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2017年11月12日 - 2017年11月18日

2017年11月16日 (木)

観泉寺

今夏に訪れた杉並区今川の観泉寺に、秋の色を求めて歩いてきた。 西荻窪から、荻窪八幡神社、観泉寺、妙正寺と1社2寺を巡って荻窪駅まで、1万2千歩の散歩です。
 
 
 
荻窪八幡神社 ・・・・・・・・・・杉並区上荻の荻窪八幡神社は、第59代・宇多天皇の寛平年間(889~898、平安時代前期)に創祀されたものと伝えられている。 旧上荻窪村の鎮守。、、、、、永承6年(1051)、源頼義が奥州の安倍貞任征伐の途中、当社で戦勝を祈願し、後の康平5年(1062)に凱旋の折、神恩に感謝して当社を厚く祀ったと言われている。 その後の文明9年(1477)に江戸城主であった太田道灌は石神井城主:豊島泰経を攻める際に、この故事にならって当神社に武運を祈願した。 この時植えた槇の樹一株が、500年経ったいまなお神社の境内にそびえる「道灌槇」で、御神木として崇められている。、、、、、、本殿は明治28年(1895)、拝殿は昭和11年(1936)に建てられた。
 
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観泉寺 ・・・・・・・・・・・・こちらは、地名も杉並区今川にある、今川氏の菩提寺観泉寺。 夏に訪れたときは、緑豊かに手入れの行き届いた庭であった。 秋の色に染まった庭も見たく、今日の再訪となった。、、、、、慶長2年(1597)観音寺として創建。 正保2年(1645)今川13代直房(桶狭間で織田信長に敗れた今川義元の子孫)は、将軍家光の命をうけて京に上り、東照大権現の宮号宣下の使者を勤めました。 その功により井草村など三か村五百石の加増をうけ、当寺を菩提寺と定め、現在地に移して寺号を観泉寺と改め、祖父氏真を開基とし、信仰厚く伽藍建立に寄与した姉(観泉寺殿簾室慶公大姉)を中興とした。
 
・・・・・・・・・・・・・山門から本堂へ、、、、、東京の紅葉は京都みたいに、一斉に赤くならないようだ!
 
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・・・・・・・・・・・・・横の鐘楼は無ゴ~~ン
 
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・・・・・・・・・・・・・閻魔堂は、秋の陽射しを受け眩しそう。
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・・・・・・・・・・・・・庭の樹々もチョイと色づいた。
 
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・・・・・・・・・・・・・今川の御先祖さんは墓地で熟睡!
 
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妙正寺 ・・・・・・・・・・・観泉寺から東へ向かい杉並区清水にある、日蓮宗の寺院:法光山妙正寺に参る。 妙正寺は十界諸尊を本尊とし、ほかに大黒天・鬼子母神・三十番神・弁財天などの諸像が祀られている、仏様の揃い踏み。、、、、、約六百年前の文和元年(1352)、中山法華経寺の第三世日祐上人が、妙正寺のほとりに堂を建て、法華経守護の天照大神・八幡大神・春日大神など三十番神を勧請したのが始まり。 正保3年(1646)に堂を再建し中興する。 慶安2年(1649)、三代将軍徳川家光が鷹狩りの折、神前に武運長久を祈願し、葵の紋幕と朱印地五石を寄進してからは、「御朱印寺」として一層有名になった。 なお、隣の妙正寺公園を源として、王子から隅田川に注ぐ川は妙正寺川である。、、、、、本堂は昭和6年(1931)に改築し、鐘楼は昭和38年(1963)に建て替えられた。
 
・・・・・・・・・・・・・・山門の脇には、紅葉ならぬ、桜がお出迎え。
 
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・・・・・・・・・・・・・山門を抜ければ、スグ前に本堂
 
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・・・・・・・・・・・・・・鐘楼をチョイと見上げて、ゴーン。
 
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・・・・・・・・・・・・・・妙正寺の墓地に眠る、囲碁の本因坊:知伯。 本因坊知伯(ちはく)は、宝永7年(1710)に生まれ、享保18年(1733)に没した、江戸時代の囲碁棋士で、六世本因坊。、、、、知伯の本姓は井口であるが、妙正寺の墓地には井口姓の墓が多く、アッチャ、コッチャ、墓を覗き探すこと15分。 やっと見つけた、小さな墓石!
 
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2017年11月15日 (水)

北の丸公園

我が家(浅草橋)から、神田駅、一ツ橋をとおり、清水門から北の丸公園に入り、田安門から出て飯田橋駅まで、1万4千歩の散歩です。

 
 
①浅草橋から一ツ橋・雉子橋まで・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・まもなく8時、浅草橋駅から職場に向かう人に交じり、神田川を越え、靖国通りを横断し、神田駅に向かう。、、、、東京に生まれて70余年、神田界隈は育った町でもある。 『アレ? 岩本町のここに花屋があったはず。 隣は莫大小(メリヤス)の問屋だったっけ?』、『神田駅前ガード下にはロマンポルノの映画館があったな。 向かいに、ケーキ屋の小鍛冶があった。 JTBはまだある。』、『神田駅周辺には、ハワイ、日の丸、ハリウッドなどキャバレーがあったが、今は無い! 寂しいね。』、『美土代町のYMCAでは、地下にプールがあって、中学生の私はフルチンで泳がされた。 YMCAの建物があった場所は?、判らなくなった!』、、、、いつの間にか壊され、建て替えられ、ビルが並ぶ町となった神田界隈。 一人で数十年前の街並みを思い浮かべ、懐かしみ歩いてきた。 
 
