台東区

2017年11月15日 (水)

北の丸公園

我が家(浅草橋)から、神田駅、一ツ橋をとおり、清水門から北の丸公園に入り、田安門から出て飯田橋駅まで、1万4千歩の散歩です。

 
 
①浅草橋から一ツ橋・雉子橋まで・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・まもなく8時、浅草橋駅から職場に向かう人に交じり、神田川を越え、靖国通りを横断し、神田駅に向かう。、、、、東京に生まれて70余年、神田界隈は育った町でもある。 『アレ? 岩本町のここに花屋があったはず。 隣は莫大小(メリヤス)の問屋だったっけ?』、『神田駅前ガード下にはロマンポルノの映画館があったな。 向かいに、ケーキ屋の小鍛冶があった。 JTBはまだある。』、『神田駅周辺には、ハワイ、日の丸、ハリウッドなどキャバレーがあったが、今は無い! 寂しいね。』、『美土代町のYMCAでは、地下にプールがあって、中学生の私はフルチンで泳がされた。 YMCAの建物があった場所は?、判らなくなった!』、、、、いつの間にか壊され、建て替えられ、ビルが並ぶ町となった神田界隈。 一人で数十年前の街並みを思い浮かべ、懐かしみ歩いてきた。 
 
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・・・・・・・・・・・・・神田錦町に2年前にオープンした複合ビル「テラススクエア」は、博報堂の跡地に建てられた地上17階・地下2階建てのビルである。 ビルの一部には昭和5年(1930)に竣工した博報堂旧本館が復元されている。
 
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・・・・・・・・・・・・・日本橋川に架かる一ツ橋。 徳川家康が江戸城に入った頃は、現在の橋の位置に 丸太の一本橋が架かっており、「一ツ橋」の橋名は、この一本橋から名付けられたと言われている。 そして、寛永年間(1624~1643)になると、この丸太の一本橋の江戸城側に 一ツ橋御門が設置され、同時に見附橋としての「一ツ橋」が架けられる。 これが「一ツ橋」の由来である。、、、、現在の一ツ橋は、大正14年(1925)に架けられた、全長:19.6m、全幅:28.0mの 鋼製桁橋である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・一ツ橋の上流側に、もう一つ古い橋が架かっている、雉子橋(きじばし)である。 江戸時代の雉子橋門跡の近くに架かる橋で、徳川家康が朝鮮の使節を饗応するために、好物の雉子を囲った場所がこの辺りであった。、、、、、、明治36年(1903)に鉄橋に改架したが、関東大震災で被災した。 現在の橋は大正14年(1925)10月25日に架けられた、長さ32.89m、幅27.6mの鋼橋です。
 
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②清水門・・・・・・・江戸城北の丸に登城する門で、現在の千代田区役所庁舎前にある、門を入ると科学技術館の横に出る。  江戸城の他の門に比べると、どちらかというとマイナーな門であるが、重要文化財である。、、、、、、寛永元年(1624)助役大名:浅野長晟により建てられた枡形の城門。 江戸時代の雰囲気を色濃く残している。
 
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吉田茂の像・・・・・・・・・・清水門を入ると芝生地の一角に吉田茂の像がある。 像は昭和56年(1981)に公園内に建てられた。 昭和の名宰相がなぜここに?
 
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北の丸公園の秋・・・・・・・・・
 
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●・・・・・・・・・・・・・・このあと、田安門から公園を出て飯田橋駅より帰宅。

2017年11月 7日 (火)

夕暮れの浅草寺

夕暮れ時に、浅草寺へ行ってきた。

 
 
①浅草地下街・・・・・・・・・・東武浅草駅前と新仲見世から入る浅草地下街。 地下街は地下鉄浅草駅と松屋デパートの地下食品売り場とも連絡している。 昭和の空気が漂う地下街で、古川ロッパ、エノケン、デンスケなどに出会いそうな雰囲気である。、、、、午後4時、まだ呑んでいる客はいないようだ。
 
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②浅草寺 弁天堂・・・・・・・・・・浅草寺本堂に向かう仲見世通りの右側裏に、弁天山と呼ばれる小高い丘に建つ、昭和58年(1983)に鉄筋コンクリート造で再建されたお堂がある。 堂の中には白髪の老女弁財天が祀られている。、、、、、本尊が、“老女”の弁天様では見たくないね! 弁天様は若いピチピチが一番!

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・・・・・・・・・・・・・お堂の右手前に、芭蕉の句 “花の雲 鐘は上野か 浅草か” で有名な鐘がある。 鐘楼は昭和25年(1950)の再建であるが、鐘は元禄5年(1692)に改鋳されたものだ。江戸時代の“時の鐘”の一つだ。、、、、あと50余日で大晦日、除夜の鐘として、浅草橋の我が家まで聞こえるかな?

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③旧五重塔跡・・・・・・・・・・・現在の五重塔は本堂に向かい左側(西側)に建立されているが、かつてはその反対側(右側)に建てられていた。 その位置には、現在、「旧五重塔跡」と記された石碑が建てられている。  浅草寺の五重塔は、天慶5年(942)平公雅による創建以後、いく度か炎上するもその都度再建されてきた。 昭和20年(1945)3月10日の東京大空襲により惜しくも焼失した国宝旧五重塔(高さ33メートル)は、江戸時代の慶安元年(1648)、第三代将軍徳川家光(1604~51)により建立されたものである。

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・・・・・・・・・・・・・・石碑の位置から見る本堂

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④ライトアップの浅草寺・・・・・・・・・・・・外人観光客へのサービスかな?

