建築

2017年11月16日 (木)

観泉寺

今夏に訪れた杉並区今川の観泉寺に、秋の色を求めて歩いてきた。 西荻窪から、荻窪八幡神社、観泉寺、妙正寺と1社2寺を巡って荻窪駅まで、1万2千歩の散歩です。
 
 
 
荻窪八幡神社 ・・・・・・・・・・杉並区上荻の荻窪八幡神社は、第59代・宇多天皇の寛平年間(889~898、平安時代前期)に創祀されたものと伝えられている。 旧上荻窪村の鎮守。、、、、、永承6年(1051)、源頼義が奥州の安倍貞任征伐の途中、当社で戦勝を祈願し、後の康平5年(1062)に凱旋の折、神恩に感謝して当社を厚く祀ったと言われている。 その後の文明9年(1477)に江戸城主であった太田道灌は石神井城主:豊島泰経を攻める際に、この故事にならって当神社に武運を祈願した。 この時植えた槇の樹一株が、500年経ったいまなお神社の境内にそびえる「道灌槇」で、御神木として崇められている。、、、、、、本殿は明治28年(1895)、拝殿は昭和11年(1936)に建てられた。
 
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観泉寺 ・・・・・・・・・・・・こちらは、地名も杉並区今川にある、今川氏の菩提寺観泉寺。 夏に訪れたときは、緑豊かに手入れの行き届いた庭であった。 秋の色に染まった庭も見たく、今日の再訪となった。、、、、、慶長2年(1597)観音寺として創建。 正保2年(1645)今川13代直房(桶狭間で織田信長に敗れた今川義元の子孫)は、将軍家光の命をうけて京に上り、東照大権現の宮号宣下の使者を勤めました。 その功により井草村など三か村五百石の加増をうけ、当寺を菩提寺と定め、現在地に移して寺号を観泉寺と改め、祖父氏真を開基とし、信仰厚く伽藍建立に寄与した姉(観泉寺殿簾室慶公大姉)を中興とした。
 
・・・・・・・・・・・・・山門から本堂へ、、、、、東京の紅葉は京都みたいに、一斉に赤くならないようだ!
 
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・・・・・・・・・・・・・横の鐘楼は無ゴ~~ン
 
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・・・・・・・・・・・・・閻魔堂は、秋の陽射しを受け眩しそう。
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・・・・・・・・・・・・・庭の樹々もチョイと色づいた。
 
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・・・・・・・・・・・・・今川の御先祖さんは墓地で熟睡!
 
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妙正寺 ・・・・・・・・・・・観泉寺から東へ向かい杉並区清水にある、日蓮宗の寺院:法光山妙正寺に参る。 妙正寺は十界諸尊を本尊とし、ほかに大黒天・鬼子母神・三十番神・弁財天などの諸像が祀られている、仏様の揃い踏み。、、、、、約六百年前の文和元年(1352)、中山法華経寺の第三世日祐上人が、妙正寺のほとりに堂を建て、法華経守護の天照大神・八幡大神・春日大神など三十番神を勧請したのが始まり。 正保3年(1646)に堂を再建し中興する。 慶安2年(1649)、三代将軍徳川家光が鷹狩りの折、神前に武運長久を祈願し、葵の紋幕と朱印地五石を寄進してからは、「御朱印寺」として一層有名になった。 なお、隣の妙正寺公園を源として、王子から隅田川に注ぐ川は妙正寺川である。、、、、、本堂は昭和6年(1931)に改築し、鐘楼は昭和38年(1963)に建て替えられた。
 
・・・・・・・・・・・・・・山門の脇には、紅葉ならぬ、桜がお出迎え。
 
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・・・・・・・・・・・・・山門を抜ければ、スグ前に本堂
 
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・・・・・・・・・・・・・・鐘楼をチョイと見上げて、ゴーン。
 
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・・・・・・・・・・・・・・妙正寺の墓地に眠る、囲碁の本因坊:知伯。 本因坊知伯(ちはく)は、宝永7年(1710)に生まれ、享保18年(1733)に没した、江戸時代の囲碁棋士で、六世本因坊。、、、、知伯の本姓は井口であるが、妙正寺の墓地には井口姓の墓が多く、アッチャ、コッチャ、墓を覗き探すこと15分。 やっと見つけた、小さな墓石!
 
