江東区

2017年7月23日 (日)

深川

江戸六地蔵巡りも、いよいよ最後、今日の散歩は第五番の霊巌寺である。 都営新宿線の森下駅で下車し門前仲町まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
①森下駅・・・・・・・・・・・都営新宿線の島式ホーム1面2線を有する地下駅。 昭和53年(1978)12月21日に都営新宿線の駅として開業し、平成12年(2000)12月12日に大江戸線が開業し乗換駅となる。、、、、、今日は日曜日、通勤客も少なく、駅は閑散としていた。
 
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②深川神明宮・・・・・・・・・慶長年間(1596~1615)、摂津の人・深川八郎右衛門が一族を引き連れて当地を開拓するにあたり、屋敷内に小祠を設けて伊勢神宮の御分霊を奉斎したことに始まる。慶長元年江戸に入った徳川家康がこの地を訪れ、八郎右衛門に地名を尋ねたところ、未だ人も少なく“地名はない”と答えたので、八郎右衛門の姓をとって「深川」とするよう命じたという。 これが「深川」の始まり。、、、、、、その後、江戸の繁栄に伴って深川も発展し、神明宮は深川の総鎮守として崇敬を集めた。、、、、、現在は、寿老神を祀り、正月の七福神巡りで参拝客を増やしている。 ガッポリ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・大正・昭和の日本画家:伊東深水は、明治31年(1898)2月4日、ここ深川神明宮の門前で生まれたそうだ。 小学一年生まで深川で過ごし、二年生の時深川を離れた。 深水の雅号は深川の水にちなんでいる。 昭和47年5月8日没。、、、、ちなみに、深水の娘:朝丘雪路は昭和10年(1935)7月23日に東京市京橋区築地で生まれた。
 
 
 
③新小名木川水門・・・・・・・・・・・・小名木川は徳川家康が造った人工の運河で中川(今の旧中川)と隅田川を結んでいる。、、、、、、最も隅田川寄り(清澄2・常盤1)には萬年橋が架かっている。 その東隣りに新小名木川水門がある。、、、、、、これまで、鋼製単葉ローラーゲート形式、高さ11mのゲートが3連の水門(昭和36年(1961)に完成)であったが、耐震化工事で、1ゲートを撤去し、2連のゲートに改修される。
 
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・・・・・・・・・・・・・・完成予想図
 
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④清洲寮・・・・・・・・・・・江東区白河に建つ、“寮”とは言っても、民間のアパート。 大林組の設計・施工で、昭和8年(1933)に竣工した、鉄筋コンクリート造4階建ての建物。 総戸数66戸、長さ70m程の建物は大きい!、、、、、、最近、改装したようだが、むき出しの水道管、木製の引き戸、玄関床のカラータイル・壁のスクラッチタイルなど、昭和レトロの匂いがプンプン。 現在もアパートとして人気のある建物で、昭和のハイカラを求め空室待ちの人もいるようだ。
 
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⑤霊巌寺・・・・・・・・・清洲寮とは背中合わせの霊巌寺は、寛永元年(1624)、霊巌島(現:中央区新川)にて創建したが、明暦3年(1657)の大火で被災し、万治元年(1658)に現在地(江東区白河1)に移転した。
 
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・・・・・・・・・・・・・・江戸六地蔵の第五番が、ここ霊巌寺にある。、、、、、水戸街道を見守る像の高さは、2.73m。 深川の地蔵坊正元が発願し、享保2年(1717)に造立された。 製作者は神田鍋町の鋳物師太田駿河守正儀。、、、、、ここの像は低い位置に置かれ、顔立ち、姿も細部までよく見ることができる。 風雨にさらされ、チョイと傷みが見られる。 早い治療が必要かも?
 
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・・・・・・・・・・・・・・八代将軍徳川吉宗の孫にあたる松平定信(1758~1829)は、天明7年(1787)に老中となり、寛政の改革を行った。 その定信の墓所も、ここ霊巌寺にある。、、、、、突然ですがここで問題、松平定信が命名した超有名な菓子屋の名が現在も残っている、その菓子屋の名は?、、、、、答えは、全国に展開した「風月堂」である。 江戸時代、風月堂の本家となる、江戸・京橋鈴木町の「大坂屋」は定信に重用され、松平家の御用菓子商に指定され屋号も「凮月堂清白」(“風”の字は、“几”中が“百”)の5文字を頂戴した。 現在は、本家筋が上野凮月堂、暖簾分けされたのは神戸凮月堂、東京(銀座)凮月堂、長野凮月堂、甲府凮月堂などなど。 ちなみに、私も好きな銘菓「ゴーフル」は全国の凮月堂で売られている。
 
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⑥永代寺・・・・・・・・・・霊巌寺から南へ約1.2km、深川不動尊の参道脇に永代寺がある。 永代寺は寛永元年(1624)に、永代島に創建された。 江戸時代には富岡八幡宮の別当寺で、江戸六地蔵の第六番として栄えたが、明治元年(1868)の神仏分離により廃寺となった。 享保5年(1720)に造立した六地蔵はこの時取り壊された。 現在の永代寺は、明治29年(1996)に旧永代寺の塔頭の吉祥院が名称を引き継ぎ、再興したものである。
 