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⑤お店も賑わい・・・・・・・・・・・チョイとナイショで、撮らせてもらいました。

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2017年10月23日 (月)

増水した隅田川

朝7時半、台風21号は我が家の頭上を素通りし、水戸の付近らしい、東京はまだ暴風圏内である。 雨は上がったようだ、水溜まりを避けながら、久しぶりの散歩は、隅田川の様子を見に行くことから始める。
 
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①隅田川の増水・・・・・・・・・・・・『台風で増水した隅田川を見てみよう!』と、隅田川テラスに来たら、私より先に国土交通省の人と警察官が先着していた。 隅田川が増水しているため、テラスは立入禁止と告げられた。 『でも、地元のよしみでチョイト入れて!』と、言ったつもりでテラスから撮影してきた。
 
・・・・・・・・・・・・・・総武線隅田川橋梁の橋脚、かなり上まで水位が上がっている。(3枚目の写真は同じ位置で昨年撮影)
 
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・・・・・・・・・・・・・水位はテラスの歩道の高さまであり、水につかっているところもある。 『これより先に行かないでください。』と言われ、素直にこの場を離れることにした。
 
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・・・・・・・・・・・・・・柳橋から離れ、厩橋へ向かう。 『場所を変えれば、テラスを歩けるかも?』。 あきらめないぞ!、、、、、只今、塗装の塗り替え工事中の厩橋でも、テラスに出ることは警察官に制止され、橋上からパチリ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・厩橋を渡り、墨田区側のテラスに行ってみよう。、、、、墨田区側には、警察官がいない。 しめしめ! テラスの歩道を歩いてみた。、、、、、『あぶないから行かないでください。』と言われると、行きたくなるのが野次馬だ! 
 
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・・・・・・・・・・・・・・テラスを歩き駒形橋に向かい、橋を渡って台東区へ戻る。
 
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②隅田川沿いの建物・・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・lucite gallery、、、、柳橋にある、昭和を代表する芸者歌手だった故・市丸の旧邸宅を改装したギャラリー。 古美術品・アンティークの展示を見ながら、コーヒーを一杯。、、、、市丸の「三味線ブギ」(昭和24年)は忘れられない盆踊りの一曲。 ♪♪ 三味線ブギで シャシャリツシャンシャン さあさ 踊ろよ ブギウギ うきうき 浮いた浮いたよ シャシャリツシャンシャン ~~~♪♪、、、、昭和40年代ぐらいまでは右隣にも同じような造りの料亭「いな垣」があった。 この辺りは花柳界「柳橋」の中心で、私には懐かしい街である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・蔵前交差点の南側、ビルのコーナーに「メタセコイア」の木が、高くまっすぐ伸びているのが目に入って来る。 このビルを建てた記念に植えたそうだ。、、、、この木を見ると、いつも言いたくなるのだが、『年末になると電飾で飾りクリスマスツリーにして欲しいね!』 浅草橋の名所になるかも?
 
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・・・・・・・・・・・・・蔵前にある日本聖公会の浅草聖ヨハネ教会。 昭和4年(1929)に献堂された、鉄筋コンクリート造2階一部3階建のゴシック様式の教会。 国の登録有形文化財である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・・駒形橋東詰(墨田区)の高速道路に下にある旧駒形橋交番。 現在は地域安全センター。 昭和初期(昭和3年頃らしい)に作られた交番の一つである。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・駒形橋の西詰(台東区)には、浅草寺の本尊:聖観音像が現れた地とされる駒形堂がある。 現在の堂は鉄筋コンクリート造、方三間、宝形造で、平成15年(2003)に建て替えた。 堂は元来は隅田川に向いて建てられていたが、現在の堂は江戸通り側を正面とし、川には背を向けた形になっている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・駒形堂の境内に、「戒殺碑」(かいさつのひ)がある。 “この地は、観音様が出現した聖なる場所であるから、殺生(魚を獲る)を禁じる”という主旨の碑。 碑は元禄6年(1693)に浅草寺権僧正が建立したものである。 関東大震災後の昭和2年(1927)に土中から発見された。、、、、、“魚を獲るな”とは、近くのどぜう屋、うなぎ屋はどうしたのかな?
 
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・・・・・・・・・・・・・駒形堂の近く、雷門前の通りに面し旧岡三証券浅草支店のビルがある。 昭和10年(1935)に建てられた鉄筋コンクリート造3階建ての、このビルは当初「河合ビル」として建ち、戦後は埼玉銀行が使用し、その後岡三証券が使用し、現在はギャラリーとして使用されている。
 
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③雷門・・・・・・・・・・久しぶりに雷門前の浅草文化観光センターに入り、最上階から雷門を見下ろしてきた。
 
・・・・・・・・・・・・・・・浅草文化観光センターとは、、、、、平成24年(2012)に台東区がつくった、雷門の前にある観光案内施設です。 最上階の展望テラスからは浅草寺、東京スカイツリーが望める。、、、、、建物は、オリンピックの国立競技場を手掛けた隈研吾(くまけんご)の設計。
 
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・・・・・・・・・・・・・浅草文化観光センターから見る雷門仲見世・浅草寺
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・・この後、観音様に手を合わせて帰る。 今日の散歩は9千歩。

2017年10月11日 (水)

清川~八広

今日も夕食前の散歩。 台東区の北、かつて“山谷”と呼ばれた地、「清川二丁目」バス停で降り、白鬚橋を渡り東武伊勢崎線鐘ヶ淵駅前を抜け、京成押上線八広駅まで、1万歩の散歩です。 
 
 
 
①アサヒ商店街・・・・・・・・・清川二丁目バス停で降りると、清川二丁目交差点から東に橋場交番前まで353m程の地味なアサヒ商店街がある。 アサヒ会通りと称する歩道のあるバス通り沿いに、派手な看板・飾りも少ない店舗が、途切れ途切れに並ぶ静かな商店街である。、、、、付近には、かつて“ドヤ”と呼ばれた簡易宿泊所もあり、ドヤ住まいと思われる人も食料品を求め買い物をする光景が見られる。、、、、私の先を歩く労務者風の人が、突然、歩道の植木に向かいズボンを下げて放尿を始めた。 この瞬間、我が目は見てはいけないものを見た。 秋の味覚:高級松茸だ、今年は生育が悪く小ぶりであった。 『オイ、オイ、空はまだ明るいぞ、植木に水をやるのは、暗くなってからにしろ!』 商店街には“山谷”の時代の光景が残っていた、感動の一瞬であった。(残念ながら、この場面はカメラに収めてません。)
 
