散歩

2018年7月17日 (火)

浅草橋

猛烈な暑さが続き、我が家では階段の窓際に置いてある寒暖計が35.6℃を指していた。 これでは外に出たら、誰に頼まなくても「熱中症」にしてくれそうだ。 今日も我が家でエアコンをガンガン、扇風機もブンブン、冷たいドリンクをグイグイ、テレビを見ながらスヤスヤ昼寝のナマケモノ状態で過ごす。、、、、、夕食を済ませたら、まだ30℃の夕暮れ、チョイト、家の周りを歩いてみることにした。、、、、、台東区浅草橋の町を約2時間かけて歩いた。

 
 
 
①浅草橋1丁目・・・・・・・・・南は神田川、東は江戸通り、中央にJR浅草橋駅がある一画。
 
浅草橋・・・・・・・・・神田川に架かる浅草橋、台東区浅草橋と対岸の中央区日本橋馬喰町を結ぶ。 現橋は昭和3年(1928)に開通した震災復興橋。
 
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●左衛門橋・・・・・・・・・浅草橋の上流に架かる橋。 昭和5年(1930)完成の震災復興橋。、、、、、神田川には釣り船が係留されてる。
 
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●JR浅草橋駅・・・・・・・・・・昭和7年(1932)7月1日に、総武線の駅が開業。 昭和40年(1965)12月4日には、都営地下鉄1号線の駅も開業し、乗り換え駅となる。、、、、、、最近は外人観光客が、駅周辺のホテルに泊まっているようだ。
 
・・・・・・・・・・・・江戸通りに面する東口は、駅の表玄関。
 
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・・・・・・・・・・・・・秋葉原駅寄りの西口はチョイト寂しい裏口か?
 
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・・・・・・・・・・・・・・東西の改札口の間は、高架の張りだし部分にホームが造られている。
 
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●浅草橋駅周辺・・・・・・・・・駅周辺は浅草橋随一の飲食店・歓楽街で、夜になると周辺のビジネスホテルに泊まった外人(多くは中国・インドネシアなどのアジア系)が食事に出てくる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・「変なホテル」と云う名の変なホテルが駅近くに今週オープンする。、、、、、ロボットがフロントにいるそうだ!
 
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・・・・・・・・・・・・・駅周辺のビーズ屋さんは20時近くまで営業中。 鯛焼き屋さんもまだ焼いてる。 人形屋さんは、シャッターが下りてる。
 
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・・・・・・・・・・・・・駅の裏にある、我が家の氏神様:銀杏岡八幡神社は明かり灯り、賽銭箱は出ているが、扉は閉まっている。、、、、、“賽銭を置いて行きなさい”ということか?
 
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②浅草橋2丁目・・・・・・・・・1丁目の北側に続く町。 浅草橋駅からは約200mぐらいの処。
 
●下町の建物・・・・・・・・・・・チョイト古そうな住宅、長屋が残っている。、、、、、東京大空襲で焼けずに残った家もある。
 
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・・・・・・・・・・・・・2丁目で最も古い建物:旧福井ビル。 大正から昭和にかけ建てられたビルと思われる。
 
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③浅草橋3丁目・・・・・・・・・2丁目の北側に続く町。 この先は台東区鳥越の町となる。
 
●下町の建物・・・・・・・・・この町にも古そうな建物が残っている。
 
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●甚内神社・・・・・・・・・・「甚内霊神」の名で、江戸時代初期に創建された。 伝承によれば、甚内は武田家の家臣高坂弾正の子で、主家滅亡後、諸国を行脚するうち宮本武蔵に見出されて剣を学び奥義を極めた。 武田家再興をはかり、開府早々の江戸市中の治安を乱したため、瘧(マラリア)に苦しんでいたところを幕府に捕えられた。 鳥越の刑場で処刑されるとき「我瘧病にあらずば何を召し捕れん。我ながく魂魄を留、瘧に悩む人もし我を念ぜば平癒なさしめん」といったことから、病の治癒を祈る人々の信仰を集めたらしい。
 
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④浅草橋4丁目・・・・・・・・・1丁目の西側(秋葉原寄り)に続く町。 JR総武線の北側に広がる町である。、、、、、建物は戦後の中小ビルが多く、あまり特徴のない町である。 
 
●JR総武線高架橋・・・・・・・・昭和7年(1932)の両国~お茶の水間開通に合わせて造られた高架橋である。、、、、、この高架橋自体は千代田区に属しており、台東区は高架橋の北側からとなる。 写真奥の明るい処は浅草橋駅西口。
 
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⑤浅草橋5丁目・・・・・・・・・最後の5丁目は、4丁目の北隣で、北端は蔵前橋通りである。
 
●旧柳北尋常小学校・・・・・・・・・戦後は柳北小学校と称した。(私の母校) 明治9年に創立した歴史ある小学校も、少子化により平成13年(2001)に閉校した。 校舎は大正15年(1926)の建築。、、、、現在は蔵前小学校が建て替えの為、仮校舎として使用中。
 
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●旧日光商事・・・・・・・・・・・旧持主がどのような企業か良くわからないが、建物のデザインは非常に凝っている。 大正から昭和初期の建築と思われる。
 
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●カトリック浅草教会・・・・・・・・・・明治10年(1877)に創立した、歴史あるカトリック教会。 現在の教会は、平成元年(1989)頃に建て替えられたもので、建物は台東区建築景観賞を受賞した。
 
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●町の銭湯・・・・・・・・・・5丁目には2軒の銭湯が健在である。 鶴の湯帝国湯。、、、、、 私の記憶では、戦後の浅草橋には7軒の銭湯があった、今は5丁目の2軒と1丁目の1軒の3軒となった。 住民も減り、さらに、内風呂のある住宅も増えているから、止むを得ないね!
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・以上、私の住む浅草橋の夜景を撮ってみた。

2018年7月13日 (金)

浅草橋~上野

今朝の気温28℃、昼には33℃の予報。 散歩に出たいが、熱中症は怖い、何処へ行こうか思案橋、(『思案橋ブルース』で)♪♪ 哭いているのだ 浅草橋で 陽に照らされて 焼けた ふたつの心は 歩きたい歩きたい 無情の日射し ああ 浅草 浅草橋ブルース ♪♪
 
思案の結果、、、、、、我が家から歩いていける上野方面に向かって散歩することにした。
浅草橋の我が家から御徒町を抜けて不忍池・上野駅を回ってきた。 1万2千歩
 
 
①仕舞屋・・・・・・・・・・我が家の近く(浅草橋2)の仕舞屋(しもたや。=多くは玄関が格子戸になっている家を指すが、要するに普通の住居専用の家のことで「しもうたや(仕舞うた屋)」から変化した単語。)、、、、、、、チョイト見、文筆家の住まいか、三味線・小唄の師匠宅か、それとも質屋の親爺のお妾さんお宅か、、、、、、粋で色っぽい佇まいがいいね!、、、、、、、、、玄関を設け、窓の前には犬矢来を作り、仕舞屋の特徴がでている。 昭和初期の建物か(?)
 
