台東区

2017年7月12日 (水)

橋場・千束

今日も30℃超え、連日の猛暑である。 遠くに出て行くのはひかえ、地元台東区内を散歩しよう。 今日は台東区の北の端:橋場(はしば)から、吉原遊郭のあった千束(せんぞく)付近まで歩いてきた。
 
 
①橋場不動尊・・・・・・・・・隅田川に架かる白鬚橋の西詰に通称:橋場不動尊はある。 正式には砂尾山橋場寺不動院と称する天台宗の寺院。 不動院は、天平宝字4年(760)に創建された。、、、、、江戸時代の建築様式を残す、弘化2年(1845)に建てた小さな堂は簡素な佇まいで、不動尊は下町の庶民に崇められている。
 
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・・・・・・・・・・・・・橋場不動尊参道前の道路(都道314号)の向かい側、歩道上に几号水準点が残されている。、、、、、几号水準点は、明治時代初期に内務省が実施した高低測量(水準測量)に用いた標石である。 現在では、東京から塩釜にかけ、全国約340か所に設置されたことが明らかとなっている。 内現存するのは150か所程で、その内都心に残っているのは40か所程である。  「几」は「几帳面」の「几」で「き」と読み、“机”の意味がある。 この標石に彫られた記号(漢字の“不”に似た記号)が三脚のついた机に似ていることから「几号水準点」と呼ばれる。、、、、、今から100年以上前の水準点で、しかも現在は使われていないものである。 道路を舗装管理する人も、なんだか訳わからず、埋めたり移設してはいけないものと思い込み、そのままにして現在に至ったものと思われる。
 
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②橋場の長屋・・・・・・・・・・・台東区橋場には古い家も多く残っている。 写真は木造の7軒長屋と奥に5軒長屋が見える。
 
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③お化け地蔵・・・・・・・・・・・・橋場2丁目、松吟寺の境内に享保6年(1721)に建立された、高さ3m程の地蔵尊がある。 この辺りは、室町時代以来、禅宗の名刺総泉寺の境内地であった。 門前一帯を浅茅ケ原といい、その松並木の道の傍らにこの石地蔵が祀られていた。 地蔵はかつて大きな笠をかぶり、その笠が人知れず向きをかえたから「お化け地蔵」と呼ばれたといわれている。  総泉寺は昭和4年(1929)板橋区へ移転し、「お化け地蔵」だけが、ここに取り残されたのである。、、、、、脇の常夜灯は、寛政2年(1790)に建てられた。 地蔵も常夜灯も朽ちてきたね。
 
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④出山寺・・・・・・・・・台東区清川1丁目、曹洞宗の明星山出山寺(しゅっさんじ)は、総泉寺の和尚が延宝4年(1676、江戸時代前期)以前に開山・創建した。、、、、、朱塗りの小さな本堂が印象的な寺。
 
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・・・・・・・・・・・・・・境内には、江戸時代初期、寛文の頃(1661~1673)、新吉原雁金屋の遊女「釆女」に心を寄せた若い僧侶が師から固く制され、悩んだ末、雁金屋の前で自害してしまった。 時に十七才の采女は悲しみ、浅茅ヶ原の鏡が池に身を投じた。 翌朝、草刈りの人たちが、 『名をそれとしらずともしれさる沢の あとをかがみが池にしずめば』 としるした短冊を見つけ、采女とわかり、塚に葬った。 境内には、文化元年(1804)大田南畝ら文人たちによって建立された采女塚の碑がある。、、、、、昔は遊女に惚れて己の身を滅ぼす者ばかり、今は惚れたらストーカーとなり相手の身を滅ぼす者ばかり。
 
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⑤東禅寺・・・・・・・・・・・東浅草の曹洞宗洞雲山東禅寺は、寛永元年(1624)に創建された。 寺は本堂前で、江戸六地蔵の一つ銅造地蔵菩薩坐像が出迎えてくれる。 高さは、2.71mある。、、、、、“江戸六地蔵”とは、、、、、江戸深川の地蔵坊正元が、病気平癒に感謝して、多くの人々の浄財を集め、宝永3年(1706)に江戸の出入口となる街道の6箇所に地蔵菩薩像を造立した。第一番は東海道の品川寺、第二番は奥州街道の東禅寺、第三番は甲州街道の太宗寺、第四番は中山道眞性寺、第五番は水戸街道の霊巌寺、第六番は千葉街道の永代寺である。(第六番は現存しない) 
 
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・・・・・・・・・・・・・東禅寺には、もう一つ像がある。 こちらは、六地蔵の左わきで、座して地蔵菩薩の説教を聞いている二人の老夫婦の像。、、、、、“あんパン”の「銀座木村屋總本店」創業者夫婦(木村安兵衛、ブン)の像だ、夫婦が埋葬されている寺に、大正7年(1918)に建てられた。、、、、、お供えは、もちろんアンパンだろう?
 
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⑥吉原・・・・・・・・・・・・・かつての遊郭、今はソープランド街。
 
・・・・・・・・・・・・・吉原大門の前に建った復興小学校:旧待乳山小学校 。 現在は東浅草小学校。、、、、いい場所にあったね! 放課後、スグに行けた?
 
