江東区

2018年7月 7日 (土)

浅草橋~新小岩

7月に入り、暑い日、雨の日が続き、あいだの散歩日和の日は病院に御招待され、なかなか散歩できる日がなかった。 朝5時、ベッドの中で『今日は散歩できそうだ、歩くぞ! お通じを良くするぞ!』。 できるだけ長い距離を歩きたく、京葉道路をひたすら歩くことにした。
 
 
 
am7:55・・・・・・・土曜日のせいか、通勤する人は少なく、学生だけがパラパラ歩く浅草橋。、、、、、連日の雨によるのか(?) 神田川の水位も上昇している。
 
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am8:00・・・・・・・「浅草橋交差点 」は、靖国通り(都道302号)の終点であり、京葉道路(国道14号)の起点(公式には浅草橋交差点から300m程東の両国橋が起点)である。
 
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am8:00・・・・・・・両国橋 の西詰(中央区側)には、かつて江戸で最大の盛り場だった「両国広小路」の碑がある。 もともとは、明暦の大火(1657年)後、両国橋が架けられ、橋の両詰に「火除け地」として、広小路が整備された。 その後、西詰の広小路は、いつしか、見世物小屋、茶店などがひしめきあう、江戸一番の繁華街となった。 上野、浅草とともに江戸三大広小路の一つ。、、、、、新宿歌舞伎町のような繁華街として現在まで残っていれば、我が家から近く、私の人生感もチョットは変わっていたかも?
 
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am8:10・・・・・・・両国「回向院」前を通過。
 
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am8:10・・・・・・・回向院前から150m程東に向かうと、「横綱横丁」と称す横丁がある。 この横丁の入口の東側が、作家:芥川龍之介の生育の地であったそうだ。 芥川は明治25年(1892)、東京市京橋区入船町の牛乳搾取販売業耕牧舎を営む新原敏三・ふくの長男として生まれ、辰年辰の日辰の刻の生まれにより龍之介と命名されたと言われてる。 生後7ヶ月で生母ふくの病のため、当時本所区小泉町(ここが生育の地)に住んでいたふくの長兄、芥川道章に引き取られ、後13歳の時、芥川家の養子となったそうだ。、、、、、浅草橋の路地裏に雅万歩の誕生・生育の地の碑が建つのも夢ではないかも(?)
 
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am8:35・・・・・・・江戸時代庶民の信仰と行楽を兼ねた成田山新勝寺の参詣は、2・3泊の手頃な旅行コースとして人気があったそうだ。 江戸市中からの参詣コースとしては、現:水戸街道の葛飾区新宿から東に向かい小岩、市川、八幡へと進む道と、日本橋小網町から水路で隅田川を下り行徳から陸路を八幡へ向かう道の2ルートがあった。 明治時代になると、浅草橋から両国橋を渡り小岩、市川を経由して向かう道を千葉街道と称するようになり、これが現在の京葉道路となったそうだ。 この京葉道路にかかる旧江東橋は東関東の水運の大動脈として、江戸時代以降、東京の市民生活を支えてきた運河の一つ「大横川」に大正15年(1926)に架けられた。 現在の江東橋は平成7年(1995)に架け替えられたものである。 現:江東橋の西詰に、旧江東橋の親柱が残されている。、、、、、江東橋付近の大横川は暗渠化され川筋は親水公園に変わった。
 
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am8:45・・・・・・・錦糸町駅前を通過。、、、、、駅前のバス停横に「伊藤佐千夫牧舎兼住居跡」の案内と歌碑が建っている。 ここ錦糸町駅前に、明治22年(1889)から明治45年(1912)まで、明治の歌人:伊藤佐千夫の経営する牧舎と住居があったそうだ。、、、、現存していれば、新鮮な牛乳が飲める駅前のミルクスタンドとして繁昌したかも(?)
 
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am8:50・・・・・・・錦糸町駅の東350m程の処に、京葉道路に面し都営江東橋4丁目アパートがある。 昭和52年(1977)に完成した総戸数220戸の都営住宅。 施工は飛島建設。、、、、、この都営住宅の1階は都営バスの車庫となっている。 完成当時は斬新な構造の車庫で、内部にはターンテーブルも供えられているそうだ。、、、、、ここがバスの車庫となる以前は都電の車庫であった。 昭和47年(1972)の都電廃止で、都営住宅と都バスの車庫に生まれ変わった。
 
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am8:55・・・・・・・錦糸町と亀戸の間に流れる運河:横十間川に架かる橋が松代橋である。 現在の橋は昭和44年(1969)に架けられた1径間鋼製桁の橋である。 以前は、昭和5年(1930)に完成した鋼製桁の震災復興橋が架けられていた。 上流側にはJR横十間川橋梁が架かる。、、、、、橋名は西岸にあった旧町名に由来するらしい。
 
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am9:00・・・・・・・JR東日本の総武本線貨物支線である越中島支線の下を抜け、亀戸駅の南を通過する。
 
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am9:15・・・・・・・亀戸駅を過ぎ、亀戸6丁目に入ると、、、、、、私の親友が経営する不動産屋の前に来た。 チラリ、店先を覗くと親友御夫妻の姿が見える、まだお客が来ていないようだ。 チョイト寄って行こう!、、、、気持ちは短時間で失礼するつもりで寄ったが、『友有り、遠方より歩いて来たる。 亦た久しぶりや。』 お茶もいただき、私のバカ話は止まらず、小一時間話し込んでしまった。 お仕事の邪魔をしてしまい、失礼しました。
 
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am10:00・・・・・・・散歩を続ける。 向かうは東へ!
 