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②佐竹商店街・・・・・・・・・・現在の台東区台東3・4丁目の東半分は、江戸時代、出羽国久保田(秋田藩)の上屋敷があった地である。 藩主は佐竹氏で、20万石余を領有した東北地方屈指の外様大名であった。 佐竹家上屋敷は、元禄2年(1689)もしくは翌3年にこの地に開設した。 明治になって佐竹家上屋敷や近隣の武家屋敷が撤去され、当地は野原となり、俗に佐竹っ原と呼ばれた。 ここは見世物小屋が集中して賑わったが、明治時代半ばから民家が建ち並び、商店街として発展した。 現在、「佐竹」の名は、「佐竹商店街」として継承されている。、、、、、明治31年(1898)に商店街組合を結成し、金沢の片町商店街に続き、日本で2番に古い商店街である。 東京では最も古い商店街である。、、、、、最近は近くにスーパーができ、チョイト足が遠のいてきたが、この商店街は我が家の台所でもある。 
 
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③西郷医院・・・・・・・・・・佐竹商店街から西へチョイト入ると元医院の看板建築の建物がある。 文化財級の診療所建築で、チョイと見には木造建築とは思えないほど保存状態がいい。 玄関の円柱、半円の飾りが付いた窓(窓枠はサッシに入れ替えた)、昭和レトロの建築。、、、、、隣の銅板建築もいいね!
 
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・・・・・・・・・・・・・この付近(台東3)には、戦前の建築と思われる銅板建築・蔵が残っている。、、、、、関東大震災後の建築であろう。
 
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④アメ横・・・・・・・・・・・戦後の闇市が始まりである。 闇市では様々な物品が売られたが、特に飴を売り捌く店が当時200軒以上あった事から「アメヤ横丁」、略して「アメ横」と呼ばれた。、、、、私が知る戦後のアメ横では、駄菓子類、駐留軍横流しのガム・チョコレート・ビスケットなど、“その道の女性”が好んだ化粧品・ストッキングなども、さらには腕時計、舶来タバコなども、アメ横はアメリカに最も近い店でもあった。 私が小学生の頃には、興味湧く、面白そうな町であった。、、、、、今日は、早朝でまだ店は開いていない。
 
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・・・・・・・・・・・・・・アメ横の中にある日蓮宗の寺院:妙宣山徳大寺。 本尊は大曼荼羅であるが、開運摩利支天を祀ることから摩利支天山とも称されている。 旧本山は大本山中山法華経寺である。、、、、、商店街の中にある寺は立体的な構造で、1階は店舗(初代林家三平のCM 『ニキ、ニキ、ニキ、ニキ、二木の菓子!』でおなじみのお菓子屋)、2階を境内としている。 現在の立体造りの伽藍として復興を果たしました。 昭和39年(1964)に完成した。
 
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⑤不忍池・・・・・・・・・・・・池は、一面、蓮の花が咲いている。
 
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・・・・・・・・・・・・・花を観て、、、、、有名な都都逸:「表向きでは 切れたと言えど 蔭でつながる 蓮の糸」 チョイトのたまえば、蓮は千切れても極細の繊維が糸を引くことから、表向きの関係を断ち切っても、内緒でコッソリ関係をしている仲。 さらに、蓮の糸は極楽往生の縁を結ぶとされているので、遠距離恋愛、すれ違いなど、なかなか逢えない遠い人を想い慕っているのだとしたら、切ない仲だ。 私は、現世の同じ蓮の葉の上で激しく燃える仲の方が、いいね。
 
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⑦下町風俗資料館・・・・・・・・・・・・蓮を観ていたら、日差しはガンガン、頭はアッチアッチ、ペットボトルはカラカラ。 そろそろ熱中症対策を講じなければ!、、、、、そうだ! 池のほとりにある下町風俗資料館で、一休みすることにした。 ここは、下町の記憶を次世代に伝える貴重な資料を残す区立資料館。 入館料300円、一名様いらっしゃ~~い。、、、、、我が母校の写真、浅草橋近辺の写真、子供の頃の駄菓子屋の復元など、懐かしい昭和の資料を見て、一時間過ごす。
 
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⑧上野駅・・・・・・・・・・・不忍池から上野駅に行く。 駅から電車で帰宅するのではない。 私の住む浅草橋駅近辺には本屋が無いのだ、それで帰りにアトレに寄って本を買って帰ることにした。、、、、、今どき、都会の駅の近辺に本屋が無いなんて、秘境駅では無いのだが信じられないね。 ついでに言うと、「スタバ」、「マック」も無い!、、、、、、買い物済ませて、帰路につく。
 
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2018年7月11日 (水)

尾久三業地

南千住駅から三ノ輪橋に出て、都電で宮ノ前停留所にて下車、西尾久2丁目の町を行ったり来たり、最後は田端駅から帰宅。 9千歩の散歩です。
 
 
 
●・・・・・・・・・・・・南千住駅前、松尾芭蕉像から散歩はスタート。
 
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①公春院・・・・・・・・・・南千住1丁目の浄土宗寺院:公春院は、満海山千日寺と号し、浅草聖徳寺の末寺として、寛文10年(1670)に創建した。、、、、大正12年(1923)の関東大震災では、火災は免れたものの本堂、観音堂ともに傾き、昭和14年(1939)に現本堂が落成した。、、、、、かつて、公春院の境内に入ってすぐ左の角に大きな松があったそうだ。 昭和9年(1934)に枯死したため伐採され、残念ながら今はその跡はない。 明治42年(1909)頃撮影の写真が残っているだけだが、その大きさは、周囲はおよそ4m、高さ14mで樹齢は優に500年を超すものであったと言われている。 寺域について争いが立ったとき、このお寺の古いことの証拠になったため「証拠の松」といわれていた。
 
