墨田区

2018年3月 2日 (金)

浅草橋~錦糸町

平成24年(2012)秋、私の頭部に悪性腫瘍ができ、外科手術により除去。 以後、半年毎にCT検査などで経過観察が行われてきた。 5年以上経過し本日、担当医から「もう、いいでしょう、安心してください。 こちら(病院)も、今日が最後でいいです。」と、お別れの言葉を頂戴した。、、、、最初の担当医から三人程替わったが、どの先生も皆、美人の女医さんで、『なんて幸運な男だ、素晴らしい病院だ! 毎回、診察を受けるのが楽しみ、ワクワク!』、の気持ちで通院してきた。、、、、そして、♪♪今日でお別れね もう逢えない 涙を見せずにいたいけれど 信じられないの そのひとこと あの甘い言葉を ささやいたあなたが 突然さようなら 言えるなんて 今日でお別れ♪♪、てな気持ちで、先生にお礼を言って病院をあとにした。
今日は、我が家(浅草橋)から蔵前橋を渡り、病院へ行き。 その後は、“本所”を抜けて錦糸町駅まで歩いてきた。
 
 
 
第六天榊神社・・・・・・・・・・蔵前署(台東区蔵前1)の南側に鎮座する榊神社。 病院の検査結果に異状が無いことを願い、朝、立ち寄り、手を合わせる。、、、、、賽銭をあげようと財布をだしたが、私の前に参拝していた女の娘に見とれ、忘れた! 失敗!
 
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②蔵前橋・・・・・・・・・・・晴れた日は気持ち良い隅田川。 ハトが一羽、撮影の邪魔をする。
 
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③同愛記念病院・・・・・・・・・墨田区の基幹病院。、、、、、通院も今日で最後となった。 『5年間、ありがとう。』、、、、、と、言っても、明日にも急患として来るかも? その折にはよろしく!
 
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旧厩橋交番 ・・・・・・・・・・・墨田区本所の天理教教会前にある、昭和レトロな懐かしの交番。 昭和3年(1928)に建てられ、平成19年(2007)からは厩橋地域安全センターとなっている。 交番の頃は、入口の上にいかめしい警視庁のマークが飾られ、軒下には赤い丸いライトが灯り、警棒を持った巡査が立っていたことであろう。、、、、、交番・医者・病院などにあった、赤い丸いライトもいつの間にか見ることが無くなったね!
 
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⑤カトリック本所教会・・・・・・・・・私の好きな教会の一つ、今日も近くに来たので寄ってみた。、、、、、明治12年(1879)現在地(墨田区石原4)にて教会開設が行われ、その後、教会は震災・戦災で、建物を焼失。 昭和26年(1951)、現在の木造、三廊式パルテノン様式の聖堂が再建された。 白く塗られ大理石造りのような内部は祈りの場として落ち着いた雰囲気を感じさせる。、、、、今年で、創立139年目の下町の教会。 
 
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⑥殉職慰霊碑・・・・・・・・・・カトリック本所教会の南側、「NTT東日本石原ビル」の前に一本の慰霊碑がある。 この慰霊碑は、昭和20年(1945)3月10日未明の大空襲により当地一帯が焼野原と化した際、この地にあった電話局も全焼し前夜から勤務していた15歳を最年少とする電話交換手28名及び男子職員3名が最後まで職場を守り殉職した。 職員の霊と、関東大震災において殉職した男子職員2名の霊を慰めるとともに、二度とこのような悲劇の起こらないことを祈願して昭和33年(1958)に建立された。 慰霊碑手前には吉川英治の自筆による碑文もある。、、、、、墨田区本所の付近一帯は震災・空襲ともに、最も激しく被災した処で、人的被害も相当なものであったそうだ。 私の生まれる前であった。
 
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⑦スカイツリー・・・・・・・・・・錦糸町の町から望むスカイツリー。
 
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⑧錦糸町駅・・・・・・・・・・・明治27年(1894)12月9日、総武鉄道の本所駅として開業。明治40年(1907)に国有化され、大正4年(1915)には錦糸町駅に改称した。、、、、、北口周辺は1980年代以降の再開発で、「アルカタワーズ」などの高層ビルもたち、南口に劣らぬ街に変貌した。、、、、、私の知る、再開発前の錦糸町駅北口付近は一帯が国鉄の客車区であった。 記憶定かでないが、駄菓子問屋の一画もあったと思った。 ナント、50年前の話だ!
 
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2018年1月15日 (月)

浅草橋~立石

今朝も6時に0.0℃と連日寒さが続く。 寒い寒いと家に閉じこもっていても退屈だ。 『今日は元気よく歩いてくるぞ!』と、家を出た。 我が家(浅草橋)から水戸街道(=国道6号)沿いに歩いて葛飾区立石まで、1万5千歩、9kmの散歩です。 9時の気温は2.6℃、やっぱし外は寒い。 我慢、ガマン、やせ我慢!
 
 
 
●a.m.7:50・・・・・・・・・・交通事故を起こさぬ様に、私の住む浅草橋2丁目の須賀神社 に手を合わせ、スタートする。、、、、、自分では若いつもりで、股引は穿いていない、アンダーシャツは半袖、カイロは持っていない、アテントのお世話にはなっていない、さすがにこの時間チョイと寒いね。
 
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●a.m.8:00・・・・・・・・・・蔵前一丁目交差点通過
 
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●a.m.8:15・・・・・・・・・・厩橋交差点を過ぎる。 交差点角の東京厚生信用組合浅草支店 は、昭和5年(1930)に建てられたと言われている。 鉄筋コンクリート造4階建て、安藤組(現:安藤ハザマ)の設計・施工。 小柄だが味のある建物。
 
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●a.m.8:25・・・・・・・・・・駒形橋西詰を通過。 駒形橋 から見る隅田川はキラキラしてまぶしい!
 
