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2018年2月11日 - 2018年2月17日

2018年2月16日 (金)

市川大野~本八幡

武蔵野線市川大野駅から、南西方向に歩き総武線本八幡駅まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
①市川大野駅・・・・・・・・・・市川大野駅が開業した昭和53年(1978)頃の、武蔵野線は旅客列車の運転本数は30分に1本程と少なかった。 開業後40年経過した現在は、首都圏の通勤電車として運転本数も増え便利になった。 駅は相対式ホーム2面2線のほかに中線を有する高架駅である。、、、、、私がこの駅に最初に降りたのは駅開業間もない頃で、葬儀に出席するためであった。 以来、火葬場の最寄り駅としてのチョイト暗いイメージが強く残っていた。 今日、下車してみたら、チョッピリ明るいイメージになった。 
 
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②迎米三社宮・・・・・・・・・・市川大野駅の南西の小高い処に、竹林に囲まれた三社宮がある。 この神社は、迎米(むかいごめ)集落(現大野町2)の鎮守で、奈良の春日大社、愛知の熱田神宮、兵庫の野口神社、三社の御神体を祀っている。
 
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③迎米庚申塚の馬頭観音・・・・・・・・・・本八幡方面に向かう道の脇に、迎米の庚申塚がある、ここには11基程の馬頭観音が祀られていた。
 
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・・・・・・・・・・・・・その中で、日清・日露戦争時の軍馬の供養碑(写真:中央と左)と共に一基の馬頭観音(写真:右)が祀られている。 一面八臂の馬頭観音で、第一手は胸前で印を結び、第二手の右手は鉞斧を掲げている、第三手で弓矢を持ち、第四手は両手を上向きに開いていた。 文化10年(1813)建立。
 
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・・・・・・・・・・・・・・日蓮宗系「帝釈天」と刻まれた見事な庚申塔もある。
 
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④大野の町を歩く・・・・・・・・本八幡に向かいバス通りをひたすら歩く。 
 
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⑤大野新田の庚申塔・・・・・・・・・市川市大野1丁目、バス通り沿いに祀られている庚申塔。 こちらの3基は、いずれも「帝釈天」と彫られている。  左から、慶応4年(1868)、天明8年(1788)、天保9年(1838)。、、、、、この辺の人は柴又の草だんごが好きだったのか?
 
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⑥木戸口庚申塔・・・・・・・・・・・バス通りは県道180号を横切り、市川市下貝塚2丁目に入り、ここからは県道51号(市川市八幡~柏市旭町)となる。 この地に木戸口庚申塔がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・庚申塔は県道沿いに、コレマタ、3基並んでいる。 左から、文政11年(1828)、享保17年(1732)、享保5年(1720)。  
 
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⑦春日神社・・・・・・・・・木戸口庚申塔から先のバス通りは昨年歩いているので、今日は脇道にそれて歩いてきた。、、、、、、木戸口庚申塔の裏道に入ると、市川市下貝塚の春日神社がある。 小高い処に社があるが、境内には由緒書きもない、あるのは境内を掃除する箒だけ。
 
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⑧本住寺・・・・・・・・・春日神社の先、市川市下貝塚に日蓮宗の寺院、本住寺がある。 
 
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白幡神社 ・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・本住寺から裏道をしばらく歩き進むと、手入れされていない竹林となる。 竹林から山を下るようにさらに進むと住宅の脇に出る。 住宅の前に小高い丘が見え、上った先は白幡神社(市川市宮久保)の脇に出た。
 
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・・・・・・・・・・・・・・白幡神社は誉田別命・竹内宿禰・天満天神を祭神とし、文明18年(1486)以前の創建と思われる古社。 本八幡の駅周辺を一望できる高台に鎮座する。
 
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●・・・・・・・・・・この後、本八幡駅から帰宅。
 
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2018年2月15日 (木)

足立小台~江北

日暮里・舎人ライナーの足立小台駅で下車し、扇大橋で荒川を越え、江北の裏道を歩き回り、ライナーの江北駅まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
①足立小台駅・・・・・・・・・・北側に荒川、南側に隅田川が流れる中洲状の処にある足立小台駅。 駅周辺には数棟のマンションがある程度で、周辺人口は少なく、駅の乗降人数は一日平均2,500人程でライナー13駅中最下位である。、、、、、駅周辺にコンビニが一軒もなく超不便な処だ。
 
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扇大橋 ・・・・・・・・・・荒川に架かる扇大橋(おおぎおおはし)を渡り、足立区扇の町に向かう。 今日の東京は暖かく、荒川の上でも風もなく、ポッカポッカ歩きやすい。、、、、、扇大橋は3径間連続鋼ゲルバー式桁/連続箱桁橋、橋長は 445.4m、幅員は 26.0m、昭和49年(1974)の竣工である。
 
