台東区

2018年11月 7日 (水)

壁に藁束つめた奏楽堂

去年の春、男の一物に痛みを感じ、上野の病院で診てもらった。 以来、この病院には定期的にお世話になり、今日もその後の定期検診があった。 『その後、いかがですか』 『ハイ、気になるような痛み、異常はなく、オシッコの出もいいです』 『それは良かった、では次回は年明けにしましょう』 診察は簡単に終わったと思った時、『アッ、調子いいようなので、前立腺癌の検査しておきましょうね、採血して帰ってください。 結果は次回お知らせします』のお言葉。 アリャリャ、コリャ、ひょとすると、癌があるのかな? 先生は何か隠していないか? 脳裏をかすめる嫌な予感。 もし癌があったら、しかも末期癌で全摘出手術、ウヮ~~70歳過ぎて御釜になるかも、恥ずかし~~い! この正月は、癌が見つからないことを祈り、願うばかり。、、、、、焦心に駆られ、病院をあとにする。 
 
上野駅前まで歩いてきたら、癌のことはスッカリ・サッパリ・キッパリ忘れ、奏楽堂が見たくなり寄ってきた。
 
 
 
●日本最古の音楽ホール・・・・・・・・・・上野公園の東京都美術館の北側、そして東京藝術大学に隣接する閑静な地に奏楽堂がある。 森の中の木造の建物は明治のロマンと懐かしさをよみがえらせ佇んでいる。、、、、、奏楽堂(旧東京音楽学校奏楽堂)は、東京藝術大学音楽学部 の前身、東京音楽学校の校舎として、文部技官山口半六と久留正道の設計による、木造2階建て桟瓦葺の建物は、明治23年(1890)5月に完成した。 2階の音楽ホールは、かつて瀧廉太郎がピアノを弾き、山田耕筰が歌曲を歌い、三浦環が日本人による初のオペラ公演でデビューを飾った由緒ある舞台です。、、、、、昭和40年代(1965~)に入ると、建物の老朽化が目立つようになり、奏楽堂を東京藝術大学から犬山の明治村へ移す話が出てきた。 しかし、反対意見もあり、昭和58年(1983)に台東区が大学から譲り受けることとなる。 その後、昭和62年(1987)に現在の地へ校舎を移築・復原し、「旧東京音楽学校奏楽堂」として一般への公開を開始した。 国指定重要文化財
 
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・・・・・・・・・・・・・・ 奏楽堂前には、同郷の彫刻家朝倉文夫の手による瀧廉太郎像が置かれている。 23歳で没した瀧が、「荒城の月」の曲を考えている姿か? この像は郷里の大分県竹田市の岡城趾にも同じものが置かれているそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・内部は学校らしくシンプルな造りである。
 
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・・・・・・・・・・・・・2階にある日本最古の音楽ホール。 今は建物全体を奏楽堂と呼んでいるが、かつては、この部屋を「奏楽堂」と称したそうだ。、、、、、梁行16.4m、桁行26.4m、客席338席の小さなホール。 天井は音響を考慮して中央部がヴォールト状(蒲鉾型)になっている。 壁にはスチーム暖房がズラリ。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・舞台中央のパイプオルガンは、徳川頼貞侯爵が大正3年(1914)に英国アボット・スミス社に発注し、大正9年(1920)11月にお披露目された。 パイプの総数は1,379本あるそうだ。、、、、数えてみたが、どう見ても100本以上あるとは思えない。 残りのパイプはどこに隠した!
 
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・・・・・・・・・・・・・・ホールの漆喰壁の中には、防音と音響上の効果を狙い、藁束(わらたば)がぎっしりつめられているそうだ。、、、、、先人の知恵!
 
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●こちらは大ホール・・・・・・・・・チョイト、現代の大ホールを見て帰ろうと、上野の東京文化会館に寄ってみた。 『大ホール内部の見学ダメ!』だった。、、、、、建築家:前川國男の代表作で、昭和36年(1961)日本建築学会賞作品賞を受賞した建物。 東京での本格的なクラシック音楽のホールとしては初期のものである。 その後、東京には、クラシック音楽専用として昭和57年(1982)のザ・シンフォニーホール、昭和61年(1986)のサントリーホール等、最新の音響設計技術を用いたホールが開館された。 東京文化会館は平成11年(1999)の改装により、古さを感じさせない音楽ホールとして健在である。
 
・・・・・・・・・・・・・・今日は全景写真が撮れなかったので、平成23年撮影の全景
 
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・・・・・・・・・・・・・・私の好きな現代建築の一つ
 
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・・・・・・・・・・・・・・・エントランス部分も、パチリ!
 
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●そろそろ紅葉・・・・・・・・・・上野の森にも秋が来た。 
 
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2018年11月 1日 (木)

今年も酉の市

●よく効く御守・・・・・・・・・・・一年は早いもの、カレンダーも残るは霜月・師走の二枚のみ。 気持ちは、のんびりした行楽・食欲・文化の秋から、年末・年始の準備にそろそろ切り替えだ。 今日は「一の酉」、午後から夫婦で浅草鷲神社 の「酉の市」へ行ってきた。 毎年、授与される開運の「熊手御守」だけでなく、今年は「三の酉」まであり神社の隣の長國寺では「火除御守」をもらってきた。

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●・・・・・・・・・・・・お参り済ませ、熊手やさんをチョイト拝見。
 
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●また来年、酉の市に来よう!・・・・・・・・・ヨオー、チョチョチョン・チョチョチョン・チョチョチョン・パ、、、、、福が授かり、7億円当たり、来年は大きな熊手を買うか!

