散歩

2017年5月24日 (水)

平和台~高島平

『東京大佛でも見てくる』と家を出た、地下鉄成増で下車する予定で有楽町線に乗った。 途中、『次は平和台』の車内アナウンスを聞くと、“平和台球場”を思い出し、急遽飛び降りてみた。 あとは成り行き任せで高島平まで、“平”から“平”まで、1万2千歩の散歩です。

 
 
①平和台駅・・・・・・・・・・私が下車するのは、おそらく、生まれて初めてである。 特に変わったものがある、特別面白い、特徴的な駅員がいる、、、、そんな、こんなことは何もない、ごく普通の駅であった。、、、、平和台駅は昭和58年(1983)6月24日に有楽町線の駅として開業し、平成20年(2008)6月14日には新たに開業した副都心線とも共用する島式ホーム1面2線の駅となった。
 
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●・・・・・・・・・・・駅名の由来は、駅東側の町:「平和台」に由来する。 では、地名の由来は、明治時代は北豊島郡下練馬村であった。 昭和7年には東京市に編入し、板橋区練馬仲町となり、昭和22年には板橋区から独立し、練馬区仲町となる。 昭和40年の新住居表示では、あっさりと公募で決めた平和台となる。、、、、歴史を捨て、意味不明の平和台を選んだ町の隣には、陸上自衛隊練馬駐屯地がある。 どうせなら、福岡にあった西鉄ライオンズの本拠地:「平和台球場」を移設すれば良かったかもね。
 
●・・・・・・・・・・・国内にある“平和”な駅は、ここ「平和台駅」と、流鉄流山線に同名の「平和台駅」がある。 他には、JR千歳線「平和駅」、京急本線「平和島駅」、北九州モノレール「平和通駅」、伊予鉄道城北線・城南線「平和通一丁目停留場」がある。、、、、私が“平和”ボケしていなければ、これが全てである。、、、、こんなこと調べていたら、麻雀の役の平和(ピンフ)の語源は? 今夜は眠れるかな?
 
・・・・・・・・・・・・・駅前の平和台4丁目にある馬頭観世音、、、、この馬頭観音は、江戸時代中期に建立されたもので、石には像などは彫られておらず文字だけである。 道標を兼ねており、正面には富士・大山・東高野、右には新井薬師・堀之内(妙法寺)・雑司ヶ谷(鬼子母神)など信仰の道にふさわしい地名が見られる。 また板橋・赤塚・戸田・所沢など近郷の地名と里程も刻まれている。 この塔があった、旧は富士街道丸久保の十字路とは、交通の要所でもあったようだ。
 
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②練馬北町六丁目アパート・・・・・・・・・・平和台駅を出ると、環状八号線の北側に3~5階建ての都営アパートが並んでいる。 私は24号棟まで確認した。 昭和51年(1976)から昭和62年(1987)にかけ建てられた、約500戸の団地。
 
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③大松氷川神社・・・・・・・・・・・平和台の北側、板橋区との境に近い北町8丁目に「大松氷川神社」がある。 大松とは下練馬村の小字名。 創建年代は不詳、祭神は建速須佐之男命。、、、、、一般道となった参道の正面奥に、昭和3年(1928)10月20日に建てられた社殿がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・社殿の脇には、幹の太さ3.1m、高さ23mのクスノキが茂る。

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④カトリック北町教会・・・・・・・・・・・東武東上線下赤塚駅の東側で川越街道を横断し、練馬区北町3丁目に入ると、裏通りに十字架が見えた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・昭和34年(1959)に創立したカトリック北町教会である。、、、、施錠された聖堂前の園庭では、幼稚園児が遊んでいる、若い先生もいる。 ここで先生に声をかけ、聖堂の中を見せてもらうには勇気がいる。 『怪しい親爺が門の前でうろついている、全員緊急避難!』とならないように、今日は我慢して素通りすることにした。
 
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板橋区徳丸の町 ・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・東武東上線のガードを抜けて、板橋区徳丸の町に向かう。、、、、チョイト雲行きが怪しくなってきた。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・徳丸の町はアップ・ダウンの激しい山岳コースのような町である。 肺活量が小さくなった私にはキツイ! 暑さもキツイ! 呼吸はゼイゼイ、汗はダラダラ、ひたすら高島平駅を目指し歩くのみ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・足が疲れたころに、赤塚公園交差点に到着。 首都高上で火災が発生したようだ、一般道は消火活動のため交通規制が行われていた。、、、、私の到着が遅く、黒煙が上がる場面には遭遇できず、決定的瞬間に立ち会うことはできなかった、残念。
 
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⑥高島平団地・・・・・・・・・・・・高島平団地への入居開始は昭和47年(1972)から始まった。 高島平団地の総戸数は約10,000戸、人口は約17,000人、ここも少子高齢化問題が発生している団地である。 高齢者の一人住まいも多く、自殺者も多い団地となったそうだ。、、、、、そろそろ団地の役割を終える時代になったのか? 
 