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・・・・・・・・・・・・・橋上から上流側を眺めると、川の先に江北橋(アーチ橋)が見える。 今日の散歩は川の右側(足立区扇・江北)を歩き、江北橋の方を目指すことにした。
 
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③地蔵堂・・・・・・・・・扇大橋の北詰から裏道に入ると、寺の塀に沿って六地蔵が祀られていた。 真言宗豊山派の吉祥院地蔵堂(足立区扇2)である。 地蔵堂は足立区本木西町にある吉祥院 の境外仏堂であった。 地蔵堂の創建年代不詳。、、、、、気が弱い私は、寺の門が閉まっていたので、境内には入らなかったが、中にも地蔵様が祀られているそうだ。 失敗、失敗。
 
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・・・・・・・・・・・・・塀の外には六地蔵の他に庚申塔が3基あった。 右は「干時明暦元年」(1655)、中央は「干時万冶三天」(1660)、左は「貞享五戊辰年」(1686)、と彫られているそうだ。 私は判読できなかった。
 
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④扇三嶋神社・・・・・・・・・・・・曲がりくねった裏道の先(足立区扇2)に、「三嶋大明神」と掲げた朱塗りの鳥居が見えた扇三嶋神社である。 扇三嶋神社は、阿出川権左衛門知康がこの地に来て本木村の小名太田を開拓した時、崇敬していた三嶋大明神を勧請して慶長年間(1596~1615)に創建した。 祭神は、大山祇命、伊佐那岐命の2神。
 
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・・・・・・・・・・・・・鳥居の横には、めずらしい仁王型の庚申塔がある。 「元禄十丁丑天」(1697)と彫られている。、、、、、公衆電話を見張る、右の阿形、左の吽形。
 
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・・・・・・・・・・・・・・扇三嶋神社の西40m程に角には道祖神もある。「文政」(1819~1830)の年号刻まれてい。、、、、、この付近は古いものが道端にゴロゴロしているようだ!
 
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⑤性翁寺・・・・・・・・・・扇2丁目には真直ぐ伸びる裏道は無いようだ。 方向感覚がおかしくなる。 今度は、浄土宗の性翁寺前に出てきた。 龍燈山貞香院性翁寺は、神亀3年(726)行基菩薩が庵を開いたのに始まり、足立庄司宮城宰相が開基となり、明応元年(1492)開山した。 江戸六阿弥陀の余り木で作られた本尊の木像阿弥陀如来坐像がある寺。 「木余り 性翁時」と呼ばれている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・また、性翁寺は阿出川對馬守を大檀那として400年来、一族の菩提寺として墓が護られている。 一族の墓が多すぎて、右も左も阿出川家の墓、よそ者の私にはどの墓が誰の墓かさっぱり判らん!
 
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⑥鳩ヶ谷街道・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・扇2丁目の裏道を、行きつ戻りつ、行ったり来たり、迷いながら歩く、、、、、江北橋通りを横断し、江北2丁目に入った。 裏通りを歩かず、江北橋通りを歩けば、江北橋を渡り北区王子方面に出たはずなのだが、失敗、江北橋から外れてしまった。
 
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・・・・・・・・・・・・・荒川土手沿いの「鳩ヶ谷街道」の入り口に出てきた。 「鳩ヶ谷街道」なんて、聞いたことがない、コリャ何処じゃ?、、、、、鳩ヶ谷街道とは、足立区江北2丁目から埼玉県川口市南鳩ヶ谷を結ぶ都道(県道)である。 こう言っても判らんね、私も知らん!
 
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・・・・・・・・・・・・・・土手沿いから離れ、直進する(写真:右の道)のが鳩ヶ谷街道
 
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⑦江北氷川神社・・・・・・・・・・鳩ヶ谷街道をチョイト歩くと左手に、旗立ち並び、お守り・キーホルダーなどグッズのメニューが貼られた賑やかな神社が見えてきた、江北氷川神社(足立区江北2)である。 神社の創建年代不詳であるが、沼田村の鎮守社であり、明治初年には村社に列格、明治時代の江北村成立に際しては江北村の総鎮守社であったそうだ。、、、、、拝殿前にも貼り紙だらけ、商魂たくましい神社だ、神様に商売繁盛の祈願すればいいのに?
 