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2017年11月15日 (水)

北の丸公園

我が家(浅草橋)から、神田駅、一ツ橋をとおり、清水門から北の丸公園に入り、田安門から出て飯田橋駅まで、1万4千歩の散歩です。

 
 
①浅草橋から一ツ橋・雉子橋まで・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・まもなく8時、浅草橋駅から職場に向かう人に交じり、神田川を越え、靖国通りを横断し、神田駅に向かう。、、、、東京に生まれて70余年、神田界隈は育った町でもある。 『アレ? 岩本町のここに花屋があったはず。 隣は莫大小(メリヤス)の問屋だったっけ?』、『神田駅前ガード下にはロマンポルノの映画館があったな。 向かいに、ケーキ屋の小鍛冶があった。 JTBはまだある。』、『神田駅周辺には、ハワイ、日の丸、ハリウッドなどキャバレーがあったが、今は無い! 寂しいね。』、『美土代町のYMCAでは、地下にプールがあって、中学生の私はフルチンで泳がされた。 YMCAの建物があった場所は?、判らなくなった!』、、、、いつの間にか壊され、建て替えられ、ビルが並ぶ町となった神田界隈。 一人で数十年前の街並みを思い浮かべ、懐かしみ歩いてきた。 
 
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・・・・・・・・・・・・・神田錦町に2年前にオープンした複合ビル「テラススクエア」は、博報堂の跡地に建てられた地上17階・地下2階建てのビルである。 ビルの一部には昭和5年(1930)に竣工した博報堂旧本館が復元されている。
 
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・・・・・・・・・・・・・日本橋川に架かる一ツ橋。 徳川家康が江戸城に入った頃は、現在の橋の位置に 丸太の一本橋が架かっており、「一ツ橋」の橋名は、この一本橋から名付けられたと言われている。 そして、寛永年間(1624~1643)になると、この丸太の一本橋の江戸城側に 一ツ橋御門が設置され、同時に見附橋としての「一ツ橋」が架けられる。 これが「一ツ橋」の由来である。、、、、現在の一ツ橋は、大正14年(1925)に架けられた、全長:19.6m、全幅:28.0mの 鋼製桁橋である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・一ツ橋の上流側に、もう一つ古い橋が架かっている、雉子橋(きじばし)である。 江戸時代の雉子橋門跡の近くに架かる橋で、徳川家康が朝鮮の使節を饗応するために、好物の雉子を囲った場所がこの辺りであった。、、、、、、明治36年(1903)に鉄橋に改架したが、関東大震災で被災した。 現在の橋は大正14年(1925)10月25日に架けられた、長さ32.89m、幅27.6mの鋼橋です。
 
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②清水門・・・・・・・江戸城北の丸に登城する門で、現在の千代田区役所庁舎前にある、門を入ると科学技術館の横に出る。  江戸城の他の門に比べると、どちらかというとマイナーな門であるが、重要文化財である。、、、、、、寛永元年(1624)助役大名:浅野長晟により建てられた枡形の城門。 江戸時代の雰囲気を色濃く残している。
 
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吉田茂の像・・・・・・・・・・清水門を入ると芝生地の一角に吉田茂の像がある。 像は昭和56年(1981)に公園内に建てられた。 昭和の名宰相がなぜここに?
 
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北の丸公園の秋・・・・・・・・・
 
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●・・・・・・・・・・・・・・このあと、田安門から公園を出て飯田橋駅より帰宅。

2017年11月 7日 (火)

夕暮れの浅草寺

夕暮れ時に、浅草寺へ行ってきた。

 
 
①浅草地下街・・・・・・・・・・東武浅草駅前と新仲見世から入る浅草地下街。 地下街は地下鉄浅草駅と松屋デパートの地下食品売り場とも連絡している。 昭和の空気が漂う地下街で、古川ロッパ、エノケン、デンスケなどに出会いそうな雰囲気である。、、、、午後4時、まだ呑んでいる客はいないようだ。
 
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②浅草寺 弁天堂・・・・・・・・・・浅草寺本堂に向かう仲見世通りの右側裏に、弁天山と呼ばれる小高い丘に建つ、昭和58年(1983)に鉄筋コンクリート造で再建されたお堂がある。 堂の中には白髪の老女弁財天が祀られている。、、、、、本尊が、“老女”の弁天様では見たくないね! 弁天様は若いピチピチが一番!

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・・・・・・・・・・・・・お堂の右手前に、芭蕉の句 “花の雲 鐘は上野か 浅草か” で有名な鐘がある。 鐘楼は昭和25年(1950)の再建であるが、鐘は元禄5年(1692)に改鋳されたものだ。江戸時代の“時の鐘”の一つだ。、、、、あと50余日で大晦日、除夜の鐘として、浅草橋の我が家まで聞こえるかな?

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③旧五重塔跡・・・・・・・・・・・現在の五重塔は本堂に向かい左側(西側)に建立されているが、かつてはその反対側(右側)に建てられていた。 その位置には、現在、「旧五重塔跡」と記された石碑が建てられている。  浅草寺の五重塔は、天慶5年(942)平公雅による創建以後、いく度か炎上するもその都度再建されてきた。 昭和20年(1945)3月10日の東京大空襲により惜しくも焼失した国宝旧五重塔(高さ33メートル)は、江戸時代の慶安元年(1648)、第三代将軍徳川家光(1604~51)により建立されたものである。

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・・・・・・・・・・・・・・石碑の位置から見る本堂

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④ライトアップの浅草寺・・・・・・・・・・・・外人観光客へのサービスかな?

