北区

2017年4月20日 (木)

尾久車両センター

京浜東北線上中里駅で下車し、尾久車両センターの周囲を歩き田端新町まで、8千歩の短い散歩である。、、、、、田端新町からバスで浅草に出て、帰宅。
 
 
 
上中里駅 ・・・・・・・・・・・昭和8年(1933)7月1日に開業した上中里駅。 23区内のJR駅の中でも、際立って利用客の少ない駅。 出入口・改札口はホームの東端の橋上に一か所あるのみ。 駅での待ち合わせには、間違えることの少ない人にやさしい駅である。
 
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②車坂跨線橋・・・・・・・・・・・上中里駅から直線距離で約300m田端側で、京浜東北線上に架かり、新幹線下を抜ける跨線橋。 現橋は昭和57年(1982)に架けられたものであるが、昭和初期の写真に跨線橋が写っている。、、、、、、橋名の「車坂」は、崖上の滝野川女子学園の脇を南へ上る坂である。
 
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③上中里庚申堂・・・・・・・・・駅から跨線橋を渡り崖下の道路沿いに出ると庚申堂がある。 堂内には、石塔が複数あり祀られている。 庚申塔には、寛文5年(1665)の年号が読み取れる。
 
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④上中里2丁目の裏道・・・・・・・・・・・・・駅の北側には、昭和の下町の面影を残す細い道がある。、、、、、私、好みの細道。
 
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⑤梶原踏切・・・・・・・・・・・・・・上中里駅から北へ150m程の処(尾久車両センターの大宮寄り)にある東北本線(宇都宮線+高崎線)の踏切。 通勤時間帯は、都内にある踏切同様、ここも開かずの踏切となるため、人がわたることのできるエレベーター付き跨線橋が隣に設置されている。、、、、、跨線橋は、嵌め殺しのガラス窓があるので、チョイト写真を撮るには邪魔だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・踏切から撮影。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・跨線橋から撮影。
 
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⑥尾久駅・・・・・・・・・・・・・昭和4年(1929)6月20日に開業した東北本線の駅。 上中里と利用客の少なさを競う駅。、、、、、駅の所在地は荒川区の尾久ではなく、開業当時から北区昭和町にある。 ところで、荒川区の地名「尾久」(東尾久・西尾久)は『おぐ』と読む。 駅の「尾久」は『おく』と読む。 なぜか・・・・駅名を決めるとき、当時の国鉄(時代からすると鉄道省)が、『おぐ』は訛りだと思い、『おく』にしてしまったそうだ。 単なる間違いが80年以上訂正されずに使用されているようだ。
 
・・・・・・・・・・・・・・・梶原踏切から尾久車両センターに沿って歩いてきた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・尾久駅。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・尾久駅の脇から、尾久車両センターの広い構内を横断する地下道「尾久構内架道橋」がある。 長さ約150m、長い!
 
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⑦田端信号場駅の脇を歩く・・・・・・・・・
 
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⑧東田端道標・・・・・・・・・・・田端運転所と尾久車両センターの間の道を田端駅方向に歩いてくると、運転所の角(東田端2-19)に道標がぽつんと立っている。、、、、「右 □阿弥陀 西新井弘法大師道」、「左 王子道」と標されていた。 どうやら、私が歩いてきた道が王子街道(王子道)であった。
 
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●・・・・・・・・・・・・・これより、近くの明治通りにでて、バスで浅草へ行く。 散歩はここまで!

2017年4月 6日 (木)

戸田橋

JR埼京線戸田公園駅から、荒川に架かる戸田橋を渡り、埼京線浮間舟渡駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
①戸田公園駅・・・・・・・・・・・東北新幹線の建設では、埼玉県南部の人口密集地を抜けるため、新幹線高架橋と並行して通勤新線を建設し住民の説得にあたったのが埼京線である。 昭和60年(1985)9月30日、その埼京線と同時開業した駅の一つが戸田公園駅。、、、、島式ホーム1面2線と、両外側に1線づつ通過線がある高架駅。 下り線の外側には新幹線の高架橋が並行する。
 
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・・・・・・・・・・・・・・このまま電車に乗って終点まで行きたくなった!
 
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②地蔵堂・・・・・・・・・・・・・荒川の左岸:戸田市川岸1丁目に地蔵堂がある。 堂は江戸時代の絵図にも記載されている、戸田市内最古の木造建造物だそうだ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・地蔵堂の近くにある水神宮(すいじんぐう)。、、、、正面の石碑には寛政8年(1796)の銘がある。 この地の氏神さまらしい。
 
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・・・・・・・・・・・・・・地蔵堂の近くにもう一つ古そうなものがあった。、、、、今も現役のポスト
 
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③戸田の渡し跡・・・・・・・・・・水神宮向かいの荒川土手に「中山道戸田渡船場跡」の碑がある。、、、、、、荒川には江戸防衛の意から橋は架けられず、人々はここを越えるには船による渡しに頼らざる得なかった。 これが中山道「戸田の渡し」である。、、、、この渡しは、天正年中(1575~1591)よりあったとされ、その重要性は近世を通じて変わらなかった。 明治8年(1875)には木橋の戸田橋がついに完成し、「戸田の渡し」が廃止となった。
 
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④戸田橋親柱・・・・・・・・・・・戸田橋の北詰(戸田市川岸3)の戸田橋親水公園に3代目戸田橋の親柱が保存されている。、、、、、、3代目戸田橋は、昭和4年(1929)に着工し、総工費101万9000円を投じ、昭和7年(1932)12月24日に竣工した、長さ545m、幅11m、当時の橋梁技術の粋を集めた近代的な鉄製トラス橋で、完成当時は日本一斬新でモダンなデザインが話題を呼んだ。 橋の設計は増田淳(千住大橋白鬚橋などを設計)、橋の施工は横河橋梁(現、横河ブリッジ)、架設は鴻池組である。
 
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・・・・・・・・・・・・・親柱の銘板「埼玉縣」には、後に米軍憲兵によって付けられたといわれている弾痕が3箇所ある。 一か所は、「埼玉縣」の“玉”の字の中央に、パチンコ玉程のくぼみを見ることができる。、、、、、“玉”を弾で傷つけ、おっ魂げた!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・3代目戸田橋 (雑誌「工事画報」昭和8年1月号より )
 
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⑤戸田公園・・・・・・・・・・駅名ともなっている戸田公園は、荒川の水を引き込んだ戸田オリンピックボートコースをはじめ、荒川の河川敷に広がる野球用のグラウンドなどの総称である。 戸田競艇場もボートコースの西端にある。、、、、、ボートコースは約2.5kmの長さ、長すぎるので、端っこだけ見てきた! 2020年東京オリンピックもここを利用すればいいのにね!
 