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⑧熊之木圦・熊之木橋・・・・・・・・・・氷川神社の北側に「熊の木ひろば」(足立区江北2)という小さな公園がある。 その中に、平成25年(2013)に復元整備された熊之木圦(いり)と、熊之木橋がある。、、、、圦(いり)とは、水の出入りを調節する水門のこと。 煉瓦造りの熊之木(地名)の圦は戦後埋められてしまったが、掘り起し復元した。、、、、、アーチ型の石橋である熊之木橋も、一度解体して40m南の現在地に復元したそうだ。、、、、、歴史的価値ある遺構も、チョイと水が汚く、水溜まりのごとし。
 
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⑨江北の下町・・・・・・・・・・鳩ヶ谷街道から裏道に入ると、コレマタ「足立の下町」という光景が残っていた。 ついつい、私好みの裏道と足を踏み入れ、またも迷走(歩)してしまった。
 
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江北駅 ・・・・・・・・・・日暮里・舎人ライナーの江北駅に到着。
 
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2018年2月12日 (月)

浅草寺裏

浅草・浅草寺と隣の浅草神社(三社様)は、共に南向きに祀られている。 今日の散歩は、両寺社の裏手を歩いてきた。
 
 
 
①浅草神社・・・・・・・・浅草寺の本尊:観音像を網で拾い上げた土師真中知(はじのまなかち)、檜前浜成(ひのくまはまなり)と、浅草寺の観音像を奉安した武成(たけなり)を主祭神(三社様)とし、後に東照宮(徳川家康)・大国主命を合祀した。 鎮座した年代不詳である、当初は「三社権現」と称していた。  明治元年(1868)には「三社明神」、さらに同6年に「浅草神社」と改称した。、、、、、現在の社殿は慶安2年(1649)、徳川家光が再建したもので、本殿と拝殿との間に弊殿を設けた権現造。 国の重要文化財に指定されている。
 
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②被官稲荷社・・・・・・・・・浅草神社の裏手東側の一角に、新門辰五郎が勧請した被官稲荷社がある。、、、、、安政元年(1854)、新門辰五郎(1800?~1875)の妻女が重病で床に伏したとき、京都の伏見稲荷社に祈願した。 その効あり病気全快したので、安政2年(1856)、お礼の意味を込め、伏見から祭神を当地に勧請し、被官稲荷社を創建した。、、、辰五郎は上野寛永寺住職輪王寺の家来であった。 輪王寺宮舜仁法親王が浅草寺伝法院に隠居し、上野へ行くのに便のいい新門を造った。 その門の番を命じられたので、新門辰五郎と呼ばれ、町火消十番組頭としても、多彩な活躍をした。、、、、、社殿は一間社流造、杉皮葺。 創建以来のもので、間口約1.5m、奥行約1.4mと小さいが、覆屋を構えて保護している。 覆屋は大正時代の建築と思われる。、、、、、私も、妻が重病で床に臥したら、ローマのサンピエトロ大聖堂、パリのサンジェルマンデプレ教会、ロンドンのウェストミンスター大聖堂などへ祈願の旅に出るかな?
 
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③浅草寺一山支院・・・・・・・・・・浅草神社の北側に、浅草寺の支院が並ぶ区画が在る。 この建物は、  岡田信一郎(1883~1932)と岡田捷五郎(1894~1976)の兄弟が設計し、昭和7年(1932)に竣工した支院の住宅群です。 岡田信一郎は黒田記念館、明治生命館などを設計。 弟の捷五郎は、兄の事務所で明治生命館、琵琶湖ホテルなどの設計を行った。、、、、一山支院は1100坪の敷地に21の支院が建てられ、街路には路地的な雰囲気が漂う。 建物は不燃化のため、鉄筋コンクリート造、2階建て(3階部分は後の増築)とし、基本は2院で1棟となっている。、、、、、兄弟で設計したとは、羨ましいかぎり。
 
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④浅草寺・・・・・・・・・・・御存じ、天下の「観音様」。 今日は後ろ姿をパチリ!、、、、、女性の後ろ姿ならば襟足に色気を感じところだが、「観音様」の後ろ姿は素っ気ないね! 本堂裏の広場には、観光バスが駐車することもある。
 
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⑤浅草寺病院・・・・・・・・・・・・浅草寺が運営する社会福祉法人浅草寺病院が、本堂裏の広場を挟み向かい合わせにある。、、、、、本尊:観世音菩薩の抜苦与楽の誓いをいただき、始められた福祉事業。 明治43年(1910)、浅草寺境内念仏堂において浅草寺診療所が設立された。 その後、総合病院に変わり運営されているが、平成14年(2002)に現在の新しい病院が建てられた。、、、、「観音様」が運営する病院なので、白衣の“天使”も白衣の“観音様”かも?  急患も診てくれるらしいが、私はいまだこの病院にはお世話になっていない。 いずれ、その折にはよろしくお願いします。 
 
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⑥銅像・石碑・・・・・・・・・本堂裏の広場の縁に、銅像・石碑などが並んでいる。 チョイト紹介すると、、、、
 
