江東区

2018年4月27日 (金)

目黄不動 (最勝寺)

英語も話せない欧米帰りの青い目の不動、徹夜麻雀で大損した赤い目の不動、エレベータの中で屁をこえた人を白い目で見つめる不動、酒の飲みすぎで黄疸になり黄色い目の不動、乃木坂46のメンバーを黒い瞳で見つめる不動、みんな目の色変えて右往左往する不動。 こんなお不動さんに会ってみたいと、江戸五色不動巡りは続く、今日は目黄不動のいる江戸川区平井の最勝寺に行ってきた。
平井駅から、最勝寺、旧中川、亀戸中央公園とまわり、亀戸駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
①平井駅・・・・・・・・・・通勤通学時間帯、到着するのは混んでいる電車ばかり、ホームには乗れない人もいる。
 
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・・・・・・・・・・・・・駅南口には、、とんかつ屋、コンビニ、カフェ、ベーカリーなど9店舗が並ぶ「シャポーロコ平井」が今年3月にオープンした。、、、、、こういう店がオープンすると、若い娘がよってきて、殺風景な駅も華やかになるのだ。 我が町の浅草橋駅より綺麗で、便利だ、負けた! 
 
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②行徳道・・・・・・・・・・・平井駅の北側、都道449号とJR総武本線が交差する地点と、最勝寺を結ぶ裏通りは「行徳道」と呼ばれた街道の一部がある。 私は、この道を歩き最勝寺に向かう。
 
・・・・・・・・・・・・・行徳道(ぎょうとくみち)は、中川 (旧中川 )の平井の渡しから 、四股(荒川の下となった、佐倉道と行徳道の交差点)をとおり、今井の渡しに達する街道。
 
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・・・・・・・・・・・・・・最勝寺の近くで、行徳道は荒川(念のため:::江戸時代には荒川は無かった)の下にもぐり、対岸の今井街道 に続く。 
 
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③最勝寺・・・・・・・・・・・荒川土手の際に位置する、天台宗の寺院、牛宝山明王院最勝寺。 寺伝によれば、貞観2年(860)に隅田川畔(現:墨田区東駒形)に草創された。 近世には、墨田区向島の牛島神社の別当を務めた。 ちなみに、牛島神社の創建は最勝寺と同じ貞観2年である。 大正2年(1912)、最勝寺は駒形橋の架橋工事による区画整理で、現在地である南葛飾郡下平井(現:江戸川区平井1-25)へ移転した。、、、、、、本堂の内陣は鉄筋で大金庫式に造られ、その中に本尊の釈迦如来(慈覺大師の作)を安置している。
 
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・・・・・・・・・・・・・最勝寺の目黄不動(めきふどう)は天平年間(729~766)に名僧:良弁が隅田川のほとりで作った、高さ127㎝程の像である。 像は、最勝寺の末寺:東栄寺の本尊として祀られていた。 江戸時代には、徳川将軍家の崇拝するところとなり、殊に家光の崇拝は篤く、仏教の大意に基づいて江戸府内に五色不動の霊場が設けられた。 この時、東栄寺の本尊も目黄不動と称され、江戸の町を守護する不動尊として広く信仰された。 明治時代に東栄寺は廃寺となり、本尊不動明王像は最勝寺に遷座された。 この時より、最勝寺は「明王院」と号するようになる。、、、、、現在、不動明王像は不動堂に安置されている。
 
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④平井白髭神社・・・・・・・・・・荒川沿いの最勝寺から、旧中川沿いの白髭神社(平井2-3)にやってきた。、、、、、平井白髭神社の創建年代は不詳だが、逆井村草創以来の鎮守で建治年間(1275~1278)の草創と言われている。 室町時代後期から太田道灌の家老土谷相模守が平井の当地周辺を所領し、代々氏子総代を勤めてきた。、、、、、社殿は昭和45年(1970)に鉄筋コンクリート造で改築した。 また、広い境内は盆踊りのためか、砂利敷きで樹木が少ない。
 
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⑤平井浅間神社・・・・・・・・・・・白髭神社の北、旧中川沿いに平井浅間神社がある。 この神社は、特別な社殿はなく、富士塚の頂上に石の小祠が祀られているだけだ。、、、、、平井浅間神社の創建は長享2年(1488)とも伝えられ、神社の富士塚は「逆井の富士」として知られている。、、、、、、社殿が無いためか、社務所が無い。 社務所が無いので、可愛いい巫女さんがいない、つまらない!、、、、、七五三詣で、安産祈願など受け付けていないのかな?
 
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⑥旧中川・・・・・・・・・・旧中川に架かる「ふれあい橋」を渡り、江東区亀戸の町に入る。、、、、、ふれあい橋は歩行者専用橋で、橋長:56m、1径間鋼製アーチ橋。平成6年(1994)に竣工した。
 
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⑦亀戸中央公園・・・・・・・・・・旧中川沿いで、総武本線を挟み東西に広がる約10万㎡の大きな公園。、、、、、、この地は、大正7年(1918)から始まり昭和49年(1974)の移転まで、日立製作所亀戸工場として使用されてきた。 その後、昭和55年(1980)に都立の亀戸中央公園として整備され開園した。、、、、、樹木数:2,950本、9,300株が緑豊かに茂る公園で、運動施設なども整備されている。 、、、、、、思い出した、近くには精工舎亀戸工場もあった。 戦前・戦後の工場地区である。
 
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⑧亀戸水神駅・・・・・・・・・・亀戸中央公園の近くに、亀戸線の亀戸水神駅がある。 チョイト駅前を通って行こう!、、、、、懐かしい昭和30年代の、インターナショナルオレンジの車体にミディアムイエローの帯を巻いた8000系リバイバルカラー車両 と御対面。
 
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⑨JR亀戸駅・・・・・・・・・・駅に到着、今日はココまで!
 
