板橋区

2017年5月24日 (水)

平和台~高島平

『東京大佛でも見てくる』と家を出た、地下鉄成増で下車する予定で有楽町線に乗った。 途中、『次は平和台』の車内アナウンスを聞くと、“平和台球場”を思い出し、急遽飛び降りてみた。 あとは成り行き任せで高島平まで、“平”から“平”まで、1万2千歩の散歩です。

 
 
①平和台駅・・・・・・・・・・私が下車するのは、おそらく、生まれて初めてである。 特に変わったものがある、特別面白い、特徴的な駅員がいる、、、、そんな、こんなことは何もない、ごく普通の駅であった。、、、、平和台駅は昭和58年(1983)6月24日に有楽町線の駅として開業し、平成20年(2008)6月14日には新たに開業した副都心線とも共用する島式ホーム1面2線の駅となった。
 
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●・・・・・・・・・・・駅名の由来は、駅東側の町:「平和台」に由来する。 では、地名の由来は、明治時代は北豊島郡下練馬村であった。 昭和7年には東京市に編入し、板橋区練馬仲町となり、昭和22年には板橋区から独立し、練馬区仲町となる。 昭和40年の新住居表示では、あっさりと公募で決めた平和台となる。、、、、歴史を捨て、意味不明の平和台を選んだ町の隣には、陸上自衛隊練馬駐屯地がある。 どうせなら、福岡にあった西鉄ライオンズの本拠地:「平和台球場」を移設すれば良かったかもね。
 
●・・・・・・・・・・・国内にある“平和”な駅は、ここ「平和台駅」と、流鉄流山線に同名の「平和台駅」がある。 他には、JR千歳線「平和駅」、京急本線「平和島駅」、北九州モノレール「平和通駅」、伊予鉄道城北線・城南線「平和通一丁目停留場」がある。、、、、私が“平和”ボケしていなければ、これが全てである。、、、、こんなこと調べていたら、麻雀の役の平和(ピンフ)の語源は? 今夜は眠れるかな?
 
・・・・・・・・・・・・・駅前の平和台4丁目にある馬頭観世音、、、、この馬頭観音は、江戸時代中期に建立されたもので、石には像などは彫られておらず文字だけである。 道標を兼ねており、正面には富士・大山・東高野、右には新井薬師・堀之内(妙法寺)・雑司ヶ谷(鬼子母神)など信仰の道にふさわしい地名が見られる。 また板橋・赤塚・戸田・所沢など近郷の地名と里程も刻まれている。 この塔があった、旧は富士街道丸久保の十字路とは、交通の要所でもあったようだ。
 
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②練馬北町六丁目アパート・・・・・・・・・・平和台駅を出ると、環状八号線の北側に3~5階建ての都営アパートが並んでいる。 私は24号棟まで確認した。 昭和51年(1976)から昭和62年(1987)にかけ建てられた、約500戸の団地。
 
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③大松氷川神社・・・・・・・・・・・平和台の北側、板橋区との境に近い北町8丁目に「大松氷川神社」がある。 大松とは下練馬村の小字名。 創建年代は不詳、祭神は建速須佐之男命。、、、、、一般道となった参道の正面奥に、昭和3年(1928)10月20日に建てられた社殿がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・社殿の脇には、幹の太さ3.1m、高さ23mのクスノキが茂る。

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④カトリック北町教会・・・・・・・・・・・東武東上線下赤塚駅の東側で川越街道を横断し、練馬区北町3丁目に入ると、裏通りに十字架が見えた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・昭和34年(1959)に創立したカトリック北町教会である。、、、、施錠された聖堂前の園庭では、幼稚園児が遊んでいる、若い先生もいる。 ここで先生に声をかけ、聖堂の中を見せてもらうには勇気がいる。 『怪しい親爺が門の前でうろついている、全員緊急避難!』とならないように、今日は我慢して素通りすることにした。
 
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板橋区徳丸の町 ・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・東武東上線のガードを抜けて、板橋区徳丸の町に向かう。、、、、チョイト雲行きが怪しくなってきた。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・徳丸の町はアップ・ダウンの激しい山岳コースのような町である。 肺活量が小さくなった私にはキツイ! 暑さもキツイ! 呼吸はゼイゼイ、汗はダラダラ、ひたすら高島平駅を目指し歩くのみ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・足が疲れたころに、赤塚公園交差点に到着。 首都高上で火災が発生したようだ、一般道は消火活動のため交通規制が行われていた。、、、、私の到着が遅く、黒煙が上がる場面には遭遇できず、決定的瞬間に立ち会うことはできなかった、残念。
 
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⑥高島平団地・・・・・・・・・・・・高島平団地への入居開始は昭和47年(1972)から始まった。 高島平団地の総戸数は約10,000戸、人口は約17,000人、ここも少子高齢化問題が発生している団地である。 高齢者の一人住まいも多く、自殺者も多い団地となったそうだ。、、、、、そろそろ団地の役割を終える時代になったのか? 
 
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⑦高島平駅・・・・・・・・・団地の正面に高島平の駅はある。 昭和43年(1968)12月27日、都営地下鉄6号線開業と同時に志村駅として開業し、昭和44年(1969)8月1日に高島平駅と改称した。 島式ホーム2面4線の高架駅。
 
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2017年4月 6日 (木)

戸田橋

JR埼京線戸田公園駅から、荒川に架かる戸田橋を渡り、埼京線浮間舟渡駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
①戸田公園駅・・・・・・・・・・・東北新幹線の建設では、埼玉県南部の人口密集地を抜けるため、新幹線高架橋と並行して通勤新線を建設し住民の説得にあたったのが埼京線である。 昭和60年(1985)9月30日、その埼京線と同時開業した駅の一つが戸田公園駅。、、、、島式ホーム1面2線と、両外側に1線づつ通過線がある高架駅。 下り線の外側には新幹線の高架橋が並行する。
 
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・・・・・・・・・・・・・・このまま電車に乗って終点まで行きたくなった!
 
