台東区

2018年5月 1日 (火)

目黄不動 (永久寺)

今日は5月1日、いみじくも『目の日』(?)である、英語で『May Day』と書く。 江戸五色不動巡りも今日が最後の6番目で、目黄不動の永久寺(台東区三ノ輪)へ行ってきた。
我が家のある浅草橋は台東区の南端、目黄不動の三ノ輪は北端で、台東区を南北に縦断し、さらに帰りは日暮里に出たので、1万3千歩の散歩となった。 
 
 
 
①浅草橋から浅草へ・・・・・・・・・・我が家から三ノ輪に出るには、江戸通り・国際通りを歩けば、最短時間、最短距離で到達できる。 今日もこのルートで三ノ輪へ向かうことにした。
 
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②感應稲荷神社・・・・・・・・・・・国際通りに面し、浅草ビューホテルの南側にある稲荷神社。 感應(かんのう)稲荷神社の創建年代は不詳であるが、武蔵野国豊島郡江戸郷芝崎(現:千代田区大手町)に鎮座していたが、二度の遷座を経て、明暦3年(1657)に現在地(台東区西浅草3)に鎮座された。、、、、、かなり小さな神社で、わざわざいくほどの神社ではない! 行ってガッカリ、見てガッカリ、腰はギックリ、最後はポックリ。
 
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③西徳寺・・・・・・・・・・・お酉さまの鷲神社の斜め前、国際通りに面して真宗佛光寺派寺院の光照山西徳寺がある。、、、、、西徳寺は、当時新興都市であった江戸の出張所として、京都五條坊門にあつた寺跡を移し寛永5年(1628)金助町(本郷付近)に創建された。 ところが、その後わずか50年の間に3回の火災に見舞われてしまう。 その中には八百屋お七で有名な「振り袖火事」も含まれているが、そのたびごとの再建で、すっかり疲弊してしまう。 そこで、疲れた住職・檀信徒が協議の上、当時まだ江戸郊外であった現在地(台東区竜泉1)に移転した。時は天和3年(1683)のことであった。 しばらく落ち着いていたが、大正12年の震災では、堂宇は全滅し廃墟と化した。 こうした困難の中、再び檀信徒一同立ち上がり、直ちに本堂再建に向かい昭和5年(1930)5月に、現在の本堂が鉄筋コンクリート造で再建された。 参詣席は当時としては珍しい椅子式である。
 
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飛不動 ・・・・・・・・・・・鷲神社の北には、パイロット、キャビンアテンダント(CA)など、空を飛ぶ人に愛されている飛不動正宝院がある。 正宝院は、享禄3年(1530)の創建といわれる修験寺院。 当寺の住職が大和国大峰山に不動尊像を持って修行に行ったところ、不動尊は一夜にして当地へ飛びかえり、人々に御利益を授けたことから、江戸時代初期には「飛不動」と称された。、、、、、飛行機が怖い私。 飛行機に乗ると、スチワーデスが観音さまに見え、私にはお不動さまより、スチワーデスに守られているように思える。 美人であればあるほど御利益ありそうだ。、、、、ところで、平成10年(1998)で、スチワーデスの呼称は廃止され、CAに変わってしまった。 昔の呼称の方が良かった、スチワーデスが好きだ!
 
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⑤目黄不動(永久寺)・・・・・・・・・・国際通りが昭和通り(日光街道)にぶつかる大関横丁交差点。 交差点の地下は東京メトロ日比谷線三ノ輪駅。 この交差点から30m程東によると養光山永久寺がある。、、、、、永久寺は現在天台宗の寺であるが、真言宗の寺として開創したが衰退し、再興して禅宗の寺「白岩寺」と改めたが再び衰退。 寛文7年(1667)に中興し永久寺と称した。 元禄年間には日蓮宗の蓮台寺と改宗したが、後に天台宗に改め養光山永久寺として再び中興した。 なんとも節操がない、信念がない、変遷の多い寺だ。、、、、、、境内はさほど広くはなく、モダンな本堂の建物が道路際まで建てられている。 山門と呼ぶような門はなく、住宅のような構えで通り過ごしてしまうかも。 本堂も、見えるところに賽銭箱などもなく、どこで手を合わせるのか、判りまちぇ~~ん?
 
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・・・・・・・・・・・・・本堂の横に不動堂があった! 小さな穴から中を覗くと、目黄不動尊が安置されていた。、、、、、見たかぎりでは、お不動さまは黄疸ではないようだ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・これで、江戸五色不動の五色・六寺は全て巡った。 満願成就で、ジャンボが当たる! 私も、まもなく億万長者になるであろう。
 
・・・・・・・・・・・・・・ちなみに、江戸五色不動で巡った寺は、、、、、目青不動 (教学院:世田谷区太子堂)、目白不動 (金乗院:豊島区高田)、目赤不動 (南谷寺:文京区本駒込)、目黒不動 (瀧泉寺:目黒区下目黒)、目黄不動(永久寺:台東区三ノ輪)、目黄不動(最勝寺:江戸川区平井)の6寺。
 
 
⑥日暮里駅まで歩く・・・・・・・・・・・・暑い、暑い、散歩だった!
 
