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2017年7月9日 - 2017年7月15日

2017年7月15日 (土)

青物横丁~大井町

前回の散歩で、「江戸六地蔵」の二番目である東禅寺(台東区)の地蔵菩薩を見たので、今日は久しぶりに、一番目の品川寺(品川区)の地蔵菩薩を見に行った。 京急青物横丁駅で下車し、品川寺に参拝し、ゼームス坂周辺の裏道を歩き大井町駅から帰宅。、、、、、熱中症を避け日陰を歩いて、9千歩の散歩です。
 
 
 
①青物横丁駅・・・・・・・・・・明治37年(1904)5月8日に、駅名:青物横町として開業したが、いつの間にか青物横丁と変わってしまった。 駅名の青物横丁は、江戸時代に農民がこの地に青物(野菜・山菜)を持ち寄って市場を開いたことに由来する。、、、、ホームは高架相対式2面2線で、3階部分にある。 2階は改札口。、、、、かつて、駅名の“横丁”に“昭和”を感じ、駅周辺で“横丁”を探し歩いたことを覚えている。 残念ながら、見つけることはできなかった。
 
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②竹内医院・・・・・・・・・・・青物横丁駅近くに明治40年(1907)に建てられた、ノスタルジックな医院。 現在は3代目の院長で、祖父の代から続く医院の老舗。 平成21年(2009)に外科医院から耳鼻咽喉科へチェンジした。 診察室には最新設備が整っているそうです。、、、、、私はチョイト難聴なので、一度診察を受けてみたいが、我が家から遠すぎるね!
 
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③品川寺・・・・・・・・・・青物横丁駅の東隣に真言宗醍醐派の品川寺(ほんせんじ)がある。大同年間(806~810=平安時代初期)に創建された古刹。 江戸時代、寛文元年(1652)、4代将軍家綱より4,800坪の寺領を賜り、大伽藍を建立した。 その後、松平讃岐守・阿波守,太田備中守三家の外護のもと大名の祈願所として隆盛を極めた。 明治維新以降は、一時荒廃したものの、大正・昭和には諸堂、山門等の建立が続き復興がなされたという。、、、、、、山門の先は境内が広がり、右手奥に本堂(大正12年(1923)築)が建っている。 中華様式の影響があったのか、斬新なデザインの本堂である。
 
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・・・・・・・・・・・・・山門前で江戸六地蔵、第一番の地蔵菩薩が出迎えてくれる。、、、、、、江戸六地蔵とは、深川の地蔵坊正元が、宝永3年(1706)に発願し、江戸の出入口6箇所に地蔵菩薩像を造立した。 病気平癒を地蔵菩薩に祈願したところ無事治癒したため、京都の六地蔵に倣って造立したものである。 像高はいずれも2.7m前後である。 第一番から第五番までの5体は現存し、第六番(江東区永代寺、千葉街道沿い)は明治元年(1868)に廃仏毀釈により取り壊された。 第一番は品川寺(旧東海道沿い)、第二番は東禅寺(浅草、奥州街道沿い)、第三番は太宗寺(新宿、甲州街道沿い)、第四番は眞性寺(巣鴨、旧中山道沿い)、第五番は霊巌寺(深川、水戸街道沿い)である。、、、、、六地蔵の中で傘を被ってないのはここ品川寺の地蔵菩薩だけだ。 その為か、顔は雨だれのようなシミが出て、チョイと可哀そうだ。 誰ぞ、エステに連れていって欲しいね!
 
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・・・・・・・・・・・・・境内には、幹周り5.35m、樹高25m、樹齢600年の大イチョウが、堂々と枝を伸ばしている。
 
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④海雲寺・・・・・・・・・・・品川寺の南側に、曹洞宗の龍吟山海雲寺がある。 この寺は、建長3年(1251=鎌倉時代)に近くの海晏寺内に建てた「庵瑞林」に始まるそうだ。 慶長元年(1596)に海晏寺の和尚により開山し、曹洞宗に改められ、寛文元年(1661=江戸時代)海雲寺になった。
 