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2018年2月 8日 (木)

辰巳運河

今朝、なぜか五月みどりの曲を思い出し、五月みどり→深川芸者→辰巳芸者→辰巳水門と連想し、「辰巳水門」が見たくなった。 散歩は有楽町線辰巳駅で下車し、辰巳水門のの周辺を歩いてきた。 辰巳運河の両岸を歩き、ほぼ一周、1万3千歩の散歩です。
 
 
・・・・・・・・・・・・・辰巳運河は、「辰巳」と「東雲」(念のため、“しののめ”と読む)の埋め立て地の間を流れ東京湾に注ぐ運河。 上流側から辰巳橋、辰巳桜橋、辰巳水門、新辰巳橋(国道357号)、辰巳道路橋(首都高)、辰巳運河橋梁(りんかい線)、新末広橋の橋梁が架かる。 両岸は、辰巳側に都営の辰巳団地、東雲側にはズラリとタワーマンションが並ぶキャナルコート。
 
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①辰巳駅・・・・・・・・・昭和63年(1988)6月8日の新富町駅~新木場駅間開業と同時に辰巳駅も開業した。 島式ホーム1面2線の地下駅。、、、、、マンション、団地からの御出勤で、朝の駅は降りる人より、乗る人の方がずっと多いようだ。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅前広場から、キャナルコートのタワマンが望める。、、、、私には、迫って来る怪獣のように見える。
 
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②辰巳桜橋・・・・・・・・・・・「辰巳駅」が辰巳地区にあり、対岸の東雲地区の人の利便性を考え、駅前からキャナルコートに向け架けたと思われる歩行者専用橋。、、、、、橋長273mの:2径間連続斜張橋。 平成8年(1996)に竣工した。
 
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③辰巳水門・・・・・・・・・・・辰巳運河に昭和37年(1962)に設置された辰巳水門。 幅員11.4メートル×2連のローラーゲートで、運河沿いの町を高潮や津波の被害から守るためにある。 台風の時には、大気圧も低くなり高潮が発生しやすく、このような時には水門を閉鎖し内部の町を守る。 しかし、水門を閉鎖すると、運河が大雨で増水し水の逃げ場がないことになり、洪水の危険が高まるため、そこで水門閉鎖時に内部の水をポンプで強制的に排水する排水機施設が辰巳水門の脇に用意されている。 それが、辰巳排水機場(昭和39年設置)である。、、、、、現在、辰巳排水機場は再整備工事がすすめられている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・辰巳排水機場
 
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④キャナルコート・・・・・・・・・・威圧するようにたつタワーマンション群。 全部で何戸あるのか、数えられるものなら数えてみたい! 
 
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⑤新辰巳橋・・・・・・・・・・・最上流に、かって車道があったと思われる歩行者専用橋がある。 その隣に車専用の一般道が片側分。 そして首都高。 さらに一般道の反対車線。 橋梁がダンゴ状態で複数並んでいる。 いったいどれが新辰巳橋だ????
 
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・・・・・・・・・・・・・・高い処を走るのは首都高で辰巳道路橋
 
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辰巳団地 ・・・・・・・・・・・運河を挟み、若い人が多く賑わいを感じる東雲のキャナルコート、それとは対照的に、中高齢者が多く寂しくなった辰巳団地。 超高層と中層、シャレた建物と古びた建物、近代的スーパーと寂れた商店街、若者と老人、これが東雲と辰巳。 考えさせられるね。??????
 
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⑦辰巳橋・・・・・・・・・・辰巳運河の上流側に架かる辰巳橋は、東雲橋から辰巳団地の中央を結ぶ道路を通す。 橋は長さ 127.0m、幅 25.0m、3径間鋼製桁橋で、平成4年(1992)の完成。
 
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2018年1月 7日 (日)

亀戸天神

正月気分もいよいよ終わりの、今日は「七日正月」。 我が家でも正月飾りをはずし、“松”とお飾りは神社へ納め七草粥を食した。、、、、、昼から夫婦で亀戸天神 に参る。
 
 
・・・・・・・・・・・・・JR亀戸駅から神社へ向かう。、、、、、天気晴朗なれど、人波はさほどでもなし。
 
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・・・・・・・・・・・・・神社へ向う途中、大道芸に拍手。 江戸切子もチョイト拝見、芸術品を見て感嘆し、値段を見て仰天。
 
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・・・・・・・・・・・・・正月三が日も過ぎ参拝客は少なくなった。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・拝殿前の行列も短く、待ち時間10分程で手を合わせることができた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・賽銭は奮発して10万円程投げ入れるつもりで、財布にあった小銭を全額入れてきた。 ちなみに、私が35円、妻が500円。、、、、、御利益を大いに期待!
 
