墨田区

2017年9月22日 (金)

浅草橋~平井

今朝のNHK天気予報で、東京の天気は、午前中は曇り、正午からは小雨、夜は雨と受け止めた。 午前中は天気ももちそうなので、我が家から総武線沿いに歩いてみることにした。 浅草橋の我が家から平井駅まで、1万4千歩の散歩です。
 
 
①浅草橋を発つ・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・高架ホーム下の店舗、駅前の飲食店、どこも、まだ閉まっている。、、、、、高級ブランドの店、三つ星レストランなんてない。 あるのはビーズ屋さん、安売り雑貨屋さん、超B級飲食店ばかり。
 
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・・・・・・・・・・・・・・朝8時、そろそろ駅から職場に向かう人も出てきた。
 
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②両国橋を渡る・・・・・・・・・・“雨降る天気”は嘘のような“爽やかな晴れ”。 
 
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③両国駅付近を通過・・・・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・今日は回向院 には立ち寄らず素通り。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・・両国駅の南側、京葉道路に面した両国3丁目22番は芥川龍之介が18歳まで育った処。 芥川は回向院の隣にあった小学校に通ったそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・江戸東京博物館前から北斎通りに入る。
 
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北斎通りを行く ・・・・・・・・・・・・江戸東京博物館前から錦糸公園の先の錦糸橋(横十間川)までの通りを言う。 江戸東京博物館前から横川までは、かつての本所南割下水(ほんじょみなみわりげすい)と呼ばれた、道路の真ん中を掘り割った下水路であった。 割下水は昭和初期に暗渠化され、平成の世になり歩道などが整備され、平成6年(1994)から「北斎通り」と称した。
 
・・・・・・・・・・・・・・・すみだ北斎美術館(墨田区亀沢2)の敷地は、江戸時代に弘前藩津軽家の大名屋敷あった。 この近くには葛飾北斎が住んでいた、つまり北斎の地元にできた美術館である。、、、、、、妹島和世建築設計事務所の設計、大林組+東武谷内田建設の施工による、RC造地上4階/地下1階建ての美術館。、、、、、大変残念なことだが、私はまだ入館したことが無いので、コメントなし。
 
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・・・・・・・・・・・・・・こちらも亀沢にある、日本相撲協会が直営の相撲神社で、「野見宿禰神社(のみのすくねじんじゃ)」。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・「北斎通り」、名前は粋で、江戸趣味を感じさせるが、通りには古い建物は残っておらず、またシャレた店舗が並んでいるわけでもない。 鋼管、パイプなどを扱う会社が多く、恋人同士の散歩にはチョイと不向きである。
 
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・・・・・・・・・・・・・・北斎通りは錦糸町駅手前で大横川親水公園と交差する。 東京スカイツリーの足下から、南に江東区木場方面に流れる大横川。 その一部を暗渠化し、整備されて親水公園となっている。
 
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・・・・・・・・・・・・・錦糸町駅の北側を再開発した「アルカタワーズ」。 3棟の超高層オフィスビルと、ホテル、シンフォニーホール、商業施設ビル、高層住宅などで構成されている。 前を貫く道路は北斎通り。、、、、、、サラリーマン時代、私のデスクも一時期このビルの中にあった。 今は懐かしいビル。
 
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・・・・・・・・・・・・・・津軽稲荷神社は、津軽藩下屋敷の屋敷神として祀られていた稲荷神を、明治43年(1910)に払い下げられ、錦糸町1丁目町会の守護神とした。
 
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・・・・・・・・・・・・・・錦糸町駅北口前をしたすら東に向かう。
 
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・・・・・・・・・・・・・・ 錦糸公園の奥に建つ「Olinas」の超高層ビル。 ここは、時計の旧精工舎の工場跡地である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・錦糸公園の東側に残る、旧病院建築。 現在は、昭和19年(1944)に病院跡に移転した阪上製作所の社屋となっている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・北斎通りは両国の江戸東京博物館前より東に真直ぐ伸びて、ここ横十間川に架かる錦糸橋までである。 これより江東区亀戸の町となる。
 
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⑤亀戸駅前を行く・・・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・亀戸駅前を通り抜け、我が足は東へ向かう。
 
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・・・・・・・・・・・・・・東武亀戸線 をチョイト見て、ついでに写真も撮って、先を急ぐ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・丸八通りを横切って、亀戸中央公園を抜けると、旧中川に出る。
 
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⑥旧中川を越えれば平井駅・・・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・旧中川は江東新橋 で越える。 超えると、そこは江戸川区平井の町。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・蔵前橋通りから、チョイとそれると平井駅 に出る。 駅前に着くと、ちょうど、ポッリと落ちてきたが、まだ傘は必要なさそうだ、帰ることにした。
 
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2017年9月15日 (金)

刀剣博物館

朝一番の予約で墨田区の病院で、皮膚科の検診を受けてきた。 病気の方は特に異常なしで結果オーライ。、、、、、帰りは、安田庭園、両国駅前を通り、両国橋を渡り浅草橋の我が家へ戻った。 スタコラ歩けば、20分程の距離である。
 
 
 
