墨田区

2019年9月 6日 (金)

新装開店の閘門

先日、荒川ロックゲートという閘門を見てきた、今日は小名木川にある扇橋閘門を見てきた。 JR総武線錦糸町駅から歩いて扇橋閘門へ行き、じっくり見た後は、暑さに負けバスで錦糸町へ戻り帰宅。 9千歩




●錦糸町は牛乳の産地! ・・・・・・・明治27年(1894)12月9日に総武鉄道(私鉄)の本所駅として開業。 明治40年(1907)に国有化。 大正4年(1915)に錦糸町駅に改称。 島式ホーム2面4線の高架駅で、現在は両国駅をしのぐターミナル駅。、、、、私の知る、昭和30年代の錦糸町駅は木造駅舎の地上駅で、ホーム北側には留置線などがあり、その北側には駄菓子問屋、花火・玩具問屋があったように記憶している。 現在の北口ロータリー周辺のこと。 南口には江東楽天地と映画館街(洋画に邦画、チャンバラ、西部劇、ピンク、何でもあった)があり、都電も走っていた、半世紀前の古い話だ。 昭和36年(1961)には、南口に駅ビルテルミナが開業した。

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・・・・・・・・・・・・・・南口駅前のバス乗り場の中に、明治から大正に活躍した歌人で、小説『野菊の墓』の作者:伊藤佐千夫が搾乳業を営んだ「伊藤左千夫牧舎兼住居跡 」の説明板がある。、、、、伊藤左千夫は、元治元年に上総国武射郡殿台村(現:千葉県山武市)の農家の四男として生まれた。 18歳の時上京して明治法律学校(明治大学:私の先輩になる)に入学したが、眼病のため中退し農業に従事した。 22歳の時再び上京、神田の牛乳店に勤めた。 その後、26歳のとき、この地に牧舎つき住居を購入して独立、牛乳搾取業を始めたそうだ。 30歳で、同業の伊藤並根に茶の湯、短歌を学ぶ。 明治33年正岡子規の門に入り、作歌に励みます。 子規歿後は、根岸派の機関誌『馬酔木』『アララギ』により活発に作歌を続け、多くの著名な歌人を育てた。 大正2年(1913)転居先の江東区大島で脳溢血のため急逝した、享年50歳。、、、、この地で搾乳していたなんて、想像できないね!  もし、今でも牧場を持っていれば、凄い大地主だ。

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●牡丹は散った! ・・・・・・錦糸町駅前から南に歩き、首都高7号小松川線の下に、埋め戻され公園・駐輪場となった堅川に架かっていた牡丹橋の親柱が残されている。、、、、ここに架かっていた牡丹橋は長さ35.29m、幅員11.00mの鋼橋(3径間鋼板ゲルバー指橋)で、関東大震災の復興事業により、昭和4年(1929)に架けられた。 橋名は橋の南側にあった「牡丹園」に由来する。 牡丹園は明治にオープンした、季節になると花を観ようと多くの見物客で賑わったそうだ。 関東大震災で焼失し、その名だけを橋名にとどめた。 粋な名の橋だが、その姿は無く、川も暗渠となり、チョイト寂しいね!

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・・・・・・・・・・・・・・旧牡丹橋が架かっていた牡丹橋通り(錦糸町駅前から新大橋通りまで南北に伸びる道路)は、振り返り北を見るとスカイツリーが道路の先によく見える!

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●薬師寺の聖観音? ・・・・・・・牡丹橋通りがぶつかる新大橋通りを横断し、さらに南へ向かい小松橋通りを歩く。 江東区猿江1丁目で重願寺前に出る。 重願寺浄土宗寺院で不虚山当知院と号す。 天正18年(1590)千葉邦胤の娘、不虚大禅尼によって日本橋郡代屋敷に草創、寛永6年(1629)本蓮社願譽是哲上人が開山した。 寛政7年(1795)に現在地の猿江に移転した。、、、、ここの山門の柱は、奈良の薬師寺の講堂に使用されていた木材で作られているそうだ。 平成16年(2004)の建立という新しいもの。、、、、本堂は鉄筋コンクリート造りの2階建てのビルで、平成29年(2017)に竣工した。

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・・・・・・・・・・・・・・本堂左に立つ「みまもり観音」は、関東大震災や東京大空襲などで殉難された多くの人々の冥福を祈り、天災や戦争のもたらす悲惨さと平和の尊さを後世に伝えるため、檀信徒をはじめ、猿江地区6ヶ町内有志を中心に、昭和56年(1981)造立された。、、、、「みまもり観音」の名称には、観音の限りない大慈悲によって亡き人々、いま生きる我々を日々に「見守り給え」という祈りが込められているそうだ。 その像は、奈良薬師寺東院堂の本尊である国宝「聖観音像」を原型に拝借、実写して二・二倍にして鋳造された。 つまりは、奈良に行かずとも聖観音像が拝める

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●化粧直しした閘門 ・・・・・・・重願寺から南へ200m程、小名木川に架かる小松橋に出る。 小松橋と西側の新扇橋の間に、今日の散歩の目的地、橋閘門がある。 次の写真は、2014年1月の扇橋閘門。 (昨年、小松橋、新扇橋、扇橋閘門について、こちらで説明している)


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・・・・・・・・・・・・・・・新装開店の扇橋閘門。 今年の春、姿を現した耐震補強工事が完了した扇橋閘門。 取付護岸の補強工事が終わり、閘門の支柱は鉄筋補強され、ゲートは新品に交換、上部の機械室はシースルーのスケスケ、管理棟は耐震補強し綺麗になった外装。

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●暑い暑い! ・・・・・・扇橋閘門に着いた頃は、気温は30℃を超え、汗びっしょり。 パンツの中も汗でムレムレ。 熱中症が恐くなり、閘門を見たら帰ることにした。、、、、扇橋一丁目バス停から錦糸町駅行で帰路につく。

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2019年8月15日 (木)

貨物も計画運休?

