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2018年3月11日 - 2018年3月17日

2018年3月17日 (土)

しばられ地蔵

数日前、稲毛の地蔵院へ行き帰宅後、寺の由緒をネットで調べていたら、似た名前の南蔵院が出てきた。 そこに「しばられ地蔵」が紹介されていたのを見て、今日の散歩は南蔵院へ行くことにした。、、、、、金町駅からチョイト遠回りだが、葛西神社、半田稲荷に寄って南蔵院へ参り、金町駅まで戻る、1万2千歩の散歩です。 
 
 
 
JR金町駅 ・・・・・・・・・明治30年(1897)12月27日、日本鉄道の駅として開業し、明治39年(1906)には国鉄の駅となる。 改札が高架下(盛土)にあり、改札を抜けると駅の南北を結ぶ自由通路を通り駅前ロータリー出る。 今日は北口から散歩を始める。
 
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・・・・・・・・・・・・・朝の駅前商店街、食事処の中華そば屋、定食屋などは開いている。、、、、、ここ金町では、朝から外食する人が多いのかな?
 
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②葛西神社・・・・・・・・・・駅から常盤線に沿いに歩き、江戸川に出る手前(葛飾区東金町6)に葛西神社がある。、、、、、葛西神社は、平安末期の元暦2年(1185)に葛西清重が、上葛西、下葛西)33郷の総鎮守として、香取神宮の分霊を勧請したと言われている。 江戸時代には徳川家康から御朱印10石を賜り、11月を例大祭とするようになった。
 
・・・・・・・・・・・・・嘉永7年(1854)に建立された正面鳥居 これより、明神の森となる。
 
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・・・・・・・・・・・・・正面鳥居の奥に、もう一つ、高さ約9mの大鳥居がある。 昭和4年(1929)に崇敬者夫妻の金婚式記念に奉納されたそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・経津主神、日本武尊、徳川家康の三柱を祀る本殿。 鉄筋コンクリート造、権現八棟造りで昭和39年(1964)に改築された
 
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・・・・・・・・・・・・・鍾馗石像、、、、、鍾馗(しょうき)は、唐の玄宗皇帝が病中に鍾馗が鬼を退治した夢を見て、魔よけとして始まった。 わが国でも、まもなく五月の節句に幟に描かれたりして登場する。、、、、、境内のこの石像は、念仏講の人々が悪魔降伏を祈り元禄8年(1695)に建てた。
 
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・・・・・・・・・・・・・葛西神社は境内社も多く、厳島神社、富士神社、北野神社、諏訪神社、天祖神社、綱神社、道祖神社、椿神社、三峰神社、弁天社、稲荷神社、水神社、疱瘡神社、子録神社など、『なんでも揃って、祀っています』と大安売り! 
 
 
③光増寺・・・・・・・・・・・葛西神社の北200m程(東金町6)に、浄土宗の摂取山蓮池院光増寺がある。、、、、、光増寺は、貞応元年(1222)に草庵として始まり、元仁元年(1224)、親鸞聖人が立ち寄り浄土真宗光増寺となった。 戦国時代、合戦により堂宇を消失、天正15年(1587)、江戸増上寺の僧が浄土宗として中興した。 当地は旧水戸街道沿いにあたり、水戸徳川家の立ち寄り所となり、葵の紋所が使用されている。、、、、現本堂は明治43年(1910)の再建を経て、昭和49年(1974)に現在の堂舎に改築された。 
 
・・・・・・・・・・・・道路正面に見えた山門。 狭き門、高き松、小さき本堂、草庵の雰囲気残り、いいね!
 
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・・・・・・・・・・・・・草庵の雰囲気が残る本堂。
 
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・・・・・・・・・・・・・境内には、江戸時代からの多くの石仏、碑、墓などが祀られている。 檀家から寄贈されたものもあるようだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・江戸時代葛飾の生んだ俳人:鈴木松什(しょうじゅう)の墓の後ろで、静かに咲き誇るアカバナミツマタ。 松什は寛政10年(1795)柴又村に生まれ、通称を安五郎、俳名を無有庵といった。 嘉永6年(1853)4月18日病没、年56歳。法名を無有庵俊誉松什禅士という。、、、、、念のため、松什とミツマタは“無関係”。
 
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④半田稲荷神社・・・・・・・・・・・光増寺の北200m程(東金町4)に半田稲荷神社がある。 ここは、和銅4年(711)に創建され、倉稲魂神・佐田彦神・大宮女神の三柱を祭神とする古社である。 江戸期には麻疹と安産の神様として知られ、歌舞伎や狂言にも描かれているそうだ。(私は歌舞伎には疎く、知らなかった!)
 