●刀剣博物館・・・・・・・・・・病院を出たら目の前に新しい建物ができている。 これまでは仮囲いの中で『何やらやってるな』とみていたが、今日は仮囲いも撤去され、工事も最終段階のようだ。 ここは、旧安田庭園の一角で、本所公会堂(両国公会堂)の跡地である。、、、、新しい建物は、槇総合計画事務所の設計、戸田建設の施工による、地上3階建て鉄筋コンクリート造、建築面積約1080m2の刀剣博物館である。、、、、博物館は戦後に設立された「日本美術刀剣保存協会」の建物となり、国宝、重文を含む約190点の刀剣・刀装具・甲冑などが、来年1月から随時展示公開されるらしい。、、、、、私は、来年春に次回定期検査があるので、立ち寄るのが楽しみである。
 
・・・・・・・・・・・・・正面玄関前には工事用の車両が停まり、チョイと写真撮影には邪魔だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・刀剣博物館と同じ位置に正面玄関があった本所公会堂(両国公会堂)。(2013年撮影)、、、、、公会堂は安田財閥の寄付金をもとに、震災の記も生々しい大正15年(1926)に竣工した。 隣接する被服廠(現:東京都慰霊堂)では、数万人もの焼死者が出たので、この建物は復興の象徴のように映ったと思われる。 
 
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・・・・・・・・・・・・・旧安田庭園からみる刀剣博物館。、、、、、同じ位置から見る公会堂。 今と昔、どちらがいいかな?
 
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・・・・・・・・・・・・・旧安田庭園は、江戸時代、本庄氏(常陸笠間藩、のち丹後宮津藩)の下屋敷であった。 元禄年間に大名庭園として築造され、安政年間に、隅田川の水を引いた潮入回遊庭園として整備された。 明治に入り、旧岡山藩主池田章政の邸宅であったが、明治22年(1989)には安田財閥の祖である安田善次郎が所有することとなった。 大正11年(1922)に東京市に寄贈された。 現在は墨田区が管理している。
 
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●大相撲秋場所・・・・・・・・・・・幟がなびき客を迎える、秋場所だ!、、、、オヤ!何やら恥ずかし気に背を見せてなびくは、白鷗(休場)、日馬富士(3勝3敗)、鶴竜(休場)、稀勢の里(休場)、高安(休場)、豪栄道(5勝1敗)、栃煌山(1勝5敗)の幟。
 
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両国駅 ・・・・・・・・・・・昨年秋に駅舎は改装され、複合飲食施設「-両国- 江戸NOREN」がオープンした。
 
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●・・・・・・・・・・・・・私の足は両国橋から、我が家へ向かう。

2017年9月 1日 (金)

震災記念日

9月1日は「防災の日」であるが、中高年には「震災記念日」と言ったほうが、通りがいいかも。 終戦直後に生まれた私にとっては、、、、、9月1日は、前日の夜までに、やっとこ終わらせた夏休みの宿題をもって登校する日で、昼からは震災記念堂に参り、屋台で水鉄砲・綿あめ・ヨーヨー風船を買ってもらう日であった。 生まれて70年間、隅田川を挟み震災記念堂の対岸(浅草橋)に住む私は、今でもほぼ毎年慰霊に訪れている。 今日も、朝から焼香に行ってきた。
 
 
 
●震災記念堂まで・・・・・・・・・・・浅草橋から震災記念堂までは、蔵前橋を渡り隅田川を越えれば、20分程で行くことができる。 
 
・・・・・・・・・・・・・・通勤のサラリーマンが駅から散らばる8時過ぎに、『チョクラ行って来る』と家を出た。
 
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・・・・・・・・・・・・・・創建は推古天皇9年(601)頃と言われている須賀神社(台東区浅草橋2)。  当時、この地に疫病が流行した。 ところが、このあたりの森に牛頭天王を祭った祠があり、その祠に郷の人々は病気平癒を祈った処、尽く快気した。 以来、江戸時代には 祇園社、蔵前牛頭天王、団子天王、笹団子天王、などと呼ばれ、経済力のある氏子の札差らに支えられ 祭礼も盛大に行われた。 そして明治時代の神仏分離令により、天台宗東叡山寛永寺真鏡山宝現院大円寺より分離され、須賀神社と改名した古社である。、、、、、、社殿は、関東大震災の災失、第二次世界大戦の焼失のため  昭和36年(1961)鉄筋コンクリート造にて再建された。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・須賀神社の裏には、知る人も少なくなったが、関東大震災までは閻魔堂があったそうだ。、、、、、江戸時代に華徳院という閻魔王を御本尊とする寺があった、この寺が閻魔堂である。 下谷坂本の善養寺、内藤新宿の太宗寺 と共に江戸三大閻魔のひとつに数えられ、参拝客でにぎわったそうだ。、、、、華徳院は現在は杉並区に移り、かつて閻魔堂が在った場所(浅草橋2:玩具会館)の植え込みに小さな石碑が立っている。、、、、閻魔さまが残っていれば、名所の少ない浅草橋にとっては、浅草の観音さまと勝負できる観光名所になったかも(?)
 
