(すいじんぐう)。、、、、正面の石碑には寛政8年(1796)の銘がある。 この地の氏神さまらしい。
 
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・・・・・・・・・・・・・・地蔵堂の近くにもう一つ古そうなものがあった。、、、、今も現役のポスト
 
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③戸田の渡し跡・・・・・・・・・・水神宮向かいの荒川土手に「中山道戸田渡船場跡」の碑がある。、、、、、、荒川には江戸防衛の意から橋は架けられず、人々はここを越えるには船による渡しに頼らざる得なかった。 これが中山道「戸田の渡し」である。、、、、この渡しは、天正年中(1575~1591)よりあったとされ、その重要性は近世を通じて変わらなかった。 明治8年(1875)には木橋の戸田橋がついに完成し、「戸田の渡し」が廃止となった。
 
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④戸田橋親柱・・・・・・・・・・・戸田橋の北詰(戸田市川岸3)の戸田橋親水公園に3代目戸田橋の親柱が保存されている。、、、、、、3代目戸田橋は、昭和4年(1929)に着工し、総工費101万9000円を投じ、昭和7年(1932)12月24日に竣工した、長さ545m、幅11m、当時の橋梁技術の粋を集めた近代的な鉄製トラス橋で、完成当時は日本一斬新でモダンなデザインが話題を呼んだ。 橋の設計は増田淳(千住大橋白鬚橋などを設計)、橋の施工は横河橋梁(現、横河ブリッジ)、架設は鴻池組である。
 
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・・・・・・・・・・・・・親柱の銘板「埼玉縣」には、後に米軍憲兵によって付けられたといわれている弾痕が3箇所ある。 一か所は、「埼玉縣」の“玉”の字の中央に、パチンコ玉程のくぼみを見ることができる。、、、、、“玉”を弾で傷つけ、おっ魂げた!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・3代目戸田橋 (雑誌「工事画報」昭和8年1月号より )
 
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⑤戸田公園・・・・・・・・・・駅名ともなっている戸田公園は、荒川の水を引き込んだ戸田オリンピックボートコースをはじめ、荒川の河川敷に広がる野球用のグラウンドなどの総称である。 戸田競艇場もボートコースの西端にある。、、、、、ボートコースは約2.5kmの長さ、長すぎるので、端っこだけ見てきた! 2020年東京オリンピックもここを利用すればいいのにね!
 
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⑥戸田橋・・・・・・・・・・・・現在の戸田橋は、埼玉県戸田市と東京都板橋区の間で荒川に架かるかかる橋で、国道17号(中山道)を通す。 新幹線・埼京線荒川橋梁が下流側に並行して架かる。、、、、、明治8年(1875)に最初の木橋の戸田橋が架けられ、大正元年(1912)に2代目の戸田橋(木橋)が架けられ、3代目は昭和7年(1932)に鋼製のカンチレバートラス橋が架けられた。、、、、、現橋(4代目)は、昭和53年(1978)竣工した、長さ519m、幅21mの鋼連続箱桁橋である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・上流側を望む。
 
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⑦浮間公園・・・・・・・・・・・浮間舟渡駅の正面に広がる、東側の北区と西側の板橋区にまたがる約4万m²の公園。、、、、元は荒川が流れていたところで、大正から昭和にかけての河川改修で一部が池になった。 昭和42年(1967)に浮間公園が設けられた。、、、、、只今、満開! 早々と、昼前から桜色に染まった人もいた。
 
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浮間舟渡駅 ・・・・・・・・・・北区浮間と板橋区舟渡の2区にまたがる駅。 
 
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2017年4月 5日 (水)

矢切~市川

本格的に春の陽気でポッカ・ポッカのポッカレモン。 今朝は、北総線矢切駅で下車し、総武本線市川駅まで散歩した。 1万1千歩。
 
 
 
矢切駅 ・・・・・・・・・駅前に立って顔を右・左、東西南北、歩きつくした駅だ。 さてさて、どっちへ歩くか思案橋。 決めた、『歩いたことがなさそうな裏道をとおり、市川駅方面に向かうことにしよう!』
 
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・・・・・・・・・・・・・・・駅裏の住宅地を歩くことに、、、、、、
 
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中原寺 ・・・・・・・・・・・『アレ・アレ、この寺は2、3度来たことがある。 こんな処に出てしまったか!』 今日は素通りして、失礼します!
 
