鉄道

2018年6月25日 (月)

東武亀戸線

今日の東京は30℃を超える暑さ、まだ熱中症で死にたくない。 チョイト身体が慣れるまで炎天下の散歩はひかえよう、自重・自重! でも、15時過ぎになると、そろそろ歩いてくるかと家を出た。 何度も歩いている散歩コースの一つ、東武亀戸線の線路沿いに、曳舟から亀戸まで歩いてきた。 1万歩の散歩です。、、、、東武亀戸線、過去の散歩→→→2年前の散歩 3年前の散歩
 
 
 
①曳舟駅・・・・・・・・・亀戸線は明治37年(1904)4月5日に、亀戸~曳舟間の3.4kmが開業した。 曳舟駅は、その2年前明治35年(1902)に現:伊勢崎線の駅として開業している。、、、、、亀戸線の起点駅である。
 
・・・・・・・・・・・・亀戸線は2両編成でワンマン運転。 曳舟駅では運転手さんも前から後ろへ移動。
 
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・・・・・・・・・・・・・・曳舟駅の改良工事は進み、明るくなったコンコース、東口には駅ビルが建ち昨年、ベッド数200床の「東京曳舟病院」が開院した。
 
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②曳舟駅~小村井駅・・・・・・・・・・・線路の北側は、木造住宅が密集し防火上危険な、いわゆる“木密地区”である墨田区京島。
 
・・・・・・・・・・・・・高架の曳舟駅から地上へ下り、京島地区へ入る亀戸線。
 
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・・・・・・・・・・・・・・昭和30年代の塗装を再現したリバイバルカラー:緑の2両編成も走る亀戸線。
 
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・・・・・・・・・・・・・・木造住宅の並ぶ路地裏を線路沿いに歩く。
 
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・・・・・・・・・・・・・そろそろ木造の密集地区“墨田区京町”から外れ、ここは“墨田区文花”。
 
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③小村井駅・・・・・・・・・・・曳舟から1.4kmの小村井(おむらい)駅。 駅前には明治通りが通る。
 
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④東あずま駅・・・・・・・・・・小村井駅から600mで東あずま駅。 構内踏切がある駅。
 
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⑤東あずま駅~亀戸水神駅・・・・・・・・東あずま駅と次の亀戸水神駅の間は約700m。 この間で、隅田川と旧中川を結ぶ運河である北十間川と交差する。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・亀戸に近づいてくると、マンション、ビルの間を走る亀戸線。
 
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⑥亀戸水神駅・・・・・・・・・・かの有名な亀戸天神、チョイト有名な亀戸香取神社の、どちらとも異なるマイナーな亀戸水神宮に近い駅。 
 
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⑦亀戸水神駅~亀戸駅・・・・・・・・・・この駅間も700m程と短い距離である。、、、、、、亀戸水神駅から100m程亀戸駅に寄ったあたりに、旧亀戸水神駅の跡が残っている。 線路脇にコンクリートの基礎のようなものが等間隔に並んでいる。 ここが、空襲で被災するまで使われていた亀戸水神駅である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・JR総武線が見えたら亀戸駅はスグソコ!
 
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⑧亀戸駅・・・・・・・・・・・・・総武線の盛土下に亀戸線のホームが見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・改札の先に到着した亀戸線が見える。、、、、、『亀戸、亀戸、終点です』
 
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2018年5月11日 (金)

東急目黒線 (洗足~田園調布)

先日の東急目黒線 (目黒~洗足)の続き、今日は洗足駅から田園調布駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
①洗足駅・・・・・・・・・・・今日の散歩は洗足駅から。
 
・・・・・・・・・・・・・電車は洗足駅に進入する。
 
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・・・・・・・・・・・・・・改札口にはこれから出勤する人も、、、、、
 
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②洗足~大岡山間・・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・かつての線路敷きに沿い細長く造られたスーパー。、、、、、電車はスーパーの下を走っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・目黒線は環七通り「北千束五差路交差点」の下を抜け大岡山駅へ向かう。 写真:手前が環七通り、中央が目黒線線路敷き跡で奥が大岡山方向。
 
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・・・・・・・・・・・・・環七通りを過ぎると、洗足と大岡山両駅の中間と思われる付近で目黒線は地上(掘割)に顔をだす。
 
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・・・・・・・・・・・・・目黒線に乗り入れる都営三田線の6300形車両。
 
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大岡山駅 ・・・・・・・・・・大正12年(1923)3月11日1923、目黒蒲田電鉄線(現:目黒線)の開通と同時に大岡山駅も開業した。 昭和2年(1927)7月6日には、目黒蒲田電鉄大井町線も開業する。 平成9年(1997)に駅は地下化され、方向別ホームとなる。 平成19年(2007)11月3日より、駅直上にツタの絡まる135床の総合病院「東急病院」が移転してきた。 電車の中で気分が悪くなっても、駅の病院なら救急車を呼ぶ必要もないね。、、、、、大岡山駅は大田区北千束にあるが、駅の西側は東京工業大学のキャンパスで目黒区である。 この目黒区側の町名が「大岡山」。 またまた、ややっこしい話!
 
・・・・・・・・・・・・・目黒方面から来ると、尻から入る東急病院(大岡山駅)。、、、、そ~~だ、東急病院には肛門外科があるから、痔も治してくれるかも?
 