台風10号は九州と四国の間を器用にすり抜け、山口県岩国付近に上陸したそうだ。 大きな強風域で東京にも影響があると思われるが、天気予報では午前中は雨も降らず、どうにか散歩もできそうな空模様。 南千住駅から歩きはじめ、水神大橋で隅田川を越え、東武の鐘ヶ淵駅前を通り、京成曳舟駅まで、1万4千歩の散歩です。




●頑張れ、都バス! ・・・・・・我が家のある浅草橋駅前をとおる都電(市電)は、大正時代から運行されていた。 大正初期には南千住~雷門間の運転だったが、大正10年頃に南千住~浅草~浅草橋~本石町(現:本町三丁目)~日本橋~銀座四丁目~新橋~芝橋(現:東京港口)まで延伸された。 戦時中は南千住~新橋間に短縮され、昭和20年4月には東京大空襲の影響で、さらに南千住~浅草橋・日本橋間に短縮された。 しかし、2か月後の6月には南千住~新橋間が復活した。 戦後は昭和42年(1967)まで、南千住~新橋間を都電22系統として運行していたが残念なことに都電廃止となった。 その代替バスとして、新橋~銀座間は切り捨て、南千住~日本橋~東京駅八重洲口間に都バス[東42甲]が運行された。 以来約50年、バス路線は大きくは変わらず運行されている。 市電時代から数えると約100年間、南千住~浅草橋~日本橋間には、市電・都電・都バスが住民の足として走ってきたことになる。、、、、乗客の減った都バスは、いつまで走り続けることができるのか? 私が敬老パスを利用している間は、頑張って欲しいね。

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貨物駅は、盆休み?計画運休? ・・・・・・JR南千住駅の東側に広がる、JR貨物とJR東日本が所管する貨物専用の隅田川駅。 いつもは、機関車の汽笛が聞こえ、貨車の入れ替え作業が見られ、コンテナを運ぶトラックが行き交い、フォークリフトがチョコマカ動いているのだが、全ては静寂の中にあり、整然と置かれている、動くものが見えない! 貨物駅も盆休みか? それとも、台風による計画運休か?

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●サバサバした味気ない町! ・・・・・・隅田川駅とその北から東へ流れる隅田川の間に、総面積約49ヘクタールの再開発地域:「汐入地区」がある。 かつて、1500世帯が住んでいた木造家屋の密集する街をいったん壊し、平成の時代にスーパー堤防を備えた災害に強い、タワーマンション等が並ぶ、新しい都市へ生まれ変わった。 町の中央には防災拠点として汐入公園が造られ、災害時には12万人を収容できる広域避難場所でもある。、、、、近代的でカッコイイ町か? 私は、路地裏のない、この手の町には住みたくないね!

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●荒川区にトンネルがある! ・・・・・・・荒川区汐入地区と隅田川を挟み対岸の墨田区東白鬚地区(両地区とも防災拠点)を結び水神大橋がある。 この橋の西詰(汐入地区)に、胡録トンネルと瑞光トンネルの2つのトンネルがある。 共に、汐入地区のスーパー堤防の下を走る都道314号のトンネル。 半円形の断面の胡禄トンネルは全長150m、矩形断面の瑞光トンネルは全長80m。、、、、荒川区にトンネルがあるのを知る人は少ないと思う。 コリャ、クイズになるね!  

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●旧防潮堤は華奢だった! ・・・・・・・水神大橋(すいじんおおはし)は、隅田川にかかる東京都道461号吾妻橋伊興町線支線の橋。 西岸は荒川区南千住八丁目(汐入地区)、東岸は墨田区堤通二丁目(東白鬚地区)。 橋は東岸にある「隅田川神社(水神宮)」に因み命名された。 竣工は平成元年(1989)。 形式は3径間連続ニールセンローゼ桁橋、橋長157.0m、幅員17.0m。 この橋は、組み立てを陸上で行い、橋桁を台船に乗せて干満の差を利用して橋脚に乗せるという工法を採用した。、、、、面白い工法での工事、見たかった! 

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・・・・・・・・・・・・・・水神大橋から下流を望む
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・・・・・・・・・・・・・・橋の下、スーパー堤防に残されている「隅田川旧防潮堤」、、、、昭和32年から昭和50年にかけて造られた防潮堤の一部が残されている。 周りのスーパー堤防と比較すると、高さは数メータ低く、堤防としては華奢に感じる。
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●盆休みの商店街! ・・・・・・・水神大橋を渡ると、防災拠点でもある白鬚東アパートがある。 ここから、東武伊勢崎線鐘ヶ淵駅前を通り、シャッターの下りた商店街を抜け、京成押上線八広駅付近の水戸街道(国道6号)に出る。、、、、この間はコチラを見てね!

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●高架になって早や6年! ・・・・・水戸街道からは京成押上線の高架下を歩き京成曳舟駅に出る。、、、、京成曳舟駅は、6年前の平成13年8月24日に初めて上り線が高架駅となった。 下り線は2年後の平成15年8月22日に高架となる。、、、、駅周辺には民家が密集しゴチャゴチャした雰囲気があった地上駅の頃が懐かしく感じるね!

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2019年8月13日 (火)

宵の亀戸線

猛暑は続き、日中は外出も嫌になり、今日は夜の散歩にした。 東武鉄道亀戸線の亀戸駅から曳舟駅まで亀戸線に乗り曳舟駅で下車し、線路沿いに亀戸駅まで歩いてきた。 汗だくの1万1千歩。、、、、このコースの散歩は個人的に好きで、日中に歩いたブログはコチラを見てね!



●都心のローカル線で出発! ・・・・・・・・・・まずは、夕暮れの亀戸駅。、、、、2両連結の電車が、10分間隔で走っているが、亀戸駅を出る頃には空いた座席は無し。 盆休み期間中にもかかわらず、通勤客が多いね。 

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●8分で終点! ・・・・・・・亀戸駅から4駅目、所要時間8分、終点曳舟駅に到着、折り返し亀戸行となるワンマンカー。 亀戸線ホームは2両分だけの短いホーム。
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●下町の軒先を走り抜ける! ・・・・・スカイツリーが見下ろす、木造住宅の密集した墨田区京島地区を走り抜ける亀戸線。 下町の「キラキラ橘商店街」も店仕舞いし買い物客の姿はない。

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●ポッンと都会に一駅! ・・・・・・曳舟駅の隣り小村井駅(おむらいえき)、、、、江戸時代からこの辺りは小村井村と称していたことに由来する駅名。 駅は明治通りに面しているが、大きな商業施設はなく、周辺は暗く、静かだ!

