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2019年3月

2019年3月31日 (日)

たった一駅の支線

久しぶりに地下鉄千代田線の綾瀬駅(常磐線も乗り入れる)から分岐し、隣りの北綾瀬駅まで一駅間の支線に乗ってみたくなった。 今日の散歩は北綾瀬駅から歩くことにした。




●先頭車両でウッヒイヒ! ・・・・・千代田線は昭和44年(1969)12月20日、北千住~大手町間が開業した。 この同時期に、綾瀬車両基地も発足するが、北千住~車両基地間は国鉄線とは別であった。 昭和46年(1971)、千代田線の北千住~綾瀬間が開業、同時に国鉄の常磐線の北千住~綾瀬間が千代田線に移管された。 昭和54年(1979)12月20日、綾瀬から綾瀬車両基地まで伸びている分岐線上に北綾瀬駅が開業した。 3両編成のワンマン運転の電車が折り返し運転する、千代田線支線(2.1km)の誕生である。


・・・・・・・・・・・・・・・綾瀬駅2番線ホームの亀有寄りにある0番線ホームが支線の起点である。 3両編成の電車が到着している。

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・・・・・・・・・・・・・・・先頭車両の窓にしがみついて“出発進行”、、、、、70過ぎて電車の先頭で、喜んでいる自分がチョイト恥ずかしいけど、運転手気分でウッヒイヒ!

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・・・・・・・・・・・・・・北綾瀬駅到着。 この3月16日より北綾瀬駅ホームの10両化完成に伴い、4割程の列車が10両編成で代々木上原本面へ直通運転された。、、、、、駅のリニューアル工事は続いており、来年12月には出入口も一新される。

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・・・・・・・・・・・・・・北綾瀬駅から北に線路は伸びて綾瀬車両基地につながる。 綾瀬車両基地は、南北方向750m、東西方向190m、面積141,810㎡、車両留置能力273両、東京地下鉄として最大の敷地を持つ車両基地である。、、、、、最近は留まっている電車に落書きしたり、部品を盗んだり悪さする輩が増え、車両基地の撮影が難しくなった。 ここでも、電車に近づくことが難しく、私も決死の覚悟でアパートの4階に上ったりして撮影した。

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●人影のない団地
・・・・・・綾瀬車両基地の東側に、「都営 辰沼町アパート」がある。 昭和44年(1969)から昭和47年(1972)に建てられた総戸数646戸の団地。 築40年経過し、そろそろ建替え時期がやってくるね!、、、、、少子高齢化で、大きな公園には人影はなく、寂しい!

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●なに、足立の三国志とは? ・・・・・・辰沼からさらに東に、大谷田5丁目に足立区の「区立郷土博物館」がある。 「本日は無料」の立て看板を見て、躊躇せずに玄関を入ると、企画展「戦国足立の三国志」が開かれていた。 中曽根城、舎人城などで活躍した、宮城氏、舎人氏、武蔵千葉氏が紹介されていた。 足立区は戦前まで、武士の歴史には縁遠い農村地帯と思っていたが、それなりの歴史があるのには驚きであった。 常設展も拝見し、全て無料は安い! 満足、満足。

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●お帰りの時間です
・・・・・・博物館で時間をとられ、気付けば帰りの時刻だ! 桜並木が続く中を、博物館前からバスで帰る。、、、、、今日の散歩は8千歩。

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2019年3月30日 (土)

隅田川は花曇り

ポッリと落ちてきそうな空、孫を連れてブラリ花見。 散歩はお休み。

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2019年3月29日 (金)

南千住は火の用心!

今日の散歩は、我が家(浅草橋)から20分程の南千住までバスで行き、そこから何処に向かうかは着いてから決めることにした。 南千住駅前に降り立つと、空はどんより、空気は冷たい、コリャあまり遠くへ行かない方がよさそうだ!

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「とりあえず、駅前の回向院(両国回向院の別院)によって、鼠小僧・高橋お伝の墓に手を合わせるか」と思いきや、、、、、回向院前に消防車が到着。 一台、また一台、、、アレレ?コリャ一大事か、二台寺か? 火は見えぬが、回向院が火事か? 私の野次馬根性にも火が点いた、“それ! 見に行け!”

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三台・四台・五台と到着、回向院横の商店街「南千住仲通り」に入って行くぞ! 火事場は回向院裏か? ご近所の住人も出てきた!

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回向院裏に回ってみると、ご近所のおばさんが「線路際の鰻屋さんよ」と教えてくれる。 路地を通り抜け、火事場へ急ぐ。 オヤ、まだ規制のロープが張られていない。 見やすく、消火の邪魔にならない位置で状況を確認すると、、、、現場は、常磐線脇の鰻屋さん。 うなぎ焼かずに家焼いた! でも、ボヤ程度で済んだようだ、大事にならず良かった!

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寒い中で消火作業を見ていたら、自分も放水したくなった。 どうやらボヤは鎮火しそうだ、後は消防署に任せて、散歩を始めるか!

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●106年前に開業 ・・・・・・南千住5丁目から日光街道(国道4号)を越えて南千住1丁目に入る。  大正2年(1913)4月1日に王子電気軌道の停留場として開業した、都電荒川線の三ノ輪橋停留場。

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●300年以上前に移転
・・・・・・南千住1丁目、日光街道に面し参道のある曹洞宗寺院の真正寺。 四ツ谷天龍寺を開山した特賜心翁永伝禅師大和尚(寛文14年(1674)寂)の隠居寺として湯島に開山、寛文元年(1661)当地へ移転した。、、、、、赤い花に誘われて参る。

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●1200年以上前の開創 ・・・・・・・真正寺の北隣りには補陀山円通寺がある。 円通寺は延暦10年(791)坂上田村麻呂によって開かれたと伝えられる。 江戸時代には、下谷広徳寺、入谷鬼子母神真源寺とともに「下谷の三寺」とよばれていた。 秩父・坂東・西国霊場の100体程の観音像を安置した堂があったので、寺は百観音と呼ばれていた。、、、、、派手やかな鉄筋コンクリリート造の本堂は、屋根の上に七重の塔が聳え、その正面に巨大な黄金の観音像が立っている。 昭和59年(1984)の建立。

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・・・・・・・・・・・・・・・明治維新の折、慶応4年(1868)に行われた上野戦争で亡くなった彰義隊の隊員を、現在の上野公園の西郷隆盛像があるあたりでこの寺の住職が火葬を行った。 そのため、この寺には火葬を行った場所の近くにあった上野寛永寺の総門(黒門)が移築され、亡くなった彰義隊の隊員の墓もある。、、、、、遺骸266体が埋葬されているそうだ、意外に多いね!

