鉄道

2017年10月 9日 (月)

牛田~堀切

夕食前のミニ散歩と言うことで、夕日が出始めた頃、東武伊勢崎線牛田駅から一駅手前の堀切駅まで、電車を見ながら歩いてきた。
 
 
 
●牛田駅・・・・・・・・・急行・準急の優等列車は全て通過し、普通列車と区間急行・区間準急と名付けられた北千住~浅草間は各駅停車の列車が停まる都会のローカル駅。、、、、、降り立つと、なぜか“ホット”する駅である。
 
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●駅前の店・・・・・・・・・・静かな駅前に、地元の人のみぞ知る、地元の名店。、、、、、「中華そば」の暖簾がイイネ!
 
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●東武と京成の交差点・・・・・・・・・・上を通る京成電車。 下を走る東武電車。 
 
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●堀切駅・・・・・・・・・・・・“昭和”の匂いが残る駅。 哀愁をおびた駅。 私の好きな駅。、、、、、下り(北千住方面)は三角屋根の駅舎。 上り(浅草方面)は土手下の駅舎。 上下ホームを連絡する構内通路なんて、贅沢なものはないよ!
 
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2017年9月20日 (水)

柴又

晴れるようで晴れそうにない曇り空。 まずは、京成金町線に乗り金町へ、金町から柴又帝釈天の題経寺へ、草団子を買ったら持ち歩くのが面倒になり、散歩は止めた。 金町駅から帰宅する。
 
 
①京成金町線・・・・・・・・・・金町線の前身は、明治32年(1999)に柴又~金町間が開通した帝釈人車鉄道である。 開通から13年後の明治45年(1912)には、高砂~柴又間の電車が開業し、翌大正2年(1913)には高砂~金町間の全線が開通した。、、、、、金町線は路線距離2.5km、駅は両端の「高砂」、「金町」2駅と途中駅の「柴又」のみ、全線単線で、4両編成で運行されている都会のローカル線である。 
 
●高砂駅・・・・・・・・・・・・・・高砂駅は橋上駅舎で、改札は2階にある。 本線の改札と向かい合って金町線の改札がある。、、、、、電車が到着するとドッと乗客が出てくるが、数分もするとガラガラとなる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・金町線の高砂駅ホームは、地上を走る京成本線の頭上に造られた1面1線専用ホームである。
 
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・・・・・・・・・・・・・・改札をとおりホームに出ると、3500形の電車が出発を待っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・ホーム先端に立つと、高架上の金町線(単線)と地上の本線、北総線の線路群が見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・・朝の金町行は空いている、ガラガラだ!
 
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●柴又駅・・・・・・・・・・・・柴又帝釈天の参道前にある柴又駅。 2面2線の地上駅で、ほぼ大半の列車がここで列車交換を行う。
 
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・・・・・・・・・・・・・・柴又駅には、今では都心の駅では珍しくなった構内踏切がある。 「構内踏切」とは、その名のごとく駅構内の踏切で、改札を駆け込んできた人が電車のお尻と車掌さんお尻を見ながら、息を切らして踏切を渡り、ホームへ駆け上がり、車掌さんに近いドアから車内に飛び込む、映画のワンシーンを創り出す踏切だ。 ちなみに「構内踏切」という呼び方はあくまで俗称で、正式には「渡線路」と言う。 “踏切”は公道に設置されるものである。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅前の寅さん像は有名だが、 今年の3月から、旅に出る寅さんが故郷や家族の方を振り返ったシーンをモチーフに、視線の先に最愛の妹・倍書千恵子演ずるさくらを配した銅像となった。、、、、、似ている! Good!
 
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●・・・・・・・・・・・金町浄水場前を疾走し、 水戸街道を横断する金町線。
 
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●京成金町駅・・・・・・・・・京成金町駅は、単式ホーム1面1線の地上駅。 ホームと道路の段差は小さく、道路面から5段のぼればホームに出られる、ローカル色の残る終着駅。
 
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②柴又帝釈天・・・・・・・・・・・・「帝釈天」は、本来、仏教の守護神である天部の一つを指すが、“柴又の帝釈天”と言えば、日蓮宗の寺院の通称で、正式名称は経栄山題経寺(きょうえいざんだいきょうじ)を指す。 その帝釈天の旧本山は大本山中山法華経寺。、、、、、江戸時代初期の寛永6年(1629)に、禅那院日忠および題経院日栄という2名の僧によって開創された日蓮宗寺院。
 
・・・・・・・・・・・・・・午前10時前後の参道、まだ参詣人の姿はチラホラ、店も準備中。
 
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・・・・・・・・・・・・・今日は彼岸の入り、帝釈天には団体さん御一行が先着していた。 御一行はガイドに引率され、早々とお食事処に消えた。、、、、、静かになった境内で合掌。 
 
