北区

2018年10月15日 (月)

埼玉の匂いが残る町

JR赤羽駅から東へ1km程歩き、北区王子と同区岩淵町を結ぶ「北本通り」(国道122号)を越えると「北区志茂4丁目」の町がある。 志茂4丁目の東は隅田川の護岸によって行く手を遮られている。 今日の散歩は、私がこれまであまり歩いていなかった「志茂4丁目」の探訪です。 1万歩。
 
 
 
●北のターミナルで下車・・・・・・・・・・・北区随一のターミナル駅:赤羽駅で下車。 三鷹・荻窪駅と同等規模の一日約20万人が乗り降りする駅。、、、、埼玉県とは荒川を挟んで隣り同士。 山の手の三鷹・荻窪駅とは、漂う空気、肌で感じる雰囲気がチョイト違うようだ。
 
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●まずはマリアさまに御挨拶・・・・・・・・・赤羽駅東側の商店街入口近くにカトリック赤羽教会がある。 昭和26年(1951)に建てられたゴシック調の建物、聖堂上部の塔にはマリア像(高さ約1.5m、鉄鋳物製)が安置されている。 祭壇中央には被昇天のマリア様の絵が掲げられている。、、、、、戦後の物資が不足している時代の建物だが、それを感じさせない、デザイン的にまとめられた建物である。
 
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●見えない壁・・・・・・・・・「赤羽」の町と「志茂」の商店街は、“一体感がないの?”
 
・・・・・・・・・・・・・赤羽駅前から、赤羽2丁目の町を東西にのびる商店街:「LaLaガーデン」。 アーケードもあり濡れずに買い物ができる活気ある商店街。
 
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・・・・・・・・・・・・・LaLaガーデンの東端で、道路一本越えると志茂2丁目となる。 ここからは、「志茂スズラン通り」商店街と、「志茂平和通り」商店街がさらに東に続く。 赤羽2丁目から志茂2丁目に入った瞬間から、商店街は道幅が狭まり、アーケードもなくなり雰囲気は一変する、自転車で通り抜ける人もチラホラ、歩く人もチラホラ、お店もチラホラ。 「赤羽」と「志茂」の商店街は、断絶しているようだ。
 
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●寂しいメインストリートの商店街・・・・・・・・・さて、平和通り商店街の東端で、今度は北本通り(国道122号)を渡ると「志茂4丁目」の町に入る。 そして、さらに商店街が続く。 東西に「志茂七溜商店会」が伸び、その東端から南北に「志茂銀座商店会」が伸びている。 赤羽駅から、連続して続く商店街も、志茂4丁目に入ると、めっきり寂れ、ご近所の住人しかお客がいない商店街となった。 “銀座”も寂れ“頓挫”しないように!
 
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●やっぱり、埼玉県だった志茂・・・・・・・・・現在の北区志茂の町(1~5丁目)は、江戸時代には荒川の渡し場があった岩淵宿(現:北区岩淵、志茂の北側に隣接する町)の下流側に位置することから、豊島郡岩淵領下村と呼ばれていた。 下村は明治4年(1871)には、浦和県(現:埼玉県)から東京府に編入されたそうだ。 昭和7年(1932)東京市に編入される際表記を改め、王子区志茂町。 一~三丁目となった。 昭和32年(1957)と、昭和42年(1967)の住居表示で、現在の志茂一~五丁目に再編成された。、、、、、志茂4丁目の町は、昔のあぜ道・農道がそのまま道路になったのか? 細い道がゴチャゴチャ、クネクネ、私好みの裏道・路地がアッチニモ、コッチニモ。
 
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●志茂の古刹・・・・・・・・・・・・・志茂4丁目の中央に位置する真言宗智山派寺院の西蓮寺は、歸命山と号す、埼玉県川口の錫杖寺(しゃくじょうじ)の末寺。 寺は法印淳慶(弘安10年(1287、=鎌倉時代)寂)が開基と伝えられている。江戸時代には満願寺、観音寺、地蔵院の3ヶ寺を末寺に擁していた。 西蓮寺は志茂地域の代表的な寺院である。 現:本堂は、関東大震災後の昭和7年(1932)に再建されたものである。、、、、、、境内には十余基の板碑があり、その最古のものは、弘安9年(1286、=鎌倉時代)の銘がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・西蓮寺の付近にあって廃寺となった末寺・観音寺の本堂を、平成7年(1995)、コンクリート打ち放しの近代的な寺院に立てなおした福聚観音堂。 普段は、無人の為、ガラス越しに手を合わせる形式の観音様。 ガラス窓の下にはおみくじ自動発行機がチャント用意されていた。 ガッチリ、稼ぐつもりか?
 
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●参道の長い神社・・・・・・・・・西蓮寺の北、隅田川沿いに志茂熊野神社がある。 神社は、別当寺である西蓮寺住職淳慶阿闍梨が紀州熊野三社権現を勧請して正和元年(1312年)に下村(現:志茂)の鎮守にしたと言われている。、、、、さほど大きくない神社だが、参道はやたら長く、よって境内は細長い。、、、、、現社殿は昭和43年(1968)に鉄筋コンクリート造で再建された。 この時、文政5年(1822)建造の旧本殿は境内社:阿夫利神社の社殿に転用され現存している。
 
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●ここにも西蓮寺の息が・・・・・・・・・西蓮寺が管理する近くの庚申堂。 堂の中には、姿もはっきりしなくなった青面金剛像が安置されている。 造立年不明。
 
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●4体のどれが?・・・・・・・・・志茂銀座商工会の一画に西蓮寺の境外仏である「橋戸の子育地蔵尊」がある。 堂の中に4体の地蔵尊が祀られている。 では、「橋戸の子育地蔵尊」はどれ? 右から2番目という人と、4体全部という人がいるそうだ。 どちらも正解、本当の処は不明らしい。、、、、、右から、元文3年(1738)、元禄13年(1700)、元禄14年(1701)の銘がある、左端は不明。 
 
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●初めての乗車・・・・・・・・・・・志茂4丁目の隣り5丁目に地下鉄南北線志茂駅がある。 南北線には度々乗るが、志茂駅からはいまだ乗車したことがないので、今日はここから帰ることにした。、、、、、平成3年(1991)11月29日、営団地下鉄南北線の駅として開業。 島式ホーム1面2線を有する地下駅。 平成29年度(2017年度)の1日平均乗降人員は12,425人で、東京メトロ全駅の中では同じ南北線の西ケ原駅に次いで2番目に少ないそうだ。 乗降客が少ない割には、綺麗で明るい駅である。、、、、、初めてホームに立ったが、ワクワク感はなく、チョイト残念!
 