2018年10月16日 (火)

閻魔大王ご縁日

毎月16日は全国的に閻魔さんのご縁日である。 今日は、浅草橋の我が家から深川のゑんま堂まで散歩することにした。 1万歩。、、、、、、ちなみに、お薬師さんは毎月8日、観音さまは毎月18日、お地蔵さんは毎月24日、弁天さまは己巳(つちのとみ)の日、お稲荷さんは午の日が、それぞれのご縁日である。 覚えておくと敬老会で役立つ知識。
 
 
 
●そろそろ出勤時間・・・・・・・・・・午前8時前、ボチボチ、駅から掃き出される人が増えてくる時間。 私も散歩に出る。
 
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●真正面に見える・・・・・・・・・・東日本橋1丁目と2丁目、町境の道路からは、正面にスカイツリーが見える。、、、、、、スカイツリーの見え具合で今日の運勢を占う人もいるかも? 今日は、全体に薄ぼんやり見える、運勢は『先を読む目が曇り波乱の一日』。
 
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●陶器造りの神社・・・・・・・・・・・・日本橋浜町3丁目、超高層ビルの下に浜町神社がある。 神社が鎮座する地は、安政年間に徳川幕府から島津家へ土地の引き渡しがあり、土地に祀られていた天明年間に創始と云われる稲荷を島津稲荷として崇敬してきたといいわれている。 関東大震災後、浜町神社を改称していたものの、戦災により焼失、昭和28年(1953)に浜町神社として改めて建立した。 平成12年(2000)、再開発により現社殿を建立。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・浜町神社境内には、埴安大神(はにやすのおおかみ)・加藤四郎左衛門景正命・加藤民吉命を祭神とする陶栄神社がある。 埴安大神は土の神で天照大神の兄弟神とされている。 加藤命と称する2柱は、瀬戸焼の歴史の重要人物で鎌倉前期の陶工景正が「陶祖」と呼ばれ、江戸時代の陶工民吉が瀬戸に磁器をもたらした功績から「磁祖」と呼ばれている。、、、、、この神社の社殿は、昭和44年(1969)愛知県常滑市の陶工により、住吉造りを模し、総釉彩陶器製でつくられている。 また、台座には平安時代以降の陶片が使用されている。、、、、、、注連縄と賽銭箱は陶器ではなかった! 
 
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●化粧中につき顔は出せない!・・・・・・・・・昭和3年(1928)に完成した天下の名橋、重要文化財の清洲橋 も90年経過した、小じわが目立つのか、厚化粧が剥げたのか、只今、塗装工事中。 恥ずかしくて、顔も出せないらしい。
 
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●エレキテルの地・・・・・・・・・・・平賀源内(1728~1780)は安永5年(1777)にエレキテル(摩擦起電器)を完成させ、自宅にて電気実験を行ない安永8年(1780)に51歳にて没した。 自宅のあった江東区清澄1丁目には平賀源内電気実験の地の碑が建っている。、、、、、、死因は感電死? 本当は酒に酔い喧嘩して投獄され、破傷風で死んだそうだ。(コレ、ホントらしい。) 今でも、同類の人はいるね!
 
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●田中角栄と間違えないで!・・・・・・・・・・清澄1丁目のアサノコンクリート深川工場の一角に浅野総一郎の像がある。 この地は、明治8年(1875)、工部省が日本初のセメントを製造した工場があった場所で、明治16年(1883)に浅野総一郎が払い下げを受け、その後民間のセメント工場「浅野セメント」として発展した。  浅野セメントは、戦後日本セメントに改称し、平成10年(1998)には「秩父小野田セメント」と合併して、業界最大手の「太平洋セメント」となった。
 
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・・・・・・・・・・・・・浅野総一郎の像の脇にあった、「明治23年 当時のセメント工場全景」。、、、、、、手前に隅田川が描かれている。
 
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●国宝級のミドリ・・・・・・・・江東区佐賀町1丁目と福住1丁目を結ぶ小さな橋は、昭和4年(1929)に竣工した鋼鉄製トラス橋の緑橋。 大島川西支川に架かり、橋長は23m程、チョイト膨れたトラスのデザインは可愛いものだ。、、、、、関東大震災の復興橋で、歴史的にも貴重な橋なので、個人的には“国宝”(チョイト大袈裟)に指定する。
 
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●福禄寿はいずこに!・・・・・・・・・・深川2丁目の浄土宗寺院の雙修山養源院心行寺は、元和2年(1616)八丁堀に創建し、寛永10年(1633)現在地に移転した。 現本堂は昭和43年(1968)に竣工した。、、、、、深川七福神の福禄寿が六角堂に安置されているが施錠され、姿は見えず、声も聞こえず、軟禁状態。 
 
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閻魔大王のご縁日・・・・・・・・・・“深川ゑんま堂”は、真言宗豊山派の法乗院で賢台山賢法寺と号す。 法乗院は寛永6年(1629)深川富吉町に創建、寛永18年(1641)には現在地(深川2丁目)に移転した。 江戸三閻魔の一つらしいが、昔の閻魔堂は戦災で焼けた。 現在は平成元年(1989)に再建された“ハイテク閻魔様”で、賽銭を入れるとコンピューター制御で堂内には煌びやかに照明が灯り、スポットライトが回り、願い事に応じた説教が流れてくる見世物小屋並みの、高さ3.5mの大きな閻魔がある。、、、、、、、笑っちゃいけないが、笑いたくなる、これぞ“笑い地獄”か? 歴史を感じることができない寺だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・本日は、ご縁日。 本堂1階では、天明4年(1784)に描かれた全16枚の『地獄・極楽図』が展示され、御仏の教えを説いてくれます。
 
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●昭和の市営食堂・・・・・・・・・・・門前仲町1丁目に、震災後の昭和7年(1932)に建てられた旧東京市深川食堂の建物が残されている。 建物は角地に建つ鉄筋コンクリート造2階建て、明るい大きな窓で開放的で、モダンなデザインである。、、、、、震災復興事業の一つとして、低所得者のための市営食堂として利用された。昭和11年(1936)食堂は閉鎖され、終戦後は職業斡旋施設として利用され、昭和51年(1976)から江東区内職補導所となり、平成18年(2006)に閉鎖された。、、、、現在は国・登録有形文化財の指定を受け、『深川東京モダン館』と称し、江東区全域を対象とした観光案内スペースとして、また、新たな文化の発信スペースとして活用している。
 
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●お帰りは門前仲町から・・・・・・・・・・
 
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2018年9月14日 (金)

夏休みも終わり、再スタート

約2か月間の夏休みもそろそろ終わりです。 妻の骨折は、骨もくっつき、家事もこなせるように回復したので、また散歩を始めることにします。
 
今日は、15時過ぎから、我が家(浅草橋)から上野公園まで往復し足を慣らしてきた。
 
 
 
