葛飾区

2018年5月 4日 (金)

立石~綾瀬

五月晴れの「みどりの日」。 ばば・じじ・ばばの3人暮らしの我が家では、毎日がゴールデンウィーク。 連休期間中は静かな都心でのんびり過ごすのが一番! ・・・とは言っても、朝から晩まで家に籠っていては退屈だ、今日は京成押上線立石駅から常磐線綾瀬駅まで歩いてきた。 1万3千歩。
 
 
 
①立石駅・・・・・・・・・・押上線の高架化に伴い駅も高架駅となる。 2022年度の事業完了を目指し、既に工事は着工している。、、、、そろそろ地上の立石駅は見納めか?
 
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・・・・・・・・・・・・・駅北側の再開発も計画されている。 北側には2棟が予定され、東街区には葛飾区役所が入居する地上13階/地下3階(敷地:約4,650m²、延べ:約40,400m²)の建物、西街区には住宅(約600戸)・商業施設などが入る地上36階/地下2階(敷地:約7,130m²、延べ:約81,100m²)の建物ができるそうだ。、、、、、店舗は取り壊され更地となった処も出てきた。 昭和の雰囲気が強く残る「呑んべい横丁 」や、赤線跡の飲み屋街 なども無くなる。 また東京がチョッピリつまらなくなっていく!
 
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②梅田稲荷神社・・・・・・・・・・・立石駅北側の商店街を抜けたあたり(立石4-30)にある稲荷神社。 神社のある旧梅田村はもと立石村に属し、後の江戸時代初期に独立した村である。 神社の創立は、村が独立した頃と推定されている。
 
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・・・・・・・・・・・・・神社の前には、日蓮宗寺院の積善寺があり、その墓地に寄り添うように、二つの祠がある。 一つは、南葛八十八箇所の35番札所でお大師さんが祀られている。 もう一つは、地蔵さん。、、、、、葛飾区を中心に八十八箇所あるそうだ。 四国に行かず、近場で八十八箇所巡りができるとは、コリャ・アンチョコ。
 
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③立石からお花茶屋をとおり堀切へ・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・葛飾区役所前へ出た。 区役所が立石駅前に移転したら、この建物は取り壊し?
 
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・・・・・・・・・・・・・水戸街道(国道6号)を越えて、葛飾区お花茶屋に入る。、、、、、、南にスカイツリー、北にスカイライナーを見る。
 
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・・・・・・・・・・・・・連休で、家の中を整理したようだ。 衣装箱として利用していた茶箱が不要となった。、、、、、お茶の葉を入れていた“茶箱”、その優れた防湿性・防虫性は衣類や米、乾物などや、カメラ、ひな人形など大切なものの保存に適し、愛用する人も多い。 古い家には、必ず数個はあったね! 懐かしい!
 
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・・・・・・・・・・・・・共栄学園中学高等学校は中高一貫教育の私立学校。、、、、“春日部共栄”は高校野球に出ていたが、姉妹校?
 
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・・・・・・・・・・・・・酒屋さん(右側)の倉庫?、、、、一升瓶、ビール瓶を木製のケースで積み重ねて仕舞っているのか? 中を見たくなるね。
 
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④堀切氷川神社・・・・・・・・・・・堀切菖蒲園前駅から北東に400m程の処(堀切5)にある。、、、、堀切氷川神社は、正治元年(1199)に武蔵野国一ノ宮氷川神社(現:大宮氷川神社)を勧請して旧下千葉村(現在地)の鎮守とした。 祭神は素盞鳴尊。、、、、、朱塗り神明造の拝殿がチョイトまぶしいね!
 
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⑤九品寺・・・・・・・・・・氷川神社の北東約350m(堀切6)にある真言宗豊山派の古刹。 九品寺は建久4年(1192)に創立された。 この間、享和2年(1802)、明治元年(1867)の2度の火災と、数度の水害により、寺宝・記録は散失し由緒不明。 現本堂は昭和35年(1960)に改築。、、、、、なぜか、この付近を歩くと必ずこの寺の前に出てくる。 仏の導きか? 好かれているみたいだ。 九品仏、六地蔵も整列して出迎えてくれた。
 
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⑥浄慶庵・・・・・・・・・・・真言宗豊山派の寺:正王寺に所属する庵室。 下千葉村(堀切)の郷士:相川重右衛門が開基となり創建した。、、、、、こじんまりとした寺院である。
 
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・・・・・・・・・・・・・堂の前に、「明暦二年銘庚申塔」がある。 明暦2年(1656)の銘をもち、板碑型の庚申塔として、江戸時代初期の典型的な形態をとどめる。
 
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綾瀬駅・・・・・・・・・・綾瀬から我が家のある浅草橋まではルートが多岐にわたり、北千住で常磐線・日比谷線・つくばエキスプレス・東武伊勢崎線などのいずれかに乗り換えるルート。 また、西日暮里でJRに乗り換えるルート。 いずれも、所要約35分で綾瀬に来るたびに悩んでしまう。 ちなみに、今日は西日暮里乗換で帰宅した。
 
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2018年3月17日 (土)

しばられ地蔵

数日前、稲毛の地蔵院へ行き帰宅後、寺の由緒をネットで調べていたら、似た名前の南蔵院が出てきた。 そこに「しばられ地蔵」が紹介されていたのを見て、今日の散歩は南蔵院へ行くことにした。、、、、、金町駅からチョイト遠回りだが、葛西神社、半田稲荷に寄って南蔵院へ参り、金町駅まで戻る、1万2千歩の散歩です。 
 
 
 
JR金町駅 ・・・・・・・・・明治30年(1897)12月27日、日本鉄道の駅として開業し、明治39年(1906)には国鉄の駅となる。 改札が高架下(盛土)にあり、改札を抜けると駅の南北を結ぶ自由通路を通り駅前ロータリー出る。 今日は北口から散歩を始める。
 
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・・・・・・・・・・・・・朝の駅前商店街、食事処の中華そば屋、定食屋などは開いている。、、、、、ここ金町では、朝から外食する人が多いのかな?
 