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●もう着いた! ・・・・・・次の東あずま駅までは600m、線路沿いに歩けば近い!、、、、途中の踏切りも2カ所だけ。

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●ローカル線のローカル駅! ・・・・・・東あずま駅は、付近一帯の地名:吾嬬(あづま)に由来する。 しかし駅名は“東あづま”ではなく“東あずま”、理由は不明。 駅は都道476号(丸八通り)に面する。、、、、一日の乗降客が8,000人に満たない小さな駅。

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●家路に急ぐ! ・・・・・・次の駅:亀戸水神駅に向かう。、、、、東あずま駅から立花団地へ帰る人、、、、静かな丸八通り、、、、蔵前橋通りの跨線橋から見る亀戸線

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●天神にあらず水神! ・・・・・・駅名そのまま亀戸水神駅亀戸水神宮の最寄り駅。 駅は亀戸駅から700m程の距離である。、、、、一日の平均乗降客は約4000人で、都内ではワースト5に入る都心のローカル駅。

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●亀戸の明かり ・・・・・終点の亀戸に向かう。、、、亀戸線は踏切が多い、、、、踏切を渡るつとその先にはJR総武線のガード、、、、線路の先に亀戸駅の明かりが見える

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●散歩の起点は散歩の終点! ・・・・・亀戸駅に戻った!

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2019年3月10日 (日)

期待はずれた富士の山

暖かな散歩日和、夫婦で我が家(浅草橋)から、両国の「すみだ北斎美術館」に寄って、錦糸町駅まで歩いてきた。
 
 
 
●花曇りには早いかな? ・・・・・・・・・・・・午前中は晴れていたが、午後になるとチョイトどんより曇ってきた。 まだ、雨の心配はいらないようだ! 柳橋両国橋を渡り、両国に向かう。、、、、孫の話、食の話で、夫婦仲良く散歩。 両国橋東詰めの老舗:「山くじら もゝんじゃ」も話題の一つ。
 
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●猫も鼠も回向院 ・・・・・・回向院前、チョックラ鼠小僧に御挨拶して行こう!、、、、回向院には、ペットを弔う施設もあり、彼岸前にペットの法事に来たのか、参拝する人の多いこと。、、、、、「彼岸参りに 先祖を飛ばし 愛犬供養に 花手向け」、てな事なきように!
 
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●似て非なる“網”と“綱” ・・・・・・・・・・回向院から両国駅 前をとおり、国技館の手前を入り、江戸東京博物館、徳川家康公銅像前をブラブラ。、、、、これらが建つのは、墨田区横網町(よこあみちょう)。 相撲の町なので“網”(あみ)を“綱”(つな)と間違え、“横綱町”(よこづなちょう)と言う人が多いそうだ。 町名の謂れは不明だが歴史ある町名で、“横綱町”に変更する意思は、町民も区も、断固としてないそうだ。
 
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●富士は見られず、猿、猫、蛙 ・・・・・・・・・・・・江戸東京博物館前から東へのびる「北斎通り」。 その途中に、「すみだ北斎美術館」がある。 今日の散歩の目的地。、、、、本日の出し物は、「北斎アニマルズ」と称し、北斎とその門人が動物・玩具・物語などを図鑑的に描いたものが展示されていた。、、、、、「富嶽三十六景」(全46図)が見られることを期待して行ったが、残念なことに目的は達成できず! またの機会に期待することにした。
 
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●散歩の後は甘い一刻 ・・・・・・・・・・・錦糸町に出て、ひと休み、秘密! 

2019年2月16日 (土)

亀戸の梅屋敷

総武線亀戸駅から、亀戸水神、亀戸天神、亀戸香取神社、吾嬬神社、小村井香取神社と巡り、東武亀戸線小村井駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
●天神様の駅 ・・・・・・・今日は土曜日、通勤客も少なく、早朝に下車する人もまばらだ。、、、、明治37年(1904)3月29日1904、総武鉄道の駅として開業。 駅の歴史を語るようなものは、なにも見つけられないが古株の駅である。、、、いつも改札前で売っている「くず餅」の売店も、まで出てない。 帰りに、寄ってみよう!
 
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●“お水”の神 ・・・・・・・まずは、東武亀戸線 の駅名となった亀戸水神へ参る。 JR亀戸駅から北東に700m程の処に鎮座する水神さまで、社号は「亀戸水神宮」。、、、、亀戸水神宮の創建は古く、室町幕府十二代将軍足利義晴の治世の頃(1521~1546)と推定されている。 土民が水害から免れん為の祈願として、大和国吉野の丹生川上神社から勧請したもので、祭神は弥都波能売神(ミズハノメノカミ)という水を司る女神。、、、、艶めかしい“お水”の神様ではない。 間違えないで! でも、キャバ嬢姿の女神がいたら神社に詣でる人も増えるかもね!
 
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・・・・・・・・・・・・・神社に隣接して、城東署の「水神森地域安全センター」(旧交番)がある。 この建物は木造で、昭和初期に建てられたものかも?
 
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●蘇った亀戸梅屋敷 ・・・・・・・・亀戸駅前の明治通りと、亀戸天神前の蔵前橋通りが交差する亀戸四丁目交差点角に、「亀戸梅屋敷」がある。、、、、浮世絵師・歌川広重が描いたこともある江戸時代の亀戸に実在した梅屋敷は現存しない。 平成の世に、当時の亀戸梅屋敷をモチーフにして、観光案内所や物産店、江戸切子ギャラリー、寄席等をミックスした観光施設「亀戸梅屋敷」が作られた。
 
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・・・・・・・・・・・・・【補足】 江戸時代初期、亀戸天神の北東に大きな梅園があった。 ここには、「清香庵」と評する屋敷があり、一般に「梅屋敷」と呼ばれていたそうだ。 明治43年(1910)の洪水と工場の排煙などから梅の大部分が枯れてしまい、廃園となった。 その跡地に小さな梅屋敷伏見稲荷神社(亀戸3)が残っている。、、、、(今日の散歩では寄らなかったので、2016/1/4撮影の写真で代用)
 
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●思ったほど、ウメの木はなかった! ・・・・・・・・・・・“ウメ”と云えば“天神さま”。 そこで、亀戸天神周辺の商店街は「梅まつり」のポスター、旗で集客中。 
 
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・・・・・・・・・・・・・雅万歩も梅の香に誘われ、亀戸天神 へ、スタコラ・サッサ・ホイ・サッサとやってきた。 
 
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・・・・・・・・・・・・・太鼓橋の上から境内を眺め、『アレ、なんか変だ? “天神様”なので“ウメ”の花が境内を埋めているはずだが?』 期待した程にウメの木はなく、境内は藤棚ばかりだ!、、、、何度も来ていた境内、ウメの木がこんなに少ないとは、今日初めて気がついた。、、、、ウメの木は境内に300本程あるそうだが、木には大小あり、まだ花をつけていない木もあり、境内の広さに比べ寂しいものだ!
 
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・・・・・・・・・・・・・天神さまに手を合わせ、拝殿に置かれた大宰府の梅を観賞する。
 
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・・・・・・・・・・・・・境内のウメを観て行こう!
 