・・・・・・・・・・・・・現在の永代寺は、お不動様の参道に面した一画にある。本堂の上に塔がのる珍しい寺だ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・境内の隅に、取り壊された六地蔵に代わる地蔵様として、子育地蔵+取持地蔵の二体ペアにて仕込み中である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・今日はついでに、旧永代寺の寺域を歩いてみた。 旧永代寺は広く(約2万2千坪)、まず富岡八幡宮は永代寺が別当寺であった。 境内では骨董市が開かれていた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・旧永代寺が廃寺となった後、その一画に、明治11年(1878)に成田不動の分霊が引っ越してきたのが現在の深川不動尊である。、、、、旧永代寺には11の塔頭があり、その一つ吉祥院が現在の永代寺である。、、、、、地蔵さんは、どうやら不動さんに母屋を取られたようだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・富岡八幡宮と深川不動尊、永代寺などの周辺に、深川公園が点在する。 この公園も旧永代寺の跡地である。、、、、、公園の中に立つ「富岡八幡宮別当永代寺跡」の碑。、、、、、燈明塔も旧永代寺跡に立っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・ここでまた問題です。、、、、「門前仲町」の“門前”とは?、、、、もう、お判りですね、豆助!  そう、門前は永代寺の門前のことだったのです。 
 
 
 
●・・・・・・・・・・・・・これにて、江戸六地蔵を全て巡ったことにする。 門前仲町から都バスで浅草橋へ帰ることにした。、、、、「東京都シルバーパス」を持っていると、都内の主要バス、都営地下鉄は、年2万円ほどで乗り放題。 ありがたいね!

2017年6月18日 (日)

四ツ目通り

JR総武線錦糸町駅から、四ツ目通り沿いに南下し地下鉄東陽町駅をとおり過ぎ、江東区塩浜にある地下鉄東西線の車両基地まで、1万2千歩の散歩です。
 
・・・・・・・・・・・・四ツ目通りとは、、、、、江東区東陽3丁目を起点として、江東区を北上し地下鉄住吉駅、JR錦糸町駅をとおり、墨田区京島1丁目まで、総延長約5.5kmの都道である。 名の由来は、、、、、昔、堅川の北岸、現在の両国2~4丁目辺り(旧:相生町)に囲碁の名家:本因坊家があった。 その相生町の1、2丁目のブロックを碁盤の目に因んで一ツ目と呼び、3~5丁目を二ツ目と呼んだ。 その一ツ目の入口にかかる竪川の橋を一之橋と称し、二ツ目の入口にかかる橋を二之橋と称した。 その後三之橋、四之橋、五之橋が架けられた。 それぞれの橋上をとおる通りは、橋の名と同じ数字の“一ツ目通り”から順に“五ツ目通り”までの名が付けられた。 しかし現在、一ツ目通りは一ノ橋通り、二ツ目通りは清澄通り、三ツ目通りと四ツ目通りは今もその名を引き継ぎ、五ツ目通りは明治通りとなる。
 
 
 
①錦糸町駅・・・・・・・・・・明治27年(1894)12月9日、総武鉄道の本所駅として開業し、明治40年(1907)に国有化される。 大正4年(1915)に錦糸町駅に改称する。 歴史ある駅だ、南口の駅ビル「テルミナ」は昭和36年(1961)に竣工した。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・築50年経過した駅ビル「テルミナ」、、、、、、、駅前のバス停辺りは、明治43年(1910)頃まで歌人:伊藤佐千夫の住居兼牧舎があったそうだ。 錦糸町で酪農ができた時代があったなって、夢のような話。
 
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・・・・・・・・・・・・・錦糸町駅前交差点から見る四ツ目通り。
 
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②田螺稲荷神社・・・・・・・・・四ツ目通りから80m程西に入った処(江東橋3)、ビルの谷間に祀られている田螺(たにし)稲荷神社。 かつては田中稲荷と呼ばれていたらしいが、江戸時代、周辺に大きな火災があり、周りの家が次々と燃えていく中、神社の池から田螺が続々と這い出してお稲荷さんの壁に張り付き、神社を守ったらしい。 以来、「火防せ」の神様「田螺神社」として信仰を集めるようになったそうだ。、、、、、今では、周りは飲み屋とラブホテルが並ぶ夜の街。 火災にはより注意が必要。
 
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③四之橋・・・・・・・・・・四ツ目通りの名の謂れとなった堅川に架かる四之橋。 堅川は埋め立てられ、頭上には首都高が走り、四之橋は車専用となり、歩行者は両端から橋の下に下り、橋桁を金網越しに見上げて横断する車優先の構造となった。、、、、、
四之橋が初めて架けられたのは、万治2年(1659)である。  現橋は昭和46年(1971)に竣工した、3径間鋼製桁で、橋長は35m。
 
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④住吉駅・・・・・・・・・・・四ツ目通りが新大橋通りと交差する位置に都営新宿線と東京メトロ半蔵門線の住吉駅がある。 昭和53年(1978)12月21日に都営地下鉄新宿線の駅が開業し、25年後の平成15年(2003)3月19日に営団地下鉄の半蔵門線の駅が開業した。、、、、、私は、この駅で乗降した記憶がなく。 未知の駅である。
 
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⑤日先神社・・・・・・・・・・四ツ目通りからチョイと西へ入ると猿江1丁目に、江戸名所図会にも描かれた江戸屈指の規模をもつ摩利支天だった日先神社(ひのさきじんじゃ)がある。 今や、見るも悲しき、小さな神社となってしまった。、、、、、宮司自ら、富岡八幡宮に出向き、商売繁盛を祈願してくるといいかもね!
 