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②地蔵堂・・・・・・・・・・・・・荒川の左岸:戸田市川岸1丁目に地蔵堂がある。 堂は江戸時代の絵図にも記載されている、戸田市内最古の木造建造物だそうだ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・地蔵堂の近くにある水神宮(すいじんぐう)。、、、、正面の石碑には寛政8年(1796)の銘がある。 この地の氏神さまらしい。
 
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・・・・・・・・・・・・・・地蔵堂の近くにもう一つ古そうなものがあった。、、、、今も現役のポスト
 
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③戸田の渡し跡・・・・・・・・・・水神宮向かいの荒川土手に「中山道戸田渡船場跡」の碑がある。、、、、、、荒川には江戸防衛の意から橋は架けられず、人々はここを越えるには船による渡しに頼らざる得なかった。 これが中山道「戸田の渡し」である。、、、、この渡しは、天正年中(1575~1591)よりあったとされ、その重要性は近世を通じて変わらなかった。 明治8年(1875)には木橋の戸田橋がついに完成し、「戸田の渡し」が廃止となった。
 
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④戸田橋親柱・・・・・・・・・・・戸田橋の北詰(戸田市川岸3)の戸田橋親水公園に3代目戸田橋の親柱が保存されている。、、、、、、3代目戸田橋は、昭和4年(1929)に着工し、総工費101万9000円を投じ、昭和7年(1932)12月24日に竣工した、長さ545m、幅11m、当時の橋梁技術の粋を集めた近代的な鉄製トラス橋で、完成当時は日本一斬新でモダンなデザインが話題を呼んだ。 橋の設計は増田淳(千住大橋白鬚橋などを設計)、橋の施工は横河橋梁(現、横河ブリッジ)、架設は鴻池組である。
 
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・・・・・・・・・・・・・親柱の銘板「埼玉縣」には、後に米軍憲兵によって付けられたといわれている弾痕が3箇所ある。 一か所は、「埼玉縣」の“玉”の字の中央に、パチンコ玉程のくぼみを見ることができる。、、、、、“玉”を弾で傷つけ、おっ魂げた!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・3代目戸田橋 (雑誌「工事画報」昭和8年1月号より )
 
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⑤戸田公園・・・・・・・・・・駅名ともなっている戸田公園は、荒川の水を引き込んだ戸田オリンピックボートコースをはじめ、荒川の河川敷に広がる野球用のグラウンドなどの総称である。 戸田競艇場もボートコースの西端にある。、、、、、ボートコースは約2.5kmの長さ、長すぎるので、端っこだけ見てきた! 2020年東京オリンピックもここを利用すればいいのにね!
 
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⑥戸田橋・・・・・・・・・・・・現在の戸田橋は、埼玉県戸田市と東京都板橋区の間で荒川に架かるかかる橋で、国道17号(中山道)を通す。 新幹線・埼京線荒川橋梁が下流側に並行して架かる。、、、、、明治8年(1875)に最初の木橋の戸田橋が架けられ、大正元年(1912)に2代目の戸田橋(木橋)が架けられ、3代目は昭和7年(1932)に鋼製のカンチレバートラス橋が架けられた。、、、、、現橋(4代目)は、昭和53年(1978)竣工した、長さ519m、幅21mの鋼連続箱桁橋である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・上流側を望む。
 
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⑦浮間公園・・・・・・・・・・・浮間舟渡駅の正面に広がる、東側の北区と西側の板橋区にまたがる約4万m²の公園。、、、、元は荒川が流れていたところで、大正から昭和にかけての河川改修で一部が池になった。 昭和42年(1967)に浮間公園が設けられた。、、、、、只今、満開! 早々と、昼前から桜色に染まった人もいた。
 
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浮間舟渡駅 ・・・・・・・・・・北区浮間と板橋区舟渡の2区にまたがる駅。 
 
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2016年10月26日 (水)

上板橋~志村坂上

東武東上線上板橋駅から、北東の方向に都営三田線志村坂上駅まで、1万歩、7kmの散歩です。
 
 
①上板橋駅・・・・・・・・・・・・池袋から東上線で6駅め、島式ホーム2面4線の地上駅である。 大正3年(1914)6月17日に開業した。、、、、、上板橋駅は、かつて駐留軍のいたグラントハイツ(現:光が丘)内まで伸びていた啓志線(けいしせん)の起点駅でもある。 啓志線は昭和34年(1959)に廃止されたが、それまで駐留軍の人員輸送、物資輸送を担っていたそうだ。
 
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②駅からクネクネ・・・・・・・・・駅前から、行先も定まらず、知らぬ通りをクネクネ曲がり、何か面白い発見はないか目はキョロキョロ。、、、、、この辺の住所は「板橋区中台1丁目」。 中台小学校を半周したら、緩やかな坂道。 アップ、ダウンが続き、チョイと高台に出た。
 
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③前野台団地・・・・・・・・・・・・目の前に「前野台団地」が出現。、、、、周辺より高い位置に建つ住宅都市整備公団の団地である。 昭和44年(1969、=私が大学を卒業した年)に建てられた、総戸数241戸(5棟)の団地。、、、、小ぶりの団地だが、緑が多く、高台に建ち、環境はグ~~。、、、、、改修工事したようだが、綺麗な団地で、築50年経過したとは思えない。
 
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・・・・・・・・・・・・・・団地近くの公園から撮影。
 
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④志村城址・・・・・・・・・・板橋区志村2丁目、高台にあった志村城。
 
・・・・・・・・・・・・・首都高5号線の下を抜け、志村坂上へ向かう道路に出た。
 
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・・・・・・・・・・・・・・道の反対側を見ると、何か気になる階段があった。 最近、路地・階段などから出る霊気をキャッチする能力が身についてきたようだ。 階段が、『上がっておいで、おいで』と誘っている。、、、、、女の子が『おいで、おいで』と手招きしているのは危ないが、階段なら落ちるぐらいで危なくなかろう!
 