●安全祈願・・・・・・・・まずは、我が家の近く(浅草橋3)にある甚内神社に、道中の無事を祈願し、出立!  江戸時代初期に、武田家再興の軍資金を稼ぐため盗賊となり、最後は鳥越の刑場で処刑された、武田家の家臣高坂弾正の子:高坂甚内を祀る神社。  “悪”を祀る珍しい神社で、懇ろに手を合わせる。 
 
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●寂れた・・・・・・・・・“おかず横丁”の旗と提灯が整然と並ぶ下町:鳥越の「鳥越本通り商店街」だ! 近くにスーパーなどもでき歩く人も少なくなった。 私の知る昭和30年代の賑わいが懐かしいね。
 
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●愛読書・・・・・・・・・・“春日通り”の北側:東上野1丁目に、私の愛読書「高島易断所本部編纂 平成〇〇年神宮宝暦」の発行元:神宮館がある。 私はこの愛読書をベッドの枕元とトイレに置き、「今日は何の日?」、「明日の運勢は?」、「日の入りは何時?」、「香典いくら包む?」、「彼岸は何日から?」、、、、豆知識の宝庫(?)で、好きな一冊である!
 
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●表の裏・・・・・・・・・・・上野駅の表(正面玄関前)を通る「昭和通り」、その東側裏通りに焼肉店が並ぶコーリヤタウンがある。 店の裏の路地には共同トイレもある。 焼肉屋では牛・豚のあらゆる部位の肉を食することができる。 以前、私も食べたが、大腸はチョイト遠慮した。
 
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・・・・・・・・・・・・旅館街もある。 戦後、東京見物のお上りさん、行商人なども泊まった旅館か? “昭和”が残る街。
 
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●通り抜け・・・・・・・・・・・上野駅正面からチョイトおじゃまし山下口へ、山下口から公園口に向かう。 駅舎の建物は東京駅の方が良いが、雰囲気は井沢八郎の「あゝ上野駅」を思い出させる上野駅が好きだ! 
 
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●折り返し地点・・・・・・・・・・輪王寺脇の両大師橋。 今日の散歩はここで折り返すことにした。 橋上から眺める線路は20本、30年程前、娘を自転車に乗せ上野駅に発着する常磐線・信越線・上越線・東北本線・山手線・京浜東北線の、特急・急行・普通列車など、飽きずに見ていた頃を思い出す。 あの頃は“若いパパ”、今は“若いジイジ”?。
 
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●チョイト、ブラブラ・・・・・・・・・帰りは「アメ横」を抜けて、御徒町に出て帰る。 アメ横も比較的すいているようだ、外人はチラホラ、台風・地震の影響かな?
 
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●無事帰宅・・・・・・・・・・我が家に近づき、今日の最後は鳥越神社で終わることにした。 2か月ぶりの散歩は無事終了。 よし!『雅万歩』、再スタートするぞ!
 
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●最後に、70過ぎて、この夏の学習成果は・・・・・・・・・
 
昔から、
   教えず習わず 覚えるものは まんま食うのと 色の道
この夏の私は、女房骨折し
   教わり習い 覚えたものは 炊事・洗濯 主夫の道

2018年7月17日 (火)

浅草橋

猛烈な暑さが続き、我が家では階段の窓際に置いてある寒暖計が35.6℃を指していた。 これでは外に出たら、誰に頼まなくても「熱中症」にしてくれそうだ。 今日も我が家でエアコンをガンガン、扇風機もブンブン、冷たいドリンクをグイグイ、テレビを見ながらスヤスヤ昼寝のナマケモノ状態で過ごす。、、、、、夕食を済ませたら、まだ30℃の夕暮れ、チョイト、家の周りを歩いてみることにした。、、、、、台東区浅草橋の町を約2時間かけて歩いた。

 
 
 
①浅草橋1丁目・・・・・・・・・南は神田川、東は江戸通り、中央にJR浅草橋駅がある一画。
 
浅草橋・・・・・・・・・神田川に架かる浅草橋、台東区浅草橋と対岸の中央区日本橋馬喰町を結ぶ。 現橋は昭和3年(1928)に開通した震災復興橋。
 
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●左衛門橋・・・・・・・・・浅草橋の上流に架かる橋。 昭和5年(1930)完成の震災復興橋。、、、、、神田川には釣り船が係留されてる。
 
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●JR浅草橋駅・・・・・・・・・・昭和7年(1932)7月1日に、総武線の駅が開業。 昭和40年(1965)12月4日には、都営地下鉄1号線の駅も開業し、乗り換え駅となる。、、、、、、最近は外人観光客が、駅周辺のホテルに泊まっているようだ。
 
・・・・・・・・・・・・江戸通りに面する東口は、駅の表玄関。
 
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・・・・・・・・・・・・・秋葉原駅寄りの西口はチョイト寂しい裏口か?
 
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・・・・・・・・・・・・・・東西の改札口の間は、高架の張りだし部分にホームが造られている。
 
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●浅草橋駅周辺・・・・・・・・・駅周辺は浅草橋随一の飲食店・歓楽街で、夜になると周辺のビジネスホテルに泊まった外人(多くは中国・インドネシアなどのアジア系)が食事に出てくる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・「変なホテル」と云う名の変なホテルが駅近くに今週オープンする。、、、、、ロボットがフロントにいるそうだ!
 
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・・・・・・・・・・・・・駅周辺のビーズ屋さんは20時近くまで営業中。 鯛焼き屋さんもまだ焼いてる。 人形屋さんは、シャッターが下りてる。
 
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・・・・・・・・・・・・・駅の裏にある、我が家の氏神様:銀杏岡八幡神社は明かり灯り、賽銭箱は出ているが、扉は閉まっている。、、、、、“賽銭を置いて行きなさい”ということか?
 