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③じゅん菜池緑地・・・・・・・・・・中原寺の先で左折すると「じゅん菜池緑地」があった。 『ア~~ どっちへ歩いても知った処に出てしまう! モ~~、どうでもイイヤ!』、、、、、『春の陽気だ、緑地の中を歩こう!』、、、、、、、国府台と国分の台地間に細長く入り込んだ古くからの沼がある。 この沼は「国分沼」と言われていたが、沼にはじゅん菜がたくさん生えていたことから、いつしか「じゅん菜池」と呼ばれるようになった。 しかし、昭和初期に沼が干上がり、じゅん菜は絶滅した。 昭和54年(1979)に、現在のじゅん菜池緑地へと整備され、市川市の憩いの場となった。
 
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④下総国分尼寺跡・・・・・・・・・・・・国分の台地の住宅地を歩き、和洋国府台女子中の裏に出ると、国分尼寺の跡が公園となって残されている。、、、、、国分尼寺は、国分寺と同じように、聖武天皇が天平13年(741)に発した「国分寺建立の詔」によって、「法華滅罪之寺」として各国々に建立されたものである。 南北の直線上に講堂を北にして金堂が南にある伽藍配置であった。 昭和42年夏に行われた発掘調査では、金堂と講堂の基壇が発見されている。 公園は芝で覆われ、基壇の中央付近に「金堂跡」、「講堂跡」と刻んだ石が置かれているだけ。 芝の上に寝て目をつむり、遠く古のロマンでも想像するのもいいかも!、、、、、この地から東南400m程の処に下総国分寺跡 がある。 『男女は離しておかないと、修行の邪魔。 離れていても、夜な夜なデートした僧と尼もいたかもね?』
 
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⑤国分の台地・・・・・・・・・・下総国分尼寺跡から、裏道を南へ、国分の台地の端と思われる見晴らしの良い処に出た。、、、、市川駅前のタワーマンションが中央に、和洋女子大の校舎が右端に見える。
 
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⑥芳澤ガーデンギャラリー・・・・・・・・・1000坪の敷地と庭園で、四季折々の自然を楽しむことができるガーデンギャラリー。 平成14年(2002)に芳澤月恵氏から寄贈された敷地を活用しオープンした。、、、、、、ギャラリーは、鉄筋コンクリート造、平屋建ての明るい建物である。、、、、、、今日は、市民のデッサン展が行われていたので、チョコット拝見!
 
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⑦真間川の桜を見て、お帰り・・・・・・・・・・
 
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2017年4月 4日 (火)

江古田~沼袋

千葉鉄道聯隊で活躍していた「E18機関車」が見たくなり西武池袋線の江古田駅から、西武新宿線の沼袋駅まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
江古田駅 ・・・・・・・・・大正11年(1922)11月1日、“1”並びの日に開業した駅。 旧制武蔵高等学校(現:武蔵大学)の設立に合わせて「武蔵高等学校用仮停留所」として開業し、翌年、駅名を「江古田」に改称し本営業を開始した。、、、、、駅名は「えこた」と読む、地名としては「えごた」の読みが正解である。 ただし、駅が所在する練馬区には“江古田”はなく、隣の中野区に地名が残っている。 ついでに、大江戸線の「新江古田」駅(練馬区・中野区の区境にある)では“しんえごた”と称している。
 
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●・・・・・・・・・・・『江古田まで来たので武蔵大キャンパスでも覗いてみるか。』と思い、武蔵野稲荷神社の境内を抜けて大学前の通りに出たら、『ナンジャ・コリャ!』学生がゾロゾロ、『ソ~~カ、越谷の手前だ! 新入生のオリエンテーションだ!』 今日は立ち寄るのを諦めた。
 
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②鉄道聯隊E18機関車・・・・・・・・・・・練馬区豊玉北1丁目の「エリエイ」という鉄道関連図書出版社に置かれている。、、、、、この機関車は、鉄道聯隊で使われた機関車で、大正10年(1921)にドイツ・オーレンシュタイン&コッペル社にて製造された。 軌間600ミリのE型タンク機関車である。、、、、このE型タンク機関車は、小回りの利く機関車として、軽便鉄道・森林鉄道、工場構内などで多く使用された。 大正10年(1921)、陸軍はこのE型機関車を25両発注し、「E1」~「E25」機関車とした。 昭和20年(1945)までは、千葉の鉄道第一聯隊または津田沼の鉄道第二聯隊の演習線で活躍した。 戦後、聯隊はなくなり、E18は砂利運搬用に西武鉄道に引きとられた。 数年間使用された後は、西武鉄道関連の工場・倉庫に放置され、ボロボロの状態となった。 平成5年(1993)、こちらの会社に移され、大井川鉄道新金谷工場で外観の修復が行われた。 平成24年(2012)から、現在の状態で保存されている。、、、、ボロボロの身体となったE18の再活躍は難しいと思うが、玄関前に大切に保存してもらい、延命しているようだ。
 
