鉄道

2017年5月14日 (日)

押上~亀戸

押上駅から、東武亀戸線の東側(京島地区、丸八通り)を歩き亀戸駅まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
とうきょうスカイツリー駅留置線 ・・・・・・・・東武スカイツリーライン(伊勢崎線)の本線南側にはかつて東武鉄道の広大な貨物駅があった。 貨物駅は平成5年(1993)まで営業を続けていたが、その跡地は総事業費650億円を投じて整備され東京スカイツリータウンと変わった。 本線北側には5本の留置線が地上に残っている。、、、、東武鉄道は「とうきょうスカイツリー駅」(旧業平橋駅)をチョイト曳舟駅側に寄せて、本線と留置線を丸ごと高架(全長約1.0km)とし、南側の賑わいを本線の北側にもひろげる予定である。 本年(2017年)着工し、2023年までに完成させる予定らしい。、、、、、工事の進捗を見に来たが、まだ着手していないようだ。 日を改めて出直しだ!
 
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京島 ・・・・・・・・・・・来るたびに変わる京島地区。 今日も古い家が壊され、更地に変わっていた。 
 
・・・・・・・・・・・・・・東武亀戸線の踏切を渡り京島に入る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・緊急車両が通れない細い道は、まだまだ多く残っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・所々、古い建物は壊され、「不燃化促進用地」(区の要請により、UR都市機構が地区内の土地を売却希望者から買い受け、周辺の不燃化建替えに活用、道路・防災スポット等の整備の代替地としての活用など、不燃化の促進を目的とする。)の立札が立っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・こちらの玄関にはバラが咲き、あちらの玄関には洗濯物が下がり、京島を印象づける。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・木造の長屋もまだまだ健在!
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・・・・・・・・・・・・・・只今、朝8時45分。 あの、元気なキラキラ橘商店街も、まだ開店準備中。
 
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・・・・・・・・・・・・・・京島と押上の町境を通過する東武亀戸線
 
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・・・・・・・・・・・・・・京島の隣町「文花3丁目」にて、、、、、古そうな建物も残っている、、、、、
 
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③東あずま駅・・・・・・・・・昭和3年(1928)4月15日、平井街道駅として開業し、昭和20年(1945)に駅は廃止となる。 昭和31年(1956)5月20日、東あずま駅として再開業する。、、、、ところで、駅付近はかつて吾嬬町(あづまちょう)であった。 駅名としては、本来「東あづま」となるはずなのに「東あずま」となった。 理由は不明、東武鉄道の誰かのミスだろう。 直さないのも頑固でいいね!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・東武亀戸線 を走る、オレンジの車体にイエローの帯を巻いた、昭和30年代のリバイバルカラーに塗装された8000系車両
 
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2017年5月 8日 (月)

西新井~小菅

東武伊勢崎線西新井駅から小菅駅まで、東武伊勢崎線の廃線跡を歩いてきた。 1万1千歩の散歩です。
 
 
旧東武伊勢崎線・・・・・・明治32年(1899)に北千住~久喜間を開業する。 北千住~西新井間の開業時のルートは、北千住をでると現:常磐線の上を交差して(当時、まだ荒川は無い)をとおり、荒川の対岸:足立1丁目付近から直線的(現:梅島通り+亀田トレイン通り)に西新井へ向かっていた。、、、、、大正12年(1923)に荒川放水路(現:荒川)の開削工事により、鐘ヶ淵~西新井間のルートが変更された。 北千住~西新井間は現在の小菅、五反野、梅島を経由するルートとなる。(途中の3駅は翌年(大正13年)に開業する)、、、、、明治に開業した旧ルートは、現在、道路や住宅地として転用されている。
 
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西新井駅 ・・・・・・・・・今日の散歩は西新井駅から、旧東武伊勢崎線の廃線跡をなぞり、小菅駅に向かうことにした。
 
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・・・・・・・・・・・・・・北千住よりのホームから眺めると、写真中央、線路の奥に見えるマンションの右側を旧伊勢崎は走っていた。
 
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②亀田トレイン通り・・・・・・・・・・西新井駅南側(足立区西新井栄町1)から、梅島駅の南側(足立区梅田8)までの全長約773mの道路。 この道の大部分は、平成16年(2004)に廃止された東武鉄道西新井車両工場の跡に造られている。 工場のあった地名が「亀田」で、「亀田トレイン通り」と命名された。 ここに、かつて伊勢崎線が走っていた。
 
・・・・・・・・・・・・・西新井駅から亀田トレイン通りまで続く、細長い空き地。 ここに、車両工場への引込線があったようだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・亀田トレイン通りのはじまり。 ここから、東武鉄道西新井車両工場の跡となる。 道路の左側のマンションは東武鉄道が販売、右側には亀田トレイン公園都営梅田八丁目アパート(平成23年築、316戸)が並ぶ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・亀田トレイン公園前に車輪のモニュメントがある。 もちろん、東武鉄道の寄贈である。 できれば、我が家にも一つ寄贈して欲しいのだが、置く場所に困るね!
 
