散歩

2018年4月13日 (金)

目青不動 (教学院)

しばらくぶりに、東京の五色不動を巡る散歩をすることにした。 その第一番目として、三軒茶屋にある教学院(最勝寺)の目青不動に行ってきた。 三軒茶屋から下北沢まで、9千歩の散歩です。
 
 
 
・・・・・・・・・・・・・・・五色不動は江戸五色不動とも呼ばれ、目青不動(教学院:世田谷区太子堂)、目白不動(金乗院:豊島区高田)、目赤不動(南谷寺:文京区本駒込)、目黒不動(瀧泉寺:目黒区下目黒)、目黄不動(永久寺:台東区三ノ輪)、目黄不動(最勝寺:江戸川区平井)の6寺5種の不動尊の総称。 五色とは密教の陰陽五行説に由来し、青・白・赤・黒・黄でそれぞれ東・西・南・北・中央を表している。 目ん玉の色が五色ではないので、お間違いなきように。 、、、、、有名な伝説として、江戸時代三代将軍:徳川家光が天海大僧正の建言により江戸府内から5箇所の不動尊を選び、天下太平を祈願したともいわれている。 ホントの話では、五色の不動尊は、何かの要因でセットとして作られたものでなく、それぞれ、バラバラに登場したそうだ。 明治時代以降に、こじつけて五色不動となったらしい。
 
 
①三軒茶屋駅(田園都市線) ・・・・・・・・・・国道246号(玉川通り)と世田谷通りの分岐点地下に造られた、東急田園都市線の三軒茶屋駅。、、、、、前身の玉川電気鉄道の三軒茶屋駅は明治37年(1904)3月に開業し、昭和44年(1969))5月10日に廃止された。 昭和52年(1977))4月7日、新玉川線(現:田園都市線)が開業し、相対式ホーム2面2線を有する地下駅となる。
 
・・・・・・・・・・・・・首都高の下の三軒茶屋交差点。 その地下に駅はある。 交差点の付近に、江戸時代、3軒の茶屋があったことから「三軒茶屋 」となったそうだ。、、、、、近くに女子大があるせいか、やたら若い娘が多い駅で、できることなら引っ越したい。
 
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・・・・・・・・・・・・玉川通りと世田谷通りの分岐点に、大山道の道標が建てられている。 この道標は寛延2年(1749)に建立され、文化9年(1812)に再建されたもの。 刻まれている文字は、正面に【左相州通大山道】、左側面に【此方二子通】、右側面に【右富士、登戸、世田谷通】と刻まれている。
 
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②三軒茶屋駅(世田谷線) ・・・・・・・・・・田園都市線の三軒茶屋駅から、西に約100m行くと、かつての三軒茶屋駅跡に再開発されたキャロットタワー(地上27階建て)がある。 世田谷線の三軒茶屋駅はこのビルの1階である。、、、、大正14年(1925)1月、玉川電気鉄道(玉電)の駅として開業。 平成4年(1992)11月、現在のキャロットタワーに移転。 頭端式ホーム2面1線を有する地上駅で、線路両側のホームは乗車専用ホーム・降車専用ホームとなっている。、、、、、2両連結のかわいらしい300系電車が満員の乗客を運んでいる。 
 
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③教学院・・・・・・・・・・・三軒茶屋駅の西側に、天台宗の寺院、竹園山最勝寺教学院がある。、、、、、慶長9年(1604)江戸城内紅葉山に創建され、その後、赤坂、青山へ移転し、現在地へは明治41年(1908)に移った。 教学院が青山にあった頃、麻布の観行寺が廃寺となり、本尊であった目青不動が教学院に移された。、、、、、、教学院の本尊は阿弥陀如来で、目青不動は秘仏として不動堂に祀られている。 青い目をした不動明王は恥ずかしいのか非公開の為、拝見できるのは代役の寛永19年(1642)作の前立の青銅製不動明王像である。、、、、【チョイトないしょの話】教学院が青山にあった頃、同寺には「青山の閻魔さま」と親しまれた閻魔大王の像があった。 そこに、観行寺の不動像がもたらされ、「青山」の不動さまとして、後に目“青”不動としてこじつけられたようだ。
 
・・・・・・・・・・・・・・まずは、山門と本堂。
 
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・・・・・・・・・・・・・不動堂と前立(青銅製不動明王像)
 
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④西太子堂駅・・・・・・・・・・三軒茶屋から300m程はなれた隣り駅。 大正14年(1925)に西山駅として開業し、昭和14年(1939)に西太子堂駅に改称した。、、、、相対式ホーム2面2線を有する無人の地上駅。、、、、、三軒茶屋駅が再開発により、西太子堂駅の方に移動したことにより、駅間の距離も短くなり利用客は極めて少ないらしい。
 
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・・・・・・・・・・・・・・ちょうど、昨年の9月に「玉電110周年 幸運の招き猫電車」として、沿線の豪徳寺招き猫をデザインしたラッピングカーがやってきた。
 
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⑤太子堂八幡神社・・・・・・・・・・西太子堂駅の北に太子堂八幡神社がある。 神社は太子堂村が新田開墾された天正年間(1573-1591)頃に創建されたと推定される。
 
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・・・・・・・・・・・・・境内社弁天社でかわいらしいお御籤があった。 私も引いてみたら“吉”。 『願望(ねがいごと) 他人の助けにより早く成功します』だって、7億円ジャンボ買わなければ!!!
 
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⑥鎌倉道・・・・・・・・・・・八幡神社の西側と下北沢と代田の境を結ぶ道で、鎌倉へ通ずる鎌倉道の一部である。、、、、、今日はこの道をとおり、下北沢まで歩いた。
 
・・・・・・・・・・・・・鎌倉道の標識もあるが、普通の裏道である。
 
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・・・・・・・・・・・・・途中、北沢川には鎌倉橋が架かっている。
 
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・・・・・・・・・・・・・小田急線複々線化工事の現場に出た。、、、、今は地下にもぐった小田急線が、かつては、ここを走っていたのだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・かつて、踏切の際に祀られていた地蔵さん。 その名もズバリ「踏切地蔵尊」。、、、、、まだ小田急線が地下化していなかった頃、ここにあった踏切で事故が頻発したと思われる。 おそらく地元の人が、事故にあった人の霊を弔い、事故が無くなるようにと願いを込めて祀ったお地蔵さんであろう。
 
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⑦下北沢駅・・・・・・・・・・・・小田急電鉄と京王電鉄の駅で、両線は当駅で立体交差している。 しかし、小田急線は地下にもぐったため、高架で走る京王線だけが姿が見える。、、、、、只今、駅舎工事の真っ最中。
 
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2018年4月11日 (水)

お茶の水坂・皀角坂

朝から春の嵐。 外は“吹き飛ばされそうな風”ではなく、工事現場の看板が“吹き飛ばされた風”、歩く女性のスカートが“巻き上がる風”である。 嵐の中、私は後楽園の循環器内科クリニックに検診に行ってきた。 
行きに「お茶の水坂」、帰りに「皀角坂」を歩いてきた。
 
 
 
①お茶の水坂・・・・・・・・・『“お茶の水”とは、将軍に献上した神田川の水を指している』、これ、嘘っぱち! この付近の神田川は江戸時代:元和年間(1615-1626)に、本郷台地に外堀として掘られた川である。 堀ができる以前には、ここ本郷台地には神田川はなかった。 当時、本郷台地の一角(現:元町公園付近、本郷1丁目)にあった高林寺(現:向丘2丁目)の境内に湧き水があり“お茶の水”として将軍(徳川家光)に献上したことから、「お茶の水」の地名となった。 これ、ホント!、、、、、その神田川北岸に沿い、お茶の水に上る坂なので「お茶の水坂」と、江戸時代に命名された。
 
