散歩

2017年7月24日 (月)

小菅~綾瀬

東武伊勢崎線の小菅駅で下車し、裏通りをブラブラ、常磐線綾瀬駅まで、9千歩の散歩です。
 
 
 
①小菅駅・・・・・・・・・・現実は、刑務所の時代は遠い昔に終わり、近代的な拘置所の時代に変わった“小菅”である。、、、、、、小菅駅にホーム立った私は、目の前の東京拘置所を見ると、やくざ映画の影響か? 小菅駅で降りる若い男性は“親分に差し入れに来たチンピラか?”、若い女性は“刑があける日を待つ愛する男に会いに来たのか?”、カバンを下げたサラリーマン風の男は“正義の味方の弁護士か?”、和服の女性は“背中に登り竜が彫られた姉御か?”、小太りのおばさんは“差し入れ屋のやりてババアか?”、ハゲの親爺は“私腹を肥やした悪徳元刑務官か?”、、、、、人を見る目が狂ってしまう。 
 
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・・・・・・・・・・・・・小菅駅で下車したものの、『さて、どっちへ歩こうか?』 『今後の為に、より深く拘置所を知っておくべきか?、拘置所とは反対側を歩いてみるか?』 迷っていると、金髪の外人さんが駅に向かって来た。 『これで決まった!外人さんがやって来た、拘置所とは反対の方向へ行こう!』
 
・・・・・・・・・・・・・・東武伊勢崎線の高架下を抜け、常磐線・千代田線の高架下を抜け、足立区足立2丁目の裏道を歩く。
 
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②庚申塔・・・・・・・・・・住宅が立ち並ぶ東武伊勢崎線の線路沿い(足立2-31)に、庚申塔が二基、他に出羽三山巡礼供養塔、 「庚申塚修復記念」の石塔がある。 祠の中に建つ庚申塔には、「安永九年庚子十二月吉日五反野村講中拾二人」と刻まれている。 安永9年(1780)、この近くの五反野村の12名の人々が庚申講を結成し、主に長寿を願う行事が満願に達したのを記念してこの庚申塔を建立したそうだ。、、、、、庚申塔に札束のレプリカが供えられていたが、どういう意味かな? 本物なら頂戴してくるのだが、、、、
 
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③下山国鉄総裁追憶碑・・・・・・・・・・・・・西綾瀬1丁目の常磐線ガード脇に、初代国鉄総裁を偲ぶ碑がある。 戦前生まれの人であれば、御存じ、下山事件の下山貞則総裁を偲ぶものである。、、、、、事件のあらましは、、、、昭和24年(1949)7月5日、下山初代国鉄総裁は朝8時過ぎに大田区上池上の自宅を公用車で出勤した。 途中、銀行等に寄り、9時半頃、日本橋三越で車を降り、入店しそのまま消息が途絶えた。 翌日の午前0時半頃、常磐線:北千住~綾瀬間の東武伊勢崎線が頭上を交差する地点において汽車に轢かれた下山総裁の遺体が発見された。 検視の結果は、遺体から生活反応が見られなかった事から、列車に轢かれた時に総裁が生きていたか、死んでいたかが問題となった。 自殺か、他殺か?。 警察からは公式の捜査結果が発表されないままに捜査は打ち切られ、迷宮入りとなった。 当時は高インフレにあえぐ経済の立て直しのために緊縮財政がとられ、6月には行政機関職員定員法が施行され、これにより国鉄に対し10万人近い人員削減が求められていた。 また、同年7月15日には三鷹事件、8月17日には松川事件が発生している。、、、、、、私は、当時3歳、まだ世の中の情勢に疎く、事件には無関心であった。 ゴメン!
 
・・・・・・・・・・・・・碑は、昭和26年(1951)、事件現場付近に建立されたが、平成3年(1991)常磐線荒川橋梁改良工事に伴い、現在地に移設された。
 
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・・・・・・・・・・・・・・事件現場、、、、、写真奥は北千住側、手前が綾瀬側。 左側に常磐線が走る。 中央の電車は千代田線。 奥に常磐線・千代田線の上を交差して東武伊勢崎線が走る。 事件現場(総裁の遺体発見現場)はこの交差部分らしい。 追憶碑は手前のガードの左手奥にある。
 
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④西綾瀬の町から綾瀬の町へ・・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・農家の匂いが残る、西綾瀬3丁目を抜けて行く
 
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・・・・・・・・・・・・・どこかの里山に佇む寺の雰囲気が残る、新義真言宗の長性寺(西綾瀬3)は、寛永元年(1624)に創建した。 荒川辺八十八ヶ所霊場50番札所。
 
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・・・・・・・・・・・・・・弘道小学校(西綾瀬4)は、明治11年(1878)創立の歴史のある小学校。当初は現在の綾瀬川左岸(綾瀬4)の常磐線線路際にあった。 大正15年(1926)に現在地に移転した。 校名は論語衛需公篇の「子日人能弘道非道弘人」からとされているが、近くを水戸街道が通っており、水戸藩の藩校「弘道館」を意識したのかも?
 
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・・・・・・・・・・・・・・弘道小学校前の通り。
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・・・・・・・・・・・・・・この通りに「綾瀬村役場跡」の碑がある。、、、、綾瀬村は明治22年(1889)から昭和7年(1932)まで存在した自治体で、その後東京市足立区に吸収された。
 
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・・・・・・・・・・・・・綾瀬川に架かる五兵衛橋を渡り、西綾瀬から綾瀬に入る。、、、、、五兵衛橋は、この辺を開拓した金子五兵衛に由来している。江戸時代の初め、金子五兵衛は他の者と一緒に武蔵国入間郡金子村(現埼玉県入間市)から転入して開拓し、一帯はその名をとって五兵衛新田村となった。、、、、この橋の初代は、寛永年間(1624~1644)に綾瀬川が内匠橋から伊藤谷橋あたりまで新川として開削されたため村が東西に分断されるため、代償として長さ12間、幅9尺の土橋が幕府によって設置されました。 これが五兵衛橋の初代です。 その後、橋は何度か架け替えら、現橋は平成10年(1998)に架けられた歩道橋である。、、、、、この橋の先代の橋は、「男はつらいよ」第26作「寅次郎かもめ歌」に登場している。 マドンナ役の伊藤蘭が入学する学校が葛飾高校(架空)で、通学途中で渡る橋が五兵衛橋。、、、、一見、たいしたことない歩道橋だが、歴史あり、エピソードありで、驚きだ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・五兵衛橋を渡り綾瀬4丁目に入ると、大地主のような門構えの住宅がある。 門の前には足立区教育委員会の名で、「金子家文書」と標記した案内板が立てられていた。、、、この金子家は金子五兵衛の家である。、、、、そして、金子文書とは、新撰組近藤勇が流山で捉えられる前、慶応4年(1868)3月14日から4月1日までの19日間、あの新撰組が、金子家や近くの観音寺に分宿していた。 総勢227人もの大集団で、世情柄精神的な負担や、その世話(経費)などで大層迷惑を蒙った上に、後日明治政府から、強い叱責があったという。 近藤勇らが五兵衛新田の金子家に滞在した事は、その賄方の記録として金子家文書に残っている。 現在近藤勇として一般に知られている袖内に腕組みした写真も、金子家が所蔵しているらしい。
 
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・・・・・・・・・・・・・・綾瀬駅の北側(綾瀬4)に、綾瀬稲荷神社がある。 この神社は、創建年代は不詳であるが、五兵衛新田の鎮守社であったといい、明治7年(1874)に五兵衛神社と、昭和42年(1967)年に綾瀬稲荷神社と改称した。
 
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⑤綾瀬駅・・・・・・・・・・綾瀬駅に停まる電車は千代田線だけ。 千代田線は地下鉄の路線。 その線を走るのはJRの電車(常磐緩行線)。 窓から横を見ればJRの電車(常磐快速線)が通過する。 次の北千住で常磐快速線に乗り換えると、浅草橋まではJR料金。 西日暮里で山手線に乗り換えると、浅草橋までは地下鉄+JR料金。、、、、、ややっこしい!勝手にしろ!
 