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・・・・・・・・・・・・・・創業文久2年(1862)、江戸時代から続く佃煮の老舗「鮒佐」。 大正3年(1914)創業は、扇子・団扇の専門店「松根屋」。 ともに、須賀神社の並びです。、、、、、、江戸の味と文化を残す老舗がしっかりとある、『ちょいとおいでよ浅草橋
 
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・・・・・・・・・・・・・・江戸通りの隅田川寄りには榊神社 (蔵前3)がある。、、、、、こちらの神社にも手を合わせ、お賽銭10円分の幸を祈る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・神社の先で隅田川に出て、蔵前橋を渡る。
 
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●震災記念堂・・・・・・・・・・・墨田区横網町公園に建つ東京都慰霊堂 。 「震災記念堂」とは、昭和51年(1976)までの呼称である。 この年、第二次世界大戦における空襲で死亡した遺骨も合祀し、「東京都慰霊堂」と改称した。、、、、本堂は文化勲章を受章した伊東忠太の設計によるもので、200坪の講堂と三重塔を持つ寺院風の建築である。 三重塔は高さ約41mで、基部は納骨堂となっている。 講堂には祭壇があり、震災死亡者、空襲死亡者の霊をそれぞれ合祀した巨大な位牌が2基祀られている。 施工は戸田組(現:戸田建設)。、、、、、今日は式典が行われることは想定していたが、それ以前に行けば焼香できると思っていたが、あまかった! “秋篠宮ご夫妻が参列”されその警備、“朝鮮人犠牲者への小池百合子都知事や山本亨墨田区長が今年から追悼文をやめた件”でのイザコザなどで、やたらめったら警備が厳重だった。
 
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・・・・・・・・・・・・・・今日は、式典前に来たのだが本堂の最前列に置かれた焼香台には近寄れず、遠くから手を合わせてきた。
 
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・・・・・・・・・・・・・三重塔の下にある納骨堂の方は、特に厳重に警備する様子もなく、焼香できた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・警察・消防・赤十字など関係機関から多くの人が出て、震災の犠牲者を慰霊する都の大法要、震災時に「虐殺」されたとする朝鮮人らを追悼する団体の式典、その犠牲者数に疑義を唱える団体の慰霊祭などが、行われていた。、、、、静かに、厳粛に、慰霊したかった一般の参列者にとっては、納得できない「震災記念日」であったかも?
 
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2017年8月24日 (木)

京成曳舟~堀切

久しぶりに墨田区の北部(東向島、墨田)の裏道を歩きたくなり、京成曳舟駅から東武伊勢崎線の堀切駅まで、これまで歩いたことがない裏道・裏通りを探しながらの散歩です。
 
 
 
①京成曳舟駅・・・・・・・・・・・・・1912年(大正元年(1912)11月3日に「曳舟」駅として開業し、昭和6年(1931)に「京成曳舟」駅に改称した。 駅は、平成25年(2013)に上り線を高架にし、平成27年(2015)に下り線も高架となり、相対式ホーム2面2線の高架駅に変わった。、、、、、ホーム下のコンコースは広く、改札口は押上側と八広側の両端にある。 今日は東向島方面に行くので、八広側の改札を抜け高架下の長い通路を歩き、明治通りに出た。、、、、、地上駅から一気に垢抜けした高架駅に変わり、さらに駅前再開発で弾みがつき、地価もはね上がったと思うね!
 
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②東向島6丁目の裏道・・・・・・・・・・・・・・「東向島6丁目」と言われて、どの辺りかピンとくるのは地元の人だけ。 チョイと説明すると、京成曳舟駅と八広駅の間で、京成押上線に並行する水戸街道の南側の町である。 水戸街道の反対側(北側)は年配の人には懐かしい、玉ノ井の町があった、東向島5丁目なり。
 
・・・・・・・・・・・・・・鍵の手に折れた裏道。 この辺りでは、各家で建て替え時に、緊急車両が通れるように前面道路を広げている。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・この道は“ドブ川”の跡かな?
 
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・・・・・・・・・・・・・・道の先はT字路。 オヤ、渋い工場がある。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・この道も細い、自家用自転車は欠かせない交通手段。
 
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・・・・・・・・・・・・・・方向感覚も鈍り、どこをどっちに歩いたのか? 出て来た処は、『なんだ、ここか』、以前来た神社。 長浦神社だった。、、、、週末の納涼踊りに向け、準備完了?
 
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玉ノ井の町 ・・・・・・・・・・・終戦直後には、487軒の売春宿に1200人の売春婦がいた、国内最大規模の私娼街であった「玉ノ井 」。 その玉ノ井があった東向島5丁目と、北側に隣接する墨田3丁目の裏道を抜け鐘ヶ淵駅にでる。、、、、戦後70年、当時の建物は毎年取り壊され、新しくなっていく。 去年残っていた建物も、今日は洒落た若夫婦向けの住宅に変わっている。
 
・・・・・・・・・・・・・・水戸街道を横断し、東向島5丁目に入る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・「玉ノ井」の名は意識的に無くしているのか、その名を見る機会も少なくなった。 商店街の旗に、小さくその名を見つけた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・チョックラ、裏道に入ってみる。、、、、、私娼街の頃、入り組んだ路地の入口には『抜けられます』、『ぬけみち』の看板が出ていたそうだ。 これが、路地(私娼街)に客を呼び込むキャッチフレーズだったのか?、、、、、今日の散歩では、当時の路地と思われる処も歩いてみた。 私の心の中では、「抜けられますか?」と問いかけていた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・出て来た道は、かつての玉ノ井のメインストリートであった「いろは通り」。 つい数年前までは、「玉ノ井いろは通り」と表示されていたが、消えた!
 