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⑥猿江神社・・・・・・・・・・猿江2丁目にある神社。 正確な創立年代は不明であるが、康平年中(1058、平安時代中期)頃には近在の信仰を一身に集めた稲荷社であったらしい。、、、、、鉄筋コンクリート造の社殿は昭和6年(1931)に建立され、鉄筋コンクリ―ト造の寺社としては国内最古である。 また、玉垣のある石造燈籠も昭和6年(1931)に造られた。、、、、、社殿は国の文化財に登録してあげたいね。
 
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小名木川の2橋・・・・・・・・・・・・・猿江神社の南を流れる小名木川。 ここに小松橋、小名木川橋が架かっている。
 
・・・・・・・・・・・・・小松橋、、、、、、江東区猿江1と扇橋2を結び、区道を通す。 小松橋の形式は曲弦ワーレントラス橋で、昭和5年(1930)に工事費160,137円で架けられた。 今の時代なら安いのだが、関東大震災後の工事費としては高いのか?安いのか?判らん!
 
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・・・・・・・・・・・・・・小名木川橋、、、、、、、こちらは、四ツ目通りをとおし江東区猿江2と扇橋3を結ぶ橋。 昭和4年(1929)に工事費 363.902円にてゲルバー鈑桁で旧橋は架けられた。 その後、昭和63年(1988)に、3径間連続鋼床版鈑桁のげ現橋に架け替えられた。
 
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⑧豊住橋・・・・・・・・・・・四ツ目通り、江東区千石2丁目と東陽6・7丁目を結ぶ 仙台堀川に架かる橋。 橋の下は親水公園のように改良されている。、、、、、、橋を渡ると東陽町駅も近い。
 
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⑨江東区役所・・・・・・・・・・・本庁舎は昭和48年(1973)に建設され、平成25年(2013)には耐震補強工事も完了した。、、、、、、江東区は耐震対策も重要だが、荒川・隅田川の堤防決壊すると、1階は完全に水没するそうだ。 全区民を対象にした浸水対策も実施しなければならず、チョイと気が抜けないね。
 
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⑩東陽町駅・・・・・・・・・・・昭和42年(1967)9月14日に営団地下鉄東西線の終着駅として開業。
 
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・・・・・・・・・・・・・ここ東陽町駅前交差点が四ツ目通りの起点である。、、、、錦糸町から南下してきた道はさらに南へ続く。
 
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⑪四ツ目通りの先は?・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・道幅は少々狭くなり、東陽橋で汐浜運河をこえ、江東区塩浜地区へ向かう。 
 
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・・・・・・・・・・・・・運河をこえると、道は東西線の車両基地に突き当たる。
 
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2017年5月14日 (日)

押上~亀戸

押上駅から、東武亀戸線の東側(京島地区、丸八通り)を歩き亀戸駅まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
とうきょうスカイツリー駅留置線 ・・・・・・・・東武スカイツリーライン(伊勢崎線)の本線南側にはかつて東武鉄道の広大な貨物駅があった。 貨物駅は平成5年(1993)まで営業を続けていたが、その跡地は総事業費650億円を投じて整備され東京スカイツリータウンと変わった。 本線北側には5本の留置線が地上に残っている。、、、、東武鉄道は「とうきょうスカイツリー駅」(旧業平橋駅)をチョイト曳舟駅側に寄せて、本線と留置線を丸ごと高架(全長約1.0km)とし、南側の賑わいを本線の北側にもひろげる予定である。 本年(2017年)着工し、2023年までに完成させる予定らしい。、、、、、工事の進捗を見に来たが、まだ着手していないようだ。 日を改めて出直しだ!
 
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京島 ・・・・・・・・・・・来るたびに変わる京島地区。 今日も古い家が壊され、更地に変わっていた。 
 
・・・・・・・・・・・・・・東武亀戸線の踏切を渡り京島に入る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・緊急車両が通れない細い道は、まだまだ多く残っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・所々、古い建物は壊され、「不燃化促進用地」(区の要請により、UR都市機構が地区内の土地を売却希望者から買い受け、周辺の不燃化建替えに活用、道路・防災スポット等の整備の代替地としての活用など、不燃化の促進を目的とする。)の立札が立っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・こちらの玄関にはバラが咲き、あちらの玄関には洗濯物が下がり、京島を印象づける。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・木造の長屋もまだまだ健在!
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・・・・・・・・・・・・・・只今、朝8時45分。 あの、元気なキラキラ橘商店街も、まだ開店準備中。
 
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・・・・・・・・・・・・・・京島と押上の町境を通過する東武亀戸線
 
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・・・・・・・・・・・・・・京島の隣町「文花3丁目」にて、、、、、古そうな建物も残っている、、、、、
 
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③東あずま駅・・・・・・・・・昭和3年(1928)4月15日、平井街道駅として開業し、昭和20年(1945)に駅は廃止となる。 昭和31年(1956)5月20日、東あずま駅として再開業する。、、、、ところで、駅付近はかつて吾嬬町(あづまちょう)であった。 駅名としては、本来「東あづま」となるはずなのに「東あずま」となった。 理由は不明、東武鉄道の誰かのミスだろう。 直さないのも頑固でいいね!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・東武亀戸線 を走る、オレンジの車体にイエローの帯を巻いた、昭和30年代のリバイバルカラーに塗装された8000系車両
 