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・・・・・・・・・・・・・「よし原大門」と記した柱が両側に立つ「仲之町通り」。モダン(?)な外装のソープランドが並ぶ、交差する脇の通りもズラリと並ぶ。、、、、、私には、目の毒、気の毒、懐の毒。 いそいそと通り抜けて行く。
 
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・・・・・・・・・・・・・通り抜けた処に、廓の守り神:吉原神社 がある。、、、、チョイと賽銭もはずみ、家内安全、身体健康を祈願する。 
 
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・・・・・・・・・・・・・神社の隣には、20年ほど前まで台東産院があり、今は台東区立の「台東病院」となっている。 我が家でも今年になって、94歳の母が内科の診察を受け、私も数回付き添いで通った。、、、、遊郭が現存していれば、入院してもいいかもね!

2017年7月 9日 (日)

四万六千日

私が住み、観音様が住む台東区では、気象庁の発表で35度を超え、『猛暑日』となった。 70歳を超えて熱中症で倒れ、救急車で運ばれ、若い看護婦さんに“下”の世話になるは、チョイと恥ずかしいので、家で自重することにした。 『散歩は休み!』のはずだった。

昼食時に、『今日はほおずき市ね!』、『昼から行ってみようか!』で即決。 夫婦で、ガンガン照りの浅草寺へお参りに行ってきた。、、、、、(昨年のほおずき市は、こちら。)

 

・・・・・・・・・・・・・汗を拭き拭き、大勢の参拝客で、暑い暑い浅草寺。

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・・・・・・・・・・・・・・大勢の人に見られて恥ずかしいのか、赤く色づいたほおずき。
 
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・・・・・・・・・・・・・・笑顔がかわいい、今年の“ほおずき娘”。
 
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2017年7月 3日 (月)

かっぱ橋本通り

朝の天気予報で、『本日は猛暑日、熱中症に注意を!』と呼び掛けている。 こんな日に散歩に出て、道路上で泡噴いて、意識を失い、ぐったりし。 見ず知らずの親切な御仁が救急車を呼んでくれ、救急隊は受け入れ先の病院を手配し、警察は家族に連絡し、通りすがりの人は「行き倒れらしいよ、飲まず食わずで、可哀そうに!」と同情し、心あるお年寄りが「食事の足しにでもしなさい」と千円札を私のふところに入れ、それを見ていた周りの人も競って財布から札束を私のふところに、、、、、、いつの間にか、私のふところには数十万円の札束が、ニヤニヤ・シメシメ、と、よろこんだ瞬間、救急病院で意識が戻り、恥をかくのがオチだ!
 
暑い日の散歩はひかえよう!、、、、、今日は朝から家にこもっていた。 でも、外出の口実はいくらでもある。、、、、3時過ぎ、『チョイと、整形外科に行ってくるよ!(万年腰痛の為、時々、腰を伸ばしてもらう)』、『その足で、浅草へ行って真夏用の帽子を買ってくるよ!』と、家を出た。、、、、と言うことで浅草へ行き、帰りは「かっぱ橋本通り」を上野まで、夕刻の散歩をしてきた。
 
 
 
・・・・・・・・・・・・・「新仲見世」をウロウロ、可愛い娘にキョロキョロ、帽子屋さん・扇子屋さん・レコード屋さんに寄りブラブラ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・「国際通り」に出た! 道の向こうに「かっぱ橋本通り」が見える。 このまま帰るのは脳がない、味噌もない、つまらない!、、、、、ヨシ、今日は「かっぱ橋本通り」を制覇しよう! 
 
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・・・・・・・・・・・・・・・「かっぱ橋本通り」は、有名な「かっぱ橋道具街」と道の中程で交差する商店街。 東の端は「国際通り」の「公園六区入口交差点」、西の端は「昭和通り」の「北上野一丁目交差点」である。 。、、、、、その昔、寛永寺の高僧が浅草寺に詣でる「御成道」として整備された。 浅草は江戸時代から庶民の娯楽の中心であった街。その浅草と上野をつなぐ幹線路として、明治・大正時代は、終日賑わいをみせていた。 明治時代には、線路の上に馬車が走る「馬車鉄道」も運行したそうだ。、、、、、かっぱ橋本通りには、3つの商店街が直線状に連なっており、総延長約1.2kmのかっぱ橋本通りは、只今、『下町七夕まつり』と称し、七夕飾りを楽しむことができる。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・一直線のかっぱ橋本通りは、どこからでも東側(浅草側)の正面にスカイツリーを望むことができる。、、、、、まるでスカイツリーを予測してつくられた道のようでもある。
 
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・・・・・・・・・・・・・かっぱ橋本通りの創業:明治36年の老舗:「どぜう飯田屋」。 「駒形どぜう」と下町の味を二分する“どぜう屋”。、、、、チョイと余談だが、私は大学生時代飯田屋の前辺りの家で、家庭教師のバイトを4年間やっていた。 夜10時頃のこの付近は、七色のネオン輝く、魅惑的な街であった。 今も面影は残るが、チョイと暗くなったかな?
 
