中央区

2017年5月 2日 (火)

浅草橋~泉岳寺

我が家(浅草橋)から、江戸通りを歩き「室町三丁目交差点」へ、ここで中央通りに入り、三越前、日本橋、銀座、大門、三田をとおり都営浅草線泉岳寺駅までの散歩です。 

 
 
 
●am7:40・・・・・・・・我が家をあとに、男一匹南に向かう。、、、、、GWなのに、駅前には通勤する人が、かなりいるね。 学生もいるようだ。 学校では、交代で生徒の半数は休みにしてあげれば、よろこばれるのに!(?)
 
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●am7:50・・・・・・・・総武快速線馬喰町駅を通過。 駅の周囲は、“御祭礼”の提灯がぶらさがる「横山町」の繊維問屋街。 提灯は、来週末に予定されている神田明神の祭礼。、、、、いよいよ、我が町(浅草橋)の周辺は“お祭りモード”となる。 神田明神、下谷神社、鳥越神社、蔵前神社、三社さま、と毎週のように続く。 
 
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●am8:10・・・・・・・・地下鉄日比谷線小伝馬町駅を通過。
 
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●am8:20・・・・・・・・江戸通りと中央通りが交差する「室町三丁目交差点」。、、、、中央通り沿いに、三井タワー、COREDOなどの、再開発事業が続いている。
 
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・・・・・・・・・・・・・ここ室町も神田明神の氏子で、三越でも“お祭りモード”。 提灯・神輿と飾られていた。
 
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●am8:35・・・・・・・・お江戸日本橋を通過。 、、、、、♪コチャエ、コチャエ♪
 
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●am9:00・・・・・・・・かつて京橋川に架かっていた京橋を通過。  京橋川は昭和34年(1959)に埋め立てられ東京高速道路となった。
 
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・・・・・・・・・・・・・・京橋の高速道路脇に、リニューアルの終わった警察博物館がある。、、、、、GWに行く処のない人は、ここがお薦め。 入場無料ですいている、しかも、手口を見破られないように事前に犯罪の知識習得ができる。 予習を大切に!
 
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・・・・・・・・・・・・・・頭上を走る高速道路をくぐれば、そこは銀座一丁目
 
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●am9:10・・・・・・・・「銀座四丁目交差点」を通過。、、、、、、まだ、店は開いておらず、通る人も少ない、鳩も安心して銀ブラできる時間だ。
 
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●am9:12・・・・・・・・2週間程前の4月20日に開業、241のブランドが集結した銀座で最大の商業施設「GINZA SIX」を通過。 店が開くのを並んで待つ人もいる。
 
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●am9:30・・・・・・・・「新橋駅前ビル」を通過。、、、、玄関先には「狸広(たぬこう)」の像がお出迎え。 戦後、闇市の時代、駅前には「狸小路」なる呑み屋街があった。 その呑み屋街は昭和41年(1966)に、現在の駅前ビルに変わり。 ビルの中に入り「狸広場」となった。 「狸広」は広場のシンボルとしてつくられた。 大きな金玉袋が特徴か? 
 
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●am9:50・・・・・・・・都営浅草線大門駅を通過。、、、、銀座を過ぎると、中央通りは第一京浜となり品川方向に向かう。
 
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●am10:00・・・・・・・・古川に架かる金杉橋を通過。 ここでも、頭上に首都高が走る。 毎度々々、景観を邪魔する首都高だ!
 
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●am10:20・・・・・・・・三田駅の手前で日比谷通りが第一京浜に合流する。 そして、浅草線三田駅を通過。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・三田駅近く、ここでも、三菱自動車工業のビルの前に「江戸開城 西郷南洲 勝海舟 会見之地」の碑がある。 幕末、ここには薩摩藩蔵屋敷があり、明治政府代表の西郷隆盛と徳川幕府代表の勝海舟による会談が行われ、無血開城が取り決められた。
 
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●am10:30・・・・・・・・「札ノ辻交差点」から東京タワーを望み、笹川記念館前では母を背負う像を眺め、泉岳寺駅前で高輪大木戸跡をじっくり見る。、、、、、なんだか、旅費を値切った修学旅行みたい。
 
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●am10:35・・・・・・・・都営浅草線泉岳寺駅から帰宅する。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・本日歩いたコースは総延長約9.0km、1万7千歩。 天気も良く、汗かく散歩であった。

2017年3月23日 (木)

靖国通り

気象庁は21日、東京で桜が開花したと発表した。 平年より5日早い開花宣言である。 気象庁は間違えることはないと思うが、念のため私が自分の目で確かめるべく、今日の散歩では、靖国神社の標本木開花状況を確認に行くこととした。、、、、、浅草橋の我が家から、靖国通りを歩き靖国神社へ、帰りは市ヶ谷駅から帰宅。 1万2千歩の散歩です。
 
 
①浅草橋交差点・・・・・・・・・・「浅草橋」の町と駅は台東区側に、神田川に架かる「浅草橋」の両岸は台東区と中央区、「浅草橋交差点」は中央区側にある。 毎度のややっこしい説明である。、、、、、浅草橋交差点には、都電12系統(新宿駅~両国駅)、29系統(葛西橋~須田町)の浅草橋停留所があった。 中学生の私は、ここから都電通学をしていた。、、、、、、交差点角の旗店(写真左端)は、私が高校生の頃、夏・冬休みの間、数年間バイトで世話になった店である。 、、、、写真右端には、昭和初期に建てられたイーグルビル がある。
 
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②東神田交差点・・・・・・・・・・・50年ほど前、ここには豊島町停留所があった。 角に建つのは、平成3年(1991)に竣工した龍角散ビル。、、、、、交差点角に植えられた桜は散り始めていた。
 
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③岩本町交差点・・・・・・・・・12系統、29系統の都電は、浅草橋、豊島町と停まり、次は岩本町停留所である。 今は、都営新宿線の岩本町駅が地下にある。、、、、、私の勤務先のオフィスが交差点の角のビルにあり、短い期間であったが徒歩通勤できた時期もあった。
 
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④須田町交差点・・・・・・・・29系統はここ須田町停留所が終点。 通学する私は、ここで10系統(渋谷駅~須田町)、12系統に乗り換える。、、、、、、写真左端のビルが建つ前は、フルーツパーラーも営業していた高級果物屋「万惣」があった。 戦前からモダンなビルで営業し、ホットケーキ、フルーツパフェは絶品であった。 その万惣は東日本大震災によって変わったビルの耐震基準を満たせず建て替えが検討されたが、経営が難しく廃業することとなった。 私は6歳ぐらいまで、祖母とよく万惣にきた思いでの店だった、残念!
 