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・・・・・・・・・・・・・ツタの絡まるステーション&ホスピタル。 
 
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④大岡山~奥沢間・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・大岡山駅を出た目黒線は、南北を東京工業大学 のキャンパスに挟まれて走る。、、、、、東工大は私が入りたかった大学だが、先方が拒否したため断念した。 憧れの大学をチョイト覗いてきた! 
 
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・・・・・・・・・・・・・目黒線と大井町線は、東工大の付近で地下(大岡山駅)から顔を出す。 両サイドの2線が目黒線、中央の2線が大井町線。
 
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・・・・・・・・・・・・・大井町線は目黒線を越えて、自由が丘方面に向かう。
 
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・・・・・・・・・・・・・大井町線緑が丘駅の高架下に東工大ゲートがある。、、、、キャンパス内を歩いてきた私もここから出る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・緑が丘駅 は東急大井町線の駅。
 
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・・・・・・・・・・・・・・緑が丘駅から目黒線に戻り、再び線路沿いに歩く。、、、、、東急の車両が来た! 3000形だ! 平成12年(2000)から走った電車だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・次に目に入ったのは、今や、見ることが少なくなった線路わきの梯子(ハシゴ)。 竹製ではなくFRP(繊維強化プラスチック)の梯子だった。 昔は竹製で、架線の保守点検に使用されていたが、今は保線車両の設備が向上し線路わきに梯子を用意しておく必要性が少なくなったそうだ。、、、、竹製ではないが、この光景は貴重。 
 
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⑤奥沢駅・・・・・・・・・・・目黒線で唯一世田谷区にある駅。 大正12年(1923)3月11日に開業。 単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線を有する地上駅。 ホームの北側には、目黒線の車両基地(元住吉検車区奥沢車庫)がある。   上り・下りホームはそれぞれ独立し、改札もそれぞれ独立している。   (写真:右側は車庫、左側はホーム)
 
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・・・・・・・・・・・・・・目黒線に乗り入れてる埼玉高速鉄道の2000系電車に御対面。
 
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・・・・・・・・・・・・・日吉方面改札。 目黒方面改札。 そしてホーム。
 
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⑥奥沢~田園調布間・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・世田谷区奥沢の町を抜ける目黒線。
 
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・・・・・・・・・・・・・・東急東横線の下にもぐり込む目黒線。、、、、、、東横線上下線の間に割り込むように、目黒線は東横線の下をとおり田園調布駅に向かう。
 
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・・・・・・・・・・・・・目黒線は東横線の下。、、、、、東横線上下線の間隔が徐々に広がっていく。 田園調布駅で目黒線が、この間に出て4線が並ぶ。
 
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⑦田園調布駅・・・・・・・・・・・・駅の手前から再び大田区に入る。、、、、、、田園調布駅も、大正12年(1923)3月11日、目黒蒲田電鉄の目黒~丸子(現・沼部)間開通と同時に開業した。 開業当時の駅名は調布駅。 大正15年(1926)、田園調布駅に改称。、、、、、、現在は、平成の時代に始まった地下化で、島式ホーム2面4線の地下駅。
 
・・・・・・・・・・・・東横線が渋谷方面から田園調布駅(写真:中央奥)に向かう線路敷き。 上下線の間に目黒線のトンネル(市松模様の緑の下)が割り込んで上ってくる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・地下化され駅舎も新しくなった。
 
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・・・・・・・・・・・・・・田園調布駅と言えば、駅のシンボルとして復元された旧駅舎がある。、、、、、旧駅舎の屋根の形は、マンサード・ルーフという欧州中世期の民家をモデルとしたものらしい。 神宮外苑の絵画館や上高地帝国ホテル、伊豆の川奈ホテルなどを設計した矢部金太郎の設計である。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・これにて、目黒線(目黒~田園調布)を踏破した。

2018年5月 6日 (日)

東急目黒線 (目黒~洗足)

今日の散歩は、東急目黒線に沿いに目黒駅から洗足駅まで、9千歩の歩きです。
 
・・・・・・・・・・・目黒線とは、、、、、大正12年(1923)3月11日に東急電鉄の母体となった目黒蒲田電鉄の目黒線として、目黒~丸子(現:沼部)間が開業した。 同年11月1日には丸子~蒲田間が開通し目蒲線に改称した。 目蒲線の時代の主要駅は、目黒・武蔵小山・洗足・大岡山・田園調布・多摩川・沼部・下丸子・蒲田であった。 平成12年(2000)8月6日に目蒲線は、目黒寄りの目黒線と、蒲田寄り多摩川線に分割され消滅した。 目黒線は目黒~田園調布間の6.5kmとなる。 平成18年(2006)7月2日には、目黒不動前~洗足間の地下化が完成。
 
 
 
①東急 目黒駅・・・・・・・・・・大正12年、2面3線頭端式の地上駅として開業した。 昭和28年(1953)には駅ビルができたが、平成9年(1997)には現在の構造となった。 駅上の地上17階建ての「JR東急目黒ビル」は平成14年(2002)の竣工。、、、、私が記憶している目蒲線の目黒駅は地下に東急ストアーがあった薄汚れた駅ビルの時代。 今では、駅前に立っても、昭和の面影なし。
 
