« 2017年7月9日 - 2017年7月15日 | トップページ | 2017年7月23日 - 2017年7月29日 »

2017年7月16日 - 2017年7月22日

2017年7月21日 (金)

巣鴨

江戸六地蔵の四番目は、巣鴨の「地蔵通り商店街」入口脇の眞性寺にある。 今日は巣鴨駅から、都営三田線の西巣鴨駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
①巣鴨駅・・・・・・・・・・明治36年(1903)4月1日に日本鉄道の駅として開業。 島式ホーム1面2線の地上駅で、駅舎は大塚駅寄りの白山通りに面しあり、改札はここ1か所のみである。、、、、、、“おばあちゃんの原宿”駅も、朝は若い人ばかりだ。
 
1707210801060
 
1707210804290_2
 
1707210805320
 
 
②眞性寺(江戸六地蔵)・・・・・・・・・・「巣鴨地蔵通商店街」入口(出口かも?)手前に、江戸六地蔵尊の四番目が安置されている真言宗豊山派醫王山東光院眞性寺がある。 眞性寺は、聖武天皇の勅願により行基菩薩が創建したと伝えられる古刹。、、、、、、寺は昔から中山道の出入口にあたるこの地にあり、大きな傘をかぶり杖を持つ地蔵尊が、江戸の旅人の安全を見守ってくれている。 今は“巣鴨”と云えば「とげぬき地蔵」だが、昔は“巣鴨”と云えば「六地蔵」であった。 像は正徳4年(1714)に造立された。、、、、、、地蔵さんは、300年間、この地に座りぱなしで、足もしびれているかも? 右手中指で、おでこの真ん中に、3回つばをつけると治ることを、教えてあげたいね。
 
1707210818160
 
1707210818490
 
1707210819470
 
 
高岩寺 ・・・・・・・・・・・来たついでに、「とげぬき地蔵」にお立ち寄り。 曹洞宗萬頂山高岩寺は、慶長元年(1596)に江戸湯島に開かれ、その後下谷に移転し、明治24年(1891)に現在地の巣鴨に移転してきた。 本尊は「とげぬき地蔵」(秘仏)として病気の治癒改善に御利益が期待されている延命地蔵菩薩。 お年寄りには、うれしい御利益だね。、、、、「とげぬき地蔵」の由来は、、、、江戸時代、毛利家の女中が針を誤って飲み込んだ際、地蔵菩薩の御影を飲み込んだら、針が御影に刺さって吐き出されたという伝承がある。 マジックのような話だ!、、、、、本堂は昭和32年(1957)、鉄筋コンクリート造にて完成。
 
1707210841350
 
 
④中央卸売市場豊島市場・・・・・・・・・・国道17号(白山通り)を挟み、高岩寺の北側に中央卸売市場豊島市場がある。 この地は、もともと伊勢国津藩主藤堂和泉守家の抱屋敷の一部であったが、明和6年(1769)に伊奈半左衛門預りの幕府御用林となった後、寛政10年(1898)頃に幕府に仕えた渋江長伯が管理する巣鴨薬園となった。 薬園というのは、薬用植物を栽培し、疾病治療の用に供する施設のことであり、日本にはすでに8世紀前半期には存在していた。 昔の製薬工場だ!、、、、、明治維新後、巣鴨御薬園は廃止され、昭和12年(1937)東京市中央卸市場豊島分場が開設された。 その後は、現在の東京都中央卸売市場豊島市場となった。、、、、、築地のイメージで市場内を歩いてみたが、扱うのは“野菜”と“果物”。 “魚”はなし。 セリも終わったようで、そろそろ店仕舞いの時刻のようだ!
 