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⑦高島平駅・・・・・・・・・団地の正面に高島平の駅はある。 昭和43年(1968)12月27日、都営地下鉄6号線開業と同時に志村駅として開業し、昭和44年(1969)8月1日に高島平駅と改称した。 島式ホーム2面4線の高架駅。
 
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2017年5月23日 (火)

京成幕張~幕張本郷

京成幕張駅から幕張本郷駅まで、1時間程ブラついてきた。

 
 
①京成幕張駅・・・・・・・・・大正10年(1921)7月17日に開業した。 現在は1面2線の島式ホームの地上駅で、ホームから千葉方を見ると大きく右にカーブしているので、乗降の際はホームと電車の間が広く注意が必要。、、、、、JR幕張駅の近くにあるが、駅どうしでは接続していない。 どうも乗り換える人は少なそうだ!
 
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②幕張車両センター・・・・・・・・・・JRの車両センターが幕張と幕張本郷間にある。 南側に京成千葉線の上下線が、その北側に総武緩行線の上下線、さらにその北側に総武快速線の上り線と並ぶ、そして車両センターの線路群が並び、最も北側に総武快速線の下り線がある。 つまり、車両センターは総武快速線の上下線に挟まれている。、、、、、車両センターを横断する跨線橋の上にから眺め、一人楽しんでいる親爺は時の過ぎるのを忘れていた。 これから暑くなる季節、熱中症に要注意!
 
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③宝幢寺・・・・・・・・・・・・・京成千葉線の脇に、真言宗豊山派の補陀落山宝幢寺(ほうどうじ)がある。 宝幢寺は、大同元年(806)に創建し、近隣に末寺を擁する本寺格の寺院だったと言われている。 明治5年馬加村(現:幕張町の一部となった旧地名)内にあった末寺5ヶ寺を合併した。、、、、、、現在は広い境内に、本堂、山門、寺務所の建物があるが、本堂前には緑がなく、広々とした駐車場になっている。 いずれ、コインパーキングでもやるのか?
 
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④子守神社・・・・・・・・・・“子守神社”とかいて、“こまもりじんじゃ”と読む、“こもりじんじゃ”とは言わない。、、、、神社は、線路から外れ、宝幢寺の西側の裏道にある。 祭神は、素盞嗚命・稲田姫命・大己貴命で、安産子育ての神さまとして崇敬され、下総国幕張の総鎮守であった。、、、、、千葉家中興の祖:千葉介平常胤の四男、大須賀四郎平胤信が、父よりこの幕張の地を譲り受け、源頼朝の命により富士の御狩場に赴く際に子守神社で祈願し、良い成果が得られた。 その御礼として社殿を造営し、胤信の次男、中須賀神太夫平正胤をその社司神家とし、武運長久、五穀豊穣、郷中家内安全並びに氏子家内安全諸祈願をさせたそうだ。
 
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⑤大須賀山・・・・・・・・・・・幕張町1丁目、旧千葉街道に面して、大須賀山と称するこんもりとした小高い丘がある。 ここには、馬加康胤(まくはりやすたね)の首塚がある。、、、、、、馬加康胤は、千葉康胤(ちばやすたね)とも名のり、室町時代に千葉氏宗家を滅ぼし19代の当主となった武将。 現在の幕張町に居を構え、“馬加”(まくわり)と称した。、、、、、“幕張”は後の代の当て字である。
 
・・・・・・・・・・・・子守神社から浜田川を越えて幕張町1丁目に入る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・旧千葉街道に面して、大須賀山と称するこんもりとした小高い丘がある。、、、、、階段を上ってみよう!
 
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・・・・・・・・・・・・階段を上がると、草茫々の墓地だ! その一番手前に、文政11年(1828)に関脇となった荒馬紋蔵(あらうまもんぞう)の墓がある。、、、、今の関取の名も知らない、私には荒馬なんぞ、知るよしもない。 知識不足でゴメン!
 
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・・・・・・・・・・・・・周囲には誰ぞの墓が並ぶ、、、、、墓石の新しいものもある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・墓を抜け、草が茂る丘をさらに登ると、、、、見えた! 馬加康胤(まくはりやすたね)の首塚だ!、、、、、馬加康胤は、千葉康胤(ちばやすたね)とも名のり、室町時代に千葉氏宗家を滅ぼし19代の当主となった武将。 現在の幕張町に居を構えていた。
 
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・・・・・・・・・・・塚の上に五輪塔がある。 チョイト、心霊スポットのようで、夜は怖い! 女性の夜の入山禁止はもちろんだが、昼でも美人一人での入山は禁止にしたいね。
 
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●・・・・・・・・・・・静かな住宅街を抜け、京葉道路を横切ると幕張本郷駅。 暑い!暑い!と叫びながら、チョイと休憩のつもりが、『暑いから、もう歩くの止めた! 今日はここまで!』
 
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2017年5月22日 (月)

森ヶ崎

羽田空港へ向かう東京モノレールの昭和島駅で下車し、「大森南」(旧森ヶ崎)の町を歩いてきた。 1万2千歩の散歩です。

 
 
 
昭和島駅 ・・・・・・・・・元はモノレールの車両基地の停車場として、職員専用の駅であったが、昭和60年(1985)から一般の乗客も利用できる駅として開業した。、、、、島式ホーム2面4線を有し、快速が普通を追い抜く駅である。 細長い島式ホームはホームドアが無いと、チョイト怖いね!
 
