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2017年8月20日 - 2017年8月26日

2017年8月24日 (木)

京成曳舟~堀切

久しぶりに墨田区の北部(東向島、墨田)の裏道を歩きたくなり、京成曳舟駅から東武伊勢崎線の堀切駅まで、これまで歩いたことがない裏道・裏通りを探しながらの散歩です。
 
 
 
①京成曳舟駅・・・・・・・・・・・・・1912年(大正元年(1912)11月3日に「曳舟」駅として開業し、昭和6年(1931)に「京成曳舟」駅に改称した。 駅は、平成25年(2013)に上り線を高架にし、平成27年(2015)に下り線も高架となり、相対式ホーム2面2線の高架駅に変わった。、、、、、ホーム下のコンコースは広く、改札口は押上側と八広側の両端にある。 今日は東向島方面に行くので、八広側の改札を抜け高架下の長い通路を歩き、明治通りに出た。、、、、、地上駅から一気に垢抜けした高架駅に変わり、さらに駅前再開発で弾みがつき、地価もはね上がったと思うね!
 
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②東向島6丁目の裏道・・・・・・・・・・・・・・「東向島6丁目」と言われて、どの辺りかピンとくるのは地元の人だけ。 チョイと説明すると、京成曳舟駅と八広駅の間で、京成押上線に並行する水戸街道の南側の町である。 水戸街道の反対側(北側)は年配の人には懐かしい、玉ノ井の町があった、東向島5丁目なり。
 
・・・・・・・・・・・・・・鍵の手に折れた裏道。 この辺りでは、各家で建て替え時に、緊急車両が通れるように前面道路を広げている。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・この道は“ドブ川”の跡かな?
 
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・・・・・・・・・・・・・・道の先はT字路。 オヤ、渋い工場がある。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・この道も細い、自家用自転車は欠かせない交通手段。
 
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・・・・・・・・・・・・・・方向感覚も鈍り、どこをどっちに歩いたのか? 出て来た処は、『なんだ、ここか』、以前来た神社。 長浦神社だった。、、、、週末の納涼踊りに向け、準備完了?
 
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玉ノ井の町 ・・・・・・・・・・・終戦直後には、487軒の売春宿に1200人の売春婦がいた、国内最大規模の私娼街であった「玉ノ井 」。 その玉ノ井があった東向島5丁目と、北側に隣接する墨田3丁目の裏道を抜け鐘ヶ淵駅にでる。、、、、戦後70年、当時の建物は毎年取り壊され、新しくなっていく。 去年残っていた建物も、今日は洒落た若夫婦向けの住宅に変わっている。
 
・・・・・・・・・・・・・・水戸街道を横断し、東向島5丁目に入る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・「玉ノ井」の名は意識的に無くしているのか、その名を見る機会も少なくなった。 商店街の旗に、小さくその名を見つけた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・チョックラ、裏道に入ってみる。、、、、、私娼街の頃、入り組んだ路地の入口には『抜けられます』、『ぬけみち』の看板が出ていたそうだ。 これが、路地(私娼街)に客を呼び込むキャッチフレーズだったのか?、、、、、今日の散歩では、当時の路地と思われる処も歩いてみた。 私の心の中では、「抜けられますか?」と問いかけていた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・出て来た道は、かつての玉ノ井のメインストリートであった「いろは通り」。 つい数年前までは、「玉ノ井いろは通り」と表示されていたが、消えた!
 
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・・・・・・・・・・・・・・「いろは通り」から墨田3丁目の町に入る。、、、、まだ数軒、私娼街の頃の建物が残っているが、外装を変えたり、塗装したり、当時の面影も薄らいできた。、、、、今日は路地歩きに徹しよう。
 
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・・・・・・・・・・・・・・路地裏のタバコ屋さん、見ると缶ピーがある。 おじいさんが一人、店番をしていたので話を聞くと、両国辺りから缶ピーを買いに来る常連もいるそうだ。、、、、、10年ほど前にタバコをやめた私も、今日は記念に買ってきた。
 
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・・・・・・・・・・・・・この町の新しい住宅が建ち、道幅もひろがってきた。 私の散歩も『抜けられました』
 
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④鐘ヶ淵駅から堀切駅まで・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・私の脱臼事件が起きた、鐘ヶ淵駅前の交番に頭を下げて先を行く。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅前の小さな商店街を抜け、再び裏道へ、、、、、どこも行き止まりのように見えるが、T字路になっていて『抜けられます』。
 
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・・・・・・・・・・・・・この先は、香取神社、多聞寺に立ち寄り、堀切駅へ向かい、帰宅した。
 
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2017年8月23日 (水)