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⑤お店も賑わい・・・・・・・・・・・チョイとナイショで、撮らせてもらいました。

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2017年11月 4日 (土)

牛田~尾竹橋

浅草から東武伊勢崎線に乗り、北千住の一つ手前:牛田駅で下車する。 ここから隅田川沿いに遡り尾竹橋まで、1万歩の散歩です。

 
 
①牛田駅・関屋駅・・・・・・・・・・・東武伊勢崎線牛田駅、京成本線関谷駅の両駅は共に足立区千住曙町にあり、一車線の道路を挟み互いに向き合っている。 双方の改札は30m程しか離れていない。、、、、、ああ、それなのに、なぜ駅名が違うのか? 答えは、昔、双方の会社が競い合っており、仲が悪かった。 東武の方は、駅の辺りに、むかし牛田圦(うしだいり)と呼ばれた農業用水路が近くにあり、それに由来し「牛田」と命名した。 京成の方は、この辺りを描いた葛飾北斎の浮世絵「関屋の里」に由来し「関屋」と命名した。、、、故に、駅開業から約85年間、鉄道会社は違う、駅名は違う、お客は間違う! ぜひそろそろ両駅とも、「牛田関屋」とか、「千住曙町」とか、駅名を統一して改名してもらいたいね。 お客様第一に考えて!
 
・・・・・・・・・・・・牛田駅、、、、、昭和7年(1932)に開業した、相対式2面2線の地上駅。
 
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・・・・・・・・・・・・・・関屋駅、、、、、両駅に挟まれたファミリーマートは、商売繁盛。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・相対式2面2線の高架駅:関屋駅(昭和6年開業)は、牛田駅と反対側の墨堤通り側にも出られる。
 
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②岡田商事引込線跡・・・・・・・・・・牛田駅から墨堤通りを北千住方向に歩くと、左側の京成本線高架橋の下に、廃線のレールの跡を見ることができる。 レールの先は墨堤通りを横断し、東武伊勢崎線に向いている。 間違いなく、伊勢崎線から分岐していた跡だ!、、、、、昭和19年(1944)、東武鉄道は、伊勢崎線から分岐して隅田川まで貨物線を伸ばし、当時の市街の住民のウンコ(糞尿)を積んだオアイ船から、列車にウンコを積み替え、埼玉方面の農家に肥料として運んだそうだ。 そのレール跡が、現:岡田商事という鉄骨解体業者の敷地に残っている。
 
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③隅田川左岸・・・・・・・・・・左岸といっても、千住関屋町付近。 対岸は荒川区南千住の汐入地区で、超高層住宅が建ち並んでいる。、、、、、チョイと南千住の方は、朝もや・もや・もや、スッキリしない。
 
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④やっちゃば緑道・・・・・・・・千住の中央卸売市場足立市場近くの交差点に、北千住駅から市場に貨物線が敷かれていた線路跡の、「やっちゃば緑道」がある。 引込線は戦時中に敷設されたようだ。、、、、、線路は無いが、今にでも、貨物列車が向かってくるような雰囲気が残っている。
 
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⑤千住大橋駅・・・・・・・・・・京成本線の千住大橋駅は昭和6年(1931)12月19日に開業した。、、、、、これまでは、日光街道(国道4号)に面した高架下の出入口がメインであったが、駅南側に三菱地所による大規模都市再開発「ポンテグランデTOKYO」が事業推進中である。、、、、、暗い駅が、明るい駅に変身!
 
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・・・・・・・・・・・・・ ポンテグランデTOKYO再開発事業。
 
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⑥再び隅田川左岸・・・・・・・・・・・・千住桜木付近に出た、対岸は荒川区町屋。、、、、朝もやは消えた。、、、、、歩く先に尾竹橋が見える。
 
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尾竹橋 ・・・・・・・・・・隅田川に架かる橋で都道313号(尾竹橋通り)を通す。 南詰は荒川区町屋、北詰は足立区千住桜木である。、、、、、長さ130.3mの3径間連続ローゼ桁橋で、平成4年(1992)に竣工した。
 
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●・・・・・・・・・・・・尾竹橋を渡り、バス停「尾竹橋」から帰る。、、、、早く帰って、大統領補佐官:イバンカさんのニュースを見よう! 熱烈なファンになってしまった。
 
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2017年11月 2日 (木)

新小岩~四ツ木

夕暮れ時に、総武線新小岩駅から京成押上線四ツ木駅まで歩いてきた。 1万歩。

 
 
①新小岩駅・・・・・・・・・・夕日となる直前に新小岩駅で下車した。、、、、、、まだ、退社時間前で乗降客も少ないようだ。
 
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②平和橋通り沿いの1社2寺・・・・・・・・・・・中川に架かる平和橋にちなみ、新小岩駅前をとおり堀切菖蒲園駅の方へ抜ける都道が平和橋通り 。、、、、、雅万歩では、おなじみの寺社を歩いてきた。
 
・・・・・・・・・・・・・まずは、西新小岩の東光寺。 真言宗の東光寺は、慶長元年(1596)に創建された。、、、、、境内には、安政大地震の様子を伝える石造地蔵像が祀られている。
 
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・・・・・・・・・・・・・次は、東新小岩にある、新義真言宗の上品寺。 こちらには、私の好きな閻魔大王坐像がある。 大王は、地獄に住み、死して地獄に堕ちる人間の生前の善悪を正し、罪あるものには、苦しみを与える冥王として信仰する人が多い。 私も生きているうちに仲良くなり、天国へ行けるようゴマをすっておくことにしている。
 
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・・・・・・・・・・・・・平和橋の南詰には、天祖神社。 創建は鎌倉時代。 現社殿は昭和43年(1968)の造営。
 
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③夕日の平和橋・・・・・・・・・・・中川に架かる橋。、、、、、スカイツリーがよく見える!
 