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●a.m.8:30・・・・・・・・・・吾妻橋交差点を通過。 まだ、外人観光客はいないようだ。
 
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●a.m.8:45・・・・・・・・・言問橋 を渡る。、、、、言問橋西交差点で水戸街道(国道6号)は鍵のてに折れ隅田川を越える。 橋の正面にスカイツリーと冬の低い太陽が迎える。
 
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・・・・・・・・・・・・・・言問橋東詰めの牛嶋神社にもチョイトご挨拶。
 
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・・・・・・・・・・・・・橋を渡って向島に入る。 まだ太陽は低い。
 
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●a.m.9:15・・・・・・・・・・秋葉神社は、向島4丁目、水戸街道(国道6号)から少し入った住宅の奥に鎮座する。 神社は、当地に千代世稲荷大明神と称して正応2年(1289)頃に創建したと言われている。 元禄15年(1702)に千葉葉栄が修験道千葉山満願寺を創建し当社の別当寺となり、秋葉千代世稲荷合社として社殿を造営、明治元年に秋葉神社と改称した。、、、、、水戸街道からの参道に呑み屋の看板。 “向島”らしいね!
 
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●a.m.9:20・・・・・・・・・・戦後の赤線地帯、今は地元密着型商店街「鳩の街 」と、並行する商店街「地蔵坂通り」の入口を通過する。
 
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●a.m.9:30・・・・・・・・・・東向島交差点で明治通りを横断し、東武伊勢崎線のガードをくぐる。 ここには、東武博物館の「6号機関車」(英国から明治31年輸入)が屋外展示されている。、、、、散歩が楽しくなる道だ。
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●a.m.9:50~10:00・・・・・・・・・・四ツ木橋を渡り、荒川、綾瀬川を越える。 さすが橋上は風が強く、寒い。、、、、帽子が飛ばされそうだ、トラックの荷台から荷が崩れそうだ、自分が橋から飛ばされそうだ、一人で歩いていると、なんだかんだ心配し、高所恐怖症の私は怖さが倍増する。
 
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●a.m.10:15・・・・・・・・・・四つ木陸橋のある、本田広小路交差点に到着。 水戸街道の歩きはここまでとする。 昼食に間に合うよう家へ帰ることにした。 これより裏道を歩き京成押上線立石駅に向かう。
 
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●a.m.10:35・・・・・・・・・・立石駅到着。 ここまで約2時間半の散歩。
 
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2018年1月 5日 (金)

浅草橋~押上

三が日の正月行事をこなし、昨日は年始の挨拶まわりを終え、今日から平常勤務。、、、、今朝の寒さは、我が身にはチョイト厳しく、散歩も近場にした。 我が家(浅草橋)から、鳥越・蔵前の神社に寄って、厩橋を渡り押上(スカイツリー)まで、1万歩の歩きです。
 
 
 
①鳥越神社・・・・・・・・・・JR浅草橋駅から徒歩8分、我が家から徒歩4分。 神社は蔵前橋通りに面する。、、、、白雉2年(651)、日本武尊を祀って白鳥神社と称したのが始まり。 前九年の役のおり源義家がこの地を通った際、白い鳥が飛ぶのを見て浅瀬を知り大川(隅田川)を渡ることができた。 それを白鳥明神の加護とたたえ、鳥越大明神と改めたと伝えられている。 祭神は日本武尊、相殿に徳川家康。、、、、、今日、仕事始めの企業も多く、お祓いを受ける人も見られる。 
 
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②蔵前神社・・・・・・・・・・都営浅草線・大江戸線の蔵前駅から徒歩2分。 江戸通り、春日通から一本裏道に入った処に鎮座する神社。 元禄6年(1694)、徳川綱吉が山城国男山の石清水八幡宮を勧請した。 以来、社領200石を寄進され、江戸城鬼門除け、徳川将軍家の祈願所として崇敬を受けた。、、、、、宝暦7年(1757)以来たびたび勧進相撲が行われ、回向院・富岡八幡宮とともに三大拠点の一つであった。 社号標や玉垣は大日本相撲協会からの寄進と思われる、千代の山、鏡里、東富士等、懐かしい横綱の四股名が読める。 念のため、貴乃花、白鵬、日馬富士の名は無い。 
 
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厩橋・・・・・・・・・・・西岸の台東区蔵前・駒形と、東岸の墨田区本所を結び隅田川に架かる。 現在の橋は、3径間下路式タイドアーチ橋、橋長 151.4m、幅員 22.0m、大正15年(1926)着工、昭和4年(1929)9月竣工。 橋名は西岸の蔵前にあった「御厩河岸(米蔵のための荷駄馬用の厩があった)」にちなんでいる。
 
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・・・・・・・・・・・・・橋の上は、風も吹き、寒い、寒い!
 