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2018年4月21日 (土)

一言不動 (浅草寺)

陽が傾き始めた頃、浅草に行ってきた。 チョイト、浅草寺に手を合わせて帰るつもりだった。  すると、御公家さんカブレの花魁の出来損ないのような口調で、観音さまの声が聞こえた、『マチャレ、浅草寺にもお不動さまが居るザマス、チョイト御挨拶をして行ってクンナマシ。』、、、、、そうだ、五色不動巡りの“おまけ”で、浅草寺のお不動さまに会って行こう。
 
 
 
●週末の浅草寺・・・・・・・・・混んでいる。 中国、韓国、タイ、インドネシア、フランス、アメリカ、カナダ、どの人がどこの国の人かサッパリ判らん。 何しろ外人が多い。、、、、かつては、修学旅行・農協の団体さん、はとバスの御一行が多かった、遠い昔(?)のこと。 いまは、外人さんの個人旅行が多く、揚げ饅頭、きび団子を食べながら、ワイワイ、ガヤガヤ。
 
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●浅草不動尊・・・・・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・浅草寺のお不動さまはいずこに? チョイト探してみたら、ナント、宝蔵門(仁王門)の西側スグ横に「浅草不動尊」がある。 「浅草(あさくさ) 不動尊」で、「浅草寺(せんそうじ) 不動尊」ではないの? 、、、、、写真:右端が宝蔵門、中央に五重塔、左側の赤い矢印の屋根が浅草不動尊である。
 
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・・・・・・・・・・・・・『これが、浅草寺のお不動さまか。 いつも前を通っているが、ほとんど意識しておらず知らなかった。』 70余年通った浅草寺だが、はじめてお不動さまを意識し、その姿を見たく賽銭箱の処まで行き、内部を覗く、真っ暗で何も見えない。 住職か(?)、寺の関係者らしき人に睨み返され、嫌われ、お不動さまの姿は拝めず、あきらめた。
 
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・・・・・・・・・・・・・堂には「不動尊」の提灯が下がり、堂の横には「なでぼとけ」の像もある。
 
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・・・・・・・・・・・・・由緒ぐらいは知りたいので、チョイト調べてみたら、ナンジャ・コリャ?、、、、、「浅草寺」のホームページにはなにも書かれてない。 別のホームページでは、ここは天台宗の「宝光山大行院」と称し、厄除け、開運、虫封じにご利益がある寺らしい。 関東三十六不動霊場の22番目の札所であったが、現在は札所からはずされているようだ。、、、、、ちかくにあった、浅草寺の境内案内図にも名前がない。 破線の丸印が宝光山大行院。 完全に浅草寺の境内の内にあるが、浅草寺に属する院ではないらしい。 一体どうなっているのか?、、、、、チョイト謎の多い寺院だな! 観音さまとお不動さま、ひょっとすると“男女の確執”か?
 
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●一言不動・・・・・・・・・・浅草寺のお不動さまは、いずこかや?
 
・・・・・・・・・・・・ありました、居ました、浅草寺のお不動さまです。 本堂の西側、薬師堂の隣りの小さな堂の中でコチンコチンになっています。
 
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・・・・・・・・・・・・・名は「一言不動尊(ひとことふどうそん)」と云う。、、、、“一言多い”口うるさいお不動さま? そうではなくて、一言の願いを叶えてくれるありがたいお不動さま。
 
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・・・・・・・・・・・・・チョイト、扉の格子から覗いてお姿拝見!
 
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・・・・・・・・・・・・・早速、一言の願い、『次回のジャンボ、7億円当たりますように!』
 
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●・・・・・・・・・・・・・・これで、7億円は我のものとなる。 しめ、しめ。

2018年4月 6日 (金)

浅草橋~梅島

今日は、散歩をはじめた原点に立ち戻り、“健康のため”速足で、チョイト遠くまで歩いてきた。 浅草橋の我が家から、国際通り、日光街道、墨堤通りを通り、東武伊勢崎線の梅島駅まで、1万7千歩の散歩です。
 
 
 
● a.m.7:36・・・・・・・・・いつものように浅草橋駅から出発。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・・浅草橋は、お江戸日本橋と浅草観音様のちょうど中間に位置し、秋葉原の隣りでもあり、成田・羽田の空港には乗り換えなしの電車で一本、スカイツリーも地下鉄で4駅目、東京・上野駅までは15分新幹線に乗るのも便利、外人さんが好きな“下町”のド真ん中、など、地の利に恵まれている。 浅草橋駅周辺は只今ホテル建設が盛んで、駅の裏道を入る我が家の近くでも建設中。、、、、帽子好きのおばさんが経営する〇パホテル、店名に地名を並べたがる〇横イン、道順が判りにくいルー〇イン、など、ビジネスホテルがめじろ押し。、、、、ちなみに浅草橋駅から東武浅草駅まで、この間ビジネスホテル・旅館は30軒以上ある。 数えてみたが途中でやめた!
 
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● a.m.7:46・・・・・・・・・蔵前一丁目交差点を通過。、、、、交差点の南西角に「天文台跡」の案内板がある。 この付近に、江戸時代後期、幕府の天文・暦術・測量・地誌編纂・洋書翻訳などを行う施設として、天文台がおかれていたそうだ。 現在はスモーカの喫煙所である。
 
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● a.m.7:48・・・・・・・・・蔵前一丁目交差点の北側100m程の処で、国道6号(水戸街道、江戸通り)から都道462号(国際通り)が分岐する。 写真:右に向かう国道6号、左に進む都道462号。
 
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● a.m.8:08・・・・・・・・・国際通りと雷門通りがT字型に交差する、雷門一丁目交差点を通過。 正面に見えるスカイツリーも、今日は私の頭の中と同じで、薄ぼんやりしている。
 
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● a.m.8:16・・・・・・・・・国際通りの名となった「国際劇場」の跡地に建った「浅草ビューホテル 」。 国際劇場は昭和57年(1982)に閉鎖された。 既に30数年が過ぎ、劇場を知るのは高齢者となった。 ビューホテルも建てられてから今年で33年、既に浅草のシンボル的建物として定着している。、、、、SKDのラインダンス、もう一度、生で見たいね!
 
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・・・・・・・・・・・・浅草ビューホテル前の植え込みには、サツキだかツツジだか判らんけれど咲いていた。
 
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● a.m.8:33・・・・・・・・・11月「酉の市」で賑わう鷲神社 (おおとりじんじゃ)前を頭を下げて通り過ぎる。
 
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・・・・・・・・・・・・・鷲神社前の国際通りのサクラは、只今満開。 薄緑の葉も光を透し、いいね!
 