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2017年5月 4日 (木)

リベンジ---藤まつり

4月16日の早すぎた藤まつり にはガッカリ。 今日はリベンジで、夫婦で亀戸天神まで散歩してきた。 なんと、こんどは遅すぎたようだ、まだ花は8割程残っていたが、一部の藤棚は緑の葉だけが残り、淋しそう。、、、、、それでもGWということで人出は多く、くず餅屋さんも大行列。
 
 
 
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長く垂れさがる高貴な紫色の花は、平安時代の王朝貴族に愛された、、、、 
、、、、、、、、、 ゆく春のかたみとやさく藤の花 そをだに後の色のゆかりに  (藤原定家)
 
 
「佐渡の盆踊り歌」に出てくる藤は、、、、、、
、、、、、、、、、 馬鹿にさんすな 枯木じゃとても 藤が巻きつきゃ 花が咲く
 
 
そこで私は、、、、、、
、、、、、、、、、 赤い椿に やきもち焼いて 老いた枯れ木に 絡む藤

2017年4月16日 (日)

藤まつり

今日の散歩は夫婦で、亀戸天神の「藤まつり」に行ってきた。
 
 
 
●・・・・・・・・・・・・見事に色づいた藤が、人目を引きつけるポスター。 4月15日から5月7日まで、天神さまの「藤まつり」。、、、、、滝のように垂れ下がる紫の花を期待し亀戸の町を歩く。
 
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●・・・・・・・・・・・・・商店街も、旗を出して歓迎。、、、、、ますます期待に胸が膨らみ、帰りのくず餅休憩も期待して腹が鳴る。
 
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●・・・・・・・・・・・・鳥居も見え着いた。、、、、、『人出は、チョイと少ないね。 ゆっくり観賞できそうだ! 綺麗な写真撮るぞ!』
 
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●・・・・・・・・・・・・ありゃこりゃ・どうした、藤棚に花がない! 『天神に騙された、金返せ!』と絶叫したくなる。 
 
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●・・・・・・・・・・・・どの枝にも、花はない、全てつぼみだ! 開花まであと一週間以上はかかると思う。、、、、花が垂れ下がるより、見事に期待を裏切られ、鼻水が垂れ下がる気分。
 
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●・・・・・・・・・・・『他責にするでなく 己の未熟さ故 綺麗なポスターに騙された 自分を責め』(怒りを抑え、男はカッコよく!) ここは、天神さまに賽銭118円を授けてきた。
 
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●・・・・・・・・・・・・期待外れの「藤まつり」、せめて賽銭分は楽しもう! お囃子、猿回しでチョイト挽回。
 
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●・・・・・・・・・・・一昨年の藤まつり。、、、、、古い写真見て我慢する。
 
 
●・・・・・・・・・・・“藤”がダメなら、“萩”で勝負!、、、、、天神裏、天台宗の龍眼寺は、応永2年(1396)に創建された。 境内の萩は江戸時代から著名で、萩寺と称されている。、、、、今はまだ“桜”が残っている。 こちらは、私たち夫婦を期待以上の花で迎えてくれた。
 
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●・・・・・・・・・・・・二人の散歩は、押上に出てスカイツリー・タウンに寄って帰る。
 
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2017年3月17日 (金)

亀戸~南砂町

総武本線亀戸駅から、ほぼ南に向かい地下鉄東西線南砂町駅まで、1万2千歩の散歩です。
 
 
①亀戸駅東口・・・・・・・・・・・亀戸駅の表玄関となる改札は北口である。 駅ビルでのショッピング、東武亀戸線への乗り換え、亀戸天神への参拝、“くず餅”の購入、何でもかんでも北口が便利。 ただし、会社帰りのチョイト一杯は東口が安くて便利。
 
・・・・・・・・・・・・東口は、ホームの千葉寄りから線路下の地下道を通り、京葉道路とはビル一つ隔てた裏道に出る、“裏口”である。 東口の頭上には越中島貨物線の高架橋が架かる。 改札の前は駐輪場! 
 
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②亀戸緑道公園/大島緑道公園・・・・・・・・・・・・都電29系統:葛西橋~錦糸堀~須田町と38系統:錦糸堀~境川~日本橋が運行していた、京葉道路水神森交差点から明治通り大島一丁目までは専用軌道であった。 昭和47年(1972)11月都電が廃止され、この専用軌道跡が昭和50年(1975)に亀戸緑道公園と大島緑道公園として整備された。
 
・・・・・・・・・・・・・・京葉道路水神森交差点では、かつての第二精工舎跡に建てられたショッピングモール「サンストリート亀戸」(平成9年オープン)が平成28年(2016)に閉鎖し、60階建てのタワーマンションの建設が始まった。、、、、その脇から亀戸緑道公園が始まる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・途中に竪川の運河跡があり、頭上には首都高7号小松川線が走る。 ここまでが亀戸緑道公園で、これより南側が大島緑道公園となる。、、、、、橋のあった北詰には、レールと車輪がモニュメントとして置かれている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・竪川に架かっていた「竪川人道橋」の写真。 (平成25年(2013)現地、工事現場にあった説明板にて)、、、、昭和30年頃の人道橋を渡る都電、平成23年撤去前の人道橋。
 
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・・・・・・・・・・・・・・大島緑道公園は、大島3丁目を縦断し、新大橋通りを横断し、大島四丁目団地の西側で明治通りにぶつかる。
 
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③大島四丁目団地・・・・・・・・・・・名のごとく江東区大島4丁目の旧住宅公団の団地。 地上8階~14階建ての建物が7棟、総戸数2,514戸の団地である。、、、、、私が社会人となった昭和44年(1969)3月から11月にかけ竣工した。 と、言うことは、築後48年が経過した。 間取りは2DK、2LDKが中心であるが狭そうだ! もうそろそろ建て替えの時期かな?
 