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②葛西神社・・・・・・・・・・駅から常盤線に沿いに歩き、江戸川に出る手前(葛飾区東金町6)に葛西神社がある。、、、、、葛西神社は、平安末期の元暦2年(1185)に葛西清重が、上葛西、下葛西)33郷の総鎮守として、香取神宮の分霊を勧請したと言われている。 江戸時代には徳川家康から御朱印10石を賜り、11月を例大祭とするようになった。
 
・・・・・・・・・・・・・嘉永7年(1854)に建立された正面鳥居 これより、明神の森となる。
 
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・・・・・・・・・・・・・正面鳥居の奥に、もう一つ、高さ約9mの大鳥居がある。 昭和4年(1929)に崇敬者夫妻の金婚式記念に奉納されたそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・経津主神、日本武尊、徳川家康の三柱を祀る本殿。 鉄筋コンクリート造、権現八棟造りで昭和39年(1964)に改築された
 
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・・・・・・・・・・・・・鍾馗石像、、、、、鍾馗(しょうき)は、唐の玄宗皇帝が病中に鍾馗が鬼を退治した夢を見て、魔よけとして始まった。 わが国でも、まもなく五月の節句に幟に描かれたりして登場する。、、、、、境内のこの石像は、念仏講の人々が悪魔降伏を祈り元禄8年(1695)に建てた。
 
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・・・・・・・・・・・・・葛西神社は境内社も多く、厳島神社、富士神社、北野神社、諏訪神社、天祖神社、綱神社、道祖神社、椿神社、三峰神社、弁天社、稲荷神社、水神社、疱瘡神社、子録神社など、『なんでも揃って、祀っています』と大安売り! 
 
 
③光増寺・・・・・・・・・・・葛西神社の北200m程(東金町6)に、浄土宗の摂取山蓮池院光増寺がある。、、、、、光増寺は、貞応元年(1222)に草庵として始まり、元仁元年(1224)、親鸞聖人が立ち寄り浄土真宗光増寺となった。 戦国時代、合戦により堂宇を消失、天正15年(1587)、江戸増上寺の僧が浄土宗として中興した。 当地は旧水戸街道沿いにあたり、水戸徳川家の立ち寄り所となり、葵の紋所が使用されている。、、、、現本堂は明治43年(1910)の再建を経て、昭和49年(1974)に現在の堂舎に改築された。 
 
・・・・・・・・・・・・道路正面に見えた山門。 狭き門、高き松、小さき本堂、草庵の雰囲気残り、いいね!
 
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・・・・・・・・・・・・・草庵の雰囲気が残る本堂。
 
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・・・・・・・・・・・・・境内には、江戸時代からの多くの石仏、碑、墓などが祀られている。 檀家から寄贈されたものもあるようだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・江戸時代葛飾の生んだ俳人:鈴木松什(しょうじゅう)の墓の後ろで、静かに咲き誇るアカバナミツマタ。 松什は寛政10年(1795)柴又村に生まれ、通称を安五郎、俳名を無有庵といった。 嘉永6年(1853)4月18日病没、年56歳。法名を無有庵俊誉松什禅士という。、、、、、念のため、松什とミツマタは“無関係”。
 
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④半田稲荷神社・・・・・・・・・・・光増寺の北200m程(東金町4)に半田稲荷神社がある。 ここは、和銅4年(711)に創建され、倉稲魂神・佐田彦神・大宮女神の三柱を祭神とする古社である。 江戸期には麻疹と安産の神様として知られ、歌舞伎や狂言にも描かれているそうだ。(私は歌舞伎には疎く、知らなかった!)
 
・・・・・・・・・・・・・江戸時代から「葛西金町半田の稲荷」と称され、疱瘡・麻疹・安産に霊験あり、江戸市民の信仰を集めた。 歌舞伎役者、花柳界、魚河岸による講もあったようだ。 最近造られた玉垣も魚河岸の尽力があったようだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・社殿は延享4年(1747)の火災で焼失し、寛延2年(1749)に再建されたが、尾州徳川家の立願により弘化2年(1845)に造替た。 その後、一部修復したが現在の社殿である。、、、、、徳川によって建てられた神社としては簡素な建物であるが、拝所の天井には鳳凰が描かれチョイトこだわりが見えるかも?
 
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・・・・・・・・・・・・・・「願掛け狐」に願い事を書いて納めると効果ありそうだ!、、、、私は、『ジャンボ、一等当選』だけ、ささやかな願いです。
 
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・・・・・・・・・・・・・・境内の一隅に神泉遺構がある。 この遺構はかつての湧泉井戸で、旧来の形状がよく保存されている。、、、、、享保年間(1716~37)の頃、半田稲荷神社は庖瘡・麻疹・安産に霊験ありといわれ、願人坊主(がんにんぼうず/僧形の芸人)が「葛西金町半田の稲荷、庖瘡も軽い、麻疹も軽い」と全国を謡い踊り歩いたため、参詣人が絶えず、舞踊や長唄でも演じられたという。 井戸の周囲を囲う玉垣には市川團十郎や尾上菊五郎など歌舞伎役者ら寄進者の名が刻まれ、往時の繁栄を偲ばせている。
 
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⑤南蔵院・・・・・・・・・・半田稲荷神社から北西に800m程の葛飾区東水元2に、天台宗寺院の業平山東泉寺南蔵院がある。 南蔵院は、貞和4年(1348)以前に、在原業平が居住していたといわれる現在の墨田区業平橋付近に創建したと伝えられている。 元禄11年(1698)中之郷八軒町(現:墨田区吾妻橋3)へ移転、しばられ地蔵で有名になった。、、、、関東大震災で被災し、昭和4年(1929)、廃寺となっていた聖徳寺の地(現在地)へ移転した。
 
