散歩

2019年10月10日 (木)

ママに向かって、スタコラサッサ

今日も敬老パスで、浅草橋から都営地下鉄(北総線印旛日本医大行)に乗った。 「どこで降りようか?」電車の中で思案橋! 考えている間に、押上・青砥・高砂とすぎ、とうとう北総線に入った。 ついに考えがまとまらず、ヤケッパチで飛び降りた駅が秋山駅。 何度も散歩に訪れている駅で、どっちに向いて歩いても、来たことある処だ! 新しい発見は期待できず。 こういう時はよそ見せずに、ひたすら健康のため歩くことにする。 京成本線市川真間駅まで、1万1千歩の歩きです。、、、、今日の散歩コースは昨年5月15日と全く同じです。




●寂しい駅ですね ・・・・・・一日の乗降客数は約7,300人と少ない、千葉県松戸市の南に位置する秋山駅。 いつまでたっても、駅前にコンビニ、パチンコ屋、居酒屋が開店する気配はなく、寂しい駅。 訪れたよそ者には、駅構内の売店が唯一の店舗だ!、、、、駅前ロータリーには、バスも、タクシーも、自家用車も止まっていない。 止まっているのは、駐輪場の自転車のみ。

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●ここは市川市稲越町 ・・・・・・・ネギの香りが鼻をピリピリ刺激する畑を抜け、住宅地を歩く。

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・・・・・・・・・・・・・・駅から700m程歩くと、千葉県市川市の北部に位置する稲越町に入る。 北総台地の西の端でもある。、、、、判るかな、稲越町から眺めるスカイツリー? (18/5/15の記事に答えがある)

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・・・・・・・・・・・・・・この辺りにでは梨御殿をアッチ・コッチに見ることができる。 梨って儲かるようだ!

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・・・・・・・・・・・・・・稲越町の南端:県立国分高等学校前から市川駅行のバスが出ている。 ここは、バスの終点であり、起点でもある。 生活の足として、多くの乗客が利用している。 市川駅まで、15分、240円は、高いか?安いか?スルメイカ。

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●次は市川市曽谷の町 ・・・・・・・北総台地を下り、曽谷貝塚で有名な市川市曽谷の町を歩く。

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・・・・・・・・・・・・・・国分川調整池に出てきた。 大きな緑地となっており、池ではサギが遊んでいる。 サギが舞う公園になると、住民に喜ばれそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・曽谷橋の交差点(曽谷と東国分の境)に国分交番がある。 国分交番の歴史は古く、昭和19年(1944)に国分交番の前進となる国分村立勤一所が当時の国分村に設置され、その後幾多の組織変更・移転を行い、昭和50年(1975)に現在の交番が建てられた。 これぞ、“ポリスボックス”と言うような、飾り気のない四角い箱型の建物である。


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●さて市川市国分の町 ・・・・・・下総国分寺の東側で外環道を越え市川市国分の町に入る。

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●続いて、市川市須和田の町 ・・・・・・・・・・・須和田は真間川の北側に広がる町。 バス通り沿いに六所神社が鎮座する。、、、、六所神社というのは、“下総の国”、“上総の国”と呼ばれていた時代、国府の近くに造られた総社の一つ。 国司はここに参拝すれば、国内の一ノ宮から六ノ宮までを巡ったことと同義となり、効率を良くすることができた。 よくよく考えると、国司は「手抜き」していたことになる。 昔も今も、要領良くルールを変える者がいる。、、、、神社の賽銭箱は鉄の檻に入れられ、鎖で縛られ、チョイト痛々しい状態だ。 大金は入っていないと思うが、取り出すのも大変だ!

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・・・・・・・・・・・・・・夏の名残と秋到来

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●ママはすぐそこ! ・・・・・・真間川を渡り真間の町に入れば、市川真間駅はスグそこ。

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2019年10月 9日 (水)

渡辺小右衛門の梅島

東武伊勢崎線梅島駅から、駅前の旧日光街道と現在の日光街道(国道4号)の間の裏道を北上するつもりで散歩に出た。 途中で立ち寄った神社では、予定外に話がはずみ、お散歩タイムがオーバーしそうになる。 途中から西新井駅に向かい帰宅。 今日はおしゃべりが多く、歩数は8千歩。




●足立区の中心? ・・・・・・東武伊勢崎線の梅島駅は、島式ホーム1面2線の高架駅であるが、用地幅が狭いためホームの幅も狭くなり、北千住寄りに上りホーム、西新井寄りに下りホームが一直線に配置された変則タイプである。 停車するのは全て普通列車で、優等列車はホーム外側の急行線で通過する。 階段・エレベーター・エスカレーターは、上下両ホームの間(細長い島式ホームの中央部分)にのみ設置されている。、、、、朝の下りホームは人影まばら、上りホームは乗客が線路にこぼれそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・大正13年(1924)10月1日に開業した梅島駅は、昭和43年(1968)に高架駅となった。 駅出入口は旧日光街道に面している。、、、、駅は地理的に足立区のほぼ中心に位置し、周辺は民家・店舗がビッシリ建ち並ぶ、“This is 足立区の駅”である。

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・・・・・・・・・・・・・・駅横から裏道を歩く。 足長の女性が短足の私を追い越していく。 歩幅が違うようだ、ドンドン離されていく。 カッコイイ~彼女を見て、おのれにガックリ! 

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●ケチャップの公園? ・・・・・・裏道を北の方角に歩くと、緑の芝生の向こうに煉瓦造りの洋館が見える。 入口には「ベルモント公園」(足立区梅島1)と標されている。 以前に一度訪れたことがある公園だ!、、、、当時、いい加減な私は、トマトケチャップの「デルモンテ」と早とちりし、「ここは会社が提供した公園」で、洋館の中ではトマトジュースなどが飲める施設がきっとあると期待し、園内をキョロキョロしたことが思い起こされた。、、、、ベルモント公園は、平成5年(1993)、足立区と西オーストラリア州ベルモント市との友好親善のシンボルとして作られた洋風の公園です。  美しい花壇、赤レンガの陳列館(オーストラリアの工芸品・日用品などを展示)、ヒツジのモニュメントのほか、ユーカリ・ブラシノキ・アカシアなどのオーストラリア原産の植物などを観ることができる洋風の公園。

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●彰義隊の地蔵! ・・・・・・・・梅島2丁目の裏道を、クネクネと曲がりながら歩くと、小さな地蔵堂があった。 由来を記した案内には「槐戸地蔵尊」と記されているが、はて、何と読むのやら? 玉垣の石に、“さいかちどじぞうそん”と送り仮名が降られていた、難しい読みだ。、、、、由来を引用すると、『昔 此の辺りを槐戸耕地といいました。南を中沼耕地、東南を長張耕地、道海耕地といい東を背出し道面耕地と呼んでいました。西に富士山・箱根の山を望める景色の佳い農村でした。明治・大正の頃は村内ににまだ八軒の晒屋があり、風に白布がたなびく風景は見事であったそうです。お地蔵さまは、享保四年二月、今から二百七十九年前、花畑の講中が本木の石屋に彫らせたものです。立派に仕上がったお地蔵様を紫微そりに乗せて、数名の有志達が運んでいました。ところがこの場所まで来たところ、何故か急に全員の手足が動かなくなってしまいました。これはお地蔵様が此の地をお選びになり、ここて村人たちを守りたいというご意志を示されているにちがいないと解釈し、ここにお奉りしたと言われています。以来、お地蔵様による数々の霊験が伝えられています。 平成十年九月吉日   小右衛門新田講中 』、、、、、、、、このお地蔵さまは足立区の資料によると、『彰義隊ゆかりの石地蔵』として、次のように説明されていた。 『 梅島二丁目にある槐戸地蔵には、彰義隊ゆかりのものという語り伝えがあります。彰義隊は、慶応4(1868)年5月14日の夜から上野の山に立てこもった一部の幕軍のことで、一日で官軍に敗れてしまいました。官軍の目を逃れてきた者もいましたが、その中には傷ついた者がかなりおりました。そうした隊員の中に、梅島二丁目10-5付近の葦の茂みに潜伏した者がありました。この5人はいずれも変装し大八車に少しばかりの家財道具と1,2個の石を積んでおりました。しかし、葦の茂みの中で数日を過ごしましたが、薮蚊が多く、初夏の日差しもあり傷は悪化するばかりでした。傷ついた5人はもうこれまでと、付近の農家に持ってきた石を建てて供養してくれるように頼みました。村人は頼みを聞き入れて、運んできた石を建てると地蔵に変身し、村人たちの危難を何度となく救ってくれました。特に皮膚に効験があるということで「いぼ地蔵」の名がつけられました。』、、、、、、、、約290年前に遡る由来と、約150年前の彰義隊の話、どちらも信じられないが歴史あるお地蔵さまの物語。、、、、今日の散歩は、このお地蔵さまに彫られた「小右衛門」の名によって、この後の散歩コースが変わることとなった!