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・・・・・・・・・・・・・・亀田トレイン通りの梅島駅よりは、多少カーブして終了する。 当時の線路がカーブしていたわけではなく、再開発時に道路をチョイト曲げたようだ。、、、、、振り返ると、東武鉄道のマンションが右側に見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・亀田トレイン通りを真直ぐ伸ばすと、その先に線路敷きの幅ぐらいの住宅(写真中央)がある。 その先は足立区立第九中学校(ベートーベンの母校?)の敷地となる。
 
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③梅田通り・・・・・・・・・・・・・梅島駅の南側で、亀田トレイン通りに続く梅田通り。 一方の端は日光街道と江北橋通りも交差する六差路の梅田交差点である。  この通りは線路跡を活用してつくられた。
 
・・・・・・・・・・・・・・第九中を横切って伸びてきた線路は、写真左側の梅田通りに続いていく。 右へ向かう通りは旧日光街道
 
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・・・・・・・・・・・・・・上の写真中央:マンション前に道標が建てられている。 「左東武鉄道旧線路跡」、裏側には「右旧日光街道」の文字。
 
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・・・・・・・・・・・・・複々線の線路跡かと思うほど拡幅された梅田通り。、、、、当時を語る遺構などは何もない!
 
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・・・・・・・・・・・・・・約1kmの梅田通りの南端、梅田交差点が見えた。 日光街道の陸橋が見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・・陸橋下から梅田通りを振り返る。
 
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④線路跡の住宅・・・・・・・・・・・・日光街道を横切り足立1丁目に入ると、線路跡は住宅が密集し判別が難しくなるが、航空写真を見ると住宅の並びで推測できる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・周囲の住宅とは向きが異なり、線路跡に並ぶ写真中央の住宅。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・荒川土手側でも、道路に対し斜めに向いて建っている。
 
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⑤荒川・・・・・・・・・・・・・「線路が伸びていたのはこの辺りかな?」と思われる土手の上に立ってみた。 正面に北千住の街、左手に千代田線・常磐線・つくばエキスプレスの橋梁が並行して架かる。 この橋梁付近で常磐線と交差し北千住に向かっていたのか! 一人で納得。
 
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小菅駅・・・・・・・・・・・・私は泳げないので、荒川の川底の線路跡を追いかけるのはやめた。 近くの小菅駅から帰ることにする。
 
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2017年4月20日 (木)

尾久車両センター

京浜東北線上中里駅で下車し、尾久車両センターの周囲を歩き田端新町まで、8千歩の短い散歩である。、、、、、田端新町からバスで浅草に出て、帰宅。
 
 
 
上中里駅 ・・・・・・・・・・・昭和8年(1933)7月1日に開業した上中里駅。 23区内のJR駅の中でも、際立って利用客の少ない駅。 出入口・改札口はホームの東端の橋上に一か所あるのみ。 駅での待ち合わせには、間違えることの少ない人にやさしい駅である。
 
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②車坂跨線橋・・・・・・・・・・・上中里駅から直線距離で約300m田端側で、京浜東北線上に架かり、新幹線下を抜ける跨線橋。 現橋は昭和57年(1982)に架けられたものであるが、昭和初期の写真に跨線橋が写っている。、、、、、、橋名の「車坂」は、崖上の滝野川女子学園の脇を南へ上る坂である。
 
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③上中里庚申堂・・・・・・・・・駅から跨線橋を渡り崖下の道路沿いに出ると庚申堂がある。 堂内には、石塔が複数あり祀られている。 庚申塔には、寛文5年(1665)の年号が読み取れる。
 
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④上中里2丁目の裏道・・・・・・・・・・・・・駅の北側には、昭和の下町の面影を残す細い道がある。、、、、、私、好みの細道。
 
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⑤梶原踏切・・・・・・・・・・・・・・上中里駅から北へ150m程の処(尾久車両センターの大宮寄り)にある東北本線(宇都宮線+高崎線)の踏切。 通勤時間帯は、都内にある踏切同様、ここも開かずの踏切となるため、人がわたることのできるエレベーター付き跨線橋が隣に設置されている。、、、、、跨線橋は、嵌め殺しのガラス窓があるので、チョイト写真を撮るには邪魔だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・踏切から撮影。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・跨線橋から撮影。
 
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⑥尾久駅・・・・・・・・・・・・・昭和4年(1929)6月20日に開業した東北本線の駅。 上中里と利用客の少なさを競う駅。、、、、、駅の所在地は荒川区の尾久ではなく、開業当時から北区昭和町にある。 ところで、荒川区の地名「尾久」(東尾久・西尾久)は『おぐ』と読む。 駅の「尾久」は『おく』と読む。 なぜか・・・・駅名を決めるとき、当時の国鉄(時代からすると鉄道省)が、『おぐ』は訛りだと思い、『おく』にしてしまったそうだ。 単なる間違いが80年以上訂正されずに使用されているようだ。
 
・・・・・・・・・・・・・・・梶原踏切から尾久車両センターに沿って歩いてきた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・尾久駅。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・尾久駅の脇から、尾久車両センターの広い構内を横断する地下道「尾久構内架道橋」がある。 長さ約150m、長い!
 
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⑦田端信号場駅の脇を歩く・・・・・・・・・
 
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⑧東田端道標・・・・・・・・・・・田端運転所と尾久車両センターの間の道を田端駅方向に歩いてくると、運転所の角(東田端2-19)に道標がぽつんと立っている。、、、、「右 □阿弥陀 西新井弘法大師道」、「左 王子道」と標されていた。 どうやら、私が歩いてきた道が王子街道(王子道)であった。
 
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●・・・・・・・・・・・・・これより、近くの明治通りにでて、バスで浅草へ行く。 散歩はここまで!