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●梅は咲いたが 桜はまだかいな ・・・・・・・・・・・次は、亀戸天神の東側に鎮座する亀戸香取神社 。 蔵前橋通りから入る参道は昭和レトロな看板建築でおもてなし。、、、、こちらは、“ウメ”の木はなく、“サクラ”がお勧め。 特に、参道には数種の八重桜が咲き乱れ、なかには黄緑色の花を咲かせる「鬱金」もある。、、、、4月になったら出直そう!
 
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●可愛い狛犬 ・・・・・・・・・・・・香取神社から北へ、北十間川を越え墨田区に入ると、川に面し「吾嬬神社」(墨田区立花1)がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・吾嬬神社は、日本武尊東征の際に相模から上総へ渡ろうとして暴風に遭い、弟橘媛が身を海に投じて暴風を鎮めたことから、日本武尊は当時浮き洲であった当地に上陸できたものの、弟橘媛は行方知れずとなり、弟橘媛の御召物がこの地の磯辺に漂い着いたので、これを築山に納めて吾嬬大権現として崇めたのが始まりだそうだ。 後、弟橘媛を慕って正治2年(1200)宇穂積臣の末葉、鈴木・遠山・井出の三家が吾妻権現として社殿を造営した。 当地名立花は、この弟橘(立花)媛の言い伝えにより命名されたと言われている。、、、、拝殿は鉄筋コンクリート造、、、、、本殿前の小さな狛犬は安永2年(1773)の作。 この狛犬、小さくて持ち運びしやすく、かつ古く、古物商が狙いそうだ。 仏像の盗難が多い御時世、要注意! 
 
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●ウメも好き 若い娘はもっと好き ・・・・・・・・「花王東京工場」の北側(墨田区文化2)に「小村井香取神社」がある。 小村井香取神社は、永萬元年(1165)の葛西御厨の文書などに鎮守村名が記載されていることから、平安時代末期に千葉県香取郡から移住・開拓した人々の氏神として創建したといわれている。 江戸時代には、東隣に作られた小村井梅園が盛況で、将軍家の御成りもあったといいますが、明治43年の大水で廃園となりました。、、、、ここも梅園の跡地であり、梅屋敷があった処だ。、、、、平成6年(1994)、往時を偲び、境内に120本のウメの木を植え「香梅園」と名付け開園した。、、、、今日は、その香梅園の梅まつりの開催日。 地元名士(?)が集まり、若い娘の親善大使も参加して、セレモニーの真最中。
 
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・・・・・・・・・・・・・香梅園は小さな庭園。 ウメの木120本は本当か?
 
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・・・・・・・・・・・・・神社の前で、な・なんと、「ミゼット」だ! 昭和32年(1957)~昭和47年(1972)まで、販売されていた小型三輪自動車。、、、、大村崑が演じる、懐かしいミゼットのコマーシャルを思い出した。 崑ちゃんが何度も繰り返す、「ミゼット」、「ミゼット」、、、、、
 
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●下町の駅 ・・・・・・・小村井駅(おむらいえき)は、東武鉄道亀戸線の駅。 相対式ホーム2面2線の地上駅だが、駅舎は曳舟方面ホームの東あずま寄りにあるだけ、上下線ホーム間を連絡する地下通路が設置されている。 昭和3年(1928)4月15日開業。、、、亀戸駅に着いたら、“くず餅”買うの忘れないように!
 
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2019年2月 2日 (土)

6車線の京葉道路

我が家(浅草橋)から、両国橋を渡り、錦糸町でJRA場外馬券売り場を覗き、亀戸駅まで、1万3千歩の散歩です。
 
 
 
●まずは隅田川を越える ・・・・・・・・中央区と墨田区を結ぶ両国橋を渡る。
 
・・・・・・・・・・・・・・京葉道路は浅草橋交差点から始まる。 
 
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・・・・・・・・・・・・・両国橋は、明暦の大火(1657)の大惨事を教訓に万治2年(1659)に、隅田川に架けられた橋。、、、、現在の橋は、昭和7年(1932)に架けられた。 大きな球形がついた親柱は両国橋のシンボル。
 
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・・・・・・・・・・・・・橋の東詰(墨田区両国)には、向島の俳諧師:宝井其角の弟子であった赤穂浪士の一人:大高源吾の句 「日の恩やたちまちくだく厚氷」の碑がある。 この句は討ち入りの夜、師匠宝井其角に両国橋で出会い詠んだものといわれている。、、、、道端で出会い、サッと句を詠むなんて、私にはできない。 カッコいいね!
 
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・・・・・・・・・・・・・大高源吾の句碑の後ろには、大きな忠魂碑。 こちらは、明治37年・38年の戦役での戦病死者、すなわち日露戦争でご出征し、護国の為に身命を捧げられた英霊に、陸軍元帥大山巌筆による表忠碑。、、、、大きく、立派な碑だ。
 
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●早く広げて!・・・・・・・・・両国橋を渡ると、ここから錦糸町の江東橋までは、京葉道路は4車線道路である。 現在、東京国道事務所では6車線に拡幅することが計画されている。 地元への説明会なども実施されているようだ。 高架として、混雑の緩和、安全の確保、緊急輸送道路の確保などが見込まれている。、、、、この都市計画が決定したのは、雅万歩の生まれる前の昭和21年(1946)3月だった。 70余年、経過した!
 
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・・・・・・・・・・・・・京葉道路の歩道上(両国3)に、「本所松坂町址」の碑が建っている。 元来この辺りは、あの吉良邸があったところである。 関東大震災後の区画整理により町名が変更された。この碑は近世史上著名の地「松坂町」を偲んで、昭和7年に建立された。
 
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・・・・・・・・・・・・・京葉道路の両側は建物も新しくなり、歴史を語るものは見あたらない。
 
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●ここからは6車線!・・・・・・・・・・・・・ 江東橋は京葉道路(国道)に架かる橋で、この橋からは6車線となり幅(35m)も広く、橋の長さ(20.8m)に対し倍近くある。 明治31年(1898)創架で、現在の橋は平成8年(1996)に架け替えられた新しい橋だ。、、、、橋の下を流れる大横川は暗渠化され、現在はスカイツリーが眺められる大横川親水公園となっている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・6車線となった京葉道路。
 
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・・・・・・・・・・・・・・江東橋の東詰に、明治34年(1901)創立の名門:都立両国高校がある。 作家:芥川龍之介の母校。、、、、両国高校の一画に、「国産マッチ発祥の地」と刻まれた 御影石の記念碑がある。 石川県金沢出身の 清水誠はフランス留学から帰国後、明治9年(1876)に, この地に「新燧社」を設立し、本格的にマッチの製造を始めた。 2年後には我が国始めての輸出が行われ、太平洋戦争前まで続いた。、、、、今は、マッチが使い捨てライターに変わり、チャッカマンに変わり、お目にかかることがまれとなった。
 
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●IT化された! ・・・・・・・・錦糸町駅前のJRA。 チョックラ、朝の場外馬券売り場を覗いてみた。 競馬を止めて50年、馬券の買い方も変わり、面白そうだ! やってみたくなるね。
 
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●工場が消えた! ・・・・・・・・・・・・錦糸町駅前から、亀戸へ向かう。、、、、この辺り、かつては鉄工場などが並ぶ工場地帯だった。 今や近代邸なビルとマンションが並び、世も変わった!
 
