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2017年7月30日 - 2017年8月5日

2017年8月 5日 (土)

明大前~方南町

京王線明大前駅から丸ノ内線方南町駅まで、1万歩の散歩。
 
 
 
①明大前駅・・・・・・・・・・京王線と井の頭線が交差する明大前駅。、、、、、、大正2年(1913)4月15日、現在の築地本願寺和田堀廟所の近くにあった江戸幕府の煙硝蔵に由来し、火薬庫前駅(京王線)として開業した。 大正6年(1917)には松原駅に改称した。 昭和8年(1933)8月1日には、現在の井の頭線が開通し、西松原駅が開業した。 昭和10年(1935)には明治大学予科が駅の北に移転してきたので、京王線の松原駅、井の頭線の西松原駅が同時に、「明大前」と改称した。、、、、、京王線、井の頭線ともに相対式ホーム2面2線で、京王線は2階がホーム、井の頭線は地下1階がホームで、改札口は1階である。
 
・・・・・・・・・・・・2階の京王線ホーム。 オリンピック後の2022年頃には、島式ホーム2面4線に改良するそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・掘割式の地下1階は井の頭線ホーム。
 
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・・・・・・・・・・・・・1階は改札口。 京王電鉄の広報紙にあった、昭和30年代前半頃の明大前駅、趣のある駅だ。
 
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②東京山手急行電鉄遺構・・・・・・・・・・明治大学和泉キャンパス東側に、井の頭線が玉川上水の下をくぐる玉川上水橋がある。 この橋の下には、4線分の軌道が敷設される予定であった。 西側(写真では右側)2線が井の頭線用、東側2線が山手急行線用であったが、井の頭線のみレールが敷かれている。、、、、、、東京山手急行電鉄とは、昭和初期に設立された会社で、山手線の外側に約50kmの環状線を作る計画だった。 山手急行線は井の頭線とほぼ同時期に計画・工事されたが、世界恐慌のあおりで資金繰りも難しく、計画は頓挫し、会社は最終的には小田急電鉄に合併された。、、、、玉川上水橋は、井の頭線、山手急行線が並行して運行できるよう造られている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・ここに山手急行線をとおすときは、写真左側の斜面を削らなければならなかった。(右側は明治大学)、、、、玉川上水橋は造ったが、掘割を拡張するまでの資金は無かったのかも?
 
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③龍光寺・・・・・・・・・・・井の頭線沿いに歩き、小さな蔵下橋を渡り、杉並区和泉3丁目の龍光寺に行く。
 
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・・・・・・・・・・・・・龍光寺は真言宗室生寺派の寺院で、泉涌山医王院と号す。 寺は、承安2年(1172)に開創、明応2年(1493)頃の開山と言われている。 本尊は薬師如来立像で平安時代に造立された、古い仏さん。、、、、、、蝉が鳴き、陽の光はまぶしく、合掌する手にも汗がベッチョリ、でも気分は爽快、まさに夏の寺である。 
 
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④和泉熊野神社・・・・・・・・・・・龍光寺の北隣にある熊野神社。 文永4年(1267)に紀州の熊野神社の分霊を祀ったのが創建である。 和泉村の鎮守様。 現在の社殿は文久3年(1863)の造営で、明治4年(1871)に修覆したもの。、、、、、、龍光寺は、もと和泉熊野神社の別当であった。、、、、、広い境内に、歴史ある社殿、でも、屋根に積もった枯れ葉と土埃はその証かな? 『チョイと誰か拭き掃除をしたら!』 (よけいなお世話で、スミマセン。)
 
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・・・・・・・・・・・・・熊野神社から150m程北に和泉貴船神社がある。 貴船神社は和泉熊野神社の境外末社で、文永年間(1264〜1275)に創建された。 境内にある”御手洗の小池”はいかなる時でも涸れることがなかった湧水で、地名“和泉”の発祥地と言われている。
 
