台東区

2017年5月 5日 (金)

浅草橋~東中野

浅草橋の我が家から、総武・中央線沿いに飯田橋まで行き、そこから地下鉄東西線の神楽坂、早稲田をとおり、馬場下交差点からは学習院女子大、百人町アパートを抜けて東中野駅までの散歩です。、、、、GWのすいた都心を歩いてきた。
 
 
 
●am7:50・・・・・・・・・・・・浅草橋駅西口をスタートする。、、、、秋葉原の隣だが、人影も少ない寂しい駅である。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・両国~浅草橋~秋葉原~お茶の水間は昭和7年の開業で、この間の高架部分、架道橋は当時のままである。 耐震工事のため高架下の建物は壊され、スッポンポンの状態で、チョイト悲しい姿をさらしている!
 
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●am8:00・・・・・・・・・・・・秋葉原駅昭和通り口を通過。
 
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●am8:20・・・・・・・・・・・・昌平橋交差点を通過。、、、、、、神田川 に架かる昌平橋は関東大震災のあった大正12年(1923)に、震災直前に完成した。 そのため、昭和 5年(1930)に修復工事が行われた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・交差点の頭上には総武線の松住町架道橋が架かる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・また昌平橋からは、神田川の川幅いっぱいに大股を広げた総武線神田川橋梁が見える。 お股の奥には丸ノ内線神田川橋梁聖橋(工事中)が見える。
 
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●am8:25・・・・・・・・・・・・昌平坂を上る。、、、、、、別名「相生坂」とも言う、湯島聖堂前の昌平坂を上り丸ノ内線お茶の水駅に出る。、、、、、急な坂ではないがダラダラ上る坂は、手術で肺活量が小さくなった私にはキツイ!ゼイゼイ・ハアハア、美人を見るとドキドキ・ビクビク。
 
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●am8:40・・・・・・・・・・・・引き続き、お茶の水坂を下る。、、、、、、お茶の水と水道橋の間で、神田川の北側(文京区、外堀通り)にある坂。、、、、、、今日の外堀通りは行きかう車も少なく、神田川沿いの緑を眺め歩くのは、気分爽快。
 
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・・・・・・・・・・・・・坂を下ると水道橋交差点に出る。 右に後楽園遊園地、左に水道橋駅
 
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●am9:00・・・・・・・・・・・・飯田橋交差点を通過。、、、、ここからは、地下鉄東西線のルート沿いに歩く。
 
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●am9:20・・・・・・・・・・・・神楽坂駅を通過。、、、、飯田橋からは、熊谷組本社牛込消防署を通り、裏道を歩いて坂上(新宿区矢来町)にでる。
 
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●am9:40・・・・・・・・・・・・早稲田町の龍善寺を通過。、、、、早稲田通りに面してたつズングリ・ムックリの寺院が、真宗大谷派の龍善寺。 寛永15年(1638)千駄ヶ谷に天台宗寺院として創建し、その後、寛文7年(1667)早稲田に移転した。、、、、なんだか、チベットの寺院を模したような建物で好きになれないね。
 
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・・・・・・・・・・・・・・道路を挟み龍善寺の隣、小さな祠に落馬地蔵が祀られている。 寛永3年(1626)、三代将軍徳川家光が鷹狩をしに高田馬場へ向かう途中、ここで急に馬がいななき、立ち上がったため落馬した。 馬の名手だった家光が落馬するには、何かあったのだろうと、村人が調べると、近くを流れる川の橋の下から1体の地蔵菩薩の石像が現れた。 そのことを、家光に報告すると「尊いお地蔵様を粗末にしたからだ」と家光は「落馬地蔵」と名付けお堂を作ってお祀りするように命じた。、、、、家光が命じたわりには、粗末な祠に祀られているね。 隣の龍善寺に堂を寄進してもらうといいね。
 
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●am9:50・・・・・・・・・・・・早稲田駅を通過し、穴八幡宮鳥居前から東西線にサヨナラして、諏訪通りに入る。
 
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●am10:10・・・・・・・・・・・・穴八幡から諏訪通りに入ると、これまた嫌いなダラダラの上り坂。 早稲田大学、戸山公園の前をとおり、長い煉瓦塀が伸びる学習院女子大前に出る。 坂道は終わり諏訪神社前を抜けると、前方に山手線のガードが見えた。
 
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●am10:20・・・・・・・・・・・・諏訪通りの先で西武新宿線・埼京線・山手線の上下6線が走るガードをくぐり山手線の外に出る。、、、、これで、秋葉原から高田馬場まで山手線を横断したしたことになる。 御苦労!
 
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●am10:30・・・・・・・・・・・・百人町の都営アパートを内を突き抜ける。 ここを抜けると神田川に出て、川沿いに歩けば東中野駅。
 
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●am10:50・・・・・・・・・・・・東中野駅へ到着。 今日の散歩はここまでとする。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・・・今日のルートの総延長は9.6km程、歩数は1万6千歩。、、、ア~ア、疲れた!
 

2017年5月 2日 (火)

浅草橋~泉岳寺

我が家(浅草橋)から、江戸通りを歩き「室町三丁目交差点」へ、ここで中央通りに入り、三越前、日本橋、銀座、大門、三田をとおり都営浅草線泉岳寺駅までの散歩です。 

 
 
 
●am7:40・・・・・・・・我が家をあとに、男一匹南に向かう。、、、、、GWなのに、駅前には通勤する人が、かなりいるね。 学生もいるようだ。 学校では、交代で生徒の半数は休みにしてあげれば、よろこばれるのに!(?)
 