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am10:15・・・・・・・中川新橋を渡り旧中川を越える。 江東区亀戸と江戸川区平井を結ぶ橋。
 
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am10:25・・・・・・・江戸川区小松川の再開発地区に建ち並ぶマンション群を見ながら歩く。
 
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am10:30・・・・・・・荒川に架かる小松川大橋 を渡る。 この橋は下り線と上り線が方向別に架橋されている。 上流側(下り)が小松川橋、下流側(上り)が新小松川橋です。 下りの小松川橋が昭和44年(1969)に開通し、上りの新小松川橋は昭和47年(1972)に開通した。 全長500m程の橋である。、、、、、橋上は風が強く、帽子を押さえながら渡って来た。、、、、、荒川は川幅イッパイに流れ、河川敷も水の下である。 上流ではだいぶ降ったようだ。
 
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am10:40・・・・・・・小松川大橋を渡り、江戸川区松島の小松川署前を通過する。、、、、、ここまで、浅草橋交差点から7kmである。(日本橋からは9km)
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・京葉道路の散歩は小松川署の先で終了とした。 これより裏道を歩き新小岩駅に出て帰宅する。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・今日は1万6千歩の散歩でした。

2018年6月27日 (水)

扇橋閘門

隅田川と旧中川を結ぶ運河:小名木川の中程に扇橋閘門がある。 今朝、ベッドの中で地図を見ていたら、閘門に行ってみたくなった。 JR総武線錦糸町駅から南に歩き、扇橋閘門へ行ってガッカリし、西へ歩き都営大江戸線清澄白河駅まで、直線距離で3km程の工程を、1万1千歩を要して歩いた。(ひょっとすると、私は脚が短いのかも?)
 
 
 
①錦糸町駅・・・・・・・・・・・明治27年(1894)12月9日に、私鉄:総武鉄道の本所駅として開業。、、、、一日に30万以上が乗降する、JR、東京メトロが乗り入れるターミナル駅。 ちなみに、私が住む二駅隣の浅草橋駅の乗降客は17万人程。 負けた!
 
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・・・・・・・・・・・・・錦糸町駅ホームから撮った錦糸町交差点。 右の高い建物はJRAの馬券売り場、左手前の改装工事中のビルは「東京楽天地」
 
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②江東観世音・・・・・・・・・・錦糸町駅前の丸井の裏(南側)に、天台宗の五徳山江東寺がある。昭和15年(1940)に水澤観世音(伊香保町)の別院として創建された。 本尊は千手観世音であるが、境内には清昌稲荷、出世弁財天、水洗観音、地蔵尊、馬頭観音、戦災慰霊碑などいろいろ取り揃え祀られている。、、、、、馬券買う前に馬頭観音に手を合わせて行くと、御利益あるかも?
 
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・・・・・・・・・・・・・・江東寺の向かいに、チョイト古い建物「ニュー錦糸町ビル」がある。 1・2階は店舗、3階から上は住宅となっている。 昭和43年(1968)に建てられたそうだ。
 
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③日先神社・・・・・・・・・・新大橋通りを横断し江東区猿江1丁目に、江戸名所図会にも描かれ江戸屈指の規模をもつ摩利支天だった日先神社(ひのさきじんじゃ)がある。 今や、見るも悲しき、小さな神社となってしまった。 摩利支天とは仏教の神様であり、太陽の前に先立ち進むと言われ、明治­以降に日先神社と改称したようだ。
 
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④猿江神社・・・・・・・・・・日先神社から100m程南に行くと猿江2丁目に猿江神社がある。 正確な創立年代は不明であるが、康平年中(1058、平安時代中期)頃には近在の信仰を一身に集めた稲荷社であったらしい。、、、、、鉄筋コンクリート造の社殿は昭和6年(1931)に建立され、鉄筋コンクリ―ト造の寺社としては国内最古である。 また、玉垣のある石造燈籠も昭和6年(1931)に造られた。、、、、、猿江神社の社殿も国の文化財に登録してあげたいね。 参考に、国登録有形文化財である鉄筋コンクリート造の神田明神 の社は、昭和9年(1934)に造営された。
 
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⑤扇橋閘門・・・・・・・・・・いよいよ、本日の目的地:扇橋閘門(こうもん)に来た。 閘門とは水位の異なる河川や運河、水路などで船を上下させるための装置である。 閘門の特徴は、固定された閘室(前後を仕切った空間)内の水位を変えることで、船舶の航行を可能にするための施設。 誰もが知る、有名な閘門はパナマ運河である。、、、、、小名木川の扇橋閘門のある江東区は、東側が地盤が低く西側が高い地形になっており、昭和46年(1971)策定の江東内部河川整備計画にて、東側を常に一定に保つ水位低下区域としてまた西側の感湖部を耐震区域として整備することになった。 この閘門は、両区域の接点にあたる小名木川の中間に造られている。 30億円の事業費と5年以上の歳月を費やして昭和52年(1977)に完成した。
 
・・・・・・・・・・・・・ありゃりゃ、閘門は工事中。 来年の春までダメだ! 残念・無念。、、、、、4年前の閘門は、コチラ
 
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⑥閘門の隣りに架かる2橋・・・・・・・・・・・・扇橋閘門を挟む小松橋(旧中川側)と新扇橋(隅田川側)。
 
・・・・・・・・・・・・・まずは、小松橋、、、、、、昭和4年(1929)3月に着工し、昭和5年(1930)1月に完成した震災復興橋。 工期10カ月とは超突貫工事?
 