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●・・・・・・・・・・・・お参りもすみ、忘れずに妻にみやげの草だんごを買って帰る。

2017年8月19日 (土)

幸せの黄色い電車

『今日の散歩は何処から歩くかな?』と行くえ定まらず、都営浅草線の浅草橋駅ホームに立った。 すると丁度、黄色に特別塗装した1000形電車の"­;KEIKYU YELLOW HAPPY TRAIN(京急イエローハッピートレイン)"が停車中である。 この塗装の電車は1編成しかなく、乗れると幸運であることから「幸せの黄色い電車」と言われている。 無我夢中で、電車に飛び乗った。 乗ったはいいが、何処で降りようか? 考えるのは面倒だ、電車の終点「高砂」まで行ってみるか。、、、、、と言うことで、今日の散歩は、イエローハッピートレインに運命を託し、高砂駅から京成小岩駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
イエローハッピートレイン・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・・・先頭車両まで移動し、イエローハッピートレインの運転手気分で御満悦!
 
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・・・・・・・・・・・・・・終点:高砂に到着。 降りたくないが、降りることにした。
 
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・・・・・・・・・・・・・・先頭車両を撮り、高砂検車区へ向かう後ろ姿を見送る。
 
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・・・・・・・・・・・・・『さて、これから何処へ向かうか、思案、こし餡、小倉餡。 悩むね?』 ホームでしばらく考え、今日は高砂駅をじっくり見て、そのあと、京成本線沿いに歩いてみることにした。
 
 
②高砂駅・・・・・・・・・・・・スカイツリーのある押上から、荒川・中川と大きな川を2本越えると高砂駅に着く。 東京都葛飾区の駅である、千葉県の駅と誤解しないように。、、、、、、大正元年(1912)11月3日に、曲金駅(まがりかねえき)として開業し、翌年6月26日に高砂駅に改称した。 現在の正式名称は“京成高砂”駅であるが、“京成”は省略されている。、、、、、京成本線、金町線、成田空港線、北総線が乗り入れている。 金町線は1面1線の高架ホームを使用しているが、その他の線は島式2面4線の地上ホームを使用している。 都心寄りの隣駅:青砥駅とともに、京成電鉄におけるジャンクションである。
 
・・・・・・・・・・・・・・高砂駅の正面(?)、、、、、手前踏切は有名な開かずの踏切。(正式には高砂1号踏切) 高架上には駅舎(中央)と金町線ホーム(左)がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅出入口は、踏切の脇、裏道の奥などに複数個所ある。 しかし、どれも小さな素っ気ない出入口で、『これから、電車に乗るんだ!』と思わせる、ワクワク感に乏しい駅だ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・階段を上がり駅舎2階には、京成本線・成田空港線・北総線の改札口と向かい合わせに、金町線の改札口がある。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・島式2面4線の狭い地上ホームには、引っ切り無しに電車が発着し、乗務員の交替、乗客の乗り換え、電車の始発終着、何となく落ち着かない下町の匂いが漂う駅である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅構内にある古レールのモニュメント。 明治44年(1911)のカーネギー社(米国)製のレールで、大正元年(1912)押上~金町間の開業時に使用されたもの。 その後、高砂駅のホーム屋根を支える支柱として使用されていた。、、、、、1世紀前のレールである。 私の住むJR総武線浅草橋駅や、中央線水道橋駅のホーム支柱も古レールをアールデコ調の曲線に加工し、組み立て使用している。 ぜひ、一見あれ!  
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅を一周しても、周辺には、パチンコ、ファミレス、ドトール、コンビニ、ブティックなどが並ぶ、これぞ“高砂銀座商店街”と言えるような繁華街は無い。、、、、、小田急線、東横線、田園都市線など、山手を走る私鉄の駅には小洒落た店が並ぶ楽しい商店街が多いのだが、京成沿線は負けている、ダメだ!、、、、、、京成沿線の地価が安いのも、納得できる。
 
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③高砂第1号踏切・・・・・・・・・高砂駅ホームの東側に隣接する踏切。 踏切の頭上には京成金町線の高架ホームがある。 高砂駅は京成本線・成田空港線・北総線、さらに高砂検車区への入出庫線もある、一大ジャンクションで多くの線路が交錯し、発着量も多い。 第1号踏切は当然“開かずの踏切”となった。、、、、、線路を高架にする計画はあるそうだが、検車区が至近にあるため、工事が難しそうだ。 納得!
 