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●am7:50・・・・・・・・総武快速線馬喰町駅を通過。 駅の周囲は、“御祭礼”の提灯がぶらさがる「横山町」の繊維問屋街。 提灯は、来週末に予定されている神田明神の祭礼。、、、、いよいよ、我が町(浅草橋)の周辺は“お祭りモード”となる。 神田明神、下谷神社、鳥越神社、蔵前神社、三社さま、と毎週のように続く。 
 
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●am8:10・・・・・・・・地下鉄日比谷線小伝馬町駅を通過。
 
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●am8:20・・・・・・・・江戸通りと中央通りが交差する「室町三丁目交差点」。、、、、中央通り沿いに、三井タワー、COREDOなどの、再開発事業が続いている。
 
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・・・・・・・・・・・・・ここ室町も神田明神の氏子で、三越でも“お祭りモード”。 提灯・神輿と飾られていた。
 
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●am8:35・・・・・・・・お江戸日本橋を通過。 、、、、、♪コチャエ、コチャエ♪
 
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●am9:00・・・・・・・・かつて京橋川に架かっていた京橋を通過。  京橋川は昭和34年(1959)に埋め立てられ東京高速道路となった。
 
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・・・・・・・・・・・・・・京橋の高速道路脇に、リニューアルの終わった警察博物館がある。、、、、、GWに行く処のない人は、ここがお薦め。 入場無料ですいている、しかも、手口を見破られないように事前に犯罪の知識習得ができる。 予習を大切に!
 
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・・・・・・・・・・・・・・頭上を走る高速道路をくぐれば、そこは銀座一丁目
 
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●am9:10・・・・・・・・「銀座四丁目交差点」を通過。、、、、、、まだ、店は開いておらず、通る人も少ない、鳩も安心して銀ブラできる時間だ。
 
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●am9:12・・・・・・・・2週間程前の4月20日に開業、241のブランドが集結した銀座で最大の商業施設「GINZA SIX」を通過。 店が開くのを並んで待つ人もいる。
 
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●am9:30・・・・・・・・「新橋駅前ビル」を通過。、、、、玄関先には「狸広(たぬこう)」の像がお出迎え。 戦後、闇市の時代、駅前には「狸小路」なる呑み屋街があった。 その呑み屋街は昭和41年(1966)に、現在の駅前ビルに変わり。 ビルの中に入り「狸広場」となった。 「狸広」は広場のシンボルとしてつくられた。 大きな金玉袋が特徴か? 
 
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●am9:50・・・・・・・・都営浅草線大門駅を通過。、、、、銀座を過ぎると、中央通りは第一京浜となり品川方向に向かう。
 
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●am10:00・・・・・・・・古川に架かる金杉橋を通過。 ここでも、頭上に首都高が走る。 毎度々々、景観を邪魔する首都高だ!
 
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●am10:20・・・・・・・・三田駅の手前で日比谷通りが第一京浜に合流する。 そして、浅草線三田駅を通過。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・三田駅近く、ここでも、三菱自動車工業のビルの前に「江戸開城 西郷南洲 勝海舟 会見之地」の碑がある。 幕末、ここには薩摩藩蔵屋敷があり、明治政府代表の西郷隆盛と徳川幕府代表の勝海舟による会談が行われ、無血開城が取り決められた。
 
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●am10:30・・・・・・・・「札ノ辻交差点」から東京タワーを望み、笹川記念館前では母を背負う像を眺め、泉岳寺駅前で高輪大木戸跡をじっくり見る。、、、、、なんだか、旅費を値切った修学旅行みたい。
 
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●am10:35・・・・・・・・都営浅草線泉岳寺駅から帰宅する。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・本日歩いたコースは総延長約9.0km、1万7千歩。 天気も良く、汗かく散歩であった。

2017年4月30日 (日)

浅草橋~四ツ木

正月終えて花見を済まし、あっと言う間に黄金週間(GW)。 『GWの計画は?』と問われ、『連休前に、内科・眼科で薬を貰い、整形でリハビリ、歯も治療し、一安心。 連休中はゴロ寝で過ごし、一休み。 連休終われば、やることもなく、一生続く超大型連休へ再突入。 最後は黄泉の国への旅行で超大型連休を終える予定。』、、、、こんなGWの計画が現実のものとならないように、昨日は夫婦で都内の散歩。 今日は、浅草橋(我が家)から水戸街道(国道6号)を京成四ツ木駅まで、途中で寄り道せずにスタコラ歩いてきた。 
 
 
 
●am8:00・・・・・・・バスを待つ人、駅周辺を歩く人のいない浅草橋を発つ。、、、、、“死の町”か?
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●am8:15頃・・・・・・・蔵前・駒形付近、この辺りも歩く人は少ない。、、、、、、『どぜう』の大きな暖簾もまだ出されていない、只今準備中。、、、、、「むぎとろ」も準備中。
 
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●am8:30・・・・・・・浅草駅前を通過。、、、、4月21日から、東武鉄道に新型特急電車「リバティ」が運転された。 浅草から日光・鬼怒川はもちろんだが、会津田島まで直通運転する特急である。、、、、、、今日は満員のようだ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・ちなみに、私も4月21日に「東武鉄道リバティ記念乗車券」(6枚組)を浅草駅で購入してきた。 このお宝をコレクションに追加!
 
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●am9:00・・・・・・・スカイツリーを正面に見ながら、言問橋を渡り向島に入る。 
 
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●am9:30頃・・・・・・・向島の秋葉神社・鳩の街商店街・地蔵坂通り(通りの奥が玉の井)を通過。、、、、昭和33年(1958)、私は12歳、まだ売春防止法も知らないウブな小学生。 この年の4月1日、法律は施行され、鳩の街・玉の井の娼家は廃業する。 廃業するまでに、一度、“永井荷風の世界”を見ておきたかったね!
 