・・・・・・・・・・・・・江戸時代から「葛西金町半田の稲荷」と称され、疱瘡・麻疹・安産に霊験あり、江戸市民の信仰を集めた。 歌舞伎役者、花柳界、魚河岸による講もあったようだ。 最近造られた玉垣も魚河岸の尽力があったようだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・社殿は延享4年(1747)の火災で焼失し、寛延2年(1749)に再建されたが、尾州徳川家の立願により弘化2年(1845)に造替た。 その後、一部修復したが現在の社殿である。、、、、、徳川によって建てられた神社としては簡素な建物であるが、拝所の天井には鳳凰が描かれチョイトこだわりが見えるかも?
 
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・・・・・・・・・・・・・・「願掛け狐」に願い事を書いて納めると効果ありそうだ!、、、、私は、『ジャンボ、一等当選』だけ、ささやかな願いです。
 
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・・・・・・・・・・・・・・境内の一隅に神泉遺構がある。 この遺構はかつての湧泉井戸で、旧来の形状がよく保存されている。、、、、、享保年間(1716~37)の頃、半田稲荷神社は庖瘡・麻疹・安産に霊験ありといわれ、願人坊主(がんにんぼうず/僧形の芸人)が「葛西金町半田の稲荷、庖瘡も軽い、麻疹も軽い」と全国を謡い踊り歩いたため、参詣人が絶えず、舞踊や長唄でも演じられたという。 井戸の周囲を囲う玉垣には市川團十郎や尾上菊五郎など歌舞伎役者ら寄進者の名が刻まれ、往時の繁栄を偲ばせている。
 
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⑤南蔵院・・・・・・・・・・半田稲荷神社から北西に800m程の葛飾区東水元2に、天台宗寺院の業平山東泉寺南蔵院がある。 南蔵院は、貞和4年(1348)以前に、在原業平が居住していたといわれる現在の墨田区業平橋付近に創建したと伝えられている。 元禄11年(1698)中之郷八軒町(現:墨田区吾妻橋3)へ移転、しばられ地蔵で有名になった。、、、、関東大震災で被災し、昭和4年(1929)、廃寺となっていた聖徳寺の地(現在地)へ移転した。
 
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・・・・・・・・・・・・・まずは『しばられ地蔵』の話とは、、、、、享保7年間(1716~36)夏の昼下がり、日本橋の呉服間屋の手代が荷車に反物を山と積んで、業平橋近くの南蔵院の門前で車を止め一休みした。 目がさめると、門前に置いた反物は車ごとない。 あわてた手代はさっそく訴え出た。 取調べに当たったのが町奉行:大岡越前で、「反物が盗まれたのを見すごすとは、門前の地蔵も同罪である。 縄打って引っ立てて参れ」と命じた。 地蔵さんは荒縄でぐるぐる巻きにされ、大八車に乗せられて奉行所へ。 物見高いは江戸っ子の常、前代未聞のお地蔵様の引き立てに、ぞろぞろついて行く。 奉行所の門は開いている。 やがて、頃合いを見て越前守は門をしめさせ、「奉行所の白州へ乱入するとは不届至極、その罰として反物一反を納めよ」野次馬たちは驚いたが、なんとか工面して反物を持ってくる。 それを呉服屋に見させた。 その中から盗まれた反物が発見され、大盗賊団が一網打尽となった。 これにて一件落着。
 
・・・・・・・・・・・・・越前守は地蔵に感謝し、お堂を建て縄解き供養を行った。 以来「しばられ地蔵」は盗難除け、足止め、厄除け、さらには縁結びまで願い事を叶えてくれると信じられた。 願い事をするときは縄で縛り、願い叶えば縄を解く、風習となった。
 
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・・・・・・・・・・・・・墨田区から葛飾区に移った「しばられ地蔵」。 今日も縄でグルグル巻きの地蔵さんに、手を合わせる人がいた。、、、、健康を願っているのかな?
 