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2018年7月 9日 (月)

田端~鶯谷

山手線田端駅にて下車し、道灌山、谷中を歩き鶯谷駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
①田端駅南口・・・・・・・・・・・・田端駅の西側は高台(道灌山)となって、崖下にホームがある構造となっている。 現在の田端駅は、北側の跨線橋:田端大橋 に面するメインの北口と、道灌山の崖にへばりつく小さな南口がある。、、、、、明治29年(1896)4月に日本鉄道の駅として開業した当時は、現在の南口付近から崖下に下った処に駅があったそうだ。(開業当時は北側の田端大橋はまだなかった。)、、、、、崖上のかわいらしい小さな駅舎で、売店、トイレなどは無い! 
 
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・・・・・・・・・・・・・・ホームから見上げる南口
 
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②道灌山・・・・・・・・・・・荒川区西端の西日暮里4丁目の台地は道灌山と呼ばれている。 上野から赤羽に続く山手台地の上にあり、太田道灌によって出城が造られた処と言われている。 眺望は良く、崖下には東北本線・東北新幹線などを見ることができる。 かつては、千葉県市川市の国府台あたりまで望むことができたそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・“道灌山”と言えば、東京大学合格者数日本一の名門:開成学園をイメージする人も多いはず、私もその一人。、、、、、古くは(明治・大正?)、東京の名門と言えば、“麻布・開成・京華”と言われたそうだ。 麻布・開成はナットク! 京華(けいか)は知らない? 京華は歴史ある学校で、私の母校だ、現在は二校にチョイト引き離されたが、今後に期待。(話がソレタ)、、、、、開成の「ペンは剣よりも強し」をデザイン化した校章はいいね。
 
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・・・・・・・・・・・・・・開成中学校の隣りには、向陵稲荷神社がある。 開成中学校の敷地は、かって「ひぐらし公園」であった、そこに佐竹右京太夫の屋敷社であった稲荷神社が祀られ町の鎮守として崇められたそうだ。 その後、現在地にチョイト移動した。、、、、、開成中学と開成高校はこの神社前の坂:向陵稲荷坂の両側に位置する。
 
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③西日暮里の寺院・・・・・・・・・荒川区西日暮里3丁目のいくつかの寺院に寄ってきた。
 
・・・・・・・・・・・・・まずは、青雲寺、、、、、、、JR西日暮里駅の西側に位置する、臨済宗妙心寺派のの寺院。、、、、、重層造の本堂は昭和35年(1960)に建てられた。、、、、、本堂横には江戸時代の戯作者:滝沢馬琴筆塚の碑がある。 小さな字でゴチャゴチャ書いてあるので読めなかった。 今度、来るときは、ハズキルーぺを持ってこよう!
 
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・・・・・・・・・・・・・次は、ピンクの塀に囲まれた修性院、、、、、、日蓮宗の運啓山修性院は、天正元年(1573)豊島郡田中村(現:練馬区南田中)に創建、寛文3年(1663)に現在地に移転した。 谷中七福神の布袋尊が祀られている。、、、、
 
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・・・・・・・・・・・・・次は、法華宗の法光寺、、、、、、法光寺は、寛永3年(1626)赤坂一ツ木に創建、後用地となって承応2年(1653)四谷南寺町に移り、その9年後に又々用地となって市谷本村へ移転し、明治維新後現在地へ移転した。 度々の移転、これも仏の仕業か?
 
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・・・・・・・・・・・・・さてさて次は、南泉寺、、、、、、、臨済宗妙心寺派の瑞応山南泉寺は、元和2年(1616)に創建、将軍家光・家綱に仕えた老女岡野の遺言により貞享3年(1686)寺領30石の朱印状を拝領した。、、、、、境内は手入れが行き届いており、全体に美しさを感じる寺である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・南泉寺の「おまねぎ堂」、、、、、境内の隅にある祠、額には「おまねぎ」と書かれている。  庚申塚か、地蔵尊か、ナンジャ?、、、、扉は閉められているが、格子の隙間から覗いて、ビックリ、ニッコリ、コリャ楽し! 解説不用、一目瞭然! そうです、アレとアレとアレです。、、、、、、知識ある人の話では、これらは「お招き様」「お客神様」などと呼ばれ、江戸時代、商売繁盛を願い花街の遊女たちの信仰の対象であった。 おまけに、家内安全、夫婦和合、子宝成就などのご利益もあるね。 私も遅まきながら手を合わせてきた。
 
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④富士見坂・・・・・・・・・・・修性院と法光寺の間にある坂。 その名のごとく富士山が見える坂であったが、平成25年(2013)頃、高層ビルが建てられその姿は見えなくなった。、、、、しかし、煉瓦塀の細い坂道は、いまだ富士山が見えるような雰囲気を残している。
 
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⑤岡倉天心邸跡・・・・・・・・・・・・西日暮里から歩き「谷中ぎんざ」を横切り台東区谷中5丁目に入った。、、、、、我が国近代美術の先駆け岡倉天心邸の跡地は「岡倉天心記念公園」となり、園内の岡倉天心史蹟記念六角堂(昭和41年竣工)には平櫛田中作の金ぴかの天心座像が安置されている。、、、、、、純金の像みたいだが、本物なら公園の一角に監視なしで置いとかないだろう!
 
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⑥観音寺築地塀・・・・・・・・・・岡倉天心記念公園から、裏道(蛍坂)を歩き観音寺横に出る。、、、、、観音寺は明和9年(1772)の火災で灰燼に帰した後、文政年間(1818~1831)頃に再興された。 寺の築地塀は境内南面を画する延長37.6mの練り塀で、瓦と粘土を交互に積み重ねて造り、江戸寺町の面影を残している。 国の登録有形文化財。
 
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谷中霊園・・・・・・・・・谷中霊園を抜けて鶯谷駅に向かう。、、、、墓地のいくつかを紹介する。
 
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・・・・・・・・・・・・・・新国劇を創設した大正から昭和にかけて活躍した澤田正二郞(1892~1929)の墓。、、、、、私は澤田正二郎:本人を見たことがない。 私の知る新国劇と言えば、島田正吾・辰巳柳太郎の時代である。
 
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・・・・・・・・・・・・・お墓に機関車がある、コレは誰だ? 信州伊那郡の出身で、明治時代の実業家:今村清之助(1849~1902)の墓である。、、、、角丸証券の創設者。 明治の恐慌後、欧米を視察し帰国してからは、両毛鉄道をはじめ、九州・関西・参宮・山陽などの諸鉄道事業の発起に関わり、諸々の鉄道会社の重役となり、大株主となって、日本鉄道界の王者に君臨した。、、、、、石が新しいので、機関車は最近つくられたようだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・おでん屋の娘(?)「高橋お傳」(1850~1879)の墓。、、、、“明治の毒婦”と呼ばれた、古着屋吉蔵殺しの犯人。 
 