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・・・・・・・・・・・・・・かっぱ橋本通りのイメージキャラクター:かっぱ。 通りのアッチ・コッチに!、、、、、365日立ちんぼで疲れたのか、傷ついた“かっぱ”もいる。
 
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・・・・・・・・・・・・・「かっぱ橋本通り」と直交する「かっぱ橋道具街」。、、、、、交差点付近には、平成15年(2003)に「合羽橋道具街」が誕生してから90年を迎えるにあたり、これを記念してシンボル像「かっぱ河太郎」が建立された。 像は彫刻家:西村祐一氏と工芸作家:北村真一氏の制作。 現在は暗渠となった道具街通りの下を流れる新堀川などの堀割工事を手伝ったとされる河童伝説に基づいて、台東区の支援協力のもと、道具街中央ポケットパークに建立した。
 
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・・・・・・・・・・・・・かっぱ橋(合羽橋)の由来について、、、、、、、「合羽」の由来は2つの説がある。 ①ひとつは、今はない新堀川の整備を行った雨合羽の商人、合羽屋喜八の話である。 今から200年ほど前の文化年間の時代。この辺りは水はけが悪い低地で、雨が降るたびに洪水となり、人々は困り果てていた。 そこで、合羽屋喜八が私財を投じて、水路をつくる工事に着手。 しかし工事はことのほか難航し、これをみた隅田川の河童たちが同情し、喜八の良心にも心を打たれて、夜な夜な工事を手伝い、工事は無事に完成した。 通称かっぱ寺とよばれる曹源寺には、合羽屋喜八の墓がある。 ②もうひとつの説は、橋の近くにあった、伊予新谷加藤家下屋敷にまつわる話。 屋敷に住んでいた下級武士たちは、内職に雨合羽を作っていた。 その雨合羽をこの橋にかけて乾かしていたことから「合羽橋」と呼ばれるようになった。、、、、、合羽橋はなくなり、合羽(かっぱ)伝説が残る。、、、、どちらの説にしても、“かっぱ橋”は“河童橋”ではなく、“合羽橋”である。
 
 
・・・・・・・・・・・・かっぱ橋本通りのほぼ中間地点(台東区松が谷3)に、曹洞宗の曹源寺がある。 曹源寺は、慶長3年(1598)頃、現在の丸の内に開山した、その後湯島を経て現在地へ移転した。、、、、ここには、文化11年(1814)、私財を投じて水路を造った合羽屋喜八が祀られているのだが、今日は17時を過ぎ閉門された。 残念!!!
 
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・・・・・・・・・・・・・かっぱ橋本通り曹源寺近くに、可愛い色気のある河童の像があり、『ここが台東区の真ん中 つまり「へそ」と言われている 台東区』と標されている。
 
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・・・・・・・・・・・・・かっぱ橋本通りの上野側の端、昭和通りとの交差点に到着。、、、、、汗びっしょり、でも元気だ。 熱中症にならず、よかった!
 
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2017年6月29日 (木)

谷中の墓地

梅雨の晴れ間とは言えず、曇り空である。 ひょっとすると降るかもしれず、散歩は近場にしておこうと、谷中の墓地を歩いてきた。 墓地の中を1万歩。
 
 
 
谷中の墓地・・・・・・・・・・・・台東区谷中(上野公園の北側)にある都立谷中霊園と、寛永寺墓地・天王寺墓地などを含む10万㎡を超える区域。、、、、、下の谷中霊園案内図には、黄色・緑色で色分けされた墓地の中に、寛永寺の墓地、天王寺の墓地が白色で抜かれている。、、、、、徳川慶喜の墓は、谷中霊園の中にある寛永寺の墓地の中の徳川慶喜公墓所にある。 ややこしい、わかりにくい、墓が無秩序に並んでいる谷中の墓地だ。、、、、、、元々は寛永寺・天王寺などの寺院が所有していた墓地であったが、明治政府は神仏分離政策を推し進めるため、寺院以外の神社などが管理する墓地の必要性に迫られた。 そこで、寺院が所有する墓地の一部を没収して谷中霊園とした。 それゆえ現在は、都立谷中霊園・寛永寺の墓地・天王寺の墓地などが混在し、整理のつかない墓地となった。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・墓地は無防備で、墓地の周囲に特別に柵があるわけでもない。 入口はあっちゃ、こっちゃにある。 ここは日暮里駅西口脇の入り口。
 
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・・・・・・・・・・・・・墓地のほぼ中央を抜ける、花見の名所「さくら通り」。 日暮里駅と谷中の町を結ぶ、通勤通学の主要道路となっている。 夜も人通りが多く、怖い道ではない。 五重塔跡には駐在所もある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・その「さくら通り」の中程に、谷中の五重塔跡がある。 焼けた五重塔は日蓮宗の寺院:天王寺の五重塔である。 約34mの関東では最も高い塔であった。 昭和32年に放火により焼失してしまった。 現在は礎石が残るのみとなった。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅とは反対側の「さくら通り」の端部には、谷中墓地開設とほぼ同時期に開業した生花問屋の「花重」(国登録有形文化財)がある。 明治10年(1877)に前身建物を背面側に曳屋し,木造2階建の店舗兼居室を建てた。 1階は店舗で、現在は花屋を営み、2階は3室に区切って畳敷の居室としている。 江戸・明治期の谷中の風致を今に伝える建築である。、、、、、花重の前にも風情ある「ふじむらや」の建物がたっている。
 