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・・・・・・・・・・・・・・万惣とは180度反対側の交差点角に、鷹岡東京支店のビルがある。 こちらは、昭和10年(1935)に建てられた建物で、千代田区景観まちづくり重要物件に指定されている。
 
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⑤淡路町交差点・・・・・・・・・10系統、12系統とも須田町の次は淡路町停留所。、、、、、淡路町交差点を北へ向かうと「神田志乃多寿司 」がある。 明治35年(1902)創業の老舗である。、、、、、我が家では、月に1回は食する食事メニューの定番。
 
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・・・・・・・・・・・・・もう一つ、味の老舗、蕎麦の「神田まつや」(創業明治17年)。 こちらは、自分で行って、食べれば判る! 現在の建物は大正14年(1925)の築。
 
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⑥小川町交差点・・・・・・・・・・・・ここには、小川町停留所があった。、、、、かつて、近くの美土代町にYMCAの本部ビル(写真:中央左側の大きなビルの付近)があり、そこの地下にプールがあった。 中学生の私が利用しに行って驚き、恥ずかしく、胸ドキドキしたことを忘れることはできない。 昭和37年頃の話だが、当時はまだ衛生状態が悪く病気に注意している時代。 YMCAのプールは男性専用で、主にアメリカ人が利用し泳ぐ人は皆“ふるチン”だった。 私も用意してきた海パンを着用せずに利用したが、泳ぎの練習にはならず、恥ずかしさのみ残った。(あそこも、ちいさかったからね) 2度と行くことはなかったね!
 
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⑦駿河台下交差点・・・・・・・・・・ここも、その名と同じ駿河台下停留所があった。、、、、“三省堂前”と命名しても違和感のない停留所。 神保町から駿河台下までは本屋が並び、昭和30年代は学習参考書を買いに、昭和40年代は建築関連の図書を求め、昭和60年代はエロ本を求め裏通りの書店に、平成になると本も読まず本屋巡りは遠退いた!
 
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・・・・・・・・・・・・・・駿河台下から見る我が母校明治大学リバティータワー。 平成10年(1998)に完成した、地上23階/地下3階、高さ約120mの校舎。 私が学んだ頃は、こんな建物はなくドーム屋根の古びた記念館であった。 
 
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⑧神保町交差点・・・・・・・・・・・神保町停留所があった。 ここで、通学時の私は、18系統(志村坂上~神田橋)か35系統(巣鴨車庫~田村町一)に乗り換え、指ガ谷町(現:地下鉄三田線白山の近く)に向かった。、、、、、交差点角の廣文館書店は戦前からある書店だが、置いてある書籍は学習書ではなく、旅行・グルメ・雑誌が主であった。 今時の学生は『傾向と対策』、『赤尾の豆単』など買わないのか?
 
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⑨専大前交差点・・・・・・・・・・都電10系統、12系統は専修大前停留所と呼んでいた。、、、、、ここの交差点角にみずほ銀行のビルがある。 このビルは、私が勤務していたゼネコンが建て、東京支店が入居していたビルで、仕事の関係でしばしば訪れ勝手知ったるビルだった。 今はよそ者である。、、、、、その向かいに、知る人ぞ良く知るアダルト向けのH書店がある。 今はDVDの時代だが、私が入店していた頃は、ビニールのかかった“ビニ本”の時代。 雨の日、店先で傘をなくし、店内で会社の人に会い、互いに秘密を知った良き時代であった。
 
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⑩九段下交差点・・・・・・・・・交差点名と同じ、九段下停留所があった。 軍人会館九段会館はこちらで下車、ただし東日本大震災以降は閉館中。、、、、、、今日は、武道館で東洋大学の学位授与式・卒業式。 袴姿の卒業生がゾロゾロ、後ろからPTAもゾロゾロ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・ご存じ九段坂。 歌うは三橋美智也。 「雨の九段坂」(作詩:矢野亮  作曲:佐伯としを 昭和36年)  ♪♪ あえぐ洋傘(こうもり)かしげて仰ぐ 雨に煙った大鳥居 母は来ましたやっと来ました 可愛いお前が住むお社へ  一目なりとも逢いたさに ♪♪
 
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⑪九段上交差点・・・・・・・・・・九段下からキツイ勾配の九段坂を上がりきると、九段上停留所があった。、、、、、、私が学卒で入社したゼネコンの本社はここ九段上で、私の勤務地として20年以上かよった処である。 私が勤めていた頃、写真右角にあった、寿司屋、喫茶店、タバコ屋みんな無くなった。、、、、、写真、左右に向かうのが靖国通り、正面は内堀通りで、須田町から来た10系統(須田町~渋谷駅)の都電は交差点を曲がり、写真中央へ向かった。
 
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⑫靖国神社南門交差点・・・・・・・・・・靖国神社中門鳥居脇の南門前、ここには九段三丁目停留所があった。 本殿に最も近い停留所である。、、、、、交差点角に、地元の方が植えた枝垂れ桜も開花した。
 
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・・・・・・・・・・・・・私の今日のミッションは“桜の開花宣言した標本木”を確認することである。
さっそく確認。、、、、、能楽堂の隣の標本木には、5輪などとケチなこと言わず、50輪ぐらいは咲いていた。 気象庁の発表は間違いなし!
 
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・・・・・・・・・・・・・・本殿に御挨拶。
 
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⑬一口坂交差点・・・・・・・・・・・靖国神社の西の端に近い、ここの交差点に一口坂停留所があった。、、、、、、かつて、飯田橋駅近くで小学一年生ぐらいの迷子の子を見つけ、『家はどこ?』と聞いたら、『一口坂』と返事され、人の良い私はタクシーで一口坂交差点まで送った。 タクシーを降り親に連絡させようとしたら、『自分で帰れるから』と一人でスタコラサッサと行ってしまった。 無事帰り着いたか、タクシー代を損したか、後味の悪い善意の経験を思い出すね!
 
