葛飾区

2017年5月11日 (木)

四ツ木~新小岩

GWあけの今週は、なんだかんだで忙しい一週間となりそうだ。 毎日が、寺だ、医者だ、病院だ、銀行だ、祭りだ、留めは孫のお相手だ。 今日は、午前中から病院の定期検診があり行ってきた。 15時過ぎに余裕ができたので、京成押上線四ツ木駅から総武線新小岩駅まで歩いてきた。 1万歩なり。、、、、昨年の12月30日に同じようなルートで歩いている。
 
 
 
①四ツ木駅・・・・・・・・『散歩してくる』の一言残し、例のごとくまた行先未定のまま地下鉄に乗った。 夕飯前の散歩だ、遠くに行きたくないので四ツ木駅で下車し歩くことにした。
 
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②東四つ木四丁目の裏道・・・・・・・・・・・・・・木造密集地区で、細い道がクネクネ。 私好みの道なので、何度も訪れてるため、『なんだ、ここに出るのか!』の連発。、、、、、、神田・上野・浅草とは違う葛飾の下町である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・なんだ、2階の窓の上部に並ぶ胸像は? ベートーベン? モーツアルト? どれが誰だか、判らん!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・我が家の春。 庭の無い下町の住宅に花が咲く。
 
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③中川・・・・・・・・・・・ 東四つ木4丁目、2丁目を抜けると、中川の堤防に出る。 西側にはスカイツリー、首都高の「かつしかハープ橋 」が見える。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・・東側は平和橋が見える。 よくみると、中川の水位が工場の敷地より高い処にある。 堤防が決壊すると、、、、恐ろしいね!
 
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④平和橋・・・・・・・・・・・・平和橋を渡り、葛飾区西新小岩地区に入る。
 
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⑤西新小岩の2寺・・・・・・・・・・葛飾区西新小岩5丁目にある寺院。、、、、どちらも、ゆったりとした広さの境内である。
 
・・・・・・・・・・・・・・東光寺、、、、、、、真言宗系の東光寺は、医王山瑠璃院と号し、慶長元年(1596)の創建。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・円成寺、、、、、、日蓮宗の円成寺は、天正元年(1573)の創建。 文政5年(1822)、現本堂を再建し、昭和8年(1933)に改修した。
 
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⑥新小岩陸橋・・・・・・・・・・都道315号(蔵前橋通り)のたつみ橋交差点をまたぐ片側一車線の自動車専用高架橋。
 
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⑦新小岩駅・・・・・・・・・・・新小岩駅の南口と北口をつなぐ、南北自由通路の工事中。 ホーム下のコンコース設置工事を始めたばかりで、完成まであと数年はかかりそうだ。、、、、、まだ、狭い北口から帰ることとする。
 
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2017年4月14日 (金)

江戸川~小岩

日ごとに暖かくなり散歩日和が続く。 今日も、家を出たものの行く先定まらず、とりあえず地下鉄浅草橋駅で到着していた電車に飛び乗った。 電車の中、どこで降りるか思案橋。 隣に座った“お姉ちゃん”に気をとられ、気づけば終点青砥。 青砥駅から歩くのは飽きたので、違う駅で下車しようと、後続の普通電車に乗り継ぎ江戸川駅で下車した。 江戸川駅から、江戸川土手沿いに歩いた。、、、、、、この寺、以前来た! この神社も! このコンビニではお茶を買ったぞ! 道を変えよう! あ!ここも前に歩いた!、、、、、ということで、結局一昨年の2月1日に歩いたルートを再び歩いてきた。、、、、、違うのは散歩の終点が、京成小岩駅ではなく、JR小岩駅である。 1万3千歩の歩きです。
 
 
 
●・・・・・・・・・・・歴史は古く大正元年(1912)に開業した江戸川駅で下車。 ここで下車する、通勤客はいない! 学生もいない! 乗車する人はパラパラ! 
 
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●・・・・・・・・・・・・昭和54年(1979)に架け替えられた、橋長433.2mの江戸川に架かる京成電鉄江戸川橋梁。 対岸は千葉県市川市。
 
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●・・・・・・・・・・・・江戸川の河川敷に広がる小岩菖蒲園。 菖蒲の季節には、50,000本の花が咲き誇る。 まだまだ時期は早く、やっと緑に色づいてきた。、、、、、まだ訪れる人は、地元の人だけ。
 
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●・・・・・・・・・・・・一寸八分の観音像を祀る光ヶ嶽観音堂(江戸川区北小岩4)。 観音様は、里見義豊(戦国時代の武将)、義俊(平安末期の武将)の守り本尊だったそうだ。
 
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●・・・・・・・・・・・・・門前に青面金剛と馬頭観音を祀る真光院(しんこういん、北小岩4)、、、、、ちなみに、私の守り本尊はキャッシュカードである。 現世では、お金がないと生きていけない!
 