・・・・・・・・・・・・・大谷米太郎夫妻像、、、、、宝蔵門を再建寄進した大谷米太郎(ホテルニューオータニ創業者)夫妻の胸像。昭和42年(1967)の造立。 
 
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・・・・・・・・・・・・・並ぶ供養塔など
 
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・・・・・・・・・・・・・・九代目市川團十郎 「暫」の像、、、、、、、当初、大正8年(1919)に造立されたもので、彫刻家新海竹太郎の作であったが、第二次世界大戦時の金属供出で失われ、昭和61年(1986)、十二世市川團十郎の襲名を期に再建された。
 
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⑦銭塚地蔵尊・・・・・・・・・広場の西側に、昭和39年(1964)に再建された堂内に、胴(四角い石塔)の上に六つの顔が載っている石の六地蔵尊が祀られている。 享保年間(1716~1735)摂津国有馬郡の山口某の妻が、庭先で「寛永通宝」がいっぱい入った壺を掘り当てたが、これに頼って働かずにいては家が滅びると思い、土中に埋め戻した。 この心掛けによって一家は繁栄したので、その壺の上に地蔵尊をまつったという。 銭塚地蔵尊は、その分身を勧請したもので、商売繁昌を祈願する人が多い。 石塔の下には「寛永通宝」が埋められているといわれる。、、、、、私も、家の地下収納から万札が入った壺が出てくることを祈願して、賽銭を奮発し10円玉を投げ入れてきた。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・・・・以上、三社様、観音様の裏側(北側)の紹介です。 ショ~ウかい!

2018年2月11日 (日)

神田明神・湯島天神

今冬にしては暖かな日となり、昼から夫婦で神田明神・湯島天神・上野松坂屋(お買い物)と巡ってきた。 散歩にしては、甘酒、クリームあんみつをチョイト胃に入れ、ダイエット高架なし。
 
 
 
①神田明神・・・・・・・・・・江戸の神社では知名度抜群の神田明神だが、江戸時代に建てられた神社の建物は大正12年(1923)の関東大震災で焼失し、現在の建物は震災後に建てられたものである。 昭和9年(1934)に竣工した鉄骨鉄筋コンクリート造の現社殿は、伝統様式のデザインを引き継ぎ、鉄骨鉄筋コンクリートで造られた初期の建物として国の登録有形文化財に指定されている。、、、、、銭形平次も目を見はる江戸風の豪華絢爛たる造りで、八五郎はビックリしたと思うよ!
 
・・・・・・・・・・・・まずは、鳥居の横の天野屋で甘酒飲んで一休み。
 
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・・・・・・・・・・・・・今日は建国記念日、お年寄りには紀元節、その祝日ゆえの賑わいか(?)この大勢の参拝客に驚いた。、、、、、拝殿前には行列が、、、、、私達も並んでお参り。
 
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・・・・・・・・・・・・・・おや、拝殿では新婚カップルが記念撮影。 おめでとう!
 
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・・・・・・・・・・・・・ところで、神田明神を設計したのは建築家:大江新太郎(1875~1935)と佐藤功一(1878~1941)、施工したのは木田保造(1885~1940)率いる「木田組」(後の木田建業)。 この木田保造は、単なる施工会社の社長というより、自ら設計・施工を手掛けた建築家であったらしい。 木田保造が手掛けた建物として、函館の金森倉庫、百十三銀行本店、東京の第一生命、京華女子中高等学校、昭和第一高等学校、上智大一号館などが現存している。
 
 
 
②湯島天神・・・・・・・・・・なんじゃ・なんじゃ・こりゃ・こりゃ、こりゃなんじゃ? 天神さまも、満員御礼状態。、、、、、そうか! 今日は「梅まつり」だった。 受験生も多い。
 
・・・・・・・・・・・・・・参道には屋台も出て御祭り気分。
 
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・・・・・・・・・・・・・湯島天神は、雄略天皇2年(458)、雄略天皇の勅命により天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)を祀る神社として創建された。 南北朝時代の正平10年(1355)、住民の請願により菅原道真を勧請して合祀したそうだ。、、、、、旧社殿は明治18年に改築されたものであったが、老朽化が進んでいたため、平成7年(1995)に権現造の現社殿が再建された。、、、、また、平成12年(2000)には、「湯島神社」から「湯島天満宮」に名称を改称したのだが、私の頭の中では、「湯島天神」のままである。
 
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・・・・・・・・・・・・・梅まつりに受験生。 天神さまに願いが叶といいね。
 
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・・・・・・・・・・・・・ここでも、結婚式が行われていた。 今日は大安(?)、まあ何でもいいか。 
 
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●・・・・・・・・・・・・・この後は、クリームあんみつで一休み。 松坂屋で買い物に付き合わされて、帰宅する。 

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