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2017年7月23日 (日)

深川

江戸六地蔵巡りも、いよいよ最後、今日の散歩は第五番の霊巌寺である。 都営新宿線の森下駅で下車し門前仲町まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
①森下駅・・・・・・・・・・・都営新宿線の島式ホーム1面2線を有する地下駅。 昭和53年(1978)12月21日に都営新宿線の駅として開業し、平成12年(2000)12月12日に大江戸線が開業し乗換駅となる。、、、、、今日は日曜日、通勤客も少なく、駅は閑散としていた。
 
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②深川神明宮・・・・・・・・・慶長年間(1596~1615)、摂津の人・深川八郎右衛門が一族を引き連れて当地を開拓するにあたり、屋敷内に小祠を設けて伊勢神宮の御分霊を奉斎したことに始まる。慶長元年江戸に入った徳川家康がこの地を訪れ、八郎右衛門に地名を尋ねたところ、未だ人も少なく“地名はない”と答えたので、八郎右衛門の姓をとって「深川」とするよう命じたという。 これが「深川」の始まり。、、、、、、その後、江戸の繁栄に伴って深川も発展し、神明宮は深川の総鎮守として崇敬を集めた。、、、、、現在は、寿老神を祀り、正月の七福神巡りで参拝客を増やしている。 ガッポリ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・大正・昭和の日本画家:伊東深水は、明治31年(1898)2月4日、ここ深川神明宮の門前で生まれたそうだ。 小学一年生まで深川で過ごし、二年生の時深川を離れた。 深水の雅号は深川の水にちなんでいる。 昭和47年5月8日没。、、、、ちなみに、深水の娘:朝丘雪路は昭和10年(1935)7月23日に東京市京橋区築地で生まれた。
 
 
 
③新小名木川水門・・・・・・・・・・・・小名木川は徳川家康が造った人工の運河で中川(今の旧中川)と隅田川を結んでいる。、、、、、、最も隅田川寄り(清澄2・常盤1)には萬年橋が架かっている。 その東隣りに新小名木川水門がある。、、、、、、これまで、鋼製単葉ローラーゲート形式、高さ11mのゲートが3連の水門(昭和36年(1961)に完成)であったが、耐震化工事で、1ゲートを撤去し、2連のゲートに改修される。
 
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・・・・・・・・・・・・・・完成予想図
 
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④清洲寮・・・・・・・・・・・江東区白河に建つ、“寮”とは言っても、民間のアパート。 大林組の設計・施工で、昭和8年(1933)に竣工した、鉄筋コンクリート造4階建ての建物。 総戸数66戸、長さ70m程の建物は大きい!、、、、、、最近、改装したようだが、むき出しの水道管、木製の引き戸、玄関床のカラータイル・壁のスクラッチタイルなど、昭和レトロの匂いがプンプン。 現在もアパートとして人気のある建物で、昭和のハイカラを求め空室待ちの人もいるようだ。
 
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⑤霊巌寺・・・・・・・・・清洲寮とは背中合わせの霊巌寺は、寛永元年(1624)、霊巌島(現:中央区新川)にて創建したが、明暦3年(1657)の大火で被災し、万治元年(1658)に現在地(江東区白河1)に移転した。
 
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・・・・・・・・・・・・・・江戸六地蔵の第五番が、ここ霊巌寺にある。、、、、、水戸街道を見守る像の高さは、2.73m。 深川の地蔵坊正元が発願し、享保2年(1717)に造立された。 製作者は神田鍋町の鋳物師太田駿河守正儀。、、、、、ここの像は低い位置に置かれ、顔立ち、姿も細部までよく見ることができる。 風雨にさらされ、チョイと傷みが見られる。 早い治療が必要かも?
 
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・・・・・・・・・・・・・・八代将軍徳川吉宗の孫にあたる松平定信(1758~1829)は、天明7年(1787)に老中となり、寛政の改革を行った。 その定信の墓所も、ここ霊巌寺にある。、、、、、突然ですがここで問題、松平定信が命名した超有名な菓子屋の名が現在も残っている、その菓子屋の名は?、、、、、答えは、全国に展開した「風月堂」である。 江戸時代、風月堂の本家となる、江戸・京橋鈴木町の「大坂屋」は定信に重用され、松平家の御用菓子商に指定され屋号も「凮月堂清白」(“風”の字は、“几”中が“百”)の5文字を頂戴した。 現在は、本家筋が上野凮月堂、暖簾分けされたのは神戸凮月堂、東京(銀座)凮月堂、長野凮月堂、甲府凮月堂などなど。 ちなみに、私も好きな銘菓「ゴーフル」は全国の凮月堂で売られている。
 
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⑥永代寺・・・・・・・・・・霊巌寺から南へ約1.2km、深川不動尊の参道脇に永代寺がある。 永代寺は寛永元年(1624)に、永代島に創建された。 江戸時代には富岡八幡宮の別当寺で、江戸六地蔵の第六番として栄えたが、明治元年(1868)の神仏分離により廃寺となった。 享保5年(1720)に造立した六地蔵はこの時取り壊された。 現在の永代寺は、明治29年(1996)に旧永代寺の塔頭の吉祥院が名称を引き継ぎ、再興したものである。
 
・・・・・・・・・・・・・現在の永代寺は、お不動様の参道に面した一画にある。本堂の上に塔がのる珍しい寺だ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・境内の隅に、取り壊された六地蔵に代わる地蔵様として、子育地蔵+取持地蔵の二体ペアにて仕込み中である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・今日はついでに、旧永代寺の寺域を歩いてみた。 旧永代寺は広く(約2万2千坪)、まず富岡八幡宮は永代寺が別当寺であった。 境内では骨董市が開かれていた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・旧永代寺が廃寺となった後、その一画に、明治11年(1878)に成田不動の分霊が引っ越してきたのが現在の深川不動尊である。、、、、旧永代寺には11の塔頭があり、その一つ吉祥院が現在の永代寺である。、、、、、地蔵さんは、どうやら不動さんに母屋を取られたようだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・富岡八幡宮と深川不動尊、永代寺などの周辺に、深川公園が点在する。 この公園も旧永代寺の跡地である。、、、、、公園の中に立つ「富岡八幡宮別当永代寺跡」の碑。、、、、、燈明塔も旧永代寺跡に立っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・ここでまた問題です。、、、、「門前仲町」の“門前”とは?、、、、もう、お判りですね、豆助!  そう、門前は永代寺の門前のことだったのです。 
 
 
 
●・・・・・・・・・・・・・これにて、江戸六地蔵を全て巡ったことにする。 門前仲町から都バスで浅草橋へ帰ることにした。、、、、「東京都シルバーパス」を持っていると、都内の主要バス、都営地下鉄は、年2万円ほどで乗り放題。 ありがたいね!