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⑭市ヶ谷・・・・・・・・・現在のJR市ヶ谷駅の正面ではなく、外堀通りとぶつかった地点に、市谷見附停留所があった。 堀を挟んでJR駅の反対側になるので、チョイ不便!、、、、、今日の私の散歩も市ヶ谷駅までとする。
 
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2017年3月 1日 (水)

勝鬨橋・築地大橋

隅田川最上流の新神谷橋(岩淵水門は橋梁ではないので数に入れず)から始めた隅田川の橋めぐりも、いよいよ今日が最後である。 今日は、37番目の勝鬨橋と、いずれ38番目:最下流の橋となる築地大橋の二橋を見てきた。、、、、、都営浅草線東銀座駅から2橋を見て、東銀座駅に戻る、1万3千歩の散歩。
 
 
 
歌舞伎座 ・・・・・・・・・・・・まだ朝の8時になったばかり、どこの店もビルも閉まっている。  歌舞伎座の地下の店も開店前の準備中、立ち止まることもなく築地に向かう。、、、、、現在の歌舞伎座は平成25年(2013)3月1日にオープンしたので、今日は4年目の誕生日。
 
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②築地市場・・・・・・・・・・・最近いろいろ話題となる築地市場の場内を、ブラブラ歩いてみることにした。 8時過ぎの市場は、商売のピークも過ぎたようだ。、、、、市場のある地は、江戸時代後期、松平定信(1758~1829)の下屋敷に作られた汐入回遊式庭園「浴恩園」(よくおんえん)があった処である。 明治維新以降は海軍関係の用地となり、海軍発祥の地である。 関東大震災で、日本橋にあった魚市場が被災したため、その後、魚市場が海軍省から敷地を借り受け移転した。 これが、築地市場の始まりである。、、、、今後の移転先は迷走状態で、どうなることやら?
 
・・・・・・・・・・・・・まずは、市場の屋上からパチリ!パチリ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・商売の邪魔をしないように、静かに、おとなしく、市場の中に潜入、、、、、建物は古く、汚れ、狭く、アレレどっちに行ったらいいのかな? これでは、豊洲移転を早めないとダメか?
 
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・・・・・・・・・・・・・・トランプさんの国から取材に来たようだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・場内の飲食店は観光客で行列
 
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・・・・・・・・・・・・・・築地市場に隣接する波除稲荷神社。 「築地」とは埋立地の別称で、築地市場付近は、万治元年(1658、=江戸時代)頃から埋め立てが始まったが、工事は波に洗われて難航した。 そのころ、海中から見つかった稲荷神の像を祀ったところ、風波が和らぎ工事が完了したとされ、これが「波除」の由来となった。 厄除けや航海安全の神として信仰されている。
 
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③勝鬨橋・・・・・・・・・・・昭和15年(1940)に竣工した跳開橋であるが、昭和45年(1970)以降、一度も開いていない残念な橋。 私が学生の頃までは橋の上を都電が走り、橋が開くとき都電は、赤信号の点灯で開閉する部分の直前で止まり、船の通過を見送っていた。  のんびりした時代には、もう、戻りそうもないね!、、、、、中央径間:シカゴ型二葉式跳開橋、側径間:下路式タイドアーチ橋、橋長:246m、幅員22m。 昭和8年(1933)に着工し、昭和15年(1940)6月14日竣工。
 
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・・・・・・・・・・・・・・橋の際(築地側)には、勝鬨橋が完成するまで運航していた「勝鬨の渡し」の碑がある。 碑は明治38年(1905)、日露戦争の旅順陥落を記念して建てられた。
 
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④築地大橋・・・・・・・・・・勝鬨橋の下流に建設中の築地大橋。 橋は平成23年度より下部工事に着手し、平成26年度に鋼けた架設工事が完了した、現在、橋はほぼ完成状態であるが、御存じの通り、築地市場の豊洲移転に急ブレーキがかかり、築地側の道路が未完の為、開通は???、、、、、橋長:245m、幅員:32.3m~48.0m、形式:鋼3径間連続中路式アーチ橋。、、、、、まだ、橋に近寄れないため、遠くから撮影。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・・・・以上、約2か月かけ、隅田川に架かる38橋梁と相生橋、そして岩淵水門を制覇した。 自分に一言、『ご苦労様』。

2017年2月27日 (月)

佃大橋

東銀座駅から、36番目の佃大橋を渡り月島駅まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
①看板建築・・・・・・・・・・・中央区役所の近く銀座1丁目に、1階にはグローリー(喫茶)が営業する3軒長屋の店舗兼住宅がある。 昭和初期の看板建築と思われる。 3階上部にはレリーフもしっかり残っている。、、、、、喫茶のグローリーは40年以上前に開店したそうだ。
 
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②鈴木ビル・・・・・・・・・銀座1丁目の中央区役所の北側にある、昭和4年(1929)に竣工した鈴木ビル。 外壁はスクラッチタイル、テラコッタで仕上げ、丸窓・出窓・屋根窓とデザインに変化をつけた、モダンなビルだ!、、、、設計は山中節治建築事務所、施工は新工務所による、昭和4(1929)12月に竣工した。 鉄筋コンクリート5階/地下1階。
 
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・・・・・・・・・・・・・6年前に撮影した、外壁、内部
 
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③岩瀬博美商店・・・・・・・・・・・・・鈴木ビルの右隣に並びたつ昭和初期の建物。 建てた当時は、乳業関連事業を営んでいたそうだ。 軒先やガラス戸には商号が刻まれ、3階には半円の窓、軒先の古そうな照明器具、外壁を覆うスクラッチタイル、どれもこれも重厚感漂う昭和のビルを演出している。
 
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④三吉橋・・・・・・・・・・・中央区役所の前に昭和4年(1929)に架けられた三吉橋(みよしばし)橋。 築地川の川筋が“T字型”になった地点に架けられたため、橋も“三又”となり“Y字型”となっている。、、、、、昭和37年(1962)までは築地川が流れていたが、残念なことに築地川は首都高に変わり、今は橋の下に車が流れている。、、、、、三股型単純鋼鈑桁橋、橋長23.98m×3、幅員15m、昭和4年(1929)12月に竣工した震災復興橋。
 
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・・・・・・・・・・・・・・空中から見ると
 
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⑤佃大橋・・・・・・・・・・・・佃大橋は隅田川最後の渡船場として320余年続いていた「佃の渡し」の位置に架けられた橋で、中央区の明石と佃を結んでいる。、、、、昭和36年(1961)に着工し、昭和39年(1964)8月27日に竣工した橋は、戦後の“昭和”を象徴するように、無味乾燥とした橋で見た目には面白くない。、、、、、『大ブロック工法』として、桁をかけるとき、大きなブロック(長さ40m、重量150ton)を造っておき、当時の日本最大のクレーン船で組み立てる、最新の施工技術で架橋した。 隠れた面白さのある橋。、、、、、橋長は476.3m、幅員は25.2m、橋桁製作は地元の石川島播磨重工業(現IHI)佃島工場。
 
・・・・・・・・・・・・・・下流側から見る佃大橋。 後ろは「大川端リバーシティ21」。
 
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・・・・・・・・・・・・・・上流側から見る佃大橋。 後ろは「聖路加ガーデン」。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・佃大橋から見る上流側。 中央大橋大川端リバーシティ21を見る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・佃大橋の両端に「佃島渡渡船場跡」の碑が残されている。、、、、、私も中学生の頃、浅草橋の我が家から自転車で、何度か私に乗りに来た。 50年以上前の懐かしい思い出。
 
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⑥佃島住吉神社周辺・・・・・・・・・・・ブラブラ、、、、、詳細はまたの機会に!
 