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・・・・・・・・・・・・・谷中霊園にあって場違いな感じの墓は、あのニコライ堂で有名な、日本正教会創建者:ニコライ(1836~1912)の墓である。
 
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⑧鶯谷駅北口・・・・・・・・・・ラブホテル街を抜けて鶯谷駅に到着。 明治45年(1912)、東北本線の駅として開業した歴史ある駅。 
 
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2018年4月20日 (金)

目赤不動 (南谷寺)

目青、目白に続き、今日は本駒込の目赤不動に行った。 最寄り駅ではないがチョイト遠くの田端駅から歩きはじめ、動坂をとおり南谷寺へ、目赤不動と対面したら団子坂を下り千駄木駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
①田端駅・・・・・・・・・明治29年(1896)4月1日、日本鉄道の駅として開業。 現在は、山手線、京浜東北線の電車しか停車しないが、かつては常盤線の列車が発着した時期もあった。、、、、、近くには尾久車両センターなどもあり、鉄道好きに愛されている駅である。
 
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②東台橋・童橋・・・・・・・・・・田端駅の前を通る都道458号線は、駅の南側で道灌山を切り通し(名称:田端切り通し)で抜けて行く。 その切り通しに架かる橋が東台橋(とうだいばし)。 切り通しができたのは昭和8年(1933)であり、東台橋もおそらく同時期に竣工したと思われる。、、、、、東台橋から切り通しを眺めると、両側の石積みの高さ:約20mにあらためてビックリ。
 
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・・・・・・・・・・・・・東台橋から100m程南に、近くの滝野川第一小学校へ通う児童の通学路として利用されている、童橋(わらべばし)が架かっている。 昭和8年(1933)完成。、、、、歩行者専用橋である。、、、、、切り通しはまだ続く。 私が目指す目赤不動は、この道の先2km程の処にある。
 
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③田端八幡神社・・・・・・・・・・・切り通しが終わる田端2丁目の交差点角に田端八幡神社がある。 文治5年(1189)に源頼朝が、この地の豪族豊島氏と共に奥州藤原一族を平定し、その帰路に鎌倉八幡宮を勧請した。 田端村の鎮守さま。 社殿は平成4年(1992)に再建され、いまだ木の香りが残っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・神社の参道脇、正しくは神社の隣り東覚寺の門前に不動堂がある。 その不動堂を守る一対の仁王像(赤紙仁王尊)がある。 仁王には赤紙がペタペタ貼られ、像の顔も形も判らない。 赤紙を自分の患部と同じ位置に貼ると病気身代わりとなるそうだ。、、、、根性の悪い私は、どこに紙を貼るのだ!、、、、この仁王像は、元は八幡神社の鳥居前にあったそうだ。 明治の神仏分離令で、神社の別当であった東覚寺に移った。
 
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④動坂・・・・・・・・・・・都道458号は動坂下交差点から文京区に入る。 都道の西側は本駒込4丁目、東側は千駄木4丁目。 坂上は動坂上交差点で、坂の全長200m程、この間の高低差12mで傾斜は緩やかである。、、、、名の由来は、、、、かつて、この坂上に不動像が祀られていたが、三代将軍家光の目にとまり、本駒込の南谷寺に移され目赤不動となった。 不動像の跡には、日隈地蔵が祀られた。 そこで、坂は“不動坂”と呼ぶべきところだが、略して「動坂(どうさか)」と呼ばれている。
 
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・・・・・・・・・・・・坂上の都立駒込病院の一角に動坂貝塚記念碑がある。 昭和49年(1974)に駒込病院の外溝工事中に貝塚が確認され、2次にわたる発掘調査が行われた結果、縄文時代の遺跡と確認された。 また、江戸時代には、八代将軍徳川吉宗が復活した鷹匠の屋敷跡でもある。、、、、、碑のプレートは黒ずみ、案内板がなければ、なんだかサッパリ判らん!
 
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⑤徳源院・・・・・・・・・・・本駒込3丁目に入ると、臨済宗妙心寺派寺院の慈雲山徳源院がある。 徳源院は、寛永7年(1630)湯島に創建、天和2年(1682)に現在地へ移転した。、、、、、現在は、さほど広くない境内だが、緑豊かに整備されている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・境内の一角に、日限地蔵尊(ひぎりじぞうそん)が祀られている。 この地蔵は、動坂の上にあった目赤不動を南谷寺に移した跡に建立されていた。 願いごとを日を限って祈願すれば、不思議と満願の日に先立ち霊験あらたかなることより「日限地蔵」といわれている。、、、、、ジャンボ宝くじを買って、抽選前の一週間祈願したら、7億円が当たるかな? 誰か試してみたら!、、、、、昭和60年(1985)に動坂より徳源院に移された。
 
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⑥南谷寺・・・・・・・・・・田端駅から歩いてきた都道が本郷通りにぶつかる駒本小学校前交差点の北:本駒込1丁目に天台宗の南谷寺(なんこくじ)がある。 南谷寺は、比叡山南谷の万行律師が、元和年間(1615~1624)に駒込動坂に庵を設け不動明王像を安置した。 これが南谷寺の創建である。 寛永年間(1624~1644)三代将軍家光が鷹狩りの途中、動坂のこの庵に立ち寄り、この不動を、目黒・目白不動と同じように”目赤不動”と呼ぶように伝え、寺領を現在地に寄進した。、、、、、家光はゲーム感覚で、五色全部揃えたかったのかな?
 
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・・・・・・・・・・・・・不動堂には、黒目の目赤不動が祀られている。
 
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●・・・・・・・・・・・・・これにて、本日の目的を達成。 あとは、我が家へ帰るだけ!

 
 
⑦光源寺・・・・・・・・・・・・団子坂に向かう途中、文京区向丘2丁目の光源寺に寄ってみた。、、、、浄土宗の寺院で天正17年(1589)に、神田四軒町に創建された。その後、江戸城拡張に伴い、慶安元年(1648)駒込の現在地に移転した。

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・・・・・・・・・・・・・かつて、境内には、元禄10年(1697)造立の十一面観世音立像が安置されていた。 木彫で高さは二丈六尺(約8m)あり、奈良の大仏みたいに堂の窓から顔が拝観できたそうだ。 多くの参詣者に慕われた観音さまも、昭和20年(1945)5月25日夜半の東京大空襲によって、全焼の災いにあい、焼失した。、、、、平成5年(1993)、関係者の思いが実り、高さ6mの観音像が再興された。 長谷寺の十一面観音と同じく、錫杖を右手に持ち、金箔、金粉の極彩色に彩られた平成の観音像である。、、、、、全て純金で作られていたら、簡単に見せないだろうね!

