墨田区

2019年3月10日 (日)

期待はずれた富士の山

暖かな散歩日和、夫婦で我が家(浅草橋)から、両国の「すみだ北斎美術館」に寄って、錦糸町駅まで歩いてきた。
 
 
 
●花曇りには早いかな? ・・・・・・・・・・・・午前中は晴れていたが、午後になるとチョイトどんより曇ってきた。 まだ、雨の心配はいらないようだ! 柳橋両国橋を渡り、両国に向かう。、、、、孫の話、食の話で、夫婦仲良く散歩。 両国橋東詰めの老舗:「山くじら もゝんじゃ」も話題の一つ。
 
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●猫も鼠も回向院 ・・・・・・回向院前、チョックラ鼠小僧に御挨拶して行こう!、、、、回向院には、ペットを弔う施設もあり、彼岸前にペットの法事に来たのか、参拝する人の多いこと。、、、、、「彼岸参りに 先祖を飛ばし 愛犬供養に 花手向け」、てな事なきように!
 
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●似て非なる“網”と“綱” ・・・・・・・・・・回向院から両国駅 前をとおり、国技館の手前を入り、江戸東京博物館、徳川家康公銅像前をブラブラ。、、、、これらが建つのは、墨田区横網町(よこあみちょう)。 相撲の町なので“網”(あみ)を“綱”(つな)と間違え、“横綱町”(よこづなちょう)と言う人が多いそうだ。 町名の謂れは不明だが歴史ある町名で、“横綱町”に変更する意思は、町民も区も、断固としてないそうだ。
 
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●富士は見られず、猿、猫、蛙 ・・・・・・・・・・・・江戸東京博物館前から東へのびる「北斎通り」。 その途中に、「すみだ北斎美術館」がある。 今日の散歩の目的地。、、、、本日の出し物は、「北斎アニマルズ」と称し、北斎とその門人が動物・玩具・物語などを図鑑的に描いたものが展示されていた。、、、、、「富嶽三十六景」(全46図)が見られることを期待して行ったが、残念なことに目的は達成できず! またの機会に期待することにした。
 
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●散歩の後は甘い一刻 ・・・・・・・・・・・錦糸町に出て、ひと休み、秘密! 

2019年2月16日 (土)

亀戸の梅屋敷

総武線亀戸駅から、亀戸水神、亀戸天神、亀戸香取神社、吾嬬神社、小村井香取神社と巡り、東武亀戸線小村井駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
●天神様の駅 ・・・・・・・今日は土曜日、通勤客も少なく、早朝に下車する人もまばらだ。、、、、明治37年(1904)3月29日1904、総武鉄道の駅として開業。 駅の歴史を語るようなものは、なにも見つけられないが古株の駅である。、、、いつも改札前で売っている「くず餅」の売店も、まで出てない。 帰りに、寄ってみよう!
 
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●“お水”の神 ・・・・・・・まずは、東武亀戸線 の駅名となった亀戸水神へ参る。 JR亀戸駅から北東に700m程の処に鎮座する水神さまで、社号は「亀戸水神宮」。、、、、亀戸水神宮の創建は古く、室町幕府十二代将軍足利義晴の治世の頃(1521~1546)と推定されている。 土民が水害から免れん為の祈願として、大和国吉野の丹生川上神社から勧請したもので、祭神は弥都波能売神(ミズハノメノカミ)という水を司る女神。、、、、艶めかしい“お水”の神様ではない。 間違えないで! でも、キャバ嬢姿の女神がいたら神社に詣でる人も増えるかもね!
 
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・・・・・・・・・・・・・神社に隣接して、城東署の「水神森地域安全センター」(旧交番)がある。 この建物は木造で、昭和初期に建てられたものかも?
 
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●蘇った亀戸梅屋敷 ・・・・・・・・亀戸駅前の明治通りと、亀戸天神前の蔵前橋通りが交差する亀戸四丁目交差点角に、「亀戸梅屋敷」がある。、、、、浮世絵師・歌川広重が描いたこともある江戸時代の亀戸に実在した梅屋敷は現存しない。 平成の世に、当時の亀戸梅屋敷をモチーフにして、観光案内所や物産店、江戸切子ギャラリー、寄席等をミックスした観光施設「亀戸梅屋敷」が作られた。
 
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・・・・・・・・・・・・・【補足】 江戸時代初期、亀戸天神の北東に大きな梅園があった。 ここには、「清香庵」と評する屋敷があり、一般に「梅屋敷」と呼ばれていたそうだ。 明治43年(1910)の洪水と工場の排煙などから梅の大部分が枯れてしまい、廃園となった。 その跡地に小さな梅屋敷伏見稲荷神社(亀戸3)が残っている。、、、、(今日の散歩では寄らなかったので、2016/1/4撮影の写真で代用)
 
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●思ったほど、ウメの木はなかった! ・・・・・・・・・・・“ウメ”と云えば“天神さま”。 そこで、亀戸天神周辺の商店街は「梅まつり」のポスター、旗で集客中。 
 
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・・・・・・・・・・・・・雅万歩も梅の香に誘われ、亀戸天神 へ、スタコラ・サッサ・ホイ・サッサとやってきた。 
 
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・・・・・・・・・・・・・太鼓橋の上から境内を眺め、『アレ、なんか変だ? “天神様”なので“ウメ”の花が境内を埋めているはずだが?』 期待した程にウメの木はなく、境内は藤棚ばかりだ!、、、、何度も来ていた境内、ウメの木がこんなに少ないとは、今日初めて気がついた。、、、、ウメの木は境内に300本程あるそうだが、木には大小あり、まだ花をつけていない木もあり、境内の広さに比べ寂しいものだ!
 
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・・・・・・・・・・・・・天神さまに手を合わせ、拝殿に置かれた大宰府の梅を観賞する。
 
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・・・・・・・・・・・・・境内のウメを観て行こう!
 
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●梅は咲いたが 桜はまだかいな ・・・・・・・・・・・次は、亀戸天神の東側に鎮座する亀戸香取神社 。 蔵前橋通りから入る参道は昭和レトロな看板建築でおもてなし。、、、、こちらは、“ウメ”の木はなく、“サクラ”がお勧め。 特に、参道には数種の八重桜が咲き乱れ、なかには黄緑色の花を咲かせる「鬱金」もある。、、、、4月になったら出直そう!
 