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・・・・・・・・・・・・・・「いろは通り」から墨田3丁目の町に入る。、、、、まだ数軒、私娼街の頃の建物が残っているが、外装を変えたり、塗装したり、当時の面影も薄らいできた。、、、、今日は路地歩きに徹しよう。
 
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・・・・・・・・・・・・・・路地裏のタバコ屋さん、見ると缶ピーがある。 おじいさんが一人、店番をしていたので話を聞くと、両国辺りから缶ピーを買いに来る常連もいるそうだ。、、、、、10年ほど前にタバコをやめた私も、今日は記念に買ってきた。
 
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・・・・・・・・・・・・・この町の新しい住宅が建ち、道幅もひろがってきた。 私の散歩も『抜けられました』
 
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④鐘ヶ淵駅から堀切駅まで・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・私の脱臼事件が起きた、鐘ヶ淵駅前の交番に頭を下げて先を行く。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅前の小さな商店街を抜け、再び裏道へ、、、、、どこも行き止まりのように見えるが、T字路になっていて『抜けられます』。
 
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・・・・・・・・・・・・・この先は、香取神社、多聞寺に立ち寄り、堀切駅へ向かい、帰宅した。
 
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2017年8月12日 (土)

平井~八広

連日のスッキリしない天気、『今日も散歩はできず』と思いきや、午後には雨もやんだようだ。 3時過ぎに、チョックラ歩いてくることにした。 総武線平井駅から京成押上線八広駅まで、9千歩の散歩です。
 
 
 
平井駅 ・・・・・・・・・・明治32年(1899)4月28日、総武鉄道(私鉄)の駅として開業。 明治40年(1907)には、鉄道国有法により国有化された。 現在は、緩行電車だけが停車する1面2線の高架駅。、、、、、駅の開業は古いが、駅前には大規模商業施設もなく、集客力のあるものは何もない駅である。(私の住む、浅草橋に似ている) 総武本線に「平井」という駅があることも、一般に知られていないかも。
 
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②燈明寺・・・・・・・・・・平井駅から北に向かい、蔵前橋通りを越えると、新義真言宗の明雅山明王院燈明寺がある。 本尊は不動明王である。、、、、、山門を入り右側には、昭和19年(1944)に完成した、高さ14.4m、幅17.1m、奥行27mの本堂(金堂)がある。 只今、改修中らしく、足場が組まれ、シートで覆われていた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・山門を入った正面に聖天堂が見える。 妻沼聖天、浅草待乳山聖天とならぶ関東三聖天の一つとして知られている。 現在の建物は昭和36年(1961)に改築された。、、、、、、この聖天堂も、本堂も、“0m地帯”にあることを意識してか? コンクリート造による人工地盤の上に建っている。
 
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③平井諏訪神社・・・・・・・・・・・・燈明寺の隣にある平井諏訪神社は、享保年間(1716~1736)に燈明寺の僧:恵祐法印が、自分の生まれた国である信州の諏訪大明神の神霊をここに祀ったのが始まりといわれている。 現社殿は昭和44年(1969)8月に、鉄筋コンクリート造で完成した。
 
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・・・・・・・・・・・・・社殿の右隣には、諏訪神社の旧本殿を利用した稲荷社がある。 天保14年(1843)の建物で、外部に施された龍・唐獅子などの彩色彫刻が江戸後期の神社建築の過飾的な特色をよく伝えている。、、、、、貴重な建物で、江戸川区の登録文化財に指定されているそうだ。 国宝ではないので、たいしたことないかも?(失礼)
 
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・・・・・・・・・・・・・・境内には、大正9年(1920)頃、旧下平井村の丸富講の人びとによって造られた「平井の富士塚」がある。 また、絵馬堂には丸富講が大正2年(1913)に奉納した図額もある。、、、、、「今上皇帝 御脳平癒 祈祷記念」と記されているが、“御脳平癒”とは? 頭が悪かったのか? IQが低い? さてさて?
 
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④下平井の観世音菩薩像浅草道石造道標・・・・・・・・・・諏訪神社の裏手に、享保19年(1734)の建立の石像がある。 この石像は道標を兼ねており、正面に観音菩薩立像が刻まれ、銘文には「秩父□□□あさくさ道」「享保十九甲寅」「是より佐(ひだり)ぎやうとく道」とある。 道標の元の位置は神社前の道路を挟んで向かい側にあったそうだ。、、、、、300年近く、この付近に立っていた石像、観音様の顔は判別できず。 美容整形で修復したら? 
 
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⑤平井橋・・・・・・・・・・燈明寺の西で、旧中川に架けられた平井橋を渡り、江戸川区から墨田区に入る。 橋は昭和55年(1980)の架橋。、、、、、、護岸は葦を植え自然景観に近く整備されている。 いいね!
 