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●am9:45・・・・・・・東向島の東武博物館付近を通過。 国道に架かるガードには、東武鉄道開業時の蒸気機関車(B1形6号蒸気機関車)が保存されている。 また、国道からチョイト引っ込んだ処に、東武日光軌道線200形203号電車とロマンスカーが保存されているのも見える。 機関車・電車を見て元気づく、まだ私も若いね!
 
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●am10:00・・・・・・・四ツ木橋を渡り、荒川を越える。、、、、、四ツ木橋は、戦前から架橋工事が実施されていたが、戦中には工事は中断し、戦後工事が再開し昭和27年(1952)7月30日に現在の橋が開通した。、、、、今日は風もなく気持ちよく渡ることができた。 
 
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●am10:30・・・・・・・京成押上線四ツ木駅に到着。、、、、今日の散歩はここまで!
 
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●・・・・・・・・・・・・・今日の散歩のルートは、総延長は約7.5km。 1万4千歩。

2017年4月13日 (木)

土手通り

今日は、散歩の帰りに浅草に寄って買い物をする予定で家を出た。 『何処へ行こうか?』、とりあえず、我が家(浅草橋)から浅草を経由する南千住行のバスに乗り、バスの中で考えることにした。 バスが浅草を過ぎ、山谷堀公園が見え、「土手通り」を歩いてみたくなる、決定である。 泪橋でバスを降り、三ノ輪から待乳山聖天まで「土手通り」を歩いてきた。
 
 
●土手通りとは・・・・・・・台東区東浅草1丁目(馬道通りとの接続点)から台東区日本堤2丁目(三ノ輪二丁目交差点)までの直線道路(約1km)である。、、、、、「日本堤(にほんづつみ)」という土手があったことにちなんで命名された。
 
●日本堤とは・・・・・・・・現在は台東区北部の町名の一つであるが、元々は隅田川の氾濫による洪水を防ぐ目的で、元和6年(1621)に、江戸幕府によって築かれた堤防である。 幕府は、待乳山を崩した土で、今戸橋(現:待乳山聖天近く)から箕輪浄閑寺(現:荒川区三ノ輪)まで堤防:日本堤を築いた。 堤防の北側には、石神井川から分かれた音無川の下流となる山谷堀が流れていた。 また、明暦の大火(1657)以降、堤防の南側には“あの吉原”が人形町から移転してきた。 以後、日本堤は「吉原土手」とも呼ばれ、また、土手上は見晴らしがよく長さも6町余りあり、「土手八丁」とも言われた。、、、、、現在の「土手通り」は、この日本堤の取り壊された跡である。
 
 
浄閑寺 ・・・・・・・・・・・・日本堤の北の端(荒川区南千住2)に位置する、吉原遊女の投げ込み寺。、、、、“駆け込み寺”なら救われるが、“投げ込み寺”は屍となり葬られるだけ。、、、、花又花酔の川柳に「生れては苦界 死しては浄閑寺」とある。
 
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②日本堤の北端・・・・・・・・・・・・・浄閑寺前の三叉路が日本堤の北端である。 また、王子で石神井川から分かれた音無川は日暮里を経て浄閑寺の西側に流れ、ここから山谷堀となって隅田川に注いでいた。(現在は暗渠となっている)
 
・・・・・・・・・・・・・浄閑寺前(左端の手前陰に浄閑寺がある)の三叉路。 写真中央の道路が土手の跡。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・土手の跡をイメージされる勾配。 駐車している車が傾いている。 写真中央の居酒屋の前面道路と裏側の道路には高低差がある。 
 
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③三ノ輪二丁目交差点・・・・・・・・・道路幅も広くなり、ここから公式には「土手通り」。 交差するのは明治通り。
 
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④日本堤・・・・・・・・・・・・バス停は「日本堤」 、バス停の北側一帯の町名は「日本堤」 、土手の「日本堤」は昭和2年(1927)に取り壊された。
 
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・・・・・・・・・・・・・・日本堤の町は、かつては革製品の加工工場が多かった処。 また あのドヤ街として名をはせた「山谷 」の一部も含んだ町である。、、、、、日本堤の中心的商店街「いろは会も頑張っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・“土手通り”と云えば、“土手の中江”と云われる、明治38年(1905)創業の桜鍋の店:「中江(なかえ)」をイメージ。 隣の「伊勢屋」は明治22年(1889)創業の天婦羅屋。 現在の建物は、それぞれ、大正末期から昭和初期に建てられたもの。、、、、、吉原へ出向く粋人は、桜鍋を食して元気倍増!、穴子で精力回復! 行きも帰りも良い良い。
 
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吉原 ・・・・・・・・・・・・行ったことのない人でも、行ってみたい“ご存じ吉原”。 その入口大門へ向かう、土手通りから入る参道(?)に“見返り柳”が立っている。 吉原から帰る客が、この柳のあたりで、後ろ髪を引かれる思いで遊郭を振り返ったといわれている。、、、、今の時代、遊郭はなくなり、あるのはソープランド。 遊び方も変わり、後ろ髪を引かれる人はいなくなったかも。
 
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・・・・・・・・・・・・・昭和21年GHQの命令で公娼制度は廃止され、吉原遊郭は“赤線”となった。 12年後の昭和33年2月28日売春防止法の施行により“赤線”も消えた。 、、、、その“赤線”当時の建物と思われる建物が数棟、「土手通り」裏に残っている。
 
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⑥旧待乳山小学校(現台東区立東浅草小学校)・・・・・・・・・・土手通りの吉原大門交差点近くに建つ旧待乳山(まつちやま)小学校は、明治6年の創立の小学校で、現在は近くの田中小学校と合併し東浅草小学校に変わっている。 ここの校舎は関東大震災後に建てられた復興小学校である。、、、、、東京市の設計、芝江初五郎の施工にて、昭和3年(1928)に竣工した鉄筋コンクリート3階建ての校舎である。、、、、山谷堀はこの校舎の近くを流れていたようだ。
 
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山谷堀公園 ・・・・・・・・・・旧待乳山小学校の近くから、山谷堀公園は始まり、待乳山聖天の裏まで続き、今戸橋跡で隅田公園にぶつかる。、、、、、あっち、こっちで散ったサクラを掃き寄せる光景が見られた。 この時期は、綺麗だが、大変だ!
 