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・・・・・・・・・・・・・新扇橋、、、、、、旧橋は昭和4年(1929)に架けられたトラス橋であった。 昭和48年(1973)に、ランガー桁の現橋に架け替えられた。
 
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⑦清澄白河駅・・・・・・・・・扇橋閘門から、清洲橋通り、霊巌寺 に立ち寄り、大江戸線清澄白河駅から帰宅。、、、、、、、清澄白河駅は、都営地下鉄大江戸線と東京メトロ半蔵門線の駅である。 平成12年(2000)12月12日、“12”並びの日、大江戸線全線開通と同時に開業した駅。 島式ホーム2面3線を有する地下駅で、中央の線は折り返し用で、両側にホームがある。 当駅から木場公園の地下に造られた木場車両検修場への引き込み線が存在するため、当駅発着の列車も多い。
 
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2018年6月25日 (月)

東武亀戸線

今日の東京は30℃を超える暑さ、まだ熱中症で死にたくない。 チョイト身体が慣れるまで炎天下の散歩はひかえよう、自重・自重! でも、15時過ぎになると、そろそろ歩いてくるかと家を出た。 何度も歩いている散歩コースの一つ、東武亀戸線の線路沿いに、曳舟から亀戸まで歩いてきた。 1万歩の散歩です。、、、、東武亀戸線、過去の散歩→→→2年前の散歩 3年前の散歩
 
 
 
①曳舟駅・・・・・・・・・亀戸線は明治37年(1904)4月5日に、亀戸~曳舟間の3.4kmが開業した。 曳舟駅は、その2年前明治35年(1902)に現:伊勢崎線の駅として開業している。、、、、、亀戸線の起点駅である。
 
・・・・・・・・・・・・亀戸線は2両編成でワンマン運転。 曳舟駅では運転手さんも前から後ろへ移動。
 
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・・・・・・・・・・・・・・曳舟駅の改良工事は進み、明るくなったコンコース、東口には駅ビルが建ち昨年、ベッド数200床の「東京曳舟病院」が開院した。
 
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②曳舟駅~小村井駅・・・・・・・・・・・線路の北側は、木造住宅が密集し防火上危険な、いわゆる“木密地区”である墨田区京島。
 
・・・・・・・・・・・・・高架の曳舟駅から地上へ下り、京島地区へ入る亀戸線。
 
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・・・・・・・・・・・・・・昭和30年代の塗装を再現したリバイバルカラー:緑の2両編成も走る亀戸線。
 
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・・・・・・・・・・・・・・木造住宅の並ぶ路地裏を線路沿いに歩く。
 
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・・・・・・・・・・・・・そろそろ木造の密集地区“墨田区京町”から外れ、ここは“墨田区文花”。
 
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③小村井駅・・・・・・・・・・・曳舟から1.4kmの小村井(おむらい)駅。 駅前には明治通りが通る。
 
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④東あずま駅・・・・・・・・・・小村井駅から600mで東あずま駅。 構内踏切がある駅。
 
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⑤東あずま駅~亀戸水神駅・・・・・・・・東あずま駅と次の亀戸水神駅の間は約700m。 この間で、隅田川と旧中川を結ぶ運河である北十間川と交差する。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・亀戸に近づいてくると、マンション、ビルの間を走る亀戸線。
 
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⑥亀戸水神駅・・・・・・・・・・かの有名な亀戸天神、チョイト有名な亀戸香取神社の、どちらとも異なるマイナーな亀戸水神宮に近い駅。 
 
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⑦亀戸水神駅~亀戸駅・・・・・・・・・・この駅間も700m程と短い距離である。、、、、、、亀戸水神駅から100m程亀戸駅に寄ったあたりに、旧亀戸水神駅の跡が残っている。 線路脇にコンクリートの基礎のようなものが等間隔に並んでいる。 ここが、空襲で被災するまで使われていた亀戸水神駅である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・JR総武線が見えたら亀戸駅はスグソコ!
 
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⑧亀戸駅・・・・・・・・・・・・・総武線の盛土下に亀戸線のホームが見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・改札の先に到着した亀戸線が見える。、、、、、『亀戸、亀戸、終点です』
 
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2018年4月27日 (金)

目黄不動 (最勝寺)

英語も話せない欧米帰りの青い目の不動、徹夜麻雀で大損した赤い目の不動、エレベータの中で屁をこえた人を白い目で見つめる不動、酒の飲みすぎで黄疸になり黄色い目の不動、乃木坂46のメンバーを黒い瞳で見つめる不動、みんな目の色変えて右往左往する不動。 こんなお不動さんに会ってみたいと、江戸五色不動巡りは続く、今日は目黄不動のいる江戸川区平井の最勝寺に行ってきた。
平井駅から、最勝寺、旧中川、亀戸中央公園とまわり、亀戸駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
①平井駅・・・・・・・・・・通勤通学時間帯、到着するのは混んでいる電車ばかり、ホームには乗れない人もいる。
 
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・・・・・・・・・・・・・駅南口には、、とんかつ屋、コンビニ、カフェ、ベーカリーなど9店舗が並ぶ「シャポーロコ平井」が今年3月にオープンした。、、、、、こういう店がオープンすると、若い娘がよってきて、殺風景な駅も華やかになるのだ。 我が町の浅草橋駅より綺麗で、便利だ、負けた! 
 