・・・・・・・・・・・・・・JR東急目黒ビルの地下にホームがある。 目黒線には、東京メトロ南北線と都営三田線が乗り入れ、JRを含め4線のターミナル。、、、、、駅前道路の向かいにはJR目黒駅 西口がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・改札はビルの地下。
 
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・・・・・・・・・・・・・・1面2線の地下ホーム。
 
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②目黒~不動前間・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・目黒駅を出た目黒線は、杉野学園 東側の坂の地下を抜け地上に顔を出す。
 
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・・・・・・・・・・・・・目黒線は、目黒川を越え、山手通りを越える。
 
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③不動前駅・・・・・・・・・ちょうど一週間前、当駅で下車し夫婦で目黒不動尊に参拝した。、、、、、大正12年(1923)3月11日、「目黒不動前駅」として開業し、同年の10月には「不動前駅」に改称した。 平成11年(1999)11月10日、目黒~洗足駅間の連続立体交差事業に伴い高架駅となる。、、、、表通りからチョイト引っ込んだ静かな駅だ。
 
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④不動前~武蔵小山間・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・線路の南側の坂を上る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・住宅の横を入ると、跨線人道橋があった。 線路が見えないようアクリル板で目隠しされていたが、執念でチョイトの隙間を見つけ、かろうじて不動前駅のホームが見えた!、、、、、これから先、目黒線は地下化されトンネルに入ってしまう。 じばし、線路は見納めとなる。
 
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・・・・・・・・・・・・・線路敷きは「不動前緑道公園」と称し、隣りの武蔵小山駅の直前まで続く。、、、、、普段の散歩なら、延々と続き変化の少ない“この手の公園”は嫌い、脇道にそれるのであるが、今日は我慢して歩いてきた。、、、、歩く足の下に電車が走っていると思うと、上からドリルで穴でも開けて見たくなるね。
 
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⑤武蔵小山駅・・・・・・・・・・大正12年(1923)3月11日、小山(こやま)駅として開業。 翌年、武蔵小山(むさしこやま)駅に改称。 平成18年(2006)には地下化された。、、、、、島式ホーム2面4線の地下駅で、緩行と急行の接続がある。、、、、、駅名は、東北本線の「小山(おやま)」と間違えないように、地名の「小山」に旧国名「武蔵」を冠した。
 
・・・・・・・・・・・・・・平成22年(2010)9月、駅ビルがオープンし、駅前ロータリーもでき、明るい駅前である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅前では41階建て(高さ:約145m)のタワーマンション2棟が建設中。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅前には、有名な武蔵小山商店街もある。、、、、、私の住む浅草橋より住みやすそう、生活しやすそう、負けた!
 
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⑥武蔵小山~西小山間・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・この間は「武蔵小山緑道公園」と名を変えて、再び退屈な公園が続く。、、、、公園の出入口部分の柵、自転車が入れるギリギリの幅しかなく、バイクなどは通れないようだ。 車椅子はどうする?
 
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・・・・・・・・・・・・・・公園にあった目黒線の案内板に、昭和初期から戦後にかけ製造された旧型車両。 昭和60年代に目黒線をチョッピリ走った東急5000系「ステンレスガエル」もあった。
 
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⑦西小山駅・・・・・・・・・・・西小山駅は昭和3年(1928)8月1日に開業した。 この駅も平成18年(2006)に地下化され、その後、駅ビル、駅前広場が完成した。、、、、同じような駅が続くね!
 
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⑧西小山~洗足間・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・またまた緑道公園、名は「西小山緑道公園」。 飽きた!
 
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・・・・・・・・・・・・・目黒線と云うが、目黒駅から西小山緑道公園までは、駅も線路敷きも品川区内に属している。 この先、大岡山付近は大田区、奥沢駅付近は世田谷区、田園調布駅付近は再び大田区である。 つまり、目黒区内にあるのは、洗足駅と大岡山の東工大キャンパス付近だけ。 これで、“目黒”線とは?
 
・・・・・・・・・・・・・・洗足駅の手前150m程の地点で、やっと緑道公園の終わりとなった。 掘割の線路敷きを囲う柵の隙間から線路が見えた! チョイ先には跨線橋もある、不動前から地下にもぐった目黒線が見えるはずだ!、、、、、橋の上、線路脇から電車に手を振り、車窓から手を振り返される、ほほえましい光景がここでは見られない、残念、無念!
 
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・・・・・・・・・・・・・電車の姿が見えないと、よけい見たくなるもので、いろいろ場所・姿勢・角度を変えて撮った写真。
 
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⑨洗足駅・・・・・・・・・・・・・洗足駅は大正12年(1923)3月11日に開業。 昭和40年(1965)には環七通りとの立体交差のため地下化された。 相対式ホーム2面2線の地下駅。、、、、、、駅名は、この地が開業以前より田園都市株式会社が分譲した「洗足田園都市」と言う分譲地だった事に由来する。 その「洗足」は洗足池の伝説にちなむが、駅から池までは1km程の距離がある。 池上線の「洗足池駅 」と駅名が似ているのは、開業当時は目黒線は目黒蒲田電鉄、池上線が池上電気鉄道で同業他社だった名残からだ。、、、、、ついでに、「洗足」駅と「洗足池」駅の中間地点に「北千束」駅(大井町線)がある。 さらに、ややっこしくすると、町名の「洗足」は目黒区、町名の「千束」は太田区。 そして、町名の「千束」の中に、「洗足池」がある。 自分の頭の中で整理してね!
 