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②呑川水門・・・・・・・・・・呑川(どんかわ)水門は、門扉型の単葉ローラーゲート、幅6mの水門で昭和41年(1966)度に竣工した。
 
・・・・・・・・・・・・昭和島から京浜運河を越えて呑川水門に行く。 右岸は昭和島。左岸は大森東地区。
 
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・・・・・・・・・・・・昭和島から見る対岸の呑川水門。
 
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・・・・・・・・・・・・・・小さな水門だが、高潮を防ぐための大切な水門である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・呑川水門は旧呑川にあり、現在は水門の上流側100m程が船溜まりとして使用されている。 都は水門を廃止するため防潮堤の整備を進めている。
 
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③首都高羽田線・・・・・・・・・・・モノレールと並走している首都高羽田線が、昭和島から運河を越えて大森南の森ヶ崎水再生センター西施設にすり寄ってくる。、、、、、写真対岸が昭和島、右側に首都高が走り、見えないが首都高の陰にモノレールが並走する。 手前側は“森ヶ崎海岸”と呼ばれている岸。
 
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・・・・・・・・・・・・・・左側に首都高、中央は森ヶ崎海岸公園の遊歩道、右側には森ヶ崎水再生センター西施設がある。 現在の首都高羽田線本線はこの辺りで、水中にもぐりトンネルで羽田の空港島にでる。 写真に写っている首都高は、羽田可動橋で海老取川を渡り空港島に向かう道路であるが、この部分は現在使用されていない。 
 
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・・・・・・・・・・・・・その使用されていない羽田可動橋。、、、、、海老取川沿いには鉄工所などがあり、大型船の航路を確保する必要があり、可動橋(旋回橋構造)として造られたものである。、、、、平成2年(1990)4月から羽田可動橋は使用開始となり、平成10年(1998)4月に交通量の減少に伴い使用が停止された。 水底をトンネルで抜ける本線は使用されている。、、、、、、現在は開きっぱなしの可動橋。 いずれ本線が混んできたら再び利用するそうだ。 これまで、わずか8年しか使用されていない可動橋の運命や、是いかに?
 
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④森ヶ崎水再生センター・・・・・・・・・大田・品川・目黒・世田谷区の大部分、渋谷・杉並区の一部の汚水を処理する国内最大の水再生センター。 敷地面積は415,309m3あり、昭和島の東施設と大森南の西施設の二つに分かれている。、、、、、今日は西施設をチラッと見てきた。、、、、、西施設の屋上はテニスコートなどもある「森ヶ崎公園」として一般に公開されているが、誰もいなかった。 午前中は利用する人もいないのかも?
 
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⑤森ケ崎観音法浄院・・・・・・・・・・水再生センターの近く、大田区大森南5丁目に森ケ崎観音として親しまれている法浄院がある。、、、、、、大正の頃までは現在より北方の海岸近くの葦原の中に建っていた波除観音堂であった。 昭和初期に地元の人々によって移築されて二間四面の観音堂となった。 昭和13年(1938)8月24日、森ケ崎上空にて、旅客機と練習機が接触し85名の死者をだす大事故が起り、その慰霊の為の地蔵尊及び位牌が当観音堂に安置されたそうだ。、、、、、、「森ヶ崎」とは、現在の「大田区大森南」(1~5丁目)の旧地名である。 
 
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⑥大森寺・・・・・・・・・・・観音堂の近くにある、日蓮宗の寺。 歴史は浅く、明治38年(1905)に森ヶ崎教会所として創建された。
 
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・・・・・・・・・・・・・・大森寺の境内に、明治34年(1901)に発見された、森ヶ崎鉱泉源泉碑がある。、、、、源泉が発見されると、周辺に鉱泉宿ができ、東京近郊の保養地、臨海行楽地として栄えたが、太平洋戦争を契機に転廃業したそうだ。、、、、、、現在のスパリゾートのような処だったみたいだ。 私の知る「平和島温泉」の先駆けであったのか? 
 
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⑦錆色の町・・・・・・・・・・・大森南(森ヶ崎)で見た色
 
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⑧浦守稲荷神社・・・・・・・・・・・・神社のたつ現在地:大森村前ノ浦の鎮守として元禄年間(1688~1704)に創建されたそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・神社の近くには、前の浦商店街の街路灯が並んでいた。 しかし、数軒の店しか見ることはできず、、、、、私も眼が悪くなったかな?
 
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・・・・・・・・・・・・近くの、京浜急行バス「前の浦」バス停から帰ることにした。
 
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2017年5月18日 (木)

伊興寺町

東武伊勢崎線竹ノ塚駅で下車し、日暮里舎人ライナーの見沼親水公園駅を目指し歩きはじめたが、途中で目的が変わり、竹ノ塚駅に戻る。 1万1千歩の散歩です。
 
 
 
竹ノ塚駅 ・・・・・・・・・・明治33年(1900)3月21日に伊興村に開業した東武伊勢崎線の駅。 この時、駅名は隣村であった竹ノ塚村の名を頂戴し、竹ノ塚駅と名乗る。 伊興村、竹ノ塚村は共に昭和7年(1932)に東京市に編入合併され足立区の一部となった。、、、、、開業から100年以上経過し、駅周辺は高架化工事の真っ最中。 ホームはまだ地上にある、高架上にホームが移るのはまだ数年先か?
 
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●・・・・・・・・・・・今日の散歩は、ここ竹ノ塚駅から北西方向に日暮里舎人ライナーの終点:見沼親水公園駅まで歩くことにした!、、、、、予定は変わるもの、今日も途中で変更!
 