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②行徳道・・・・・・・・・・・平井駅の北側、都道449号とJR総武本線が交差する地点と、最勝寺を結ぶ裏通りは「行徳道」と呼ばれた街道の一部がある。 私は、この道を歩き最勝寺に向かう。
 
・・・・・・・・・・・・・行徳道(ぎょうとくみち)は、中川 (旧中川 )の平井の渡しから 、四股(荒川の下となった、佐倉道と行徳道の交差点)をとおり、今井の渡しに達する街道。
 
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・・・・・・・・・・・・・・最勝寺の近くで、行徳道は荒川(念のため:::江戸時代には荒川は無かった)の下にもぐり、対岸の今井街道 に続く。 
 
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③最勝寺・・・・・・・・・・・荒川土手の際に位置する、天台宗の寺院、牛宝山明王院最勝寺。 寺伝によれば、貞観2年(860)に隅田川畔(現:墨田区東駒形)に草創された。 近世には、墨田区向島の牛島神社の別当を務めた。 ちなみに、牛島神社の創建は最勝寺と同じ貞観2年である。 大正2年(1912)、最勝寺は駒形橋の架橋工事による区画整理で、現在地である南葛飾郡下平井(現:江戸川区平井1-25)へ移転した。、、、、、、本堂の内陣は鉄筋で大金庫式に造られ、その中に本尊の釈迦如来(慈覺大師の作)を安置している。
 
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・・・・・・・・・・・・・最勝寺の目黄不動(めきふどう)は天平年間(729~766)に名僧:良弁が隅田川のほとりで作った、高さ127㎝程の像である。 像は、最勝寺の末寺:東栄寺の本尊として祀られていた。 江戸時代には、徳川将軍家の崇拝するところとなり、殊に家光の崇拝は篤く、仏教の大意に基づいて江戸府内に五色不動の霊場が設けられた。 この時、東栄寺の本尊も目黄不動と称され、江戸の町を守護する不動尊として広く信仰された。 明治時代に東栄寺は廃寺となり、本尊不動明王像は最勝寺に遷座された。 この時より、最勝寺は「明王院」と号するようになる。、、、、、現在、不動明王像は不動堂に安置されている。
 
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④平井白髭神社・・・・・・・・・・荒川沿いの最勝寺から、旧中川沿いの白髭神社(平井2-3)にやってきた。、、、、、平井白髭神社の創建年代は不詳だが、逆井村草創以来の鎮守で建治年間(1275~1278)の草創と言われている。 室町時代後期から太田道灌の家老土谷相模守が平井の当地周辺を所領し、代々氏子総代を勤めてきた。、、、、、社殿は昭和45年(1970)に鉄筋コンクリート造で改築した。 また、広い境内は盆踊りのためか、砂利敷きで樹木が少ない。
 
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⑤平井浅間神社・・・・・・・・・・・白髭神社の北、旧中川沿いに平井浅間神社がある。 この神社は、特別な社殿はなく、富士塚の頂上に石の小祠が祀られているだけだ。、、、、、平井浅間神社の創建は長享2年(1488)とも伝えられ、神社の富士塚は「逆井の富士」として知られている。、、、、、、社殿が無いためか、社務所が無い。 社務所が無いので、可愛いい巫女さんがいない、つまらない!、、、、、七五三詣で、安産祈願など受け付けていないのかな?
 
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⑥旧中川・・・・・・・・・・旧中川に架かる「ふれあい橋」を渡り、江東区亀戸の町に入る。、、、、、ふれあい橋は歩行者専用橋で、橋長:56m、1径間鋼製アーチ橋。平成6年(1994)に竣工した。
 
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⑦亀戸中央公園・・・・・・・・・・旧中川沿いで、総武本線を挟み東西に広がる約10万㎡の大きな公園。、、、、、、この地は、大正7年(1918)から始まり昭和49年(1974)の移転まで、日立製作所亀戸工場として使用されてきた。 その後、昭和55年(1980)に都立の亀戸中央公園として整備され開園した。、、、、、樹木数:2,950本、9,300株が緑豊かに茂る公園で、運動施設なども整備されている。 、、、、、、思い出した、近くには精工舎亀戸工場もあった。 戦前・戦後の工場地区である。
 
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⑧亀戸水神駅・・・・・・・・・・亀戸中央公園の近くに、亀戸線の亀戸水神駅がある。 チョイト駅前を通って行こう!、、、、、懐かしい昭和30年代の、インターナショナルオレンジの車体にミディアムイエローの帯を巻いた8000系リバイバルカラー車両 と御対面。
 
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⑨JR亀戸駅・・・・・・・・・・駅に到着、今日はココまで!
 