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・・・・・・・・・・・・・なんだ、かんだ、言っても、古い谷中の墓地だから、著名人の墓は、♪♪ワンサカ・ワンサ・ワンサカ・ワンサ・イェーイ・イェーイ・イェイ・イェーイ♪♪と並び立っている。
都立谷中霊園の案内図に載っている著名人の墓は約60基。 寛永寺・天王寺の墓地も含めると、120基を超える。、、、、、私の好みで、選んでみると、朝倉文夫(彫刻家)、天津乙女(宝塚)、稲垣浩(映画監督)、円地文子(作家)、柏戸(横綱)、河内桃子(女優)、獅子文六(作家)、ニコライ・カサートキン(宣教師)、鳩山一郎(政治家)、花柳寿輔(日舞)、森繁久彌(役者)、横山大観(日本画)などがある、、、、、いくつかの墓を紹介すつ。
 
・・・・・・・・・・・・・19代横綱:常陸山の墓。 引退後は出羽海谷右衛門を名乗る。
 
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・・・・・・・・・・・・・浅草「神谷バー」の創設者:神谷伝兵衛の墓(写真:左側)。 伝兵衛さんはハチブドー酒 も出荷した。
 
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・・・・・・・・・・・・・歌舞伎役者:市川圓蔵の墓。 写真右から六代目、七代目、八代目。 六代目市川圓蔵(1800~1871)は五代目圓蔵の未亡人の養子。 七代目圓蔵(1836~1911)は六代目の養子。 八代目圓蔵(1882~1966)は七代目の次男坊。 当代:九代目は八代目の子である、まだ墓はない。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・初代三遊亭圓遊(嘉永3年(1850)~明治40年(1907))は明治時代に活躍した落語家。 江戸小石川の出身。 実子は落語家を継いだが、芸未熟にして花柳流の師匠となる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・『牧野日本植物図鑑』の著者:牧野富太郎博士(文久2年(1862)~昭和32年(1957))の墓。 草花を愛し、植物学に貢献した学者。 『雑草という名の植物は無い』と言った人。 うまいこと言う人だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・戦前から戦後にかけての二枚目スターの代表格、長谷川一夫(明治41年(1908)~昭和59年(1984))の墓。  小さな石塔が並ぶ、中央が長谷川一夫(林長二郎)の墓石。 あの大スターの墓にしては小さすぎるね。
 
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・・・・・・・・・・・・・こちらは墓ではないが、「オッペケペー節」の川上音二郎(文久4年(1864)~明治44年(1911))の顕彰碑の台座。 台座の上の、音二郎の像は戦中に金属供出で無くなった。 ちなみに墓は博多の承天寺にある。
 
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・・・・・・・・・・・・・川上音二郎の顕彰碑の近くには、毒婦高橋お伝(嘉永3年(1850)~明治12年(1879))の墓がある。 高橋お伝は、日本で最後に斬首刑に処せられた女囚と言われている。 ここ谷中の墓地には骨は無く、本当の墓は小塚原回向院 にある。
 
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・・・・・・・・・・・・・さて、谷中の墓地と言えば徳川慶喜(1837~1913)の墓。 谷中の墓地の中程、寛永寺の墓地の中に柵で囲われ、夫人と共に葬られている。、、、、、歴代の将軍とは異なり、円墳状の質素な墓である。
 
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・・・・・・・・・・・・・そして渋沢栄一の墓。 渋沢栄一(天保11年(1840)~昭和6年(1931))は徳川慶喜の家臣として仕え。 大政奉還後は官僚、実業家として、第一国立銀行や東京証券取引所などといった多種多様な企業の設立・経営に関わり、「日本資本主義の父」ともいわれる。 その墓が慶喜の墓の近く、広い区画の中に巨大な大きさの墓石が建っている。(中央が渋沢栄一の墓)
 
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・・・・・・・・・・・・・谷中の墓地は鶯谷~日暮里間のJR線路際まで広がっている。 その線路沿いには、キリスト教の教会墓地が並んでいる。 十字架を墓石に刻み込んだ墓が崖に沿って並ぶ様子は、なんとなく私に、キリスト教徒の迫害を思い出させてしまった。
 
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・・・・・・・・・・・・・・「さくら通り」に面し天王寺山門前、市川圓蔵の墓と神谷伝右衛門の墓の中間付近に明治時代の水準測量の基準点である「几号水準点」が残されている。 明治8年(1875)頃、内務省による大三角測量の際に設置されたものと推定されている。 おそらく通る人も、この石が何であるか気づかず通り過ぎていると思われる。 ひょっとすると、邪魔な石だと思われているかも?、、、、、上野公園周辺にはこのほかに、東照宮鳥居脇 谷中浄名院入口下谷三島神社 などに几号水準点を見ることができる。
 
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2017年6月23日 (金)

上野東照宮

朝一で、上野の病院で診察を受け、その足で上野東照宮に立ち寄ってきた。 不覚にも、万歩計は携帯せず。 

 

①東京文化会館・・・・・・・・・・建築家:前川國男(明治38年(1905)生~昭和61年(1986)没)の代表作で、昭和36年(1961)日本建築学会賞作品賞を受賞した。 戦後の早い時期に建てられ、50年経過した今でも古さを感じさせない、東京の本格的なクラシック音楽のホールである。 平成11年(1999)には大規模な改装も行われた。、、、、、前川國男は私の好きな建築家の一人。 東京都文化会館は大学受験に際し建築学科を志望するきっかけとなった作品。