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橋場の裏通り・・・・・・・・・隅田川寄りの町:橋場には、昭和の建物がまだ、まだ、残っている。
 
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③隅田川・・・・・・・・・・塗替塗装工事中の白鬚橋 を渡る。、、、、、顔面に包帯を巻いた重症患者のような白鬚橋から、隅田川上流を望む。
 
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白鬚東アパ―ト ・・・・・・・・・・墨田区の隅田川沿いに長さ1.2kmに渡って延々と団地が長城のごとく連なっているのが「白鬚東アパート」である。 「防災拠点」として、昭和47~61年(1972~1986)に掛けて18棟の団地が連結して作られた。、、、、、今だ、長城としての機能を発揮する機会なし、一度はその効果を見てみたいが、見ることなしに済めばありがたいね。
 
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⑤トミンハイム墨田一丁目・・・・・・・・・・・墨堤通りを挟み白鬚東アパートの前に立つ、東京都住宅供給公社のアパート、300戸強が入居する14階建ての建物は平成12年(2000)の完成。、、、、、白鬚東、トミンハイムと巨大なアパートが建ち並ぶ光景は凄いね。
 
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⑥首塚地蔵尊・・・・・・・・・・墨田2丁目の真言宗智山派寺院「正福寺」の寺内に首塚地蔵尊がある。 天保4年(1833)洪水の危険をふせぐため、隅田川橋場附近の川浚い工事において、川床より多くの頭骨が発掘された。 当時の正福寺の和尚は、この地に合葬、碑をたてて「首塚」といったと伝えられている。 この縁で、首から上の病いに功験があるからと、参詣の香華がたえないそうだ。、、、、、首から上の病とは?、、、、ボケ、ハゲ、蓄膿、顔面神経麻痺、ブス、白内障、思いついたまま書いてみた。
 
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鐘ヶ淵駅 ・・・・・・・・・・・私には忘れることのできない思い出(脱臼事件 )ある駅である。 今日は、夕暮れの駅をパチリ。
 
・・・・・・・・・・・・・・まずは、鐘ヶ淵駅。 下り(北千住方面)は西口へ、上り(浅草方面)は東口へ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅前の踏切。 よそ見して、怪我しないように注意しましょう。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅周辺のお店。 派手な店、大きな店、カッコいい店、若者向けの店、いずれもありません。 あるのは、昔ながらの人情ある店ばかり。
 
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⑧八広駅・・・・・・・・・・・・国道6号(水戸街道)を横切って、暗い八広駅へ到着。
 
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2017年10月 6日 (金)

千束

浅草橋駅前から東京駅発南千住駅西口行のバスに乗り、「清川二丁目」で下車。 台東区千束の町をぶらつき、浅草寺、雷門まで、1万1千歩の散歩です。
 
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①ドヤ街・・・・・・・・台東区の北、日本堤と清川の町が接するあたりの地域はかつて「山谷(さんや)」と呼ばれた地区である。 大阪の釜ヶ崎、横浜の寿町と並び、日本の三大“人足寄場”の一つで、私が知る終戦直後の山谷は、日雇い労務者の集まる地区であった。 かつて、町の中心は、その労務者が寝泊まりする簡易宿泊所(通称:ドヤ)が並び、365日24時間、町中のいたるところで酒の匂いがし、日中の路上での賭博、所かまわず立ち小便、酔っぱらいの喧嘩など、女・子供にはチョイと怖い町であった。 男の私も注意して歩いた町であった。、、、、、今は、高齢化により皆さんおとなしくなったようだ。 簡易宿泊所の並ぶ道を歩いてみたが、路上で酒を飲む人、酔いつぶれる人は見られず、道路に人が出ていない。 清潔で、静かで、安心して歩ける街に変わった。
 
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②吉原・・・・・・・・・・・『山谷に来たら 吉原も』と、訳の判らぬ寝言を言って、気持ちが誘う吉原へ、チョイト見物に立ち寄ってみた。
 
・・・・・・・・・・・・・土手通りの「見返り柳をあとに、タクシーの出てきた道を入ると吉原遊廓唯一の公式ゲート「大門」があった。、、、、写真:ガソリンスタンド前が土手通りで、見返り柳も見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・・吉原遊廓の「大門」は今は無く、あるのは「よし原 大門」と記したポールが立つのみ。、、、、、ここが、吉原の中央通り。、、、、、なぜか静かだ?
 
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・・・・・・・・・・・・・ソープランドが並び、各店の前では黒のスーツを着たお兄さんが手招きして客を呼び込んでいた光景が今日は見られない。 しかも、シャッターの下りている店もある。 静かだ、ひょっとすると一斉休業かな? それとも、ソープランド組合(?)の慰安旅行か?、、、、、、私なりに考えた答えは、『客引き禁止条例』の影響かも。、、、、これで、安心して歩ける街になるのか。 でも、客引きのいない吉原は、静かすぎてチョイト寂しいね。
 
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・・・・・・・・・・・・・・遊廓街を挟み大門とは反対側の位置に吉原神社がある。 その昔の遊女・花魁も神社に手を合わせたのかな?  私も、かつて悲しい運命で泣いたであろう多くの遊女を偲び手を合わせて来た。
 
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③飛不動・・・・・・・・・・吉原を抜けた台東区竜泉3にある飛不動(とびふどう)。 龍光山三高寺正寶院が寺の名。 享禄3年(1530)に創建の天台宗の修験寺院。 本尊は木造不動明王坐像で、「飛不動」の通称で知られている。 由来は、昔、寺の住職が大和の大峰山に本像を背負って修行に行ったところ、江戸の寺では本尊が留守のため、お不動様の分身に祈った。すると、お不動様は一夜にして当地へ飛び帰り、人々の願いを叶えたと伝えられている。 お不動様が飛行機に乗って帰ってきたようなものだ! そこで、近年は航空安全の守護神として、「航空安全」、「飛行安泰」のお札、飛行機の入った絵馬などもある。、、、、、ここでは、北朝鮮のミサイルが日本から反れるのを祈ってくれるのかな?
 