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・・・・・・・・・・・・・・境内のウメは蕾も膨らんできた。、、、、、早や咲きのウメが一部開花していた。
 
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・・・・・・・・・・・・・青空の下、スカイツリーもよく見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・・今日は並ばなくても入れそうだ、チョイトお立ち寄り。 “くず餅”のお土産と重複しないように、“クリームみつまめ”をいただく。 できたら“大盛り”を注文したかった。
 
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・・・・・・・・・・・・・お腹も満たされ、天神橋を渡り錦糸町駅前を抜けて帰宅。
 
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2017年12月23日 (土)

清砂大橋・葛西橋

東西線南砂町駅から清砂大橋を渡り荒川を越えて江戸川区へ、引き続き上流の葛西橋を渡り再度荒川を越えて江東区へ、東砂三丁目からバスで帰宅。 1万2千歩の散歩。
 
 
 
南砂町駅 ・・・・・・・・・散歩の出発点はここ南砂町駅。 天皇誕生日の今日は、通勤客も少なく、人を避けることなく歩け楽だ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅から300m程東で東西線は地上に顔をだし高架となって荒川へ向かう。 私の足も東西線沿いに荒川へ向かう。
 
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②清砂大橋西詰・・・・・・・・・・・清砂大橋西詰交差点(江東区新砂3)は、千代田区大手町から門前仲町・東陽町を抜ける「永代通り」の終点である。 これより東側は「清砂大橋通り」となり江戸川区東葛西まで続く。
 
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・・・・・・・・・・・・・・交差点から車道は清砂大橋に続く。
 
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③清砂大橋・・・・・・・・・・・西岸の江東区新砂と東岸の江戸川区清新町を結ぶ、荒川と中川に架かる橋長1317.2mの長い橋。 橋名は両岸の町名から一文字頂戴。、、、、、橋は平成8年(1996)に着工し、8年後の平成16年(2004)に開通した、3径間連続斜張橋(主塔間230m)である。
 
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・・・・・・・・・・・・清砂大橋から見る下流側。 首都高湾岸線が走る荒川河口橋が望まれる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・清砂大橋から見る荒川(右側)と中川(左側)の合流点、頭上は首都高中央環状線が走る。
 
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・・・・・・・・・・・・・清砂大橋の上流側約20m離れて東西線荒川橋梁が並行する。
 
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④干潮時の水位以下・・・・・・・・・・清砂大橋の東詰(江戸川区西葛西)に鎮座する西葛西八幡神社。 神社の創建年代は不詳である、かつて地元の鎮守として祀られた。、、、、、神社のすぐ近くに背の高い中川の護岸がそそり立っている。 中川の川面は見えないが、川底に神社があるような気がするのは気のせいか。
 
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・・・・・・・・・・・・・・葛西橋から見た中川(左側)と江戸川区(右側)、、、、、、この辺りは荒川・中川の干潮時の水位より低い位置に建っている。 堤防が決壊すると2階の高さまで水がくるそうだ。
 
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葛西橋 ・・・・・・・・・現在の葛西橋は昭和38年(1963)に完成した、清洲橋をまねたようなデザイン(チョイと武骨で野暮ったい)の長さ727.4mのゲルバー橋で、荒川の右岸(江東区東砂)と中川の左岸(江戸川区西葛西)を結ぶ橋。
 
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・・・・・・・・・・・・・現在の葛西橋から上流側約300mに、昭和3年(1928)に竣工した旧葛西橋が架けられていた。 その位置に立てられている区の案内板に旧葛西橋の写真がある。
 
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⑥生田稲荷神社・・・・・・・・・・・東砂3丁目の生田稲荷神社。 境内の石碑には、『慶安年中(1648~1651)当地開発のさい、土地の鎮守とす。元禄初年(1688~1703)疫病のさい、里民当社に祈願し安全を得、特に産婦の安全を守護し、神徳を崇め遠近より参詣が多い。』と記されている。 安産に御利益があるようだ。
 
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⑦東砂三丁目バス停・・・・・・・・・都営の敬老パスを持っているので、都営バス・地下鉄などに乗り放題。 ついつい安きに流れ、バスで帰ることにした。
 
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2017年11月27日 (月)

南砂町~西大島

地下鉄東西線南砂町駅で下車し、北に2.5km程離れた都営新宿線大島駅まで、複数の団地の中をぶらつき、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
①南砂町駅・・・・・・・・・・昭和44年(1969)3月29日、東西線全線開業時に開業した、島式ホーム1面2線の地下駅。、、、、朝は通勤客がホームにあふれ狭く感じ、ホームから落ちる危険をも感じる。 只今、東京メトロでは南砂町駅改良工事を、総投資額340億円かけ大規模に進めている。 具体的には、ホーム1面を新たに造り2面3線にする、またコンコースを改良し、現在両端にある改札口を中央に統合し1か所とするそうだ。 完成は平成32年(2020)を予定。
 
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②都営南砂三丁目アパート・・・・・・・・南砂町駅前にズラリと並ぶ都営住宅は、昭和41年(1966)から43(1968)年にかけ建設された。 「みどり団地」という愛称をもつ総戸数600戸(14棟)の団地。、、、、築50年経過し、現在、建ち並ぶ14棟の内、4号棟から7号棟の4棟は取り壊され、12階建ての高層住宅に建て替え中。、、、、駅前の一等地の都営住宅で、建て替えると家賃も高くなりそうだね!
 