 
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⑧団子坂・・・・・・・・・千駄木2丁目と3丁目の境の坂。 由来は、その名のごとく、坂の近くに団子屋があったと言われている。 悪路のため転ぶと団子のようになるからと云う説もある。 長さ180mの坂。、、、、坂の上には、森鴎外、夏目漱石、高村光太郎が居住していた。、、、、、この三人は、元祖『だんご三兄弟』かも?
 
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⑨千駄木駅・・・・・・・・・・団子坂下にある、地下鉄千代田線の駅。 昭和44年(1969)12月20日開業。
 
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・・・・・・・・・・・・・地下鉄に乗るつもりで駅に向かったら、駅前のバス停に私が住む台東区の循環バスが来た! オー、ラッキー、急遽バスに切り替えて帰宅する。
 
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2017年10月 2日 (月)

上中里~西巣鴨

JR京浜東北線上中里駅から都営三田線西巣鴨駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
上中里駅 ・・・・・・・・・・・・京浜東北線の駅で、島式ホーム1面2線の地上駅。 昭和8年(1933)7月1日に開業した駅である。 駅の自慢(?)は、23区内のJR駅の中で利用客数が、越中島駅(京葉線)の約1万1千人に次いで少ないことである。 上中里駅の一日1万5千人程の乗降客数は第2位。 ちなみに3位は、尾久駅(東北本線)で約1万8千人。 ついでに4位は、三河島駅(常磐線)の約2万2千人。 おまけで5位は、潮見駅(京葉線)の約2万6千人。、、、、、駅周辺には大型スーパー、元気な商店街などが無く。 駅前コンビニも無い。、、、、、利用客は少なく、店はない、都会の秘境駅。 でも、電車はキチンと止まってくれるので、ご安心を!
 
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②平塚神社・・・・・・・・・上中里駅隣の崖上に平塚神社はある。 神社の創立は平安後期といわれている。、、、、、平塚神社の境内は、かつて平塚城があった処である。 平塚城の城主:豊島近義は後三年の役で城に立ち寄った源義家から饗応の返礼として鎧1領を譲られた。 この鎧は清浄な地に埋め、塚を築き、平塚城の鎮守とした。 そして塚は「甲冑塚(かっちゅうづか)」とよばれ、高さが低いため「平塚」ともよばれた。 豊島近義は社殿を建て、源義家、源義綱、源義光を「平塚三所大明神」として祀り、一族の繁栄を祈願した。 これが、平塚神社の始まりである。、、、、、本郷通りから参道が拝殿へ約200m真直ぐ延びている、境内はこの参道を中心とした、細長い敷地である。 
 
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③無量寺・・・・・・・・・・平塚神社から本郷通り横断した南に旧古河庭園 がある。 その旧古河庭園の東隣りにひっそりと身を隠すように無量寺がある。 寺の山門は、庭園の入口とは正反対の側の裏道を入った処にある。、、、、、旧古河庭園を訪れる観光客は多いが、無量寺を訪れる人は少なく、知る人ぞ知る隠れた名園の寺院である。 静かで落ち着き、手入れも行き届き、四季の花咲く庭園は、ナイショでお勧めする処。 くれぐれも他言無用!
 
・・・・・・・・・・・・・無量寺は真言宗豊山派の寺院で、佛寶山西光院と号す。 創建年代は不詳だが、鎌倉時代または室町時代らしい。、、、、昔は長福寺と称していたが、慶安元年(1648)には江戸幕府より寺領8石5斗余の御朱印状を拝領し、9代将軍の幼名長福丸と同名であることを避けるため寺号を佛寶山長福寺から佛寶山西光院無量寺と改称した。 
 
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・・・・・・・・・・・・・山門に近い参道の両側には竹が植えられ、地蔵さまが迎えてくれる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・さらに参道の奥には、もう一つ門がある。 この門をくぐり、緑で覆われた参道の先に本堂が見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・・本堂前ではタヌキの“二僧”がお出迎え。 若い“尼僧”のお出迎えなら、もっと嬉しいのだが!、、、、、江戸六阿弥陀詣での第三番目の寺として、平安後期の阿弥陀如来が本堂の正面に安置されている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・本堂横の大師堂には、雷除けにご利益があるという「雷除けの本尊」:聖観音像が安置されている。
 
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・・・・・・・・・・・・・安永9年鑄造の鐘をかける鐘楼
 
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④染井の町・・・・・・・・・・・・・JR巣鴨駅の北側、染井霊園付近を抜け、西巣鴨駅に向かう。
 
・・・・・・・・・・・・・・北区・豊島区の境をに生まれた染井銀座商店街を横切り西に向かう。、、、、、、まだ準備中の店が多く、シャッターも下りている。 歩いてもつまらないんで、脇道に入る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・マンションの出始めた昭和39年(1964)に建てられた「染井マンション」(豊島区駒込6) 。
 
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・・・・・・・・・・・・・・水原秋櫻子の墓前に手を合わせ、染井霊園 を抜ける。、、、、、秋耕や あらはの墓に 手向花  (秋櫻子)
 
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・・・・・・・・・・・・・東京外語大(北区西ヶ原4)が平成12年(2000)に府中市に移転した跡地には、現在公園と老人ホームが建っている。 その跡地に沿って北西に上る坂を下瀬坂 (しもせざか)という。 長さ150m程で、かなり急な坂である。、、、、、坂の名は、明治32年(1899)、ここに設けられた「海軍下瀬火薬製造所」に由来する。、、、、、老人ホームからは、公園の先にスカイツリーを望むことができる。 眺望良好。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・新庚申塚停留所で、都電荒川線 の線路をまたぐ。
 
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⑤大都映画巣鴨撮影所跡・・・・・・・・・・荒川線新庚申塚の北側、白山通りに面した旧朝日中学校(現:巣鴨北中学校)の敷地は、巣鴨撮影所があった場所らしい。 白山通りに面した校庭跡に、大都映画巣鴨撮影所跡を示すプレートが埋め込まれている。、、、、「大都映画」、聞いたことないね? 戦後生まれの私には知らぬ社名だ!、、、、、大正8年(1919)に天活(天然色活動写真)が撮影所を開設して以来、何度か持ち主が変わったが、昭和8年(1933)に大都映画が発足し昭和17年(1942)まで存続した。 年間100本余りの映画が製作され、戦前の映画界では製作本数最多を誇っていたそうだ。
 
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●・・・・・・・・・・・・大都映画撮影所跡のプレートの隣は西巣鴨駅。 ちょうどよい、都営地下鉄で帰ることにする。

2017年9月25日 (月)

