台東区

2019年9月 7日 (土)

暗い夜道も面白い!

残暑とは言え、日中の30℃超えは暑い! 朝はごろ寝、昼は昼寝で、家から出ずに我が家でゴロゴロ様。 夕刻になり『散歩してくる!』。 私が住む、台東区浅草橋1丁目~5丁目の町を適当に2時間ばかり散歩してきた。



・・・・・・・・・・・・・・日も落ち、暗くなってきた。 裏道は人影もなく静かである。 

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・・・・・・・・・・・・・・夕食で満席の鳥越神社近くの中華料理屋さん。 美味しいと評判の店。

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・・・・・・・・・・・・・・ 甚内神社は、武田家再興をはかって江戸市中を荒らした盗賊:高坂甚内を祀る神社。 御利益は泥棒除けか?

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・・・・・・・・・・・・・・私も何度か乗せて頂いた救急車が待機する浅草消防署浅草橋出張所

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・・・・・・・・・・・・・・消防署前には、都内最古の銭湯:鶴の湯がある。 あいにく本日定休日。、、、、もう一軒、こちらはマンションの1階にある帝国湯。 創業は明治時代と古い、本日営業中。、、、、どちらの湯も、私が子供のころから利用させてもらった銭湯。

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・・・・・・・・・・・・・・カトリック浅草教会は小さな教会だがモダンな建物。、、、、私が幼き頃は、付属の幼稚園があり、私も入園したかった!

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・・・・・・・・・・・・・・明治36年に、私立日本女子美術学校として芝公園に開校し、その後、本郷千駄木に移り、東京市立第一女子技芸学校となる。 大正時代には池之端に移転。 昭和15年に、現在地(浅草橋5)に移転。 戦後は都立忍岡高等学校となる。、、、、南隣りの私の母校と共に、かつて平戸藩松浦氏の屋敷跡で、約2,600坪の蓬莱園と称する庭園があった処。


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・・・・・・・・・・・・・・私の母校:旧台東区立柳北小学校。 建物は大正15年の竣工。 小学校は少子化により廃校となり、現在は空き家。 校庭ではテニスをする人もいる。、、、、浅草橋駅に近く、どこぞの女子大でも誘致したらいいと思うよ!

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・・・・・・・・・・・・・・こちらも古い建物で、大正か昭和初期に完成した、旧日光商事建物。、、、、同時期に建てられたもう一つの建物は旧福井ビル。、、、、我が母校:柳北小学校、旧日光商事、旧福井ビル、そして我が家(浅草橋2)も、この辺りは東京空襲で被災を免れた一帯である。 

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・・・・・・・・・・・・・・・昭和7年(1932)7月1日に総武線の浅草橋駅が開業した。 開業当初から高架駅として造られ、現在もおおむね当時のままである。、、、、私がまだ小学生の昭和30年代頃までは、早朝には蒸気機関車に牽かれた貨物列車が走っていた。

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・・・・・・・・・・・・・・浅草橋の町は只今ホテルの建設ラッシュ、浅草・上野・銀座に近く交通の便よし、中国・ベトナム・台湾などの観光客向けに、ビジネスホテル・民泊がアッチャ・コッチャにポコポコ建っている。 駅周辺には、食事を求め徘徊する外人さんが多い、中には露出度の高い人も!

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・・・・・・・・・・・・・・鯛焼きやはまだ営業中。 外人さんの客も多いね!

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・・・・・・・・・・・・・・そろそろバスも終わりかな?、、、、台東区のコミュニティーバスは最終。 都営バスはもう少しありそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・散歩の〆に、駅裏の氏神さま銀杏岡八幡神社に手を合わせて帰る。 神様は、女神の夢を見て、すでに熟睡中。

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2019年8月19日 (月)

巾着腹と大根足

そろそろ夏バテする時期だ。 私は、隅田川花火大会で孫を抱き腰がイテテ、連日のアイスコーヒーの飲み過ぎでお腹はピーピー、昼寝が多く不規則な睡眠でお眼目シバシバ、熱中症と戦いエアコンと扇風機でガンガン躰はヒエビエ、リバブル先生に見とれ鼻血ブー(病院で血管を焼いてもらった)、、、、どうやら、私もバテてきた!

今日は、浅草寺の支院の一つ本龍院(待乳山聖天)と、浅草寺に行ってきた。




●巾着腹・大根足の寺? ・・・・・・浅草寺の北東650m程離れた隅田川沿いの小高い丘にある、浅草寺の支院で、聖観音宗の寺院である本龍院(ほんりゅういん)。 “小高い丘”は待乳山(まつちやま)と呼ばれ、寺は別名「待乳山聖天」と呼ばれている。、、、、この丘は推古天皇3年(595)に突然小高く盛り上がりできた。 そして、この山に金龍が舞い降り守護したと伝えられ、浅草寺の山号(金龍山)の由来となった。 この不思議な降起は、十一面観音菩薩の化身「大聖歓喜天」が出現するめでたい先触れで、それから6年後村人は天候不順に悩まされ、永い旱魃(ひでり)のために飢えと焦熱の地獄に陥っていた。その時大聖歓喜天が出現し、雨を降らせて村人を苦しみから救ったという。それ以来民衆の篤い尊信が集まり、天安元年(857)慈覚大師円仁が東国巡拝の折、この山に籠もって21日の間浴油修法して国家安泰、庶民の生活安定を祈願し、自ら十一面観世音菩薩像を彫んで奉安したと伝えられている。、、、、本堂などの建築物は震災・戦災で焼失し、現在の本堂は昭和36年(1961)に権現造りで再建されたものである。