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●・・・・・・・・・・・権現造りの古社は小岩田天祖神社。 現社殿は文政10年(1827)に再建された。
 
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●・・・・・・・・・・・・再び、江戸川の土手に上がってみた。、、、、、対岸は市川市国府台の里見公園 。 緑の中に薄いピンクの桜が見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・チョイと春の日射しを受け上流側に歩くと、松戸市栗山の給水塔 が見える。、、、、、北総線の江戸川橋梁も見える。
 
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●・・・・・・・・・・・・・チベットとはどのような関係だか知らないが、寺宝としてチベット語の経典が多数ある真言宗豊山派正真寺。(北小岩7)、、、、、寺の駐車場の桜も見事に満開。
 
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●・・・・・・・・・・・・癌封じを売りとする江戸川不動尊唐泉寺(北小岩7)。、、、、、私には、癌封じだけでは足りず、呆け封じ、虫封じ、口封じ、いろいろ封じて、最後は息封じで極楽浄土。
 
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●・・・・・・・・・・・江戸川区北小岩に出っ張るように葛飾区鎌倉8丁目が接している。 ここに千代田通り商店街がある。 昔からの商店街ではなく、おそらく昭和の時代に作られた商店街のようだ。、、、、狭い通りだが賑わいがあるね。
 
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●・・・・・・・・・・・・商店街を横切り西に向かうと柴又街道に出た。 出たところに、寛永3年(1626)の創建と言われている大珠院がある。(葛飾区鎌倉4)、、、、、来てビックリ、見てビックリ、以前は貧乏寺のような造りの寺であったが、『Before/After』を見ているように、近代的な寺に変わっていた。、、、、私の賽銭で建て替えたのか?(失礼!)
 
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●・・・・・・・・・・・・これより柴又街道を、ひたすら歩きJR小岩駅へ向かう。
 
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2017年4月10日 (月)

四ツ木~綾瀬

京成押上線四ツ木駅から、お花茶屋を抜けてJR常磐線綾瀬駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
四ツ木駅 ・・・・・・・・・・今日の散歩は、京成押上線(四ツ木~青砥間)の高架化工事の進み具合を確認する予定で下車してみた。 工事は、仮囲い設置が行われていたが、まだ特に見るべきものはないようだ。 急遽、予定を変更し、北の方角に歩いてみることにした。
 
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②四つ木の裏道・・・・・・・・・何か見るべきものはないかと裏道を歩き、コソ泥まねて家々覗き、おばさんと目が合い知らぬ振り。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・四つ木2丁目、西光寺の前に出た! 手だけ合わせて、通り抜け!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・水戸街道に出る手前、 「四つ木めだかの小道」がある。 水戸街道北側の「曳舟川親水公園」の続きだそうだ。 水戸街道の裏道250m程が整備され、小川に沿った小道である。 歩きながら、メダカを探してみたが、一匹も確認できなかった。 今日はメダカの学校の入学式で、全員留守のようだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・水戸街道(国道6号)を横切った!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・四つ木から亀有へ延びる「曳舟川親水公園」の四つ木側の端。 写真右側が道路中央に整備されている公園。、、、、サクラは満開!
 
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③宝町の裏道・・・・・・・・・・・・南北に伸びる「曳舟川親水公園」の道をはずし、親水公園の西側:宝町(たからちょう)の裏道を歩くことにした。、、、、ちなみに、「宝町」の謂れは、、、、この辺り、昔は宝木塚村(ほうきづかむら)と呼ばれていたが、昭和36年(1961)の住居表示で、他の町と合併し“宝”の一文字を採って宝町としたそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・この町もアパートが多いようだ。 学生向けより、社会人向けの方が多そうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・旧地名を残す「宝木塚小学校」。 昭和25年(1950)四ツ木小学校宝木塚分校として開設し、昭和26年(1951)葛飾区立宝木塚小学校として独立開校した。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・昭和40年(1965)に建てられた「葛飾宝町アパート」、2DK(32㎡)が全27戸の都営住宅。 葛飾区内の都営住宅では、5指に入る古さ。
 
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お花茶屋駅 ・・・・・・・・・・・昭和6年(1931)に、上野線(日暮里~青砥間)の営業と同時に開業した相対式ホーム2面2線の地上駅。、、、、、、名の由来は駅前のお茶屋にお花さんが住んでいたと言われている。 嘘か、真実か、お花さんに聞いてみたいものだ!
 
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⑤入学式・・・・・・・・・・お花茶屋にある共栄学園高等学校。 今日は入学式らしい、お父さん、お母さんと新入生(共学)がゾロゾロ。、、、、、こちらは、女子バレーボールの強豪校で有名。 男子は何が強いのやら? 
 
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⑥九品寺・・・・・・・・・・葛飾区堀切6丁目にある、区内有数の古刹である九品寺。 当寺は、建久4年(1192)に創立され、以来、800年に近い法灯を伝えている。 ただし、享和2年(1802)および明治元年(1867)の火災、そして数度の水害により、寺宝・記録は散失し由緒不明。、、、、、、現本堂は昭和35年(1960)に改築。、、、、、境内には、最近建立したと思われる九品仏が春の陽射しを受け、嬉しそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・鈴懸の径、、、、、、、、九品寺には作詞家:佐伯孝夫の墓所があることから、寺の横の細い小道(元はドブ川で暗渠化した)には佐伯孝夫を偲び「鈴懸の径」と名付けられている。 チョイト歌のイメージとは、程遠い小道だ!、、、、、歌のモデルとなった鈴懸の径は立教大学のキャンパスにある。 こちらが本物(?)
 