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⑤杉並区和泉で・・・・・・・・・・
 
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⑥大圓寺・・・・・・・・こちらも和泉3丁目にある寺院で、曹洞宗の泉谷山大圓寺。 釈迦如来坐像を本尊とする。、、、、慶長8年(1603)江戸赤坂溜池の辺りに徳川家康が開基となって建立された。 寛永18年(1641)正月、江戸の大火によって諸堂を類焼し、跡地は御用地として召し上げられ、その代地として伊皿子に寺地を拝領して移転した。 そのころから大渕寺の寺名を大圓寺に改めた。 延宝元年(1673)薩摩藩主島津光久の嫡子綱久が江戸で死去した際、当大圓寺で葬儀を行い、以来、島津家の江戸菩提寺となり、寺内に薩摩家代々の位牌堂が設けられている。 現在地には、明治41年(1908)に移転した。、、、、本堂正面には、島津の家紋(〇に十)が彫られ威光を誇示している。
 
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方南町駅 ・・・・・・・・・・・・・東京メトロ丸ノ内線支線の終着駅。 3両編成の列車が停まる頭端式ホーム1面2線。 出入口はホーム西端の環七通りと方南通りとの交差地点に1か所、ホーム東端の方南通り沿いに1か所、共に狭い計2ケ所である。、、、、、ホームは6両編成が停車できるように延伸し、出入口はバリアフリー化に、2019年までに完了すべく、只今工事中。
 
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●・・・・・・・・・・・今日は、蝉の声、夏の花、そして猛暑と、夏を充分に感じる散歩となった。

2017年8月 3日 (木)

西新井~竹ノ塚

『今日も気温は30℃以下で熱中症の心配なし』と、天気予報を聞いて散歩に出た。 昨日同様に、今日は向島辺りから水戸街道を“タップリ歩いてやろう”と東向島駅に向かう。 押上で東武伊勢崎線に乗り換えるのだが、“東武”に乗り入れている“東急”で信号トラブルが発生し、ダイヤは滅茶苦茶。 とりあえず、着た電車に乗り行先変更。 西新井駅で下車し、日光街道に向かい歩き始めた。 1時間程歩いてから方向を確認したら、“とんでも八分 歩いて十分”、向かっている方向が違う! これでは、一日がかりの散歩になってしまう、急ぎ軌道修正し、竹ノ塚駅に出て帰宅。、、、、と言うことで、西新井駅から竹ノ塚駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
西新井駅 ・・・・・・・・・・・島式ホーム3面6線の地上駅で、橋上駅舎を有している。 伊勢崎線は上下線別に、2面4線を使用する。 残る1面2線は大師線用。、、、、、、1899年(明治32年(1899)8月27日に開業。
 
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・・・・・・・・・・・・・・東口の駅ビル「トスカ東館」は昭和56年(1981)に完成した。、、、、吾輩の住む浅草橋には、今だ“駅ビル”と言えるような施設なし。 あるのは高架下の小さなビーズ屋、衣料品屋程度。 負けたね!
 
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・・・・・・・・・・・・・・大師線では、昨年3月から、昭和30年代の東武鉄道の標準色である、インターナショナルオレンジの車体にミディアムイエローの帯を回したリバイバルカラーの8000系車両で運行している。、、、、、、この塗装の車両は、昭和33年(1958)から昭和39年(1964)頃まで、東武鉄道の20m級通勤車両として使用されていた。 懐かしのカラーだ。
 
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②環七通り・・・・・・・・・・・・西新井駅の北東で環七通りを横断し足立区島根3丁目に入る。、、、、、さすが“環七通り”だ、中央分離帯があり、交差点か歩道橋でないと、向かい側に横断できない。 ズルッコシイ横断は禁止!
 
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③来迎寺・・・・・・・・・・・環七を横断し島根3丁目に入ると、多宝塔の上部が住宅の後ろに見えた。 この辺りは、見るべきものもなさそうなので、行ってみよう!、、、、、来迎寺は建久6年(1195)に創建され、その後江戸時代天和年間(1681~1684)に尊宥和尚が再興した。 当初は、西新井大師総持寺の末寺にして、近来は大和長谷寺の直末となっている。、、、、、境内には、樹齢数百年の榎と松の古木が、本堂を隠すように枝を出す。 また、古い庚申塔が数基、子育地蔵尊、宝篋印塔、六地蔵尊なども点在する。 山門と多宝塔は近年の建造。、、、、、寺を出たとたん、右手の甲が痒~い、かゆ~い、やぶ蚊にやられた、あ~もうダメ、かゆ~い!
 