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・・・・・・・・・・・・・階段の上には熊野神社があった。 神社は、長久3年(1042)志村将監が勧請したと伝えられており、古墳上に社殿が鎮座している。 康正2年(1456)に千葉自胤が赤塚城に、千葉信胤が当地の志村城に入城し、当社を志村城の守護神とした。、、、、神社は志村城の二の丸あたりに該当するそうだ。、、、、、境内には「志村城址」の碑もある。、、、、、階段の霊が志村城址まで導いてくれたようだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・社殿は昭和32年(1957)に改築された。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・社殿横に控える絵馬堂は、江戸時代後期頃の建築らしい。 入母屋造りの旧拝殿を移築したそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・熊野神社の西、500m程離れて、真言宗豊山派の延命寺がある。 延命寺は、見次山松寿院と号す。 寺は大永4年(1524)に志村城が落城した際、見次権兵衛が庭先でわが子の討たれる姿を見て、戦国の無情を感じ、居宅を寺として創建したと伝えられている。 江戸時代には熊野神社の別当であり、享保年間には将軍家御膳所となっていた。 明治21年(1888)には志村村役場が寺内に置かれていた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・延命寺の南に200m程行くと、延命寺に関連した名の見次公園(みつぎこうえん)がある。、、、、、、湧き水による大きな池があり、釣り人も多い。
 
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志村一里塚 ・・・・・・・・・・・・徳川家康が街道整備のため、慶長9年(1604)に諸国の街道に一里塚の整備を命じた。 志村坂上には、中山道(国道17号)の両側に、当時のまま一対の一里塚が残されている。 
 
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・・・・・・・・・・・・・一里塚の隣には、竹細工・竹ぼうき・ヨシズなどを扱う都内唯一の竹屋さん「斉藤商店」の建物がある。 創業明治22年(1889)の老舗であるが、建物は昭和8年(1933)に中山道拡張工事にあわせて建て替えられた。、、、、一里塚とともに、町のランドマークとなっている。
 
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⑥志村坂上駅・・・・・・・・・・・・昭和43年(1968)12月27日に開業した、都営地下鉄三田線の駅である。、、、、、一里塚の脇から地下へ。
 
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2016年9月28日 (水)

板橋~大塚

板橋区・北区・豊島区の3区の境に位置する、JR埼京線(正式には赤羽線)の板橋駅から、山手線大塚駅まで、1万1千歩、8kmの散歩です。
 
 
板橋駅・・・・・・・・・・・明治18年(1885)に開業した歴史ある駅。、、、、豊島区に位置するホームに降り、北区(滝野川口)のトイレに入り、板橋区(西口)の改札から出ることができる面白い駅。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅名を見て思い出した駄洒落、、、、勝ってくるぞと板橋区 ♪♪、、、引き続き思いだした、、、、物価があると江東(高騰)区。 ライバル多い台東(台頭)区。 清く貧しく葛飾区。 気がつきゃ友達、港区(皆、遠く)。 洗濯物が荒川区(アラ、乾く)。 仕事終わればサッサと北区(帰宅)。、、、、さらに、、、、足立(あたし)馬鹿よね、お馬鹿さんよね♪♪、、、、、これくらいにしておく!
 
 
②滝野川6丁目の裏道・・・・・・・・・板橋駅の西側、旧中山道(とげぬき地蔵、庚申塚、板橋駅前を抜ける旧道)と現:中山道に挟まれた滝野川6丁目の裏道を歩き回ってきた。
 
・・・・・・・・・・・・・・・まずは、埼京線踏切の脇を入る路地で、両側にスナック、居酒屋が並ぶ。 路地を抜けると板橋駅滝野川口の方に出る。
 
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・・・・・・・・・・・・・つぎは、旧中山道と中山道(国道17号線)を結ぶ「きつね塚通り商店街」。 250m程の小さな商店街で、シャッターを下ろした店もある。、、、、「きつね塚通り」の名は、かつて、この通りが王子稲荷への道だったことに由来しているそうだ。、、、、商店街に面する神召教会 は、昭和2年(1927)に建てられたプロテスタント教会。
 
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・・・・・・・・・・・・・・きつね塚通りから、さらに裏道というより路地に入る。 “路地の路地”とも言えるような、奥まった処にも、生活の匂いがする。、、、、デイ・サービスの送迎車も入れないのでお年寄りはつらいね。
 
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・・・・・・・・・・・・・旧中山道と中山道を結ぶ、もう一つの商店街「御代の台仲通り商店街」に出てきた。 こちらも、地域密着型商店街で、通りに点在する店の数も少ない。
 
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・・・・・・・・・・・・・御代の台仲通り商店街を横断し、再び商店街の裏を歩く。、、、オ~~、一昔前には割烹着姿のおばちゃんたちが、近所の噂話で盛り上がった、手押しポンプの井戸が残っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・井戸の近くの住宅には、玄関に「二日酔のため臨時休業」と、粋な案内が出ていたが、はて?、ここは何屋だ? 
 
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・・・・・・・・・・・・・木蜜地区では、新築時に、前面道路の幅を広げ緊急車両を通れるようにするため、建物を後退するよう指導されている。、、、、車両が通れるようになるには、まだまだ時間がかかるようだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・路地裏の銭湯「稲荷湯」の前に出た。 昭和5年(1929)に建てられた、This is SENNTOU。
 
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③西巣鴨・・・・・・・・・・明治通りを横切って、西巣鴨の町に入った。
 
・・・・・・・・・・・・・すがも鴨台観音堂、、、、、、大正大学の施設で、平成25年(2013)に大林組の施工で建てられた“サザエ堂”である。
 
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・・・・・・・・・・・・野菜の種子屋がここ西巣鴨には20軒以上あった。 その一軒がサザエ堂の隣に残っている。 種子問屋榎本留吉商店(現:東京種苗株式会社)。
 
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・・・・・・・・・・・・・・近くには、旧街道筋の紙屋として伊勢屋紙店もある。
 
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④都電荒川線・・・・・・・・・・・巣鴨新田停留場付近
 
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大塚駅 ・・・・・・・・・明治36年(1903)日本鉄道の駅として開業した古い駅。、、、、大塚駅は豊島区南大塚にある。 ところが隣の文京区には「大塚」の町がある。 どちらが本当の大塚か? 本来は文京区にある大塚が本家本元、豊島区には大塚駅が開業してしまったため、後に駅周辺を「南大塚」としたそうだ。 そして、南大塚は地勢上の中心地となった。 ややこしい話だが、私にはどうでもいい話。、、、、今日の散歩のまとめは、“おお、疲れた!”
 