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● a.m.8:44・・・・・・・・・東京メトロ三ノ輪駅の頭上で、国際通りは昭和通りにぶつかる。 ここで国際通りは終わる。、、、、、これより、昭和通り(国道6号、日光街道)を歩く。
 
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● a.m.8:55・・・・・・・・・三ノ輪駅北側の浄閑寺(じょうかんじ)に立ち寄る。 吉原遊廓で亡くなった遊女がここ浄閑寺に投げ込まれた。 その遊女を弔う新吉原総霊塔がある。 チョイト、懇ろに手を合わせて行く。、、、、、「生まれては苦界 死しては浄閑寺」の花又花酔の句。
 
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・・・・・・・・・・・・・寺では法事が行われているようだ、我、静かに立ち去る。
 
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● a.m.9:10・・・・・・・・・荒川区内で広い氏子域をもつ素盞雄神社 (すさのおじんじゃ)の前を素通りするかと思ったが、花の彩に誘われてチョイト参拝して来た。
 
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● a.m.9:17・・・・・・・・・千住大橋を渡り足立区に入る。、、、、、昭和2年(1927)に竣工した、隅田川に架かる復興橋のひとつ。 現在は東側(下流側)に新橋が並行して架けられ、上下線が分離している。
 
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● a.m.9:25・・・・・・・・・京成本線千住大橋駅 を通過。
 
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● a.m.9:25・・・・・・・・・千住宮元町交差点にて、日光街道から墨堤通り(都道461号)に入る。
 
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● a.m.9:53・・・・・・・・・千住桜木交差点にて、墨堤通りは尾竹橋通りにぶつかり、ハイ・ココまでヨ~~。
 
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● a.m.9:57~10:04・・・・・・・・・西新井橋 で荒川を越える。、、、、ビニール袋が風に舞う橋上では、か弱い私も飛ばされるようであった。 
 
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● a.m.10:10・・・・・・・・・西新井橋北詰にて、尾竹橋通りから外れ、裏道を東武伊勢崎線の梅島駅へ向かう。、、、、、本当は、西新井駅まで行きたかったが、ここからまだ45分以上かかると見込まれ断念した。
 
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・・・・・・・・・・・・・・梅島駅に向かい、ひたすら歩く、歩く、歩く。
 
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● a.m.10:33・・・・・・・・・梅島駅 に到着。 1万7千歩の散歩もここで終わり。
 
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2018年4月 3日 (火)

浅草橋~大塚

我が家(浅草橋)から、湯島、本郷、春日、小石川と、ひたすら歩いて大塚駅まで、1万4千歩の散歩です。
 
 
 
● a.m.7:22・・・・・・・・・・・我が家のある浅草橋駅をあとにする。、、、、この時間に勤務先へ向かう人がもういる。 早出かな?
 
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● a.m.7:29・・・・・・・・・・・我が母校:旧台東区立柳北小学校の前を通過。 現在は蔵前小学校の仮校舎として使用中。
 
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・・・・・・・・・・・・・旧柳北小学校の隣り、都立忍岡高等学校の裏門脇に「蓬莱園跡」の碑がある。、、、、、ここ、旧柳北小学校、忍岡高校のある一帯は、かつて平戸藩松浦氏の屋敷跡で、蓬莱園と称する庭園があった。 約2,600坪の庭園は“今は無く”、高校校庭に一本の大イチョウを残すだけである。
 
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● a.m.7:32・・・・・・・・・・・浅草橋で唯一の大使館。 それは、コンゴ民主共和国大使館。、、、、、時々、近くのスーパーで大使館員が買い物しています。 浅草橋も国際的な町に変貌している。
 
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● a.m.7:36~7:53・・・・・・・・・・・「鳥越一丁目」交差点より、蔵前橋通りを歩き、昭和通り、JR京浜東北線・山手線、中央通りと交差し西に向かう。
 
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● a.m.7:55・・・・・・・・・・・蔵前橋通りは、妻恋坂交差点から清水坂下交差点まで、新妻恋坂を上ることになる。 この坂は昭和4年(1929)に震災復興道路として通じた蔵前橋通りの坂で、昔からある北側に並行する妻恋坂にちなみ命名された。、、、、ここから、ダラダラ上るのは辛いので、私は並行する妻恋坂を上る。
 
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● a.m.8:01・・・・・・・・・・・妻恋坂にある、妻恋神社に手を合わせて行く。
 
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● a.m.8:02・・・・・・・・・・・妻恋坂を上ると、清水坂にT字にぶつかる。 清水坂の下が新妻恋坂である。、、、、チョイト、ややっこしいね! どうでもいいか!
 
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● a.m.8:07・・・・・・・・・・・蔵前橋通りが本郷通りに合流する「サッカーミュージアム入口」交差点。、、、、ここより本郷通りを歩く。 (写真は右端から手前に本郷通り、中央左寄りから上ってた蔵前橋通り)
 
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● a.m.8:16・・・・・・・・・・・本郷三丁目交差点を通過。 ここから春日通りを歩く。
 
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● a.m.8:23・・・・・・・・・・・春日通りからチョイト脇にそれ、明治19年(1886)に創立した弓町本郷教会に立ち寄って行く。 現教会は昭和元年(1926)に竣工した。
 
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● a.m.8:28・・・・・・・・・・・寄り道ついでに、丸ノ内線が本郷三丁目駅から後楽園駅に向かう時、地上に顔を出す処をトンネルの上からチョイト撮影。 (写真奥が後楽園駅)
 
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● a.m.8:33・・・・・・・・・・・真砂坂を下る。、、、、、この坂の名は「東富坂」で、「真砂坂(まさござか)」は別名らしい。 明治41年(1908)に命名するとき、坂下の春日町交差点を挟み、東に上る坂を「東富坂」、西に上る坂を「富坂」としたそうだ。、、、、、私には、坂上にあった停留場「真砂町」を通る都電で通学していた時期もあった。 学生時代の思い出もあり、真砂坂の方がシックリくるね。
 
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● a.m.8:34・・・・・・・・・・・春日町交差点を通過。
 
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● a.m.8:38・・・・・・・・・・・私は、まだ若い老人なので、「アテント」、「ライフリー」などは利用していない。 しかし散歩していると、緊急のお呼びがかかる。 ここいらで、スッキリと身繕いをしようと、文京区役所に寄ってきた。、、、、出た! スッキリ、サッパリ、気分爽快!
 