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⑦綾瀬駅・・・・・・・・・歴史:::::1943年(昭和18年(1943)4月1日、国有鉄道(鉄道省)常磐線の駅として開業。 昭和46年(1971)4月20日、営団地下鉄千代田線の駅が開業し、駅管轄権が営団に移管された。 都内にあるJR駅では唯一、他社に営業を委託している駅である。
 
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2017年3月22日 (水)

椎名町~下落合

西武池袋線の池袋駅の隣「椎名町駅」から、西武新宿線の高田馬場駅の隣「下落合駅」まで、直線距離で1.3km程のところを2時間かけ歩いてきた。 1万歩。
 
 
 
①椎名町駅・・・・・・・・・・・・大正4年(1915)4月15日、武蔵野鉄道(西武鉄道の前身)の池袋~飯能間が開通。 9年後の大正13年(1924)6月11日に、椎名町駅は開業した。 現在の駅は、相対式ホーム2面2線を有し、駅舎は橋上である。、、、、、今は消えた「椎名町(しいなまち)」とは、北側の西武池袋線、南側の目白通りに挟まれた、現在の豊島区目白4丁目・南長崎1丁目~6丁目のほぼ全域が該当する、かなり広い町域の町であった。 池袋線の椎名町駅・東長崎駅、大江戸線の落合南長崎駅は、かつての椎名町の境界線沿いにある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅に貼ってあった「昭和40年頃の椎名町駅」
 
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②長崎神社・・・・・・・・・・・・・・駅の北側に長崎神社はある。 神社の創建年代は不詳だが、長崎村の鎮守として信仰を集め、江戸時代の中期には十羅刹女社(じゅうらせつにょしゃ)と呼ばれていた。 明治7年(1874)、神仏分離令により十羅刹女神に代わり須佐之男命を合祀し、氷川神社、そして長崎神社と改称し、現在に至る。、、、、、つまりは、女神に男神を娶らせ、夫婦で稼げと言うことか!、、、、、、精緻な彫刻物を有する本殿は嘉永2年(1849)に、拝殿は明治32年(1999)に建立された。
 
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・・・・・・・・・・・・・・「椎名町」と聞くと、「帝銀事件」を思い出す人もいるのでは、、、、、私はまだ2歳で、新聞も読めなかった頃の事件。、、、、昭和23年(1948)1月26日4時頃に、椎名町駅前の「帝国銀行椎名町支店」で起こった強盗殺人事件。 東京都のマークの付いた腕章を腕に付けた中年の男が現れ、集団赤痢が発生したから予防薬を飲まなければならないと言って、全員に青酸カリを飲ませ、12人を毒殺、現金16万円余りと1万7千円程の小切手を強奪した。 犯人は逮捕されたが、最後まで犯行を否認し、最高裁で死刑が確定した。 その後、刑は執行されず昭和62年八王子医療刑務所で死去した。 95歳であった。、、、、、当時の銀行の支店は質屋を改造した木造平屋の建物だったそうだ。 その支店があった場所は、長崎神社の横で、現在はマンションが建っているが、事件を思い出させるものは一切残ってない。、、、、、過去の暗いイメージを消し去るのか、町名も、事件の跡も無くなった。 
 
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③道歯科医院・・・・・・・・・・・・椎名町仲通り、ツタの枝が外壁を覆う廃屋となった歯科医院。 昭和初期の建築か?
 
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●・・・・・・・・・・・西武池袋線の踏切を越え、山手通りを南に向かう。
 
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④佐伯祐三アトリエ記念館・・・・・・・・・・目白通りを越え、中落合2丁目に入ると、聖母病院北側の細い路地の奥に、画家佐伯祐三(1898~1928)のアトリエが整備・保存されている。 記念館は、佐伯が創作活動をしていた地に、住居の一部とアトリエ部分が残され、敷地全体が公園として整備されている。 アトリエは大正10年(1921)の建築で、洋風下見板張り、北側の大きな窓が特徴的である。、、、、、大正7年(1918)に東京美術学校(現:藝大)に入学し、大正10年(1921)にはアトリエ付きの自宅が完成する。 大正13年(1924)にはフランスに留学。 昭和3年(1928)8月、30歳の若さで死去。 その後、妻の佐伯米子が昭和47年(1972)没するまで、アトリエで創作活動を続けた。
 
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⑤聖母病院・・・・・・・・・・・・・・カトリック神田教会 上智大学1号館などを手がけたスイス人マックス・ヒンデルの設計で、昭和4年(1929)に建てられた病院。 鉄筋コンクリート3階建て、うす茶色のタイル張りの外壁と建物の屋上中央の二つの塔が特徴敵な建物で、玄関前のヒマラヤ杉とも調和している。、、、、、、病院は「マリアの宣教者フランシスコ修道会」が、キリスト教の愛の精神に基づき運営している。、、、、、病院の中を、勝手に歩くこともできず、内部の見学は入院してからにする!
 
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⑥聖母病院聖堂・・・・・・・・・聖母病院の裏側に、平成22年(2010)に竣工した聖堂。 竹中工務店の設計・施工、鉄筋コンクリート造の建物で、“2011年グッドデザイン賞”を受賞した作品である。、、、、、、片流れの屋根、屏風折れの外壁、縦長のスリット状のステンドグラス(既存のものを再利用)、梁・柱のない内部など、印象的な祈りの空間を演出している。、、、、、内部は飾り気の少ない、シンプルなデザインで、落ち着いた祈りの場を創っている。
 
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⑦薬王院・・・・・・・・・・・聖母病院の南、下落合4丁目に、奈良の長谷寺(ボタン寺)の末寺で、真言宗豊山派瑠璃山薬王院がある。 鎌倉時代の創建といわれる。、、、、、ここの寺も、総本山長谷寺のように、ボタンが有名で見物にくる人も多いようだ。 まだ、ボタンは蕾ができたばかりで、チョイト早すぎる。、、、、裏山の枝垂桜もチョイト早すぎた!
 