・・・・・・・・・・・・・山門の右側、正面に本堂があり、山門を通し左側奥が荒神堂で千躰荒神を祀っている。江戸時代から「品川の荒神さん」として知られている。
 
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・・・・・・・千躰荒神王は火と水の神で、台所の神である。 3月と11月の27日、28日は「千躰荒神大祭」で御開帳があり、参拝してお札を授かると火除けとなるそうだ。 その荒神様が祀られている千躰荒神堂
 
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・・・・・・・・・・荒神堂の中には多くの扁額が奉納され、格天井には纏が描かれている。
 
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⑤第一京浜を越え、ゼームス坂へ・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・青物横丁交差点で第一京浜を横断し、大井町方向に歩く、、、、、
 
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・・・・・・・・・・・・・青物横丁交差点から上り坂で仙台坂上に向かう池上通り。 私は、写真右側、南品川5丁目の裏道を歩いてきた。
 
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・・・・・・・・・・・・・行きつ戻りつ、裏道を歩き、出てきたところはゼームス坂。、、、、、、JR大井町駅から京急新馬場駅までむすぶゼームス坂は、もともと非常に急な坂だった。 明治時代、この坂下付近に住んでいたJ.M.ゼームスという英国人が私財を投じて緩やかな坂に改修した。 以来この坂はゼームス坂と呼ばれるようになる。 J.M.ゼームス(1839~1908)は、幕末にジャーデン=マディソン商会の長崎支社の社員として来日し、明治5年(1872)に海軍省に入り、測量調査や航海術の指導を行った。 生前から仏教に帰依し、その墓は山梨県身延町の久遠寺にあるそうだ。
 
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⑥品川電車区ボイラー室(旧大井町変電所)・・・・・・・・・JR東日本山手電車区の中にある赤煉瓦の建物は、近づくことが難しく、南品川6丁目の浅間台小学校横の小路から撮影。 この建物は、大正11年(1922)に竣工した旧大井町変電所。、、、、、、京浜東北線や湘南電車に乗っていれば必ず目に入ってくる建物で、存在は多くの人が知っているようだ。
 
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⑦JR大井町駅・・・・・・・・・・・京浜東北線大井町駅は東急の大井町線、東京臨海高速鉄道のりんかい線が乗り入れ、相互間の接続駅となっている。 明治34年(1901)3月15日に、国有鉄道東海道本線に大井聯絡所が開設された。 大正3年(1914)12月20日に、京浜線(京浜東北線の前身)の運行開始に伴い、大井聯絡所を駅に格上げし大井町駅誕生。
 
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2017年7月12日 (水)

橋場・千束

今日も30℃超え、連日の猛暑である。 遠くに出て行くのはひかえ、地元台東区内を散歩しよう。 今日は台東区の北の端:橋場(はしば)から、吉原遊郭のあった千束(せんぞく)付近まで歩いてきた。
 
 
①橋場不動尊・・・・・・・・・隅田川に架かる白鬚橋の西詰に通称:橋場不動尊はある。 正式には砂尾山橋場寺不動院と称する天台宗の寺院。 不動院は、天平宝字4年(760)に創建された。、、、、、江戸時代の建築様式を残す、弘化2年(1845)に建てた小さな堂は簡素な佇まいで、不動尊は下町の庶民に崇められている。
 
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・・・・・・・・・・・・・橋場不動尊参道前の道路(都道314号)の向かい側、歩道上に几号水準点が残されている。、、、、、几号水準点は、明治時代初期に内務省が実施した高低測量(水準測量)に用いた標石である。 現在では、東京から塩釜にかけ、全国約340か所に設置されたことが明らかとなっている。 内現存するのは150か所程で、その内都心に残っているのは40か所程である。  「几」は「几帳面」の「几」で「き」と読み、“机”の意味がある。 この標石に彫られた記号(漢字の“不”に似た記号)が三脚のついた机に似ていることから「几号水準点」と呼ばれる。、、、、、今から100年以上前の水準点で、しかも現在は使われていないものである。 道路を舗装管理する人も、なんだか訳わからず、埋めたり移設してはいけないものと思い込み、そのままにして現在に至ったものと思われる。
 