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・・・・・・・・・・・・・・・・円通寺の境内に几号水準点がある。 門を入り左隅に、正面に「百くわんおん 」裏に「明和元年(1771)」と彫った石塔がある。 その台座部分に几号(“不”の字に似た形)が彫られている。 几号の下半分以上が埋まり、“ここに在ることを知る人にのみ”見つけることができる。(他言無用!)、、、、、几号水準点とは

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●19年前に開業 ・・・・・・荒川一中前停留場は、平成12年(2000)11月11日に、沿線住民の請願により開業した。、、、、、私は、停留場の踏切りを渡り、明治通りを越えて三河島駅に向かう。


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2019年3月25日 (月)

用水沿いに鳩ヶ谷を歩く

川口市鳩ヶ谷に昭和初期の医院建築が残っていると聞き、今日の散歩は埼玉高速鉄道の鳩ヶ谷駅からスタートし、日暮里舎人ライナーの見沼代親水公園駅まで。 1万2千歩。



●かつては“市” いまは“町” ・・・・・・・・・平成13年(2001)3月28日に開業した埼玉高速鉄道の鳩ヶ谷駅は、川口市のほぼ中央、岩槻街道(国道122号)の地下に建設された島式ホーム1面2線の地下駅である。、、、、、かつて日本で2番目に小さな“市”として、鳩ヶ谷市は存在していた。 この頃は鳩ヶ谷市を囲む、周囲9割が川口市で、1割が足立区であった。 平成23年(2011)に川口市と合併し、呑込まれた! 今は川口市の“町”となった。

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●なんでも叶ぞ!
・・・・・・・・鳩ヶ谷駅の北東300m程に、参道に朱塗りの鳥居が迎える鳩ヶ谷氷川神社はある。 鳩ヶ谷氷川神社は、鳩ヶ谷宿・辻村・里村の鎮守で、応永元年(1394)に造営され、天文14年(1545)と天正13年(1585)に修復が行われたといいます。明治6年に村社に列格、明治40年以降大字浦寺字落合の村社箱崎社・大字辻字稲荷の村社稲荷社・大字里字屋敷添の村社日枝社・村社浅間神社など近隣の18社を合祀した。 社殿の周りには境内社の社が取り囲み、主要な神様が揃っている! なんでも祈願すれば、なんでも成就する、“総合神社”である。

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●ステキな医院だ! ・・・・・・・・氷川神社のそばを日光に向かって伸びる日光御成街道沿いに旧船津眼科医院の木造の建物がある。 今日、私がぜひ見たく散歩にやってきた建物だ。、、、、、大正年間の竣工と云う話もあるそうだが、昭和7年(1932)の竣工とおもわれる。 設計は旧草加小学校西校舎を手掛けた大川勇。 2階のアーチ窓の周りは鉄板のようなもので覆われているが、元はグレーに近いスクラッチ・タイルを貼っていた。 スパニッシュ風の面格子、優美なデザインの金属製装飾品など、細かい部分も手のこんだ造りである。、、、、、眼科医院の営業はしていないが、住居としては使用されているようだ。 こんな家に住んでみたいね!

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●鳩ケ谷を流れる用水!
・・・・・・・・臭くはないが、投棄したゴミが目立つ見沼代用水。

・・・・・・・・・・・・・・・江戸時代中期享保13年(1728)に完成した農業用水「見沼代用水」の上をとおる日光御成街道。 そこに架かる橋が吹上橋である。 その脇に昭和初期の吹上橋付近で遊ぶ子供の写真があった。 同じ場所、同じ川(用水路)とは思えない!

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・・・・・・・・・・・・・・・川口市赤井で見沼代用水と直交する毛長川。 十文字に川が交差するので、見沼代用水は、“伏せ越し”(逆サイフォン)にて、毛長川の下をくぐって流れる。、、、、、最初の写真は毛長川。写真左から見沼代用水が流れてくる。  2枚目は毛長川の下をくぐって出てきた見沼代用水。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・見沼代用水川岸の桜は、満開まであと一週間!

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●寺と隣り合う、文化放送~文化放送~JOQR ・・・・・・・・見沼代用水沿いに歩いて川口市赤井3丁目に入ると、綺麗な芝に覆われた小高い丘があり山頂の中央にアンテナが立つ文化放送の送信所がある。、、、、、最近はラジオを聞く機会が少なくなり、どんな内容の放送があるのか知ることも無くなった。 「文化放送」と言われると、50余年前の受験時代を思い出す。 あの頃は、旺文社提供「百万人の英語」、「大学受験ラジオ講座」などを聞いて(聞いたふりして)深夜に突入、深夜は他局の音楽番組、明け方になるとどこぞの教会による“聖書の時間”のようなものが放送されていた。 その合間に、「文化放送~文化放送~JOQR」の言葉が流れた、懐かしいね!、、、、、丘の上には桜の木がかなりの本数あり、今月末に地元の“桜まつり”の会場となるそうだ!

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・・・・・・・・・・・・・・文化放送の丘の一部を共有するように、曹洞宗の永平寺末の寺院、円通寺がある。、、、、、山門、本堂、鐘楼とも質素な造りであるが、癒される境内だ!
 