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●・・・・・・・・・・・西武新宿線下落合駅から帰宅。
 
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2017年3月12日 (日)

青砥~亀有

京成青砥駅から、環七通り沿いの裏通りを歩き常磐線亀有駅まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
①青砥駅・・・・・・・・・・京成押上線は、大正元年(1912)11月3日に押上~高砂(開業時は曲金)が開業した。 この時点では、立石~高砂間には青砥駅は設置されておらず、昭和3年11月1日、京成本線(日暮里~青砥)の開通に合わせ分岐駅として青砥駅が同時開業した。、、、、もちろん開業時は地上駅であったが、昭和48年(1973)から青砥駅周辺の立体交差化工事が始まり、昭和61年(1986)に工事は竣工した。 立体交差化により、駅は重層構造の高架駅に変わった。 1階、中2階はショッピングセンタと改札口、2階は浅草・上野方面に向かう上りホーム、3階は千葉・成田方面に向かう下りホームとなっている。
 
・・・・・・・・・・・・・・3階の下りホームに立つと、周囲のビルより高く、眺望は抜群!
 
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・・・・・・・・・・・・・・2階上りホームの上野より、右へ折れて行く本線、左は押上線。
 
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・・・・・・・・・・・・・・中2階にある1か所のみの改札口。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅前の広場・ロータリーを設置する余裕はなく、バスの乗り換えはチョイト近くの広い通りまで歩いてね!
 
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②楽しそう・・・・・・・・・・駅近くのダンススクール(?) 文字が踊る、楽しそうな看板?貼り紙? なんとなく、下町のおばちゃんが集まる趣味のクラブのようだ!、、、、、歌手の朱里エイコさんのお母さん(故人、振付師)が開いたスクールで、子供から大人まで大歓迎ですって。
 
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③環七通りを避けて・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・いつの間にか、環七通りに出てしまった。 江戸川区から、新中川・中川の右岸(西側)沿いに亀有を抜け足立区方面に向かう環七通り。
 
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・・・・・・・・・・・・・・広い通りは面白くない! 落ち着いて、のんびり歩ける、青戸の裏町を歩くことにする。 
 
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④葛西城址・・・・・・・・・青戸7丁目、環七通りを挟み「西城址公園」と「御殿山公園」と称する区立公園がある。 この2つの公園を中心とした一帯が葛西城の跡だ。、、、、葛西城は中川の蛇行部を天然の堀とした平城で、地表には城跡を確認できる遺構は残されていない。 つまり、遺構は環七通りの下に埋められているそうだ。、、、、築城者、築城年代は不明だが、天文7年(1538)に北条氏綱によって葛西城が落城した記録が残っているそうだ。、、、、、都内23区には江戸城だけでなく、北区の稲附城、板橋区の志村城、世田谷区の世田谷城など、50以上の城跡がある。 一度全ての城址を歩いてみたいものだ!
 
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⑤宝持院・・・・・・・・・水戸街道(国道6号)を横切り、青戸8丁目に入ると、真言宗豊山派の宝持院がある。 宝持院は、平安末期天養2年(1145)僧弁証が創建したと言われ、往時には西青戸の大部分が境内だったそうだ。 “西青戸の大部分”と云われても、私には判らないが、何となく広そうだ!、、、、宝持院の末寺は江戸時代に30ヶ寺あり、葛飾区には12ヵ寺が現存しているそうだ。、、、、墓地には長崎奉行松浦河内守信正の墓がある。
 
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⑥亀有食品市場・・・・・・・・・・・亀有駅南口の商店街「ゆうろーど」の中程に、戦後のドサクサにできたと思われる市場がある。 三方から入れるY字型の通路に、八百屋、魚屋、惣菜屋など、一部店舗は閉ざされているが8軒ある。 折れ曲がった狭い通路には、空いたダンボールなども散乱し、通路の上部は塩ビの屋根と吊るされた裸の蛍光灯が特別の空間を創りだしている。 大型スーパーに見慣れた私には、懐かしい、面白い、嬉しい、“昭和”の市場だ。
 
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●・・・・・・・・・・・亀有駅前の“両津勘吉”の像をチラリト見て、駅に入る。
 
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2016年12月30日 (金)

四ツ木~新小岩

今日も北風の吹き抜ける寒い朝。 8時の東京は、気温5℃、北北西の風、風速4.6m/sである。 今日もとりあえず電車に乗ったが、どこで降りるか思案橋。 車窓から見えた荒川土手の陽射しを見て、四ツ木駅で飛び降りた。 川沿いのホームに立つと、風で飛ばされそうになる。 風速10m/s、体感気温は氷点下、ハンチングが風で飛ばされそう慌てて押さえた、身体が小刻みにブルブル。 高架下のコンコースで、駅周辺の地図を見て、新小岩を目指し歩くことにした。、、、、、、京成押上線四ツ木駅から総武本線新小岩駅まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
①人影の少ない四ツ木駅・・・・・・・・暮れの30日、通勤・通学客の姿は少なく改札はガラガラ、駅前の道路を歩く人影は見えない。、、、、、みなさん、帰省したのかな?
 
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②白髭神社・・・・・・・・・・裏通りを右へ、左へ、出て来た処は、東四つ木の白髭神社前。 これも何かの縁だと手を合わせて行くことにした。、、、、、神社は旧渋江村の鎮守で、江戸時代は「葛西の客人大権現(まろうどだいごんげん)」と呼ばれた。 現拝殿は嘉永5年(1853)の造営、本殿および高欄は大正5年(1916)9月の再建である。、、、、、今日は、一年間お祀りしたお札、お守りなどを納めに来る人もちらほら見られた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・神社の旧称:「客人大権現(まろうどだいごんげん)」について、、、、、、、客人(まろうど)とは、元来は稀に来訪する神さまの意味で、神さまを丁重におもてなしすることが福を授かることに通じるそうだ。 権現とは、仏さまが仮に神さまの御姿で現れたもの、という意味で、江戸時代はたいへん尊い神仏に対して使われていた呼称。、、、、、、、昔の記録では、「客人の神は、もと越の白山より比叡の山に飛びうつられ給うたので『まろうど』大明神と称し、のち大権現にまつられた」とされている。 越の白山(新潟県)から、比叡山(滋賀県)の守護神である日吉山王二十一社のひとつ、客人社(日吉大社白山宮)に勧請された菊理媛神(くくりひめのかみ)が、さらに勧請されて祀られたのが、「客人大権現」と言われている。 かつては子授けと花柳病の霊験で知られ、吉原、深川、千住などの遊郭や水茶屋、花柳界の人々などの信仰が篤かったそうで、境内には「新吉原講中」の石碑も残されている。、、、、、、吉原の遊女も崇敬した権現様、私もしっかり、もう一度手を合わせて来た。
 