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・・・・・・・・・・・・・まずは『しばられ地蔵』の話とは、、、、、享保7年間(1716~36)夏の昼下がり、日本橋の呉服間屋の手代が荷車に反物を山と積んで、業平橋近くの南蔵院の門前で車を止め一休みした。 目がさめると、門前に置いた反物は車ごとない。 あわてた手代はさっそく訴え出た。 取調べに当たったのが町奉行:大岡越前で、「反物が盗まれたのを見すごすとは、門前の地蔵も同罪である。 縄打って引っ立てて参れ」と命じた。 地蔵さんは荒縄でぐるぐる巻きにされ、大八車に乗せられて奉行所へ。 物見高いは江戸っ子の常、前代未聞のお地蔵様の引き立てに、ぞろぞろついて行く。 奉行所の門は開いている。 やがて、頃合いを見て越前守は門をしめさせ、「奉行所の白州へ乱入するとは不届至極、その罰として反物一反を納めよ」野次馬たちは驚いたが、なんとか工面して反物を持ってくる。 それを呉服屋に見させた。 その中から盗まれた反物が発見され、大盗賊団が一網打尽となった。 これにて一件落着。
 
・・・・・・・・・・・・・越前守は地蔵に感謝し、お堂を建て縄解き供養を行った。 以来「しばられ地蔵」は盗難除け、足止め、厄除け、さらには縁結びまで願い事を叶えてくれると信じられた。 願い事をするときは縄で縛り、願い叶えば縄を解く、風習となった。
 
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・・・・・・・・・・・・・墨田区から葛飾区に移った「しばられ地蔵」。 今日も縄でグルグル巻きの地蔵さんに、手を合わせる人がいた。、、、、健康を願っているのかな?
 
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⑥金蓮院・・・・・・・・・・・駅に近い東金町3丁目、真言宗豊山派の法護山金剛寺金蓮院がある。 チョイト、ここもお立ち寄り。、、、、、永正年間(1504~20)の創建。 旧門末30余ヵ寺をもった本寺格の寺院で、天正19年(1591)徳川家から10石の御朱印を拝領した。 水戸徳川家の祈願所でもある。
 
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・・・・・・・・・・・・・本堂左に、宝永7年(1710)に二十六夜待講中の人々が、二世安楽を願って建てた藍染明王の石像がある。 二十六夜待とは、特定の月の26日の夜に人々が寄り合い、飲食などをしながら月の出を待ち、五穀豊穣、商売繁盛などを願うことを。 二十六夜待の本尊は愛染明王であるが、石像を刻むよりも文字を刻む例が多く、愛染明王の石像単独ではあまり例はなく、ここの石像はその中でも古い方に入る。、、、、、愛染明王の姿は、三目六臂(目が三つで腕が六本)であるが、ここの石像は彫が深くハッキリとした姿で残されている。 いいね!
 
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2018年3月11日 (日)

高砂~亀有

京成本線高砂駅から、途中、中川大橋を渡り常磐線亀有駅までの散歩です。
 
 
 
京成高砂駅 ・・・・・・・・・・日曜日、通勤客のいない静かな駅から散歩をはじめる。
 
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・・・・・・・・・・・・・さて、駅前に出たが、どちらに行こうか、行くえ定まらず。 とりあえず、駅前の裏道を歩きはじめる。 何となく北に向かっているようだ。
 
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②祟福寺・・・・・・・・・・・曹洞宗の寺院:祟福寺の門前に出てきた。 「これもなにかの縁、手を合わせて行くか」と、立ち寄ってみた。、、、、、徳川家康が江戸幕府を開く前の慶長5年(1600)に、香山泰厳和尚が日本橋浜町に祟福庵を建立した。 慶長18年(1613)、前橋城主酒井雅楽守忠世が帰依・開基となり、国府台の総寧寺を本寺とし、名前を祟福寺(そうふくじ)とした。、、、明暦3年(1657)、明暦の大火にて堂宇を焼失し、浅草松清町(台東区)に移転する。 以来酒井家の菩提寺となる。、、、、、大正12年(1923)の関東大震災で再び焼け、昭和3年(1928)現在地(葛飾区高砂7)に移り、同8年本堂・山門・鐘楼等を再建した。
 
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・・・・・・・・・・・・・・酒井雅樂頭歴代の墓所は前橋市:龍海院にあるが、ここ祟福寺には酒井雅樂頭家伊勢崎藩酒井家の墓所となっている。、、、、、墓も浅草から移転してきた。
 
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③源照寺・・・・・・・・・・・・祟福寺の隣りに地続きで源照寺がある。、、、、、浄土宗の源照寺は、寛永3年(1626)宗円和尚が浅草蔵前鳥越付近(余談:現在の我が家の近くかも?)に創建した。 明暦の大火に類焼後、山谷新鳥越(台東区山谷2丁目)に移転したといわれている。 関東大震災で再び焼失し、昭和3年現在地に移転した。、、、、ここらの移転の経緯、時期、場所は祟福寺とソックリである。、、、、ちなみに、今日は寄らなかったが、祟福寺の隣りにもう一寺:大秀寺があり、こちらも明暦の大火以降の移転については、時期、場所などソックリ。
 
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・・・・・・・・・・・・・墓地には、山田流琴曲の祖山田検校(1757~1817)の墓があった。、、、、この墓も浅草から移転してきたそうだ。
 
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中川大橋 ・・・・・・・・・・・名のごとく中川に架かる橋で、国道6号(水戸街道)を通し、葛飾区の青戸と新宿を結ぶ。 昭和10年(1935)に旧橋は架けられたが、平成元年(1989)に長さ134m、幅員31mの現在の橋に架け替えられた。、、、、、細身でスタイルのいい橋。
 
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⑤宝持院・・・・・・・・・中川大橋を渡り、青戸八丁目交差点で環七通りを横断する。 青戸小学校への通学路か(?)、裏通りに真言宗豊山派の宝持院がある。 宝持院は、平安末期天養2年(1145)に僧弁証の開山と言われ、かつては門末30余ヶ寺を有した古刹といわれている。 なお、30余ヶ寺の内、葛飾区には12ヵ寺が現存しているそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・境内には、長崎奉行松浦河内守信正の墓がある。、、、、松浦信正は、大岡越前、遠山金四郎などと、同じように名奉行であった。 いくつかの名裁きの話も残っているそうだ、私の知らなかった話もある。 (勉強不足でした。) 
 