2017年7月21日 (金)

巣鴨

江戸六地蔵の四番目は、巣鴨の「地蔵通り商店街」入口脇の眞性寺にある。 今日は巣鴨駅から、都営三田線の西巣鴨駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
①巣鴨駅・・・・・・・・・・明治36年(1903)4月1日に日本鉄道の駅として開業。 島式ホーム1面2線の地上駅で、駅舎は大塚駅寄りの白山通りに面しあり、改札はここ1か所のみである。、、、、、、“おばあちゃんの原宿”駅も、朝は若い人ばかりだ。
 
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②眞性寺(江戸六地蔵)・・・・・・・・・・「巣鴨地蔵通商店街」入口(出口かも?)手前に、江戸六地蔵尊の四番目が安置されている真言宗豊山派醫王山東光院眞性寺がある。 眞性寺は、聖武天皇の勅願により行基菩薩が創建したと伝えられる古刹。、、、、、、寺は昔から中山道の出入口にあたるこの地にあり、大きな傘をかぶり杖を持つ地蔵尊が、江戸の旅人の安全を見守ってくれている。 今は“巣鴨”と云えば「とげぬき地蔵」だが、昔は“巣鴨”と云えば「六地蔵」であった。 像は正徳4年(1714)に造立された。、、、、、、地蔵さんは、300年間、この地に座りぱなしで、足もしびれているかも? 右手中指で、おでこの真ん中に、3回つばをつけると治ることを、教えてあげたいね。
 
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高岩寺 ・・・・・・・・・・・来たついでに、「とげぬき地蔵」にお立ち寄り。 曹洞宗萬頂山高岩寺は、慶長元年(1596)に江戸湯島に開かれ、その後下谷に移転し、明治24年(1891)に現在地の巣鴨に移転してきた。 本尊は「とげぬき地蔵」(秘仏)として病気の治癒改善に御利益が期待されている延命地蔵菩薩。 お年寄りには、うれしい御利益だね。、、、、「とげぬき地蔵」の由来は、、、、江戸時代、毛利家の女中が針を誤って飲み込んだ際、地蔵菩薩の御影を飲み込んだら、針が御影に刺さって吐き出されたという伝承がある。 マジックのような話だ!、、、、、本堂は昭和32年(1957)、鉄筋コンクリート造にて完成。
 
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④中央卸売市場豊島市場・・・・・・・・・・国道17号(白山通り)を挟み、高岩寺の北側に中央卸売市場豊島市場がある。 この地は、もともと伊勢国津藩主藤堂和泉守家の抱屋敷の一部であったが、明和6年(1769)に伊奈半左衛門預りの幕府御用林となった後、寛政10年(1898)頃に幕府に仕えた渋江長伯が管理する巣鴨薬園となった。 薬園というのは、薬用植物を栽培し、疾病治療の用に供する施設のことであり、日本にはすでに8世紀前半期には存在していた。 昔の製薬工場だ!、、、、、明治維新後、巣鴨御薬園は廃止され、昭和12年(1937)東京市中央卸市場豊島分場が開設された。 その後は、現在の東京都中央卸売市場豊島市場となった。、、、、、築地のイメージで市場内を歩いてみたが、扱うのは“野菜”と“果物”。 “魚”はなし。 セリも終わったようで、そろそろ店仕舞いの時刻のようだ!
 
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⑤本妙寺・・・・・・・・・・・中央卸売市場裏に法華宗陣門流の東京別院:本妙寺がある。、、、、、元亀2年(1571)駿府に創建し、天正18年(1590)江戸清水御門内に移転、その後幾度か移転を繰り返し本郷へ移った。 本郷では江戸市中を焼いた明暦3年(1657)の大火の火元として名をはせた。 明治44年(1911)、本郷から現在地(豊島区巣鴨5)へ移転した。 戦災で被災し古い建物は残っていない、本堂も戦後の再建である。、、、、、寺の古さを物語るは、著名人の墓所がズラリ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・明暦の大火(振袖火事) 供養塔、、、、、明暦3年(1657)1月18日未刻(午後2時頃)に出火し、折からの強風に煽られて、江戸城本丸・二の丸をはじめ江戸市中の6割余りを焼きつくし、死者約十万人に達した大火が「明暦の大火」。 そして火元となったのが本郷にあった本妙寺で、原因は本妙寺の檀家の娘の供養のために燎火に投じた振り袖が舞い上がって本堂の屋根に飛火したことによるものとされ、俗に「振袖火事」といわれています。、、、、供養塔が本堂脇にある。
 
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・・・・・・・・・・・・・関宿藩主 久世大和守歴代の墓、、、、、、、千葉県の北のはずれ、関東の交通の要衝、下総関宿城主の歴代の墓がある。 初代、四代、七代は老中職をつとめた。
 
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・・・・・・・・・・・・・名奉行 遠山左衛門尉景元の墓、、、、、、御存じ、江戸後期の北町奉行、他に大目付、南町奉行等をつとめた、“遠山の金さん”の墓。、、、、では、ここで問題。 テレビで金さんを演じた役者の名を五人あげろ?、、、、答え(古い順)、市川新之助、中村梅之助、市川段四郎、橋幸夫、杉良太郎、高橋英樹、松方弘樹、松平健。
 
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・・・・・・・・・・・・・・剣豪 千葉周作の墓、、、、、、江戸後期の剣豪、北辰一刀流開祖、神田お玉ヶ池、千葉道場(玄武館)主。 漫画:赤胴鈴之助は千葉周作の門下生。
 
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・・・・・・・・・・・・・天野宗歩の墓、、、、、、江戸末期の将棋の名人で棋聖位に着く。 将棋の駒の形をした墓石。、、、、近頃の将棋ブームにあやかり、墓参する人も増えたかな?
 
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・・・・・・・・・・・・・囲碁 本因坊歴代の墓、、、、、、徳川家康が碁を好み、京都にいた初代の本因坊算砂日海を江戸へ呼び寄せた。 三世の道悦までは没後京都の寂光寺に葬ったが四世の道策から二十一世の秀哉までの歴代本因坊が本妙寺に葬られている。、、、、こちらは囲碁ファンの聖地。
 
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・・・・・・・・・・・・・清水建設慰霊塔、、、、、、、創業文化元年(1804)に創業し、200年以上の歴史を有するスーパーゼネコン清水建設の慰霊碑があった。 永い会社の歴史の中で清水建設に係った縁者を供養するため建てた慰霊塔である。、、、、、私も同業の世界に居た一人として、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、合掌。
 
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妙行寺・善養寺 ・・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・本妙寺門前の道:「朝日通り商店街」は、名ばかりで商店が無くなった。 朝日通り商店街を北へ進み、都電荒川線を越える。
 
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・・・・・・・・・・・・都電の踏切を渡ると、昨年歩いた妙行寺と善養寺などのお寺が並ぶ。、、、、、妙行寺には、四谷怪談のお岩の墓、浅野家遥泉院の供養塔がある。 善養寺では閻魔大王がお出迎えしてくれる。
 
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⑦A邸・・・・・・・・・・こちらは西巣鴨にある、3階建ての元医院。 戦前の建物か?、、、、、残念であるが、建物の詳細は不明。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・お盆も近づてきたせいか、今日の散歩は墓巡りとなった。、、、、誰か、私を墓の中から呼んでいるのかも? まだ、この世に未練があるので、あと20年は生かして欲しいね!