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③江古田の森公園・・・・・・・・・・・・・中野区江古田にある中野区立の公園である。 樹木や芝生の広場などがある広い公園は、住民の憩いの場であるようだ。 敷地は、大正8年(1911)にできた国立療養所中野病院があったところで、主に結核患者の養生所であった。 その病院も平成4年(1993)に新宿区の国立国際医療センターへ移転した。 跡地は中野区により公園として整備された。 公園に隣接し、「江古田の森」という老人ホーム、東京警察病院看護学校、総合東京病院など、医療・介護関連施設が集まっている。
 
・・・・・・・・・・・・・・公園は春、、、、、
 
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・・・・・・・・・・・・・・・公園の中央に福祉センター:「江古田の森」がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・道路を挟み向かいの東京警察病院看護学校は、本日が親子揃っての入学式。、、、、いずれ私が病院で世話になる娘がいるかもね?
 
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・・・・・・・・・・・・・・・こちらは総合東京病院、デカい病院だ!、、、、、病院の診察券を蒐集するのが趣味の私も、ここの診察券は持ってないね! 
 
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④カトリック徳田教会・・・・・・・・・・総合東京病院(中野区)とは江古田川を挟み練馬区側の豊玉中1丁目にカトリック徳田教会(とくでんきょうかい)がある。、、、、、こちらの教会は、明治42年(1909)にパリ外国宣教会から日本に派遣されたヨゼフ・フロジャック神父の歩みと共に活動してきた。 神父は、昭和初期、中野区江古田にあった結核療養所の入院患者が、退院を強いられ行き場を失っていたのを見て、一軒の家を借りて収容された。 その後、この家の周りに、患者を支える社会福祉法人慈生会、ベタニア修道女会、徳田教会などがつくられていった。 昭和28年(1953)には、神父の尽力により、現在の聖堂・司祭館が造られた。 その後、神父は昭和34年(1959)に他界した。、、、、、「徳田」(とくでん)は豊玉にあった旧地名である。
 
・・・・・・・・・・・・・・・正面から拝見、中世の教会のような後ろ姿も拝見。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・鐘楼に向かい左側が聖堂、右側は司祭館。
 
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・・・・・・・・・・・・・・聖堂の内部も拝見!
 
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⑤沼袋駅・・・・・・・・・・・西武新宿線の沼袋駅(ぬまぶくろえき)から帰宅する。、、、、、沼袋駅は隣の新井薬師駅とともに地下化工事が進められている。 工事はまだまだこれから、只今はヤードの整備中、完成まではあと数年はかかる?
 
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2017年4月 3日 (月)

二葉

JR大井町駅から、西側に広がる品川区二葉の町を1丁目から4丁目まで歩き、都営浅草線中延駅に出た。1万1千歩の散歩です。
 
 
・・・・・・・・・二葉の町名、、、、、、窪地であった現:二葉・豊町のある一帯は、江戸時代以前の戦乱の時代より、この辺りに陣を張るのに適していたので、「兵備窪」と呼ばれていたそうだ。 その「兵備窪」が外部の敵に恐れられる地となるよう「蛇窪」(へびくぼ)と称されるようになった。、、、、明治・大正時代までは、上蛇窪・下蛇窪などと称された。 昭和初期には、『“蛇”も“窪”も、暗いイメージの字』であることから、町にあった上神明天祖神社・下神明天祖神社にあやかり、「上神明町」・「下神明町」に改称された。、、、、、昭和16年(1941)、上・下神明町を、それぞれ南北に分け、北側同士、南側同士の町を合わせ、「二葉町」・「豊町」とした。 この時の新地名「二葉町」・「豊町」は、東京市からの提案で、さして深い意味はなかったそうだ。、、、、、そして昭和39年(1964)の新住居表示では、「二葉町」は「二葉」に変わった。
 
 
 