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②浅草橋2丁目・・・・・・・・・1丁目の北側に続く町。 浅草橋駅からは約200mぐらいの処。
 
●下町の建物・・・・・・・・・・・チョイト古そうな住宅、長屋が残っている。、、、、、東京大空襲で焼けずに残った家もある。
 
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・・・・・・・・・・・・・2丁目で最も古い建物:旧福井ビル。 大正から昭和にかけ建てられたビルと思われる。
 
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③浅草橋3丁目・・・・・・・・・2丁目の北側に続く町。 この先は台東区鳥越の町となる。
 
●下町の建物・・・・・・・・・この町にも古そうな建物が残っている。
 
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●甚内神社・・・・・・・・・・「甚内霊神」の名で、江戸時代初期に創建された。 伝承によれば、甚内は武田家の家臣高坂弾正の子で、主家滅亡後、諸国を行脚するうち宮本武蔵に見出されて剣を学び奥義を極めた。 武田家再興をはかり、開府早々の江戸市中の治安を乱したため、瘧(マラリア)に苦しんでいたところを幕府に捕えられた。 鳥越の刑場で処刑されるとき「我瘧病にあらずば何を召し捕れん。我ながく魂魄を留、瘧に悩む人もし我を念ぜば平癒なさしめん」といったことから、病の治癒を祈る人々の信仰を集めたらしい。
 
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④浅草橋4丁目・・・・・・・・・1丁目の西側(秋葉原寄り)に続く町。 JR総武線の北側に広がる町である。、、、、、建物は戦後の中小ビルが多く、あまり特徴のない町である。 
 
●JR総武線高架橋・・・・・・・・昭和7年(1932)の両国~お茶の水間開通に合わせて造られた高架橋である。、、、、、この高架橋自体は千代田区に属しており、台東区は高架橋の北側からとなる。 写真奥の明るい処は浅草橋駅西口。
 
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⑤浅草橋5丁目・・・・・・・・・最後の5丁目は、4丁目の北隣で、北端は蔵前橋通りである。
 
●旧柳北尋常小学校・・・・・・・・・戦後は柳北小学校と称した。(私の母校) 明治9年に創立した歴史ある小学校も、少子化により平成13年(2001)に閉校した。 校舎は大正15年(1926)の建築。、、、、現在は蔵前小学校が建て替えの為、仮校舎として使用中。
 
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●旧日光商事・・・・・・・・・・・旧持主がどのような企業か良くわからないが、建物のデザインは非常に凝っている。 大正から昭和初期の建築と思われる。
 
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●カトリック浅草教会・・・・・・・・・・明治10年(1877)に創立した、歴史あるカトリック教会。 現在の教会は、平成元年(1989)頃に建て替えられたもので、建物は台東区建築景観賞を受賞した。
 
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●町の銭湯・・・・・・・・・・5丁目には2軒の銭湯が健在である。 鶴の湯帝国湯。、、、、、 私の記憶では、戦後の浅草橋には7軒の銭湯があった、今は5丁目の2軒と1丁目の1軒の3軒となった。 住民も減り、さらに、内風呂のある住宅も増えているから、止むを得ないね!
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・以上、私の住む浅草橋の夜景を撮ってみた。

2018年7月13日 (金)

浅草橋~上野

今朝の気温28℃、昼には33℃の予報。 散歩に出たいが、熱中症は怖い、何処へ行こうか思案橋、(『思案橋ブルース』で)♪♪ 哭いているのだ 浅草橋で 陽に照らされて 焼けた ふたつの心は 歩きたい歩きたい 無情の日射し ああ 浅草 浅草橋ブルース ♪♪
 
思案の結果、、、、、、我が家から歩いていける上野方面に向かって散歩することにした。
浅草橋の我が家から御徒町を抜けて不忍池・上野駅を回ってきた。 1万2千歩
 
 
①仕舞屋・・・・・・・・・・我が家の近く(浅草橋2)の仕舞屋(しもたや。=多くは玄関が格子戸になっている家を指すが、要するに普通の住居専用の家のことで「しもうたや(仕舞うた屋)」から変化した単語。)、、、、、、、チョイト見、文筆家の住まいか、三味線・小唄の師匠宅か、それとも質屋の親爺のお妾さんお宅か、、、、、、粋で色っぽい佇まいがいいね!、、、、、、、、、玄関を設け、窓の前には犬矢来を作り、仕舞屋の特徴がでている。 昭和初期の建物か(?)
 
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②佐竹商店街・・・・・・・・・・現在の台東区台東3・4丁目の東半分は、江戸時代、出羽国久保田(秋田藩)の上屋敷があった地である。 藩主は佐竹氏で、20万石余を領有した東北地方屈指の外様大名であった。 佐竹家上屋敷は、元禄2年(1689)もしくは翌3年にこの地に開設した。 明治になって佐竹家上屋敷や近隣の武家屋敷が撤去され、当地は野原となり、俗に佐竹っ原と呼ばれた。 ここは見世物小屋が集中して賑わったが、明治時代半ばから民家が建ち並び、商店街として発展した。 現在、「佐竹」の名は、「佐竹商店街」として継承されている。、、、、、明治31年(1898)に商店街組合を結成し、金沢の片町商店街に続き、日本で2番に古い商店街である。 東京では最も古い商店街である。、、、、、最近は近くにスーパーができ、チョイト足が遠のいてきたが、この商店街は我が家の台所でもある。 
 
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③西郷医院・・・・・・・・・・佐竹商店街から西へチョイト入ると元医院の看板建築の建物がある。 文化財級の診療所建築で、チョイと見には木造建築とは思えないほど保存状態がいい。 玄関の円柱、半円の飾りが付いた窓(窓枠はサッシに入れ替えた)、昭和レトロの建築。、、、、、隣の銅板建築もいいね!
 
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・・・・・・・・・・・・・この付近(台東3)には、戦前の建築と思われる銅板建築・蔵が残っている。、、、、、関東大震災後の建築であろう。
 
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④アメ横・・・・・・・・・・・戦後の闇市が始まりである。 闇市では様々な物品が売られたが、特に飴を売り捌く店が当時200軒以上あった事から「アメヤ横丁」、略して「アメ横」と呼ばれた。、、、、私が知る戦後のアメ横では、駄菓子類、駐留軍横流しのガム・チョコレート・ビスケットなど、“その道の女性”が好んだ化粧品・ストッキングなども、さらには腕時計、舶来タバコなども、アメ横はアメリカに最も近い店でもあった。 私が小学生の頃には、興味湧く、面白そうな町であった。、、、、、今日は、早朝でまだ店は開いていない。
 
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・・・・・・・・・・・・・・アメ横の中にある日蓮宗の寺院:妙宣山徳大寺。 本尊は大曼荼羅であるが、開運摩利支天を祀ることから摩利支天山とも称されている。 旧本山は大本山中山法華経寺である。、、、、、商店街の中にある寺は立体的な構造で、1階は店舗(初代林家三平のCM 『ニキ、ニキ、ニキ、ニキ、二木の菓子!』でおなじみのお菓子屋)、2階を境内としている。 現在の立体造りの伽藍として復興を果たしました。 昭和39年(1964)に完成した。
 