2017年4月 4日 (火)

江古田~沼袋

千葉鉄道聯隊で活躍していた「E18機関車」が見たくなり西武池袋線の江古田駅から、西武新宿線の沼袋駅まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
江古田駅 ・・・・・・・・・大正11年(1922)11月1日、“1”並びの日に開業した駅。 旧制武蔵高等学校(現:武蔵大学)の設立に合わせて「武蔵高等学校用仮停留所」として開業し、翌年、駅名を「江古田」に改称し本営業を開始した。、、、、、駅名は「えこた」と読む、地名としては「えごた」の読みが正解である。 ただし、駅が所在する練馬区には“江古田”はなく、隣の中野区に地名が残っている。 ついでに、大江戸線の「新江古田」駅(練馬区・中野区の区境にある)では“しんえごた”と称している。
 
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●・・・・・・・・・・・『江古田まで来たので武蔵大キャンパスでも覗いてみるか。』と思い、武蔵野稲荷神社の境内を抜けて大学前の通りに出たら、『ナンジャ・コリャ!』学生がゾロゾロ、『ソ~~カ、越谷の手前だ! 新入生のオリエンテーションだ!』 今日は立ち寄るのを諦めた。
 
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②鉄道聯隊E18機関車・・・・・・・・・・・練馬区豊玉北1丁目の「エリエイ」という鉄道関連図書出版社に置かれている。、、、、、この機関車は、鉄道聯隊で使われた機関車で、大正10年(1921)にドイツ・オーレンシュタイン&コッペル社にて製造された。 軌間600ミリのE型タンク機関車である。、、、、このE型タンク機関車は、小回りの利く機関車として、軽便鉄道・森林鉄道、工場構内などで多く使用された。 大正10年(1921)、陸軍はこのE型機関車を25両発注し、「E1」~「E25」機関車とした。 昭和20年(1945)までは、千葉の鉄道第一聯隊または津田沼の鉄道第二聯隊の演習線で活躍した。 戦後、聯隊はなくなり、E18は砂利運搬用に西武鉄道に引きとられた。 数年間使用された後は、西武鉄道関連の工場・倉庫に放置され、ボロボロの状態となった。 平成5年(1993)、こちらの会社に移され、大井川鉄道新金谷工場で外観の修復が行われた。 平成24年(2012)から、現在の状態で保存されている。、、、、ボロボロの身体となったE18の再活躍は難しいと思うが、玄関前に大切に保存してもらい、延命しているようだ。
 
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③江古田の森公園・・・・・・・・・・・・・中野区江古田にある中野区立の公園である。 樹木や芝生の広場などがある広い公園は、住民の憩いの場であるようだ。 敷地は、大正8年(1911)にできた国立療養所中野病院があったところで、主に結核患者の養生所であった。 その病院も平成4年(1993)に新宿区の国立国際医療センターへ移転した。 跡地は中野区により公園として整備された。 公園に隣接し、「江古田の森」という老人ホーム、東京警察病院看護学校、総合東京病院など、医療・介護関連施設が集まっている。
 
・・・・・・・・・・・・・・公園は春、、、、、
 
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・・・・・・・・・・・・・・・公園の中央に福祉センター:「江古田の森」がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・道路を挟み向かいの東京警察病院看護学校は、本日が親子揃っての入学式。、、、、いずれ私が病院で世話になる娘がいるかもね?
 
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・・・・・・・・・・・・・・・こちらは総合東京病院、デカい病院だ!、、、、、病院の診察券を蒐集するのが趣味の私も、ここの診察券は持ってないね! 
 
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④カトリック徳田教会・・・・・・・・・・総合東京病院(中野区)とは江古田川を挟み練馬区側の豊玉中1丁目にカトリック徳田教会(とくでんきょうかい)がある。、、、、、こちらの教会は、明治42年(1909)にパリ外国宣教会から日本に派遣されたヨゼフ・フロジャック神父の歩みと共に活動してきた。 神父は、昭和初期、中野区江古田にあった結核療養所の入院患者が、退院を強いられ行き場を失っていたのを見て、一軒の家を借りて収容された。 その後、この家の周りに、患者を支える社会福祉法人慈生会、ベタニア修道女会、徳田教会などがつくられていった。 昭和28年(1953)には、神父の尽力により、現在の聖堂・司祭館が造られた。 その後、神父は昭和34年(1959)に他界した。、、、、、「徳田」(とくでん)は豊玉にあった旧地名である。
 
・・・・・・・・・・・・・・・正面から拝見、中世の教会のような後ろ姿も拝見。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・鐘楼に向かい左側が聖堂、右側は司祭館。
 
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・・・・・・・・・・・・・・聖堂の内部も拝見!
 
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⑤沼袋駅・・・・・・・・・・・西武新宿線の沼袋駅(ぬまぶくろえき)から帰宅する。、、、、、沼袋駅は隣の新井薬師駅とともに地下化工事が進められている。 工事はまだまだこれから、只今はヤードの整備中、完成まではあと数年はかかる?
 
