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2017年9月10日 - 2017年9月16日

2017年9月15日 (金)

刀剣博物館

朝一番の予約で墨田区の病院で、皮膚科の検診を受けてきた。 病気の方は特に異常なしで結果オーライ。、、、、、帰りは、安田庭園、両国駅前を通り、両国橋を渡り浅草橋の我が家へ戻った。 スタコラ歩けば、20分程の距離である。
 
 
 
●刀剣博物館・・・・・・・・・・病院を出たら目の前に新しい建物ができている。 これまでは仮囲いの中で『何やらやってるな』とみていたが、今日は仮囲いも撤去され、工事も最終段階のようだ。 ここは、旧安田庭園の一角で、本所公会堂(両国公会堂)の跡地である。、、、、新しい建物は、槇総合計画事務所の設計、戸田建設の施工による、地上3階建て鉄筋コンクリート造、建築面積約1080m2の刀剣博物館である。、、、、博物館は戦後に設立された「日本美術刀剣保存協会」の建物となり、国宝、重文を含む約190点の刀剣・刀装具・甲冑などが、来年1月から随時展示公開されるらしい。、、、、、私は、来年春に次回定期検査があるので、立ち寄るのが楽しみである。
 
・・・・・・・・・・・・・正面玄関前には工事用の車両が停まり、チョイと写真撮影には邪魔だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・刀剣博物館と同じ位置に正面玄関があった本所公会堂(両国公会堂)。(2013年撮影)、、、、、公会堂は安田財閥の寄付金をもとに、震災の記も生々しい大正15年(1926)に竣工した。 隣接する被服廠(現:東京都慰霊堂)では、数万人もの焼死者が出たので、この建物は復興の象徴のように映ったと思われる。 
 
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・・・・・・・・・・・・・旧安田庭園からみる刀剣博物館。、、、、、同じ位置から見る公会堂。 今と昔、どちらがいいかな?
 
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・・・・・・・・・・・・・旧安田庭園は、江戸時代、本庄氏(常陸笠間藩、のち丹後宮津藩)の下屋敷であった。 元禄年間に大名庭園として築造され、安政年間に、隅田川の水を引いた潮入回遊庭園として整備された。 明治に入り、旧岡山藩主池田章政の邸宅であったが、明治22年(1989)には安田財閥の祖である安田善次郎が所有することとなった。 大正11年(1922)に東京市に寄贈された。 現在は墨田区が管理している。
 
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●大相撲秋場所・・・・・・・・・・・幟がなびき客を迎える、秋場所だ!、、、、オヤ!何やら恥ずかし気に背を見せてなびくは、白鷗(休場)、日馬富士(3勝3敗)、鶴竜(休場)、稀勢の里(休場)、高安(休場)、豪栄道(5勝1敗)、栃煌山(1勝5敗)の幟。
 
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両国駅 ・・・・・・・・・・・昨年秋に駅舎は改装され、複合飲食施設「-両国- 江戸NOREN」がオープンした。
 
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●・・・・・・・・・・・・・私の足は両国橋から、我が家へ向かう。

2017年9月14日 (木)

谷塚

東武伊勢崎線の谷塚駅から竹ノ塚駅まで、1万1千歩の散歩。
 
 
 
谷塚駅・・・・・・・・・・東武伊勢崎線で東京都から埼玉県に入って最初の駅が谷塚駅(やつかえき)。 隣の、東京の最後の駅は竹ノ塚駅。、、、、、大正14年(1925)10月1日に開業した駅。 現在は1面2線の緩行線と、それを挟むように両外側に通過線がある高架駅。、、、、、草加市谷塚は主に住宅地であるが、高級マンション、豪邸のたぐいは見られず、所々に畑も点在しする処。 駅は通勤・通学で、朝は乗車する人、夜は降車する人が多い、メリハリの利いた駅。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・駅前ロータリーを囲むように、高層マンション・量販店・銀行・信用組合などが並ぶ東口。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・駅前の何もない大きな空き地、タクシーのこないタクシー乗り場、これぞ埼玉の歓楽街と思わせる小さな雑居ビルがある西口。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅前の空き地から見る東口の高層マンション。、、、、、、何かの間違いで建ててしまったのか?
 