2017年7月18日 (火)

新宿御苑前~若松河田

「江戸六地蔵」の一番、二番を見たら次は三番。 三番は新宿の太宗寺。 今日の散歩は、丸ノ内線新宿御苑前駅から大江戸線若松河田駅まで、1万歩。
 
 
 
①新宿御苑前駅・・・・・・・・・・・都会のデートスポット「新宿御苑」の最寄り駅。 昭和34年(1959)3月15日丸ノ内線霞ヶ関~新宿間延伸時に開業した。 ホームは相対式2面2線だが、完全な向かい合わせにはなっておらず、1番線(荻窪方面行)ホームは2番線(池袋方面行)ホームよりも新宿方に車両1両分ほどずれている。
 
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②太宗寺・・・・・・・・新宿御苑前駅の近く(新宿2)に、浄土宗の太宗寺(たいそうじ)がある。 慶長年間、甲州街道の道筋に「太宗」と称する僧の庵として造られた太宗庵を開創とし、徳川譜代内藤家6代の重頼が5代正勝を葬り、現在の倍ほどの寺領を寄進し霞関山本覚院太宗寺とし菩提寺に定めた。 山号は四谷大木戸を霞ヶ関といったという故事により、院号は正勝の法号、寺号は開山による。
 
・・・・・・・・・・・・・昭和20年(1945)の東京大空襲で被災し、現本堂は昭和37年(1962)に鉄筋コンクリート造で再建された。 設計は清水建築設計事務所(清水哲夫)、施工は清水建設。 HPシェルの屋根が特徴的な建物である。、、、、、、ラッパ型のシェルを組み合わせてようなモダンなデザインだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・今日の散歩の狙いである、江戸の出入口6箇所に地蔵菩薩像を祀った、江戸六地蔵の三番目が、甲州街道の入り口にあたるここ太宗寺に祀られている。、、、、太宗寺の地蔵は正徳2年(1712)に造立され、六地蔵の中では最も小さい、2.67mである。、、、、、サッパリした顔立ちで、イケメンだ!
 
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・・・・・・・・・・・・・境内の閻魔堂には、高さ5.5mの閻魔大王(1814年頃製作)と、閻魔に仕え、三途の川を渡る亡者から衣服をはぎ取り、罪の軽重を計った奪衣婆(だつえば)の像(1870年製作、高さ2.4m)が安置されている。 閻魔堂はお盆の7月15日・16日に御開扉される。、、、、、、、、2体の像とも、恐ろしいくらい迫力あるね!
 
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・・・・・・・・・・・・・閻魔堂と向かい合わせに、境内には不動堂がある。 不動堂には三日月不動尊像が安置されているが、残念、見ることができない。、、、、、、不動堂の左隣には、塩かけ地蔵の小祠もある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・墓地には、内藤正勝の墓がある。 江戸時代に信州高遠の藩主をつとめた譜代大名内藤家の墓所。 墓塔は3基とも法篋院塔で、中央が5代内藤正勝(寛永6年造立)、右側が13代内藤頼直、左側が内藤家累代の墓塔(ともに明治時代の造立)である。
 
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③西向天神社・・・・・・・・・・・・新宿6丁目、抜け弁天通り南側、椎、楠、銀杏などの樹木が多く森をなしている高台に、西向天神社(にしむきてんじんじゃ)がある。 当社は、古来より東大久保村の鎮守社であった。 菅原道真を祀った京都の北野天満宮を勧請したものである。、、、、、菅原道真を祀る西を向いた天神さまが鎮座している。 天神は南に向けて建てるのが普通で、西向きに建てるのは非常に珍しい。 これは、道真が死んだ大宰府の方を見ているのだという。 、、、、、明治5年11月に村社となり、社地は1516坪であった。境内には現在でも石造物などの文化財が多く、境内の西隅には富士塚もある。 神社の別当寺は隣接する大聖院である。
 
・・・・・・・・・・・・・・社殿正面から見下ろす新宿
 
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・・・・・・・・・・・・・西を向く社殿。、、、、、天神さまは、どうやら、歌舞伎町の方に興味があるのでは?
 
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・・・・・・・・・・・・・・地続きで、隣には別当寺であった、天台寺門宗の古い小寺:梅松山大聖院がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・私がチョイと気になった、「新宿の女」の石碑がある。、、、、、宇多田ヒカルの母であり、平成25年(2013)に自殺した藤圭子が歌う「新宿の女」は、東京・新宿の盛り場を舞台とした、ご当地ソングのひとつ。、、、、、、「新宿の女」を作詞作曲した石坂まさをの作詞作曲家生活30周年を記念して平成11年(1999)に建てられた。 歌碑のある西向天神社は、デビュー時に「新宿の女」発売キャンペーンの出陣式(昭和44年9月25日)を行った場所とされる。 出陣式の神主代行を噺家の林家三平(先代)が務めた。 発売キャンペーンは、飲屋街を25時間ぶっ続けで流して回るという「新宿25時間キャンペーン」もので、藤圭子と石坂まさをの二人で行った。 また、当神社は石坂まさをの当時の住居から近かったことで選ばれた理由のようです。、、、、ちなみに、「圭子の夢は夜ひらく」の歌碑は新宿花園神社に建てられている。
 
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④抜弁天交差点に向かう・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・新宿6丁目の裏道に入ったら、グルリ回って元の場所に出た。、、、、、地図を見ずに、自分の好みで歩くと失敗だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・出てきた先に「法善寺」!、、、、、ここは新宿6丁目、大阪千日前とは違うが、ひょっとすると水掛不動があるかも? 「こいさん」が願掛けしているかも?、、、、、期待を膨らませ境内へ、普通の寺だった。 手を合わせ、先を急ぐ!
 
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・・・・・・・・・・・・・抜弁天交差点角には、真宗大谷派寺院の専福寺がある。寛永8年(1631)、市ヶ谷に創建し、正保2年(1645)現在地(新宿6)へ移転した。 本堂は戦後(昭和34年)の建築でガンダーラ風。

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・・・・・・・・・・・・前の通りは「抜弁天通り」、交差点は「抜弁天交差点」、、、、『抜弁天とはキット大きな社の神社』と思われてる人は多いはず。 残念・無念・チンねんゴメン、、、、抜弁天は、その昔八幡太郎源義家がこの辺りに宿陣、夢に厳島神社の祭神である市杵島比売神が現れて、白羽の矢と軍扇を与えた。 勝利して帰国の途次、神に感謝して社を奉ったのが神社の起こりだとか。、、、、、それにしても、小さな社で、ガッカリ。 

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⑤若松河田駅・・・・・・・・・・平成12年(2000)12月12日に開業した、大江戸線の地下駅。 島式ホーム1面2線。 
 
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2017年7月15日 (土)

青物横丁~大井町

前回の散歩で、「江戸六地蔵」の二番目である東禅寺(台東区)の地蔵菩薩を見たので、今日は久しぶりに、一番目の品川寺(品川区)の地蔵菩薩を見に行った。 京急青物横丁駅で下車し、品川寺に参拝し、ゼームス坂周辺の裏道を歩き大井町駅から帰宅。、、、、、熱中症を避け日陰を歩いて、9千歩の散歩です。
 
 
 
①青物横丁駅・・・・・・・・・・明治37年(1904)5月8日に、駅名:青物横町として開業したが、いつの間にか青物横丁と変わってしまった。 駅名の青物横丁は、江戸時代に農民がこの地に青物(野菜・山菜)を持ち寄って市場を開いたことに由来する。、、、、ホームは高架相対式2面2線で、3階部分にある。 2階は改札口。、、、、かつて、駅名の“横丁”に“昭和”を感じ、駅周辺で“横丁”を探し歩いたことを覚えている。 残念ながら、見つけることはできなかった。
 
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②竹内医院・・・・・・・・・・・青物横丁駅近くに明治40年(1907)に建てられた、ノスタルジックな医院。 現在は3代目の院長で、祖父の代から続く医院の老舗。 平成21年(2009)に外科医院から耳鼻咽喉科へチェンジした。 診察室には最新設備が整っているそうです。、、、、、私はチョイト難聴なので、一度診察を受けてみたいが、我が家から遠すぎるね!
 