東十条~ときわ台

京浜東北線東十条駅から西へ向かい東武東上線ときわ台駅まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
①東十条駅・・・・・・・・・・・昭和6年(1931)に「下十条」駅として開業。昭和32年(1957)、東十条に改名。 改札口が南・北2か所にあり、ともに橋上駅舎。、、、、、2つの島式ホームで中線1本をはさむ2面3線の地上駅。 中線である2番線と3番線の線路は共用となっていて、当駅止まりの電車が利用している。、、、、、南口改札で突然トイレに急行したくなったら、『さあ大変!』。 南口改札にはトイレはない! 階段を下りてホームの端から端まで約200m歩き、また階段を上り北口改札横のトイレに行かなくてはならない。 『間に合えばいいが、間に合わないと悲惨な結果に! 運命は神のみぞ知る』、、、、、(南口駅舎の写真は2014年撮影) 
 
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②十条跨線橋・・・・・・・・・・・・東十条駅南口の脇に架かる跨線橋(中央の車道部分)で、かつて東北本線の荒川橋梁として使用していたポニーワーレントラス橋(橋の左右にトラス構造の桁があるが、左右を結ぶ上部の骨組みがない橋。 小中規模の橋に用いられる。)の一部を、昭和6年(1931)に現在の跨線橋に転用したもの。 橋桁は明治28年(1895)にイギリス:COCHRANE社で製造された。、、、、、鉄道黎明期の貴重な文化財であるが、管理する北区では、橋台部の強度不足の問題が挙がり、架け替えを検討中。 その為、朽ちるのを待つように錆が出た跨線橋は見るに忍びない。
 
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③地蔵坂・・・・・・・・・十条跨線橋の西詰の崖下に蛇行して登る坂。 案内によれば、『地蔵坂は、この坂の上の三叉路(さんさろ)で合流し、ここを通って降る坂道です。現在の中十条2-11-1地先付近までが崖で、坂道は崖の手前の地蔵堂から続いていましたので地蔵坂と呼ばれていました。現在の地蔵堂は、東十条駅の開設にともなう跨線橋(こせんきょう)の設置や道路の拡幅により今の位置に移転したものです。北区教育委員会』 、、、、、チョイと急な坂で、年寄りにはキツイね!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・十条跨線橋の西詰にある地蔵堂。 堂の後ろに地蔵坂がある。
 
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④十条中央商店街・・・・・・・・・・東十条駅南口から十条駅に伸びる、下町人情の残る昭和の商店街。 商店街の中程に昭和26年(1961)に開館した大衆演劇専門の「篠原演芸場」があることから『演芸場通り商店街』と呼ばれている。、、、、商店街のところどころでは、終日シャッターが下りたままの店もあるようだ。、、、、、商店街は十条駅ホーム際の踏切で終わる。 
 
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⑤十条駅際の踏切・・・・・・・・・・・正式には、赤羽線の仲道踏切。 十条駅の赤羽方に隣接する踏切で、線路を挟んで東側に十条中央商店街、西側に十条銀座商店街がある。 踏切を利用する人は多いようだ。、、、、「仲道」の由来はこの付近の小字名である。
 
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⑥十条から板橋本町へ・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・十条駅前の十条銀座商店街は、まだ営業前でシャッターが下りている店が多い。、、、、、シャッターを見て歩いても面白くなさそうだ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・我が足は商店街の裏道へ入る。 我が目はキョロキョロし、何やら探すが、おもしろそうなものはないね!
 
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・・・・・・・・・・・・・・オヤ? 「聖観音」とは?、、、、、建物は木造住宅風で、規模も小さく、昭和の建築?、、、、、ここは西音寺が管理している堂(上十条3)である。 堂内には、中国風の観音像が安置されているという。、、、、、道路側の柵から進入禁止。 素通りします。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・板橋区に入り、ここは帝京大学板橋キャンパス。 大きな大学の建物と附属病院が目に入る。、、、、、、見た瞬間の印象は、『帝京大学って、儲かってるな!』
 
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・・・・・・・・・・・・・・環七通り沿いに歩き、中山道を横断し、都営地下鉄三田線板橋本町の駅前を通過する。
 
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常盤台住宅地 ・・・・・・・・・・常盤台住宅地(現在の常盤台1、2丁目)は池袋から5つ目の東武東上線「ときわ台」駅の北側に広がる、2万3千余坪の住宅地である。 昭和10年(1935)に、東急の田園調布に並び、東武鉄道により開発・分譲された住宅地である。、、、、住宅地をほぼ一周する環状道路や、住宅地の交通量を減らすための工夫でクルドサックがつくられている。 そしてモダンな文化住宅が建てられた。
 
・・・・・・・・・・・・・・高級住宅が並ぶ常盤台住宅地。
 
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・・・・・・・・・・・・・・住宅地内を通り抜けできないように作られた、ぐるりと回る道路“クルドサック”。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・住宅地内の帝都幼稚園の園舎は、戦前の木造建築で貴重なものである。 登録文化財。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・常盤台住宅の最寄り駅、東武東上線の「ときわ台」。
 
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2017年4月20日 (木)

尾久車両センター

京浜東北線上中里駅で下車し、尾久車両センターの周囲を歩き田端新町まで、8千歩の短い散歩である。、、、、、田端新町からバスで浅草に出て、帰宅。
 
 
 
上中里駅 ・・・・・・・・・・・昭和8年(1933)7月1日に開業した上中里駅。 23区内のJR駅の中でも、際立って利用客の少ない駅。 出入口・改札口はホームの東端の橋上に一か所あるのみ。 駅での待ち合わせには、間違えることの少ない人にやさしい駅である。
 
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②車坂跨線橋・・・・・・・・・・・上中里駅から直線距離で約300m田端側で、京浜東北線上に架かり、新幹線下を抜ける跨線橋。 現橋は昭和57年(1982)に架けられたものであるが、昭和初期の写真に跨線橋が写っている。、、、、、、橋名の「車坂」は、崖上の滝野川女子学園の脇を南へ上る坂である。
 
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③上中里庚申堂・・・・・・・・・駅から跨線橋を渡り崖下の道路沿いに出ると庚申堂がある。 堂内には、石塔が複数あり祀られている。 庚申塔には、寛文5年(1665)の年号が読み取れる。
 
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④上中里2丁目の裏道・・・・・・・・・・・・・駅の北側には、昭和の下町の面影を残す細い道がある。、、、、、私、好みの細道。
 