・・・・・・・・・・・・・現在の坂は、外堀通りの一部で坂上には東京医科歯科大学病院、順天堂大学病院などがズラリと並んでいる。、、、、、昨年は、私が東京医科歯科大学病院へ、我が母が順天堂大学病院に救急搬送され、我が家御用達のありがたい病院である。 ちなみに、私も母も既に完治し、ピンピンの元気。
 
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・・・・・・・・・・・・・坂の途中に、関東大震災の復興公園「元町公園 」がある。 昭和5年(1930)の開園当時の姿がほぼそのまま残る貴重な公園である。 
 
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・・・・・・・・・・・・・神田川側には神田上水懸樋(掛樋)跡 の碑がある。、、、、、江戸時代、神田川に木製の樋(とい)「懸樋(かけひ)」を架け、川の上に神田上水を通し、江戸市中に給水した地点である。、、、、、神田川の水面からかなり高い位置に架けられていた。
 
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・・・・・・・・・・・・・お茶の水坂の下は水道橋交差点。 橋の上から神田川を見ると、左岸(北岸)に神田川分水路の合流口が開いている。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・後楽園のお庭の隣りのクリニックで受診し、 検査項目、全て異常なし、『あたり前田のクラッカー』。 受付嬢と、2か月後の再会を約し帰途に就く。
 
 
 
②小石川橋通りガード・・・・・・・・水道橋と飯田橋の駅間、神田川から日本橋川が分岐する処に小石川通り架道橋(三崎町3)が架かる。 明治37年(1904)に甲武鉄道が、ドイツの橋梁メーカー「HARKORT」社に発注し、輸入した橋梁だ。日本に現存する同社の橋梁としては唯一の上路ワーレントラス橋である。桁には銘板が残っている。、、、、、煉瓦の橋台、石積みの盛土にも当時の匂いが残っている。、、、、、現在は、南側に中央快速線用の複線が増設されており、南側からは見えない。 緩行線が走る北側の複線部が当時からの架道橋である。
 
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③三崎稲荷神社・・・・・・・・・神社は水道橋駅の南側にある。 三崎稲荷神社は、寿永元年(1182)豊島郡三崎村鎮守として創建し、慶長8年(1603)・万治2年(1659)・万延元年(1860)と移転を続け、明治38年(1905)に現在地に移転した。 祭神は、宇迦之御魂神、素盞嗚尊、大市姫神、大物主神の四神。、、、、境内にある大きな銀杏の木からパワーが出ており、交通安全・旅行安全などの御利益があるそうだ。 私も手を合わせてきた。
 
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④皀角坂・・・・・・・・・・水道橋駅前から神田川の南側をお茶の水に向かい上る坂。 お茶の水坂の向かい側に位置するこの坂は、「皀角坂」と書き、「さいかちざか」と読む。 「サイカチ」は野山にはえる落葉高木で、枝にとげが多く、葉は羽状形で、花も実も豆に似ている木。 江戸時代にはサイカチの木が多くあったそうだ、現在は坂上に3本植えられている。 
 
・・・・・・・・・・・・・・坂の上り口。 水道橋駅前の東洋高等学校の横を上る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・線路脇を上るので、鉄道ファンの私には嬉しい坂だ。、、、、この写真を撮った地点が、皀角坂側の神田上水懸樋跡である。
 
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・・・・・・・・・・・・・坂の中程のビルに、松尾芭蕉の作と言われている「皂角子の実はそのままの落葉哉」の句碑。
 
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・・・・・・・・・・・・・坂の上に標識がある。 「皀角」を“サイカチ”と読める人を尊敬したくなる難しい坂名だ!
 
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・・・・・・・・・・・・さらに、サイカチの木を知っている人は神様みたいな人だ! 知らない人は写真をよく見て、丸い可愛い若葉、手裏剣が刺さったようなトゲトゲ。
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・・・・・・・・・・・・・・坂上にもう一つ標識がある。 歩道に頭を出した、ユーモラスな標識。 裏面には「昭和五十年一月 駿河台西町会 中島萬」と彫られている。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・お茶の水駅前をとおり、秋葉原駅を抜け、浅草橋へ歩く。

2018年4月 9日 (月)

六郷土手~京急蒲田

しばらくご無沙汰している京急本線の雑色(ぞうしき)駅で降りてみようと家を出た。 電車が雑色駅に着く寸前、気が変わって多摩川橋梁が見たくなり、一つ先の六郷土手駅で降りることにした。 六郷土手駅から、第一京浜(国道15号)の東側を歩き、京急蒲田駅まで、8千歩の散歩です。
 
 
 
①六郷土手駅・・・・・・・・・・明治39年(1906)10月1日1906、京浜電気鉄道の六郷堤駅として開業。 その後、時期不明だが現在の六郷土手駅に改称した。 昭和20年には空襲で全焼し、戦後になって駅が再建された。 昭和47年頃の六郷川鉄橋(現:六郷川橋梁)架け替えに伴い駅は高架化された。 ホームは相対式2面2線で、改札は高架下に設置されている。、、、、、駅はその名のごとく六郷川(多摩川)の土手上にある。
 
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・・・・・・・・・・・・・六郷土手駅のホームの先は京急六郷川橋梁に続いている。 写真背景のビルは多摩川の対岸:川崎に建つ建物である。
 
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②京急六郷川橋梁・東海道本線六郷川橋梁・・・・・・・・・多摩川土手に上がると、対岸に川崎を望み、右に東海道本線六郷川橋梁、左に京急六郷川橋梁が架かる。
 
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・・・・・・・・・・・・・東海道本線六郷川橋梁、、、、、明治4年(1871)、日本初の鉄道の橋梁として初代の木造橋が架けられた。 その後、明治10年(1877)に二代目となる鉄製トラス橋、明治45年(1912)には三代目の橋梁に架け替えられた。 現橋梁は四代目で、京浜東北線多摩川橋が昭和42年(1967)、東海道本線六郷川橋梁が昭和46年(1971)に竣工したもので、いずれも全長520m、流水部のみ3連の連続トラス構造で、河川敷を渡る部分はコンクリート製の連続桁構造である。、、、、、河川敷部分が広く、トラス部分は川崎寄りの遥か彼方である。
 
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・・・・・・・・・・・・・京急六郷川橋梁、、、、、、、京急の電車が初めて六郷川を渡ったのは、明治34年(1901)2月1日である。 このときは、単線の仮の木橋であった。 明治39年(1906)には、複線の木橋が架けられた。 明治42年(1909)に六郷川鉄橋の建設に着手し、2年後の4月1日に、6連のトラス橋、上路プレートガーダー、全長515.897mの堂々とした鉄橋が完成した。、、、、昭和47年(1972)3月31日に、現橋である京急六郷川橋梁が完成した。 プレートガーダー桁なしの8連トラス橋、全長550.56mである。、、、、、トラス橋が見事に連なり壮観である。
 
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六郷橋・・・・・・・・・・・京急六郷川橋梁の下流側に、第一京浜(国道15号)が走る六郷橋が架かっている。、、、、旧六郷橋を段階的に拡幅するために、昭和54年(1979)に着工し、平成9年(1997)に全ての工事が完了し、現在の六郷橋となった。 長さ443.7m、幅34.4m。 橋の幅は倍以上となり、車道も片側3車線に増加した。 総工費は約125億円とのこと。
 