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●奥の深い物語にビックリ! ・・・・・・・槐戸地蔵尊から北に向かい、再び裏道をクネクネ曲がり歩くと、「小右衛門稲荷神社 」があった。 先ほど見たお地蔵さまと同じ「小右衛門」(こえもん)の名を冠してる。 ここで、境内を掃除されていた人に神社の由来を聞いたら、ナント、物語を語ってくれた。 主人公は渡辺小右衛門である。(私と同姓) 物語(由来)を要約すると、『今から数百年前のこと、岩槻の太田氏に仕え、徳川家康の江戸討入り後も、同じ岩槻城主高力河内守の家人をしていた渡辺小右衛門という人がこの地に移ってきた。 彼が主家を何故去ったのかというと、理由ははっきりしないが、村田利兵衛と共に、同僚の高橋伴右衛門を斬ったため逐電したのだという。 しかし逃れてきたものの日は落ちて思案に暮れているとどこからともなく一匹の狐が現れて、小右衛門の袴の裾を引くではないか。 引かれるままに付いていくと小堂がある。 これ幸いと一夜を明かし、翌朝目を覚まして堂を出てみると、6軒ほどの家がちらほらと目に付いた。 がその外は一面の荒野だ。 そこで白狐に引かれてきたのも神の引き合わせと思いこの地に腰を据えて開墾することにした。 そこで村田を呼び寄せ、先住の日比谷・中館・岩館・相沢・深井・佐倉井の6人にも声をかけて、開発に取り掛かった。 この端緒を作った白狐との縁を忘れぬため稲荷を祀り、「裾引稲荷大明神」としたという。 現在は開発者を忘れないように小右衛門稲荷神社と呼んでいる。』、、、、神社の方には、由緒を説明して頂き、さらに渡辺小右衛門の墓を教えていただき、さらに神社の参道の敷石が北斗七星の形をしていること、さらに小右衛門稲荷神社と江戸城と鎌倉の鶴岡八幡宮が一直線上にあること、さらに神輿の担ぎ手が減少していること等々、いろいろ長時間におよびお話して頂き、ありがとうございました。
 
・・・・・・・・・・・・・・小右衛門稲荷神社、、、、鳥居、参道、拝殿と続く

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・・・・・・・・・・・・・・神社の隣りの墓地に渡辺小右衛門の墓がある。 足立区の文化財。

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・・・・・・・・・・・・・・神社の参道は、空から見ると「北斗七星」によく似た形をしていることが発見された。 私も、Googleマップで確認してみました、ナルホド北斗七星です。 TVでも話題になったらしい。 さらに、夏至の頃には太陽が拝殿の中心に沈むことも明らかになっている。 、、、、陰陽道か?

・・・・・・・・・・・・・・地図で確認すると、小右衛門稲荷神社と江戸城と鶴岡八幡宮が、見事に一直線上にあることも確認できた。 



●家光お手植えの松がある! ・・・・・・・チョイト話が長引き、梅島の北側:島根の町に入り帰宅することにした。 西新井駅に向かう途中で、日蓮宗の天下長久山国土安穏寺(島根2)に寄って帰る。、、、、国土安穏寺の創建は、応永17年(1410)、開山は日通聖人、開基は、千葉太郎満胤である。 江戸時代に、将軍秀忠および家光が、当所巡遊の折の御善所となり、八世日芸聖人の大宇都宮釣天井予言の功により、寛永元年(1624)、現寺号を賜り、徳川家祈願所位牌安置所となる。 したがって寺では、葵の御紋を随所に見ることができる。 寺宝として、日蓮聖人の断簡、将軍家使用の膳わん一式、徳川家光・慶喜、加藤清正等の書軸などがあるそうだが、見ることは難しい。、、、、現在の諸堂宇は、鐘楼を除き、昭和以降の造営。

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●帰るぞ! ・・・・・・・・西新井駅から帰宅する。、、、、8千歩の散歩でした。


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2019年10月 8日 (火)

くず餅食べに川崎大師へ

最近、年のせいか物忘れすることが多くなってきた。 顔は知ってるが御近所の人の名が出てこない、昨日食べた料理の名を忘れた、歌は知ってるが歌手の名を忘れた、『コリャ~、ボケだ!』 まだ、妻の名は知ってるから重症ではないと思う。、、、、今日は、夫婦で呆け封じに川崎大師(平間寺)に行ってきた。 本音は、川崎大師が呆け封じに効くかどうかは知らないが、くず餅が食べたくて行っただけ。

川崎大師周辺は、今夏に、京急大師線(川崎~小島新田)を踏破したので、以下の記事を見てください。 今日は手抜きで要所のみ紹介!

            19/7/10  京急大師線 (小島新田~川崎大師)

            19/7/17  京急大師線 (川崎大師~京急川崎)



●ガラガラ? ・・・・・・・夫婦揃って川崎大師駅のホームに立つ。 正月は超混みあう駅だが、今日、平日の昼過ぎ、ガラガラ。 人影も少なく、ひょっとすると「川崎大師は定休日かな?」 

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●撫で撫で! ・・・・・・・川崎大師に行く前に、駅前の若宮八幡宮にお立ち寄り。 この神社は、「若宮」という名から子供・若者の守護神でもある。、、、、境内社の金山神社は、加治屋と性の神様と云われており、御神体は「男根」である。 社殿の前には、御神体を模した黒光りする大きな男根がある。 今日初めて来た家内は、先ちょを撫で撫でして、何やら願掛けをしているようだ。 社殿脇の草の中に橙色の小ぶりな一物を見て、「あなたのは、こっち!」

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●・・・・・・・・・・・・さて神社の次は、開店休業中かと思うような人通りの少ない川崎大師参道を歩く。

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・・・・・・・・・・・・・・参道中程に朱塗りの山門が目を引く、天台宗寺院の明長寺がある。 創建年代は不詳だが、文明年間(1469~1487)に創建したと伝えられている。 現本堂は、明和2年(1765)に再建された。 小さいが、緑豊かな落ち着いた寺である。、、、、境内には、この付近にあったと思われる、馬頭観音、地蔵尊、庚申塔などが集められ、多くが祀られている。 一つぐらい、我が家の置物に頂戴したくなった! 
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・・・・・・・・・・・・・・川崎大師山門前の参道は、飴屋、達磨屋、くず餅屋、どこの店も営業中。 客の少ない参道では、可愛い売子の呼び声に惑わされず、参道を通り抜けるのは至難である。 ついつい「帰りに買うね!」と言いながら通過。