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⑤梶原踏切・・・・・・・・・・・・・・上中里駅から北へ150m程の処(尾久車両センターの大宮寄り)にある東北本線(宇都宮線+高崎線)の踏切。 通勤時間帯は、都内にある踏切同様、ここも開かずの踏切となるため、人がわたることのできるエレベーター付き跨線橋が隣に設置されている。、、、、、跨線橋は、嵌め殺しのガラス窓があるので、チョイト写真を撮るには邪魔だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・踏切から撮影。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・跨線橋から撮影。
 
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⑥尾久駅・・・・・・・・・・・・・昭和4年(1929)6月20日に開業した東北本線の駅。 上中里と利用客の少なさを競う駅。、、、、、駅の所在地は荒川区の尾久ではなく、開業当時から北区昭和町にある。 ところで、荒川区の地名「尾久」(東尾久・西尾久)は『おぐ』と読む。 駅の「尾久」は『おく』と読む。 なぜか・・・・駅名を決めるとき、当時の国鉄(時代からすると鉄道省)が、『おぐ』は訛りだと思い、『おく』にしてしまったそうだ。 単なる間違いが80年以上訂正されずに使用されているようだ。
 
・・・・・・・・・・・・・・・梶原踏切から尾久車両センターに沿って歩いてきた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・尾久駅。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・尾久駅の脇から、尾久車両センターの広い構内を横断する地下道「尾久構内架道橋」がある。 長さ約150m、長い!
 
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⑦田端信号場駅の脇を歩く・・・・・・・・・
 
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⑧東田端道標・・・・・・・・・・・田端運転所と尾久車両センターの間の道を田端駅方向に歩いてくると、運転所の角(東田端2-19)に道標がぽつんと立っている。、、、、「右 □阿弥陀 西新井弘法大師道」、「左 王子道」と標されていた。 どうやら、私が歩いてきた道が王子街道(王子道)であった。
 
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●・・・・・・・・・・・・・これより、近くの明治通りにでて、バスで浅草へ行く。 散歩はここまで!

2017年4月 6日 (木)

戸田橋

JR埼京線戸田公園駅から、荒川に架かる戸田橋を渡り、埼京線浮間舟渡駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
①戸田公園駅・・・・・・・・・・・東北新幹線の建設では、埼玉県南部の人口密集地を抜けるため、新幹線高架橋と並行して通勤新線を建設し住民の説得にあたったのが埼京線である。 昭和60年(1985)9月30日、その埼京線と同時開業した駅の一つが戸田公園駅。、、、、島式ホーム1面2線と、両外側に1線づつ通過線がある高架駅。 下り線の外側には新幹線の高架橋が並行する。
 
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・・・・・・・・・・・・・・このまま電車に乗って終点まで行きたくなった!
 
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②地蔵堂・・・・・・・・・・・・・荒川の左岸:戸田市川岸1丁目に地蔵堂がある。 堂は江戸時代の絵図にも記載されている、戸田市内最古の木造建造物だそうだ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・地蔵堂の近くにある水神宮(すいじんぐう)。、、、、正面の石碑には寛政8年(1796)の銘がある。 この地の氏神さまらしい。
 
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・・・・・・・・・・・・・・地蔵堂の近くにもう一つ古そうなものがあった。、、、、今も現役のポスト
 
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③戸田の渡し跡・・・・・・・・・・水神宮向かいの荒川土手に「中山道戸田渡船場跡」の碑がある。、、、、、、荒川には江戸防衛の意から橋は架けられず、人々はここを越えるには船による渡しに頼らざる得なかった。 これが中山道「戸田の渡し」である。、、、、この渡しは、天正年中(1575~1591)よりあったとされ、その重要性は近世を通じて変わらなかった。 明治8年(1875)には木橋の戸田橋がついに完成し、「戸田の渡し」が廃止となった。
 
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④戸田橋親柱・・・・・・・・・・・戸田橋の北詰(戸田市川岸3)の戸田橋親水公園に3代目戸田橋の親柱が保存されている。、、、、、、3代目戸田橋は、昭和4年(1929)に着工し、総工費101万9000円を投じ、昭和7年(1932)12月24日に竣工した、長さ545m、幅11m、当時の橋梁技術の粋を集めた近代的な鉄製トラス橋で、完成当時は日本一斬新でモダンなデザインが話題を呼んだ。 橋の設計は増田淳(千住大橋白鬚橋などを設計)、橋の施工は横河橋梁(現、横河ブリッジ)、架設は鴻池組である。
 
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・・・・・・・・・・・・・親柱の銘板「埼玉縣」には、後に米軍憲兵によって付けられたといわれている弾痕が3箇所ある。 一か所は、「埼玉縣」の“玉”の字の中央に、パチンコ玉程のくぼみを見ることができる。、、、、、“玉”を弾で傷つけ、おっ魂げた!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・3代目戸田橋 (雑誌「工事画報」昭和8年1月号より )
 
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⑤戸田公園・・・・・・・・・・駅名ともなっている戸田公園は、荒川の水を引き込んだ戸田オリンピックボートコースをはじめ、荒川の河川敷に広がる野球用のグラウンドなどの総称である。 戸田競艇場もボートコースの西端にある。、、、、、ボートコースは約2.5kmの長さ、長すぎるので、端っこだけ見てきた! 2020年東京オリンピックもここを利用すればいいのにね!
 
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⑥戸田橋・・・・・・・・・・・・現在の戸田橋は、埼玉県戸田市と東京都板橋区の間で荒川に架かるかかる橋で、国道17号(中山道)を通す。 新幹線・埼京線荒川橋梁が下流側に並行して架かる。、、、、、明治8年(1875)に最初の木橋の戸田橋が架けられ、大正元年(1912)に2代目の戸田橋(木橋)が架けられ、3代目は昭和7年(1932)に鋼製のカンチレバートラス橋が架けられた。、、、、、現橋(4代目)は、昭和53年(1978)竣工した、長さ519m、幅21mの鋼連続箱桁橋である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・上流側を望む。
 
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⑦浮間公園・・・・・・・・・・・浮間舟渡駅の正面に広がる、東側の北区と西側の板橋区にまたがる約4万m²の公園。、、、、元は荒川が流れていたところで、大正から昭和にかけての河川改修で一部が池になった。 昭和42年(1967)に浮間公園が設けられた。、、、、、只今、満開! 早々と、昼前から桜色に染まった人もいた。
 
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浮間舟渡駅 ・・・・・・・・・・北区浮間と板橋区舟渡の2区にまたがる駅。 
 
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2017年1月23日 (月)

尾久橋・日暮里舎人ライナー隅田川橋梁

隅田川の橋梁めぐり、今日は7番目の尾久橋、8番目の日暮里舎人ライナー隅田川橋梁を見て、連続して荒川に架かる扇大橋、日暮里舎人ライナー荒川橋梁も見てきた。 JR田端駅から、日暮里舎人ライナー扇大橋駅まで、1万3千歩の散歩です。
 
 
 
①東灌森稲荷神社・・・・・・・・・・・・田端駅から北東に300m程歩くと、北区東田端1丁目に東灌森稲荷神社 (とうかんもりいなりじんじゃ)がある。、、、、太田道灌が江戸城築城の際、方除け守護神として、江戸周辺に七つの稲荷社を祀ったと伝えられている。 即ち柳森稲荷社烏森稲荷社椙森稲荷社・雀森稲荷社・吾妻森稲荷社・宮戸森稲荷社、そしてここの東灌森稲荷社である。、、、、、神社入口の石鳥居は吉原遊郭の尾張屋彦太郎が安政4年(1857)に奉納したもので、江戸下町に多かった稲荷信仰の一つである。、、、、、今は、地元の有志によって守られている神社のようだ!
 