水道橋~浅草橋

今日は午後から循環器内科の定期検診日。 水道橋のクリニックへ行き、帰りは浅草橋の我が家まで、猛暑の中、汗ダラダラで歩いてきた。
 
 
 
①後楽森ビル・・・・・・・・・・・・・庭園の後楽園を背にして、外堀通りに面する後楽森ビル(写真中央)。 地上19階、地下5階のビルは平成12年(2000)3月に竣工した。 このビルの地下部分は、東京都下水道局後楽ポンプ所として利用されている。 ポンプ場の上空の部分の権利を森ビルが借り受け、賃貸ビルとしたものである。、、、、、私の通う循環器内科クリニックはこのビルの中にある。 通い始めて十数年、吾輩の血圧・血糖・コレステロールなどの各種数値はもとより、他の病院・医院の受診・手術履歴も含め、院長先生のコンピュータに極秘情報として記録され管理されている。 わが命をコントロールしている、きわめて大事なクリニックである。 北朝鮮のICBMがここに落ちてこないように願うばかりだ。
 
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神田川・・・・・・・・・・・外堀通りとJR中央線の間を流れ下る神田川。 この川に舟を浮かべ、漕がずとも寝ていれば我が家のある浅草橋に流れ下ることができるのだが、今の時代では実現は無理だ!
 
・・・・・・・・・・・・・・後楽橋の際にある千代田清掃事務所三崎町中継所では、「はしけ」と呼ばれるごみ運搬船に、千代田区と文京区で収集されたゴミが積み替えられている。 「はしけ」一隻でごみ収集車15~20台分のゴミを運べるそうだ、バツグンの輸送効率、都心を走り抜ける収集車の低減にも役立つ。 「はしけ」は神田川を下り隅田川から東京湾の中央防波堤外側埋地処分場にゴミを運び、ゴミは埋立処分される。、、、、、私の幼き頃(終戦直後)は、秋葉原などにも中継所があり、神田川、隅田川は数多くのごみ運搬船、汚わい船が行き来していた。 私も、その川でハゼを釣って遊んでいた子供の一人である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・白山通りが走る水道橋から、お茶の水方向の川筋を眺めると、左岸に神田川分水路の口が見える。、、、、、分水路とは、地下に作られた人工の川で、道路で言うとバイパスのような役割がある。 つまり、台風などで増えた水量を吸収し、洪水を防ぐ目的で造られている。 神田川も洪水対策として、上流側から高田馬場分水路、江戸川橋分水路、水道橋分水路、お茶の水分水路と続いている。 写真の分水路の口は、水道橋分水路の出口で、お茶の水分水路の入り口である。 口の上部の道路際に「お茶の水分水路」の碑がある。、、、、暗いけど、探検気分で、一度は入ってみてみたいね!
 
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・・・・・・・・・・・・・・「お茶の水分水路」の碑の隣に、もう一つ碑がある。 それが「神田上水懸樋(掛樋)跡」の碑である。 水道橋からお茶の水方向に上る、お茶の水坂 の途中である。、、、、、 坂の途中、神田川をまたぐように架かっていた江戸時代、神田川に木製の樋(とい)を架け、神田上水を通し、神田、日本橋方面に給水していた掛桶(かけひ)と呼ばれるものがあった。 掛桶は明治34年(1901)まで、その役割を果たしていたそうだ。、、、、、掛桶の模型が近くの東京都水道歴史館にあったので、ラッキー、撮ってきた!
 
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③東京都水道歴史館・・・・・・・・・水道歴史館は、東京都水道局本郷給水所の施設上部に造られた人工地盤上に建てられた水道局のPR施設である。 人工地盤上には公苑も造られており、木々が茂り、小川が流れ、穏やかな空間を創り出している。、、、、、猛暑の中を歩き、チョイと熱中症が心配になった。 冷房の効いた歴史館で一休み。
 
・・・・・・・・・・・・江戸から東京まで、400年間の水道の歴史を語る施設である。 江戸時代の玉川上水に始まり、現代の高度浄水施設までをパネル・模型・資料で知ることができる。、、、、、親切に音声ガイダンスも貸してくれる。 外国語でも聞こえるので、チャンネルを間違えると、チンプンカンプンとなる。、、、、、夏休みの宿題「自由研究」で訪れている親子も多い。 この時期らしいね!
 