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⑦旧月島警察署西仲通交番・・・・・・・・・・月島の「もんじゃストリート」の中程に現存する、日本最古の交番建築。 現在は「西仲通り地域安全センター」と呼んでいるが、平成19年頃までは「日本最古の交番」であった。 建物は大正15年(1926)に建てられた。
 
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2017年2月24日 (金)

中央大橋・相生橋

隅田川の最上流から数えて35番目の橋は中央大橋。 上流の永代橋と中央大橋の間で、隅田川は隅田川派川(はせん、=分流)と分岐する。 その派川には相生橋が架かる。、、、、、今日の散歩は、都営浅草線宝町駅から、八丁堀、中央大橋、相生橋と歩き、東西線門前仲町駅まで、1万2千歩です。
 
 
 
①江戸湊の碑・・・・・・・・・中央区新川2丁目(旧:霊岸島)の隅田川岸に建てられた江戸港発祥跡の碑。、、、、、、慶長年間江戸幕府がこの地に江戸湊を築港し、水運の中心地とした。昭和11年(1936)まで、伊豆七島など諸国への航路の出発点であった。、、、、、当時、東京から伊豆七島へ行くには、ここからボロ船に乗って1泊、2泊の船旅であったと想像すると、船酔いに弱い私には、もうダメだ! 死を覚悟して、ナムアミダブツの旅である。
 
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②霊岸島水位観測所・・・・・・・・江戸湊の碑の前、隅田川に立つ三角に組まれたパイプと斜方12面体と呼ばれる立方体のオブジェ。 これぞ霊岸島水位観測所(無人)。、、、、、日本の標高は東京湾の平均海面を基準に測られる。その基準となる平均海面を測定していた場所が霊岸島水位観測所。 明治6年(1873)から観測を開始しているが、近年、この場所は埋め立てにより、隅田川の奥になり、観測には不向きとなった。 現在は油壺験潮所にその役割が移った。 、、、、、、ちなみに、現在の日本の水準原点は国会議事堂前にある。
 
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③中央大橋・・・・・・・・・・中央区新川(霊岸島)と中央区佃(佃島)を結び、平成5年(1993)3月に完成した。 橋長215mの鋼斜張ハープ橋。 佃の超高層マンション群を背景にした現代的なデザインだ!、、、、、橋桁製作は、かつて地元であった石川島播磨重工業。
 
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・・・・・・・・・・・・・上流(写真左側)から右奥に流れ下る隅田川。 中央の。佃島の背後に流れて行くのは派川。
 
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④大川端リバーシティ21・・・・・・・・・佃島は、佃神社周辺の旧来からの部分を除く、大半は明治以降石川島造船所に払い下げられ、昭和54年(1979)の操業停止まで造船所の敷地であった。、、、、、その後、造船所の跡地は、「大川端リバーシティ21」として、住宅市街地総合整備事業により、住宅・都市整備公団(現・都市再生機構)、東京都住宅局、東京都住宅供給公社、三井不動産によって超高層住宅を中心とした再開発が進められた。、、、、、各事業者は、個々の高さやデザインを少しずつ変えながらも全体として統一された外観で開発を進め、隅田川と調和した景観となった。、、、、、、ちなみに、一番高いマンションは、高さ180m(地上54階/地下3階)の「センチュリータワー」で、786戸が入居している。、、、、、高所恐怖症の私が54階に住むのは、死を覚悟し、怖さで眠れず、不眠症になるようなものだ。 最後は、寝ぼけて54階から墜落か?
 
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⑤相生橋・・・・・・・・・・・・右岸の中央区佃と左岸の江東区越中島を結ぶ橋。、、、、明治36年(1903)、築地・深川地区と佃を結ぶため、川の中程にあった中之島を利用し、2本の橋で架橋された。 この時、佃寄りの長い橋を「相生大橋」、越中島寄りの短い橋を「相生小橋」と命名した。 「相生」の名は、「相生の松」になぞらえた。、、、、関東大震災後は、大正15年(1926)に鉄鋼ゲルバー橋が再架橋された。、、、、昭和55年(1980)には小橋(越中島側)が埋め立てられ、中之島は地続きとなった。 さらに、平成10年(1998)には、老朽化した相生橋を、現在の橋に架け替えた。、、、現在の橋は、3径間鋼トラス桁橋で、橋長は149.1m、幅員は22.0m、昭和63年(1988)に着工し平成10年(1998)12月に開通した。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・相生橋を渡り、江東区越中島に入ると、橋の際に東京海洋大学がある。 50歳以上の人には東京商船大学 と言った方が判りやすいね。 今日は正門前を通過。
 
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⑥黒船稲荷神社・・・・・・・・・・・江東区牡丹にある黒船稲荷神社は、応徳3年(1087)浅草黒船町に創建、享保17年(1733)に現在地へ遷座した。、、、、、ここは、江戸戯作界の第一人者、四世鶴屋南北の住居跡である。 住んでいた痕跡は皆無、案内板があるだけ、できたら表札ぐらい残しておいて欲しいね。
 
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2017年2月21日 (火)

隅田川大橋・永代橋

人形町・水天宮を抜け隅田川大橋を渡り、江東区側の川岸を歩いて永代橋へ、再び隅田川を越えて日本橋まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
①水天宮・・・・・・・・・・チョイと水天宮にお立ち寄り。、、、、水天宮は、久留米藩主有馬頼徳公が現:港区赤羽の藩邸内に久留米市水天宮の分霊を文政元年(1818)に勧請して創建した。 その後、藩邸の移動に伴い、青山へ遷座し、さらに明治5年(1872)11月1日、現在の日本橋蛎殻町に遷座した。、、、、、平成28年(2016)4月より、建て替えられた新社殿への参拝が開始しされた。 新社殿は地下1階と1階が駐車場で、2階の人工地盤の上に社殿が建てられている。また、参集殿のある6階建ての下に参道の階段が設けられている。 これらの建物を地震から守るため境内全体を免振構造としている。 設計・施工は竹中工務店。
 