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・・・・・・・・・・・・・・境内各所に印されてあります巾着大根は、信心し祈願することによって得られるその御利益を端的に表したもの。 大根は身体を丈夫にし、良縁を成就し、夫婦仲良く末永く一家の和合の御加護える功徳を表している。 巾着は財宝で商売繁盛を表し、聖天さまの信仰の御利益の大きいことを示している。 境内のあちらこちらに大根と巾着のシンボルを見ることができる。、、、、巾着のようにフックラした腹、大根のようにスラッとした足が、御利益ではないので、誤解なきように! 


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・・・・・・・・・・・・・・境内には、足利末期(1600頃)の作と云われてる出世観音、、、、昭和18年(1943)に浪曲協会が建てた浪曲相輪塔、、、、江戸時代の名残をとどめる築地塀、、、、いろいろ見るべきものがある。 戦前・戦後の美人女優:花柳小菊が献燈した燈籠もある。


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・・・・・・・・・・・・・・境内から見るスカイツリー。 チョイト木が茂り、判りづらいが隅田川も見える。

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●猿若三座? ・・・・・待乳山聖天と浅草寺の間の町、現在の浅草6丁目。 この地はその昔、丹波国(京都府)園部藩主小出氏の下屋敷であった。天保12年(1841)、徳川幕府は天保の改革の一環として、この屋敷を公収し、その跡地に境町・葺屋町・木挽町(現中央区)にあった芝居小屋の移転を命じた。 芝居小屋は、天保13年から翌14年にかけて当地に移り、猿若町はできた。 芝居小屋の移転とともに猿若町は、一丁目から三丁目にわけられ、一丁目には中村座および薩摩座、二丁目には市村座および結城座が移った。 そして、三丁目には河原崎座が移転してきた。このうち中村座、市村座、河原崎座が世にいう「猿若三座」である。 町名は、江戸芝居の始祖といわれた猿若勘三郎の名に由来する。、、、、現在は、芝居小屋の跡に碑が建つのみ。 


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●カッコイイ侠客が勧請した ・・・・・・浅草寺の裏手に、新門辰五郎が勧請した被官稲荷社がある。、、、、安政元年(1854)新門辰五郎の妻女が重病で床に伏した時、京都の伏見稲荷社に祈願した。 その効果があって病気全快、安政2年(1855)お礼の意味を込め、伏見から祭神を当地に勧請し、小社を創建して被官稲荷社と名付けた。、、、、江戸後期の町火消、鳶頭、侠客で、映画、芝居では、カッコイイね!


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●チョイト暑さもやわらいだ浅草寺 ・・・・・・・このブログでは、毎度おなじみの浅草寺。


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2019年7月31日 (水)

暑い暑い散歩

連日の猛暑、今日は特に暑い。 この暑さの中、朝一番にて上野の病院で定期検診。 9時半には病院を出て、蒸し風呂状態で、上野公園、寛永寺、浄名院と巡り鶯谷駅まで歩いてきた。




●暑い暑い! ・・・・・・痛い痛い夏の日射しはなく、暑い暑い空気がどんより漂う、、、、帰省時の賑わいは遠い昔の話となった上野駅も静かに暑さに耐える、、、、中国か韓国か台湾か、お姉ちゃんは尼(雨)傘で日除け、、、、日陰がなくては暑くて歩けない、東京国立博物館前の広場は人影もまばら、、、、熱中症に注意し、風の流れる木立の陰を歩く、、、、「旧奏楽堂に入って一休みするか?」、300円の入館料がもったいないので素通り、、、、東京藝大美術学部の陳列館音楽学部の赤レンガ1号館、外から覗いて「また来ます!」

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●この木なんの木 ♪ ・・・・・♪♪ この木なんの木 気になる木 名前を知らない木ですから 隣りの説明読みました ♪♪、、、、上野公園のムクノキ(椋の木)で、木の説明書きでは、『ムクノキは、関東以西の山地から低地に普通に見られる落葉高木で、しばしば大木になります。 また、この木に見られるように、樹洞(じゅどう)という幹に穴ができやすいのも特徴です。 冬は葉が落ちるので、枯木のようですが、夏は葉が茂り元気な姿となります。』、、、、それにしても凄い穴だ! 突き抜けているので、熊も冬眠できないと思う。