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・・・・・・・・・・・・・・歓楽街(?)の裏には「谷塚西口商店会」がある。、、、、、『好きです この町』のキャッチフレーズが、わざとらしく感じた。
 
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②宝持院・・・・・・・・・・・谷塚駅から南西の方角にチョイと歩くと、真言宗豊山派寺院の長久山宝持院がある。 江戸時代初めに建立された寺院で、以来谷塚の人々の菩提寺として、宝灯を守っている。 現在の本堂は、平成4年(1992)に建てられた。 境内には四季の花々が咲くそうで、桜と銀杏が自慢できるそうだ。、、、、本尊は大和の長谷寺の十一面観音を模した 御丈八尺有余の金色に輝く大観音様。、、、、、、手入れも行き届き、美しさを感じることができる寺。
 
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③谷塚氷川神社・・・・・・・・・・・・草加市谷塚町の南端に位置する神社。 天保年間(1831~1845)に創建されたそうだが詳細は不明。 下谷塚村の鎮守さま。
 
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④谷塚の畑・・・・・・・・・・・
 
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⑤埼玉県から東京都・・・・・・・・・・・埼玉県と東京都の境を流れる毛長川を谷塚橋で越えて、足立区東伊興の町に入る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・対岸には、足立清掃工場の煙突が見える。
 
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●・・・・・・・・・・この後は、今年の5月18日に伊興の寺町を歩いているので、こちらを見てね!
 
●・・・・・・・・・・秋の色になった柿
 
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2017年9月13日 (水)

再び北品川

一昨日の散歩で、島倉千代子の墓を見ずに帰ったことが気になり、今日の散歩は再び墓地により東海寺に参拝することにした。 JR大崎駅から京急新馬場駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
①大崎駅・・・・・・・・・・明治34年(1901)、日本鉄道品川線の駅として開業し、昭和の時代までは山手線だけが発着する普通の駅の一つであった。  それが、平成の世になると、埼京線、湘南新宿ライン、東京臨海高速鉄道のりんかい線が乗り入れ、駅前には大規模再開発で巨大なオフィスビルが立ち並んだ。 平成元年の乗降客数は一日約7万人であったが、平成27年には42万人程と急激に増加した。、、、、、都会に住む田舎者となった私は、今朝のラッシュ時に大崎駅に降りると、ホーム上は改札に向かう人で身動きできず。 エスカレータに乗って立ち止まると、後ろから怒鳴り殺されるような恐怖を感じた。
 
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②大崎駅から東海寺大山墓地へ・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・大崎駅を出て、西側のペデストリアンデッキを歩く。
 
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・・・・・・・・・・・・・・「音は聞こえど姿は見えず、ほんにお前は屁のような」、、、、、高架上を疾走する新幹線、その下の盛土を走る横須賀線、どちらも下の道からは見えない! 
 
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・・・・・・・・・・・・・・第一三共品川研究開発センターの脇を通り、目黒川に出る。、、、、、川は汚れ、黒ずんでいる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・墓地の入り口、山手通りに架かり、京浜東北線・東海道線が走る目黒道架道橋。 ここから、線路沿いに徒歩1分。
 
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③東海寺大山墓地・・・・・・・・・・・・所在地は品川区北品川4
 
・・・・・・・・・・・・・・・墓地の所々に、曼殊沙華が咲く大山墓地。 今日は、“お千代さん”の墓参りにきたのだが、さて、見つけることができるかな?
 
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・・・・・・・・・・・・・・墓地に入ると、一昨日来た井上勝の墓の方から私と同年代と思われる70歳前後の男性がこちらに来る。 私は墓地の管理人と思い頭を下げ、『おはようございます。』 先方からは、『おはようス、おたくもお千代さんの墓参りですか?』 その瞬間、声も出ず、『エッ、なぜ判るの!』 返事する間もなく、先方はすれ違って行ってしまった。 あの方は、カラオケ好きで、中高年熱烈ファンの一人だったかも?、、、、、、ここで、私の鋭い勘がはたらき、井上勝の墓へ向かう。
 
・・・・・・・・・・・・・・『ナント、俺はバカ、アホ、ドジのマヌケなんだ、尻の毛が抜け真っ赤っかだ。』、、、、、一昨日来た時に、井上勝の墓の前に、『こんなところに、ペットの慰霊碑を建立し、邪魔だな!』と思ったものが、“お千代さんの墓”だった。、、、、、歌手の墓石によくある、音符と歌詞を彫ったゴチャゴチャしたものではない、綺麗な黒の石で、高さも低い上品な造りの墓石に、綺麗な花が供えられてる。 「島倉千代子」の名は墓石の裏に小さく彫られていた。、、、、、、名が見えなかった、ペットの慰霊碑と間違えたのも無理はない、許す! 『間違えてゴメン、安らかにお眠りください』と、謝りながら合掌。
 
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・・・・・・・・・・・・・墓石の後ろから撮影すると、吾輩がいかに慌て者か?、、、、半円の石の裏に小さく「島倉千代子」の名が見える。 墓と向かい合わせで「鉄道記念物 井上勝 墓」の表示がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・話のついでに、、、、、島倉千代子の出身は、東京市品川区北品川で、地元である。 また、この墓は生前に建てられたそうだ。
 