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⑥戸田橋・・・・・・・・・・・・現在の戸田橋は、埼玉県戸田市と東京都板橋区の間で荒川に架かるかかる橋で、国道17号(中山道)を通す。 新幹線・埼京線荒川橋梁が下流側に並行して架かる。、、、、、明治8年(1875)に最初の木橋の戸田橋が架けられ、大正元年(1912)に2代目の戸田橋(木橋)が架けられ、3代目は昭和7年(1932)に鋼製のカンチレバートラス橋が架けられた。、、、、、現橋(4代目)は、昭和53年(1978)竣工した、長さ519m、幅21mの鋼連続箱桁橋である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・上流側を望む。
 
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⑦浮間公園・・・・・・・・・・・浮間舟渡駅の正面に広がる、東側の北区と西側の板橋区にまたがる約4万m²の公園。、、、、元は荒川が流れていたところで、大正から昭和にかけての河川改修で一部が池になった。 昭和42年(1967)に浮間公園が設けられた。、、、、、只今、満開! 早々と、昼前から桜色に染まった人もいた。
 
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浮間舟渡駅 ・・・・・・・・・・北区浮間と板橋区舟渡の2区にまたがる駅。 
 
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2017年1月23日 (月)

尾久橋・日暮里舎人ライナー隅田川橋梁

隅田川の橋梁めぐり、今日は7番目の尾久橋、8番目の日暮里舎人ライナー隅田川橋梁を見て、連続して荒川に架かる扇大橋、日暮里舎人ライナー荒川橋梁も見てきた。 JR田端駅から、日暮里舎人ライナー扇大橋駅まで、1万3千歩の散歩です。
 
 
 
①東灌森稲荷神社・・・・・・・・・・・・田端駅から北東に300m程歩くと、北区東田端1丁目に東灌森稲荷神社 (とうかんもりいなりじんじゃ)がある。、、、、太田道灌が江戸城築城の際、方除け守護神として、江戸周辺に七つの稲荷社を祀ったと伝えられている。 即ち柳森稲荷社烏森稲荷社椙森稲荷社・雀森稲荷社・吾妻森稲荷社・宮戸森稲荷社、そしてここの東灌森稲荷社である。、、、、、神社入口の石鳥居は吉原遊郭の尾張屋彦太郎が安政4年(1857)に奉納したもので、江戸下町に多かった稲荷信仰の一つである。、、、、、今は、地元の有志によって守られている神社のようだ!
 
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②尾久銀座/はっぴーもーる熊野前・・・・・・・・・・・・・荒川区東尾久4丁目の中央を南北に貫く下町の商店街が「尾久銀座」。 4丁目から東尾久5丁目に入ると「はっぴーもーる熊野前」の商店街が続ぎ、二つの商店街が約800mの長さでつながっている。 北端は、都電荒川線の「熊野前停留場」の正面である。
 
・・・・・・・・・・・・・・・商店街の南端(東尾久4-21)にある「尾久銀座」のアーチ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・店開きの準備中! 昭和34年(1959)に設立し、50年以上経過した元気そうな商店街だ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・商店街の中程のスーパーの2階に、かつて「尾久セントラル劇場」という映画館があった。 30年ほど前にすでに閉館した映画館だが、2階の外壁にはいまだ当時の看板が残されている。 「各社特選映画上映」、「毎週土曜日オールナイト」、「冷暖房完備」、懐かしい単語が並び、嬉しくなる看板である。、、、、チョイと2階へ上がってみると、入場券売り場と思われる窓と入口がある、残念だがシャッターが下りている。 ここで、三本立てのピンク映画、ヤクザ映画を観て育った学生も、今は立派な大人になっていることだろう!?
 
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・・・・・・・・・・・・・・「尾久銀座」の北端は、「はっぴーもーる熊野前」の南端である。 二つの商店街のアーチが重なる。
 
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・・・・・・・・・・・・「はっぴーもーる熊野前」の商店街は、万国旗の飾り付けでお出迎え。 まだ開店前で人通りも少なく寂しいが、昼過ぎには活気ある商店街になるだろう。
 
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・・・・・・・・・・・・・・商店街の北の端。 アーチの前は都電「熊野前停留場」。
 
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③尾久橋/日暮里舎人ライナー隅田川橋梁・・・・・・・・・・・・・上流側に尾久橋通り(都道58号)を通す尾久橋(おぐばし)が架かる。 下流側に日暮里舎人ライナーの隅田川橋梁が並行して架かる。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・尾久橋は荒川区東尾久と北岸の足立区小台を結ぶ、全長176.0 m、幅24.0 mの、3スパン連続鋼床版箱桁橋。 昭和43年(1968)に完成。、、、、、隣の日暮里舎人ライナーの隅田川橋梁は、平成20年(2008)の全線開業に合わせ完成した。
 
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・・・・・・・・・・・・・・尾久橋から、上流側(小台橋)、下流側(尾竹橋方向)を望む。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・尾久橋を渡った先に、日暮里舎人ライナーの「足立小台駅」が見える。
 