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⑥亀有駅・・・・・・・・・・・裏道を歩き、亀有駅に到着。
 
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●・・・・・・・・・・・春が来ました
 
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2018年3月 4日 (日)

柴又帝釈天

いよいよ春到来! 風は強いが、気温は高く、コートを脱いで、上着一枚。 陽気につられて、夫婦で帝釈天詣での散歩。
 
 
 
・・・・・・・・・・・・・電車から降り、ゾロゾロと人が続く、向かう先はみんな一緒。
 
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・・・・・・・・・・・・・・これより“参道”と、「帝釈天王安置」の石柱が出迎える。
 
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・・・・・・・・・・・・・参道の店は大忙し。
 
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・・・・・・・・・・・・・柴又の帝釈天は日蓮宗の寺院で、正式には経栄山題経寺。 
 
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・・・・・・・・・・・・手を合わせた後は、寅さん記念館にも立ち寄って、、、、、
 
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・・・・・・・・・・・・・・江戸川土手で春の陽を受けて、、、、、、
 
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・・・・・・・・・・・・・再び、参道を抜けて柴又の駅から帰る。、、、、もちろん、“草だんご”をおみやげに買って、、、、、久しぶりに、気持ち良い日差しの下の散歩であった。
 
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2018年1月29日 (月)

奥戸街道

一週間ぶりに気温も10℃程に上がるようで、散歩する気分となった。 久しぶりに朝から歩いてきた。 京成四ツ木駅で下車し、奥戸街道を歩き総武線小岩駅まで、1万3千歩の散歩です。
 
 
・・・・・・・・奥戸街道(おくどかいどう)は、葛飾区立石1丁目の平和橋通り「奥戸街道入口交差点」から、江戸川区西小岩2丁目の蔵前橋通り「六軒島交差点」までの約3.5kmの区間。 古くからの街道筋で、古代東海道の一部とも重なる。 街道名は愛称として名付けられたようで、昔から「奥戸街道」と呼ばれていたわけではないようだ。 それゆえ、道筋に宿場があったり、古い商家の家並みがあるわけでもない。
 
 
①奥戸街道入口交差点・・・・・・・・・・・京成押上線四ツ木駅と立石駅の中程で、平和橋通り(都道308号)が押上線と交差する。 この踏切:「四ツ木2号踏切」の20m程東側に「奥戸街道入口交差点」がある。、、、、写真:左端が押上線踏切、右奥に伸びる道が奥戸街道、手前右端から踏切を越える道が平和橋通り。
 
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・・・・・・・・・・・・この交差点「奥戸街道入口」と表示されているが、「奥戸街道出口」 の表示は、今日の散歩で見つけることはできなかった。 残念!
 
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・・・・・・・・・・・・四ツ木2号踏切は、只今高架化工事中。 あと数年でこの踏切も消えることになる。
 
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②渋江公園・・・・・・・・・渋江公園、昨年の11月に立ち寄ったので、今日は通過する。
 
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・・・・・・・・・・・・・・車道は雪も解けたが、歩道にはまだ点々と残り、歩行に注意!
 
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③“昭和”のアパート・・・・・・・・・奥戸街道「京成立石駅前交差点」から南に入ると戦前に建てられたと推定するアパートが残っている。 ツタが絡まり見えにくいが、玄関のコンクリート造の門、スクラッチタイル張りの玄関まわり、両開きの玄関ドア、どれもこれも昭和の香り。
 
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④喜多向観音・・・・・・・・・・・・・立石駅の南側:東立石4、奥戸街道に面し「喜多向観音菩薩」が祀られている。、、、、寛保元年(1741)、徳川八代将軍:吉宗の時代、近くの南蔵院 と言う寺の「妙本」という尼さんが金龍山浅草寺を深く信仰して千日詣の大願を起こした。 念願の日、枕頭に金色燦燦と輝ける観世音菩薩が現れ、「汝の願い正に叶う可し、喜び多く向わんと」と謂うや何処ともなく姿を消してしまった。 そのお礼に建てたのがこの喜多向観音と言われている。、、、、浅草の観音様の御威光が、ココ立石まで及んでいた。
 
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⑤本奥戸橋・・・・・・・・・・・奥戸街道が中川を越える位置に架かる橋。昭和62年(1987)に架け替えられたトラス橋、長さ122.1m。、、、、、初代の橋は昭和7年(1932)に架けられた。
 
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⑥地蔵尊、馬頭観音、道標の街道三点セット・・・・・・・・本奥戸橋の西詰(葛飾区立石8)に街道の三点セットである、地蔵尊、馬頭観音、道標がセットで祀られている。、、、、、地蔵尊は、貞亨2年(1685、江戸初期)に建立された。 当初は現在の橋際の堤防内にあわもち屋という家があり、その前に在ったと言われている。、、、、 馬頭観音は江戸時代中頃に、農耕、運搬に欠かせない馬の保護仏として祀られた。 建立は安政2年(1855、江戸大地震の年)。、、、、、 道標は、出羽三山の信者の講により、宝暦5年(1755)、旅人の役にたてようと建造したもの。 『右江戸みち、左おくとみち』と標されている。、、、、、バラバラに造られた3基が、現在は一つにまとまり、地元での信仰を得ている。 
 
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⑦奥戸の二社・・・・・・・・・奥戸街道沿いの区立総合スポーツセンター(葛飾区奥戸2)に隣り合わせで二社ある。
 
・・・・・・・・・・・・・・奥戸水神社、、、、、スポーツセンターの西側に祀られている。 奥戸水神社の創建年代等は不詳だが、中川開削のとき、享保14年(1729)幕府の勘定吟味約井沢弥惣兵衛が河畔に祀ったと言われている。 小さな神社。
 
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・・・・・・・・・・・・・・奥戸天祖神社、、、、、スポーツセンターの東側に祀られている。 奥戸天祖神社は、当地が葛西御厨であった頃に、伊勢皇大神を勧請し、また下総の香取・鹿島のニ神を勧請して三社明神と称し、奥戸村の鎮守とした。 
 