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2017年3月28日 (火)

千葉都市モノレール

パソコン同好会の帰り、総武本線稲毛駅から千葉都市モノレールの作草部駅まで歩き、モノレールで千葉駅へ出て帰宅。・・・・・・・・・この散歩ルートは昨年も歩いた。 今日は、千葉都市モノレールの穴川駅と作草部駅をチョピット紹介!
 
 
 
●千葉都市モノレール・・・・・・・・・・昭和63年(1988)3月28日に最初の区間として、スポーツセンター~千城台間が開業し、平成3年(1991)6月12日に千葉~スポーツセンター間が開業した懸垂式モノレール。、、、、、今日はチョウド、29年目の誕生日だ、おめでとう!
 
穴川駅、、、、、大股を広げ道路に覆いかぶさる駅は、都市の美観を損ね、いつ見ても好きになれない!、、、、、道路の頭上にある改札口は、広々とし、誰もいない! 
 
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・・・・・・・・・・・・・・・穴川駅に向かう1000形車両。、、、、、開業時から活躍してきた車両である。、、、、、車体には交通安全標語、企業名のラッピングが施されている。 標語・企業名にはケチをつけないが、コテコテにラッピングした車体が道路の頭上を走る“千葉のセンス”には首をかしげる!
 
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・・・・・・・・・・・・・・穴川駅から出てくる新型車両0形「URBAN FLYER 0-type」。、、、、、こちらは車体に標語もなく、すっきりしたデザインの車両である。 ウン、これなら納得!
 
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・・・・・・・・・・・・・・穴川駅からスポーツセンター駅方向を望む。、、、、、見るたびに、都市の美観を考えてしまう光景。
 
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・・・・・・・・・・・・・・穴川駅の横(道路際)にあった立札と石碑。、、、、、駅の前でも痴漢が出没する処(?) 隣には、広い森の中に直径120m程の貝塚がある、「園生貝塚」の入口を示す碑がある。、、、、、森の中は危ないよ!
 
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作草部駅・・・・・・・・・・・・作草部駅(さくさべえき)も、道路上に大股を広げる駅。
 
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・・・・・・・・・・・・・・『オウ! さっき穴川駅で見た1000形だ!』
 
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●千葉駅・・・・・・・・・・・・・モノレールの千葉駅で下車。
 
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・・・・・・・・・・・・・・『アンレ・マー なんと、モノレールの駅からJR千葉駅の3階改札に直結している! オッたまげたことだ!』
 
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・・・・・・・・・・・・・・垢抜けた千葉駅、これで対埼玉戦に勝つかも(?) とりあえず駅正面を見てみよう!、、、、、今までの1階改札口は無くなり、エスカレーターで3階へ直行だ!
 
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●・・・・・・・・・・・地方の駅がリニューアルし、超明るく、便利で、楽しそうな駅に変わる、今日この頃、我が「浅草橋駅」だけは80年以上大きな変化なし、、、、いまだエスカレーターのない駅、駅売店もない駅、もちろんショッピングセンターなどありゃしない。 地元住人としては、泣くに泣けない悲しい駅だ!
 
 
●・・・・・・・・・・・付録:千葉の春
 
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2016年12月 9日 (金)

品川区八潮

京急立会川駅で下車し、東京モノレール大井競馬場前をとおり、東京貨物ターミナルの手前でドクターイエローをチラリと遠望し、八潮パークタウンの中をウロウロし、東京モノレールで帰る散歩。 9千歩、6km。 
 
・・・・・・・・品川区八潮(やしお)とは?、、、、、戦前に、東品川の沖で埋め立てが開始され、昭和54年(1979)に隣接する大田区と境界が確定した埋め立て地である。 面積は品川区の5分の1を占め、1丁目は東電の大井火力発電所と都の清掃工場、2丁目は海運各社のコンテナターミナル、3丁目は新幹線車両基地、4丁目は大井ふ頭中央海浜公園、5丁目はかつての八潮団地で現在は洒落て「八潮パークタウン」と称してる。、、、、地名の「八潮」は、歴史的な曰く因縁、地理的な命名でもなく、単に公募で決めたそうだ。 埼玉県の八潮市とは無関係の町。 
 
 
①立会川駅から大井競馬場前駅まで・・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・優等列車の止まらない立会川駅 で下車する。、、、、、私の住む浅草橋駅より綺麗だ、負けてる!
 
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・・・・・・・・・・・・・・立会川の頭上を行く京浜急行本線。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・昭和6年(1631)に架けられた弁天橋を渡ると、天祖神社の境内に出る。、、、、、、本日の武運長久を願い、ついでに年末ジャンボ『一生に一回でいいから』一等が当たるよう願い、拍手も三回にした。
 
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・・・・・・・・・・・・・・立会川が注ぐ勝島運河にでた。 船溜まりのようになった運河は波もなく、鏡のような水面である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・八潮のコンテナターミナルに向かう道を歩く。 今日はレースがないのか、それとも時間が早いのか、大井競馬場のゲートは閉まっている。、、、、、、競馬・パチンコを止めて40年、勝負心はなくなったが、まだまだ賭場の雰囲気は好きだね。
 