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2015年11月16日 (月)

東武練馬~高島平

東武東上本線の東武練馬駅から都営三田線の高島平駅まで、1万歩、9㎞の散歩です。


①東武練馬駅
・・・・・・・・・・・・昭和6年(1931)に開業した、相対式ホーム2面2線の地上駅である。 東上本線の列車は全て10両編成で運行されているからホームも長い。、、、、、ところで、“東上線”と“東上本線”どちらが正解か? 答えは、“東上線”とは、「東上本線」と「生越線」を合わせた総称である。 “東上本線”は、池袋から寄居までの路線を指す。、、、、、東武練馬駅はなに区に属す? 答えは、板橋区。 地図を見れば一目瞭然、駅の南口の前面道路が、板橋区と練馬区の境で、駅施設のすべてはギリギリ板橋区側に属している。、、、、、西武池袋線の「練馬」駅とは乗換可能か? とても無理、練馬区の南端に在るのが「練馬」駅、北端の近くに在るのが「東武練馬」駅、直線で4㎞程離れている。、、、、何かと、クイズのネタになりそうな駅である。、、、、最後に、もう一つ。 東武練馬駅のホーム下を横切るトンネル計画があるのだが御存じか? 計画されているのは道路トンネルで、板橋区側は駅手前まで道路が既にできている、練馬区側は予算がないのか、用地買収も進んでいない。 当分は開通の見込めない、まぼろしのトンネルになりそうだ。

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②中尾観音堂
・・・・・・・・・・・観音堂のあるこの地、現在は板橋区「徳丸」(とくまる)であるが、江戸時代は武蔵国豊島郡徳丸村であった。 その徳丸村の字(あざ)の一つが「中尾」である。 ここに、馬頭観音を本尊とする観音堂がある。 創建は、仏具の奉納記録などから、江戸時代、享保11年(1726)以前にさかのぼるそうだ。、、、、、ところで、御本尊の馬頭観音を拝見できなかったが、写真によると、印相(手の形)はラグビー:五郎丸選手のキック前のスタイルに似ている。

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③昆虫公園
・・・・・・・・・・・徳丸3丁目、「昆虫公園」案内標識が目に入り、温室の中で蝶が乱舞するのを想像し行ってみた。、、、、、町の一画にある、斜面を利用した公園で、緑も茂り、公園内を清掃する人もいたが、一枚の貼り紙を目にして・・・・なんじゃ、もんじゃ、そんじゃ、ダメじゃ、と叫びたい。 『昆虫公園は昭和59年に開設して以来、多くの皆様にご来園いただきましたが、昆虫舎、標本室ともに老朽化が進んだため、平成27年3月31日をもってこれらの施設を閉鎖いたしました・・・・』、、、、、区の予算不足が原因か? 取り壊しが始まった、維持する予算はないが、取り壊す予算はあるようだ。、、、、公園に明りが灯れば、極楽とんぼが夜の蝶を連れてくるかも?

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④起伏の多い徳丸周辺
・・・・・・・・・東武練馬駅は台地の上にあり、北の高島平駅は崖下にあるようだ。 その間に位置する徳丸地区は、大小の坂が多く、一度下ると次は上り、再び下ると再度上り、アップ・ダウンでくたびれれる町だ。

・・・・・・・・・・・・・中尾観音堂前の坂。

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・・・・・・・・・・・・徳丸5丁目と6丁目の境を走る道路。 谷を埋めたような造りだ。 谷底は小川が暗渠となり、道路の交差部には人道が口を開けてる。

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・・・・・・・・・・・・・・徳丸6丁目、北野神社の南側にある、信じられない、長~~い、急な坂。 マンションの玄関を撮った写真で勾配を推測してみて、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・徳丸8丁目、隣りのマンションの6階と同じ高さから一気に下る階段坂。 この階段の先は、板橋区高島平で、公団、都営住宅が建ち並んでいる。

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⑤徳丸北野神社
・・・・・・・・・・徳丸6丁目に鎮座する、創建年代は不詳。 江戸時代には徳丸本村の鎮守社で、明治5年(1878)に村社となった。

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⑥安楽寺
・・・・・・・・・・徳丸8丁目に建つ、真言宗智山派の紅梅山来迎院安楽寺。 創建年代は、尊栄和尚が応永3年(1396)に創建し、徳丸北野神社の別当を務めていたと言われてる。、、、、、、山門の隣りには長屋門もある珍しい寺。 

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⑦旧粕谷家住宅
・・・・・・・・・・・・粕谷家は、江戸時代、徳丸の脇村の名主を務めていた。旧粕谷家は享保11年(1726)以前に、その名主粕谷家から隠居した家に始まると伝えられている。、、、、、、建物は桁行17.17m、梁行10.95mの寄棟造り、茅葺。 建築年代は享保年間に隠居した時に建てられたといわれている。、、、、、建物は現在、区の所有となり、只今補修工事中のようで、今日は外部からパチリ!

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⑧高島平団地
・・・・・・・・・・・昭和47年(1972)から入居が始まった高島平団地は、旧住宅公団の建物だけでも50棟前後はあり、総戸数も1万戸を超える。、、、、、この団地も、築後40年経過し、高齢化問題が表面化している。、、、、、団地の中を歩くと、お年寄りが団地内のスーパーへ、ヨタヨタ歩いて買い物に行く姿が見られた。

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⑨高島平駅
・・・・・・・・・・・昭和43年(1968)に都営地下鉄6号線の開業に伴い志村駅として開業した。 しかし、駅所在地と駅名が整合せず、クレームがつき、翌年、高島平駅に改称した。 島式ホーム2面4線を有する高架駅。、、、、、駅は、只今、補修工事中。

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2015年10月19日 (月)

大山~要町

東武東上本線大山駅から地下鉄有楽町線要町駅まで、1万2千歩、9㎞の散歩です。


①大山駅
・・・・・・・・・・東上本線の前身:東上鉄道が池袋~田面沢間を開通させたのは大正3年(1914)である。 開通から17年後の昭和6年(1931)に開業した、相対式2面2線の地上駅。 池袋駅から3つ目の駅で、普通列車しか停車しない駅。 ホームはカーブしており、乗降時には要注意! 

