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2018年12月 2日 (日)

久が原は日蓮宗の寺ばかり

毎日が日曜日の私は曜日を意識することが少なくなった。 今朝、地下鉄浅草橋駅で、人の少ないホームに立って、『今日は日曜日』と気づいた。 銀座・泉岳寺方面行の電車も今日は乗客が少ない、『座れるぞ』咄嗟の判断で、散歩の行先方向を急遽変更し西馬込行電車に飛び乗った。 下車駅が定まらぬまま、終点の西馬込に着いてしまった。 こうなれば、あとは足まかせの散歩にした。、、、、、西馬込駅から西へ歩き、東急池上線久が原駅まで、1万歩の散歩となった。
 
 
 
●終点だ、しかたない降りよう・・・・・・・・・またまた来てしまった西馬込駅 。 終点に近づくと車内はガラガラ。 電車は印旛日本医大行となって折り返す。 駅前には通勤客の姿はなく閑散としている。
 
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●お金持ちの坂・・・・・・・・・・・太田区仲池上2丁目2番と5番の境を西へ下るかなりの急坂、その名は大尽坂。 昭和初期に行われた耕地整理によってできた坂道であるといわれている。 坂名は、その昔大尽(だいじん、=金持ち)がこのあたりに住んでいたということで名づけられたそうだ。 この大尽が誰であったかについては不明である。、、、、今の世でも、坂の周辺はお金持ちが住んでいるような住宅街だ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・坂の上に昭和初期頃に建てられたと思う住宅がある。、、、、かなり広いお屋敷のようだ、母屋が見えない。
 
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・・・・・・・・・・・・・坂の下に庚申塔がある。 正面には、「南無妙法蓮華経 庚申  享保三戌歳十二月吉辰」と彫り、右側に「池上めぐろ江道」、左側には「せんそくほりの内江道」とある。 池上本門寺目黒不動尊、堀の内(杉並区)の妙法寺への参詣道を示した庚申塔である。 享保三年(1718)は暴れん坊将軍:徳川吉宗の時代。
 
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●水が綺麗になった川、臭わない!・・・・・・・世田谷区桜新町を水源とし大岡山の東工大を流れてきた呑川(のみかわ)を、久が原の八幡橋(昭和35年竣工)で越える。 呑川は八幡橋から池上本門寺前、蒲田駅、羽田空港へと流れ下る。
 
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●側室のパワーか?・・・・・・・・吞川に架かる道々橋(どどばし)の南側(久が原2)に日蓮宗の長照山樹林寺がある。 開創の年代は不明だが、寛永5年(1628)頃に創建されたと言われている。、、、、、、寺伝によれば、当時この道々橋村の周辺各村には、1ヶ寺以上の寺があったが、なぜか道々橋村には寺が1ヶ寺も無かった。 村の人達は、村内に寺の建立されることを熱願していたが、資力が無く、これを実現できないでいた。 たまたま土地の綿屋の娘が江戸城に奉公し、将軍の側室付きの腰元となった。 この側室が、腰元の親の願いを聞き、その奇得を感じて、道々橋の村内に樹林寺を創建したと言われている。、、、さすが“側室”の力、『殿、道々村に寺を建ててくりゃれ』と、殿のほっぺにチュー。 『良きに計らえ』と、抱き寄せる。 これにて、1ヶ寺が建ったのか?(私の邪推)
 
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●半径200mに3社3寺・・・・・・・・・・・・「久が原」1丁目、2丁目、3丁目の境である「出世観音前交差点」を中心に半径200m程の円内に、寺社が複数あった。 樹林寺もその一つ、他に道々橋八幡神社、久が原西部八幡神社、末廣稲荷神社、久が原出世観音、安祥寺がある。、、、、全部手を合わせてきたので、堂々一挙公開。
 
・・・・・・・・・・・・・まずは、久が原1丁目の道々橋八幡神社。 神社の創建年代等は不詳ながら正保年間(1644~1647)に創建、道々橋村の鎮守社だった。 現在の社殿は昭和35年(1960)の建造。、、、、、狛犬の首に注連飾りをかけている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・次は、久が原4丁目の久が原西部八幡神社。 神社は、天平神護元年(765)に、久が原の高所に創建した。 久ヶ原村には元々一つの八幡社しかなかったが、江戸時代初め村が馬込領と六郷領に分断された時、八幡社も二つに分けることになり、元の八幡社が東部八幡となり、西部八幡は独立して現在地に新たに造営された。、、、、現在の社殿は昭和53年(1978)に建てられたものである。
 
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・・・・・・・・・・・・・三番目は、久が原2丁目にある小社:末廣稲荷神社。 周囲を雑木に囲まれ、社は見えないので判り辛い。 
 
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・・・・・・・・・・・・・四番目は、久が原2丁目のパワースポットである久が原出世観音。 閑静な住宅街の中、野村證券の寮の隣りにあり、両サイド塀になった狭い参道を入った奥に、堂がある。、、、、、伊藤博文の恋人(築地の大料亭の先代)が建てた観音堂だそうで、政財界の方も手を合わせに来るそうだ。 私も、御利益を期待して線香をあげてきた。、、、、堂の内部は見えるが、観音様は正月三が日のみ一般公開されるそうだ。 
 
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・・・・・・・・・・・・・さてさて五番目は、久が原4丁目の長久山安祥寺。、、、、本門寺周辺はどの寺も日蓮宗、ここもそうだ! 寛永6年(1629)の創建。 建物は戦災で焼失し、全て戦後再建した。
 
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・・・・・・・・・・・・・最後に、“おまけ”で出世観音前交差点の角にある庚申堂。 一つは板状駒型の青面金剛像。 「元禄十三庚辰十二月吉日」の銘がある。 もう一つは、板碑型の庚申塔で、「元禄五壬申年十一月十五日」の銘がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・もう一つ“おまけ”の庚申堂があった。 久が原三丁目交差点にある小祠。 板状駒型の青面金剛で「享保廿乙卯天十一月吉日」の銘。 もう一つは、同じく板状駒型の青面金剛で「元禄十四辛巳十二月八日 久ヶ原村」の銘。
 
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●トイレがない、漏れちゃう!・・・・・・・・ワンマン運転で3両編成の電車が走る、東急池上線の久が原駅。 大正12年(1923)5月4日蒲田から延伸してきた池上電気鉄道が、池上~雪ヶ谷間を開業させた時にできた。 開業当初は「末広駅」と名乗っていたが、その後「東調布駅」、「久ヶ原駅」を経て、昭和41年(1966)に現在名となった。 ホームは地上相対式2面2線の構造で、上下ホームは完全分離されていて行き来ができない。、、、、、トイレは2番線五反田方面ホームにしかないので、1番線ホームで行きたくなったら、次の千鳥町駅まで我慢する。 我慢できないときは、さて、どうする? 
 
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・・・・・・・・・・・・・・・・・久が原駅にもある長~い腰掛け。 かつては、多くの駅のホームや待合室でよく見かけた10人以上が座れる、あの長い腰掛けが残っている。 腰掛けの断面は座りやすく絶妙なカーブで作られ、懐かしい座り心地を感じるのは私だけではないと思うね!
 
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