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2017年10月 9日 (月)

牛田~堀切

夕食前のミニ散歩と言うことで、夕日が出始めた頃、東武伊勢崎線牛田駅から一駅手前の堀切駅まで、電車を見ながら歩いてきた。
 
 
 
●牛田駅・・・・・・・・・急行・準急の優等列車は全て通過し、普通列車と区間急行・区間準急と名付けられた北千住~浅草間は各駅停車の列車が停まる都会のローカル駅。、、、、、降り立つと、なぜか“ホット”する駅である。
 
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●駅前の店・・・・・・・・・・静かな駅前に、地元の人のみぞ知る、地元の名店。、、、、、「中華そば」の暖簾がイイネ!
 
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●東武と京成の交差点・・・・・・・・・・上を通る京成電車。 下を走る東武電車。 
 
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●堀切駅・・・・・・・・・・・・“昭和”の匂いが残る駅。 哀愁をおびた駅。 私の好きな駅。、、、、、下り(北千住方面)は三角屋根の駅舎。 上り(浅草方面)は土手下の駅舎。 上下ホームを連絡する構内通路なんて、贅沢なものはないよ!
 
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2017年9月20日 (水)

柴又

晴れるようで晴れそうにない曇り空。 まずは、京成金町線に乗り金町へ、金町から柴又帝釈天の題経寺へ、草団子を買ったら持ち歩くのが面倒になり、散歩は止めた。 金町駅から帰宅する。
 
 
①京成金町線・・・・・・・・・・金町線の前身は、明治32年(1999)に柴又~金町間が開通した帝釈人車鉄道である。 開通から13年後の明治45年(1912)には、高砂~柴又間の電車が開業し、翌大正2年(1913)には高砂~金町間の全線が開通した。、、、、、金町線は路線距離2.5km、駅は両端の「高砂」、「金町」2駅と途中駅の「柴又」のみ、全線単線で、4両編成で運行されている都会のローカル線である。 
 
●高砂駅・・・・・・・・・・・・・・高砂駅は橋上駅舎で、改札は2階にある。 本線の改札と向かい合って金町線の改札がある。、、、、、電車が到着するとドッと乗客が出てくるが、数分もするとガラガラとなる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・金町線の高砂駅ホームは、地上を走る京成本線の頭上に造られた1面1線専用ホームである。
 
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・・・・・・・・・・・・・・改札をとおりホームに出ると、3500形の電車が出発を待っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・ホーム先端に立つと、高架上の金町線(単線)と地上の本線、北総線の線路群が見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・・朝の金町行は空いている、ガラガラだ!
 
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●柴又駅・・・・・・・・・・・・柴又帝釈天の参道前にある柴又駅。 2面2線の地上駅で、ほぼ大半の列車がここで列車交換を行う。
 
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・・・・・・・・・・・・・・柴又駅には、今では都心の駅では珍しくなった構内踏切がある。 「構内踏切」とは、その名のごとく駅構内の踏切で、改札を駆け込んできた人が電車のお尻と車掌さんお尻を見ながら、息を切らして踏切を渡り、ホームへ駆け上がり、車掌さんに近いドアから車内に飛び込む、映画のワンシーンを創り出す踏切だ。 ちなみに「構内踏切」という呼び方はあくまで俗称で、正式には「渡線路」と言う。 “踏切”は公道に設置されるものである。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅前の寅さん像は有名だが、 今年の3月から、旅に出る寅さんが故郷や家族の方を振り返ったシーンをモチーフに、視線の先に最愛の妹・倍書千恵子演ずるさくらを配した銅像となった。、、、、、似ている! Good!
 
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●・・・・・・・・・・・金町浄水場前を疾走し、 水戸街道を横断する金町線。
 
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●京成金町駅・・・・・・・・・京成金町駅は、単式ホーム1面1線の地上駅。 ホームと道路の段差は小さく、道路面から5段のぼればホームに出られる、ローカル色の残る終着駅。
 
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②柴又帝釈天・・・・・・・・・・・・「帝釈天」は、本来、仏教の守護神である天部の一つを指すが、“柴又の帝釈天”と言えば、日蓮宗の寺院の通称で、正式名称は経栄山題経寺(きょうえいざんだいきょうじ)を指す。 その帝釈天の旧本山は大本山中山法華経寺。、、、、、江戸時代初期の寛永6年(1629)に、禅那院日忠および題経院日栄という2名の僧によって開創された日蓮宗寺院。
 
・・・・・・・・・・・・・・午前10時前後の参道、まだ参詣人の姿はチラホラ、店も準備中。
 
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・・・・・・・・・・・・・今日は彼岸の入り、帝釈天には団体さん御一行が先着していた。 御一行はガイドに引率され、早々とお食事処に消えた。、、、、、静かになった境内で合掌。 
 
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●・・・・・・・・・・・・お参りもすみ、忘れずに妻にみやげの草だんごを買って帰る。

2017年8月19日 (土)