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②小松宮彰仁親王銅像・・・・・・・・・上野公園の銅像と言えば、「西郷さん」しか、思い出せない人が多い。、、、、、動物園正門の左わきの木陰に小松宮彰仁親王の銅像がある。 この小松宮彰仁親王(弘化3年(1846)生~明治36年(1903)没、慶応3年(1867)には東伏見宮嘉彰と改称。)は、皇族であり、戊辰戦争、西南戦争に参戦した軍人。 また、日本赤十字社の前身:博愛社の総長でもあった。、、、、、西南戦争では西郷軍を征伐する側で敵対関係になる。 銅像になっても、上野の山で争わぬように、2体の銅像は離されて置かれているようだ。
 
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③グラント将軍植樹碑・・・・・・・・・・・小松宮彰仁親王の銅像の裏側に、昭和4年(1929)に建てられたグラント将軍植樹碑がある。 グラント将軍は南北戦争時代の北軍の将軍で、南軍のリー将軍と並ぶ有名な将軍。、、、、、、明治10年(1877)から約2年間、グラント将軍は家族同伴で世界を周遊した。 その際、来日し、明治12年8月25日、上野公園で開催の大歓迎会に臨み、将軍はロウソン檜、夫人は泰山木を記念に植えた。 碑は、正面に将軍の胸像を刻み、左右に和文、英文で、将軍の略歴・日本滞在中の歓迎の模様、植樹の由来を記している。、、、、、私には、ジョン・ウェインが主演した西部劇の時代の将軍だ。 来日したことを知る人も少ないだろうね。
 
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④上野東照宮・・・・・・・・・上野動物園の南側にある、東照大権現(徳川家康)を祀る神社。、、、、元和2年(1616)、危篤の家康から自分の魂が末永く鎮まる所を作ってほしいと藤堂高虎と天海僧正に遺言され。 寛永4年(1627)、藤堂高虎が上野の高虎の敷地内に創建した。 現社殿は慶安4年(1651)に徳川家光が改築した。 平成の世に社殿は修復工事が行われた。
 
・・・・・・・・・・・・・動物園の南隣にある大石鳥居。 寛永10年(1633)に酒井忠世が奉納した、備前の御影石を使用した鳥居。 国指定重要文化財。、、、、、右端の売店が戦後の上野の象徴か?
 
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・・・・・・・・・・・・・・大石鳥居をくぐると水舎門(神門)がある。 水舎門をくぐると、参道の左右に200基以上あると言われている石灯籠が並ぶ。 ほとんどが現在の社殿を建築した慶安4年(1651)に諸大名より奉納されたものらしい。、、、、一基ぐらい無くなってもバレそうもないが、盗む人はいないようだ。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・水舎門の手前左奥にある「おばけ灯籠」。 寛永8年(1631)に織田信長の武将:佐久間盛次の四男である、信濃の佐久間大膳亮勝之が寄進したもの。 高さ6.06m、笠石の周囲3.63mで、京都南禅寺、名古屋熱田神宮の大灯籠とともに日本三大灯籠である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・参道の柵越しに見える、動物園の中の旧寛永寺五重塔。 この塔はもともと上野東照宮の一部であった。 明治の神仏分離令により寛永寺の所属となり、さらに昭和33年(1958)に同寺より東京都に寄付され、現在では上野公園の管理下にある。 塔は寛永8年(1631)に建立され、寛永16年3月に花見客の失火により焼失し、現存する塔はその後直ちに再建されたものである。 高さ32.3m。 国指定の重要文化財。、、、、、周囲にライオン、ヒョウなどを放し飼いしたら来園者によろこばれるかもね。
 
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・・・・・・・・・・・・・・明治7年(1874)に深川木場組合から奉納された神楽殿。 屋根勾配の美しさは評判が高い。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・唐門前に並ぶ、諸大名から奉納された全48基の銅灯籠。 中には紀伊・水戸・尾張の徳川御三家より2基ずつ寄進されたものもある。 国指定重要文化財。、、、、、だいぶ劣化したものもあるようだ、修理できないものか?
 
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・・・・・・・・・・・・・慶安4年(1651)に造営された唐門と社殿。 国指定重要文化財で、社殿内は非公開。 金色殿とも呼ばれており、参道側から拝殿、幣殿(石の間)、本殿の三つの部屋から構成される権現造りです。 唐門は唐破風造り四脚門。
 
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・・・・・・・・・・・・・・明治6年(1873)、江戸城内紅葉山東照宮より移築した不忍口鳥居。 御影石で造られた大きな鳥居である。 この鳥居の足元(〇印)に、明治時代の水準測量に使用した几号水準点が残されている。 もちろん、現在は使用されていない。   
 
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⑤五條天神社・花園稲荷神社・・・・・・・・・・東照宮不忍口を出て、不忍池弁財天の方向に歩くと、五條天神社・花園稲荷神社がある。 ここには、医薬祖神の五條天神社(ごじょうてんじんじゃ)と、倉稲魂命を祭神とする花園稲荷神社が並び祀られている。
 
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・・・・・・・・・・・・・五條天神社の祭神は大国主命と少彦名命で、この二神は「薬祖神」として祀られています。 確かに皮を剥がれた因幡の白ウサギを助けたり、温泉の神と崇められている。 また、“天神さま”の菅原道真公は、寛永18年(1641)に合祀された。
 
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・・・・・・・・・・・・・・五條天神社のすぐ隣に花園稲荷神社がある。 元々は弥左衛門狐を祀った稲荷神社であった。 現在でも、旧社殿に石窟が残っており、穴稲荷が祀られている。
 
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⑥不忍池・・・・・・・・・・・ハスの咲き具合を観察して帰ることにした。 一面、葉が茂り、夏到来を感じさせるが、ハスの蕾は探さないと見つからない。 開花まであと一か月程かかるかな?
 