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⑧土手通りはここまで・・・・・・・「土手通り」の公式の南端は台東区東浅草1丁目である。 写真手前から歩いてきた「土手通り」はここで終わり、右の「馬道通り」に続く。  直進すると山谷堀の最下流であった今戸橋に出る。
 
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2017年2月26日 (日)

東京マラソン

東京マラソン、スタート前の準備状況を見ながら、浅草橋の我が家から雷門まで往復してきた。 1万1千歩の散歩。
 
 
 
・・・・・・・・・・・・・朝8時前、我が家の近くでは警備会社の人が既に活動中。、、、、、早朝から、ご苦労様です。
 
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・・・・・・・・・・・・・浅草橋駅前では、お巡りさんの見回りも、入念に行われていた。、、、、テロ対策か?
 
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・・・・・・・・・・・・・駅前に集合するボランティアの人。、、、、給水所の担当か?
 
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・・・・・・・・・・・・・・蔵前一丁目交差点の手前に、ズラリ並んだカラーコーン。、、、、、風の強い日でなくて、良かった。
 
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・・・・・・・・・・・・・・玩具メーカ前では、可愛いお応援。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駒形橋西詰に待機する医師。 『家庭用常備薬ありません』の貼り紙もあった。、、、、、正露丸、太田胃散、宇津救命丸、龍角散、そして、赤チンなどは置いてません!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・ちょうど9時、雷門前では交通規制が始まった。、、、、まごまごしていると、道路を横断できず雷門側に行けなくなる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・雷門前には消防隊が勢ぞろい。、、、、今日は暇な一日になることを願い出動?
 
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・・・・・・・・・・・・・・こちらはお巡りさん。、、、、、こちらは、人出が多く忙しくなりそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・銀行の応援団?、、、、雷門前はテレビ映りの機会も多い、応援のしがいがあるね! 
 
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・・・・・・・・・・・・・・交通規制で、とうとう道路を横断できなくなり、外国のお客さんは浅草寺に行けない。 道路を横断するには、地下鉄の地下道を利用するだけとなった。、、、、、浅草線の深い地下に潜り、別の出口から出る。 年寄りには辛い迂回路である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・駒形橋付近では、車いすマラソンのランナーが、ものすごいスピードで通過する。 ランナーの顔を見る余裕もなく、コリャ、チョイト早すぎるね。、、、、、シャッタースピードを速め、止まっているように撮影してみた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・選手もゾクゾクと通過していく、給水所のボランティアも、消防団も、皆さん一斉に『ガンバレー』。
 
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・・・・・・・・・・・・・蔵前警察署前を通過するアスリート。
 
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・・・・・・・・・・・・・・浅草橋に戻ると、応援も盛り上がり、人を掻き分け、『チョイト、ごめんよ、見せとくれ!』
 
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・・・・・・・・・・・・・・この後はTVでゴールの瞬間を見ることにした。 まだ交通規制され車の通らぬ道を我が家へ戻る。
 
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2017年2月13日 (月)

蔵前橋~両国橋

我が家から、蔵前橋、両国橋のどちらにも徒歩15分程で行ける。 JR総武線隅田川橋梁は10分程の位置にある。 つまりは、今日散歩した隅田川に架かる4橋梁は、我が家の庭の池に造られた橋のようなものである。 (おっと、間違えた! 我が家には庭はない。 庭を造るぐらい広い敷地があれば、マンションでも建てて、左団扇の生活だ!)、、、、、、今日の散歩は、我が家から、台東区・墨田区の両岸にある隅田川テラス を歩いて4橋を見てきた。 1万1千歩。、、、、、“4橋”とは、隅田川の最上流から数えて、26番目の蔵前橋、27番目の知る人も少ない地味なNTT蔵前専用橋、28番目のJR総武線隅田川橋梁、29番目の両国橋である。
 
 
 
①チョイと、その前に・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・隅田川テラスに出るには、我が家から、江戸通りを横切り柳橋から河岸に下りる。
 
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・・・・・・・・・・・・・JRの高架沿いにチョッピリ歩くと、隅田川岸近くに石塚稲荷神社 (創建年代は不詳)がある。 かつて、柳橋芸妓組合(見番)がありし頃、その近くにあった祠である。 芸妓は座敷に出る前に手を合わせたであろう稲荷に、私もテラスに出る前に手を合わせた。 粗相なきよう心を込めて、二礼、二拍手、一礼。
 
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・・・・・・・・・・・・・高架橋の先に総武線隅田川橋梁が見える。 高架橋の左わきから隅田川テラスに下りる。 
 