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・・・・・・・・・・・・・・六郷橋の北詰(大田区)に旧橋の橋門・親柱が残されている。
 
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④六郷神社・・・・・・・・・・六郷土手駅と雑色駅のほぼ中間に、第一京浜に面し六郷神社がある。(東六郷3)、、、、、天喜5年(1057)源頼義、義家の父子が、この地の大杉の梢高く源氏の 白旗をかかげて軍勢をつのり、石清水八幡に武運長久を祈ったところ、士気大いに奮い、 前九年の役に勝利をおさめたので、凱旋後、その分霊を勧請したのが、六郷神社の創建と言われている。 文治5年(1189)源頼朝もまた奥州征定の時、祖先の吉例にならい、白旗を立てて戦いでの勝利を祈願したので、建久2年(1191)梶原景時に命じて社殿を造営した。、、、、、現本殿は享保4年(1719)建立、拝殿は昭和62年(1987)に総檜権現造で建て替えられた。 また、現存する神門前の石造神橋は、梶原景時が寄進した。、、、、境内の広い、大きな神社である。 本殿奥に付属の幼稚園があり、園児を送ってきたママが境内を自転車で乗り回すのはチョイトいただけないね!
 
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・・・・・・・・・・・・・境内に、明治7年(1874)に架けられた旧六郷橋木橋の親柱が残されている。
 
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⑤七辻・・・・・・・・・・・・大田区南六郷1と南蒲田2が接する位置に、7本の道路が交差する「七辻」と呼ばれる交差点がある。 交差する道路の道幅はさほど広くはないが、それなりに交通量は多いようだ。 しかし信号機はない! ドライバーの譲り合いの精神により信号機は不要なのかも?
 
・・・・・・・・・・・・・パノラマ撮影した交差点 7本の道路判るかな?
 
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・・・・・・・・・・・・・・七辻の上空写真
 
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⑥京急蒲田駅・・・・・・・・・・明治34年(1901)2月1日に、蒲田駅として開業。 大正14年(1925)に京浜蒲田駅に改称。 昭和62年(1987)に京急蒲田駅に改称。 平成13年(2001)に高架化工事に着手し、平成22年(2010)に上り線の高架化完成、平成24年(2012)10月21日には下り線の高架化も完成した。 ちなみに、10月21日は吾輩(雅万歩)の誕生日である。 おめでたい日だ!、、、、、駅は2階・3階に島式ホーム2面6線を有する高架駅。 本線と空港線の分岐点である。 分岐駅だが、この駅で乗り換える時、電車はチョイトややっこしい停車をするので、戸惑うね! 『どう、ややっこしいか?』説明するのもややっこしいので、気になる人は自分で体験してみてね。
 
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2018年4月 6日 (金)

浅草橋~梅島

今日は、散歩をはじめた原点に立ち戻り、“健康のため”速足で、チョイト遠くまで歩いてきた。 浅草橋の我が家から、国際通り、日光街道、墨堤通りを通り、東武伊勢崎線の梅島駅まで、1万7千歩の散歩です。
 
 
 
● a.m.7:36・・・・・・・・・いつものように浅草橋駅から出発。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・・浅草橋は、お江戸日本橋と浅草観音様のちょうど中間に位置し、秋葉原の隣りでもあり、成田・羽田の空港には乗り換えなしの電車で一本、スカイツリーも地下鉄で4駅目、東京・上野駅までは15分新幹線に乗るのも便利、外人さんが好きな“下町”のド真ん中、など、地の利に恵まれている。 浅草橋駅周辺は只今ホテル建設が盛んで、駅の裏道を入る我が家の近くでも建設中。、、、、帽子好きのおばさんが経営する〇パホテル、店名に地名を並べたがる〇横イン、道順が判りにくいルー〇イン、など、ビジネスホテルがめじろ押し。、、、、ちなみに浅草橋駅から東武浅草駅まで、この間ビジネスホテル・旅館は30軒以上ある。 数えてみたが途中でやめた!
 
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● a.m.7:46・・・・・・・・・蔵前一丁目交差点を通過。、、、、交差点の南西角に「天文台跡」の案内板がある。 この付近に、江戸時代後期、幕府の天文・暦術・測量・地誌編纂・洋書翻訳などを行う施設として、天文台がおかれていたそうだ。 現在はスモーカの喫煙所である。
 
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● a.m.7:48・・・・・・・・・蔵前一丁目交差点の北側100m程の処で、国道6号(水戸街道、江戸通り)から都道462号(国際通り)が分岐する。 写真:右に向かう国道6号、左に進む都道462号。
 
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● a.m.8:08・・・・・・・・・国際通りと雷門通りがT字型に交差する、雷門一丁目交差点を通過。 正面に見えるスカイツリーも、今日は私の頭の中と同じで、薄ぼんやりしている。
 
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● a.m.8:16・・・・・・・・・国際通りの名となった「国際劇場」の跡地に建った「浅草ビューホテル 」。 国際劇場は昭和57年(1982)に閉鎖された。 既に30数年が過ぎ、劇場を知るのは高齢者となった。 ビューホテルも建てられてから今年で33年、既に浅草のシンボル的建物として定着している。、、、、SKDのラインダンス、もう一度、生で見たいね!
 
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・・・・・・・・・・・・浅草ビューホテル前の植え込みには、サツキだかツツジだか判らんけれど咲いていた。
 
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● a.m.8:33・・・・・・・・・11月「酉の市」で賑わう鷲神社 (おおとりじんじゃ)前を頭を下げて通り過ぎる。
 
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・・・・・・・・・・・・・鷲神社前の国際通りのサクラは、只今満開。 薄緑の葉も光を透し、いいね!
 
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● a.m.8:44・・・・・・・・・東京メトロ三ノ輪駅の頭上で、国際通りは昭和通りにぶつかる。 ここで国際通りは終わる。、、、、、これより、昭和通り(国道6号、日光街道)を歩く。
 
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● a.m.8:55・・・・・・・・・三ノ輪駅北側の浄閑寺(じょうかんじ)に立ち寄る。 吉原遊廓で亡くなった遊女がここ浄閑寺に投げ込まれた。 その遊女を弔う新吉原総霊塔がある。 チョイト、懇ろに手を合わせて行く。、、、、、「生まれては苦界 死しては浄閑寺」の花又花酔の句。
 
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・・・・・・・・・・・・・寺では法事が行われているようだ、我、静かに立ち去る。
 
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● a.m.9:10・・・・・・・・・荒川区内で広い氏子域をもつ素盞雄神社 (すさのおじんじゃ)の前を素通りするかと思ったが、花の彩に誘われてチョイト参拝して来た。
 
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● a.m.9:17・・・・・・・・・千住大橋を渡り足立区に入る。、、、、、昭和2年(1927)に竣工した、隅田川に架かる復興橋のひとつ。 現在は東側(下流側)に新橋が並行して架けられ、上下線が分離している。
 
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● a.m.9:25・・・・・・・・・京成本線千住大橋駅 を通過。
 
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● a.m.9:25・・・・・・・・・千住宮元町交差点にて、日光街道から墨堤通り(都道461号)に入る。
 
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● a.m.9:53・・・・・・・・・千住桜木交差点にて、墨堤通りは尾竹橋通りにぶつかり、ハイ・ココまでヨ~~。
 