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2017年6月22日 (木)

浅草の外人さん

午後3時過ぎから、ブラリ浅草へ行ってきた。 毎度見慣れた光景だが、来日する外人さんのお国も中国・韓国から広がりワールドワイドである。

・・・・・・・・・・・・・・・横一列、顔が写っている人は全員外人だ。 右から中国、後ろ向きは?、中央はフランス、その後ろ3人は韓国、左は台湾、、、、、以上、私の推測。

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・・・・・・・・・・・・・・・一目で外人と判る外人。 間違いなく、外国籍の人です。

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・・・・・・・・・・・・・・貸衣装も、着付けが上手で、着こなしもうまく、髪飾りから足袋までバッチリ揃い、一見すると日本人、会話を聞くと???・・・・・?  ウ~~、かわいい娘が多くなった、浅草もより楽しくなるね!

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・・・・・・・・・・・・・安心安全な観光地“日本”。 お子様連れの来日も増えている。

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・・・・・・・・・・・・・・浅草へ来た外人は、百人百人が記念撮影すると思う。 良き思い出を土産に持って帰ってね!

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2017年6月14日 (水)

東上野の裏街

数週間前から男の大事な一物に痛みを感じ(病名・原因は?)、今日は東上野の総合病院でCT検査をしてきた。 検査後は、病院周辺をぶらつき、上野駅から歩いて帰ってきた。
 
 
 
①永寿総合病院・・・・・・・・・・・病院の前身は戦前から元浅草(地下鉄銀座線稲荷町駅前)にあった古い病院で、昭和40年代頃は健康な人でも入院すると病気になるようなボロボロの病院であった。、、、、その病院が東上野にあった旧西町小学校の跡地に引っ越し、建てた病院が現在の永寿総合病院である。、、、、、私は、この病院にはかなり世話になっており、救急で2回運ばれたことがある。 今日の検査もここで受けた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・病院正面玄関前に建つ戦前の長屋建築。 現在は4軒長屋となっているが、以前は右側に一軒あり、5軒長屋であった。  味がある2階の窓(右側)は完全に当時のままと思われる。 昭和初期の建物か?
 
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・・・・・・・・・・・・・病院敷地内にある旧西町小学校跡の碑。 この地に、関東大震災の復興小学校として、昭和4年(1929)に鉄筋コンクリート造、3階建ての校舎が建てられた。 卒業生には、池波正太郎(作家)、中原ひとみ(女優)、萩本欽一などがいる。 ついでに、今日94歳になった我が母も卒業生の一人である。 鉄筋コンクリート造の小学校より丈夫で長生きの母である。
 
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②駅前旅館街・・・・・・・・・・・昭和通りを挟み上野駅の南側、東上野2丁目には小さな旅館・ビジネスホテルが数軒ある。 以前はもっと多く、“昭和のビジネス旅館街”。、、、、、私が知るのは、戦後、上野駅を利用する観光客・行商人などが利用していたようだ。
 
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③東上野コリアンタウン・・・・・・・・・・・・旅館街につづく南側に、これまた、焼肉屋が並ぶコリアンタウンがある。、、、、戦後の混乱していた時代、昭和23年に、「御徒町商店街」から枝分かれし「上野親善マーケット」として焼肉店・キムチ店・肉店・民族衣装店などが集まって始まった。 都内最古のコリアンタウン。、、、、、ここでの飲食は、激安である。 ただし、店の規模などには文句を言わないこと! 
 
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④ああ上野駅・・・・・・・・・・・上野駅は明治18年(1883)7月に日本鉄道のターミナル駅として開業した。 誰もが知る、上信越・東北方面の玄関口であるが、大正12年(1923)の関東大震災にて旧駅舎は焼失した。 現在の駅舎は、震災復興建築として建てられた、出入口が上下に分離された立体式であったが、平成14年(2002)に改装された。、、、、、建物は、鉄道省技官:酒見佐市の設計、鹿島組の施工で、昭和7年(1932)に竣工した。
 
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・・・・・・・・・・・・・・上野駅広小路口を出ると右側のガード下に、井沢八郎が歌う『あゝ上野駅』の歌碑がある。 歌は御存じ、、、♪♪ どこかに故郷の香りをのせて 入る列車のなつかしさ 上野は俺らの心の駅だ くじけちゃならない人生が あの日ここから始まった ♪♪、、、、私には、集団就職の経験はないが、当時を知る同世代の一人として、集団で上京した、彼ら彼女らに贈る応援歌として、この歌を忘れることはないであろう。
 
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●・・・・・・・・・・・・そろそろ、日も落ちてくる時刻、御徒町を抜けて我が家へ帰る。
 
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2017年6月 4日 (日)

お祭り - 散歩は休み

JR浅草橋駅周辺は、駅裏の銀杏岡八幡神社の祭礼で、昨日から大変な人出、今日も朝から10万人の人出となり、江戸通りには交通規制がひかれ、各処に機動隊が出動し交通整理にあたる。、、、、、と言うのは、夢のまた夢。
 
浅草橋駅周辺の銀杏岡八幡神社(浅草橋)、 篠塚稲荷神社(柳橋)、 榊神社(蔵前)の祭礼が、昨日・今日と行われているのは事実であるが、見物人はパラパラ寂しいものだ。
 
町会女性部に属する妻は、この一週間準備に奔走し、昨日・今日は揃いの浴衣姿で御神酒所つとめ。 肺活量が小さくなり祭りに参加できない私は、90歳を超した母と我が家で祭り見物、散歩は休み。
 
 
・・・・・・・・・・・・・普段の日曜と変わらぬ江戸通りだが、駅前から『・・・オリャ、オリャ、オリャ・・・』の掛け声が聞こえる。 神輿が駅裏の神社に向かうのだが、知った顔がない。 担ぎ手はよそ者か?
 