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●川越から来た本堂 ・・・・・藝大音楽学部の北側に天台宗の寛永寺がある。 寛永寺は天台宗関東総本山で、東叡山寛永寺円頓院と号す。 開基は徳川家光、開山は天海和尚で、徳川将軍家の祈祷所・菩提寺となっている。 本尊は薬師如来。 寛永寺の堂宇は、慶応4年(1868)の上野戦争で多くを焼失した。、、、、寛永寺の本堂(根本中堂)は、明治12年(1879)に川越喜多院の本地堂を移築したものである。
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●数えてみたい地蔵さん! ・・・・・・寛永寺とは、言問通りをはさみ向かい合わせの浄名院。 浄名院は寛文6年(1667)に寛永寺36坊の一つとして開かれた。、、、、境内にズラ~ット並ぶ八万四千体地蔵は圧巻である。 本当に84,000体あるかは確認していないが、写真には一つのアングルでは納まらない。 境内の至る所に“〇〇地蔵”が安置され、さしずめ地蔵博物館と云う処。

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●汗もひたたる色男! ・・・・・寛永寺陸橋を渡り、JR鶯谷駅から帰宅。 我が家に着くと、パンツの中まで汗でビショビショ。 

2019年7月13日 (土)

チョイト早かった蓮

梅雨のチョイ間の雨上り、我が家(浅草橋)からブラリ、上野の不忍池に蓮の咲き具合を見に行き、根津・千駄木の裏道を歩いて、地下鉄千代田線の千駄木駅までの散歩です。 1万3千歩



●雅万歩の歴史? ・・・・・下町の歴史的建造物を見ながら不忍池へ向かう、、、、自分の歴史を振り返るようだ!

・・・・・・・・・・・・・・まずは、我が家から徒歩1分半、私の母校「旧東京市柳北尋常小学校(区立柳北小学校)」(台東区浅草橋5)、、、、次は、さらに3分歩いて「三井記念病院」(千代田区和泉町)、、、、病院前の「凸版印刷」本社前(台東区台東)に、「市村座跡」がある。 市村座は歌舞伎の芝居小屋で、寛永11年(1634)日本橋葺屋町に市村座創始し、中村・森田(のち守田)座とともに、江戸三座と呼ばれた。 天保13年(1842)浅草猿若町に移り、ついで当地に再転。 当地での市村座は、明治25年(1992)から昭和7年(1932)まであった。、、、、(この3か所はコチラに!)

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・・・・・・・・・・・・・・市村座跡跡から西へ80m程歩くと、大正11年(1922)に建てられた煉瓦造風の下水道局和泉町ポンプ所がある。 私が幼き頃は、妖怪の住む怖い建物に思えた処。

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・・・・・・・・・・・・・・秋葉原~御徒町間のJR「御徒町高架橋」(台東区上野5)は大正13年(1924)に完成した。 現在は、山手線・京浜東北線・上野東京ラインが走る。(地下には東北新幹線が走る)、、、、終戦直後の蔵前橋通りに架かる薄暗いガードの周辺には、秋葉原の市場周辺に食べ物を求め、ガード下に寝床を求め、周辺の焼け跡には金目の金属を求め、ばたや・浮浪者・孤児が集まっていた。 幼い私にはここも怖い処に思えた。 いつの間にか“ばたや”、“浮浪者”の姿も見えなくなり、言葉も死語となったのか?

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・・・・・・・・・・・・・・上野松坂屋の方に向かい歩くと、朝湯で有名な燕湯がある。 建物は昭和25年(1950)の建築だが、国の登録有形文化財に指定されている。 私の幼き頃、地下鉄末広町駅の近くに住んでいた祖父母に連れられ度々利用した銭湯。 昔は白く濁った薬湯(くすりゆ)などもあって、湿疹などができると「白湯へ入ってきな!」と言われた記憶も残っている。、、、、燕湯から中央通りに出ると、最近建て替えられた新広小路ビルがある。 1階のコンビニの脇に「日本最初の喫茶店 可否茶館跡地」という碑が建っている。 ここは明治21年(1888)に、この地(当時・上野西黒門町)に日本初の喫茶店「可否茶館」が開店した場所だ!、、、、(ここの詳細はコチラに!)

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・・・・・・・・・・・・・・可否茶館跡から中央通りを40m程北に向かうと、松坂屋の斜め前あたりに、東京3大どら焼きで有名な「うさぎや」がある。 大正2年(1913)創業の和菓子の老舗で、昔からどら焼きを売っている。 味わってみたい人は、並ぶの覚悟、1時間待ち覚悟、売り切れ覚悟でお店へ行くべし。、、、、ちなみに我が家では平日の午前中に、ママチャリに乗って私が買いに行く担当。

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・・・・・・・・・・・・・・池之端「仲町通り」の「黒沢ビル」前を通り不忍池に向かう。 黒沢ビルは毎日、早朝から玄関前を綺麗に掃除し水がまかれ、歩いても気持ちがいい。 オーナーが綺麗好きなのかも?