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● a.m.9:57~10:04・・・・・・・・・西新井橋 で荒川を越える。、、、、ビニール袋が風に舞う橋上では、か弱い私も飛ばされるようであった。 
 
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● a.m.10:10・・・・・・・・・西新井橋北詰にて、尾竹橋通りから外れ、裏道を東武伊勢崎線の梅島駅へ向かう。、、、、、本当は、西新井駅まで行きたかったが、ここからまだ45分以上かかると見込まれ断念した。
 
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・・・・・・・・・・・・・・梅島駅に向かい、ひたすら歩く、歩く、歩く。
 
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● a.m.10:33・・・・・・・・・梅島駅 に到着。 1万7千歩の散歩もここで終わり。
 
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2018年4月 4日 (水)

八潮市立資料館

東武伊勢崎線草加駅から、つくばエキスプレス八潮駅に向かい歩いたが、途中でタイムアウトとなり、八潮市立八幡図書館の前からバスで草加駅まで戻った。 1万歩の散歩です。
 
 
 
草加駅 ・・・・・・・・・・・『またまた、来てしまった!』 散歩の行先を定めていないので、今日も下車した駅は草加だった。 駅前の地図を見て、つくばエキスプレスの八潮駅に向かって歩いてみることにした。 チョイト、ルートを頭に叩き込む、『駅前の道を真直ぐ行って綾瀬川を渡る。 川を渡ったら、川沿いを歩き「大曽根」の町に入る。 「大曽根」では、地元の可愛い娘に八潮駅までのルートを聞く。』 ヨシ、出発!
 
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②コンフォール草加・・・・・・・・・・・草加駅前の通りを行くと、左側に綺麗な団地が見えた。 昭和35年(1960)に建設された410戸のテラスハウス型の公団団地が建て替えられ、総戸数507戸(最高9階建て)の新しいUR団地となった。 名は「コンフォール草加」。 平成11年(1999)から平成15年(2003)にかけ建設された。 ちなみに家賃は、1LDK(70㎡)で10万円程、高いか安いかは判りませ~~ん。
 
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③手代新橋・・・・・・・・・・草加駅の西1km程の処に手代新橋(てしろしんばし)がある。 橋は県道を通し、綾瀬川に架かる。 
 
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・・・・・・・・・・・・・橋上から上流側を望む。 草加の名所:草加松原はこの橋から1km程上流にあるので、見えない。
 
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・・・・・・・・・・・・・・下流側には、手代橋が見える。 映画に出てきそうな、味のある“昭和”の橋。
 
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・・・・・・・・・・・・・橋を渡ると、そこから八潮市である。
 
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●・・・・・・・・・・綾瀬川を越え八潮市に入ったので、これより綾瀬川沿いに歩き、「大曽根」の町を目指すのだが、チョイト裏道を歩いてみた。、、、、、これが、タイムアウトとなった一因。
 
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④八潮キリスト教会・・・・・・・・・・裏道を歩いていると、小さなかわいらしい教会:「ウェスレアン・ホーリネス教団 八潮キリスト教会」(八潮市南後谷)である。 チョイト、ドア越しに内部を覗いていると、教会の方に声をかけられ、内部を拝見することができた。 また、牧師さんも居られて話を伺うことができた。(有難うございました)、、、、、建物は20年程前に建てられたもので、内部は予想以上に広く明るい建物である。
 
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⑤八潮市立資料館・・・・・・・・・・再び裏道を歩くと、「八潮市立資料館 →」の案内が目に入る。 『建設工事中に出土した土器の破片を展示する薄暗い資料館だろう。』と、勝手に想像し、『観に行くべきか 止めとくべきか それが問題だ!』  『どうせ駅の方角だからチョイト寄ってみるか。』と、案内に沿って裏道を行く。
 
・・・・・・・・・・・・・建物は、ナント、鉄筋コンクリート造2階建てのまともな資料館だった。 チョイと小馬鹿にして八潮市に失礼したようだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・入館料無料で、八潮市の歴史的背景である「水と生活」をテーマとした展示が行われていた。 来館者は私一人、『御自由に見学してください。』 解りやすく、整理された状態で展示されており、私も納得。、、、、、立ち寄って良かった!
 
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・・・・・・・・・・・・・旧藤波家住宅・・・・・・・資料館敷地内に、明治9年(1876)に建てられた埼玉郡八條領後谷村の開発名主:藤波家の住宅が移築保存されている。、、、こちらも、見学させてもらった。 (最初の全景写真は資料館作成のパンフレットによる)
 
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●・・・・・・・・・・資料館も見ごたえがあった。 時間を大幅に使用し、このままだと昼までに我が家に帰れないかも?、、、、、とりあえず、八潮駅に向かい歩く。
 
 
⑥観音寺・・・・・・・・・・人に尋ね駅への道を急ぐ。 オヤ、寺の屋根らしきものが目に入る。 チョックラ、寄って行くか。、、、、真言宗豊山派寺院の観音寺。 観音寺は、天文3年(1534)に開創、元和7年(1621)に開山した。 現本堂は文政11年(1827)の建築。 昭和43年(1968)に本堂を大改修した。 朱塗りの回廊が目立つね!
 
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●・・・・・・・・・・予想外に時間をとられ、駅まではまだ時間がかかりそうだが、速足で歩く、歩く、歩く。 少し行くと、市の八幡図書館があり、その前のバス停にバスが来た。 男の勇気と決断で、どこ行きか判らず、飛び乗った。 結果は、「草加駅行」のバスで来た道を引き返すようなルートで駅まで運ばれ、我が家(浅草橋)には、12時前に到着した。、、、、、八潮駅までは歩けなかったが、中身の濃い散歩であった。

2018年4月 3日 (火)

浅草橋~大塚

我が家(浅草橋)から、湯島、本郷、春日、小石川と、ひたすら歩いて大塚駅まで、1万4千歩の散歩です。
 
 
 
● a.m.7:22・・・・・・・・・・・我が家のある浅草橋駅をあとにする。、、、、この時間に勤務先へ向かう人がもういる。 早出かな?
 
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● a.m.7:29・・・・・・・・・・・我が母校:旧台東区立柳北小学校の前を通過。 現在は蔵前小学校の仮校舎として使用中。
 
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・・・・・・・・・・・・・旧柳北小学校の隣り、都立忍岡高等学校の裏門脇に「蓬莱園跡」の碑がある。、、、、、ここ、旧柳北小学校、忍岡高校のある一帯は、かつて平戸藩松浦氏の屋敷跡で、蓬莱園と称する庭園があった。 約2,600坪の庭園は“今は無く”、高校校庭に一本の大イチョウを残すだけである。
 
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● a.m.7:32・・・・・・・・・・・浅草橋で唯一の大使館。 それは、コンゴ民主共和国大使館。、、、、、時々、近くのスーパーで大使館員が買い物しています。 浅草橋も国際的な町に変貌している。
 
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● a.m.7:36~7:53・・・・・・・・・・・「鳥越一丁目」交差点より、蔵前橋通りを歩き、昭和通り、JR京浜東北線・山手線、中央通りと交差し西に向かう。
 
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● a.m.7:55・・・・・・・・・・・蔵前橋通りは、妻恋坂交差点から清水坂下交差点まで、新妻恋坂を上ることになる。 この坂は昭和4年(1929)に震災復興道路として通じた蔵前橋通りの坂で、昔からある北側に並行する妻恋坂にちなみ命名された。、、、、ここから、ダラダラ上るのは辛いので、私は並行する妻恋坂を上る。
 
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● a.m.8:01・・・・・・・・・・・妻恋坂にある、妻恋神社に手を合わせて行く。
 
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● a.m.8:02・・・・・・・・・・・妻恋坂を上ると、清水坂にT字にぶつかる。 清水坂の下が新妻恋坂である。、、、、チョイト、ややっこしいね! どうでもいいか!
 