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お酉さま・・・・・・・・・・ 11月の酉の日は“お酉さま”。 今年は11月6日、18日、30日と三の酉まである。 火事に要注意!、、、、、と言うことで、お酉さまの準備に忙しい聖地、鷲神社と長國寺に寄ってきた。 お酉さまは、神社と寺のコラボによる年の瀬のフェスティバル。
 
・・・・・・・・・・・・・・東京で“お酉さま”と言えば「鷲神社(おおとりじんじゃ)」。 鷲神社は天日鷲命、日本武尊をお祀りした由緒ある神社。 社伝によると天照大御神が天之岩戸に隠れたとき、天宇受売命が岩戸の前で舞い開いた時、弦(げん)という楽器の先に鷲がとまったので、神様達は世を明るくする瑞象を現した鳥だと喜び、以後、この楽器を扱っていた神様を鷲の一字を入れて鷲大明神、天日鷲命と称することとなった。、、、、、また、日本武尊が東夷征討の際、社に立ち寄り戦勝を祈願し、志を遂げての帰途、社前の松に武具の「熊手」をかけて勝ち戦を祝い、お礼参りをした。 その日が11月の酉の日であり、この日を鷲神社例祭日と定めたのが酉の祭、つまり「酉の市」である。、、、、、拝殿の“おかめ”は顔を撫でて笑顔になるよう祈るそうだ。 でも見方を変えると、“おかめ”は賽銭箱を見張り、お金が入ることに喜びを感じているのかも?
 
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・・・・・・・・・・・・・鷲神社の北隣には、浅草酉の市の発祥の寺と称している長國寺がある。、、、、、長國寺は江戸時代初期、寛永7年(1630)に大本山:長國山鷲山寺の和尚によって、浅草寺町に開山された。 山号を鷲在山(じゅざいさん)寺号を長國寺(ちょうこくじ)と称す。 寛文9年(1669)には坂本伝衛門氏の後ろだてにより、吉原の西隣にあたる現在の地(台東区千束)に移転した。
 
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⑤浅草寺・・・・・・・・・・・・浅草寺で手を合わせ、新仲見世で買い物し、帰宅。
 
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2017年10月 5日 (木)

浅草橋~八丁堀

数日前に買ったズボンの裾上げができていることを思い出し、散歩がてら店に貰いに行くことにした。 我が家(浅草橋)から銀座まで、1万1千歩の歩きです。、、、、、浅草橋から銀座までは、表通りを普通に歩くと徒歩1時間程。 8時に我が家を出て、店が開く10時過ぎまでは、2時間以上あるので、隅田川沿いの裏道をウロウロ、キョロキョロ歩くことにした。
 
 
 
●浅草橋駅・・・・・・・・・1932年(昭和7年(1932)7月1日に開業した総武線浅草橋駅。 都営地下鉄1号線(現:浅草線)の浅草橋駅 は昭和40年(1960)12月4日に開業した。、、、、、私が高校生のころ、駅前の江戸通りでは、開削工法で地下鉄工事が始まった。 当時の杭打ち工事には、音のうるさいディーゼルハンマを使用し、あの“ストーン・ストーン”と大きな音を響かせモンケン(重り)を落として杭を打っていた。 リズミカルな工事の騒音と、どのように造るのか好奇心もあり、学校帰りに工事現場に、度々、見に行った記憶が鮮明に残ている。、、、、、その駅部の工区は飛島土木(現:飛島建設)の施工であった。 そのゼネコンは、開通の年に私が入社した企業である。
 
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●浅草橋・・・・・・・・・・・・神田川の最下流に架かる柳橋に次ぎ、下流から二番目に架かる橋。 現橋は昭和5年(1930)1月に開通した。 総工費27万7千円(上流の万世橋は35万円、下流の柳橋は12万1千円)で竣工した震災復興橋。 下部工の施工は間組(現:安藤ハザマ。、、、、、橋のシンボル・飾りというものがなく、印象の薄い橋である。 でも私にとっては、小学生の頃の遊び場(魚釣り)であり、忘れることのない橋である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・浅草橋から柳橋を見る。、、、、、手前の船宿あたりの川底に、総武快速線トンネルがある。 残念ながら見ることはできない。 
 
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●浅草橋交差点・・・・・・・・・・“江戸通り”と“靖国通り”が交差する処。 靖国通りは、正確には新宿大ガード東交差点から両国橋までである。 しかし通称として、浅草橋交差点から東側を“京葉道路(国道14号)”、西側を“靖国通り(都道302号)”と呼んでいる。
 
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●薬研堀不動院・・・・・・・・・・・・浅草橋交差点の周辺は中央区東日本橋の町である。 その町の中央に、真言宗智山派の寺院で、川崎大師東京別院でもある薬研堀不動院がある。、、、、、、本尊の不動明王は、崇徳天皇の代、保延3年(1137)に真言宗中興の祖と仰がれる興教大師・覚鑁(かくばん)上人が彫り、紀州・根来寺に安置されたものである。 その後、天正13年(1585)、豊臣秀吉勢の兵火に遭った際、根来寺の大印僧都はその像を守護して葛篭(つづら)に納め、それを背負ってはるばる、隅田川のほとりの現在地に堂宇を建立し安置した。 これが現在の薬研堀不動院のはじまりです。 川崎大師の東京別院となったのは、明治25年(1892)のことである。
 
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・・・・・・・・・・・・・・扉の隙間からお姿をチラッと拝見。、、、、、小さくてよく判らんね!
 
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・・・・・・・・・・・・・境内には、身の丈六尺の遍路大師尊像を中央にして、右に「講談発祥記念之碑」、左に「順天堂発祥之地碑」がある。、、、、、、、昭和の時代に、ラジオ、TVで講談を聴く機会も多く、一龍齋貞丈、宝井馬琴などが出ていたが、昨今はTVで講談を聴く機会はとんとなくなり、寂しいかぎり!
 