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⑧妙厳寺・・・・・・・・・・・奥戸3丁目に真言宗豊山派の妙厳寺がある。 応永22年(1415)に創建され、永禄元年(1558)に中興された。 本尊は不動明王。、、、、、本堂は安政2年(1855)の大地震で倒壊し、明治14年()1871再建し、その後、昭和に改築された。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・妙厳寺の東で、奥戸街道は環七通りと交差し、さらに東に向かう。
 
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⑨宝蔵院・・・・・・・・・・新中川に架かる奥戸新橋の西詰(奥戸8)に宝蔵院がある。 宝蔵院は室町時代に創建された真言宗豊山派の寺。 本堂は昭和59年(1984)に新築された。、、、、、境内は静かな佇まい、あちらこちらには、石仏、地蔵尊、祠が点在し、まるで山郷のお寺のようだ。 秋の彼岸花が見事に咲く寺としても有名らしい。 今日は、雪の残る境内を拝見してきた。 チョイト、デフォルメされズングリした男の一物にもしっかりと手を合わせてきたが、そろそろ御利益が無くなってきたようだ、コラ、役立たず!
 
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⑩八剱神社・・・・・・・・・・宝蔵院の裏手にある八剱(やつるぎ)神社。 神社は天文5年(1536)三河国碧海郡西端村の郷士杉村小左衛門が当地を開拓するに当たり、守護神として勧請したものと伝えられている。 旧奥戸新田の鎮守。 社殿は、寛永6年(1629)、正保4年(1647)、安永7年(1778)、文久3年(1863)、明治41年(1908)に再建または修覆が行われ、現在の社殿は昭和47年(1972)10月の造営である。
 
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⑪奥戸新橋・・・・・・・・・・新中川に架かる奥戸新橋は、昭和36年(1961)新中川掘削工事に伴い架橋された。 橋長144.6mのプレートガーダー桁橋。、、、、、新中川は掘削当時、中川放水路と呼んでいた。 私が中学生の時である、この掘削工事を見た記憶が残っている。 当時は田圃の中の掘削工事で、まだ重機は使われていなかったと記憶している。
 
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⑫55号線架道橋・・・・・・・・・・奥戸街道は奥戸新橋で新中川を越えると、新金貨物線の55号線架道橋をくぐる。 この架道橋から東側は、江戸川区となる。
 
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⑬奥戸街道分岐点・・・・・・・・・・・西小岩1丁目、蔵前橋通り「六軒島交差点」、ここが奥戸街道の出口である。 キョロキョロ探しても、どこにも「奥戸街道出口」とは記していない!、、、、、やはり、入口はあるが、出口のない街道であった。
・・・・・・・・・・・・・・六軒島交差点はY字型の交差点で、写真左が蔵前橋通り、右に入ると奥戸街道である。
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2018年1月15日 (月)

浅草橋~立石

今朝も6時に0.0℃と連日寒さが続く。 寒い寒いと家に閉じこもっていても退屈だ。 『今日は元気よく歩いてくるぞ!』と、家を出た。 我が家(浅草橋)から水戸街道(=国道6号)沿いに歩いて葛飾区立石まで、1万5千歩、9kmの散歩です。 9時の気温は2.6℃、やっぱし外は寒い。 我慢、ガマン、やせ我慢!
 
 
 
●a.m.7:50・・・・・・・・・・交通事故を起こさぬ様に、私の住む浅草橋2丁目の須賀神社 に手を合わせ、スタートする。、、、、、自分では若いつもりで、股引は穿いていない、アンダーシャツは半袖、カイロは持っていない、アテントのお世話にはなっていない、さすがにこの時間チョイと寒いね。
 
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●a.m.8:00・・・・・・・・・・蔵前一丁目交差点通過
 
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●a.m.8:15・・・・・・・・・・厩橋交差点を過ぎる。 交差点角の東京厚生信用組合浅草支店 は、昭和5年(1930)に建てられたと言われている。 鉄筋コンクリート造4階建て、安藤組(現:安藤ハザマ)の設計・施工。 小柄だが味のある建物。
 
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●a.m.8:25・・・・・・・・・・駒形橋西詰を通過。 駒形橋 から見る隅田川はキラキラしてまぶしい!
 
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●a.m.8:30・・・・・・・・・・吾妻橋交差点を通過。 まだ、外人観光客はいないようだ。
 
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●a.m.8:45・・・・・・・・・言問橋 を渡る。、、、、言問橋西交差点で水戸街道(国道6号)は鍵のてに折れ隅田川を越える。 橋の正面にスカイツリーと冬の低い太陽が迎える。
 
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・・・・・・・・・・・・・・言問橋東詰めの牛嶋神社にもチョイトご挨拶。
 
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・・・・・・・・・・・・・橋を渡って向島に入る。 まだ太陽は低い。
 
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●a.m.9:15・・・・・・・・・・秋葉神社は、向島4丁目、水戸街道(国道6号)から少し入った住宅の奥に鎮座する。 神社は、当地に千代世稲荷大明神と称して正応2年(1289)頃に創建したと言われている。 元禄15年(1702)に千葉葉栄が修験道千葉山満願寺を創建し当社の別当寺となり、秋葉千代世稲荷合社として社殿を造営、明治元年に秋葉神社と改称した。、、、、、水戸街道からの参道に呑み屋の看板。 “向島”らしいね!
 