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・・・・・・・・・・・・・・踏切の先には高砂2号踏切があり、その奥に高砂検車区が広がる。
 
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④高砂第2号踏切で・・・・・・・・・高砂検車区手前の2号踏切で見えた! 『オゥ! イエローハッピートレインが車庫に停まっている。 ラッキー!』と思ったら、さらにこちらに向かってく来る、ウハウハ興奮したね。、、、、、、吾輩が高砂駅で下車してから、約1時間が経過している。 京急久里浜行きとして折り返すようだ。 踏切で入線を見送ることにした。
 
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●・・・・・・・・・・「幸せの黄色い電車」を充分堪能し、幸せいっぱい、腹いっぱい、あとは幸運の女神がやってくることを期待し、京成本線沿いを京成小岩駅まで歩いた。、、、、曇り空の下、梅雨時のようなジメジメ、ベトベト天気。 幸運を期待し、汗をダラダラ流し、線路沿いに大金が落ちていることを念じ、注意して歩いてみたが無駄だった。

2017年5月14日 (日)

押上~亀戸

押上駅から、東武亀戸線の東側(京島地区、丸八通り)を歩き亀戸駅まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
とうきょうスカイツリー駅留置線 ・・・・・・・・東武スカイツリーライン(伊勢崎線)の本線南側にはかつて東武鉄道の広大な貨物駅があった。 貨物駅は平成5年(1993)まで営業を続けていたが、その跡地は総事業費650億円を投じて整備され東京スカイツリータウンと変わった。 本線北側には5本の留置線が地上に残っている。、、、、東武鉄道は「とうきょうスカイツリー駅」(旧業平橋駅)をチョイト曳舟駅側に寄せて、本線と留置線を丸ごと高架(全長約1.0km)とし、南側の賑わいを本線の北側にもひろげる予定である。 本年(2017年)着工し、2023年までに完成させる予定らしい。、、、、、工事の進捗を見に来たが、まだ着手していないようだ。 日を改めて出直しだ!
 
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京島 ・・・・・・・・・・・来るたびに変わる京島地区。 今日も古い家が壊され、更地に変わっていた。 
 
・・・・・・・・・・・・・・東武亀戸線の踏切を渡り京島に入る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・緊急車両が通れない細い道は、まだまだ多く残っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・所々、古い建物は壊され、「不燃化促進用地」(区の要請により、UR都市機構が地区内の土地を売却希望者から買い受け、周辺の不燃化建替えに活用、道路・防災スポット等の整備の代替地としての活用など、不燃化の促進を目的とする。)の立札が立っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・こちらの玄関にはバラが咲き、あちらの玄関には洗濯物が下がり、京島を印象づける。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・木造の長屋もまだまだ健在!
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・・・・・・・・・・・・・・只今、朝8時45分。 あの、元気なキラキラ橘商店街も、まだ開店準備中。
 
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・・・・・・・・・・・・・・京島と押上の町境を通過する東武亀戸線
 
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・・・・・・・・・・・・・・京島の隣町「文花3丁目」にて、、、、、古そうな建物も残っている、、、、、
 
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③東あずま駅・・・・・・・・・昭和3年(1928)4月15日、平井街道駅として開業し、昭和20年(1945)に駅は廃止となる。 昭和31年(1956)5月20日、東あずま駅として再開業する。、、、、ところで、駅付近はかつて吾嬬町(あづまちょう)であった。 駅名としては、本来「東あづま」となるはずなのに「東あずま」となった。 理由は不明、東武鉄道の誰かのミスだろう。 直さないのも頑固でいいね!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・東武亀戸線 を走る、オレンジの車体にイエローの帯を巻いた、昭和30年代のリバイバルカラーに塗装された8000系車両
 
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2017年5月 8日 (月)

西新井~小菅

東武伊勢崎線西新井駅から小菅駅まで、東武伊勢崎線の廃線跡を歩いてきた。 1万1千歩の散歩です。
 
 
旧東武伊勢崎線・・・・・・明治32年(1899)に北千住~久喜間を開業する。 北千住~西新井間の開業時のルートは、北千住をでると現:常磐線の上を交差して(当時、まだ荒川は無い)をとおり、荒川の対岸:足立1丁目付近から直線的(現:梅島通り+亀田トレイン通り)に西新井へ向かっていた。、、、、、大正12年(1923)に荒川放水路(現:荒川)の開削工事により、鐘ヶ淵~西新井間のルートが変更された。 北千住~西新井間は現在の小菅、五反野、梅島を経由するルートとなる。(途中の3駅は翌年(大正13年)に開業する)、、、、、明治に開業した旧ルートは、現在、道路や住宅地として転用されている。
 
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西新井駅 ・・・・・・・・・今日の散歩は西新井駅から、旧東武伊勢崎線の廃線跡をなぞり、小菅駅に向かうことにした。
 
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・・・・・・・・・・・・・・北千住よりのホームから眺めると、写真中央、線路の奥に見えるマンションの右側を旧伊勢崎は走っていた。
 