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三ノ輪橋停留場・・・・・・・・・・・現在は「梅澤写真会館」となった、昭和2年(1927)に竣工した旧王子電気軌道の本社ビル。 関東大震災後の東京では、鉄筋コンクリート造、3階建てのモダンなビルだった。 正面1階の通り抜けの奥に都電荒川線の“三ノ輪橋停留場”がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・『冷房の効いた電車にチョックラ乗ってみよう!』、、、、、、乗ってから、『行先の宛てもなく、どこで降りようか?』 
 
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③宮ノ前停留場・・・・・・・・・・・名が気にいった『宮ノ前』停留場で降りることにした。、、、、、“宮”とは尾久八幡神社を指す。
 
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④尾久八幡神社・・・・・・・・・・停留場の真ん前(西尾久3)にある、尾久八幡神社の創建年代は不詳だが、当地周辺が鶴岡八幡宮に寄進された正和元年(1312)頃に分霊を勧請したと、推定されている。 境内の広い、都心では大きな神社。、、、、、かつては神社の周囲に石神井用水を引き込んだ「八幡堀」が流れ、農業に活用された他、舟が入り込み交易も盛んであったといわれている。
 
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⑤碩運寺・・・・・・・・・・・・都電の線路を挟み尾久八幡神社の向かい(西尾久2)にある、曹洞宗の寺院:碩運寺(せきうんじ)は、慶長元年(1596)に創建したといわれている。 大正年間に本所石原町から当地へ移転した。、、、、、、大正3年(1914)に寺内に温泉が湧き、「不老閣」の営業を開始した。 ラジウム鉱泉で、周辺には保生館、清遊館、大河亭、小泉園などの旅館も開業し、都電の開通と相まって寺の周辺は温泉街として賑わい、商店街も形成したそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・ところが、ギッチョン・チョン、これが始まりで、周辺の温泉旅館、商店街の発展は、尾久三業地(現:西尾久、料亭・芸者置屋・待合のあった所)発展の幕開けとなり、色街へと変わって行く。
 
・・・・・・・・・・・・・・昭和11年(1936)2月、陸軍将校のクーデターである2.26事件が起きる。 世の中は大きく変わって行くことになる。 その年の5月18日、尾久三業地の待合「満佐喜」で殺人事件が起きた。 粋で鯔背な格好の40歳代の遊び人:名は石田吉蔵(糞まじめな私とは似ていないようだ。)と、30代の玄人美人が宿泊した。 翌朝、女は外出したが、男は起きてこず、女中が部屋に確認に行くと、蒲団の中で死んでいた。 男の一物が切り取られ、太股には血で「定、吉二人」と書かれていた。 こうして、猟奇的殺人事件の幕が開いた。、、、、、これぞ有名な阿部定事件である。、、、、、この後、事件の顛末は、皆さん自分で調べて!
 
・・・・・・・・・・・・・・戦後、尾久三業地は周辺の工業化で地下水を汲み上げすぎて温泉は出なくなり、廃業していった。 (私も知らなかった戦前・戦後の話てある。)
 
 
⑥西尾久2丁目の三業地跡(?)・・・・・・・・・・現在は、三業地(碩運寺の南から東京女子医大東医療センターの西あたり?)の跡はなく、何処に何があったやら? 
 
・・・・・・・・・・・・・・女子医大通り
 
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・・・・・・・・・・・・・・女子医大通りから西の裏通りを歩いてみるが、、、、、もちろん、待合「満佐喜」はない。 色街の面影は皆無であった。
 
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⑦八幡堀跡・・・・・・・・・・・・・尾久八幡神社の周囲、碩運寺の前などに、江戸時代から大正時代まで、八幡堀という石神井川用水が流れていたそうだ。 その水路は今は無くなったが、町の裏道にタイルが埋め込まれ水路跡が標されている。 また水路跡の道が「すいろみち」として整備されている。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・この後、明治通りを横切り、田端駅から帰宅。 
 
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2018年7月 9日 (月)

田端~鶯谷

山手線田端駅にて下車し、道灌山、谷中を歩き鶯谷駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
①田端駅南口・・・・・・・・・・・・田端駅の西側は高台(道灌山)となって、崖下にホームがある構造となっている。 現在の田端駅は、北側の跨線橋:田端大橋 に面するメインの北口と、道灌山の崖にへばりつく小さな南口がある。、、、、、明治29年(1896)4月に日本鉄道の駅として開業した当時は、現在の南口付近から崖下に下った処に駅があったそうだ。(開業当時は北側の田端大橋はまだなかった。)、、、、、崖上のかわいらしい小さな駅舎で、売店、トイレなどは無い! 
 
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・・・・・・・・・・・・・・ホームから見上げる南口
 
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②道灌山・・・・・・・・・・・荒川区西端の西日暮里4丁目の台地は道灌山と呼ばれている。 上野から赤羽に続く山手台地の上にあり、太田道灌によって出城が造られた処と言われている。 眺望は良く、崖下には東北本線・東北新幹線などを見ることができる。 かつては、千葉県市川市の国府台あたりまで望むことができたそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・“道灌山”と言えば、東京大学合格者数日本一の名門:開成学園をイメージする人も多いはず、私もその一人。、、、、、古くは(明治・大正?)、東京の名門と言えば、“麻布・開成・京華”と言われたそうだ。 麻布・開成はナットク! 京華(けいか)は知らない? 京華は歴史ある学校で、私の母校だ、現在は二校にチョイト引き離されたが、今後に期待。(話がソレタ)、、、、、開成の「ペンは剣よりも強し」をデザイン化した校章はいいね。
 
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・・・・・・・・・・・・・・開成中学校の隣りには、向陵稲荷神社がある。 開成中学校の敷地は、かって「ひぐらし公園」であった、そこに佐竹右京太夫の屋敷社であった稲荷神社が祀られ町の鎮守として崇められたそうだ。 その後、現在地にチョイト移動した。、、、、、開成中学と開成高校はこの神社前の坂:向陵稲荷坂の両側に位置する。
 
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③西日暮里の寺院・・・・・・・・・荒川区西日暮里3丁目のいくつかの寺院に寄ってきた。
 
・・・・・・・・・・・・・まずは、青雲寺、、、、、、、JR西日暮里駅の西側に位置する、臨済宗妙心寺派のの寺院。、、、、、重層造の本堂は昭和35年(1960)に建てられた。、、、、、本堂横には江戸時代の戯作者:滝沢馬琴筆塚の碑がある。 小さな字でゴチャゴチャ書いてあるので読めなかった。 今度、来るときは、ハズキルーぺを持ってこよう!
 