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奇遇ですね! ・・・・・不忍池の蓮、咲き始めたばかりだ。 まだチョイト早かった、来週の梅雨明けが過ぎた頃、一番の見頃かも?、、、、去年の今日、不忍池を散歩していた。 
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●まだ残っているぞ“下町” ・・・・・不忍池から千駄木駅まで、根津・千駄木の“下町”を求めて裏道を歩く。 裏道にもマンションなどが建ち、“下町”も少しづつ消えて行くようだ。

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2019年7月 2日 (火)

上野から観音さままで

連日の梅雨空、ここ数日散歩する機会もなく我が家でゴロゴロ状態。 今日は小雨がぱらつく中、朝一番に上野駅前の区役所に書類を貰いに行き、その足で浅草までチョイト散歩してきた。 (井の頭線沿線の散歩は休み)




●ステキな案内嬢? ・・・・・・霧雨の中、台東区役所に到着、一番乗りで入庁。 すかさず60歳前後の案内嬢(?)がやって来て「今日はどのような・・・」、夫婦の課税(非課税)証明書を貰いに来た旨を告げると、「こちらの申請書に記入してください」。 夫婦の名前、性別、生年月日などを記入するのだが、アレ? 妻の生年月日が月日は判るが、“昭和・・年”の記憶が怪しい! 普段はスラリと出てくる誕生日、今日は昭和28年だったか29年だったか、迷いが出た。 一度迷うと困ったもんで考えるほど怪しくなる。 書く手が止まると、再び案内嬢「どうしました?」 「アノ、家内の誕生日教えてください」 「え?・・・・!」 「家内は午年(うまどし)なんです、昭和28年ですか?29年ですか?」 案内嬢、指を折って計算している、自分の歳から逆算している、足し算か引き算か、チョイト間があいて「29年ですね」 「助かりました、ありがとう・・・」、、、、私も、そろそろ惚けてきたか! 昭和48年(1973)に竣工した庁舎も老朽化?

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●雨上がり、ムシムシ暑い! ・・・・・区役所を出る頃には雨も上がり、蒸し風呂状態。 上野から浅草に向かって歩く。

・・・・・・・・・・・・・・区役所の北側に残る区立旧下谷小学校。 関東大震災の震災復興小学校として、昭和3年(1928)竣工の鉄筋コンクリート造校舎。 施工は安藤組(現:安藤ハザマ)。 現在は廃校となり、南側にたつ区役所で使用しているようだ。 いずれは、取り壊され区役所庁舎と共に再開発される運命かも?

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・・・・・・・・・・・・・・台東区役所の北側にポツリと建つ、銅板建築の民家。 昭和初期の建物と思われる、2階の半円形の窓も洒落ている。 全面銅板で黒い建物だが、建てられた時は銅の色で輝き、金閣寺みたいなものだ!

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・・・・・・・・・・・・・・東上野界隈の昭和の建築。 関東大震災では、台東・墨田・江東・中央の各区はほぼ全焼した。 ここ東上野の一帯も全焼した地域である。

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・・・・・・・・・・・・・・かっぱ橋道具街の西側に矢先稲荷神社がある。 徳川家光が寛永19年(1642)に、江戸浅草の地に創建した三十三間堂の守護神として祀られた稲荷大明神を起源とする。 三十三間堂は、元禄11年(1698)の大火後に深川へ移転したが、稲荷大明神は当地に残り、三十三間堂(弓矢の練成道場、通し矢が行われた)の由来から、矢先稲荷神社と称した。 昭和20(1945)年3月9日の空襲では神輿庫を残し社殿は焼失し、戦後、昭和35(1960)年にRC造の現社殿が再建された。、、、京都にならって建てられた、浅草の三十三間堂。 今残っていれば観光名所にプラス・ワン。

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・・・・・・・・・・・・・・上野駅前から浅草に向かう浅草通り。 この通りは東本願寺の表通りで、南側には仏具屋さんがズラリと並んでいる。(南側に並んでいるのは、仏具に直射日光が当たらないように配慮したため) その仏具屋さんの一軒。 東本願寺の参道正面に、昭和4年(1929)に建てられた、丸窓とビルの上の寺院風の塔屋が特徴的な難波佛具店がある。、、、、榎本徳蔵の設計で、鉄筋コンクリート造、戸田組(現:戸田建設)の施工。

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・・・・・・・・・・・・・・浅草通りから参道に入り、正面の東本願寺に寄って、手を合わせる。、、、、慶安4年(1651)に神田で、京都東本願寺の別院として開創。 明暦の大火により焼失し、現在の浅草に移転し、浅草本願寺となる。 昭和56年(1981)真宗大谷派から独立し、「浄土真宗東本願寺派 本山東本願寺」となる。(お東さん騒動)、、、、木造の旧本堂は関東大震災で焼失し、昭和14年(1939)鉄筋コンクリート造で現本堂を再建。 その後空襲で被災し内部を焼失したが、再建され、現在の荘厳な趣となっている。
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●判らん稲荷! ・・・・・浅草に到着、観音さまに行く前に、チョイト小さなお稲荷さんへ。 雷門の大通りから中に1本入った“食通街”(浅草1-14)に祀られている無事富稲荷神社。 由緒・謂れを記した案内板もなく、なにもわからないが、ご近所の店で信仰しているのであろう。、、、、“無事富”は“ぶじとみ”と読むのか? 判らん! さて、その意味は、“事無きを得る、富を得る”か? こちらも、判らん!