 
②東岳寺・・・・・・・・・・・竹ノ塚駅から北西へ300m程(伊興本町1)、尾竹橋通りに面して、曹洞宗の南昌山東岳寺がある。 東岳寺は、慶長18年(1614)浅草鳥越に創建した。 (鳥越とは、、、、我が家の近くだ!) 関東大震災後、鳥越から現在地へ移転した。 境内は広くないが、日本庭園の趣で、本堂や細い参道の周りには多くの木が並んでいる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・初代安藤広重の墓と記念碑が境内にある。 安藤広重(1797~1858)は江戸時代後期の浮世絵師で、天保年間には御存じ「東海道五拾三次」を発表している。 墓所(写真右端)は昭和33年(1958)の再建で、記念碑(写真中央)は大正13年(1924)に建てられた。 震災後、墓も寺と共に移転してきた。、、、、、念のため、今は安藤広重ではなく、歌川広重という呼称が一般的らしい。 私は、安藤広重しか知らん!
 
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③眞國寺・・・・・・・・・・・・東岳寺から西へ400m程歩くと、立派な松の陰に本堂の屋根が見える。 伊興5丁目の日蓮宗寺院の蓮栄山眞國寺である。 創建は建武2年(1335)といわれる古刹。、、、、、山門の正面に本堂があるのだが、参道両側の松の大木に遮られ、全容が見えない。
 
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④薬師寺・・・・・・・・眞國寺から北西に150m程歩くと薬師寺がある。 あれ、奈良の薬師寺の支店かな?、、、、、こちらは、曹洞宗の医王山薬師寺で、御本尊はもちろん薬師如来である。、、、、小さな山門をくぐると、正面奥に本堂があるのだが、なんと、新緑の紅葉が茂り視界を遮る。、、、、住職の話では、秋になると多くの人が紅葉狩りに来るそうだ。 私もあとで知ったが、この寺は、知る人ぞ知る、紅葉の名所だ!
 
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●・・・・・・・・・・・薬師寺の住職が教えてくれた、、、、、寺から北東に行くと、関東大震災後、浅草から移転してきた寺院が並ぶ寺町があるとのこと。 「ぜひ、寄っていきなさい。」、、、、これにて、私の北西に向かっていた足は、北東に向かうことにした。
 
 
⑤伊興寺町・・・・・・・・・・現在は東伊興4丁目だが、以前は伊興狭間町と呼ばれていた処。
現在、18か寺あるそうだ。、、、、、ついでに、“伊興”の地名は、いろはの“い”で、いの一番に始まり、興ったところの意だ。 “狭間”は谷下の沼のある狭いところの意。、、、、今は、竹ノ塚駅から1.0km程北に行ったところで、北隣の草加市との境までは400m程である。、、、、、、いくつかの寺院を紹介する。
 
・・・・・・・・・・・・・・・街並みは、、、、、、
 
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・・・・・・・・・・・・・・易行院、、、、、、芝増上寺末の浄土宗寺院易行院。 文亀年中(1501~1503)、浅草山に起立し、浅草山谷町(現台東区清川)を経て、昭和3年(1928)に現在地へ移転した。、、、、、本堂左手に、歌舞伎で名高い花川戸助六と揚巻の墓がある。 地蔵さんと共に祀られ、夫婦円満の御利益が期待できるそうだ。、、、、、、笑点でおなじみであった五代目三遊亭円楽師匠の実家。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・・東陽寺、、、、、、曹洞宗の萬年山東陽寺は、寛永元年(1624)頃の開山で、慶長16年(1611)八丁堀に創建、寛永12年(1635)浅草八軒寺町へ移転。 震災後の昭和3年(1928)に現在地へ移転した。、、、、、、境内には、上州沼田に生まれ、江戸に上り、炭のはかり売りから業を興して莫大な財産を築いた塩原太助の墓がある。 お年寄りは、「塩原太助一代記」として講談や歌舞伎で知っているはず、若者は知らないかもね。
 
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・・・・・・・・・・・・・・法受寺、、、、、、、、浄土宗の法受寺は普賢山新幡随院と号します。 正暦3年(992)に豊島郡下尾久の地で開創、宝暦3年(1753)豊島郡谷中に移転、新幡随院法受寺と称した。 浅草にあった安養寺と合併し、昭和10年(1935)に現在地へ移転した。、、、、、境内には五代将軍徳川綱吉の生母:桂昌院の墓がある。 桂昌院は将軍の生母として大奥で絶大な勢力を振るい、女性にとって最高の位階である従一位を生前贈られている。、、、、、境内は広く、本堂を探すのに戸惑い、墓地を抜け出たところに建つ住宅風の建物の前で、僧侶に『本堂はどこですか?』と尋ねると、『ここだよ!』と返ってきた。 本堂の前で尋ねてしまった、シマッタ~~! 私は裏門(?)から入ってしまったのだ。、、、、、僧侶は快く本堂を開けて、焼香を焚いてくれた。 失礼しました!、、、、、三遊亭円朝が語る「牡丹燈籠」の中で、カランコロン、カランコロンと下駄の音をさせながら夜な夜な現れる、お露とお米の幽霊二人。 この二人が葬られたのが新幡随院法住寺(法受寺)という設定で、ゆかりの寺として石碑が建てられてる。
 
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●・・・・・・・・・・・・今日は14ヵ寺歩いたので、チョイト食あたりならぬ、坊主あたりで頭の中がゴチャゴチャ、罰あたりかも。、、、、、この後、竹ノ塚駅まで戻り帰宅。
 