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③南砂の町・・・・・・・・・・表通りには団地・マンションが建ち並ぶ町。 裏通りは車も通りずらい細い道が残る住宅地。
 
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・・・・・・・・・・・・・南砂の北側を流れていた仙台堀川 は親水公園に変わり、住民の憩いの場となっている。
 
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④北砂の町・・・・・・・・・・・・南砂の北側、清洲橋通りを越えると北砂の町になる。 こちらの町も団地とマンションが並び、その谷間に細い道が通る住宅地。
 
・・・・・・・・・・・・・清洲橋通りに面し、巨大なコンクリートの塊が圧倒する「北砂四丁目住宅」。 東京都住宅供給公社が販売した、昭和47年(1972)札幌オリンピックの年に建てられた14階建て、総戸数526戸の分譲マンションである。、、、、中央の吹き抜けの周りに住居を配した巨大な建物。、、、、大きさにつられ、“チョイト拝見”したが、普通の集合住宅であった。
 
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・・・・・・・・・・・・・・路地を歩き、“砂町銀座”商店街に出た。 まだ、シャッターが下りている店もあるが、そろそろ営業開始の時刻かな? 
 
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・・・・・・・・・・・・・砂町銀座の南側には、亀高神社がある。 亀高神社は、当地亀高新田開拓の際に五穀豊穣の神として寛永年間(1624~44)に創建、亀高新田村の鎮守であった。、、、、、地元の鎮守として村人に愛されたであろう神社。 現社殿は昭和43年(1968)に鉄筋コンクリート造にて建て替えられた。
 
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・・・・・・・・・・・・・亀高神社の南隣に真言宗智山派の持宝院がある。 持宝院の創建年代は不詳だが、創建時期は寛永3年(1626)とも元亀・天正年間とも云われている。、、、、、アレ、エロ坊主でもいるのかな? ピンクの本堂がお出迎え。 それとも、極楽浄土の色はピンクかも。
 
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・・・・・・・・・・・・・砂町銀座の北側には、けして大きな教会ではないが、かわいらしい教会があった。 日本基督教団の砂町教会である。 教会の創設は昭和8年(1933)で、現聖堂は昭和59年(1984)の竣工。、、、、、地元の信者に愛される教会のようだ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・北砂5丁目に旧日本住宅公団の時代である昭和52年(1977)から平成8年(1996)にかけて建てられた、総戸数2781戸のUR北砂五丁目団地がある。、、、、敷地内の樹木は秋色に染まり、穏やかな秋晴れがお出迎え。
 
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⑤進開橋・・・・・・・・・・・・小名木川 に架かる進開橋を渡り大島の町に入る。
 
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⑥西大島駅・・・・・・・・・・都営新宿線に、昭和53年(1978)12月21日に開業した、島式ホーム1面2線の地下駅。
 
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2017年10月17日 (火)

亀戸銭座

午後になって、何日ぶりかで雨が上がった。 3時過ぎから、錦糸町駅から亀戸駅まで、総武線の北側を歩いて“ミニ散歩”。
 
 
 
①錦糸町・・・・・・・・・・錦糸町駅南口は昭和36年(1961)に建てられた民衆駅ビルで、地上7階/地下1階の建物であるが、数度のリニューアル工事で古さを感じさせない駅ビルである。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・・南口からガードをくぐり、駅の北側:錦糸公園に向かう。、、、、、錦糸公園は関東大震災前の陸軍糧秣厰倉庫跡で、震災時にはここに約1万人の遺体が仮埋葬されたそうだ。 震災後、復興公園として整備された。、、、、、震災で亡くなった人を思うと、公園の中を歩くにも、チョイトいいかげんな歩きができないね!
 
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・・・・・・・・・・・・・・錦糸公園の東側:横十間川に架かる錦糸橋 。 橋を渡ると江東区亀戸の町である。
 
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②亀戸銭座・・・・・・・・・・・・錦糸橋を渡ると、横十間川沿いの左側にUR亀戸2丁目団地が見える。 この団地の敷地は、江戸時代、寛文8年(1668)から安永2年(1773)の間の約100年間、当時の通貨である寛永通宝が作られていた銭座の跡である。 銭座はその後、明治40年(1907)に日清紡績株式会社の本社工場の敷地となり続いたが、戦時中の空襲で焼け野原となった。 戦後は運動場として利用され、昭和42年(1967)に旧日本住宅公団の団地が建設された。 この時、団地の一角に野球場が造られ、地下には東京都水道局亀戸給水所の配水池も作られた。、、、、、団地建設の際は敷地内から、寛永通宝が多数発見されたそうだ。
 
・・・・・・・・・・・・・水道局亀戸給水所の正面ゲート前にある「亀戸銭座」の碑。、、、、、この付近に生息していたのが銭亀である。 甲羅には寛永通宝の模様があったとか。 本当のような、ウソの話である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・水道局亀戸給水所の正面ゲートの右隣には、 黒褐色の「日清紡績創業の地」 の碑がある。、、、、、現在の日清紡は綿紡績から、エレクトロニックス、ブレーキ、精密機器に事業をシフトし、グループ全体で23,000名以上の従業員を抱える大企業グループである。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・・亀戸銭座と日清紡績創業の地の碑がある、東京都水道局亀戸給水所は江東区亀戸2丁目にある。、、、、、空から見るとUR亀戸二丁目団地の中央に江東区営亀戸野球場が見える。 この球場の下に半地下式の配水池が造られている。  この給水所は、地域への配水を担うとともに、震災時には給水拠点となるため、配水池は縦横約 104m、高さ約 7m、貯水量 60,000m3のRC構造物である。 (施工はフジタ)、、、、、野球場は、近隣住民が騒音に悩まされないよう配慮し、ナイター使用はできないとのこと。
 
・・・・・・・・・・・・・・・団地から見た給水所。 右側のグランドの下が配水池、左手前の屋根上にカマボコが3個並んでいるのが給水所の建屋
 
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・・・・・・・・・・・・・・・給水所建屋
 
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・・・・・・・・・・・・・・配水池。 (配水池そのものは、グランドの下で見えない。 想像して!)
 