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⑤不忍池・・・・・・・・・・・・池は、一面、蓮の花が咲いている。
 
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・・・・・・・・・・・・・花を観て、、、、、有名な都都逸:「表向きでは 切れたと言えど 蔭でつながる 蓮の糸」 チョイトのたまえば、蓮は千切れても極細の繊維が糸を引くことから、表向きの関係を断ち切っても、内緒でコッソリ関係をしている仲。 さらに、蓮の糸は極楽往生の縁を結ぶとされているので、遠距離恋愛、すれ違いなど、なかなか逢えない遠い人を想い慕っているのだとしたら、切ない仲だ。 私は、現世の同じ蓮の葉の上で激しく燃える仲の方が、いいね。
 
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⑦下町風俗資料館・・・・・・・・・・・・蓮を観ていたら、日差しはガンガン、頭はアッチアッチ、ペットボトルはカラカラ。 そろそろ熱中症対策を講じなければ!、、、、、そうだ! 池のほとりにある下町風俗資料館で、一休みすることにした。 ここは、下町の記憶を次世代に伝える貴重な資料を残す区立資料館。 入館料300円、一名様いらっしゃ~~い。、、、、、我が母校の写真、浅草橋近辺の写真、子供の頃の駄菓子屋の復元など、懐かしい昭和の資料を見て、一時間過ごす。
 
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⑧上野駅・・・・・・・・・・・不忍池から上野駅に行く。 駅から電車で帰宅するのではない。 私の住む浅草橋駅近辺には本屋が無いのだ、それで帰りにアトレに寄って本を買って帰ることにした。、、、、、今どき、都会の駅の近辺に本屋が無いなんて、秘境駅では無いのだが信じられないね。 ついでに言うと、「スタバ」、「マック」も無い!、、、、、、買い物済ませて、帰路につく。
 
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2018年7月 9日 (月)

田端~鶯谷

山手線田端駅にて下車し、道灌山、谷中を歩き鶯谷駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
①田端駅南口・・・・・・・・・・・・田端駅の西側は高台(道灌山)となって、崖下にホームがある構造となっている。 現在の田端駅は、北側の跨線橋:田端大橋 に面するメインの北口と、道灌山の崖にへばりつく小さな南口がある。、、、、、明治29年(1896)4月に日本鉄道の駅として開業した当時は、現在の南口付近から崖下に下った処に駅があったそうだ。(開業当時は北側の田端大橋はまだなかった。)、、、、、崖上のかわいらしい小さな駅舎で、売店、トイレなどは無い! 
 
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・・・・・・・・・・・・・・ホームから見上げる南口
 
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②道灌山・・・・・・・・・・・荒川区西端の西日暮里4丁目の台地は道灌山と呼ばれている。 上野から赤羽に続く山手台地の上にあり、太田道灌によって出城が造られた処と言われている。 眺望は良く、崖下には東北本線・東北新幹線などを見ることができる。 かつては、千葉県市川市の国府台あたりまで望むことができたそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・“道灌山”と言えば、東京大学合格者数日本一の名門:開成学園をイメージする人も多いはず、私もその一人。、、、、、古くは(明治・大正?)、東京の名門と言えば、“麻布・開成・京華”と言われたそうだ。 麻布・開成はナットク! 京華(けいか)は知らない? 京華は歴史ある学校で、私の母校だ、現在は二校にチョイト引き離されたが、今後に期待。(話がソレタ)、、、、、開成の「ペンは剣よりも強し」をデザイン化した校章はいいね。
 
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・・・・・・・・・・・・・・開成中学校の隣りには、向陵稲荷神社がある。 開成中学校の敷地は、かって「ひぐらし公園」であった、そこに佐竹右京太夫の屋敷社であった稲荷神社が祀られ町の鎮守として崇められたそうだ。 その後、現在地にチョイト移動した。、、、、、開成中学と開成高校はこの神社前の坂:向陵稲荷坂の両側に位置する。
 
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③西日暮里の寺院・・・・・・・・・荒川区西日暮里3丁目のいくつかの寺院に寄ってきた。
 
・・・・・・・・・・・・・まずは、青雲寺、、、、、、、JR西日暮里駅の西側に位置する、臨済宗妙心寺派のの寺院。、、、、、重層造の本堂は昭和35年(1960)に建てられた。、、、、、本堂横には江戸時代の戯作者:滝沢馬琴筆塚の碑がある。 小さな字でゴチャゴチャ書いてあるので読めなかった。 今度、来るときは、ハズキルーぺを持ってこよう!
 
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・・・・・・・・・・・・・次は、ピンクの塀に囲まれた修性院、、、、、、日蓮宗の運啓山修性院は、天正元年(1573)豊島郡田中村(現:練馬区南田中)に創建、寛文3年(1663)に現在地に移転した。 谷中七福神の布袋尊が祀られている。、、、、
 
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・・・・・・・・・・・・・次は、法華宗の法光寺、、、、、、法光寺は、寛永3年(1626)赤坂一ツ木に創建、後用地となって承応2年(1653)四谷南寺町に移り、その9年後に又々用地となって市谷本村へ移転し、明治維新後現在地へ移転した。 度々の移転、これも仏の仕業か?
 