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2017年5月16日 (火)

東尾久の通り

西日暮里駅から京成本線新三河島駅前をぬけて、都電荒川線東尾久三丁目停留場付近にでた。 ここから、「大門通り」と称する裏道を歩いて、尾久の原公園にぶつかる。 さらに「石門通り」を歩き日暮里舎人ライナー熊野前駅まで、1万2千歩の散歩です。
 
 
 
西日暮里駅 ・・・・・・・・・・・昭和44年(1969)12月20日、地下鉄千代田線の西日暮里駅が開業し、2年後の昭和46年(1971)4月20日に乗換駅として国鉄の西日暮里駅が開業した。 現在は、近くに日暮里舎人ライナーの西日暮里駅も開業しており、朝は乗換客で混雑する。
 
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②新三河島駅・・・・・・・・・・・JR西日暮里駅の東側を京成本線が走る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・京成本線は常盤貨物線 を高架で越え新三河島駅へ向かう。 ちなみに、踏切は貨物線の「日暮里八丁目三号踏切」。、、、、こんな名前覚えても、何の役にも立たず、ただただ鉄道オタクであるのみ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・新三河島駅 、、、、、昭和6年(1931)に開業した京成本線の駅。 都内の京成本線の駅では最も乗降客の少ない駅。 スグ、忘れられる駅。
 
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③尾久の原防災通り・・・・・・・・・・・・荒川区東尾久1(明治通り冠新道入口交差点)から北へ東尾久6(都立尾久の原公園前)まで伸びる約1.36kmの道路。
 
・・・・・・・・・・・・・・手前の明治通りから北へのびる防災通り。
 
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・・・・・・・・・・・・・・防災通りをチョイト歩くと、スーパーの前に「消防道路」の碑が立っている。、、、、、、防災通りは、戦時中に空襲による延焼防止を目的に建物を強制疎開させ造られた疎開道路である。 その跡地を整備し昭和48年(1973)に地元では「消防道路」となった。 平成24年(2012)に荒川区は「尾久の原 防災通り」と命名したそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・防災通りが都電と交差する手前に、天台宗の寺院:満光寺(まんこうじ)がある。 創建は南北朝末か室町時代と伝えられている。、、、、、歴史ある寺院だが、建物は新しい。 現本堂は昭和44年(1969)に建て替えられた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・都電荒川線を横切り、東尾久3丁目に入る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・東尾久6丁目の草陰に地蔵尊が寂しげに祀られていた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・町屋4丁目では、荒川区唯一の美術館:「ぬりえ美術館」の前を通る。 館長:金子マサさんは、「きいちのぬりえ」で有名な蔦谷喜一さんの姪である。 館長は、ぬりえを文化として保存するために、平成14年(2002)に美術館を開館した。、、、、、残念であるが、本日は休館日。 一度入館してみたいものだ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・防災通りの北の端は、大門小学校のチョイト先で都立尾久の原公園で終わる。、、、、、公園は、かつて旭電化工業(現:ADEKA)尾久工場があったところ。 昭和52年(1977)に東京都が跡地を買収し、跡地の東半分が公園として整備され平成5年(1993)に開園した。 広々とした明るい公園である。
 
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④都電荒川線・・・・・・・・・・町屋二丁目停留場、東尾久三丁目停留場付近でパチリ! 
 
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⑤大門通り・・・・・・・・・・・・尾久三丁目停留場の北側に「大門通り」があった。 “大門”と聞くと、吉原の大門を思い出し、“大門”=“花街”の連想しかできない私は、早速この町の銭湯のおばあさんに聞いてみた。、、、、、おばあさんの話では、昔から大門町(=大門村)と呼ぶ地名であったそうで、花街とは縁がないらしい。、、、、、、南の端(尾久三丁目停留場)から、北の端(ぬりえ美術館から尾久の原公園前までは防災通りと重複)まで歩いてきた。総延長約416m。 
 
・・・・・・・・・・・・・・・写真順に、、、、、、停留場前、大門通りの南端。、、、、、大門湯、、、、、チョイト古い医院の看板、診療科目に「気管食道科」。(奥には、新しい立派な医院がある)、、、、、道中程に祀られている子育地蔵尊。、、、、曲がりくねり進むと、ぬりえ美術館の前に出る。
 
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⑥石門通り・・・・・・・・尾久の原公園の西側100m程行くと、「石門通り」の北端(東尾久6-34)で、ここから南へ道は伸び、東尾久6-39が南端となる。 全長345mの道で、かつては商店街であったが、今日訪れてみると、商店街はなくなっていた。 “石門”は、近くの下尾久石尊という石を祀る社があり、その参道であったことに由来するらしい。
 
・・・・・・・・・・・・・・・写真順に、、、、、、石門通りの北端。、、、、、撤去されていた、かつての商工会の門柱。(2013年撮影)、、、、、ここにも子育地蔵尊が祀られている、、、、、、地蔵の後ろは北豊島高等学校、、、、、、商店街は無くなり、店は閉じられている、、、、、車歩分離した道路のカラータイルが続く、、、、、、石門通りの南端
 
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⑦熊野前駅・・・・・・・・・・・・平成20年(2008)に開業した、日暮里舎人ライナーの熊野前駅。、、、、、今日の散歩はここまで!
 