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● a.m.8:52・・・・・・・・・・・文京区役所からは、北西方向に都道436号(小石川西巣鴨線)をひたすら歩けば大塚駅である。、、、、、眼病治癒の「こんにゃく閻魔」として知られる源覚寺(小石川2)では、チョックラ手を合わせて行こう! コンニャクは持参していないので、お賽銭をチョッピリ。
 
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● a.m.9:01・・・・・・・・・・・小石川の岡埜栄泉(おかのえいせん)前を通過。、、、、、東京に岡埜栄泉は30数店あるそうだ。 どこも、名物は豆大福で、老舗と言われているが、何処が本店やら、本家やら、元祖は何処だ! 長い年月の暖簾分けで、サッパリ判らん!
 
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● a.m.9:15・・・・・・・・・・・共同印刷本社前を通過。、、、、昭和10年(1935)に建設された建物も劣化し、そろそろ建て替えの話が出ているようだ。
 
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● a.m.9:18・・・・・・・・・・・小石川消防署前を通過。、、、、、門柱の上にのっている望楼は、旧大塚消防署(小石川消防署の前身で、昭和初期の名建築であった)の望楼をデザインしている。
 
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● a.m.9:42・・・・・・・・・・・文京区から豊島区に移り、大塚駅も近づいてきた。
 
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● a.m.10:00・・・・・・・・・・・大塚駅前の天祖神社に寄ってみることにした。、、、、南口の商店街に紛れている天祖神社は大塚の氏神様。 氏子のエリアは意外に広く、南大塚、北大塚、巣鴨、西巣鴨、上池袋1丁目、東池袋2~5丁目がその範囲。、、、、、参拝客は絶えず、商売繁盛か?
 
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● a.m.10:19・・・・・・・・・・・大塚駅に到着。 ここまで14,000歩、靴もそろそろ買い替えなければならなくなってきた。
 
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2018年3月 2日 (金)

浅草橋~錦糸町

平成24年(2012)秋、私の頭部に悪性腫瘍ができ、外科手術により除去。 以後、半年毎にCT検査などで経過観察が行われてきた。 5年以上経過し本日、担当医から「もう、いいでしょう、安心してください。 こちら(病院)も、今日が最後でいいです。」と、お別れの言葉を頂戴した。、、、、最初の担当医から三人程替わったが、どの先生も皆、美人の女医さんで、『なんて幸運な男だ、素晴らしい病院だ! 毎回、診察を受けるのが楽しみ、ワクワク!』、の気持ちで通院してきた。、、、、そして、♪♪今日でお別れね もう逢えない 涙を見せずにいたいけれど 信じられないの そのひとこと あの甘い言葉を ささやいたあなたが 突然さようなら 言えるなんて 今日でお別れ♪♪、てな気持ちで、先生にお礼を言って病院をあとにした。
今日は、我が家(浅草橋)から蔵前橋を渡り、病院へ行き。 その後は、“本所”を抜けて錦糸町駅まで歩いてきた。
 
 
 
第六天榊神社・・・・・・・・・・蔵前署(台東区蔵前1)の南側に鎮座する榊神社。 病院の検査結果に異状が無いことを願い、朝、立ち寄り、手を合わせる。、、、、、賽銭をあげようと財布をだしたが、私の前に参拝していた女の娘に見とれ、忘れた! 失敗!
 
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②蔵前橋・・・・・・・・・・・晴れた日は気持ち良い隅田川。 ハトが一羽、撮影の邪魔をする。
 
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③同愛記念病院・・・・・・・・・墨田区の基幹病院。、、、、、通院も今日で最後となった。 『5年間、ありがとう。』、、、、、と、言っても、明日にも急患として来るかも? その折にはよろしく!
 
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旧厩橋交番 ・・・・・・・・・・・墨田区本所の天理教教会前にある、昭和レトロな懐かしの交番。 昭和3年(1928)に建てられ、平成19年(2007)からは厩橋地域安全センターとなっている。 交番の頃は、入口の上にいかめしい警視庁のマークが飾られ、軒下には赤い丸いライトが灯り、警棒を持った巡査が立っていたことであろう。、、、、、交番・医者・病院などにあった、赤い丸いライトもいつの間にか見ることが無くなったね!
 