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●都内に入る! ・・・・・・・・・・この後は足立区に入り、見沼代親水公園駅から日暮里舎人ライナーで帰宅。

2019年3月22日 (金)

赤羽の城跡

都営三田線本蓮沼駅から、JR京浜東北線赤羽駅まで、1万1千歩の散歩です。



●期待したが、普通の駅だった! ・・・・・・・・・自分の記憶では、昭和43年(1968)12月27日の都営地下鉄6号線(現:三田線)開業以来初めて下車する本蓮沼駅である。 期待に胸を弾ませ電車から降りたが、『な~んだ 期待したほどの駅でもない』 都営らしい、あまりセンスの良くない、普通の駅だった。 相対式ホーム2面2線の地下駅。、、、、、駅名は、計画段階では“蓮沼駅”だったが、乗り入れ予定であった東急池上線に蓮沼駅(大田区)があったため、当時の地名であった志村本蓮沼町より“本蓮沼”と命名した。、、、、、駅の東約300mところに、Jリーグの試合には使用されない、チョイト、マイナーな国立西が丘サッカー場がある。

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●神社と別当寺、セットで!  ・・・・・・・・・本蓮沼駅から北へ200m程歩くと蓮沼氷川神社がある。 神社は、須佐之男命と奇稲田姫命を祭神とする、
古来蓮沼村の鎮守さま。 慶長年間(1596-1615)にさいたま市の氷川神社から、蓮沼村字前沼(現:浮間舟渡駅の西側)に勧請されたのが創建。 その後享保年間(1716-1736)に、別当寺であった南蔵院とともに、前沼から現在地に移転した。、、、、、神楽殿のような社殿の造りである。

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・・・・・・・・・・・・・・氷川神社に隣接して、真言宗智山派の宝勝山蓮光寺南蔵院がある。 以前は、氷川神社の別当寺であった。 大きなお寺だが、古い堂宇は残っていない。、、、、、境内には数本の枝垂れ桜が蕾を膨らませている、もう間もなく咲きそうだ!

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●アップ、ダウンの多い町! ・・・・・・・・・板橋区蓮沼の町から北区赤羽西の町へ入る。
・・・・・・・・・・・・・・赤羽西6丁目の「都営 赤羽西六丁目第三アパート」前を通過。、、、、、昭和40年代の建物らしい?

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・・・・・・・・・・・・・・赤羽西5丁目では、「赤羽スポーツの森公園」を抜ける。、、、、、陸上自衛隊十条駐屯地赤羽分屯地があった処で、平成7年(1995)に土浦市に移転後、跡地を公園として整備したものである。 跡地の北側は赤羽自然観察公園として平成11年(1999)に開園した。 ついで南側も公園として整備され、平成22年(2010)にサッカー場も整備された。

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・・・・・・・・・・・・・・赤羽西4丁目は“坂”の町。、、、、、いろいろと面白い坂があった! 気に入った!

・・・・・・・・・・・・・・まずは、赤羽西4-21から下る名無しの坂。、、、、、長くはないが、勾配はキツイ!

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・・・・・・・・・・・・・・次は、法安寺(赤羽西4-42、日蓮宗系)の前を下る法安寺坂。、、、、、坂の名の由来は、説明不要!

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・・・・・・・・・・・・・・さてさて次は、赤羽西4-34からくねくね下る蛇坂。、、、、、判りやすい坂の名だ!、、、、、途中、坂から上り、下りするかなり高低差のある階段が点在する。

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・・・・・・・・・・・・・・さて最後は、蛇坂を下った赤羽西4-30で、横を振り向くと通りの奥に急な階段坂が見えた、『上ってみよう!』、、、、、階段の上からは、正面(北側)に広がる赤羽台のURの団地を一望する、素晴らしい眺望!
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●中華風の寺! ・・・・・・・赤羽西2丁目に岩槻街道から入る、真言宗智山派の寺院:妙覚山蓮華寺普門院がある。 徳治2年(1307=鎌倉時代)の創建と伝えられている。 参道正面には中国・台湾風の鐘楼門(昭和18年(1943)頃完成)があり、境内にはインドの仏塔をモデルにした共同墓地(昭和41年(1966)完成)がある、さらに本尊の聖観音菩薩像を安置する本堂も中国風のデザインである。 異国情緒豊かな寺である。
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●赤羽にも城があった! ・・・・・・・赤羽駅の西側(赤羽西1丁目)には、江戸城を造った太田道灌が砦として使用した稲付城跡がある。 道灌の死後、稲付城を寺にしたのが現在の静勝寺のはじまりである。 城跡としての遺構らしきものは見られないが、静勝寺の山門からは目の前を走る新幹線の姿を見ることができる。、、、、、静勝寺は、永正元年(1504)道灌の禅の師匠雲綱が、彼の菩提を弔うため、稲付城跡に道灌寺として創建した。 明暦元年(1655)に道灌の子孫太田資宗が堂舎を建立し、道灌とその父資清の法号に因んで寺号を自得山静勝寺と改めた。、、、、、山門の階段がキツイ! エスカレーターでもあるといいのだが。

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2019年3月21日 (木)

彼岸の墓参り

・・・・・・・・・・いつものように、東京郊外に、墓参りです。 往復6時間は、チョイトきついね!

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・・・・・・・・・・・今日も、バス停近くのお地蔵さんにも手を合わせて帰る

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2019年3月20日 (水)

彼岸に開花?

飯田橋駅の桜、、、、8分咲きぐらいかな? きれいに咲いていた  靖国神社の桜は21日(彼岸の中日)に開花する


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この記事は、19日よりブログ作成ソフトがトラブっていたため、テスト用に作成しました。

2019年3月18日 (月)

消えた洲崎遊廓

地下鉄東西線の東陽町駅で下車し、かつてあった洲崎遊廓の跡を追って木場に出て、木場公園のバス停まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
●中央区のような江東区 ・・・・・・・・・・・地下鉄東西線は、昭和39年(1964)12月23日、高田馬場~九段下間の開業に始まり西と東に延伸し、昭和42年(1967)9月14日に中野から東陽町までつながった。、、、、東陽町駅は永代通りの地下にある、相対式2面2線構造の地下駅である。 一日に12万人が乗り降りする大きな駅である。、、、、私は日本橋から満員電車に乗ってきたが、東陽町で一斉に下車。 アレ・レ? 電車はガラガラ
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅周辺には、大企業のオフィスが並び、朝は地下から出てくる通勤客が絶えない。、、、、多くのサラリーマンに紛れ、地下鉄の階段を上ると、中央区日本橋のビジネス街に出るようだ。 江東区とは思えない!
 