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●今日も観音さまに祈る ・・・・・観音さまに参り今日も願うは、金運招福、家内安全、夫婦円満、延年天寿など。 100円の賽銭で全て叶えば安いもの!

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2019年5月22日 (水)

緋牡丹に会いに東照宮へ

私のスケジュールは、今だに10連休の余波が続いている。 何かと言えば、医療機関の診察が全て10連休明けの先週・今週に集中したのだ。 先週は、中野の病院で眼科検診、秋葉原の病院では心臓血管外科の検診、ご近所のクリニックで整形外科の検診とリハビリ。 今日は、上野の病院で泌尿器科の検診と、飯田橋のクリニックで循環器内科の検診、明日は再びご近所の整形外科。 さらに“おまけ”で、10連休中は予定外の風邪でダウンし、ご近所のクリニックで診てもらった。 散歩に出るより、病院通いのほうが多いようだ! 幸い、どこの医療機関でも“異常なし”と言ってくれるが、必ず次回の予約をさせられ、“またのおこしをお待ちしてます”とカモにされているのかも?

朝8時に家を出て、上野の病院で朝一の診察を受けた後、上野東照宮へ行ってきた。 9千歩の散歩。




●上野に来た、日米の軍人 ・・・・・・・・・・病院を後に上野駅を抜けて上野公園に出ると。 平日の朝にもかかわらず、ゾロゾロ駅から美術館・動物園に向かって歩く人・人・人。 子供の姿は見えず、暇な中高年ばかり、しかも女性が多いね!、、、、私も暇な人間の一人で、東照宮の看板が目に入る。 そうだ「牡丹の東照宮」に行ってみよう! チョイト小股が切れ上がった『緋牡丹のお竜』姐さんに遇えるかも!、、、、ここで問題。「小股」とはどこのこと?(答えは、ブログを最後まで読んで!)

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・・・・・・・・・・・・・・東照宮参道の鳥居前に「小松宮彰仁親王銅像」がある。 なぜここにあるの?、、、、小松宮彰仁親王(こまつのみやあきひとしんのう、弘化3年(1846)1月16日~明治36年(1903)2月26日)は、日本の皇族、陸軍軍人で、彰義隊の上野戦争時の官軍征討総督だった。、、、、戊辰戦争に従軍した後、明治10年(1877)、西南戦争の負傷者救護団体として、博愛社が創立され、その総長に就任した。明治20年(1887)、博愛社が日本赤十字社と改名すると、総裁として赤十字活動の発展に貢献した。、、、、今日(22日)、皇后雅子さまは、日本赤十字社の名誉総裁として赤十字全国大会に出席されたが、総裁の座はこの当時から皇族が務めていたそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・・小松宮彰仁親王銅像の後ろに、昭和4年(1929)に建てられたグラント将軍植樹碑がある。 グラント将軍は南北戦争時代の北軍の将軍で、南軍のリー将軍と並ぶ有名な将軍。、、、、明治10年(1877)から約2年間、グラント将軍は家族同伴で世界を周遊した。 その際、来日し、明治12年8月25日、上野公園で開催の大歓迎会に臨み、将軍はロウソン檜、夫人は泰山木を記念に植えた。 碑は、正面に将軍の胸像を刻み、左右に和文、英文で、将軍の略歴・日本滞在中の歓迎の模様、植樹の由来を記している。、、、、南北戦争と言えば、私には、ジョン・ウェインが主演した西部劇「黄色いリボン」、「アパッチ砦」の時代である。 その頃、家族同伴の世界旅行とは贅沢であり、危険であり、勇気のいる行動だったであろう。 スゴイ!

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●緋牡丹のお竜に会えず、昇り龍と降り龍を拝見! ・・・・「ぼたん苑」を期待して来てみたら春の開園は先週までで閉苑していた。 “小股の切れ上がったお竜さん”にも会えず、残念無念また来年!、、、、じっくりと東照宮を拝観することにした。

・・・・・・・・・・・・・・まずは、東照宮の正面に延びる表参道の大石鳥居。 盤石の基礎工事により、安政の大地震にも、関東大震災にもビクともしなかった御影石の鳥居である。 この鳥居は、寛永11年3代将軍家光が上洛の折、西の丸で火災があり、留守居の老中酒井忠世は責任を感じ寛永寺に蟄居謹慎したが、家光の逆鱗に触れ失脚した。 そのためか天和年間(1681~1684)に解体され土中に埋められてしまった。 7代の末裔忠知が、100年後の享保19年、先祖の建てたこの大鳥居を、幕府の許可を得て土中より掘出し清掃研磨、改修整備し再建したした。、、、、国指定重要文化財。

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・・・・・・・・・・・・・・大石鳥居をくぐると、水舎門(みずのやもん)が見える。 水舎門は慶安4年(1651)阿部重次が建築奉納したもので、本来は門ではなく、社殿右前にあった御水舎の屋根だけを、昭和39年(1964)に移して門の屋根とした。、、、、国宝かと思ったが、価値は低そうだ!