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・・・・・・・・・・・・・・・亀戸給水所を囲むように、UR亀戸二丁目団地が建っている。 昭和43年(1968)完成、鉄筋コンクリート造11階建て、総戸数806戸。
 
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③都営亀戸第二アパート・・・・・・・・・・UR亀戸二丁目団地の東側にチョコンと建つ、江東区では古い都営アパート。 昭和36年(1961)建設、全18戸。、、、、、ボロボロ!
 
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④亀戸天神・・・・・・・・・・時刻は5時過ぎ、誰もいない天神様に手を合わせて帰ることにする。
 
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亀戸駅 ・・・・・・・・・・・暗くなった亀戸駅前の裏道を歩き駅へ。
 
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2017年9月22日 (金)

浅草橋~平井

今朝のNHK天気予報で、東京の天気は、午前中は曇り、正午からは小雨、夜は雨と受け止めた。 午前中は天気ももちそうなので、我が家から総武線沿いに歩いてみることにした。 浅草橋の我が家から平井駅まで、1万4千歩の散歩です。
 
 
①浅草橋を発つ・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・高架ホーム下の店舗、駅前の飲食店、どこも、まだ閉まっている。、、、、、高級ブランドの店、三つ星レストランなんてない。 あるのはビーズ屋さん、安売り雑貨屋さん、超B級飲食店ばかり。
 
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・・・・・・・・・・・・・・朝8時、そろそろ駅から職場に向かう人も出てきた。
 
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②両国橋を渡る・・・・・・・・・・“雨降る天気”は嘘のような“爽やかな晴れ”。 
 
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③両国駅付近を通過・・・・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・今日は回向院 には立ち寄らず素通り。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・・両国駅の南側、京葉道路に面した両国3丁目22番は芥川龍之介が18歳まで育った処。 芥川は回向院の隣にあった小学校に通ったそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・江戸東京博物館前から北斎通りに入る。
 
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北斎通りを行く ・・・・・・・・・・・・江戸東京博物館前から錦糸公園の先の錦糸橋(横十間川)までの通りを言う。 江戸東京博物館前から横川までは、かつての本所南割下水(ほんじょみなみわりげすい)と呼ばれた、道路の真ん中を掘り割った下水路であった。 割下水は昭和初期に暗渠化され、平成の世になり歩道などが整備され、平成6年(1994)から「北斎通り」と称した。
 
・・・・・・・・・・・・・・・すみだ北斎美術館(墨田区亀沢2)の敷地は、江戸時代に弘前藩津軽家の大名屋敷あった。 この近くには葛飾北斎が住んでいた、つまり北斎の地元にできた美術館である。、、、、、、妹島和世建築設計事務所の設計、大林組+東武谷内田建設の施工による、RC造地上4階/地下1階建ての美術館。、、、、、大変残念なことだが、私はまだ入館したことが無いので、コメントなし。
 
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・・・・・・・・・・・・・・こちらも亀沢にある、日本相撲協会が直営の相撲神社で、「野見宿禰神社(のみのすくねじんじゃ)」。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・「北斎通り」、名前は粋で、江戸趣味を感じさせるが、通りには古い建物は残っておらず、またシャレた店舗が並んでいるわけでもない。 鋼管、パイプなどを扱う会社が多く、恋人同士の散歩にはチョイと不向きである。
 
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・・・・・・・・・・・・・・北斎通りは錦糸町駅手前で大横川親水公園と交差する。 東京スカイツリーの足下から、南に江東区木場方面に流れる大横川。 その一部を暗渠化し、整備されて親水公園となっている。
 
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・・・・・・・・・・・・・錦糸町駅の北側を再開発した「アルカタワーズ」。 3棟の超高層オフィスビルと、ホテル、シンフォニーホール、商業施設ビル、高層住宅などで構成されている。 前を貫く道路は北斎通り。、、、、、、サラリーマン時代、私のデスクも一時期このビルの中にあった。 今は懐かしいビル。
 
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・・・・・・・・・・・・・・津軽稲荷神社は、津軽藩下屋敷の屋敷神として祀られていた稲荷神を、明治43年(1910)に払い下げられ、錦糸町1丁目町会の守護神とした。
 
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・・・・・・・・・・・・・・錦糸町駅北口前をしたすら東に向かう。
 
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・・・・・・・・・・・・・・ 錦糸公園の奥に建つ「Olinas」の超高層ビル。 ここは、時計の旧精工舎の工場跡地である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・錦糸公園の東側に残る、旧病院建築。 現在は、昭和19年(1944)に病院跡に移転した阪上製作所の社屋となっている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・北斎通りは両国の江戸東京博物館前より東に真直ぐ伸びて、ここ横十間川に架かる錦糸橋までである。 これより江東区亀戸の町となる。
 
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⑤亀戸駅前を行く・・・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・亀戸駅前を通り抜け、我が足は東へ向かう。
 
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・・・・・・・・・・・・・・東武亀戸線 をチョイト見て、ついでに写真も撮って、先を急ぐ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・丸八通りを横切って、亀戸中央公園を抜けると、旧中川に出る。
 