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④扇大橋/日暮里舎人ライナー荒川橋梁・・・・・・・・・・・・・尾久橋に連続して扇大橋が架かる。 また、隣を走る日暮里舎人ライナーも隅田川橋梁に続き荒川橋梁となる。、、、、左岸側(足立区扇側)では、扇大橋の上を首都高中央環状線がクロスし、さらにその上を日暮里舎人ライナーが通る。 よって、荒川橋梁は怖いくらいの高さにある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・扇大橋(おおぎおおはし)は、3径間連続鋼ゲルバー式桁/連続箱桁橋、橋長445.4m、幅員26.0m、昭和49年(1974)の竣工。、、、、、、、日暮里舎人ライナー荒川橋梁は、4径間鋼箱桁、橋長610.8m、幅員12.8m。 平成18年(2006)に竣工した。
 
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2017年1月18日 (水)

豊島橋・首都高中央環状線隅田川橋梁

隅田川の上流から数えて、4番目の豊島橋、5番目の首都高中央環状線隅田川橋梁を見てきた。 王子駅から首都高中央環状線沿いに歩き、豊島五丁目団地を覗き豊島橋を渡り足立区に入り、川岸をしばらく歩き、王子駅に引き返す、1万4千歩の散歩です。
 
 
 
①首都高中央環状線隅田川橋梁・・・・・・・・・・・・・隅田川右岸の北区堀船と左岸の足立区宮城との間に架かり、平成14年(2002)12月に王子線(板橋JCT~江北JCT間)が開通した。 この開通に合わせ隅田川橋梁も架橋されたと推測される。、、、、、隅田川の上を、上下2層の連続トラス橋で越え、“橋梁”と言うより、“高架橋”と言う感じである。、、、、、今日は、王子駅から豊島橋の先まで首都高沿いに歩いてきた。
 
・・・・・・・・・・・・・・飛鳥山をトンネルで抜け、石神井川沿いに隅田川へ向かう首都高。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・石神井川と隅田川の合流点。 頭上を首都高が走る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・隅田川を越える首都高中央環状線隅田川橋梁。
 
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・・・・・・・・・・・・・・川を越えると左岸(写真左側)沿いに、足立区宮城を抜ける。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・・豊島橋東詰の上を直進し、、、、
 
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・・・・・・・・・・・・・・・首都高は写真:奥へ進み、江北橋に並行して荒川を越える。 写真左、隅田川が左奥から大きく蛇行し豊島橋に流れ来る。(この付近に、昔、渡しがあったようだ。)
 
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②下道地蔵尊・・・・・・・・・ずらりと18体の石仏が並ぶ下道地蔵尊。、、、、、 このへんは、明治以前は豊島村・領家集落の北の外れで、川と田んぼが広がる田舎であった、この辺には多くの石仏がたたずんでいたと思われる。 都市化とともに、各処にあった石仏が集められ、今となった。、、、、、“下道(しもみち)”とは、この辺りから下(しも、現:北区志茂)に向かう道があったことから地名として、このように呼ばれていたそうだ。
 
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③豊島五丁目団地・・・・・・・・・・隅田川が大きく曲がる北区豊島5丁目に建つ公団住宅。、、、、鉄筋コンクリート造、14階建て、総戸数4959戸(12棟)、昭和47年(1972)8月~昭和48年(1973)10月の竣工である。、、、、、この団地は、日産化学工業王子工場の跡地に開発された大規模団地である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・団地内のショッピングモールを覗いてみた。、、、、おや! 閉店した店もあるようだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・チョイと“A”型の平面をした高層棟を見学することに、、、、、奇数階止まりのエレベータで9階でおりた瞬間、エレベータのロープが切れていたらと考え、ぞ~~っとした。 9階の窓のない廊下から外を見ると、もし風で飛ばされたらと考え、また、ぞ~~っとした。 廊下のつなぎ目の鉄板の上を歩き、もし錆びていたらと考え、またまた、ぞ~~っとした。 私の若い頃は、ゼネコンで集合住宅の現場を担当し、足場の上も平気で歩いていたが、歳をとり高所恐怖症になってしまった。 自分の足元が不安な場所、足元が不安になる想像をすると、怖いのだ。、、、、、もう私は、高層住宅に住めそうもないね!
 
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④豊島橋・・・・・・・・・・・・豊島橋(としまはし)は、隅田川を挟む、北区豊島と足立区宮城を結ぶ橋。、、、、、もともと現在の橋の上流300mほどの隅田川が大きく蛇行する処に、鎌倉時代から続くと渡しがあったそうだ。 この場所に、大正14年(1925)、木橋の豊島橋が架けられた。 昭和35年(1960)に下流の現在の位置にゲルバー式鋼製桁橋が改架された。 そして、平成7年(1995)に地盤沈下と老朽化によって再度改架されることとなり、7年の工事期間を経て平成13年(2001)に現在の橋が架けられた。、、、、、、、単純下路式鋼ローゼ桁橋で、橋長は106.7mである。、、、、、、シンプルな桁で瘦せ型の女性のようなデザインの橋だ!
 
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2017年1月17日 (火)

新田橋・新豊橋

今冬“最強の寒波”も和らいだようだが、今日はチョイと厚着で散歩に出た。 隅田川に架かる橋の続きを歩こうと、東十条で下車し、新田橋・新豊橋を渡り王子駅まで、1万2千歩です。、、、、、厚着して、失敗! 暑い暑い、汗で濡れ、足が止まると、寒い寒い、寒暖の変化が激しく、風邪ひきそうだ。
 
 
 
①旧北王子駅・・・・・・・・・・・・「北王子駅」と聞いて“ピン”ときた人は鉄道オタクである。、、、、、北区田端信号場駅と北王子駅(貨物駅)を結ぶJR貨物の専用線路(北王子線)がかつて敷かれていた。 平成26年(2014)3月に、日本製紙(旧王子製紙・十條製紙)への引き込み線(北王子支線)は廃線となった。、、、、、工場跡地は、「十条製紙」時代の昭和51年(1976)に、一部か公団住宅へと変わった。 その後、残されていた倉庫(日本製紙となり)も取り壊され、現在は2018年完成予定で、約1000戸(6棟)のマンションが建設中である。、、、、、工場の西側の一般道は「桜田通り」と命名された桜並木である。 この並木に並行して、構内に敷き込み線があった。 今日来てみると、桜並木は残っているが、残念ながら敷き込み線は撤去されたようだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・構内に引き込まれていた貨物線の踏切跡が残っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・4年前(2013年)の今日(1月17日)撮影した、桜並木と踏切跡から見た構内。
 