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・・・・・・・・・・・・・・水道歴史館の裏側は、本郷給水所公苑として、人工地盤上に和風庭園と洋風庭園が造られ公開されている。、、、、、あまりにも日差しが強く、木陰で休む人が一人、二人ほど。
 
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④御茶ノ水駅バリアフリー整備工事・・・・・・・・・・・非常に狭い構内に、いかにしてバリアフリー化するか難しい問題である。 その答えは、現在のホーム上に人工地盤を造り、そこをコンコースとして、階段、エスカレータを整備するらしい。 計画では、2018年度内にバリアフリー関連整備を終え、2020年までに駅舎・駅前広場などの工事を終える予定らしい。、、、、、只今、人工地盤構築中。 難しい工事だ、事故を起こさないように“安全第一”。
 
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⑤東京都下水道局和泉町ポンプ所・・・・・・・・・・・・・秋葉原の電気街を抜け、昭和通りを越え、浅草橋方面に向かうと千代田区神田和泉町に入る。 その一角に、大正11年(1922)に建てられた鉄筋コンクリート造2階建て、外装は煉瓦風タイルを貼り付け新しくなっているが、元の形状を保った小さな建物がある。 現在は無人となった和泉町ポンプ所である。、、、、、、建物を囲う煉瓦塀は、古い煉瓦がそのまま残っている。、、、、、私の幼き頃と建物の雰囲気は変わっていない。 当時は、周辺に焼け野原もあり、夕方近くになると薄暗く、妖怪でも出そうなチョイト怖い建物だった。 
 
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●・・・・・・・・・・・・タップリ汗をかき、濡れた服で我が家に到着。 約2時間の散歩でした。

2017年8月21日 (月)

西荻窪~上井草

中央線西荻窪駅から西武新宿線上井草駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
西荻窪駅 ・・・・・・・・・・・・・1922年(大正11年)7月15日に、同じ杉並区内の高円寺駅、阿佐ヶ谷駅と共に同日開業した。、、、、、昨年、西荻窪駅の乗降客数は一日平均45,500人程で、JR東日本管内では102位。 私の住む浅草橋駅は54,000人程で89位。 『勝った!』と叫びたいのだが、西荻窪駅は快速が停まる、エスカレーターがある、高架下に商店街がある、駅周辺には骨董品などを売る小さなショップも多い、近くには女子大もある。 浅草橋はいずれも無く、駅の魅力では残念ながら負けだ。
 
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②丸山橋・・・・・・・・・・・西荻窪駅を出て裏道を北へ歩く。(気持ちは北へ、足は北東へ向かっていた)、、、、、善福寺川に架かる、昭和43年(1968)1月完成の丸山橋を渡り上荻4丁目の町に入る。 丸山橋は、上荻窪村字丸山に架かる橋なのでその名がつけられた。 この付近、終戦直後までは鬱蒼たる雑木林だったそうだ。 今は、その当時の面影はない。、、、、、善福寺川はコンクリートで囲われた深い川底を流れているが、水は清く、親水公園と整備したらいいと思う。 
 
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③荻窪八幡神社・・・・・・・・・・・荻窪八幡神社は、第59代:宇多天皇の寛平年間(889~898)に創建された。 第70代後冷泉天皇の永承6年(1051)に、鎮守府将軍:源頼義が奥州東征の折この地に陣し戦捷を祈願した。 康平5年(1062)の凱旋では、八幡神を勧請し武将を拠らしめた。、、、、、神社の境内は約2,600坪の広さを有し、チョットした森となっている。 姿を拝めない本殿は明治28年(1895)、回廊に囲まれた拝殿は昭和11年(1936)に建てられた。 回廊と神門は昭和43年(1968)の造営である。、、、、、結婚式、七五三、これから祝い事で華やかな季節が来る。 私も、60数年前に七五三を行い、鳥居前で撮った可愛い写真が残っている。 しかし、戦後まもない当時は、写真館の幕に描いた鳥居の前で記念撮影したので、神社は???・・・いまだに謎の神社!
 
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④桃井原っぱ公園・・・・・・・・・・・荻窪八幡神社前の青梅街道を挟み、向かい側に荻窪署、荻窪消防署、河北総合病院などの公共施設が並び、その裏側にはURの団地、そして広大な一面芝生の公園がある。 これぞ、大正14年(1925)に開設した中島飛行機(株)東京工場で、昭和41年(1966)からは日産自動車(株)荻窪工場となり、平成10年(1998)に工場移転した跡地である。、、、、跡地は、公共性の高い跡地利用を望む日産自動車の要請により、「防災公園街区整備事業」を活用し、ヘリコプターの発着できる防災公園として整備された。
 