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⑥旧中川を越えれば平井駅・・・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・旧中川は江東新橋 で越える。 超えると、そこは江戸川区平井の町。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・蔵前橋通りから、チョイとそれると平井駅 に出る。 駅前に着くと、ちょうど、ポッリと落ちてきたが、まだ傘は必要なさそうだ、帰ることにした。
 
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2017年8月13日 (日)

清澄庭園

午後から、夫婦で江東区の「芭蕉記念館」、「清澄庭園」の付近を散歩してきた。
 
 
 
・・・・・・・・・・・・・都営新宿線森下駅から歩き始める。 今日は深川神明宮 の例大祭であるが、今年は“陰祭り”。、、、、、、盆休み期間中で、帰省したかつぎ手もいるのか、盛り上がりもチョイトかけるようだ。 神社も人影まばらで、寂しいね。
 
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・・・・・・・・・・・・・隅田川沿いに出て、「芭蕉記念館」に行ってみた。 芭蕉記念館は、芭蕉の資料を公開している博物館。 芭蕉が延宝8年(1680)から、深川の草庵に移り、生活を送っていたことにちなみ、この地に記念館が建てられた。、、、、、俳句を詠んだこともない夫婦が、芭蕉の弟子についていくら説明してもらってもチンプンカンプン。 判ったことは、弟子が多く、おつきあいが大変だったでしょう!
 
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・・・・・・・・・・・・・・芭蕉稲荷神社(常盤1-3)は、大正6年(1917)の台風による津波来襲の後、芭蕉が愛好したといわれる石造の蛙が発見され、地元の尽力で芭蕉稲荷が創建された。
 
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・・・・・・・・・・・・・隅田川と小名木川に隣接する小さな庭園は「芭蕉庵史跡展望庭園」。 隅田川を眺める芭蕉像がある。、、、、、、像の容姿は吾輩のイメージとは異なり、若作りだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・萬年橋を渡り清澄公園を歩く。 清澄公園は清澄庭園の隣にある公園。 どこにでもあるボール遊び、ピクニックなどができる解放公園である。 もとは清澄庭園と一体であった。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・清澄公園の隣は、有料の清澄庭園である。 かつては、清澄公園+清澄庭園=深川親睦園 であった。 深川親睦園は明治11年(1878)、岩崎弥太郎が、荒廃していたこの邸地を買い取り、三菱の社員の慰安や貴賓を招待する場所として庭園造成を計画し、明治13年(1880)に竣工した施設である。 弥太郎の亡きあとも造園工事は進められ、隅田川の水を引いた大泉水を造り、周囲には全国から取り寄せた名石を配して、明治の庭園を代表する「回遊式林泉庭園」が完成しました。、、、、、手入れも良く、綺麗で静かな公園は若い人のデートコースに最適。 ただし、森蔭が少なく、キッスは無理、無理、かたつむり! 
 
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・・・・・・・・・・・・・・この後は、霊巌寺などを見て深川から帰宅。

2017年7月23日 (日)

深川

江戸六地蔵巡りも、いよいよ最後、今日の散歩は第五番の霊巌寺である。 都営新宿線の森下駅で下車し門前仲町まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
①森下駅・・・・・・・・・・・都営新宿線の島式ホーム1面2線を有する地下駅。 昭和53年(1978)12月21日に都営新宿線の駅として開業し、平成12年(2000)12月12日に大江戸線が開業し乗換駅となる。、、、、、今日は日曜日、通勤客も少なく、駅は閑散としていた。
 
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②深川神明宮・・・・・・・・・慶長年間(1596~1615)、摂津の人・深川八郎右衛門が一族を引き連れて当地を開拓するにあたり、屋敷内に小祠を設けて伊勢神宮の御分霊を奉斎したことに始まる。慶長元年江戸に入った徳川家康がこの地を訪れ、八郎右衛門に地名を尋ねたところ、未だ人も少なく“地名はない”と答えたので、八郎右衛門の姓をとって「深川」とするよう命じたという。 これが「深川」の始まり。、、、、、、その後、江戸の繁栄に伴って深川も発展し、神明宮は深川の総鎮守として崇敬を集めた。、、、、、現在は、寿老神を祀り、正月の七福神巡りで参拝客を増やしている。 ガッポリ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・大正・昭和の日本画家:伊東深水は、明治31年(1898)2月4日、ここ深川神明宮の門前で生まれたそうだ。 小学一年生まで深川で過ごし、二年生の時深川を離れた。 深水の雅号は深川の水にちなんでいる。 昭和47年5月8日没。、、、、ちなみに、深水の娘:朝丘雪路は昭和10年(1935)7月23日に東京市京橋区築地で生まれた。
 
 
 
③新小名木川水門・・・・・・・・・・・・小名木川は徳川家康が造った人工の運河で中川(今の旧中川)と隅田川を結んでいる。、、、、、、最も隅田川寄り(清澄2・常盤1)には萬年橋が架かっている。 その東隣りに新小名木川水門がある。、、、、、、これまで、鋼製単葉ローラーゲート形式、高さ11mのゲートが3連の水門(昭和36年(1961)に完成)であったが、耐震化工事で、1ゲートを撤去し、2連のゲートに改修される。
 
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・・・・・・・・・・・・・・完成予想図
 
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④清洲寮・・・・・・・・・・・江東区白河に建つ、“寮”とは言っても、民間のアパート。 大林組の設計・施工で、昭和8年(1933)に竣工した、鉄筋コンクリート造4階建ての建物。 総戸数66戸、長さ70m程の建物は大きい!、、、、、、最近、改装したようだが、むき出しの水道管、木製の引き戸、玄関床のカラータイル・壁のスクラッチタイルなど、昭和レトロの匂いがプンプン。 現在もアパートとして人気のある建物で、昭和のハイカラを求め空室待ちの人もいるようだ。
 
