江東区

2019年3月18日 (月)

消えた洲崎遊廓

地下鉄東西線の東陽町駅で下車し、かつてあった洲崎遊廓の跡を追って木場に出て、木場公園のバス停まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
●中央区のような江東区 ・・・・・・・・・・・地下鉄東西線は、昭和39年(1964)12月23日、高田馬場~九段下間の開業に始まり西と東に延伸し、昭和42年(1967)9月14日に中野から東陽町までつながった。、、、、東陽町駅は永代通りの地下にある、相対式2面2線構造の地下駅である。 一日に12万人が乗り降りする大きな駅である。、、、、私は日本橋から満員電車に乗ってきたが、東陽町で一斉に下車。 アレ・レ? 電車はガラガラ
 
1903180804560
 
1903180809230
 
・・・・・・・・・・・・・・駅周辺には、大企業のオフィスが並び、朝は地下から出てくる通勤客が絶えない。、、、、多くのサラリーマンに紛れ、地下鉄の階段を上ると、中央区日本橋のビジネス街に出るようだ。 江東区とは思えない!
 
1903180813060
 
1903180820440
 
 
 
●男のパラダイス ・・・・・・・・・・・東陽町駅と木場駅の間、永代通りの南側に東陽1丁目の町がある。 この1丁目の全域が、戦後は「洲崎パラダイス」と呼ばれた、吉原とならぶ大歓楽街:「洲崎遊廓」であった。(この頃、私は乳飲み子で実態は? 残念!)、、、、歴史は明治まで遡り、、、、明治20年までに富坂(文京区)に東京帝国大学校舎が新築される計画が策定されたため、風紀上の観点から直近に存在した根津遊郭の移転計画が発足した。 しかし受け入れ先となるはずの、最大の歓楽街だった吉原には受け入れの余裕がなかった。 そこで、洲崎弁天の東側の広大な湿地を整備して移転することとなり、現在の東陽1丁目に洲崎弁天町が誕生した。 大正時代末期には300軒前後の遊郭がひしめき、吉原と双璧をなす規模の大歓楽街となった。 昭和33年(1958)の売春防止法成立まで遊廓が設置されていた。
 
・・・・・・・・・・・・・洲崎遊廓は長崎の出島のように、海に突き出した形態で、周囲は堤防となっている。 遊女が逃げられない造りである。 遊廓の入口に当たる処は、永代通りと並行に流れていた洲崎川に架かる洲崎橋。  この橋を渡ると、正面に幅の広い大門通りがあり、左右に遊廓があったそうだ。、、、、写真は、東陽3丁目交差点(永代通り)の南側にあった洲崎橋の跡地に作られた碑。 洲崎川は埋め立てられ緑道となっている。 洲崎橋の正面に伸びる「大門通り」。 
 
1903180921310
 
1903180922570
 
1903180920490
 
 
・・・・・・・・・・・・・現在も遊廓(東陽1丁目)を囲んでいる堤防。 現在は周囲の町に比べ、東陽1丁目の地盤が低く、斜路・階段などで隣接の町とつながっている。
 
1903180837050
 
1903180842510
 
1903180902520
 
1903180924410
 
1903180927430
 
 
・・・・・・・・・・・・・洲崎遊廓は現:東陽1丁目の中央を南北に貫く大門通りによって、洲崎弁天町1丁目(西側)・2丁目(東側)として、東西に分けられていた。 遊廓の時代は、洲崎弁天町全域が廓であったが、戦後は東側だけが洲崎パラダイスとして指定地となり、100軒程のカフェーがあったそうだ。、、、、当時の建物は全て取り壊され、今は住宅、マンション、アパートが並ぶ街。
 
1903180907530
 
1903180913060
 
・・・・・・・・・・・・・洲崎パラダイスの頃の建物と思われる、どちらも取り壊された。 (平成22年に撮影)
 
110525_085646
 
_20101010_152732_2
 
 
・・・・・・・・・・・・・遊廓の地の東南に、現在、「都営 洲崎弁天町アパート」がある。 かつてここには、遊廓の娼妓たちの性病の検診と治療を行っていた都営洲崎病院があった。、、、現在は、昭和40年~42年に建てられた都営住宅がある。
 