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●ガンガン願掛け! ・・・・・・・川崎大師に着きました!、、、、二葉百合子の「岸壁の母」の気持ちで、♪♪ 妻は来ました 今日も来た この御大師に 今日も来た とどかぬ願いと 知りながら 呆けを封じに 呆けを封じに 願掛けに ♪♪、、、、夫婦揃って、本堂で合掌、「南無大師返照混合」を唱える。

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●アメアメ舐め舐め! ・・・・・・・お参り済ませて、くず餅を頂く。、、、、夫婦の話題は、「ここと、亀戸天神、池上本門寺、西新井大師、何処のくず餅が美味しいかな?」 「〇〇〇はチョイト硬めで荒い」 「ここのは優しい味」 「あそこは食べた後に胃に堪える」 話題は盛り上がる、単純な夫婦。

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・・・・・・・・・・・・・・くず餅の次は、を買って帰ろう!、、、、咳が止まらない“せき止め”を買う。、、、、ふと思う、飴にヒ素を混ぜて“息止め”と称して、闇の世界で売ったら、儲かりそうだ。 製造中、チョイト味見、自分でつまんで舐めたら、彼の世行!

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・・・・・・・・・・・・・・大失敗! “呆け封じ飴”買うの忘れた! もうボケていた、御利益なし!

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●しめしめ! ・・・・・・・川崎大師の南東に位置する大師公園の中に瀋秀園(しんしゅうえん)はある。 この瀋秀園は、中国瀋陽市と川崎市との姉妹都市提携5周年を記念して、昭和62年(1987)、瀋陽市から寄贈されたもので、 中国の庭園技術指導団の指導と協力の下に造成が行われ開園した。 庭園面積は4,300㎡で、国内では最大規模の中国式自然山水庭園。、、、、小さな公園であるが、妻は一刻、中国に行った気分を味わえたようだ。 しめしめ、これで中国旅行は達成か!

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●・・・・・・・・・・・・・この後、JR川崎駅前に出て買い物をして帰宅。

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2019年10月 5日 (土)

近藤勇の滝野川

京浜東北線王子駅から石神井川沿いに歩いて埼京線板橋駅まで、10月だというのに熱中症に注意して、1万歩の散歩です。




●最古の駅!・・・・・・・京浜東北線(東北本線)の王子駅は、日本鉄道上野駅~熊谷駅間の開業時に、上野駅の次の駅として同時に、明治16年(1883)7月28日に開設された。 現在の東北本線で最も古い駅の一つである。、、、、築堤上に島式ホーム1面2線を有する高架駅で、改札口は北口・中央口・南口の3ヶ所。 駅前ロータリーがあり、バス停があり、地下鉄の出入口があるメイン改札は北口の東側である。 今日、私が利用したのは北口の西側、音無親水公園に出る通称:親水公園口である。 土曜日なので通勤客は少なく、改札も楽に通過!

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●痒い痒い公園! ・・・・・・石神井川は、小平市の東部を源にして王子駅の下を流れ隅田川に注いでいた。 北区付近では“音無川”と呼ばれ、古くからの春の桜・夏の青楓と滝あび・秋の紅葉など四季を通し、行楽・景勝の地として親しまれてきた。 しかし戦後は、生活排水などで汚れた臭い川となり、洪水の危険度も増したため、昭和30年代から改修工事が行われた。 石神井川の新ルートとしては、音無橋の上流側から飛鳥山の下をトンネルで抜け隅田川へ流れていくようになった。 音無橋から王子駅に至る旧ルートは、昭和63年(1988)に音無親水公園として整備された。、、、、親水公園となって約30年、流域はゴツゴツした石に苔がへばりつき、あちらこちらに誰が捨てたかビニール袋、渓谷のように造られた薄暗い公園で遊ぶ子供は一人もいない。 もう少し、日常の手入れに努め、明るい公園にすると良いと思うね! 写真を撮っていたら、やぶ蚊にヤラレタ、手も足も痒くて痒くて、ウナコーワでも、キンカンでも、何でもいいから塗ってくれ!

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・・・・・・・・・・・・・・公園の上に架かる音無橋。 昭和5年(1930)、隅田川に架かる白鬚橋を設計した橋梁技術者:増田 淳の設計、総工費149,976円也で造られた、コンクリート製三連アーチ橋。 橋の中程には半円形のテラスが設けられ、モダンな照明もある優美な橋。

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●水子の寺! ・・・・・・・北区役所庁舎と石神井川を挟み向かい合う浄土宗の正受院(北区滝野川2)  思惟山浄業三昧寺と号し、正受院は不動即我の密法を修していたという僧学仙房(弘治3年(1557)寂)が、霊夢によって武蔵国に来てこの寺を創建したと伝えられている。、、、、本堂は新しそうだ! 昭和の建築かも?

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・・・・・・・・・・・・・・参道に建つ鐘楼門は、明治35年(1902)建造の竜宮門形式の山門。下部は大谷石造り。

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・・・・・・・・・・・・・・正受院は、一般に「赤ちゃん寺」として知られており、嬰児や水子のための納骨堂である慈眼堂がある。 慈眼堂は平成になって建て替えられた赤子供養仏堂。 赤ちゃん寺の名の由来は、江戸時代から札所として独立した観音堂を持っていたことから、昭和23年の衛生保護法施行を機に、同29年(1954)頃に都衛生局と赤子の納骨供養をする寺として話がまとまったことによるそうだ。 慈眼堂の他に、赤ちゃんの供養塔:地蔵大菩薩の銅像、六地蔵などもある。、、、、私には、嬰児も水子もいないが、念ごろに手を合わせてきた。

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・・・・・・・・・・・・・・本堂前に、幕末択捉島を探検した近藤守重の武者姿の石像がある。 間宮林蔵、平山行蔵と共に「文政の三蔵」と呼ばれた。 現在の千島列島から北海道までの蝦夷地を探検し、エトロフ島に「大日本恵土呂府」という標柱を建てたのが近藤守重である。 守重は明和8年(1771)江戸町奉行与力の次男として生まれ、家督を継いで、通称を重蔵、号を正斎と称しました。 寛政10年(1798)、幕府から蝦夷地の調査を命じられ、北方交易の海商高田屋嘉兵衛の協力で、石像のように、甲冑に身を固めてエトロフ島に渉り、現地の開発に尽くした。 文政5年(1822)から9年までの4年間を正受院の東隣に、瀧野川文庫という書斎を設けて住んでいた。 石造近藤守重坐像は、この記念に、江戸派の画家として著名だった谷文晁に下絵を依頼して製作したと伝えられている。

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●橋の向こうに紅葉の寺 ・・・・・・石神井川に出て川沿いを歩く。 紅い欄干の紅葉橋(もみじばし)が見える。 この橋は、大正4年(1915)に初代の木橋が架けられた。 王子・滝野川間の交通のため、地元の商人が府知事の許可を得て、ここに賃取橋(有料橋)を架けたのが始まりである。 橋名は、橋の南詰にある紅葉寺(金剛寺)に由来する。、、、、深いコンクリート護岸が続くのは、チョイト味気ないね!