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●浜町・・・・・・・・・・・・♪♪ 浮いた 浮いたの 浜町河岸に ♪♪と歌われた浜町も、柳橋と共に戦後廃れ、いまは芸者のいない町となった。 残念無念!
 
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●清正公寺・・・・・・・・・・・・・浜町公園内の狭い一角にある、日蓮宗の清正公寺は、熊本本妙寺の別院。 清正公寺は、文久元年(1861)に、細川藩主細川斎護が熊本本妙寺に安置する加藤清正公の分霊を勧請して当地にあった下屋敷に創建、加藤清正公を祀り、明治維新後には一時加藤神社と称したと言われている。 明治18年(1885)仏式に戻して清正公寺と改称、管理を熊本本妙寺に委託、本妙寺別院となった。、、、、、狭い、小さな寺で、檀家はあるのか? いらぬ心配をしてしまった。
 
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●荒汐部屋・・・・・・・・・・・・荒汐部屋は、元小結:大豊が平成14年(2002)に浜町に開いた相撲部屋。 現在は前頭:蒼国来を筆頭に12名の力士と行司、床山それぞれ1名が相撲道に精進している。、、、、、連日、窓から稽古を見ることができ、外人さんに人気がある。 
 
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●隅田川右岸・・・・・・・・・・・・・・日本橋中州で隅田川の右岸に出る。 清洲橋 隅田川大橋永代橋と眺め。 箱崎から八丁堀方向に歩く。、、、、、大腸菌ウヨウヨの汚染された隅田川の水がお台場に流れ、この水の中で2020年オリンピックのトライアスロン競技が行われるそうだ。 ウンチがプカプカの水で泳ぐのか! 選手に選ばれるアスリートの不安は大きいと思われる。 3年後までに綺麗な水になるかな?
 
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●湊橋・・・・・・・・・・・・湊橋(みなとばし)は、中央区新川 と箱崎を結び、日本橋川に架かる橋である。 湊橋の創架は江戸時代前期、延宝7年(1679)と言われ、霊岸島(現:新川地区)と箱崎町 を結ぶ橋として架けられた。 橋名の湊橋の名称は、この一帯が江戸時代に港として「江戸湊」と呼ばれていたことに由来する。、、、、、現橋の湊橋は、関東大震災復興事業の一環で昭和3年(1928)に架けられた全長40.5mの鉄筋コンクリートの3連アーチ橋。 ちなみに、総工費は208,000円であった。、、、、、近くをは走る首都高に合わせ、近年、綺麗なタイルで化粧された。
 
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●新亀島橋・・・・・・・・・・・・新川地区から新亀島橋を渡り、茅場町・八丁堀地区に入る。、、、、新亀島橋は亀島川 に架かる全長30.5mの橋。
 
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●・・・・・・・・・・・新亀島橋を撮影中、とんでもない事態が発生!、、、、、ナント、カメラのバッテリーが低下し、撮影不能となった。 普段は持っている予備のバッテリーも、今日に限り忘れてきた。、、、、、ア~~・ドジ・マヌケ・バカ・バカ・バカ、、、、、撮影はあきらめた。 あとはひたすら銀座に向かい、黙々と歩く。
 

2017年9月22日 (金)

浅草橋~平井

今朝のNHK天気予報で、東京の天気は、午前中は曇り、正午からは小雨、夜は雨と受け止めた。 午前中は天気ももちそうなので、我が家から総武線沿いに歩いてみることにした。 浅草橋の我が家から平井駅まで、1万4千歩の散歩です。
 
 
①浅草橋を発つ・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・高架ホーム下の店舗、駅前の飲食店、どこも、まだ閉まっている。、、、、、高級ブランドの店、三つ星レストランなんてない。 あるのはビーズ屋さん、安売り雑貨屋さん、超B級飲食店ばかり。
 
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・・・・・・・・・・・・・・朝8時、そろそろ駅から職場に向かう人も出てきた。
 
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②両国橋を渡る・・・・・・・・・・“雨降る天気”は嘘のような“爽やかな晴れ”。 
 
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③両国駅付近を通過・・・・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・今日は回向院 には立ち寄らず素通り。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・・両国駅の南側、京葉道路に面した両国3丁目22番は芥川龍之介が18歳まで育った処。 芥川は回向院の隣にあった小学校に通ったそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・江戸東京博物館前から北斎通りに入る。
 
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北斎通りを行く ・・・・・・・・・・・・江戸東京博物館前から錦糸公園の先の錦糸橋(横十間川)までの通りを言う。 江戸東京博物館前から横川までは、かつての本所南割下水(ほんじょみなみわりげすい)と呼ばれた、道路の真ん中を掘り割った下水路であった。 割下水は昭和初期に暗渠化され、平成の世になり歩道などが整備され、平成6年(1994)から「北斎通り」と称した。
 
・・・・・・・・・・・・・・・すみだ北斎美術館(墨田区亀沢2)の敷地は、江戸時代に弘前藩津軽家の大名屋敷あった。 この近くには葛飾北斎が住んでいた、つまり北斎の地元にできた美術館である。、、、、、、妹島和世建築設計事務所の設計、大林組+東武谷内田建設の施工による、RC造地上4階/地下1階建ての美術館。、、、、、大変残念なことだが、私はまだ入館したことが無いので、コメントなし。
 
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・・・・・・・・・・・・・・こちらも亀沢にある、日本相撲協会が直営の相撲神社で、「野見宿禰神社(のみのすくねじんじゃ)」。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・「北斎通り」、名前は粋で、江戸趣味を感じさせるが、通りには古い建物は残っておらず、またシャレた店舗が並んでいるわけでもない。 鋼管、パイプなどを扱う会社が多く、恋人同士の散歩にはチョイと不向きである。
 
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・・・・・・・・・・・・・・北斎通りは錦糸町駅手前で大横川親水公園と交差する。 東京スカイツリーの足下から、南に江東区木場方面に流れる大横川。 その一部を暗渠化し、整備されて親水公園となっている。
 