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②蔵前橋・・・・・・・・・・・台東区蔵前と墨田区横綱を結び、橋上には「蔵前橋通り」(都道315号)を通す橋。 形式は3径間連続上路式ソリッドリブ2ヒンジアーチ/上路式コンクリート固定アーチ、橋長173.2m、石川島造船所の施工で大正13年(1924)9月に着工し、昭和2年(1927)11月26日に竣工した。 工事には東京市復興局が1,751,000円の工事費をかけてそうだ。 当時の物価は白米(10キロ)3円20銭、公務員の初任給75円の時代。 現在に換算すると、『ゴメン、計算できません。』、、、、、、橋名は、西岸(台東区側)架橋地点に幕府の米蔵があったことに由来する。 昭和50年代まで大相撲がおこなわれた蔵前国技館も橋の西詰にあった、今では懐かしい。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・橋の高欄には、力士のレリーフが施され、屋形船にのった柳橋芸者の姿もある。
 
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・・・・・・・・・・・・・東側(墨田区側)は、隅田川テラスの頭上を首都高向島線が走り、景観破壊だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・橋から、下の道に直接下る階段も造られている。、、、、なんとなく“昭和”の景色だ。
 
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③NTT蔵前専用橋・・・・・・・・・・・・・・西岸(台東区蔵前)のNTT東日本蔵前通信ビルと対岸(墨田区横網)を結ぶ専用橋。 橋上には洞道(通信線トンネル)が敷設され、夏の高温対策に洞道内部を冷やす換気用の窓もあるそうだ。(実際には見たことなし!)、、、、、蔵前橋の下流側に並行に架けられ、景観上は邪魔な橋。、、、、、、3径間連続鋼箱桁橋、 橋長は155.4m、昭和42年(1967)3月の竣工である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・対岸(台東区蔵前)にある白いビルがNTT東日本蔵前通信ビル。
 
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・・・・・・・・・・・・・・墨田区側は首都高の下で道路下に潜り込んでしまう。
 
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④総武線隅田川橋梁・・・・・・・・・・・・・JR総武線、浅草橋駅と両国駅の間に架かる橋。 総武線が両国駅から御茶ノ水駅まで延伸するときに架けられた。 昭和7年(1932)の竣工である。 設計は元土木学会会長:東大教授:田中豊(たなかゆたか:1888~1964)で、日本の橋梁設計の大御所。 学会ではその業績を記念し、優れた特色を有する橋梁が毎年選考され、与えられえる土木学会田中賞の名称となっている。 「かつしかハープ橋」、「五色桜大橋 」、「新豊橋」などが受賞している。、、、、、、形式は3径間ゲルバー下路式ランガー桁(ランガー桁とは、桁とアーチの双方で荷重を支える補剛アーチ形式の一つ)、橋長は172m、橋桁製作は横河橋梁製作所。
 
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両国橋・・・・・・・・・・上流の総武線隅田川橋梁と同様に、このブログでは登場回数の多い橋である。、、、、、、西岸の中央区東日本橋と東岸の墨田区両国を結び、橋上には国道14号(京葉道路)を通す。 橋名の“両国”は、江戸時代、西岸は武蔵国で、東岸は下総国であった、その国境に架けられたことから命名された。、、、、、両国橋は江戸時代から何度も架け替えられたが、鉄橋が架けられたのは明治37年(1904)が最初である。 この橋は震災に耐え、その後南高橋 に転用された。、、、、、、現橋は、震災後に架け替えられたものである。 3径間ゲルバー式鋼鈑桁橋で、橋長は164.5m、昭和5年(1930)2月に着工し、昭和7年(1932)11月に竣工した。 施工は下部:間組、上部:石川島造船所。
 
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・・・・・・・・・・・・・車道と歩道の柵には、両国のイメージに合わせ、国技館と花火そして軍配がデザインされている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・東岸(墨田区側)から見る両国橋と柳橋。
 
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・・・・・・・・・・・・・・両国橋の股から覗いた柳橋。
 
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・・・・・・・・・・・・・両国橋から下流の浜町方向を望む。 見えるのは首都高向島線の橋。
 
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2017年2月12日 (日)

駒形橋・厩橋

馬にちなむ二橋、駒形橋と厩橋を見てきた。 浅草橋の我が家から、蔵前をぬけて隅田川テラスを歩き押上駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
①蔵前神社・・・・・・・・・台東区蔵前3丁目に蔵前神社はある。 元禄6年(1693)、徳川五代将軍綱吉が石清水八幡宮を勧請したことをもって創祀とする。 江戸時代には、江戸城鬼門除けの守護神として、また徳川将軍祈願所の一社として篤い崇敬を受け、社領200石を寄進されていた神社。 社殿は戦災で焼失し、現社殿は戦後に再建されたものである。、、、、、、明治維新後に広大な社地を手放すことになったが、八幡神の強力なパワーは衰えず、今も境内の空気はピンとしている。、、、、、江戸時代は回向院、富岡八幡宮とともに勧進相撲を行い、相撲と縁のある神社の一つである。 玉垣には、戦後、近くに蔵前国技館があった頃活躍した力士(横綱:千代の山、鏡里、東富士、吉葉山 大関:栃錦、三根山、など)の名が並んでいる。 私にとっては、メンコ、キャラメルのカードなどで、毎日お会いしていた、懐かしい名だ!
 
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②厩橋・・・・・・・・・・・・西岸(右岸)の台東区蔵前と駒形と、東岸(左岸)の墨田区本所を結ぶ厩橋(うまやばし)。 橋名は、西岸にあった蔵前の米蔵のための荷駄馬用の厩があった「御厩河岸」にちなむ。、、、、、、もともとこの地には、元禄年間頃から続いていた「御厩の渡し」のあった。 明治7年(1874)10月6日、長さ約150mの木橋が初めて架けられた。 次に、明治26年(1863)5月6日、プラットトラス形式、長さ約154mの鉄橋に架け替えられた。、、、、、その後、関東大震災で被災し、昭和4年9月、現在の橋に架け替えられた。 現橋は、東京市が施工を担当し、工事費は1,138,650円、3径間下路式タイドアーチ橋、橋長は151.4m、幅員22.0m、大正15年(1926)9月に着工し、昭和4年(1929)9月に竣工した。、、、、、橋は、馬をデザインしたレリーフなどが用いられている。 親柱には馬を連想させるステンドグラスもはめ込まれている。
 
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・・・・・・・・・・・・・4か所の親柱際に造られているコンクリート製のベンチ。 昭和初期の心遣いかな?
 