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●可愛い狛犬 ・・・・・・・・・・・・香取神社から北へ、北十間川を越え墨田区に入ると、川に面し「吾嬬神社」(墨田区立花1)がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・吾嬬神社は、日本武尊東征の際に相模から上総へ渡ろうとして暴風に遭い、弟橘媛が身を海に投じて暴風を鎮めたことから、日本武尊は当時浮き洲であった当地に上陸できたものの、弟橘媛は行方知れずとなり、弟橘媛の御召物がこの地の磯辺に漂い着いたので、これを築山に納めて吾嬬大権現として崇めたのが始まりだそうだ。 後、弟橘媛を慕って正治2年(1200)宇穂積臣の末葉、鈴木・遠山・井出の三家が吾妻権現として社殿を造営した。 当地名立花は、この弟橘(立花)媛の言い伝えにより命名されたと言われている。、、、、拝殿は鉄筋コンクリート造、、、、、本殿前の小さな狛犬は安永2年(1773)の作。 この狛犬、小さくて持ち運びしやすく、かつ古く、古物商が狙いそうだ。 仏像の盗難が多い御時世、要注意! 
 
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●ウメも好き 若い娘はもっと好き ・・・・・・・・「花王東京工場」の北側(墨田区文化2)に「小村井香取神社」がある。 小村井香取神社は、永萬元年(1165)の葛西御厨の文書などに鎮守村名が記載されていることから、平安時代末期に千葉県香取郡から移住・開拓した人々の氏神として創建したといわれている。 江戸時代には、東隣に作られた小村井梅園が盛況で、将軍家の御成りもあったといいますが、明治43年の大水で廃園となりました。、、、、ここも梅園の跡地であり、梅屋敷があった処だ。、、、、平成6年(1994)、往時を偲び、境内に120本のウメの木を植え「香梅園」と名付け開園した。、、、、今日は、その香梅園の梅まつりの開催日。 地元名士(?)が集まり、若い娘の親善大使も参加して、セレモニーの真最中。
 
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・・・・・・・・・・・・・香梅園は小さな庭園。 ウメの木120本は本当か?
 
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・・・・・・・・・・・・・神社の前で、な・なんと、「ミゼット」だ! 昭和32年(1957)~昭和47年(1972)まで、販売されていた小型三輪自動車。、、、、大村崑が演じる、懐かしいミゼットのコマーシャルを思い出した。 崑ちゃんが何度も繰り返す、「ミゼット」、「ミゼット」、、、、、
 
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●下町の駅 ・・・・・・・小村井駅(おむらいえき)は、東武鉄道亀戸線の駅。 相対式ホーム2面2線の地上駅だが、駅舎は曳舟方面ホームの東あずま寄りにあるだけ、上下線ホーム間を連絡する地下通路が設置されている。 昭和3年(1928)4月15日開業。、、、亀戸駅に着いたら、“くず餅”買うの忘れないように!
 
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2019年2月 2日 (土)

6車線の京葉道路

我が家(浅草橋)から、両国橋を渡り、錦糸町でJRA場外馬券売り場を覗き、亀戸駅まで、1万3千歩の散歩です。
 
 
 
●まずは隅田川を越える ・・・・・・・・中央区と墨田区を結ぶ両国橋を渡る。
 
・・・・・・・・・・・・・・京葉道路は浅草橋交差点から始まる。 
 
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・・・・・・・・・・・・・両国橋は、明暦の大火(1657)の大惨事を教訓に万治2年(1659)に、隅田川に架けられた橋。、、、、現在の橋は、昭和7年(1932)に架けられた。 大きな球形がついた親柱は両国橋のシンボル。
 
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・・・・・・・・・・・・・橋の東詰(墨田区両国)には、向島の俳諧師:宝井其角の弟子であった赤穂浪士の一人:大高源吾の句 「日の恩やたちまちくだく厚氷」の碑がある。 この句は討ち入りの夜、師匠宝井其角に両国橋で出会い詠んだものといわれている。、、、、道端で出会い、サッと句を詠むなんて、私にはできない。 カッコいいね!
 
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・・・・・・・・・・・・・大高源吾の句碑の後ろには、大きな忠魂碑。 こちらは、明治37年・38年の戦役での戦病死者、すなわち日露戦争でご出征し、護国の為に身命を捧げられた英霊に、陸軍元帥大山巌筆による表忠碑。、、、、大きく、立派な碑だ。
 
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●早く広げて!・・・・・・・・・両国橋を渡ると、ここから錦糸町の江東橋までは、京葉道路は4車線道路である。 現在、東京国道事務所では6車線に拡幅することが計画されている。 地元への説明会なども実施されているようだ。 高架として、混雑の緩和、安全の確保、緊急輸送道路の確保などが見込まれている。、、、、この都市計画が決定したのは、雅万歩の生まれる前の昭和21年(1946)3月だった。 70余年、経過した!
 
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・・・・・・・・・・・・・京葉道路の歩道上(両国3)に、「本所松坂町址」の碑が建っている。 元来この辺りは、あの吉良邸があったところである。 関東大震災後の区画整理により町名が変更された。この碑は近世史上著名の地「松坂町」を偲んで、昭和7年に建立された。
 
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・・・・・・・・・・・・・京葉道路の両側は建物も新しくなり、歴史を語るものは見あたらない。
 
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●ここからは6車線!・・・・・・・・・・・・・ 江東橋は京葉道路(国道)に架かる橋で、この橋からは6車線となり幅(35m)も広く、橋の長さ(20.8m)に対し倍近くある。 明治31年(1898)創架で、現在の橋は平成8年(1996)に架け替えられた新しい橋だ。、、、、橋の下を流れる大横川は暗渠化され、現在はスカイツリーが眺められる大横川親水公園となっている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・6車線となった京葉道路。
 
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・・・・・・・・・・・・・・江東橋の東詰に、明治34年(1901)創立の名門:都立両国高校がある。 作家:芥川龍之介の母校。、、、、両国高校の一画に、「国産マッチ発祥の地」と刻まれた 御影石の記念碑がある。 石川県金沢出身の 清水誠はフランス留学から帰国後、明治9年(1876)に, この地に「新燧社」を設立し、本格的にマッチの製造を始めた。 2年後には我が国始めての輸出が行われ、太平洋戦争前まで続いた。、、、、今は、マッチが使い捨てライターに変わり、チャッカマンに変わり、お目にかかることがまれとなった。
 
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●IT化された! ・・・・・・・・錦糸町駅前のJRA。 チョックラ、朝の場外馬券売り場を覗いてみた。 競馬を止めて50年、馬券の買い方も変わり、面白そうだ! やってみたくなるね。
 
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●工場が消えた! ・・・・・・・・・・・・錦糸町駅前から、亀戸へ向かう。、、、、この辺り、かつては鉄工場などが並ぶ工場地帯だった。 今や近代邸なビルとマンションが並び、世も変わった!
 