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・・・・・・・・・・・・・・水舎門をくぐると、参道の左右に石灯籠が並んでいる。 200基以上あり、ほとんどが現在の社殿の建築の年、慶安4年(1651)に諸大名より奉納されたもの。 大きいものは、寛永8年(1631)に佐久間勝之より奉納されたもので、高さ6.8m程である。、、、、200基あれば、家庭のインテリアに1基ぐらい無くなっても判らないかも? 

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・・・・・・・・・・・・・・石灯籠が並ぶ参道の南側に「ぼたん苑」がある。 参道に面したぼたん苑の出入口は閉ざされていた。

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・・・・・・・・・・・・・・石灯籠の後ろ、柵の中に五重塔が見える。 旧寛永寺五重塔(重要文化財、=旧東照宮五重塔)である。 寛永8年(1631)建立の初代の塔が寛永16年(1639)に焼失した後、同年ただちに下総・古河城主 土井利勝によって再建された。 現在、塔は上野動物園の敷地内にあり、所有者は東京都である。、、、、初代の五重塔はもともと上野東照宮の一部として建てられたが、明治になってから神仏分離令により、塔は東照宮から寛永寺の所属となり、さらに昭和33年(1958)に同寺より東京都に寄付され(塔が動物園の敷地内にあるため)、現在では上野公園の管理下にある。、、、、塔を拝観したい人は、拝観料ならぬ入場料を払い動物園に入園する。 帰りにはパンダを只で見ることができる、おまけ付き!

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・・・・・・・・・・・・・・・石灯籠の奥には、諸大名から奉納された48基の銅灯籠がある。 灯籠は劣化がひどく痛々しいものもあるが、国指定重要文化財だ。、、、唐門両側に3基ずつある6基の銅灯籠は、紀伊・水戸・尾張の徳川御三家より寄進されたもの。

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・・・・・・・・・・・・・・参道正面に慶安4年(1651)の造営の唐門(国指定重要文化財)がある。 正式名称は唐破風造り四脚門である。 柱内外の四額面には左甚五郎作の昇り龍・降り龍の彫刻がある。 室町桃山時代の技術を集大成したものと云われている。、、、、日光東照宮の陽明門と比較しては失礼に当たるかも?

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・・・・・・・・・・・・・・ 菱格子の向こう側が透けて見えるので、透塀とよばれている拝殿をぐるりと囲う塀。 慶安4年(1651)造営。 こちらも国指定重要文化財。 上段には野山の動物と植物、下段には海川の動物の彫刻が内外両面に200枚以上、色鮮やかに生き生きとした表現で彫られている。

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・・・・・・・・・・・・・・慶安4年(1651)に造営された、拝殿、幣殿、本殿で構成される権現造りの社殿。 国指定重要文化財。 文化財保護の為と社殿内は非公開となっている。、、、、金色の社殿は、ぜひ中を見てみたいね!

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・・・・・・・・・・・・・・東照宮から階段を下り不忍池の方に向かう参道がある。 この参道の階段下に、明治6年(1873)、江戸城内紅葉山東照宮より移築した不忍口鳥居がある。 御影石で造られた大きな鳥居だ。、、、、この鳥居の足元(〇印)には、明治時代の水準測量に使用した“不”の字に似た几号水準点が残されている。 この水準点、現在は使用されていない珍しいもの。

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●「小股」を“おまた”と読むな!・・・・・“おまたの切れ上がった”と読むと、チョイト卑猥だね。、、、、「小股の切れ上がった」とは、「スタイルがバツグン」、「凛とした態度」、「色っぽい仕草」などを感じさせる言葉。 ところで、女性の「小股」とは、イロイロな説があるらしい。 主な説を紹介すると、、、、①「うなじ」を指す。(女性の綺麗なうなじは色気ムンムン。 私はこの説をいままで信じてきた!)  ②そのものズバリ「股」を指す。(女性の股は見るのが難しいね?)  ③「脚」を指す。(着物の裾から、チラチラ見える部分、色気を感じるところだ!)  ④「足首」を指す。(世の中には、足首フェッチもいるからね!)  ⑤特定の場所ではなく、女性の動作・仕草を指す。(“小股”の二字と結びつけるが難しそうだ!)、、、、どうやら、これが正解と云えるものはないそうだ!

2019年5月 9日 (木)

外の空気を吸いに・・・

風邪薬が効いてきた、まだ時折ゴホンゴホンとするが、頭も冴え目もパッチリ声枯れも治り、美人が美人に見える、手足はムズムズ動き外に出たい。 15時過ぎに浅草まで、一週間ぶりに歩いてきた。



●歩行練習? ・・・・・・・・・ゴールデンウィークが終わり、人出は少なく、観光客の多くは外人。 外人さんも、東南アジア系は少なく、欧米系の人が目立ったね。 令和初の浅草寺参りは、賽銭を奮発し手を合わせてきた。 新仲見世の商店は、稼ぎ疲れたのか(?)今日は、休みの店もある。(私が買いに来た帽子屋も休業していた。)

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●Good Night! ・・・・・・明日には風邪が治ることを期待して、早寝するか!