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・・・・・・・・・・・・・次は、ピンクの塀に囲まれた修性院、、、、、、日蓮宗の運啓山修性院は、天正元年(1573)豊島郡田中村(現:練馬区南田中)に創建、寛文3年(1663)に現在地に移転した。 谷中七福神の布袋尊が祀られている。、、、、
 
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・・・・・・・・・・・・・次は、法華宗の法光寺、、、、、、法光寺は、寛永3年(1626)赤坂一ツ木に創建、後用地となって承応2年(1653)四谷南寺町に移り、その9年後に又々用地となって市谷本村へ移転し、明治維新後現在地へ移転した。 度々の移転、これも仏の仕業か?
 
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・・・・・・・・・・・・・さてさて次は、南泉寺、、、、、、、臨済宗妙心寺派の瑞応山南泉寺は、元和2年(1616)に創建、将軍家光・家綱に仕えた老女岡野の遺言により貞享3年(1686)寺領30石の朱印状を拝領した。、、、、、境内は手入れが行き届いており、全体に美しさを感じる寺である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・南泉寺の「おまねぎ堂」、、、、、境内の隅にある祠、額には「おまねぎ」と書かれている。  庚申塚か、地蔵尊か、ナンジャ?、、、、扉は閉められているが、格子の隙間から覗いて、ビックリ、ニッコリ、コリャ楽し! 解説不用、一目瞭然! そうです、アレとアレとアレです。、、、、、、知識ある人の話では、これらは「お招き様」「お客神様」などと呼ばれ、江戸時代、商売繁盛を願い花街の遊女たちの信仰の対象であった。 おまけに、家内安全、夫婦和合、子宝成就などのご利益もあるね。 私も遅まきながら手を合わせてきた。
 
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④富士見坂・・・・・・・・・・・修性院と法光寺の間にある坂。 その名のごとく富士山が見える坂であったが、平成25年(2013)頃、高層ビルが建てられその姿は見えなくなった。、、、、しかし、煉瓦塀の細い坂道は、いまだ富士山が見えるような雰囲気を残している。
 
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⑤岡倉天心邸跡・・・・・・・・・・・・西日暮里から歩き「谷中ぎんざ」を横切り台東区谷中5丁目に入った。、、、、、我が国近代美術の先駆け岡倉天心邸の跡地は「岡倉天心記念公園」となり、園内の岡倉天心史蹟記念六角堂(昭和41年竣工)には平櫛田中作の金ぴかの天心座像が安置されている。、、、、、、純金の像みたいだが、本物なら公園の一角に監視なしで置いとかないだろう!
 
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⑥観音寺築地塀・・・・・・・・・・岡倉天心記念公園から、裏道(蛍坂)を歩き観音寺横に出る。、、、、、観音寺は明和9年(1772)の火災で灰燼に帰した後、文政年間(1818~1831)頃に再興された。 寺の築地塀は境内南面を画する延長37.6mの練り塀で、瓦と粘土を交互に積み重ねて造り、江戸寺町の面影を残している。 国の登録有形文化財。
 
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谷中霊園・・・・・・・・・谷中霊園を抜けて鶯谷駅に向かう。、、、、墓地のいくつかを紹介する。
 
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・・・・・・・・・・・・・・新国劇を創設した大正から昭和にかけて活躍した澤田正二郞(1892~1929)の墓。、、、、、私は澤田正二郎:本人を見たことがない。 私の知る新国劇と言えば、島田正吾・辰巳柳太郎の時代である。
 
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・・・・・・・・・・・・・お墓に機関車がある、コレは誰だ? 信州伊那郡の出身で、明治時代の実業家:今村清之助(1849~1902)の墓である。、、、、角丸証券の創設者。 明治の恐慌後、欧米を視察し帰国してからは、両毛鉄道をはじめ、九州・関西・参宮・山陽などの諸鉄道事業の発起に関わり、諸々の鉄道会社の重役となり、大株主となって、日本鉄道界の王者に君臨した。、、、、、石が新しいので、機関車は最近つくられたようだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・おでん屋の娘(?)「高橋お傳」(1850~1879)の墓。、、、、“明治の毒婦”と呼ばれた、古着屋吉蔵殺しの犯人。 
 
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・・・・・・・・・・・・・谷中霊園にあって場違いな感じの墓は、あのニコライ堂で有名な、日本正教会創建者:ニコライ(1836~1912)の墓である。
 
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⑧鶯谷駅北口・・・・・・・・・・ラブホテル街を抜けて鶯谷駅に到着。 明治45年(1912)、東北本線の駅として開業した歴史ある駅。 
 
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2018年7月 7日 (土)

浅草橋~新小岩

7月に入り、暑い日、雨の日が続き、あいだの散歩日和の日は病院に御招待され、なかなか散歩できる日がなかった。 朝5時、ベッドの中で『今日は散歩できそうだ、歩くぞ! お通じを良くするぞ!』。 できるだけ長い距離を歩きたく、京葉道路をひたすら歩くことにした。
 
 
 
am7:55・・・・・・・土曜日のせいか、通勤する人は少なく、学生だけがパラパラ歩く浅草橋。、、、、、連日の雨によるのか(?) 神田川の水位も上昇している。
 
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am8:00・・・・・・・「浅草橋交差点 」は、靖国通り(都道302号)の終点であり、京葉道路(国道14号)の起点(公式には浅草橋交差点から300m程東の両国橋が起点)である。
 
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am8:00・・・・・・・両国橋 の西詰(中央区側)には、かつて江戸で最大の盛り場だった「両国広小路」の碑がある。 もともとは、明暦の大火(1657年)後、両国橋が架けられ、橋の両詰に「火除け地」として、広小路が整備された。 その後、西詰の広小路は、いつしか、見世物小屋、茶店などがひしめきあう、江戸一番の繁華街となった。 上野、浅草とともに江戸三大広小路の一つ。、、、、、新宿歌舞伎町のような繁華街として現在まで残っていれば、我が家から近く、私の人生感もチョットは変わっていたかも?
 
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am8:10・・・・・・・両国「回向院」前を通過。
 
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am8:10・・・・・・・回向院前から150m程東に向かうと、「横綱横丁」と称す横丁がある。 この横丁の入口の東側が、作家:芥川龍之介の生育の地であったそうだ。 芥川は明治25年(1892)、東京市京橋区入船町の牛乳搾取販売業耕牧舎を営む新原敏三・ふくの長男として生まれ、辰年辰の日辰の刻の生まれにより龍之介と命名されたと言われてる。 生後7ヶ月で生母ふくの病のため、当時本所区小泉町(ここが生育の地)に住んでいたふくの長兄、芥川道章に引き取られ、後13歳の時、芥川家の養子となったそうだ。、、、、、浅草橋の路地裏に雅万歩の誕生・生育の地の碑が建つのも夢ではないかも(?)
 