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③水道道・・・・・・・・・・・葛飾区内に一直線に伸びる道がある。 江戸川から取水し、都内東部に水道水を供給する金町浄水場。 そこから、柴又・高砂・青戸・立石を通り、荒川まで続くほぼ一直線の水道道(すいどうみち)。 地図を見ると一目瞭然、定規で引いたようにまっすぐな道である。 ここには水道の鉄管が通って、墨田区まで続いていたそうだ。、、、、、白髭神社から南へ50m程行った六差路の交差点に立つと、水道道が真直ぐに伸びている。
 
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④東四つ木1丁目の路地・・・・・・・・・渋江小学校の西側に私好みの路地が!
 
・・・・・・・・・・・・・この裏道、通り抜けできるかな? ダメもとで行ってみよう、、、、、
 
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・・・・・・・・・・・・・・おや、行けそうだ! 路地に面して玄関がある、こりゃ間違いなく抜けられそうだ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・抜けたが、こちらも路地だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・おやおや、こっちにも行けそうだ、、、、、
 
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・・・・・・・・・・・・・ありゃ? 私有地に入ってしまったかな? でも、玄関らしき入口が数か所見える、、、、、
 
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・・・・・・・・・・・・・オ~、路地の奥に街灯が見える、、、、、と云うことは、通れるな!
 
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・・・・・・・・・・・・・・ありゃ、行き止まりか!? でも、念のため、しっかり確認して、、、、行けそうだ、、、、、
 
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・・・・・・・・・・・・・・あれれ、最初に入ってきた路地に出た。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・なんだか迷路のような路地を、右に左に折れ曲がり、無事生還。、、、、一時の小さな探検でした。
 
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⑤中川・・・・・・・・・・東四つ木2丁目の右岸からみる中川。、、、、、、川の先には、かつしかハープ橋が見える。、、、、、、、護岸の下には「2000年記念 平和橋桜堤」の石碑とともに、桜並木が続いている。、、、、、平和橋を渡り、中川を越える。
 
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⑥三谷稲荷神社・・・・・・・・・・・平和橋を渡り、東新小岩8丁目に入り、再び裏道を歩くと、上品寺 の北側に三谷稲荷神社がある。 三谷稲荷神社は、文明9年(1477)上品寺の僧が、山城伏見稲荷を勧請、創建した。、、、、、、小さな社があるだけだ!
 
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⑦新小岩陸橋・・・・・・・・・・・・・陸橋は「たつみ橋交差点」で、蔵前橋通り(都道315号御徒町小岩線)が平和橋通りをオーバーパスする片側一車線の自動車専用高架橋。、、、、、総延長818.0mの陸橋で、総工費28億4千万円にて、平成18年(2006)に着工し、平成23年(2011)に工事は完了した。、、、、、設計・施工の一括発注にて、工期短縮、工費削減を達成した工事である。 
 
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●・・・・・・・・・・・・・・新小岩駅から帰宅。

2016年12月16日 (金)

高砂~小岩

今朝の天気予報では、『日本付近は冬型の気圧配置で、全国的に真冬の寒さ』と解説。 私が散歩に出た朝8時は5℃、風も吹き体感気温は氷点下。 行先のあてもないまま家を出たとたん、『寒い、寒い! 散歩は止めとけばよかった』と、後悔先に立たず。 どこへ散歩に行くか、北風吹く中、とりあえず駅に向かう。 JRに乗るか、地下鉄に乗るか、地下鉄の駅の方が暖かそうだ。 浅草橋の地下鉄ホームは島式1面2線、京成方面行きに乗るか、京急方面行に乗るか、京成方面は座れるのでこっちにしよう。 車内で下車する駅を考えるが、決まらない、そうこうするうち終点の高砂に着き、強制的に下車することになった。 ホームに立つと、再び北風が吹き付け、『ホームで凍死は嫌だ!』と、とりあえず橋上のコンコースへ避難する。 駅周辺の地図を眺め、東西南北いずれに向かうか(?)悩む。 北風吹く北に向かうのは愚の骨頂、東は江戸川、西は中川で川筋は“寒い”、残るは南に向かうだけ。 『よし決めた! 今日は南に向かって歩こう。 男だ、寒くない。』と、駅を飛び出し散歩を始めた。、、、、、、、京成線高砂駅から総武本線小岩駅まで、9千歩、7kmの散歩です。、、、、、、(今年、6月にほぼ同じルートを散歩した
 
 
 
①1911年製のレール・・・・・・・・・・・京成高砂駅コンコースにある鉄道レールのモニュメント。 このレールは明治44年(1911)に、アメリカのカーネギー社で製造され、大正元年(1912)に押上~金町間の開業時に使用された由緒あるレールである。 44年間のレールの役目が終わり、昭和33年(1958)からは高砂駅のホーム屋根を支える支柱として使用されてきた。 平成8年(1996)に、駅コンコースの拡張工事に伴い引退し、モニュメントとして余生を送ることとなった。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅コンコースを行きかう人は皆、寒そうに無言でモニュメント前を通り過ぎて行く。 
 