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●弁天様だけ堂の中! ・・・・・・・紅葉橋南詰(滝野川3)、真言宗豊山派寺院の金剛寺がある。 瀧河山松橋院と号す。 金剛寺は、弘法大師が遊歴した際に創建したと伝えられており、治承年中(1177~1181)に源頼朝がこの辺りに布陣したとも記されている。 寺は紅葉の名所であったことから「紅葉寺」とも呼ばれている。

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・・・・・・・・・・・・・・金剛寺の弁財天は、岩屋弁天、松橋弁天とも呼ばれ、多くの信仰を集めたそうだ。 弁天堂の参道には、弁財天を除く七福神6神の石仏がある。、、、、また、山門脇には石造の仁王像もある。

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●かつては軍用鉄道橋! ・・・・・・紅葉橋の上流に架かる滝野川橋。 ここには、かつて軍用鉄道橋「西高橋」が架かっていたそうだ。 現橋は昭和36年(1961)3月完成。

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●近藤勇の菩提寺! ・・・・・・石神井川の左岸(滝野川4)の裏道を歩くと、真言宗豊山派寺院の寿徳寺がある。 南照山観音院と号す。寿徳寺は、建保2年(1214)早船・小宮の両氏が主家の梶原氏と争い、追われて落ち延びる途中で観音像を水中から拾いあげ、 これを石神井川の川沿いの堂山に安置したのに始まると伝えられている。 本尊は、谷津子育観音と親しまれているらしいが、秘仏となっており拝見できず。、、、、寿徳寺は、新撰組の近藤勇、および隊士の菩提寺でもあり、境外寺地には、谷津大観音、近藤勇と新撰組隊士供養塔があります。

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・・・・・・・・・・・・・・寿徳寺の山門前から石神井川に出ると観音橋の脇に、寿徳寺の住職が建てた、台座を含め高さ7.7m程の谷津大観音が座している。 観音様は平成20年(2008)12月開眼供養が行われた。、、、、ちなみに、この観音像の原型を製作したのは、仏師:渡邉雅文氏である。 お顔を拝見したことはないが、何となく、私と兄弟のような気がするね! 

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・・・・・・・・・・・・・・ついでに、観音橋の全景をどうぞ、、、、

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●元気出して! ・・・・・石神井川の散歩は観音橋で終わり、ここから南に折れ板橋駅に向かう。 国道17号(中山道)を横切り、「きつね塚通り」を抜け板橋駅前に出る。、、、、この商店街も寂れてきたようだ! 『客がコン・コン』では困るね、元気出して!

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●首はどこに行った? ・・・・・・板橋駅に到着。 駅の正面に寿徳寺の境外墓地(滝野川7)がある。 境外墓地と云うより、そのものズバリ、新選組の近藤勇の墓がある。、、、、新撰組局長として幕末に活躍した近藤勇は、慶応4年(1868)板橋刑場(板橋駅の近く)で処刑された。 函館で戦死した土方歳三をはじめ新撰組隊士と共に、駅前に墓が建てられています。、、、、ところで、近藤勇は斬首の刑を受け、首は京都に晒され、胴は滝野川の無縁塚(現在地)に葬られたそうだ。 京都に行った“首”は、その後どうなったのか? 足が無いので、東京に戻れなかったのか?、、、、墓碑は近藤勇、土方歳三のほか殉死した隊士の供養のために、新選組隊士永倉新八が発起人となり、旧幕府典医松本順の協力を得て明治9年(1876)に建てられた。

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●駅が変わる! ・・・・・・埼京線板橋駅では東口(滝野川口)に5階建ての駅ビルを建設中。 只今、内装工事中のようだ。、、、、線路の反対側、西口(板橋口)では、JR用地と板橋区用地があり、2つの用地を一体化して35階建ての超高層を建てる予定らしい。

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2019年10月 2日 (水)

赤い地下鉄の茗荷谷

今日は飯田橋の循環器内科クリニックの帰り、地下鉄丸ノ内線茗荷谷駅まで歩いてきた。 9千歩




●揺れる歩道橋は嫌いだ! ・・・・・・私が通う循環器内科は飯田橋交差点近くのビルの中。 今日は2ヶ月に1回の定期検診日である。 血液検査の結果は異状なし。(そりゃそうだ、医者に診てもらっているのだからね)、、、、駅前の飯田橋交差点から散歩をスタート。 飯田橋交差点は外堀通りと目白通りが交差し、大久保通りの起点でもある、主要道による五叉路である。 地下には神田川が流れ、その下には地下鉄の東西線、南北線、有楽町線、大江戸線が走り、神田川の頭上には首都高5号池袋線がとおる、さらに、飯田橋交差点の外堀通りはオリンピックのマラソンコースでもある、まさに交通の要所である。、、、、交差点には車の振動で揺れる(私が好きになれない)大きな歩道橋が掛かっている。


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●長兵衛の死体が流された橋! ・・・・・・隆慶橋(りゅうけいばし)は、神田川に架かる橋で飯田橋交差点から目黒通りを上流側250m程行ったところ(文京区後楽2~新宿区新小川町)、頭上には首都高が走り、桁下の薄暗いところにある。 昭和10年(1935)前後に架けられた現存する鋼製ポニートラス橋である。、、、、ここには、江戸時代に木橋が架けられていたそうだ。 浅草花川戸の町奴:幡随院長兵衛が旗本:水野十郎左衛門と対立し、湯殿でだまし討ちにあい、その死体が流された場所は、この隆慶橋だったらしい。 橋の名は、江戸初期に祐筆大橋隆慶の屋敷地があったこで命名されたらしい。 、、、現在は上流側に新隆慶橋が架けられ、ほぼ歩行者専用橋となっている。、、、、20年程前、私の勤めるオフィスがこの橋の近くにあり、昼食時には、橋の文京区側に並ぶ、蕎麦屋、寿司屋、定食屋を日替わりで食べ歩いていた、思いである懐かしい処である。

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●丸ノ内線の上だ! ・・・・・・・文京区後楽の裏道を歩き、安藤坂交差点に出た。 これより、丸ノ内線西側の小日向台地(文京区小日向)の裾を抜けていた神田上水の跡でもある「水道通り」(=巻石通り)を歩く。

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・・・・・・・・・・・・・・文京区春日2、金富小学校のグランド脇を上って行くと、コンクリート塀にぶつかる。 長い塀に沿って歩くと、塀の向こう側からゴウーという音が聞こえ、姿は見えねど電車の通過音と気づく。 塀の向こうは丸ノ内線だ! 塀沿いに斜路を上って行く。

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・・・・・・・・・・・・・・丸ノ内線の跨線橋に出た。 ここは、車が通れないため、安心して電車を眺められる。、、、、今年2月から営業運転を開始した真赤な塗装の2000系車両、一世代前の02系車両が切通しを疾走する。

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・・・・・・・・・・・・・・跨線橋の先には、これまた、私好みの細い狭い階段坂となる。 階段を上り、裏道を歩き、再び数段の階段を上ると、春日通りに出る。 正面には、名門の学芸大附属竹早小・中学校がある。(ちょうど下校時間だったようだ) 隣には、も一つ名門の都立竹早高等学校が並ぶ。 

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●丸ノ内線の下だ! ・・・・・・春日通りを250m程歩き茗台中の角を入ると、車は行き止まり。 人と犬・猫は階段坂を下ることができる。

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・・・・・・・・・・・・・・この階段坂は庚申坂と呼ばれている。 長さ約45mの急な階段坂を下ると地下鉄丸ノ内線のガードにぶつかる。 ガードの上は丸ノ内線の車両基地。 坂からは、車両基地に留まる丸ノ内線を眺めることもできる、印象的なロケーション。、、、、下りは楽だが、上りはきつそうだ!
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・・・・・・・・・・・・・・チョイト長いガードを通り抜ける。、、、、70過ぎた爺さんは痴漢に襲われる心配無用! 襲う方かも? 