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・・・・・・・・・・・・・・下流側(蔵前橋方向)を望む。
 
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③駒形橋・・・・・・・・・・・・厩橋の上流約500mの位置に架かる駒形橋も関東大震災の復興橋の一つである。 優美なアーチが印象的な設計で、橋の途中には欄干が半円状に膨らんだところがあり、ゆっくりと川を眺められるように配慮されている。 総工費 1,899,591円で、大正13年(1924)7月に着工し、昭和2年(1927)6月25日に竣工した。 橋長149.6m、幅員 22.0m、中央径間は中路式ソリッドリブタイドアーチ橋、2か所の側径間は上路式ソリッドリブアーチ橋。、、、、、、、橋名は橋の西詰(台東区雷門2)にある、浅草寺本尊聖観音像の示現の地である「駒形堂」にちなみ命名された。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駒形橋の上流、250m先には吾妻橋が見える。
 
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④スカイツリーを目指し歩く・・・・・・・・・・
 
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2017年2月11日 (土)

言問橋~吾妻橋

東武電車浅草駅から、言問橋、墨田区役所、吾妻橋、そして最初の浅草駅へ、ぐるり一回りしてきた。 1万歩。
 
 
 
①東武鉄道浅草駅・・・・・・・・・・ターミナルデパートのはしりとなった駅ビルである。 昭和6年(1931)11月1日、東武鉄道浅草雷門駅(現:浅草駅)開業に際し、テナントとなったデパートは「松屋浅草支店」である。 当初のアール・デコ様式の外観は、一時、アルミカバーで覆われていたが、平成24年(2012)に復元された。、、、、、地上7階/地下1階の建物は、鉄道省の初代建築課長であった建築家:久野節(くの みさお、1882~1962)が設計、清水組の施工により、昭和6年(1931)10月に完成した。 久野節の作品は、千葉県佐倉高等学校記念館、近鉄宇治山田駅、旧蒲郡ホテルなどが、多くが現存している。、、、、券売機、ホームなどのある1・2階を除き、全フロアーを松屋が使用し、私が子供の頃は、7階が食堂、屋上が遊園地であった。 おもちゃ売り場は5階だったか? エレベータの扉上部には時計の針のように現在位置の階数が表示されていた。、、、、地下では地下鉄銀座線の浅草駅 につながり、さらに地下街もある。、、、、、懐かしい昭和の雰囲気が残る駅である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・当初はビルの中から発車していた電車も今は長編成となり、ホームの先端はビルから飛び出し、隅田川の方向に大きくカーブしている。
 
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②言問橋・・・・・・・・・・・隅田川の最上流から数えて21番目の橋は関東大震災復興橋。 大正14年(1925)5月に着工し、昭和3年(1928)2月10日に竣工した。(昨日が竣工89年目の誕生日であった) 構造形式は三径間ゲルバー鈑桁橋、橋長238.7m、幅員22.0m。、、、、「言問」の謂れは、在原業平の詠んだ 「名にし負はば いざ言問はむ都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと」 という歌に因むそうだ。 ただし、業平が実際にこの歌を詠んだ場所は白鬚橋の付近であったとされている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・言問橋の東詰(墨田区向島)にある、橋から隅田公園に下る階段。、、、、先っぽが丸く尖ったコンクリート製の柱に、鉄製のパイプで造られた手摺。 これを見て、昭和の時代に懐かしさを感じるのは私だけか?
 
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・・・・・・・・・・・・・・昭和3年(1928)頃の言問橋。 まだ工事中らしい。 右端に、チョイと写っている階段は上の写真の階段と思われる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・【余談】 今日は浅草駅から、まず東武伊勢崎線隅田川鉄橋の下を歩き始めた。 すると、台湾から一人旅の女性が近付き、スカイツリーをバックに写真を撮ってくれとスマホを持ってきた。 私、『中国語わかりましぇ~~ん』と日本語で応え、ゼスチャーでOKし、パチリ!パチリ! 先方の女性は、『あれがとう・ござれます~~』と礼を言って先へ進んだ。 しばらくすると、先ほどの女性がスマホを持ってきて、私に見せた。 そこには『スカイツリーへの行き方を教えてください』と日本語表示されている。 スマホに翻訳ソフトをインストールして来日したみたいだ。 会話が通じない者どうし、便利なソフトだと一瞬思ったが、なんと、私の言葉は相変わらず通じない。 スマホに入力したくても、私には使えない。 『ええい~~、ここは男、頼られたらしょうがない! 異国の女性の一人旅、日本男児の優しさを見せてやろう! 途中まで連れて行ってやるから、付いてきな!』と、ゼスチャーと片言の英語で伝える。 やっと、通じたか笑顔が見えた。、、、、二人で、言問橋を渡り、牛嶋神社の前をとおり、スカイツリーの近くまでお見送り。、、、、この間、お互いに母国語で喋っていたが通じたのは、双方の名前だけ。 最後は、しっかり握手し『行ってらっしゃ~~い』、、、、、結局、言問橋の写真を撮りに来た道を戻ることとなったが、国際親善に一役かったね!
 