①上神明天祖神社・・・・・・・・・・・今日の散歩では最後に立ち寄った、中延駅に近い神社である。、、、、、品川区二葉4丁目にある天祖神社。 神社は、元享2年(1322)の大干ばつの時、雨乞祈願し神霊の冥助による降雨を感謝し、蛇窪村の鎮守として創建されたそうだ。 江戸時代には、蛇窪村は上蛇窪村と下蛇窪村は分村した。 この時、上神明天祖神社は上蛇窪村の鎮守となり、下蛇窪村には下神明天祖神社が創建された。、、、、、鉄筋コンクリート造の本殿・拝殿は平成の世に改修された。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・神社には境内末社として、厳島弁天社があり、白蛇大神が祀られている。、、、、、、岩の上に、数匹の白蛇が祠を守っている。 もちろん、作り物であるが、爬虫類が大嫌いの私は、写真を撮るのも怖い処だ!、、、、、社務所では、願いを書いて水に浮かべ溶けたら叶うと言われているおまじない的なものや、個性的な蛇の図柄の御守り・ストラップなども売られていた。 縁結びの御利益を期待し、若い女性が三々五々参拝に来ている。、、、、、、蛇に手を合わせるのは怖いので、若い娘を横目でチラリ・チラ・チラ見ながら足早に立ち去った。
 
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②下神明天祖神社・・・・・・・・・・東急大井町線の下神明駅の南側:二葉1丁目にある下神明天祖神社。、、、、、、江戸時代から鎮座していた天祖神社が、正保年間(1644~1647)に、下神明天祖神社(二葉1丁目)と上神明天祖神社(二葉4丁目)とに分かれたとされている。 こちらの神社は蛇に縁がなく、ゆっくり参拝できた。、、、、、社殿は昭和47年(1972)の建立。
 
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・・・・・・・・・・・・・・社殿前の狛犬は、品川区最大で体高1.4mある。 昭和8年(1933)、当時の荏原町の消防団の業績を記念して奉献されたものである。、、、、デカい! “犬”ではなく“獅子”だ!
 
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③東光寺・・・・・・・・・・下神明天祖神社の南に、天台宗寺院の東光寺がある。 東光寺の創建年代は不詳だが、戦国時代後期から江戸時代初期にかけて創建されたらしい。、、、、現在の本堂は、文化10年(1813)に再建されたものであるが、屋根、本堂前など手を加えられ再建時の姿はよく判らない。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・・境内には東司という祠がある。 東司は寺院の便所のことで、この祠は不浄よけの神として「烏瑟沙摩大明王」(うすさまだいみょうおう)を祀っている。、、、、、『 「下」の病をせぬ様に 「下」のお世話にならぬ様に 「おまたぎ」をまたいで祈念して下さい 』と記されている。 60歳を超えたら、ぜひ、皆さん「おまたぎ」を!、、、、便所の神様なら、“金”“運”の御利益にすれば良かったかも?
 
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④昭和の路地裏・・・・・・・・・・・・・二葉1丁目の路地裏を歩いてみたら、昭和の下町が残っていた!、、、、、、木製の引き戸、丸い外灯、砂利道、、、、、感動!
 
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⑤横山外科・・・・・・・・・・・・・下神明天祖神社鳥居の近く(二葉2丁目)、チョイト古そうな洋風の建物の病院。 昭和レトロの雰囲気が出ている建物で、度々、ロケに使われるらしい。 敷地も広そうで、洋瓦で飾った塀が伸びている。、、、、、診療科目は内科・外科から産婦人科・性病科まで、『なんでもござれ』の地元に愛される病院のようだ!
 
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⑥下神明駅付近・・・・・・・・・・・東急大井町線下神明駅のまわりをブラリ!
 
・・・・・・・・・・・・・・・下神明駅、、、、、駅は西品川1丁目にあるが、そのの通り下神明天祖神社の北側に位置する。、、、、、大井町駅の次の駅だが、乗降客は少ない。
 
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・・・・・・・・・・・・・・下神明駅の近くを通過する東海道新幹線。 後ろには、大崎駅前の高層ビルが見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・・東急大井町線下神明駅のホーム先の鉄橋のほぼ真下で、東海道本線(品鶴線)と山手貨物線(大崎支線)が合流している。 この位置に、蛇窪信号場(へびくぼしんごうじょう)があった。 信号所は昭和40年(1965)に廃止。、、、、、写真は信号所の南側、住吉踏切から撮影した。
 
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⑦二葉鬼門除け地蔵・・・・・・・・・・・・二葉2丁目の交番の隣に、東光寺の鬼門除けとしてここに地蔵尊が置かれている。 東光寺のほぼ真北にあたる。 地蔵尊は、寛政4年(1792)下蛇窪村の男女講が寄進したものらしい。、、、、、交番の隣では、盗む者もいないね!
 
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⑧下蛇窪ガード・・・・・・・・・・・JR横須賀線西大井駅の隣に下蛇窪ガードがある。 “蛇窪”の名が残るものの一つである。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・今日は“蛇”の夢を見ないように、早々と熟睡することにした。

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