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②王子五丁目団地・・・・・・・・・・・十条製紙工場跡に建てられた住宅公団の団地。 鉄筋コンクリート造/14階ての団地は、昭和51年(1973)3月から入居が開始された。 全6棟(2,221戸)の大きな団地である。 約40年前の完成当時は、3DKで6万円の家賃が「日本一高い家賃」と報道された。(当時の物価は、岩波文庫100円、うな重1200円、鉛筆20円) ちなみに、現在の家賃は14万円程らしい。、、、、、当時、私の月給も6万円ぐらいだったかな?  
 
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③豊島8丁目・・・・・・・・・・・・・・地下鉄南北線王子神谷駅付近から、庚申通り商店街の街路灯が並ぶ道を歩き新田橋に向かう。
 
・・・・・・・・・・・・・・庚申通り商店街の入り口に祀られている庚申塔。 盗難防止か?厳重に庚申塔は守られ、外からは見えない。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・まだ朝だ! 店はこれから開店だが、チョイと活気がなさそうだ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・裏道に入ると豊島8丁目町会の守り神、豊八稲荷大明神が町会会館前に祀られていた。、、、明治43年(1910)に京都伏見稲荷神社に勧請し、祀った屋敷神。 戦後、町会で維持管理するようになったらしい。、、、、、、“大明神”とは、恐れ入谷の鬼子母神。
 
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・・・・・・・・・・・・・・大明神裏の路地にはリヤカーが立てかけてあった。、、、、大八車に変わりリヤカーが活躍した時代が懐かしいね!
 
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④新田橋・・・・・・・・・・・隅田川の上流から2つ目の橋で、北区豊島8丁目と足立区新田(しんでん)3丁目に架かる橋。 5径間単純鋼桁橋、橋長は114.0m、昭和36年(1961)3月の竣工から50年以上経過した橋。、、、、、、もともと「野新田(やしんでん)の渡し」という農業渡船があり、荒川放水路開削に伴って中州状に孤立した新田地区の交通路として利用されていた。 昭和14年(1936)に最初の木橋が架けられ、昭和36年に現橋に架け替えられた。 橋は足立区が管理している。、、、、、木橋時代の橋脚を模した、珍しいA字型の橋脚が、いいね! 
 
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⑤新豊橋・・・・・・・・・・・新田橋を渡り足立に入り、川岸を右手に向かえば、スグに新豊橋となる。 こちらは、足立区新田と北区豊島を結ぶ橋で、平成19年(2007)に架けられた、隅田川では比較的に新しい橋である。、、、、、単純箱桁・アーチ複合橋、橋長は105.0m、施主は新田地区に大規模な団地を造った独立行政法人都市再生機構である。、、、、、この橋は、桁橋をアーチで補剛する構造で形を洗練させた新たな橋梁形式のデザインで、周辺環境に調和した橋となっていることが評価され、「平成19年度土木学会田中賞(作品部門)
、「2007年度グッドデザイン賞」、「土木学会デザイン賞2009最優秀賞受賞」を受賞した。、、、、、女性のようなアーチ曲線が色っぽく、いいね!
 
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⑥紀州神社・・・・・・・・・新豊橋を渡り、再び北区豊島地区に入ると、7丁目に紀州神社がある。、、、、、、神社は、鎌倉時代後期、紀州熊野から来た鈴木重尚が豊島氏とはかり、 五十太郎神社を王子村に勧請したのがはじまり。
 
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2017年1月13日 (金)

新神谷橋

一昨日、隅田川が荒川から分岐する処にある岩淵水門を見たので、今日はその下流に架かる新神谷橋に行ってきた。、、、、、東十条駅から環七通りに沿って歩き、新神谷橋を渡り足立区に入り、鹿浜橋で荒川を越え、日暮里舎人ライナーの江北駅まで、1万3千歩の散歩となった。 (今日から、3年ぶりに、隅田川に架かる橋梁を順に歩いてみようと思う。)
 
 
 
神谷3丁目の寺社・・・・・・・・東十条駅の北で、環七通りが北区を東西に横断している。 その環七通り沿いに神谷3丁目の町がある。、、、、、現:神谷の町は明治初期には、ナント、浦和県(現:埼玉県)神谷村であった。 明治5年(1872)に東京府に編入される。 昭和7年(1932)に王子村と合併し王子区となる。 昭和22年(1947)には王子区と滝野川区が合併し北区に所属する。
 
・・・・・・・・・・・・・柏木神社、、、、、、柏木神社は、元享年間(1321~1324)に荒川(現:隅田川)に面した地にて、伊邪奈美命(女神)を祭神にして神谷村の鎮守として創建した。 「安産の神」として崇め、荒川を上り下る舟の安全を祈る「航行の神」としても有名であった。 その昔は社域は広大で、神楽殿もあり、多くの樹木の聳える荘厳な森に囲まれていたが大東亜戦争が激化するに伴い、境内は軍需工場に接収され、昭和18年(1943)12月現在地に遷宮された。 昭和54年(1979)8月、現社殿が建立された。、、、、、、“安産の神”は70過ぎの爺には、お呼びでないね。 賽銭もケチり50円にした。
 
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・・・・・・・・・・・・・・自性院、、、、、、、真言宗智山派の自性院は、江戸時代末期には創建されていた古い寺である。、、、、、、自性院参道の両側には数基の庚申塔が並んでいる。 それぞれが年代物のようだ、石仏の盗難にあわねば良いが!
 