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②大井競馬場前駅・・・・・・・・・昭和39年(1964)9月17日、東京オリンピック開催直前に、浜松町駅~羽田駅間にモノレールが開通した。 この時点では、モノレールは東京湾に沿い海面を走るようなもので、途中駅はなく、両端の2駅だけであった。 しかし、昭和40年(1965)5月27日からは、大井競馬場前駅がレース開催日に合わせ臨時開業し営業を始めた。 昭和42年(1967)からは、通年営業の常設駅となった。 そしていつのまにか、東京湾の沖も埋め立てが進み、モノレールは都会の中を走る交通機関となり、途中駅は9駅となった。、、、、、小さな、可愛い駅である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・京浜運河沿いに走るモノレール。
 
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③東海道新幹線車両基地・・・・・・・・・・車両基地の中央にコンテナターミナルに向かう陸橋が架かる。 陸橋の下には、ズラリ新幹線が見えるはずだが、まだ早朝のお勤めから戻っておらず、線路だけが見える。、、、、ドクターイエローが車両基地の留守番。
 
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④八潮パークタウン・・・・・・・・・・昭和56年(1981)に八潮団地の計画が決定し、昭和58年(1983)から入居が開始された。 すでに30年以上経過し、名前も「八潮パークタウン」である。、、、、、広さ40.8ha(東京ドーム8.7個分)で、東京ディズニーランドの5分の4、ミッキーマウスの方が広い。 練馬区の光が丘団地と比べると、186haで練馬の勝ち!、、、、、住んでる人は、約5,700世帯、約13,000人。 高齢化率も高いそうだ。、、、、、人が住む建物は、69号棟までと、数棟の寮などがある。、、、、、外見は綺麗に見える団地だが、外に出て語らう人、健康のため運動する人などは皆無。 チョイと、年寄りには寂しい終の棲家となるのかな?
 
・・・・・・・・・・・・・・タウン内の案内板を見ると、バス停が12か所もある。 それに比べると、公衆電話が13か所とは、チョイと少ないのでは、、、、、、皆さんスマホを持っているから少なくてもいいのかな?
 
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・・・・・・・・・・・・・・・遠望すると、高層住宅が並びカッコいい!
 
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・・・・・・・・・・・・・タウン内も緑が多く、綺麗だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・お年寄りにはバスが便利だけど、バス停まで歩くのが大変そうだ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・タウン中央にある区立八潮学園は小中一貫校。、、、、9学年で、全校児童数は約800名。 一学年の平均は90名弱、少子化で廃校となる心配は、まだ無用かな!
 
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・・・・・・・・・・・・・・タウンは周囲を公園・緑道によって囲まれている。 サギ、カモなどの水鳥の遊ぶ姿が見られる。
 
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2016年11月28日 (月)

北千住~堀切

いよいよ、私も老いを感じる年齢となり、ここ数日、ベッドで寝ていると腰が痛い。 今日は、母が通う整形外科へ同行し、診てもらった。 『たいしたことはない、しばらくリハビリしましょう。』と、云うことで、ベッドの上で腕を固定し腰を引っ張る器具で、背筋を伸ばすリハビリを受けた。 20年くらい前に、「ぶらさがり健康器」という、家庭用の鉄棒みたいなものが流行ったことがあった。 リハビリで使用した機械は、「ぶらさがり健康器」を横にしたような、なんだか似ているようで、非なる機会である。 効くのかな?、、、、、とにかく、医者を信じよう! お土産に、痛み止めと、湿布薬をもらった。
 
昼過ぎには、痛み止めが効いたのか、調子いい。 15時頃、『ちょいと、散歩してくる』と、北千住駅で下車し、東武スカイツリーライン沿いに堀切駅まで歩いてきた。 8千歩、6km
 
 
①北千住駅・・・・・・・・・・東武電車で北千住へ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・北千住駅東口を出て、線路沿いに歩き始める。 時刻は15時半、陽は短くなり、薄暗くなってきた。 
 
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②北千住大踏切・・・・・・・・・・・JRと東武、それぞれの踏切が並行し、閉じたり、開いたり。、、、、、踏切には両側に警備員が配置され、安全確保に努めている。
 
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③旧中千住駅跡・・・・・・・・・・・「中千住駅」、そんな駅どこにあった。 知る人も少なくなった駅だ。、、、、、中千住駅は大踏切から、浅草寄りに30m程いったあたりに昭和28年(1953)まで存在していた駅である。 廃止後は貨物支線(千住線)の分岐点として、昭和62年(1987)まで存続していた。、、、、現在は、その遺構が存在しておらず、適当に『この辺り』と云うこと。、、、、写真は大踏切から撮影したもので、中央の車の辺りが駅の跡。
 
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④煉瓦の架道橋・・・・・・・・・・・北千住から牛田に向かう中間地点(愛里病院正面付近)に、高さ1.6mのガードがある。 身長165cmの私は頭がかする。 チョイと前かがみで歩くとちょうどよい。、、、、明治大正期に造られたものと思われる。
 