2019年3月13日 (水)

上野の桜はまだ蕾

上野の病院へ行った帰り、上野公園をブラブラ、東京国立博物館に立ち寄り、春の日射しを浴びてきた。
 
 
 
●ポッカポッカのポッカレモン ・・・・・朝8時に家を出て東上野の病院に向かう、私が受診する科では“一番乗り!” 9時に診察を受け、15分後には病院を出る。、、、風のない暖かな陽気、コートを脱いで歩く人もいる。 ポッカポッカの散歩日和だ!、、、昭和通りを越え、上野駅のパンダ橋を歩いて上野公園へ。
 
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●展示館が多く、全部は拝見できない! ・・・・・・・・・・・・東京国立博物館前まで来ると、「博物館でお花見を」のポスターが目にとまり、「春の庭園解放」の文字も見えた。 『今日の散歩は国立博物館の庭園見学にする、決まり!』、、、、嬉しいことに、上野の国立博物館、国立美術館はどこも、70歳以上は無料。 只より安いものはない! 早速、入館し、今日は館内の建築と、本館の収蔵品と、庭園を拝見することにした。、、、、まずは5つの展示館を!
 
・・・・・・・・・・・・・帝冠様式の代表的建築とされる、昭和7年(1932)着工、昭和12年(1937)竣工、翌年開館した本館。 設計は公募で、渡辺仁の案が採用された。 国の重要文化財。、、、、、重厚な建物は文化財を守っている姿を感じる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・本館右側にある東洋館。 谷口吉郎の設計で、昭和43年(1968)に開館。 中国、朝鮮半島をはじめ、東南アジア、インド、エジプトなどの美術品を展示している。、、、、、石仏などが展示され、内部の雰囲気が好きだ!(今日はパス)
 
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・・・・・・・・・・・・・・本館の左側には、華麗な建物:表慶館がある。 明治42年(1909)、東宮皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)の成婚を祝う目的で開館した。 宮廷建築家の片山東熊の設計。 建物は重要文化財。、、、、ただいま休館中、内部はダメヨ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・表慶館の後ろに法隆寺献納宝物300件を収蔵・展示している法隆寺宝物館がある。 設計は谷口吉生(東洋館を設計した谷口吉郎の息子さん)、平成11年(1999)に竣工した。 博物館の敷地の隅に静かに建っていつシンプルな建物。
 
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・・・・・・・・・・・・・本館の北側後ろに、特別展などで使用する平成館がある。 皇太子徳仁親王(浩宮)の成婚を記念して平成11(1999)年に開館した建物。
 
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●高そうに見える展示品 ・・・・・・・・・・・・・本館の収蔵品をチョイト拝見。 さすがに、“国立の博物館”だ! 価値の判らぬ私が見ても、どれもこれも価値がありそうに見える。 
 
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●花見には、あと半月ほど ・・・・・・・・・・・・・本館の北側(後ろ)に日本庭園がある。 この庭園は普段は公開されておらず、今、桜のシーズンに花見を兼ねて公開されている。、、、、ここは、元々は寛永寺の境内で、現在の本館が立っている処が本坊であった。 北側の庭園は寛永寺の庭であった。 そこに、明治以降、5棟の茶室などが移築されたため、当時の面影は薄れたそうだ。、、、、庭園の桜はまだ蕾で、開花した木を見ることはできなかった。 残念、今月末から来月が見頃かも?
 
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2019年3月10日 (日)

期待はずれた富士の山

暖かな散歩日和、夫婦で我が家(浅草橋)から、両国の「すみだ北斎美術館」に寄って、錦糸町駅まで歩いてきた。
 
 
 
●花曇りには早いかな? ・・・・・・・・・・・・午前中は晴れていたが、午後になるとチョイトどんより曇ってきた。 まだ、雨の心配はいらないようだ! 柳橋両国橋を渡り、両国に向かう。、、、、孫の話、食の話で、夫婦仲良く散歩。 両国橋東詰めの老舗:「山くじら もゝんじゃ」も話題の一つ。
 
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●猫も鼠も回向院 ・・・・・・回向院前、チョックラ鼠小僧に御挨拶して行こう!、、、、回向院には、ペットを弔う施設もあり、彼岸前にペットの法事に来たのか、参拝する人の多いこと。、、、、、「彼岸参りに 先祖を飛ばし 愛犬供養に 花手向け」、てな事なきように!
 
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●似て非なる“網”と“綱” ・・・・・・・・・・回向院から両国駅 前をとおり、国技館の手前を入り、江戸東京博物館、徳川家康公銅像前をブラブラ。、、、、これらが建つのは、墨田区横網町(よこあみちょう)。 相撲の町なので“網”(あみ)を“綱”(つな)と間違え、“横綱町”(よこづなちょう)と言う人が多いそうだ。 町名の謂れは不明だが歴史ある町名で、“横綱町”に変更する意思は、町民も区も、断固としてないそうだ。
 
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●富士は見られず、猿、猫、蛙 ・・・・・・・・・・・・江戸東京博物館前から東へのびる「北斎通り」。 その途中に、「すみだ北斎美術館」がある。 今日の散歩の目的地。、、、、本日の出し物は、「北斎アニマルズ」と称し、北斎とその門人が動物・玩具・物語などを図鑑的に描いたものが展示されていた。、、、、、「富嶽三十六景」(全46図)が見られることを期待して行ったが、残念なことに目的は達成できず! またの機会に期待することにした。
 
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●散歩の後は甘い一刻 ・・・・・・・・・・・錦糸町に出て、ひと休み、秘密! 