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⑥北向地蔵尊・・・・・・・・・墨田区立花6丁目にある祠。 祠の中には、石が削られ餓死寸前の老人が骨と皮だけになったような、2体の石像がある。 石像の周囲には、墓碑が置かれ、どれも明暦、寛文、延宝など江戸時代の銘が刻まれている。
 
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⑦立花・八広の町・・・・・・・・・・・・立花5丁目・6丁目、八広2丁目・3丁目の裏道を歩く。

・・・・・・・・・・・・・・都営住宅「立花六丁目アパート」の裏を歩き、5丁目に入る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・小さな工場が多い立花5丁目を歩く。
 
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・・・・・・・・・・・・・・八広の町は、吾輩の好きな、真直ぐな道がない迷路のような町。 
 
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⑧三輪里稲荷神社・・・・・・・・・・八広3丁目の裏道の奥にある神社。 慶長19年(1614)出羽国湯殿山の大日坊長が大畑村(八広、東墨田、立花の一部)の総鎮守として羽黒大神の分霊を勧請し三輪里稲荷大明神として鎮座した。 通称の「こんにゃく稲荷」と呼ばれ、初午の日に授与される「こんにゃくの護符」は、のどや風邪などの病に効くといわれている。、、、、、政界用語では“こんにゃく”は100万円の札束を言う。 森〇学園元園長のおばさんも好きで、某政党の幹事長のところに持って行ったが、突き返されたそうだ。 吾輩なら一つと言わず、二つでも、三つでも貰うのだが、万病に効きそうな“こんにゃく”だからね!
 
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⑨薬師道道標 ・・・・・・・・・・八広4丁目、「4丁目交番」横の植込みに道標がある。 表に「右やくしみち」、「左えどみち」とある。 木下川薬師 への道標で、高さ1m余のものだ。 伝承では、享保年間(1716~1735)に将軍吉宗の薬師参詣にあたって、村人に建てさせたものといわれている。、、、、、、将軍が迷子になるからかな?
 
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⑩八広駅・・・・・・・・・・・大正12年(1923)7月11日に、荒川駅として開業。 平成6年(1994)、八広駅に改称。、、、、、駅名の八広の町は、昭和40年(1965)の住居表示実施に伴い近隣8地区が合併して成立したため、「八」の字を採り、その字体から「末広がり」の縁起を担いで命名したそうだ。、、、、、なんかテキトウな命名だ!
 
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2017年6月18日 (日)

四ツ目通り

JR総武線錦糸町駅から、四ツ目通り沿いに南下し地下鉄東陽町駅をとおり過ぎ、江東区塩浜にある地下鉄東西線の車両基地まで、1万2千歩の散歩です。
 
・・・・・・・・・・・・四ツ目通りとは、、、、、江東区東陽3丁目を起点として、江東区を北上し地下鉄住吉駅、JR錦糸町駅をとおり、墨田区京島1丁目まで、総延長約5.5kmの都道である。 名の由来は、、、、、昔、堅川の北岸、現在の両国2~4丁目辺り(旧:相生町)に囲碁の名家:本因坊家があった。 その相生町の1、2丁目のブロックを碁盤の目に因んで一ツ目と呼び、3~5丁目を二ツ目と呼んだ。 その一ツ目の入口にかかる竪川の橋を一之橋と称し、二ツ目の入口にかかる橋を二之橋と称した。 その後三之橋、四之橋、五之橋が架けられた。 それぞれの橋上をとおる通りは、橋の名と同じ数字の“一ツ目通り”から順に“五ツ目通り”までの名が付けられた。 しかし現在、一ツ目通りは一ノ橋通り、二ツ目通りは清澄通り、三ツ目通りと四ツ目通りは今もその名を引き継ぎ、五ツ目通りは明治通りとなる。
 
 
 
①錦糸町駅・・・・・・・・・・明治27年(1894)12月9日、総武鉄道の本所駅として開業し、明治40年(1907)に国有化される。 大正4年(1915)に錦糸町駅に改称する。 歴史ある駅だ、南口の駅ビル「テルミナ」は昭和36年(1961)に竣工した。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・築50年経過した駅ビル「テルミナ」、、、、、、、駅前のバス停辺りは、明治43年(1910)頃まで歌人:伊藤佐千夫の住居兼牧舎があったそうだ。 錦糸町で酪農ができた時代があったなって、夢のような話。
 
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・・・・・・・・・・・・・錦糸町駅前交差点から見る四ツ目通り。
 
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②田螺稲荷神社・・・・・・・・・四ツ目通りから80m程西に入った処(江東橋3)、ビルの谷間に祀られている田螺(たにし)稲荷神社。 かつては田中稲荷と呼ばれていたらしいが、江戸時代、周辺に大きな火災があり、周りの家が次々と燃えていく中、神社の池から田螺が続々と這い出してお稲荷さんの壁に張り付き、神社を守ったらしい。 以来、「火防せ」の神様「田螺神社」として信仰を集めるようになったそうだ。、、、、、今では、周りは飲み屋とラブホテルが並ぶ夜の街。 火災にはより注意が必要。
 