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●時代ごとに変わる! ・・・・・・・・・・亀戸駅前を通り過ぎ、京葉道路の南側、昭和の時代には第二精工舎の工場があったところ。 平成になり、ショッピングセンター「サンストリート亀戸」に変わり。 次の時代は、25階建ての住居棟と6階建ての商業棟ができるそうだ。 (写真:左側の工事現場)
 
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●今日のお帰りは? ・・・・・・・・・・・・亀戸駅の“勝手口”(正式には東口)から。
 
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2019年1月14日 (月)

スカイツリーの足下、曳舟川通り

曳舟川(ひきふねがわ)は、徳川幕府が本所開拓に伴う上水として、明暦3年(1657)の大火(振袖火事)の後、万治2年(1659)に開削したもの。 当時は、本所上水、亀有上水などと呼ばれ、瓦曾根(越谷市)の溜井から分水して、亀有から四ツ木をへて本所と深川の各地に飲料水として配水されたそうだ。 その後、業平橋以南の曳舟川は埋め立てられ、小梅村(墨田区)から亀有村(葛飾区)に至る約7.4kmは、通船運河として改修された。 この川が「曳舟川」と呼ばれるようになったのは、「ザッパコ」と呼ばれる田舟のような舟に旅人を乗せ、岸から引かせたことによるものだ。 明治期になると、人力車なども横行し、曳舟の様子も変わってきた。 明治末期には、荒川放水路(現:荒川)の開削工事により、墨田区側と葛飾区側に分断された。 そして、大正期の震災に遭い、川は流域の都市化とともに汚れ、悪臭、蚊・ハエの発生源となる。 両側の幅6mの道路の間を流れる、川幅5.5mの曳舟川も、戦後になると暗渠化された。 墨田区側は幅18mの立派な舗装道路となり「曳舟川通り」と命名した。 荒川には「新四つ木橋」が架かり、曳舟通りと共に水戸街道のバイパス的役割を担っている。 葛飾区側は暗渠の上に「曳舟川親水公園」を造り、四つ木からお花茶屋・亀有まで伸びる長~い親水公園となっている。
 
今日の散歩は、本所吾妻橋駅から、曳舟川通りを歩き曳舟川親水公園の入口まで行き、四ツ木駅から帰宅した。 1万3千歩
 
 
 
●雅万歩の通った駅・・・・・・・・・都営地下鉄浅草線の本所吾妻橋駅は、東京スカイツリーの西側(墨田区吾妻橋)に位置する。 昭和35年(1960)12月4日に開業した、相対式2面2線の地下駅。、、、、雅万歩が大学生の頃、家庭教師として通っていた駅である。 この辺りは結構詳しかったのだが、いつの間にか時代も変わり、私が知る店・住宅はマンションに変わってしまった。 
 
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●曳舟川通りを行く・・・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・まずは、東武伊勢崎線の「とうきょうスカイツリー駅」に仁義を切って!、、、、、この駅、スカイツリーができる前までは「吾妻橋」、「浅草」、「業平橋」と、3回も名を変えていた。 今は、シャレた名前で出ています。 特急も停まる駅となり、お客の指名も増えました。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅のとなりのスカイツリー
 
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・・・・・・・・・・・・・ときょうスカイツリー駅の北側、交差点の角に曳舟川由来碑がる。 この交差点から曳舟川通りは新四ツ木橋へのびて行く。、、、、けして古い石碑ではない、平成5年(1993)に地元墨田区が建てたもの。 曳舟川の由来とこの辺りの昔の地名「小梅」の由来が述べられている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・曳舟川由来碑がある一画に、都営住宅の押上二丁目アパートがある。 昭和45年(1970)以降に建てられた161戸の団地である。、、、、団地の前はとうきょうスカイツリー駅、さらにその隣にスカイツリー。 スカイツリーから立ち小便をされたら、もろに当たりそうな団地だ。 展望台はガラス窓がシッカリ閉められていて、ヨカッタ!
 
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・・・・・・・・・・・・・続いてその先(押上2-12)にあるセントル中之郷は、日本最初の近代的アパート「同潤会中之郷アパートメント」の跡地に、昭和65年(1990)に建てられた。、、、、震災後の東京の各地に建てられた同潤会アパートの一つ。 鉄筋コンクリート造の建物は、上野下アパート を最後に全て取り壊された。
 
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・・・・・・・・・・・・・・そのセントル中之郷の前に、同潤会建築もどきの建物「墨田民主商工会」がある。 おそらく、戦前の建築と思われる木造の看板建築だが、正面の柱のデザインはチョイト味があるね!、、、、正面の玄関ポストに「移転しました入れないでください」の貼り紙があった。 取り壊しか? また一つ、昭和の建築が消えるのか?
 