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・・・・・・・・・・・・・さてさて次は、南泉寺、、、、、、、臨済宗妙心寺派の瑞応山南泉寺は、元和2年(1616)に創建、将軍家光・家綱に仕えた老女岡野の遺言により貞享3年(1686)寺領30石の朱印状を拝領した。、、、、、境内は手入れが行き届いており、全体に美しさを感じる寺である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・南泉寺の「おまねぎ堂」、、、、、境内の隅にある祠、額には「おまねぎ」と書かれている。  庚申塚か、地蔵尊か、ナンジャ?、、、、扉は閉められているが、格子の隙間から覗いて、ビックリ、ニッコリ、コリャ楽し! 解説不用、一目瞭然! そうです、アレとアレとアレです。、、、、、、知識ある人の話では、これらは「お招き様」「お客神様」などと呼ばれ、江戸時代、商売繁盛を願い花街の遊女たちの信仰の対象であった。 おまけに、家内安全、夫婦和合、子宝成就などのご利益もあるね。 私も遅まきながら手を合わせてきた。
 
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④富士見坂・・・・・・・・・・・修性院と法光寺の間にある坂。 その名のごとく富士山が見える坂であったが、平成25年(2013)頃、高層ビルが建てられその姿は見えなくなった。、、、、しかし、煉瓦塀の細い坂道は、いまだ富士山が見えるような雰囲気を残している。
 
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⑤岡倉天心邸跡・・・・・・・・・・・・西日暮里から歩き「谷中ぎんざ」を横切り台東区谷中5丁目に入った。、、、、、我が国近代美術の先駆け岡倉天心邸の跡地は「岡倉天心記念公園」となり、園内の岡倉天心史蹟記念六角堂(昭和41年竣工)には平櫛田中作の金ぴかの天心座像が安置されている。、、、、、、純金の像みたいだが、本物なら公園の一角に監視なしで置いとかないだろう!
 
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⑥観音寺築地塀・・・・・・・・・・岡倉天心記念公園から、裏道(蛍坂)を歩き観音寺横に出る。、、、、、観音寺は明和9年(1772)の火災で灰燼に帰した後、文政年間(1818~1831)頃に再興された。 寺の築地塀は境内南面を画する延長37.6mの練り塀で、瓦と粘土を交互に積み重ねて造り、江戸寺町の面影を残している。 国の登録有形文化財。
 
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谷中霊園・・・・・・・・・谷中霊園を抜けて鶯谷駅に向かう。、、、、墓地のいくつかを紹介する。
 
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・・・・・・・・・・・・・・新国劇を創設した大正から昭和にかけて活躍した澤田正二郞(1892~1929)の墓。、、、、、私は澤田正二郎:本人を見たことがない。 私の知る新国劇と言えば、島田正吾・辰巳柳太郎の時代である。
 
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・・・・・・・・・・・・・お墓に機関車がある、コレは誰だ? 信州伊那郡の出身で、明治時代の実業家:今村清之助(1849~1902)の墓である。、、、、角丸証券の創設者。 明治の恐慌後、欧米を視察し帰国してからは、両毛鉄道をはじめ、九州・関西・参宮・山陽などの諸鉄道事業の発起に関わり、諸々の鉄道会社の重役となり、大株主となって、日本鉄道界の王者に君臨した。、、、、、石が新しいので、機関車は最近つくられたようだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・おでん屋の娘(?)「高橋お傳」(1850~1879)の墓。、、、、“明治の毒婦”と呼ばれた、古着屋吉蔵殺しの犯人。 
 
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・・・・・・・・・・・・・谷中霊園にあって場違いな感じの墓は、あのニコライ堂で有名な、日本正教会創建者:ニコライ(1836~1912)の墓である。
 
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⑧鶯谷駅北口・・・・・・・・・・ラブホテル街を抜けて鶯谷駅に到着。 明治45年(1912)、東北本線の駅として開業した歴史ある駅。 
 
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2018年7月 3日 (火)

かっぱ橋本通り

都心では連日、9時には30℃を超え、年寄りは外に出にくい状態だ。 家に籠っていても、エアコンで冷やし、扇風機で風を送り、アイスコーヒーで胃を冷やし、素麺をあっさりと食し、やることないからゴロゴロ・ごろ寝し、サッカーW杯の同じような解説を何度も聞いて、あ~~~体調がスッキリしない! あ~~~退屈だ!
 
今日は15時過ぎに上野までコミュニテイバスで行き、合羽橋の道具街と直交する「かっぱ橋本通り」を歩き浅草まで、買い物を兼ねた散歩をしてきた。 約7千歩ぐらい。、、、、、ちょうど一年前の今日、浅草から上野に向かって「かっぱ橋本通り」を歩いていた。 解説はこちらを見てね!
 
 
 
・・・・・・・・・・・・・・・今日の散歩はここ「上野学園前」から。、、、、「上野学園」とは、ピアノの辻井伸行氏が卒業した音楽系の私立大学を中心とした学園。 音痴の私には縁遠い学園だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・東上野五丁目交差点から、「かっぱ橋本通り」に入る。 浅草国際通りまで続く商店街の先には、正面にスカイツリーを望める。、、、、、商店街は飲食店・薬局・ブティック・花屋・惣菜屋・文房具屋などが並ぶ普通の商店街である。 今は、七夕飾りでお客を歓迎している。
 
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・・・・・・・・・・・・・東上野五丁目交差点から200m程、かっぱ橋本通りを歩くと台東区松が谷3に、可愛い色気のある河童の像があり、『ここが台東区の真ん中 つまり「へそ」と言われている 台東区』と表示標されている。 23区で最も面積の小さい台東区にも“へそ”があったか。、、、、、こんな色っぽい河童なら、たくさんいるといいね。 
 
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・・・・・・・・・・・・・“台東区のへそ”から20m程東、かっぱ橋本通りのほぼ中間地点に、曹洞宗の巨嶽山曹源寺がある。 曹源寺は、天正16年に(1588)に江戸・和田倉門付近に創建され、その後、明暦の大火により当地に移転した。 当地一帯は低地で水はけも悪く、しばしば水害に悩まされた。そこで当地の商人・合羽屋喜八(合羽河太郎)が私財を投じ、新堀川(現在の合羽橋道具街のある通り。)の開削の工事を行った。 言い伝えによるとこの工事の折、近隣の隅田川に棲んでいたとされる河童が手伝ったと言われている。 文化11年(1814)に喜八が没し、菩提寺である当寺院に葬られいつしか「かっぱ寺」と言われるようになったそうだ。
 
・・・・・・・・・・・・・曹源寺本堂
 
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・・・・・・・・・・・・・・境内にある「河童大明神」は、商売繁昌などに霊験があるといわれてる。 堂の中には河童の絵があった。
 
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・・・・・・・・・・・・・「合羽橋道具街」が誕生して90年を迎えた平成15年(2027)に、道具街の一角に建立された「かっぱ河太郎像」。、、、、、、海パン姿の悪ガキというイメージの像だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・今日は買い物をするために来たので、チョイト道具街の店を覗いてきた。、、、、外人客が多く、どこの店にも数人の外人がいた。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・再び、かっぱ橋本通りを歩き、浅草へ向かう。
 
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・・・・・・・・・・・・・・店先に立つ可愛い河童。 ドサクサ紛れにカエルも、タヌキも、、、、
 
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・・・・・・・・・・・・・途中の店で買い物も済ませ、「かっぱ橋本通り」が国際通りにぶつかりココまで!
 