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②橋場の長屋・・・・・・・・・・・台東区橋場には古い家も多く残っている。 写真は木造の7軒長屋と奥に5軒長屋が見える。
 
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③お化け地蔵・・・・・・・・・・・・橋場2丁目、松吟寺の境内に享保6年(1721)に建立された、高さ3m程の地蔵尊がある。 この辺りは、室町時代以来、禅宗の名刺総泉寺の境内地であった。 門前一帯を浅茅ケ原といい、その松並木の道の傍らにこの石地蔵が祀られていた。 地蔵はかつて大きな笠をかぶり、その笠が人知れず向きをかえたから「お化け地蔵」と呼ばれたといわれている。  総泉寺は昭和4年(1929)板橋区へ移転し、「お化け地蔵」だけが、ここに取り残されたのである。、、、、、脇の常夜灯は、寛政2年(1790)に建てられた。 地蔵も常夜灯も朽ちてきたね。
 
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④出山寺・・・・・・・・・台東区清川1丁目、曹洞宗の明星山出山寺(しゅっさんじ)は、総泉寺の和尚が延宝4年(1676、江戸時代前期)以前に開山・創建した。、、、、、朱塗りの小さな本堂が印象的な寺。
 
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・・・・・・・・・・・・・・境内には、江戸時代初期、寛文の頃(1661~1673)、新吉原雁金屋の遊女「釆女」に心を寄せた若い僧侶が師から固く制され、悩んだ末、雁金屋の前で自害してしまった。 時に十七才の采女は悲しみ、浅茅ヶ原の鏡が池に身を投じた。 翌朝、草刈りの人たちが、 『名をそれとしらずともしれさる沢の あとをかがみが池にしずめば』 としるした短冊を見つけ、采女とわかり、塚に葬った。 境内には、文化元年(1804)大田南畝ら文人たちによって建立された采女塚の碑がある。、、、、、昔は遊女に惚れて己の身を滅ぼす者ばかり、今は惚れたらストーカーとなり相手の身を滅ぼす者ばかり。
 
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⑤東禅寺・・・・・・・・・・・東浅草の曹洞宗洞雲山東禅寺は、寛永元年(1624)に創建された。 寺は本堂前で、江戸六地蔵の一つ銅造地蔵菩薩坐像が出迎えてくれる。 高さは、2.71mある。、、、、、“江戸六地蔵”とは、、、、、江戸深川の地蔵坊正元が、病気平癒に感謝して、多くの人々の浄財を集め、宝永3年(1706)に江戸の出入口となる街道の6箇所に地蔵菩薩像を造立した。第一番は東海道の品川寺、第二番は奥州街道の東禅寺、第三番は甲州街道の太宗寺、第四番は中山道眞性寺、第五番は水戸街道の霊巌寺、第六番は千葉街道の永代寺である。(第六番は現存しない) 
 
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・・・・・・・・・・・・・東禅寺には、もう一つ像がある。 こちらは、六地蔵の左わきで、座して地蔵菩薩の説教を聞いている二人の老夫婦の像。、、、、、“あんパン”の「銀座木村屋總本店」創業者夫婦(木村安兵衛、ブン)の像だ、夫婦が埋葬されている寺に、大正7年(1918)に建てられた。、、、、、お供えは、もちろんアンパンだろう?
 
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⑥吉原・・・・・・・・・・・・・かつての遊郭、今はソープランド街。
 
・・・・・・・・・・・・・吉原大門の前に建った復興小学校:旧待乳山小学校 。 現在は東浅草小学校。、、、、いい場所にあったね! 放課後、スグに行けた?
 
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・・・・・・・・・・・・・「よし原大門」と記した柱が両側に立つ「仲之町通り」。モダン(?)な外装のソープランドが並ぶ、交差する脇の通りもズラリと並ぶ。、、、、、私には、目の毒、気の毒、懐の毒。 いそいそと通り抜けて行く。
 
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・・・・・・・・・・・・・通り抜けた処に、廓の守り神:吉原神社 がある。、、、、チョイと賽銭もはずみ、家内安全、身体健康を祈願する。 
 
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・・・・・・・・・・・・・神社の隣には、20年ほど前まで台東産院があり、今は台東区立の「台東病院」となっている。 我が家でも今年になって、94歳の母が内科の診察を受け、私も数回付き添いで通った。、、、、遊郭が現存していれば、入院してもいいかもね!