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・・・・・・・・・・・・・・東向島4丁目付近の曳舟川通り。 奥のタワーマンションは、東武亀戸線と京成押上線が交差する地点にたつ「イーストコア曳舟」(墨田区京島1)。
 
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・・・・・・・・・・・・・・応仁2年(1468)の創立と伝えられる高木神社(押上2)、昔は第六天社と称した、旧寺島村大字新田の鎮守。 明治15年村社に列格した。 祭神は、男女の「むすび」を象徴する神として、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)である。 縁結びの神として、絵馬は“おむすび”形である。、、、、社殿は昭和42年に鉄筋コンクリート造で建て替えられた。
 
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・・・・・・・・・・・・・東武伊勢崎線の曳舟駅 前を歩く。 駅前の東京曳舟病院の1階は通り抜けができ、駅の改札、改札挟んで反対側の西口に行くことができる。
 
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・・・・・・・・・・・・・歩いてきた道を振り返ってみると、スカイツリーが良く見える。 ここは京島1丁目、曳舟文化センター前。 
 
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・・・・・・・・・・・・・明治通りを越え、左は東向島6丁目・右は八広1丁目の町に入る。 でも、特に変わったこともない。
 
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・・・・・・・・・・・・・・交差点角の喫茶店に置かれていたサボテンに心惹かれ、しばし眺める。  「吹雪柱」という名のサボテンらしい。 なんだか、見る人の見方、意識によって、動物のようにも見え、人体の一部のようにも見え、手に持ってコチョコチョしたくもなり、イロイロ頭の中で連想してしまった。
 
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・・・・・・・・・・・・・・東向島6丁目の長浦神社では、成人式の晴れ着で両親と参拝する姿が見られた。 いいね!、、、、、長浦神社の創建年代は不詳だが、第六天社として創建し、明治維新後地名より長浦神社と改称したといわれている。 祭神は神皇産霊神、登由宇気神。
 
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・・・・・・・・・・・・・そろそろ曳舟川通りの終点。 交差点の先に新四ツ木橋が見える。
 
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●渡れば葛飾区・・・・・・・・・・墨田区八広と葛飾区東四つ木を結び、荒川に架かる新四ツ木橋。 昭和27年(1952)にそれまでの木橋に変わり、新四ツ木橋(現在の四ツ木橋)が永久橋として開通した。 しかし、橋の前後で慢性的に渋滞が発生したことから、曳舟川通りを延長する形で国道6号に平行して新橋「新々四ツ木橋」(現在の新四ツ木橋)を建設した。 昭和48年(1973)に竣工し、供用を開始し。 全長547.8mの鋼連続箱桁橋。
 
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・・・・・・・・・・・・・・下流側には京成押上線の荒川橋梁が架かる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・上流側には、四ツ木橋が架かり、水戸街道(=国道6号)と並行する。
 
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・・・・・・・・・・・・・新四ツ木橋を渡り、水戸街道と合流すると、スグ、その先で道路は分岐する。 直進(写真右側)するのは水戸街道、左側に分岐するのは「曳舟川親水公園」のある道路で、亀有方面に向かう。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・・四ツ木駅 から、『おひとり様 お帰りです~』
 
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2018年12月28日 (金)

年末寒波の東向島

年末寒波襲来の日本列島。 今朝の台東区は気温6℃、風速5m/s。 家を出るなり、『寒い!コリャ、散歩に出るんじゃなかった、失敗!』と、自分に言いながら浅草橋駅に向かう。 この寒さの中、散歩の途中で具合が悪くなって救急車にお世話になると恥ずかしいので、近場の曳舟から歩くことにした。 ここからなら、異常事態になっても、タクシーで家まで帰れるからね。
東武伊勢崎線の曳舟駅から、東向島の町を抜け、白鬚橋から台東区に入り今戸神社まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
●リニューアルした駅・・・・・・・・曳舟駅 は、明治35年(1902)4月1日の吾妻橋(業平橋)~北千住間開業時にできた駅で、開業120周年まであと4年。、、、、駅は伊勢崎線が発着する島式ホーム2面4線と、亀戸線専用の片面ホーム1面1線の高架駅である。 改札口は最近リニューアルした高架下に1か所あるのみ、改札を出ると東西の出口に分かれる。、、、、駅は明るくなり、女性は綺麗に見える。(気のせいか?)
 
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●路地尊て何?・・・・・・・・・駅から北へ、水戸街道(=国道6号)を横断し、東向島1丁目の裏通りに芝の覆われた広い一角がある。 奥にシャレた平屋の建物がある。 公園にしては遊具が無い、住宅にしては開放的すぎる、建物の前まで行くと「一寺言問集会所」と表示されてた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・一寺言問集会所の「一寺言問」とは地名か(?)、聞いたことがないな。、、、、、墨田区向島5丁目、東向島1・3丁目、堤通1丁目の隅田川と水戸街道に挟まれた地域の名前であった。 この地域内の、二つの小学校が災害時の防災活動拠点となっていることから、第一寺島小の「一寺」と言問小の「言問」を合わせ、「一寺言問地区」が誕生したそうだ。 地区内には6町内会があり、細い道の住人が皆で燃えないいえ町づくりを目指し、活動している。
 
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・・・・・・・・・・・・・その敷地の隅に、「路地尊」と標した金属製の祠のようなものが建っている。 はたまた、これは何か? 雨水を利用した地域内消火設備と教えてくれた、地中に雨水を貯めるタンクがあり、いざという時、手押しポンプで汲み上げるそうだ。 地域内に数か所の路地尊が設置されている。 「路地尊」の名は、細い通りの住人であることを互いに認識し、コミュニケーションを尊重していこうとの思いがあるそうだ。、、、、この辺りは、木造住宅も密集し、防火意識の高い処である。 路地尊が役立たないことを願うね。
 
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●消えてゆく赤線地帯・・・・・・・・向島5丁目と東向島1丁目の境には、「鳩の街通り商店街」がある。 この商店街の付近は、戦時中、「玉の井」の娼家が焼き出され移転し、新たに開業した処で「鳩の街 」と呼ばれている。 戦後は、米軍の慰安施設となり、さらに、日本人相手の赤線地帯となった。 昭和27年には、娼家が108軒、娼婦が298人いたそうだ。(念のため、私は6歳、知るよしもない)、、、、、今は、狭い路地は変わらないが、建物はほとんど建て替わり、当時の面影を残す建物は少なくなった。、、、、今日は、路地を歩くと日が射さず、風が吹き付け、寒い寒い!
 