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・・・・・・・・・・・・・・ガードを過ぎると、今度は上り坂。 坂上の切支丹屋敷跡へ向かう。、、、、文京区ではこの坂を切支丹坂としている。 しかし、庚申坂を含め、ここでいう切支丹坂まで、一気通貫で切支丹坂という説もある。 

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・・・・・・・・・・・・・・坂上には切支丹屋敷跡がある。 切支丹屋敷とは、江戸時代、小石川小日向(こひなた)(現:文京区小日向)に設けられ、山屋敷とも呼ばれたキリシタンらを収容した所。 宗門改役を兼ねた大目付井上筑後守政重の下屋敷に、寛永20年(1643)日本へ潜入したイタリア人伴天連キアラらを収容、改宗を促した。 正保3年(1646)には籠舎(ろうしゃ)・倉庫なども整備した。 宝永5年(1708)に潜入した伴天連シドッチは翌年ここに収容され、新井白石などの尋問を受けたが、牢死した。、、、、イタリア語と日本語、しかも、内容は宗教の教義、当時まともに通訳できたのであろうか、はなはだ疑問なり?

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●茗荷谷の二寺 ・・・・・・・・・茗荷谷駅に至近(小日向4)の2寺。
・・・・・・・・・・・・・・まずは、浄土宗の深光寺。 急坂の参道を登ると右に鐘楼、正面に鉄筋コンクリート造りの本堂がある。 左側には古い歴史の在りそうな墓が並ぶ。 その正面中央に滝沢馬琴の墓がある。、、、、深光寺は、寛永16年(1639)の創建。 昭和2年には茗荷谷町良念寺を合併した。、、、、滝沢馬琴(1767~1818)は、江戸時代後期の著名な戯作者。 「南総里見八犬伝」など、多数の作品を残した。

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・・・・・・・・・・・・・・・次は、曹洞宗寺院の林泉寺。 林泉寺は青龍山と号し、通山宗徹和尚(元和7年寂)が開山、伊藤半兵衛(1660年頃)が開基となり創建したと云われている。 本堂は昨年新築したモダンな鉄筋コンクリート造でピッカピカ。、、、、人々が願いをかけるとき地蔵尊を縄でしばり、願いが叶うと縄をほどく「しばられ地蔵」が境内に祀られている。 「縄でグルグルに、身動きできず、地蔵はギブアップ」てなことがないのかな?

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●学生がゾロゾロ! ・・・・・・さすが文京区の茗荷谷駅。 茗荷谷駅を最寄り駅とする、拓殖大学、御茶ノ水女子大学と付属の女子高・中・小・幼、筑波大学の学校教育部と付属高・中、跡見学園の短大・高・中、都立竹早高、貞静学園、第一中、茗台中、窪町小、学芸大付属高など、頭脳明晰な学生と、チョイト色気づいた女子大生、かわいい小学生などなど、学生がひしめいている駅。、、、、駅は昭和29年(1954)1月20日、丸ノ内線池袋~御茶ノ水間開業と同時に設けられた。 ホームは相対式2面2線構造で、半地下式の地下1階にある。

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2019年9月27日 (金)

県道1号は松戸街道

北総線矢切駅から松戸街道(県道1号)沿いに歩いて京成本線国府台駅まで、1万歩の散歩です。




●朝の通勤ラッシュがない! ・・・・・・江戸川を挟み柴又と矢切を結ぶ「矢切の渡し」、今は観光で利用する人が大半だろう。 まして、朝の通勤に渡し舟を利用する人はいない。(利用したくても、運行開始は10時から) 通勤客は運賃がチョイト高めだが、矢切駅から北総線を利用して都心に向かう。 その矢切駅、一日の乗降客は8,000人程で朝のホームに並ぶ人も少ない。、、、、地下駅であるため、特急電車がものすごいスピード、ものすごい騒音で通過していく。

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●県道1号をスタコラ・サッサ! ・・・・・・・矢切駅前をとおり千葉県市川市と千葉県松戸市を結ぶ松戸街道(県道1号)。 私も駅前から県道を市川方面に歩くことにした。

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・・・・・・・・・・・・・・県道から顔を西に向けると、平成29年国の登録有形文化財に指定された、千葉県水道創設時の円筒形高架水槽「栗山浄水場配水塔」(昭和12年完成)が見える。、、、、チョイトかわいらしい給水塔だ!


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・・・・・・・・・・・・・・浄水場の見える交差点から南側は、住所が松戸市栗山から市川市国府台となる。 その市境に天台宗寺院の泉養寺(醫王山無量院)がある。 泉養寺は、深川を開拓した深川八郎右衛門が開基となり、秀順法師が慶長元年(1596)深川元町に創建、元禄6年(1693)猿江へ移転した。 その後、関東大震災にて被災し、昭和2年(1927)現在地へ移転した。、、、、江戸深川にあった寺で、俳人:松尾芭蕉とも縁ある寺らしい。


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・・・・・・・・・・・・・・泉養寺から100m程行くと、浄土宗寺院の源光寺がある、この寺は両国回向院の別院である。 源光寺は、両国回向院が関東大震災で被災したことから、両国回向院の上人が開山となり、江東区の専受院も合併して昭和4年(1929)に開創した。、、、、寺の本堂は平成21年(2009)にモダンな本堂に建て替えられた。 この本堂は、建築家:河原秦の設計で「千葉県建築文化賞」を受賞したそうだ。、、、、赤い山門をくぐり、緑豊かな参道を歩き、コンクリートを木造で覆った本堂の前に出る。 堂の中には本尊の阿弥陀如来像。、、、、本堂の2階はカフェになっているそうだ、また写経などもできるらしい。 これぞ、“カフェ寺ス”!


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・・・・・・・・・・・・・・源光寺から南(市川寄りに)に歩くと、松戸街道の東側には「じゅん采池緑地」があり、西側には「国府台緑地」がある。 今日は、どちらの緑地も寄らずに歩く。、、、、国府台4丁目の「飛地天満宮」に寄ってみた。 かつて、この地は国府台村の飛地であった。 この地の村人は、本来は「国府台天満宮」を信仰するのであるが、国府台天満宮から離れているため、近くの栗山(松戸市)にある天満宮を信仰していた。 ところが、栗山の天満宮が祭神を変えたため、天神様を信仰したい村人と争議が起こった。 村人は向島(墨田区)の三囲神社に相談し、河内(大阪府)の道明寺天満宮から分祀を受け国府台道明寺天満宮とした。 こうして、一件落着したそうだ。 以来、今もここは三囲神社の神主さん兼務している。、、、、、まさに、信仰もここまですると、頭(こうべ)も下がる、神様、天神様々! 


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・・・・・・・・・・・・・・バス停「公民館」が見えた。 バス停の前に公民館があった。 今どき“公民館”とは、懐かしい響きである。、、、、今は“公民館”と言わず、“生涯学習センター”、“交流館”などと称する処が多いと思う。

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・・・・・・・・・・・・・・国立国府台病院の前を歩く。 国府台病院は、平成22年(2010)に独立行政法人に移行し、『国立研究開発法人』となり、正式名称も国立研究開発法人 国立国際医療研究センター国府台病院となった。、、、、かつては国府台陸軍病院と称したこともある国府台病院。 今は高度医療を追求するナショナルセンターであり、地域の総合病院でもある。


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・・・・・・・・・・・・・・ここまで県道1号を歩いてきたが、県立国府台高校の前に来て、思い出した! 『そうだ、この高校の奥に赤レンガ造りの旧千葉県血清研究所の建物があるはず、ヨシ、見に行こう!』(私はまだ見たことがない建物)、、、、急遽、県道をそれて和洋女子大の西側(裏側)に向かう。 ところが残念なことに、旧千葉県血清研究所に向かう道は封鎖され、工事中の警備員に注意され、建物を見ることができず。 ガッカリ!  