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④実相寺・・・・・・・・・厩橋を渡り墨田区の裏道を歩き、日蓮宗実相寺に出た。 是應山実相寺は、慶長2年(1597)の創建。 越前朝倉義景に仕えていた熊谷安左衛門が熊谷家伝来の法華経の利益により白狐を助け、その縁により文殊菩薩を勧請したことから熊谷稲荷を祀っている。、、、、、チョイト古そうな鉄筋コンクリート造の本堂は昭和30年代の建物と推測した。
 
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⑤業平橋住宅・・・・・・・・・墨田区業平、大横川の岸に建つ業平住宅は昭和47年(1972)に建てられたマンションである。 この辺りでは、総戸数362戸、14階建ての大きな建物だ。、、、、、現在は中古として、2LDKで2000万円程の価格らしい。 安いか、高いか?
 
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・・・・・・・・・・・・・・業平橋住宅の前は、小梅銭座跡。、、、、、小梅銭座は、元文元年(1736)寛永通宝の銅銭を鋳造したところで、銭貨の背面上部に「小」の文字が入ってます。 この付近の数か所で銭が造られていたそうだ、今の造幣局である。 念のため、足元をキョロキョロ見まわしたが小銭すら落ちていなかった。
 
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東武橋・京成橋 ・・・・・・・・・・スカイツリーを挟み、北十間川に架かる橋で、西側に「東武橋」、東側に「京成橋」である。 それぞれ橋の袂に東武鉄道・京成電鉄の旧本社があった。
 
・・・・・・・・・・・・・まずは東武橋。、、、、、業平1丁目と押上1丁目を結び、昭和初期に架けられたが、現在の橋は昭和63年(1988)3月に架け替えられた。 橋の脇にできた「すみだ水族館」の建っている場所に東武鉄道の本社はあった。
 
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・・・・・・・・・・・・・次は京成橋。、、、、、業平3丁目と押上1丁目を結び、昭和4年(1929)に架けられたが、現在の橋は昭和37年(1962)7月に架け替えられた。 橋の北側にできた複合ビル(ニトリ、ライフが入居)の建っている場所に京成電鉄の本社はあった。
 
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・・・・・・・・・・・・・・最後に、スカイツリーを見上げて、散歩はココまで!
 
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2017年11月22日 (水)

古代東海道(続き)

一昨日の散歩の続きです。 奥戸小学校前の案内図に従い、今日は立石駅から白鬚まで赤線で示された古代東海道を歩いてきた。 1万3千歩。
 
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立石駅前 ・・・・・・・・・葛飾区役所、チョロQ・プラレールの製造元タカラトミーの本社がある、葛飾区の行政・経済の中心地(?)だが、京成電鉄の普通列車しか停まらない駅。 戦後は赤線・青線地帯もあり、駅北側はその当時の面影も残る、下町の“歌舞伎町”。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅前の「立石仲見世 」商店街、まだ開店前! 
 
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・・・・・・・・・・・・・・立石仲見世を抜けると、古代東海道のルートの一部である奥戸街道に出る。
 
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②渋江公園・・・・・・・・・・渋江公園は奥戸街道に面し立石駅から約500m程の処、テニスコートなどがある広い公園。 
 
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・・・・・・・・・・・・・渋江公園は昭和27年(1952)の開園以前はセルロイド製のオモチャ工場があった敷地で、園内にその「葛飾区セルロイド工業発祥記念碑」がある。 記念碑は「セルロイド=平和、希望、児童」と云う判りにくいコンセプトにより、子供を配している。、、、、セルロイドのおもちゃ、下敷き、筆箱、学生服のカラーなど、かつては身の回りに多く見られたが、今は見ることがなくなった。 でも、ピンポン玉は今でもセルロイド製らしい。
 
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・・・・・・・・・・・・・また公園の芝生広場の一角には、「キャプテン翼」の登場人物・岬太郎くんの銅像が配置されている。
 
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③奥戸街道入口交差点・・・・・・・渋江公園の西側、50m程、奥戸街道の一方の入口(出口?)がある。  奥戸街道はこの交差点で、平和橋通りと“T”字型に交わる。、、、、、古代東海道は交差点から西へ真直ぐ、京成押上線の踏切を越え、「まいろーど四つ木商店街 」に入る。、、、、、踏切も、数年後には高架化され消える運命!
 
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④四つ木白髭神社・・・・・・・・・・商店街の通りから住宅地の裏通りに入ると四つ木白髭神社がある。 古代東海道の面影を求め立ち寄ってみた。、、、、、承応3年(1654)四つ木村が立石村から分村したとき、四つ木村の鎮守として勧請された神社だが、私の期待する面影は見つけることができなかった。
 
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⑤ひたすら直進する・・・・・・・・・白髭神社から再び商店街に戻り、人影のない商店街を西へ向かうと、国道6号(水戸街道)に出る。  古代東海道は水戸街道を斜めに横断し、荒川に並行する綾瀬川に沿って走る首都高の処で途切れる。、、、、、葛飾区内の古代東海道のルートはここまで!
 
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⑥墨田区内の古代東海道・・・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・古代東海道の時代には、存在しなかっ荒川を四つ木橋で渡る。、、、、、平安時代の人が見たらビックリする、堂々と流れる荒川。
 
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・・・・・・・・・・・・・・葛飾区側のルートを伸ばすと、墨田区墨田4丁目の「ほがらか保育園」の脇を抜ける道路につながる。、、、、、保育園前の荒川土手には、古代東海道を見守るように石仏が祀られている。 勝手に想像して、平安時代に荒川で溺死した人を弔う石仏か? バカな!荒川は昭和に入って完成した川だ! 
 