2017年7月10日 (月)

新川

江戸川区の中程、中川と旧江戸川を結ぶ運河であった新川(しんかわ)の東端から西端まで、全長約3kmを歩いてきた。、、、、、都営新宿線の一之江で下車し、東端の「新川東水門」へ行き、川沿いに歩き、西端の「新川排水機場」を見て、船堀駅から帰宅。 1万3千歩の散歩です。
 
・・・・・・・・・・・・・新川とは、、、、、、新宿線一之江駅と東西線葛西駅の中間地点辺りで、旧江戸川から分岐し、江戸川区を東西に横断し、新宿線船堀駅の西側で中川に注ぐ、江戸時代からの運河である。、、、、、最初は行徳塩田の塩を江戸に運ぶ水路として始まったが、寛永9年(1632)からは貨客船の「行徳船」が就航し、近郊の農村の野菜や成田参詣の客なども運ぶようになった。 その後、利根川を経由する航路が整備され、利根川流域の農作物、味噌・醤油などの加工品を、新川・小名木川を通って江戸に運ぶ、主要ルートとなった。 新川の水運は戦後まで続いたが、昭和50年代には、その役目も終え(1979)に新川は運河としては使用されなくなった。、、、、今では、川筋には1000本の桜並木を整備し、江戸時代の木橋や石積み護岸も再現し、両岸は遊歩道となっている。
 
 
①新川東水門・・・・・・・・・新川東水門は旧江戸川と新川の接続点に昭和40(1965)に設置された径間11m×2連のローラーゲート式水門。 旧江戸川の水位が大潮の満潮位を超えると閉鎖し、浸水を防ぐ役割を担っている。
 
・・・・・・・・・・・・・・旧江戸川が流れ下る、その右岸に新川東水門がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・新川東水門内は船溜まりになっていて、わずか数十メートルで水路は行き止まり。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・船溜まりの奥には新川東樋門が設けられ、旧江戸川から取水して新川に放流している。
 
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②新川口橋・・・・・・・・・・・・・水門の隣に架かる新川口橋。 昭和45年(1970)に架けられ、橋の下は埋め戻され導水管が設置されている。、、、、、“橋”である必要性は無くなり、江戸川区の計画では、平成35年頃に撤去されようだ!(インターネットで知った極秘情報)
 
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・・・・・・・・・・・・・・旧江戸川の水は橋の下と隣の公園の下を導水管で抜け新川に放流されている。、、、、、、今日も暑い一日が始まり、公園には誰もいない! いるのは、暇で散歩をしている親爺だけ!
 
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・・・・・・・・・・・・・新川の東端、奥の小島の後ろに放流口がある。 川の中に島を配し、 親しみやすい川を演出している。
 
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・・・・・・・・・・・・新川口橋付近から、新川を見る。 水鳥も遊んでいる。
 
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③新川に架かる人道橋・・・・・・・・・・・新川には14本の橋が架けられているが、内7本は江戸情緒を感じさせるデザインの人道橋である。 東側から順に、人道橋全7本を“堂々一挙公開!”
 
・・・・・・・・・・・・・・宝橋、、、、、平成26年(2014)架設。
 
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・・・・・・・・・・・・・・花見橋、、、、、、平成23年(2011)架設。 一見すると橋に見えない、川の上に大きな広場が造られたようだ! その名が示すように、花見のシーズンは両側に咲く「新川千本桜」を見ながらの桟敷席となるのかも?
 
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・・・・・・・・・・・・・桜橋、、、、、、、新川のほぼ中間地点に架かる橋。 平成24年(2012)架設。 こちらも広場型の橋で、ゴザを敷いて100名の宴会も可能だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・小江戸橋、、、、、、、平成19年(2007)架設。 この付近では、川にヨシを植え、川の浄化と小魚の生育を意図しているのか?
 