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・・・・・・・・・・・・・・団地内の緊急用電源。 遊園地の機関車ではありません!
 
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・・・・・・・・・・・・・・団地内の理髪店。 店名の「丹頂」を見て、『丹頂ヘアトニック』を思い出した!、、、、『丹頂ヘアトニック』は、戦後、金鶴香水(株)が発売した商品で、昭和38年に資生堂が「MG5」を発売するまではシェアはトップてあった。 シェア争いに負けた丹頂(株)(金鶴が社名変更した)は、「マンダム」シリーズを発売しヒットする。 社名も丹頂(株)からマンダム(株)に変更した。、、、、柳屋のポマードと共に、忘れた懐かしい名前だ。
 
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④進開橋・・・・・・・・・・進開橋(しんかいばし)は、小名木川に架かり、江東区大島1と北砂3を結ぶ。 橋上には明治通り(都道306号線)が走る。、、、、、形式はゲルバー鈑桁で、昭和42年(1967)11月に完成した。、、、、、川岸も整備され、景観になじむ橋である。
 
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⑤稲荷通り・・・・・・・・・・砂町銀座の北側200m程の位置(北砂3)に並行する商店街が「稲荷通り商交会」。 商店街の横綱「砂町銀座」には負けるが、序二段ぐらいの力はありそうだ。 まだ10時前でオープンしていない店も多い。
 
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・・・・・・・・・・・・・・商店街の東端に、名の由来となった「治兵衛稲荷」がある。、、、、、治兵衛稲荷神社は、当地一帯の治兵衛新田を開拓した治兵衛が村の鎮守として山城国伏見稲荷大社の分霊を慶安年間(1648-1652)勧請、創建したことに始まる。
 
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⑥砂町銀座・・・・・・・・・・・・北砂3丁目と4丁目の境にある、下町の元気な商店街。 あまりにも有名。、、、、砂町銀座の成立は、戦前、30軒位の普通の商店街として始まった。 戦争中は商店も強制疎開し、戦後焼け野原の場所へ戻り、昭和25年~30年にかけ飛躍的に店舗が増えて昭和38年頃にはほぼ現在の形(長さ700m弱、店舗数約180店)になったそうだ。、、、、こちらも、時刻は10時前、オープンしていない店が多く。 お買い物は午後からがいいかもね!
 
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南砂町駅 ・・・・・・・・・・昭和44年(1969)3月29日、東西線全線開業時に開業した、島式ホーム1面2線を有する地下駅。
 
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2017年2月24日 (金)

中央大橋・相生橋

隅田川の最上流から数えて35番目の橋は中央大橋。 上流の永代橋と中央大橋の間で、隅田川は隅田川派川(はせん、=分流)と分岐する。 その派川には相生橋が架かる。、、、、、今日の散歩は、都営浅草線宝町駅から、八丁堀、中央大橋、相生橋と歩き、東西線門前仲町駅まで、1万2千歩です。
 
 
 
①江戸湊の碑・・・・・・・・・中央区新川2丁目(旧:霊岸島)の隅田川岸に建てられた江戸港発祥跡の碑。、、、、、、慶長年間江戸幕府がこの地に江戸湊を築港し、水運の中心地とした。昭和11年(1936)まで、伊豆七島など諸国への航路の出発点であった。、、、、、当時、東京から伊豆七島へ行くには、ここからボロ船に乗って1泊、2泊の船旅であったと想像すると、船酔いに弱い私には、もうダメだ! 死を覚悟して、ナムアミダブツの旅である。
 
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②霊岸島水位観測所・・・・・・・・江戸湊の碑の前、隅田川に立つ三角に組まれたパイプと斜方12面体と呼ばれる立方体のオブジェ。 これぞ霊岸島水位観測所(無人)。、、、、、日本の標高は東京湾の平均海面を基準に測られる。その基準となる平均海面を測定していた場所が霊岸島水位観測所。 明治6年(1873)から観測を開始しているが、近年、この場所は埋め立てにより、隅田川の奥になり、観測には不向きとなった。 現在は油壺験潮所にその役割が移った。 、、、、、、ちなみに、現在の日本の水準原点は国会議事堂前にある。
 
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③中央大橋・・・・・・・・・・中央区新川(霊岸島)と中央区佃(佃島)を結び、平成5年(1993)3月に完成した。 橋長215mの鋼斜張ハープ橋。 佃の超高層マンション群を背景にした現代的なデザインだ!、、、、、橋桁製作は、かつて地元であった石川島播磨重工業。
 
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・・・・・・・・・・・・・上流(写真左側)から右奥に流れ下る隅田川。 中央の。佃島の背後に流れて行くのは派川。
 