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②日清製粉晴東寮・・・・・・・・・日本橋蛎殻町にある寮。 スクラッチタイル風の貼りものをした、木造3階建ての建物。 建築年代は不詳ですが、『古そうだ!』
 
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③高尾稲荷・・・・・・・・・・中央区日本橋箱崎のIBM箱崎ビルの前に祀られている高尾稲荷。、、、、、、万冶2年(1659)江戸の花街新吉原(現:台東区千束)の遊女で二代目高尾太夫(仙台高尾ともいう)、傾城という娼妓の最高位にあり、容姿端麗にして艶名一世に鳴りひびき、和歌俳諧に長じ、書は抜群、諸芸に通じ、比類のない全盛をほこったといわれる、当時19歳の太夫。  その高尾が仙台藩主伊達綱宗候に寵愛され大金をつんで見請けされたが、彼女にはすでに意中の人あり、操を立てて候に従わなかったため、ついに怒りを買って隅田川の楼船上にて吊り斬りにされ、川中に捨てられた。 その遺体が当地に漂着し、引き揚げられた。 そこで、彼女の神霊高尾大明神を祀ったのを起源としている。、、、、若いピチピチのもったいない美女の哀れな話、懇ろに手を合わせ、お賽銭も奮発し20円にした。、、、、、高尾太夫の辞世、「寒風に もろくも朽つる 紅葉かな」 
 
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④隅田川大橋・・・・・・・・・・箱崎JCTから東に向かう首都高9号深川線が隅田川を越える橋が隅田川大橋である。 橋は2層構造で上が首都高、下が一般道の水天宮通り。、、、、、歩行者にとっては、車道と人道が完全に分離され安全で歩きやすいが、頭上に首都高が走り巨大な柱が上に向かって伸び、他の橋のように欄干によりかかり景色を眺める解放された雰囲気にはなりにくい。、、、、、、ついでの話、橋の下(地下)には地下鉄半蔵門線が通っている。、、、、、橋長385.3mの3径間連続鋼床鈑箱桁橋、昭和54年(1979)10月完成。、、、、、清洲橋、永代橋、両国橋などの昭和初期の優美な橋とは異なり、機能主義の武骨な昭和後期の橋である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・箱崎JCTから隅田川大橋に向かう首都高
 
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・・・・・・・・・・・・・上流側の清洲橋を見る。
 
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・・・・・・・・・・・・・下流側の永代橋、佃島を見る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・隅田川大橋を挟む巨大なビル2棟。 手前(左端)はIBM箱崎ビル。(地上25階建て、1989年竣工) 中央のビルはリバーゲートビル。(地上20階建て、1994年竣工)
 
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⑤豊海橋・・・・・・・・・・隅田川大橋と下流の永代橋の間で、神田川から分岐した日本橋川が合流する。 その日本橋川が隅田川に合流する直前に豊海橋(とよみばし)が架かる。、、、、、豊海橋は昭和2年(1927)に震災復興橋として架設された。 この橋は、永代橋を意識し、梯子を横にしたような骨太な重量感あるデザインで設計された。、、、、、橋長約46m、設計は福田武雄、施工は横河橋梁製作所。
 
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⑥永代橋・・・・・・・・・・・隅田川の上流から34番目の橋は永代橋である。 この橋も震災復興橋の一つで、国の重要文化財。、、、、橋は西岸の中央区新川と東岸の江東区佐賀・永代を結ぶ。 橋長184.7m、幅員25.0m、中央径間はスチールアーチ橋で両側は鋼桁橋。 大正13年(1923)12月に着工し、大正15年(1926)12月20日に竣工した、工期は短く約2年である。 工事費は2,924,000円也。、、、、、優美な清洲橋に対して、「帝都東京の門」と言われた永代橋はドイツのライン川に架かっていたルーデンドルフ鉄道橋をモデルにし、現存する最古のタイドアーチ橋で、かつ日本で最初に径間長100mを超えた橋でもある。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・・永代橋の下流で、隅田川は分流の隅田川派川(すみだがわはせん)と分岐する。 写真:右に向かうのは隅田川、左に向かうのは隅田川派川、その間は超高層マンション群のある佃島。、、、、、いつの間にか、超高層ビルも増え、私の知る60年前の漁師の島“佃島”のイメージはこの写真から想像できないね。
 
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2017年2月17日 (金)

清洲橋

今日の散歩は、32番目の清洲橋へ行く。 浅草橋の我が家から、明治座前をとおり清洲橋へ、橋を渡り江東区に入ると、清澄通り沿いに北上し、両国からは京葉道路を歩き、両国橋を渡り浅草橋に戻る、1万4千歩の散歩です。
 
 
 
①浅草橋から清洲橋へ・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・・家を出て、3分後、浅草橋駅を通過。、、、、、、『今日は、歩くぞ!』 
 
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・・・・・・・・・・・・・・朝8時ジャスト、浅草橋交差点を横断する。、、、、、まだ車も少ない時間帯、通勤する人も余裕の歩き。
 
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・・・・・・・・・・・・・都営浅草線東日本橋駅を通過。、、、、、、まだ8時10分だ! あまり早い出社は、若い人に嫌われるよ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・浜町の笠間稲荷神社に立ち寄っていく。、、、、、安政6年(1859)創建の神社は、すでに扉を開き、朝の参拝客受け入れ準備OK! 私も、道中の安全を願い、賽銭箱に100円入れて『よろしく!』
 
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・・・・・・・・・・・・・・8時25分、明治座前。、、、、、甘酒横丁の店もまだ開いてないので、寄り道せず先へ。 
 
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・・・・・・・・・・・・・清洲橋通りと新大橋通りが交差する浜町中ノ橋交差点。、、、、、直進すれば清洲橋、左折すれば新大橋。 今日は迷わず直進。、、、、、信号待ちの間、通勤するOLを見て、小さな声で口ずさんでしまった。 ♪♪ 若い娘が~ウッフン お色気ありそで~ウッフン ♪♪ スリー・キャッツの「黄色いさくらんぼ
 