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・・・・・・・・・・・・・神田錦町に2年前にオープンした複合ビル「テラススクエア」は、博報堂の跡地に建てられた地上17階・地下2階建てのビルである。 ビルの一部には昭和5年(1930)に竣工した博報堂旧本館が復元されている。
 
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・・・・・・・・・・・・・日本橋川に架かる一ツ橋。 徳川家康が江戸城に入った頃は、現在の橋の位置に 丸太の一本橋が架かっており、「一ツ橋」の橋名は、この一本橋から名付けられたと言われている。 そして、寛永年間(1624~1643)になると、この丸太の一本橋の江戸城側に 一ツ橋御門が設置され、同時に見附橋としての「一ツ橋」が架けられる。 これが「一ツ橋」の由来である。、、、、現在の一ツ橋は、大正14年(1925)に架けられた、全長:19.6m、全幅:28.0mの 鋼製桁橋である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・一ツ橋の上流側に、もう一つ古い橋が架かっている、雉子橋(きじばし)である。 江戸時代の雉子橋門跡の近くに架かる橋で、徳川家康が朝鮮の使節を饗応するために、好物の雉子を囲った場所がこの辺りであった。、、、、、、明治36年(1903)に鉄橋に改架したが、関東大震災で被災した。 現在の橋は大正14年(1925)10月25日に架けられた、長さ32.89m、幅27.6mの鋼橋です。
 
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②清水門・・・・・・・江戸城北の丸に登城する門で、現在の千代田区役所庁舎前にある、門を入ると科学技術館の横に出る。  江戸城の他の門に比べると、どちらかというとマイナーな門であるが、重要文化財である。、、、、、、寛永元年(1624)助役大名:浅野長晟により建てられた枡形の城門。 江戸時代の雰囲気を色濃く残している。
 
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吉田茂の像・・・・・・・・・・清水門を入ると芝生地の一角に吉田茂の像がある。 像は昭和56年(1981)に公園内に建てられた。 昭和の名宰相がなぜここに?
 
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北の丸公園の秋・・・・・・・・・
 
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●・・・・・・・・・・・・・・このあと、田安門から公園を出て飯田橋駅より帰宅。

2017年11月12日 (日)

知らない町に行ってきた!

昨日まで、“東京→(山形新幹線)→米沢→(米坂線)→村上→(羽越線)→新潟→(上越新幹線)→東京”のルートで、妻と旅行してきた。 この旅の一番の目的は、新潟県関川村の「渡邉邸」を訪れることでした。 雅万歩と同性で、故郷のようでもあり、親戚のようでもある、豪農の屋敷を見学してきた。、、、、第二の目的は、村上市内の「黒塀通り」を歩くこと、既に冬の風も吹き始め、観光客も少なく静かな小路を散策してきた。、、、、、今だ訪れたことがなかった二つの町を歩き、印象深い旅となった。

二つの町をチョイト紹介します・・・・・・・・

①関川村・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・米坂線「越後下関」駅から徒歩10分程で、旧米沢街道に面して、国の重要文化財である豪農の屋敷、明治時代に建てられた旧医院などが並んでいる。

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・・・・・・・・・・・・・一般に公開されている渡邉邸は1817年(=江戸時代、伊能忠敬が活躍した頃)に建てられた。 3000坪の敷地に500坪の大邸宅。 主屋は41m×36m程の大きさで、国の重要文化財。 点在する多くの蔵や屋敷を囲む塀まで全て重要文化財なり。、、、、広い長い土間、多くの蔵が、厳しい冬の生活を支えているようだ。

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・・・・・・・・・・・・・・・渡邉家の分家の渡邉家御新宅、明治38年築。 現在は東桂苑と呼ばれ、関川村が管理している。

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・・・・・・・・・・・・・紹介ついでに、関川村にてこの夜の泊りは、吊り橋の奥にある鷹の巣温泉。

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・・・・・・・・・・・・吊り橋の架かる「荒川」は、磐梯朝日国立公園から流れ下り、日本一の水質を誇る川らしい。、、、、、“清流”と言われても、橋の上から見ると???

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②村上の城下町・・・・・・・・・村上は、戦国時代は本庄氏、江戸時代は村上氏が築いた城下町。、、、、、城跡には石垣が残るだけ。

・・・・・・・・・・・築200年以上経つ武士の住宅「若林家住宅」。 ボロ屋に見えるが、こちらも国の重要文化財。 

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・・・・・・・・・・・・・・松尾芭蕉もこの通りを歩いて浄念寺に参拝したと言われている「黒塀通り」。 城下町の風情を残す小路。

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・・・・・・・・・・・・・浄土宗の寺院、快楽山称名院浄念寺は1500年頃の開基である。 本堂は1818年に再建された、大きな白壁土蔵造りで、コレマタ、国の重要文化財。

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・・・・・・・・・・・・・・さすが城下町、今に残る町屋の多くは老舗の酒屋・茶舗・漆器屋など、ついつい土産に財布も緩む。

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