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●男のパラダイス ・・・・・・・・・・・東陽町駅と木場駅の間、永代通りの南側に東陽1丁目の町がある。 この1丁目の全域が、戦後は「洲崎パラダイス」と呼ばれた、吉原とならぶ大歓楽街:「洲崎遊廓」であった。(この頃、私は乳飲み子で実態は? 残念!)、、、、歴史は明治まで遡り、、、、明治20年までに富坂(文京区)に東京帝国大学校舎が新築される計画が策定されたため、風紀上の観点から直近に存在した根津遊郭の移転計画が発足した。 しかし受け入れ先となるはずの、最大の歓楽街だった吉原には受け入れの余裕がなかった。 そこで、洲崎弁天の東側の広大な湿地を整備して移転することとなり、現在の東陽1丁目に洲崎弁天町が誕生した。 大正時代末期には300軒前後の遊郭がひしめき、吉原と双璧をなす規模の大歓楽街となった。 昭和33年(1958)の売春防止法成立まで遊廓が設置されていた。
 
・・・・・・・・・・・・・洲崎遊廓は長崎の出島のように、海に突き出した形態で、周囲は堤防となっている。 遊女が逃げられない造りである。 遊廓の入口に当たる処は、永代通りと並行に流れていた洲崎川に架かる洲崎橋。  この橋を渡ると、正面に幅の広い大門通りがあり、左右に遊廓があったそうだ。、、、、写真は、東陽3丁目交差点(永代通り)の南側にあった洲崎橋の跡地に作られた碑。 洲崎川は埋め立てられ緑道となっている。 洲崎橋の正面に伸びる「大門通り」。 
 
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・・・・・・・・・・・・・現在も遊廓(東陽1丁目)を囲んでいる堤防。 現在は周囲の町に比べ、東陽1丁目の地盤が低く、斜路・階段などで隣接の町とつながっている。
 
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・・・・・・・・・・・・・洲崎遊廓は現:東陽1丁目の中央を南北に貫く大門通りによって、洲崎弁天町1丁目(西側)・2丁目(東側)として、東西に分けられていた。 遊廓の時代は、洲崎弁天町全域が廓であったが、戦後は東側だけが洲崎パラダイスとして指定地となり、100軒程のカフェーがあったそうだ。、、、、当時の建物は全て取り壊され、今は住宅、マンション、アパートが並ぶ街。
 
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・・・・・・・・・・・・・洲崎パラダイスの頃の建物と思われる、どちらも取り壊された。 (平成22年に撮影)
 
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・・・・・・・・・・・・・遊廓の地の東南に、現在、「都営 洲崎弁天町アパート」がある。 かつてここには、遊廓の娼妓たちの性病の検診と治療を行っていた都営洲崎病院があった。、、、現在は、昭和40年~42年に建てられた都営住宅がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・都営洲崎弁天町アパートの一画に「洲崎遊郭追善供養歌碑」がある。、、、、性病で死んでいった娼妓たちを供養したものだ。 「白菊のはなにひまなくおく露のなき人しのふなみたなりけり」と彫られている。 昭和6年(1931)11月9日洲崎遊郭開業50周年記念法要に信州善光寺大本願119世大宮尼智栄上人が詠んだもの。 建立は洲崎三業組合。、、、、遊郭の存在が忘れられる半世紀あまり、はっきりと遊廓が在ったことを標す遺構だ。、、、、ここで亡くなった娼妓たちは、江東区平野2にある浄心寺で弔われた。 境内に洲崎遊女合葬墓がある。
 
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●洲崎弁天だ! ・・・・・・・・・・・東陽1丁目の西隣の木場6丁目に洲崎神社がある。 元禄13年(1700)の創建。 洲崎神社は元弁天社と称し厳島神社の御分霊を祭神として祀っている。、、、、洲崎遊郭に隣接し、文人墨客だけでなく、遊女の参拝もあったであろうね!
 
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・・・・・・・・・・・・・境内には、「波除碑(なみよけのひ)」がある。これは、寛政3年(1791)に高潮により多数の死者を出したため、幕府が洲崎弁天社の西を空き地にしてその境界に建てた碑のひとつである。、、、、、東日本大震災の津波と同様に、多くの人命が失われたことを忘れずに、後世に伝えるものだ!
 
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●深川にぴったしの景観 ・・・・・・・・・・・・・・木場駅と洲崎神社を結ぶ、赤く塗られた鮮やかな新田橋(にったばし)。 大横川に架かる人道橋である。、、、、明治から昭和初期にかけ、木場5丁目で医院を開業していた医師:新田清三郎さんが、不慮の事故で亡くした夫人の霊を慰めるため、供養で架けた橋。、、、、、現在の橋は平成12年(2000)に架け替えられたものである。 当時の橋は深川富岡八幡の近くに保存されている。
 
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●360度の芝生、広い! ・・・・・・・・・・・散歩の最後は、木場公園を横切り帰る! 
 
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2019年3月17日 (日)

お墓の玉突き

明日は彼岸の入り。 我が家の墓参りは、“西”の八王子と“東”の松戸の2箇所の霊園が必須。 今日はチョイと早いが、彼岸モードに切り替えて、“東”の墓参り。 
 
 
 
●飛行場が駅になった ・・・・・・・・・・・・“東”の墓は千葉県松戸市の南側、北総線の松飛台駅に近い都営八柱霊園である。 北総線が開通する以前、車を持たない我が家(浅草橋)では、浅草橋駅からJR総武線で西船橋まで行き、武蔵野線に乗換て八柱駅まで、駅からは霊園正門までが徒歩25分(1.5km)、霊園に着いてもバカでかい霊園で、正門から墓まで、これまた徒歩25分(1.5km)、途中で石屋に寄ったり、供物を買ったり、墓の前に着くとグッタリ。 墓まで行くのに片道2時間を要した。、、、、、平成3年(1991)に北総線の松飛台駅が開業すると、浅草橋から都営浅草線が京成線・北総線に乗り入れ、所要時間31分で到着。 松飛台駅は八柱霊園の裏門(正確には松飛台門)に至近で、駅から徒歩5分で墓前に到着。 超便利となった。、、、、北総線の運賃は高ことで有名だが、私にはこの便利さが“安い!”
 