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2018年2月 8日 (木)

辰巳運河

今朝、なぜか五月みどりの曲を思い出し、五月みどり→深川芸者→辰巳芸者→辰巳水門と連想し、「辰巳水門」が見たくなった。 散歩は有楽町線辰巳駅で下車し、辰巳水門のの周辺を歩いてきた。 辰巳運河の両岸を歩き、ほぼ一周、1万3千歩の散歩です。
 
 
・・・・・・・・・・・・・辰巳運河は、「辰巳」と「東雲」(念のため、“しののめ”と読む)の埋め立て地の間を流れ東京湾に注ぐ運河。 上流側から辰巳橋、辰巳桜橋、辰巳水門、新辰巳橋(国道357号)、辰巳道路橋(首都高)、辰巳運河橋梁(りんかい線)、新末広橋の橋梁が架かる。 両岸は、辰巳側に都営の辰巳団地、東雲側にはズラリとタワーマンションが並ぶキャナルコート。
 
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①辰巳駅・・・・・・・・・昭和63年(1988)6月8日の新富町駅~新木場駅間開業と同時に辰巳駅も開業した。 島式ホーム1面2線の地下駅。、、、、、マンション、団地からの御出勤で、朝の駅は降りる人より、乗る人の方がずっと多いようだ。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅前広場から、キャナルコートのタワマンが望める。、、、、私には、迫って来る怪獣のように見える。
 
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②辰巳桜橋・・・・・・・・・・・「辰巳駅」が辰巳地区にあり、対岸の東雲地区の人の利便性を考え、駅前からキャナルコートに向け架けたと思われる歩行者専用橋。、、、、、橋長273mの:2径間連続斜張橋。 平成8年(1996)に竣工した。
 
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③辰巳水門・・・・・・・・・・・辰巳運河に昭和37年(1962)に設置された辰巳水門。 幅員11.4メートル×2連のローラーゲートで、運河沿いの町を高潮や津波の被害から守るためにある。 台風の時には、大気圧も低くなり高潮が発生しやすく、このような時には水門を閉鎖し内部の町を守る。 しかし、水門を閉鎖すると、運河が大雨で増水し水の逃げ場がないことになり、洪水の危険が高まるため、そこで水門閉鎖時に内部の水をポンプで強制的に排水する排水機施設が辰巳水門の脇に用意されている。 それが、辰巳排水機場(昭和39年設置)である。、、、、、現在、辰巳排水機場は再整備工事がすすめられている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・辰巳排水機場
 
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④キャナルコート・・・・・・・・・・威圧するようにたつタワーマンション群。 全部で何戸あるのか、数えられるものなら数えてみたい! 
 
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⑤新辰巳橋・・・・・・・・・・・最上流に、かって車道があったと思われる歩行者専用橋がある。 その隣に車専用の一般道が片側分。 そして首都高。 さらに一般道の反対車線。 橋梁がダンゴ状態で複数並んでいる。 いったいどれが新辰巳橋だ????
 
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・・・・・・・・・・・・・・高い処を走るのは首都高で辰巳道路橋
 
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辰巳団地 ・・・・・・・・・・・運河を挟み、若い人が多く賑わいを感じる東雲のキャナルコート、それとは対照的に、中高齢者が多く寂しくなった辰巳団地。 超高層と中層、シャレた建物と古びた建物、近代的スーパーと寂れた商店街、若者と老人、これが東雲と辰巳。 考えさせられるね。??????
 
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⑦辰巳橋・・・・・・・・・・辰巳運河の上流側に架かる辰巳橋は、東雲橋から辰巳団地の中央を結ぶ道路を通す。 橋は長さ 127.0m、幅 25.0m、3径間鋼製桁橋で、平成4年(1992)の完成。
 
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2018年1月 7日 (日)

亀戸天神

正月気分もいよいよ終わりの、今日は「七日正月」。 我が家でも正月飾りをはずし、“松”とお飾りは神社へ納め七草粥を食した。、、、、、昼から夫婦で亀戸天神 に参る。
 
 
・・・・・・・・・・・・・JR亀戸駅から神社へ向かう。、、、、、天気晴朗なれど、人波はさほどでもなし。
 
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・・・・・・・・・・・・・神社へ向う途中、大道芸に拍手。 江戸切子もチョイト拝見、芸術品を見て感嘆し、値段を見て仰天。
 
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・・・・・・・・・・・・・正月三が日も過ぎ参拝客は少なくなった。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・拝殿前の行列も短く、待ち時間10分程で手を合わせることができた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・賽銭は奮発して10万円程投げ入れるつもりで、財布にあった小銭を全額入れてきた。 ちなみに、私が35円、妻が500円。、、、、、御利益を大いに期待!
 
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・・・・・・・・・・・・・・境内のウメは蕾も膨らんできた。、、、、、早や咲きのウメが一部開花していた。
 
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・・・・・・・・・・・・・青空の下、スカイツリーもよく見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・・今日は並ばなくても入れそうだ、チョイトお立ち寄り。 “くず餅”のお土産と重複しないように、“クリームみつまめ”をいただく。 できたら“大盛り”を注文したかった。
 
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・・・・・・・・・・・・・お腹も満たされ、天神橋を渡り錦糸町駅前を抜けて帰宅。
 
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2017年12月23日 (土)

清砂大橋・葛西橋

東西線南砂町駅から清砂大橋を渡り荒川を越えて江戸川区へ、引き続き上流の葛西橋を渡り再度荒川を越えて江東区へ、東砂三丁目からバスで帰宅。 1万2千歩の散歩。
 
 
 