・・・・・・・・・・・・・・もう一つ、ついでの話、東海寺は地元の寺であるから、島倉家の御先祖の墓も、場所は離れているが、この墓地にある。 その墓石には、施主として名が記されてた。
 
・・・・・・・・・・・・・・せっかく、再び参上した墓地なので、今日は一昨日紹介しなかった著名人の墓を御案内。 明治の実業家:西村勝三の墓、江戸時代の暦学者:渋川春海の墓、江戸時代の国学者:本居内遠(もとおり うちとよ)の墓、江戸中期の儒者にして文人:服部南郭先生の墓、肥後熊本藩細川家家臣と一族の墓石利休居士追遠塔など、など、、、、、古い墓がイッパイ。
 
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④東海寺・・・・・・・・・・・『今日は是非とも、お参りするぞ!』と、やってきた。、、、、臨済宗大徳寺派の東海寺は、寛永15年(1638)徳川家光が沢庵和尚を招聘して開山した。 寺領5千石、境内地4万7000坪を賜った別格本山格の寺院で、臨済宗大徳寺派の江戸触頭であった。 明治維新で廃寺となったものを、かつての塔頭玄性院が旧跡を引き継いで現在に至る。、、、、、明治通りに面し、超高層マンションの谷間に参道がある。 参道の奥、砂利を敷いただけの境内中央に木造の古学殿、鐘楼がある。 鐘楼は元禄5年(1692)に、名工と言われた幕府の御用鋳物師である椎名伊代守良寛によって造られたそうだ。
 
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⑤品川神社・・・・・・・・・・・新馬場駅前、第一京浜を挟み鳥居が見える小高い丘の上に鎮座する神社。(北品川3)、、、、、、文治3年(1185)、源頼朝が安房国州崎明神を勧請し、創建した。 寛永14年(1637)三代将軍徳川家光公により東海寺が建立され、品川神社がその鎮座と定められた。 元禄7年(1694)・嘉永3年(1850)の二度の社殿焼失の際には、時の将軍の命により再建が行われる等、徳川将軍家の庇護を受けました。 明治元年(1868)11月には明治天皇が新都・東京の安寧と国家の繁栄を祈願しるために、当社を含んだ都内の神社を「准勅祭神社」と定めた。 そして、大東亜戦争では、幸い神社は戦火を免れることができた。 しかし、社殿の老朽化は進み、昭和39年(1964)現社殿が鉄筋コンクリート造で再建された。
 
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・・・・・・・・・・・・・・神社の社殿裏に、「板垣死すとも自由は死せず」と叫んだ板垣退助の墓がある。 この地は、元は東海寺の塔頭:高源院があった所である。 高源院は関東大震災後、世田谷区烏山に移ったが、墓所は板垣の意向を汲み(?)現在地に残されたそうだ。、、、、、、墓所は薄暗くチョイとジメジメ、観光地とするには無理かな?
 
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⑥新馬場駅・・・・・・・・・・・明治37年(1904)、京浜電気鉄道の南馬場駅、北馬場駅として開業した。 北馬場駅は目黒川の北側(現:北品川)に、南馬場駅は川の南側(現:南品川)に、それぞれの駅が川を挟んで在った。 駅間の距離は200m程しかなく、昭和51年(1976)の高架化工事に合わせ統合し、“新馬場”駅が誕生した。、、、、改札口は旧北馬場駅、南馬場駅の駅舎位置にあり、ホームは目黒川の上にできている。、、、、、ホームは長く、有効長は200m程の長さである。
 
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2017年9月11日 (月)

北品川

JR品川駅港南口に出て、北品川のチョイト人通りの少ない処をブラブラし、大崎駅まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
品川駅港南口 ・・・・・・・・・・・新宿駅西口、東京駅丸の内などと並ぶオフィス街となり、朝は改札口から出てくる人の流れが途切れることはない。 私も流れに乗って、駅から再開発地区「品川インターシティ」を通り抜けてきた。、、、、、高所恐怖症の人は、超高層ビルでの執務は、どうしてるのか、怖くないのかな?
 