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④木根川薬師の町・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・天台宗の青龍山薬王院浄光寺。 本尊薬師如来は伝教大師の作といわれ、むかしから「木根川薬師(きねかわやくし)」として世に知られている。
 
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・・・・・・・・・・・・・取り壊しを待つ団地が、夕日を受け寂しそう。
 
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・・・・・・・・・・・・・・木根川商店街、、、、、営業しているのは角の床屋と奥の中華料理屋だけ。 あとは空き家。、、、、、???
 
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⑤荒川土手の夕暮れ・・・・・・・・・・
 
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⑥四ツ木駅へ・・・・・・・・・・・・・昭和の町「渋江商店街」の灯りが泣きそうだ!
 
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2017年11月 1日 (水)

西新井~扇大橋

東武伊勢崎線西新井駅から、南西方向に進み尾久橋通りに出て、扇大橋・尾久橋を渡り、荒川区に入る気持ちで歩きはじめた。 しかし、尾竹橋通りを越えてから方向感覚がチョイとずれ、我が足は南に向かっていた、気がつけばそこは中曽根城跡なる処、これでは荒川区に入るのはチョイとキツイ、結局、日暮里・舎人ライナーの扇大橋駅まで、1万歩の散歩となった。
 
 
 
①西新井ヌーヴェル・・・・・・・・西新井駅西口斜め前の再開発地区の総称。 現住所で言うと「足立区西新井栄町1丁目」。 この地区はかつて日清紡東京工場の跡地で、平成10年(1998)に都市再生機構が工場跡地(約11.6ha)を取得した。 その後、平成18年(2006)頃から開発事業が具現化し、現在は、大型商業施設を中心に、約2000戸の集合住宅、病院、警察署などがある。
 
・・・・・・・・・・・・・・都心に向かう通勤客がホームに並ぶ西新井駅 。 西口は駅ビルの2階。
 
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・・・・・・・・・・・・・・新しいビルばかりが並ぶ西新井ヌーヴェル。、、、、綺麗な街だが、チョイと味気ない街と思うのは吾輩だけか?
 
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②本木2丁目付近の裏道・・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・西新井ヌーヴェルを抜けて、「関原三丁目」バス停付近で尾竹橋通りを横断し、本木地区に入る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・ここいらから、裏道を歩くことにした。(これが、方向感覚を鈍らせてしまうのだ!) この辺りは、住宅と町工場が入り交じり、所々に空き地のある雑多な町。 間違っても、高級住宅地とは言えない。
 
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・・・・・・・・・・・・・・商店街ではないが、店がある、銭湯もある。 オヤ!廃業した菓子屋もある、脇の路地を歩いてみよう!
 
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・・・・・・・・・・・・・道は中曽根神社に出た。 中曽根神社は、千葉次郎勝胤公によって室町時代に築城された中曽根城内に、千葉氏の崇敬する妙見社を勧請したものといい、昭和7年興野の雷神社を合祀して中曽根神社と改称した。、、、、、、どう見ても、城跡とは思えない神社だが、社殿は白と黒を基調に塗られ、どことなく城郭風である。 境内には「中曽根城跡」の碑もある。、、、、、なお、「中曽根」の地名は、ノーベル平和賞を受賞した元首相とは無関係だ。 江戸時代以降に使われた本木村の小字名。
 
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③宝寿院・・・・・・・・・・・中曽根神社の西側200m程の処(本木東町)に、真言宗豊山派寺院の宝寿院がある。 宝寿院は、武蔵千葉氏の祈願所として応永元年(1394)に創建した。 寺の山門(朱塗りの薬医門)付近の土中から文永9年(1272)刻銘の板碑が発見された。 また、近辺を「小屋の内手」と言い、中曽根城と縁の深い地らしい。
 
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④本木御嶽神社・・・・・・・・・・・宝寿院の南100mにある、千葉氏の家臣が日頃から信仰する武州御嶽山を勧請して永禄4年(1561)創建したと思われる神社がある。、、、、、社殿の後ろに庚申塔がある。、、、、、この辺りは、武蔵千葉氏の縄張りのかも?
 