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⑤旧千住線跡・・・・・・・・・・・・かつて、北千住駅は鉄道省が管理し、貨物を扱う東武鉄道は自由に使える貨物駅が欲しかった。 そこで、大正13年(1924)10月に開業した中千住駅から分岐し、隅田川左岸にまで0.6kmの貨物線を昭和10年(1935)11月1日に開通させた。 これが千住線である。、、、、都心で発生(製造?)したウンチ(糞尿)を、隅田川利用しオアイ船で千住まで運び、千住からは東武鉄道で埼玉県の大沢、杉戸方面に農業用肥料として運んでいた。 千住線は糞尿列車の線であったが、昭和62年(1987)5月1日に廃止となった。、、、、、線路は中千住駅から浅草方へ400m程進み、墨堤通りを横切って、京成本線の下をぬけ隅田川岸に出ていた。 レールの一部が京成本線の下に残されている。
 
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⑥牛田駅・・・・・・・・・・・「牛田」の地名は無くなり、駅名だけが残る。、、、、静かな駅だ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・牛田駅下りホーム下ある煉瓦造の架道橋。 こちらも、明治大正期の架道橋。
 
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・・・・・・・・・・・・・・架道橋の近くには、金八先生(ドラマ)も愛した食堂が、暖かい灯りをともしている。
 
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⑦東武・京成の交差点・・・・・・・・・・・・下をとおるは東武鉄道、上をとおるは京成電鉄。
 
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⑧堀切駅・・・・・・・・・・東武スカイツリーラインで、23区内で最も乗降客の少ない駅。 客の大半は近くの私立大学の学生。 ちなみに、乗降客数は一日当たり4,000名程である。、、、、、映画のワンシーンとなる駅、私好みの駅である。
 
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2016年8月 4日 (木)

南武線浜川崎支線

今日は川崎にどうしても見たいものがあり、目的地の近くを走る南武線浜川崎支線に乗車し、新たに設置された小田栄駅なども見てきた。 8千歩、6km。
 
 
 
①南武線浜川崎支線・・・・・・・・・・尻手(しって)駅で本線と分かれ、終点の浜川崎駅まで向かう、5駅(両端の駅を含む)、4.1kmを、2両連結の205系ワンマンカーにて運行されている。
 
・・・・・・・・・・・・・知ってるかい「尻手駅」、、、、、川崎の隣駅で、昭和2年(1927)に南武鉄道(現:南武線)の駅として開業した。、、、、3番線から浜川崎行きの電車に乗る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・・尻手の次は「八丁畷(はっちょうなわて)」、、、、大正5年(1916)、京浜電気鉄道(現:京急本線)の駅として開業。 昭和5年(1930)に南武鉄道の駅が旅客営業を開始した。 地上に京急、高架に南武線のホームがある。 南武線の駅は京急が管理しており、京急のホーム経由で南武線のホームに出る。 また、南武線のホームは1面1線で、上下線で共用している。、、、、、都会から来た私には、判りづらい駅である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・京急の改札を通り、正面の地上ホームは京急、階段を上ると高架上に南武線のホームが1面のみ存在する。
 
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・・・・・・・・・・・・・・ホーム上に置かれている簡易ICカード改札機
 
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・・・・・・・・・・・・・・尻手側を見ると、鶴見方面から東海道貨物線が浜川崎方面へ 並走する。、、、、、タイミングよく、EF210に牽かれて貨物列車が通過!
 
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・・・・・・・・・・・・・・八丁畷駅の次は「川崎新町駅」、残念だが写真撮れず通過。 その次は「小田栄駅」。、、、、、、初めて来た駅。 それもののはず、今年の3月26日に開業した新しい駅である。 現在は仮乗降場扱いである。、、、、、、相対式ホーム2面2線の地上駅であるが、ホームは踏切を挟んで対角に配置されている。 まずは、浜川崎方面行き駅舎。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・こちらは、尻手方面行き小田栄駅
 
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・・・・・・・・・・・・・・・そして、終点の「浜川崎駅」。 浜川崎駅には、東海道本線(貨物支線)・南武線(浜川崎支線)・鶴見線の3路線が乗り入れている。 ただし、旅客営業を行っているのは南武線と鶴見線で、東海道本線は貨物専用である。 また、南武線と鶴見線は乗り換え可能であるが、駅舎・ホームはチョイと離れている。、、、、、南武線の浜川崎駅は、昭和5年(1930)に開業した。 ホームは2番線のみを使用している。(1番線は貨物が通過するのみ)
 
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・・・・・・・・・・・・・・・道路を挟み、反対側に鶴見線の浜川崎駅がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・駅構内では、昭和52年(1977)12月20日に誕生したEF65-2091号機(当初はEF65-1091号機)が、40年近く経過した現在も活躍中。 
 
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②地図から消えた建築・・・・・・・・・・・今日の散歩は、私(雅万歩)がゼネコンに入社し、現場監督の一人として、初めて手掛けた建物が壊されると知り、“最後の別れ”、一目見ておくつもりで、川崎新町駅に近い思い出の地に飛んできた。、、、、、残念無念、遅かりし! 建物はすでに取り壊され、更地となっていた。、、、、、昭和44年(1969)から約1年半、この建物の敷地で寝起きし、新人の現場監督として努めた、私には思いで多い建物であった。、、、、、建物は、某県警の独身寮として一昨年まで使用され、今年民間に払い下げられマンションに変わるそうだ。、、、、、私が係わった地図に残る仕事の一つが消えた!
 
・・・・・・・・・・・・・・綺麗に取り壊され整地され、40数年前、私が初めてここへ来た時と同じ光景が再びよみがえった!
 