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②尾久銀座/はっぴーもーる熊野前・・・・・・・・・・・・・荒川区東尾久4丁目の中央を南北に貫く下町の商店街が「尾久銀座」。 4丁目から東尾久5丁目に入ると「はっぴーもーる熊野前」の商店街が続ぎ、二つの商店街が約800mの長さでつながっている。 北端は、都電荒川線の「熊野前停留場」の正面である。
 
・・・・・・・・・・・・・・・商店街の南端(東尾久4-21)にある「尾久銀座」のアーチ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・店開きの準備中! 昭和34年(1959)に設立し、50年以上経過した元気そうな商店街だ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・商店街の中程のスーパーの2階に、かつて「尾久セントラル劇場」という映画館があった。 30年ほど前にすでに閉館した映画館だが、2階の外壁にはいまだ当時の看板が残されている。 「各社特選映画上映」、「毎週土曜日オールナイト」、「冷暖房完備」、懐かしい単語が並び、嬉しくなる看板である。、、、、チョイと2階へ上がってみると、入場券売り場と思われる窓と入口がある、残念だがシャッターが下りている。 ここで、三本立てのピンク映画、ヤクザ映画を観て育った学生も、今は立派な大人になっていることだろう!?
 
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・・・・・・・・・・・・・・「尾久銀座」の北端は、「はっぴーもーる熊野前」の南端である。 二つの商店街のアーチが重なる。
 
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・・・・・・・・・・・・「はっぴーもーる熊野前」の商店街は、万国旗の飾り付けでお出迎え。 まだ開店前で人通りも少なく寂しいが、昼過ぎには活気ある商店街になるだろう。
 
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・・・・・・・・・・・・・・商店街の北の端。 アーチの前は都電「熊野前停留場」。
 
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③尾久橋/日暮里舎人ライナー隅田川橋梁・・・・・・・・・・・・・上流側に尾久橋通り(都道58号)を通す尾久橋(おぐばし)が架かる。 下流側に日暮里舎人ライナーの隅田川橋梁が並行して架かる。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・尾久橋は荒川区東尾久と北岸の足立区小台を結ぶ、全長176.0 m、幅24.0 mの、3スパン連続鋼床版箱桁橋。 昭和43年(1968)に完成。、、、、、隣の日暮里舎人ライナーの隅田川橋梁は、平成20年(2008)の全線開業に合わせ完成した。
 
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・・・・・・・・・・・・・・尾久橋から、上流側(小台橋)、下流側(尾竹橋方向)を望む。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・尾久橋を渡った先に、日暮里舎人ライナーの「足立小台駅」が見える。
 
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④扇大橋/日暮里舎人ライナー荒川橋梁・・・・・・・・・・・・・尾久橋に連続して扇大橋が架かる。 また、隣を走る日暮里舎人ライナーも隅田川橋梁に続き荒川橋梁となる。、、、、左岸側(足立区扇側)では、扇大橋の上を首都高中央環状線がクロスし、さらにその上を日暮里舎人ライナーが通る。 よって、荒川橋梁は怖いくらいの高さにある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・扇大橋(おおぎおおはし)は、3径間連続鋼ゲルバー式桁/連続箱桁橋、橋長445.4m、幅員26.0m、昭和49年(1974)の竣工。、、、、、、、日暮里舎人ライナー荒川橋梁は、4径間鋼箱桁、橋長610.8m、幅員12.8m。 平成18年(2006)に竣工した。
 
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2017年1月18日 (水)

豊島橋・首都高中央環状線隅田川橋梁

隅田川の上流から数えて、4番目の豊島橋、5番目の首都高中央環状線隅田川橋梁を見てきた。 王子駅から首都高中央環状線沿いに歩き、豊島五丁目団地を覗き豊島橋を渡り足立区に入り、川岸をしばらく歩き、王子駅に引き返す、1万4千歩の散歩です。
 
 
 
①首都高中央環状線隅田川橋梁・・・・・・・・・・・・・隅田川右岸の北区堀船と左岸の足立区宮城との間に架かり、平成14年(2002)12月に王子線(板橋JCT~江北JCT間)が開通した。 この開通に合わせ隅田川橋梁も架橋されたと推測される。、、、、、隅田川の上を、上下2層の連続トラス橋で越え、“橋梁”と言うより、“高架橋”と言う感じである。、、、、、今日は、王子駅から豊島橋の先まで首都高沿いに歩いてきた。
 
・・・・・・・・・・・・・・飛鳥山をトンネルで抜け、石神井川沿いに隅田川へ向かう首都高。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・石神井川と隅田川の合流点。 頭上を首都高が走る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・隅田川を越える首都高中央環状線隅田川橋梁。
 
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・・・・・・・・・・・・・・川を越えると左岸(写真左側)沿いに、足立区宮城を抜ける。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・・豊島橋東詰の上を直進し、、、、
 
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・・・・・・・・・・・・・・・首都高は写真:奥へ進み、江北橋に並行して荒川を越える。 写真左、隅田川が左奥から大きく蛇行し豊島橋に流れ来る。(この付近に、昔、渡しがあったようだ。)
 
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②下道地蔵尊・・・・・・・・・ずらりと18体の石仏が並ぶ下道地蔵尊。、、、、、 このへんは、明治以前は豊島村・領家集落の北の外れで、川と田んぼが広がる田舎であった、この辺には多くの石仏がたたずんでいたと思われる。 都市化とともに、各処にあった石仏が集められ、今となった。、、、、、“下道(しもみち)”とは、この辺りから下(しも、現:北区志茂)に向かう道があったことから地名として、このように呼ばれていたそうだ。
 
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③豊島五丁目団地・・・・・・・・・・隅田川が大きく曲がる北区豊島5丁目に建つ公団住宅。、、、、鉄筋コンクリート造、14階建て、総戸数4959戸(12棟)、昭和47年(1972)8月~昭和48年(1973)10月の竣工である。、、、、、この団地は、日産化学工業王子工場の跡地に開発された大規模団地である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・団地内のショッピングモールを覗いてみた。、、、、おや! 閉店した店もあるようだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・チョイと“A”型の平面をした高層棟を見学することに、、、、、奇数階止まりのエレベータで9階でおりた瞬間、エレベータのロープが切れていたらと考え、ぞ~~っとした。 9階の窓のない廊下から外を見ると、もし風で飛ばされたらと考え、また、ぞ~~っとした。 廊下のつなぎ目の鉄板の上を歩き、もし錆びていたらと考え、またまた、ぞ~~っとした。 私の若い頃は、ゼネコンで集合住宅の現場を担当し、足場の上も平気で歩いていたが、歳をとり高所恐怖症になってしまった。 自分の足元が不安な場所、足元が不安になる想像をすると、怖いのだ。、、、、、もう私は、高層住宅に住めそうもないね!
 