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●汗をかきかきスタコラ・サッサ! ・・・・・・県道1号から江戸川の土手に出た。 残暑厳しく汗をかきかき、国府台駅まで土手を歩く。 

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●学生の駅! ・・・・・・・・京成本線の国府台駅、降りてくるのは学生ばかり。 和洋女子大、千葉商科大、東京医科歯科大の最寄り駅。 一日当たり13,000人が乗り降りする駅。 客の多くは学生さんか?

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2019年9月26日 (木)

二つの内田ゴシック

台風17号のため、出足が遅れた彼岸の墓参りを昨日やっと終え、今日は朝から散歩。 都営地下鉄浅草線の高輪台駅から、都営地下鉄三田線の白金台駅まで、1万歩の散歩です。




●狭い駅です! ・・・・・・高輪台駅昭和43年(1968)11月15日に都営地下鉄1号線(現:浅草線)の駅として開業。 駅ホームは上下線それぞれ単線シールド工法で建設された。 ホーム途中に上下線ホームを結ぶ数本の連絡通路が設けられている、またホーム階と改札階を結ぶ階段・エスカレーターはホーム中央に一ヵ所あるのみ、チョイト狭苦しい構造の駅である。、、、、一日当たりの乗降弱数は15,000人に満たず、浅草線内では最も乗降客の少ない駅。 客が少ないためか、地上の出入口も、国道1号沿いに向かい合わせで2カ所しかない。

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●寺町に出た! ・・・・・・・高輪台駅で下車したが、地上に出るとそこは港区白金台2丁目。 白金台の裏道を西へ向かう。

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・・・・・・・・・・・・・・・道の先は階段となり、高台から下る。、、、、階段を下りた処が、港区と品川区の境で、階段の下は品川区上大崎1丁目
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・・・・・・・・・・・・・・・階段下には日本郵政の宿舎が並んでいる。 宿舎脇の坂を下る。、、、、引き続き、坂を上ると、上大崎2丁目の宝蔵寺の前に出た。 この辺りは、9ヶ寺が集まっている寺町である。

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●福沢諭吉が眠っていた寺! ・・・・・寺町の中に常光寺という寺がある。 浄土宗寺院の常光寺は、正福山と号し、元和元年(1615)芝金杉に開山した。 その後、高輪北町への移転を経て、明治42年(1909)に当地にあった正福寺と合併、明治43年に現在地へ移転した。、、、、この辺りは、上皇后美智子様の実家などがあった高級住宅街。 ここに、元々芝公園の増上寺の子院であった、常光寺を含む浄土宗の9ヶ寺が、明治末期に集団移転してきたのである。 このことが、死後の福沢諭吉を悲しませることとなった。(詳細はこの後)

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・・・・・・・・・・・・・・さて、福沢諭吉の話。、、、、福沢諭吉は明治34年(1901)2月3日に脳溢血で亡くなる。 葬儀は福沢家の菩提寺:麻布善福寺執り行われたが、しかし、諭吉は善福寺には埋葬されず、正福寺(現:常光寺)の墓地に埋葬された。 これは、諭吉が生前、この地:正福寺の眺望が気に入って、生前に自分の墓地を用意していたからである。(ちなみに、現在でも常光寺の墓地からは高輪の台地を見渡すことができ。眺望抜群!) 昭和50年頃、常光寺は本堂の建て替えを行い、その時、墓の所有者は浄土宗信徒であることを条件とした。 福沢家の菩提寺:善福寺は浄土真宗であったため、常光寺に墓を持てなくなり、昭和52年(1977)に墓は、常光寺から菩提寺の善福寺に改装された。、、、、諭吉が自ら建てた墓は無くなり、現在常光寺には、「福沢諭吉先生永眠の地」の碑と、慶大三田キャンパスにある胸像の原型を復元したものがある。

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●これぞ、ゴシック建築! ・・・・・・寺町から北へ向かい目黒通りの白金台駅に出る。 駅前にある「東京大学 医科学研究所」と隣の港区立「ゆかしの杜」にお立ち寄り。(本日の散歩のハイライト!)

・・・・・・・・・・・・・・まずは、東京大学 医科学研究所、、、、医科学研究所は明治25年(1892)に設立された伝染病研究所を前身とし、附属の研究病院を持つ我が国随一の医学・生命科学の研究所。、、、、研究所に入り正面に建つ1号館は、設計は内田祥三の設計により、昭和12年(1937)に完成した旧伝染病研究所である。 (正面玄関は改装中)

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・・・・・・・・・・・・・・旧伝染病研究所と同じ敷地内にあった旧国立公衆衛生院の建物が隣にある。、、、、内田祥三により設計され、昭和15年(1940)に建てられた。 「内田ゴシック」と呼ばれる、ゴシック様式の特徴が取り入れられ、両翼を広げた、城壁のような造りの建物である。 鉄骨鉄筋コンクリート造5階建て(一部8階)。 施工は大倉土木(現:大成建設)。、、、、昨年(2018)この建物は、港区の郷土歴史資料館を中心とした複合施設「ゆかしの杜」に生まれ変わり、開館した。、、、、今日は1階から5階まで、ジックリ、ユックリ、タップリ拝見。 外観も素晴らしいが、340席を有する階段状の講堂が当初の姿で、そのまま残されていた。、、、、明日にでも国宝に指定したいね!

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●羨ましい駅! ・・・・・・・白金台駅東京地下鉄(東京メトロ)南北線と都交通局(都営地下鉄)三田線の共同使用駅。 両線を合計すると、一日当たり約40,000人の乗降客が利用する駅。、、、、気のせいか、乗降する女性客の質が違うようだ! 私が住む浅草橋駅は問屋に来るおばさんが多い、白金台駅は女子大生が多い。 気のせいでなく、事実だ!

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2019年9月20日 (金)

お江戸の隣りの江戸

9月に入り、都が発行する敬老パス(年20,510円で都内のバス、都営交通の電車が乗り放題)を昨日更新した。 新しいパスの使い始めは、遠距離の交通機関がいいだろうと思い、都が運行する日暮里・舎人ライナーで終点の見沼代親水公園駅まで行き、そこから埼玉高速鉄道の鳩ヶ谷駅まで歩く予定で家を出た。 山手線で日暮里まで行く予定が、車内のテレビCMの若い娘に見とれ日暮里駅で下車するのを忘れてしまった。 気づいたのは、“時すでに遅し”、ドアが閉まった。シマッタ! しかたない逆回りで、鳩ヶ谷駅から見沼代親水公園駅まで歩くことにした。 1万4千歩。

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●旧市のターミナル ・・・・・・・王子駅から地下鉄南北線に乗換え、そのまま埼玉高速鉄道の鳩ヶ谷駅まで行く。、、、、鳩ヶ谷駅は、平成13年(2001)3月28日に開業。 島式ホーム1面2線の地下駅。 開業時は鳩ヶ谷市の駅であったが、平成23年(2011)に鳩ヶ谷市は川口市に編入され川口市の駅となる。、、、、鳩ヶ谷市は東京都足立区に隣接し、蕨市に次ぎ面積の小さな埼玉県南部の市であった。 鳩ヶ谷駅は鳩ヶ谷市の中心部、市民センターの地下に造られており、当時財政難と云われていた鳩ヶ谷市としては贅を尽くした建物である。

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●かつては宿場町! ・・・・・・鳩ヶ谷駅付近の建物、、、、今年の春に、鳩ヶ谷駅周辺を歩いていた。コチラを!
・・・・・・・・・・・・・・駅から300m程、北東の高台に鎮座する鳩ヶ谷氷川神社。 鳩ヶ谷氷川神社は、鳩ヶ谷宿・辻村・里村の鎮守で、応永元年(1394)に造営された。 明治以降、周辺の神社18社を合祀し、社殿の周囲には境内社が並んでいる。

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・・・・・・・・・・・・・・神社の東側をとおる日光御成道に残る、鳩ヶ谷宿のシンボル的な建物は十一屋北西商店。 昭和5年(1930)に建てられた店舗と蔵は、国の登録有形文化財に指定されている。 酒屋としての創業は明治初期で、現在の主人はソムリエの資格を持っているそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・・・・日光御成街道沿いに、もう一軒、旧船津眼科医院がある。 昭和初期の木造建築。、、、、現在も住居として利用されている。 レトロチックなこの建物に住んでおられる方が羨ましいね!

