江東区

2018年12月14日 (金)

北風吹きぬく夢の島

連日の寒さ、散歩する気力も凍り、部屋に籠って珈琲飲んで、本を開いて昼寝して、夜はお目々パッチリ眠れずに、ウトウトした頃、暗い・寒い朝がやって来た。 『今日こそ、健康的に散歩するぞ!』と、飛び起き、朝食済ませて玄関出ると、『やっぱり寒い! どこへ行こうか?』 駅への道すがら、以前から行こうと思っていた、夢の島の第五福竜丸展示館へ行くことにした。 『あそこなら、屋内で暖かいし、久しく行ってないので、散歩にバッチシだ!』、、、、、、と、云うことで、新木場駅に向かった。
 
 
 
●神が見放した、寒い駅・・・・・・・・・昭和13年(1938から都民のゴミ処理を目的に、東京湾の埋め立てが始まった。 戦時中は埋め立ても中止されたが、戦後再開し昭和42年(1967)まで続いた。 昭和53年(1978)には夢の島公園が開園した。、、、、公園の南側に営団有楽町線の新木場駅が開業したのは昭和63年(1988)6月である。 同じ年の12月には京葉線の新木場駅も開業した。 平成2年(1990)には、京葉線の新木場~東京間が延伸開業し、京葉線の途中駅となる。 平成8年(1996)には東京臨海高速鉄道臨海副都心線(後のりんかい線)の新木場駅も開業する。 現在はJR・東京メトロ・東京臨海高速鉄道の駅である。、、、、、、駅は高架の4階建てで、1階は出入口と飲食店、2階は東京メトロ有楽町線のホームと東京臨海高速鉄道りんかい線のホームがある。 3階は各線の改札口が並ぶコンコース、4階は京葉線のホームである。 各鉄道とも、島式ホーム1面2線。
 
・・・・・・・・・・・・駅外観。
 
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・・・・・・・・・・・・・・2階の各線の改札。 電車が到着すると、客がド~と出てくる、乗り換えるようだ。 3線の合計で一日の乗降客数は33万人以上になるらしい。
 
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・・・・・・・・・・・・・・京葉線。 北風が顔に打ち付け、鼻水は出る、頬はこわばる、帽子は飛びそう、こんな日に来なければよかったと、後悔するが遅すぎた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・ガーン、なんたることだ!、、、、、駅構内の夢の島公園掲示板を見ると、「第五福竜丸展示館」は来年3月まで休館。 下調べもせず、思い付きで来たのが失敗だった。 ガッカリ、この寒さの中、神は我を見放した。 どうしよう?
 
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●今日は厄日だ!・・・・・・・・・・・とりあえず、夢の島熱帯植物館にでも行くか。 北風をまともに受けながら、公園に向かうと、またもやガーン。 なんたることだ、公園は整備中でいたるところで掘り返していた。、、、、ガード・ウーマンに尋ねると、「植物館は開いていますが、工事の為チョイト遠回りして下さい」と言われた。 どうも今日は厄日のようだ、こうなりゃ、植物館もあきらめて、明治通りを亀戸方向へ歩くことにした。
 
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・・・・・・・・・・・・・植物館のドーム屋根を眺めながら、明治通りを歩く。
 
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・・・・・・・・・・・・・北風に海風を混ぜ、風力もチョイト強く吹き付けてくる。 昔は股引き、今はメンズタイツ、履いてくればよかった、後悔しながら夢の島大橋(昭和55年(1980)竣工)を渡る。
 
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●「蟻の町」の教会・・・・・・・・・・・夢の島大橋を渡ると、JR京葉線潮見駅に近いこと、潮見には「カトリック潮見教会があることを思い出す。 寄ってみることにした。、、、、、「カトリック潮見教会」は昭和35年(1960)に創立し、聖堂は「蟻の町のマリア」を冠している。、、、、現聖堂は昭和61年(1986)に間組の手で竣工した。
 
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・・・・・・・・・・・・・蟻の町の教会、、、、、、戦後、隅田川の言問橋の西詰に、廃品回収で生計を立てていた「蟻の会」という共同体があった。 ここに住む人は、職も、家もない人たちだった。 その町に、大学教授の娘で裕福な家庭に育った北原怜子(さとこ)が訪れるようになった。 怜子は見舞いに訪れるだけでは納得できず、自ら「バタ屋」となり町にすみ、蟻の町の子供たちの世話をした。 しかし、怜子はまもなく結核を患い、28歳の若さで息を引き取った。 隅田公園(台東区)にあった「蟻の町」は、昭和35年に江東区枝川に移り、そこに怜子の願いでもあった教会が建てられた。 その後、蟻の会の人々も徐々に離れ、会は解散した。、、、、、、カトリック潮見教会には、ロザリオを手にした怜子の像、枝川にあった当時の教会の十字架がある。 
 
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●汁粉が欲しい!・・・・・・・・・・・・・・時間も早いが、寒い散歩を終わらして、潮見駅から帰る。 8千歩だった。 帰ったら、汁粉が食べたいね!
 
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2018年12月 7日 (金)

戦後の名橋、葛西橋

埼玉県から流れ下る荒川は、東京湾に出る河口付近では、右岸(西側)が江東区で、左岸(東側)は江戸川区である。 この両区を結び葛西橋が架かっている。 今日の散歩は葛西橋を歩いて渡ってみようと、江戸川区側の「葛西橋東詰」バス停からスタートし、橋を渡り、江東区東砂・南砂・北砂の裏道を歩き「北砂5丁目」バス停まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
●アレ、誰も降りないの?・・・・・・・・・・・現在の葛西橋の東詰(江戸川区)めにバス停「葛西橋東詰」がある。 亀戸から朝の通勤客を乗せ、立ってる人もいるバスだが、この停留場で下車したのは私だけだった。 橋の際で、乗降する人の少ない停留場みたいだ、降りる時チョイト申し訳ない気がしたね!
 