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・・・・・・・・・・・・・・清州橋西詰の小さな神社は、昭和29年(1954)に建立された金刀比羅宮。、 、、、、、、近くの人形町は、江戸時代初期の吉原であった。 明暦の大火で吉原は浅草千束に移り、その後、現:人形町は葭町(よしちょう)として、町芸者を生み出し、花街として発展してていった。 現在では、料亭1軒、芸者10名程も規模となったが 、見番:「東京葭町組合」も現存している。、、、神社の玉垣には、その葭町の料亭・芸妓名が標され、華やかなりし時代を思い起させる。
 
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②清洲橋・・・・・・・・・・・・中央区日本橋中洲と江東区清澄を結ぶ橋で、「清洲橋」と命名された。 大正14年(1925)に着工し、昭和3年(1928)に竣工した関東大震災復興橋の一つである。 構造形式は自碇式チェーン吊り橋、橋長は186.3m、幅員は22.0m。 設計:鈴木精一(内務省復興局技師)、施工:東京市復興局、橋桁製作:神戸川崎造船所。 総工費321万円。、、、、、、近代橋梁技術により、洗練された曲線、造形が優美な美しさを表現している。
 
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・・・・・・・・・・・・・・清洲橋のモデルとなった、当時最高に美しいと評判だったドイツケルンのヒンデンブルグ橋。 ウ~~ン確かに似ている、写真はケルン市のホームページより拝借。
 
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・・・・・・・・・・・・・・上流(新大橋方向)を望む。
 
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③清洲橋から我が家へ・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・時刻は9時45分、清洲橋通りの北側の裏道を歩き深川稲荷神社の前を通る。 小さな神社だが、布袋尊が祀られ深川七福神の一つである。 深川稲荷神社は、寛永7年(1630)の創立。、、、、、、、以前、七福神めぐりで立ち寄った神社だが、布袋尊の姿を思い出せなかった。 私も老いたか?
 
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・・・・・・・・・・・・・・・清澄通りを北上し、小名木川を渡り、森下交差点の手前で、深川神明宮にもお立ち寄り。 こちらは七福神の寿老人が祀られている。、、、、神社の門前には、日本画家で朝丘雪路の父である伊東親水の誕生地跡の案内が立っていた。 『江戸っ子だってね。 深川の生まれよ!』
 
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・・・・・・・・・・・・・・・再び清澄通りに戻り、墨田区に入る。 堅川を二之橋で越えて、京葉道路に出る。、、、、、堅川の上を首都高が覆い、暗い川だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・両国6丁目、京葉道路に立つ本所松坂町跡の碑。 関東大震災後の区画整理で、本所松坂町の名が消えるのを惜しみ、、『おいらの松坂町の名が消えるぞ』、江戸っ子なら後世に残る石に刻んで町名を残そうと、考えたようだ。 昭和4年(1929)11月1日の日付が彫られていた。
 
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・・・・・・・・・・・・・両国橋を渡り、柳橋を渡り、我が家のある浅草橋へ。 『ただいま』とドアを開けたのは10時45分。
 
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2017年2月16日 (木)

両国大橋・新大橋

我が家(浅草橋)から、両国橋を渡り下流の両国大橋へ、さらに下流の新大橋へ、新大橋を渡り浜町河岸付近をぶらつき我が家まで、1万2千歩の散歩です。、、、、隅田川の最上流から数えて、いよいよ30番目の両国大橋と、31番目の新大橋。
 
 
 
①両国大橋・・・・・・・・・・「両国大橋」こんな橋あったかな? 「両国橋」の間違いでは? 地元の人でも知らない人もいるが、名は知らねども、大川に架かる両国大橋、知らねばドライバーとは言えまい。、、、、両国大橋は、隅田川に架かる首都高の橋で、橋上は「両国ジャンクション」である。 箱崎から北上し、6号向島線と7号小松川線に分岐する地点である。、、、、西岸は中央区日本橋浜町、東岸は墨田区両国に架かる、巨大で立体的な構造が面白い橋梁である。 昭和44年(1969)12月に完成し、供用開始は首都高の開通に合わせ昭和46年(1971)3月21日。 設計は首都高速道路公団工務部、施工は石川島播磨重工業・日本橋梁・大林組。、、、、、、構造物としては面白いが、景観上は邪魔だね、どかせるものならどかして欲しい!
 
・・・・・・・・・・・・・・・両国橋から見る両国大橋。 右側は中央区、左側は墨田区。
 
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・・・・・・・・・・・・・・上流(両国橋側)の隅田川テラスから見る。 対岸は、♪♪ 浮いた浮いたと 浜町河岸に 浮かれ柳の はずかしや 人目しのんで 小舟を出せば すねた夜風が 邪魔をする ♪♪、の浜町河岸
 
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・・・・・・・・・・・・・お股から失礼して、お尻を拝見!
 
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・・・・・・・・・・・・・・墨田区側から下流(新大橋)方向を見る。
 
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②御臨幸記念碑・・・・・・・・・・中央区立日本橋中学校の校庭横に、浜町河岸に向いて「御臨幸記念碑」が建てられている。、、、、、、記念碑は、大正12年(1923)の関東大震災で被災した東京が見事に復興したした様子を、昭和5年(1930)に昭和天皇が日本橋中学校(当時は千代田小学校)の校庭に立ち寄り視察した記念に、昭和8年(1933)に建立された。 羽ばたく鳳凰をデザインし、菊の御紋を彫った、高さ3m程の立派な碑である。、、、、、、当時の天皇の威光を感じる。
 
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③新大橋・・・・・・・・・・・・西岸(右岸)の中央区日本橋浜町と東岸(左岸)の江東区新大橋を結ぶ橋。、、、、、新大橋が最初に架けられたのは、元禄6年12月7日である。 当時、「大橋」と呼ばれていた両国橋は既に架けられており、両国橋に続く大橋として「新大橋」と名付けられたそうだ。、、、、、、江戸時代は木橋であったが、明治45年(1912)にトラス式の鉄橋に架け替えられた。 この鉄橋は震災。・戦災に耐え昭和50年(1975)まで使用されたが、その後は、愛知県の明治村に移築・保存され、老後の余生をのんびり送っている。、、、、、現在の橋は、2径間連続斜張橋、橋長は170.0m、幅員は24.0m、昭和51年(1976)に着工し、昭和52年(1977)3月27日に竣工した。 施工は石川島播磨重工業。、、、、、2本の黄色の塔が印象的で、シンプルな美しい橋である。
 