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●a.m.9:20・・・・・・・・・・戦後の赤線地帯、今は地元密着型商店街「鳩の街 」と、並行する商店街「地蔵坂通り」の入口を通過する。
 
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●a.m.9:30・・・・・・・・・・東向島交差点で明治通りを横断し、東武伊勢崎線のガードをくぐる。 ここには、東武博物館の「6号機関車」(英国から明治31年輸入)が屋外展示されている。、、、、散歩が楽しくなる道だ。
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●a.m.9:50~10:00・・・・・・・・・・四ツ木橋を渡り、荒川、綾瀬川を越える。 さすが橋上は風が強く、寒い。、、、、帽子が飛ばされそうだ、トラックの荷台から荷が崩れそうだ、自分が橋から飛ばされそうだ、一人で歩いていると、なんだかんだ心配し、高所恐怖症の私は怖さが倍増する。
 
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●a.m.10:15・・・・・・・・・・四つ木陸橋のある、本田広小路交差点に到着。 水戸街道の歩きはここまでとする。 昼食に間に合うよう家へ帰ることにした。 これより裏道を歩き京成押上線立石駅に向かう。
 
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●a.m.10:35・・・・・・・・・・立石駅到着。 ここまで約2時間半の散歩。
 
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2017年12月28日 (木)

中川(常磐線中川橋梁~飯塚橋)

三日前の散歩の続きで、金町駅から中川に架かる常磐線中川橋梁と飯塚橋を巡り、亀有駅まで歩いてきた。 1万2千歩。
 
 
 
京成金町駅 ・・・・・・・・・・・・「金町」までは、我が家のある浅草橋からは、浅草橋→(都営浅草線)→押上→(京成)→京成金町のルートで、約30分、190円(都営線内は敬老パスを使用)と、JRを西日暮里経由で利用するより安く、早く行ける。 便利なもんだ!
 
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②常磐線中川橋梁・・・・・・・・・・・・亀有~金町間で、中川に架かる常磐線の鉄道橋。 JR常磐線と千代田線が並走する。

・・・・・・・・・・・・・金町駅から常磐線沿いに歩き、新金貨物線の新宿道踏切を渡り、中川の堤防に向かう。
 
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・・・・・・・・・・・・・・中川の堤防に出ると、左手に先日渡った中川橋 が、右手に常磐線中川橋梁が見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・・下流側にJR常磐線、上流側に千代田線が走る。 昭和45年(1970)頃の竣工。
 
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③中川堤防を歩く・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・誰も歩いていないチョイ寒の堤防を歩く。  誰もいない青空の下の散歩は爽快である! 
 
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・・・・・・・・・・・・・中川を下る船とすれ違う。 70歳を過ぎると、船を見て手を振るのは恥ずかしい。
 
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・・・・・・・・・・・・・アッ! 対岸のビルの谷間に富士山が見える! (写真中央)
 
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④中川水管橋・・・・・・・・・・・常磐線中川橋梁の上流、足立区中川と葛飾区南水元を結び、工業用水を通す、東京都水道局が管理する橋。 昭和46年(1971)に完成した。、、、、、両岸の端部では、水道管が地中にもぐり込んでいる。
 
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⑤富士j神社・・・・・・・・・川に沿い歩いていると堤防下にまだ木肌の新しい神社が見えた。 葛飾区南水元にある富士神社(飯塚富士)である。 神社は、木花咲耶姫命を祭神として、正慶元年壬申(1332)6月創建といわれ、江戸時代には旧飯塚村の鎮守だった。、、、、富士塚は拝殿の裏にある浅間山の上に、さ らに盛土をして築かれ、まるで古墳である。、、、、、さて、拝殿に向かい賽銭を投げてから、しめ縄・鈴の緒を見てビックリ、触ってガックリ、鳴らしてガッカリ、、、、ナント、しめ縄・鈴の緒はビニール紐で作られている。 しめ縄の藁の渋い色が出ていない、テカテカである。 鈴の緒をつかむと、フニャフニャ、紐の重量感・手ごたえがない。 せっかく社殿を新築したのだから、しめ縄・鈴の緒も本物を付けて欲しかった。 ご利益、期待できそうにないかもね!
 
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⑥鹿浜線中川水管橋 ・・・・・・・・・・・・中川水管橋の上流側にもう一つ水管橋がある。 こちらは飲料水が流れているようだ。 こちらも、川を越えると水道管は地中にもぐる。
 
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⑦飯塚橋・・・・・・・・・・・・東岸の葛飾区南水元と西岸の足立区大谷田・中川を結ぶ飯塚橋。 昭和30年代に架けられた旧飯塚橋は老朽化により取り壊され、平成6年(1994)に現在の長さ303.0m、幅員20.2mの鋼箱桁橋が開通した。、、、、、この飯塚橋は足立区と葛飾区を結ぶ唯一の車・人道橋である。 この橋の先には、約3.0km上流の埼玉県八潮市の潮止橋 まで橋はない。
 
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・・・・・・・・・・・・・飯塚橋から上流を眺めるが、八潮市の潮止橋は見えない。
 
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⑧中川氷川神社・・・・・・・・・・・飯塚橋を渡り、足立区に入る。 これより中川沿いに歩いて亀有駅に向かう。 さて、足立区中川では氷川神社にお立ち寄り。、、、、、、素盞嗚尊を祭神とする古社。 手水石、狛犬などの年代には古いものが多い。
 
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⑨亀有駅・・・・・・・・・・北口に到着。
 
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2017年12月25日 (月)

中川(高砂橋~中川橋)

京成本線高砂駅で下車し、新中川が中川から分流する高砂橋から北上し中川橋まで堤防沿いに歩き、常磐線亀有駅までの散歩。 1万1千歩。
 
 
 
高砂橋 ・・・・・・・・・・・・・京成電鉄高砂駅の西200m程に架かる、葛飾区青戸と高砂を結ぶ高砂橋。 初代は昭和7年(1932)に架けられ、その後、平成15年(2003)に現在の橋に架け替えられた。、、、、、現在の橋は、長さ約187m、シンプルな2径間連続斜張橋(塔から斜めに張ったケーブルを橋桁に直接つなぎ支える構造の橋)である。、、、、この橋の下流で、新中川(旧中川放水路)が中川から分岐し、今井橋の近くで旧江戸川に合流する。
 
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②京成電鉄中川橋梁・・・・・・・・・高砂橋の上流(北側)には、青砥~高砂間に架かる京成電鉄中川橋梁がある。 現在の橋は、昭和48年頃に架け替えられた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・この区間では、他社の乗り入れもあり、多くの電車を見ることができる。 ちなみに、他社とは京浜急行・都営浅草線・北総鉄道・芝山鉄道である。 特急のスカイライナーも走るので、写真を撮ることに熱中すると散歩を忘れてしまう。
 