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④大川端リバーシティ21・・・・・・・・・佃島は、佃神社周辺の旧来からの部分を除く、大半は明治以降石川島造船所に払い下げられ、昭和54年(1979)の操業停止まで造船所の敷地であった。、、、、、その後、造船所の跡地は、「大川端リバーシティ21」として、住宅市街地総合整備事業により、住宅・都市整備公団(現・都市再生機構)、東京都住宅局、東京都住宅供給公社、三井不動産によって超高層住宅を中心とした再開発が進められた。、、、、、各事業者は、個々の高さやデザインを少しずつ変えながらも全体として統一された外観で開発を進め、隅田川と調和した景観となった。、、、、、、ちなみに、一番高いマンションは、高さ180m(地上54階/地下3階)の「センチュリータワー」で、786戸が入居している。、、、、、高所恐怖症の私が54階に住むのは、死を覚悟し、怖さで眠れず、不眠症になるようなものだ。 最後は、寝ぼけて54階から墜落か?
 
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⑤相生橋・・・・・・・・・・・・右岸の中央区佃と左岸の江東区越中島を結ぶ橋。、、、、明治36年(1903)、築地・深川地区と佃を結ぶため、川の中程にあった中之島を利用し、2本の橋で架橋された。 この時、佃寄りの長い橋を「相生大橋」、越中島寄りの短い橋を「相生小橋」と命名した。 「相生」の名は、「相生の松」になぞらえた。、、、、関東大震災後は、大正15年(1926)に鉄鋼ゲルバー橋が再架橋された。、、、、昭和55年(1980)には小橋(越中島側)が埋め立てられ、中之島は地続きとなった。 さらに、平成10年(1998)には、老朽化した相生橋を、現在の橋に架け替えた。、、、現在の橋は、3径間鋼トラス桁橋で、橋長は149.1m、幅員は22.0m、昭和63年(1988)に着工し平成10年(1998)12月に開通した。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・相生橋を渡り、江東区越中島に入ると、橋の際に東京海洋大学がある。 50歳以上の人には東京商船大学 と言った方が判りやすいね。 今日は正門前を通過。
 
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⑥黒船稲荷神社・・・・・・・・・・・江東区牡丹にある黒船稲荷神社は、応徳3年(1087)浅草黒船町に創建、享保17年(1733)に現在地へ遷座した。、、、、、ここは、江戸戯作界の第一人者、四世鶴屋南北の住居跡である。 住んでいた痕跡は皆無、案内板があるだけ、できたら表札ぐらい残しておいて欲しいね。
 
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2017年2月21日 (火)

隅田川大橋・永代橋

人形町・水天宮を抜け隅田川大橋を渡り、江東区側の川岸を歩いて永代橋へ、再び隅田川を越えて日本橋まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
①水天宮・・・・・・・・・・チョイと水天宮にお立ち寄り。、、、、水天宮は、久留米藩主有馬頼徳公が現:港区赤羽の藩邸内に久留米市水天宮の分霊を文政元年(1818)に勧請して創建した。 その後、藩邸の移動に伴い、青山へ遷座し、さらに明治5年(1872)11月1日、現在の日本橋蛎殻町に遷座した。、、、、、平成28年(2016)4月より、建て替えられた新社殿への参拝が開始しされた。 新社殿は地下1階と1階が駐車場で、2階の人工地盤の上に社殿が建てられている。また、参集殿のある6階建ての下に参道の階段が設けられている。 これらの建物を地震から守るため境内全体を免振構造としている。 設計・施工は竹中工務店。
 
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②日清製粉晴東寮・・・・・・・・・日本橋蛎殻町にある寮。 スクラッチタイル風の貼りものをした、木造3階建ての建物。 建築年代は不詳ですが、『古そうだ!』
 
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③高尾稲荷・・・・・・・・・・中央区日本橋箱崎のIBM箱崎ビルの前に祀られている高尾稲荷。、、、、、、万冶2年(1659)江戸の花街新吉原(現:台東区千束)の遊女で二代目高尾太夫(仙台高尾ともいう)、傾城という娼妓の最高位にあり、容姿端麗にして艶名一世に鳴りひびき、和歌俳諧に長じ、書は抜群、諸芸に通じ、比類のない全盛をほこったといわれる、当時19歳の太夫。  その高尾が仙台藩主伊達綱宗候に寵愛され大金をつんで見請けされたが、彼女にはすでに意中の人あり、操を立てて候に従わなかったため、ついに怒りを買って隅田川の楼船上にて吊り斬りにされ、川中に捨てられた。 その遺体が当地に漂着し、引き揚げられた。 そこで、彼女の神霊高尾大明神を祀ったのを起源としている。、、、、若いピチピチのもったいない美女の哀れな話、懇ろに手を合わせ、お賽銭も奮発し20円にした。、、、、、高尾太夫の辞世、「寒風に もろくも朽つる 紅葉かな」 
 
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④隅田川大橋・・・・・・・・・・箱崎JCTから東に向かう首都高9号深川線が隅田川を越える橋が隅田川大橋である。 橋は2層構造で上が首都高、下が一般道の水天宮通り。、、、、、歩行者にとっては、車道と人道が完全に分離され安全で歩きやすいが、頭上に首都高が走り巨大な柱が上に向かって伸び、他の橋のように欄干によりかかり景色を眺める解放された雰囲気にはなりにくい。、、、、、、ついでの話、橋の下(地下)には地下鉄半蔵門線が通っている。、、、、、橋長385.3mの3径間連続鋼床鈑箱桁橋、昭和54年(1979)10月完成。、、、、、清洲橋、永代橋、両国橋などの昭和初期の優美な橋とは異なり、機能主義の武骨な昭和後期の橋である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・箱崎JCTから隅田川大橋に向かう首都高
 