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・・・・・・・・・・・・・今日現在、Googleマップのストリートビューで見ることができる、幻となった建物。
 
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2016年7月29日 (金)

千駄ヶ谷~原宿

梅雨が明け、いよいよ猛暑の季節が到来した。 今朝から気温は上がり32℃。 散歩も、ダラダラと流れる汗との戦いになった。  猛暑との戦いの初戦は、JR中央線千駄ヶ谷駅から、山手線原宿駅まで、1万1千歩、8kmの散歩です。
 
 
①千駄ヶ谷駅・・・・・・・・・・千駄ヶ谷駅は、明治37年(1904)に甲武鉄道の駅として追加開業した。 ホームは盛土上に、島式1面2線の構造であるが、東京オリンピックの時に、新宿方面行きの臨時ホームが設けられた。、、、、、2020年のオリンピックを迎えるため、現在は使用されていない臨時ホームを新宿方面行きの専用ホームにし、改札口/コンコースは拡張し、ゆとりある駅にする改良工事に着手した。
 
・・・・・・・・・・・・・・首都高4号線の高架下、たった一カ所の改札口(出入口)は、高速に拘束され、狭い空間のせせこましい駅。
 
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・・・・・・・・・・・・・・現在、使われていない臨時ホーム。 昭和39年(1964)に造られたホームは、屋根もなくボロボロ。 このホームが新宿方面行きの専用ホームに改良される。、、、、、、ホームの後ろには並行して首都高4号線が走っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・かつて、臨時ホームに出る、2カ所の階段。、、、、もちろん!改良し、新しくなる階段にはエスカレータも併設される。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・現在の島式ホームは、御茶ノ水方面行き専用ホームとして残る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・ホーム中央の水飲み場は、近くの日本将棋連盟本部に因み、王将の駒がデザインされている。、、、、、余談だが、「餃子の王将」の本社は京都、千駄ヶ谷駅とは無関係。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・次の写真は、信濃町駅から千駄ヶ谷駅に向かう電車の先頭車両から撮った。 写真左(神宮外苑側)に待避線のようなものが見える。 明治27年(1894)、この付近から神宮外苑(かつて青山練兵場という軍事施設)方向にカーブして、新宿と青山軍用停車場を結ぶ甲武鉄道の線路が敷かれた。 大正になり、線路は廃止されたそうだ。、、、、、私が生まれる以前の、チョイと昔の話です。
 
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②国立競技場・・・・・・・・・・・国立競技場の跡地であり、国立競技場の建設地を見てきた。 綺麗に取り壊したね!、、、、、現在、計画している新国立競技場は、大成建設・梓設計・隈研吾建築都市設計事務所 共同企業体の案で、総工費1,490億円、本年末着工、2019年11月竣工、6万人以上を収容する予定。、、、、、、いろいろあったが、こうなりゃ早く完成した競技場を見てみたいね!
 
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③鳩森八幡神社・・・・・・・・・・・貞観2年(860、=平安時代初期)の創建、1000年以上の歴史を有する古社。 大昔、この地の林の中にはめでたいことが起こる前兆の瑞雲がたびたび現れていた。 ある日、空より白雲が降りてきたので不思議に思った村人が林の中に入っていくと、突然白鳩が数多、西に向かって飛び去った。 この霊なる出来事から、神様が宿る小さな祠を営み「鳩森」と名付けたそうだ。、、、、、社殿は平成5年(1993)に建て替えられた。、、、、、、只今、社殿正面参道の整備工事中につき、正面から参拝・撮影できず、チョイと残念!
 
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・・・・・・・・・・・・・境内の富士塚は寛政元年(1789)築造。 山はかなり高く、足元は石がゴツゴツし、私も貴重な富士登山を体験した。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・境内にある将棋堂は、神社前にある日本将棋連盟から、昭和61年(1986)に奉納された大駒を納めた六角堂。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・将棋堂を紹介したついでに、こちらは神社前に建つ「日本将棋連盟」本部。、、、、、おや!女流棋士かと思いきや顔も見られず、残念! 最近は美人棋士も多く、テレビ対局も楽しく観戦でき、大いに結構。
 
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・・・・・・・・・・・・・・鳩森八幡神社境内の外側に回ると、朱色の派手な祠に、享保8年(1723、江戸中期)に建立された青面金剛神像庚申塔が祀られている。 祠の中には草鞋がいっぱい掛けられて、コリャなんだ?、、、、、この祠は平成17年(2005)につくられ、美脚の神様として知られているそうだ。 本当かいな?、、、、美脚フェッチの私は、じっくり手を合わせてきた。、、、、、ちなみに、草鞋はご近所で一足二千円で売っているそうだ。
 
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④千駄ヶ谷2丁目・3丁目・・・・・・・・・・ファッション・アパレルの企業のオフィスが集まった小洒落た町。 定年退職した私でも聞いたことのある社名の企業もあったが、99%は私の知らない横文字、カタカナの企業名ばかりだ。 建物はプチ・モダンな低層ビルが多く、半分はマンションの中にある。 ヒゲ面で、ヨレヨレシャツの男性と、ダブダブのシャツを着た女性が、忙しそうに働き、暇そうにタバコをふかし、チョイとカッコをつけた町である。
 
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⑤宮廷ホーム・・・・・・・・・・・・原宿駅の北側に150m程行くと、皇室専用の宮廷ホーム(原宿駅側部乗降場)がある。 このホームは天皇陛下専用の「お召し列車」が発着する乗降場である。 大正14年(1925)、病弱な大正天皇のため、人目につかず乗降できるよう設置された。 昭和天皇は御用邸への移動、地方訪問などで頻繁に利用されたが、今上天皇は新幹線の利用が多く使用頻度は低い。 、、、、、、一生に一度でいいから、ここからお召し列車に乗って草津温泉でも行ってみたいね!
 