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●時代ごとに変わる! ・・・・・・・・・・亀戸駅前を通り過ぎ、京葉道路の南側、昭和の時代には第二精工舎の工場があったところ。 平成になり、ショッピングセンター「サンストリート亀戸」に変わり。 次の時代は、25階建ての住居棟と6階建ての商業棟ができるそうだ。 (写真:左側の工事現場)
 
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●今日のお帰りは? ・・・・・・・・・・・・亀戸駅の“勝手口”(正式には東口)から。
 
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2019年1月14日 (月)

スカイツリーの足下、曳舟川通り

曳舟川(ひきふねがわ)は、徳川幕府が本所開拓に伴う上水として、明暦3年(1657)の大火(振袖火事)の後、万治2年(1659)に開削したもの。 当時は、本所上水、亀有上水などと呼ばれ、瓦曾根(越谷市)の溜井から分水して、亀有から四ツ木をへて本所と深川の各地に飲料水として配水されたそうだ。 その後、業平橋以南の曳舟川は埋め立てられ、小梅村(墨田区)から亀有村(葛飾区)に至る約7.4kmは、通船運河として改修された。 この川が「曳舟川」と呼ばれるようになったのは、「ザッパコ」と呼ばれる田舟のような舟に旅人を乗せ、岸から引かせたことによるものだ。 明治期になると、人力車なども横行し、曳舟の様子も変わってきた。 明治末期には、荒川放水路(現:荒川)の開削工事により、墨田区側と葛飾区側に分断された。 そして、大正期の震災に遭い、川は流域の都市化とともに汚れ、悪臭、蚊・ハエの発生源となる。 両側の幅6mの道路の間を流れる、川幅5.5mの曳舟川も、戦後になると暗渠化された。 墨田区側は幅18mの立派な舗装道路となり「曳舟川通り」と命名した。 荒川には「新四つ木橋」が架かり、曳舟通りと共に水戸街道のバイパス的役割を担っている。 葛飾区側は暗渠の上に「曳舟川親水公園」を造り、四つ木からお花茶屋・亀有まで伸びる長~い親水公園となっている。
 
今日の散歩は、本所吾妻橋駅から、曳舟川通りを歩き曳舟川親水公園の入口まで行き、四ツ木駅から帰宅した。 1万3千歩
 
 
 
●雅万歩の通った駅・・・・・・・・・都営地下鉄浅草線の本所吾妻橋駅は、東京スカイツリーの西側(墨田区吾妻橋)に位置する。 昭和35年(1960)12月4日に開業した、相対式2面2線の地下駅。、、、、雅万歩が大学生の頃、家庭教師として通っていた駅である。 この辺りは結構詳しかったのだが、いつの間にか時代も変わり、私が知る店・住宅はマンションに変わってしまった。 
 
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●曳舟川通りを行く・・・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・まずは、東武伊勢崎線の「とうきょうスカイツリー駅」に仁義を切って!、、、、、この駅、スカイツリーができる前までは「吾妻橋」、「浅草」、「業平橋」と、3回も名を変えていた。 今は、シャレた名前で出ています。 特急も停まる駅となり、お客の指名も増えました。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅のとなりのスカイツリー
 
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・・・・・・・・・・・・・ときょうスカイツリー駅の北側、交差点の角に曳舟川由来碑がる。 この交差点から曳舟川通りは新四ツ木橋へのびて行く。、、、、けして古い石碑ではない、平成5年(1993)に地元墨田区が建てたもの。 曳舟川の由来とこの辺りの昔の地名「小梅」の由来が述べられている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・曳舟川由来碑がある一画に、都営住宅の押上二丁目アパートがある。 昭和45年(1970)以降に建てられた161戸の団地である。、、、、団地の前はとうきょうスカイツリー駅、さらにその隣にスカイツリー。 スカイツリーから立ち小便をされたら、もろに当たりそうな団地だ。 展望台はガラス窓がシッカリ閉められていて、ヨカッタ!
 
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・・・・・・・・・・・・・続いてその先(押上2-12)にあるセントル中之郷は、日本最初の近代的アパート「同潤会中之郷アパートメント」の跡地に、昭和65年(1990)に建てられた。、、、、震災後の東京の各地に建てられた同潤会アパートの一つ。 鉄筋コンクリート造の建物は、上野下アパート を最後に全て取り壊された。
 
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・・・・・・・・・・・・・・そのセントル中之郷の前に、同潤会建築もどきの建物「墨田民主商工会」がある。 おそらく、戦前の建築と思われる木造の看板建築だが、正面の柱のデザインはチョイト味があるね!、、、、正面の玄関ポストに「移転しました入れないでください」の貼り紙があった。 取り壊しか? また一つ、昭和の建築が消えるのか?
 
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・・・・・・・・・・・・・・東向島4丁目付近の曳舟川通り。 奥のタワーマンションは、東武亀戸線と京成押上線が交差する地点にたつ「イーストコア曳舟」(墨田区京島1)。
 
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・・・・・・・・・・・・・・応仁2年(1468)の創立と伝えられる高木神社(押上2)、昔は第六天社と称した、旧寺島村大字新田の鎮守。 明治15年村社に列格した。 祭神は、男女の「むすび」を象徴する神として、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)である。 縁結びの神として、絵馬は“おむすび”形である。、、、、社殿は昭和42年に鉄筋コンクリート造で建て替えられた。
 
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・・・・・・・・・・・・・東武伊勢崎線の曳舟駅 前を歩く。 駅前の東京曳舟病院の1階は通り抜けができ、駅の改札、改札挟んで反対側の西口に行くことができる。
 
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・・・・・・・・・・・・・歩いてきた道を振り返ってみると、スカイツリーが良く見える。 ここは京島1丁目、曳舟文化センター前。 
 
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・・・・・・・・・・・・・明治通りを越え、左は東向島6丁目・右は八広1丁目の町に入る。 でも、特に変わったこともない。
 