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・・・・・・・・・・・・・上流側の清洲橋を見る。
 
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・・・・・・・・・・・・・下流側の永代橋、佃島を見る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・隅田川大橋を挟む巨大なビル2棟。 手前(左端)はIBM箱崎ビル。(地上25階建て、1989年竣工) 中央のビルはリバーゲートビル。(地上20階建て、1994年竣工)
 
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⑤豊海橋・・・・・・・・・・隅田川大橋と下流の永代橋の間で、神田川から分岐した日本橋川が合流する。 その日本橋川が隅田川に合流する直前に豊海橋(とよみばし)が架かる。、、、、、豊海橋は昭和2年(1927)に震災復興橋として架設された。 この橋は、永代橋を意識し、梯子を横にしたような骨太な重量感あるデザインで設計された。、、、、、橋長約46m、設計は福田武雄、施工は横河橋梁製作所。
 
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⑥永代橋・・・・・・・・・・・隅田川の上流から34番目の橋は永代橋である。 この橋も震災復興橋の一つで、国の重要文化財。、、、、橋は西岸の中央区新川と東岸の江東区佐賀・永代を結ぶ。 橋長184.7m、幅員25.0m、中央径間はスチールアーチ橋で両側は鋼桁橋。 大正13年(1923)12月に着工し、大正15年(1926)12月20日に竣工した、工期は短く約2年である。 工事費は2,924,000円也。、、、、、優美な清洲橋に対して、「帝都東京の門」と言われた永代橋はドイツのライン川に架かっていたルーデンドルフ鉄道橋をモデルにし、現存する最古のタイドアーチ橋で、かつ日本で最初に径間長100mを超えた橋でもある。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・・永代橋の下流で、隅田川は分流の隅田川派川(すみだがわはせん)と分岐する。 写真:右に向かうのは隅田川、左に向かうのは隅田川派川、その間は超高層マンション群のある佃島。、、、、、いつの間にか、超高層ビルも増え、私の知る60年前の漁師の島“佃島”のイメージはこの写真から想像できないね。
 
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2017年2月17日 (金)

清洲橋

今日の散歩は、32番目の清洲橋へ行く。 浅草橋の我が家から、明治座前をとおり清洲橋へ、橋を渡り江東区に入ると、清澄通り沿いに北上し、両国からは京葉道路を歩き、両国橋を渡り浅草橋に戻る、1万4千歩の散歩です。
 
 
 
①浅草橋から清洲橋へ・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・・家を出て、3分後、浅草橋駅を通過。、、、、、、『今日は、歩くぞ!』 
 
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・・・・・・・・・・・・・・朝8時ジャスト、浅草橋交差点を横断する。、、、、、まだ車も少ない時間帯、通勤する人も余裕の歩き。
 
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・・・・・・・・・・・・・都営浅草線東日本橋駅を通過。、、、、、、まだ8時10分だ! あまり早い出社は、若い人に嫌われるよ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・浜町の笠間稲荷神社に立ち寄っていく。、、、、、安政6年(1859)創建の神社は、すでに扉を開き、朝の参拝客受け入れ準備OK! 私も、道中の安全を願い、賽銭箱に100円入れて『よろしく!』
 
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・・・・・・・・・・・・・・8時25分、明治座前。、、、、、甘酒横丁の店もまだ開いてないので、寄り道せず先へ。 
 
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・・・・・・・・・・・・・清洲橋通りと新大橋通りが交差する浜町中ノ橋交差点。、、、、、直進すれば清洲橋、左折すれば新大橋。 今日は迷わず直進。、、、、、信号待ちの間、通勤するOLを見て、小さな声で口ずさんでしまった。 ♪♪ 若い娘が~ウッフン お色気ありそで~ウッフン ♪♪ スリー・キャッツの「黄色いさくらんぼ
 
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・・・・・・・・・・・・・・清州橋西詰の小さな神社は、昭和29年(1954)に建立された金刀比羅宮。、 、、、、、、近くの人形町は、江戸時代初期の吉原であった。 明暦の大火で吉原は浅草千束に移り、その後、現:人形町は葭町(よしちょう)として、町芸者を生み出し、花街として発展してていった。 現在では、料亭1軒、芸者10名程も規模となったが 、見番:「東京葭町組合」も現存している。、、、神社の玉垣には、その葭町の料亭・芸妓名が標され、華やかなりし時代を思い起させる。
 
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②清洲橋・・・・・・・・・・・・中央区日本橋中洲と江東区清澄を結ぶ橋で、「清洲橋」と命名された。 大正14年(1925)に着工し、昭和3年(1928)に竣工した関東大震災復興橋の一つである。 構造形式は自碇式チェーン吊り橋、橋長は186.3m、幅員は22.0m。 設計:鈴木精一(内務省復興局技師)、施工:東京市復興局、橋桁製作:神戸川崎造船所。 総工費321万円。、、、、、、近代橋梁技術により、洗練された曲線、造形が優美な美しさを表現している。
 
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・・・・・・・・・・・・・・清洲橋のモデルとなった、当時最高に美しいと評判だったドイツケルンのヒンデンブルグ橋。 ウ~~ン確かに似ている、写真はケルン市のホームページより拝借。
 
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・・・・・・・・・・・・・・上流(新大橋方向)を望む。
 
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③清洲橋から我が家へ・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・時刻は9時45分、清洲橋通りの北側の裏道を歩き深川稲荷神社の前を通る。 小さな神社だが、布袋尊が祀られ深川七福神の一つである。 深川稲荷神社は、寛永7年(1630)の創立。、、、、、、、以前、七福神めぐりで立ち寄った神社だが、布袋尊の姿を思い出せなかった。 私も老いたか?
 