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③四之橋・・・・・・・・・・四ツ目通りの名の謂れとなった堅川に架かる四之橋。 堅川は埋め立てられ、頭上には首都高が走り、四之橋は車専用となり、歩行者は両端から橋の下に下り、橋桁を金網越しに見上げて横断する車優先の構造となった。、、、、、
四之橋が初めて架けられたのは、万治2年(1659)である。  現橋は昭和46年(1971)に竣工した、3径間鋼製桁で、橋長は35m。
 
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④住吉駅・・・・・・・・・・・四ツ目通りが新大橋通りと交差する位置に都営新宿線と東京メトロ半蔵門線の住吉駅がある。 昭和53年(1978)12月21日に都営地下鉄新宿線の駅が開業し、25年後の平成15年(2003)3月19日に営団地下鉄の半蔵門線の駅が開業した。、、、、、私は、この駅で乗降した記憶がなく。 未知の駅である。
 
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⑤日先神社・・・・・・・・・・四ツ目通りからチョイと西へ入ると猿江1丁目に、江戸名所図会にも描かれた江戸屈指の規模をもつ摩利支天だった日先神社(ひのさきじんじゃ)がある。 今や、見るも悲しき、小さな神社となってしまった。、、、、、宮司自ら、富岡八幡宮に出向き、商売繁盛を祈願してくるといいかもね!
 
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⑥猿江神社・・・・・・・・・・猿江2丁目にある神社。 正確な創立年代は不明であるが、康平年中(1058、平安時代中期)頃には近在の信仰を一身に集めた稲荷社であったらしい。、、、、、鉄筋コンクリート造の社殿は昭和6年(1931)に建立され、鉄筋コンクリ―ト造の寺社としては国内最古である。 また、玉垣のある石造燈籠も昭和6年(1931)に造られた。、、、、、社殿は国の文化財に登録してあげたいね。
 
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小名木川の2橋・・・・・・・・・・・・・猿江神社の南を流れる小名木川。 ここに小松橋、小名木川橋が架かっている。
 
・・・・・・・・・・・・・小松橋、、、、、、江東区猿江1と扇橋2を結び、区道を通す。 小松橋の形式は曲弦ワーレントラス橋で、昭和5年(1930)に工事費160,137円で架けられた。 今の時代なら安いのだが、関東大震災後の工事費としては高いのか?安いのか?判らん!
 
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・・・・・・・・・・・・・・小名木川橋、、、、、、、こちらは、四ツ目通りをとおし江東区猿江2と扇橋3を結ぶ橋。 昭和4年(1929)に工事費 363.902円にてゲルバー鈑桁で旧橋は架けられた。 その後、昭和63年(1988)に、3径間連続鋼床版鈑桁のげ現橋に架け替えられた。
 
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⑧豊住橋・・・・・・・・・・・四ツ目通り、江東区千石2丁目と東陽6・7丁目を結ぶ 仙台堀川に架かる橋。 橋の下は親水公園のように改良されている。、、、、、、橋を渡ると東陽町駅も近い。
 
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⑨江東区役所・・・・・・・・・・・本庁舎は昭和48年(1973)に建設され、平成25年(2013)には耐震補強工事も完了した。、、、、、、江東区は耐震対策も重要だが、荒川・隅田川の堤防決壊すると、1階は完全に水没するそうだ。 全区民を対象にした浸水対策も実施しなければならず、チョイと気が抜けないね。
 
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⑩東陽町駅・・・・・・・・・・・昭和42年(1967)9月14日に営団地下鉄東西線の終着駅として開業。
 
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・・・・・・・・・・・・・ここ東陽町駅前交差点が四ツ目通りの起点である。、、、、錦糸町から南下してきた道はさらに南へ続く。
 
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⑪四ツ目通りの先は?・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・道幅は少々狭くなり、東陽橋で汐浜運河をこえ、江東区塩浜地区へ向かう。 
 
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・・・・・・・・・・・・・運河をこえると、道は東西線の車両基地に突き当たる。
 
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2017年5月14日 (日)

押上~亀戸

押上駅から、東武亀戸線の東側(京島地区、丸八通り)を歩き亀戸駅まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
とうきょうスカイツリー駅留置線 ・・・・・・・・東武スカイツリーライン(伊勢崎線)の本線南側にはかつて東武鉄道の広大な貨物駅があった。 貨物駅は平成5年(1993)まで営業を続けていたが、その跡地は総事業費650億円を投じて整備され東京スカイツリータウンと変わった。 本線北側には5本の留置線が地上に残っている。、、、、東武鉄道は「とうきょうスカイツリー駅」(旧業平橋駅)をチョイト曳舟駅側に寄せて、本線と留置線を丸ごと高架(全長約1.0km)とし、南側の賑わいを本線の北側にもひろげる予定である。 本年(2017年)着工し、2023年までに完成させる予定らしい。、、、、、工事の進捗を見に来たが、まだ着手していないようだ。 日を改めて出直しだ!
 