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③品川寺・・・・・・・・・・青物横丁駅の東隣に真言宗醍醐派の品川寺(ほんせんじ)がある。大同年間(806~810=平安時代初期)に創建された古刹。 江戸時代、寛文元年(1652)、4代将軍家綱より4,800坪の寺領を賜り、大伽藍を建立した。 その後、松平讃岐守・阿波守,太田備中守三家の外護のもと大名の祈願所として隆盛を極めた。 明治維新以降は、一時荒廃したものの、大正・昭和には諸堂、山門等の建立が続き復興がなされたという。、、、、、、山門の先は境内が広がり、右手奥に本堂(大正12年(1923)築)が建っている。 中華様式の影響があったのか、斬新なデザインの本堂である。
 
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・・・・・・・・・・・・・山門前で江戸六地蔵、第一番の地蔵菩薩が出迎えてくれる。、、、、、、江戸六地蔵とは、深川の地蔵坊正元が、宝永3年(1706)に発願し、江戸の出入口6箇所に地蔵菩薩像を造立した。 病気平癒を地蔵菩薩に祈願したところ無事治癒したため、京都の六地蔵に倣って造立したものである。 像高はいずれも2.7m前後である。 第一番から第五番までの5体は現存し、第六番(江東区永代寺、千葉街道沿い)は明治元年(1868)に廃仏毀釈により取り壊された。 第一番は品川寺(旧東海道沿い)、第二番は東禅寺(浅草、奥州街道沿い)、第三番は太宗寺(新宿、甲州街道沿い)、第四番は眞性寺(巣鴨、旧中山道沿い)、第五番は霊巌寺(深川、水戸街道沿い)である。、、、、、六地蔵の中で傘を被ってないのはここ品川寺の地蔵菩薩だけだ。 その為か、顔は雨だれのようなシミが出て、チョイと可哀そうだ。 誰ぞ、エステに連れていって欲しいね!
 
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・・・・・・・・・・・・・境内には、幹周り5.35m、樹高25m、樹齢600年の大イチョウが、堂々と枝を伸ばしている。
 
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④海雲寺・・・・・・・・・・・品川寺の南側に、曹洞宗の龍吟山海雲寺がある。 この寺は、建長3年(1251=鎌倉時代)に近くの海晏寺内に建てた「庵瑞林」に始まるそうだ。 慶長元年(1596)に海晏寺の和尚により開山し、曹洞宗に改められ、寛文元年(1661=江戸時代)海雲寺になった。
 
・・・・・・・・・・・・・山門の右側、正面に本堂があり、山門を通し左側奥が荒神堂で千躰荒神を祀っている。江戸時代から「品川の荒神さん」として知られている。
 
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・・・・・・・千躰荒神王は火と水の神で、台所の神である。 3月と11月の27日、28日は「千躰荒神大祭」で御開帳があり、参拝してお札を授かると火除けとなるそうだ。 その荒神様が祀られている千躰荒神堂
 
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・・・・・・・・・・荒神堂の中には多くの扁額が奉納され、格天井には纏が描かれている。
 
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⑤第一京浜を越え、ゼームス坂へ・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・青物横丁交差点で第一京浜を横断し、大井町方向に歩く、、、、、
 
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・・・・・・・・・・・・・青物横丁交差点から上り坂で仙台坂上に向かう池上通り。 私は、写真右側、南品川5丁目の裏道を歩いてきた。
 
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・・・・・・・・・・・・・行きつ戻りつ、裏道を歩き、出てきたところはゼームス坂。、、、、、、JR大井町駅から京急新馬場駅までむすぶゼームス坂は、もともと非常に急な坂だった。 明治時代、この坂下付近に住んでいたJ.M.ゼームスという英国人が私財を投じて緩やかな坂に改修した。 以来この坂はゼームス坂と呼ばれるようになる。 J.M.ゼームス(1839~1908)は、幕末にジャーデン=マディソン商会の長崎支社の社員として来日し、明治5年(1872)に海軍省に入り、測量調査や航海術の指導を行った。 生前から仏教に帰依し、その墓は山梨県身延町の久遠寺にあるそうだ。
 
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⑥品川電車区ボイラー室(旧大井町変電所)・・・・・・・・・JR東日本山手電車区の中にある赤煉瓦の建物は、近づくことが難しく、南品川6丁目の浅間台小学校横の小路から撮影。 この建物は、大正11年(1922)に竣工した旧大井町変電所。、、、、、、京浜東北線や湘南電車に乗っていれば必ず目に入ってくる建物で、存在は多くの人が知っているようだ。
 
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⑦JR大井町駅・・・・・・・・・・・京浜東北線大井町駅は東急の大井町線、東京臨海高速鉄道のりんかい線が乗り入れ、相互間の接続駅となっている。 明治34年(1901)3月15日に、国有鉄道東海道本線に大井聯絡所が開設された。 大正3年(1914)12月20日に、京浜線(京浜東北線の前身)の運行開始に伴い、大井聯絡所を駅に格上げし大井町駅誕生。
 
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2017年7月12日 (水)

橋場・千束

今日も30℃超え、連日の猛暑である。 遠くに出て行くのはひかえ、地元台東区内を散歩しよう。 今日は台東区の北の端:橋場(はしば)から、吉原遊郭のあった千束(せんぞく)付近まで歩いてきた。
 
 
①橋場不動尊・・・・・・・・・隅田川に架かる白鬚橋の西詰に通称:橋場不動尊はある。 正式には砂尾山橋場寺不動院と称する天台宗の寺院。 不動院は、天平宝字4年(760)に創建された。、、、、、江戸時代の建築様式を残す、弘化2年(1845)に建てた小さな堂は簡素な佇まいで、不動尊は下町の庶民に崇められている。
 
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・・・・・・・・・・・・・橋場不動尊参道前の道路(都道314号)の向かい側、歩道上に几号水準点が残されている。、、、、、几号水準点は、明治時代初期に内務省が実施した高低測量(水準測量)に用いた標石である。 現在では、東京から塩釜にかけ、全国約340か所に設置されたことが明らかとなっている。 内現存するのは150か所程で、その内都心に残っているのは40か所程である。  「几」は「几帳面」の「几」で「き」と読み、“机”の意味がある。 この標石に彫られた記号(漢字の“不”に似た記号)が三脚のついた机に似ていることから「几号水準点」と呼ばれる。、、、、、今から100年以上前の水準点で、しかも現在は使われていないものである。 道路を舗装管理する人も、なんだか訳わからず、埋めたり移設してはいけないものと思い込み、そのままにして現在に至ったものと思われる。
 
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②橋場の長屋・・・・・・・・・・・台東区橋場には古い家も多く残っている。 写真は木造の7軒長屋と奥に5軒長屋が見える。
 
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③お化け地蔵・・・・・・・・・・・・橋場2丁目、松吟寺の境内に享保6年(1721)に建立された、高さ3m程の地蔵尊がある。 この辺りは、室町時代以来、禅宗の名刺総泉寺の境内地であった。 門前一帯を浅茅ケ原といい、その松並木の道の傍らにこの石地蔵が祀られていた。 地蔵はかつて大きな笠をかぶり、その笠が人知れず向きをかえたから「お化け地蔵」と呼ばれたといわれている。  総泉寺は昭和4年(1929)板橋区へ移転し、「お化け地蔵」だけが、ここに取り残されたのである。、、、、、脇の常夜灯は、寛政2年(1790)に建てられた。 地蔵も常夜灯も朽ちてきたね。
 