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③中川堤防・・・・・・・・・・気持ち良い青空の下、チョイと風が強く、帽子が飛ばないように注意しながら歩く。
 
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・・・・・・・・・・・・・・堤防の下には広い空き地も見える。 隣には、昔は農家、今は大地主の屋敷も見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・東京都水道局の水道管、水鳥が管の上で日向ぼっこする姿も見える。
 
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④中川大橋・・・・・・・・・・・国道6号(水戸街道)を通し、葛飾区青戸と同区新宿を結ぶ中川大橋。 旧橋は昭和10年(1935)に架橋されたが、平成元年(1989)に長さ134m、幅員31mの現在の橋に架け替えられた。 
 
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・・・・・・・・・・・・・橋の両側には、青戸の「延命寺」、新宿の「日枝神社」がある。
 
・・・・・・・・・・・・・まずは、青戸の「延命寺 」、、、、、「青砥やくじん延命寺」と呼ばれる新義真言宗の長久山地蔵院延命寺。 嘉応元年(1169)の創建で、800年以上続く古刹である。 地蔵菩薩の本尊と摩怛梨天を祀り、古くから「やくじん(疫神)さま」と呼ばれきた。
 
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・・・・・・・・・・・・・お次は、新宿の「日枝神社」、、、、、、合掌形の破風を架した朱塗りの山王鳥居が迎える、葛飾の新宿の日枝神社。 永禄2年(1559)頃に創建されたとしている、江戸時代には新宿町の鎮守、明治5年には郷社に列格した。 平成20年(2008)、本殿、神楽殿、山門鳥居等を一新した。
 
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中川橋 ・・・・・・・・・・・中川大橋の上流に架かり、葛飾区亀有と新宿を結ぶ中川橋。 初代の中川橋は明治17年(1884)に明治天皇の行幸に合わせて架けられた木橋。 2代目の橋は、昭和8年(1933)に架設された鋼橋。 現在は平成20年(2008)3月10日に開通した、橋長120.6mの上路式連続鋼鈑桁橋。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・中川橋を渡れば、亀有駅はスグそこ。 JRで帰ることにした。

2017年12月15日 (金)

青砥~綾瀬

今冬一番の寒さ、京成本線青砥駅から千代田線綾瀬駅まで、1万1千歩の散歩です。

 
 
 
青砥駅・・・・・・・・・青砥駅前には「ワルツの塔」というのがある。 地元葛飾区とウィーン市フロリズドルフ区が姉妹都市となり、その縁にちなみ設置されたそうだ。 塔にはワルツ王:J.シュトラウスを模しバイオリンを奏でる人物像が立っている。、、、、、通勤客が像の前を改札に向かう。、、、、どうせなら、ワルツの曲でも流せば、通勤客もチョイト浮かれて人の流れもスムースになるかも?
 
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・・・・・・・・・・・・・駅は昭和3年(1928)11月1日に開業した。 現在は成田方面行が3階、上野・押上方面行が2階のホームを使用する高架駅。
 
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②青戸第一団地・・・・・・・・・・青砥駅の西側に、平成5年(1993)から14年(2002)にかけ全棟が建て替えられた綺麗なUR団地である。 前身の、公団の団地は昭和31年(1956)から入居が始まった歴史ある古い団地。、、、、、現在は20数棟程の高層住宅が建ち並び、総戸数1100戸程のUR青戸第一団地。
 
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③タカラトミー青戸オフィス・・・・・・・・・青戸第一団地を横切り青戸四丁目に入ると、リカちゃん、チョロQ、プラレールなどを世に出した玩具メーカの青戸オフィスがある。 「タカラトミー」は平成18年(2006)に、ポケモンの「トミー」がチョロQの「タカラ」を合併して発足した会社である。、、、、青戸オフィスは旧タカラの本社ビルである。 この付近は、戦後まで、ブリキのおもちゃ工場などの零細工場が多かった処である。
 
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④水戸街道・・・・・・・・・・・通称水戸街道(国道6号)を越え、青戸地区から白鳥地区に入る。
 
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⑤延命寺・・・・・・・・・葛飾区白鳥4丁目に天台宗の延命寺がある。 延命寺は近江国三井寺の大僧都源慶(-1352)が三囲神社 (墨田区向島)の別当寺として創建し、寺社地が御用地となったため元禄6年(1693)小梅村へ移転した。 明治維新後の神仏分離令により、三囲神社と分離、関東大震災に罹災し、昭和2年(1927)に現在地へ移転した。、、、、、本堂は昭和12年(1937)に完成。、、、、、、三囲神社は三井家(三越)の守護神として崇敬を集めているが、延命寺は三井家と関係がないのかな?
 
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・・・・・・・・・・・・・・おまけの話、、、、、「延命寺」は葛飾区内に3寺ある。 ここ白鳥の天台宗の延命寺と、東水元の真言宗豊山派の延命寺、そして青戸にもう一つ、真言宗豊山派の延命寺 がある。、、、、、なんの役にもたたない知識でゴメン!
 
 
⑥上千葉砂原公園・・・・・・・・・西亀有に区立の上千葉砂原公園がある。 ここには、ヤギ、ウサギなどに触れられる「ふれあい動物広場」と、「交通公園」がある。 午前10時、お客様の子供はまだ、保育園、幼稚園、小学校で学習中。 朝からきている暇な客は、70過ぎた私一人、はずかしいので、いそいそと通過する。
 
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・・・・・・・・・・・・・・交通公園の片隅に、D51502機関車が保存されている。、、、、このD51は、昭和16年(1941)に国鉄鷹取工場で製造され、奈良・広島第一・小郡・新鶴見・新津・直江津と各機関区を走り、最後は昭和47年(1972)に酒田機関区で廃車となった。 約30年間で全国約190万km走行した。 ひょっとしたら、私もどこかでこの機関車が牽く列車に乗っていたかも?
 