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am8:35・・・・・・・江戸時代庶民の信仰と行楽を兼ねた成田山新勝寺の参詣は、2・3泊の手頃な旅行コースとして人気があったそうだ。 江戸市中からの参詣コースとしては、現:水戸街道の葛飾区新宿から東に向かい小岩、市川、八幡へと進む道と、日本橋小網町から水路で隅田川を下り行徳から陸路を八幡へ向かう道の2ルートがあった。 明治時代になると、浅草橋から両国橋を渡り小岩、市川を経由して向かう道を千葉街道と称するようになり、これが現在の京葉道路となったそうだ。 この京葉道路にかかる旧江東橋は東関東の水運の大動脈として、江戸時代以降、東京の市民生活を支えてきた運河の一つ「大横川」に大正15年(1926)に架けられた。 現在の江東橋は平成7年(1995)に架け替えられたものである。 現:江東橋の西詰に、旧江東橋の親柱が残されている。、、、、、江東橋付近の大横川は暗渠化され川筋は親水公園に変わった。
 
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am8:45・・・・・・・錦糸町駅前を通過。、、、、、駅前のバス停横に「伊藤佐千夫牧舎兼住居跡」の案内と歌碑が建っている。 ここ錦糸町駅前に、明治22年(1889)から明治45年(1912)まで、明治の歌人:伊藤佐千夫の経営する牧舎と住居があったそうだ。、、、、現存していれば、新鮮な牛乳が飲める駅前のミルクスタンドとして繁昌したかも(?)
 
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am8:50・・・・・・・錦糸町駅の東350m程の処に、京葉道路に面し都営江東橋4丁目アパートがある。 昭和52年(1977)に完成した総戸数220戸の都営住宅。 施工は飛島建設。、、、、、この都営住宅の1階は都営バスの車庫となっている。 完成当時は斬新な構造の車庫で、内部にはターンテーブルも供えられているそうだ。、、、、、ここがバスの車庫となる以前は都電の車庫であった。 昭和47年(1972)の都電廃止で、都営住宅と都バスの車庫に生まれ変わった。
 
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am8:55・・・・・・・錦糸町と亀戸の間に流れる運河:横十間川に架かる橋が松代橋である。 現在の橋は昭和44年(1969)に架けられた1径間鋼製桁の橋である。 以前は、昭和5年(1930)に完成した鋼製桁の震災復興橋が架けられていた。 上流側にはJR横十間川橋梁が架かる。、、、、、橋名は西岸にあった旧町名に由来するらしい。
 
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am9:00・・・・・・・JR東日本の総武本線貨物支線である越中島支線の下を抜け、亀戸駅の南を通過する。
 
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am9:15・・・・・・・亀戸駅を過ぎ、亀戸6丁目に入ると、、、、、、私の親友が経営する不動産屋の前に来た。 チラリ、店先を覗くと親友御夫妻の姿が見える、まだお客が来ていないようだ。 チョイト寄って行こう!、、、、気持ちは短時間で失礼するつもりで寄ったが、『友有り、遠方より歩いて来たる。 亦た久しぶりや。』 お茶もいただき、私のバカ話は止まらず、小一時間話し込んでしまった。 お仕事の邪魔をしてしまい、失礼しました。
 
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am10:00・・・・・・・散歩を続ける。 向かうは東へ!
 
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am10:15・・・・・・・中川新橋を渡り旧中川を越える。 江東区亀戸と江戸川区平井を結ぶ橋。
 
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am10:25・・・・・・・江戸川区小松川の再開発地区に建ち並ぶマンション群を見ながら歩く。
 
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am10:30・・・・・・・荒川に架かる小松川大橋 を渡る。 この橋は下り線と上り線が方向別に架橋されている。 上流側(下り)が小松川橋、下流側(上り)が新小松川橋です。 下りの小松川橋が昭和44年(1969)に開通し、上りの新小松川橋は昭和47年(1972)に開通した。 全長500m程の橋である。、、、、、橋上は風が強く、帽子を押さえながら渡って来た。、、、、、荒川は川幅イッパイに流れ、河川敷も水の下である。 上流ではだいぶ降ったようだ。
 
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am10:40・・・・・・・小松川大橋を渡り、江戸川区松島の小松川署前を通過する。、、、、、ここまで、浅草橋交差点から7kmである。(日本橋からは9km)
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・京葉道路の散歩は小松川署の先で終了とした。 これより裏道を歩き新小岩駅に出て帰宅する。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・今日は1万6千歩の散歩でした。

2018年7月 3日 (火)

かっぱ橋本通り

都心では連日、9時には30℃を超え、年寄りは外に出にくい状態だ。 家に籠っていても、エアコンで冷やし、扇風機で風を送り、アイスコーヒーで胃を冷やし、素麺をあっさりと食し、やることないからゴロゴロ・ごろ寝し、サッカーW杯の同じような解説を何度も聞いて、あ~~~体調がスッキリしない! あ~~~退屈だ!
 
今日は15時過ぎに上野までコミュニテイバスで行き、合羽橋の道具街と直交する「かっぱ橋本通り」を歩き浅草まで、買い物を兼ねた散歩をしてきた。 約7千歩ぐらい。、、、、、ちょうど一年前の今日、浅草から上野に向かって「かっぱ橋本通り」を歩いていた。 解説はこちらを見てね!
 