1903180903470
 
1903180905330_2
 
 
・・・・・・・・・・・・・都営洲崎弁天町アパートの一画に「洲崎遊郭追善供養歌碑」がある。、、、、性病で死んでいった娼妓たちを供養したものだ。 「白菊のはなにひまなくおく露のなき人しのふなみたなりけり」と彫られている。 昭和6年(1931)11月9日洲崎遊郭開業50周年記念法要に信州善光寺大本願119世大宮尼智栄上人が詠んだもの。 建立は洲崎三業組合。、、、、遊郭の存在が忘れられる半世紀あまり、はっきりと遊廓が在ったことを標す遺構だ。、、、、ここで亡くなった娼妓たちは、江東区平野2にある浄心寺で弔われた。 境内に洲崎遊女合葬墓がある。
 
1903180906530_2
 
 
 
●洲崎弁天だ! ・・・・・・・・・・・東陽1丁目の西隣の木場6丁目に洲崎神社がある。 元禄13年(1700)の創建。 洲崎神社は元弁天社と称し厳島神社の御分霊を祭神として祀っている。、、、、洲崎遊郭に隣接し、文人墨客だけでなく、遊女の参拝もあったであろうね!
 
1903180936460
 
1903180934450
 
・・・・・・・・・・・・・境内には、「波除碑(なみよけのひ)」がある。これは、寛政3年(1791)に高潮により多数の死者を出したため、幕府が洲崎弁天社の西を空き地にしてその境界に建てた碑のひとつである。、、、、、東日本大震災の津波と同様に、多くの人命が失われたことを忘れずに、後世に伝えるものだ!
 
1903180935470_4
 
 
 
●深川にぴったしの景観 ・・・・・・・・・・・・・・木場駅と洲崎神社を結ぶ、赤く塗られた鮮やかな新田橋(にったばし)。 大横川に架かる人道橋である。、、、、明治から昭和初期にかけ、木場5丁目で医院を開業していた医師:新田清三郎さんが、不慮の事故で亡くした夫人の霊を慰めるため、供養で架けた橋。、、、、、現在の橋は平成12年(2000)に架け替えられたものである。 当時の橋は深川富岡八幡の近くに保存されている。
 
1903180943080
 
1903180946500
 
1903180950080
 
 
 

 

●360度の芝生、広い! ・・・・・・・・・・・散歩の最後は、木場公園を横切り帰る! 
 
1903181010131_stitch
 

2019年2月16日 (土)

亀戸の梅屋敷

総武線亀戸駅から、亀戸水神、亀戸天神、亀戸香取神社、吾嬬神社、小村井香取神社と巡り、東武亀戸線小村井駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
●天神様の駅 ・・・・・・・今日は土曜日、通勤客も少なく、早朝に下車する人もまばらだ。、、、、明治37年(1904)3月29日1904、総武鉄道の駅として開業。 駅の歴史を語るようなものは、なにも見つけられないが古株の駅である。、、、いつも改札前で売っている「くず餅」の売店も、まで出てない。 帰りに、寄ってみよう!
 
1902160802530
 
1902160807190
 
1902160817580
 
 
 
●“お水”の神 ・・・・・・・まずは、東武亀戸線 の駅名となった亀戸水神へ参る。 JR亀戸駅から北東に700m程の処に鎮座する水神さまで、社号は「亀戸水神宮」。、、、、亀戸水神宮の創建は古く、室町幕府十二代将軍足利義晴の治世の頃(1521~1546)と推定されている。 土民が水害から免れん為の祈願として、大和国吉野の丹生川上神社から勧請したもので、祭神は弥都波能売神(ミズハノメノカミ)という水を司る女神。、、、、艶めかしい“お水”の神様ではない。 間違えないで! でも、キャバ嬢姿の女神がいたら神社に詣でる人も増えるかもね!
 
1902160835480
 
・・・・・・・・・・・・・神社に隣接して、城東署の「水神森地域安全センター」(旧交番)がある。 この建物は木造で、昭和初期に建てられたものかも?
 