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●55年経った戦後の名橋・・・・・・・・・葛西橋(かさいばし)は、西岸の江東区東砂と東岸の江戸川区西葛西を結んで、荒川と中川に架かる。 橋上には、「葛西橋通り」(都道475号)を通す。、、、、橋の工事は昭和34年(1959)に着工し、約3年数ヵ月要し、昭和38年(1963)に完成した。 全長727.4m、幅員15.0m、最大支間長142.0mの鋼カンチレバー吊補剛桁橋である。 チョイト見、清洲橋のような吊り橋に見えるが桁橋である。 下部工は鹿島建設、上部工は横河橋梁・他が施工を担当。 総事業費約19億円也。、、、、、竣工時は荒川の最下流に架かる橋で交通量も多かったが、現在は600m程下流に清砂大橋、さらに2.0km下流には湾岸道路の荒川河口橋が架かり、混雑が緩和している。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・葛西橋は、並行して流れる荒川と中川を連続して越える。 その両川を隔てる堤防上には首都高速中央環状線が走っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・今朝は、うっすら靄(もや)がかかった曇り空。 橋上から眺める景色も、私の頭の中と同じで、ぼーっとしてスッキリしない。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・葛西橋は現在の橋が完成する以前には、約300mほど上流側に架けられていた、「旧葛西橋 」である。 清洲橋通りが荒川にぶつかる延長線上に旧葛西橋があった。 現在は旧橋の姿はなく、河川敷に案内板がある。
 
 
 
●東砂の相撲部屋・・・・・・・・・・・・江東区東砂に“ふんどし姿”の力士を発見。、、、、平成27年(2015)に北の湖部屋を引き継いで誕生した山響部屋の前だ。 平成29年(2017)に部屋は、現在の東砂に移転したそうだ。 稽古に励んで面白い相撲を見せて欲しいね、期待します。 (力士の名前が判らずゴメンなさい)
 
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●富岡から富賀岡に、さらに富岡に!・・・・・・・・・・南砂7丁目に富賀岡八幡宮がある。、、、、横浜市金沢区富岡東に鎌倉時代の創建である富岡八幡宮がある。 これを勧請したのが南砂の元八幡と呼ばれる富賀岡八幡宮である。 さらにこれを勧請したのが、門前仲町駅の近くにある江戸最大の八幡様:富岡八幡宮だ。、、、、社殿は、幾多の水害、空襲などで大きな被害を受け、昭和36年(1961)に鉄筋コンクリート造で現社殿が再建された。
 
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・・・・・・・・・・・・・・本殿の後ろに、富賀岡八幡宮の富士塚がある。 江戸時代末の天保4年(1833)までに、富士講のひとつ山吉講によって作られた富士塚。
 
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・・・・・・・・・・・・・境内にある「砂村新左衛門顕彰碑」は、現在の南砂1丁目から7丁目までと東砂8丁目を含むほぼ全域の地を、湿原や洋上から、干拓と埋立てによって、万治2年(1659)、砂村新田に変えた福井県鯖江市出身の砂村新左衛門の遺徳を偲び、平成11年に建てられた。
 
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●全長約3.7kmの都内最大の親水公園・・・・・・・・・・・南砂5丁目の仙台堀川公園 を抜けて行く。、、、、、樹々は秋色に染まっていた。 既に、葉のない木もある。 
 
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●静かな裏道・・・・・・・・北砂6丁目の裏道に入る、生活の匂いはするが、人影はすくない。、、、、下町らしい、ざわつきが無く、チョイト期待ハズレの裏道。 
 
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・・・・・・・・・・・・北砂6丁目を抜けると、「北砂5丁目」のバス停があった。 散歩はココまで。
 
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2018年10月16日 (火)

閻魔大王ご縁日

毎月16日は全国的に閻魔さんのご縁日である。 今日は、浅草橋の我が家から深川のゑんま堂まで散歩することにした。 1万歩。、、、、、、ちなみに、お薬師さんは毎月8日、観音さまは毎月18日、お地蔵さんは毎月24日、弁天さまは己巳(つちのとみ)の日、お稲荷さんは午の日が、それぞれのご縁日である。 覚えておくと敬老会で役立つ知識。
 
 
 
●そろそろ出勤時間・・・・・・・・・・午前8時前、ボチボチ、駅から掃き出される人が増えてくる時間。 私も散歩に出る。
 
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●真正面に見える・・・・・・・・・・東日本橋1丁目と2丁目、町境の道路からは、正面にスカイツリーが見える。、、、、、、スカイツリーの見え具合で今日の運勢を占う人もいるかも? 今日は、全体に薄ぼんやり見える、運勢は『先を読む目が曇り波乱の一日』。
 
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●陶器造りの神社・・・・・・・・・・・・日本橋浜町3丁目、超高層ビルの下に浜町神社がある。 神社が鎮座する地は、安政年間に徳川幕府から島津家へ土地の引き渡しがあり、土地に祀られていた天明年間に創始と云われる稲荷を島津稲荷として崇敬してきたといいわれている。 関東大震災後、浜町神社を改称していたものの、戦災により焼失、昭和28年(1953)に浜町神社として改めて建立した。 平成12年(2000)、再開発により現社殿を建立。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・浜町神社境内には、埴安大神(はにやすのおおかみ)・加藤四郎左衛門景正命・加藤民吉命を祭神とする陶栄神社がある。 埴安大神は土の神で天照大神の兄弟神とされている。 加藤命と称する2柱は、瀬戸焼の歴史の重要人物で鎌倉前期の陶工景正が「陶祖」と呼ばれ、江戸時代の陶工民吉が瀬戸に磁器をもたらした功績から「磁祖」と呼ばれている。、、、、、この神社の社殿は、昭和44年(1969)愛知県常滑市の陶工により、住吉造りを模し、総釉彩陶器製でつくられている。 また、台座には平安時代以降の陶片が使用されている。、、、、、、注連縄と賽銭箱は陶器ではなかった! 
 