幸せの黄色い電車

『今日の散歩は何処から歩くかな?』と行くえ定まらず、都営浅草線の浅草橋駅ホームに立った。 すると丁度、黄色に特別塗装した1000形電車の"­;KEIKYU YELLOW HAPPY TRAIN(京急イエローハッピートレイン)"が停車中である。 この塗装の電車は1編成しかなく、乗れると幸運であることから「幸せの黄色い電車」と言われている。 無我夢中で、電車に飛び乗った。 乗ったはいいが、何処で降りようか? 考えるのは面倒だ、電車の終点「高砂」まで行ってみるか。、、、、、と言うことで、今日の散歩は、イエローハッピートレインに運命を託し、高砂駅から京成小岩駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
イエローハッピートレイン・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・・・先頭車両まで移動し、イエローハッピートレインの運転手気分で御満悦!
 
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・・・・・・・・・・・・・・終点:高砂に到着。 降りたくないが、降りることにした。
 
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・・・・・・・・・・・・・・先頭車両を撮り、高砂検車区へ向かう後ろ姿を見送る。
 
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・・・・・・・・・・・・・『さて、これから何処へ向かうか、思案、こし餡、小倉餡。 悩むね?』 ホームでしばらく考え、今日は高砂駅をじっくり見て、そのあと、京成本線沿いに歩いてみることにした。
 
 
②高砂駅・・・・・・・・・・・・スカイツリーのある押上から、荒川・中川と大きな川を2本越えると高砂駅に着く。 東京都葛飾区の駅である、千葉県の駅と誤解しないように。、、、、、、大正元年(1912)11月3日に、曲金駅(まがりかねえき)として開業し、翌年6月26日に高砂駅に改称した。 現在の正式名称は“京成高砂”駅であるが、“京成”は省略されている。、、、、、京成本線、金町線、成田空港線、北総線が乗り入れている。 金町線は1面1線の高架ホームを使用しているが、その他の線は島式2面4線の地上ホームを使用している。 都心寄りの隣駅:青砥駅とともに、京成電鉄におけるジャンクションである。
 
・・・・・・・・・・・・・・高砂駅の正面(?)、、、、、手前踏切は有名な開かずの踏切。(正式には高砂1号踏切) 高架上には駅舎(中央)と金町線ホーム(左)がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅出入口は、踏切の脇、裏道の奥などに複数個所ある。 しかし、どれも小さな素っ気ない出入口で、『これから、電車に乗るんだ!』と思わせる、ワクワク感に乏しい駅だ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・階段を上がり駅舎2階には、京成本線・成田空港線・北総線の改札口と向かい合わせに、金町線の改札口がある。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・島式2面4線の狭い地上ホームには、引っ切り無しに電車が発着し、乗務員の交替、乗客の乗り換え、電車の始発終着、何となく落ち着かない下町の匂いが漂う駅である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅構内にある古レールのモニュメント。 明治44年(1911)のカーネギー社(米国)製のレールで、大正元年(1912)押上~金町間の開業時に使用されたもの。 その後、高砂駅のホーム屋根を支える支柱として使用されていた。、、、、、1世紀前のレールである。 私の住むJR総武線浅草橋駅や、中央線水道橋駅のホーム支柱も古レールをアールデコ調の曲線に加工し、組み立て使用している。 ぜひ、一見あれ!  
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅を一周しても、周辺には、パチンコ、ファミレス、ドトール、コンビニ、ブティックなどが並ぶ、これぞ“高砂銀座商店街”と言えるような繁華街は無い。、、、、、小田急線、東横線、田園都市線など、山手を走る私鉄の駅には小洒落た店が並ぶ楽しい商店街が多いのだが、京成沿線は負けている、ダメだ!、、、、、、京成沿線の地価が安いのも、納得できる。
 
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③高砂第1号踏切・・・・・・・・・高砂駅ホームの東側に隣接する踏切。 踏切の頭上には京成金町線の高架ホームがある。 高砂駅は京成本線・成田空港線・北総線、さらに高砂検車区への入出庫線もある、一大ジャンクションで多くの線路が交錯し、発着量も多い。 第1号踏切は当然“開かずの踏切”となった。、、、、、線路を高架にする計画はあるそうだが、検車区が至近にあるため、工事が難しそうだ。 納得!
 
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・・・・・・・・・・・・・・踏切の先には高砂2号踏切があり、その奥に高砂検車区が広がる。
 
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④高砂第2号踏切で・・・・・・・・・高砂検車区手前の2号踏切で見えた! 『オゥ! イエローハッピートレインが車庫に停まっている。 ラッキー!』と思ったら、さらにこちらに向かってく来る、ウハウハ興奮したね。、、、、、、吾輩が高砂駅で下車してから、約1時間が経過している。 京急久里浜行きとして折り返すようだ。 踏切で入線を見送ることにした。
 
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●・・・・・・・・・・「幸せの黄色い電車」を充分堪能し、幸せいっぱい、腹いっぱい、あとは幸運の女神がやってくることを期待し、京成本線沿いを京成小岩駅まで歩いた。、、、、曇り空の下、梅雨時のようなジメジメ、ベトベト天気。 幸運を期待し、汗をダラダラ流し、線路沿いに大金が落ちていることを念じ、注意して歩いてみたが無駄だった。

2017年5月14日 (日)