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②新神谷橋・・・・・・・・・・・北区神谷地区と足立区新田地区を結ぶ橋で、岩淵水門の管理橋を別とすれば、隅田川最上流の橋となる。 もともとは、「宮堀の渡し(神谷の渡しとも云う)」があったところである。、、、、、現在の新神谷橋より南へ100mほど行った処に「神谷堀」と呼ばれる堀があった。 ここに昭和25年(1950)、鋼桁橋の神谷橋が架けられたが、昭和52年(1977)に堀は埋め立てられ橋は撤去された。 新神谷橋は、この橋にちなみ命名された。、、、、、新神谷橋の開通は昭和40年(1965)2月12日。 全長153.1mの3スパン ゲルバー鋼桁橋。、、、、橋が架けられた昭和40年、隅田川は工場排水などで真っ黒な川であった。 今は川も澄み、魚も住み、当時の川を想像するのも難しいかも。
 
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・・・・・・・・・・・・・・上流側、下流側を望む。、、、、、親水堤防のある方が北区。 切り立った堤防のある方が足立区。
 
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③足立区新田1丁目・・・・・・・・・・隅田川が蛇行し膨らんだ部分が、荒川放水路掘削時に中州のように残された地域が“新田”である。 新神谷橋で隅田川を渡り、鹿浜橋で荒川を越えるまでの間の地域である。、、、、今日は環七通りの北側の新田1丁目を歩いてきた。
 
・・・・・・・・・・・・・・新田稲荷神社、、、、、、隅田川の岸に近い処にある神社で、創建は元禄10年(1697)と言われている。 社殿は戦災により焼失し、現社殿は昭和22年(1947)に再建された。、、、、、、、境内には「宝暦六年丙子四月」(1756)の彫がある庚申塔もある。
 
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・・・・・・・・・・・・・新田一丁目アパート、、、、、、鹿浜橋の西詰に建つ都営住宅。 昭和42年(1967)から昭和43年(1968)にかけて建てられた、2DK、3DKの間取りで、568戸(12棟)の団地である。、、、、、老朽化、耐震化、バリアフリー化の要求もあり、そろそろ建て替えかな?
 
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④鹿浜橋・・・・・・・・・・・・荒川に架かる橋で、足立区新田地区と鹿浜地区を結ぶ。 昭和40年(1965)に開通し、橋長は451.3m、プレートガーダー橋。 下部工の施工は戸田建設と野口建設。
 
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・・・・・・・・・・・・・・上流の川口方向を望む。、、、、、のんびりした光景に、しばし立ち止まる。
 
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⑤江北駅・・・・・・・・・・・平成20年(2008)3月30日に開業した、日暮里・舎人ライナーの駅である。 線路は尾久橋通りの頭上にあり、駅も頭上だ!、、、、、本日の散歩はここまで。
 
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2017年1月11日 (水)

岩淵水門

3年ぶりに、隅田川の最上流にある北区志茂の岩淵水門を見てきた。 京浜東北線赤羽駅から徒歩で往復し、1万1千歩の散歩です。
 
 
・・・・・・・・・・・現在の隅田川は北区志茂の新岩淵水門で荒川から分岐し、浅草・向島、浜町・深川、築地・月島を流れ下り、東京湾に注ぐ全長23.5kmの一級河川である。 途中で新河岸川・石神井川・神田川・日本橋川などの支流河川とも合流する。 流域には1か所の水門と39か所の橋梁が架かる。 最上流:岩淵水門の上流側に旧岩淵水門があるが、現在は水門の機能をはたしておらず、産業遺産として保存されている。
 
・・・・・・・・・・・荒川、、、、、、、江戸時代には、現在の隅田川が「荒川」と呼ばれていた。 この荒川の氾濫から江戸市中を守るため、下流部では、「日本堤」、「隅田堤」などが造られ洪水対策が進んだ。 しかし、千住地区など上流部では対策が進まず、氾濫の頻度は高まった。、、、、、、明治時代に入り、下流部の人口増加、工場立地など、帝都の発展は目覚ましいものであったが、明治43年(1910)の荒川の洪水は帝都に甚大な被害をもたらし、洪水対策として荒川放水路の基本計画が策定された。 計画では、上流部は岩淵から蛇行していた部分をショートカットする線形として、中流部は宿場町として栄えていた千住宿を迂回するルートとし、下流部は中川を横断しやや東にふくらませて中川河口に導くルートとした。、、、、、、荒川放水路は翌明治44年(1911)から開削工事が着手された。 工事規模は、総工事費31,446,000円(当時の大卒者の初任給35円)、延長22㎞(北区岩淵~江東区砂町)、掘削土量2,180万立米(東京ドーム18杯分)、橋梁新設17橋、土地買収1,098町歩(約11k㎡:北区の面積の約半分)であった。 工事は途中、関東大震災などで遅れたが、昭和5年(1930)に完成した。 まさに、20年の歳月を要したビッグプロジェクトであった。、、、、、、「荒川放水路」は昭和40年(1965)に正式に荒川の本流とされ、それに伴い岩淵水門より分かれる旧荒川全体が「隅田川」となった。 それまでは現在の千住大橋付近までが荒川で、それより下流域が隅田川と区別されていた。 ややっこしい話である。 ついでに、さらにややっこしくすると、隅田川の吾妻橋から下流は江戸時代「大川」と呼ばれてもいた。
 
・・・・・・・・・・・荒川放水路の開削には、人力はもとより、機械による掘削・浚渫も行われ、掘削土量は2,180万m2となり、東京ドーム18杯分になるそうだ。、、、、、また、私に似た優秀なエンジニアも投入された。 計画は原田貞介(1865年3月7日~1937年9月30日、ドイツに留学した後、内務省の技官となり、第8代日本土木学会会長)が行い、 工事は青山士(1878年9月23日~1963年3月21日、東京帝大卒、土木技術者、パナマ運河建設に携わる)が指揮する。
 