南砂町駅 ・・・・・・・・・散歩の出発点はここ南砂町駅。 天皇誕生日の今日は、通勤客も少なく、人を避けることなく歩け楽だ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅から300m程東で東西線は地上に顔をだし高架となって荒川へ向かう。 私の足も東西線沿いに荒川へ向かう。
 
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②清砂大橋西詰・・・・・・・・・・・清砂大橋西詰交差点(江東区新砂3)は、千代田区大手町から門前仲町・東陽町を抜ける「永代通り」の終点である。 これより東側は「清砂大橋通り」となり江戸川区東葛西まで続く。
 
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・・・・・・・・・・・・・・交差点から車道は清砂大橋に続く。
 
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③清砂大橋・・・・・・・・・・・西岸の江東区新砂と東岸の江戸川区清新町を結ぶ、荒川と中川に架かる橋長1317.2mの長い橋。 橋名は両岸の町名から一文字頂戴。、、、、、橋は平成8年(1996)に着工し、8年後の平成16年(2004)に開通した、3径間連続斜張橋(主塔間230m)である。
 
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・・・・・・・・・・・・清砂大橋から見る下流側。 首都高湾岸線が走る荒川河口橋が望まれる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・清砂大橋から見る荒川(右側)と中川(左側)の合流点、頭上は首都高中央環状線が走る。
 
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・・・・・・・・・・・・・清砂大橋の上流側約20m離れて東西線荒川橋梁が並行する。
 
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④干潮時の水位以下・・・・・・・・・・清砂大橋の東詰(江戸川区西葛西)に鎮座する西葛西八幡神社。 神社の創建年代は不詳である、かつて地元の鎮守として祀られた。、、、、、神社のすぐ近くに背の高い中川の護岸がそそり立っている。 中川の川面は見えないが、川底に神社があるような気がするのは気のせいか。
 
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・・・・・・・・・・・・・・葛西橋から見た中川(左側)と江戸川区(右側)、、、、、、この辺りは荒川・中川の干潮時の水位より低い位置に建っている。 堤防が決壊すると2階の高さまで水がくるそうだ。
 
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葛西橋 ・・・・・・・・・現在の葛西橋は昭和38年(1963)に完成した、清洲橋をまねたようなデザイン(チョイと武骨で野暮ったい)の長さ727.4mのゲルバー橋で、荒川の右岸(江東区東砂)と中川の左岸(江戸川区西葛西)を結ぶ橋。
 
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・・・・・・・・・・・・・現在の葛西橋から上流側約300mに、昭和3年(1928)に竣工した旧葛西橋が架けられていた。 その位置に立てられている区の案内板に旧葛西橋の写真がある。
 
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⑥生田稲荷神社・・・・・・・・・・・東砂3丁目の生田稲荷神社。 境内の石碑には、『慶安年中(1648~1651)当地開発のさい、土地の鎮守とす。元禄初年(1688~1703)疫病のさい、里民当社に祈願し安全を得、特に産婦の安全を守護し、神徳を崇め遠近より参詣が多い。』と記されている。 安産に御利益があるようだ。
 
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⑦東砂三丁目バス停・・・・・・・・・都営の敬老パスを持っているので、都営バス・地下鉄などに乗り放題。 ついつい安きに流れ、バスで帰ることにした。
 
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2017年11月27日 (月)

南砂町~西大島

地下鉄東西線南砂町駅で下車し、北に2.5km程離れた都営新宿線大島駅まで、複数の団地の中をぶらつき、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
①南砂町駅・・・・・・・・・・昭和44年(1969)3月29日、東西線全線開業時に開業した、島式ホーム1面2線の地下駅。、、、、朝は通勤客がホームにあふれ狭く感じ、ホームから落ちる危険をも感じる。 只今、東京メトロでは南砂町駅改良工事を、総投資額340億円かけ大規模に進めている。 具体的には、ホーム1面を新たに造り2面3線にする、またコンコースを改良し、現在両端にある改札口を中央に統合し1か所とするそうだ。 完成は平成32年(2020)を予定。
 
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②都営南砂三丁目アパート・・・・・・・・南砂町駅前にズラリと並ぶ都営住宅は、昭和41年(1966)から43(1968)年にかけ建設された。 「みどり団地」という愛称をもつ総戸数600戸(14棟)の団地。、、、、築50年経過し、現在、建ち並ぶ14棟の内、4号棟から7号棟の4棟は取り壊され、12階建ての高層住宅に建て替え中。、、、、駅前の一等地の都営住宅で、建て替えると家賃も高くなりそうだね!
 
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③南砂の町・・・・・・・・・・表通りには団地・マンションが建ち並ぶ町。 裏通りは車も通りずらい細い道が残る住宅地。
 
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・・・・・・・・・・・・・南砂の北側を流れていた仙台堀川 は親水公園に変わり、住民の憩いの場となっている。
 
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④北砂の町・・・・・・・・・・・・南砂の北側、清洲橋通りを越えると北砂の町になる。 こちらの町も団地とマンションが並び、その谷間に細い道が通る住宅地。
 
・・・・・・・・・・・・・清洲橋通りに面し、巨大なコンクリートの塊が圧倒する「北砂四丁目住宅」。 東京都住宅供給公社が販売した、昭和47年(1972)札幌オリンピックの年に建てられた14階建て、総戸数526戸の分譲マンションである。、、、、中央の吹き抜けの周りに住居を配した巨大な建物。、、、、大きさにつられ、“チョイト拝見”したが、普通の集合住宅であった。
 
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・・・・・・・・・・・・・・路地を歩き、“砂町銀座”商店街に出た。 まだ、シャッターが下りている店もあるが、そろそろ営業開始の時刻かな? 
 