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②亀田トレイン通り・・・・・・・・・・西新井駅南側(足立区西新井栄町1)から、梅島駅の南側(足立区梅田8)までの全長約773mの道路。 この道の大部分は、平成16年(2004)に廃止された東武鉄道西新井車両工場の跡に造られている。 工場のあった地名が「亀田」で、「亀田トレイン通り」と命名された。 ここに、かつて伊勢崎線が走っていた。
 
・・・・・・・・・・・・・西新井駅から亀田トレイン通りまで続く、細長い空き地。 ここに、車両工場への引込線があったようだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・亀田トレイン通りのはじまり。 ここから、東武鉄道西新井車両工場の跡となる。 道路の左側のマンションは東武鉄道が販売、右側には亀田トレイン公園都営梅田八丁目アパート(平成23年築、316戸)が並ぶ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・亀田トレイン公園前に車輪のモニュメントがある。 もちろん、東武鉄道の寄贈である。 できれば、我が家にも一つ寄贈して欲しいのだが、置く場所に困るね!
 
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・・・・・・・・・・・・・・亀田トレイン通りの梅島駅よりは、多少カーブして終了する。 当時の線路がカーブしていたわけではなく、再開発時に道路をチョイト曲げたようだ。、、、、、振り返ると、東武鉄道のマンションが右側に見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・亀田トレイン通りを真直ぐ伸ばすと、その先に線路敷きの幅ぐらいの住宅(写真中央)がある。 その先は足立区立第九中学校(ベートーベンの母校?)の敷地となる。
 
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③梅田通り・・・・・・・・・・・・・梅島駅の南側で、亀田トレイン通りに続く梅田通り。 一方の端は日光街道と江北橋通りも交差する六差路の梅田交差点である。  この通りは線路跡を活用してつくられた。
 
・・・・・・・・・・・・・・第九中を横切って伸びてきた線路は、写真左側の梅田通りに続いていく。 右へ向かう通りは旧日光街道
 
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・・・・・・・・・・・・・・上の写真中央:マンション前に道標が建てられている。 「左東武鉄道旧線路跡」、裏側には「右旧日光街道」の文字。
 
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・・・・・・・・・・・・・複々線の線路跡かと思うほど拡幅された梅田通り。、、、、当時を語る遺構などは何もない!
 
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・・・・・・・・・・・・・・約1kmの梅田通りの南端、梅田交差点が見えた。 日光街道の陸橋が見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・・陸橋下から梅田通りを振り返る。
 
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④線路跡の住宅・・・・・・・・・・・・日光街道を横切り足立1丁目に入ると、線路跡は住宅が密集し判別が難しくなるが、航空写真を見ると住宅の並びで推測できる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・周囲の住宅とは向きが異なり、線路跡に並ぶ写真中央の住宅。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・荒川土手側でも、道路に対し斜めに向いて建っている。
 
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⑤荒川・・・・・・・・・・・・・「線路が伸びていたのはこの辺りかな?」と思われる土手の上に立ってみた。 正面に北千住の街、左手に千代田線・常磐線・つくばエキスプレスの橋梁が並行して架かる。 この橋梁付近で常磐線と交差し北千住に向かっていたのか! 一人で納得。
 
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小菅駅・・・・・・・・・・・・私は泳げないので、荒川の川底の線路跡を追いかけるのはやめた。 近くの小菅駅から帰ることにする。
 
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2017年4月20日 (木)

尾久車両センター

京浜東北線上中里駅で下車し、尾久車両センターの周囲を歩き田端新町まで、8千歩の短い散歩である。、、、、、田端新町からバスで浅草に出て、帰宅。
 
 
 
上中里駅 ・・・・・・・・・・・昭和8年(1933)7月1日に開業した上中里駅。 23区内のJR駅の中でも、際立って利用客の少ない駅。 出入口・改札口はホームの東端の橋上に一か所あるのみ。 駅での待ち合わせには、間違えることの少ない人にやさしい駅である。
 
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②車坂跨線橋・・・・・・・・・・・上中里駅から直線距離で約300m田端側で、京浜東北線上に架かり、新幹線下を抜ける跨線橋。 現橋は昭和57年(1982)に架けられたものであるが、昭和初期の写真に跨線橋が写っている。、、、、、、橋名の「車坂」は、崖上の滝野川女子学園の脇を南へ上る坂である。
 
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③上中里庚申堂・・・・・・・・・駅から跨線橋を渡り崖下の道路沿いに出ると庚申堂がある。 堂内には、石塔が複数あり祀られている。 庚申塔には、寛文5年(1665)の年号が読み取れる。
 
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④上中里2丁目の裏道・・・・・・・・・・・・・駅の北側には、昭和の下町の面影を残す細い道がある。、、、、、私、好みの細道。
 