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●化粧中につき顔は出せない!・・・・・・・・・昭和3年(1928)に完成した天下の名橋、重要文化財の清洲橋 も90年経過した、小じわが目立つのか、厚化粧が剥げたのか、只今、塗装工事中。 恥ずかしくて、顔も出せないらしい。
 
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●エレキテルの地・・・・・・・・・・・平賀源内(1728~1780)は安永5年(1777)にエレキテル(摩擦起電器)を完成させ、自宅にて電気実験を行ない安永8年(1780)に51歳にて没した。 自宅のあった江東区清澄1丁目には平賀源内電気実験の地の碑が建っている。、、、、、、死因は感電死? 本当は酒に酔い喧嘩して投獄され、破傷風で死んだそうだ。(コレ、ホントらしい。) 今でも、同類の人はいるね!
 
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●田中角栄と間違えないで!・・・・・・・・・・清澄1丁目のアサノコンクリート深川工場の一角に浅野総一郎の像がある。 この地は、明治8年(1875)、工部省が日本初のセメントを製造した工場があった場所で、明治16年(1883)に浅野総一郎が払い下げを受け、その後民間のセメント工場「浅野セメント」として発展した。  浅野セメントは、戦後日本セメントに改称し、平成10年(1998)には「秩父小野田セメント」と合併して、業界最大手の「太平洋セメント」となった。
 
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・・・・・・・・・・・・・浅野総一郎の像の脇にあった、「明治23年 当時のセメント工場全景」。、、、、、、手前に隅田川が描かれている。
 
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●国宝級のミドリ・・・・・・・・江東区佐賀町1丁目と福住1丁目を結ぶ小さな橋は、昭和4年(1929)に竣工した鋼鉄製トラス橋の緑橋。 大島川西支川に架かり、橋長は23m程、チョイト膨れたトラスのデザインは可愛いものだ。、、、、、関東大震災の復興橋で、歴史的にも貴重な橋なので、個人的には“国宝”(チョイト大袈裟)に指定する。
 
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●福禄寿はいずこに!・・・・・・・・・・深川2丁目の浄土宗寺院の雙修山養源院心行寺は、元和2年(1616)八丁堀に創建し、寛永10年(1633)現在地に移転した。 現本堂は昭和43年(1968)に竣工した。、、、、、深川七福神の福禄寿が六角堂に安置されているが施錠され、姿は見えず、声も聞こえず、軟禁状態。 
 
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閻魔大王のご縁日・・・・・・・・・・“深川ゑんま堂”は、真言宗豊山派の法乗院で賢台山賢法寺と号す。 法乗院は寛永6年(1629)深川富吉町に創建、寛永18年(1641)には現在地(深川2丁目)に移転した。 江戸三閻魔の一つらしいが、昔の閻魔堂は戦災で焼けた。 現在は平成元年(1989)に再建された“ハイテク閻魔様”で、賽銭を入れるとコンピューター制御で堂内には煌びやかに照明が灯り、スポットライトが回り、願い事に応じた説教が流れてくる見世物小屋並みの、高さ3.5mの大きな閻魔がある。、、、、、、、笑っちゃいけないが、笑いたくなる、これぞ“笑い地獄”か? 歴史を感じることができない寺だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・本日は、ご縁日。 本堂1階では、天明4年(1784)に描かれた全16枚の『地獄・極楽図』が展示され、御仏の教えを説いてくれます。
 
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●昭和の市営食堂・・・・・・・・・・・門前仲町1丁目に、震災後の昭和7年(1932)に建てられた旧東京市深川食堂の建物が残されている。 建物は角地に建つ鉄筋コンクリート造2階建て、明るい大きな窓で開放的で、モダンなデザインである。、、、、、震災復興事業の一つとして、低所得者のための市営食堂として利用された。昭和11年(1936)食堂は閉鎖され、終戦後は職業斡旋施設として利用され、昭和51年(1976)から江東区内職補導所となり、平成18年(2006)に閉鎖された。、、、、現在は国・登録有形文化財の指定を受け、『深川東京モダン館』と称し、江東区全域を対象とした観光案内スペースとして、また、新たな文化の発信スペースとして活用している。
 
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●お帰りは門前仲町から・・・・・・・・・・
 
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2018年10月 1日 (月)

人助けした新大橋

日本列島を縦断した猛烈な台風24号が過ぎ去り、朝から台風一過の青空。 『さて、散歩に行くぞ!』と声を張りあげたが、チョイと待て『熱中症に御注意!』とNHKのお天気お姉さんの声。 『青空の下に出ると、なるほど、久しぶりの30℃超えは、お目々クラクラ、お肌イタイタ、日差しが強い』。 暑さに鈍くなった身体に要注意、急に心配になり、散歩は夕方にしよう!、、、、、改めて午後3時過ぎに、夕飯までの間散歩に出た。 浅草橋の我が家から中央区浜町を抜け、「新大橋」を渡り江東区森下へ、墨田区両国を周り、両国橋を渡り我が家まで、1万歩の散歩をしました。、、、、、今日の話は新大橋です。
 
 
 