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・・・・・・・・・・・・・砂町銀座の南側には、亀高神社がある。 亀高神社は、当地亀高新田開拓の際に五穀豊穣の神として寛永年間(1624~44)に創建、亀高新田村の鎮守であった。、、、、、地元の鎮守として村人に愛されたであろう神社。 現社殿は昭和43年(1968)に鉄筋コンクリート造にて建て替えられた。
 
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・・・・・・・・・・・・・亀高神社の南隣に真言宗智山派の持宝院がある。 持宝院の創建年代は不詳だが、創建時期は寛永3年(1626)とも元亀・天正年間とも云われている。、、、、、アレ、エロ坊主でもいるのかな? ピンクの本堂がお出迎え。 それとも、極楽浄土の色はピンクかも。
 
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・・・・・・・・・・・・・砂町銀座の北側には、けして大きな教会ではないが、かわいらしい教会があった。 日本基督教団の砂町教会である。 教会の創設は昭和8年(1933)で、現聖堂は昭和59年(1984)の竣工。、、、、、地元の信者に愛される教会のようだ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・北砂5丁目に旧日本住宅公団の時代である昭和52年(1977)から平成8年(1996)にかけて建てられた、総戸数2781戸のUR北砂五丁目団地がある。、、、、敷地内の樹木は秋色に染まり、穏やかな秋晴れがお出迎え。
 
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⑤進開橋・・・・・・・・・・・・小名木川 に架かる進開橋を渡り大島の町に入る。
 
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⑥西大島駅・・・・・・・・・・都営新宿線に、昭和53年(1978)12月21日に開業した、島式ホーム1面2線の地下駅。
 
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2017年10月17日 (火)

亀戸銭座

午後になって、何日ぶりかで雨が上がった。 3時過ぎから、錦糸町駅から亀戸駅まで、総武線の北側を歩いて“ミニ散歩”。
 
 
 
①錦糸町・・・・・・・・・・錦糸町駅南口は昭和36年(1961)に建てられた民衆駅ビルで、地上7階/地下1階の建物であるが、数度のリニューアル工事で古さを感じさせない駅ビルである。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・・南口からガードをくぐり、駅の北側:錦糸公園に向かう。、、、、、錦糸公園は関東大震災前の陸軍糧秣厰倉庫跡で、震災時にはここに約1万人の遺体が仮埋葬されたそうだ。 震災後、復興公園として整備された。、、、、、震災で亡くなった人を思うと、公園の中を歩くにも、チョイトいいかげんな歩きができないね!
 
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・・・・・・・・・・・・・・錦糸公園の東側:横十間川に架かる錦糸橋 。 橋を渡ると江東区亀戸の町である。
 
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②亀戸銭座・・・・・・・・・・・・錦糸橋を渡ると、横十間川沿いの左側にUR亀戸2丁目団地が見える。 この団地の敷地は、江戸時代、寛文8年(1668)から安永2年(1773)の間の約100年間、当時の通貨である寛永通宝が作られていた銭座の跡である。 銭座はその後、明治40年(1907)に日清紡績株式会社の本社工場の敷地となり続いたが、戦時中の空襲で焼け野原となった。 戦後は運動場として利用され、昭和42年(1967)に旧日本住宅公団の団地が建設された。 この時、団地の一角に野球場が造られ、地下には東京都水道局亀戸給水所の配水池も作られた。、、、、、団地建設の際は敷地内から、寛永通宝が多数発見されたそうだ。
 
・・・・・・・・・・・・・水道局亀戸給水所の正面ゲート前にある「亀戸銭座」の碑。、、、、、この付近に生息していたのが銭亀である。 甲羅には寛永通宝の模様があったとか。 本当のような、ウソの話である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・水道局亀戸給水所の正面ゲートの右隣には、 黒褐色の「日清紡績創業の地」 の碑がある。、、、、、現在の日清紡は綿紡績から、エレクトロニックス、ブレーキ、精密機器に事業をシフトし、グループ全体で23,000名以上の従業員を抱える大企業グループである。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・・亀戸銭座と日清紡績創業の地の碑がある、東京都水道局亀戸給水所は江東区亀戸2丁目にある。、、、、、空から見るとUR亀戸二丁目団地の中央に江東区営亀戸野球場が見える。 この球場の下に半地下式の配水池が造られている。  この給水所は、地域への配水を担うとともに、震災時には給水拠点となるため、配水池は縦横約 104m、高さ約 7m、貯水量 60,000m3のRC構造物である。 (施工はフジタ)、、、、、野球場は、近隣住民が騒音に悩まされないよう配慮し、ナイター使用はできないとのこと。
 
・・・・・・・・・・・・・・・団地から見た給水所。 右側のグランドの下が配水池、左手前の屋根上にカマボコが3個並んでいるのが給水所の建屋
 
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・・・・・・・・・・・・・・・給水所建屋
 
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・・・・・・・・・・・・・・配水池。 (配水池そのものは、グランドの下で見えない。 想像して!)
 