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⑤梶原踏切・・・・・・・・・・・・・・上中里駅から北へ150m程の処(尾久車両センターの大宮寄り)にある東北本線(宇都宮線+高崎線)の踏切。 通勤時間帯は、都内にある踏切同様、ここも開かずの踏切となるため、人がわたることのできるエレベーター付き跨線橋が隣に設置されている。、、、、、跨線橋は、嵌め殺しのガラス窓があるので、チョイト写真を撮るには邪魔だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・踏切から撮影。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・跨線橋から撮影。
 
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⑥尾久駅・・・・・・・・・・・・・昭和4年(1929)6月20日に開業した東北本線の駅。 上中里と利用客の少なさを競う駅。、、、、、駅の所在地は荒川区の尾久ではなく、開業当時から北区昭和町にある。 ところで、荒川区の地名「尾久」(東尾久・西尾久)は『おぐ』と読む。 駅の「尾久」は『おく』と読む。 なぜか・・・・駅名を決めるとき、当時の国鉄(時代からすると鉄道省)が、『おぐ』は訛りだと思い、『おく』にしてしまったそうだ。 単なる間違いが80年以上訂正されずに使用されているようだ。
 
・・・・・・・・・・・・・・・梶原踏切から尾久車両センターに沿って歩いてきた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・尾久駅。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・尾久駅の脇から、尾久車両センターの広い構内を横断する地下道「尾久構内架道橋」がある。 長さ約150m、長い!
 
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⑦田端信号場駅の脇を歩く・・・・・・・・・
 
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⑧東田端道標・・・・・・・・・・・田端運転所と尾久車両センターの間の道を田端駅方向に歩いてくると、運転所の角(東田端2-19)に道標がぽつんと立っている。、、、、「右 □阿弥陀 西新井弘法大師道」、「左 王子道」と標されていた。 どうやら、私が歩いてきた道が王子街道(王子道)であった。
 
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●・・・・・・・・・・・・・これより、近くの明治通りにでて、バスで浅草へ行く。 散歩はここまで!

2017年4月 4日 (火)

江古田~沼袋

千葉鉄道聯隊で活躍していた「E18機関車」が見たくなり西武池袋線の江古田駅から、西武新宿線の沼袋駅まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
江古田駅 ・・・・・・・・・大正11年(1922)11月1日、“1”並びの日に開業した駅。 旧制武蔵高等学校(現:武蔵大学)の設立に合わせて「武蔵高等学校用仮停留所」として開業し、翌年、駅名を「江古田」に改称し本営業を開始した。、、、、、駅名は「えこた」と読む、地名としては「えごた」の読みが正解である。 ただし、駅が所在する練馬区には“江古田”はなく、隣の中野区に地名が残っている。 ついでに、大江戸線の「新江古田」駅(練馬区・中野区の区境にある)では“しんえごた”と称している。
 
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●・・・・・・・・・・・『江古田まで来たので武蔵大キャンパスでも覗いてみるか。』と思い、武蔵野稲荷神社の境内を抜けて大学前の通りに出たら、『ナンジャ・コリャ!』学生がゾロゾロ、『ソ~~カ、越谷の手前だ! 新入生のオリエンテーションだ!』 今日は立ち寄るのを諦めた。
 
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②鉄道聯隊E18機関車・・・・・・・・・・・練馬区豊玉北1丁目の「エリエイ」という鉄道関連図書出版社に置かれている。、、、、、この機関車は、鉄道聯隊で使われた機関車で、大正10年(1921)にドイツ・オーレンシュタイン&コッペル社にて製造された。 軌間600ミリのE型タンク機関車である。、、、、このE型タンク機関車は、小回りの利く機関車として、軽便鉄道・森林鉄道、工場構内などで多く使用された。 大正10年(1921)、陸軍はこのE型機関車を25両発注し、「E1」~「E25」機関車とした。 昭和20年(1945)までは、千葉の鉄道第一聯隊または津田沼の鉄道第二聯隊の演習線で活躍した。 戦後、聯隊はなくなり、E18は砂利運搬用に西武鉄道に引きとられた。 数年間使用された後は、西武鉄道関連の工場・倉庫に放置され、ボロボロの状態となった。 平成5年(1993)、こちらの会社に移され、大井川鉄道新金谷工場で外観の修復が行われた。 平成24年(2012)から、現在の状態で保存されている。、、、、ボロボロの身体となったE18の再活躍は難しいと思うが、玄関前に大切に保存してもらい、延命しているようだ。
 
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③江古田の森公園・・・・・・・・・・・・・中野区江古田にある中野区立の公園である。 樹木や芝生の広場などがある広い公園は、住民の憩いの場であるようだ。 敷地は、大正8年(1911)にできた国立療養所中野病院があったところで、主に結核患者の養生所であった。 その病院も平成4年(1993)に新宿区の国立国際医療センターへ移転した。 跡地は中野区により公園として整備された。 公園に隣接し、「江古田の森」という老人ホーム、東京警察病院看護学校、総合東京病院など、医療・介護関連施設が集まっている。
 
・・・・・・・・・・・・・・公園は春、、、、、
 
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・・・・・・・・・・・・・・・公園の中央に福祉センター:「江古田の森」がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・道路を挟み向かいの東京警察病院看護学校は、本日が親子揃っての入学式。、、、、いずれ私が病院で世話になる娘がいるかもね?
 