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・・・・・・・・・・・・・・古代東海道は東武伊勢崎線鐘ヶ淵駅前の踏切に通じていた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・この踏切は私にとって、一生忘れられない愛おしい踏切である。 今から4年程前、踏切の正面にある交番の前で起きた脱臼事件 の現場だ!、、、、、古代東海道は交番の左側を入っていく。
 
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・・・・・・・・・・・・・・古代東海道は正面に高層の「白鬚東アパート」を仰ぎ見る、墨堤通りにぶつかる。 ここで、奥戸小学校前の案内図にあった古代東海道のルートは終わる。、、、、、、アパートは隅田川沿いに建ち、防災拠点でもある。
 
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⑦感動!・・・・・・・・・・今日の散歩は古代東海道沿いに歩いてきたが、ここまで「古代東海道」の文字を発見することはできなかった。 これより先はルートも不明、時間もそろそろ昼だ、散歩はここまで、バス停を探しに向かう。
 
・・・・・・・・・・・・・・白鬚東アパート沿いに墨堤通りを歩いていると、バス停が見つかった。、、、、、オヤ、本数が少ないけど、あと10分くらいで浅草寿町行くが来るから、乗って帰ろう!
 
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・・・・・・・・・・・・・・バスを待つ数分、バス停前をブラブラ、、、、、オヤ、何か書いてある?
 
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・・・・・・・・・・・・・・見てビックリ、読んで感動、目をこすり喜び、鼻水たれて恥ずかし~~い。 ナント、『古代東海道』の文字がある。 バスが来るぞ!、じっくり読む時間もなく、あわてて写真を撮る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・大正3年(1914)まで白鬚橋の近くにあった住田渡(すみだのわたし)は、古代東海道の一部であったと書かれている。、、、、最後の最後に感動した散歩である。

2017年10月23日 (月)

増水した隅田川

朝7時半、台風21号は我が家の頭上を素通りし、水戸の付近らしい、東京はまだ暴風圏内である。 雨は上がったようだ、水溜まりを避けながら、久しぶりの散歩は、隅田川の様子を見に行くことから始める。
 
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①隅田川の増水・・・・・・・・・・・・『台風で増水した隅田川を見てみよう!』と、隅田川テラスに来たら、私より先に国土交通省の人と警察官が先着していた。 隅田川が増水しているため、テラスは立入禁止と告げられた。 『でも、地元のよしみでチョイト入れて!』と、言ったつもりでテラスから撮影してきた。
 
・・・・・・・・・・・・・・総武線隅田川橋梁の橋脚、かなり上まで水位が上がっている。(3枚目の写真は同じ位置で昨年撮影)
 
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・・・・・・・・・・・・・水位はテラスの歩道の高さまであり、水につかっているところもある。 『これより先に行かないでください。』と言われ、素直にこの場を離れることにした。
 
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・・・・・・・・・・・・・・柳橋から離れ、厩橋へ向かう。 『場所を変えれば、テラスを歩けるかも?』。 あきらめないぞ!、、、、、只今、塗装の塗り替え工事中の厩橋でも、テラスに出ることは警察官に制止され、橋上からパチリ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・厩橋を渡り、墨田区側のテラスに行ってみよう。、、、、墨田区側には、警察官がいない。 しめしめ! テラスの歩道を歩いてみた。、、、、、『あぶないから行かないでください。』と言われると、行きたくなるのが野次馬だ! 
 
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・・・・・・・・・・・・・・テラスを歩き駒形橋に向かい、橋を渡って台東区へ戻る。
 
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②隅田川沿いの建物・・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・lucite gallery、、、、柳橋にある、昭和を代表する芸者歌手だった故・市丸の旧邸宅を改装したギャラリー。 古美術品・アンティークの展示を見ながら、コーヒーを一杯。、、、、市丸の「三味線ブギ」(昭和24年)は忘れられない盆踊りの一曲。 ♪♪ 三味線ブギで シャシャリツシャンシャン さあさ 踊ろよ ブギウギ うきうき 浮いた浮いたよ シャシャリツシャンシャン ~~~♪♪、、、、昭和40年代ぐらいまでは右隣にも同じような造りの料亭「いな垣」があった。 この辺りは花柳界「柳橋」の中心で、私には懐かしい街である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・蔵前交差点の南側、ビルのコーナーに「メタセコイア」の木が、高くまっすぐ伸びているのが目に入って来る。 このビルを建てた記念に植えたそうだ。、、、、この木を見ると、いつも言いたくなるのだが、『年末になると電飾で飾りクリスマスツリーにして欲しいね!』 浅草橋の名所になるかも?
 
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・・・・・・・・・・・・・蔵前にある日本聖公会の浅草聖ヨハネ教会。 昭和4年(1929)に献堂された、鉄筋コンクリート造2階一部3階建のゴシック様式の教会。 国の登録有形文化財である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・・駒形橋東詰(墨田区)の高速道路に下にある旧駒形橋交番。 現在は地域安全センター。 昭和初期(昭和3年頃らしい)に作られた交番の一つである。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・駒形橋の西詰(台東区)には、浅草寺の本尊:聖観音像が現れた地とされる駒形堂がある。 現在の堂は鉄筋コンクリート造、方三間、宝形造で、平成15年(2003)に建て替えた。 堂は元来は隅田川に向いて建てられていたが、現在の堂は江戸通り側を正面とし、川には背を向けた形になっている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・駒形堂の境内に、「戒殺碑」(かいさつのひ)がある。 “この地は、観音様が出現した聖なる場所であるから、殺生(魚を獲る)を禁じる”という主旨の碑。 碑は元禄6年(1693)に浅草寺権僧正が建立したものである。 関東大震災後の昭和2年(1927)に土中から発見された。、、、、、“魚を獲るな”とは、近くのどぜう屋、うなぎ屋はどうしたのかな?
 