・・・・・・・・・・・・・・北総線の松飛台駅(まつひだい)は平成3年(1991)3月31日に開業した、相対式ホーム2面2線の高架駅。 ホームの西側は松戸市、東側の一部が市川市に掛かる駅である。、、、、「松飛台」とは、現在の八柱霊園の南東側の一部と、霊園の東に隣接する町の町名である。 この町名は、かつてこの辺りに、松戸飛行場(逓信省中央航空機乗員養成所)があったことから名付けられたそうだ。
 
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●千葉県にあって都営とは? ・・・・・・・・・・「都営八柱霊園」は、なぜ千葉県松戸市にあるのか? 最近、NHKで人気のおかっぱ頭の女の子に叱られそうな疑問である。、、、答えは、、、、、明治になって、従来、江戸であった域内で埋葬が禁止となった。 そこで埋葬地が定められ、青山、谷中、染井、雑司が谷の墓地が定められたが、大正期には人口増加によって、四ヶ所の埋葬地も余裕が無くなってきた。 そこで、郊外に新しい市営墓地を作ることが計画された。 大正10年(1921)に西に多磨墓地が完成、昭和10年(1935)に東に八柱霊園が完成した。 昭和23年(1948)には北の小平霊園も完成した。 東の霊園用地を決めるにあたっては、当時東京府内東部には広大な用地が見つからず、千葉県東葛飾郡八柱村の田中新田に用地を求めたそうだ。(この時、鎌ケ谷村にも候補地があった)、、、、、八柱霊園は広さ105万㎡、23区内最大の青山霊園が26万㎡だからざっと4倍の広さ。 東京ドーム20個分のひろさである。(都営霊園の最大は多磨霊園130万㎡)だそうです。、、、、、見渡す限り、墓・墓・墓の霊園。 大人でも迷子になって、野垂れ死にしそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・【余談】 松戸市の市営霊園は土地がなかったため、昭和63年(1988)に隣の白井市に開園した。 白井市の公営墓地は印西市の印西霊園にもあるそうだ。 お墓の玉突き!

2019年3月14日 (木)

城があった足立区

地図を広げて足立区の西新井駅周辺を眺めていると、駅から南に向かって西新井栄町1丁目、関原3丁目に主要道路の未完区間がある。 『何かあるかも?』と、興味が湧いて歩いてきた。、、、、東武伊勢崎線西新井駅から、関原3丁目、2丁目の町を抜け、尾竹橋通りを横切り、本木2丁目から日暮里舎人ライナー扇大橋駅まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
●錆びた駅 ・・・・・・・・今日は西新井駅で下車する。 通勤客の多い駅である。 都心に向かうには、東京メトロ日比谷線と半蔵門線に、それぞれ乗り入れている電車がある。 当駅に到着する通勤電車はどれも満員、着席しての通勤は無理だね!
 
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・・・・・・・・・・・・・錆が出た! 西新井駅西口の駅ビルは、昭和48(1973)の開店以来、約45年経過し、老朽化と耐震性の点に問題あり、いずれ解体され建替えられるようだ。 入居している「トスカ(西館)」および「東武ストア(西新井店)」は昨年7月で両店とも閉館した。
 
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●更地になった道路予定地 ・・・・・・・・・・・西新井栄町1丁目、関原3丁目の裏道を歩いてみた。 下町の雰囲気が残る町で、特にかわった様子もみられない。 主要道路ができる処では立ち退きも終わり、更地となっている処も多い。、、、、何かを期待してきた私は、チョッピリ、ガッカリ。
 
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●23区最後の分教場 ・・・・・・・・・・・・・関原2丁目の住宅が立ち並ぶ裏道の奥に「関原分校公園」がある。 かわった名の公園だな? アレ、便所のタイル絵にも!、、、、調べてみたら、昭和4年(1929)に現在の関原三丁目に開設された本木尋常高等小学校関原分教場が始まりで、この分教場は後に足立区立関原小学校分校となり、昭和50年(1975)の廃校時は東京23区最後の分校となっていたそうだ。、、、、ここにも二十四の瞳と大石先生がいたかも? 校舎を見たかった! 
 
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●足立区に城があった! ・・・・・・・・・・尾竹橋通りを横断し足立区本木2丁目に入ると、かつての総理大臣を思い起させる中曽根神社がある。 中曽根神社は、千葉次郎勝胤公によって室町時代に築城された中曽根城内に、千葉氏の崇敬する妙見社を勧請したものといい、昭和7年興野の雷神社を合祀して中曽根神社と改称した。 境内には、千葉氏が鎌倉時代に築いた中曽根城の城跡を示す石碑もある。、、、、、、なお、「中曽根」の地名は、江戸時代以降に使われた本木村の小字名。
 
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●豪商別邸の名残り ・・・・・・・・・・・・現在の本木小学校の場所(足立区本木北町7)に江戸深川の材木商:冬木屋の別邸(敷地約7200坪)内があった。 その屋敷内には稲荷神社、弁天堂があり、現在も小学校の近くに祀られている。
 
・・・・・・・・・・・・小学校の北側に祀られている冬木弁天堂
 
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・・・・・・・・・・・・・学校の西側には田中稲荷神社が祀られている。 こちらも、冬木屋の別邸内に稲荷神社を勧請して創建した。
 
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●オ~~満開だ! ・・・・・・・・春です、恋の季節です。 「酔った振りして 抱かれた肩に 桜散る散る 恋は咲く」
 
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●ここもだ! ・・・・・・・・・江北橋から伸びてきた「江北橋通り」が扇1丁目でチョン切れている。 その先に道路用地が待機中。
 
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スタコラ歩いた1万1千歩 ・・・・・・・・・・・・日暮里舎人ライナーの扇大橋駅 に到着。
 
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2019年3月13日 (水)