 
岩淵水門・・・・・・・・・・・岩淵水門(いわぶちすいもん)は、北区志茂にて現在の荒川と隅田川とを仕切る水門。 新旧2つの水門がある。 旧水門は通称:赤水門、新水門は通称:青水門と呼ばれている。 赤水門は大正13年(1924)に竣工し、現在は運用を終了している。 青水門は昭和57年(1982)に竣工し、現在運用中である。
 
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●旧岩淵水門(赤水門)・・・・・・・・・・・・大正5年(1916)に着工し、大正13年(1924)に竣工した。 RC造の水門で、9m幅のゲートが5門ある。昭和35年には通船のために5番ゲートのみ改良された。 老朽化のため新水門の完成により役割を終えたが、土木遺産としての価値が認められ産業遺産、東京都選定歴史的建造物などに指定されている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・上流側から見て、赤水門の左手にある島に、「草刈の碑」と標された大きな石碑がある。 これは昭和13年(1938)から昭和19年(1944)にかけて付近の荒川土手で行われた「全日本草刈選手権大会」を記念して作られたもので、「農民魂は先づ草刈から」と、碑文に記されている。 昭和13年は、国家総動員法が制定された年だ。 切実な時代の要請であったのか?、、、、、優勝賞品は草刈鎌と芝刈鎌のセットだったかも?
 
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●岩淵水門(青水門)・・・・・・・・・・・昭和49年(1974)に着工し、昭和57年(1982)に竣工した新らしい水門(もう30年以上前の話で“新しい”水門ではないけどね!)。 約70億円の事業費をかけた、RC造、10.0幅のゲート3門の水門は、1500tの水圧に耐えられるそうだ。 200年に1回の大洪水にもバッチリ!、、、、200年経ったら、ここに来て水門があるか確かめようと思う。
 
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●北区志茂でチョイと寄り道・・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・黒田機器株式会社赤羽工場事務所、、、、、、麻布付近にあり、英国人住宅として使用されていた木造2階建ての洋館を、先代の社長が移築したそうだ。 昭和10年(1935)年頃の建築。 正面に出っ張ったサンルームが特徴的な建物である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・八雲神社、、、、、、、、志茂5丁目と隣り合う、岩淵町22に鎮座する八雲神社は、江戸時代:日光御成道の第一の宿場として栄えた岩淵宿の鎮守さま。 祭神には須佐之男尊が祀られている。 創建年代不詳の古社だ。
 
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2017年1月 6日 (金)

西日暮里~駒込

西日暮里駅から、裏通りを気ままに歩き駒込駅まで、坂と寺社巡りとなった、1万2千歩の散歩です。
 
 
 
①西日暮里駅・・・・・・・・・・・・昭和46年(1971)4月20日に開業した、山手線の駅としては最も新しい駅である。 接続する地下鉄千代田線の西日暮里駅は、昭和44年(1969)12月20日の開業である。 JRは田端~日暮里間に、千代田線との乗換駅として開業したため、隣駅との駅間距離も500m程で短い。 一般の改札口はガード下の小さな出入口のみで、地下には千代田線との連絡用の大きな乗り換え改札がある。 JRと地下鉄の“乗り換え客のための乗換駅”である。 その乗り換え客に、100m程離れた日暮里舎人ライナーからの乗り換え客も合流し、朝の駅は人の流れが絶えることはない。
 
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②ひぐらし坂と向陵稲荷坂・・・・・・・・・・西日暮里駅の西側に名門受験校開成学園がある。 その開成高校のキャンパスを挟むように、東側には「ひぐらし坂」、西側には「向陵稲荷坂」がある。
 
・・・・・・・・・・・・ひぐらし坂、、、、、駅前歩道橋に続き開成高校の東側を上っていく坂。 坂の名は、平成2年(1990)、「ひぐらしの里」に因み、地元から要望によって、愛称として命名されたそうだ。 ナン~~ダ、ソレダケ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・向陵稲荷坂(こうりょういなりざか)、、、、、、開成高校校舎と開成中学校舎の間を上る坂。 この一帯は古く道灌山であった。 坂の途中には向陵稲荷(佐竹右京大夫の屋敷に祀られていた)があり、坂の由来となる。 
 
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③道灌山・・・・・・・・・・・開成高校の北側(ひぐらし坂を上った処)からは、JRの線路を見下ろすことができる。 日暮里4丁目の道灌山だ。 この山には、かつて秋田藩主佐竹右京大夫の屋敷があった。 屋敷の見晴台からは、筑波山、国府台(市川市)などを望むことができたそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・道灌山から荒川区西日暮里4と北区田端1の区境を下る道灌山坂がある。 この坂も、地元の要望で平成18年(2006)に名付けられたそうだ。、、、、、地元の要望で命名してくれるなら、我が家の前の通りは「雅万歩横丁」と名付けてもらえないか(?) 区長に会ったら聞いてみよう。
 
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④与楽寺・・・・・・・・・・北区田端1丁目に入り、真言宗豊山派の宝珠山地蔵院与楽寺に寄った。 与楽寺の創建年代は不詳であるが、弘法大師が寺院をこの地に建立したのが始まりだと言われ、慶安元年(1648)には寺領20石の御朱印状を拝領し、京都仁和寺の関東末寺の取締役寺を務めていた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・只今、山門は基礎工事中で無い。 その姿の見えない山門前の坂を与楽寺坂という。 今はアパートとなり、面影は残っていないが、この坂の上に芥川龍之介が住んでいた。
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⑤田端八幡神社~吉祥寺・・・・・・・・・・・・与楽寺から裏道を抜けると、田端八幡神社に出た。 これより、田端八幡神社、隣の東覚寺、不忍通りを越えて文京区本駒込3の天祖神社、吉祥寺までは、平成14年6月に歩いていた。 今日はダイジェスト版で!
 