1707210846530
 
1707210852220_2
 
1707210850360_2
 
 
⑤本妙寺・・・・・・・・・・・中央卸売市場裏に法華宗陣門流の東京別院:本妙寺がある。、、、、、元亀2年(1571)駿府に創建し、天正18年(1590)江戸清水御門内に移転、その後幾度か移転を繰り返し本郷へ移った。 本郷では江戸市中を焼いた明暦3年(1657)の大火の火元として名をはせた。 明治44年(1911)、本郷から現在地(豊島区巣鴨5)へ移転した。 戦災で被災し古い建物は残っていない、本堂も戦後の再建である。、、、、、寺の古さを物語るは、著名人の墓所がズラリ!
 
1707210857180_3
 
1707210914520_3
 
・・・・・・・・・・・・・・明暦の大火(振袖火事) 供養塔、、、、、明暦3年(1657)1月18日未刻(午後2時頃)に出火し、折からの強風に煽られて、江戸城本丸・二の丸をはじめ江戸市中の6割余りを焼きつくし、死者約十万人に達した大火が「明暦の大火」。 そして火元となったのが本郷にあった本妙寺で、原因は本妙寺の檀家の娘の供養のために燎火に投じた振り袖が舞い上がって本堂の屋根に飛火したことによるものとされ、俗に「振袖火事」といわれています。、、、、供養塔が本堂脇にある。
 
1707210902390
 
・・・・・・・・・・・・・関宿藩主 久世大和守歴代の墓、、、、、、、千葉県の北のはずれ、関東の交通の要衝、下総関宿城主の歴代の墓がある。 初代、四代、七代は老中職をつとめた。
 
1707210918110_2
 
・・・・・・・・・・・・・名奉行 遠山左衛門尉景元の墓、、、、、、御存じ、江戸後期の北町奉行、他に大目付、南町奉行等をつとめた、“遠山の金さん”の墓。、、、、では、ここで問題。 テレビで金さんを演じた役者の名を五人あげろ?、、、、答え(古い順)、市川新之助、中村梅之助、市川段四郎、橋幸夫、杉良太郎、高橋英樹、松方弘樹、松平健。
 
1707210907320
 
・・・・・・・・・・・・・・剣豪 千葉周作の墓、、、、、、江戸後期の剣豪、北辰一刀流開祖、神田お玉ヶ池、千葉道場(玄武館)主。 漫画:赤胴鈴之助は千葉周作の門下生。
 
1707210910350_2
 
・・・・・・・・・・・・・天野宗歩の墓、、、、、、江戸末期の将棋の名人で棋聖位に着く。 将棋の駒の形をした墓石。、、、、近頃の将棋ブームにあやかり、墓参する人も増えたかな?
 
1707210903500_2
 
・・・・・・・・・・・・・囲碁 本因坊歴代の墓、、、、、、徳川家康が碁を好み、京都にいた初代の本因坊算砂日海を江戸へ呼び寄せた。 三世の道悦までは没後京都の寂光寺に葬ったが四世の道策から二十一世の秀哉までの歴代本因坊が本妙寺に葬られている。、、、、こちらは囲碁ファンの聖地。
 
1707210912170
 
・・・・・・・・・・・・・清水建設慰霊塔、、、、、、、創業文化元年(1804)に創業し、200年以上の歴史を有するスーパーゼネコン清水建設の慰霊碑があった。 永い会社の歴史の中で清水建設に係った縁者を供養するため建てた慰霊塔である。、、、、、私も同業の世界に居た一人として、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、合掌。
 
1707210915490
 
 
妙行寺・善養寺 ・・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・本妙寺門前の道:「朝日通り商店街」は、名ばかりで商店が無くなった。 朝日通り商店街を北へ進み、都電荒川線を越える。
 
1707210930390_2
 
1707210938370_3
・・・・・・・・・・・・都電の踏切を渡ると、昨年歩いた妙行寺と善養寺などのお寺が並ぶ。、、、、、妙行寺には、四谷怪談のお岩の墓、浅野家遥泉院の供養塔がある。 善養寺では閻魔大王がお出迎えしてくれる。
 
1707210944440
 
1707210943570_2
 
1707210951220
 
 
⑦A邸・・・・・・・・・・こちらは西巣鴨にある、3階建ての元医院。 戦前の建物か?、、、、、残念であるが、建物の詳細は不明。
 
1707211005250_2
 
 
 
●・・・・・・・・・・・・・・・お盆も近づてきたせいか、今日の散歩は墓巡りとなった。、、、、誰か、私を墓の中から呼んでいるのかも? まだ、この世に未練があるので、あと20年は生かして欲しいね!