 
 
・・・・・・・・・・・・・・・今日の散歩はここ「上野学園前」から。、、、、「上野学園」とは、ピアノの辻井伸行氏が卒業した音楽系の私立大学を中心とした学園。 音痴の私には縁遠い学園だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・東上野五丁目交差点から、「かっぱ橋本通り」に入る。 浅草国際通りまで続く商店街の先には、正面にスカイツリーを望める。、、、、、商店街は飲食店・薬局・ブティック・花屋・惣菜屋・文房具屋などが並ぶ普通の商店街である。 今は、七夕飾りでお客を歓迎している。
 
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・・・・・・・・・・・・・東上野五丁目交差点から200m程、かっぱ橋本通りを歩くと台東区松が谷3に、可愛い色気のある河童の像があり、『ここが台東区の真ん中 つまり「へそ」と言われている 台東区』と表示標されている。 23区で最も面積の小さい台東区にも“へそ”があったか。、、、、、こんな色っぽい河童なら、たくさんいるといいね。 
 
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・・・・・・・・・・・・・“台東区のへそ”から20m程東、かっぱ橋本通りのほぼ中間地点に、曹洞宗の巨嶽山曹源寺がある。 曹源寺は、天正16年に(1588)に江戸・和田倉門付近に創建され、その後、明暦の大火により当地に移転した。 当地一帯は低地で水はけも悪く、しばしば水害に悩まされた。そこで当地の商人・合羽屋喜八(合羽河太郎)が私財を投じ、新堀川(現在の合羽橋道具街のある通り。)の開削の工事を行った。 言い伝えによるとこの工事の折、近隣の隅田川に棲んでいたとされる河童が手伝ったと言われている。 文化11年(1814)に喜八が没し、菩提寺である当寺院に葬られいつしか「かっぱ寺」と言われるようになったそうだ。
 
・・・・・・・・・・・・・曹源寺本堂
 
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・・・・・・・・・・・・・・境内にある「河童大明神」は、商売繁昌などに霊験があるといわれてる。 堂の中には河童の絵があった。
 
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・・・・・・・・・・・・・「合羽橋道具街」が誕生して90年を迎えた平成15年(2027)に、道具街の一角に建立された「かっぱ河太郎像」。、、、、、、海パン姿の悪ガキというイメージの像だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・今日は買い物をするために来たので、チョイト道具街の店を覗いてきた。、、、、外人客が多く、どこの店にも数人の外人がいた。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・再び、かっぱ橋本通りを歩き、浅草へ向かう。
 
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・・・・・・・・・・・・・・店先に立つ可愛い河童。 ドサクサ紛れにカエルも、タヌキも、、、、
 
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・・・・・・・・・・・・・途中の店で買い物も済ませ、「かっぱ橋本通り」が国際通りにぶつかりココまで!
 
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・・・・・・・・・・・・・雷門前の通りに出て、ここからコミュニテイバスで帰宅。、、、、、帰宅する私の手には、観賞用の植木、花器、木製の盆、敷物、などなど、重たい!
 
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2018年6月29日 (金)

熱中症の南千住

朝8時、東京の気温は28.6℃、これから散歩に出るにはチョイト厳しいかな(?)。 熱中症で行き倒れになると恥ずかしいしので躊躇した。 涼しい処を歩けばいいか! 勝手に決め込んで、浅草・合羽橋あたりをブラつく予定で家を出た。 歩きはじめると、暑い、汗も出てくる、コリャ、下手すると熱中症になるな。 イヤな予感がする。 急遽、屋根があり冷房している、樋口一葉の「一葉記念館」に行くことに予定を変更した。 
 
 
・・・・・・・・・・・・蔵前からバスに乗り東浅草(一葉記念館最寄りのバス停)で下車した。 降りたら、まだ8時20分。 行っても開いてないぞ、失敗・失敗!、、、、、『 後で気がつくてんかん病み 』(念のため、“てんかん”は病名で差別用語ではないとのこと)
 
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・・・・・・・・・・・・・・再び、次のバスに乗りとりあえず終点の南千住駅に到着。(念のため、“敬老パス”を持っているので、都内のバスは乗り放題)
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅前で、西に行こうか東に行くか、それとも北か南か(?) 迷い、迷って、駅の東口へ。、、、、、鮮やかなスカイブルーの空には夏の雲、気温は30℃超、散歩する人影はない。
 
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・・・・・・・・・・・・・日陰を求め、常磐線の高架沿いに北千住方向に歩く。、、、、、、駅前のコンビニで買った飲料水「ソルティライチ」も半分程となる。 この飲料水、熱中症対策に効果があるそうだ、飲みやすくてGood!
 
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・・・・・・・・・・・・・・アジサイの花は茶色に変わり、梅雨の終わりを告げていた。、、、、、帰宅したら、東京は本日梅雨明けしたことを知った。
 
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・・・・・・・・・・・・・道を遮る護岸の上に、「隅田川橋りょう」の文字が見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・護岸沿いに歩き、山王清兵衛とばれ歯神:清兵衛を祀った日枝神社 の裏にでた。、、、、、清兵衛は歯の治療中なのかシートで覆われ工事中。
 
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・・・・・・・・・・・・千住大橋新橋(上り線)の下に出たので、チョイト螺旋階段で橋に上がってみた。、、、、、新橋は昭和48年(1973)に竣工した3径間連続鋼箱桁橋。 橋長は南千住交差点の陸橋部にも連続するため502.5mである。
 
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・・・・・・・・・・・・・新橋から見る常磐線隅田川橋梁
 
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・・・・・・・・・・・・・新橋の隣りには、昭和2年(1927)竣工の千住大橋旧橋(下り線)がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・千住大橋南詰にある屋敷神のような小さな南千住熊野神社。 熊野神社は、源義家が永承5年(1050)に勧請したと伝えられている。、、、、千住大橋を架けた文禄3年(1594)、伊奈備前守が当社に成就を祈願し、残りの材木で社殿修理を行なったことから、橋の架け替えに際しては祈願と社殿修理が慣例となっているらしい。 チャッカリした神社だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・8月頃咲くサルスベリの花が、もう咲いている。、、、、、サルスベリは熱中症になり、狂ったか(?)
 
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・・・・・・・・・・・・・そろそろ熱中症が発症する頃だ、頭の天辺は暑い、汗はダラダラ、ペットボトルはから。 ヤバイ!、、、、、、荒川区の郷土資料館「荒川ふるさと文花館」に避難することにした。 入館料100円の資料館で、もちろん冷房完備、休憩無料である。 郷土の歴史資料を見ながら、館内を散歩。(念のため、館内は撮影禁止) 冷えた麦茶などのサービスがあるといいのだが、無理だね!
 
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・・・・・・・・・・・・・熱中症の心配も和らぎ隣の素盞雄神社 (すさのおじんじゃ)に手を合わせて帰ることにした。
 
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・・・・・・・・・・・・・南千住駅に戻ってきた。 ここからバスで浅草橋の我が家まで帰宅。、、、、、今日は“熱中症”に振り回され、8千歩の散歩だった。
 
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2018年6月27日 (水)

扇橋閘門

隅田川と旧中川を結ぶ運河:小名木川の中程に扇橋閘門がある。 今朝、ベッドの中で地図を見ていたら、閘門に行ってみたくなった。 JR総武線錦糸町駅から南に歩き、扇橋閘門へ行ってガッカリし、西へ歩き都営大江戸線清澄白河駅まで、直線距離で3km程の工程を、1万1千歩を要して歩いた。(ひょっとすると、私は脚が短いのかも?)
 