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2017年5月14日 (日)

押上~亀戸

押上駅から、東武亀戸線の東側(京島地区、丸八通り)を歩き亀戸駅まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
とうきょうスカイツリー駅留置線 ・・・・・・・・東武スカイツリーライン(伊勢崎線)の本線南側にはかつて東武鉄道の広大な貨物駅があった。 貨物駅は平成5年(1993)まで営業を続けていたが、その跡地は総事業費650億円を投じて整備され東京スカイツリータウンと変わった。 本線北側には5本の留置線が地上に残っている。、、、、東武鉄道は「とうきょうスカイツリー駅」(旧業平橋駅)をチョイト曳舟駅側に寄せて、本線と留置線を丸ごと高架(全長約1.0km)とし、南側の賑わいを本線の北側にもひろげる予定である。 本年(2017年)着工し、2023年までに完成させる予定らしい。、、、、、工事の進捗を見に来たが、まだ着手していないようだ。 日を改めて出直しだ!
 
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京島 ・・・・・・・・・・・来るたびに変わる京島地区。 今日も古い家が壊され、更地に変わっていた。 
 
・・・・・・・・・・・・・・東武亀戸線の踏切を渡り京島に入る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・緊急車両が通れない細い道は、まだまだ多く残っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・所々、古い建物は壊され、「不燃化促進用地」(区の要請により、UR都市機構が地区内の土地を売却希望者から買い受け、周辺の不燃化建替えに活用、道路・防災スポット等の整備の代替地としての活用など、不燃化の促進を目的とする。)の立札が立っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・こちらの玄関にはバラが咲き、あちらの玄関には洗濯物が下がり、京島を印象づける。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・木造の長屋もまだまだ健在!
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・・・・・・・・・・・・・・只今、朝8時45分。 あの、元気なキラキラ橘商店街も、まだ開店準備中。
 
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・・・・・・・・・・・・・・京島と押上の町境を通過する東武亀戸線
 
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・・・・・・・・・・・・・・京島の隣町「文花3丁目」にて、、、、、古そうな建物も残っている、、、、、
 
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③東あずま駅・・・・・・・・・昭和3年(1928)4月15日、平井街道駅として開業し、昭和20年(1945)に駅は廃止となる。 昭和31年(1956)5月20日、東あずま駅として再開業する。、、、、ところで、駅付近はかつて吾嬬町(あづまちょう)であった。 駅名としては、本来「東あづま」となるはずなのに「東あずま」となった。 理由は不明、東武鉄道の誰かのミスだろう。 直さないのも頑固でいいね!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・東武亀戸線 を走る、オレンジの車体にイエローの帯を巻いた、昭和30年代のリバイバルカラーに塗装された8000系車両
 
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2017年5月11日 (木)

四ツ木~新小岩

GWあけの今週は、なんだかんだで忙しい一週間となりそうだ。 毎日が、寺だ、医者だ、病院だ、銀行だ、祭りだ、留めは孫のお相手だ。 今日は、午前中から病院の定期検診があり行ってきた。 15時過ぎに余裕ができたので、京成押上線四ツ木駅から総武線新小岩駅まで歩いてきた。 1万歩なり。、、、、昨年の12月30日に同じようなルートで歩いている。
 
 
 
①四ツ木駅・・・・・・・・『散歩してくる』の一言残し、例のごとくまた行先未定のまま地下鉄に乗った。 夕飯前の散歩だ、遠くに行きたくないので四ツ木駅で下車し歩くことにした。
 
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②東四つ木四丁目の裏道・・・・・・・・・・・・・・木造密集地区で、細い道がクネクネ。 私好みの道なので、何度も訪れてるため、『なんだ、ここに出るのか!』の連発。、、、、、、神田・上野・浅草とは違う葛飾の下町である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・なんだ、2階の窓の上部に並ぶ胸像は? ベートーベン? モーツアルト? どれが誰だか、判らん!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・我が家の春。 庭の無い下町の住宅に花が咲く。
 
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③中川・・・・・・・・・・・ 東四つ木4丁目、2丁目を抜けると、中川の堤防に出る。 西側にはスカイツリー、首都高の「かつしかハープ橋 」が見える。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・・東側は平和橋が見える。 よくみると、中川の水位が工場の敷地より高い処にある。 堤防が決壊すると、、、、恐ろしいね!
 
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④平和橋・・・・・・・・・・・・平和橋を渡り、葛飾区西新小岩地区に入る。
 
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⑤西新小岩の2寺・・・・・・・・・・葛飾区西新小岩5丁目にある寺院。、、、、どちらも、ゆったりとした広さの境内である。
 
・・・・・・・・・・・・・・東光寺、、、、、、、真言宗系の東光寺は、医王山瑠璃院と号し、慶長元年(1596)の創建。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・円成寺、、、、、、日蓮宗の円成寺は、天正元年(1573)の創建。 文政5年(1822)、現本堂を再建し、昭和8年(1933)に改修した。
 
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⑥新小岩陸橋・・・・・・・・・・都道315号(蔵前橋通り)のたつみ橋交差点をまたぐ片側一車線の自動車専用高架橋。
 
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⑦新小岩駅・・・・・・・・・・・新小岩駅の南口と北口をつなぐ、南北自由通路の工事中。 ホーム下のコンコース設置工事を始めたばかりで、完成まであと数年はかかりそうだ。、、、、、まだ、狭い北口から帰ることとする。
 