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・・・・・・・・・・・・・錦糸町駅の北側を再開発した「アルカタワーズ」。 3棟の超高層オフィスビルと、ホテル、シンフォニーホール、商業施設ビル、高層住宅などで構成されている。 前を貫く道路は北斎通り。、、、、、、サラリーマン時代、私のデスクも一時期このビルの中にあった。 今は懐かしいビル。
 
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・・・・・・・・・・・・・・津軽稲荷神社は、津軽藩下屋敷の屋敷神として祀られていた稲荷神を、明治43年(1910)に払い下げられ、錦糸町1丁目町会の守護神とした。
 
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・・・・・・・・・・・・・・錦糸町駅北口前をしたすら東に向かう。
 
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・・・・・・・・・・・・・・ 錦糸公園の奥に建つ「Olinas」の超高層ビル。 ここは、時計の旧精工舎の工場跡地である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・錦糸公園の東側に残る、旧病院建築。 現在は、昭和19年(1944)に病院跡に移転した阪上製作所の社屋となっている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・北斎通りは両国の江戸東京博物館前より東に真直ぐ伸びて、ここ横十間川に架かる錦糸橋までである。 これより江東区亀戸の町となる。
 
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⑤亀戸駅前を行く・・・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・亀戸駅前を通り抜け、我が足は東へ向かう。
 
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・・・・・・・・・・・・・・東武亀戸線 をチョイト見て、ついでに写真も撮って、先を急ぐ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・丸八通りを横切って、亀戸中央公園を抜けると、旧中川に出る。
 
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⑥旧中川を越えれば平井駅・・・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・旧中川は江東新橋 で越える。 超えると、そこは江戸川区平井の町。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・蔵前橋通りから、チョイとそれると平井駅 に出る。 駅前に着くと、ちょうど、ポッリと落ちてきたが、まだ傘は必要なさそうだ、帰ることにした。
 
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2017年9月 1日 (金)

震災記念日

9月1日は「防災の日」であるが、中高年には「震災記念日」と言ったほうが、通りがいいかも。 終戦直後に生まれた私にとっては、、、、、9月1日は、前日の夜までに、やっとこ終わらせた夏休みの宿題をもって登校する日で、昼からは震災記念堂に参り、屋台で水鉄砲・綿あめ・ヨーヨー風船を買ってもらう日であった。 生まれて70年間、隅田川を挟み震災記念堂の対岸(浅草橋)に住む私は、今でもほぼ毎年慰霊に訪れている。 今日も、朝から焼香に行ってきた。
 
 
 
●震災記念堂まで・・・・・・・・・・・浅草橋から震災記念堂までは、蔵前橋を渡り隅田川を越えれば、20分程で行くことができる。 
 
・・・・・・・・・・・・・・通勤のサラリーマンが駅から散らばる8時過ぎに、『チョクラ行って来る』と家を出た。
 
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・・・・・・・・・・・・・・創建は推古天皇9年(601)頃と言われている須賀神社(台東区浅草橋2)。  当時、この地に疫病が流行した。 ところが、このあたりの森に牛頭天王を祭った祠があり、その祠に郷の人々は病気平癒を祈った処、尽く快気した。 以来、江戸時代には 祇園社、蔵前牛頭天王、団子天王、笹団子天王、などと呼ばれ、経済力のある氏子の札差らに支えられ 祭礼も盛大に行われた。 そして明治時代の神仏分離令により、天台宗東叡山寛永寺真鏡山宝現院大円寺より分離され、須賀神社と改名した古社である。、、、、、、社殿は、関東大震災の災失、第二次世界大戦の焼失のため  昭和36年(1961)鉄筋コンクリート造にて再建された。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・須賀神社の裏には、知る人も少なくなったが、関東大震災までは閻魔堂があったそうだ。、、、、、江戸時代に華徳院という閻魔王を御本尊とする寺があった、この寺が閻魔堂である。 下谷坂本の善養寺、内藤新宿の太宗寺 と共に江戸三大閻魔のひとつに数えられ、参拝客でにぎわったそうだ。、、、、華徳院は現在は杉並区に移り、かつて閻魔堂が在った場所(浅草橋2:玩具会館)の植え込みに小さな石碑が立っている。、、、、閻魔さまが残っていれば、名所の少ない浅草橋にとっては、浅草の観音さまと勝負できる観光名所になったかも(?)
 
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・・・・・・・・・・・・・・創業文久2年(1862)、江戸時代から続く佃煮の老舗「鮒佐」。 大正3年(1914)創業は、扇子・団扇の専門店「松根屋」。 ともに、須賀神社の並びです。、、、、、、江戸の味と文化を残す老舗がしっかりとある、『ちょいとおいでよ浅草橋
 
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・・・・・・・・・・・・・・江戸通りの隅田川寄りには榊神社 (蔵前3)がある。、、、、、こちらの神社にも手を合わせ、お賽銭10円分の幸を祈る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・神社の先で隅田川に出て、蔵前橋を渡る。
 
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●震災記念堂・・・・・・・・・・・墨田区横網町公園に建つ東京都慰霊堂 。 「震災記念堂」とは、昭和51年(1976)までの呼称である。 この年、第二次世界大戦における空襲で死亡した遺骨も合祀し、「東京都慰霊堂」と改称した。、、、、本堂は文化勲章を受章した伊東忠太の設計によるもので、200坪の講堂と三重塔を持つ寺院風の建築である。 三重塔は高さ約41mで、基部は納骨堂となっている。 講堂には祭壇があり、震災死亡者、空襲死亡者の霊をそれぞれ合祀した巨大な位牌が2基祀られている。 施工は戸田組(現:戸田建設)。、、、、、今日は式典が行われることは想定していたが、それ以前に行けば焼香できると思っていたが、あまかった! “秋篠宮ご夫妻が参列”されその警備、“朝鮮人犠牲者への小池百合子都知事や山本亨墨田区長が今年から追悼文をやめた件”でのイザコザなどで、やたらめったら警備が厳重だった。
 
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・・・・・・・・・・・・・・今日は、式典前に来たのだが本堂の最前列に置かれた焼香台には近寄れず、遠くから手を合わせてきた。
 
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・・・・・・・・・・・・・三重塔の下にある納骨堂の方は、特に厳重に警備する様子もなく、焼香できた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・警察・消防・赤十字など関係機関から多くの人が出て、震災の犠牲者を慰霊する都の大法要、震災時に「虐殺」されたとする朝鮮人らを追悼する団体の式典、その犠牲者数に疑義を唱える団体の慰霊祭などが、行われていた。、、、、静かに、厳粛に、慰霊したかった一般の参列者にとっては、納得できない「震災記念日」であったかも?
 