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④樹齢300年の黒松・・・・・・・・・来迎寺から国土安穏寺に向かう途中に、大きな黒松がある。、、、、、、地元嶋根村の旧家桐田家の黒松である。 こちらのお宅には将軍の鹿狩り(ししがり)の際に、村の御用勢子人足が使用した旗が保存されていると言う。、、、、、我が家には、父が大東亜戦争に出征したときの日の丸ぐらいしか残っていない。 チョイと旧家とは言えないね。
 
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⑤国土安穏寺・・・・・・・・・・・日蓮宗、天下長久山国土安穏寺(こくどあんのんじ)と称す。 創建は、応永17年(1410)、開基は、千葉太郎満胤(室町時代の武将、千葉氏14代当主)である。 当初は、長久山妙覚寺と称した。 江戸時代に、将軍秀忠および家光が、当所巡遊の折の御善所となり、八世日芸聖人の大宇都宮釣天井予言の功により、寛永元年(1624)、現寺号を賜り、徳川家祈願所位牌安置所となる。 これより寺は、葵紋の使用を許された。、、、、、、 現在の諸堂宇は、明和年間(1764~1772)に建てられた鐘楼を除き、昭和以降の造営である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・国土安穏寺の境内を出たとたん、今度は両手、両腕が痒~い、右手で左腕を搔き、左手で右腕を搔く。 あ~、目茶目茶かゆ~い。 手の甲・腕の表面に、うっすら丸い膨らみが、数か所できている。 アッチャコッチャ、掻きながら歩く、この辛さ、南無阿弥陀仏、南妙法蓮華経、アーメン、念仏を三度唱えても効き目なし。、、、、、足立区島根はヤブ蚊の原産地か?
 
 
⑥普門寺・・・・・・・・・・・国土安穏寺から北へ100m程(足立区島根4)に、真言宗豊山派の普門寺がある。 この寺は、延慶年間(1308~1310)の草創で、嶋根村名主の菩提所。、、、、、門は閉ざされ、石敷きの参道には雑草が伸び、ひょっとすると、ここもヤブ蚊の産地か? 両手搔き搔き、危険を察知し遠ざかる。 
 
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・・・・・・・・・・・・・この辺りは、かつて空いた田畑に都営団地を建てたのか、不整形の敷地に中低層の小規模都営住宅が点在する。 方向感覚を狂わす、曲がりくねる道路を行く。
 
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⑦鷲神社・・・・・・・・・・西新井駅と竹ノ塚駅の中間ぐらいの足立区島根4丁目25に鷲神社(わしじんじゃ)がある。 “鷲神社”を“おおとりじんじゃ”と読むのは浅草育ちの人間だけか?、、、、、社伝によると鷲神社は文保2年(1318)の中興で、古代の海岸線とされる所が南にあり島の根の様にでた当地に祭神が船で到着したことから浮島明神とも呼ばれたそうだ。、、、、、社殿は昭和31年(1956)に再建した。 吾輩の好きなデザインで気に入った!
 
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・・・・・・・・・・・・・境内社の三峯神社前の石の鳥居(写真:左)は享和2年(1802)の建立。 隣の大きな御影石の灯籠は、昭和61年(1986)に建てた、高さ4.7m、重量35トン。
 
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・・・・・・・・・・・・・参拝を済ませ、『はて、我は今どこに?』 地図を出してみた。 ナント、西新井駅と竹ノ塚駅から同距離程の地点で、日光街道に出るにはチョイと時間がかかりそう。 無計画にブラブラ歩いたからだ! 我が家の昼食に間に合うよう、これより竹ノ塚駅に出ることにした。、、、、、、まだ、ヤブ蚊の後遺症も残り、手搔き、腕搔き、恥をかき、竹ノ塚駅を目指す。
 
