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2017年4月9日 - 2017年4月15日

2017年4月14日 (金)

江戸川~小岩

日ごとに暖かくなり散歩日和が続く。 今日も、家を出たものの行く先定まらず、とりあえず地下鉄浅草橋駅で到着していた電車に飛び乗った。 電車の中、どこで降りるか思案橋。 隣に座った“お姉ちゃん”に気をとられ、気づけば終点青砥。 青砥駅から歩くのは飽きたので、違う駅で下車しようと、後続の普通電車に乗り継ぎ江戸川駅で下車した。 江戸川駅から、江戸川土手沿いに歩いた。、、、、、、この寺、以前来た! この神社も! このコンビニではお茶を買ったぞ! 道を変えよう! あ!ここも前に歩いた!、、、、、ということで、結局一昨年の2月1日に歩いたルートを再び歩いてきた。、、、、、違うのは散歩の終点が、京成小岩駅ではなく、JR小岩駅である。 1万3千歩の歩きです。
 
 
 
●・・・・・・・・・・・歴史は古く大正元年(1912)に開業した江戸川駅で下車。 ここで下車する、通勤客はいない! 学生もいない! 乗車する人はパラパラ! 
 
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●・・・・・・・・・・・・昭和54年(1979)に架け替えられた、橋長433.2mの江戸川に架かる京成電鉄江戸川橋梁。 対岸は千葉県市川市。
 
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●・・・・・・・・・・・・江戸川の河川敷に広がる小岩菖蒲園。 菖蒲の季節には、50,000本の花が咲き誇る。 まだまだ時期は早く、やっと緑に色づいてきた。、、、、、まだ訪れる人は、地元の人だけ。
 
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●・・・・・・・・・・・・一寸八分の観音像を祀る光ヶ嶽観音堂(江戸川区北小岩4)。 観音様は、里見義豊(戦国時代の武将)、義俊(平安末期の武将)の守り本尊だったそうだ。
 
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●・・・・・・・・・・・・・門前に青面金剛と馬頭観音を祀る真光院(しんこういん、北小岩4)、、、、、ちなみに、私の守り本尊はキャッシュカードである。 現世では、お金がないと生きていけない!
 
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●・・・・・・・・・・・権現造りの古社は小岩田天祖神社。 現社殿は文政10年(1827)に再建された。
 
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●・・・・・・・・・・・・再び、江戸川の土手に上がってみた。、、、、、対岸は市川市国府台の里見公園 。 緑の中に薄いピンクの桜が見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・チョイと春の日射しを受け上流側に歩くと、松戸市栗山の給水塔 が見える。、、、、、北総線の江戸川橋梁も見える。
 
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●・・・・・・・・・・・・・チベットとはどのような関係だか知らないが、寺宝としてチベット語の経典が多数ある真言宗豊山派正真寺。(北小岩7)、、、、、寺の駐車場の桜も見事に満開。
 
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●・・・・・・・・・・・・癌封じを売りとする江戸川不動尊唐泉寺(北小岩7)。、、、、、私には、癌封じだけでは足りず、呆け封じ、虫封じ、口封じ、いろいろ封じて、最後は息封じで極楽浄土。
 
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●・・・・・・・・・・・江戸川区北小岩に出っ張るように葛飾区鎌倉8丁目が接している。 ここに千代田通り商店街がある。 昔からの商店街ではなく、おそらく昭和の時代に作られた商店街のようだ。、、、、狭い通りだが賑わいがあるね。
 
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●・・・・・・・・・・・・商店街を横切り西に向かうと柴又街道に出た。 出たところに、寛永3年(1626)の創建と言われている大珠院がある。(葛飾区鎌倉4)、、、、、来てビックリ、見てビックリ、以前は貧乏寺のような造りの寺であったが、『Before/After』を見ているように、近代的な寺に変わっていた。、、、、私の賽銭で建て替えたのか?(失礼!)
 