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④豊島橋・・・・・・・・・・・・豊島橋(としまはし)は、隅田川を挟む、北区豊島と足立区宮城を結ぶ橋。、、、、、もともと現在の橋の上流300mほどの隅田川が大きく蛇行する処に、鎌倉時代から続くと渡しがあったそうだ。 この場所に、大正14年(1925)、木橋の豊島橋が架けられた。 昭和35年(1960)に下流の現在の位置にゲルバー式鋼製桁橋が改架された。 そして、平成7年(1995)に地盤沈下と老朽化によって再度改架されることとなり、7年の工事期間を経て平成13年(2001)に現在の橋が架けられた。、、、、、、、単純下路式鋼ローゼ桁橋で、橋長は106.7mである。、、、、、、シンプルな桁で瘦せ型の女性のようなデザインの橋だ!
 
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2017年1月17日 (火)

新田橋・新豊橋

今冬“最強の寒波”も和らいだようだが、今日はチョイと厚着で散歩に出た。 隅田川に架かる橋の続きを歩こうと、東十条で下車し、新田橋・新豊橋を渡り王子駅まで、1万2千歩です。、、、、、厚着して、失敗! 暑い暑い、汗で濡れ、足が止まると、寒い寒い、寒暖の変化が激しく、風邪ひきそうだ。
 
 
 
①旧北王子駅・・・・・・・・・・・・「北王子駅」と聞いて“ピン”ときた人は鉄道オタクである。、、、、、北区田端信号場駅と北王子駅(貨物駅)を結ぶJR貨物の専用線路(北王子線)がかつて敷かれていた。 平成26年(2014)3月に、日本製紙(旧王子製紙・十條製紙)への引き込み線(北王子支線)は廃線となった。、、、、、工場跡地は、「十条製紙」時代の昭和51年(1976)に、一部か公団住宅へと変わった。 その後、残されていた倉庫(日本製紙となり)も取り壊され、現在は2018年完成予定で、約1000戸(6棟)のマンションが建設中である。、、、、、工場の西側の一般道は「桜田通り」と命名された桜並木である。 この並木に並行して、構内に敷き込み線があった。 今日来てみると、桜並木は残っているが、残念ながら敷き込み線は撤去されたようだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・構内に引き込まれていた貨物線の踏切跡が残っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・4年前(2013年)の今日(1月17日)撮影した、桜並木と踏切跡から見た構内。
 
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②王子五丁目団地・・・・・・・・・・・十条製紙工場跡に建てられた住宅公団の団地。 鉄筋コンクリート造/14階ての団地は、昭和51年(1973)3月から入居が開始された。 全6棟(2,221戸)の大きな団地である。 約40年前の完成当時は、3DKで6万円の家賃が「日本一高い家賃」と報道された。(当時の物価は、岩波文庫100円、うな重1200円、鉛筆20円) ちなみに、現在の家賃は14万円程らしい。、、、、、当時、私の月給も6万円ぐらいだったかな?  
 
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③豊島8丁目・・・・・・・・・・・・・・地下鉄南北線王子神谷駅付近から、庚申通り商店街の街路灯が並ぶ道を歩き新田橋に向かう。
 
・・・・・・・・・・・・・・庚申通り商店街の入り口に祀られている庚申塔。 盗難防止か?厳重に庚申塔は守られ、外からは見えない。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・まだ朝だ! 店はこれから開店だが、チョイと活気がなさそうだ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・裏道に入ると豊島8丁目町会の守り神、豊八稲荷大明神が町会会館前に祀られていた。、、、明治43年(1910)に京都伏見稲荷神社に勧請し、祀った屋敷神。 戦後、町会で維持管理するようになったらしい。、、、、、、“大明神”とは、恐れ入谷の鬼子母神。
 
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・・・・・・・・・・・・・・大明神裏の路地にはリヤカーが立てかけてあった。、、、、大八車に変わりリヤカーが活躍した時代が懐かしいね!
 
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④新田橋・・・・・・・・・・・隅田川の上流から2つ目の橋で、北区豊島8丁目と足立区新田(しんでん)3丁目に架かる橋。 5径間単純鋼桁橋、橋長は114.0m、昭和36年(1961)3月の竣工から50年以上経過した橋。、、、、、、もともと「野新田(やしんでん)の渡し」という農業渡船があり、荒川放水路開削に伴って中州状に孤立した新田地区の交通路として利用されていた。 昭和14年(1936)に最初の木橋が架けられ、昭和36年に現橋に架け替えられた。 橋は足立区が管理している。、、、、、木橋時代の橋脚を模した、珍しいA字型の橋脚が、いいね! 
 
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⑤新豊橋・・・・・・・・・・・新田橋を渡り足立に入り、川岸を右手に向かえば、スグに新豊橋となる。 こちらは、足立区新田と北区豊島を結ぶ橋で、平成19年(2007)に架けられた、隅田川では比較的に新しい橋である。、、、、、単純箱桁・アーチ複合橋、橋長は105.0m、施主は新田地区に大規模な団地を造った独立行政法人都市再生機構である。、、、、、この橋は、桁橋をアーチで補剛する構造で形を洗練させた新たな橋梁形式のデザインで、周辺環境に調和した橋となっていることが評価され、「平成19年度土木学会田中賞(作品部門)
、「2007年度グッドデザイン賞」、「土木学会デザイン賞2009最優秀賞受賞」を受賞した。、、、、、女性のようなアーチ曲線が色っぽく、いいね!
 
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⑥紀州神社・・・・・・・・・新豊橋を渡り、再び北区豊島地区に入ると、7丁目に紀州神社がある。、、、、、、神社は、鎌倉時代後期、紀州熊野から来た鈴木重尚が豊島氏とはかり、 五十太郎神社を王子村に勧請したのがはじまり。
 
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