« 神田明神・湯島天神 | トップページ | 足立小台~江北 »

2018年2月12日 (月)

浅草寺裏

浅草・浅草寺と隣の浅草神社(三社様)は、共に南向きに祀られている。 今日の散歩は、両寺社の裏手を歩いてきた。
 
 
 
①浅草神社・・・・・・・・浅草寺の本尊:観音像を網で拾い上げた土師真中知(はじのまなかち)、檜前浜成(ひのくまはまなり)と、浅草寺の観音像を奉安した武成(たけなり)を主祭神(三社様)とし、後に東照宮(徳川家康)・大国主命を合祀した。 鎮座した年代不詳である、当初は「三社権現」と称していた。  明治元年(1868)には「三社明神」、さらに同6年に「浅草神社」と改称した。、、、、、現在の社殿は慶安2年(1649)、徳川家光が再建したもので、本殿と拝殿との間に弊殿を設けた権現造。 国の重要文化財に指定されている。
 
1802120843250
 
1802120839570
 
1802120839300
 
 
②被官稲荷社・・・・・・・・・浅草神社の裏手東側の一角に、新門辰五郎が勧請した被官稲荷社がある。、、、、、安政元年(1854)、新門辰五郎(1800?~1875)の妻女が重病で床に伏したとき、京都の伏見稲荷社に祈願した。 その効あり病気全快したので、安政2年(1856)、お礼の意味を込め、伏見から祭神を当地に勧請し、被官稲荷社を創建した。、、、辰五郎は上野寛永寺住職輪王寺の家来であった。 輪王寺宮舜仁法親王が浅草寺伝法院に隠居し、上野へ行くのに便のいい新門を造った。 その門の番を命じられたので、新門辰五郎と呼ばれ、町火消十番組頭としても、多彩な活躍をした。、、、、、社殿は一間社流造、杉皮葺。 創建以来のもので、間口約1.5m、奥行約1.4mと小さいが、覆屋を構えて保護している。 覆屋は大正時代の建築と思われる。、、、、、私も、妻が重病で床に臥したら、ローマのサンピエトロ大聖堂、パリのサンジェルマンデプレ教会、ロンドンのウェストミンスター大聖堂などへ祈願の旅に出るかな?
 
1802120852210
 
1802120854530_2
 
 
③浅草寺一山支院・・・・・・・・・・浅草神社の北側に、浅草寺の支院が並ぶ区画が在る。 この建物は、  岡田信一郎(1883~1932)と岡田捷五郎(1894~1976)の兄弟が設計し、昭和7年(1932)に竣工した支院の住宅群です。 岡田信一郎は黒田記念館、明治生命館などを設計。 弟の捷五郎は、兄の事務所で明治生命館、琵琶湖ホテルなどの設計を行った。、、、、一山支院は1100坪の敷地に21の支院が建てられ、街路には路地的な雰囲気が漂う。 建物は不燃化のため、鉄筋コンクリート造、2階建て(3階部分は後の増築)とし、基本は2院で1棟となっている。、、、、、兄弟で設計したとは、羨ましいかぎり。
 
1802120900261_stitch_2
 
1802120855320
 
1802120858490
 
1802120857290_2
 
1802120901520
 
 
④浅草寺・・・・・・・・・・・御存じ、天下の「観音様」。 今日は後ろ姿をパチリ!、、、、、女性の後ろ姿ならば襟足に色気を感じところだが、「観音様」の後ろ姿は素っ気ないね! 本堂裏の広場には、観光バスが駐車することもある。
 
1802120831050
 
1802120905180
 
 
⑤浅草寺病院・・・・・・・・・・・・浅草寺が運営する社会福祉法人浅草寺病院が、本堂裏の広場を挟み向かい合わせにある。、、、、、本尊:観世音菩薩の抜苦与楽の誓いをいただき、始められた福祉事業。 明治43年(1910)、浅草寺境内念仏堂において浅草寺診療所が設立された。 その後、総合病院に変わり運営されているが、平成14年(2002)に現在の新しい病院が建てられた。、、、、「観音様」が運営する病院なので、白衣の“天使”も白衣の“観音様”かも?  急患も診てくれるらしいが、私はいまだこの病院にはお世話になっていない。 いずれ、その折にはよろしくお願いします。 
 
1802120909220
 
 
⑥銅像・石碑・・・・・・・・・本堂裏の広場の縁に、銅像・石碑などが並んでいる。 チョイト紹介すると、、、、
 
・・・・・・・・・・・・・大谷米太郎夫妻像、、、、、宝蔵門を再建寄進した大谷米太郎(ホテルニューオータニ創業者)夫妻の胸像。昭和42年(1967)の造立。 
 
1802120903100
 
・・・・・・・・・・・・・並ぶ供養塔など
 
1802120905540
 
・・・・・・・・・・・・・・九代目市川團十郎 「暫」の像、、、、、、、当初、大正8年(1919)に造立されたもので、彫刻家新海竹太郎の作であったが、第二次世界大戦時の金属供出で失われ、昭和61年(1986)、十二世市川團十郎の襲名を期に再建された。
 
1802120908020
 
 
⑦銭塚地蔵尊・・・・・・・・・広場の西側に、昭和39年(1964)に再建された堂内に、胴(四角い石塔)の上に六つの顔が載っている石の六地蔵尊が祀られている。 享保年間(1716~1735)摂津国有馬郡の山口某の妻が、庭先で「寛永通宝」がいっぱい入った壺を掘り当てたが、これに頼って働かずにいては家が滅びると思い、土中に埋め戻した。 この心掛けによって一家は繁栄したので、その壺の上に地蔵尊をまつったという。 銭塚地蔵尊は、その分身を勧請したもので、商売繁昌を祈願する人が多い。 石塔の下には「寛永通宝」が埋められているといわれる。、、、、、私も、家の地下収納から万札が入った壺が出てくることを祈願して、賽銭を奮発し10円玉を投げ入れてきた。
 
1802120911030_2
 
1802120916160_2
●・・・・・・・・・・・・・・・・・・以上、三社様、観音様の裏側(北側)の紹介です。 ショ~ウかい!

« 神田明神・湯島天神 | トップページ | 足立小台~江北 »

台東区」カテゴリの記事

建築」カテゴリの記事

散歩」カテゴリの記事