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⑤カトリック本所教会・・・・・・・・・私の好きな教会の一つ、今日も近くに来たので寄ってみた。、、、、、明治12年(1879)現在地(墨田区石原4)にて教会開設が行われ、その後、教会は震災・戦災で、建物を焼失。 昭和26年(1951)、現在の木造、三廊式パルテノン様式の聖堂が再建された。 白く塗られ大理石造りのような内部は祈りの場として落ち着いた雰囲気を感じさせる。、、、、今年で、創立139年目の下町の教会。 
 
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⑥殉職慰霊碑・・・・・・・・・・カトリック本所教会の南側、「NTT東日本石原ビル」の前に一本の慰霊碑がある。 この慰霊碑は、昭和20年(1945)3月10日未明の大空襲により当地一帯が焼野原と化した際、この地にあった電話局も全焼し前夜から勤務していた15歳を最年少とする電話交換手28名及び男子職員3名が最後まで職場を守り殉職した。 職員の霊と、関東大震災において殉職した男子職員2名の霊を慰めるとともに、二度とこのような悲劇の起こらないことを祈願して昭和33年(1958)に建立された。 慰霊碑手前には吉川英治の自筆による碑文もある。、、、、、墨田区本所の付近一帯は震災・空襲ともに、最も激しく被災した処で、人的被害も相当なものであったそうだ。 私の生まれる前であった。
 
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⑦スカイツリー・・・・・・・・・・錦糸町の町から望むスカイツリー。
 
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⑧錦糸町駅・・・・・・・・・・・明治27年(1894)12月9日、総武鉄道の本所駅として開業。明治40年(1907)に国有化され、大正4年(1915)には錦糸町駅に改称した。、、、、、北口周辺は1980年代以降の再開発で、「アルカタワーズ」などの高層ビルもたち、南口に劣らぬ街に変貌した。、、、、、私の知る、再開発前の錦糸町駅北口付近は一帯が国鉄の客車区であった。 記憶定かでないが、駄菓子問屋の一画もあったと思った。 ナント、50年前の話だ!
 
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2018年2月28日 (水)

旧東京科学博物館本館

今朝、上野に行く用事があり、帰りに国立科学博物館に立ち寄ってきた。 ナント、65歳以上は入館料無料で、さっそく入館してきた。 一時、“科学少年”に戻って時間を忘れてきた!
 
 
 
国立科学博物館・・・・・・・・・・明治10年(1877)に教育博物館として開館したが、大正12年(1923)の関東大震災で被災してしまった。 その後、昭和5年(1930)に東京科学博物館本館として、全面にスクラッチタイルを張り、車寄せのある正面玄関を中心に左右に翼を広げた外観の、現在の建物が建てられた。 翌昭和6年11月、東京科学博物館としてオープンする。 太平洋戦争末期の昭和20年(1945)5月には、高射第一師団司令部が置かれた。 戦後は、昭和20年12月より一部展示公開が再開された。 昭和24年(1949)、法律により国立科学博物館となる。、、、、、旧東京科学博物館本館(現:国立科学博物館日本館)は関東大震災の復興事業の一環として竣工した。 設計は文部省の技師糟谷謙三が担当。 鉄筋コンクリート造による地上3階/地下1階建である。 均整のとれた立面構成とともに、中央広間・貴賓室・館長室・講堂など室内意匠のレベルも高く、震災復興期における文部省営繕の設計水準を示す建築作品として評価され、現在は国の重要文化財に指定されている。
 
・・・・・・・・・・・・・両翼を広げた国立科学博物館日本館。、、、、現在は正面玄関は一般に使用されておらず、車寄せ右側の地下から入館する。
 
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・・・・・・・・・・・・・スクラッチタイルが時代を感じさせる。
 
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・・・・・・・・・・・・・両翼の先の部分、、、、、、、丸みがある、内部は階段がある。
 
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・・・・・・・・・・・・中庭に面した部分。
 
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・・・・・・・・・・・・・・1階玄関・中央ホール。
 
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・・・・・・・・・・・・・・2階から見る中央ホール、、、、、科学博物館と云うより美術館と云う感じ!
 
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・・・・・・・・・・・・・各展示室には、判りやすく収蔵品が展示されている。、、、、修学旅行の生徒も多く、何となく自分の小学生の頃を思い出した。 あの頃(60年前)は、博物館にきて恐竜の骨を見て驚き、アンモナイトを見て騒いだ、フーコーの振り子はサッパリ理解できなかった。
 
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・・・・・・・・・・・・・・両翼端部にある階段。、、、、、最上部のステンドグラスも綺麗だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・地球館の裏側に展示しているラムダロケット用ランチャーと、入口脇に展示しているD51-231機関車
 
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・見ごたえがあり、さらに無料(65歳以上)とは、嬉しいかぎり。 今日は、全てを見ることができなかったので、また来よう。、、、、久しぶりの科学博物館見学であった。

2018年2月12日 (月)

浅草寺裏

浅草・浅草寺と隣の浅草神社(三社様)は、共に南向きに祀られている。 今日の散歩は、両寺社の裏手を歩いてきた。
 
 
 
①浅草神社・・・・・・・・浅草寺の本尊:観音像を網で拾い上げた土師真中知(はじのまなかち)、檜前浜成(ひのくまはまなり)と、浅草寺の観音像を奉安した武成(たけなり)を主祭神(三社様)とし、後に東照宮(徳川家康)・大国主命を合祀した。 鎮座した年代不詳である、当初は「三社権現」と称していた。  明治元年(1868)には「三社明神」、さらに同6年に「浅草神社」と改称した。、、、、、現在の社殿は慶安2年(1649)、徳川家光が再建したもので、本殿と拝殿との間に弊殿を設けた権現造。 国の重要文化財に指定されている。
 
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②被官稲荷社・・・・・・・・・浅草神社の裏手東側の一角に、新門辰五郎が勧請した被官稲荷社がある。、、、、、安政元年(1854)、新門辰五郎(1800?~1875)の妻女が重病で床に伏したとき、京都の伏見稲荷社に祈願した。 その効あり病気全快したので、安政2年(1856)、お礼の意味を込め、伏見から祭神を当地に勧請し、被官稲荷社を創建した。、、、辰五郎は上野寛永寺住職輪王寺の家来であった。 輪王寺宮舜仁法親王が浅草寺伝法院に隠居し、上野へ行くのに便のいい新門を造った。 その門の番を命じられたので、新門辰五郎と呼ばれ、町火消十番組頭としても、多彩な活躍をした。、、、、、社殿は一間社流造、杉皮葺。 創建以来のもので、間口約1.5m、奥行約1.4mと小さいが、覆屋を構えて保護している。 覆屋は大正時代の建築と思われる。、、、、、私も、妻が重病で床に臥したら、ローマのサンピエトロ大聖堂、パリのサンジェルマンデプレ教会、ロンドンのウェストミンスター大聖堂などへ祈願の旅に出るかな?
 