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②ハッピーロード大山
・・・・・・・・・大山駅と川越街道(国道254号)を結ぶ延長560mの商店街。 今日は朝の通勤時間帯に来たので、店はまだ開いてないが、私の推測ではどうやらパチンコ屋と、個人経営の店などが多そうだ。、、、、、、商店街のある、都道については拡幅計画があるそうだが、客数の減少に危機感を持った商店街は、アーケードを設置して工事の着手を阻止しているらしい。、、、、地図を見ると、確かに、ここの商店街部分を除く前後の都道は拡幅工事が完了し、幅の広い道路となっている。

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③大山福地蔵尊
・・・・・・・・・ハッピーロード大山商店街の川越街道側の入口脇を少し入ると地蔵さまを祀っている祠が見える。(上の写真の左下隅、「大山福地蔵尊入口」の案内が見える)、、、、、、今から150年程前の江戸時代文化文政の頃、鎌倉街道(日大交差点付近)にお福さまという行者が来て、人々の難病苦行を癒し大山宿の人々に慕われた。 死後はお福地蔵として祀られた。、、、、、丸窓からはお福地蔵の顔だちも見える。

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④板橋交通公園
・・・・・・・・・・・・川越街道を横断し大山西町に「板橋交通公園」がある。 ここは、ゴーカート、自転車などに乗って交通ルールを学べることが特徴の公園らしい。まだ開園前なのか、子供は一人もおらず、いるのはゲートボールの爺さん婆さんが多数。、、、、、子供いないよ 年寄りばかり 公園いらぬ 墓地欲しい!

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・・・・・・・・・・・・・・公園の隅で、色あせ、錆びて、埃に汚れ、悲しい運命をたどる、昭和61年(1986)に廃車となった7508号の都電。 都電に付き合う、雨ざらしの都バスも哀れ。

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⑤大谷口給水所
・・・・・・・・・・・板橋区大谷口(おおやぐち)1丁目には、大谷口給水塔が建てられていたが、老朽化により平成17年(2005)に取り壊された。、、、、、給水塔の跡地には、給水塔のデザインを模した大谷口給水所が平成23年(2011)に建てられ、板橋区・豊島区などの12万人に、ポンプ圧送による給水が行われている。 建物は地上5階、地下2階、高さ33mで、地下に給水池が造られている。

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・・・・・・・・・・・・・・平成17年(2005)に取り壊された大谷口給水塔は、東京帝大教授:中島鋭治博士により設計された、高さ33m、鉄筋コンクリート造で、昭和6年(1931)に完成した。 地域のシンボル的な建物であった。

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⑥木密地域:大谷口1丁目
・・・・・・・・・・給水所のある大谷口1丁目は、中型車両がギリギリ通れるような細い道が、イナビカリ状に折れ曲がる地区である。 都、区は“木密地域”(木造住宅密集地域)として、不燃化住宅の建築などに取り組んでいる。、、、、、木部がむき出した建物は少なく、かなりの数の住宅は新築・改築したようだ。

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⑦UD邸
・・・・・・・・・・・豊島区要町1丁目の裏道で、戦前の建築と推測した木造住宅があった。 懐かしさを感じる木製の窓枠に、パテでとめたガラス窓、味があるね!

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⑧要町駅
・・・・・・・・・・・東京メトロ有楽町線・副都心線が並走する小竹向原駅~池袋駅間は、有楽町線が上層を、副都心線が下層を走る2階建て構造である。 要町駅でも、地下2階の島式ホーム1面2線を有楽町線が使用し、地下3階の島式ホーム1面2線を副都心線が使用している。、、、、、駅は昭和58年(1983)の有楽町線開通時に同時開業した。

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2015年6月30日 (火)

板橋~西巣鴨

板橋駅で下車し、毎度のことだが、「さて、どっちへ歩くか?」、、、、、中山道の方向に歩いてみるか、、、、板橋3丁目で方向感覚を失い、、、、もとの板橋駅近くに戻ってしまった、、、、、結局、西巣鴨まで歩いて、1万1千歩、8kmの散歩です。


板橋駅
・・・・・・・・・・・日本鉄道の駅として、明治18年(1885)に開業した歴史ある駅。 1面2線の地上駅。・・・・・・・・・・西口(板橋口)は板橋区、東口(滝野川口)は北区、そしてホームの池袋寄りは豊島区にある。 豊島区のホームに降り、北区のトイレに入り、板橋区の改札から出ることができる、面白い駅である。

・・・・・・・・・・・・・・私は豊島区で下車する。 出口は、はるか先、ホームの反対側の端にある。

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・・・・・・・・・・・・・・かつて、板橋駅では貨物の取り扱いを行っていた。 当時の面影が残る、雑草の生えた貨物引き込み線の跡。 中央のマンションがある位置に、コンクリート工場があり、引き込み線はそこまで伸びていた。

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・・・・・・・・・・・・・・ホーム脇には、保線用の車両が止められている。 マルタイは、線路の高さを調整しながら砂利を付き固める車両。 車両はオーストリアのプラッサー&トイラー社から輸入した高価な機械。

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・・・・・・・・・・・・・・東口(滝野川口)は北区。 駅の斜向うに近藤勇の墓 がある。

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・・・・・・・・・・・・・・西口(板橋口)は板橋区。

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②板橋宿
・・・・・・・・・・中山道(写真左の国道17号)の板橋郵便局前から、旧中山道の商店(写真右の商店街)が並んでいる。、、、、、今日は、この商店街の右奥の裏道を歩いてみようと思った。

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・・・・・・・・・・・・・・観明寺・・・・・・・・・商店街入口近くにある、真言宗豊山派の観明寺。 暦応元年(1338、=将軍:足利尊氏の時代)の創建。 千葉の成田山新勝寺から不動尊の分身を勧請し、現在は出世不動と呼ばれている。 参道入口にある庚申塔は、寛文元年(1661、=江戸時代初期)に造立されたもので、青面金剛像が彫られたものとしては、都内最古と言われている。

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・・・・・・・・・・・・T邸・・・・・・・・・・観明寺の隣り、商店街に面して建つ住宅。 塔のようなものもある独特の姿の住宅。 元は安田貯蓄の建物(明治時代の建築)で、大正元年に買い取り、歯科医院として使用していた。、、、、、、玄関には白く塗りつぶした看板が残っている。

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・・・・・・・・・・・・・花の湯・・・・・・・・・・T邸から1軒飛んで隣りに、大型唐破風の銭湯「花の湯」がある。 建物は比較的新しく、昭和42年(1967)に宮大工が建てたそうだ。、、、、、この銭湯の脇を通り抜け、商店街の裏を歩くことに、、、、、、

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③板橋3丁目の町
・・・・・・・・・・・・・板橋宿の商店街の東側が板橋3丁目である。 この裏通りは、私好みの路地が入り組んで、方向感覚が鈍ってしまった!