●古くなった新大橋・・・・・・・・・・まず現在の新大橋は、隅田川に架かり、橋上には新大橋通り(都道50号)をとおす2径間連続斜張橋。 西岸は中央区日本橋浜町、東岸は江東区新大橋。 橋長は 170.0m、幅員は 24.0m、竣工 昭和52年(1977)3月27日。 橋の中間に黄色の塔が2本、空に向かって伸び、塔から両岸方向に出た、2本のケーブルが桁を支えている。シンプルな構造の斜張橋である。、、、、、竣工してから既に41年になる、“新”大橋ではなく、“古”大橋であるが、古さを感じさせない橋。
 
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●チョイト、助平心で下からパチリ・・・・・・・・・・普段見ることが少ない橋底。 スカートの中を見る気分に似ているのかな? 両岸には耐震装置も付いている。
 
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●夕日に照らされ・・・・・・・・そろそろ、夜の顔に変わる時刻? 
 
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●現新大橋は何代目?・・・・・・・・・・元禄6年(1694)12月7日、隅田川に3番目の橋として「新大橋」が架けられた。 「大橋」とよばれた両国橋に続く橋として「新大橋」と命名された。、、、、、その後、新大橋は幾度も、流失、崩壊し、その都度架け替えられ、回数は20回以上になったそうだ。 最後の木橋は、明治18年(1885)に架けられた。、、、、、明治45年(1912)7月19日にはピントラス式の鉄橋として現在位置に架けられた。 この橋は、戦後まで使用され、現在の橋に変わることになった。 旧新大橋は、現在、愛知県の明治村に移築保存されている。
 
・・・・・・・・・・・・・西岸の説明板に載っていた旧新大橋の写真。
 
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・・・・・・・・・・・・・・東岸には旧新大橋の橋柱が保存されている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・関東大震災の折には、旧新大橋は他の橋がことごとく焼け落ちる中で唯一被災せずに残り、避難道として、多くの命を救った。、、、、、それからは、「人助け橋(お助け橋)」と称されている。 震災後、このとき助けられた人により、「震災避難記念碑」が西岸に建てられた。
 
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2018年7月 7日 (土)

浅草橋~新小岩

7月に入り、暑い日、雨の日が続き、あいだの散歩日和の日は病院に御招待され、なかなか散歩できる日がなかった。 朝5時、ベッドの中で『今日は散歩できそうだ、歩くぞ! お通じを良くするぞ!』。 できるだけ長い距離を歩きたく、京葉道路をひたすら歩くことにした。
 
 
 
am7:55・・・・・・・土曜日のせいか、通勤する人は少なく、学生だけがパラパラ歩く浅草橋。、、、、、連日の雨によるのか(?) 神田川の水位も上昇している。
 
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am8:00・・・・・・・「浅草橋交差点 」は、靖国通り(都道302号)の終点であり、京葉道路(国道14号)の起点(公式には浅草橋交差点から300m程東の両国橋が起点)である。
 
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am8:00・・・・・・・両国橋 の西詰(中央区側)には、かつて江戸で最大の盛り場だった「両国広小路」の碑がある。 もともとは、明暦の大火(1657年)後、両国橋が架けられ、橋の両詰に「火除け地」として、広小路が整備された。 その後、西詰の広小路は、いつしか、見世物小屋、茶店などがひしめきあう、江戸一番の繁華街となった。 上野、浅草とともに江戸三大広小路の一つ。、、、、、新宿歌舞伎町のような繁華街として現在まで残っていれば、我が家から近く、私の人生感もチョットは変わっていたかも?
 
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am8:10・・・・・・・両国「回向院」前を通過。
 
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am8:10・・・・・・・回向院前から150m程東に向かうと、「横綱横丁」と称す横丁がある。 この横丁の入口の東側が、作家:芥川龍之介の生育の地であったそうだ。 芥川は明治25年(1892)、東京市京橋区入船町の牛乳搾取販売業耕牧舎を営む新原敏三・ふくの長男として生まれ、辰年辰の日辰の刻の生まれにより龍之介と命名されたと言われてる。 生後7ヶ月で生母ふくの病のため、当時本所区小泉町(ここが生育の地)に住んでいたふくの長兄、芥川道章に引き取られ、後13歳の時、芥川家の養子となったそうだ。、、、、、浅草橋の路地裏に雅万歩の誕生・生育の地の碑が建つのも夢ではないかも(?)
 
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am8:35・・・・・・・江戸時代庶民の信仰と行楽を兼ねた成田山新勝寺の参詣は、2・3泊の手頃な旅行コースとして人気があったそうだ。 江戸市中からの参詣コースとしては、現:水戸街道の葛飾区新宿から東に向かい小岩、市川、八幡へと進む道と、日本橋小網町から水路で隅田川を下り行徳から陸路を八幡へ向かう道の2ルートがあった。 明治時代になると、浅草橋から両国橋を渡り小岩、市川を経由して向かう道を千葉街道と称するようになり、これが現在の京葉道路となったそうだ。 この京葉道路にかかる旧江東橋は東関東の水運の大動脈として、江戸時代以降、東京の市民生活を支えてきた運河の一つ「大横川」に大正15年(1926)に架けられた。 現在の江東橋は平成7年(1995)に架け替えられたものである。 現:江東橋の西詰に、旧江東橋の親柱が残されている。、、、、、江東橋付近の大横川は暗渠化され川筋は親水公園に変わった。
 
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am8:45・・・・・・・錦糸町駅前を通過。、、、、、駅前のバス停横に「伊藤佐千夫牧舎兼住居跡」の案内と歌碑が建っている。 ここ錦糸町駅前に、明治22年(1889)から明治45年(1912)まで、明治の歌人:伊藤佐千夫の経営する牧舎と住居があったそうだ。、、、、現存していれば、新鮮な牛乳が飲める駅前のミルクスタンドとして繁昌したかも(?)
 