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・・・・・・・・・・・・・・鳩の街通り商店街の中程にある保育園の付近に、作家「吉川英治旧居跡」の案内板があった。、、、、吉川英治が住んでいたのは、赤線ができる以前の大正6年頃と思われる。 
 
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・・・・・・・・・・・・・鳩の街通り商店街の北詰の少し先に、「露伴児童遊園」がある。 ここは文豪幸田露伴が、明治41年(1908)から大正13年(1924)まで蝸牛庵と名付けて親しんだ住居の跡。
 
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●姿見えない地蔵尊・・・・・・・・・地蔵通りが墨堤通りにぶつかる角(東向島3丁目)に、子育地蔵尊が祀られている。、、、、、地蔵尊の由来は案内板によると、『文化年間(1804~1817)に隅田川の堤防修築工事の際、 土中から発見されたと伝えられている地蔵様で。 当初は村の子供たちが、 神輿がわりにこの地蔵様をかついでいたそうだ。 ところがこの地に古くから住む植木屋平作方の雇人夫婦が、ある日、田地で殺害されましたが、この地蔵が村のこどもの口をかりて犯人をお告げになり、 たちまち犯人を捕えることができた。 この奇跡に驚いた平作は、 当所に地蔵を安置して供養を怠らず。 その後、将軍家斉が当地に鷹狩に来て、 平作方に小憩の際、 地蔵の由来を聞いて感銘し、帰城の時にお参りした。 平作はこれを記念して小堂を建てて、 地蔵を安置したところ、 多くの人々が参詣するようになった。』、、、、、小さな境内に、庚申塔、道標などが並んでいる。 しかし、地蔵尊は暗い堂内に祀られているようで、残念ながら姿が見えない。
 
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●ちんブラブラ・・・・・・・・・・・・・・東向島3丁目、墨堤通りに面して白鬚神社がある。、、、、天暦5年(951、=平安時代初期)に近江の白鬚大明神の分霊をこの地(旧寺島村)に祀った。 商売繁盛、方災除け、厄除けの神として多くの人々の崇敬を受けている。、、、、、神社には、七福神の一つ寿老人が祀られており、毎年正月は「隅田川七福神巡り」で参拝する人が多い。、、、、、既に神社は初詣の準備が終わったのか、提灯がぶら下がっていた。、、、、小学生の頃 ♪ ちょうちんブラブラ ♪ という歌詞の歌(?)があって、初めの“ちょう”を小さな声で、その後を大きな声で歌った記憶があるが、何の歌だったか?
 
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●空にカーブが映える橋・・・・・・・・・・・・・・・・・・昭和6年(1931)に竣工した白鬚橋 (しらひげばし)を渡り、隅田川をこえ台東区に入る。、、、、、北風ビュービュー、橋の上ではブルブル、超寒い。
 
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●寒い寒い猫神社・・・・・・・・台東区に入り、今戸神社 に立ち寄る。、、、、今戸神社は、御祭神に伊弉諾尊・伊弉冉尊の夫婦の神様を祀っている事から、縁結びに御利益あると言われている。 今日も寒波襲来の下、若い娘が参拝していた。、、、、私は、そろそろギブアップ。 もうこれ以上寒さに耐えられない! バスで帰宅することにした。
 
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2018年10月29日 (月)

下町探検に、東向島・墨田

京成押上線の京成曳舟駅から、東向島・墨田の裏道・路地を探訪して、東武伊勢崎線鐘ヶ淵駅まで、9千歩の散歩です。
 
 
 
●乗降客が増えた駅・・・・・・・・平成相対式ホーム2面2線の高架駅。 平成27年(2015)8月22日に下り線が高架化され、上下線が高架となった。 3階がホーム、2階が改札となっている。 、、、、、一日の乗降客は10年前と比べると1,000人以上増え、19,000人程である。 駅が綺麗になって客が増えたとは思えない、タワーマンションの効果?
 
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・・・・・・・・・・・京成曳舟駅は、かつて狭いホームに簡単な造りの下町の地上駅。 改札はホーム両端に上下線別に設けられ、計4箇所あった。、、、、駅舎の駅名は「京成曳舟」で、ホームの駅名は“京成”を省略し「曳舟」であった。 高架後の現在は、「京成曳舟」に統一された。、、、、、写真は平成18年(2006)と翌年に撮影。
 
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●名所は避けて・・・・・・・・・「向島」と言えば、料亭と芸妓、名勝:百花園、東武博物館、チョイト古くは私娼街:玉の井と鳩の街、、、、、、今日の散歩はこれらを避けて、東向島2丁目・4丁目と墨田1丁目・2丁目の裏道・路地を歩いてきた。
 
・・・・・・・・・・・・・まずは京成曳舟駅の北側、表通りから東向島2丁目に入り、裏道を歩く。 細い道だが、どこの家もチャント玄関がある。 電柱を建てるのも大変だったかも?
 
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・・・・・・・・・・・・・明治通りに出た。 目の前には5+2軒長屋(元は5+5軒長屋?)らしき建物が見える。、、、、、そろそろ、取り壊されるかも?
 
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・・・・・・・・・・・・・・東武伊勢崎線のガードを抜ける。 ちょうど、特急スペーシアが来た! 今日はツイている、何となく嬉しいね。
 
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・・・・・・・・・・・・・・東向島4丁目に入ると、煉瓦塀の大きな駐車場がある。 美しく積まれ、しっかりと残っている煉瓦塀で、これはきっと工場の跡地かも、調べてみたが不明?、、、、、今度来たときは、マンションが建っているかも? 煉瓦塀は残して欲しい!
 
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・・・・・・・・・・・・・・これより、裏道・路地に挑戦する。、、、、、下町のジャングルを奥へ、奥へと進む、行き止まりだったらどうしよう。 泥棒と間違えられたらどうしよう。 ワクワク、ドキドキ感は、まさに探検である。、、、、、徐々に道は細くなる。 薄汚れた町会の掲示板がある。 しかし最後は、白鬚橋と玉ノ井商店街を結ぶ大正通りに出た、ホットした!
 
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・・・・・・・・・・・・・・区営墨田1丁目アパートの北から墨田2丁目に入る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・墨田2丁目の裏道はどこも軽自動車1台がヤットのようだ。 ヨーロッパの裏道と同じで、洗濯物がやたらと目につくね!
 
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●壊さないで!・・・・・・・・・・墨田2丁目に自動車用タイヤの再生工場がある。 この工場の脇に事務所と思われる木造モルタル仕上げの建物があり、昭和初期頃の建築と思われる? 1階の窓は建築時のままか、建物四隅にはレリーフを見ることもできる。 全体的に劣化しているので、できれば補修を期待したい。
 
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・・・・・・・・・・・・・もう一件、こちらは煉瓦造の蔵。 建物の状態はいいようだ。 年代不詳?
 