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京島 ・・・・・・・・・・・来るたびに変わる京島地区。 今日も古い家が壊され、更地に変わっていた。 
 
・・・・・・・・・・・・・・東武亀戸線の踏切を渡り京島に入る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・緊急車両が通れない細い道は、まだまだ多く残っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・所々、古い建物は壊され、「不燃化促進用地」(区の要請により、UR都市機構が地区内の土地を売却希望者から買い受け、周辺の不燃化建替えに活用、道路・防災スポット等の整備の代替地としての活用など、不燃化の促進を目的とする。)の立札が立っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・こちらの玄関にはバラが咲き、あちらの玄関には洗濯物が下がり、京島を印象づける。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・木造の長屋もまだまだ健在!
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・・・・・・・・・・・・・・只今、朝8時45分。 あの、元気なキラキラ橘商店街も、まだ開店準備中。
 
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・・・・・・・・・・・・・・京島と押上の町境を通過する東武亀戸線
 
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・・・・・・・・・・・・・・京島の隣町「文花3丁目」にて、、、、、古そうな建物も残っている、、、、、
 
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③東あずま駅・・・・・・・・・昭和3年(1928)4月15日、平井街道駅として開業し、昭和20年(1945)に駅は廃止となる。 昭和31年(1956)5月20日、東あずま駅として再開業する。、、、、ところで、駅付近はかつて吾嬬町(あづまちょう)であった。 駅名としては、本来「東あづま」となるはずなのに「東あずま」となった。 理由は不明、東武鉄道の誰かのミスだろう。 直さないのも頑固でいいね!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・東武亀戸線 を走る、オレンジの車体にイエローの帯を巻いた、昭和30年代のリバイバルカラーに塗装された8000系車両
 
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2017年4月30日 (日)

浅草橋~四ツ木

正月終えて花見を済まし、あっと言う間に黄金週間(GW)。 『GWの計画は?』と問われ、『連休前に、内科・眼科で薬を貰い、整形でリハビリ、歯も治療し、一安心。 連休中はゴロ寝で過ごし、一休み。 連休終われば、やることもなく、一生続く超大型連休へ再突入。 最後は黄泉の国への旅行で超大型連休を終える予定。』、、、、こんなGWの計画が現実のものとならないように、昨日は夫婦で都内の散歩。 今日は、浅草橋(我が家)から水戸街道(国道6号)を京成四ツ木駅まで、途中で寄り道せずにスタコラ歩いてきた。 
 
 
 
●am8:00・・・・・・・バスを待つ人、駅周辺を歩く人のいない浅草橋を発つ。、、、、、“死の町”か?
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●am8:15頃・・・・・・・蔵前・駒形付近、この辺りも歩く人は少ない。、、、、、、『どぜう』の大きな暖簾もまだ出されていない、只今準備中。、、、、、「むぎとろ」も準備中。
 
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●am8:30・・・・・・・浅草駅前を通過。、、、、4月21日から、東武鉄道に新型特急電車「リバティ」が運転された。 浅草から日光・鬼怒川はもちろんだが、会津田島まで直通運転する特急である。、、、、、、今日は満員のようだ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・ちなみに、私も4月21日に「東武鉄道リバティ記念乗車券」(6枚組)を浅草駅で購入してきた。 このお宝をコレクションに追加!
 
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●am9:00・・・・・・・スカイツリーを正面に見ながら、言問橋を渡り向島に入る。 
 
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●am9:30頃・・・・・・・向島の秋葉神社・鳩の街商店街・地蔵坂通り(通りの奥が玉の井)を通過。、、、、昭和33年(1958)、私は12歳、まだ売春防止法も知らないウブな小学生。 この年の4月1日、法律は施行され、鳩の街・玉の井の娼家は廃業する。 廃業するまでに、一度、“永井荷風の世界”を見ておきたかったね!
 
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●am9:45・・・・・・・東向島の東武博物館付近を通過。 国道に架かるガードには、東武鉄道開業時の蒸気機関車(B1形6号蒸気機関車)が保存されている。 また、国道からチョイト引っ込んだ処に、東武日光軌道線200形203号電車とロマンスカーが保存されているのも見える。 機関車・電車を見て元気づく、まだ私も若いね!
 
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●am10:00・・・・・・・四ツ木橋を渡り、荒川を越える。、、、、、四ツ木橋は、戦前から架橋工事が実施されていたが、戦中には工事は中断し、戦後工事が再開し昭和27年(1952)7月30日に現在の橋が開通した。、、、、今日は風もなく気持ちよく渡ることができた。 
 
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●am10:30・・・・・・・京成押上線四ツ木駅に到着。、、、、今日の散歩はここまで!
 
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●・・・・・・・・・・・・・今日の散歩のルートは、総延長は約7.5km。 1万4千歩。

2017年4月16日 (日)

藤まつり

今日の散歩は夫婦で、亀戸天神の「藤まつり」に行ってきた。
 
 
 
●・・・・・・・・・・・・見事に色づいた藤が、人目を引きつけるポスター。 4月15日から5月7日まで、天神さまの「藤まつり」。、、、、、滝のように垂れ下がる紫の花を期待し亀戸の町を歩く。
 
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●・・・・・・・・・・・・・商店街も、旗を出して歓迎。、、、、、ますます期待に胸が膨らみ、帰りのくず餅休憩も期待して腹が鳴る。
 