・・・・・・・・・・・・・田端八幡神社、、、、、、、平成4年(1992)に再建され、翌年5月に遷座祭が行われた社殿。
 
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・・・・・・・・・・・・・・東覚寺、、、、、、、昔は田端八幡神社の別当寺であった東覚寺。 今は、谷中七福神の福禄寿を祀り、商売繁盛を実践しているのか(?) 今日も七福神巡りの団体さんが参拝してる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・天祖神社、、、、、、本駒込の天祖神社。 空襲により消失した社殿も、昭和29年(1954)新築し現在に至る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・吉祥寺、、、、、、中央線の吉祥寺駅周辺には吉祥寺という寺はない。 ここ本駒込の吉祥寺門前の住人が五日市街道沿いを開発・移住したことにより、かつての地を偲び吉祥寺と命名したそうだ。
 
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⑥神明都電車庫跡公園・・・・・・・・・・本駒込4の勤労福祉会館と都営住宅に隣接する公園。 かつて、ここには都電の神明町車庫があった、その跡地である。 公園内には、都電6000形一両と、貨物車の乙2号一両が、雨ざらし状態で保存されている。、、、、、、都電6000形は290両が製造され、台数としては一番多い車両である。 保存されている6063号電車は、昭和24年(1949)3月に造られ青山車庫に配属され、その後、大久保車庫、南千住車庫を経て、昭和42年(1967)9月に神明町車庫に配属された。 3年後の、昭和45年(1970)12月に荒川車庫へ転属し、昭和53年(1978)4月に廃車となった。 きっと、私も南千住車庫の時代に乗ったことがある車両だろう。、、、、、、乙2号は、昭和16年(1941)に造られ、荒川車庫で資材運搬などで使われ、昭和46年(1971)3月に廃車となった。、、、、、、どちらの車両とも、チョイと痛々しい姿となっている。 もう少し手入れして欲しいね!
 
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⑦駒込富士神社・・・・・・・・・・・・吉祥寺から駒込駅へ向かう途中に、駒込富士神社がある。 富士神社は、天正2年(1574)本郷村名主木村万右衛門、同牛久保隼人の二人が、駿河の富士浅間社を勧請して、本郷村(元富士神社地、現:東大本郷キャンパス)に創建した。 寛永6年(1629)、本郷の地が加賀藩前田家の上屋敷に充てられ、前方後円墳のあった当地に移転した。 現社殿は昭和37年(1962)頃の再建である。、、、、、古墳が富士塚に変わったのか(?) 社殿は塚の上だ。、、、、、神社は氏子を持たず、富士講組織で成り立っていたそうだ。
 
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駒込駅 ・・・・・・・・・・今日は荒川区の西日暮里駅で下車し、北区、文京区を歩き、豊島区の駒込駅から帰宅。 
 
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2016年12月12日 (月)

王子~西巣鴨

京浜東北線王子駅から、都電沿いに都営三田線西巣鴨駅まで、1万歩、7kmの散歩です。
 
 
王子駅前停留場 ・・・・・・・・・・・新幹線の高架下に都電荒川線の王子駅前停留場がある。 JRの王子駅は、日本鉄道の駅として明治16年(1883)に開業した。 都電の王子駅前停留場は大正4年(1915)に王子電気軌道(現:都電荒川線)によって設置され、今年で101年経ったことになる。、、、、、、、“昭和の光景”が残る荒川線を、ぜひとも、文化財として登録したいね。
 
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・・・・・・・・・・・・・・JRのガードを抜け、明治通り(大坂)を上り、飛鳥山交差点から専用軌道となる。
 
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②飛鳥山停留場・・・・・・・・・・・・飛鳥山交差点から専用軌道に入ったところに、明治44年(1911)に開業した飛鳥山停留場がある。
 
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③酒類総合研究所・・・・・・・・・・・・・飛鳥山停留場近くの酒類総合研究所東京事務所に寄ってみた。 なんと貼り紙では、研究所の東京事務所は広島に移転し、広島事務所と統合された。 つまり、只今は空き家状態である。 日本橋を手掛けた妻木頼黄(つまきよりなか)の設計で、明治35年(1902)に竣工した、貴重な煉瓦造の酒造工場ははどうなるのだ? 急に心配になり、隣地に事務所を構える日本醸造協会の方に聞いてみたら、『煉瓦造の建物は当協会が管理を委託され、今後、内部を整備し一般公開します』と云うことで、一安心。
 
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④滝野川一丁目停留場・・・・・・・・・・・明治44年(1911)年8月20日に開業。
 
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⑤西ヶ原四丁目停留場・・・・・・・・・・・・・・明治44年(1911)年8月20日に開業。 開業当初は滝野川停留場と呼ばれた。
 
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⑥善養寺・・・・・・・・・・・・西ヶ原四丁目停留場から裏道を歩き豊島区西巣鴨4丁目に入ると、天台宗の善養寺がある。 天長年間(824~833)に上野山内に創立したと伝えられ、上野東叡山寛永寺末。 本堂には高さ約3mの江戸三閻魔の一つ木造閻魔王坐像(豊島区登録有形文化財)が鎮座し、手を合わせる信者の心の内を見つめている。 チョイと見、怖いが、じ~~いと見、ユーモラスな顔である。、、、、、ちなみに三大閻魔のあと二つは、杉並区松ノ木の華徳院、新宿区新宿の太宗寺 の閻魔である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・境内には、江戸時代中期に陶工・絵師として活躍した尾形乾山の墓もある。、、、、、京都生まれの乾山だが、晩年は江戸下谷の入谷村に移り住んだ。 そのころ善養寺は、下谷坂本にあり、死後善養寺に葬られたそうだ。
 
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⑦妙行寺・・・・・・・・・・善養寺の隣に法華宗陣門流の妙行寺がある。 妙行寺は寛永元年(1624)に赤坂で起立し、四谷へ移転し、明治40年(1907)に現在地へ移転した。
 
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・・・・・・・・・・・・・・境内に浅野家遥泉院供養塔がある。 妙行寺は赤穂浅野家の菩提寺で、浅野長直の室高光院(写真:中央)、浅野長広の室蓮光院の墓(右)があり、そして左端に 浅野長矩の室瑤泉院の供養塔がある。、、、、、一週間前には瑤泉院の墓に参り、今日は供養塔に参る。 私と瑤泉院は、不思議な赤い糸で結ばれていたのか?
 