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・・・・・・・・・・・・・下流(清洲橋方向)を望む。
 
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・・・・・・・・・・・・・・旧橋のアールヌーボー調の親柱が東詰に保存されている。
 
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2017年2月13日 (月)

蔵前橋~両国橋

我が家から、蔵前橋、両国橋のどちらにも徒歩15分程で行ける。 JR総武線隅田川橋梁は10分程の位置にある。 つまりは、今日散歩した隅田川に架かる4橋梁は、我が家の庭の池に造られた橋のようなものである。 (おっと、間違えた! 我が家には庭はない。 庭を造るぐらい広い敷地があれば、マンションでも建てて、左団扇の生活だ!)、、、、、、今日の散歩は、我が家から、台東区・墨田区の両岸にある隅田川テラス を歩いて4橋を見てきた。 1万1千歩。、、、、、“4橋”とは、隅田川の最上流から数えて、26番目の蔵前橋、27番目の知る人も少ない地味なNTT蔵前専用橋、28番目のJR総武線隅田川橋梁、29番目の両国橋である。
 
 
 
①チョイと、その前に・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・隅田川テラスに出るには、我が家から、江戸通りを横切り柳橋から河岸に下りる。
 
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・・・・・・・・・・・・・JRの高架沿いにチョッピリ歩くと、隅田川岸近くに石塚稲荷神社 (創建年代は不詳)がある。 かつて、柳橋芸妓組合(見番)がありし頃、その近くにあった祠である。 芸妓は座敷に出る前に手を合わせたであろう稲荷に、私もテラスに出る前に手を合わせた。 粗相なきよう心を込めて、二礼、二拍手、一礼。
 
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・・・・・・・・・・・・・高架橋の先に総武線隅田川橋梁が見える。 高架橋の左わきから隅田川テラスに下りる。 
 
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②蔵前橋・・・・・・・・・・・台東区蔵前と墨田区横綱を結び、橋上には「蔵前橋通り」(都道315号)を通す橋。 形式は3径間連続上路式ソリッドリブ2ヒンジアーチ/上路式コンクリート固定アーチ、橋長173.2m、石川島造船所の施工で大正13年(1924)9月に着工し、昭和2年(1927)11月26日に竣工した。 工事には東京市復興局が1,751,000円の工事費をかけてそうだ。 当時の物価は白米(10キロ)3円20銭、公務員の初任給75円の時代。 現在に換算すると、『ゴメン、計算できません。』、、、、、、橋名は、西岸(台東区側)架橋地点に幕府の米蔵があったことに由来する。 昭和50年代まで大相撲がおこなわれた蔵前国技館も橋の西詰にあった、今では懐かしい。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・橋の高欄には、力士のレリーフが施され、屋形船にのった柳橋芸者の姿もある。
 
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・・・・・・・・・・・・・東側(墨田区側)は、隅田川テラスの頭上を首都高向島線が走り、景観破壊だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・橋から、下の道に直接下る階段も造られている。、、、、なんとなく“昭和”の景色だ。
 
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③NTT蔵前専用橋・・・・・・・・・・・・・・西岸(台東区蔵前)のNTT東日本蔵前通信ビルと対岸(墨田区横網)を結ぶ専用橋。 橋上には洞道(通信線トンネル)が敷設され、夏の高温対策に洞道内部を冷やす換気用の窓もあるそうだ。(実際には見たことなし!)、、、、、蔵前橋の下流側に並行に架けられ、景観上は邪魔な橋。、、、、、、3径間連続鋼箱桁橋、 橋長は155.4m、昭和42年(1967)3月の竣工である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・対岸(台東区蔵前)にある白いビルがNTT東日本蔵前通信ビル。
 
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・・・・・・・・・・・・・・墨田区側は首都高の下で道路下に潜り込んでしまう。
 
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④総武線隅田川橋梁・・・・・・・・・・・・・JR総武線、浅草橋駅と両国駅の間に架かる橋。 総武線が両国駅から御茶ノ水駅まで延伸するときに架けられた。 昭和7年(1932)の竣工である。 設計は元土木学会会長:東大教授:田中豊(たなかゆたか:1888~1964)で、日本の橋梁設計の大御所。 学会ではその業績を記念し、優れた特色を有する橋梁が毎年選考され、与えられえる土木学会田中賞の名称となっている。 「かつしかハープ橋」、「五色桜大橋 」、「新豊橋」などが受賞している。、、、、、、形式は3径間ゲルバー下路式ランガー桁(ランガー桁とは、桁とアーチの双方で荷重を支える補剛アーチ形式の一つ)、橋長は172m、橋桁製作は横河橋梁製作所。
 
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両国橋・・・・・・・・・・上流の総武線隅田川橋梁と同様に、このブログでは登場回数の多い橋である。、、、、、、西岸の中央区東日本橋と東岸の墨田区両国を結び、橋上には国道14号(京葉道路)を通す。 橋名の“両国”は、江戸時代、西岸は武蔵国で、東岸は下総国であった、その国境に架けられたことから命名された。、、、、、両国橋は江戸時代から何度も架け替えられたが、鉄橋が架けられたのは明治37年(1904)が最初である。 この橋は震災に耐え、その後南高橋 に転用された。、、、、、、現橋は、震災後に架け替えられたものである。 3径間ゲルバー式鋼鈑桁橋で、橋長は164.5m、昭和5年(1930)2月に着工し、昭和7年(1932)11月に竣工した。 施工は下部:間組、上部:石川島造船所。
 
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・・・・・・・・・・・・・車道と歩道の柵には、両国のイメージに合わせ、国技館と花火そして軍配がデザインされている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・東岸(墨田区側)から見る両国橋と柳橋。
 
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・・・・・・・・・・・・・・両国橋の股から覗いた柳橋。
 
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・・・・・・・・・・・・・両国橋から下流の浜町方向を望む。 見えるのは首都高向島線の橋。
 
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2016年12月19日 (月)

亀島川

浅草線日本橋駅で下車し、亀島川沿いを歩き、鉄砲洲稲荷神社から浅草線宝町駅まで、1万1千歩、8kmの散歩です。
 
 
東京に住む人でも「亀島川」と言われて、ピンとくる人は少ないと思う。 亀島川は中央区新川(通称:霊岸島)の2辺を流れる総延長1.1km程度の短い川である。 亀島川は日本橋川から分流し、隅田川に注ぐ川で、川筋には、霊岸橋、 新亀島橋、 亀島橋、 高橋、 南高橋の5橋が架かり、最上流には日本橋水門、最下流側には亀島川水門が設置されている。、、、、、、昔、亀島川の西側(現:茅場町)は、亀島河岸と呼ばれていたそうだ。
 