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③浅草寺一山支院・・・・・・・・・・浅草神社の北側に、浅草寺の支院が並ぶ区画が在る。 この建物は、  岡田信一郎(1883~1932)と岡田捷五郎(1894~1976)の兄弟が設計し、昭和7年(1932)に竣工した支院の住宅群です。 岡田信一郎は黒田記念館、明治生命館などを設計。 弟の捷五郎は、兄の事務所で明治生命館、琵琶湖ホテルなどの設計を行った。、、、、一山支院は1100坪の敷地に21の支院が建てられ、街路には路地的な雰囲気が漂う。 建物は不燃化のため、鉄筋コンクリート造、2階建て(3階部分は後の増築)とし、基本は2院で1棟となっている。、、、、、兄弟で設計したとは、羨ましいかぎり。
 
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④浅草寺・・・・・・・・・・・御存じ、天下の「観音様」。 今日は後ろ姿をパチリ!、、、、、女性の後ろ姿ならば襟足に色気を感じところだが、「観音様」の後ろ姿は素っ気ないね! 本堂裏の広場には、観光バスが駐車することもある。
 
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⑤浅草寺病院・・・・・・・・・・・・浅草寺が運営する社会福祉法人浅草寺病院が、本堂裏の広場を挟み向かい合わせにある。、、、、、本尊:観世音菩薩の抜苦与楽の誓いをいただき、始められた福祉事業。 明治43年(1910)、浅草寺境内念仏堂において浅草寺診療所が設立された。 その後、総合病院に変わり運営されているが、平成14年(2002)に現在の新しい病院が建てられた。、、、、「観音様」が運営する病院なので、白衣の“天使”も白衣の“観音様”かも?  急患も診てくれるらしいが、私はいまだこの病院にはお世話になっていない。 いずれ、その折にはよろしくお願いします。 
 
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⑥銅像・石碑・・・・・・・・・本堂裏の広場の縁に、銅像・石碑などが並んでいる。 チョイト紹介すると、、、、
 
・・・・・・・・・・・・・大谷米太郎夫妻像、、、、、宝蔵門を再建寄進した大谷米太郎(ホテルニューオータニ創業者)夫妻の胸像。昭和42年(1967)の造立。 
 
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・・・・・・・・・・・・・並ぶ供養塔など
 
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・・・・・・・・・・・・・・九代目市川團十郎 「暫」の像、、、、、、、当初、大正8年(1919)に造立されたもので、彫刻家新海竹太郎の作であったが、第二次世界大戦時の金属供出で失われ、昭和61年(1986)、十二世市川團十郎の襲名を期に再建された。
 
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⑦銭塚地蔵尊・・・・・・・・・広場の西側に、昭和39年(1964)に再建された堂内に、胴(四角い石塔)の上に六つの顔が載っている石の六地蔵尊が祀られている。 享保年間(1716~1735)摂津国有馬郡の山口某の妻が、庭先で「寛永通宝」がいっぱい入った壺を掘り当てたが、これに頼って働かずにいては家が滅びると思い、土中に埋め戻した。 この心掛けによって一家は繁栄したので、その壺の上に地蔵尊をまつったという。 銭塚地蔵尊は、その分身を勧請したもので、商売繁昌を祈願する人が多い。 石塔の下には「寛永通宝」が埋められているといわれる。、、、、、私も、家の地下収納から万札が入った壺が出てくることを祈願して、賽銭を奮発し10円玉を投げ入れてきた。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・・・・以上、三社様、観音様の裏側(北側)の紹介です。 ショ~ウかい!

2018年1月15日 (月)

浅草橋~立石

今朝も6時に0.0℃と連日寒さが続く。 寒い寒いと家に閉じこもっていても退屈だ。 『今日は元気よく歩いてくるぞ!』と、家を出た。 我が家(浅草橋)から水戸街道(=国道6号)沿いに歩いて葛飾区立石まで、1万5千歩、9kmの散歩です。 9時の気温は2.6℃、やっぱし外は寒い。 我慢、ガマン、やせ我慢!
 
 
 
●a.m.7:50・・・・・・・・・・交通事故を起こさぬ様に、私の住む浅草橋2丁目の須賀神社 に手を合わせ、スタートする。、、、、、自分では若いつもりで、股引は穿いていない、アンダーシャツは半袖、カイロは持っていない、アテントのお世話にはなっていない、さすがにこの時間チョイと寒いね。
 
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●a.m.8:00・・・・・・・・・・蔵前一丁目交差点通過
 
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●a.m.8:15・・・・・・・・・・厩橋交差点を過ぎる。 交差点角の東京厚生信用組合浅草支店 は、昭和5年(1930)に建てられたと言われている。 鉄筋コンクリート造4階建て、安藤組(現:安藤ハザマ)の設計・施工。 小柄だが味のある建物。
 
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●a.m.8:25・・・・・・・・・・駒形橋西詰を通過。 駒形橋 から見る隅田川はキラキラしてまぶしい!
 