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● a.m.8:07・・・・・・・・・・・蔵前橋通りが本郷通りに合流する「サッカーミュージアム入口」交差点。、、、、ここより本郷通りを歩く。 (写真は右端から手前に本郷通り、中央左寄りから上ってた蔵前橋通り)
 
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● a.m.8:16・・・・・・・・・・・本郷三丁目交差点を通過。 ここから春日通りを歩く。
 
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● a.m.8:23・・・・・・・・・・・春日通りからチョイト脇にそれ、明治19年(1886)に創立した弓町本郷教会に立ち寄って行く。 現教会は昭和元年(1926)に竣工した。
 
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● a.m.8:28・・・・・・・・・・・寄り道ついでに、丸ノ内線が本郷三丁目駅から後楽園駅に向かう時、地上に顔を出す処をトンネルの上からチョイト撮影。 (写真奥が後楽園駅)
 
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● a.m.8:33・・・・・・・・・・・真砂坂を下る。、、、、、この坂の名は「東富坂」で、「真砂坂(まさござか)」は別名らしい。 明治41年(1908)に命名するとき、坂下の春日町交差点を挟み、東に上る坂を「東富坂」、西に上る坂を「富坂」としたそうだ。、、、、、私には、坂上にあった停留場「真砂町」を通る都電で通学していた時期もあった。 学生時代の思い出もあり、真砂坂の方がシックリくるね。
 
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● a.m.8:34・・・・・・・・・・・春日町交差点を通過。
 
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● a.m.8:38・・・・・・・・・・・私は、まだ若い老人なので、「アテント」、「ライフリー」などは利用していない。 しかし散歩していると、緊急のお呼びがかかる。 ここいらで、スッキリと身繕いをしようと、文京区役所に寄ってきた。、、、、出た! スッキリ、サッパリ、気分爽快!
 
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● a.m.8:52・・・・・・・・・・・文京区役所からは、北西方向に都道436号(小石川西巣鴨線)をひたすら歩けば大塚駅である。、、、、、眼病治癒の「こんにゃく閻魔」として知られる源覚寺(小石川2)では、チョックラ手を合わせて行こう! コンニャクは持参していないので、お賽銭をチョッピリ。
 
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● a.m.9:01・・・・・・・・・・・小石川の岡埜栄泉(おかのえいせん)前を通過。、、、、、東京に岡埜栄泉は30数店あるそうだ。 どこも、名物は豆大福で、老舗と言われているが、何処が本店やら、本家やら、元祖は何処だ! 長い年月の暖簾分けで、サッパリ判らん!
 
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● a.m.9:15・・・・・・・・・・・共同印刷本社前を通過。、、、、昭和10年(1935)に建設された建物も劣化し、そろそろ建て替えの話が出ているようだ。
 
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● a.m.9:18・・・・・・・・・・・小石川消防署前を通過。、、、、、門柱の上にのっている望楼は、旧大塚消防署(小石川消防署の前身で、昭和初期の名建築であった)の望楼をデザインしている。
 
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● a.m.9:42・・・・・・・・・・・文京区から豊島区に移り、大塚駅も近づいてきた。
 
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● a.m.10:00・・・・・・・・・・・大塚駅前の天祖神社に寄ってみることにした。、、、、南口の商店街に紛れている天祖神社は大塚の氏神様。 氏子のエリアは意外に広く、南大塚、北大塚、巣鴨、西巣鴨、上池袋1丁目、東池袋2~5丁目がその範囲。、、、、、参拝客は絶えず、商売繁盛か?
 
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● a.m.10:19・・・・・・・・・・・大塚駅に到着。 ここまで14,000歩、靴もそろそろ買い替えなければならなくなってきた。
 
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2018年4月 2日 (月)

一之江~新小岩

やっと、難病の風邪に打ち勝ち社会復帰し、朝から久しぶりに散歩。 今日は、足慣らしを兼ね、都営新宿線一之江駅から総武線新小岩駅まで、1万4千歩も散歩です。
 
 
 
一之江駅 ・・・・・・・・・・江戸川区の中央部に、昭和61年(1986)9月14日に開業した地下駅。、、、、駅名の“一之江”とは、“一番目の川”という意味らしい。 隣には「二之江」という町がある。 ところで、この“川”は何川だ? どうやら、江戸川・中川など大きな川を指しているのではなく、農業用水路を指しているようだ。 村人が開削した用水路で、一番最初の川を“一之江”と呼んだみたいだ。 用水路だから、今になって「どれが一番目?」と問われても特定できないようだ。
 
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②中空のマンション・・・・・・・・・・一之江駅前にあるマンション、オヤ? 駅側の駐車場から見ると、1階から3階までの一部がポッカリ中空になっている。 その上の4階から7階までは、住宅がある。 あの穴は何だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・気になったので、穴を見に行った。 確かに、中空となっており、下は自転車置き場となっていた。 『なぜ、3階まで中空となっているのか?』、掃除をしていたマンション管理の人に聞くと、『私にはワカリマセン、古い住人の方に聞いてください。』 そこで、ちょうど居合わせた古い住人に聞いてみた。 『ア、この穴は、南側に建つ住宅の方が風通しを良くしたいと言われ、あけたそうですよ!』、、、、、マンション建設に対する住民のエゴか? 権利か? それとも法令に従って、何か別の根拠があるのか? 真実が知りたくなった。 もったいない空間だ。、、、、、なおマンションは鉄筋コンクリート造・7階建て、全36戸、平成8年(1996)完成。 
 
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③昭和の雑居木造建築?・・・・・・・・・・環七通りを横断し、一之江4丁目の裏道を歩くと木造のアパートのような建物に、呑み屋の看板がイッパイ? 凄い、ナント、居酒屋「むつ美」、居酒屋「美月」、居酒屋「みっちゃん」、スナック「順子」と4店の看板が出ている。、、、、私が散歩した時刻は午前9時。 すべて店は閉まり確認できないが、“雑居ビル”ならぬ“雑居木造建築”である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・さらにビックリ、確認するため横の路地に行くと、そこに、この建物の2階にもう一軒:居酒屋「ひょうたん島」があるようだ。 奥に階段もある!
 