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・・・・・・・・・・・・・・忍者橋、、、、、、、唯一、黒塗りの橋。 平成11年(2009)架設。、、、、、ナント、ビックリ、ヤックリ、この橋の川底には巨大な駐車場があるのだ!(後述) 
 
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・・・・・・・・・・・・・・擬宝珠橋、、、、、、、平成11年(2009)架設。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・櫓橋、、、、、、、こちらも平成11年(2009)架設。 
 
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④新川大橋・・・・・・・・・・・花見橋の隣に架かり、都道318号環状七号線がとおる。 橋の下は直射日光を遮り、良き穴場のようだ。 多くの人が釣りを楽しんでいた。
 
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⑤新川橋・・・・・・・・・・・・新川に架かる橋の中では、最も古く大正5年(1916)に開通した。
 
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⑥三角橋・・・・・・・・・・・平成12年(2000)に開通した三角橋。 「三角」は、昔からの地名らしい。 現:新川橋のあたりには「三角渡し」もあったそうだ。
 
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⑦新川さくら館・・・・・・・・・・・桜橋の北側に、新川の歴史を後世に伝えるとともに、お休み処や広場などを活用し交流を図る、地域の活動拠点が用意されている。、、、、、、うだるようなこの暑さ、“かき氷”を求めてチョイと立ち寄った。 ありゃ、誰もいない、ダメだコリャ!
 
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⑧新渡橋・・・・・・・・・・・・小江戸橋と忍者橋の間に、平成12年(2000)に開通した新渡橋がある。
 
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⑨新川地下駐車場・・・・・・・・・・・・新川は東西の両端を水門で閉鎖し、東水門から導水して西水門から排水することで水位を低下させ一定に保つようになった。 新川に船の通行も無くなり、川は親水河川として整備されてきた。 そして、その整備の極めつけは、80億円をかけ川底に造った地下駐車場である。 川筋に合わせチョイト曲がっているが、約200台収容可能な都の駐車場である。 豊洲市場とは比べ物にならないが、こちらは、ずさんな計画によるガラガラの駐車場。 
 
・・・・・・・・・・・・・・川沿いの宇喜田町に出入口がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・全長484mの駐車場に、出入口近く、数台が駐車している程度。 あとは???
 
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・・・・・・・・・・・・・・この川底に巨大な駐車場があることを知る人は少ないであろう。 ナイショにしておくか!
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⑩宇喜田橋・・・・・・・・・・・擬宝珠橋の東側に、昭和32年(1957)に開通した宇喜田橋がある。 橋上には船堀街道が通る。
 
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⑪西水門橋・・・・・・・・・・・・新川の西端、新川排水機場前に、西水門橋がある。 平成18年(2006)に完成した橋。 デザインは水門に合わせたのか、明治調の雰囲気を出しトラスを強調したデザインである。、、、、、橋の後ろの櫓は、新川整備の一環として、公園にモニュメントとして建てられた、高さ15m程の火の見やぐら。、、、、、橋名の「西水門」は、かつて、ここにも水門があったが、現在は排水機場に変わった。
 
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⑫新川排水機場・・・・・・・・・・新川の最後は、中川との合流点に建つ新川排水機場。 昭和43年度(1968)に竣工した、ポンプ口径:1600mmを1台、1200mmを2台で、毎秒12トンの排水能力を有する。
 
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2017年7月 9日 (日)

四万六千日

私が住み、観音様が住む台東区では、気象庁の発表で35度を超え、『猛暑日』となった。 70歳を超えて熱中症で倒れ、救急車で運ばれ、若い看護婦さんに“下”の世話になるは、チョイと恥ずかしいので、家で自重することにした。 『散歩は休み!』のはずだった。

昼食時に、『今日はほおずき市ね!』、『昼から行ってみようか!』で即決。 夫婦で、ガンガン照りの浅草寺へお参りに行ってきた。、、、、、(昨年のほおずき市は、こちら。)

 

・・・・・・・・・・・・・汗を拭き拭き、大勢の参拝客で、暑い暑い浅草寺。

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・・・・・・・・・・・・・・大勢の人に見られて恥ずかしいのか、赤く色づいたほおずき。
 
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・・・・・・・・・・・・・・笑顔がかわいい、今年の“ほおずき娘”。
 
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