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・・・・・・・・・・・・・雷門前の通りに出て、ここからコミュニテイバスで帰宅。、、、、、帰宅する私の手には、観賞用の植木、花器、木製の盆、敷物、などなど、重たい!
 
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2018年6月17日 (日)

隅田川テラス

先の火曜日から、尿道を通し膀胱の中まで管を入れられ、排尿時に栓を開ける、フレキシブルなストローのようなものをつけられてしまった。(念のため、管はパンツの中に隠れ、外からは見ても判らないので、恥ずかしくはない。) 医者の話では『一週間ほど我慢してね』と云うことだ。 しばらく散歩に行きづらかったが、今日は管をつけたまま歩いてきた。、、、、、万が一、散歩中に“お漏らし”したら、ズボンの前が濡れ恥ずかしいので、今日は美人の少ない隅田川テラスを歩くことにした。、、、、総武線隅田川橋梁から出発し白鬚橋までの9千歩の散歩です。
 
 
隅田川テラス・・・・・・・・・・東京都が昭和60年(1985)から進めている事業で、隅田川両岸のほぼ全域総延長46.9kmの堤防を、人が水辺に親しみ遊歩道として歩けるように、親水テラス:「隅田川テラス」として整備されてきた。、、、、これまでは、橋の直下や水門の前は歩けなかったが、このほどテラス上を連続して歩けるように整備された。、、、、、今日は隅田川右岸の台東区内に属する部分(総武線隅田川橋梁~白鬚橋)を歩いてきた。
 
 
総武線隅田川橋梁・・・・・・・・・・・神田川が隅田川に合流する地点の上流側に架かるJR総武線の隅田川橋梁。 元土木学会会長:東京大学教授:田中豊(明治21年(1888)~昭和39年(1964))の設計で、昭和7年(1932)に竣工。 形式は3径間ゲルバー下路式ランガー桁で、橋長は172m、軽快な姿を隅田川に映す橋。
 
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・・・・・・・・・・・・・・橋の横(台東区柳橋)に隅田川テラスの入口がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・ここから見るスカイツリーは雅万歩では、おなじみ、、、、
 
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・・・・・・・・・・・・・・ここ辺りの堤防は「なまこ壁」風にデザインされ、所々に大名の家紋が埋め込まれている。、、、、、昭和40年頃までは、「柳橋」の花柳界があり、川べりには桟敷が作られ夏の夜は提灯も下がっていた。 政財界人、文筆家、相撲取などが遊んだ処。
 
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NTT蔵前専用橋・・・・・・・・・・・・・NTT東日本蔵前通信ビル(台東区蔵前)と対岸(墨田区横網)を結ぶ。 昭和42年(1967)の竣工当時は旧電電公社時代であり、「電電蔵前専用橋」と呼ばれた。 日本で初めての洞道(通信線トンネル)専用橋であるが、中央には水道管も敷設され水道橋を兼ねている。、、、、、蔵前橋の南側(下流側)に近接しており、チョイト武骨な白い箱形の躯体が景観を損ねているね。 川底に通せばよかった!
 
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蔵前橋 ・・・・・・・・・・昭和2年(1927)に完成した関東大震災の復興橋の一つ。 橋下から眺める黄色に塗られたアーチ部の鉄骨は綺麗に見える。
 
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厩橋 ・・・・・・・・・西岸の台東区蔵前・駒形と、東岸の墨田区本所を結ぶ、橋長151.4mの3径間下路式タイドアーチ橋。 昭和4年(1929)に竣工した、こちらも復興橋の一つ。、、、、、橋下にもぐると、“綺麗”とか“面白い”という言葉より、なんだか変質者になったような気がした。 色のなす魔力か?
 
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駒形橋 ・・・・・・・・・・・・続いての復興橋は、優美なアーチ橋の駒形橋なのだが、只今アーチ部の塗装工事中。 昭和2年(1927)に竣工、橋長149.6m。、、、、、ブルーの線が明るさを感じさせる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・厩橋から駒形橋にかけこの辺りの堤防はレンガ調で仕上げられている。 みんなでジョギングを楽しむ人、一人で観光地を調べる人、二人で記念撮影する人。
 
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吾妻橋 ・・・・・・・・・・・・吾妻橋は、「竹町の渡し」と呼ばれた渡し舟があった場所に、安永3年(1774)に初めて架けられた。 以来、幾度か架け替えられ、明治20年(1887)には、隅田川最初の鉄橋が架橋された。 鋼製プラットトラス橋で、人道橋、車道橋、鉄道(東京市電)橋の3本が平行して架けられていた。 しかし、この橋は関東大震災で被災したため、昭和6年(1931)に現在の橋に架け替えられた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・隅田川テラスは吾妻橋の両端にある橋台の中をトンネルのように通り抜ける。
 
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東武伊勢崎線隅田川鉄橋 ・・・・・・・・・・・・・東武鉄道伊勢崎線を通す、中路カンチレバーワーレントラス橋という形式の橋長166mの橋。 昭和6年(1931)竣工。 この橋も、総武線隅田川橋梁を設計した東京大学教授の田中豊である。、、、、川に架かる景観と車窓から見る景色に配慮し、トラス部分を低くしたデザインが特徴的な鉄道橋。
 
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・・・・・・・・・・・・・・橋の南側(下流側)では、対岸にスカイツリー、墨田区庁舎、アサヒビール本社など、おなじみの景色が見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・・この付近ではテラスに水生植物がみられる。 緑も多く癒される散歩道。
 
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言問橋 ・・・・・・・・・・・昭和3年(1928)に竣工した復興橋。 3径間ゲルバー鈑桁橋と云う形式で、橋長は238.7mの橋。 橋の上からは、スカイツリーが正面に見える、“絵”になる橋。、、、、、、橋下は、チョイト薄暗く、湿っぽくもあり、鉄骨が骨のように見え、恐竜の胃袋に入っている感じだ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・この付近では、隅田川テラスに彩も鮮やかに花が植えられていた。、、、、持って帰っちゃ、ダメだ!
 