2019年2月25日 (月)

寂しくなった山谷?

隅田川に架かる白鬚橋から地下鉄日比谷線の三ノ輪駅に至る間の明治通りは、ほぼ台東区と荒川区の区境となっている。 その中間点に泪橋交差点がある。 今日の散歩は、泪橋からかつての山谷地区を抜け浅草寺までです。 1万2千歩。
 
 
 
●今生の別れの涙 ・・・・・・・・浅草橋から南千住駅前行の都バスで、泪橋(なみだばし)バス停で降りる。、、、、泪橋は、現在の泪橋交差点の付近を流れていた思川(おもいがわ、=音無川分流)に架けられた橋の名である。 思川は明治通り敷設のため暗渠化され、架かっていた泪橋も失われた。 橋名の由来は、泪橋の北側にあった小塚原刑場に赴く囚人たちが現世を去るに際して、涙を流しながら渡ったとも、囚人の知人が今生の別れを惜しんで袖を濡らしたからとも伝えられている。、、、、橋も、川も、今は跡を残さず、消えた! 泪の跡はバス停と交差点名に残るだけ。 
 
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●明るい町に変身 ・・・・・・・・・・・・山谷 (さんや)は、台東区北東部にあった地名で、現在の台東区清川・日本堤・東浅草付近を指した。 大阪のあいりん地区、横浜寿町とともにドヤ街の代表地区。 日雇い労働者の住む簡易宿泊所の多い町で、東京オリンピックのあった昭和60年代には、200軒以上の宿泊所に約1万5千人の労務者が寝泊まりしていた。 当時は『山谷騒動』と呼ばれる、労務者の暴動なども起きた。、、、、当時は、仕事にあぶれた労務者が、日中から路上で酒を飲み、博打をする光景も見られ、怖い処であった。、、、、現在の山谷地区は、労務者が高齢化したうえに、5千人ぐらいに減ったそうだ。 町も、労務者の町から、外人観光客が泊まる安宿の町に変わってきた。 
 
・・・・・・・・・・・・“旅館”も“ホテル”に変わり、モダンな建物も、女性専用のフロアーもあり、Wi-Fiも完備している。 「全室カラーTV完備」、「全室冷暖房完備」は、もう古い!
 
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・・・・・・・・・・・・・宗教団体の支援がつづく山谷。、、、、炊き出しが行われ、日曜日には賛美歌が聞こえる、「日本キリスト教団 日本堤伝道所センター」、「神の愛宣教者会 山谷の家
 
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・・・・・・・・・・・・・アッ、アーケードがなくなった!、、、、山谷の中心的な「いろは会商店街」では、昭和30年代に設置し劣化したアーケードを昨年撤去した。、、、、、なんだか道幅が広くなり、明るくなった気がするが、商店街でカップ酒飲む労務者もいない、人通りは少なく、寂しいかな? 
 
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・・・・・・・・・・・・・4年前(2015)、ほぼ同じ位置で撮影、アーケードのある「いろは会商店街」。
 
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・・・・・・・・・・・・・商店街で作業服を売る店。 お客も減ったようだ。
 
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●日本堤の“昭和” ・・・・・・・・・・・・・台東区日本堤には昭和が残っている。、、、、、終戦後の東京の町には、いたる所に防火用水が置かれていた。 路地を入ると、手押しポンプがあり、脇には洗濯板と「カネヨ」のクレンザーと亀の子たわしもあったっけ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・こちらは、路地裏の住宅。 路地の中央に敷かれた御影石が印象的。
 
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●本堂を守る六地蔵 ・・・・・・・・・・・日本堤の南隣、東浅草にある曹洞宗洞雲山東禅寺 には、江戸六地蔵の一つ銅造地蔵菩薩坐像が本堂正面で出迎えてくれる。 像の高さは約3m。
 
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●わちきも、遊んでみたかった! ・・・・・・・・東禅寺から50m程南東に浄土宗の寺院:春慶院がある。 こちらの寺の境内の隅に吉原の花魁:高尾太夫の墓があった。、、、、高尾太夫は初代から11代まで居たと言われている。 ここの墓は初代のこ墓である。 11人の高尾太夫はいずれも吉原の代表的名妓で、三浦屋四郎左衛門方の抱え遊女であった。 この墓は、細部にまで意匠を凝らした笠石塔婆で、戦災で亀裂が入り、一隅が欠けている。 高さ1.5m、正面に紅葉文様を表し、中央から下に楷書で「為転誉妙身信女」、その下に「万治二年巳亥」、左側に「十二月五日」と戒名・忌日が刻まれている。、、、、、美人で、才女で、スタイル良し、の花魁と聞けば、私も一度は吉原でお会いしたかった。
 
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●観音さまに手を合わせ ・・・・・・・・・・浅草寺に立ち寄り、帰宅。
 
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