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・・・・・・・・・・・・・・原っぱ公園に隣接し、青梅街道に面する「日産プリンス東京販売荻窪店」の敷地の一角に「旧中島飛行機発動機発祥之地の碑」がある。 ここには、中島飛行機製作所東京工場に始まり、冨士精密工業、プリンス自動車工業、日産自動車荻窪工場と続いた工場跡地であったことをしるしている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・そして、隣にもう一つ、「日本ロケット発祥の地」の碑がある。 中島飛行機原動機工場は、国産第一号の飛行機用のエンジンをはじめ、零戦のエンジンも設計・製造した。 戦後、日産自動車荻窪工場となり、日本のロケット第一号も開発された。、、、、工場では、昭和28年(1953)東京大学生産技術研究所からの要請で、当時の富士精密工業荻窪工場内で少量の無煙火薬系推進薬を用いたロケットモータの地上燃焼実験を実施したのを始まりとして、昭和30年(1955)ペンシルロケット(直径1.8cm、長さ23cm、重さ200g)を完成させ、水平飛翔実験が行われた。 まさしく、我が国のロケット開発の始まりである。、、、、、碑の中にはペンシルロケットが埋め込まれているのだが、連日の雨模様でガラスが曇り殆ど見えない。
 
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⑤観泉寺・・・・・・・・・・・・荻窪駅と上井草駅を直線で結び、その中間地点(杉並区今川2丁目)に観泉寺はある。、、、、、宝珠山観泉寺といい、本尊は釈迦如来で、戦国時代の名門今川氏ゆかりの寺である。 慶長2年(1597)今の下井草二丁目付近に開山鉄叟雄鷟大和尚により創建され、観音寺といわれていた。 正保2年(1645)今川13代直房は、将軍家光の命をうけて京に上り、東照大権現の宮号宣下の使者を勤め、その功により井草村など三か村五百石の加増をうけた。 これを機に、当寺を菩提寺と定め、現在地に移して寺号を観泉寺と改め、祖父氏真を開基とし、信仰厚く伽藍建立に寄与した姉(観泉寺殿簾室慶公大姉)を中興とした。 その後万昌院 (現中野区)から祖父氏真の墓所を当寺に改葬した。
 
・・・・・・・・・・・・・・静かな参道を進み、突き当りの山門をくぐる。、、、、、誰もいない!
 
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・・・・・・・・・・・・・私とあろうものが、大失敗! 迂闊であった! まだ修業が足りぬ! この寺を知らなんだ! ものすごい寺だ! 広大な寺域の寺ではないが、東京の住宅地にあっては大きな寺だ! 江戸時代に建てられた、歴史ある本堂・庫裡の前に立ち、360度ぐるりと見渡しても、目に入るのは、緑豊かに囲まれた手入れの行き届いた境内である。 すばらしい気に入った!、、、、、写真順に、本堂正面、本堂左側の庭、本堂とは反対側の山門、右に鐘楼
 
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・・・・・・・・・・・・・本堂は宝暦12年(1763)に火事で全焼し、同年に庫裡、翌年に本堂が再建された。 この庫裡と本堂は区内最古の大型木造建築物。
 
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・・・・・・・・・・・・・・樹々の中に見え隠れする閻魔堂鐘楼
 
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・・・・・・・・・・・・・・きれいな芝と滝を配した石組みの庭は、特に有名と言うわけではないが、訪れる人を静かな気持ちにさせてくれる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・観泉寺には、今川家累代の墓所がある。 慶長20年(1615)12月28日の一周忌銘のある今川氏真、明治20年(1887)11月3日の没年銘のある範叙(26代)など一族の墓が、墓地の中程に低い塀で囲まれ、並び供養されている。、、、、、戦国の武将今川義元の息子氏真は、桶狭間の戦いで敗死した父の後を継いだ。 しかし桶狭間の敗戦は致命的で、今川氏の滅亡を招くこととなった。 その後、氏真は出家し、歌人として多くの歌を残している。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・・境内を歩き、春の枝垂桜、秋の紅葉狩りに有名な寺であることを知り、納得! ぜひ、秋になったら再訪したい! 夏の竹林も一見の価値あり!
 
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・・・・・・・・・・・・・・観泉寺山門前の参道両脇に、石仏・地蔵が残されていた。
 
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⑥上井草駅・・・・・・・・・西武新宿線の停車場。 昭和2年(1927)4月16日西武村山線(西武新宿線の前身)の高田馬場(仮)~東村山間の開業と同時にできた。 相対式ホーム2面2線の地上駅。 それぞれのホームは完全に独立していて、跨線橋がないため双方の行き来はできない。 それゆえ、駅舎は上下線それぞれ別になっている。 下り側が南口、上り側が北口で、駅事務室も双方にある。 
 
・・・・・・・・・・・・・下り側(1番線側)の南口
 
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・・・・・・・・・・・・・・上り側(2番線側)の北口
 
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・・・・・・・・・・・・・・・上下線ともホームの先端が踏切まで伸びて、電車が停まると、踏切にはみ出しそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・木造のホーム上屋に、木製の長~~いベンチ。、、、、酔って寝た人もいたであろう、懐かしのベンチ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・電車が来た、帰るぞ!
 
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