 
 
①錦糸町駅・・・・・・・・・・・明治27年(1894)12月9日に、私鉄:総武鉄道の本所駅として開業。、、、、一日に30万以上が乗降する、JR、東京メトロが乗り入れるターミナル駅。 ちなみに、私が住む二駅隣の浅草橋駅の乗降客は17万人程。 負けた!
 
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・・・・・・・・・・・・・錦糸町駅ホームから撮った錦糸町交差点。 右の高い建物はJRAの馬券売り場、左手前の改装工事中のビルは「東京楽天地」
 
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②江東観世音・・・・・・・・・・錦糸町駅前の丸井の裏(南側)に、天台宗の五徳山江東寺がある。昭和15年(1940)に水澤観世音(伊香保町)の別院として創建された。 本尊は千手観世音であるが、境内には清昌稲荷、出世弁財天、水洗観音、地蔵尊、馬頭観音、戦災慰霊碑などいろいろ取り揃え祀られている。、、、、、馬券買う前に馬頭観音に手を合わせて行くと、御利益あるかも?
 
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・・・・・・・・・・・・・・江東寺の向かいに、チョイト古い建物「ニュー錦糸町ビル」がある。 1・2階は店舗、3階から上は住宅となっている。 昭和43年(1968)に建てられたそうだ。
 
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③日先神社・・・・・・・・・・新大橋通りを横断し江東区猿江1丁目に、江戸名所図会にも描かれ江戸屈指の規模をもつ摩利支天だった日先神社(ひのさきじんじゃ)がある。 今や、見るも悲しき、小さな神社となってしまった。 摩利支天とは仏教の神様であり、太陽の前に先立ち進むと言われ、明治­以降に日先神社と改称したようだ。
 
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④猿江神社・・・・・・・・・・日先神社から100m程南に行くと猿江2丁目に猿江神社がある。 正確な創立年代は不明であるが、康平年中(1058、平安時代中期)頃には近在の信仰を一身に集めた稲荷社であったらしい。、、、、、鉄筋コンクリート造の社殿は昭和6年(1931)に建立され、鉄筋コンクリ―ト造の寺社としては国内最古である。 また、玉垣のある石造燈籠も昭和6年(1931)に造られた。、、、、、猿江神社の社殿も国の文化財に登録してあげたいね。 参考に、国登録有形文化財である鉄筋コンクリート造の神田明神 の社は、昭和9年(1934)に造営された。
 
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⑤扇橋閘門・・・・・・・・・・いよいよ、本日の目的地:扇橋閘門(こうもん)に来た。 閘門とは水位の異なる河川や運河、水路などで船を上下させるための装置である。 閘門の特徴は、固定された閘室(前後を仕切った空間)内の水位を変えることで、船舶の航行を可能にするための施設。 誰もが知る、有名な閘門はパナマ運河である。、、、、、小名木川の扇橋閘門のある江東区は、東側が地盤が低く西側が高い地形になっており、昭和46年(1971)策定の江東内部河川整備計画にて、東側を常に一定に保つ水位低下区域としてまた西側の感湖部を耐震区域として整備することになった。 この閘門は、両区域の接点にあたる小名木川の中間に造られている。 30億円の事業費と5年以上の歳月を費やして昭和52年(1977)に完成した。
 
・・・・・・・・・・・・・ありゃりゃ、閘門は工事中。 来年の春までダメだ! 残念・無念。、、、、、4年前の閘門は、コチラ
 
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⑥閘門の隣りに架かる2橋・・・・・・・・・・・・扇橋閘門を挟む小松橋(旧中川側)と新扇橋(隅田川側)。
 
・・・・・・・・・・・・・まずは、小松橋、、、、、、昭和4年(1929)3月に着工し、昭和5年(1930)1月に完成した震災復興橋。 工期10カ月とは超突貫工事?
 
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・・・・・・・・・・・・・新扇橋、、、、、、旧橋は昭和4年(1929)に架けられたトラス橋であった。 昭和48年(1973)に、ランガー桁の現橋に架け替えられた。
 
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⑦清澄白河駅・・・・・・・・・扇橋閘門から、清洲橋通り、霊巌寺 に立ち寄り、大江戸線清澄白河駅から帰宅。、、、、、、、清澄白河駅は、都営地下鉄大江戸線と東京メトロ半蔵門線の駅である。 平成12年(2000)12月12日、“12”並びの日、大江戸線全線開通と同時に開業した駅。 島式ホーム2面3線を有する地下駅で、中央の線は折り返し用で、両側にホームがある。 当駅から木場公園の地下に造られた木場車両検修場への引き込み線が存在するため、当駅発着の列車も多い。
 
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2018年6月25日 (月)

東武亀戸線

今日の東京は30℃を超える暑さ、まだ熱中症で死にたくない。 チョイト身体が慣れるまで炎天下の散歩はひかえよう、自重・自重! でも、15時過ぎになると、そろそろ歩いてくるかと家を出た。 何度も歩いている散歩コースの一つ、東武亀戸線の線路沿いに、曳舟から亀戸まで歩いてきた。 1万歩の散歩です。、、、、東武亀戸線、過去の散歩→→→2年前の散歩 3年前の散歩
 
 
 
①曳舟駅・・・・・・・・・亀戸線は明治37年(1904)4月5日に、亀戸~曳舟間の3.4kmが開業した。 曳舟駅は、その2年前明治35年(1902)に現:伊勢崎線の駅として開業している。、、、、、亀戸線の起点駅である。
 
・・・・・・・・・・・・亀戸線は2両編成でワンマン運転。 曳舟駅では運転手さんも前から後ろへ移動。
 
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・・・・・・・・・・・・・・曳舟駅の改良工事は進み、明るくなったコンコース、東口には駅ビルが建ち昨年、ベッド数200床の「東京曳舟病院」が開院した。
 
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②曳舟駅~小村井駅・・・・・・・・・・・線路の北側は、木造住宅が密集し防火上危険な、いわゆる“木密地区”である墨田区京島。
 