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④出山寺・・・・・・・・・台東区清川1丁目、曹洞宗の明星山出山寺(しゅっさんじ)は、総泉寺の和尚が延宝4年(1676、江戸時代前期)以前に開山・創建した。、、、、、朱塗りの小さな本堂が印象的な寺。
 
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・・・・・・・・・・・・・・境内には、江戸時代初期、寛文の頃(1661~1673)、新吉原雁金屋の遊女「釆女」に心を寄せた若い僧侶が師から固く制され、悩んだ末、雁金屋の前で自害してしまった。 時に十七才の采女は悲しみ、浅茅ヶ原の鏡が池に身を投じた。 翌朝、草刈りの人たちが、 『名をそれとしらずともしれさる沢の あとをかがみが池にしずめば』 としるした短冊を見つけ、采女とわかり、塚に葬った。 境内には、文化元年(1804)大田南畝ら文人たちによって建立された采女塚の碑がある。、、、、、昔は遊女に惚れて己の身を滅ぼす者ばかり、今は惚れたらストーカーとなり相手の身を滅ぼす者ばかり。
 
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⑤東禅寺・・・・・・・・・・・東浅草の曹洞宗洞雲山東禅寺は、寛永元年(1624)に創建された。 寺は本堂前で、江戸六地蔵の一つ銅造地蔵菩薩坐像が出迎えてくれる。 高さは、2.71mある。、、、、、“江戸六地蔵”とは、、、、、江戸深川の地蔵坊正元が、病気平癒に感謝して、多くの人々の浄財を集め、宝永3年(1706)に江戸の出入口となる街道の6箇所に地蔵菩薩像を造立した。第一番は東海道の品川寺、第二番は奥州街道の東禅寺、第三番は甲州街道の太宗寺、第四番は中山道眞性寺、第五番は水戸街道の霊巌寺、第六番は千葉街道の永代寺である。(第六番は現存しない) 
 
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・・・・・・・・・・・・・東禅寺には、もう一つ像がある。 こちらは、六地蔵の左わきで、座して地蔵菩薩の説教を聞いている二人の老夫婦の像。、、、、、“あんパン”の「銀座木村屋總本店」創業者夫婦(木村安兵衛、ブン)の像だ、夫婦が埋葬されている寺に、大正7年(1918)に建てられた。、、、、、お供えは、もちろんアンパンだろう?
 
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⑥吉原・・・・・・・・・・・・・かつての遊郭、今はソープランド街。
 
・・・・・・・・・・・・・吉原大門の前に建った復興小学校:旧待乳山小学校 。 現在は東浅草小学校。、、、、いい場所にあったね! 放課後、スグに行けた?
 
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・・・・・・・・・・・・・「よし原大門」と記した柱が両側に立つ「仲之町通り」。モダン(?)な外装のソープランドが並ぶ、交差する脇の通りもズラリと並ぶ。、、、、、私には、目の毒、気の毒、懐の毒。 いそいそと通り抜けて行く。
 
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・・・・・・・・・・・・・通り抜けた処に、廓の守り神:吉原神社 がある。、、、、チョイと賽銭もはずみ、家内安全、身体健康を祈願する。 
 
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・・・・・・・・・・・・・神社の隣には、20年ほど前まで台東産院があり、今は台東区立の「台東病院」となっている。 我が家でも今年になって、94歳の母が内科の診察を受け、私も数回付き添いで通った。、、、、遊郭が現存していれば、入院してもいいかもね!

2017年7月10日 (月)

新川

江戸川区の中程、中川と旧江戸川を結ぶ運河であった新川(しんかわ)の東端から西端まで、全長約3kmを歩いてきた。、、、、、都営新宿線の一之江で下車し、東端の「新川東水門」へ行き、川沿いに歩き、西端の「新川排水機場」を見て、船堀駅から帰宅。 1万3千歩の散歩です。
 
・・・・・・・・・・・・・新川とは、、、、、、新宿線一之江駅と東西線葛西駅の中間地点辺りで、旧江戸川から分岐し、江戸川区を東西に横断し、新宿線船堀駅の西側で中川に注ぐ、江戸時代からの運河である。、、、、、最初は行徳塩田の塩を江戸に運ぶ水路として始まったが、寛永9年(1632)からは貨客船の「行徳船」が就航し、近郊の農村の野菜や成田参詣の客なども運ぶようになった。 その後、利根川を経由する航路が整備され、利根川流域の農作物、味噌・醤油などの加工品を、新川・小名木川を通って江戸に運ぶ、主要ルートとなった。 新川の水運は戦後まで続いたが、昭和50年代には、その役目も終え(1979)に新川は運河としては使用されなくなった。、、、、今では、川筋には1000本の桜並木を整備し、江戸時代の木橋や石積み護岸も再現し、両岸は遊歩道となっている。
 
 
①新川東水門・・・・・・・・・新川東水門は旧江戸川と新川の接続点に昭和40(1965)に設置された径間11m×2連のローラーゲート式水門。 旧江戸川の水位が大潮の満潮位を超えると閉鎖し、浸水を防ぐ役割を担っている。
 
・・・・・・・・・・・・・・旧江戸川が流れ下る、その右岸に新川東水門がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・新川東水門内は船溜まりになっていて、わずか数十メートルで水路は行き止まり。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・船溜まりの奥には新川東樋門が設けられ、旧江戸川から取水して新川に放流している。
 
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②新川口橋・・・・・・・・・・・・・水門の隣に架かる新川口橋。 昭和45年(1970)に架けられ、橋の下は埋め戻され導水管が設置されている。、、、、、“橋”である必要性は無くなり、江戸川区の計画では、平成35年頃に撤去されようだ!(インターネットで知った極秘情報)
 
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・・・・・・・・・・・・・・旧江戸川の水は橋の下と隣の公園の下を導水管で抜け新川に放流されている。、、、、、、今日も暑い一日が始まり、公園には誰もいない! いるのは、暇で散歩をしている親爺だけ!
 
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・・・・・・・・・・・・・新川の東端、奥の小島の後ろに放流口がある。 川の中に島を配し、 親しみやすい川を演出している。
 
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・・・・・・・・・・・・新川口橋付近から、新川を見る。 水鳥も遊んでいる。
 
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③新川に架かる人道橋・・・・・・・・・・・新川には14本の橋が架けられているが、内7本は江戸情緒を感じさせるデザインの人道橋である。 東側から順に、人道橋全7本を“堂々一挙公開!”
 
・・・・・・・・・・・・・・宝橋、、、、、平成26年(2014)架設。
 
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・・・・・・・・・・・・・・花見橋、、、、、、平成23年(2011)架設。 一見すると橋に見えない、川の上に大きな広場が造られたようだ! その名が示すように、花見のシーズンは両側に咲く「新川千本桜」を見ながらの桟敷席となるのかも?
 
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・・・・・・・・・・・・・桜橋、、、、、、、新川のほぼ中間地点に架かる橋。 平成24年(2012)架設。 こちらも広場型の橋で、ゴザを敷いて100名の宴会も可能だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・小江戸橋、、、、、、、平成19年(2007)架設。 この付近では、川にヨシを植え、川の浄化と小魚の生育を意図しているのか?
 