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・・・・・・・・・・・・・・・清澄通りを北上し、小名木川を渡り、森下交差点の手前で、深川神明宮にもお立ち寄り。 こちらは七福神の寿老人が祀られている。、、、、神社の門前には、日本画家で朝丘雪路の父である伊東親水の誕生地跡の案内が立っていた。 『江戸っ子だってね。 深川の生まれよ!』
 
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・・・・・・・・・・・・・・・再び清澄通りに戻り、墨田区に入る。 堅川を二之橋で越えて、京葉道路に出る。、、、、、堅川の上を首都高が覆い、暗い川だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・両国6丁目、京葉道路に立つ本所松坂町跡の碑。 関東大震災後の区画整理で、本所松坂町の名が消えるのを惜しみ、、『おいらの松坂町の名が消えるぞ』、江戸っ子なら後世に残る石に刻んで町名を残そうと、考えたようだ。 昭和4年(1929)11月1日の日付が彫られていた。
 
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・・・・・・・・・・・・・両国橋を渡り、柳橋を渡り、我が家のある浅草橋へ。 『ただいま』とドアを開けたのは10時45分。
 
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2017年2月16日 (木)

両国大橋・新大橋

我が家(浅草橋)から、両国橋を渡り下流の両国大橋へ、さらに下流の新大橋へ、新大橋を渡り浜町河岸付近をぶらつき我が家まで、1万2千歩の散歩です。、、、、隅田川の最上流から数えて、いよいよ30番目の両国大橋と、31番目の新大橋。
 
 
 
①両国大橋・・・・・・・・・・「両国大橋」こんな橋あったかな? 「両国橋」の間違いでは? 地元の人でも知らない人もいるが、名は知らねども、大川に架かる両国大橋、知らねばドライバーとは言えまい。、、、、両国大橋は、隅田川に架かる首都高の橋で、橋上は「両国ジャンクション」である。 箱崎から北上し、6号向島線と7号小松川線に分岐する地点である。、、、、西岸は中央区日本橋浜町、東岸は墨田区両国に架かる、巨大で立体的な構造が面白い橋梁である。 昭和44年(1969)12月に完成し、供用開始は首都高の開通に合わせ昭和46年(1971)3月21日。 設計は首都高速道路公団工務部、施工は石川島播磨重工業・日本橋梁・大林組。、、、、、、構造物としては面白いが、景観上は邪魔だね、どかせるものならどかして欲しい!
 
・・・・・・・・・・・・・・・両国橋から見る両国大橋。 右側は中央区、左側は墨田区。
 
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・・・・・・・・・・・・・・上流(両国橋側)の隅田川テラスから見る。 対岸は、♪♪ 浮いた浮いたと 浜町河岸に 浮かれ柳の はずかしや 人目しのんで 小舟を出せば すねた夜風が 邪魔をする ♪♪、の浜町河岸
 
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・・・・・・・・・・・・・お股から失礼して、お尻を拝見!
 
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・・・・・・・・・・・・・・墨田区側から下流(新大橋)方向を見る。
 
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②御臨幸記念碑・・・・・・・・・・中央区立日本橋中学校の校庭横に、浜町河岸に向いて「御臨幸記念碑」が建てられている。、、、、、、記念碑は、大正12年(1923)の関東大震災で被災した東京が見事に復興したした様子を、昭和5年(1930)に昭和天皇が日本橋中学校(当時は千代田小学校)の校庭に立ち寄り視察した記念に、昭和8年(1933)に建立された。 羽ばたく鳳凰をデザインし、菊の御紋を彫った、高さ3m程の立派な碑である。、、、、、、当時の天皇の威光を感じる。
 
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③新大橋・・・・・・・・・・・・西岸(右岸)の中央区日本橋浜町と東岸(左岸)の江東区新大橋を結ぶ橋。、、、、、新大橋が最初に架けられたのは、元禄6年12月7日である。 当時、「大橋」と呼ばれていた両国橋は既に架けられており、両国橋に続く大橋として「新大橋」と名付けられたそうだ。、、、、、、江戸時代は木橋であったが、明治45年(1912)にトラス式の鉄橋に架け替えられた。 この鉄橋は震災。・戦災に耐え昭和50年(1975)まで使用されたが、その後は、愛知県の明治村に移築・保存され、老後の余生をのんびり送っている。、、、、、現在の橋は、2径間連続斜張橋、橋長は170.0m、幅員は24.0m、昭和51年(1976)に着工し、昭和52年(1977)3月27日に竣工した。 施工は石川島播磨重工業。、、、、、2本の黄色の塔が印象的で、シンプルな美しい橋である。
 
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・・・・・・・・・・・・・下流(清洲橋方向)を望む。
 
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・・・・・・・・・・・・・・旧橋のアールヌーボー調の親柱が東詰に保存されている。
 
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