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④妙音寺・薬王寺・・・・・・・・・・・一之江5丁目の妙音寺は真言宗豊山派の寺院で医王山不動院と号す。 建久元年(1190)の開山で、江戸川区でも有数の古刹である。、、、、、この寺には“片目の鮒”の伝説が残されている。 その説明、『むかし、ひとりの目の不自由な娘がいました。その娘は、目を治そうと、妙音寺の薬師如来に21日の願をかけ、食を断ってお祈りしました。 すると満願の日に、目が見えるようになりました。 娘はお礼にと薬師の池にたくさんの鮒を放ったところ、鮒は全て片目になったといわれています。』、、、、、、小さいが、静かな落ち着いた雰囲気の寺。
 
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・・・・・・・・・・・・・この辺りは、昔から農業を営む家も多く立派な住宅も多い。
 
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・・・・・・・・・・・・・・妙音寺から北へ約350m行くと、妙音寺の隠居寺であった真言宗豊山派の補弥落山薬王寺がある。 薬王寺は、文治2年(1186)祐宣法印が開山・創建した。
 
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⑤抹香屋のタブ・・・・・・・・・薬王寺の北側、京葉道路と環七通りの交差点に「一之江抹香亭」と命名した地域の活動拠点がある。 ここは、旧東一之江村の旧家:抹香屋田澤家の跡地で、仏事で焼香にに使用する抹香(まっこう)づくりを生業としていた田澤家があった。田澤家では、抹香の原料としてタブノキの葉や皮を使用していた。、、、、、そのタブノキの大木が一本残されている。、、、、、満開のサクラもついでにパチリ。
 
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⑥同潤会普通住宅・・・・・・・・・・・・・・同潤会は、関東大震災後、東京を中心に復興支援のため設立された団体である。 当時としては先進的な設計や装備で、鉄筋コンクリート造の同潤会アパートが都内各地で建設された。 一方、鉄筋コンクリート造のアパートは建設コストもかかるため、昭和に入ると木造の住宅を造ることになった。、、、、ここ、松江2-31に残る木造住宅は同潤会の普通住宅である。 建物は朽ち、現:同潤会通りの沿い多くが建てられたが、現存する建物は極一部だけ。
 
・・・・・・・・・・・・・松江2丁目から北上し菅原橋交差点に至る同潤会通り。 京葉道路、中央二丁目交差点近くのバス停は、その名もズバリ、「同潤会」。
 
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・・・・・・・・・・・・そして、現存する普通住宅が京葉道路から入った裏道にある。 まぎれもなく、70年の風雨に耐えてきた木造の「同潤会アパートメント」。 空き家となったようだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・近くの京葉道路に面し、「同潤会病院」もある。
 
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⑦菅原橋交差点・・・・・・・・・・・・江戸川区中央3丁目・4丁目、本一色1丁目・2丁目、松本3丁目の各町が接し、千葉街道が抜ける菅原橋交差点は、多差路の日本一(?)。 人によると10差路と云う人も、11差路と云う人もいる。 私の数えでは11差路が正解と思う。、、、、、各自で地図を見て、現地に行って、なん差路だか数えてチョウダイ。
 
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⑧新小岩駅・・・・・・・・・只今、新小岩駅は自由通路の工事中。 まだ完成しないね!
 
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2018年3月27日 (火)

草加~見沼代親水公園

東武伊勢崎線草加駅から、日暮里・舎人ライナーの見沼代親水公園駅まで、1万2千歩の散歩。 このルートは、度々歩き、昨年の秋には、見沼代から草加まで逆に歩いている。(こちらも見てね!)
・・・・・・・・・・・今日は家を出る時、妻から『何処へ行くの?』 私、『未定、何処へ行こうかな?』 妻、『電車に乗ってから考えたら。』 私、『じゃ~そうする』、、、、で、敬老パス(年間20,510円で都内を走る主要バス、都営交通の電車が乗り放題のパス)で乗れる都営浅草線に乗った。 何となく、浅草線の終点:押上で降り、何となく伊勢崎線に乗り換えた。 乗った電車「準急」、停車駅は曳舟・北千住・西新井・草加・新越谷、、、、何処で降りるか、迷っている間に「草加」だ。 この先「新越谷」まで行ったら昼までに帰れない。 あわてて草加で飛び降りた。 帰りも、敬老パスが利用できる、日暮里・舎人ライナーの駅を目指すことにした。、、、、敬老パス(都の正式名称は「東京都シルバーパス」)は、年寄りにやさしい都政で、石原慎太郎知事の時代(平成12年)に実現した。 ありがたいですね!
 
 
 
①草加駅・・・・・・・東京都足立区に接する、埼玉県草加市の中心駅。 西口も東口も賑わい、飲み屋、風俗店も多い。 煎餅屋さんは、旧街道のある東口の方が多そうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・70000系電車が向かいのホームに停まっていた。、、、、、日比谷線乗り入れを考慮し、東京メトロとほぼ同一仕様で製造された70000系電車。(東京メトロでは13000系電車) 昨年(2029)7月7日から運用され、東京メトロと共にこの20m級車両が普及した時点で、ホームドアも設置されるそうだ。 赤を基調にしたデザインはおしゃれなものだ!(昨年秋にグッドデザイン賞を受賞)
 
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②草加神社・・・・・・・・・・素盞鳴命・櫛稲田姫命の二柱を祭神とする草加神社に手を合わせ道中(散歩)の安全を祈願する。 神社の本殿は天保(1830-1843)頃の造営と伝えている、拝殿は平成16年(2004)に整備された新しい建物である。、、、、生まれるときの「安産祈願」の幟は立っているが、死ぬときの「安楽死祈願」の幟も立てて欲しいね。
 
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③柳島調節池・・・・・・・・・・・草加駅から西へ向かい、草加バイパスを横切って川口市との境に柳島調節池がある。、、、、、草加市、川口市を流れる辰井川は、昭和55年(1980)から洪水対策の一環として、調節池、排水機場の整備が進められていた。 ここ柳島調節池もその一つで、調節池面積:3.82ha、貯水容量:69,000m3、排水機場:計画総排水量:30m3/分の溜池・緑地。 お年寄りが釣り、ゲートボールを楽しんでいた。 グランド、テニスコートもある。
 
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④柳島町の石仏・・・・・・・・・・草加市柳島町の「スカイハイツ」前に、県道を挟み石仏がある。、、、、一つは、小さな地蔵さんで、交通事故で無くなった子供でも弔ったものか?、、、、、もう一つは、覆屋の中に明暦2年(1656)庚申さま(左)と、寛文4年(1664)の供養塔(右)が祀られている。  きっと、この辺りが田圃であった頃、あぜ道の脇にでも祀られていた石仏だったと思う。
 
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⑤鯉のぼり・・・・・・・・・・・・最近、みる機会が少なくなった鯉のぼり。 都心のマンションでは無理だね、庭付きの一軒家でないと!、、、、、季節を感じ、いいね。
 
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⑥西願寺・・・・・・・・・・・・草加市遊馬町の浄土宗寺院:西願寺は、願故和尚(寛永元年(1624)寂)が開山となり、元和元年(1615)に創建した。 歴史は古くても、本堂は新しい。 境内に古そうな六地蔵が祀られていたが、聞く人もおらず、素性は不明。
 
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⑦庚申塔・・・・・・・・・・遊馬町(東)交差点の一角に2基の素晴らしい庚申塔がある。 右の庚申塔は文化10年(1813)と彫られている。 2基共に、六臂・邪気・二鶏・三猿がはっきり彫られている見事な庚申塔だ。
 
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⑧新里氷川神社・・・・・・・・・・・遊馬町の南隣新里町にある小さな氷川神社。 神社の創建年代は不詳。 江戸時代には新里村の鎮守社であったらしい。、、、、、境内の覆家の中に祀られている「牛頭天王」と「疱瘡神」は、寛政2年(1790)に建立された。
 
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⑨見沼代親水公園駅・・・・・・・・・・草加市から都県境の毛長川を渡れば、スグ前に見沼代親水公園駅が見える。、、、、、ここから、日暮里までは運賃330円だが、乗車券を買わずに敬老パスで乗車、なんだか無料で乗っている感じだ。 また、日暮里から我が家(浅草橋)まで、バスで帰ればコレマタ無料。 ウッ・ヒッ・ヒ。
 
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2018年3月25日 (日)