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・・・・・・・・・・・・・・忍者橋、、、、、、、唯一、黒塗りの橋。 平成11年(2009)架設。、、、、、ナント、ビックリ、ヤックリ、この橋の川底には巨大な駐車場があるのだ!(後述) 
 
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・・・・・・・・・・・・・・擬宝珠橋、、、、、、、平成11年(2009)架設。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・櫓橋、、、、、、、こちらも平成11年(2009)架設。 
 
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④新川大橋・・・・・・・・・・・花見橋の隣に架かり、都道318号環状七号線がとおる。 橋の下は直射日光を遮り、良き穴場のようだ。 多くの人が釣りを楽しんでいた。
 
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⑤新川橋・・・・・・・・・・・・新川に架かる橋の中では、最も古く大正5年(1916)に開通した。
 
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⑥三角橋・・・・・・・・・・・平成12年(2000)に開通した三角橋。 「三角」は、昔からの地名らしい。 現:新川橋のあたりには「三角渡し」もあったそうだ。
 
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⑦新川さくら館・・・・・・・・・・・桜橋の北側に、新川の歴史を後世に伝えるとともに、お休み処や広場などを活用し交流を図る、地域の活動拠点が用意されている。、、、、、、うだるようなこの暑さ、“かき氷”を求めてチョイと立ち寄った。 ありゃ、誰もいない、ダメだコリャ!
 
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⑧新渡橋・・・・・・・・・・・・小江戸橋と忍者橋の間に、平成12年(2000)に開通した新渡橋がある。
 
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⑨新川地下駐車場・・・・・・・・・・・・新川は東西の両端を水門で閉鎖し、東水門から導水して西水門から排水することで水位を低下させ一定に保つようになった。 新川に船の通行も無くなり、川は親水河川として整備されてきた。 そして、その整備の極めつけは、80億円をかけ川底に造った地下駐車場である。 川筋に合わせチョイト曲がっているが、約200台収容可能な都の駐車場である。 豊洲市場とは比べ物にならないが、こちらは、ずさんな計画によるガラガラの駐車場。 
 
・・・・・・・・・・・・・・川沿いの宇喜田町に出入口がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・全長484mの駐車場に、出入口近く、数台が駐車している程度。 あとは???
 
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・・・・・・・・・・・・・・この川底に巨大な駐車場があることを知る人は少ないであろう。 ナイショにしておくか!
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⑩宇喜田橋・・・・・・・・・・・擬宝珠橋の東側に、昭和32年(1957)に開通した宇喜田橋がある。 橋上には船堀街道が通る。
 
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⑪西水門橋・・・・・・・・・・・・新川の西端、新川排水機場前に、西水門橋がある。 平成18年(2006)に完成した橋。 デザインは水門に合わせたのか、明治調の雰囲気を出しトラスを強調したデザインである。、、、、、橋の後ろの櫓は、新川整備の一環として、公園にモニュメントとして建てられた、高さ15m程の火の見やぐら。、、、、、橋名の「西水門」は、かつて、ここにも水門があったが、現在は排水機場に変わった。
 
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⑫新川排水機場・・・・・・・・・・新川の最後は、中川との合流点に建つ新川排水機場。 昭和43年度(1968)に竣工した、ポンプ口径:1600mmを1台、1200mmを2台で、毎秒12トンの排水能力を有する。
 
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2017年7月 9日 (日)

四万六千日

私が住み、観音様が住む台東区では、気象庁の発表で35度を超え、『猛暑日』となった。 70歳を超えて熱中症で倒れ、救急車で運ばれ、若い看護婦さんに“下”の世話になるは、チョイと恥ずかしいので、家で自重することにした。 『散歩は休み!』のはずだった。

昼食時に、『今日はほおずき市ね!』、『昼から行ってみようか!』で即決。 夫婦で、ガンガン照りの浅草寺へお参りに行ってきた。、、、、、(昨年のほおずき市は、こちら。)

 

・・・・・・・・・・・・・汗を拭き拭き、大勢の参拝客で、暑い暑い浅草寺。

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・・・・・・・・・・・・・・大勢の人に見られて恥ずかしいのか、赤く色づいたほおずき。
 
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・・・・・・・・・・・・・・笑顔がかわいい、今年の“ほおずき娘”。
 
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2017年7月 6日 (木)

瑞江~一之江

都営新宿線瑞江駅から隣の一之江駅まで、寺社を巡り、1万歩の散歩です。
・・・・・・・・帰宅後調べてみたら、ほぼ同じルートを、2015/12/4に逆向きに歩いていた。 
 
 
 
瑞江駅 ・・・・・・・・・・・昭和61年(1986)9月14日、船堀~篠崎間開業に伴い開業。 島式ホーム1面2線の地下駅であるが、上下線の両外側、壁の向こうに通過線がそれぞれ1本ずつあるそうだ。、、、、、都民には火葬場のある駅として有名だ!
 
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②豊田神社・・・・・・・・・・・『豊田佐吉を祭神として祀り、レクサスを供える神社』と言いたいが、「トヨタ」とは縁もゆかりもない江戸川区東瑞江の神社。 創建年代不詳。 現在の豊田神社がある一円の地は下鎌田村と称していた。 下鎌田村には香取社、神明社、山王社があり、香取山神明寺長寿院が別当寺となっていた。 明治初年廃仏毀釈により香取山神明寺長寿院が廃寺となり、その跡地に神明社の社殿を遷座し、天照大御神・経津主命の2神を祭神とした。
 
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・・・・・・・・・・・・・・境内には「下鎌田の富士塚」として、大正5年に築造された標高3mの富士塚がある。、、、、、今の時代なら、シンデレラ城でも造れば氏子は増えるかもね。
 
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③泉福寺・・・・・・・・・豊田神社から南東方向に300m程歩くと、東瑞江2丁目、曲がりくねった道の奥に浄土宗の泉福寺がある。 創建年代不詳。 京都の知恩院を総本山とし、東京芝の増上寺を大本山とする寺。(なんじゃ!総本山と大本山?)、、、、、、明治15年(1882)、落雷により本堂・庫裡とも一瞬にして灰となり、同17年、茅葺きの本堂を再建し、平成16年(2004)に現在の本堂が竣工した。、、、、、静かな場所に、緑豊かに佇む、癒される寺。
 
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・・・・・・・・・・・・・・境内に、かわいらしいスイレンが咲いていた。、、、、、今年、我が家では5千円はたいてスイレン鉢を購入し、花は日本橋三越から買い、メダカも入れて、屋上で育てているが、今だ咲かない、頼むから咲いてくれ!
 