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⑤吉祥院・・・・・・・・・・・本木西町の真言宗豊山派寺院吉祥院は、正応元年(1288)に開山した。 古くから名刹であったそうだ、住職は権大僧都として、毎年正月には葵の紋のついた籠で江戸城に登場したと言われている。、、、、、本堂は昭和57年(1982)の再建で、八間四面、入母屋造りの重厚な建物である。、、、、、、庭の手入れも行き届き、豊かな緑に癒される寺。
 
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⑥扇1丁目・・・・・・・・・・・・足立区の南側を流れる荒川に架かる扇大橋 、その北詰の両側に広がる町が足立区扇である。 「扇」とは粋な地名だ、気になるので調べてみた。 昭和49年(1974)の住居表示の時に、昔からの地名に何ら関係なく、ただ町域が扇のように南に広がっていることから「扇」と命名したそうだ。 私には、チョイと納得しがたいね。、、、、、ところで、都心に近い町でありながら、田畑が残る田舎町だ。
 
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扇大橋駅 ・・・・・・・・・扇の町の中央に位置する日暮里・舎人ライナーの駅。
 
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2017年10月31日 (火)

池上本門寺

今朝は、おっかなびっくり目を覚まし、鼻血が出ていないことをまず確認。 『出血いていないようだ、さすが天下の東京医科歯科大だ!』、と感謝。、、、、安心して散歩できそうなので、久しぶりに池上本門寺に行ってきた。 1万1千歩の散歩です。
 
 
 
①西馬込駅・・・・・・・・・・・ほぼ49年前の昭和43年(1968)11月15日に、都営1号線(現:浅草線)の駅として開業した。 ホームは第二京浜(国道1号)の地下にあり、相対式2面2線の終着駅だが、車止めは無い。 線路は500m程先の本門寺崖下にある車両基地:「馬込車両検修場 」へと続く。
 
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・・・・・・・・・・・・・・ホームは国道1号の地下にある。
 
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②池上本門寺・・・・・・・・・・・弘安5年(1282)9月、病身の日蓮は身延山を出て、湯治のために常陸(茨城県)へ向かう。 途中、武蔵国池上郷(東京都大田区池上)の池上宗仲の館に立ち寄る。 この地で、日蓮は生涯最後の数日間を過ごすこととなる。 池上氏館の背後の山上に建立された一宇を日蓮が開堂供養し、長栄山本門寺と命名したのが池上本門寺の起源という。 日蓮聖人はその後大坊本行寺で入滅し、池上宗仲は69,384坪を寄進して現在の池上本門寺の礎を築いた。、、、、、慶長年間には徳川家康から寺領100石をうけた他、加藤清正や紀伊徳川家等諸侯の祈願寺となった。、、、、、大田区の中央にそびえる池上の山上に本門寺はある。 山城のような処で、見晴らしがよい。
 
・・・・・・・・・・・・・元禄年間(1688~1704)の建立と言われる「総門」と、96段の石段坂「此経難持坂」が表参道正面に見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・息を切らして階段を上ると、昭和52年(1977)に再建された、鉄筋コンクリート造の「仁王門」が見える。  高さ17.2m。
 
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・・・・・・・・・・・・・仁王門の奥に、昭和39年(1964)に再建された鉄筋コンクリート造の「大堂」(祖師堂)がある。 棟高27.27m。、、、、、浅草寺に似ているね。
 
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・・・・・・・・・・・・・・「経堂」は空襲による焼失をまぬがれた、天明4年(1784)の建物。 内部には回転する八角形の書架があり、一切経が収められていた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・仁王門の右手に、高さ31.8m、空襲による焼失をまぬがれた「五重塔」がある。 江戸幕府2代将軍徳川秀忠の乳母である岡部局の発願により、慶長13年(1608)に建立された。、、、、空襲で被災した本門寺にあっては貴重な建物で、重要文化財に指定されている。
 
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・・・・・・・・・・・・・大堂の後ろ、道路(紅葉坂)を挟み、昭和44年(1969)に建てられた、鉄筋コンクリート造、棟高14.4mの「本殿」がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・本殿の左手奥に「日蓮聖人御廟所」がある。、、、、かつて、御真骨堂があったそうだが、空襲で焼失したそうだ。 今は、御灰骨を奉安しているそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・今日の散歩では、一番時間を費やしたのが墓地探しである。 広い墓地の中を行ったり来たり、何か所かの墓を巡ってきた。
 
・・・・・・・・・・・・・加藤清正室と前田利家室の層塔。、、、、層塔は、生前に自身のために逆修供養した塔。、、、、、本物のカラスがとまっている塔が前田利家室の層塔。
 
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・・・・・・・・・・・・・・まずは、幸田露伴の墓。、、、、小説『五重塔』を書いた露伴の墓は五重塔の脇にあった。
 
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・・・・・・・・・・・・・・肥後熊本細川家の側室の宝塔。、、、、並びたつ二名の宝塔。
 
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・・・・・・・・・・・・・・出羽米沢藩上杉家の墓。、、、、、上杉家四代綱憲室の墓。、、、、、私は、墓の主がどんな人物か知らない。 ゴメン!
 