・・・・・・・・・・・・・・普段、門は閉じられ内部へ入ることはできない。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・門の中は、大きな屋根の車寄せか?、、、、、最近利用していないからか、雑草が伸びてるね。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・原宿駅ホームから眺める宮廷ホーム。
 
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⑥原宿駅・・・・・・・・・・・原宿駅の開業は明治39年(1906)、初代の駅舎は大正12年(1923)の震災で立て直されることになり、現駅舎は大正13年(1924)に建てられた二代目の駅舎で、東京最古の現存する駅舎。 鉄道省技師の長谷川馨の設計による、尖塔付きの屋根に白い外壁という、イギリス調のデザインの木造駅舎。、、、、、ウシャ~~、駅周辺は若い娘がイッパイ。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・原宿駅にもある臨時ホーム。、、、、、こちらは、正月の明治神宮初詣客向けのもので、昭和15年(1940)から使用されている。 山手線外回り電車の初詣客を明治神宮側から乗降させるための専用ホームとなる。 この間、普段使用している島式ホームはう内回り電車の専用ホームとなる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・JR東日本によると、2020年の東京オリンピックに向けて、千駄ヶ谷駅と同様に、臨時ホームを有効利用する駅改良工事に着手する。 臨時ホームを新宿・池袋方面行きの外回り専用ホームとして常設化し、現在の島式ホームは渋谷方面行きの内回り専用ホームとなる。 また、駅舎についても渋谷寄りに新駅舎を建設することとなった。、、、、、、現在の木造駅舎はシンボルとして残して欲しいね。

2016年7月19日 (火)

隅田川駅

東京の気温は33℃と昨日に続き暑い日となる、今朝の天気予報。 でも30℃を超すのは午後からだろうと、自分に都合よく解釈し、朝から南千住にあるJR貨物の隅田川駅を一周してきた。
 
 
・・・・・・・・・・・・・隅田川駅は、荒川区南千住4丁目にあり、JR貨物とJR東日本の所管する駅。、、、、、もともとは、東北方面に鉄道を建設していた日本鉄道が、常磐炭鉱から来る石炭を受け入れるために明治30年(1897)に設置した貨物駅。 東京の市街地へは隅田川駅構内に引き込まれた隅田川を利用し、水運により輸送された。 そのため、現在は高層マンションが建ち並んでいる隅田川沿いの部分までが、かつては駅構内であった。、、、、今は、ひとまわり小さくなった貨物駅であるが、駅を一周すると約2.5㎞程の距離を歩くことになる。 『やはり、デカいね!』
 
・・・・・・・・・・・・・・隅田川駅の最寄り駅、南千住の駅前に立つ。 ロータリーには「奥の細道」矢立初めの地:千住を記した松尾芭蕉像を立て、その“千住”は南千住である強調している。、、、、、本当の矢立初めの地は、荒川区の南千住か? 足立区の北千住か? 芭蕉のみぞ知る!
 
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・・・・・・・・・・・・・・朝、高層マンションの皆さんは隅田川駅前を急ぎ足で南千住駅に向かう。 カメラを抱えひまな親爺だけが、反対方向に向かうのだ!
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・・・・・・・・・・・・・駅一周は、南千住駅前にあるJR貨物の墨田機関区と隅田川駅の入り口ゲートから、、、、、、
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・・・・・・・・・・・・・・・まずは、機留線に待機中の機関車。
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・・・・・・・・・・・・・・構内の一隅もパチリ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・北側のショッピングセンターから眺めると、、、、、、
 
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・・・・・・・・・・・・・・・東側には、大型トラックが出入りするゲートがある。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・・東側のゲートから構内を眺める、、、、、広すぎて、機関車が見えないぞ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・東側のフェンス越しに、チョイと望遠で撮影。
 
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・・・・・・・・・・・・・・南側は道路に面し関係会社の倉庫・工場などが並び、機関車は見えないので西側(田端側)へ出た。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・跨線橋の上からもパチリ。
 
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・・・・・・・・・・・・・“雲じい”をまねて、空から、、、、、中央右は隅田川駅、中央左に日比谷線南千住駅、左端に常磐線南千住駅。、、、、、、高所恐怖症の私は、決死の覚悟で撮影に挑んだ。 「怖い怖いと 思えば怖い 怖さ恐れず 死を覚悟」
 
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・・・・・・・・・・・・・・・EF652138電気機関車、、、、、EF65系電気機関車は日本国有鉄道が昭和40年(1965)に開発した直流用電気機関車である。 開発後34年間に308両製造された。、、、、、その内EF652138電気機関車は、昭和53年(1978)に製造され、当初は1138号として、宮原機関区に配置されデビューした。 その後JR貨物となり、100km/hを超える運転を行う車両に改良され、2012年より2138号に改番した。
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