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・・・・・・・・・・・・・・オゥ~~懐かしい、最近は見られなくなった、赤く塗られた地上式消火栓。 地上式消火栓の規格は昭和44年(1969)に廃止となった。 しかし、積雪の多い地方ではまだ使用されているそうだ!

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●面白いことないかな~ ・・・・・・・・鳩ヶ谷から見沼代親水公園駅に向かい。バス通りを歩く。 

・・・・・・・・・・・・・・私を引きつけるものがない、美人も歩いていない、単調で、面白みがない道を、ホイサカホイサカ歩く。 

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・・・・・・・・・・・・・・オヤ! “もう東京に着いたか”と言いたくなる地名「江戸」に来た! 江戸は、川口市の東部、毛長川沿いの町。 中小企業の工場・倉庫や、住居兼工場が多く住宅地とは言いずらい。、、、、この辺りの旧地名は“江戸袋村”である。

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・・・・・・・・・・・・・・「江戸」の隣り町は「江戸袋」、こちらは「新郷工業団地」を中心とした町。 地名の由来は、徳川家とは一切関係なく、「水が淀み、悪水が溜まりやすい低湿地」であったから名付けられたそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・江戸袋1丁目にある真言宗智山派の東光院は、古桂山大山寺と号します。 東光院は、聖政(慶安元年(1648)寂)が開山したと云われている。 大きくなく素朴な感じの寺である。 今日は“彼岸の入り”、檀家の人々が線香をあげていた。(私も、三連休に墓参りしなければ!)

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・・・・・・・・・・・・・・本堂前の「女人開運・所願成就 願いがかなう お地蔵さま」と標された立札が目にとまる。 六面それぞれに地蔵菩薩立像が彫られている、一石六地蔵石が立っていた。 女性はハッピー、男性はアンラッキー!

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・・・・・・・・・・・・・・川口市江戸袋・川口市本蓮を抜け、東京都足立区舎人に入ると、2つの川、見沼代用水東縁と毛長川が直交している。 ここには舎人橋が架かっている。 2つの川は水位が異なり、ここで全てが合流するのではなく、交差するのである。、、、、北から流れてきた見沼代用水東縁(写真1)は、舎人橋で毛長川にぶつかり(写真2)、水量の多くは毛長川の方に流れ合流する(写真3)が、用水の一部は毛長川の下を通り川向こうに流れるように仕組まれている。(文章で説明しずらい仕組み、実物をご覧あれ!)

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●着きました! ・・・・・・・見沼代親水公園を通り抜けると日暮里・舎人ライナーの見沼代親水公園駅が見える。

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・・・・・・・・・・・・・・新しい敬老パスで改札を通過できた、これで向う一年間、“乗り放題”で利用できる。 ヨシ・ヨシ!、、、、先頭車両の一番前に座って、日暮里まで嬉しそうに乗車!

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2019年9月17日 (火)

美しいモスク!

京王線代田橋駅から、小田急線代々木上原駅まで、1万1千歩の散歩です。

 

●再開発に着手! ・・・・・・・代田橋駅は、大正2年(1913)4月15日、京王電気軌道の駅として開業。 相対式ホーム2面2線の駅で、狭い敷地のため駅舎・改札は八王子寄りの地下に1か所のみある。、、、現在、京王線笹塚駅~仙川駅間の高架化事業が始まり、数年後には代田橋も高架駅に生まれ変わる。 また、駅前の和田堀給水所により、道路の一部が途切れていた井の頭通りも一直線の道路に変わる予定。 こうなると、代田橋駅前の再開発が巷の噂となって“あたり前田のクラッカー”。 世田谷区では計画実現に向け、真剣に取り組み始めているそうだ。、、、、通勤・通学時間、狭い駅前の通りは学生がゾロゾロ、快傑ゾロ!

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●区内唯一の酉の市 ・・・・・・駅の西50m程、線路沿いに大原稲荷神社がある。 天明2年(1782)五月、それまで代田村字大原の北外れを結界とし、村外からの悪霊を祓うため地元の人々の寄合地としてあった杉林に社を建て、遠く京都の伏見稲荷大社まで出向き、稲荷神社が勧請された。 境内社として大鳥神社があり、11月の酉の日には縁起物の熊手市が立ち、世田谷区内唯一の酉の市とあって大勢の人で賑わうそうだ。

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●丸は無くなり、四角ができる ・・・・・代田橋駅の南西に、大正から昭和にかけ建てられた規模の大きな和田堀給水所がある。 用地面積は約5,400㎡。 ここには、頑強な丸い造りの1号配水池(昭和9年完成)と、小さな山の様な四角い2号配水池(大正13年完成)があり、千代田区・港区・渋谷区・世田谷区・目黒区に給水していた。 2つの配水池の有効容量は合計60,000㎥だが、容量不足と老朽化により、平成23年(2011)から給水池の再構築と、給水所の北側を迂回するように延伸されている井の頭通りの直線化工事が行われている。 2号配水池は壊され、丸い1号配水池も今後壊される予定である。 その後、四角い2つの配水池が新たに造られる予定だ。 井の頭通りは配水池の地下を通るらしい。 完成すると、有効容量を60,000㎥から110,000㎥になるそうだ。、、、、工事も佳境に入り部外者は立入禁止、給水所の周りを歩いても、現場の中は見えずらい。 鉄柵越しに最後の姿を瞼に焼き付ける!

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●世田谷の和風住宅! ・・・・・・和田堀給水所の東、大原二丁目交差点を越え、大原1丁目の裏道に「柳沢の杜市民緑地 」がある。 庭の広い個人住宅の跡である。 ここは、かつてこの場所に暮していた柳澤君江が、生前「没後もこのままで残して欲しい」と願い、その意思に沿って残された和風庭園と住宅の跡である。 現在は、市民緑地として開放されているようだ。 庭の奥にある、伊東安兵衛(1908~1972、東京都生まれ、家具・木工のデザイナー。他方、建築設計も行う)の設計による、昭和26年(1951)に建てられた、国の登録有形文化財の建物も残されており、故人が暮らし、愛した風景に触れることができる。、、、、建物の中には入れず、残念!

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●“なつぞら”の空 ・・・・・・・今日の空は、青く澄んだ空に白い雲の映えるアニメのような“なつぞら”。 世田谷区北沢、渋谷区大山町の裏道を歩き代々木上原駅に向かう。、、、、“なつぞら”は暑い、久しぶりに汗が噴き出してきた。

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●凄い綺麗なモスク! ・・・・・渋谷区大山町、もうまもなく代々木上原駅だと思った時、目の前に尖塔が見えた。 アッ、あの尖塔は銭湯の煙突ではない、あれは紛れもなく、私が前から行って見たかった、イスラム教のモスク「東京ジャーミイ」だ! ヨシ、内部を拝見させてもらうぞ!