 
 
③東武伊勢崎線隅田川鉄橋・・・・・・・・・・22番目の橋は、東武伊勢崎線が浅草駅を出て、スグに隅田川を渡る橋。 伊勢崎線はこの鉄橋上にポイントが設置されているため。 電車はノロノロ運転(制限速度は15km/h)で橋を渡る。、、、、、、形式は中路カンチレバーワーレントラス、橋長は166mの鉄道橋、着工は昭和2年(1927)、竣工は昭和6年(1931)5月25日、橋梁の設計は土木学会の会長であった田中豊(1888~1964)、橋桁製作は横河橋梁製作所。、、、、、設計では、隅田川の景観に配慮するとともに、車窓からの景観を考慮して、高いトラス橋にせず曲線の架線柱が採用され、今や、隅田川の代表的な景観の一つとなっている。
 
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・・・・・・・・・・・・・車窓から撮った、橋上のポイント。
 
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④勝海舟像・・・・・・・・・・・・・ご存じ、勝海舟は、文政6年(1823)1月30日、本所亀沢町(現:墨田区両国4)で生まれ、育ち、明治32年(1899)1月19日に赤坂の氷川邸で逝去した。、、、、、平成15年(2003)に海舟生誕180年を記念し、隅田公園横の墨田区役所に銅像が建てられた。、、、、右手で遠くアメリカを指さし、新しい日本を創るべく旅経つ姿を表現しているらしい。 
 
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⑤吾妻橋・・・・・・・・・・・23番目の橋は、雷門通りを通し、台東区浅草地区と墨田区吾妻橋地区を結ぶ「吾妻橋」。、、、、、、創架は安永3年(1774)で、それ以前は「竹町の渡し」と呼ばれた渡し舟があった。 当時は、通行料2文の有料橋であったそうだ。、、、、、明治9年(1876)に木橋としては最後になった橋が架けられた。 この時、正式に「吾妻橋」と命名されたそうだ。、、、、明治20年(1887)には、隅田川最初の鉄橋として架け替えられた。、、、、、現在の橋は、関東大震災復興橋として昭和4年(1929)に発注され、銭高組が施工した。 開通は昭和6年(1931)6月である。、、、、、形式は鋼橋ヒンジアーチ橋、長さ150.0m。、、、、、雷門の色に合わせ、朱に塗られた橋は、“浅草”の橋としてふさわしいデザインで、連日、外人観光客が橋からスカイツリーをバックに記念撮影をする観光スポットである。
 
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2017年2月10日 (金)

桜橋

都営浅草線の本所吾妻橋駅から、牛嶋神社、三囲神社に詣で、隅田川の上流から20番目の「桜橋」を渡り、今戸神社、待乳山聖天をまわり浅草まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
①牛嶋神社・・・・・・・・・・言問橋東詰、隅田公園(墨田区)に隣接して牛嶋神社がある。 神社は、貞観年間(859~79)の頃に創建したそうだ。 以前は、桜橋近くにあったが、昭和7年(1932)、関東大震災後の隅田公園の建設により、現在地に移転した。 荘厳にして風格のある、総檜権現造りの社殿は、この時に建てられたものである。 昭和20年の東京大空襲では、神楽殿を焼失したが、本殿をはじめその他の建物は一部被害を受けたが、ほぼ無事であった。、、、、祭神は、須佐之男命(すさのおのみこと)、天之穂日命(あめのほひのみこと)、貞辰親王命(さだときしんのうのみこと)の三神。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・拝殿前の鳥居は、一つの神明鳥居の左右に小さな鳥居を控えさせた、珍しい三輪鳥居である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・境内には、自分の身体の悪い部分と同じところを撫でれば治るといわれている「撫で牛」がある。 文政8年(1825)に奉納された。、、、、、『只今、悪いところなし』と言いたいのだが、『最近、寒さのせいかトイレが近く困ったもんだ』と思い出した。 だが、さてさて、どこを撫でたらいいのやら! 私が思う“撫でたい部分”は隠れてるぞ!
 
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②三囲神社・・・・・・・・・・・向島の花街にある、三井家(越後屋=三越)御用達の三囲神社(みめぐりじんじゃ)。 神社の創建年代は不詳であるが、文和年間(1353~1355)に、近江三井寺の僧源慶が東国遍歴の際に社を改築したと云われている。 その改築をするとき、土を掘ると壺が出土し、白狐にまたがる老翁の像が出てきた。 すると、どこからか白狐が現れ、像の周りを三回回った死んだ、三囲神社の名はこの話に由来するそうだ。、、、、、三井家が江戸に進出して以来、三井家の守護神として崇敬を集めている。 
 
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・・・・・・・・・・・・・三井邸より移された三角石鳥居。、、、、鳥居を3基組み合わせたもので三柱鳥居と言われる。 ここ三囲神社の鳥居は中心に井戸がある。、、、、、夏の寝苦しい夜、井戸の中から夜目にも白い美女がス~~~と出てきそうな井戸である。 
 
 
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・・・・・・・・・・・・・こちらは、かつて池袋の「三越」に置かれていたライオン像
 
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③桜橋・・・・・・・・・・・・墨田区向島と台東区今戸を結び、隅田川に架かる歩行者専用橋。 台東区と墨田区が姉妹提携した記念の橋。 連続鋼X形曲線箱桁橋という形式で、橋長は169.45m、昭和55年(1980)11月に着工し、昭和60年(1985)4月11日に完成した。 総工費は28億3000万円。、、、、、両側は、両区の隅田公園があり、河岸は全国的な桜の名所である。 シーズンには桜を楽しむ多くの人がこの橋を渡る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・上流側(白鬚橋側)を望む
 