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●・・・・・・・・・・・・これより柴又街道を、ひたすら歩きJR小岩駅へ向かう。
 
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2017年4月13日 (木)

土手通り

今日は、散歩の帰りに浅草に寄って買い物をする予定で家を出た。 『何処へ行こうか?』、とりあえず、我が家(浅草橋)から浅草を経由する南千住行のバスに乗り、バスの中で考えることにした。 バスが浅草を過ぎ、山谷堀公園が見え、「土手通り」を歩いてみたくなる、決定である。 泪橋でバスを降り、三ノ輪から待乳山聖天まで「土手通り」を歩いてきた。
 
 
●土手通りとは・・・・・・・台東区東浅草1丁目(馬道通りとの接続点)から台東区日本堤2丁目(三ノ輪二丁目交差点)までの直線道路(約1km)である。、、、、、「日本堤(にほんづつみ)」という土手があったことにちなんで命名された。
 
●日本堤とは・・・・・・・・現在は台東区北部の町名の一つであるが、元々は隅田川の氾濫による洪水を防ぐ目的で、元和6年(1621)に、江戸幕府によって築かれた堤防である。 幕府は、待乳山を崩した土で、今戸橋(現:待乳山聖天近く)から箕輪浄閑寺(現:荒川区三ノ輪)まで堤防:日本堤を築いた。 堤防の北側には、石神井川から分かれた音無川の下流となる山谷堀が流れていた。 また、明暦の大火(1657)以降、堤防の南側には“あの吉原”が人形町から移転してきた。 以後、日本堤は「吉原土手」とも呼ばれ、また、土手上は見晴らしがよく長さも6町余りあり、「土手八丁」とも言われた。、、、、、現在の「土手通り」は、この日本堤の取り壊された跡である。
 
 
浄閑寺 ・・・・・・・・・・・・日本堤の北の端(荒川区南千住2)に位置する、吉原遊女の投げ込み寺。、、、、“駆け込み寺”なら救われるが、“投げ込み寺”は屍となり葬られるだけ。、、、、花又花酔の川柳に「生れては苦界 死しては浄閑寺」とある。
 
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②日本堤の北端・・・・・・・・・・・・・浄閑寺前の三叉路が日本堤の北端である。 また、王子で石神井川から分かれた音無川は日暮里を経て浄閑寺の西側に流れ、ここから山谷堀となって隅田川に注いでいた。(現在は暗渠となっている)
 
・・・・・・・・・・・・・浄閑寺前(左端の手前陰に浄閑寺がある)の三叉路。 写真中央の道路が土手の跡。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・土手の跡をイメージされる勾配。 駐車している車が傾いている。 写真中央の居酒屋の前面道路と裏側の道路には高低差がある。 
 
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③三ノ輪二丁目交差点・・・・・・・・・道路幅も広くなり、ここから公式には「土手通り」。 交差するのは明治通り。
 
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④日本堤・・・・・・・・・・・・バス停は「日本堤」 、バス停の北側一帯の町名は「日本堤」 、土手の「日本堤」は昭和2年(1927)に取り壊された。
 
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・・・・・・・・・・・・・・日本堤の町は、かつては革製品の加工工場が多かった処。 また あのドヤ街として名をはせた「山谷 」の一部も含んだ町である。、、、、、日本堤の中心的商店街「いろは会も頑張っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・“土手通り”と云えば、“土手の中江”と云われる、明治38年(1905)創業の桜鍋の店:「中江(なかえ)」をイメージ。 隣の「伊勢屋」は明治22年(1889)創業の天婦羅屋。 現在の建物は、それぞれ、大正末期から昭和初期に建てられたもの。、、、、、吉原へ出向く粋人は、桜鍋を食して元気倍増!、穴子で精力回復! 行きも帰りも良い良い。
 
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吉原 ・・・・・・・・・・・・行ったことのない人でも、行ってみたい“ご存じ吉原”。 その入口大門へ向かう、土手通りから入る参道(?)に“見返り柳”が立っている。 吉原から帰る客が、この柳のあたりで、後ろ髪を引かれる思いで遊郭を振り返ったといわれている。、、、、今の時代、遊郭はなくなり、あるのはソープランド。 遊び方も変わり、後ろ髪を引かれる人はいなくなったかも。
 