 
⑧炎天寺と六月八幡神社・・・・・・・・・・・・竹ノ塚駅に向かう途中、足立区六月(ろくがつ)3丁目に、真言宗豊山派の幡勝山成就院炎天寺がある。、、、、、この寺の名:炎天寺、昔の地名:六月村の由来には、できすぎの話がある。:::『時は天喜4年(1056)八幡太郎源義家が奥州干渉(後三年の役)への向途、暑さにうだりながらこの地にやってきた時、やにわにその弱みを急襲したのが野臥で、さすがの源氏の精鋭部隊も苦戦を強いられた。 そこで義家が石清水の八幡神に撃退を祈念したところたちまち形成逆転して大勝利、そこで義家は岩清水八幡を勧請して祀り、さらに討死者を弔うための一寺を建立し、源氏の白幡のお陰で勝ったので山号を「幡勝山」、願いが叶ったので院号は「成就院」、時あたかも盛夏六月のこととて寺号は「炎天寺」と名づけ、村人には「六月村」の村名を与えた。旧暦六月は真夏8月なのだ。』、、、、、作られたような話だが、信じよう!
 
・・・・・・・・・・・・・現在の六月村の交差点(六月3)。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・炎天寺(写真:左)と六月八幡神社(写真:右)。 当然だが、炎天寺は六月八幡神社の別当寺であった。
 
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・・・・・・・・・・・・・・炎天寺には、小林一茶も関係している。、、、、江戸後期、俳人:小林一茶は当地で、「蝉鳴くや 六月村の 炎天寺」、「むら雨や 六月村の 炎天寺」など、数句を詠んだといわれている。、、、、炎天寺では、毎年、「一茶まつり」を催し、句を詠んでいるそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・吾輩も一句、「炎天に 両手搔き搔き イライラと」、、、、迷句?
 
 
⑨竹の塚第2団地・・・・・・・・・・・・昭和40年(1965)頃に、駅の南側、線路沿いに建てられた住宅公団の住宅。 土地の使い方にも余裕が見られる、50年前の団地。
 
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竹ノ塚駅 ・・・・・・・・・・・・竹ノ塚駅は伊勢崎線の開業から約7ヶ月後にあたる明治33年(1900)3月21日に開業した。 現在は高架化工事が進められている。、、、、、平成27年(2015)の乗降客数は約72000人/日で、伊勢崎線内の駅では6番目である。 ちなみに7番目は西新井駅である。 西新井駅には急行・準急・普通が停まり、竹ノ塚は普通だけしか停まらない。 こんなことアリ? もちろん、アリ。
 
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2017年8月 2日 (水)

浅草橋~北千住

今朝の天気予報では、『今日は曇り一時雨、気温は低く30℃以下、熱中症の心配なし』。 『ヨシ、今日は健康の為、タップリ歩いてくる!』と、我が家(浅草橋)をでて、北に向かい北千住駅まで、1万5千歩の散歩です。
 
 
 
①左衛門橋通り・・・・・・・・・・・台東区内を南北に通る左衛門橋通り(さえもんばしどおり、正式名:台第52号線)は、神田川に架かる左衛門橋 (台東区浅草橋1丁目)から、台東区入谷1丁目までである。 我が家から100m程で、左衛門橋通りの「浅草橋地区センター」バス停に出られる。、、、、、ここから、今日の散歩はスタート!
 
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・・・・・・・・・・・・・・バス停の前には、我が母校「旧台東区立柳北小学」と「柳北公園」がある。、、、、、校舎も、公園も、関東大震災の復興事業として、昭和初期に整備された。 吾輩が小学生の頃は夕飯の時刻まで、毎日のように遊んだ公園だが、今は遊ぶ子供も少なく、園内の遊具なども片隅に寄せられてしまった。
 
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・・・・・・・・・・・・・蔵前橋通りを越え、台東区小島の町。  横に入ると、如意輪観音が祀られているが、由緒は?
 