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●・・・・・・・・・・・・鳥居も見え着いた。、、、、、『人出は、チョイと少ないね。 ゆっくり観賞できそうだ! 綺麗な写真撮るぞ!』
 
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●・・・・・・・・・・・・ありゃこりゃ・どうした、藤棚に花がない! 『天神に騙された、金返せ!』と絶叫したくなる。 
 
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●・・・・・・・・・・・・どの枝にも、花はない、全てつぼみだ! 開花まであと一週間以上はかかると思う。、、、、花が垂れ下がるより、見事に期待を裏切られ、鼻水が垂れ下がる気分。
 
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●・・・・・・・・・・・『他責にするでなく 己の未熟さ故 綺麗なポスターに騙された 自分を責め』(怒りを抑え、男はカッコよく!) ここは、天神さまに賽銭118円を授けてきた。
 
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●・・・・・・・・・・・・期待外れの「藤まつり」、せめて賽銭分は楽しもう! お囃子、猿回しでチョイト挽回。
 
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●・・・・・・・・・・・一昨年の藤まつり。、、、、、古い写真見て我慢する。
 
 
●・・・・・・・・・・・“藤”がダメなら、“萩”で勝負!、、、、、天神裏、天台宗の龍眼寺は、応永2年(1396)に創建された。 境内の萩は江戸時代から著名で、萩寺と称されている。、、、、今はまだ“桜”が残っている。 こちらは、私たち夫婦を期待以上の花で迎えてくれた。
 
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●・・・・・・・・・・・・二人の散歩は、押上に出てスカイツリー・タウンに寄って帰る。
 
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2017年2月16日 (木)

両国大橋・新大橋

我が家(浅草橋)から、両国橋を渡り下流の両国大橋へ、さらに下流の新大橋へ、新大橋を渡り浜町河岸付近をぶらつき我が家まで、1万2千歩の散歩です。、、、、隅田川の最上流から数えて、いよいよ30番目の両国大橋と、31番目の新大橋。
 
 
 
①両国大橋・・・・・・・・・・「両国大橋」こんな橋あったかな? 「両国橋」の間違いでは? 地元の人でも知らない人もいるが、名は知らねども、大川に架かる両国大橋、知らねばドライバーとは言えまい。、、、、両国大橋は、隅田川に架かる首都高の橋で、橋上は「両国ジャンクション」である。 箱崎から北上し、6号向島線と7号小松川線に分岐する地点である。、、、、西岸は中央区日本橋浜町、東岸は墨田区両国に架かる、巨大で立体的な構造が面白い橋梁である。 昭和44年(1969)12月に完成し、供用開始は首都高の開通に合わせ昭和46年(1971)3月21日。 設計は首都高速道路公団工務部、施工は石川島播磨重工業・日本橋梁・大林組。、、、、、、構造物としては面白いが、景観上は邪魔だね、どかせるものならどかして欲しい!
 
・・・・・・・・・・・・・・・両国橋から見る両国大橋。 右側は中央区、左側は墨田区。
 
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・・・・・・・・・・・・・・上流(両国橋側)の隅田川テラスから見る。 対岸は、♪♪ 浮いた浮いたと 浜町河岸に 浮かれ柳の はずかしや 人目しのんで 小舟を出せば すねた夜風が 邪魔をする ♪♪、の浜町河岸
 
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・・・・・・・・・・・・・お股から失礼して、お尻を拝見!
 
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・・・・・・・・・・・・・・墨田区側から下流(新大橋)方向を見る。
 
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②御臨幸記念碑・・・・・・・・・・中央区立日本橋中学校の校庭横に、浜町河岸に向いて「御臨幸記念碑」が建てられている。、、、、、、記念碑は、大正12年(1923)の関東大震災で被災した東京が見事に復興したした様子を、昭和5年(1930)に昭和天皇が日本橋中学校(当時は千代田小学校)の校庭に立ち寄り視察した記念に、昭和8年(1933)に建立された。 羽ばたく鳳凰をデザインし、菊の御紋を彫った、高さ3m程の立派な碑である。、、、、、、当時の天皇の威光を感じる。
 
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③新大橋・・・・・・・・・・・・西岸(右岸)の中央区日本橋浜町と東岸(左岸)の江東区新大橋を結ぶ橋。、、、、、新大橋が最初に架けられたのは、元禄6年12月7日である。 当時、「大橋」と呼ばれていた両国橋は既に架けられており、両国橋に続く大橋として「新大橋」と名付けられたそうだ。、、、、、、江戸時代は木橋であったが、明治45年(1912)にトラス式の鉄橋に架け替えられた。 この鉄橋は震災。・戦災に耐え昭和50年(1975)まで使用されたが、その後は、愛知県の明治村に移築・保存され、老後の余生をのんびり送っている。、、、、、現在の橋は、2径間連続斜張橋、橋長は170.0m、幅員は24.0m、昭和51年(1976)に着工し、昭和52年(1977)3月27日に竣工した。 施工は石川島播磨重工業。、、、、、2本の黄色の塔が印象的で、シンプルな美しい橋である。
 
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・・・・・・・・・・・・・下流(清洲橋方向)を望む。
 
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・・・・・・・・・・・・・・旧橋のアールヌーボー調の親柱が東詰に保存されている。
 
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