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・・・・・・・・・・・・・駒形堂の近く、雷門前の通りに面し旧岡三証券浅草支店のビルがある。 昭和10年(1935)に建てられた鉄筋コンクリート造3階建ての、このビルは当初「河合ビル」として建ち、戦後は埼玉銀行が使用し、その後岡三証券が使用し、現在はギャラリーとして使用されている。
 
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③雷門・・・・・・・・・・久しぶりに雷門前の浅草文化観光センターに入り、最上階から雷門を見下ろしてきた。
 
・・・・・・・・・・・・・・・浅草文化観光センターとは、、、、、平成24年(2012)に台東区がつくった、雷門の前にある観光案内施設です。 最上階の展望テラスからは浅草寺、東京スカイツリーが望める。、、、、、建物は、オリンピックの国立競技場を手掛けた隈研吾(くまけんご)の設計。
 
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・・・・・・・・・・・・・浅草文化観光センターから見る雷門仲見世・浅草寺
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・・この後、観音様に手を合わせて帰る。 今日の散歩は9千歩。

2017年10月17日 (火)

亀戸銭座

午後になって、何日ぶりかで雨が上がった。 3時過ぎから、錦糸町駅から亀戸駅まで、総武線の北側を歩いて“ミニ散歩”。
 
 
 
①錦糸町・・・・・・・・・・錦糸町駅南口は昭和36年(1961)に建てられた民衆駅ビルで、地上7階/地下1階の建物であるが、数度のリニューアル工事で古さを感じさせない駅ビルである。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・・南口からガードをくぐり、駅の北側:錦糸公園に向かう。、、、、、錦糸公園は関東大震災前の陸軍糧秣厰倉庫跡で、震災時にはここに約1万人の遺体が仮埋葬されたそうだ。 震災後、復興公園として整備された。、、、、、震災で亡くなった人を思うと、公園の中を歩くにも、チョイトいいかげんな歩きができないね!
 
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・・・・・・・・・・・・・・錦糸公園の東側:横十間川に架かる錦糸橋 。 橋を渡ると江東区亀戸の町である。
 
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②亀戸銭座・・・・・・・・・・・・錦糸橋を渡ると、横十間川沿いの左側にUR亀戸2丁目団地が見える。 この団地の敷地は、江戸時代、寛文8年(1668)から安永2年(1773)の間の約100年間、当時の通貨である寛永通宝が作られていた銭座の跡である。 銭座はその後、明治40年(1907)に日清紡績株式会社の本社工場の敷地となり続いたが、戦時中の空襲で焼け野原となった。 戦後は運動場として利用され、昭和42年(1967)に旧日本住宅公団の団地が建設された。 この時、団地の一角に野球場が造られ、地下には東京都水道局亀戸給水所の配水池も作られた。、、、、、団地建設の際は敷地内から、寛永通宝が多数発見されたそうだ。
 
・・・・・・・・・・・・・水道局亀戸給水所の正面ゲート前にある「亀戸銭座」の碑。、、、、、この付近に生息していたのが銭亀である。 甲羅には寛永通宝の模様があったとか。 本当のような、ウソの話である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・水道局亀戸給水所の正面ゲートの右隣には、 黒褐色の「日清紡績創業の地」 の碑がある。、、、、、現在の日清紡は綿紡績から、エレクトロニックス、ブレーキ、精密機器に事業をシフトし、グループ全体で23,000名以上の従業員を抱える大企業グループである。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・・亀戸銭座と日清紡績創業の地の碑がある、東京都水道局亀戸給水所は江東区亀戸2丁目にある。、、、、、空から見るとUR亀戸二丁目団地の中央に江東区営亀戸野球場が見える。 この球場の下に半地下式の配水池が造られている。  この給水所は、地域への配水を担うとともに、震災時には給水拠点となるため、配水池は縦横約 104m、高さ約 7m、貯水量 60,000m3のRC構造物である。 (施工はフジタ)、、、、、野球場は、近隣住民が騒音に悩まされないよう配慮し、ナイター使用はできないとのこと。
 
・・・・・・・・・・・・・・・団地から見た給水所。 右側のグランドの下が配水池、左手前の屋根上にカマボコが3個並んでいるのが給水所の建屋
 
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・・・・・・・・・・・・・・・給水所建屋
 
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・・・・・・・・・・・・・・配水池。 (配水池そのものは、グランドの下で見えない。 想像して!)
 
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・・・・・・・・・・・・・・・亀戸給水所を囲むように、UR亀戸二丁目団地が建っている。 昭和43年(1968)完成、鉄筋コンクリート造11階建て、総戸数806戸。
 
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③都営亀戸第二アパート・・・・・・・・・・UR亀戸二丁目団地の東側にチョコンと建つ、江東区では古い都営アパート。 昭和36年(1961)建設、全18戸。、、、、、ボロボロ!
 