上野の桜はまだ蕾

上野の病院へ行った帰り、上野公園をブラブラ、東京国立博物館に立ち寄り、春の日射しを浴びてきた。
 
 
 
●ポッカポッカのポッカレモン ・・・・・朝8時に家を出て東上野の病院に向かう、私が受診する科では“一番乗り!” 9時に診察を受け、15分後には病院を出る。、、、風のない暖かな陽気、コートを脱いで歩く人もいる。 ポッカポッカの散歩日和だ!、、、昭和通りを越え、上野駅のパンダ橋を歩いて上野公園へ。
 
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●展示館が多く、全部は拝見できない! ・・・・・・・・・・・・東京国立博物館前まで来ると、「博物館でお花見を」のポスターが目にとまり、「春の庭園解放」の文字も見えた。 『今日の散歩は国立博物館の庭園見学にする、決まり!』、、、、嬉しいことに、上野の国立博物館、国立美術館はどこも、70歳以上は無料。 只より安いものはない! 早速、入館し、今日は館内の建築と、本館の収蔵品と、庭園を拝見することにした。、、、、まずは5つの展示館を!
 
・・・・・・・・・・・・・帝冠様式の代表的建築とされる、昭和7年(1932)着工、昭和12年(1937)竣工、翌年開館した本館。 設計は公募で、渡辺仁の案が採用された。 国の重要文化財。、、、、、重厚な建物は文化財を守っている姿を感じる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・本館右側にある東洋館。 谷口吉郎の設計で、昭和43年(1968)に開館。 中国、朝鮮半島をはじめ、東南アジア、インド、エジプトなどの美術品を展示している。、、、、、石仏などが展示され、内部の雰囲気が好きだ!(今日はパス)
 
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・・・・・・・・・・・・・・本館の左側には、華麗な建物:表慶館がある。 明治42年(1909)、東宮皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)の成婚を祝う目的で開館した。 宮廷建築家の片山東熊の設計。 建物は重要文化財。、、、、ただいま休館中、内部はダメヨ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・表慶館の後ろに法隆寺献納宝物300件を収蔵・展示している法隆寺宝物館がある。 設計は谷口吉生(東洋館を設計した谷口吉郎の息子さん)、平成11年(1999)に竣工した。 博物館の敷地の隅に静かに建っていつシンプルな建物。
 
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・・・・・・・・・・・・・本館の北側後ろに、特別展などで使用する平成館がある。 皇太子徳仁親王(浩宮)の成婚を記念して平成11(1999)年に開館した建物。
 
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●高そうに見える展示品 ・・・・・・・・・・・・・本館の収蔵品をチョイト拝見。 さすがに、“国立の博物館”だ! 価値の判らぬ私が見ても、どれもこれも価値がありそうに見える。 
 
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●花見には、あと半月ほど ・・・・・・・・・・・・・本館の北側(後ろ)に日本庭園がある。 この庭園は普段は公開されておらず、今、桜のシーズンに花見を兼ねて公開されている。、、、、ここは、元々は寛永寺の境内で、現在の本館が立っている処が本坊であった。 北側の庭園は寛永寺の庭であった。 そこに、明治以降、5棟の茶室などが移築されたため、当時の面影は薄れたそうだ。、、、、庭園の桜はまだ蕾で、開花した木を見ることはできなかった。 残念、今月末から来月が見頃かも?
 
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2019年3月10日 (日)

期待はずれた富士の山

暖かな散歩日和、夫婦で我が家(浅草橋)から、両国の「すみだ北斎美術館」に寄って、錦糸町駅まで歩いてきた。
 
 
 
●花曇りには早いかな? ・・・・・・・・・・・・午前中は晴れていたが、午後になるとチョイトどんより曇ってきた。 まだ、雨の心配はいらないようだ! 柳橋両国橋を渡り、両国に向かう。、、、、孫の話、食の話で、夫婦仲良く散歩。 両国橋東詰めの老舗:「山くじら もゝんじゃ」も話題の一つ。
 
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●猫も鼠も回向院 ・・・・・・回向院前、チョックラ鼠小僧に御挨拶して行こう!、、、、回向院には、ペットを弔う施設もあり、彼岸前にペットの法事に来たのか、参拝する人の多いこと。、、、、、「彼岸参りに 先祖を飛ばし 愛犬供養に 花手向け」、てな事なきように!
 
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●似て非なる“網”と“綱” ・・・・・・・・・・回向院から両国駅 前をとおり、国技館の手前を入り、江戸東京博物館、徳川家康公銅像前をブラブラ。、、、、これらが建つのは、墨田区横網町(よこあみちょう)。 相撲の町なので“網”(あみ)を“綱”(つな)と間違え、“横綱町”(よこづなちょう)と言う人が多いそうだ。 町名の謂れは不明だが歴史ある町名で、“横綱町”に変更する意思は、町民も区も、断固としてないそうだ。
 
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●富士は見られず、猿、猫、蛙 ・・・・・・・・・・・・江戸東京博物館前から東へのびる「北斎通り」。 その途中に、「すみだ北斎美術館」がある。 今日の散歩の目的地。、、、、本日の出し物は、「北斎アニマルズ」と称し、北斎とその門人が動物・玩具・物語などを図鑑的に描いたものが展示されていた。、、、、、「富嶽三十六景」(全46図)が見られることを期待して行ったが、残念なことに目的は達成できず! またの機会に期待することにした。
 
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●散歩の後は甘い一刻 ・・・・・・・・・・・錦糸町に出て、ひと休み、秘密! 