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・・・・・・・・・・・・・・戦後、ニュース、新聞で御存じの人も多いはず、政界を賑わしたあの政治家、大野伴睦の墓がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・伴睦の墓の近くには仲良しであった、ロッキード事件の児玉誉士夫が眠っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・そしてもう一人、伴睦が後援者であり、プロレスコミッショナーを努め、葬儀委員長であった、あの力道山の墓もお近くにある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・戦後、映画界の貴公子として色男を演じた八代目市川雷蔵の墓が本門寺にあるはずだ。 『眠狂四郎』、『陸軍中野学校』など、観た人も多いはず。 華奢な躰で美女と濡れ場のシーンは忘れられないね、いつか自分もと、羨ましかった。、、、、、あっちゃ、こっちゃ、行きつ戻りつ、墓を探してみたが見つけることはできなかった、残念!
 
 
③池上駅・・・・・・・・・・大正11年(1922)、池上電気鉄道が当駅と蒲田駅間で開通したとき同時に開業した。 開業時は、寺社詣でが観光の目玉であった時代、本門寺への参拝客を運び、おおいに賑わったであろう!
 
・・・・・・・・・・・まずは駅前参道で、お土産に“くず餅”を買って。
 
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・・・・・・・・・・・・・・昔、懐かしい木造駅舎に向かう。
 
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・・・・・・・・・・・・みんな仲良く一つのベンチにすわり、いいね!
 
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・・・・・・・・・・・・・電車が来た!
 
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2017年10月26日 (木)

秋山~本八幡

久しぶりの青空。 北総線秋山駅から総武本線本八幡駅まで、1万3千歩の散歩です。
 
 
 
①秋山駅・・・・・・・・・今から26年前の平成3年(1991)に開業した駅。 北総台地に、掘割状で半地下式に造られた、相対式ホーム2面2線の駅である。 駅前ロータリーに、地下鉄の出入口に似た駅出入口がある。、、、、いまだに駅前には、コンビニが無い、喫茶店が無い、そば・ラーメン屋が無い、呑み屋が無い、何にも無い。 これからの寒い夜、帰宅する独り者は胃袋を温めることができるのかな?
 
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②高塚八幡神社・・・・・・・・・・・秋山駅の南東へ800m程歩くと、県道180号線(松戸原木線)に面して鳥居が見える。 松戸市高塚新田にある高塚八幡神社である。、、、、、チョイと長い参道の両側には雑草と樹木が茂り、奥へ進むと県道の騒音も消され、静かな境内となる。、、、、、高塚八幡神社は源義経が木曽義仲を追討した宇治川の合戦で活躍した名馬「生月(いけずき)」が眠る塚の上に祀(まつ)られており、「高塚」の地名の由来になっている。 平安時代からこの地域は小金牧という馬の放牧地で、この合戦で先陣争いをした佐々木高綱と梶原景季が乗った名馬・生月と摺墨(するすみ)も小金牧産だったそうだ。 
 
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③梨香台団地・・・・・・・・・・・・高塚八幡神社の南側にある梨香台団地は、昭和50年(1975)に建てられた、戸数960戸(10棟)の旧住宅公団の団地。 団地周辺には梨を栽培する梨園が多く、自家栽培の果物・野菜などと共に道路沿いで売る農家が多い。、、、、、この辺りは、昭和45年(1970)の高塚団地、昭和50年の梨香台団地の完成により人口が急増し、昭和47年(1972)には、日本初の5階建て校舎となった松戸市立梨香台小学校が創立されたそうだ。 小学校にはエレベータはなかったと思われる、児童には良き足腰の運動となったであろう。 老いた先生は辛かったかもね? なお、昭和55年度の梨香台小学校は、27学級、生徒数1034名、教職員41名だったそうだ。
 
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④高塚新田にて・・・・・・・・・・松戸市の最南端:高塚新田にて、、、、、住宅の間に点在する梨園、、、、、梨園を整地した跡か?広い空き地、、、、、鳥の餌場か?柿の木
 
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⑤木戸口庚申塔・・・・・・・・・・八幡から市川大野へ向かう県道51号沿いに、素晴らしい庚申搭が3基祀られている。(市川市下貝塚2) 文政11年(1828)、享保17年(1732)、享保5年(1720)と、200年前から300年前の庚申塔が良好な状態で残されているのだ。
 
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⑥所願寺・・・・・・・・・・・・所願寺は市川市宮久保にある、寛文6年(1666)の創立の日蓮宗の寺院。 境内の案内板によると、同寺の縁起は次のように記されている。 『江戸時代、一人の貴女が病を患って都を離れ、近くの美女ヶ崎に流れ着いた。 村人はこの貴女を助け所願寺に住まわせた。 のちに近くの村に移り住み、法華経を信仰して、中山法華経寺で祈祷を受け、病癒え、出家し一寺を建立した』 、、、、アレ? 村人が助け住まわせたのが所願寺、後に建立したのが所願寺(?)。 なんだか変だ。 
 
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⑦白幡神社・・・・・・・・・・・市川市宮久保の台地の上に鎮座する誉田別命・竹内宿禰・天満天神を祀る白幡神社。 創建は文明18年(1486、=室町時代)以前と言われている。 県道に面し参道入口の階段があり、そこを上ると八幡地区を一望する台地の上に立つことができる。 ここから、社殿までは台地の縁に沿って細い参道を歩く。、、、、、、社殿は平成元年(1989)10月21日に竣工した。 奇しくもこの日は、私(雅万歩)の43歳の誕生日であった。(たまたまの偶然ですね!)
 