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④亀戸天神・・・・・・・・・・時刻は5時過ぎ、誰もいない天神様に手を合わせて帰ることにする。
 
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亀戸駅 ・・・・・・・・・・・暗くなった亀戸駅前の裏道を歩き駅へ。
 
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2017年10月11日 (水)

清川~八広

今日も夕食前の散歩。 台東区の北、かつて“山谷”と呼ばれた地、「清川二丁目」バス停で降り、白鬚橋を渡り東武伊勢崎線鐘ヶ淵駅前を抜け、京成押上線八広駅まで、1万歩の散歩です。 
 
 
 
①アサヒ商店街・・・・・・・・・清川二丁目バス停で降りると、清川二丁目交差点から東に橋場交番前まで353m程の地味なアサヒ商店街がある。 アサヒ会通りと称する歩道のあるバス通り沿いに、派手な看板・飾りも少ない店舗が、途切れ途切れに並ぶ静かな商店街である。、、、、付近には、かつて“ドヤ”と呼ばれた簡易宿泊所もあり、ドヤ住まいと思われる人も食料品を求め買い物をする光景が見られる。、、、、私の先を歩く労務者風の人が、突然、歩道の植木に向かいズボンを下げて放尿を始めた。 この瞬間、我が目は見てはいけないものを見た。 秋の味覚:高級松茸だ、今年は生育が悪く小ぶりであった。 『オイ、オイ、空はまだ明るいぞ、植木に水をやるのは、暗くなってからにしろ!』 商店街には“山谷”の時代の光景が残っていた、感動の一瞬であった。(残念ながら、この場面はカメラに収めてません。)
 
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橋場の裏通り・・・・・・・・・隅田川寄りの町:橋場には、昭和の建物がまだ、まだ、残っている。
 
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③隅田川・・・・・・・・・・塗替塗装工事中の白鬚橋 を渡る。、、、、、顔面に包帯を巻いた重症患者のような白鬚橋から、隅田川上流を望む。
 
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白鬚東アパ―ト ・・・・・・・・・・墨田区の隅田川沿いに長さ1.2kmに渡って延々と団地が長城のごとく連なっているのが「白鬚東アパート」である。 「防災拠点」として、昭和47~61年(1972~1986)に掛けて18棟の団地が連結して作られた。、、、、、今だ、長城としての機能を発揮する機会なし、一度はその効果を見てみたいが、見ることなしに済めばありがたいね。
 
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⑤トミンハイム墨田一丁目・・・・・・・・・・・墨堤通りを挟み白鬚東アパートの前に立つ、東京都住宅供給公社のアパート、300戸強が入居する14階建ての建物は平成12年(2000)の完成。、、、、、白鬚東、トミンハイムと巨大なアパートが建ち並ぶ光景は凄いね。
 
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⑥首塚地蔵尊・・・・・・・・・・墨田2丁目の真言宗智山派寺院「正福寺」の寺内に首塚地蔵尊がある。 天保4年(1833)洪水の危険をふせぐため、隅田川橋場附近の川浚い工事において、川床より多くの頭骨が発掘された。 当時の正福寺の和尚は、この地に合葬、碑をたてて「首塚」といったと伝えられている。 この縁で、首から上の病いに功験があるからと、参詣の香華がたえないそうだ。、、、、、首から上の病とは?、、、、ボケ、ハゲ、蓄膿、顔面神経麻痺、ブス、白内障、思いついたまま書いてみた。
 
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鐘ヶ淵駅 ・・・・・・・・・・・私には忘れることのできない思い出(脱臼事件 )ある駅である。 今日は、夕暮れの駅をパチリ。
 
・・・・・・・・・・・・・・まずは、鐘ヶ淵駅。 下り(北千住方面)は西口へ、上り(浅草方面)は東口へ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅前の踏切。 よそ見して、怪我しないように注意しましょう。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅周辺のお店。 派手な店、大きな店、カッコいい店、若者向けの店、いずれもありません。 あるのは、昔ながらの人情ある店ばかり。
 
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⑧八広駅・・・・・・・・・・・・国道6号(水戸街道)を横切って、暗い八広駅へ到着。
 
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2017年9月22日 (金)

浅草橋~平井

今朝のNHK天気予報で、東京の天気は、午前中は曇り、正午からは小雨、夜は雨と受け止めた。 午前中は天気ももちそうなので、我が家から総武線沿いに歩いてみることにした。 浅草橋の我が家から平井駅まで、1万4千歩の散歩です。
 
 
①浅草橋を発つ・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・高架ホーム下の店舗、駅前の飲食店、どこも、まだ閉まっている。、、、、、高級ブランドの店、三つ星レストランなんてない。 あるのはビーズ屋さん、安売り雑貨屋さん、超B級飲食店ばかり。
 
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・・・・・・・・・・・・・・朝8時、そろそろ駅から職場に向かう人も出てきた。
 
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②両国橋を渡る・・・・・・・・・・“雨降る天気”は嘘のような“爽やかな晴れ”。 
 
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③両国駅付近を通過・・・・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・今日は回向院 には立ち寄らず素通り。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・・両国駅の南側、京葉道路に面した両国3丁目22番は芥川龍之介が18歳まで育った処。 芥川は回向院の隣にあった小学校に通ったそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・江戸東京博物館前から北斎通りに入る。
 
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北斎通りを行く ・・・・・・・・・・・・江戸東京博物館前から錦糸公園の先の錦糸橋(横十間川)までの通りを言う。 江戸東京博物館前から横川までは、かつての本所南割下水(ほんじょみなみわりげすい)と呼ばれた、道路の真ん中を掘り割った下水路であった。 割下水は昭和初期に暗渠化され、平成の世になり歩道などが整備され、平成6年(1994)から「北斎通り」と称した。
 