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・・・・・・・・・・・・・・・こちらは総合東京病院、デカい病院だ!、、、、、病院の診察券を蒐集するのが趣味の私も、ここの診察券は持ってないね! 
 
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④カトリック徳田教会・・・・・・・・・・総合東京病院(中野区)とは江古田川を挟み練馬区側の豊玉中1丁目にカトリック徳田教会(とくでんきょうかい)がある。、、、、、こちらの教会は、明治42年(1909)にパリ外国宣教会から日本に派遣されたヨゼフ・フロジャック神父の歩みと共に活動してきた。 神父は、昭和初期、中野区江古田にあった結核療養所の入院患者が、退院を強いられ行き場を失っていたのを見て、一軒の家を借りて収容された。 その後、この家の周りに、患者を支える社会福祉法人慈生会、ベタニア修道女会、徳田教会などがつくられていった。 昭和28年(1953)には、神父の尽力により、現在の聖堂・司祭館が造られた。 その後、神父は昭和34年(1959)に他界した。、、、、、「徳田」(とくでん)は豊玉にあった旧地名である。
 
・・・・・・・・・・・・・・・正面から拝見、中世の教会のような後ろ姿も拝見。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・鐘楼に向かい左側が聖堂、右側は司祭館。
 
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・・・・・・・・・・・・・・聖堂の内部も拝見!
 
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⑤沼袋駅・・・・・・・・・・・西武新宿線の沼袋駅(ぬまぶくろえき)から帰宅する。、、、、、沼袋駅は隣の新井薬師駅とともに地下化工事が進められている。 工事はまだまだこれから、只今はヤードの整備中、完成まではあと数年はかかる?
 
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2017年3月28日 (火)

千葉都市モノレール

パソコン同好会の帰り、総武本線稲毛駅から千葉都市モノレールの作草部駅まで歩き、モノレールで千葉駅へ出て帰宅。・・・・・・・・・この散歩ルートは昨年も歩いた。 今日は、千葉都市モノレールの穴川駅と作草部駅をチョピット紹介!
 
 
 
●千葉都市モノレール・・・・・・・・・・昭和63年(1988)3月28日に最初の区間として、スポーツセンター~千城台間が開業し、平成3年(1991)6月12日に千葉~スポーツセンター間が開業した懸垂式モノレール。、、、、、今日はチョウド、29年目の誕生日だ、おめでとう!
 
穴川駅、、、、、大股を広げ道路に覆いかぶさる駅は、都市の美観を損ね、いつ見ても好きになれない!、、、、、道路の頭上にある改札口は、広々とし、誰もいない! 
 
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・・・・・・・・・・・・・・・穴川駅に向かう1000形車両。、、、、、開業時から活躍してきた車両である。、、、、、車体には交通安全標語、企業名のラッピングが施されている。 標語・企業名にはケチをつけないが、コテコテにラッピングした車体が道路の頭上を走る“千葉のセンス”には首をかしげる!
 
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・・・・・・・・・・・・・・穴川駅から出てくる新型車両0形「URBAN FLYER 0-type」。、、、、、こちらは車体に標語もなく、すっきりしたデザインの車両である。 ウン、これなら納得!
 
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・・・・・・・・・・・・・・穴川駅からスポーツセンター駅方向を望む。、、、、、見るたびに、都市の美観を考えてしまう光景。
 
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・・・・・・・・・・・・・・穴川駅の横(道路際)にあった立札と石碑。、、、、、駅の前でも痴漢が出没する処(?) 隣には、広い森の中に直径120m程の貝塚がある、「園生貝塚」の入口を示す碑がある。、、、、、森の中は危ないよ!
 
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作草部駅・・・・・・・・・・・・作草部駅(さくさべえき)も、道路上に大股を広げる駅。
 
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・・・・・・・・・・・・・・『オウ! さっき穴川駅で見た1000形だ!』
 
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●千葉駅・・・・・・・・・・・・・モノレールの千葉駅で下車。
 
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・・・・・・・・・・・・・・『アンレ・マー なんと、モノレールの駅からJR千葉駅の3階改札に直結している! オッたまげたことだ!』
 
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・・・・・・・・・・・・・・垢抜けた千葉駅、これで対埼玉戦に勝つかも(?) とりあえず駅正面を見てみよう!、、、、、今までの1階改札口は無くなり、エスカレーターで3階へ直行だ!
 