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・・・・・・・・・・・・・・東京ジャーミイ(Tokyo Camii)は、日本最大のイスラム教寺院である。 東京ジャーミイは、駐日本国トルコ共和国大使館の所属であり、宗教法人「東京トルコディヤーネットジャーミィ」によって運営されている。 モスクの光熱費などはトルコ共和国宗務庁が負担しており、責任者であるイマームも同庁からの派遣である。 東京ジャーミイには、1階にイスラム教(回教)やトルコの文化を紹介する「トルコ文化センター」があり、2階は最大2,000人収容可能な礼拝堂で、女性用の礼拝室も3階にある。 日本最大のモスクである。 敷地面積は734㎡、建物床面積は1,693㎡。 東アジアで最も美しいモスクと云われている。、、、、只今、建物外部は改装中。 内外の壁には大理石を多用し、今日の空の青さを背景に白さが際立っている。

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・・・・・・・・・・・・・・まずは、1階、トルコの美術品が展示されているトルコ文化センターを拝見。 チョイト旅のおつまみに、トルコ原産のナツメは食べ放題。(私は遠慮して3粒ほど頂戴してきた)

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・・・・・・・・・・・・・・2階は礼拝所。 東京ジャーミイの扉・天井・壁などにある装飾は全て意味がある模様・デザインである。 アラビア語の簡潔な文章で、神のメッセージや預言者ムハンマドの言葉がいたる所に記されている。 私はアラビア語はダメなので、すべてが模様のように見えてしまった。 ゴメン! ここで2000人が礼拝する様子を見てみたくなった。 圧倒されること間違いなし!、、、、3階は女性の礼拝室で男性は入室禁止。 残念だが、見るのはあきらめた!

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●懐かしさを感じたホームの売店 ・・・・・・・・代々木上原駅は、昭和2年(1927)4月1日、代々幡上原駅として開業。 昭和16年、代々木上原駅に改称。 昭和53年(1978)に営団地下鉄千代田線・代々木公園~代々木上原間が開通し、小田急小田原線との相互直通運転開始。、、、、現在は、島式ホーム2面4線の高架駅。 最近少なくなったように思えるホームの売店がある。


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2019年9月14日 (土)

駄菓子屋を覗いた大鳥居

京浜急行空港線大鳥居駅から、多摩川の六郷水門を見て、京急本線の雑色駅まで、9千歩の散歩です。




●霧雨の寒い駅 ・・・・・・久しぶりに多摩川の六郷水門が見たくなり、京浜急行空港線の大鳥居駅下車して歩くことにした。 我が家(浅草橋)を出る時は降っていなかったが、大鳥居駅は霧雨の中で、半袖の私には肌寒いスタートとなった。、、、、かつての地上駅は、環状8号線と産業道路が交わる大鳥居交差点のところにあったため、踏切渋滞を解消するために平成9年(2021)11月に地下駅となった。 相対式2面2線のホームは地下1階にあり、駅舎(改札口・出口)は交差点を挟み西口・東口の2ヶ所となった。、、、、駅名の大鳥居は、穴守稲荷神社の大鳥居が付近にあったことに由来する。 現在は空港島の端、天空橋駅付近に移設されている。

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・・・・・・・・・・・・・・大鳥居駅の西側、線路が地下にもぐる部分。 “線路が地上に出る部分”とも言う!(好みで、お好きな方を)

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●機関車で喜ぶ親爺 ・・・・・・大鳥居駅の南にある萩中公園(大田区萩中3)、ここに鉄道ファンが嬉しがるものが静態保存されている。、、、、9:00開園の公園に、子供より先に大人の一番乗り!

・・・・・・・・・・・・・・蒸気機関車:大正3年(1914)に英国マンチェスターのベーヤ―・ピーコック社で製造された蒸気機関車。 昭 和41年(1966)9月まで、東武鉄道に最後の蒸気機関車として走っていたもので、大田区が譲り受けた。

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・・・・・・・・・・・・・・尼ヶ崎駅、玉造駅などで、駅構内での車両の入換え、トロの牽引をしていた軌道モーターカー、昭和30年(1955)加藤製作所製。

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・・・・・・・・・・・・・・都電荒川線7008号車:都内唯一の路面電車である都電荒川線の主力車両として平成24年(2012)12月まで運行し、親しまれていた車両。 都から譲渡されたもの。

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●寺の隣りは駄菓子屋さん ・・・・・・・・萩中公園の南(本羽田3)には、いくつかの寺院が集まっている。 その内の2寺。
・・・・・・・・・・・・・・日蓮宗の長照寺は羽田山と号す。 長照寺は、池上本門寺第12世惺(1550~98)が大師橋付近に創建したと云われている。 明治11年(1878)の大洪水で諸堂宇を流失し、翌年現在地に移転再興した。 震災・戦災で被災し、現堂宇は昭和39年(1964)に建立。、、、、山門だけは戦火を免れ、修復され現在に至っている。 大きな境内の寺だが、事務所・諸堂が大きく、墓地も大きく、本堂前の庭は小さい。

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・・・・・・・・・・・・・・長照寺の西側には、浄土真宗本願寺派の放光山海岸寺がある。 海岸寺の創建年代は不詳。 震災後の昭和3年(1928)築地本願寺寺中から当地へ移転した。、、、、こじんまりした寺で、木々は庭師によりよく手入れされている。 茶室のような寺。 

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・・・・・・・・・・・・・・海岸寺の南隣に小さな駄菓子屋を発見。 店主のおかみさんと駄菓子屋談議で、チョイト昔を懐かしむ。、、、、煙を愛する大人向けにタバコも販売していた。

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●あと100年もすれば世界遺産登録されるかも? ・・・・・・・木造の骨組みが残る戦前の金属加工工場。 内部にはクレーンも取り付けられているが、そのクレーンは木造で支えられている。、、、、現在は車の整備工場として使用。 先日の台風で屋根の一部が壊されたが、建物が世界遺産登録されるのを待っているそうだ!(オーナー談)

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●煉瓦造りの水門は町のシンボル ・・・・・・・多摩川の土手に出た、チョイトばかり上流側に歩く。

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・・・・・・・・・・・・・・昭和に入り、六郷地区の住宅化が進むにつれ 生活用水が増し大雨時には排水しきれずに浸水する事態が起こった。 そこで、地元六郷町が国と東京府の補助金を受けて昭和6年(1931)にこの六郷水門を設けた。 水門は、下水道が普及するまで六郷用水の末流をはじめ、六郷や池上、矢口、羽田の一部地域の雨水、汚水を排除していた。、、、、水門に架かる橋の高欄には、「郷」の字を、「口」の字が9個で囲む六郷町の町章を用いている。 船溜まりは、かつて舟運にも利用され、雑色運河とよばれた水路下流の様子を今に伝えている。、、、、昭和47年(1972)、新たにポンプの圧力によって強制的に排水できる施設が東京都下水道局によって設置され、さらに下水道の整備もすすみ、六郷水門はその機能を保ちつつ使われる事はなくなった。、、、、水門は地元のシンボルとして、多摩川と共に公園のように整備されている。

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・・・・・・・・・・・・・・この六郷水門船溜まりの先から、真直ぐ「水門通り商店街」が京急本線の雑色駅まで続く。、、、、全長600mぐらいある長~い商店街、大きな店舗はないが活気はありそうだ。 

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●モダンな駅だ! ・・・・・・・雑色駅は明治34年(1901)2月1日、京浜電気鉄道の駅として六郷橋~官設大森間の開通と同時に開業。 平成22年(2010)から平成24年(2012)に、上下線のホームを高架線へ切り替える。 現在は、私が住む浅草橋駅よりモダンでカッコイイ高架駅である。 負けた!、、、、駅名の雑色は当時の地名:雑色村から名付けられたが、“雑色”の名は駅名に残るだけとなった。 

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