1902160834280
 
 
 
●蘇った亀戸梅屋敷 ・・・・・・・・亀戸駅前の明治通りと、亀戸天神前の蔵前橋通りが交差する亀戸四丁目交差点角に、「亀戸梅屋敷」がある。、、、、浮世絵師・歌川広重が描いたこともある江戸時代の亀戸に実在した梅屋敷は現存しない。 平成の世に、当時の亀戸梅屋敷をモチーフにして、観光案内所や物産店、江戸切子ギャラリー、寄席等をミックスした観光施設「亀戸梅屋敷」が作られた。
 
1902160849270
 
・・・・・・・・・・・・・【補足】 江戸時代初期、亀戸天神の北東に大きな梅園があった。 ここには、「清香庵」と評する屋敷があり、一般に「梅屋敷」と呼ばれていたそうだ。 明治43年(1910)の洪水と工場の排煙などから梅の大部分が枯れてしまい、廃園となった。 その跡地に小さな梅屋敷伏見稲荷神社(亀戸3)が残っている。、、、、(今日の散歩では寄らなかったので、2016/1/4撮影の写真で代用)
 
3_20160104_026_2
 
 
 
●思ったほど、ウメの木はなかった! ・・・・・・・・・・・“ウメ”と云えば“天神さま”。 そこで、亀戸天神周辺の商店街は「梅まつり」のポスター、旗で集客中。 
 
1902160823520
 
・・・・・・・・・・・・・雅万歩も梅の香に誘われ、亀戸天神 へ、スタコラ・サッサ・ホイ・サッサとやってきた。 
 
1902160900510
 
・・・・・・・・・・・・・太鼓橋の上から境内を眺め、『アレ、なんか変だ? “天神様”なので“ウメ”の花が境内を埋めているはずだが?』 期待した程にウメの木はなく、境内は藤棚ばかりだ!、、、、何度も来ていた境内、ウメの木がこんなに少ないとは、今日初めて気がついた。、、、、ウメの木は境内に300本程あるそうだが、木には大小あり、まだ花をつけていない木もあり、境内の広さに比べ寂しいものだ!
 
1902160902180
 
・・・・・・・・・・・・・天神さまに手を合わせ、拝殿に置かれた大宰府の梅を観賞する。
 
1902160905220
 
1902160906590
 
・・・・・・・・・・・・・境内のウメを観て行こう!
 
1902160904060
 
1902160913370
 
1902160915110
 
 
 
●梅は咲いたが 桜はまだかいな ・・・・・・・・・・・次は、亀戸天神の東側に鎮座する亀戸香取神社 。 蔵前橋通りから入る参道は昭和レトロな看板建築でおもてなし。、、、、こちらは、“ウメ”の木はなく、“サクラ”がお勧め。 特に、参道には数種の八重桜が咲き乱れ、なかには黄緑色の花を咲かせる「鬱金」もある。、、、、4月になったら出直そう!
 
1902160855300
 
1902160923320
 
1902160925400
 
1902160928480
 
 
 
●可愛い狛犬 ・・・・・・・・・・・・香取神社から北へ、北十間川を越え墨田区に入ると、川に面し「吾嬬神社」(墨田区立花1)がある。
 
1902160941490
 
1902160944400
 
・・・・・・・・・・・・・吾嬬神社は、日本武尊東征の際に相模から上総へ渡ろうとして暴風に遭い、弟橘媛が身を海に投じて暴風を鎮めたことから、日本武尊は当時浮き洲であった当地に上陸できたものの、弟橘媛は行方知れずとなり、弟橘媛の御召物がこの地の磯辺に漂い着いたので、これを築山に納めて吾嬬大権現として崇めたのが始まりだそうだ。 後、弟橘媛を慕って正治2年(1200)宇穂積臣の末葉、鈴木・遠山・井出の三家が吾妻権現として社殿を造営した。 当地名立花は、この弟橘(立花)媛の言い伝えにより命名されたと言われている。、、、、拝殿は鉄筋コンクリート造、、、、、本殿前の小さな狛犬は安永2年(1773)の作。 この狛犬、小さくて持ち運びしやすく、かつ古く、古物商が狙いそうだ。 仏像の盗難が多い御時世、要注意! 
 
1902160946070
 
1902160948380
 
 
 
●ウメも好き 若い娘はもっと好き ・・・・・・・・「花王東京工場」の北側(墨田区文化2)に「小村井香取神社」がある。 小村井香取神社は、永萬元年(1165)の葛西御厨の文書などに鎮守村名が記載されていることから、平安時代末期に千葉県香取郡から移住・開拓した人々の氏神として創建したといわれている。 江戸時代には、東隣に作られた小村井梅園が盛況で、将軍家の御成りもあったといいますが、明治43年の大水で廃園となりました。、、、、ここも梅園の跡地であり、梅屋敷があった処だ。、、、、平成6年(1994)、往時を偲び、境内に120本のウメの木を植え「香梅園」と名付け開園した。、、、、今日は、その香梅園の梅まつりの開催日。 地元名士(?)が集まり、若い娘の親善大使も参加して、セレモニーの真最中。
 
1902160958250
 
1902161004540
 
1902161016590
 
1902161009590
 
・・・・・・・・・・・・・香梅園は小さな庭園。 ウメの木120本は本当か?
 