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●・・・・・・・・・・・地方の駅がリニューアルし、超明るく、便利で、楽しそうな駅に変わる、今日この頃、我が「浅草橋駅」だけは80年以上大きな変化なし、、、、いまだエスカレーターのない駅、駅売店もない駅、もちろんショッピングセンターなどありゃしない。 地元住人としては、泣くに泣けない悲しい駅だ!
 
 
●・・・・・・・・・・・付録:千葉の春
 
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2016年12月 9日 (金)

品川区八潮

京急立会川駅で下車し、東京モノレール大井競馬場前をとおり、東京貨物ターミナルの手前でドクターイエローをチラリと遠望し、八潮パークタウンの中をウロウロし、東京モノレールで帰る散歩。 9千歩、6km。 
 
・・・・・・・・品川区八潮(やしお)とは?、、、、、戦前に、東品川の沖で埋め立てが開始され、昭和54年(1979)に隣接する大田区と境界が確定した埋め立て地である。 面積は品川区の5分の1を占め、1丁目は東電の大井火力発電所と都の清掃工場、2丁目は海運各社のコンテナターミナル、3丁目は新幹線車両基地、4丁目は大井ふ頭中央海浜公園、5丁目はかつての八潮団地で現在は洒落て「八潮パークタウン」と称してる。、、、、地名の「八潮」は、歴史的な曰く因縁、地理的な命名でもなく、単に公募で決めたそうだ。 埼玉県の八潮市とは無関係の町。 
 
 
①立会川駅から大井競馬場前駅まで・・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・優等列車の止まらない立会川駅 で下車する。、、、、、私の住む浅草橋駅より綺麗だ、負けてる!
 
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・・・・・・・・・・・・・・立会川の頭上を行く京浜急行本線。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・昭和6年(1631)に架けられた弁天橋を渡ると、天祖神社の境内に出る。、、、、、、本日の武運長久を願い、ついでに年末ジャンボ『一生に一回でいいから』一等が当たるよう願い、拍手も三回にした。
 
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・・・・・・・・・・・・・・立会川が注ぐ勝島運河にでた。 船溜まりのようになった運河は波もなく、鏡のような水面である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・八潮のコンテナターミナルに向かう道を歩く。 今日はレースがないのか、それとも時間が早いのか、大井競馬場のゲートは閉まっている。、、、、、、競馬・パチンコを止めて40年、勝負心はなくなったが、まだまだ賭場の雰囲気は好きだね。
 
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②大井競馬場前駅・・・・・・・・・昭和39年(1964)9月17日、東京オリンピック開催直前に、浜松町駅~羽田駅間にモノレールが開通した。 この時点では、モノレールは東京湾に沿い海面を走るようなもので、途中駅はなく、両端の2駅だけであった。 しかし、昭和40年(1965)5月27日からは、大井競馬場前駅がレース開催日に合わせ臨時開業し営業を始めた。 昭和42年(1967)からは、通年営業の常設駅となった。 そしていつのまにか、東京湾の沖も埋め立てが進み、モノレールは都会の中を走る交通機関となり、途中駅は9駅となった。、、、、、小さな、可愛い駅である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・京浜運河沿いに走るモノレール。
 
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③東海道新幹線車両基地・・・・・・・・・・車両基地の中央にコンテナターミナルに向かう陸橋が架かる。 陸橋の下には、ズラリ新幹線が見えるはずだが、まだ早朝のお勤めから戻っておらず、線路だけが見える。、、、、ドクターイエローが車両基地の留守番。
 
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④八潮パークタウン・・・・・・・・・・昭和56年(1981)に八潮団地の計画が決定し、昭和58年(1983)から入居が開始された。 すでに30年以上経過し、名前も「八潮パークタウン」である。、、、、、広さ40.8ha(東京ドーム8.7個分)で、東京ディズニーランドの5分の4、ミッキーマウスの方が広い。 練馬区の光が丘団地と比べると、186haで練馬の勝ち!、、、、、住んでる人は、約5,700世帯、約13,000人。 高齢化率も高いそうだ。、、、、、人が住む建物は、69号棟までと、数棟の寮などがある。、、、、、外見は綺麗に見える団地だが、外に出て語らう人、健康のため運動する人などは皆無。 チョイと、年寄りには寂しい終の棲家となるのかな?
 
・・・・・・・・・・・・・・タウン内の案内板を見ると、バス停が12か所もある。 それに比べると、公衆電話が13か所とは、チョイと少ないのでは、、、、、、皆さんスマホを持っているから少なくてもいいのかな?
 