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・・・・・・・・・・・・・・春日通りとの交差点では、夏休み中の登校日か? 学校に向かう子供たちがいた。、、、、、吾輩が小学生の頃は、この日は夏休みの宿題の途中経過を持っていく日で、何も出来ていない宿題帳を見せる、いや~な日だった。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・元浅草4丁目には、左衛門橋通りに面して、江戸時代初期(徳川家光の頃)に開山した、浄土宗の誓教寺 がある。 墓地には、フランスの印象派の画家に大きな影響を与えた、浮世絵師:葛飾北斎の墓がある。、、、、、チョイト、手を合わせて行く。
 
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・・・・・・・・・・・・・・地下鉄銀座線が道路下を通り、仏壇屋が並ぶ浅草通りを横断し、左衛門橋通りは台東区松が谷に入る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・左衛門橋通り沿いに多くの寺院が並んでいる。 その内の一か寺。、、、、、日蓮宗の妙音寺は、安立院日雄聖人(元和5年寂)が開山し、慶長15年(1611)に馬喰町に創建した。 明暦の大火により、馬喰町から現在地へ移転した。、、、境内には弁財天も祀られている。、、、、“弁財天”と聞くと、オールヌードで琵琶を演じる姿が頭に浮かび、なにやら胸がドキドキしてしまう。 ここでは、残念だが姿を拝見できなかった!
 
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・・・・・・・・・・・・・・妙音寺の先(東上野6)には、親鸞聖人の門弟が建保2年(1214)下総国横曽根に創建し、慶長7年(1602)に江戸へ移転した坂東報恩寺がある。江戸では三回移転し、文化3年(1806)に現在地へ移転した。、、、、、本堂は鉄筋コンクリート造だが、チョイと古いかも?
 
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・・・・・・・・・・・・・・報恩寺から100m程北には、伊能忠敬の墓、幡随院長兵衛の墓、谷文晁の墓などがある、浄土宗増上寺の末寺:源空寺がある。 この寺も、明暦3年(1657)の大火に遭って類焼し、現在地に移転した。、、、、、本堂は最近、美しいフォルムの建物に替わった。
 
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・・・・・・・・・・・・・・松が谷二丁目交差点で「かっぱ橋本通り 」を横切ると、秋葉神社 の鳥居が見える。 ここも、チョイと手を合わせて行くことにした。、、、、左衛門橋通りには寺社が多く軒を連ね、賽銭も底をつく。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・言問通りを越えると入谷に入り、入谷1丁目で左衛門橋通りも終わる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・入谷1丁目には、昭和4年(1929)に建てられた、明治33年(1900)創業の酒屋「水上酒本店」の建物がある。 木造3階建てのどっしりした建物である。
 
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②日光街道・・・・・・・・・・・・・左衛門橋通りは入谷で終わり、50m程西側に国道4号線(昭和通り、日光街道)が通っている。 我が脚は、引き続き日光街道に移り北上する。
 
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・・・・・・・・・・・・・・明治通りと交差する大関横丁交差点をとおり、常磐線のガードをくぐり、旧「王子電気軌道」本社ビルであった梅沢写真館の前を進む。、、、、チョイと雲行きが怪しくなってきたが、“雨降らば降れ 風吹かば吹け”の境地で先へ行く。
 
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・・・・・・・・・・・・・・荒川区南千住1にある、曹洞宗寺院の円通寺 には、吾輩がこよなく愛する明治時代の几号水準点があるのだが、今日は素通りすることにした。、、、、戊辰戦争の際に傷ついた寛永寺の黒門、彰義隊の志士の墓もある。 
 
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・・・・・・・・・・・・・『中山式の腹巻』、『中山式の快癒器』と聞いてピンときた人は、かなりの年配だろう。 戦後、雑誌、新聞などで盛んにPRされた健康器具である。 幼き頃から病弱であった創業者の中山武欧氏の発明で、医療器具として大いに売れたそうだ。 もちろん、現在も製造されている。 その製造・販売元がこちらの会社「中山式産業(株)」(荒川区南千住6)だ。、、、、、屋上の看板のロゴが、昔と変わらぬ字体で懐かしいね!、、、、会社のhpより、発売当初の快癒器の写真を拝借しました。
 
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・・・・・・・・・・・・・日光街道に面する素盞雄神社では、境内に面白いものがあった。、、、、、氏子61ヶ町の手ぬぐいに風鈴を添えた旗を境内に飾り、涼を呼んでいた。 粋でいいね、気に入った!
 