・・・・・・・・・・・・・・一雨降りそうな雲行きだが、この道を入ってみよう、、、、、、奥には、戦後の「昭和」の匂いが残っていた!

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・・・・・・・・・・・・・柳ビル・・・・・・・・・・3丁目の中程で遭遇したビル。 前を通ると、屋台が目に入った! 床屋さんは営業中だが、両隣は商売していないようだ。 チョイと上を見上げると、手摺はボロボロ、穴もあいてる、ひどい劣化! 住んでいる人も少ないみったいだ! 昭和40年頃の建築か?、、、、、気になる建物が一つ増えた! 

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・・・・・・・・・・・・・煉瓦塀・・・・・・・・・・板橋3丁目、王子新道のある、この辺りは、加賀藩下屋敷があったところだ。 なにか関連があるのか、それとも宿場町の遊郭か、それとも旧陸軍の関連施設があったのか、想像は尽きないが、立派な煉瓦塀があった。 塀の内側には大きなビルが建っているが、これまた、マンションか、オフィスか、、、、謎の多い、煉瓦塀である。

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④圧磨機圧輪記念碑
・・・・・・・・・・・板橋3丁目を抜け、加賀1丁目の加賀西公園の隅に、円盤状の石を組み合わせた、石の動輪のようなモニュメントがある。 これは、石神井川の際にあった旧加賀藩下屋敷の一部を陸軍の「砲兵校舎工廠」として、ここで火薬を製造した時の圧磨機の圧輪をそのまま記念碑として転用したものである。、、、、、、“バカでかい碾き臼のようなもので、これで蕎麦を挽いたら、うどん粉になるかも”と、考えるのは私だけ!

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⑤漆坊弁財天
・・・・・・・・・・板橋4丁目にある六叉路のような交差点のど真中に、ロータリー状の中央に「漆坊弁財天」として、個人によって再興された神社がある。、、、、その由来記には、『此の地三五の原に住んでいました私に、昭和三年の戌夜 与は此処加賀の下屋敷六万五千坪の弁天であるが今は跡形もなくなっている。そなたは此の地に再興せよとのお告げがありましたのでお祀りいたしました。   昭和十年区画整理の行なはれましたとき移転するようにと云われましたが、地主板谷様と話し合いの上 末代まで此の地でこの弁天様をお守りするよう申され今日に至りました。  その後私が屋敷内の草取りをしておりますと、熊手と斧を持った翁が来て、おばさん此の弁天様は漆弁天とあるが漆ボウ弁財天と申すのだ。そのボウは田宮坊来郎の坊である。今後は漆坊弁財天とせよと申され姿が見えなくなりました。   本富に有難い弁天様で幸運及び厄除けの御祈祷を致しています。   先達 岩本 一江』と、記されている。、、、、、、つまり、個人の一軒家がロータリーの中央に鎮座している、珍しい家だ! 

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⑥埼京線
・・・・・・・・・・・・ぐるりと板橋3・4丁目を回り、中山道(国道17号)が埼京線を跨ぐ跨線橋の上に出た。 
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●・・・・・・・・・・・・・・・・・・このあと西巣鴨駅まで歩き帰宅。

2015年6月 1日 (月)

中板橋~東十条

東武東上線の中板橋駅から、京浜東北線の東十条駅まで、1万2千歩、9kmの散歩です。



①中板橋駅
・・・・・・・・・・板橋区を南東から北西に抜け川越方面に向かう東武東上線。 池袋寄りの下板橋駅と川越寄りの上板橋駅の中間に位置するのが中板橋駅である。 チョイと駅間距離を調べてみたら、下板橋~中板橋間は2.0㎞、中板橋~上板橋間も2.0㎞、なんとピッタシカンカンで、まさに“中”板橋であった。・・・・・・・・・・大正3年(1914)、東上鉄道の池袋駅~田面沢駅(現:川越市駅の手前)間が開通し、下板橋駅、上板橋駅とも同年に営業を始めた。 中板橋駅は昭和8年(1933)に開業した。 現在は島式ホーム2面4線を有する地上駅。・・・・・・・・・駅名の由来は川越街道の「上板橋宿」にある上板橋駅と、中山道の「下板橋宿」にある下板橋駅の中間に位置することから「中板橋駅」と名付けられた。 「中板橋」という地名は、先行した駅名に由来し昭和32年(1957)に名付られた。

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・・・・・・・・・・・・・南北の出入口は、ホーム端の跨線橋を渡る。

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・・・・・・・・・・・・・・中板橋駅には優等列車は止まらず、普通列車が優等列車の通過を待たされる、、、、、、待つ身はつらい、イライラするね!

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②北へ向かう
・・・・・・・・・・・・中板橋駅で下車し、まずは北へ向かうことにした、、、、

・・・・・・・・・・・・・駅前の中板橋商店街・・・・・・・一本の通りだけの商店街ではなく、駅の北東側一帯が商店街となっている。

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・・・・・・・・・・・・・・石神井川に架かる久保田橋・・・・・・・・・きれいな水が流れる石神井川だが、護岸が高すぎるね!

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・・・・・・・・・・・・・環七通りをこえる、、、、、、

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③第3板橋富士見町アパート
・・・・・・・・・・第3、第4板橋富士見町アパートは昭和40年前後に建設され、ほぼ50年が経過した。、、、、、、建物は劣化し、住人も立ち退き、空き家となった、建て替えるようだ!、、、、、、どんな建物でも、壊されるのはつらいね!