1902161000480
 
・・・・・・・・・・・・・神社の前で、な・なんと、「ミゼット」だ! 昭和32年(1957)~昭和47年(1972)まで、販売されていた小型三輪自動車。、、、、大村崑が演じる、懐かしいミゼットのコマーシャルを思い出した。 崑ちゃんが何度も繰り返す、「ミゼット」、「ミゼット」、、、、、
 
1902160957520
 
 
 
●下町の駅 ・・・・・・・小村井駅(おむらいえき)は、東武鉄道亀戸線の駅。 相対式ホーム2面2線の地上駅だが、駅舎は曳舟方面ホームの東あずま寄りにあるだけ、上下線ホーム間を連絡する地下通路が設置されている。 昭和3年(1928)4月15日開業。、、、亀戸駅に着いたら、“くず餅”買うの忘れないように!
 
1902161028201
 
1902161028520
 
1902161031021

2019年2月 2日 (土)

6車線の京葉道路

我が家(浅草橋)から、両国橋を渡り、錦糸町でJRA場外馬券売り場を覗き、亀戸駅まで、1万3千歩の散歩です。
 
 
 
●まずは隅田川を越える ・・・・・・・・中央区と墨田区を結ぶ両国橋を渡る。
 
・・・・・・・・・・・・・・京葉道路は浅草橋交差点から始まる。 
 
1902020747480
 
・・・・・・・・・・・・・両国橋は、明暦の大火(1657)の大惨事を教訓に万治2年(1659)に、隅田川に架けられた橋。、、、、現在の橋は、昭和7年(1932)に架けられた。 大きな球形がついた親柱は両国橋のシンボル。
 
1902020753130
 
1902020755081_stitch
 
1902020800200
 
・・・・・・・・・・・・・橋の東詰(墨田区両国)には、向島の俳諧師:宝井其角の弟子であった赤穂浪士の一人:大高源吾の句 「日の恩やたちまちくだく厚氷」の碑がある。 この句は討ち入りの夜、師匠宝井其角に両国橋で出会い詠んだものといわれている。、、、、道端で出会い、サッと句を詠むなんて、私にはできない。 カッコいいね!
 
1902020801300_2
 
・・・・・・・・・・・・・大高源吾の句碑の後ろには、大きな忠魂碑。 こちらは、明治37年・38年の戦役での戦病死者、すなわち日露戦争でご出征し、護国の為に身命を捧げられた英霊に、陸軍元帥大山巌筆による表忠碑。、、、、大きく、立派な碑だ。
 
1902020802030
 
 
 
●早く広げて!・・・・・・・・・両国橋を渡ると、ここから錦糸町の江東橋までは、京葉道路は4車線道路である。 現在、東京国道事務所では6車線に拡幅することが計画されている。 地元への説明会なども実施されているようだ。 高架として、混雑の緩和、安全の確保、緊急輸送道路の確保などが見込まれている。、、、、この都市計画が決定したのは、雅万歩の生まれる前の昭和21年(1946)3月だった。 70余年、経過した!
 
1902020810350
 
・・・・・・・・・・・・・京葉道路の歩道上(両国3)に、「本所松坂町址」の碑が建っている。 元来この辺りは、あの吉良邸があったところである。 関東大震災後の区画整理により町名が変更された。この碑は近世史上著名の地「松坂町」を偲んで、昭和7年に建立された。
 
1902020811500_2
 
・・・・・・・・・・・・・京葉道路の両側は建物も新しくなり、歴史を語るものは見あたらない。
 
1902020823080
 
1902020831261
 
1902020838250
 
 
 
●ここからは6車線!・・・・・・・・・・・・・ 江東橋は京葉道路(国道)に架かる橋で、この橋からは6車線となり幅(35m)も広く、橋の長さ(20.8m)に対し倍近くある。 明治31年(1898)創架で、現在の橋は平成8年(1996)に架け替えられた新しい橋だ。、、、、橋の下を流れる大横川は暗渠化され、現在はスカイツリーが眺められる大横川親水公園となっている。
 