・・・・・・・・・・・・・・・すみだ北斎美術館(墨田区亀沢2)の敷地は、江戸時代に弘前藩津軽家の大名屋敷あった。 この近くには葛飾北斎が住んでいた、つまり北斎の地元にできた美術館である。、、、、、、妹島和世建築設計事務所の設計、大林組+東武谷内田建設の施工による、RC造地上4階/地下1階建ての美術館。、、、、、大変残念なことだが、私はまだ入館したことが無いので、コメントなし。
 
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・・・・・・・・・・・・・・こちらも亀沢にある、日本相撲協会が直営の相撲神社で、「野見宿禰神社(のみのすくねじんじゃ)」。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・「北斎通り」、名前は粋で、江戸趣味を感じさせるが、通りには古い建物は残っておらず、またシャレた店舗が並んでいるわけでもない。 鋼管、パイプなどを扱う会社が多く、恋人同士の散歩にはチョイと不向きである。
 
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・・・・・・・・・・・・・・北斎通りは錦糸町駅手前で大横川親水公園と交差する。 東京スカイツリーの足下から、南に江東区木場方面に流れる大横川。 その一部を暗渠化し、整備されて親水公園となっている。
 
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・・・・・・・・・・・・・錦糸町駅の北側を再開発した「アルカタワーズ」。 3棟の超高層オフィスビルと、ホテル、シンフォニーホール、商業施設ビル、高層住宅などで構成されている。 前を貫く道路は北斎通り。、、、、、、サラリーマン時代、私のデスクも一時期このビルの中にあった。 今は懐かしいビル。
 
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・・・・・・・・・・・・・・津軽稲荷神社は、津軽藩下屋敷の屋敷神として祀られていた稲荷神を、明治43年(1910)に払い下げられ、錦糸町1丁目町会の守護神とした。
 
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・・・・・・・・・・・・・・錦糸町駅北口前をしたすら東に向かう。
 
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・・・・・・・・・・・・・・ 錦糸公園の奥に建つ「Olinas」の超高層ビル。 ここは、時計の旧精工舎の工場跡地である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・錦糸公園の東側に残る、旧病院建築。 現在は、昭和19年(1944)に病院跡に移転した阪上製作所の社屋となっている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・北斎通りは両国の江戸東京博物館前より東に真直ぐ伸びて、ここ横十間川に架かる錦糸橋までである。 これより江東区亀戸の町となる。
 
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⑤亀戸駅前を行く・・・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・亀戸駅前を通り抜け、我が足は東へ向かう。
 
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・・・・・・・・・・・・・・東武亀戸線 をチョイト見て、ついでに写真も撮って、先を急ぐ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・丸八通りを横切って、亀戸中央公園を抜けると、旧中川に出る。
 
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⑥旧中川を越えれば平井駅・・・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・旧中川は江東新橋 で越える。 超えると、そこは江戸川区平井の町。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・蔵前橋通りから、チョイとそれると平井駅 に出る。 駅前に着くと、ちょうど、ポッリと落ちてきたが、まだ傘は必要なさそうだ、帰ることにした。
 
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2017年9月15日 (金)

刀剣博物館

朝一番の予約で墨田区の病院で、皮膚科の検診を受けてきた。 病気の方は特に異常なしで結果オーライ。、、、、、帰りは、安田庭園、両国駅前を通り、両国橋を渡り浅草橋の我が家へ戻った。 スタコラ歩けば、20分程の距離である。
 
 
 
●刀剣博物館・・・・・・・・・・病院を出たら目の前に新しい建物ができている。 これまでは仮囲いの中で『何やらやってるな』とみていたが、今日は仮囲いも撤去され、工事も最終段階のようだ。 ここは、旧安田庭園の一角で、本所公会堂(両国公会堂)の跡地である。、、、、新しい建物は、槇総合計画事務所の設計、戸田建設の施工による、地上3階建て鉄筋コンクリート造、建築面積約1080m2の刀剣博物館である。、、、、博物館は戦後に設立された「日本美術刀剣保存協会」の建物となり、国宝、重文を含む約190点の刀剣・刀装具・甲冑などが、来年1月から随時展示公開されるらしい。、、、、、私は、来年春に次回定期検査があるので、立ち寄るのが楽しみである。
 
・・・・・・・・・・・・・正面玄関前には工事用の車両が停まり、チョイと写真撮影には邪魔だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・刀剣博物館と同じ位置に正面玄関があった本所公会堂(両国公会堂)。(2013年撮影)、、、、、公会堂は安田財閥の寄付金をもとに、震災の記も生々しい大正15年(1926)に竣工した。 隣接する被服廠(現:東京都慰霊堂)では、数万人もの焼死者が出たので、この建物は復興の象徴のように映ったと思われる。 
 
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・・・・・・・・・・・・・旧安田庭園からみる刀剣博物館。、、、、、同じ位置から見る公会堂。 今と昔、どちらがいいかな?
 