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・・・・・・・・・・・・・昭和21年GHQの命令で公娼制度は廃止され、吉原遊郭は“赤線”となった。 12年後の昭和33年2月28日売春防止法の施行により“赤線”も消えた。 、、、、その“赤線”当時の建物と思われる建物が数棟、「土手通り」裏に残っている。
 
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⑥旧待乳山小学校(現台東区立東浅草小学校)・・・・・・・・・・土手通りの吉原大門交差点近くに建つ旧待乳山(まつちやま)小学校は、明治6年の創立の小学校で、現在は近くの田中小学校と合併し東浅草小学校に変わっている。 ここの校舎は関東大震災後に建てられた復興小学校である。、、、、、東京市の設計、芝江初五郎の施工にて、昭和3年(1928)に竣工した鉄筋コンクリート3階建ての校舎である。、、、、山谷堀はこの校舎の近くを流れていたようだ。
 
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山谷堀公園 ・・・・・・・・・・旧待乳山小学校の近くから、山谷堀公園は始まり、待乳山聖天の裏まで続き、今戸橋跡で隅田公園にぶつかる。、、、、、あっち、こっちで散ったサクラを掃き寄せる光景が見られた。 この時期は、綺麗だが、大変だ!
 
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⑧土手通りはここまで・・・・・・・「土手通り」の公式の南端は台東区東浅草1丁目である。 写真手前から歩いてきた「土手通り」はここで終わり、右の「馬道通り」に続く。  直進すると山谷堀の最下流であった今戸橋に出る。
 
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2017年4月12日 (水)

南馬込

都営浅草線西馬込駅で下車し、南馬込1丁目・5丁目の付近をキョロキョロ、ウロウロ、ブラブラ歩き馬込駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
①西馬込駅・・・・・・・・・・・・都営浅草線の起点駅で、昭和43年(1968)11月15日に開業した。 下車したホームは地下3階にあり、地上に出るには地下4階の連絡通路に下り、そこから改札口のある地上まで階段・エスカレータを上ることになる。 地上に出るまで、無駄に歩かされているような気分になる駅である。、、、、、駅の先には馬込車両基地 があり鉄道オタクには聖地の一つである。
 
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②夢告観音・・・・・・・・・・・・西馬込駅東口(上の写真)を出て、第二京浜から横道に入ると観音像が祀られている。 観音さまは、元々この場所にあったわけではなく、付近を転々とした末、現在地に落ち着いたらしい。 いずれにせよ、明治以降、民間の信仰が非常に厚かった観音様のようです。、、、、謎の多い観音さまのようだ。
 
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③湯殿神社・・・・・・・・・・・・・大田区南馬込5丁目にある湯殿神社は、創建年代不詳であるが、江戸時代には羽黒権現と呼ばれていたらしい。、、、、、神社の位置は、旧馬込村領主梶原助五郎(=戦国時代の武将で、後に北条氏の家臣となる)の居城「馬込城」の西端となるそうだ。、、、、、別当寺は近くの長遠寺。
 
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・・・・・・・・・・・・・・神社の参道脇には、どこからか移設したと思われる、宝暦12年(1762)の造立の青面金剛庚申供養塔、寛文6年(1667)造立の如意輪観世音菩薩、造立年不明の地蔵菩薩像が2体並んでいる。
 