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・・・・・・・・・・・・・・・遠望すると、高層住宅が並びカッコいい!
 
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・・・・・・・・・・・・・タウン内も緑が多く、綺麗だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・お年寄りにはバスが便利だけど、バス停まで歩くのが大変そうだ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・タウン中央にある区立八潮学園は小中一貫校。、、、、9学年で、全校児童数は約800名。 一学年の平均は90名弱、少子化で廃校となる心配は、まだ無用かな!
 
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・・・・・・・・・・・・・・タウンは周囲を公園・緑道によって囲まれている。 サギ、カモなどの水鳥の遊ぶ姿が見られる。
 
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2016年11月28日 (月)

北千住~堀切

いよいよ、私も老いを感じる年齢となり、ここ数日、ベッドで寝ていると腰が痛い。 今日は、母が通う整形外科へ同行し、診てもらった。 『たいしたことはない、しばらくリハビリしましょう。』と、云うことで、ベッドの上で腕を固定し腰を引っ張る器具で、背筋を伸ばすリハビリを受けた。 20年くらい前に、「ぶらさがり健康器」という、家庭用の鉄棒みたいなものが流行ったことがあった。 リハビリで使用した機械は、「ぶらさがり健康器」を横にしたような、なんだか似ているようで、非なる機会である。 効くのかな?、、、、、とにかく、医者を信じよう! お土産に、痛み止めと、湿布薬をもらった。
 
昼過ぎには、痛み止めが効いたのか、調子いい。 15時頃、『ちょいと、散歩してくる』と、北千住駅で下車し、東武スカイツリーライン沿いに堀切駅まで歩いてきた。 8千歩、6km
 
 
①北千住駅・・・・・・・・・・東武電車で北千住へ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・北千住駅東口を出て、線路沿いに歩き始める。 時刻は15時半、陽は短くなり、薄暗くなってきた。 
 
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②北千住大踏切・・・・・・・・・・・JRと東武、それぞれの踏切が並行し、閉じたり、開いたり。、、、、、踏切には両側に警備員が配置され、安全確保に努めている。
 
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③旧中千住駅跡・・・・・・・・・・・「中千住駅」、そんな駅どこにあった。 知る人も少なくなった駅だ。、、、、、中千住駅は大踏切から、浅草寄りに30m程いったあたりに昭和28年(1953)まで存在していた駅である。 廃止後は貨物支線(千住線)の分岐点として、昭和62年(1987)まで存続していた。、、、、現在は、その遺構が存在しておらず、適当に『この辺り』と云うこと。、、、、写真は大踏切から撮影したもので、中央の車の辺りが駅の跡。
 
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④煉瓦の架道橋・・・・・・・・・・・北千住から牛田に向かう中間地点(愛里病院正面付近)に、高さ1.6mのガードがある。 身長165cmの私は頭がかする。 チョイと前かがみで歩くとちょうどよい。、、、、明治大正期に造られたものと思われる。
 
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⑤旧千住線跡・・・・・・・・・・・・かつて、北千住駅は鉄道省が管理し、貨物を扱う東武鉄道は自由に使える貨物駅が欲しかった。 そこで、大正13年(1924)10月に開業した中千住駅から分岐し、隅田川左岸にまで0.6kmの貨物線を昭和10年(1935)11月1日に開通させた。 これが千住線である。、、、、都心で発生(製造?)したウンチ(糞尿)を、隅田川利用しオアイ船で千住まで運び、千住からは東武鉄道で埼玉県の大沢、杉戸方面に農業用肥料として運んでいた。 千住線は糞尿列車の線であったが、昭和62年(1987)5月1日に廃止となった。、、、、、線路は中千住駅から浅草方へ400m程進み、墨堤通りを横切って、京成本線の下をぬけ隅田川岸に出ていた。 レールの一部が京成本線の下に残されている。
 
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⑥牛田駅・・・・・・・・・・・「牛田」の地名は無くなり、駅名だけが残る。、、、、静かな駅だ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・牛田駅下りホーム下ある煉瓦造の架道橋。 こちらも、明治大正期の架道橋。
 
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・・・・・・・・・・・・・・架道橋の近くには、金八先生(ドラマ)も愛した食堂が、暖かい灯りをともしている。
 
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⑦東武・京成の交差点・・・・・・・・・・・・下をとおるは東武鉄道、上をとおるは京成電鉄。
 
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⑧堀切駅・・・・・・・・・・東武スカイツリーラインで、23区内で最も乗降客の少ない駅。 客の大半は近くの私立大学の学生。 ちなみに、乗降客数は一日当たり4,000名程である。、、、、、映画のワンシーンとなる駅、私好みの駅である。
 
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