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・・・・・・・・・・・・・旧安田庭園は、江戸時代、本庄氏(常陸笠間藩、のち丹後宮津藩)の下屋敷であった。 元禄年間に大名庭園として築造され、安政年間に、隅田川の水を引いた潮入回遊庭園として整備された。 明治に入り、旧岡山藩主池田章政の邸宅であったが、明治22年(1989)には安田財閥の祖である安田善次郎が所有することとなった。 大正11年(1922)に東京市に寄贈された。 現在は墨田区が管理している。
 
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●大相撲秋場所・・・・・・・・・・・幟がなびき客を迎える、秋場所だ!、、、、オヤ!何やら恥ずかし気に背を見せてなびくは、白鷗(休場)、日馬富士(3勝3敗)、鶴竜(休場)、稀勢の里(休場)、高安(休場)、豪栄道(5勝1敗)、栃煌山(1勝5敗)の幟。
 
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両国駅 ・・・・・・・・・・・昨年秋に駅舎は改装され、複合飲食施設「-両国- 江戸NOREN」がオープンした。
 
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●・・・・・・・・・・・・・私の足は両国橋から、我が家へ向かう。

2017年9月 1日 (金)

震災記念日

9月1日は「防災の日」であるが、中高年には「震災記念日」と言ったほうが、通りがいいかも。 終戦直後に生まれた私にとっては、、、、、9月1日は、前日の夜までに、やっとこ終わらせた夏休みの宿題をもって登校する日で、昼からは震災記念堂に参り、屋台で水鉄砲・綿あめ・ヨーヨー風船を買ってもらう日であった。 生まれて70年間、隅田川を挟み震災記念堂の対岸(浅草橋)に住む私は、今でもほぼ毎年慰霊に訪れている。 今日も、朝から焼香に行ってきた。
 
 
 
●震災記念堂まで・・・・・・・・・・・浅草橋から震災記念堂までは、蔵前橋を渡り隅田川を越えれば、20分程で行くことができる。 
 
・・・・・・・・・・・・・・通勤のサラリーマンが駅から散らばる8時過ぎに、『チョクラ行って来る』と家を出た。
 
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・・・・・・・・・・・・・・創建は推古天皇9年(601)頃と言われている須賀神社(台東区浅草橋2)。  当時、この地に疫病が流行した。 ところが、このあたりの森に牛頭天王を祭った祠があり、その祠に郷の人々は病気平癒を祈った処、尽く快気した。 以来、江戸時代には 祇園社、蔵前牛頭天王、団子天王、笹団子天王、などと呼ばれ、経済力のある氏子の札差らに支えられ 祭礼も盛大に行われた。 そして明治時代の神仏分離令により、天台宗東叡山寛永寺真鏡山宝現院大円寺より分離され、須賀神社と改名した古社である。、、、、、、社殿は、関東大震災の災失、第二次世界大戦の焼失のため  昭和36年(1961)鉄筋コンクリート造にて再建された。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・須賀神社の裏には、知る人も少なくなったが、関東大震災までは閻魔堂があったそうだ。、、、、、江戸時代に華徳院という閻魔王を御本尊とする寺があった、この寺が閻魔堂である。 下谷坂本の善養寺、内藤新宿の太宗寺 と共に江戸三大閻魔のひとつに数えられ、参拝客でにぎわったそうだ。、、、、華徳院は現在は杉並区に移り、かつて閻魔堂が在った場所(浅草橋2:玩具会館)の植え込みに小さな石碑が立っている。、、、、閻魔さまが残っていれば、名所の少ない浅草橋にとっては、浅草の観音さまと勝負できる観光名所になったかも(?)
 
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・・・・・・・・・・・・・・創業文久2年(1862)、江戸時代から続く佃煮の老舗「鮒佐」。 大正3年(1914)創業は、扇子・団扇の専門店「松根屋」。 ともに、須賀神社の並びです。、、、、、、江戸の味と文化を残す老舗がしっかりとある、『ちょいとおいでよ浅草橋
 
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・・・・・・・・・・・・・・江戸通りの隅田川寄りには榊神社 (蔵前3)がある。、、、、、こちらの神社にも手を合わせ、お賽銭10円分の幸を祈る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・神社の先で隅田川に出て、蔵前橋を渡る。
 
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●震災記念堂・・・・・・・・・・・墨田区横網町公園に建つ東京都慰霊堂 。 「震災記念堂」とは、昭和51年(1976)までの呼称である。 この年、第二次世界大戦における空襲で死亡した遺骨も合祀し、「東京都慰霊堂」と改称した。、、、、本堂は文化勲章を受章した伊東忠太の設計によるもので、200坪の講堂と三重塔を持つ寺院風の建築である。 三重塔は高さ約41mで、基部は納骨堂となっている。 講堂には祭壇があり、震災死亡者、空襲死亡者の霊をそれぞれ合祀した巨大な位牌が2基祀られている。 施工は戸田組(現:戸田建設)。、、、、、今日は式典が行われることは想定していたが、それ以前に行けば焼香できると思っていたが、あまかった! “秋篠宮ご夫妻が参列”されその警備、“朝鮮人犠牲者への小池百合子都知事や山本亨墨田区長が今年から追悼文をやめた件”でのイザコザなどで、やたらめったら警備が厳重だった。
 
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・・・・・・・・・・・・・・今日は、式典前に来たのだが本堂の最前列に置かれた焼香台には近寄れず、遠くから手を合わせてきた。
 
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・・・・・・・・・・・・・三重塔の下にある納骨堂の方は、特に厳重に警備する様子もなく、焼香できた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・警察・消防・赤十字など関係機関から多くの人が出て、震災の犠牲者を慰霊する都の大法要、震災時に「虐殺」されたとする朝鮮人らを追悼する団体の式典、その犠牲者数に疑義を唱える団体の慰霊祭などが、行われていた。、、、、静かに、厳粛に、慰霊したかった一般の参列者にとっては、納得できない「震災記念日」であったかも?
 
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