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・・・・・・・・・・・・・・交差点角の喫茶店に置かれていたサボテンに心惹かれ、しばし眺める。  「吹雪柱」という名のサボテンらしい。 なんだか、見る人の見方、意識によって、動物のようにも見え、人体の一部のようにも見え、手に持ってコチョコチョしたくもなり、イロイロ頭の中で連想してしまった。
 
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・・・・・・・・・・・・・・東向島6丁目の長浦神社では、成人式の晴れ着で両親と参拝する姿が見られた。 いいね!、、、、、長浦神社の創建年代は不詳だが、第六天社として創建し、明治維新後地名より長浦神社と改称したといわれている。 祭神は神皇産霊神、登由宇気神。
 
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・・・・・・・・・・・・・そろそろ曳舟川通りの終点。 交差点の先に新四ツ木橋が見える。
 
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●渡れば葛飾区・・・・・・・・・・墨田区八広と葛飾区東四つ木を結び、荒川に架かる新四ツ木橋。 昭和27年(1952)にそれまでの木橋に変わり、新四ツ木橋(現在の四ツ木橋)が永久橋として開通した。 しかし、橋の前後で慢性的に渋滞が発生したことから、曳舟川通りを延長する形で国道6号に平行して新橋「新々四ツ木橋」(現在の新四ツ木橋)を建設した。 昭和48年(1973)に竣工し、供用を開始し。 全長547.8mの鋼連続箱桁橋。
 
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・・・・・・・・・・・・・・下流側には京成押上線の荒川橋梁が架かる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・上流側には、四ツ木橋が架かり、水戸街道(=国道6号)と並行する。
 
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・・・・・・・・・・・・・新四ツ木橋を渡り、水戸街道と合流すると、スグ、その先で道路は分岐する。 直進(写真右側)するのは水戸街道、左側に分岐するのは「曳舟川親水公園」のある道路で、亀有方面に向かう。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・・四ツ木駅 から、『おひとり様 お帰りです~』
 
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2018年12月28日 (金)

年末寒波の東向島

年末寒波襲来の日本列島。 今朝の台東区は気温6℃、風速5m/s。 家を出るなり、『寒い!コリャ、散歩に出るんじゃなかった、失敗!』と、自分に言いながら浅草橋駅に向かう。 この寒さの中、散歩の途中で具合が悪くなって救急車にお世話になると恥ずかしいので、近場の曳舟から歩くことにした。 ここからなら、異常事態になっても、タクシーで家まで帰れるからね。
東武伊勢崎線の曳舟駅から、東向島の町を抜け、白鬚橋から台東区に入り今戸神社まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
●リニューアルした駅・・・・・・・・曳舟駅 は、明治35年(1902)4月1日の吾妻橋(業平橋)~北千住間開業時にできた駅で、開業120周年まであと4年。、、、、駅は伊勢崎線が発着する島式ホーム2面4線と、亀戸線専用の片面ホーム1面1線の高架駅である。 改札口は最近リニューアルした高架下に1か所あるのみ、改札を出ると東西の出口に分かれる。、、、、駅は明るくなり、女性は綺麗に見える。(気のせいか?)
 
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●路地尊て何?・・・・・・・・・駅から北へ、水戸街道(=国道6号)を横断し、東向島1丁目の裏通りに芝の覆われた広い一角がある。 奥にシャレた平屋の建物がある。 公園にしては遊具が無い、住宅にしては開放的すぎる、建物の前まで行くと「一寺言問集会所」と表示されてた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・一寺言問集会所の「一寺言問」とは地名か(?)、聞いたことがないな。、、、、、墨田区向島5丁目、東向島1・3丁目、堤通1丁目の隅田川と水戸街道に挟まれた地域の名前であった。 この地域内の、二つの小学校が災害時の防災活動拠点となっていることから、第一寺島小の「一寺」と言問小の「言問」を合わせ、「一寺言問地区」が誕生したそうだ。 地区内には6町内会があり、細い道の住人が皆で燃えないいえ町づくりを目指し、活動している。
 
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・・・・・・・・・・・・・その敷地の隅に、「路地尊」と標した金属製の祠のようなものが建っている。 はたまた、これは何か? 雨水を利用した地域内消火設備と教えてくれた、地中に雨水を貯めるタンクがあり、いざという時、手押しポンプで汲み上げるそうだ。 地域内に数か所の路地尊が設置されている。 「路地尊」の名は、細い通りの住人であることを互いに認識し、コミュニケーションを尊重していこうとの思いがあるそうだ。、、、、この辺りは、木造住宅も密集し、防火意識の高い処である。 路地尊が役立たないことを願うね。
 
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●消えてゆく赤線地帯・・・・・・・・向島5丁目と東向島1丁目の境には、「鳩の街通り商店街」がある。 この商店街の付近は、戦時中、「玉の井」の娼家が焼き出され移転し、新たに開業した処で「鳩の街 」と呼ばれている。 戦後は、米軍の慰安施設となり、さらに、日本人相手の赤線地帯となった。 昭和27年には、娼家が108軒、娼婦が298人いたそうだ。(念のため、私は6歳、知るよしもない)、、、、、今は、狭い路地は変わらないが、建物はほとんど建て替わり、当時の面影を残す建物は少なくなった。、、、、今日は、路地を歩くと日が射さず、風が吹き付け、寒い寒い!
 
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・・・・・・・・・・・・・・鳩の街通り商店街の中程にある保育園の付近に、作家「吉川英治旧居跡」の案内板があった。、、、、吉川英治が住んでいたのは、赤線ができる以前の大正6年頃と思われる。 
 
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・・・・・・・・・・・・・鳩の街通り商店街の北詰の少し先に、「露伴児童遊園」がある。 ここは文豪幸田露伴が、明治41年(1908)から大正13年(1924)まで蝸牛庵と名付けて親しんだ住居の跡。
 