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⑦上千葉香取神社・・・・・・・・・この地(堀切8)は中世、千葉氏一族の領地であり、付近には古城址と思われる地名が残っている。 当香取神社は葛西氏または千葉氏が下総国香取神宮を勧請したものと言われている。 社号は明治5年(1872)社格制定の時、「千葉神社」と改めたが、昭和32年(1987)に香取神社に戻した。、、、、、平成6年(1994)には、現在の鉄筋コンクリ^-ト造の社殿が建てられた。
 
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綾瀬駅 ・・・・・・・・・・・・昔は常盤線の駅、チョイ前は千代田線の駅、して今は、JRと東京メトロの共同使用駅。 駅業務は東京メトロに移管。 JRの切符は券売機で買えるが、「みどりの窓口」が無いので新幹線の切符は買えない。、、、、、さらに、駅は足立区と葛飾区の境にある。 公式の所在地は足立区綾瀬。
 
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2017年11月22日 (水)

古代東海道(続き)

一昨日の散歩の続きです。 奥戸小学校前の案内図に従い、今日は立石駅から白鬚まで赤線で示された古代東海道を歩いてきた。 1万3千歩。
 
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立石駅前 ・・・・・・・・・葛飾区役所、チョロQ・プラレールの製造元タカラトミーの本社がある、葛飾区の行政・経済の中心地(?)だが、京成電鉄の普通列車しか停まらない駅。 戦後は赤線・青線地帯もあり、駅北側はその当時の面影も残る、下町の“歌舞伎町”。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅前の「立石仲見世 」商店街、まだ開店前! 
 
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・・・・・・・・・・・・・・立石仲見世を抜けると、古代東海道のルートの一部である奥戸街道に出る。
 
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②渋江公園・・・・・・・・・・渋江公園は奥戸街道に面し立石駅から約500m程の処、テニスコートなどがある広い公園。 
 
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・・・・・・・・・・・・・渋江公園は昭和27年(1952)の開園以前はセルロイド製のオモチャ工場があった敷地で、園内にその「葛飾区セルロイド工業発祥記念碑」がある。 記念碑は「セルロイド=平和、希望、児童」と云う判りにくいコンセプトにより、子供を配している。、、、、セルロイドのおもちゃ、下敷き、筆箱、学生服のカラーなど、かつては身の回りに多く見られたが、今は見ることがなくなった。 でも、ピンポン玉は今でもセルロイド製らしい。
 
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・・・・・・・・・・・・・また公園の芝生広場の一角には、「キャプテン翼」の登場人物・岬太郎くんの銅像が配置されている。
 
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③奥戸街道入口交差点・・・・・・・渋江公園の西側、50m程、奥戸街道の一方の入口(出口?)がある。  奥戸街道はこの交差点で、平和橋通りと“T”字型に交わる。、、、、、古代東海道は交差点から西へ真直ぐ、京成押上線の踏切を越え、「まいろーど四つ木商店街 」に入る。、、、、、踏切も、数年後には高架化され消える運命!
 
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④四つ木白髭神社・・・・・・・・・・商店街の通りから住宅地の裏通りに入ると四つ木白髭神社がある。 古代東海道の面影を求め立ち寄ってみた。、、、、、承応3年(1654)四つ木村が立石村から分村したとき、四つ木村の鎮守として勧請された神社だが、私の期待する面影は見つけることができなかった。
 
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⑤ひたすら直進する・・・・・・・・・白髭神社から再び商店街に戻り、人影のない商店街を西へ向かうと、国道6号(水戸街道)に出る。  古代東海道は水戸街道を斜めに横断し、荒川に並行する綾瀬川に沿って走る首都高の処で途切れる。、、、、、葛飾区内の古代東海道のルートはここまで!
 
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⑥墨田区内の古代東海道・・・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・古代東海道の時代には、存在しなかっ荒川を四つ木橋で渡る。、、、、、平安時代の人が見たらビックリする、堂々と流れる荒川。
 
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・・・・・・・・・・・・・・葛飾区側のルートを伸ばすと、墨田区墨田4丁目の「ほがらか保育園」の脇を抜ける道路につながる。、、、、、保育園前の荒川土手には、古代東海道を見守るように石仏が祀られている。 勝手に想像して、平安時代に荒川で溺死した人を弔う石仏か? バカな!荒川は昭和に入って完成した川だ! 
 
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・・・・・・・・・・・・・・古代東海道は東武伊勢崎線鐘ヶ淵駅前の踏切に通じていた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・この踏切は私にとって、一生忘れられない愛おしい踏切である。 今から4年程前、踏切の正面にある交番の前で起きた脱臼事件 の現場だ!、、、、、古代東海道は交番の左側を入っていく。
 
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・・・・・・・・・・・・・・古代東海道は正面に高層の「白鬚東アパート」を仰ぎ見る、墨堤通りにぶつかる。 ここで、奥戸小学校前の案内図にあった古代東海道のルートは終わる。、、、、、、アパートは隅田川沿いに建ち、防災拠点でもある。
 
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⑦感動!・・・・・・・・・・今日の散歩は古代東海道沿いに歩いてきたが、ここまで「古代東海道」の文字を発見することはできなかった。 これより先はルートも不明、時間もそろそろ昼だ、散歩はここまで、バス停を探しに向かう。
 
・・・・・・・・・・・・・・白鬚東アパート沿いに墨堤通りを歩いていると、バス停が見つかった。、、、、、オヤ、本数が少ないけど、あと10分くらいで浅草寿町行くが来るから、乗って帰ろう!
 
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・・・・・・・・・・・・・・バスを待つ数分、バス停前をブラブラ、、、、、オヤ、何か書いてある?
 
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・・・・・・・・・・・・・・見てビックリ、読んで感動、目をこすり喜び、鼻水たれて恥ずかし~~い。 ナント、『古代東海道』の文字がある。 バスが来るぞ!、じっくり読む時間もなく、あわてて写真を撮る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・大正3年(1914)まで白鬚橋の近くにあった住田渡(すみだのわたし)は、古代東海道の一部であったと書かれている。、、、、最後の最後に感動した散歩である。

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