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②都営高砂アパート・・・・・・・・都営高砂団地は、昭和36年(1961)から昭和44年(1969)までに建設された、総戸数1263戸の大規模団地であった。、、、、、今日来てみたら、古い団地の住人は全て立ち退き、現在ある当時の建物も順次取り壊しが進んでいた。、、、、建物の取り壊しを見ていると、そこに住んでいた人の物語を想像し、チョッピリ涙がにじむね。 今日はとくに寒さも手伝い、目に涙、鼻に鼻水、珍に小水で全身水漏れ状態だ。
 
・・・・・・・・・・・・・・今日来てみたら、古い団地の最後の住人も全て立ち退き、現在ある当初の建物も順次取り壊しが始まっている。。、、、、建物の取り壊しを見ていると、そこに住んでいた人の物語を想像し、チョッピリ涙がにじむね。 今日はとくに寒さも手伝い、目に涙、鼻に鼻水、珍に小水で全身水漏れ状態だ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・団地中央の商店街、シャッターを下ろした店もある。 郵便局、診療所、薬局、クリーニングは開いてたが、店舗の上の住居部分は閉鎖されていた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・すでに更地となっている区画もある。
 
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・・・・・・・・・・・・・団地の南側は平成20年(2008)~平成23年(2011)にかけ建て替えられ、新たに総戸数1011戸の団地となっている。 これから北側も、順次建て替えられる予定。
 
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・・・・・・・・・・・・・団地内に残っていた棟の案内板。、、、、、南側の建て替えられた棟には棟番号が表示され、取り壊される棟は棟番号が白いテープで隠されていた。
 
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③北風が吹き抜ける鎌倉の町・・・・・・・・・・葛飾区にもある鎌倉の町。 高砂~京成小岩間の京成本線の南北両側に広がる町。 「鎌倉」の由来は、、、、、、相模国鎌倉郡から来た源左衛門という者が、寛永年間(1624-45)に村の鎮守として鎌倉の鶴岡八幡を勧請したことによる。 その鎌倉八幡神社 は4丁目にある。 つまり、鎌倉は、江戸時代の、相模国鎌倉のパクリである。、、、、、、空は澄み、鉄塔の多い町だが、風は吹き抜け、寒い、寒い! 
 
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④小岩駅・・・・・・・・・・・・今日は寒いので速足で歩き、10時過ぎに駅に着いた。 もうこれ以上、歩くのはヤダ! 駅のスタバでコーヒータイム。、、、、、「熱い珈琲 身体はホット 前の二人は 熱い仲」 
 
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2016年12月 6日 (火)

平和橋通り

総武本線新小岩駅で下車し、『さて、どっちに歩こうか?』、行くあてのないぶらり散歩。 駅前交番で、『私、どこへ行ったらいいですか?』、聞くこともできず、しばし考え、『よし、駅前の平和橋通りを歩こう!』、、、、、と云うことで、新小岩駅から平和橋通り沿いに歩き、京成本線堀切菖蒲園駅まで、1万3千歩、10kmの散歩です。
 
 
①新小岩駅・・・・・・・・・・・・・乗客は快速も緩行も都心方面に向かう電車待ち。 千葉方面に向かうホームはスカスカ。
 
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②巽橋・・・・・・・・・新小岩駅北口前の小さな商店街を抜け、蔵前橋通りと平和橋通りがクロスする処が巽橋(たつみばし)交差点。 この交差点は2本の主要道路が交差し、さらに水元公園の小合溜から発する灌漑用水「西井堀」を暗渠化した上にできた道路が交差する、6方向の交差点となっている。、、、、巽橋は西井堀に架かっていた橋で、現在は下流側の欄干が交差点に残されている。 
 
・・・・・・・・・・・・・・暗渠化された西井堀の川筋正面に欄干が残っている。 蔵前橋通りは陸橋で、交差点を横断する。
 
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・・・・・・・・・・・・・・チョイと、痛々しい姿の巽橋。 欄干は鉄筋コンクリートで造られ古そう。 昭和の初期か?
 
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・・・・・・・・・・・・・・交差点には平和橋通りの標識がある。
 
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上品寺 ・・・・・・・・・・・平和橋通りに面し、東新小岩7丁目に上品寺(じょうぼんじ)がある。 寺の創建年代不詳であるが、享保元年(1716)に新義真言宗の寺となり、八幡山来迎院という。、、、、、、本堂は安政2年(1855)の地震で倒壊し、再建された。 大正11年(1922)と昭和11年(1936)に修築された。 屋根の勾配が優美な本堂である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・境内の「ゑんま堂」には高さ2mの木造の閻魔大王が安置されている。 昭和に大修復されたが、室町時代初期の作らしい。、、、、、閻魔大王は地獄に住み十八の将良と八万の獄卒を従え、死して地獄に落ちてくる人間の生前の善悪を正し、罪ある者には苦しみを与える鬼神である。 閻魔の脇にはペンチも用意され、舌を抜かれたら痛そうだ。
 
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④天祖神社・・・・・・・・・・上品寺の北側には天祖神社がある。平和橋の南東側に鎮座する神社。 神社の創建年代は不詳だが、葛西三郎清重が葛西御厨の関係から勧請したものと言われている。、、、、、社殿は昭和46年(1971)に改修・造営された。
 
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⑤平和橋・・・・・・・・・・昭和35年(1960)に完成した現在の平和橋は、「平和橋通り」の名の元である。 しかし、親柱に鳩の飾りもある「平和橋」の“平和”の由来は、私には納得できぬ。 なぜ、この橋が“平和”なのだ!、、、、、都庁や、区役所の職員が命名したのか?
 