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●姿見えない地蔵尊・・・・・・・・・地蔵通りが墨堤通りにぶつかる角(東向島3丁目)に、子育地蔵尊が祀られている。、、、、、地蔵尊の由来は案内板によると、『文化年間(1804~1817)に隅田川の堤防修築工事の際、 土中から発見されたと伝えられている地蔵様で。 当初は村の子供たちが、 神輿がわりにこの地蔵様をかついでいたそうだ。 ところがこの地に古くから住む植木屋平作方の雇人夫婦が、ある日、田地で殺害されましたが、この地蔵が村のこどもの口をかりて犯人をお告げになり、 たちまち犯人を捕えることができた。 この奇跡に驚いた平作は、 当所に地蔵を安置して供養を怠らず。 その後、将軍家斉が当地に鷹狩に来て、 平作方に小憩の際、 地蔵の由来を聞いて感銘し、帰城の時にお参りした。 平作はこれを記念して小堂を建てて、 地蔵を安置したところ、 多くの人々が参詣するようになった。』、、、、、小さな境内に、庚申塔、道標などが並んでいる。 しかし、地蔵尊は暗い堂内に祀られているようで、残念ながら姿が見えない。
 
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●ちんブラブラ・・・・・・・・・・・・・・東向島3丁目、墨堤通りに面して白鬚神社がある。、、、、天暦5年(951、=平安時代初期)に近江の白鬚大明神の分霊をこの地(旧寺島村)に祀った。 商売繁盛、方災除け、厄除けの神として多くの人々の崇敬を受けている。、、、、、神社には、七福神の一つ寿老人が祀られており、毎年正月は「隅田川七福神巡り」で参拝する人が多い。、、、、、既に神社は初詣の準備が終わったのか、提灯がぶら下がっていた。、、、、小学生の頃 ♪ ちょうちんブラブラ ♪ という歌詞の歌(?)があって、初めの“ちょう”を小さな声で、その後を大きな声で歌った記憶があるが、何の歌だったか?
 
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●空にカーブが映える橋・・・・・・・・・・・・・・・・・・昭和6年(1931)に竣工した白鬚橋 (しらひげばし)を渡り、隅田川をこえ台東区に入る。、、、、、北風ビュービュー、橋の上ではブルブル、超寒い。
 
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●寒い寒い猫神社・・・・・・・・台東区に入り、今戸神社 に立ち寄る。、、、、今戸神社は、御祭神に伊弉諾尊・伊弉冉尊の夫婦の神様を祀っている事から、縁結びに御利益あると言われている。 今日も寒波襲来の下、若い娘が参拝していた。、、、、私は、そろそろギブアップ。 もうこれ以上寒さに耐えられない! バスで帰宅することにした。
 
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2018年10月29日 (月)

下町探検に、東向島・墨田

京成押上線の京成曳舟駅から、東向島・墨田の裏道・路地を探訪して、東武伊勢崎線鐘ヶ淵駅まで、9千歩の散歩です。
 
 
 
●乗降客が増えた駅・・・・・・・・平成相対式ホーム2面2線の高架駅。 平成27年(2015)8月22日に下り線が高架化され、上下線が高架となった。 3階がホーム、2階が改札となっている。 、、、、、一日の乗降客は10年前と比べると1,000人以上増え、19,000人程である。 駅が綺麗になって客が増えたとは思えない、タワーマンションの効果?
 
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・・・・・・・・・・・京成曳舟駅は、かつて狭いホームに簡単な造りの下町の地上駅。 改札はホーム両端に上下線別に設けられ、計4箇所あった。、、、、駅舎の駅名は「京成曳舟」で、ホームの駅名は“京成”を省略し「曳舟」であった。 高架後の現在は、「京成曳舟」に統一された。、、、、、写真は平成18年(2006)と翌年に撮影。
 
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●名所は避けて・・・・・・・・・「向島」と言えば、料亭と芸妓、名勝:百花園、東武博物館、チョイト古くは私娼街:玉の井と鳩の街、、、、、、今日の散歩はこれらを避けて、東向島2丁目・4丁目と墨田1丁目・2丁目の裏道・路地を歩いてきた。
 
・・・・・・・・・・・・・まずは京成曳舟駅の北側、表通りから東向島2丁目に入り、裏道を歩く。 細い道だが、どこの家もチャント玄関がある。 電柱を建てるのも大変だったかも?
 
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・・・・・・・・・・・・・明治通りに出た。 目の前には5+2軒長屋(元は5+5軒長屋?)らしき建物が見える。、、、、、そろそろ、取り壊されるかも?
 
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・・・・・・・・・・・・・・東武伊勢崎線のガードを抜ける。 ちょうど、特急スペーシアが来た! 今日はツイている、何となく嬉しいね。
 
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・・・・・・・・・・・・・・東向島4丁目に入ると、煉瓦塀の大きな駐車場がある。 美しく積まれ、しっかりと残っている煉瓦塀で、これはきっと工場の跡地かも、調べてみたが不明?、、、、、今度来たときは、マンションが建っているかも? 煉瓦塀は残して欲しい!
 
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・・・・・・・・・・・・・・これより、裏道・路地に挑戦する。、、、、、下町のジャングルを奥へ、奥へと進む、行き止まりだったらどうしよう。 泥棒と間違えられたらどうしよう。 ワクワク、ドキドキ感は、まさに探検である。、、、、、徐々に道は細くなる。 薄汚れた町会の掲示板がある。 しかし最後は、白鬚橋と玉ノ井商店街を結ぶ大正通りに出た、ホットした!
 
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・・・・・・・・・・・・・・区営墨田1丁目アパートの北から墨田2丁目に入る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・墨田2丁目の裏道はどこも軽自動車1台がヤットのようだ。 ヨーロッパの裏道と同じで、洗濯物がやたらと目につくね!
 
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●壊さないで!・・・・・・・・・・墨田2丁目に自動車用タイヤの再生工場がある。 この工場の脇に事務所と思われる木造モルタル仕上げの建物があり、昭和初期頃の建築と思われる? 1階の窓は建築時のままか、建物四隅にはレリーフを見ることもできる。 全体的に劣化しているので、できれば補修を期待したい。
 
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・・・・・・・・・・・・・もう一件、こちらは煉瓦造の蔵。 建物の状態はいいようだ。 年代不詳?
 