2017年7月18日 (火)

新宿御苑前~若松河田

「江戸六地蔵」の一番、二番を見たら次は三番。 三番は新宿の太宗寺。 今日の散歩は、丸ノ内線新宿御苑前駅から大江戸線若松河田駅まで、1万歩。
 
 
 
①新宿御苑前駅・・・・・・・・・・・都会のデートスポット「新宿御苑」の最寄り駅。 昭和34年(1959)3月15日丸ノ内線霞ヶ関~新宿間延伸時に開業した。 ホームは相対式2面2線だが、完全な向かい合わせにはなっておらず、1番線(荻窪方面行)ホームは2番線(池袋方面行)ホームよりも新宿方に車両1両分ほどずれている。
 
1707180804070
 
1707180810450_2
 
 
②太宗寺・・・・・・・・新宿御苑前駅の近く(新宿2)に、浄土宗の太宗寺(たいそうじ)がある。 慶長年間、甲州街道の道筋に「太宗」と称する僧の庵として造られた太宗庵を開創とし、徳川譜代内藤家6代の重頼が5代正勝を葬り、現在の倍ほどの寺領を寄進し霞関山本覚院太宗寺とし菩提寺に定めた。 山号は四谷大木戸を霞ヶ関といったという故事により、院号は正勝の法号、寺号は開山による。
 
・・・・・・・・・・・・・昭和20年(1945)の東京大空襲で被災し、現本堂は昭和37年(1962)に鉄筋コンクリート造で再建された。 設計は清水建築設計事務所(清水哲夫)、施工は清水建設。 HPシェルの屋根が特徴的な建物である。、、、、、、ラッパ型のシェルを組み合わせてようなモダンなデザインだ。
 
1707180814580
 
1707180822510
 
・・・・・・・・・・・・・今日の散歩の狙いである、江戸の出入口6箇所に地蔵菩薩像を祀った、江戸六地蔵の三番目が、甲州街道の入り口にあたるここ太宗寺に祀られている。、、、、太宗寺の地蔵は正徳2年(1712)に造立され、六地蔵の中では最も小さい、2.67mである。、、、、、サッパリした顔立ちで、イケメンだ!
 
1707180826080
 
1707180828430
 
・・・・・・・・・・・・・境内の閻魔堂には、高さ5.5mの閻魔大王(1814年頃製作)と、閻魔に仕え、三途の川を渡る亡者から衣服をはぎ取り、罪の軽重を計った奪衣婆(だつえば)の像(1870年製作、高さ2.4m)が安置されている。 閻魔堂はお盆の7月15日・16日に御開扉される。、、、、、、、、2体の像とも、恐ろしいくらい迫力あるね!
 
1707180819030_2
 
1707180816120_2
 
1707180817450_2_2
 
・・・・・・・・・・・・・閻魔堂と向かい合わせに、境内には不動堂がある。 不動堂には三日月不動尊像が安置されているが、残念、見ることができない。、、、、、、不動堂の左隣には、塩かけ地蔵の小祠もある。
 
1707180825430
 
・・・・・・・・・・・・・・墓地には、内藤正勝の墓がある。 江戸時代に信州高遠の藩主をつとめた譜代大名内藤家の墓所。 墓塔は3基とも法篋院塔で、中央が5代内藤正勝(寛永6年造立)、右側が13代内藤頼直、左側が内藤家累代の墓塔(ともに明治時代の造立)である。
 