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⑤霊巌寺・・・・・・・・・清洲寮とは背中合わせの霊巌寺は、寛永元年(1624)、霊巌島(現:中央区新川)にて創建したが、明暦3年(1657)の大火で被災し、万治元年(1658)に現在地(江東区白河1)に移転した。
 
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・・・・・・・・・・・・・・江戸六地蔵の第五番が、ここ霊巌寺にある。、、、、、水戸街道を見守る像の高さは、2.73m。 深川の地蔵坊正元が発願し、享保2年(1717)に造立された。 製作者は神田鍋町の鋳物師太田駿河守正儀。、、、、、ここの像は低い位置に置かれ、顔立ち、姿も細部までよく見ることができる。 風雨にさらされ、チョイと傷みが見られる。 早い治療が必要かも?
 
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・・・・・・・・・・・・・・八代将軍徳川吉宗の孫にあたる松平定信(1758~1829)は、天明7年(1787)に老中となり、寛政の改革を行った。 その定信の墓所も、ここ霊巌寺にある。、、、、、突然ですがここで問題、松平定信が命名した超有名な菓子屋の名が現在も残っている、その菓子屋の名は?、、、、、答えは、全国に展開した「風月堂」である。 江戸時代、風月堂の本家となる、江戸・京橋鈴木町の「大坂屋」は定信に重用され、松平家の御用菓子商に指定され屋号も「凮月堂清白」(“風”の字は、“几”中が“百”)の5文字を頂戴した。 現在は、本家筋が上野凮月堂、暖簾分けされたのは神戸凮月堂、東京(銀座)凮月堂、長野凮月堂、甲府凮月堂などなど。 ちなみに、私も好きな銘菓「ゴーフル」は全国の凮月堂で売られている。
 
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⑥永代寺・・・・・・・・・・霊巌寺から南へ約1.2km、深川不動尊の参道脇に永代寺がある。 永代寺は寛永元年(1624)に、永代島に創建された。 江戸時代には富岡八幡宮の別当寺で、江戸六地蔵の第六番として栄えたが、明治元年(1868)の神仏分離により廃寺となった。 享保5年(1720)に造立した六地蔵はこの時取り壊された。 現在の永代寺は、明治29年(1996)に旧永代寺の塔頭の吉祥院が名称を引き継ぎ、再興したものである。
 
・・・・・・・・・・・・・現在の永代寺は、お不動様の参道に面した一画にある。本堂の上に塔がのる珍しい寺だ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・境内の隅に、取り壊された六地蔵に代わる地蔵様として、子育地蔵+取持地蔵の二体ペアにて仕込み中である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・今日はついでに、旧永代寺の寺域を歩いてみた。 旧永代寺は広く(約2万2千坪)、まず富岡八幡宮は永代寺が別当寺であった。 境内では骨董市が開かれていた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・旧永代寺が廃寺となった後、その一画に、明治11年(1878)に成田不動の分霊が引っ越してきたのが現在の深川不動尊である。、、、、旧永代寺には11の塔頭があり、その一つ吉祥院が現在の永代寺である。、、、、、地蔵さんは、どうやら不動さんに母屋を取られたようだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・富岡八幡宮と深川不動尊、永代寺などの周辺に、深川公園が点在する。 この公園も旧永代寺の跡地である。、、、、、公園の中に立つ「富岡八幡宮別当永代寺跡」の碑。、、、、、燈明塔も旧永代寺跡に立っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・ここでまた問題です。、、、、「門前仲町」の“門前”とは?、、、、もう、お判りですね、豆助!  そう、門前は永代寺の門前のことだったのです。 
 
 
 
●・・・・・・・・・・・・・これにて、江戸六地蔵を全て巡ったことにする。 門前仲町から都バスで浅草橋へ帰ることにした。、、、、「東京都シルバーパス」を持っていると、都内の主要バス、都営地下鉄は、年2万円ほどで乗り放題。 ありがたいね!

2017年6月18日 (日)

四ツ目通り

JR総武線錦糸町駅から、四ツ目通り沿いに南下し地下鉄東陽町駅をとおり過ぎ、江東区塩浜にある地下鉄東西線の車両基地まで、1万2千歩の散歩です。
 
・・・・・・・・・・・・四ツ目通りとは、、、、、江東区東陽3丁目を起点として、江東区を北上し地下鉄住吉駅、JR錦糸町駅をとおり、墨田区京島1丁目まで、総延長約5.5kmの都道である。 名の由来は、、、、、昔、堅川の北岸、現在の両国2~4丁目辺り(旧:相生町)に囲碁の名家:本因坊家があった。 その相生町の1、2丁目のブロックを碁盤の目に因んで一ツ目と呼び、3~5丁目を二ツ目と呼んだ。 その一ツ目の入口にかかる竪川の橋を一之橋と称し、二ツ目の入口にかかる橋を二之橋と称した。 その後三之橋、四之橋、五之橋が架けられた。 それぞれの橋上をとおる通りは、橋の名と同じ数字の“一ツ目通り”から順に“五ツ目通り”までの名が付けられた。 しかし現在、一ツ目通りは一ノ橋通り、二ツ目通りは清澄通り、三ツ目通りと四ツ目通りは今もその名を引き継ぎ、五ツ目通りは明治通りとなる。
 