押上~亀戸

押上駅から、東武亀戸線の東側(京島地区、丸八通り)を歩き亀戸駅まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
とうきょうスカイツリー駅留置線 ・・・・・・・・東武スカイツリーライン(伊勢崎線)の本線南側にはかつて東武鉄道の広大な貨物駅があった。 貨物駅は平成5年(1993)まで営業を続けていたが、その跡地は総事業費650億円を投じて整備され東京スカイツリータウンと変わった。 本線北側には5本の留置線が地上に残っている。、、、、東武鉄道は「とうきょうスカイツリー駅」(旧業平橋駅)をチョイト曳舟駅側に寄せて、本線と留置線を丸ごと高架(全長約1.0km)とし、南側の賑わいを本線の北側にもひろげる予定である。 本年(2017年)着工し、2023年までに完成させる予定らしい。、、、、、工事の進捗を見に来たが、まだ着手していないようだ。 日を改めて出直しだ!
 
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京島 ・・・・・・・・・・・来るたびに変わる京島地区。 今日も古い家が壊され、更地に変わっていた。 
 
・・・・・・・・・・・・・・東武亀戸線の踏切を渡り京島に入る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・緊急車両が通れない細い道は、まだまだ多く残っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・所々、古い建物は壊され、「不燃化促進用地」(区の要請により、UR都市機構が地区内の土地を売却希望者から買い受け、周辺の不燃化建替えに活用、道路・防災スポット等の整備の代替地としての活用など、不燃化の促進を目的とする。)の立札が立っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・こちらの玄関にはバラが咲き、あちらの玄関には洗濯物が下がり、京島を印象づける。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・木造の長屋もまだまだ健在!
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・・・・・・・・・・・・・・只今、朝8時45分。 あの、元気なキラキラ橘商店街も、まだ開店準備中。
 
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・・・・・・・・・・・・・・京島と押上の町境を通過する東武亀戸線
 
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・・・・・・・・・・・・・・京島の隣町「文花3丁目」にて、、、、、古そうな建物も残っている、、、、、
 
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③東あずま駅・・・・・・・・・昭和3年(1928)4月15日、平井街道駅として開業し、昭和20年(1945)に駅は廃止となる。 昭和31年(1956)5月20日、東あずま駅として再開業する。、、、、ところで、駅付近はかつて吾嬬町(あづまちょう)であった。 駅名としては、本来「東あづま」となるはずなのに「東あずま」となった。 理由は不明、東武鉄道の誰かのミスだろう。 直さないのも頑固でいいね!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・東武亀戸線 を走る、オレンジの車体にイエローの帯を巻いた、昭和30年代のリバイバルカラーに塗装された8000系車両
 
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2017年5月 8日 (月)

西新井~小菅

東武伊勢崎線西新井駅から小菅駅まで、東武伊勢崎線の廃線跡を歩いてきた。 1万1千歩の散歩です。
 
 
旧東武伊勢崎線・・・・・・明治32年(1899)に北千住~久喜間を開業する。 北千住~西新井間の開業時のルートは、北千住をでると現:常磐線の上を交差して(当時、まだ荒川は無い)をとおり、荒川の対岸:足立1丁目付近から直線的(現:梅島通り+亀田トレイン通り)に西新井へ向かっていた。、、、、、大正12年(1923)に荒川放水路(現:荒川)の開削工事により、鐘ヶ淵~西新井間のルートが変更された。 北千住~西新井間は現在の小菅、五反野、梅島を経由するルートとなる。(途中の3駅は翌年(大正13年)に開業する)、、、、、明治に開業した旧ルートは、現在、道路や住宅地として転用されている。
 
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西新井駅 ・・・・・・・・・今日の散歩は西新井駅から、旧東武伊勢崎線の廃線跡をなぞり、小菅駅に向かうことにした。
 
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・・・・・・・・・・・・・・北千住よりのホームから眺めると、写真中央、線路の奥に見えるマンションの右側を旧伊勢崎は走っていた。
 
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②亀田トレイン通り・・・・・・・・・・西新井駅南側(足立区西新井栄町1)から、梅島駅の南側(足立区梅田8)までの全長約773mの道路。 この道の大部分は、平成16年(2004)に廃止された東武鉄道西新井車両工場の跡に造られている。 工場のあった地名が「亀田」で、「亀田トレイン通り」と命名された。 ここに、かつて伊勢崎線が走っていた。
 
・・・・・・・・・・・・・西新井駅から亀田トレイン通りまで続く、細長い空き地。 ここに、車両工場への引込線があったようだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・亀田トレイン通りのはじまり。 ここから、東武鉄道西新井車両工場の跡となる。 道路の左側のマンションは東武鉄道が販売、右側には亀田トレイン公園都営梅田八丁目アパート(平成23年築、316戸)が並ぶ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・亀田トレイン公園前に車輪のモニュメントがある。 もちろん、東武鉄道の寄贈である。 できれば、我が家にも一つ寄贈して欲しいのだが、置く場所に困るね!
 