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⑧真間川・・・・・・・・・・平成7年(1995)8月に竣工した宮久保橋を渡り、一級河川:真間川を越える。 ここ辺りの真間川は農業用水路の幅だ、これでも「一級河川」?、、、、、橋を渡り、本八幡駅までは、もう一頑張り!
 
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⑨本八幡駅・・・・・・・・・・・・・・総武本線本八幡駅に到着。 久しぶりに青空の下、気持ち良い散歩ができた。
 
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2017年10月23日 (月)

増水した隅田川

朝7時半、台風21号は我が家の頭上を素通りし、水戸の付近らしい、東京はまだ暴風圏内である。 雨は上がったようだ、水溜まりを避けながら、久しぶりの散歩は、隅田川の様子を見に行くことから始める。
 
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①隅田川の増水・・・・・・・・・・・・『台風で増水した隅田川を見てみよう!』と、隅田川テラスに来たら、私より先に国土交通省の人と警察官が先着していた。 隅田川が増水しているため、テラスは立入禁止と告げられた。 『でも、地元のよしみでチョイト入れて!』と、言ったつもりでテラスから撮影してきた。
 
・・・・・・・・・・・・・・総武線隅田川橋梁の橋脚、かなり上まで水位が上がっている。(3枚目の写真は同じ位置で昨年撮影)
 
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・・・・・・・・・・・・・水位はテラスの歩道の高さまであり、水につかっているところもある。 『これより先に行かないでください。』と言われ、素直にこの場を離れることにした。
 
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・・・・・・・・・・・・・・柳橋から離れ、厩橋へ向かう。 『場所を変えれば、テラスを歩けるかも?』。 あきらめないぞ!、、、、、只今、塗装の塗り替え工事中の厩橋でも、テラスに出ることは警察官に制止され、橋上からパチリ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・厩橋を渡り、墨田区側のテラスに行ってみよう。、、、、墨田区側には、警察官がいない。 しめしめ! テラスの歩道を歩いてみた。、、、、、『あぶないから行かないでください。』と言われると、行きたくなるのが野次馬だ! 
 
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・・・・・・・・・・・・・・テラスを歩き駒形橋に向かい、橋を渡って台東区へ戻る。
 
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②隅田川沿いの建物・・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・lucite gallery、、、、柳橋にある、昭和を代表する芸者歌手だった故・市丸の旧邸宅を改装したギャラリー。 古美術品・アンティークの展示を見ながら、コーヒーを一杯。、、、、市丸の「三味線ブギ」(昭和24年)は忘れられない盆踊りの一曲。 ♪♪ 三味線ブギで シャシャリツシャンシャン さあさ 踊ろよ ブギウギ うきうき 浮いた浮いたよ シャシャリツシャンシャン ~~~♪♪、、、、昭和40年代ぐらいまでは右隣にも同じような造りの料亭「いな垣」があった。 この辺りは花柳界「柳橋」の中心で、私には懐かしい街である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・蔵前交差点の南側、ビルのコーナーに「メタセコイア」の木が、高くまっすぐ伸びているのが目に入って来る。 このビルを建てた記念に植えたそうだ。、、、、この木を見ると、いつも言いたくなるのだが、『年末になると電飾で飾りクリスマスツリーにして欲しいね!』 浅草橋の名所になるかも?
 
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・・・・・・・・・・・・・蔵前にある日本聖公会の浅草聖ヨハネ教会。 昭和4年(1929)に献堂された、鉄筋コンクリート造2階一部3階建のゴシック様式の教会。 国の登録有形文化財である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・・駒形橋東詰(墨田区)の高速道路に下にある旧駒形橋交番。 現在は地域安全センター。 昭和初期(昭和3年頃らしい)に作られた交番の一つである。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・駒形橋の西詰(台東区)には、浅草寺の本尊:聖観音像が現れた地とされる駒形堂がある。 現在の堂は鉄筋コンクリート造、方三間、宝形造で、平成15年(2003)に建て替えた。 堂は元来は隅田川に向いて建てられていたが、現在の堂は江戸通り側を正面とし、川には背を向けた形になっている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・駒形堂の境内に、「戒殺碑」(かいさつのひ)がある。 “この地は、観音様が出現した聖なる場所であるから、殺生(魚を獲る)を禁じる”という主旨の碑。 碑は元禄6年(1693)に浅草寺権僧正が建立したものである。 関東大震災後の昭和2年(1927)に土中から発見された。、、、、、“魚を獲るな”とは、近くのどぜう屋、うなぎ屋はどうしたのかな?
 