2019年3月 8日 (金)

高砂や~ 高砂や~

三日ぶりの晴天、チョイト寒いが、京成本線の高砂駅から、総武線小岩駅まで、9千歩の散歩です。、、、、、高砂~小岩間は度々歩いてるので、今日も、かつて歩いたルートを、再び歩いてきた。
 
 
 
●高砂や この浦舟に帆を上げて ・・・・・・・・高砂駅は、大正元年(1912)11月3日に、「曲金駅」(まがりかねえき)として開業した。 「曲金」は駅開業当時の村名である。 「高砂」は明治9年(1876)地租改正のとき地元有志の発意で、めでたい言葉の一つとして謡曲「高砂」から借用して、つけられた字名である。 翌、大正2年(1913)、「曲金駅」は縁起も、語感も良くないと云うことから、字名であった「高砂駅 」に改称した。、、、、昭和30年代までは、結婚式で仲人・長老がご祝儀に謡曲「高砂」を謡ってくれたものだが、今や「高砂」を謡ってくれる結婚式は無くなったみたい。 仲人のいない結婚式も当たり前となったそうだ。、、、高砂を謡った時代は、「高砂祝って誓った初夜が 婆と爺とになる門出」
 
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●高砂や この団地の土地空けて ・・・・・・・・・・高砂駅から南東に約600m、京成本線線路沿いに都営高砂四丁目アパートがある。、、、、現在、線路側は公園と空き地が広がっているが、以前は空き地にも都営住宅が建ち並び、都営高砂アパートと称していた。
 
・・・・・・・・・・・・現在の「高砂四丁目アパート」案内図と、5年前の「高砂アパート」案内図(2014年撮影)、、、、、現在は北側の26号棟、18号棟の2棟が高砂アパート時代の棟として残っているが、住宅部分は閉鎖され1階の店舗部分に郵便局・ケアセンター・整骨院・八百屋・クリーニング店が営業しているだけ。
 
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・・・・・・・・・・・・・現在の高砂四丁目アパートは、平成20年(2008)~平成23年(2011)に立てられた1011戸の団地である。、、、、、5階建ての棟が住宅部分に入居者が居なくなった、18号棟、26号棟。
 
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・・・・・・・・・・・・・北側には高砂アパート跡の広い空き地が残る。、、、、、丸い土俵状のものは、かって給水塔がたっていた跡。、、、、、芭蕉の心情で、「夏草や 兵どもが 夢の跡」
 
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●高砂や この裏道に尻向けて ・・・・・・・・・・・・葛飾区細田鎌倉の裏道を歩いて小岩へ向かう。 途中、シャレた校舎の愛国学園前を通る。
 
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●高砂や 小岩の駅にお着きです ・・・・・・・・・総武線小岩駅到着。 今日は、我が愛する人の誕生日、GODIVAのチョコレートを買って、おまけに船橋屋のくず餅買って帰る!
 
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2019年3月 5日 (火)

源氏ゆかりの中延

都営浅草線中延駅から、東急大井町線北千束駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
●遅刻するぞ、走れ! ・・・・・・・・・・・・都営浅草線に乗り、中延(なかのぶ)駅で下車した。 今日はここから大井町線の南側を歩いてみることにした。、、、、中延駅は昭和43年(1968)11月15日に、都営1号線の駅として開業。 島式ホーム1面2線で、第二京浜(=国道1号)の地下2階にある。 
 
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・・・・・・・・・・・・・浅草線中延駅と大井町線中延駅の乗り換えは、一度地上に出て80m程歩くことになる。 朝、大井町線から浅草線に乗り換える人は多く、中には走って浅草線に向かう人もいる。、、、、、昭和2年(1927)7月6日、目黒蒲田電鉄(現:東急)大井町線の駅として開業した高架駅。
 
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●源氏ゆかりの地 ・・・・・・・・・・大井町線中延駅の南200m程に、品川区立源氏前(げんじまえ)小学校がある。  昭和3年(1928)に、「東京府荏原郡源氏前尋常小学校」として開校した、歴史ある小学校。 去年は創立90周年であった。、、、、ところで、“源氏前”(げんじまえ)とは珍しい名だが、その謂れは、、、、、武蔵国荏原郡中延の地に大字として、旗台、源氏前、牧野、清水頭、平塚の地名があった。 これらは、みな源氏ゆかりの地である。 平安の昔、源頼義、義家親子が勅命を受け、「みちのく」を治めるために出陣した処である。 旗台には、陣屋を構え、根城を築いて源氏の白旗をはためかした。 源氏前は源氏の陣屋前であった。、、、付近には、「源氏前公園」、「源氏前図書館」などとして、古い地名が残されている。
 
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・・・・・・・・・・・・・“源氏前”に来たついでに、チョイト先の「旗の台」にある「旗岡八幡神社」に立ち寄った。、、、、、巫女さんは源氏名を持っているのかな? 日が落ちると近くのお店で、『〇〇という名で出ています』なんて言われちゃうかも?(失礼!)、、、、神社前の通りは鎌倉道である。 
 
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・・・・・・・・・・・・・旗岡八幡神社から、大井町線荏原町駅、荏原町商店街の鎌倉道を、チョッピリ歩いてみた。、、、、旗岡八幡神社の隣りは別当寺であった日蓮宗の法連寺。、、、、法連寺の山門前の踏切りを越えると荏原町駅
 
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・・・・・・・・・・・・・・鎌倉道は駅前から「荏原町商店街」となり、鎌倉の方角に伸びる。、、、、商店街の中程に庚申堂があり、その脇に「天明三年銘 石造道標」がある。 この道標には、「右うの木(鵜ノ木)光明寺道、左池かみ道(池上道)」と刻まれている。 天明3年(1783)は江戸時代中期。
 
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・・・・・・・・・・・・・商店街を抜けたあたり(中延5-12)に、もう一つ道標がある。 こちらは、「天保二年銘 石造道標」。、、、、、道標の四面には、東品川道、西せんぞくおくさわ(千束・奥沢)道、南いけかみ(池上)道、北めぐろ(目黒)道と刻まれている。 天保2年(1831)は江戸時代後期。
 
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●旗の台の町 ・・・・・・・・・・・旗の台の裏道を歩く。、、、、住宅が建て込んでいる、チョイト下町的な住宅街を歩く。 途中で度々方向を見失い、慌てて地図を確認。、、、、荏原五中の前では、ハナモクレンが咲き始め、いよいよ春到来。
 