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・・・・・・・・・・・・・・亀田トレイン通りの梅島駅よりは、多少カーブして終了する。 当時の線路がカーブしていたわけではなく、再開発時に道路をチョイト曲げたようだ。、、、、、振り返ると、東武鉄道のマンションが右側に見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・亀田トレイン通りを真直ぐ伸ばすと、その先に線路敷きの幅ぐらいの住宅(写真中央)がある。 その先は足立区立第九中学校(ベートーベンの母校?)の敷地となる。
 
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③梅田通り・・・・・・・・・・・・・梅島駅の南側で、亀田トレイン通りに続く梅田通り。 一方の端は日光街道と江北橋通りも交差する六差路の梅田交差点である。  この通りは線路跡を活用してつくられた。
 
・・・・・・・・・・・・・・第九中を横切って伸びてきた線路は、写真左側の梅田通りに続いていく。 右へ向かう通りは旧日光街道
 
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・・・・・・・・・・・・・・上の写真中央:マンション前に道標が建てられている。 「左東武鉄道旧線路跡」、裏側には「右旧日光街道」の文字。
 
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・・・・・・・・・・・・・複々線の線路跡かと思うほど拡幅された梅田通り。、、、、当時を語る遺構などは何もない!
 
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・・・・・・・・・・・・・・約1kmの梅田通りの南端、梅田交差点が見えた。 日光街道の陸橋が見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・・陸橋下から梅田通りを振り返る。
 
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④線路跡の住宅・・・・・・・・・・・・日光街道を横切り足立1丁目に入ると、線路跡は住宅が密集し判別が難しくなるが、航空写真を見ると住宅の並びで推測できる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・周囲の住宅とは向きが異なり、線路跡に並ぶ写真中央の住宅。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・荒川土手側でも、道路に対し斜めに向いて建っている。
 
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⑤荒川・・・・・・・・・・・・・「線路が伸びていたのはこの辺りかな?」と思われる土手の上に立ってみた。 正面に北千住の街、左手に千代田線・常磐線・つくばエキスプレスの橋梁が並行して架かる。 この橋梁付近で常磐線と交差し北千住に向かっていたのか! 一人で納得。
 
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小菅駅・・・・・・・・・・・・私は泳げないので、荒川の川底の線路跡を追いかけるのはやめた。 近くの小菅駅から帰ることにする。
 
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2017年4月20日 (木)

尾久車両センター

京浜東北線上中里駅で下車し、尾久車両センターの周囲を歩き田端新町まで、8千歩の短い散歩である。、、、、、田端新町からバスで浅草に出て、帰宅。
 
 
 
上中里駅 ・・・・・・・・・・・昭和8年(1933)7月1日に開業した上中里駅。 23区内のJR駅の中でも、際立って利用客の少ない駅。 出入口・改札口はホームの東端の橋上に一か所あるのみ。 駅での待ち合わせには、間違えることの少ない人にやさしい駅である。
 
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②車坂跨線橋・・・・・・・・・・・上中里駅から直線距離で約300m田端側で、京浜東北線上に架かり、新幹線下を抜ける跨線橋。 現橋は昭和57年(1982)に架けられたものであるが、昭和初期の写真に跨線橋が写っている。、、、、、、橋名の「車坂」は、崖上の滝野川女子学園の脇を南へ上る坂である。
 
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③上中里庚申堂・・・・・・・・・駅から跨線橋を渡り崖下の道路沿いに出ると庚申堂がある。 堂内には、石塔が複数あり祀られている。 庚申塔には、寛文5年(1665)の年号が読み取れる。
 
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④上中里2丁目の裏道・・・・・・・・・・・・・駅の北側には、昭和の下町の面影を残す細い道がある。、、、、、私、好みの細道。
 
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⑤梶原踏切・・・・・・・・・・・・・・上中里駅から北へ150m程の処(尾久車両センターの大宮寄り)にある東北本線(宇都宮線+高崎線)の踏切。 通勤時間帯は、都内にある踏切同様、ここも開かずの踏切となるため、人がわたることのできるエレベーター付き跨線橋が隣に設置されている。、、、、、跨線橋は、嵌め殺しのガラス窓があるので、チョイト写真を撮るには邪魔だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・踏切から撮影。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・跨線橋から撮影。
 
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⑥尾久駅・・・・・・・・・・・・・昭和4年(1929)6月20日に開業した東北本線の駅。 上中里と利用客の少なさを競う駅。、、、、、駅の所在地は荒川区の尾久ではなく、開業当時から北区昭和町にある。 ところで、荒川区の地名「尾久」(東尾久・西尾久)は『おぐ』と読む。 駅の「尾久」は『おく』と読む。 なぜか・・・・駅名を決めるとき、当時の国鉄(時代からすると鉄道省)が、『おぐ』は訛りだと思い、『おく』にしてしまったそうだ。 単なる間違いが80年以上訂正されずに使用されているようだ。
 
・・・・・・・・・・・・・・・梶原踏切から尾久車両センターに沿って歩いてきた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・尾久駅。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・尾久駅の脇から、尾久車両センターの広い構内を横断する地下道「尾久構内架道橋」がある。 長さ約150m、長い!
 
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⑦田端信号場駅の脇を歩く・・・・・・・・・
 
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⑧東田端道標・・・・・・・・・・・田端運転所と尾久車両センターの間の道を田端駅方向に歩いてくると、運転所の角(東田端2-19)に道標がぽつんと立っている。、、、、「右 □阿弥陀 西新井弘法大師道」、「左 王子道」と標されていた。 どうやら、私が歩いてきた道が王子街道(王子道)であった。
 
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●・・・・・・・・・・・・・これより、近くの明治通りにでて、バスで浅草へ行く。 散歩はここまで!