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2017年8月10日 (木)

浅草寺の謎

朝から涼しい一日が始まった。 だがときおり、空飛ぶ雀がお漏らしたようにポツリポツリと雨粒が落ちてくる、散歩には不向きの空模様。 朝食後、浅草に出かける用事を思い出し、午前中にチョイと浅草寺に立ち寄ってきた。
 
 
 
①雷門は工事中・・・・・・・・・・・浅草の玄関口『雷門』は、天慶5年(942)に建立され、以来、幾度も焼失・再建を繰り返している。 現:雷門は、昭和35年(1960)、松下電器産業:社長:松下幸之助の寄進により、大成建設の施工で再建された。 再建後すでに50年以上の時を経て、屋根瓦等が老朽化したため、改修工事に着工したそうだ。、、、、、雷門の周囲に足場が組まれ、シートが張られている。 シートには、雷門をイメージできるよう、屋根の写真がプリントされていた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・仮囲いにあった、昭和35年当時の雷門の写真。、、、、、写真では、雷門と本堂の間にある、宝蔵門、五重塔はまだ建てられていない。 
 
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②宝蔵門・・・・・・・・・・かつては仁王門とよばれていたが、昭和20年(1945)、東京大空襲により観音堂・五重塔・経蔵などとともに焼失した。 昭和39年(1964)に大谷重工業社長:大谷米太郎夫妻の寄進により、鉄筋コンクリート造り、本瓦葺きで再建した。 この時、経蔵を兼ねて伝来の経典や寺宝を収蔵することから、仁王門から宝蔵門に改称した。、、、、、大谷米太郎(1881年7月24日~1968年5月19日)は、稲川部屋所属の元大相撲力士で、後に実業家。 太平洋戦争前は「鉄鋼王」と称され、戦後は、「日本の三大億万長者」の一人に称された。 ホテル:ニューオオタ二の創業者でもある。 夫妻の像が浅草寺裏手にある。、、、、、、雷門・宝蔵門とも、個人の寄進で建ってしまうのだから、「浅草寺」は凄いね!
 
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③五重塔・・・・・・・・・・浅草寺の五重塔は、天慶5年(942)、本堂と共に建立され、その後数度倒壊・炎上したが、その都度再建された。  徳川家光により本堂・仁王門などと共に建立された国宝五重塔は、太平洋戦争の戦火により、昭和20年(1945)、他の堂宇とともに焼失。 戦後、昭和48年(1973)に、現在の五重塔が塔院とともに再建された。、、、、、塔は、鉄骨・鉄筋コンクリート造で、地上53.32mである。、、、、、塔の内部は非公開とのこと。 一人一万円で観光客を受け入れて、上らせたら儲かると思うよ。
 
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・・・・・・・・・・・・・本堂に向かい現在の塔は左側にあるが、かつては右側に五重塔があり、戦災で昭和20年(1945)に焼失した。 その跡には、碑が建てられている。
 
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④本堂・・・・・・・・・・御本尊:聖観世音菩薩を奉安し、観音堂とも呼ばれる本堂。 国宝であった旧本堂は、昭和20年(1945)の東京大空襲により焼失し、昭和33年(1958)に現在の本堂が再建された。、、、、、、間口34.5m、奥行32.7m、高さ29.4mの鉄筋コンクリート造、本瓦葺、入母屋造り。、、、、、、平成22年(2010)には、屋根瓦を軽量のチタン瓦に葺きかえ、重さは従来の1/3となった。
 
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・・・・・・・・・・・・・・今日は本堂の周りを一周。 正面、右側面、背面、左側面の順に。
 
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・・・・・・・・・・・・・ここで、吾輩が生まれて最近まで気付かなかったことを、、、、『浅草寺の本堂は広い境内に単独で建っているが、多くの寺に見られるような、寺務所・庫裏・客殿などと結ぶ渡り廊下が無いのだ。 三社祭、初詣などの行事では、本堂を囲むように人が集まり、身動きが取れない状態となる。 このような時、僧侶の移動はどうするのかな?』 70年間、浅草寺に参り最近気づいた疑問である。、、、、、答えは“簡単”。 ナント、本堂と五重塔を結ぶ地下道が造られていたのだ! 五重塔の1階は寺務所になっており、さらに、五重塔と伝法院も繋がっている。 この事実はホントのことである、ただし訪れた人による、地下通路の写真撮影などは禁止されているようで、あまり知られていないだけ。 デズニーランドの地下に従業員の移動用通路が造られているのと同じようなものだ。
 
・・・・・・・・・・・・・チョイと本堂から五重塔を眺め、地下通路の在りそうな位置を推測してみた。
 
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・・・・・・・・・・・・・(くもじいの気分で!) 『なんじゃ、こりは? お札所の裏に、何やら怪しき構造物があるのぅ。 空気の換気設備のようじゃ。 くもみ、下りてみてみよう!』、、、、、現地でじっくり見ると、お札所とは関係なさそうで、どうやら地下通路に関係ありそうだ。 残念だが、今日の推測はここまでにしておく、、、、、
 
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・・・・・・・・・・・・・・機会あれば、ぜひ一度、地下通路を歩いてみたい! 謎を解くまでは、簡単に死ねぬ!