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・・・・・・・・・・・・・・浅野家の墓の後ろには、四谷怪談のお岩さんの墓がある。 こちらは、田宮家の墓で、お岩様が夫伊右衛門との折合い悪く病身となり、その後亡くなったのが寛永13年2月22日である。 爾来、田宮家ではいろいろと「わざわい」が続き、菩提寺妙行寺四代目日遵上人の法華経の功徳により一切の因縁が取り除かれたそうだ。、、、、一段高い処にお岩さんの墓があり、その手前に田宮家の墓がある。、、、、お岩さんの墓は、瑤泉院の供養塔より立派に見える。、、、、、(こちらは、四谷のお岩さん霊岸島のお岩さん
 
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⑧新庚申塚停留場・・・・・・・・・・“新”と付いているが、隣の庚申塚停留場と同時の明治44年(1911)8月20日に開業した。 なぜ(?)、“新”がついた停留場名になったのか不明。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・・西巣鴨駅より帰宅。

2016年12月 2日 (金)

赤羽

赤羽駅で下車し、西に向かって歩いたが、途中で脇道に入り赤羽駅に戻ってしまった。 9千歩、7km。
 
 
①赤羽駅・・・・・・・・・・既に開通していた日本鉄道(上野~熊谷間)の途中駅として、明治18年(1885)3月1日に開業した。 いまから130年以上前のことである。、、、、、今は、一日9万人以上が乗車する、JR東日本管内では47番目の駅。 ちなみに、私が住む浅草橋駅の乗車人員は5万3千人で89番目、負けた!、、、、、大きな団地のある西口の朝は、乗車するサラリーマン、学生が多い。 近郊から来るバスも多い。
 
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②静勝寺・・・・・・・・・・・赤羽駅から西へ150m程の高台の上に静勝寺がある。 高台下の岩槻街道に面し、急な石段が待ち受けている。 ここは、江戸城を造った室町中期の武将:太田道灌が、砦として使用した稲付(いなつけ)城跡である。、、、、、静勝寺は、永正元年(1504)太田道灌の禅の師匠雲綱が、彼の菩提を弔うため、太田道灌が築城した稲付城跡に道灌寺として創建した。 明暦元年(1655)に道灌の子孫:太田資宗が堂舎を建立し、道灌(香月院殿春宛静勝大居士)とその父資清の法号に因んで寺号を自得山静勝寺と改めた。、、、、、“全山紅葉”と言いたいところだが、あいにく広葉樹も少なく、数本か色づいていた。 しかし、それでも画になるような綺麗な紅葉を見ることができた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・静勝寺の裏手(西側)にまわると、赤羽台団地の方を見通すことができる。
 
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③亀ヶ池弁財天・・・・・・・・・・・・静勝寺から、赤羽台団地のある台地の下(赤羽西1丁目)に出ると、小さな池に真っ赤な鳥居の亀ヶ池弁財天がある。 『おや? この手の祠は、よく三業地の一角にあるのだが、ひょっとすると、ここいらは陸軍のお休み処でもあったのか?』と、勘繰ってみたのだが、、、、、元々は、地元商店街の弁天講が始まりであったそうだ。 昭和55年(1980)木彫の弁天像を創り、近くにある静勝寺の弁天堂の弁財天を勧請して祀り弁天堂とした。 また、昭和58年(1983)には池の中に亀子宝安産多弁天(石像)を安置した。、、、、な~~んだ、戦後の話か!
 
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④赤羽西4丁目のバス通り・・・・・・・・さほど幅広くもなく、そうかといって裏通りでもなく、バス通りを西へ向かう。
 
・・・・・・・・・・・・・・ここは赤羽西四丁目交差点。 昭和40年~50年代頃、流行のように、団地の近くに建てられた木造の長屋形式の店舗。 いまは、シャッターを下ろした店舗が多い。
 
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・・・・・・・・・・・・・・こちらは、歯科診療所→内科医院と変わり、いまは空き家。
 
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・・・・・・・・・・・・・・道は上り坂となる。 バスが来たから脇に寄って注意、注意。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・坂を上り、後ろを振り向くと、赤羽台の台地にURの住宅(赤羽台団地)が見える。 その台地に沿って、下に道がある。 何だか道が誘っているようだ、よし、歩いてみよう。 急遽、歩く方向を変えた。 
 
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⑤旧松澤家住宅・・・・・・・・・・・赤羽西5丁目、赤羽自然観察公園があり、その中に「北区ふるさと農家体験館」なる施設がある。 そこに、浮間地区から移築復元した松澤家住宅があった。、、、、、団地の近くに、こんな公園があるとは知らなかった。 ラッキー!
 
・・・・・・・・・・・・・・住宅は江戸時代後期、弘化元年(1844)の建物と言われている。 うまや付きの、桁行9間、梁間5.5間、寄棟造り、茅葺き屋根。
 
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・・・・・・・・・・・・・・まだ、私以外には見学者はおらず、管理人が2名居るだけ。 家の中では、かまどで火を焚き、建物を煙でいぶす、文化財保存のために「燻製」をしていた。 杉の枯れ枝を燃やす、香ばしく甘い、田舎を思い出す匂いがたちこめてくる。 感動し、感激し、感喜し、感無量。 しばし、かまどの前で立ち止まる。、、、、、煙の匂いに包まれ管理人の方と、二人で戦後の思い出話に盛り上がり、時の経つのを忘れてしまった。、、、、、『アッ、時間だ、帰らねば!』
 
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・・・・・・・・・・・・・・・管理人の方に礼を述べ、公園を後にする。
 
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●・・・・・・・・・・・・旧松澤家住宅から、URの赤羽台団地を抜けて赤羽駅へ戻った。

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