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・・・・・・・・・・・・・・隅田川に架かる千住大橋 が見えた! この橋を渡れば足立区、北千住駅は近い。 でも、その前に京成本線の千住大橋駅がある。 駅は高架下にあり、日光街道に面して高架下に店舗があるはず(?) アレ・レ・無い! シャッターが降りてる?
 
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・・・・・・・・・・・・・北千住駅に近づくと、小粒の雨が落ちてきた。 駅まで急ぐ。、、、、、ほぼ濡れずに駅に到着。
 
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2017年7月31日 (月)

草加 甚右衛門堰

『何処を散歩するか?』、今朝は考えることなく、草加の「甚左衛門堰」を見に行くことにした。 理由は簡単! 今朝、布団の中で朝のニュースを見るつもりで、タブレット端末のスイッチを入れたら、地図アプリが起動し、指先が地図上の「甚左衛門堰」に触れたようだ。 自動的に「甚左衛門堰」の写真が表示された。 雨上がりに撮影した写真のようで、煉瓦造りの堰が綺麗な色で表示された。 見た瞬間、『今日の散歩は此処に決定!』。、、、、、、、草加駅で下車し、「札場河岸公園」辺りまでの往復、1万歩の散歩です。
 
 
 
草加駅 ・・・・・・・・・・草加駅の開業は古く、明治32年(1899)である。 現駅は昭和63年(1988)に完成した、両外側の通過線2線が島式ホーム2面4線を挟む構造の高架駅である。
 
・・・・・・・・・・・・・・急行、も、準急も、普通も停車する。 東武伊勢崎線の駅としては、北千住、とうきょうスカイツリー、越谷に次いで4番目に乗降客(平均一日8万5千人)の多い駅である。、、、、、吾輩の住む浅草橋は、JR(5万4千人)+都営(5万9千人)もの乗降客がいるのに、駅前には大型商業施設もなく、マック、スタバもなく、完全に負けている!
 
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・・・・・・・・・・・・・そろそろ通勤客も減ると思われる時刻だが、まだまだ都心に向かうホームは人が多い。
 
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②旧草加小学校西校舎・・・・・・・・・駅から北へ500m程歩くと、大正15年(1926)に建てられた、県内で最初の鉄筋コンクリート造校舎がある。 現在は草加市立歴史民俗資料館として再利用されている。(資料館は本日定休日、残念!)、、、、、正面中央上部が山型にとんがった屋根が印象的な建物である。 国登録有形文化財。
 
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③東福寺・・・・・・・・・・・・歴史民俗資料館から北へ100m、真言宗智山派の松寿山不動院東福寺がある。 草加宿を開宿した大川図書が開基し、僧賢宥が慶長11年(1606)に創建した。 大きな寺だ!、、、、、、本堂・山門・鐘楼は江戸時代後期の建物である。
 
・・・・・・・・・・・・・・山門、、、、、、、日光街道旧道から参道を進み正面に、本柱2本と4本の控柱を有する四脚門形式の山門がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・本堂、、、、、、本堂は草加市内最大で、文政7年(1824)に改築された。 屋根の勾配は優美な曲線を画描いている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・本堂横には、文久2年(1862)に建てられた鐘楼がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・墓地には、天明・寛政(1781~1801)の頃に活躍した江戸の落語家:石井宗叔(いしいそうしゅく)の墓がある。 宗叔は、“落ち”がなく、連続する「長ばなし」と「座敷仕型話」を得意とした。 今まで小咄型の落とし噺だった落語を、人情噺のように長いものにして現在の落語に近い形を作った。 江戸落語の元祖である。、、、、、なぜ、東福寺に宗叔の墓があるか? 深く追求しておらず、判りません、ゴメン!
 