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・・・・・・・・・・・・・・・普段は駅裏にあって広い神社の境内も、今日は屋台・お囃子・本社神輿が並び狭くなる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・高架のホーム下をねり歩く神輿。、、、、さすが、都心の知られざる祭り、警備のお巡りさんも一人だけ、スマホで撮る人も一人・二人、カメラを向けるのが恥ずかしくなる雰囲気!
 
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・・・・・・・・・・・・・・柳橋の篠塚稲荷神社の神輿、、、、、、子供の姿は皆無。 一言、『寂しい!』
 
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・・・・・・・・・・・・・・・蔵前の榊神社、、、、、、、こちらもお祭りです、あかりを灯して待ってます。 
 
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2017年5月 5日 (金)

浅草橋~東中野

浅草橋の我が家から、総武・中央線沿いに飯田橋まで行き、そこから地下鉄東西線の神楽坂、早稲田をとおり、馬場下交差点からは学習院女子大、百人町アパートを抜けて東中野駅までの散歩です。、、、、GWのすいた都心を歩いてきた。
 
 
 
●am7:50・・・・・・・・・・・・浅草橋駅西口をスタートする。、、、、秋葉原の隣だが、人影も少ない寂しい駅である。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・両国~浅草橋~秋葉原~お茶の水間は昭和7年の開業で、この間の高架部分、架道橋は当時のままである。 耐震工事のため高架下の建物は壊され、スッポンポンの状態で、チョイト悲しい姿をさらしている!
 
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●am8:00・・・・・・・・・・・・秋葉原駅昭和通り口を通過。
 
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●am8:20・・・・・・・・・・・・昌平橋交差点を通過。、、、、、、神田川 に架かる昌平橋は関東大震災のあった大正12年(1923)に、震災直前に完成した。 そのため、昭和 5年(1930)に修復工事が行われた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・交差点の頭上には総武線の松住町架道橋が架かる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・また昌平橋からは、神田川の川幅いっぱいに大股を広げた総武線神田川橋梁が見える。 お股の奥には丸ノ内線神田川橋梁聖橋(工事中)が見える。
 
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●am8:25・・・・・・・・・・・・昌平坂を上る。、、、、、、別名「相生坂」とも言う、湯島聖堂前の昌平坂を上り丸ノ内線お茶の水駅に出る。、、、、、急な坂ではないがダラダラ上る坂は、手術で肺活量が小さくなった私にはキツイ!ゼイゼイ・ハアハア、美人を見るとドキドキ・ビクビク。
 
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●am8:40・・・・・・・・・・・・引き続き、お茶の水坂を下る。、、、、、、お茶の水と水道橋の間で、神田川の北側(文京区、外堀通り)にある坂。、、、、、、今日の外堀通りは行きかう車も少なく、神田川沿いの緑を眺め歩くのは、気分爽快。
 
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・・・・・・・・・・・・・坂を下ると水道橋交差点に出る。 右に後楽園遊園地、左に水道橋駅
 
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●am9:00・・・・・・・・・・・・飯田橋交差点を通過。、、、、ここからは、地下鉄東西線のルート沿いに歩く。
 
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●am9:20・・・・・・・・・・・・神楽坂駅を通過。、、、、飯田橋からは、熊谷組本社牛込消防署を通り、裏道を歩いて坂上(新宿区矢来町)にでる。
 
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●am9:40・・・・・・・・・・・・早稲田町の龍善寺を通過。、、、、早稲田通りに面してたつズングリ・ムックリの寺院が、真宗大谷派の龍善寺。 寛永15年(1638)千駄ヶ谷に天台宗寺院として創建し、その後、寛文7年(1667)早稲田に移転した。、、、、なんだか、チベットの寺院を模したような建物で好きになれないね。
 
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・・・・・・・・・・・・・・道路を挟み龍善寺の隣、小さな祠に落馬地蔵が祀られている。 寛永3年(1626)、三代将軍徳川家光が鷹狩をしに高田馬場へ向かう途中、ここで急に馬がいななき、立ち上がったため落馬した。 馬の名手だった家光が落馬するには、何かあったのだろうと、村人が調べると、近くを流れる川の橋の下から1体の地蔵菩薩の石像が現れた。 そのことを、家光に報告すると「尊いお地蔵様を粗末にしたからだ」と家光は「落馬地蔵」と名付けお堂を作ってお祀りするように命じた。、、、、家光が命じたわりには、粗末な祠に祀られているね。 隣の龍善寺に堂を寄進してもらうといいね。
 
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●am9:50・・・・・・・・・・・・早稲田駅を通過し、穴八幡宮鳥居前から東西線にサヨナラして、諏訪通りに入る。
 
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●am10:10・・・・・・・・・・・・穴八幡から諏訪通りに入ると、これまた嫌いなダラダラの上り坂。 早稲田大学、戸山公園の前をとおり、長い煉瓦塀が伸びる学習院女子大前に出る。 坂道は終わり諏訪神社前を抜けると、前方に山手線のガードが見えた。
 
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●am10:20・・・・・・・・・・・・諏訪通りの先で西武新宿線・埼京線・山手線の上下6線が走るガードをくぐり山手線の外に出る。、、、、これで、秋葉原から高田馬場まで山手線を横断したしたことになる。 御苦労!
 