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④萬福寺・・・・・・・・・・・・南馬込1丁目にある、切妻造り茅葺きの山門が印象的な、慈眼山無量院と号す曹洞宗の寺院。、、、、、建久年間(1190~99)大井村の地に密教寺院として創建された。 開基は梶原平三景時であったと伝えられている。 元応2年(1320)火災にあい、第六代の梶原掃部助景嗣が居城とともに馬込(現在地:南馬込1)へ移転した。 天文3年(1534)鎌倉の禅僧明堂文竜が曹洞宗に改め中興し、現在の萬福寺へと続いている。、、、、、本尊の阿弥陀三尊を清めた湯水は眼病に効くと伝承されて信仰を集めてきた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・本堂は平成17年(2005)に新築。、、、、、、桜の花が風に舞っていた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・本堂の後ろには、チョイト、ガンダーラ風の古そうな納骨堂がある。、、、、中を覗いてみたいが、興味半分では罰があたりそうなので、ヤメタ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・墓地の中央付近には、鎌倉幕府で権勢を振るい頼朝の死後に追放された梶原景時の墓がある。、、、、、また、明治・大正の天才女流奇術師:松旭斎天勝の墓もある。
 
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⑤河原家住宅・・・・・・・・・・旧馬込小学校の玄関と教場部分を移築して和風住宅に改造した。 その後時計台も移築した住宅。 国の登録有形文化財。、、、、、塀があり、平屋の住宅部分は見えず、時計台が屋根の上に見える。
 
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⑥長遠寺・・・・・・・・・・・・馬込小学校前の長遠寺(ちょうおんじ)は、海岳山大乗院長遠寺といい、真言宗智山派の寺院。 烏羽天皇の天仁元年(1108)に創建された。 後柏原天皇の文亀2年(1502)現在の地に移り、元禄年間徳川綱吉の時代に諸堂が復興され壇林寺格となる。
 
・・・・・・・・・・・・・・・花が散り始めた枝垂れ桜が出迎えてくれる山門
 
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・・・・・・・・・・・・・・文久元年(1861)に再建された現本堂。、、、、、屋根の青銅が美しい!
 
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⑦馬込八幡神社・・・・・・・・・・・長遠寺に隣に、同時が別当寺であった馬込八幡神社がある。、、、、、境内に記された由緒では、『 時は鎌倉時代の建久四年(1193)馬込の松原(現在の北馬込二丁目付近)にいた、源頼朝の家臣の渡辺対馬守正久が、京都石清水八幡宮の分霊を勧請し、翌年の秋に遷宮を行ったといわれています。  そして、その後荒廃したものを江戸時代の文化十三年(1816)馬込村の名主だった高山幸右衛門らが再興して馬込全域の総鎮守となりました。』とある。、、、、、社殿は昭和36年(1961)に建てられた、鉄筋コンクリート造、八幡造りの建物。 また、境内には石造りの御霊社もある。
 
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⑧四重の立体交差・・・・・・・・・・・・・第二京浜と東海道新幹線が交差する、馬込橋の地点は四重の立体交差である。、、、、まず、品鶴貨物線(現横須賀線)と第二京浜が交差していた。 (ここに架かる跨線橋が馬込橋である。) 次に、第二京浜の下を都営地下鉄が走ることになり、貨物線の下を地下で抜けた。 そして最後は、貨物線の頭上を東海道新幹線が走ることになった。 下から、都営地下鉄(現:浅草線)、品鶴貨物線(現:横須賀線)、第二京浜、東海道新幹線が四重に交差する地点となった。、、、、昭和39年(1964)3月に行われた、新幹線陸橋の架設工事では、全長86.4m、約580tonのアーチ橋をあらかじめ造っておき、交通量の少なくなった夜間に、引き出す工法が採用された。 当時は物凄い工事で、新聞・テレビで報道されたのを覚えている。
 
・・・・・・・・・・・・・・横須賀線(高架下)、第二京浜、新幹線の交差点である馬込橋。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・引き出し工法で架橋した新幹線陸橋。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・新幹線高架下を走る横須賀線(品鶴貨物線)。
 
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馬込駅 ・・・・・・・・・・日本で初めてできた幹線道路の立体交差が、昭和15年(1940)に完成した、環状七号線と第二京浜国道の交差点である松原橋。、、、、、、馬込駅の出入口はこの橋の下にある。
 
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2017年4月10日 (月)