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①日本橋水門・・・・・・・・・・・日本橋川から分流する亀島川、そのゲートが日本橋水門である。、、、、、日本橋水門は、河口の亀島川水門とともに、高潮発生時に亀島川を完全に締め切り、隅田川の逆流による洪水を防ぐ役割を担っている。、、、、長さ:30.00m、高さ:8.1m、鋼製単葉ローラーゲート形式。 昭和46年(1971)に清水建設の施工で完成した。
 
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②霊岸橋・・・・・・・・・・江戸初期の寛永年間(1624~1643)に霊巌上人がその法力により、当時海であった八丁堀を陸地にし、そこに霊巌寺を建て、この地(現:中央区新川地区)を霊巌島と呼ぶようになった。 なお、霊巌寺は明暦の大火後に深川に移転した。、、、、霊岸橋は日本橋茅場町地区と新川地区(霊岸島)を結ぶ橋。 創架の年代は不明だが、江戸時代後期には霊岸橋の名称が記録に残っているそうだ。、、、、、霊岸橋の東側(新川1・2丁目)は、江戸湊(現:亀島川水門の近くに碑が建てられている)における千石船の停泊地として栄え、樽廻船で運ばれる「下りの酒」を一手に引き受ける場で、「新川の下り酒問屋」として栄えた地である。、、、、、現在の橋は昭和60年(1985)に竣工した。
 
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・・・・・・・・・・・・・・霊岸橋から下流(新亀島橋)を望む。
 
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・・・・・・・・・・・・・・霊岸橋北詰に建つ第2井上ビル、昭和2年(1927)竣工の古いビル。 映画のワンシーンとなるような昭和レトロのビル。 
 
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③新亀島橋・・・・・・・・・・・・霊岸橋の下流に架かる新亀島橋、この橋は明治15年(1882)に架けられた当時は木橋であった。 下流には元禄時代からの亀島橋が既にあり、“新”を冠して新亀島橋と命名したらしい。 なお、橋の北岸:現:茅場町側は、「亀島町」と呼ばれていた。、、、、2代目は大正15年(1926)に、震災復興事業により鋼製の桁橋に架け替えられた。、、、、現在の橋は、平成7年(1995)に架けられた、橋長:30.5mの鋼床版ラーメン橋。
 
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・・・・・・・・・・・・・・下流側(亀島橋)を望む
 
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・・・・・・・・・・・・・・・橋の北詰には、「大震火災遭難者追悼碑」(大正13年建立)と、「戦災遭難死者慰霊碑」が建てられ、供養されていた。 私も合唱。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・お隣には、純子稲荷(じゅんこいなり)の赤い旗がなびいている。 “純子”って、なんだ!誰だ! まさか、小林旭の「純子」ではないだろうと思いながら境内の由緒書きを読んでみた、“純子”については御祭神:純子大神と書いてあるのみ。 このブログを書くにあたり、一生懸命、調べてみたが不明。 なお、稲荷の創建は元和2年(1616)、町奉行所内の千代田稲荷の分霊を勧請したことに始まるそうだ。、、、、、ちなみに、「純子」(遠藤実作詞・作曲)の歌詞は、♪♪遊び上手なやつに だまされていると聞いた 噂だけだね 純子 純子 僕は淋しい ・・・・・♪♪(歌の純子は可愛い女である)
 
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④亀島橋・・・・・・・・・・・・亀島川が霊岸島に沿って“く”の字に折れる位置に亀島橋はある。 
この橋は元禄12年(1699)頃に架橋されたそうだ。 それゆえ、赤穂浪士が討ち入り凱旋時に通った橋のひとつといわれている。、、、、、現在の橋は、平成14年(2002)6月に完成した、橋長:32.4m、鋼上路アーチ橋。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・亀島橋から上流側(新亀島橋)を遠望すると、真正面にスカイツリーが見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・・下流側(高橋)をみると、川が折れて流れ下る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・亀島橋西詰(中央区八丁堀)に、赤穂義士の堀部安兵衛武庸(1671~1703)が居住していたことにちなみ、堀部安兵衛武庸之碑が建てられている。 昭和44年(1969)、八丁堀一丁目町会によって建立された。、、、、私が住む浅草橋の脇に、「雅万歩之碑」がいずれ建つことを願って、私もこのブログを書き続けるか?
 
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・・・・・・・・・・・・・亀島橋から、右岸(八丁堀)を川沿いに歩くと、小さな社の日比谷稲荷神社がある。 神社のある辺りは、江戸時代、町名を「日比谷町」と称し、川岸は「日比谷河岸」と呼ばれていた。 これは江戸時代初期に、現:日比谷公園あたりの住民が徳川幕府による江戸城本格築城のあおりうけて当地に移転したためである。 この小さな神社に、当時の地名が残されているわけだ。
 
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⑤高橋・・・・・・・・・・・・JR京葉線の八丁堀駅の東端の出入口は、この高橋(たかばし)の西詰になる。 亀島川の入り口付近に架けられた橋で、船の出入りを妨げないように、太鼓橋のような背の高い橋にしたため高橋と名付けられたそうだ。(昔の話である) その後、明治15年(1882)10月に、吊橋式の鉄橋が竣工した。、、、、、、現在の橋は昭和59年(1984)3月に架けられた。
 
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・・・・・・・・・・・・・東詰めには、旧橋の親柱が残されている。
 
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・・・・・・・・・・・・・上流側(亀島橋)を眺める。
 
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⑥南高橋・・・・・・・・・・・明治37年(1904)に架けられた両国橋の中央径間が転用されて、昭和7年(1932)に架けられた震災復興橋。 橋長:63.1mの下路式単純プラットトラス橋。、、、、、全国でも6番目に古い鋼鉄トラス橋で、学術的にも貴重な橋として、今年度の土木学会選奨土木遺産に指定された。
 
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・・・・・・・・・・・・・・関東大震災以前の両国橋。 この、中央径間が南高橋に転用された。
 
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⑦亀島川水門・・・・・・・・・亀島川の最下流に位置し、高潮・津波に備えた防潮水門である。 鋼製単葉ローラーゲート形式の水門で、15m×2連、高さ:8mの門扉である。 昭和43年度(1968年度)の竣工。 この水門の外側は隅田川である。
 
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