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●am10:30・・・・・・・・・・・・百人町の都営アパートを内を突き抜ける。 ここを抜けると神田川に出て、川沿いに歩けば東中野駅。
 
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●am10:50・・・・・・・・・・・・東中野駅へ到着。 今日の散歩はここまでとする。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・・・今日のルートの総延長は9.6km程、歩数は1万6千歩。、、、ア~ア、疲れた!
 

2017年5月 2日 (火)

浅草橋~泉岳寺

我が家(浅草橋)から、江戸通りを歩き「室町三丁目交差点」へ、ここで中央通りに入り、三越前、日本橋、銀座、大門、三田をとおり都営浅草線泉岳寺駅までの散歩です。 

 
 
 
●am7:40・・・・・・・・我が家をあとに、男一匹南に向かう。、、、、、GWなのに、駅前には通勤する人が、かなりいるね。 学生もいるようだ。 学校では、交代で生徒の半数は休みにしてあげれば、よろこばれるのに!(?)
 
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●am7:50・・・・・・・・総武快速線馬喰町駅を通過。 駅の周囲は、“御祭礼”の提灯がぶらさがる「横山町」の繊維問屋街。 提灯は、来週末に予定されている神田明神の祭礼。、、、、いよいよ、我が町(浅草橋)の周辺は“お祭りモード”となる。 神田明神、下谷神社、鳥越神社、蔵前神社、三社さま、と毎週のように続く。 
 
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●am8:10・・・・・・・・地下鉄日比谷線小伝馬町駅を通過。
 
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●am8:20・・・・・・・・江戸通りと中央通りが交差する「室町三丁目交差点」。、、、、中央通り沿いに、三井タワー、COREDOなどの、再開発事業が続いている。
 
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・・・・・・・・・・・・・ここ室町も神田明神の氏子で、三越でも“お祭りモード”。 提灯・神輿と飾られていた。
 
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●am8:35・・・・・・・・お江戸日本橋を通過。 、、、、、♪コチャエ、コチャエ♪
 
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●am9:00・・・・・・・・かつて京橋川に架かっていた京橋を通過。  京橋川は昭和34年(1959)に埋め立てられ東京高速道路となった。
 
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・・・・・・・・・・・・・・京橋の高速道路脇に、リニューアルの終わった警察博物館がある。、、、、、GWに行く処のない人は、ここがお薦め。 入場無料ですいている、しかも、手口を見破られないように事前に犯罪の知識習得ができる。 予習を大切に!
 
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・・・・・・・・・・・・・・頭上を走る高速道路をくぐれば、そこは銀座一丁目
 
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●am9:10・・・・・・・・「銀座四丁目交差点」を通過。、、、、、、まだ、店は開いておらず、通る人も少ない、鳩も安心して銀ブラできる時間だ。
 
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●am9:12・・・・・・・・2週間程前の4月20日に開業、241のブランドが集結した銀座で最大の商業施設「GINZA SIX」を通過。 店が開くのを並んで待つ人もいる。
 
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●am9:30・・・・・・・・「新橋駅前ビル」を通過。、、、、玄関先には「狸広(たぬこう)」の像がお出迎え。 戦後、闇市の時代、駅前には「狸小路」なる呑み屋街があった。 その呑み屋街は昭和41年(1966)に、現在の駅前ビルに変わり。 ビルの中に入り「狸広場」となった。 「狸広」は広場のシンボルとしてつくられた。 大きな金玉袋が特徴か? 
 
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●am9:50・・・・・・・・都営浅草線大門駅を通過。、、、、銀座を過ぎると、中央通りは第一京浜となり品川方向に向かう。
 
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●am10:00・・・・・・・・古川に架かる金杉橋を通過。 ここでも、頭上に首都高が走る。 毎度々々、景観を邪魔する首都高だ!
 
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●am10:20・・・・・・・・三田駅の手前で日比谷通りが第一京浜に合流する。 そして、浅草線三田駅を通過。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・三田駅近く、ここでも、三菱自動車工業のビルの前に「江戸開城 西郷南洲 勝海舟 会見之地」の碑がある。 幕末、ここには薩摩藩蔵屋敷があり、明治政府代表の西郷隆盛と徳川幕府代表の勝海舟による会談が行われ、無血開城が取り決められた。
 
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●am10:30・・・・・・・・「札ノ辻交差点」から東京タワーを望み、笹川記念館前では母を背負う像を眺め、泉岳寺駅前で高輪大木戸跡をじっくり見る。、、、、、なんだか、旅費を値切った修学旅行みたい。
 
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●am10:35・・・・・・・・都営浅草線泉岳寺駅から帰宅する。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・本日歩いたコースは総延長約9.0km、1万7千歩。 天気も良く、汗かく散歩であった。

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