 
 
①錦糸町駅・・・・・・・・・・明治27年(1894)12月9日、総武鉄道の本所駅として開業し、明治40年(1907)に国有化される。 大正4年(1915)に錦糸町駅に改称する。 歴史ある駅だ、南口の駅ビル「テルミナ」は昭和36年(1961)に竣工した。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・築50年経過した駅ビル「テルミナ」、、、、、、、駅前のバス停辺りは、明治43年(1910)頃まで歌人:伊藤佐千夫の住居兼牧舎があったそうだ。 錦糸町で酪農ができた時代があったなって、夢のような話。
 
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・・・・・・・・・・・・・錦糸町駅前交差点から見る四ツ目通り。
 
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②田螺稲荷神社・・・・・・・・・四ツ目通りから80m程西に入った処(江東橋3)、ビルの谷間に祀られている田螺(たにし)稲荷神社。 かつては田中稲荷と呼ばれていたらしいが、江戸時代、周辺に大きな火災があり、周りの家が次々と燃えていく中、神社の池から田螺が続々と這い出してお稲荷さんの壁に張り付き、神社を守ったらしい。 以来、「火防せ」の神様「田螺神社」として信仰を集めるようになったそうだ。、、、、、今では、周りは飲み屋とラブホテルが並ぶ夜の街。 火災にはより注意が必要。
 
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③四之橋・・・・・・・・・・四ツ目通りの名の謂れとなった堅川に架かる四之橋。 堅川は埋め立てられ、頭上には首都高が走り、四之橋は車専用となり、歩行者は両端から橋の下に下り、橋桁を金網越しに見上げて横断する車優先の構造となった。、、、、、
四之橋が初めて架けられたのは、万治2年(1659)である。  現橋は昭和46年(1971)に竣工した、3径間鋼製桁で、橋長は35m。
 
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④住吉駅・・・・・・・・・・・四ツ目通りが新大橋通りと交差する位置に都営新宿線と東京メトロ半蔵門線の住吉駅がある。 昭和53年(1978)12月21日に都営地下鉄新宿線の駅が開業し、25年後の平成15年(2003)3月19日に営団地下鉄の半蔵門線の駅が開業した。、、、、、私は、この駅で乗降した記憶がなく。 未知の駅である。
 
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⑤日先神社・・・・・・・・・・四ツ目通りからチョイと西へ入ると猿江1丁目に、江戸名所図会にも描かれた江戸屈指の規模をもつ摩利支天だった日先神社(ひのさきじんじゃ)がある。 今や、見るも悲しき、小さな神社となってしまった。、、、、、宮司自ら、富岡八幡宮に出向き、商売繁盛を祈願してくるといいかもね!
 
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⑥猿江神社・・・・・・・・・・猿江2丁目にある神社。 正確な創立年代は不明であるが、康平年中(1058、平安時代中期)頃には近在の信仰を一身に集めた稲荷社であったらしい。、、、、、鉄筋コンクリート造の社殿は昭和6年(1931)に建立され、鉄筋コンクリ―ト造の寺社としては国内最古である。 また、玉垣のある石造燈籠も昭和6年(1931)に造られた。、、、、、社殿は国の文化財に登録してあげたいね。
 
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小名木川の2橋・・・・・・・・・・・・・猿江神社の南を流れる小名木川。 ここに小松橋、小名木川橋が架かっている。
 
・・・・・・・・・・・・・小松橋、、、、、、江東区猿江1と扇橋2を結び、区道を通す。 小松橋の形式は曲弦ワーレントラス橋で、昭和5年(1930)に工事費160,137円で架けられた。 今の時代なら安いのだが、関東大震災後の工事費としては高いのか?安いのか?判らん!
 
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・・・・・・・・・・・・・・小名木川橋、、、、、、、こちらは、四ツ目通りをとおし江東区猿江2と扇橋3を結ぶ橋。 昭和4年(1929)に工事費 363.902円にてゲルバー鈑桁で旧橋は架けられた。 その後、昭和63年(1988)に、3径間連続鋼床版鈑桁のげ現橋に架け替えられた。
 
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⑧豊住橋・・・・・・・・・・・四ツ目通り、江東区千石2丁目と東陽6・7丁目を結ぶ 仙台堀川に架かる橋。 橋の下は親水公園のように改良されている。、、、、、、橋を渡ると東陽町駅も近い。
 
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⑨江東区役所・・・・・・・・・・・本庁舎は昭和48年(1973)に建設され、平成25年(2013)には耐震補強工事も完了した。、、、、、、江東区は耐震対策も重要だが、荒川・隅田川の堤防決壊すると、1階は完全に水没するそうだ。 全区民を対象にした浸水対策も実施しなければならず、チョイと気が抜けないね。
 
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⑩東陽町駅・・・・・・・・・・・昭和42年(1967)9月14日に営団地下鉄東西線の終着駅として開業。
 
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・・・・・・・・・・・・・ここ東陽町駅前交差点が四ツ目通りの起点である。、、、、錦糸町から南下してきた道はさらに南へ続く。
 
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⑪四ツ目通りの先は?・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・道幅は少々狭くなり、東陽橋で汐浜運河をこえ、江東区塩浜地区へ向かう。 
 
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・・・・・・・・・・・・・運河をこえると、道は東西線の車両基地に突き当たる。
 
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