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2017年5月 8日 (月)

西新井~小菅

東武伊勢崎線西新井駅から小菅駅まで、東武伊勢崎線の廃線跡を歩いてきた。 1万1千歩の散歩です。
 
 
旧東武伊勢崎線・・・・・・明治32年(1899)に北千住~久喜間を開業する。 北千住~西新井間の開業時のルートは、北千住をでると現:常磐線の上を交差して(当時、まだ荒川は無い)をとおり、荒川の対岸:足立1丁目付近から直線的(現:梅島通り+亀田トレイン通り)に西新井へ向かっていた。、、、、、大正12年(1923)に荒川放水路(現:荒川)の開削工事により、鐘ヶ淵~西新井間のルートが変更された。 北千住~西新井間は現在の小菅、五反野、梅島を経由するルートとなる。(途中の3駅は翌年(大正13年)に開業する)、、、、、明治に開業した旧ルートは、現在、道路や住宅地として転用されている。
 
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西新井駅 ・・・・・・・・・今日の散歩は西新井駅から、旧東武伊勢崎線の廃線跡をなぞり、小菅駅に向かうことにした。
 
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・・・・・・・・・・・・・・北千住よりのホームから眺めると、写真中央、線路の奥に見えるマンションの右側を旧伊勢崎は走っていた。
 
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②亀田トレイン通り・・・・・・・・・・西新井駅南側(足立区西新井栄町1)から、梅島駅の南側(足立区梅田8)までの全長約773mの道路。 この道の大部分は、平成16年(2004)に廃止された東武鉄道西新井車両工場の跡に造られている。 工場のあった地名が「亀田」で、「亀田トレイン通り」と命名された。 ここに、かつて伊勢崎線が走っていた。
 
・・・・・・・・・・・・・西新井駅から亀田トレイン通りまで続く、細長い空き地。 ここに、車両工場への引込線があったようだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・亀田トレイン通りのはじまり。 ここから、東武鉄道西新井車両工場の跡となる。 道路の左側のマンションは東武鉄道が販売、右側には亀田トレイン公園都営梅田八丁目アパート(平成23年築、316戸)が並ぶ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・亀田トレイン公園前に車輪のモニュメントがある。 もちろん、東武鉄道の寄贈である。 できれば、我が家にも一つ寄贈して欲しいのだが、置く場所に困るね!
 
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・・・・・・・・・・・・・・亀田トレイン通りの梅島駅よりは、多少カーブして終了する。 当時の線路がカーブしていたわけではなく、再開発時に道路をチョイト曲げたようだ。、、、、、振り返ると、東武鉄道のマンションが右側に見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・亀田トレイン通りを真直ぐ伸ばすと、その先に線路敷きの幅ぐらいの住宅(写真中央)がある。 その先は足立区立第九中学校(ベートーベンの母校?)の敷地となる。
 
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③梅田通り・・・・・・・・・・・・・梅島駅の南側で、亀田トレイン通りに続く梅田通り。 一方の端は日光街道と江北橋通りも交差する六差路の梅田交差点である。  この通りは線路跡を活用してつくられた。
 
・・・・・・・・・・・・・・第九中を横切って伸びてきた線路は、写真左側の梅田通りに続いていく。 右へ向かう通りは旧日光街道
 
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・・・・・・・・・・・・・・上の写真中央:マンション前に道標が建てられている。 「左東武鉄道旧線路跡」、裏側には「右旧日光街道」の文字。
 
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・・・・・・・・・・・・・複々線の線路跡かと思うほど拡幅された梅田通り。、、、、当時を語る遺構などは何もない!
 
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・・・・・・・・・・・・・・約1kmの梅田通りの南端、梅田交差点が見えた。 日光街道の陸橋が見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・・陸橋下から梅田通りを振り返る。
 
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④線路跡の住宅・・・・・・・・・・・・日光街道を横切り足立1丁目に入ると、線路跡は住宅が密集し判別が難しくなるが、航空写真を見ると住宅の並びで推測できる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・周囲の住宅とは向きが異なり、線路跡に並ぶ写真中央の住宅。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・荒川土手側でも、道路に対し斜めに向いて建っている。
 
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⑤荒川・・・・・・・・・・・・・「線路が伸びていたのはこの辺りかな?」と思われる土手の上に立ってみた。 正面に北千住の街、左手に千代田線・常磐線・つくばエキスプレスの橋梁が並行して架かる。 この橋梁付近で常磐線と交差し北千住に向かっていたのか! 一人で納得。
 
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小菅駅・・・・・・・・・・・・私は泳げないので、荒川の川底の線路跡を追いかけるのはやめた。 近くの小菅駅から帰ることにする。
 
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2017年5月 5日 (金)

浅草橋~東中野

浅草橋の我が家から、総武・中央線沿いに飯田橋まで行き、そこから地下鉄東西線の神楽坂、早稲田をとおり、馬場下交差点からは学習院女子大、百人町アパートを抜けて東中野駅までの散歩です。、、、、GWのすいた都心を歩いてきた。
 
 
 
●am7:50・・・・・・・・・・・・浅草橋駅西口をスタートする。、、、、秋葉原の隣だが、人影も少ない寂しい駅である。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・両国~浅草橋~秋葉原~お茶の水間は昭和7年の開業で、この間の高架部分、架道橋は当時のままである。 耐震工事のため高架下の建物は壊され、スッポンポンの状態で、チョイト悲しい姿をさらしている!
 