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・・・・・・・・・・・・・駒形堂の近く、雷門前の通りに面し旧岡三証券浅草支店のビルがある。 昭和10年(1935)に建てられた鉄筋コンクリート造3階建ての、このビルは当初「河合ビル」として建ち、戦後は埼玉銀行が使用し、その後岡三証券が使用し、現在はギャラリーとして使用されている。
 
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③雷門・・・・・・・・・・久しぶりに雷門前の浅草文化観光センターに入り、最上階から雷門を見下ろしてきた。
 
・・・・・・・・・・・・・・・浅草文化観光センターとは、、、、、平成24年(2012)に台東区がつくった、雷門の前にある観光案内施設です。 最上階の展望テラスからは浅草寺、東京スカイツリーが望める。、、、、、建物は、オリンピックの国立競技場を手掛けた隈研吾(くまけんご)の設計。
 
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・・・・・・・・・・・・・浅草文化観光センターから見る雷門仲見世・浅草寺
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・・この後、観音様に手を合わせて帰る。 今日の散歩は9千歩。

2017年10月18日 (水)

文京シビックセンター

循環器内科の診察日。 いつものように、後楽園のクリニックで診察を受け、帰りはチョイト寄り道を! 文京シビックセンターに寄ってきた。 8千歩のミニ散歩。
 
 
 
後楽森ビル・・・・・・・・・・文京区後楽の住宅金融支援機構ビルと、トヨタ自動車東京本社ビルに挟まれ、私が通うクリニックが入っている地上19階/地下5階建ての「後楽森ビル」がある。 森ビルの北側は水戸徳川家の上屋敷であった名勝「後楽園 」。
 
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小石川砲兵工廠・・・・・・・・・・・・庭園の「後楽園」を中心として、南側は外堀通り、東側は白山通り、北側は春日通り、西側は後楽1丁目と2丁目の境の道路に囲まれた広いエリアが旧陸軍の「小石川砲兵工廠」の跡地である。 現在の後楽園遊園地、ドーム、講道館、文京シビックセンター、中央大学理工学部、小石川運動場、トヨタ自動車本社ビル、などなど、みんな小石川砲兵工廠の敷地内である。、、、、、今日はこの辺りをぶらついてきた。
 
・・・・・・・・・・・・・・東京都戦没者霊園、、、、、、、砲兵工廠の中にあった陸軍工科学校の跡地に戦後造られた、満州事変~大東亜戦争までの東京の英霊:16万柱を祀る霊園。
 
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・・・・・・・・・・・・・戦没者霊園の東隣に礫川公園がある。、、、、、公園は小石川台地の東端に造られており、東京メトロ丸ノ内線「後楽園駅」の出入口も公園に接している。 昭和39年(1964)、東京都が公園を造成し、翌年、区に移管されました。 公園は、東から西に上る高低を活かし、3段のひな壇形式に造られている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・礫川公園のひな壇の階段脇に、知る人ぞのみ知る煉瓦作りのトンネル、旧東京砲兵工廠射撃場がある。 写真(上):左端の階段のさらに左側の斜面に、明治16年から18年頃に造られたと思われるトンネル射撃場の出入口がある。  写真(下):トンネルは雑草の茂る奥に、入ることができないよう柵で囲われている。 トンネルは約280mあり、戦後は小石川トンネル射撃場と名前を変え、ライフル射撃の練習場としてオリンピックの予選なども開かれたが、平成11年(1999)に閉鎖された。  現在は国有未利用工作物として関東財務局東京財務事務所が管理している。 
 
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●文京シビックセンター・・・・・・・・・・文京区役所の本庁舎が入居する文京シビックセンターは、文京公会堂の跡地に平成11年(1999)に竣工。 地上28階/地下4階、高さ142m。 設計:日建設計、施工:清水建設・戸田建設・五洋建設・浅沼組・岩田建設・日本建設。 23区の区役所として建物高さは高い建物である。 ついでに、お値段の高さは、建築費389億円で、高いか?安いか?
 
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・・・・・・・・・・・・・チョイと25階の展望室に上ってみることにした。 高所恐怖症の私には人一倍の勇気を振り絞りエレベータに乗った。 足下は見ないように、クワバラ・クワバラ・ナムアミダブツ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・まずは、浅草橋の方向を見る。、、、、『我が家は見えないな~~、もう少し大きな家を建てればよかった。』、ひとり言
 
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・・・・・・・・・・・・・・下を見ると、地下鉄が顔を出してきた!
 
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・・・・・・・・・・・・・・スカイツリーの押上方向。 手前は本郷。
 
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・・・・・・・・・・・・・・中央に小石川植物園が見える。 この方角が北。
 
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・・・・・・・・・・・・・・池袋方面、左に見える道路は春日通り。
 
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・・・・・・・・・・・・・新宿方面、左下の緑は後楽園、右手前の建物は中央大学理工学部。
 
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