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・・・・・・・・・・・・・・・下流側(言問橋側)を望む
 
 
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④今戸神社・・・・・・・・・・・・・・桜橋を渡り台東区今戸1丁目には、最近、縁結びで有名な今戸神社がある。 恋愛に悩む迷える子羊ならぬ子猫の為、今日も、数組のカップル、同性どうしが来ていた。、、、、、社殿にはビッグなペアの招き猫もおかれ、恋愛運アップの御利益を授かりたい人から崇敬(?)されている。、、、、、爺の私には縁遠い神社だが、参拝している人は真剣な様子だ。 一人で、タクシーで乗り付ける若い人もいてビックリ、驚き。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・境内の河津桜も咲き、春到来。
 
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待乳山聖天 ・・・・・・・・・・・桜橋の西側に、浅草寺の子院で、創建は推古3年(595)年に遡る待乳山聖天本龍院がある。 関東三聖天の一つ。、、、、“聖天”とは、“商店”にあらず、仏教を守護する天部の善神で大聖歓喜自在天のこと。、、、、境内の各所に、大根、巾着が印され聖天の御利益を表している。 大根は、深い迷いの心、瞋(いかり)の毒を表し、大根をお供えすることで、聖天が心の毒を清めてくれる。 その結果、心身が健康になり、良縁成就、夫婦円満、家族和合のご加護を授かることができる。 巾着は財宝を表し、商売繁盛、事業繁栄のご利益を示している。 つまりは、いろいろなご利益が期待できるということ。、、、、、毎年買っているジャンボ宝くじ、今だに当たらないのだが?????
 
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2017年2月 6日 (月)

白鬚橋

今日も浅草橋から、南千住行の都バスに乗って「清川二丁目」で下車し、白鬚橋を渡り、京成曳舟駅まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
①清川二丁目・・・・・・・・・台東区の北東に位置する“清川地区”。 その清川の北半分が、商業地であり住宅地でもある、清川2丁目である。 また、ドヤ街:“山谷”の一画でもある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・バス停の前には、チョイと古そうな建物(戦前の建築?)がある。 現在は、1階がカラオケで、2階が理容室。、、、、、1階は改装し、2階は塗り替えられたが、2階外部のデザイン形状は変化していない。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・二丁目南側のアサヒ会通りに面した木造モルタル塗りの7軒長屋。 、、、、台東区周辺には、このような木造の長屋が随所に残っている。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・大通りからチョイと横に入ると寶珠稲荷神社がある。、、、、、寶珠稲荷神社の創建年代は不詳だが、天正17年(1598)には浅草寺門前町の浅草町の鎮守として祀られていたそうだ。 万治元年(1658)浅草町が御用地となり、町と共に亀戸に移転、天和二年(1682)に当地へ再度移転した、神社の出戻りである。、、、、、現在は町中の小さな一画に鎮座するお稲荷さん。
 
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.・・・・・・・・・・・・・・清川2丁目の町の中央にどっしりと腰を下ろす玉姫稲荷神社 。 神社の周囲には簡易宿泊所が並び、労務者、ホームレスの姿も散見される。、、、、、神社の隣の公園では、10人程のホームレスが集めた空き缶を換金していた。 チョイと慣れないと会話もし難い雰囲気だ。
 
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②橋場不動尊・・・・・・・・・・清川2丁目の東隣は台東区橋場2丁目、ここに、天平宝字4年(760)の創建の橋場不動尊がある。 当初は法相(ほっそう)宗の寺で、長寛元年(1163)に天台宗に改め、鎌倉時代以降は浅草寺末寺となり、現在は比叡山延暦寺の末寺だ。、、、、、明治末年の大火、関東大震災、そして昭和20年の東京大空襲、いずれも不動院を中心とした橋場の一角だけは災禍をまぬがれたことから、霊験あらたかな橋場不動尊として現在でも広く庶民に崇められている。、、、、、、江戸時代の建築様式を残す小さな堂は簡素な佇まいで、下町の庶民の寺である。
 
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白鬚橋 ・・・・・・・・・・・隅田川の最上流から数えて19番目の橋。 橋上は明治通りを通し、西岸(右岸)の荒川区南千住および台東区橋場と、東岸(左岸)の墨田区堤通を結ぶ関東大震災の復興橋。、、、、もともとは、「橋場の渡し」と「白鬚の渡し」という渡船場があった場所である。 大正3年(1914)に初めて橋が架けられたが、有料の木橋であった。 震災後は、東京府が買い取り復興事業として現在の橋が架けられた。、、、、、下路式ブレースドリブドタイドアーチ橋という形式で、橋長は168.8m、幅員は22.1m。 昭和3年(1928)7月に着工し、昭和6年(1931)8月に竣工した。 増田淳(ますだじゅん、1883~1947)の設計、大林組の施工、川崎造船所の橋桁制作である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・上流(水神大橋側)を望む。、、、、写真右側が墨田区堤通、左側が荒川区南千住。
 
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・・・・・・・・・・・・・・下流側(桜橋側)を望む。、、、、写真右側は台東区橋場、左側は墨田区。
 
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④白鬚橋病院・・・・・・・・・白鬚橋を渡ると、忘れることのできない病院である。、、、、、あれは、4年前の厄日の事だった。 鐘ヶ淵駅前で転び、こちらに救急搬送された、その節はお世話になりました。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・【雑談】 私は生まれてこれまで、6回半救急車にお世話になった。 搬送された病院はどこも一流処で、某警察病院、東京の国立大学附属病院(2件)、東京の私立病院(3件)。 いずれも、異なる病気で脱臼・貧血・大動脈瘤などなど。 そして、大阪では救急車が駆けつけてくれたが、世話にならず回復。 どこの病院でも親切に診ていただき、おかげさまで、今はいたって元気。、、、、、救急隊・救急病院に感謝です。
 
 
 
●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・この後、京成曳舟駅から帰宅。

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