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●am8:00・・・・・・・・・・・・秋葉原駅昭和通り口を通過。
 
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●am8:20・・・・・・・・・・・・昌平橋交差点を通過。、、、、、、神田川 に架かる昌平橋は関東大震災のあった大正12年(1923)に、震災直前に完成した。 そのため、昭和 5年(1930)に修復工事が行われた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・交差点の頭上には総武線の松住町架道橋が架かる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・また昌平橋からは、神田川の川幅いっぱいに大股を広げた総武線神田川橋梁が見える。 お股の奥には丸ノ内線神田川橋梁聖橋(工事中)が見える。
 
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●am8:25・・・・・・・・・・・・昌平坂を上る。、、、、、、別名「相生坂」とも言う、湯島聖堂前の昌平坂を上り丸ノ内線お茶の水駅に出る。、、、、、急な坂ではないがダラダラ上る坂は、手術で肺活量が小さくなった私にはキツイ!ゼイゼイ・ハアハア、美人を見るとドキドキ・ビクビク。
 
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●am8:40・・・・・・・・・・・・引き続き、お茶の水坂を下る。、、、、、、お茶の水と水道橋の間で、神田川の北側(文京区、外堀通り)にある坂。、、、、、、今日の外堀通りは行きかう車も少なく、神田川沿いの緑を眺め歩くのは、気分爽快。
 
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・・・・・・・・・・・・・坂を下ると水道橋交差点に出る。 右に後楽園遊園地、左に水道橋駅
 
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●am9:00・・・・・・・・・・・・飯田橋交差点を通過。、、、、ここからは、地下鉄東西線のルート沿いに歩く。
 
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●am9:20・・・・・・・・・・・・神楽坂駅を通過。、、、、飯田橋からは、熊谷組本社牛込消防署を通り、裏道を歩いて坂上(新宿区矢来町)にでる。
 
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●am9:40・・・・・・・・・・・・早稲田町の龍善寺を通過。、、、、早稲田通りに面してたつズングリ・ムックリの寺院が、真宗大谷派の龍善寺。 寛永15年(1638)千駄ヶ谷に天台宗寺院として創建し、その後、寛文7年(1667)早稲田に移転した。、、、、なんだか、チベットの寺院を模したような建物で好きになれないね。
 
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・・・・・・・・・・・・・・道路を挟み龍善寺の隣、小さな祠に落馬地蔵が祀られている。 寛永3年(1626)、三代将軍徳川家光が鷹狩をしに高田馬場へ向かう途中、ここで急に馬がいななき、立ち上がったため落馬した。 馬の名手だった家光が落馬するには、何かあったのだろうと、村人が調べると、近くを流れる川の橋の下から1体の地蔵菩薩の石像が現れた。 そのことを、家光に報告すると「尊いお地蔵様を粗末にしたからだ」と家光は「落馬地蔵」と名付けお堂を作ってお祀りするように命じた。、、、、家光が命じたわりには、粗末な祠に祀られているね。 隣の龍善寺に堂を寄進してもらうといいね。
 
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●am9:50・・・・・・・・・・・・早稲田駅を通過し、穴八幡宮鳥居前から東西線にサヨナラして、諏訪通りに入る。
 
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●am10:10・・・・・・・・・・・・穴八幡から諏訪通りに入ると、これまた嫌いなダラダラの上り坂。 早稲田大学、戸山公園の前をとおり、長い煉瓦塀が伸びる学習院女子大前に出る。 坂道は終わり諏訪神社前を抜けると、前方に山手線のガードが見えた。
 
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●am10:20・・・・・・・・・・・・諏訪通りの先で西武新宿線・埼京線・山手線の上下6線が走るガードをくぐり山手線の外に出る。、、、、これで、秋葉原から高田馬場まで山手線を横断したしたことになる。 御苦労!
 
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●am10:30・・・・・・・・・・・・百人町の都営アパートを内を突き抜ける。 ここを抜けると神田川に出て、川沿いに歩けば東中野駅。
 
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●am10:50・・・・・・・・・・・・東中野駅へ到着。 今日の散歩はここまでとする。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・・・今日のルートの総延長は9.6km程、歩数は1万6千歩。、、、ア~ア、疲れた!
 

2017年5月 4日 (木)

リベンジ---藤まつり

4月16日の早すぎた藤まつり にはガッカリ。 今日はリベンジで、夫婦で亀戸天神まで散歩してきた。 なんと、こんどは遅すぎたようだ、まだ花は8割程残っていたが、一部の藤棚は緑の葉だけが残り、淋しそう。、、、、、それでもGWということで人出は多く、くず餅屋さんも大行列。
 
 
 
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長く垂れさがる高貴な紫色の花は、平安時代の王朝貴族に愛された、、、、 
、、、、、、、、、 ゆく春のかたみとやさく藤の花 そをだに後の色のゆかりに  (藤原定家)
 
 
「佐渡の盆踊り歌」に出てくる藤は、、、、、、
、、、、、、、、、 馬鹿にさんすな 枯木じゃとても 藤が巻きつきゃ 花が咲く
 
 
そこで私は、、、、、、
、、、、、、、、、 赤い椿に やきもち焼いて 老いた枯れ木に 絡む藤

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