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●a.m.8:30・・・・・・・・・・吾妻橋交差点を通過。 まだ、外人観光客はいないようだ。
 
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●a.m.8:45・・・・・・・・・言問橋 を渡る。、、、、言問橋西交差点で水戸街道(国道6号)は鍵のてに折れ隅田川を越える。 橋の正面にスカイツリーと冬の低い太陽が迎える。
 
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・・・・・・・・・・・・・・言問橋東詰めの牛嶋神社にもチョイトご挨拶。
 
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・・・・・・・・・・・・・橋を渡って向島に入る。 まだ太陽は低い。
 
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●a.m.9:15・・・・・・・・・・秋葉神社は、向島4丁目、水戸街道(国道6号)から少し入った住宅の奥に鎮座する。 神社は、当地に千代世稲荷大明神と称して正応2年(1289)頃に創建したと言われている。 元禄15年(1702)に千葉葉栄が修験道千葉山満願寺を創建し当社の別当寺となり、秋葉千代世稲荷合社として社殿を造営、明治元年に秋葉神社と改称した。、、、、、水戸街道からの参道に呑み屋の看板。 “向島”らしいね!
 
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●a.m.9:20・・・・・・・・・・戦後の赤線地帯、今は地元密着型商店街「鳩の街 」と、並行する商店街「地蔵坂通り」の入口を通過する。
 
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●a.m.9:30・・・・・・・・・・東向島交差点で明治通りを横断し、東武伊勢崎線のガードをくぐる。 ここには、東武博物館の「6号機関車」(英国から明治31年輸入)が屋外展示されている。、、、、散歩が楽しくなる道だ。
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●a.m.9:50~10:00・・・・・・・・・・四ツ木橋を渡り、荒川、綾瀬川を越える。 さすが橋上は風が強く、寒い。、、、、帽子が飛ばされそうだ、トラックの荷台から荷が崩れそうだ、自分が橋から飛ばされそうだ、一人で歩いていると、なんだかんだ心配し、高所恐怖症の私は怖さが倍増する。
 
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●a.m.10:15・・・・・・・・・・四つ木陸橋のある、本田広小路交差点に到着。 水戸街道の歩きはここまでとする。 昼食に間に合うよう家へ帰ることにした。 これより裏道を歩き京成押上線立石駅に向かう。
 
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●a.m.10:35・・・・・・・・・・立石駅到着。 ここまで約2時間半の散歩。
 
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2018年1月12日 (金)

浅草橋~扇大橋

全国的に寒い一日。 私の住む台東区の気温は9時に2.7℃、12時で5.7℃。 今朝のNHKお天気お姉さんは、5カイロ推奨していた。 とにかく寒い。、、、、今日の散歩は、70歳を過ぎた若い身体で北風の中を歩いてきた。 我が家(浅草橋)から北へ向かい、入谷でチョイト西に折れ、尾久橋通りを直進し隅田川、荒川を越え、足立区の日暮里舎人ライナー扇大橋駅まで、1万5千歩、10kmの散歩です。
 
 
 
●a.m.7:40・・・・・・・・・・我が母校:旧台東区立柳北小学校前をスタートする。、、、、柳北(りゅうほく)小学校は、明治9年(1876)に第五中学区第十四番公立小学柳北女学校として設立され、明治41年(1908)には柳北尋常小学校と改称した。 関東大震災では校舎は焼けたが、その後いち早く大正15年(1926)に、浅草橋駅北側に復興小学校として建替えられた。 戦後は私も入学し、学校も多くの児童で教室が不足するほどであった。 しかし、平成13年(2001)に100年以上の歴史に幕をおろし閉校した。 現在は、建て替え中の蔵前小学校の仮校舎として使用されている。
 
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・・・・・・・・・・・・・小学校前の通称:左衛門橋通り には、浅草消防署浅草橋出張所があり、昨年11月に私が、その一週間後に我が母がお世話になった救急車が待機している。 頼りになるありがたい消防署。 ただしこれ以上、救急車・消防車のお世話にはなりたくないものだ。
 
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●a.m.7:50・・・・・・・・・・蔵前橋通りを横断。 蔵前小学校の児童が、元気に登校してくる。 早やいな、始業時間は何時だ?
 
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●a.m.8:05・・・・・・・・・・蔵前橋通り、春日通りを越えて左衛門橋通りを北へ、元浅草1丁目に入る。 アレ?郵便ポストの向きがおかしくないか? 普通、車道に背を向けて設置されているはずだが。 ポストの埋め込み部分のコンクリートが新しく、まだ設置されて間もないようだ。 向きを間違えたのか、設置基準みたいなものが変更されたのか? どちらにしても違和感があるね。 
 
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●a.m.8:15・・・・・・・・・・浅草通りを越えて、東上野の坂東法恩寺前を通過。
 
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●a.m.8:35・・・・・・・・・・中入谷交差点を左折し、言問通りに入り地下鉄日比谷線入谷駅前を通過。
 
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●a.m.8:40・・・・・・・・・・入谷交差点近く、鬼子母神の隣りに、大正15年(1926)に完成した復興小学校:旧入谷尋常小学校(旧坂本小学校)がある。
 
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●a.m.8:50・・・・・・・・・・根岸3丁目の言問通りから、裏道の奥に明治期の外務大臣であった陸奥宗光旧別邸が見える。 陸奥宗光は明治20年頃に三井家からこの洋館を献上された。 現在は個人の住宅として利用されている。
 
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●a.m.8:52・・・・・・・・・・JR鶯谷駅前で言問通りから尾久橋通りに入る。
 
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●a.m.8:55・・・・・・・・・・荒川区東日暮里の一角に建つ建物。 2階建て?3階建て? 3階部分には外壁と窓枠はある、だが、窓にはガラスが入っていない、3階の天井も無い、窓を通して隣りの建物の外壁も見える。、、、、、不思議な建物だ! 
 