・・・・・・・・・・・・・高架の曳舟駅から地上へ下り、京島地区へ入る亀戸線。
 
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・・・・・・・・・・・・・・昭和30年代の塗装を再現したリバイバルカラー:緑の2両編成も走る亀戸線。
 
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・・・・・・・・・・・・・・木造住宅の並ぶ路地裏を線路沿いに歩く。
 
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・・・・・・・・・・・・・そろそろ木造の密集地区“墨田区京町”から外れ、ここは“墨田区文花”。
 
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③小村井駅・・・・・・・・・・・曳舟から1.4kmの小村井(おむらい)駅。 駅前には明治通りが通る。
 
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④東あずま駅・・・・・・・・・・小村井駅から600mで東あずま駅。 構内踏切がある駅。
 
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⑤東あずま駅~亀戸水神駅・・・・・・・・東あずま駅と次の亀戸水神駅の間は約700m。 この間で、隅田川と旧中川を結ぶ運河である北十間川と交差する。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・亀戸に近づいてくると、マンション、ビルの間を走る亀戸線。
 
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⑥亀戸水神駅・・・・・・・・・・かの有名な亀戸天神、チョイト有名な亀戸香取神社の、どちらとも異なるマイナーな亀戸水神宮に近い駅。 
 
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⑦亀戸水神駅~亀戸駅・・・・・・・・・・この駅間も700m程と短い距離である。、、、、、、亀戸水神駅から100m程亀戸駅に寄ったあたりに、旧亀戸水神駅の跡が残っている。 線路脇にコンクリートの基礎のようなものが等間隔に並んでいる。 ここが、空襲で被災するまで使われていた亀戸水神駅である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・JR総武線が見えたら亀戸駅はスグソコ!
 
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⑧亀戸駅・・・・・・・・・・・・・総武線の盛土下に亀戸線のホームが見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・改札の先に到着した亀戸線が見える。、、、、、『亀戸、亀戸、終点です』
 
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2018年6月22日 (金)

矢切~金町

三日前に歩いた柴又の対岸、北総線矢切駅から、野菊の墓、矢切神社と歩き、新葛飾橋を渡り、京成金町駅まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
①矢切駅・・・・・・・・・江戸川を挟み葛飾柴又の対岸、松戸市下矢切にある、北総鉄道北総線の駅。 北総台地にある2面4線の地下駅。、、、、、駅名も、歌も、「矢切」は“やぎり”だが、地名は“やきり”で濁らない。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅前のロータリーは工事中。 その為か、駅前にあった作家:水上勉旧居跡の石碑が無い。 昭和32年から2年間住んでいたそうだ。 当時は矢切駅もなく、不便な地であった思う。 (写真:2016年撮影)
 
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②野菊の墓文学碑・・・・・・・・・矢切駅から北東500m程のところ、北総台地が江戸川に接する崖上に、夏目漱石が、「自然で、淡泊で、可哀想で、美しくて、野趣があって、(中略)、あんな小説ならば何百編よんでもよろしい」と、絶賛した、伊藤左千夫(1864~1913)の小説『野菊の墓』(明治39年(1906)発表)の文学碑がある。 この矢切の地が小説の舞台である。 小説は、15歳の少年・斎藤政夫と2歳年上の従姉・民子との淡い恋を描いている。 (詳しくは、新潮文庫で334円程なので、自分で買って読むこと!) 
 
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・・・・・・・・・・・・・・文学碑とは歩道橋で結ばれた公園から見る、手前は江戸川左岸(千葉県側)、奥は金町方面(東京都)。
 
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・・・・・・・・・・・・・文学碑は、真言宗豊山派の寺院、八幡山西蓮寺の本堂裏にある。 寺と文学碑の入口は別になっており、法要などに差し支えないよう配されている。、、、、、文学碑の建立に尽力を注いだ、今は亡き松戸の版画家:奥山儀八郎(1907~1981)とも深い縁のある名刹である。 
 
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③矢喰村庚申塚・・・・・・・・・・・野菊の墓文学碑から東へ300m程歩くと、地蔵尊・庚申塔・馬頭観音などが10基以上並ぶ、強力なパワースポット、矢喰村庚申塚がある。 建立された時代も、江戸、明治、昭和とイロイロ。、、、、、、中央に控えるは、寛文8年(1668)に建立された塔身高196㎝の庚申塔で、青面金剛の足下には三猿が刻まれている。、、、、、矢喰村(やぐいむら)とは、この辺りで行われた国府台合戦で、北条氏と里見氏が戦い戦死者は1万余だった、地元の領民も人足に狩り出され、塗炭の苦しみの中で、弓矢を呪うあまりに、「矢切り」「矢切れ」「矢喰い」の名が生まれたそうだ。
 
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④矢切神社・・・・・・・・・・矢切駅の北500m程に位置する矢切神社。 宝永元年(1704)の長雨により、江戸川が大洪水を起こし、水高が地面より8尺余り(約2m50cm)となった。当時の矢切の民家は江戸川沿岸にあったため、多数の死者を出し、甚大な被害を受けた。 その後、災害から逃れるため村民は台地上に移住し、鎮守として京都から稲荷を勧請して祀ったのが矢切神社である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・入母屋造の拝殿屋根には、漆喰で龍が描かれている。、、、、、誰が描いたのか? 凄い!
 
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⑤浄安寺・・・・・・・・・・・・矢切神社から北へ200m、日蓮宗の寺院:浄安寺がある。、、、、通りからはチョイト奥まった処にあり、木立に囲まれた、落ち着いた静かな佇まいの寺。
 
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⑥江戸川左岸・・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・北総台地から江戸川左岸に下り、土手を目指し歩く。 矢切変電所の前に出た。 周囲には畑が広がる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・ぺんぺん草が橋の上まで生える中矢切橋。 周囲は畑、炎天下、こんな処を歩くのは私だけ。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・土手の上に立った! ナント、河川敷は「江戸川ラインゴルフ 松戸コース」のゴルフ場であった。 三日前に見た金町浄水場の取水塔 を対岸から見ようと思ったが、コリャダメだ!
 
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⑦新葛飾橋・・・・・・・・・・新葛飾橋を渡り、金町駅に向かう。、、、、、この橋を渡ると、千葉県側から東京都に入ったことになる。 千葉県側は緑豊かに畑の中を歩いたが、東京都側は一気に都会の空気を感じさせる。
 
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・・・・・・・・・・・・・橋の上から見た2基の取水塔
 
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●・・・・・・・・・・・・・・橋を渡れば京成金町駅までは近い。 京成で帰ることにした。
 
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