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am8:50・・・・・・・錦糸町駅の東350m程の処に、京葉道路に面し都営江東橋4丁目アパートがある。 昭和52年(1977)に完成した総戸数220戸の都営住宅。 施工は飛島建設。、、、、、この都営住宅の1階は都営バスの車庫となっている。 完成当時は斬新な構造の車庫で、内部にはターンテーブルも供えられているそうだ。、、、、、ここがバスの車庫となる以前は都電の車庫であった。 昭和47年(1972)の都電廃止で、都営住宅と都バスの車庫に生まれ変わった。
 
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am8:55・・・・・・・錦糸町と亀戸の間に流れる運河:横十間川に架かる橋が松代橋である。 現在の橋は昭和44年(1969)に架けられた1径間鋼製桁の橋である。 以前は、昭和5年(1930)に完成した鋼製桁の震災復興橋が架けられていた。 上流側にはJR横十間川橋梁が架かる。、、、、、橋名は西岸にあった旧町名に由来するらしい。
 
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am9:00・・・・・・・JR東日本の総武本線貨物支線である越中島支線の下を抜け、亀戸駅の南を通過する。
 
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am9:15・・・・・・・亀戸駅を過ぎ、亀戸6丁目に入ると、、、、、、私の親友が経営する不動産屋の前に来た。 チラリ、店先を覗くと親友御夫妻の姿が見える、まだお客が来ていないようだ。 チョイト寄って行こう!、、、、気持ちは短時間で失礼するつもりで寄ったが、『友有り、遠方より歩いて来たる。 亦た久しぶりや。』 お茶もいただき、私のバカ話は止まらず、小一時間話し込んでしまった。 お仕事の邪魔をしてしまい、失礼しました。
 
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am10:00・・・・・・・散歩を続ける。 向かうは東へ!
 
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am10:15・・・・・・・中川新橋を渡り旧中川を越える。 江東区亀戸と江戸川区平井を結ぶ橋。
 
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am10:25・・・・・・・江戸川区小松川の再開発地区に建ち並ぶマンション群を見ながら歩く。
 
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am10:30・・・・・・・荒川に架かる小松川大橋 を渡る。 この橋は下り線と上り線が方向別に架橋されている。 上流側(下り)が小松川橋、下流側(上り)が新小松川橋です。 下りの小松川橋が昭和44年(1969)に開通し、上りの新小松川橋は昭和47年(1972)に開通した。 全長500m程の橋である。、、、、、橋上は風が強く、帽子を押さえながら渡って来た。、、、、、荒川は川幅イッパイに流れ、河川敷も水の下である。 上流ではだいぶ降ったようだ。
 
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am10:40・・・・・・・小松川大橋を渡り、江戸川区松島の小松川署前を通過する。、、、、、ここまで、浅草橋交差点から7kmである。(日本橋からは9km)
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・京葉道路の散歩は小松川署の先で終了とした。 これより裏道を歩き新小岩駅に出て帰宅する。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・今日は1万6千歩の散歩でした。

2018年6月27日 (水)

扇橋閘門

隅田川と旧中川を結ぶ運河:小名木川の中程に扇橋閘門がある。 今朝、ベッドの中で地図を見ていたら、閘門に行ってみたくなった。 JR総武線錦糸町駅から南に歩き、扇橋閘門へ行ってガッカリし、西へ歩き都営大江戸線清澄白河駅まで、直線距離で3km程の工程を、1万1千歩を要して歩いた。(ひょっとすると、私は脚が短いのかも?)
 
 
 
①錦糸町駅・・・・・・・・・・・明治27年(1894)12月9日に、私鉄:総武鉄道の本所駅として開業。、、、、一日に30万以上が乗降する、JR、東京メトロが乗り入れるターミナル駅。 ちなみに、私が住む二駅隣の浅草橋駅の乗降客は17万人程。 負けた!
 
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・・・・・・・・・・・・・錦糸町駅ホームから撮った錦糸町交差点。 右の高い建物はJRAの馬券売り場、左手前の改装工事中のビルは「東京楽天地」
 
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②江東観世音・・・・・・・・・・錦糸町駅前の丸井の裏(南側)に、天台宗の五徳山江東寺がある。昭和15年(1940)に水澤観世音(伊香保町)の別院として創建された。 本尊は千手観世音であるが、境内には清昌稲荷、出世弁財天、水洗観音、地蔵尊、馬頭観音、戦災慰霊碑などいろいろ取り揃え祀られている。、、、、、馬券買う前に馬頭観音に手を合わせて行くと、御利益あるかも?
 
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・・・・・・・・・・・・・・江東寺の向かいに、チョイト古い建物「ニュー錦糸町ビル」がある。 1・2階は店舗、3階から上は住宅となっている。 昭和43年(1968)に建てられたそうだ。
 
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③日先神社・・・・・・・・・・新大橋通りを横断し江東区猿江1丁目に、江戸名所図会にも描かれ江戸屈指の規模をもつ摩利支天だった日先神社(ひのさきじんじゃ)がある。 今や、見るも悲しき、小さな神社となってしまった。 摩利支天とは仏教の神様であり、太陽の前に先立ち進むと言われ、明治­以降に日先神社と改称したようだ。
 