四ツ木~綾瀬

京成押上線四ツ木駅から、お花茶屋を抜けてJR常磐線綾瀬駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
四ツ木駅 ・・・・・・・・・・今日の散歩は、京成押上線(四ツ木~青砥間)の高架化工事の進み具合を確認する予定で下車してみた。 工事は、仮囲い設置が行われていたが、まだ特に見るべきものはないようだ。 急遽、予定を変更し、北の方角に歩いてみることにした。
 
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②四つ木の裏道・・・・・・・・・何か見るべきものはないかと裏道を歩き、コソ泥まねて家々覗き、おばさんと目が合い知らぬ振り。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・四つ木2丁目、西光寺の前に出た! 手だけ合わせて、通り抜け!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・水戸街道に出る手前、 「四つ木めだかの小道」がある。 水戸街道北側の「曳舟川親水公園」の続きだそうだ。 水戸街道の裏道250m程が整備され、小川に沿った小道である。 歩きながら、メダカを探してみたが、一匹も確認できなかった。 今日はメダカの学校の入学式で、全員留守のようだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・水戸街道(国道6号)を横切った!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・四つ木から亀有へ延びる「曳舟川親水公園」の四つ木側の端。 写真右側が道路中央に整備されている公園。、、、、サクラは満開!
 
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③宝町の裏道・・・・・・・・・・・・南北に伸びる「曳舟川親水公園」の道をはずし、親水公園の西側:宝町(たからちょう)の裏道を歩くことにした。、、、、ちなみに、「宝町」の謂れは、、、、この辺り、昔は宝木塚村(ほうきづかむら)と呼ばれていたが、昭和36年(1961)の住居表示で、他の町と合併し“宝”の一文字を採って宝町としたそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・この町もアパートが多いようだ。 学生向けより、社会人向けの方が多そうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・旧地名を残す「宝木塚小学校」。 昭和25年(1950)四ツ木小学校宝木塚分校として開設し、昭和26年(1951)葛飾区立宝木塚小学校として独立開校した。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・昭和40年(1965)に建てられた「葛飾宝町アパート」、2DK(32㎡)が全27戸の都営住宅。 葛飾区内の都営住宅では、5指に入る古さ。
 
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お花茶屋駅 ・・・・・・・・・・・昭和6年(1931)に、上野線(日暮里~青砥間)の営業と同時に開業した相対式ホーム2面2線の地上駅。、、、、、、名の由来は駅前のお茶屋にお花さんが住んでいたと言われている。 嘘か、真実か、お花さんに聞いてみたいものだ!
 
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⑤入学式・・・・・・・・・・お花茶屋にある共栄学園高等学校。 今日は入学式らしい、お父さん、お母さんと新入生(共学)がゾロゾロ。、、、、、こちらは、女子バレーボールの強豪校で有名。 男子は何が強いのやら? 
 
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⑥九品寺・・・・・・・・・・葛飾区堀切6丁目にある、区内有数の古刹である九品寺。 当寺は、建久4年(1192)に創立され、以来、800年に近い法灯を伝えている。 ただし、享和2年(1802)および明治元年(1867)の火災、そして数度の水害により、寺宝・記録は散失し由緒不明。、、、、、、現本堂は昭和35年(1960)に改築。、、、、、境内には、最近建立したと思われる九品仏が春の陽射しを受け、嬉しそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・鈴懸の径、、、、、、、、九品寺には作詞家:佐伯孝夫の墓所があることから、寺の横の細い小道(元はドブ川で暗渠化した)には佐伯孝夫を偲び「鈴懸の径」と名付けられている。 チョイト歌のイメージとは、程遠い小道だ!、、、、、歌のモデルとなった鈴懸の径は立教大学のキャンパスにある。 こちらが本物(?)
 
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⑦綾瀬駅・・・・・・・・・歴史:::::1943年(昭和18年(1943)4月1日、国有鉄道(鉄道省)常磐線の駅として開業。 昭和46年(1971)4月20日、営団地下鉄千代田線の駅が開業し、駅管轄権が営団に移管された。 都内にあるJR駅では唯一、他社に営業を委託している駅である。
 
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