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●a.m.9:05・・・・・・・・・・我が家を出て1時間25分経過。 日暮里駅前を通過する。 寒いが、快調である。 これより日暮里舎人ライナーが上空を走る尾久橋通りを歩く。
 
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●a.m.9:10~9:30・・・・・・・・・・日暮里舎人ライナーは、西日暮里駅を挟み、常磐線京成本線常磐貨物線の線路を跨いで進む。、、、、、線路好きの私には嬉しい散歩道。
 
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●a.m.9:35・・・・・・・・・・尾久橋通りが明治通りと交差する田端新町一丁目交差点通過。
 
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●a.m.9:40・・・・・・・・・・赤土小学校前駅を通過。、、、、“〇〇小学校前”という駅名は、バス停などには多いが、鉄道の駅としては珍しいね。 JRの駅であるかな?(私には思い出せない)
 
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●a.m.9:50・・・・・・・・・・熊野前駅を通過。 都電荒川線への乗換駅。
 
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●a.m.10:05・・・・・・・・・・尾久橋で隅田川を越え足立区に入る。 橋を渡ると足立小台駅が待っている。
 
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●a.m.10:10・・・・・・・・・・尾久橋に続き、扇大橋を渡り荒川を越える。
 
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・・・・・・・・・・・・・橋上から振り返ると、富士山が見えた! 富士山が見ると、なぜか嬉しくなるのが日本人。 私は典型的な日本人かも?
 
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・・・・・・・・・・・・・・長い扇大橋を渡り終えたのは、a.m.10:20。
 
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●a.m.10:30・・・・・・・・・・寒さは和らいだがチョイと疲れたので、今日の散歩はココまでとして、扇大橋駅から帰宅することにした。
 
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2018年1月 5日 (金)

浅草橋~押上

三が日の正月行事をこなし、昨日は年始の挨拶まわりを終え、今日から平常勤務。、、、、今朝の寒さは、我が身にはチョイト厳しく、散歩も近場にした。 我が家(浅草橋)から、鳥越・蔵前の神社に寄って、厩橋を渡り押上(スカイツリー)まで、1万歩の歩きです。
 
 
 
①鳥越神社・・・・・・・・・・JR浅草橋駅から徒歩8分、我が家から徒歩4分。 神社は蔵前橋通りに面する。、、、、白雉2年(651)、日本武尊を祀って白鳥神社と称したのが始まり。 前九年の役のおり源義家がこの地を通った際、白い鳥が飛ぶのを見て浅瀬を知り大川(隅田川)を渡ることができた。 それを白鳥明神の加護とたたえ、鳥越大明神と改めたと伝えられている。 祭神は日本武尊、相殿に徳川家康。、、、、、今日、仕事始めの企業も多く、お祓いを受ける人も見られる。 
 
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②蔵前神社・・・・・・・・・・都営浅草線・大江戸線の蔵前駅から徒歩2分。 江戸通り、春日通から一本裏道に入った処に鎮座する神社。 元禄6年(1694)、徳川綱吉が山城国男山の石清水八幡宮を勧請した。 以来、社領200石を寄進され、江戸城鬼門除け、徳川将軍家の祈願所として崇敬を受けた。、、、、、宝暦7年(1757)以来たびたび勧進相撲が行われ、回向院・富岡八幡宮とともに三大拠点の一つであった。 社号標や玉垣は大日本相撲協会からの寄進と思われる、千代の山、鏡里、東富士等、懐かしい横綱の四股名が読める。 念のため、貴乃花、白鵬、日馬富士の名は無い。 
 
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厩橋・・・・・・・・・・・西岸の台東区蔵前・駒形と、東岸の墨田区本所を結び隅田川に架かる。 現在の橋は、3径間下路式タイドアーチ橋、橋長 151.4m、幅員 22.0m、大正15年(1926)着工、昭和4年(1929)9月竣工。 橋名は西岸の蔵前にあった「御厩河岸(米蔵のための荷駄馬用の厩があった)」にちなんでいる。
 
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・・・・・・・・・・・・・橋の上は、風も吹き、寒い、寒い!
 
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④実相寺・・・・・・・・・厩橋を渡り墨田区の裏道を歩き、日蓮宗実相寺に出た。 是應山実相寺は、慶長2年(1597)の創建。 越前朝倉義景に仕えていた熊谷安左衛門が熊谷家伝来の法華経の利益により白狐を助け、その縁により文殊菩薩を勧請したことから熊谷稲荷を祀っている。、、、、、チョイト古そうな鉄筋コンクリート造の本堂は昭和30年代の建物と推測した。
 
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⑤業平橋住宅・・・・・・・・・墨田区業平、大横川の岸に建つ業平住宅は昭和47年(1972)に建てられたマンションである。 この辺りでは、総戸数362戸、14階建ての大きな建物だ。、、、、、現在は中古として、2LDKで2000万円程の価格らしい。 安いか、高いか?
 
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・・・・・・・・・・・・・・業平橋住宅の前は、小梅銭座跡。、、、、、小梅銭座は、元文元年(1736)寛永通宝の銅銭を鋳造したところで、銭貨の背面上部に「小」の文字が入ってます。 この付近の数か所で銭が造られていたそうだ、今の造幣局である。 念のため、足元をキョロキョロ見まわしたが小銭すら落ちていなかった。
 
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東武橋・京成橋 ・・・・・・・・・・スカイツリーを挟み、北十間川に架かる橋で、西側に「東武橋」、東側に「京成橋」である。 それぞれ橋の袂に東武鉄道・京成電鉄の旧本社があった。
 
・・・・・・・・・・・・・まずは東武橋。、、、、、業平1丁目と押上1丁目を結び、昭和初期に架けられたが、現在の橋は昭和63年(1988)3月に架け替えられた。 橋の脇にできた「すみだ水族館」の建っている場所に東武鉄道の本社はあった。
 
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・・・・・・・・・・・・・次は京成橋。、、、、、業平3丁目と押上1丁目を結び、昭和4年(1929)に架けられたが、現在の橋は昭和37年(1962)7月に架け替えられた。 橋の北側にできた複合ビル(ニトリ、ライフが入居)の建っている場所に京成電鉄の本社はあった。
 
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・・・・・・・・・・・・・・最後に、スカイツリーを見上げて、散歩はココまで!
 
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