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・・・・・・・・・・・・・・橋から眺める、のどかな中川の流れ。 この風景が“平和”かな?
 
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⑥都営東四つ木四丁目アパート・・・・・・・四つ木地区に超高層アパートがある。   1号棟は、20階建、114戸。 2号棟は、24階建、136戸。 総戸数250戸の都営住宅。(一部、都民住宅) 平成8年(1996)に完成。、、、、、私が住む、浅草橋には超高層住宅はまだない。 負けた!
 
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⑦四ツ木2号踏切・・・・・・・・・・京成押上線四ツ木~立石間で、平和橋通りを横切る踏切。、、、、、都・京成が四ツ木~青砥間の高架化工事に着手したので、この踏切も、あと数年経つと高架橋に変わり、いずれ無くなる運命だ。、、、、線路わきの工事用地は、買収も済み、工事の発注も済み、仮囲いの設置が始まっている。 
 
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⑧本田広小路交差点・・・・・・・・・・・・・国道6号(水戸街道)と平和橋通りが交差する。 水戸街道は四つ木陸橋で越えて行く。
 
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⑨堀切菖蒲園駅近くの歩道橋から・・・・・・・・・京成本線に並行して、平和橋通りに架かる歩道橋から撮影。、、、、、スカイライナーが撮れた!、、、、、平和橋通りはこの先足立区まで続くが、私の散歩はココまでとする。
 
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堀切菖蒲園駅 ・・・・・・・・・・・“昭和”が残る堀切の町だが、今日はキョロキョロせずに帰ることとした。
 
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●おまけ・・・・・・・・・・・途中、庭先に咲いていたサザンカ。、、、、「つぼみピンクで 開けば真っ赤 冬の寒さに 燃える花」 
 
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2016年11月 3日 (木)

立石~四ツ木

文化の日、『勲章、一つ余ったから、取りに来て。』と、内閣府から呼び出しがかかることを期待して、朝から家で待機。 3時過ぎても呼び出しはなく、今年も受章はあきらめた。
あきらめたら散歩したくなり、京成立石駅から四ツ木駅まで、夕暮れの下町を歩いてきた。 1万歩、7km。
 
 
立石駅付近 ・・・・・・・・・・・・・・雅万歩ではおなじみの駅
 
・・・・・・・・・・・・・・・・駅を出て行く 電車を見つめ 乗って行きたい 成田まで 
 
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・・・・・・・・・・・・・・・・この光景も あと数年 いずれ無くなる 愛しの踏切
 
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・・・・・・・・・・・・・・・駅前の肉屋のコロッケ 美味そうだ
 
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・・・・・・・・・・・・・・・明るい駅前商店街と、チョイと寂しい仲見世商店街
 
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・・・・・・・・・・・・・・路地裏で 静かに揺れる 質屋の暖簾
 
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・・・・・・・・・・・・・・車も少ない奥戸街道
 
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②渋江公園・・・・・・・・・・・・京成立石駅から南西へ500m程歩くと、奥戸街道に面して渋江公園がある。 1.6ヘクタール以上の面積を有し、6面のテニスコート、バラ園などがある、この地区の中心的な公園。 昭和27年(1952)に開園した。、、、、、、公園の芝生広場には、「キャプテン翼」の登場人物:岬太郎の銅像もある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・公園の入り口正面に、「葛飾区セルロイド工業発祥記念碑」が建てられている。、、、、区の説明文では、『わが国におけるセルロイド工業は、明治41年(1908)に 日本セルロイド人造絹糸と堺セルロイドが設立されると共に本格的生産が始まりました。葛飾区のセルロイド工業は、これらを追って大正3年(1914)に創業されました。 その中心となったのは、故千種稔氏がこの地に設立した「千種セルロイド工場」です。 のちに、この地域はセルロイド工業の街として繁栄しますが、それはここから 始まったと言ってよいでしょう。このモニュメントは 渋江公園の開発に伴い、昭和27年(1952)に建てられました。 この地域が葛飾区の近代工業の発展をになったことの証しとして貴重な記念碑です。』、、、、、「セルロイド」なんとなく懐かしい素材だ! 万年筆、メガネ、下敷き、筆箱、おもちゃ、学生服のカラー、ピンポン玉、、、、石鹸箱もあったね!
 
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白髭神社 ・・・・・・・・延徳3年(1491)に創建され、その昔、渋江村(現:四ツ木駅周辺)の鎮守さまであった白髭神社が東四つ木4丁目にある。、、、、、11月3日は、昭和22年(1947)までは、明治天皇の誕生日として“明治節”であった。 今は、文化の日となったが神社では国旗を出し、祝日を迎えていた。、、、、夕暮れの静かな境内である。
 
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④東四つ木の夕暮れ・・・・・・・・・・・四ツ木駅周辺は、木造家屋が密集し、細い道路は迷路のようにつながる、いわゆる“木蜜地区”である。、、、、錆色の昭和の町だ!
 