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④猿江神社・・・・・・・・・・日先神社から100m程南に行くと猿江2丁目に猿江神社がある。 正確な創立年代は不明であるが、康平年中(1058、平安時代中期)頃には近在の信仰を一身に集めた稲荷社であったらしい。、、、、、鉄筋コンクリート造の社殿は昭和6年(1931)に建立され、鉄筋コンクリ―ト造の寺社としては国内最古である。 また、玉垣のある石造燈籠も昭和6年(1931)に造られた。、、、、、猿江神社の社殿も国の文化財に登録してあげたいね。 参考に、国登録有形文化財である鉄筋コンクリート造の神田明神 の社は、昭和9年(1934)に造営された。
 
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⑤扇橋閘門・・・・・・・・・・いよいよ、本日の目的地:扇橋閘門(こうもん)に来た。 閘門とは水位の異なる河川や運河、水路などで船を上下させるための装置である。 閘門の特徴は、固定された閘室(前後を仕切った空間)内の水位を変えることで、船舶の航行を可能にするための施設。 誰もが知る、有名な閘門はパナマ運河である。、、、、、小名木川の扇橋閘門のある江東区は、東側が地盤が低く西側が高い地形になっており、昭和46年(1971)策定の江東内部河川整備計画にて、東側を常に一定に保つ水位低下区域としてまた西側の感湖部を耐震区域として整備することになった。 この閘門は、両区域の接点にあたる小名木川の中間に造られている。 30億円の事業費と5年以上の歳月を費やして昭和52年(1977)に完成した。
 
・・・・・・・・・・・・・ありゃりゃ、閘門は工事中。 来年の春までダメだ! 残念・無念。、、、、、4年前の閘門は、コチラ
 
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⑥閘門の隣りに架かる2橋・・・・・・・・・・・・扇橋閘門を挟む小松橋(旧中川側)と新扇橋(隅田川側)。
 
・・・・・・・・・・・・・まずは、小松橋、、、、、、昭和4年(1929)3月に着工し、昭和5年(1930)1月に完成した震災復興橋。 工期10カ月とは超突貫工事?
 
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・・・・・・・・・・・・・新扇橋、、、、、、旧橋は昭和4年(1929)に架けられたトラス橋であった。 昭和48年(1973)に、ランガー桁の現橋に架け替えられた。
 
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⑦清澄白河駅・・・・・・・・・扇橋閘門から、清洲橋通り、霊巌寺 に立ち寄り、大江戸線清澄白河駅から帰宅。、、、、、、、清澄白河駅は、都営地下鉄大江戸線と東京メトロ半蔵門線の駅である。 平成12年(2000)12月12日、“12”並びの日、大江戸線全線開通と同時に開業した駅。 島式ホーム2面3線を有する地下駅で、中央の線は折り返し用で、両側にホームがある。 当駅から木場公園の地下に造られた木場車両検修場への引き込み線が存在するため、当駅発着の列車も多い。
 
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2018年6月25日 (月)

東武亀戸線

今日の東京は30℃を超える暑さ、まだ熱中症で死にたくない。 チョイト身体が慣れるまで炎天下の散歩はひかえよう、自重・自重! でも、15時過ぎになると、そろそろ歩いてくるかと家を出た。 何度も歩いている散歩コースの一つ、東武亀戸線の線路沿いに、曳舟から亀戸まで歩いてきた。 1万歩の散歩です。、、、、東武亀戸線、過去の散歩→→→2年前の散歩 3年前の散歩
 
 
 
①曳舟駅・・・・・・・・・亀戸線は明治37年(1904)4月5日に、亀戸~曳舟間の3.4kmが開業した。 曳舟駅は、その2年前明治35年(1902)に現:伊勢崎線の駅として開業している。、、、、、亀戸線の起点駅である。
 
・・・・・・・・・・・・亀戸線は2両編成でワンマン運転。 曳舟駅では運転手さんも前から後ろへ移動。
 
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・・・・・・・・・・・・・・曳舟駅の改良工事は進み、明るくなったコンコース、東口には駅ビルが建ち昨年、ベッド数200床の「東京曳舟病院」が開院した。
 
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②曳舟駅~小村井駅・・・・・・・・・・・線路の北側は、木造住宅が密集し防火上危険な、いわゆる“木密地区”である墨田区京島。
 
・・・・・・・・・・・・・高架の曳舟駅から地上へ下り、京島地区へ入る亀戸線。
 
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・・・・・・・・・・・・・・昭和30年代の塗装を再現したリバイバルカラー:緑の2両編成も走る亀戸線。
 
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・・・・・・・・・・・・・・木造住宅の並ぶ路地裏を線路沿いに歩く。
 
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・・・・・・・・・・・・・そろそろ木造の密集地区“墨田区京町”から外れ、ここは“墨田区文花”。
 
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③小村井駅・・・・・・・・・・・曳舟から1.4kmの小村井(おむらい)駅。 駅前には明治通りが通る。
 
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④東あずま駅・・・・・・・・・・小村井駅から600mで東あずま駅。 構内踏切がある駅。
 
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⑤東あずま駅~亀戸水神駅・・・・・・・・東あずま駅と次の亀戸水神駅の間は約700m。 この間で、隅田川と旧中川を結ぶ運河である北十間川と交差する。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・亀戸に近づいてくると、マンション、ビルの間を走る亀戸線。
 
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⑥亀戸水神駅・・・・・・・・・・かの有名な亀戸天神、チョイト有名な亀戸香取神社の、どちらとも異なるマイナーな亀戸水神宮に近い駅。 
 
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⑦亀戸水神駅~亀戸駅・・・・・・・・・・この駅間も700m程と短い距離である。、、、、、、亀戸水神駅から100m程亀戸駅に寄ったあたりに、旧亀戸水神駅の跡が残っている。 線路脇にコンクリートの基礎のようなものが等間隔に並んでいる。 ここが、空襲で被災するまで使われていた亀戸水神駅である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・JR総武線が見えたら亀戸駅はスグソコ!
 