2017年4月 4日 (火)

江古田~沼袋

千葉鉄道聯隊で活躍していた「E18機関車」が見たくなり西武池袋線の江古田駅から、西武新宿線の沼袋駅まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
江古田駅 ・・・・・・・・・大正11年(1922)11月1日、“1”並びの日に開業した駅。 旧制武蔵高等学校(現:武蔵大学)の設立に合わせて「武蔵高等学校用仮停留所」として開業し、翌年、駅名を「江古田」に改称し本営業を開始した。、、、、、駅名は「えこた」と読む、地名としては「えごた」の読みが正解である。 ただし、駅が所在する練馬区には“江古田”はなく、隣の中野区に地名が残っている。 ついでに、大江戸線の「新江古田」駅(練馬区・中野区の区境にある)では“しんえごた”と称している。
 
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●・・・・・・・・・・・『江古田まで来たので武蔵大キャンパスでも覗いてみるか。』と思い、武蔵野稲荷神社の境内を抜けて大学前の通りに出たら、『ナンジャ・コリャ!』学生がゾロゾロ、『ソ~~カ、越谷の手前だ! 新入生のオリエンテーションだ!』 今日は立ち寄るのを諦めた。
 
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②鉄道聯隊E18機関車・・・・・・・・・・・練馬区豊玉北1丁目の「エリエイ」という鉄道関連図書出版社に置かれている。、、、、、この機関車は、鉄道聯隊で使われた機関車で、大正10年(1921)にドイツ・オーレンシュタイン&コッペル社にて製造された。 軌間600ミリのE型タンク機関車である。、、、、このE型タンク機関車は、小回りの利く機関車として、軽便鉄道・森林鉄道、工場構内などで多く使用された。 大正10年(1921)、陸軍はこのE型機関車を25両発注し、「E1」~「E25」機関車とした。 昭和20年(1945)までは、千葉の鉄道第一聯隊または津田沼の鉄道第二聯隊の演習線で活躍した。 戦後、聯隊はなくなり、E18は砂利運搬用に西武鉄道に引きとられた。 数年間使用された後は、西武鉄道関連の工場・倉庫に放置され、ボロボロの状態となった。 平成5年(1993)、こちらの会社に移され、大井川鉄道新金谷工場で外観の修復が行われた。 平成24年(2012)から、現在の状態で保存されている。、、、、ボロボロの身体となったE18の再活躍は難しいと思うが、玄関前に大切に保存してもらい、延命しているようだ。
 
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③江古田の森公園・・・・・・・・・・・・・中野区江古田にある中野区立の公園である。 樹木や芝生の広場などがある広い公園は、住民の憩いの場であるようだ。 敷地は、大正8年(1911)にできた国立療養所中野病院があったところで、主に結核患者の養生所であった。 その病院も平成4年(1993)に新宿区の国立国際医療センターへ移転した。 跡地は中野区により公園として整備された。 公園に隣接し、「江古田の森」という老人ホーム、東京警察病院看護学校、総合東京病院など、医療・介護関連施設が集まっている。
 
・・・・・・・・・・・・・・公園は春、、、、、
 
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・・・・・・・・・・・・・・・公園の中央に福祉センター:「江古田の森」がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・道路を挟み向かいの東京警察病院看護学校は、本日が親子揃っての入学式。、、、、いずれ私が病院で世話になる娘がいるかもね?
 
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・・・・・・・・・・・・・・・こちらは総合東京病院、デカい病院だ!、、、、、病院の診察券を蒐集するのが趣味の私も、ここの診察券は持ってないね! 
 
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④カトリック徳田教会・・・・・・・・・・総合東京病院(中野区)とは江古田川を挟み練馬区側の豊玉中1丁目にカトリック徳田教会(とくでんきょうかい)がある。、、、、、こちらの教会は、明治42年(1909)にパリ外国宣教会から日本に派遣されたヨゼフ・フロジャック神父の歩みと共に活動してきた。 神父は、昭和初期、中野区江古田にあった結核療養所の入院患者が、退院を強いられ行き場を失っていたのを見て、一軒の家を借りて収容された。 その後、この家の周りに、患者を支える社会福祉法人慈生会、ベタニア修道女会、徳田教会などがつくられていった。 昭和28年(1953)には、神父の尽力により、現在の聖堂・司祭館が造られた。 その後、神父は昭和34年(1959)に他界した。、、、、、「徳田」(とくでん)は豊玉にあった旧地名である。
 
・・・・・・・・・・・・・・・正面から拝見、中世の教会のような後ろ姿も拝見。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・鐘楼に向かい左側が聖堂、右側は司祭館。
 
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・・・・・・・・・・・・・・聖堂の内部も拝見!
 
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⑤沼袋駅・・・・・・・・・・・西武新宿線の沼袋駅(ぬまぶくろえき)から帰宅する。、、、、、沼袋駅は隣の新井薬師駅とともに地下化工事が進められている。 工事はまだまだこれから、只今はヤードの整備中、完成まではあと数年はかかる?
 
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