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桜橋 ・・・・・・・・・・・台東区と墨田区が共同で架けた歩行者専用橋。 隅田川上でX字形に広がる特異な平面形の橋。、、、、、両側(両区)の隅田公園を結ぶ、お花見に盛り上がる橋。、、、、、、桜橋付近になると、外人観光客の姿もなく隅田川テラスにも人影がまばらとなる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・桜橋から白鬚橋までは、チョイト距離がある。、、、、、堤防側には緑が続き、歩きやすい。
 
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白鬚橋 ・・・・・・・・・・隅田川に架かる復興橋。 西岸は台東区橋場と荒川区南千住で、台東区では最北の橋である。 昭和6年(1931)に大林組の施工で竣工した。 骨太な鉄骨は重量感を感じさせる。
 
・・・・・・・・・・・・・・・白鬚橋に近づいたと思ったら、隅田川テラスは工事中、これ以上先にはテラスを歩けない。、、、、、、今日の散歩はココまでとする。
 
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2018年5月 1日 (火)

目黄不動 (永久寺)

今日は5月1日、いみじくも『目の日』(?)である、英語で『May Day』と書く。 江戸五色不動巡りも今日が最後の6番目で、目黄不動の永久寺(台東区三ノ輪)へ行ってきた。
我が家のある浅草橋は台東区の南端、目黄不動の三ノ輪は北端で、台東区を南北に縦断し、さらに帰りは日暮里に出たので、1万3千歩の散歩となった。 
 
 
 
①浅草橋から浅草へ・・・・・・・・・・我が家から三ノ輪に出るには、江戸通り・国際通りを歩けば、最短時間、最短距離で到達できる。 今日もこのルートで三ノ輪へ向かうことにした。
 
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②感應稲荷神社・・・・・・・・・・・国際通りに面し、浅草ビューホテルの南側にある稲荷神社。 感應(かんのう)稲荷神社の創建年代は不詳であるが、武蔵野国豊島郡江戸郷芝崎(現:千代田区大手町)に鎮座していたが、二度の遷座を経て、明暦3年(1657)に現在地(台東区西浅草3)に鎮座された。、、、、、かなり小さな神社で、わざわざいくほどの神社ではない! 行ってガッカリ、見てガッカリ、腰はギックリ、最後はポックリ。
 
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③西徳寺・・・・・・・・・・・お酉さまの鷲神社の斜め前、国際通りに面して真宗佛光寺派寺院の光照山西徳寺がある。、、、、、西徳寺は、当時新興都市であった江戸の出張所として、京都五條坊門にあつた寺跡を移し寛永5年(1628)金助町(本郷付近)に創建された。 ところが、その後わずか50年の間に3回の火災に見舞われてしまう。 その中には八百屋お七で有名な「振り袖火事」も含まれているが、そのたびごとの再建で、すっかり疲弊してしまう。 そこで、疲れた住職・檀信徒が協議の上、当時まだ江戸郊外であった現在地(台東区竜泉1)に移転した。時は天和3年(1683)のことであった。 しばらく落ち着いていたが、大正12年の震災では、堂宇は全滅し廃墟と化した。 こうした困難の中、再び檀信徒一同立ち上がり、直ちに本堂再建に向かい昭和5年(1930)5月に、現在の本堂が鉄筋コンクリート造で再建された。 参詣席は当時としては珍しい椅子式である。
 
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飛不動 ・・・・・・・・・・・鷲神社の北には、パイロット、キャビンアテンダント(CA)など、空を飛ぶ人に愛されている飛不動正宝院がある。 正宝院は、享禄3年(1530)の創建といわれる修験寺院。 当寺の住職が大和国大峰山に不動尊像を持って修行に行ったところ、不動尊は一夜にして当地へ飛びかえり、人々に御利益を授けたことから、江戸時代初期には「飛不動」と称された。、、、、、飛行機が怖い私。 飛行機に乗ると、スチワーデスが観音さまに見え、私にはお不動さまより、スチワーデスに守られているように思える。 美人であればあるほど御利益ありそうだ。、、、、ところで、平成10年(1998)で、スチワーデスの呼称は廃止され、CAに変わってしまった。 昔の呼称の方が良かった、スチワーデスが好きだ!
 
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⑤目黄不動(永久寺)・・・・・・・・・・国際通りが昭和通り(日光街道)にぶつかる大関横丁交差点。 交差点の地下は東京メトロ日比谷線三ノ輪駅。 この交差点から30m程東によると養光山永久寺がある。、、、、、永久寺は現在天台宗の寺であるが、真言宗の寺として開創したが衰退し、再興して禅宗の寺「白岩寺」と改めたが再び衰退。 寛文7年(1667)に中興し永久寺と称した。 元禄年間には日蓮宗の蓮台寺と改宗したが、後に天台宗に改め養光山永久寺として再び中興した。 なんとも節操がない、信念がない、変遷の多い寺だ。、、、、、、境内はさほど広くはなく、モダンな本堂の建物が道路際まで建てられている。 山門と呼ぶような門はなく、住宅のような構えで通り過ごしてしまうかも。 本堂も、見えるところに賽銭箱などもなく、どこで手を合わせるのか、判りまちぇ~~ん?
 
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・・・・・・・・・・・・・本堂の横に不動堂があった! 小さな穴から中を覗くと、目黄不動尊が安置されていた。、、、、、見たかぎりでは、お不動さまは黄疸ではないようだ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・これで、江戸五色不動の五色・六寺は全て巡った。 満願成就で、ジャンボが当たる! 私も、まもなく億万長者になるであろう。
 
・・・・・・・・・・・・・・ちなみに、江戸五色不動で巡った寺は、、、、、目青不動 (教学院:世田谷区太子堂)、目白不動 (金乗院:豊島区高田)、目赤不動 (南谷寺:文京区本駒込)、目黒不動 (瀧泉寺:目黒区下目黒)、目黄不動(永久寺:台東区三ノ輪)、目黄不動(最勝寺:江戸川区平井)の6寺。
 
 
⑥日暮里駅まで歩く・・・・・・・・・・・・暑い、暑い、散歩だった!
 
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