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●一生忘れられない踏切・・・・・・・・・・・鐘ヶ淵駅は、私の脱臼事件 の現場。 あの時の痛みは忘れることができない。 今日も、踏切を見て当時を思い出し、交番を見てお巡りさんに頭を下げてきた。、、、、、教訓:踏切は、女性に、カメラに、夢中にならず、慌てずに余裕をもって横断しよう。
 
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2018年7月 7日 (土)

浅草橋~新小岩

7月に入り、暑い日、雨の日が続き、あいだの散歩日和の日は病院に御招待され、なかなか散歩できる日がなかった。 朝5時、ベッドの中で『今日は散歩できそうだ、歩くぞ! お通じを良くするぞ!』。 できるだけ長い距離を歩きたく、京葉道路をひたすら歩くことにした。
 
 
 
am7:55・・・・・・・土曜日のせいか、通勤する人は少なく、学生だけがパラパラ歩く浅草橋。、、、、、連日の雨によるのか(?) 神田川の水位も上昇している。
 
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am8:00・・・・・・・「浅草橋交差点 」は、靖国通り(都道302号)の終点であり、京葉道路(国道14号)の起点(公式には浅草橋交差点から300m程東の両国橋が起点)である。
 
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am8:00・・・・・・・両国橋 の西詰(中央区側)には、かつて江戸で最大の盛り場だった「両国広小路」の碑がある。 もともとは、明暦の大火(1657年)後、両国橋が架けられ、橋の両詰に「火除け地」として、広小路が整備された。 その後、西詰の広小路は、いつしか、見世物小屋、茶店などがひしめきあう、江戸一番の繁華街となった。 上野、浅草とともに江戸三大広小路の一つ。、、、、、新宿歌舞伎町のような繁華街として現在まで残っていれば、我が家から近く、私の人生感もチョットは変わっていたかも?
 
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am8:10・・・・・・・両国「回向院」前を通過。
 
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am8:10・・・・・・・回向院前から150m程東に向かうと、「横綱横丁」と称す横丁がある。 この横丁の入口の東側が、作家:芥川龍之介の生育の地であったそうだ。 芥川は明治25年(1892)、東京市京橋区入船町の牛乳搾取販売業耕牧舎を営む新原敏三・ふくの長男として生まれ、辰年辰の日辰の刻の生まれにより龍之介と命名されたと言われてる。 生後7ヶ月で生母ふくの病のため、当時本所区小泉町(ここが生育の地)に住んでいたふくの長兄、芥川道章に引き取られ、後13歳の時、芥川家の養子となったそうだ。、、、、、浅草橋の路地裏に雅万歩の誕生・生育の地の碑が建つのも夢ではないかも(?)
 
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am8:35・・・・・・・江戸時代庶民の信仰と行楽を兼ねた成田山新勝寺の参詣は、2・3泊の手頃な旅行コースとして人気があったそうだ。 江戸市中からの参詣コースとしては、現:水戸街道の葛飾区新宿から東に向かい小岩、市川、八幡へと進む道と、日本橋小網町から水路で隅田川を下り行徳から陸路を八幡へ向かう道の2ルートがあった。 明治時代になると、浅草橋から両国橋を渡り小岩、市川を経由して向かう道を千葉街道と称するようになり、これが現在の京葉道路となったそうだ。 この京葉道路にかかる旧江東橋は東関東の水運の大動脈として、江戸時代以降、東京の市民生活を支えてきた運河の一つ「大横川」に大正15年(1926)に架けられた。 現在の江東橋は平成7年(1995)に架け替えられたものである。 現:江東橋の西詰に、旧江東橋の親柱が残されている。、、、、、江東橋付近の大横川は暗渠化され川筋は親水公園に変わった。
 
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am8:45・・・・・・・錦糸町駅前を通過。、、、、、駅前のバス停横に「伊藤佐千夫牧舎兼住居跡」の案内と歌碑が建っている。 ここ錦糸町駅前に、明治22年(1889)から明治45年(1912)まで、明治の歌人:伊藤佐千夫の経営する牧舎と住居があったそうだ。、、、、現存していれば、新鮮な牛乳が飲める駅前のミルクスタンドとして繁昌したかも(?)
 
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am8:50・・・・・・・錦糸町駅の東350m程の処に、京葉道路に面し都営江東橋4丁目アパートがある。 昭和52年(1977)に完成した総戸数220戸の都営住宅。 施工は飛島建設。、、、、、この都営住宅の1階は都営バスの車庫となっている。 完成当時は斬新な構造の車庫で、内部にはターンテーブルも供えられているそうだ。、、、、、ここがバスの車庫となる以前は都電の車庫であった。 昭和47年(1972)の都電廃止で、都営住宅と都バスの車庫に生まれ変わった。
 
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am8:55・・・・・・・錦糸町と亀戸の間に流れる運河:横十間川に架かる橋が松代橋である。 現在の橋は昭和44年(1969)に架けられた1径間鋼製桁の橋である。 以前は、昭和5年(1930)に完成した鋼製桁の震災復興橋が架けられていた。 上流側にはJR横十間川橋梁が架かる。、、、、、橋名は西岸にあった旧町名に由来するらしい。
 
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am9:00・・・・・・・JR東日本の総武本線貨物支線である越中島支線の下を抜け、亀戸駅の南を通過する。
 
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am9:15・・・・・・・亀戸駅を過ぎ、亀戸6丁目に入ると、、、、、、私の親友が経営する不動産屋の前に来た。 チラリ、店先を覗くと親友御夫妻の姿が見える、まだお客が来ていないようだ。 チョイト寄って行こう!、、、、気持ちは短時間で失礼するつもりで寄ったが、『友有り、遠方より歩いて来たる。 亦た久しぶりや。』 お茶もいただき、私のバカ話は止まらず、小一時間話し込んでしまった。 お仕事の邪魔をしてしまい、失礼しました。
 
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am10:00・・・・・・・散歩を続ける。 向かうは東へ!
 
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am10:15・・・・・・・中川新橋を渡り旧中川を越える。 江東区亀戸と江戸川区平井を結ぶ橋。
 
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am10:25・・・・・・・江戸川区小松川の再開発地区に建ち並ぶマンション群を見ながら歩く。
 
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am10:30・・・・・・・荒川に架かる小松川大橋 を渡る。 この橋は下り線と上り線が方向別に架橋されている。 上流側(下り)が小松川橋、下流側(上り)が新小松川橋です。 下りの小松川橋が昭和44年(1969)に開通し、上りの新小松川橋は昭和47年(1972)に開通した。 全長500m程の橋である。、、、、、橋上は風が強く、帽子を押さえながら渡って来た。、、、、、荒川は川幅イッパイに流れ、河川敷も水の下である。 上流ではだいぶ降ったようだ。
 
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am10:40・・・・・・・小松川大橋を渡り、江戸川区松島の小松川署前を通過する。、、、、、ここまで、浅草橋交差点から7kmである。(日本橋からは9km)
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・京葉道路の散歩は小松川署の先で終了とした。 これより裏道を歩き新小岩駅に出て帰宅する。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・今日は1万6千歩の散歩でした。

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