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・・・・・・・・・・・・・・旗の台駅の西側で、東急池上線を横切る。、、、、ステンレスの車体に緑の濃淡2色でデザインした車両が印象的だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・裏通りから、旗の台駅前と中原街道を結ぶ「稲荷通り」商店街に出た。、、、、チョイト、お稲荷さんに御挨拶。 正式には「旗の台伏見稲荷神社」という。 大正15年(1926)の創建で、お稲荷さんとしては比較的には新しいものである。 太平洋戦争の折に、この旗の台伏見稲荷神社に出征祈願をし、戦地に赴いた120人は、全員が生還したそうだ。 また、お稲荷さんの鎮座する旗の台南町は、この地域が激しい空襲を受けたにも関わらず、安泰であったという。 あれも、これも、お稲荷さんの御加護である。
 
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●時間が止まった駅 ・・・・・・・・・・・・中原街道、環七通りを横断し、東急大井町線の北千束駅 (大田区北千束2)に到着。、、、北千束駅は一日の乗降客が7千人程で、大井町線の中では最も小さな駅である。 
 
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2019年3月 2日 (土)

町の中心は十条銀座

京浜東北線東十条駅で下車し、環七通りの南側、中十条3丁目、十条中原2丁目、上十条3丁目の裏道を、右に左に行きつ戻りつ、埼京線十条駅までの散歩です。 1万歩。
 
 
 
●降りるの恥ずかしい ・・・・・・・・昭和6年(1931)8月1日に京浜線(現:京浜東北線)が赤羽駅まで延伸した際に、「下十条駅」として同時開業した。 昭和32年(1957)、町名変更により「東十条駅 」と改称する。、、、、中線のある島式ホーム2面3線の駅で、改札口はホーム両端に北口、南口の橋上駅舎がある。 また、ホームの東隣には東北新幹線の高架橋と下十条運転区があり、京浜東北線・根岸線の電車が留置されている。、、、、乗降客の少ない駅で、電車から降りる時、チョイト周囲の目線が気になる駅。 70超えても、恥ずかしがり屋な雅万歩。
 
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・・・・・・・・・・・・・今日は北口から西に向かって歩くことにした。
 
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●高齢者登山のメッカ? ・・・・・・・東十条駅北口から、駅前の細い短い商店街を抜け、都道460号(中十条赤羽線、旧岩槻街道)に出る。 荒川小学校前、都道に面して、十条富士塚がある。、、、、もともとは古墳であったと言われているが、江戸時代以降に富士信仰に基づく祭儀を行ってきた場所である。 天保11年(1840)以降の石碑が30数基ある。 高さ6m程、30歩で山頂に立てる富士山は、高齢者登山の穴場? 
 
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・・・・・・・・・・・・富士塚前の都道は、現在、歩道のない片側1車線の対面通行である。(幅員10m前後) 都は拡幅工事を進め、幅員が20m以上になる予定である。、、、、富士塚の周辺でも民家の取り壊しが始まっている。 ところで、この富士塚、このまま道路が拡幅がされると、富士塚は道路に引っかかってしまう。 サアーどうする? 富士山を削るのか? それとも、移設するのか? どうなることやら!
 
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●右折、左折、行き止まりの裏道 ・・・・・中十条3丁目の裏道を歩く。、、、、道は右に左に折れ、素直でないね!
 
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●踏切がネック! ・・・・・・・・埼京線の踏切りに遭遇。 埼京線の東側は中十条3丁目、西側は十条仲原2丁目。 ここに2つの踏切りがある。
 
・・・・・・・・・・・・・新宿寄りの仲原踏切は、ごく普通の人も車も安産に通れる踏切である。
 
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・・・・・・・・・・・・・赤羽寄りには北仲原踏切がある。 踏切に至る、中十条3丁目側は1車線のチョイト狭い道路、十条仲原2丁目側は片側1車線の対面通行ができる道路。 そして踏切部分は、自転車1台分だけ!、、、、つまり、踏切部分を広げれば、車1台の通行は可能なのだが?
 
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●キョロキョロするな、怪しまれるぞ! ・・・・・・・十条仲原2丁目に入ると、「十条銀座」商店街に続く、「富士見銀座」商店街がある。 
 
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・・・・・・・・・・・・・商店街を横切り、十条仲原2丁目上十条4丁目の裏道を歩く。、、、、チョイト内部を覗いてみたくなる家もある。
 
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●立派な堂の地蔵 ・・・・・・・・・・・・環七通り姥ヶ橋陸橋交差点に出た。 この先は、板橋区になるので、今日の散歩はここでUターンして十条駅に向かうことにした。
 
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・・・・・・・・・・・・・交差点角に「姥ヶ橋延命地蔵尊」が祀られている。、、、、姥ヶ橋とは、石神井川の支流:稲付川に架けられていた橋である。 その名の由来は幼児を誤ってこの川に溺死させてしまった乳母が、責めを感じてこの橋から身を投げて死んだ事による伝説であるという。、、、、この延命地蔵尊は、袈裟をまとい、右手に錫杖を執り、左の掌に宝珠を載せ、正面を向いて蓮華座に立つ、安山岩系の石材を丸彫りした地蔵菩薩像。 台座には「享保九年(1724)甲辰天十一月吉日 石橋供養」の銘がある。 左隣には、石造の子育地蔵尊が祀られている。
 
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●お腹が空く商店街! ・・・・・・姥ヶ橋陸橋から十条駅までは、「十条仲通り」商店街、「十条銀座」商店街を歩き、駅に向かう。、、、、食料品、美味しそうな惣菜など、“食”の店が多い。
 
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●開業は何時だ! ・・・・・・・・十条銀座を抜けると、埼京線十条駅である。、、、、明治38年(1905)6月10日、日本鉄道に、東京砲兵工廠の貨物を扱う十条駅が開業。 翌明治39年(1906)に廃止。 明治43年(1910)11月1日、国鉄の駅として再び十条駅が開業。、、、、相対式ホーム2面2線の地上駅で、それぞれのホームに改札口がある。 また、ホームは跨線橋で連絡している。
 
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・・・・・・・・・・・・・駅舎横に、駅開業70周年記念碑(昭和55年(1980)建立)の動輪が置かれている。、、、、70周年の時から遡ると明治43年が開業の年となる。 つまり、日本鉄道時代の明治38年の開業は対象から外したようだ。
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