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⑧亀戸駅・・・・・・・・・・・・・総武線の盛土下に亀戸線のホームが見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・改札の先に到着した亀戸線が見える。、、、、、『亀戸、亀戸、終点です』
 
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2018年4月27日 (金)

目黄不動 (最勝寺)

英語も話せない欧米帰りの青い目の不動、徹夜麻雀で大損した赤い目の不動、エレベータの中で屁をこえた人を白い目で見つめる不動、酒の飲みすぎで黄疸になり黄色い目の不動、乃木坂46のメンバーを黒い瞳で見つめる不動、みんな目の色変えて右往左往する不動。 こんなお不動さんに会ってみたいと、江戸五色不動巡りは続く、今日は目黄不動のいる江戸川区平井の最勝寺に行ってきた。
平井駅から、最勝寺、旧中川、亀戸中央公園とまわり、亀戸駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
①平井駅・・・・・・・・・・通勤通学時間帯、到着するのは混んでいる電車ばかり、ホームには乗れない人もいる。
 
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・・・・・・・・・・・・・駅南口には、、とんかつ屋、コンビニ、カフェ、ベーカリーなど9店舗が並ぶ「シャポーロコ平井」が今年3月にオープンした。、、、、、こういう店がオープンすると、若い娘がよってきて、殺風景な駅も華やかになるのだ。 我が町の浅草橋駅より綺麗で、便利だ、負けた! 
 
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②行徳道・・・・・・・・・・・平井駅の北側、都道449号とJR総武本線が交差する地点と、最勝寺を結ぶ裏通りは「行徳道」と呼ばれた街道の一部がある。 私は、この道を歩き最勝寺に向かう。
 
・・・・・・・・・・・・・行徳道(ぎょうとくみち)は、中川 (旧中川 )の平井の渡しから 、四股(荒川の下となった、佐倉道と行徳道の交差点)をとおり、今井の渡しに達する街道。
 
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・・・・・・・・・・・・・・最勝寺の近くで、行徳道は荒川(念のため:::江戸時代には荒川は無かった)の下にもぐり、対岸の今井街道 に続く。 
 
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③最勝寺・・・・・・・・・・・荒川土手の際に位置する、天台宗の寺院、牛宝山明王院最勝寺。 寺伝によれば、貞観2年(860)に隅田川畔(現:墨田区東駒形)に草創された。 近世には、墨田区向島の牛島神社の別当を務めた。 ちなみに、牛島神社の創建は最勝寺と同じ貞観2年である。 大正2年(1912)、最勝寺は駒形橋の架橋工事による区画整理で、現在地である南葛飾郡下平井(現:江戸川区平井1-25)へ移転した。、、、、、、本堂の内陣は鉄筋で大金庫式に造られ、その中に本尊の釈迦如来(慈覺大師の作)を安置している。
 
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・・・・・・・・・・・・・最勝寺の目黄不動(めきふどう)は天平年間(729~766)に名僧:良弁が隅田川のほとりで作った、高さ127㎝程の像である。 像は、最勝寺の末寺:東栄寺の本尊として祀られていた。 江戸時代には、徳川将軍家の崇拝するところとなり、殊に家光の崇拝は篤く、仏教の大意に基づいて江戸府内に五色不動の霊場が設けられた。 この時、東栄寺の本尊も目黄不動と称され、江戸の町を守護する不動尊として広く信仰された。 明治時代に東栄寺は廃寺となり、本尊不動明王像は最勝寺に遷座された。 この時より、最勝寺は「明王院」と号するようになる。、、、、、現在、不動明王像は不動堂に安置されている。
 
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④平井白髭神社・・・・・・・・・・荒川沿いの最勝寺から、旧中川沿いの白髭神社(平井2-3)にやってきた。、、、、、平井白髭神社の創建年代は不詳だが、逆井村草創以来の鎮守で建治年間(1275~1278)の草創と言われている。 室町時代後期から太田道灌の家老土谷相模守が平井の当地周辺を所領し、代々氏子総代を勤めてきた。、、、、、社殿は昭和45年(1970)に鉄筋コンクリート造で改築した。 また、広い境内は盆踊りのためか、砂利敷きで樹木が少ない。
 
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⑤平井浅間神社・・・・・・・・・・・白髭神社の北、旧中川沿いに平井浅間神社がある。 この神社は、特別な社殿はなく、富士塚の頂上に石の小祠が祀られているだけだ。、、、、、平井浅間神社の創建は長享2年(1488)とも伝えられ、神社の富士塚は「逆井の富士」として知られている。、、、、、、社殿が無いためか、社務所が無い。 社務所が無いので、可愛いい巫女さんがいない、つまらない!、、、、、七五三詣で、安産祈願など受け付けていないのかな?
 
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⑥旧中川・・・・・・・・・・旧中川に架かる「ふれあい橋」を渡り、江東区亀戸の町に入る。、、、、、ふれあい橋は歩行者専用橋で、橋長:56m、1径間鋼製アーチ橋。平成6年(1994)に竣工した。
 
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⑦亀戸中央公園・・・・・・・・・・旧中川沿いで、総武本線を挟み東西に広がる約10万㎡の大きな公園。、、、、、、この地は、大正7年(1918)から始まり昭和49年(1974)の移転まで、日立製作所亀戸工場として使用されてきた。 その後、昭和55年(1980)に都立の亀戸中央公園として整備され開園した。、、、、、樹木数:2,950本、9,300株が緑豊かに茂る公園で、運動施設なども整備されている。 、、、、、、思い出した、近くには精工舎亀戸工場もあった。 戦前・戦後の工場地区である。
 
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⑧亀戸水神駅・・・・・・・・・・亀戸中央公園の近くに、亀戸線の亀戸水神駅がある。 チョイト駅前を通って行こう!、、、、、懐かしい昭和30年代の、インターナショナルオレンジの車体にミディアムイエローの帯を巻いた8000系リバイバルカラー車両 と御対面。
 
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⑨JR亀戸駅・・・・・・・・・・駅に到着、今日はココまで!
 