三郷放水路

彼岸の墓参りも済ませ、久しぶりに散歩に挑戦! つくばエキスプレス三郷中央駅で下車し、三郷放水路を中川側(西)から江戸川側(東)に向かい歩いてきた。 1万4千歩。
 
 
・・・・・・・・・・・・・・三郷放水路とは、中川の洪水から流域住民を守るため、埼玉県三郷市を流れる中川と江戸川結び、中川の水を江戸川に流す放水路。 両川の距離が短くなった、三郷市の中程で西の中川と東の江戸川を全長約1.5kmで結んでいる。 昭和48年(1973)に竣工した。、、、、、放水路の中程で北から南に流れる大場川を分断している。
 
Photo
 
 
①三郷中央駅・・・・・・・・・・・・南北に長い三郷市の“中央”に建設された駅。 JR武蔵野線の「三郷駅」、「新三郷駅」とは離れており、乗換にはタクシーを利用する。(?) 平成17年(2005)8月24日に、つくばエキスプレスの駅として、相対式2面2線で開業した。、、、、、駅周辺にはマンションが建ち、若い人が多そうな町である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・駅前の公園には、駅開業の年に福島県三春町から寄贈してもらった「三春滝桜」の子孫樹が植えられている。、、、、、満開なのに、花見する人がいない、もったいない!
 
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②中川橋梁・・・・・・・・・・・中川に架かる、全長752mの「つくばエキスプレス 中川橋梁」は、PC桁とトラス桁が混在する橋梁である。 平成11年(1999)竣工。 施工は三井建設+勝村建設+新井組。
 
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・・・・・・・・・・・・・橋の際にあったバス停、見て、オヤ? も一度見て、ナンジャ? じっくり見て、ドウナッテンダ!、、、、、平日は、『三郷中央行のバスはありません』、なら土曜・休日は、『12時35分』の1本だけ! 要するに、一週間に2本だけの運行。 こんなバス、誰が利用しているのか??? 疑問は深まる?
 
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③三郷水門・・・・・・・・・中川から三郷放水路が分岐する位置にある、鉄筋コンクリート造、鋼製ローラーゲート(2門)の水門。 昭和49年(1974)10月完成。、、、、、大雨が降った時、洪水対策として中川の水を放水路で江戸川に流す。 江戸川の水が少なくなると、渇水対策として同様に江戸川に流す。 中川の水が汚れた時は、水質浄化として江戸川の水を中川に流す。 つまり、放水路の水は一方に流れるのではなく、両川に流れるそうだ。、、、、、中川寄りに県道67号が走る境木橋が架かり、すぐ隣に三郷水門がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・水門から放水路を眺めると、土手にはサクラが植えられ、先には外環道が横切る。
 
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④外環道・・・・・・・・・・・放水路上にはチューブのような遮音壁に囲まれた道路が伸びて行く。 大泉・浦和・川口・三郷・松戸と走り、目指すは東京デズニ-ランドとか。
 
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⑤第二大場川・・・・・・・・・三郷放水路のほぼ中間地点で、北から第二大場川が流れ下り、放水路に80度ぐらいの角度でぶつかる。 
 
・・・・・・・・・・・・・北から流れてきた第二大場川。
 
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・・・・・・・・・・・・・・第二大場川は放水路の数メートル手前で曲がり、放水路と並行して大場川に合流する。 写真:中央右側の柵の外に三郷放水路、左の柵の外側に第二大場川が流れ、その間に桜並木が三郷排水機場まで続く。
 
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・・・・・・・・・・・・日本人は川の土手に桜を植えるが好きだ! 三郷放水路でも両岸に桜並木が続く。、、、、、咲いているのに、観る人は少なく。 気分良く咲く桜も、チョイト寂しそう。
 
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⑥長昌寺・・・・・・・・・・放水路の北側に曹洞宗寺院:長昌寺がある。 寺の創建年代は不詳であるが、享保年間(1730前後)以前に開山したらしい。 小さな本堂のかわいらしい寺。
 
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⑦大場川水門・・・・・・・・・・大場川は、埼玉県吉川市付近の干拓にともない、排水のため開削された。 吉川市から三郷市を南へ流れ、都立水元公園へ向かう川である。 その川を放水路が分断するように直交している。 大場川水門はその交点に造られているが、通常は水門は閉じられており、川の水は放水路の下に敷設された導水管によって放水路を横断しているのである。(これを伏越(ふせごし)と云う) 水門が開き、大場川の水が放水路に合流するのは非常時だけである。
 
・・・・・・・・・・・・・・北から流れ下る大場川
 
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・・・・・・・・・・・・・・平時は、大場川水門が閉じられ、放水路とは合流しない。
 
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・・・・・・・・・・・・・・水門の裏側(大場川側)を見ると、写真:ゲートの手前に取水部がある。 水はここから導水管により放水路を横切っていく。、、、、、この工事は昭和50年(1975)に佐藤工業の施工で完成した。
 
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・・・・・・・・・・・・・水門の対岸、排水口(写真では桜の木の陰で見えない)から出た水は、再び大場川となって南へ流れていく。
 
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⑧三郷排水機場・・・・・・・・・・国交省が管理する排水機場。 5台のポンプで最大排水量200立方メートル/秒の能力を有し、平成7年(1995)度完成。 三郷排水機場は、中川と江戸川を結ぶ三郷放水路の江戸川側に位置し、中川上流における湛水対策、下流での洪水対策、大場川流域の内水被害対策などを目的として建設された。
 
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・・・・・・・・・・・・・江戸川に面した排水口
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・これにて、三郷放水路を踏破。 三郷中央駅に戻り帰宅。

2018年3月17日 (土)

しばられ地蔵

数日前、稲毛の地蔵院へ行き帰宅後、寺の由緒をネットで調べていたら、似た名前の南蔵院が出てきた。 そこに「しばられ地蔵」が紹介されていたのを見て、今日の散歩は南蔵院へ行くことにした。、、、、、金町駅からチョイト遠回りだが、葛西神社、半田稲荷に寄って南蔵院へ参り、金町駅まで戻る、1万2千歩の散歩です。 
 
 
 
JR金町駅 ・・・・・・・・・明治30年(1897)12月27日、日本鉄道の駅として開業し、明治39年(1906)には国鉄の駅となる。 改札が高架下(盛土)にあり、改札を抜けると駅の南北を結ぶ自由通路を通り駅前ロータリー出る。 今日は北口から散歩を始める。
 
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・・・・・・・・・・・・・朝の駅前商店街、食事処の中華そば屋、定食屋などは開いている。、、、、、ここ金町では、朝から外食する人が多いのかな?
 
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②葛西神社・・・・・・・・・・駅から常盤線に沿いに歩き、江戸川に出る手前(葛飾区東金町6)に葛西神社がある。、、、、、葛西神社は、平安末期の元暦2年(1185)に葛西清重が、上葛西、下葛西)33郷の総鎮守として、香取神宮の分霊を勧請したと言われている。 江戸時代には徳川家康から御朱印10石を賜り、11月を例大祭とするようになった。
 
・・・・・・・・・・・・・嘉永7年(1854)に建立された正面鳥居 これより、明神の森となる。
 
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・・・・・・・・・・・・・正面鳥居の奥に、もう一つ、高さ約9mの大鳥居がある。 昭和4年(1929)に崇敬者夫妻の金婚式記念に奉納されたそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・経津主神、日本武尊、徳川家康の三柱を祀る本殿。 鉄筋コンクリート造、権現八棟造りで昭和39年(1964)に改築された
 
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・・・・・・・・・・・・・鍾馗石像、、、、、鍾馗(しょうき)は、唐の玄宗皇帝が病中に鍾馗が鬼を退治した夢を見て、魔よけとして始まった。 わが国でも、まもなく五月の節句に幟に描かれたりして登場する。、、、、、境内のこの石像は、念仏講の人々が悪魔降伏を祈り元禄8年(1695)に建てた。
 
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・・・・・・・・・・・・・葛西神社は境内社も多く、厳島神社、富士神社、北野神社、諏訪神社、天祖神社、綱神社、道祖神社、椿神社、三峰神社、弁天社、稲荷神社、水神社、疱瘡神社、子録神社など、『なんでも揃って、祀っています』と大安売り! 
 