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●一生忘れられない踏切・・・・・・・・・・・鐘ヶ淵駅は、私の脱臼事件 の現場。 あの時の痛みは忘れることができない。 今日も、踏切を見て当時を思い出し、交番を見てお巡りさんに頭を下げてきた。、、、、、教訓:踏切は、女性に、カメラに、夢中にならず、慌てずに余裕をもって横断しよう。
 
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2018年7月 7日 (土)

浅草橋~新小岩

7月に入り、暑い日、雨の日が続き、あいだの散歩日和の日は病院に御招待され、なかなか散歩できる日がなかった。 朝5時、ベッドの中で『今日は散歩できそうだ、歩くぞ! お通じを良くするぞ!』。 できるだけ長い距離を歩きたく、京葉道路をひたすら歩くことにした。
 
 
 
am7:55・・・・・・・土曜日のせいか、通勤する人は少なく、学生だけがパラパラ歩く浅草橋。、、、、、連日の雨によるのか(?) 神田川の水位も上昇している。
 
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am8:00・・・・・・・「浅草橋交差点 」は、靖国通り(都道302号)の終点であり、京葉道路(国道14号)の起点(公式には浅草橋交差点から300m程東の両国橋が起点)である。
 
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am8:00・・・・・・・両国橋 の西詰(中央区側)には、かつて江戸で最大の盛り場だった「両国広小路」の碑がある。 もともとは、明暦の大火(1657年)後、両国橋が架けられ、橋の両詰に「火除け地」として、広小路が整備された。 その後、西詰の広小路は、いつしか、見世物小屋、茶店などがひしめきあう、江戸一番の繁華街となった。 上野、浅草とともに江戸三大広小路の一つ。、、、、、新宿歌舞伎町のような繁華街として現在まで残っていれば、我が家から近く、私の人生感もチョットは変わっていたかも?
 
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am8:10・・・・・・・両国「回向院」前を通過。
 
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am8:10・・・・・・・回向院前から150m程東に向かうと、「横綱横丁」と称す横丁がある。 この横丁の入口の東側が、作家:芥川龍之介の生育の地であったそうだ。 芥川は明治25年(1892)、東京市京橋区入船町の牛乳搾取販売業耕牧舎を営む新原敏三・ふくの長男として生まれ、辰年辰の日辰の刻の生まれにより龍之介と命名されたと言われてる。 生後7ヶ月で生母ふくの病のため、当時本所区小泉町(ここが生育の地)に住んでいたふくの長兄、芥川道章に引き取られ、後13歳の時、芥川家の養子となったそうだ。、、、、、浅草橋の路地裏に雅万歩の誕生・生育の地の碑が建つのも夢ではないかも(?)
 
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am8:35・・・・・・・江戸時代庶民の信仰と行楽を兼ねた成田山新勝寺の参詣は、2・3泊の手頃な旅行コースとして人気があったそうだ。 江戸市中からの参詣コースとしては、現:水戸街道の葛飾区新宿から東に向かい小岩、市川、八幡へと進む道と、日本橋小網町から水路で隅田川を下り行徳から陸路を八幡へ向かう道の2ルートがあった。 明治時代になると、浅草橋から両国橋を渡り小岩、市川を経由して向かう道を千葉街道と称するようになり、これが現在の京葉道路となったそうだ。 この京葉道路にかかる旧江東橋は東関東の水運の大動脈として、江戸時代以降、東京の市民生活を支えてきた運河の一つ「大横川」に大正15年(1926)に架けられた。 現在の江東橋は平成7年(1995)に架け替えられたものである。 現:江東橋の西詰に、旧江東橋の親柱が残されている。、、、、、江東橋付近の大横川は暗渠化され川筋は親水公園に変わった。
 
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am8:45・・・・・・・錦糸町駅前を通過。、、、、、駅前のバス停横に「伊藤佐千夫牧舎兼住居跡」の案内と歌碑が建っている。 ここ錦糸町駅前に、明治22年(1889)から明治45年(1912)まで、明治の歌人:伊藤佐千夫の経営する牧舎と住居があったそうだ。、、、、現存していれば、新鮮な牛乳が飲める駅前のミルクスタンドとして繁昌したかも(?)
 
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am8:50・・・・・・・錦糸町駅の東350m程の処に、京葉道路に面し都営江東橋4丁目アパートがある。 昭和52年(1977)に完成した総戸数220戸の都営住宅。 施工は飛島建設。、、、、、この都営住宅の1階は都営バスの車庫となっている。 完成当時は斬新な構造の車庫で、内部にはターンテーブルも供えられているそうだ。、、、、、ここがバスの車庫となる以前は都電の車庫であった。 昭和47年(1972)の都電廃止で、都営住宅と都バスの車庫に生まれ変わった。
 
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am8:55・・・・・・・錦糸町と亀戸の間に流れる運河:横十間川に架かる橋が松代橋である。 現在の橋は昭和44年(1969)に架けられた1径間鋼製桁の橋である。 以前は、昭和5年(1930)に完成した鋼製桁の震災復興橋が架けられていた。 上流側にはJR横十間川橋梁が架かる。、、、、、橋名は西岸にあった旧町名に由来するらしい。
 
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am9:00・・・・・・・JR東日本の総武本線貨物支線である越中島支線の下を抜け、亀戸駅の南を通過する。
 
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am9:15・・・・・・・亀戸駅を過ぎ、亀戸6丁目に入ると、、、、、、私の親友が経営する不動産屋の前に来た。 チラリ、店先を覗くと親友御夫妻の姿が見える、まだお客が来ていないようだ。 チョイト寄って行こう!、、、、気持ちは短時間で失礼するつもりで寄ったが、『友有り、遠方より歩いて来たる。 亦た久しぶりや。』 お茶もいただき、私のバカ話は止まらず、小一時間話し込んでしまった。 お仕事の邪魔をしてしまい、失礼しました。
 
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am10:00・・・・・・・散歩を続ける。 向かうは東へ!
 
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am10:15・・・・・・・中川新橋を渡り旧中川を越える。 江東区亀戸と江戸川区平井を結ぶ橋。
 
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am10:25・・・・・・・江戸川区小松川の再開発地区に建ち並ぶマンション群を見ながら歩く。
 
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am10:30・・・・・・・荒川に架かる小松川大橋 を渡る。 この橋は下り線と上り線が方向別に架橋されている。 上流側(下り)が小松川橋、下流側(上り)が新小松川橋です。 下りの小松川橋が昭和44年(1969)に開通し、上りの新小松川橋は昭和47年(1972)に開通した。 全長500m程の橋である。、、、、、橋上は風が強く、帽子を押さえながら渡って来た。、、、、、荒川は川幅イッパイに流れ、河川敷も水の下である。 上流ではだいぶ降ったようだ。
 
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am10:40・・・・・・・小松川大橋を渡り、江戸川区松島の小松川署前を通過する。、、、、、ここまで、浅草橋交差点から7kmである。(日本橋からは9km)
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・京葉道路の散歩は小松川署の先で終了とした。 これより裏道を歩き新小岩駅に出て帰宅する。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・今日は1万6千歩の散歩でした。

2018年6月27日 (水)

扇橋閘門

隅田川と旧中川を結ぶ運河:小名木川の中程に扇橋閘門がある。 今朝、ベッドの中で地図を見ていたら、閘門に行ってみたくなった。 JR総武線錦糸町駅から南に歩き、扇橋閘門へ行ってガッカリし、西へ歩き都営大江戸線清澄白河駅まで、直線距離で3km程の工程を、1万1千歩を要して歩いた。(ひょっとすると、私は脚が短いのかも?)
 