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②昭和の家並み・・・・・・・・・北品川1丁目、旧東海道品川宿の東側に屋形船などを係留している船溜まりがある。 その一画、十数軒程の板張りの住宅が、昭和の路地裏を守り残している。 石を敷いた路地には、草木も置かれ、タイムスリップした感じだ。
 
・・・・・・・・・・・・・・船溜まりの先、マンションの谷間に木造住宅が密集している。
 
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・・・・・・・・・・・・・半分は空き家となったようだ。、、、、、残して欲しいこの景色。
 
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・・・・・・・・・・・・・船溜まりに架かる北品川橋。 大正14年(1925)竣工。
 
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③開かずの踏切・・・・・・・・・・・北品川駅ホーム南端脇の踏切。
 
・・・・・・・・・・・・・・9時0分撮影。 この後、上下10本程の列車が通過。 途中で無理やり遮断機をくぐり、横断する人もいた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・9時10分撮影。 10分前と同じ人が何人いるでしょうか?、、、、、6人は判るはずです。
 
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・・・・・・・・・・・・・・慣れた人は、踏切脇で待機。
 
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④旧英国公使館跡・・・・・・・・・・・・・幕末に高杉晋作や伊藤博文・井上馨などの長州藩士により、品川の御殿山で当時完成間近であった英国大使館の焼討ちがあった。 この時の大使館(公使館)跡は、現在の「権現山公園」あたりである。
 
・・・・・・・・・・・・・・京急北品川駅前の品川女子学院校舎脇の道を入り、階段を上ると郵政官舎がある。 ここが旧英国公使館跡と言われているが、現在は遺構、案内板、碑石など跡を標すものは一切ない。 ちなみに、官舎の住人も知らなかった。
 
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・・・・・・・・・・・・・・官舎の西隣にマンションがあり、さらにその隣に東海道線に沿って崖上の小さな公園がある。 公園からは、崖下の東海道線線路を挟み、向かい側に御殿山が見える。 これが権現山公園(北品川3-9)である。 公園は、もともと東海寺(3代将軍家光により創建された、臨済宗大徳寺派の寺院。)の境内で、現在の御殿山と連なる高台であった。 その御殿山を切りさくように鉄道(東海道線)が敷かれたのである。、、、、、只今、公園はJRの耐震工事で崖を修復中につき御殿山が見通しにくい。
 
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⑤目黒道架道橋・・・・・・・・・・・・・権現山公園のある高台から、南側の区立品川学園校舎を回るように下ると山手通りにでる。 通りの向かい側に東海寺が見えるが、今日は素通りし大崎駅へ向かう。、、、、、あとで、東海寺に寄ってくれば良かったと後悔することになった。
 
・・・・・・・・・・・・・東海道本線が山手通りを越える目黒道架道橋がある。、、、、、竣工時期不明だが、私の推測では昭和初期かな?
 
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・・・・・・・・・・・・・・橋をくぐると、橋脚の脇に「官営品川硝子製作所跡」の碑があった。、、、、、明治6年(1873)、日本で最初の西洋式硝子工場がここに設立された。 しかも、この地も東海寺境内である。、、、、、寺の境内で、ビール瓶などを御国が製造したそうだ。 明治はいい時代だった!
 
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⑤東海寺大山墓地・・・・・・・・・・目黒道架道橋の隅にもう一つ私を引き付けるものがあった。
 
・・・・・・・・・・・・・「東海寺大山墓地」の案内板。 なんと、沢庵和尚、賀茂真淵、井上勝、などの墓がここにある。、、、、、、あの素通りしてきた寺の墓だ、私の足は戻りたくない! 失敗、失敗、大失敗! 後悔先に立たず、食うかい歯で噛めず。
 
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・・・・・・・・・・・・・・とりあえず、今日は墓を見学することにした。、、、、、墓地は現在の東海寺とは離れて、品川駅の南で山手線(新幹線)と京浜東北線(東海道線)が分かれる、股裂き状態の位置(北品川4-11-8)にある。 ここも、昔から東海寺の境内だったそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・ 但馬国(現:兵庫県)出石町生まれ。 江戸時代初期の禅僧。 37歳で大徳寺の住持となる。 寛永6年(1629)、紫衣事件で幕府に抗弁書提出し、咎められ出羽上山藩に流罪となる。 二代将軍の秀忠の死により許されて京都へ帰る。 三代将軍の家光は江戸に東海寺を創建し沢庵を迎えいれた。 その沢庵和尚の墓。、、、、、墓石には大きなたくあん石!
 
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・・・・・・・・・・・・・・賀茂真淵の墓、、、、、江戸中期の国学者で、『万葉集』の研究を始め、国学・復古神道の普及に努めた。 弟子は300人以上いたそうだ。、、、、、鳥居もある立派な墓だ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・日本の鉄道の父:井上勝の墓、、、、、、明治4年(1871)に初代の鉄道頭となり新橋~横浜間の鉄道を開通させた。 墓の横に東海道新幹線が通る。 墓は鉄道記念物に指定されている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・私の散歩は下調べなしの“ぶっけ本番”である。 「後で気がつく癲癇病み」で、ここの墓地に『東京だョおっ母さん』の島倉千代子も眠っているそうだ。 手を合わせたかった、残念、無念、大失敗。 
 
 
 
・・・・・・・・・・・・大崎駅から帰宅。
 
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