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④エスビー食品
・・・・・・・・・・・板橋区宮本町のエスビー食品スパイスセンターの入口わきに石造りの古い倉庫がある。板橋工場が竣工した昭和10年(1935)頃の建物のようだ。妻の部分には「S&B」の商標が彫られている。、、、、、、エスビー食品は昭和5年(1930)に「社運が、日が昇る勢いであるように、また鳥が自由に大空をかけめぐるように、自社製品が津々浦々まで行き渡る」の願いを込めて「太陽」と「鳥」を図案化したヒドリ印をその商標とした。 翌年には、その「太陽=SUN」と「鳥=BIRD」の頭文字である「S&B」を併記して商標とした。

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⑤清水稲荷神社
・・・・・・・・・・エスビー食品から東へ500m程行くと、「イナリ通り」と称する商店街があり、その中程に神社は在る。 豊受姫命を祭神とする、創建年代不詳の古い鎮守さま。

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⑥姥ガ橋延命地蔵尊
・・・・・・・・・・・再び環七通りに出て、板橋区から北区に入ると、スグに姥ガ橋陸橋のある交差点となる。 交差点の角で、交通事故を見張るように、姥ガ橋延命地蔵尊は祀られている。・・・・・・・・・姥ガ橋とは稲付川(石神井川用水の、この付近での通称)に架けられていた橋で、その名の由来は幼児を誤ってこの川に溺死させてしまった乳母が、責めを感じてこの橋から身を投げて死んだ事による伝説であるという。 この延命地蔵は身投げした乳母を憐れんで村人が供養の為、享保9年(1724)に建てた。、、、、乳母だから悲しい物語になる。 私の場合、還暦を過ぎた親爺が、孫を誤って神田川で溺死させたら、悲しい物語ではなく、馬鹿な親爺の事件としてニュースになるね、、、注意・注意・要注意!

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⑦十条の住宅
・・・・・・・・・・上十条4丁目、、、2階の桁の出、6枚のガラス窓、1階の商店風入り口、、、、チョウ、趣きのある建物だ! 

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⑧赤羽線中原踏切
・・・・・・・・・・・北区中十条3~中原2、ここで埼京線をこえる。

・・・・・・・・・・・・・「埼京線」の呼称が定着し、呼ばれることがなくなった正式名「赤羽線」。 「赤羽線」の呼び名を懐かしく感じるのは、私だけではないだろう!

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・・・・・・・・・・・・・板橋駅付近から真っ直ぐにのびるレール

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⑨東十条駅北口
・・・・・・・・・・昭和6年(1931)、赤羽駅まで京浜線(京浜東北線の前身)が延長された際に下十条駅(しもじゅうじょうえき)として開業。 現在は、中線1本をはさむ、2つの島式ホームで、2面3線の構造となっている地上駅で、改札は南口・北口の2か所あり、ともに橋上駅となっている。・・・・・・・・・駅は武蔵野台地の崖下にあり、板橋方面から来ると、橋上駅に下がるアプローチとなる。

・・・・・・・・・・・・・・駅へ向かう細い路。 突き当りに階段があり、北口へは下って行く。

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・・・・・・・・・・・・・・橋上から眺めたホーム

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・・・・・・・・・・・・・・・中線をはさんで、両側にホームがある。

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2014年12月28日 (日)

池袋~十条

池袋駅から十条駅まで、埼京線沿いに歩いてきた。 1万1千歩、8km


①池袋駅
・・・・・・・・・・JR(山手線、埼京線、湘南新宿ライン)、東京メトロ(丸ノ内線、有楽町線、副都心線)、西武鉄道(池袋線)、東武鉄道(東上線)の、4社8線が乗り入れる、ご存じ、巨大ターミナル。 全乗降客数は一日あたり258万人、年間9億5000万人。・・・・・・・・明治36年(1903)の駅開業時は、“池袋村”に設置された農村の駅で、周囲にはキャバクラ、ストリップ、風俗店などは一切無く、いたって健全な駅であった。 でも、楽しくない人もいたと思うよ!

・・・・・・・・・・・・・今日は、通勤客も少なく、ホームはガラガラ、電車もガラガラ、、、、、駅前もガラガラ。 

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・・・・・・・・・・・・・・・開業時(明治時代)の池袋駅。 今は信じられない、駅前で大根でも収穫できそうな駅だった。

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②豊島区役所
・・・・・・・・・・・昭和36年(1961)に完成した現庁舎は、総工費4億3289万円 総面積13000㎡ 地下1階地上4階の鉄筋コンクリート造で、完成当時は千代田、文京と並ぶ都内最大級の総合庁舎だった。 しかし、現在は老朽化と手狭となり、平成27年(2015)5月7日の新庁舎移転を目指し、現在、南池袋に建設中である。 現庁舎は、平成27年5月1日(金)17時15分をもって閉庁となる。・・・・・・・・・・新庁舎は地上49階建ての超高層ビルで、庁舎は1階から9階まで、11階以上は住宅。 施工は大成建設。 

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③埼京線
・・・・・・・・・・池袋駅の北側で、川越街道跨線橋から埼京線赤羽方を眺める。 写真中央は埼京線。 その右側に山手線の池袋検車区。左側2線は東武東上線。

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④北池袋駅・・・・・・・・・・・東武東上線で、池袋の次の駅。 隣に併走するJR埼京線の池袋~板橋間に位置する。 池袋を出た東武東上線は、当駅を過ぎるとJRと離れ、北西にカーブし下板橋駅に向かう。 昭和20年(1945)には空襲で被災し休止する。 昭和26年(1951)北池袋駅として営業を再開する。

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・・・・・・・・・・・・・・駅前のこちらの踏切は、「あかずの踏切」として有名らしい。 なにせ、写真手前の東上線だけでなく、隣(写真奥)の埼京線の踏切と一体で、踏切の警報音がたえず鳴っている。 ご近所迷惑な踏切だ!