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⑥金蓮院・・・・・・・・・・・駅に近い東金町3丁目、真言宗豊山派の法護山金剛寺金蓮院がある。 チョイト、ここもお立ち寄り。、、、、、永正年間(1504~20)の創建。 旧門末30余ヵ寺をもった本寺格の寺院で、天正19年(1591)徳川家から10石の御朱印を拝領した。 水戸徳川家の祈願所でもある。
 
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・・・・・・・・・・・・・本堂左に、宝永7年(1710)に二十六夜待講中の人々が、二世安楽を願って建てた藍染明王の石像がある。 二十六夜待とは、特定の月の26日の夜に人々が寄り合い、飲食などをしながら月の出を待ち、五穀豊穣、商売繁盛などを願うことを。 二十六夜待の本尊は愛染明王であるが、石像を刻むよりも文字を刻む例が多く、愛染明王の石像単独ではあまり例はなく、ここの石像はその中でも古い方に入る。、、、、、愛染明王の姿は、三目六臂(目が三つで腕が六本)であるが、ここの石像は彫が深くハッキリとした姿で残されている。 いいね!
 
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2018年3月13日 (火)

京成団地~平和交通本社

今日は稲毛でパソコンの同好会。 春の陽気の下、チョイト時間があり、散歩をしてみることにしたが、9年間毎月来ている稲毛なので、主だった所はほぼ歩いた。 
 
 
 
・・・・・・・・・・・・・稲毛駅前で、『どっちの方角に歩こうか? ♪ ああ 稲毛 思案橋ブルース ♪』 
 
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・・・・・・・・・・・・・悩んでいても決まらない! 駅前のバス停から、来たバスに飛び乗って終点まで行くことにした。、、、、乗ったバスは「京成団地」行。 「京成団地」? 知らない、聞いたことない、どんな所? 疑心暗鬼で窓の外をキョロキョロ見るが?????
 
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・・・・・・・・・・・・・終点の京成団地で降りたのは五人、多いのか、少ないのか? ここはどの辺、あの辺、この辺、わからへん?
 
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・・・・・・・・・・・・・とりあえず、気ままに歩いてみることにした。 “団地”と言えば、公団の団地をイメージするが、周囲は木造住宅ばかり、どうやら京成団地とやらは戸建て住宅の団地のようだ。 住宅地の真ん中で降りてしまったのか?、、、、、帰宅後、ネットで調べてみたら、団地が造成された時期は不明だが、団地内の「京成団地商店会」(現店舗数24店程)が結成された時期は昭和48年(1973)であった。、、、、、店は開いている、商店会の街路灯もある、しかし右を向いても左を見ても、人がいない、車も通らない、ここはゴーストタウンか?
 
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・・・・・・・・・・・・・・よそ者の私は、右に曲がって、左に折れて、何かないかとキョロキョロし、住所の「稲毛区宮野木町」を見ても「ここは何処? 私はいったい何処へ行く?」、、、、、よそ者は京葉道路の脇に出た。
 
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・・・・・・・・・・・・・『人がいた! 学童の安全を見守るおじさんだ!』 チョイト聞いてみる、「この辺に神社とかお寺とか教会など、何か古いものはありませんか?」 応えは、京葉道路を横切って反対側に、小さな神社と寺があるそうだ。 「でも、道は迷路のように曲がっているから、近くの人に聞いてくれ!」と、言われた。、、、、よし! 行ってみよう。
 
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・・・・・・・・・・・・・歩道橋を渡ると、道は狭く、畑も見える、スイセンが咲いている。
 
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・・・・・・・・・・・・・あった、宮野木大神宮! なんと、小さな大神宮!、、、、、社殿・社務所なぞ何もない、住宅のチョイト広めの駐車場程の境内に、近くにあった祠を集めてきたような神社である。 石祠が数基並んでいる、正面中央に天御中主尊(古事記では、天地開闢の際に高天原に最初に出現した神といわれている)の祠が祀られていた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・大神宮の近くに、真言宗豊山派の地蔵院があった。、、、、、山門はない、境内正面に鉄筋コンクリート造の本堂がデンと構え、左側に大師堂・供養塔がある。 右には町内会館と民家(?)があり、本堂のすぐ前には洗濯物が干されていた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・地蔵院の南隣に愛宕神社があった。 こちらも、小さな神社だが由緒書があり、それによると、「当神社の詳しい由緒は明らかではありませんが、京都の愛宕山頂に鎮座する愛宕神社を本宮とし,火の神迦具土神を祀る神社であると伝えられています。愛宕山は,比叡山と東西相対してそびえ,その雷雲がしばしば出現する方角であるために,霊威を備え且火の神という性格から火難除けの御信徳を有すると考えられ人々に篤く崇敬されています。」、、、、、村のはずれの守り神か、ナントナク古そうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・愛宕神社から、チョビット歩くとバスを運行している平和交通本社があった。 「あっ、ここが稲毛駅行のバスを経営している会社か。」と、会社の建物を見ながらのんびり歩いていると、突然、「稲毛行発車します、急いでください。」と大きなマイク音が聞こえた。 咄嗟に自分の周りを見ても誰もいない、バスが停まっているだけ、これは私に向かって言っているのだ! 乗らないといけないと思い、慌てて飛び乗る。 運転手は即発車する。 もう少し歩きたかった。 なんだか自分の意志に反し、乗せられ稲毛駅まで護送された。
 