 
 
①錦糸町駅・・・・・・・・・・・明治27年(1894)12月9日に、私鉄:総武鉄道の本所駅として開業。、、、、一日に30万以上が乗降する、JR、東京メトロが乗り入れるターミナル駅。 ちなみに、私が住む二駅隣の浅草橋駅の乗降客は17万人程。 負けた!
 
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・・・・・・・・・・・・・錦糸町駅ホームから撮った錦糸町交差点。 右の高い建物はJRAの馬券売り場、左手前の改装工事中のビルは「東京楽天地」
 
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②江東観世音・・・・・・・・・・錦糸町駅前の丸井の裏(南側)に、天台宗の五徳山江東寺がある。昭和15年(1940)に水澤観世音(伊香保町)の別院として創建された。 本尊は千手観世音であるが、境内には清昌稲荷、出世弁財天、水洗観音、地蔵尊、馬頭観音、戦災慰霊碑などいろいろ取り揃え祀られている。、、、、、馬券買う前に馬頭観音に手を合わせて行くと、御利益あるかも?
 
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・・・・・・・・・・・・・・江東寺の向かいに、チョイト古い建物「ニュー錦糸町ビル」がある。 1・2階は店舗、3階から上は住宅となっている。 昭和43年(1968)に建てられたそうだ。
 
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③日先神社・・・・・・・・・・新大橋通りを横断し江東区猿江1丁目に、江戸名所図会にも描かれ江戸屈指の規模をもつ摩利支天だった日先神社(ひのさきじんじゃ)がある。 今や、見るも悲しき、小さな神社となってしまった。 摩利支天とは仏教の神様であり、太陽の前に先立ち進むと言われ、明治­以降に日先神社と改称したようだ。
 
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④猿江神社・・・・・・・・・・日先神社から100m程南に行くと猿江2丁目に猿江神社がある。 正確な創立年代は不明であるが、康平年中(1058、平安時代中期)頃には近在の信仰を一身に集めた稲荷社であったらしい。、、、、、鉄筋コンクリート造の社殿は昭和6年(1931)に建立され、鉄筋コンクリ―ト造の寺社としては国内最古である。 また、玉垣のある石造燈籠も昭和6年(1931)に造られた。、、、、、猿江神社の社殿も国の文化財に登録してあげたいね。 参考に、国登録有形文化財である鉄筋コンクリート造の神田明神 の社は、昭和9年(1934)に造営された。
 
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⑤扇橋閘門・・・・・・・・・・いよいよ、本日の目的地:扇橋閘門(こうもん)に来た。 閘門とは水位の異なる河川や運河、水路などで船を上下させるための装置である。 閘門の特徴は、固定された閘室(前後を仕切った空間)内の水位を変えることで、船舶の航行を可能にするための施設。 誰もが知る、有名な閘門はパナマ運河である。、、、、、小名木川の扇橋閘門のある江東区は、東側が地盤が低く西側が高い地形になっており、昭和46年(1971)策定の江東内部河川整備計画にて、東側を常に一定に保つ水位低下区域としてまた西側の感湖部を耐震区域として整備することになった。 この閘門は、両区域の接点にあたる小名木川の中間に造られている。 30億円の事業費と5年以上の歳月を費やして昭和52年(1977)に完成した。
 
・・・・・・・・・・・・・ありゃりゃ、閘門は工事中。 来年の春までダメだ! 残念・無念。、、、、、4年前の閘門は、コチラ
 
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⑥閘門の隣りに架かる2橋・・・・・・・・・・・・扇橋閘門を挟む小松橋(旧中川側)と新扇橋(隅田川側)。
 
・・・・・・・・・・・・・まずは、小松橋、、、、、、昭和4年(1929)3月に着工し、昭和5年(1930)1月に完成した震災復興橋。 工期10カ月とは超突貫工事?
 
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・・・・・・・・・・・・・新扇橋、、、、、、旧橋は昭和4年(1929)に架けられたトラス橋であった。 昭和48年(1973)に、ランガー桁の現橋に架け替えられた。
 
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⑦清澄白河駅・・・・・・・・・扇橋閘門から、清洲橋通り、霊巌寺 に立ち寄り、大江戸線清澄白河駅から帰宅。、、、、、、、清澄白河駅は、都営地下鉄大江戸線と東京メトロ半蔵門線の駅である。 平成12年(2000)12月12日、“12”並びの日、大江戸線全線開通と同時に開業した駅。 島式ホーム2面3線を有する地下駅で、中央の線は折り返し用で、両側にホームがある。 当駅から木場公園の地下に造られた木場車両検修場への引き込み線が存在するため、当駅発着の列車も多い。
 
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2018年6月25日 (月)

東武亀戸線

今日の東京は30℃を超える暑さ、まだ熱中症で死にたくない。 チョイト身体が慣れるまで炎天下の散歩はひかえよう、自重・自重! でも、15時過ぎになると、そろそろ歩いてくるかと家を出た。 何度も歩いている散歩コースの一つ、東武亀戸線の線路沿いに、曳舟から亀戸まで歩いてきた。 1万歩の散歩です。、、、、東武亀戸線、過去の散歩→→→2年前の散歩 3年前の散歩
 
 
 
①曳舟駅・・・・・・・・・亀戸線は明治37年(1904)4月5日に、亀戸~曳舟間の3.4kmが開業した。 曳舟駅は、その2年前明治35年(1902)に現:伊勢崎線の駅として開業している。、、、、、亀戸線の起点駅である。
 
・・・・・・・・・・・・亀戸線は2両編成でワンマン運転。 曳舟駅では運転手さんも前から後ろへ移動。
 
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・・・・・・・・・・・・・・曳舟駅の改良工事は進み、明るくなったコンコース、東口には駅ビルが建ち昨年、ベッド数200床の「東京曳舟病院」が開院した。
 