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板橋駅
・・・・・・・・・明治18年(1885)、日本鉄道の駅として開業、池袋駅よりも古い老舗の駅だ。 

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⑥埼京線
・・・・・・・・・・・板橋駅を過ぎ、北区十条台では切通しを通過する。

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⑦東京家政大学
・・・・・・・・・明治14年(1881)、創立者:渡辺辰五郎は「女性に技を身につけ、その技を通して社会的自立を計り、時代の動向を見通していく創造性に富む女性を育てる」ことを目的として裁縫私塾「和洋裁縫伝習所」を本郷に開設した。 明治25年(1892)には、「東京裁縫女学校」と改称。 さらに、昭和に入ると「渡辺女学校」に改称、昭和21年(1946)に東京大空襲で校舎を焼失し、新校地(現:板橋校舎)へ移転した。 昭和24年(1949)には「東京家政大学」と再び改称した。・・・・・・・・・女子に学問は不要と言われていた明治時代に、女子の教育の場を創った渡辺君は偉い! 親しみを感じるね。・・・・・・・・ただし、女学校は散歩で構内には入りにくいところで、カメラを持った助平爺は、守衛さんに必ずマークされる。 今日は年末で学校も休み、守衛さんも怖そうなので、パスすることにした。

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十条駅・・・・・・・・・・明治38年(1905)、日本鉄道の十条駅として開業。 最初は貨物駅として開業し、東京砲兵工廠に発着する貨物を取り扱っていた。 明治43年(1910)には、旅客営業の十条駅が開業した。 駅の改札は、駅前ロータリーのある北口(表玄関)と、路地裏の南口(勝手口)がある。 本日は勝手口から入場することにした。

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2014年12月12日 (金)

ときわ台

我が家を出たときは、『たまには池袋でも行ってみるか』の気分で外出。 池袋に近づくと、『たまには東上線でも乗ってみるか』の気分で乗車。 東上線に乗ると、『久しぶりにときわ台で下車してみるか』と駅前に立つ。 古い駅を見て、駅前に立つと、『歩いたことのない上板橋駅方向に向かってみるか』と歩き出す。 途中で教会を拝見し、上板橋近くの公園に、園内で板橋区の史跡案内板を見て、「高射砲陣地跡」の文字が目に入り、『よし近くにあるようだ見に行こう! 場所はどこだ?』。 これが、“間違いの素”。 地元の人に場所を尋ねても、誰も知らず、そうこうするうち、道の方角も???、、、、アレレ、出てきたところは“常盤台2丁目”、、、、、「高射砲」はあきらめて、常盤台の町歩き、下車したときわ台駅から帰宅。 1万歩、8kmの散歩。 、、、、、、 帰宅後、「高射砲陣地跡」を調べてみたら、ナント!案内板が設置されていた公園が高射砲陣地跡であった。 それらしき、碑・表示もないので、まさに『灯台下暗し』。 地元の人も、区の職員も知らないのだ!



①ときわ台駅
・・・・・・・・・・・・池袋から東武東上線で5つめの「ときわ台駅」は、昭和10年(1935)に「武蔵常盤駅」として開業した。 昭和26年(1951)に駅名を「ときわ台」に改称。 開業時からの駅舎は、青い洋瓦に白壁の瀟洒なもので、小駅としては特徴的な建築である。 東武鉄道は田園調布に並ぶ高級住宅街を目指し、駅舎にも金をかけ、開発に取り組んだ意気込みの表れであろう。 駅前はロータリーがあり、駅を中心とした放射状・同心円状の街路があるところなどは、田園調布駅と同じである。 駅前を歩く女性も、一部を除き、洗練された美人にみえた。

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②常盤台バプテスト教会・・・・・・・・・・・・ときわ台駅から西へ向かうと、建て直されて25年程経過した教会がある。 会堂ではクリスマス行事のため、讃美歌のピアノ演奏の練習が行われていた。 牧師さんは付属幼稚園の朝のお出迎えで、忙しそうだ。

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③平和公園
・・・・・・・・・上板橋駅に近い常盤台4丁目にある公園。 ここは、旧東京教育大学の寄宿舎の跡地で、板橋区が平和都市宣言をしたことに因み名称を「板橋区平和公園」とし、昭和61年(1986)に開園した。 第二次大戦中には、ここに陸軍高射砲陣地が築かれていた、今はその面影を示すものは何もなく、核兵器の廃絶と世界の恒久平和を願うモニュメントが、公園の片隅にあるだけだ。 陸軍高射砲陣地の跡であることぐらい、どこかに明示してほしいね!

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④常盤台高級住宅地・・・・・・・・・・大正時代後期から昭和初期にかけ、不動産会社・鉄道会社による私鉄による郊外住宅地の分譲が次々に行われた。 渋沢栄一による田園調布の開発などである。 常盤台は東武鉄道により、鉄道開通の翌年:昭和11年(1936)から2期に分け開発分譲された。 おおむね現在の常盤台1丁目と2丁目である。 分譲区画は全部で591、433の住宅地は1区画100~120坪で、坪当たり20~35円で売り出された。・・・・・・・・・町では、住宅地のイメージを守るため、無機質に壁のようにそそり立つ高層マンションなどが建たないように、平成19年(2007)「ときわ台景観ガイドライン」が制定された。 たしかに、この街には高層マンションやコンビニなどは少ない。 

・・・・・・・・・・・・・住宅地の中を同心円状に周る、開発当初から設計された散歩道「プロムナード」。 プロムナードに沿って歩くと、この街に住みたくなるね!

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・・・・・・・・・・・・・・自動車が住宅地の中を通過する機会を少なくするため、行き止まり形式で、端部には円形の植栽された転回部分「クルドサック」が造られている。

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・・・・・・・・・・・・・・常盤台の住宅・・・・・・・・分譲当初に建てられた住宅もある

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⑤帝都幼稚園・・・・・・・・・・・昭和11年、常盤台の分譲に合わせ、帝都学園女学校として開校した。 昭和21年、女学校は火災で焼失し、昭和26年廃校となる。 その後に帝都幼稚園として開園し、現在に至っている。・・・・・・・・・・黄色の門柱は、昭和30年に卒業生により寄付されたもの。 下見板貼り薄緑の建物は昭和21年の火災で焼失を免れた校舎である。 チョイト、ボロくなった建物だが、元気な園児には関係ないようだ!

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