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④山王神社・・・・・・・・・・江戸川3丁目にある中社。 鳥居、狛犬、社殿、水盤などすべて新築。 鳥居の扁額には「日枝神社・三峯神社」と併記している。
 
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・・・・・・・・・・・・・・神社は鎌田川親水緑道の脇、住宅地の奥に鎮座する。 この付近は、緑道が整備されているからか、緑豊かで鎌倉の住宅街の裏道を思い出させるようだ。 (チョイと大袈裟に言ってしまった。)
 
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⑤明福寺・・・・・・・・・・篠崎街道に面する浄土宗の明福寺。 嘉禄2年(1226)親鸞聖人が常陸国から上洛の途中、この地の人々が昇天に苦しんでいたので、雨乞いをにより雨を降らせて村人を救った。 その時の草庵が寺の始まりらしい。、、、、、前回来た時と同様に、今日も附属幼稚園の見送りに、境内には若いママがウヨウヨ。 恐怖を感じた私は、“長居は無用!”  そそくさと境内をあとにする。
 
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⑥上今井八雲神社・・・・・・・・・・江戸川3丁目、篠崎街道に面し鎮座するのは上今井八雲神社。 神社の創建年代は不詳であるが、永禄7年(1564)に創建した香取神社(上今井香取神社)と並んで当地周辺で尊崇された。 昭和41年(1966)、上今井香取神社に合併された。、、、、、、神社の前は、対岸に行徳を見る旧江戸川が流れている。 昔は水路の神として、江戸川を航行する舟が安全を祈願した。
 
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⑦金蔵寺・・・・・・・・・・・浄土宗寺院の寶徳山寿松院金蔵寺。 金蔵寺は、応永22年(1415)頃が創建され、享徳3年(1455)頃に中興した。 現在の本堂は昭和11年(1936)に上棟した。 江戸時代は末寺として、数ヶ寺を擁するチョイト大きな寺であった。
 
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・・・・・・・・・・・・・金蔵寺から200m程離れた処に、名のない地蔵さんが祀られている。、、、、、お祀りしている近所の方に聞いたら、、、『お地蔵さんの立つこの場所に、昔、金蔵寺の本堂があり、住職の墓もあったそうだ。 そして、お地蔵さんの前の通りは現在の金蔵寺へつながり、ここに霊が通っていたそうだ。』 近所の方は、『古くからの人も減り、私が守らなければ・・・・』と言っていた。 (何か、判るような判らない話だ。 もうチョイと説明してもらわないと???)
 
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一之江駅 ・・・・・・・・・瑞江の方から来ると、駅手前で新中川に出る。 ここに架かる瑞江大橋を渡り駅に向かう。、、、、、、駅は昭和61年(1986)9月14日に開業した島式ホーム1面2線の地下駅。
 
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2017年7月 4日 (火)

堀切

今年は早々と今日から、台風3号が九州に上陸し、今夜は東京に最接近する予定。 既に全国では台風による猛烈な雨に襲われ、土砂崩れ、浸水の情報も流れている。
 
荒川の決壊が気にかかり、『もし決壊するとしたら京成本線荒川橋梁の付近が一番危ない処だ!』と、自分で決めたので、台風が直撃する前に確認しておくことにした。、、、、、と、言うことで、今日の散歩は、京成本線堀切菖蒲園駅で下車し、京成本線荒川橋梁を見て、対岸の東武伊勢崎線堀切駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
堀切菖蒲園駅・・・・・・・・・・今日は堀切菖蒲園駅から西の荒川・綾瀬川に向かうことにした。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・線路沿いに歩き、首都高の下に綾瀬川に架かる橋梁が見えてきた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・京成本線と並行する都道314号線の堀切橋に上る階段下で、ガードを抜けて、北に折れてみる。
 
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②小谷野神社・・・・・・・・・京成本線の北側(堀切4)に、元禄10年(1697)にはすでに鎮座していた小谷野神社がある。 現在の社殿は昭和47年(1972)9月に造営された。、、、、、、桃の実を開いて厄を免れる病気平癒、災厄解除の「桃祭り」という神事が残る神社。 なんだか勝手に想像すると、私には妙にエロっぽく感じ、見てみたくなる神事だ!
 
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③首都高の下・・・・・・・・・・小谷野神社の脇から綾瀬川左岸の護岸上に出た。 首都高中央環状線の真下である。 綾瀬川に架かる堀切橋(荒川と綾瀬川に、連続して架かる)が見える。、、、、、、次の2枚の写真から、綾瀬川の水位が堀切の町より高いのを推測できると思う。
 
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・・・・・・・・・・・・・・頭上の首都高は何やら大掛かり工事をしている?、、、、何の工事?、、、、、堀切・小菅間の路線拡幅工事である。 この間、綾瀬川の上に車線を増設し、3車線を4車線にするのだ。
 
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④正覚寺・・・・・・・・綾瀬川と荒川が接近し並行して流れる処(葛飾区小菅1)に、真言宗豊山派の常照山阿弥陀院正覚寺がある。 創立年代は不詳であるが、文禄元年(1592、室町時代末期)に創建されたようだ。 現在の諸堂は、高速道路と隣の下水道処理施設工事のために建て替えられた。、、、、、大正の荒川放水路開削工事の開始以前には、この地に小菅村県庁舎があり、正覚寺にはわが国最初の公立学校といわれる「小菅県立学校」が開かれ、県庁職員をはじめ一般村民の教育にあたった。
 
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⑤小菅水再生センター・・・・・・・・・正覚寺の西側、荒川と綾瀬川が近接する地点に、葛飾区と足立区の一部の汚水を処理する小菅水再生センターがある。 処理した水は荒川及び綾瀬川に放流され、発生した汚泥は葛西水再生センターへ圧送し処理される。 センターは、昭和48年(1973)にまず雨水ポンプ設備の運転を開始し、昭和52年(1977)から下水処理施設として本格稼働しました。、、、、、屋上は四季折々に咲く花々や樹木の美しい葛飾区の公園になっている。
 
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・・・・・・・・・・・・・水再生センター屋上から見た荒川
 
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⑥綾瀬排水機場・・・・・・・・・・・小菅水再生センターの下流側に綾瀬排水機場がある。 ここは、大雨などで綾瀬川の水位が上昇し、綾瀬川が氾濫することのないように、綾瀬川の水を荒川に排水する施設。 昭和58年(1983)に1号機が完成した。
 
・・・・・・・・・・・・・・案内板にあった写真
 
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・・・・・・・・・・・・・・・綾瀬川左岸から撮った取水口
 
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・・・・・・・・・・・・・・荒川左岸からパチリ
 
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・・・・・・・・・・・・・・荒川への排水口
 
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⑦綾瀬水門・・・・・・・・・・・・増水時に、荒川の水が綾瀬川に逆流することを防ぐために設けられた。また、荒川と綾瀬川の舟運を確保するための通路でもある。 大正11年(1922)に完成し、昭和48年(1973)に改築。
 
・・・・・・・・・・・・・・綾瀬川左岸から撮影
 
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・・・・・・・・・・・・・・荒川側
 
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京成本線荒川橋梁 ・・・・・・・・・・・京成本線荒川橋梁/綾瀬川橋梁は昭和6年(1931)に完成した。 その後80年以上経過し、両岸(葛飾区・足立区)の地盤は沈下し、堤防のかさ上げが計画されているが、足立区側の用地取得が進まず、橋梁の付け替えもできず、治水上の弱点となっている。、、、、、私の独断的予測では、もし荒川・綾瀬川が氾濫するとしたら、ここの堤防の決壊から始まるのかも????、、、、今日も、よわい70を超えた年寄りが堤防に立ち、荒川・綾瀬川の水面を一人静かに眺め、憂いていた。(正直に言うと、電車を見たかっただけかもね!)
 
・・・・・・・・・・・・・右:荒川と左:綾瀬川を仕切る土手上の道。 京成本線に寄って途切れている。 その先の都道314号の堀切橋とは高さが揃っている。 京成本線のレール面は約2m低い。、、、、、、チョイと怖いね!
 
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・・・・・・・・・・・・・・横から見ると、右:都道314号の堀切橋、左:京成本線荒川橋梁。 ここから、都内に水が漏れるかも? “東京水没!”
 
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・・・・・・・・・・・・・・怖そうな話を忘れ、スカイライナーをパチリ!
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・この後、堀切橋を渡り、東武伊勢崎線堀切駅 から帰宅。
●・・・・・・・・・・・・・・・どうやら、今晩は堤防決壊のおそれはないだろう。 安心して熟睡することにした。

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