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②曳舟駅~小村井駅・・・・・・・・・・・線路の北側は、木造住宅が密集し防火上危険な、いわゆる“木密地区”である墨田区京島。
 
・・・・・・・・・・・・・高架の曳舟駅から地上へ下り、京島地区へ入る亀戸線。
 
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・・・・・・・・・・・・・・昭和30年代の塗装を再現したリバイバルカラー:緑の2両編成も走る亀戸線。
 
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・・・・・・・・・・・・・・木造住宅の並ぶ路地裏を線路沿いに歩く。
 
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・・・・・・・・・・・・・そろそろ木造の密集地区“墨田区京町”から外れ、ここは“墨田区文花”。
 
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③小村井駅・・・・・・・・・・・曳舟から1.4kmの小村井(おむらい)駅。 駅前には明治通りが通る。
 
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④東あずま駅・・・・・・・・・・小村井駅から600mで東あずま駅。 構内踏切がある駅。
 
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⑤東あずま駅~亀戸水神駅・・・・・・・・東あずま駅と次の亀戸水神駅の間は約700m。 この間で、隅田川と旧中川を結ぶ運河である北十間川と交差する。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・亀戸に近づいてくると、マンション、ビルの間を走る亀戸線。
 
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⑥亀戸水神駅・・・・・・・・・・かの有名な亀戸天神、チョイト有名な亀戸香取神社の、どちらとも異なるマイナーな亀戸水神宮に近い駅。 
 
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⑦亀戸水神駅~亀戸駅・・・・・・・・・・この駅間も700m程と短い距離である。、、、、、、亀戸水神駅から100m程亀戸駅に寄ったあたりに、旧亀戸水神駅の跡が残っている。 線路脇にコンクリートの基礎のようなものが等間隔に並んでいる。 ここが、空襲で被災するまで使われていた亀戸水神駅である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・JR総武線が見えたら亀戸駅はスグソコ!
 
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⑧亀戸駅・・・・・・・・・・・・・総武線の盛土下に亀戸線のホームが見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・改札の先に到着した亀戸線が見える。、、、、、『亀戸、亀戸、終点です』
 
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2018年4月26日 (木)

京成曳舟~平井

今日も、夕暮れ時の散歩となった。 京成曳舟駅から、墨田区八広、東墨田の町を歩き、中平井橋で旧中川を越えて江戸川区に入り、平井駅まで、昨日の続きのような下町散歩です。 9千歩。 
 
 
 
①京成曳舟駅前・・・・・・・・・京成曳舟駅で下車した。 京成押上線高架化工事はほぼ終わり、駅前の核となるタワーマンションは入居済みである。 しかし、駅の南側は仮の駐車場となったまま、いまだ再開発工事に着手していない。、、、、、この駐車場出入口に、以前この地にあった工場の門柱だけが2本残っている。 門柱には、「興国ゴム工業株式会社 向島工場 東京都墨田区寺島町4-75」のプレートが埋め込まれ、その下に現住所のプレートが貼られている。 ソウダ!この地に「興国ゴム工業」の前身が誕生したのは、大正13年(1924)。 以来、平成まで(?)工場があったと思う。 「墨田区寺島町」の地名は昭和40年(1965)まで使用し、その後は「京島」となる。、、、、、“昭和の門柱”の運命や、今後いかに?
 
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②下町の裏道・・・・・・・・・・・今日も下町(墨田区八広)の裏道を歩いてきた。、、、、、チラチラ、緑が見える裏道。 狭い道、フォークリフトで丁寧に運ぶ!
 
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③明治通りに残る長屋・・・・・・・・・明治通り沿いに、木造の住宅兼店舗の長屋が何棟か残っている。 その内、京島交差点近くの2棟。
 
・・・・・・・・・・・・明治通りと四つ目通りが交差する京島交差点の角に建つ6軒(?)長屋。 再開発するのか、既に空き家となったようだ。 消えゆく昭和の長屋、残念!
 
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・・・・・・・・・・・・・・明治通りに面して建つ6軒長屋(京島3)。 この一画は戦災で焼けなかったところで、モルタル吹付外壁の長屋が残っている。 現存する6軒長屋の右側に、以前同じ外観の6軒長屋があった。 元は6軒長屋が2棟あったようだ。
 
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④昭和の質屋!・・・・・・・・・・・・八広2丁目の質屋さん。 家紋を染め抜いた紺ののれんが下がり、石造りの質蔵を控え、玄関の脇には暗くなってコッソリ訪れる客用の木戸もある、下町の質屋さん。、、、、着物を質入れし遊んだ、いなせな兄さんは、もう居ないね!
 
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・・・・・・・・・・・・・・質屋の裏に茶乃小林園があった。 営業しているのかな?
 
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⑤墨田清掃工場・・・・・・・・・・墨田区八広の隣り町:東墨田に、巨大な墨田清掃工場がある。 333億円の費用と約3年半の建設期間を要し、平成10年(1998)に建てられた清掃工場。 焼却能力は600トン/日で、余熱を利用した発電では13,000kWの出力がある。、、、、、、高い煙突は、スカイツリーと並び町のシンボルか?
 
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・・・・・・・・・・・・・また、隣の健康施設「すみだスポーツ健康センター」へ、清掃工場の余熱供給も行われている。 プールはもちろん“温水”。
 
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⑥旧中川・・・・・・・・・・・清掃工場の脇に流れる旧中川。 旧中川は荒川によって、分断された昔の中川の下流側である。 この川は墨田区と江戸川区の区境でもある。、、、、、分断され、大きな池のようになった旧中川は住民の憩いの場を提供しているようだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・旧中川に架かる中平井橋。 この橋を渡り、江戸川区に入る。、、、、長さ: 68m、幅:13m、平成20年(2008)竣工。
 
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⑦都営平井七丁目第3アパート・・・・・・・・・中平井橋を渡ると右手に、地上14階建ての大きな都営アパートがある。 昭和60年~61年に建てられ、450戸程が入居しているそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・都営アパートの隣りは、洗剤の「ライオン」の平井事業所。
 
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⑧夕暮れのスカイツリー・・・・・・・・・・旧中川の土手からスカイツリーを見る。
 
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⑨平井駅・・・・・・・・・・そろそろ皆さんご帰宅のようです。 私も帰宅する。
 
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