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・・・・・・・・・・・・・・・亀戸給水所を囲むように、UR亀戸二丁目団地が建っている。 昭和43年(1968)完成、鉄筋コンクリート造11階建て、総戸数806戸。
 
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③都営亀戸第二アパート・・・・・・・・・・UR亀戸二丁目団地の東側にチョコンと建つ、江東区では古い都営アパート。 昭和36年(1961)建設、全18戸。、、、、、ボロボロ!
 
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④亀戸天神・・・・・・・・・・時刻は5時過ぎ、誰もいない天神様に手を合わせて帰ることにする。
 
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亀戸駅 ・・・・・・・・・・・暗くなった亀戸駅前の裏道を歩き駅へ。
 
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2017年9月22日 (金)

浅草橋~平井

今朝のNHK天気予報で、東京の天気は、午前中は曇り、正午からは小雨、夜は雨と受け止めた。 午前中は天気ももちそうなので、我が家から総武線沿いに歩いてみることにした。 浅草橋の我が家から平井駅まで、1万4千歩の散歩です。
 
 
①浅草橋を発つ・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・高架ホーム下の店舗、駅前の飲食店、どこも、まだ閉まっている。、、、、、高級ブランドの店、三つ星レストランなんてない。 あるのはビーズ屋さん、安売り雑貨屋さん、超B級飲食店ばかり。
 
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・・・・・・・・・・・・・・朝8時、そろそろ駅から職場に向かう人も出てきた。
 
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②両国橋を渡る・・・・・・・・・・“雨降る天気”は嘘のような“爽やかな晴れ”。 
 
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③両国駅付近を通過・・・・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・今日は回向院 には立ち寄らず素通り。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・・両国駅の南側、京葉道路に面した両国3丁目22番は芥川龍之介が18歳まで育った処。 芥川は回向院の隣にあった小学校に通ったそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・江戸東京博物館前から北斎通りに入る。
 
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北斎通りを行く ・・・・・・・・・・・・江戸東京博物館前から錦糸公園の先の錦糸橋(横十間川)までの通りを言う。 江戸東京博物館前から横川までは、かつての本所南割下水(ほんじょみなみわりげすい)と呼ばれた、道路の真ん中を掘り割った下水路であった。 割下水は昭和初期に暗渠化され、平成の世になり歩道などが整備され、平成6年(1994)から「北斎通り」と称した。
 
・・・・・・・・・・・・・・・すみだ北斎美術館(墨田区亀沢2)の敷地は、江戸時代に弘前藩津軽家の大名屋敷あった。 この近くには葛飾北斎が住んでいた、つまり北斎の地元にできた美術館である。、、、、、、妹島和世建築設計事務所の設計、大林組+東武谷内田建設の施工による、RC造地上4階/地下1階建ての美術館。、、、、、大変残念なことだが、私はまだ入館したことが無いので、コメントなし。
 
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・・・・・・・・・・・・・・こちらも亀沢にある、日本相撲協会が直営の相撲神社で、「野見宿禰神社(のみのすくねじんじゃ)」。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・「北斎通り」、名前は粋で、江戸趣味を感じさせるが、通りには古い建物は残っておらず、またシャレた店舗が並んでいるわけでもない。 鋼管、パイプなどを扱う会社が多く、恋人同士の散歩にはチョイと不向きである。
 
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・・・・・・・・・・・・・・北斎通りは錦糸町駅手前で大横川親水公園と交差する。 東京スカイツリーの足下から、南に江東区木場方面に流れる大横川。 その一部を暗渠化し、整備されて親水公園となっている。
 
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・・・・・・・・・・・・・錦糸町駅の北側を再開発した「アルカタワーズ」。 3棟の超高層オフィスビルと、ホテル、シンフォニーホール、商業施設ビル、高層住宅などで構成されている。 前を貫く道路は北斎通り。、、、、、、サラリーマン時代、私のデスクも一時期このビルの中にあった。 今は懐かしいビル。
 
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・・・・・・・・・・・・・・津軽稲荷神社は、津軽藩下屋敷の屋敷神として祀られていた稲荷神を、明治43年(1910)に払い下げられ、錦糸町1丁目町会の守護神とした。
 
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・・・・・・・・・・・・・・錦糸町駅北口前をしたすら東に向かう。
 
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・・・・・・・・・・・・・・ 錦糸公園の奥に建つ「Olinas」の超高層ビル。 ここは、時計の旧精工舎の工場跡地である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・錦糸公園の東側に残る、旧病院建築。 現在は、昭和19年(1944)に病院跡に移転した阪上製作所の社屋となっている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・北斎通りは両国の江戸東京博物館前より東に真直ぐ伸びて、ここ横十間川に架かる錦糸橋までである。 これより江東区亀戸の町となる。
 
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⑤亀戸駅前を行く・・・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・亀戸駅前を通り抜け、我が足は東へ向かう。
 
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・・・・・・・・・・・・・・東武亀戸線 をチョイト見て、ついでに写真も撮って、先を急ぐ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・丸八通りを横切って、亀戸中央公園を抜けると、旧中川に出る。
 
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⑥旧中川を越えれば平井駅・・・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・旧中川は江東新橋 で越える。 超えると、そこは江戸川区平井の町。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・蔵前橋通りから、チョイとそれると平井駅 に出る。 駅前に着くと、ちょうど、ポッリと落ちてきたが、まだ傘は必要なさそうだ、帰ることにした。
 
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