 
③光増寺・・・・・・・・・・・葛西神社の北200m程(東金町6)に、浄土宗の摂取山蓮池院光増寺がある。、、、、、光増寺は、貞応元年(1222)に草庵として始まり、元仁元年(1224)、親鸞聖人が立ち寄り浄土真宗光増寺となった。 戦国時代、合戦により堂宇を消失、天正15年(1587)、江戸増上寺の僧が浄土宗として中興した。 当地は旧水戸街道沿いにあたり、水戸徳川家の立ち寄り所となり、葵の紋所が使用されている。、、、、現本堂は明治43年(1910)の再建を経て、昭和49年(1974)に現在の堂舎に改築された。 
 
・・・・・・・・・・・・道路正面に見えた山門。 狭き門、高き松、小さき本堂、草庵の雰囲気残り、いいね!
 
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・・・・・・・・・・・・・草庵の雰囲気が残る本堂。
 
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・・・・・・・・・・・・・境内には、江戸時代からの多くの石仏、碑、墓などが祀られている。 檀家から寄贈されたものもあるようだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・江戸時代葛飾の生んだ俳人:鈴木松什(しょうじゅう)の墓の後ろで、静かに咲き誇るアカバナミツマタ。 松什は寛政10年(1795)柴又村に生まれ、通称を安五郎、俳名を無有庵といった。 嘉永6年(1853)4月18日病没、年56歳。法名を無有庵俊誉松什禅士という。、、、、、念のため、松什とミツマタは“無関係”。
 
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④半田稲荷神社・・・・・・・・・・・光増寺の北200m程(東金町4)に半田稲荷神社がある。 ここは、和銅4年(711)に創建され、倉稲魂神・佐田彦神・大宮女神の三柱を祭神とする古社である。 江戸期には麻疹と安産の神様として知られ、歌舞伎や狂言にも描かれているそうだ。(私は歌舞伎には疎く、知らなかった!)
 
・・・・・・・・・・・・・江戸時代から「葛西金町半田の稲荷」と称され、疱瘡・麻疹・安産に霊験あり、江戸市民の信仰を集めた。 歌舞伎役者、花柳界、魚河岸による講もあったようだ。 最近造られた玉垣も魚河岸の尽力があったようだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・社殿は延享4年(1747)の火災で焼失し、寛延2年(1749)に再建されたが、尾州徳川家の立願により弘化2年(1845)に造替た。 その後、一部修復したが現在の社殿である。、、、、、徳川によって建てられた神社としては簡素な建物であるが、拝所の天井には鳳凰が描かれチョイトこだわりが見えるかも?
 
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・・・・・・・・・・・・・・「願掛け狐」に願い事を書いて納めると効果ありそうだ!、、、、私は、『ジャンボ、一等当選』だけ、ささやかな願いです。
 
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・・・・・・・・・・・・・・境内の一隅に神泉遺構がある。 この遺構はかつての湧泉井戸で、旧来の形状がよく保存されている。、、、、、享保年間(1716~37)の頃、半田稲荷神社は庖瘡・麻疹・安産に霊験ありといわれ、願人坊主(がんにんぼうず/僧形の芸人)が「葛西金町半田の稲荷、庖瘡も軽い、麻疹も軽い」と全国を謡い踊り歩いたため、参詣人が絶えず、舞踊や長唄でも演じられたという。 井戸の周囲を囲う玉垣には市川團十郎や尾上菊五郎など歌舞伎役者ら寄進者の名が刻まれ、往時の繁栄を偲ばせている。
 
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⑤南蔵院・・・・・・・・・・半田稲荷神社から北西に800m程の葛飾区東水元2に、天台宗寺院の業平山東泉寺南蔵院がある。 南蔵院は、貞和4年(1348)以前に、在原業平が居住していたといわれる現在の墨田区業平橋付近に創建したと伝えられている。 元禄11年(1698)中之郷八軒町(現:墨田区吾妻橋3)へ移転、しばられ地蔵で有名になった。、、、、関東大震災で被災し、昭和4年(1929)、廃寺となっていた聖徳寺の地(現在地)へ移転した。
 
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・・・・・・・・・・・・・まずは『しばられ地蔵』の話とは、、、、、享保7年間(1716~36)夏の昼下がり、日本橋の呉服間屋の手代が荷車に反物を山と積んで、業平橋近くの南蔵院の門前で車を止め一休みした。 目がさめると、門前に置いた反物は車ごとない。 あわてた手代はさっそく訴え出た。 取調べに当たったのが町奉行:大岡越前で、「反物が盗まれたのを見すごすとは、門前の地蔵も同罪である。 縄打って引っ立てて参れ」と命じた。 地蔵さんは荒縄でぐるぐる巻きにされ、大八車に乗せられて奉行所へ。 物見高いは江戸っ子の常、前代未聞のお地蔵様の引き立てに、ぞろぞろついて行く。 奉行所の門は開いている。 やがて、頃合いを見て越前守は門をしめさせ、「奉行所の白州へ乱入するとは不届至極、その罰として反物一反を納めよ」野次馬たちは驚いたが、なんとか工面して反物を持ってくる。 それを呉服屋に見させた。 その中から盗まれた反物が発見され、大盗賊団が一網打尽となった。 これにて一件落着。
 
・・・・・・・・・・・・・越前守は地蔵に感謝し、お堂を建て縄解き供養を行った。 以来「しばられ地蔵」は盗難除け、足止め、厄除け、さらには縁結びまで願い事を叶えてくれると信じられた。 願い事をするときは縄で縛り、願い叶えば縄を解く、風習となった。
 
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・・・・・・・・・・・・・墨田区から葛飾区に移った「しばられ地蔵」。 今日も縄でグルグル巻きの地蔵さんに、手を合わせる人がいた。、、、、健康を願っているのかな?
 
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⑥金蓮院・・・・・・・・・・・駅に近い東金町3丁目、真言宗豊山派の法護山金剛寺金蓮院がある。 チョイト、ここもお立ち寄り。、、、、、永正年間(1504~20)の創建。 旧門末30余ヵ寺をもった本寺格の寺院で、天正19年(1591)徳川家から10石の御朱印を拝領した。 水戸徳川家の祈願所でもある。
 
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・・・・・・・・・・・・・本堂左に、宝永7年(1710)に二十六夜待講中の人々が、二世安楽を願って建てた藍染明王の石像がある。 二十六夜待とは、特定の月の26日の夜に人々が寄り合い、飲食などをしながら月の出を待ち、五穀豊穣、商売繁盛などを願うことを。 二十六夜待の本尊は愛染明王であるが、石像を刻むよりも文字を刻む例が多く、愛染明王の石像単独ではあまり例はなく、ここの石像はその中でも古い方に入る。、、、、、愛染明王の姿は、三目六臂(目が三つで腕が六本)であるが、ここの石像は彫が深くハッキリとした姿で残されている。 いいね!
 
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