1707180822130
 
 
③西向天神社・・・・・・・・・・・・新宿6丁目、抜け弁天通り南側、椎、楠、銀杏などの樹木が多く森をなしている高台に、西向天神社(にしむきてんじんじゃ)がある。 当社は、古来より東大久保村の鎮守社であった。 菅原道真を祀った京都の北野天満宮を勧請したものである。、、、、、菅原道真を祀る西を向いた天神さまが鎮座している。 天神は南に向けて建てるのが普通で、西向きに建てるのは非常に珍しい。 これは、道真が死んだ大宰府の方を見ているのだという。 、、、、、明治5年11月に村社となり、社地は1516坪であった。境内には現在でも石造物などの文化財が多く、境内の西隅には富士塚もある。 神社の別当寺は隣接する大聖院である。
 
・・・・・・・・・・・・・・社殿正面から見下ろす新宿
 
1707180912310
 
・・・・・・・・・・・・・西を向く社殿。、、、、、天神さまは、どうやら、歌舞伎町の方に興味があるのでは?
 
1707180910370
 
・・・・・・・・・・・・・・地続きで、隣には別当寺であった、天台寺門宗の古い小寺:梅松山大聖院がある。
 
1707180915260_4
 
・・・・・・・・・・・・・・私がチョイと気になった、「新宿の女」の石碑がある。、、、、、宇多田ヒカルの母であり、平成25年(2013)に自殺した藤圭子が歌う「新宿の女」は、東京・新宿の盛り場を舞台とした、ご当地ソングのひとつ。、、、、、、「新宿の女」を作詞作曲した石坂まさをの作詞作曲家生活30周年を記念して平成11年(1999)に建てられた。 歌碑のある西向天神社は、デビュー時に「新宿の女」発売キャンペーンの出陣式(昭和44年9月25日)を行った場所とされる。 出陣式の神主代行を噺家の林家三平(先代)が務めた。 発売キャンペーンは、飲屋街を25時間ぶっ続けで流して回るという「新宿25時間キャンペーン」もので、藤圭子と石坂まさをの二人で行った。 また、当神社は石坂まさをの当時の住居から近かったことで選ばれた理由のようです。、、、、ちなみに、「圭子の夢は夜ひらく」の歌碑は新宿花園神社に建てられている。
 
1707180911210
 
 
④抜弁天交差点に向かう・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・新宿6丁目の裏道に入ったら、グルリ回って元の場所に出た。、、、、、地図を見ずに、自分の好みで歩くと失敗だ!
 
1707180923260_2
 
1707180925040_2
 
1707180925580
 
1707180927300_2
 
・・・・・・・・・・・・・・出てきた先に「法善寺」!、、、、、ここは新宿6丁目、大阪千日前とは違うが、ひょっとすると水掛不動があるかも? 「こいさん」が願掛けしているかも?、、、、、期待を膨らませ境内へ、普通の寺だった。 手を合わせ、先を急ぐ!
 
1707180933010
 
・・・・・・・・・・・・・抜弁天交差点角には、真宗大谷派寺院の専福寺がある。寛永8年(1631)、市ヶ谷に創建し、正保2年(1645)現在地(新宿6)へ移転した。 本堂は戦後(昭和34年)の建築でガンダーラ風。

1707180938540

・・・・・・・・・・・・前の通りは「抜弁天通り」、交差点は「抜弁天交差点」、、、、『抜弁天とはキット大きな社の神社』と思われてる人は多いはず。 残念・無念・チンねんゴメン、、、、抜弁天は、その昔八幡太郎源義家がこの辺りに宿陣、夢に厳島神社の祭神である市杵島比売神が現れて、白羽の矢と軍扇を与えた。 勝利して帰国の途次、神に感謝して社を奉ったのが神社の起こりだとか。、、、、、それにしても、小さな社で、ガッカリ。 

1707180935000

 
1707180943330_3
 
 
⑤若松河田駅・・・・・・・・・・平成12年(2000)12月12日に開業した、大江戸線の地下駅。 島式ホーム1面2線。 
 
1707181008080_4_2

« 2017年7月9日 - 2017年7月15日 | トップページ | 2017年7月23日 - 2017年7月29日 »