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⑤荒川土手・・・・・・・・・・・四ツ木駅付近の荒川左岸の夕景。
・・・・・・・・・・・・・・スカイツリーのシルエット、、、、写真:中央右に富士山も見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・・木根川橋 、、、、、、昭和42年(1967)10月に着工、昭和44年(1969)2月に完成した、橋長466mの美しいトラス橋。 墨田区八広と葛飾区東四つ木を結んでいる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・京成押上線荒川橋梁、、、、、、平成11年(1999)に現在の橋に架け替えられた。 木根川橋の上流側に架かるトラス橋。
 
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⑥四ツ木駅・・・・・・・・・・・・時刻は午後6時前、駅前は暗く、電車から降りた客は家路に急ぐ。 電車に乗る客は人影の少ないホームで寂しく待つ。
 
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2016年10月18日 (火)

京成高砂~亀有

京成高砂駅から、なんとなく北に向かい、中川橋を渡りJR常磐線亀有駅まで、1万1千歩、8kmの散歩です。
 
 
京成高砂駅 ・・・・・・・・・・我が家のある浅草橋からは、都営浅草線に乗ると、京成高砂までは乗り換えなしで所要時間19分。 さほど遠くないところにあるのだが、隅田川を地下で渡って、荒川の長い鉄橋を渡り、中川の鉄橋も渡り、着いた駅が京成高砂である。 気分的には“千葉県高砂市”に来たようだ。 朝の上りホームは通勤客がズラリ、東京のベットタウンかな(?) ここは、“東京都葛飾区高砂”である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・下りホームは、京成本線で“市川市国府台”付近に通う大学生、北総線沿線の大学生、成田スカイアクセス線で空港へ向かう旅行客、それぞれが乗り換える程度。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅北側は、商店街はない、スーパーもない、団地もない、しかし住宅は密集する下町である。、、、、、住民は、じっと静かに再開発を待っているのか?
 
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②高砂の3寺・・・・・・・・・・駅の北(高砂7)に関東大震災で被災し当地に移転した3寺が並んでいる。、、、、震災当時、高砂駅周辺の地は一帯が農地であったそうだ。
 
・・・・・・・・・・・・・浄土宗寺院の源照寺は、寛永3年(1626)に浅草蔵前鳥越付近に創建し、明暦の大火に類焼後、山谷(台東区)に移転した。 関東大震災で焼失し、昭和3年(1928)に現在地に移転した。、、、、、山田流琴曲の祖山田検校、義太夫の竹本綾太郎の墓もある。
 
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・・・・・・・・・・・・・曹洞宗寺院の祟福寺は、慶長5年(1600)、日本橋浜町で祟福庵を結んでいた、慶長18年(1613)前橋城主酒井雅楽守忠世の帰依により堂舎を建立し祟福寺として創建した。 関東大震災でで罹災し、昭和3年(1928)に現在地に移転した。、、、、、画家長谷川等伯の墓碑がある。、、、、今朝は、なにやらドラマのロケでもあるようだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・祟福寺の隣には、浄土宗寺院の大秀寺がある。 寛永5年(1628)、本郷湯島に創建、明暦の大火後に浅草山谷へ移転した。 関東大震災で罹災、大正15年(1926)に当地へ移転した。、、、、、江戸の侠客で、幡随院長兵衛の死後、町奴の頭目として重きをなした唐犬権兵衛の墓がある。
 
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③高砂踏切・・・・・・・・・・高砂6丁目と7丁目の境にある、総武線新小岩駅と常磐線金町駅を結ぶ新金貨物線 の踏切。 どこにでもある普通の踏切である、ここを一日数本の貨物列車が通過する。 なかなか散歩中に出合わせることはなく、たまには通過する姿を見たいものだ。、、、、、踏切を越えると中川の堤防までは、200mもない。
 
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④角柱三猿浮彫道標・・・・・・・・・踏切の近くに、元禄6年(1693)に建てられた、葛飾区内に現存する最古の道標がある。 石仏などと並んでいる、写真左端の角柱である。 私には、判読不可能なため、説明には、『道標上部の正面、左右側面にかなり磨滅している仏形坐像又は三猿と思われる浮彫があります。碑文は、正面に「これより右ハ 下川原村 さくら海道」、右面は「これより左 下の割への道」と書かれ、左面には年号が記されています。 千住宿から分かれる水戸佐倉街道は、新宿町の南で常陸国水戸と下総国佐倉へ向かう道に分かれます。「下川原村」は新宿町の小字名、「下の割」は東葛西領の南の地域(現在の江戸川区)をさします。』と記されていた。、、、、“元禄”は回転ずしにあらず、松尾芭蕉『奥の細道』へ旅立ち、赤穂浪士の討ち入り、の時代である。
 
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⑤中川・・・・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・新宿1丁目で、中川の堤防にのぼってみると、雲は多いが、秋の爽やかな風も流れていた。、、、、「新宿」は葛飾区の地名、「にいじゅく」と読む。
 
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・・・・・・・・・・・・・・中川橋、、、、、、かつて、水戸街道の千住宿と松戸宿の間のこの地(新宿2丁目)には、新宿の渡しがあった。 明治17年(1884)には、明治天皇の行幸に合わせて橋が架けられ、渡しは廃止された。 その後、昭和8年(1933)に2代目の中川橋が完成した。 そして、平成20年(2008)には事業費28億円にて現在の中川橋が架けられた。、、、、橋を渡ると亀有の町となる。
 
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⑥亀有香取神社・・・・・・・・・・亀有駅に近い香取神社は、建治2年(1276)本宮の分霊を勧請して創建した。 江戸時代には亀有村の鎮守さまであった。、、、、、神社は、今、マンガの主人公:両さんにご利益をいただいているようだ。 主人公を描いた絵馬・おみくじ・お守り、売れ行きも上々。 境内には像もある。、、、、、鉄筋コンクリート造の現社殿は昭和42年(1967)に建てられた。
 
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亀有駅 ・・・・・・・・・・・・・ここでも、マンガの主人公:両さんが、北口、南口に立っていた。
 
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