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2018年2月 8日 (木)

辰巳運河

今朝、なぜか五月みどりの曲を思い出し、五月みどり→深川芸者→辰巳芸者→辰巳水門と連想し、「辰巳水門」が見たくなった。 散歩は有楽町線辰巳駅で下車し、辰巳水門のの周辺を歩いてきた。 辰巳運河の両岸を歩き、ほぼ一周、1万3千歩の散歩です。
 
 
・・・・・・・・・・・・・辰巳運河は、「辰巳」と「東雲」(念のため、“しののめ”と読む)の埋め立て地の間を流れ東京湾に注ぐ運河。 上流側から辰巳橋、辰巳桜橋、辰巳水門、新辰巳橋(国道357号)、辰巳道路橋(首都高)、辰巳運河橋梁(りんかい線)、新末広橋の橋梁が架かる。 両岸は、辰巳側に都営の辰巳団地、東雲側にはズラリとタワーマンションが並ぶキャナルコート。
 
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①辰巳駅・・・・・・・・・昭和63年(1988)6月8日の新富町駅~新木場駅間開業と同時に辰巳駅も開業した。 島式ホーム1面2線の地下駅。、、、、、マンション、団地からの御出勤で、朝の駅は降りる人より、乗る人の方がずっと多いようだ。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅前広場から、キャナルコートのタワマンが望める。、、、、私には、迫って来る怪獣のように見える。
 
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②辰巳桜橋・・・・・・・・・・・「辰巳駅」が辰巳地区にあり、対岸の東雲地区の人の利便性を考え、駅前からキャナルコートに向け架けたと思われる歩行者専用橋。、、、、、橋長273mの:2径間連続斜張橋。 平成8年(1996)に竣工した。
 
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③辰巳水門・・・・・・・・・・・辰巳運河に昭和37年(1962)に設置された辰巳水門。 幅員11.4メートル×2連のローラーゲートで、運河沿いの町を高潮や津波の被害から守るためにある。 台風の時には、大気圧も低くなり高潮が発生しやすく、このような時には水門を閉鎖し内部の町を守る。 しかし、水門を閉鎖すると、運河が大雨で増水し水の逃げ場がないことになり、洪水の危険が高まるため、そこで水門閉鎖時に内部の水をポンプで強制的に排水する排水機施設が辰巳水門の脇に用意されている。 それが、辰巳排水機場(昭和39年設置)である。、、、、、現在、辰巳排水機場は再整備工事がすすめられている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・辰巳排水機場
 
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④キャナルコート・・・・・・・・・・威圧するようにたつタワーマンション群。 全部で何戸あるのか、数えられるものなら数えてみたい! 
 
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⑤新辰巳橋・・・・・・・・・・・最上流に、かって車道があったと思われる歩行者専用橋がある。 その隣に車専用の一般道が片側分。 そして首都高。 さらに一般道の反対車線。 橋梁がダンゴ状態で複数並んでいる。 いったいどれが新辰巳橋だ????
 
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・・・・・・・・・・・・・・高い処を走るのは首都高で辰巳道路橋
 
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辰巳団地 ・・・・・・・・・・・運河を挟み、若い人が多く賑わいを感じる東雲のキャナルコート、それとは対照的に、中高齢者が多く寂しくなった辰巳団地。 超高層と中層、シャレた建物と古びた建物、近代的スーパーと寂れた商店街、若者と老人、これが東雲と辰巳。 考えさせられるね。??????
 
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⑦辰巳橋・・・・・・・・・・辰巳運河の上流側に架かる辰巳橋は、東雲橋から辰巳団地の中央を結ぶ道路を通す。 橋は長さ 127.0m、幅 25.0m、3径間鋼製桁橋で、平成4年(1992)の完成。
 
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2018年1月 7日 (日)

亀戸天神

正月気分もいよいよ終わりの、今日は「七日正月」。 我が家でも正月飾りをはずし、“松”とお飾りは神社へ納め七草粥を食した。、、、、、昼から夫婦で亀戸天神 に参る。
 
 
・・・・・・・・・・・・・JR亀戸駅から神社へ向かう。、、、、、天気晴朗なれど、人波はさほどでもなし。
 
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・・・・・・・・・・・・・神社へ向う途中、大道芸に拍手。 江戸切子もチョイト拝見、芸術品を見て感嘆し、値段を見て仰天。
 
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・・・・・・・・・・・・・正月三が日も過ぎ参拝客は少なくなった。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・拝殿前の行列も短く、待ち時間10分程で手を合わせることができた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・賽銭は奮発して10万円程投げ入れるつもりで、財布にあった小銭を全額入れてきた。 ちなみに、私が35円、妻が500円。、、、、、御利益を大いに期待!
 
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・・・・・・・・・・・・・・境内のウメは蕾も膨らんできた。、、、、、早や咲きのウメが一部開花していた。
 
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・・・・・・・・・・・・・青空の下、スカイツリーもよく見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・・今日は並ばなくても入れそうだ、チョイトお立ち寄り。 “くず餅”のお土産と重複しないように、“クリームみつまめ”をいただく。 できたら“大盛り”を注文したかった。
 
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・・・・・・・・・・・・・お腹も満たされ、天神橋を渡り錦糸町駅前を抜けて帰宅。
 
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