2017年8月 2日 (水)

浅草橋~北千住

今朝の天気予報では、『今日は曇り一時雨、気温は低く30℃以下、熱中症の心配なし』。 『ヨシ、今日は健康の為、タップリ歩いてくる!』と、我が家(浅草橋)をでて、北に向かい北千住駅まで、1万5千歩の散歩です。
 
 
 
①左衛門橋通り・・・・・・・・・・・台東区内を南北に通る左衛門橋通り(さえもんばしどおり、正式名:台第52号線)は、神田川に架かる左衛門橋 (台東区浅草橋1丁目)から、台東区入谷1丁目までである。 我が家から100m程で、左衛門橋通りの「浅草橋地区センター」バス停に出られる。、、、、、ここから、今日の散歩はスタート!
 
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・・・・・・・・・・・・・・バス停の前には、我が母校「旧台東区立柳北小学」と「柳北公園」がある。、、、、、校舎も、公園も、関東大震災の復興事業として、昭和初期に整備された。 吾輩が小学生の頃は夕飯の時刻まで、毎日のように遊んだ公園だが、今は遊ぶ子供も少なく、園内の遊具なども片隅に寄せられてしまった。
 
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・・・・・・・・・・・・・蔵前橋通りを越え、台東区小島の町。  横に入ると、如意輪観音が祀られているが、由緒は?
 
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・・・・・・・・・・・・・・春日通りとの交差点では、夏休み中の登校日か? 学校に向かう子供たちがいた。、、、、、吾輩が小学生の頃は、この日は夏休みの宿題の途中経過を持っていく日で、何も出来ていない宿題帳を見せる、いや~な日だった。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・元浅草4丁目には、左衛門橋通りに面して、江戸時代初期(徳川家光の頃)に開山した、浄土宗の誓教寺 がある。 墓地には、フランスの印象派の画家に大きな影響を与えた、浮世絵師:葛飾北斎の墓がある。、、、、、チョイト、手を合わせて行く。
 
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・・・・・・・・・・・・・・地下鉄銀座線が道路下を通り、仏壇屋が並ぶ浅草通りを横断し、左衛門橋通りは台東区松が谷に入る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・左衛門橋通り沿いに多くの寺院が並んでいる。 その内の一か寺。、、、、、日蓮宗の妙音寺は、安立院日雄聖人(元和5年寂)が開山し、慶長15年(1611)に馬喰町に創建した。 明暦の大火により、馬喰町から現在地へ移転した。、、、境内には弁財天も祀られている。、、、、“弁財天”と聞くと、オールヌードで琵琶を演じる姿が頭に浮かび、なにやら胸がドキドキしてしまう。 ここでは、残念だが姿を拝見できなかった!
 
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・・・・・・・・・・・・・・妙音寺の先(東上野6)には、親鸞聖人の門弟が建保2年(1214)下総国横曽根に創建し、慶長7年(1602)に江戸へ移転した坂東報恩寺がある。江戸では三回移転し、文化3年(1806)に現在地へ移転した。、、、、、本堂は鉄筋コンクリート造だが、チョイと古いかも?
 
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・・・・・・・・・・・・・・報恩寺から100m程北には、伊能忠敬の墓、幡随院長兵衛の墓、谷文晁の墓などがある、浄土宗増上寺の末寺:源空寺がある。 この寺も、明暦3年(1657)の大火に遭って類焼し、現在地に移転した。、、、、、本堂は最近、美しいフォルムの建物に替わった。
 
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・・・・・・・・・・・・・・松が谷二丁目交差点で「かっぱ橋本通り 」を横切ると、秋葉神社 の鳥居が見える。 ここも、チョイと手を合わせて行くことにした。、、、、左衛門橋通りには寺社が多く軒を連ね、賽銭も底をつく。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・言問通りを越えると入谷に入り、入谷1丁目で左衛門橋通りも終わる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・入谷1丁目には、昭和4年(1929)に建てられた、明治33年(1900)創業の酒屋「水上酒本店」の建物がある。 木造3階建てのどっしりした建物である。
 
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②日光街道・・・・・・・・・・・・・左衛門橋通りは入谷で終わり、50m程西側に国道4号線(昭和通り、日光街道)が通っている。 我が脚は、引き続き日光街道に移り北上する。
 
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・・・・・・・・・・・・・・明治通りと交差する大関横丁交差点をとおり、常磐線のガードをくぐり、旧「王子電気軌道」本社ビルであった梅沢写真館の前を進む。、、、、チョイと雲行きが怪しくなってきたが、“雨降らば降れ 風吹かば吹け”の境地で先へ行く。
 
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・・・・・・・・・・・・・・荒川区南千住1にある、曹洞宗寺院の円通寺 には、吾輩がこよなく愛する明治時代の几号水準点があるのだが、今日は素通りすることにした。、、、、戊辰戦争の際に傷ついた寛永寺の黒門、彰義隊の志士の墓もある。 
 
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・・・・・・・・・・・・・『中山式の腹巻』、『中山式の快癒器』と聞いてピンときた人は、かなりの年配だろう。 戦後、雑誌、新聞などで盛んにPRされた健康器具である。 幼き頃から病弱であった創業者の中山武欧氏の発明で、医療器具として大いに売れたそうだ。 もちろん、現在も製造されている。 その製造・販売元がこちらの会社「中山式産業(株)」(荒川区南千住6)だ。、、、、、屋上の看板のロゴが、昔と変わらぬ字体で懐かしいね!、、、、会社のhpより、発売当初の快癒器の写真を拝借しました。
 
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・・・・・・・・・・・・・日光街道に面する素盞雄神社では、境内に面白いものがあった。、、、、、氏子61ヶ町の手ぬぐいに風鈴を添えた旗を境内に飾り、涼を呼んでいた。 粋でいいね、気に入った!
 
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・・・・・・・・・・・・・・隅田川に架かる千住大橋 が見えた! この橋を渡れば足立区、北千住駅は近い。 でも、その前に京成本線の千住大橋駅がある。 駅は高架下にあり、日光街道に面して高架下に店舗があるはず(?) アレ・レ・無い! シャッターが降りてる?
 
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・・・・・・・・・・・・・北千住駅に近づくと、小粒の雨が落ちてきた。 駅まで急ぐ。、、、、、ほぼ濡れずに駅に到着。
 
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