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④神明宮・・・・・・・・・・・旧道の宿場のはずれに、草加宿の総鎮守とされていた神社:神明宮がある。 吾輩のブログ『雅万歩』に度々登場する几号水準点 の一つがここにも残っている。、、、、、今日は、近くまで来たのでチョイと立ち寄ってきた。 
 
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⑤芭蕉・曽良の像・・・・・・・・・・・・草加宿の北の端を流れる伝右川(でんうかわ)に架かる橋の両岸に、俳人:芭蕉と弟子:曽良の像がある。 どちらも草加出身の彫刻家・麦倉忠彦氏の作品だが、芭蕉像が平成元年(1989)、曽良の像が平成20年(2008)の作品である。 両像とも、草加市民から浄財を募って建設したそうだ。、、、、、では、草加と芭蕉・曽良の関係は? 元禄2年弥生27日(1689年5月16日)に、『奥の細道』の工程として、ここ草加に歩みを印した記念と言うことらしい、チョイと無理があるかも?。 吾輩がケチをつけると、芭蕉は『奥の細道』で千住を旅立ち当日は草加に宿泊した。 草加では、荷物が重たく疲れたことと、旅には雨具が欠かせないことを、記述しているだけだ。 “草加せんべい”のことも書いていない。 よほど印象が薄かったようで、埼玉県内では一句も残さず素通りしたようだ。 ちなみに、千住の次に句を詠んだのは日光である。、、、、、像の設置は、『奥の細道』にあやかった、新たな観光名所の創造か(?)
 
・・・・・・・・・・・・・「札場河岸公園」にある芭蕉像
 
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・・・・・・・・・・・・対岸の草加宿入り口に立つ曽良の像
 
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⑥札場河岸公園・・・・・・・・・・綾瀬川と、伝右川に挟まれた中洲状の細長い地に「札場河岸公園」(ふだばかしこうえん)がある。 草加松原の南端に位置し、かつて舟運で栄えた、河岸場を復元した公園だ。 ここはよく整備された綺麗な公園で、「望楼」「芭蕉像」などと休憩施設がある。 さらに公園の南端側に「甚左衛門堰」もある。、、、、、、今日の散歩の目的地に到着!
 
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・・・・・・・・・・・・・公園の一画(日光街道際)に望楼はある。 望楼は、石垣の上に埼玉県産のスギ、ヒノキを使った木造の五角形の建築物で、高さは11.1m、内部は螺旋階段になっている。、、、、、最近建てた建物で、内部は自由拝見できる。 吾輩もチョイト拝見!
 
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・・・・・・・・・・・・・甚左衛門堰、、、、、、、甚左衛門堰は明治27年(1894)から昭和58年(1983)まで使用していた2連アーチ型の煉瓦造水門。 洪水時に綾瀬川から伝右川に水が逆流し田畑を侵すのを防ぐための堰で、かつては木造の堰でしたが、明治27年に煉瓦造りに改築された。 約90年使われ、造られてからは120年以上経過しているが、保存状態も素晴らしい。 煉瓦も美しく積まれ、デザインもGood! 見に来た価値があった!
 
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・・・・・・・・・・・・・・綾瀬川に面し札場河岸と称した船着場があった。 奥(綾瀬川上流側)には、木目模様の和風太鼓橋の「矢立橋」(平成6年5月竣工)がある。 
 
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⑦埼玉県神明排水機場・・・・・・・・・甚左衛門堰の南隣に、堰に変わる埼玉県神明排水機場がある。 綾瀬川(本流)と伝右川(支流)との間に位置する排水機場で、洪水のとき伝右川の過剰な水を大きい綾瀬川へ強制的に吐き出す装置だ。
 
・・・・・・・・・・・・・・手前の伝右川の水を、、、、、、
 
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・・・・・・・・・・・・・・・綾瀬川に吐き出す。
 
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⑧古綾瀬川排水機場・・・・・・・・・・・・神明排水機場がある地点では、綾瀬川が北から南へ流れ下り、伝右川が西から神明排水機場に流れ下ってくる。 同じように、神明排水機場水門に向かい合わせて、古綾瀬川が東から流れ綾瀬川に合流する。 ここにも排水機場と水門が設置され水害を防ぐ役割を担っている。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・・・帰りは、「草加せんべい」をみやげに買って帰ることにした。、、、、、店のお姉ちゃんが、冷たいお茶を出してくれたので、チョイと気を良くして、2袋買うところを、3袋に増やしてしまった。 すると、今度は久助をサービスしてくれた。 そして、お茶ももう一杯!、、、、、今度来る時まで、お姉ちゃんは吾輩の顔を覚えておいてくれるかな?
 
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