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・・・・・・・・・・・・・・チョイトもの足りないミニ散歩でした。

2018年3月11日 (日)

高砂~亀有

京成本線高砂駅から、途中、中川大橋を渡り常磐線亀有駅までの散歩です。
 
 
 
京成高砂駅 ・・・・・・・・・・日曜日、通勤客のいない静かな駅から散歩をはじめる。
 
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・・・・・・・・・・・・・さて、駅前に出たが、どちらに行こうか、行くえ定まらず。 とりあえず、駅前の裏道を歩きはじめる。 何となく北に向かっているようだ。
 
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②祟福寺・・・・・・・・・・・曹洞宗の寺院:祟福寺の門前に出てきた。 「これもなにかの縁、手を合わせて行くか」と、立ち寄ってみた。、、、、、徳川家康が江戸幕府を開く前の慶長5年(1600)に、香山泰厳和尚が日本橋浜町に祟福庵を建立した。 慶長18年(1613)、前橋城主酒井雅楽守忠世が帰依・開基となり、国府台の総寧寺を本寺とし、名前を祟福寺(そうふくじ)とした。、、、明暦3年(1657)、明暦の大火にて堂宇を焼失し、浅草松清町(台東区)に移転する。 以来酒井家の菩提寺となる。、、、、、大正12年(1923)の関東大震災で再び焼け、昭和3年(1928)現在地(葛飾区高砂7)に移り、同8年本堂・山門・鐘楼等を再建した。
 
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・・・・・・・・・・・・・・酒井雅樂頭歴代の墓所は前橋市:龍海院にあるが、ここ祟福寺には酒井雅樂頭家伊勢崎藩酒井家の墓所となっている。、、、、、墓も浅草から移転してきた。
 
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③源照寺・・・・・・・・・・・・祟福寺の隣りに地続きで源照寺がある。、、、、、浄土宗の源照寺は、寛永3年(1626)宗円和尚が浅草蔵前鳥越付近(余談:現在の我が家の近くかも?)に創建した。 明暦の大火に類焼後、山谷新鳥越(台東区山谷2丁目)に移転したといわれている。 関東大震災で再び焼失し、昭和3年現在地に移転した。、、、、ここらの移転の経緯、時期、場所は祟福寺とソックリである。、、、、ちなみに、今日は寄らなかったが、祟福寺の隣りにもう一寺:大秀寺があり、こちらも明暦の大火以降の移転については、時期、場所などソックリ。
 
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・・・・・・・・・・・・・墓地には、山田流琴曲の祖山田検校(1757~1817)の墓があった。、、、、この墓も浅草から移転してきたそうだ。
 
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中川大橋 ・・・・・・・・・・・名のごとく中川に架かる橋で、国道6号(水戸街道)を通し、葛飾区の青戸と新宿を結ぶ。 昭和10年(1935)に旧橋は架けられたが、平成元年(1989)に長さ134m、幅員31mの現在の橋に架け替えられた。、、、、、細身でスタイルのいい橋。
 
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⑤宝持院・・・・・・・・・中川大橋を渡り、青戸八丁目交差点で環七通りを横断する。 青戸小学校への通学路か(?)、裏通りに真言宗豊山派の宝持院がある。 宝持院は、平安末期天養2年(1145)に僧弁証の開山と言われ、かつては門末30余ヶ寺を有した古刹といわれている。 なお、30余ヶ寺の内、葛飾区には12ヵ寺が現存しているそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・境内には、長崎奉行松浦河内守信正の墓がある。、、、、松浦信正は、大岡越前、遠山金四郎などと、同じように名奉行であった。 いくつかの名裁きの話も残っているそうだ、私の知らなかった話もある。 (勉強不足でした。) 
 
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⑥亀有駅・・・・・・・・・・・裏道を歩き、亀有駅に到着。
 
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●・・・・・・・・・・・春が来ました
 
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