1902020842380
 
1902020843510
 
1902020850080
 
1902020845200
 
・・・・・・・・・・・・・・6車線となった京葉道路。
 
1902020854040
 
・・・・・・・・・・・・・・江東橋の東詰に、明治34年(1901)創立の名門:都立両国高校がある。 作家:芥川龍之介の母校。、、、、両国高校の一画に、「国産マッチ発祥の地」と刻まれた 御影石の記念碑がある。 石川県金沢出身の 清水誠はフランス留学から帰国後、明治9年(1876)に, この地に「新燧社」を設立し、本格的にマッチの製造を始めた。 2年後には我が国始めての輸出が行われ、太平洋戦争前まで続いた。、、、、今は、マッチが使い捨てライターに変わり、チャッカマンに変わり、お目にかかることがまれとなった。
 
1902020858060
 
1902020854440
 
 
 
●IT化された! ・・・・・・・・錦糸町駅前のJRA。 チョックラ、朝の場外馬券売り場を覗いてみた。 競馬を止めて50年、馬券の買い方も変わり、面白そうだ! やってみたくなるね。
 
1902020906250
 
1902020909510
 
1902020909560
 
 
 
●工場が消えた! ・・・・・・・・・・・・錦糸町駅前から、亀戸へ向かう。、、、、この辺り、かつては鉄工場などが並ぶ工場地帯だった。 今や近代邸なビルとマンションが並び、世も変わった!
 
1902020921020
 
1902020924350
 
1902020939440
 
1902020944400
 
 
 
●時代ごとに変わる! ・・・・・・・・・・亀戸駅前を通り過ぎ、京葉道路の南側、昭和の時代には第二精工舎の工場があったところ。 平成になり、ショッピングセンター「サンストリート亀戸」に変わり。 次の時代は、25階建ての住居棟と6階建ての商業棟ができるそうだ。 (写真:左側の工事現場)
 
1902020959201_stitch_2
 
 
 
●今日のお帰りは? ・・・・・・・・・・・・亀戸駅の“勝手口”(正式には東口)から。
 
1902021003390
 
1902021011290

2018年12月14日 (金)

北風吹きぬく夢の島

連日の寒さ、散歩する気力も凍り、部屋に籠って珈琲飲んで、本を開いて昼寝して、夜はお目々パッチリ眠れずに、ウトウトした頃、暗い・寒い朝がやって来た。 『今日こそ、健康的に散歩するぞ!』と、飛び起き、朝食済ませて玄関出ると、『やっぱり寒い! どこへ行こうか?』 駅への道すがら、以前から行こうと思っていた、夢の島の第五福竜丸展示館へ行くことにした。 『あそこなら、屋内で暖かいし、久しく行ってないので、散歩にバッチシだ!』、、、、、、と、云うことで、新木場駅に向かった。
 
 
 
●神が見放した、寒い駅・・・・・・・・・昭和13年(1938から都民のゴミ処理を目的に、東京湾の埋め立てが始まった。 戦時中は埋め立ても中止されたが、戦後再開し昭和42年(1967)まで続いた。 昭和53年(1978)には夢の島公園が開園した。、、、、公園の南側に営団有楽町線の新木場駅が開業したのは昭和63年(1988)6月である。 同じ年の12月には京葉線の新木場駅も開業した。 平成2年(1990)には、京葉線の新木場~東京間が延伸開業し、京葉線の途中駅となる。 平成8年(1996)には東京臨海高速鉄道臨海副都心線(後のりんかい線)の新木場駅も開業する。 現在はJR・東京メトロ・東京臨海高速鉄道の駅である。、、、、、、駅は高架の4階建てで、1階は出入口と飲食店、2階は東京メトロ有楽町線のホームと東京臨海高速鉄道りんかい線のホームがある。 3階は各線の改札口が並ぶコンコース、4階は京葉線のホームである。 各鉄道とも、島式ホーム1面2線。
 
・・・・・・・・・・・・駅外観。
 
1812140843560
 
1812140836320
 
・・・・・・・・・・・・・・2階の各線の改札。 電車が到着すると、客がド~と出てくる、乗り換えるようだ。 3線の合計で一日の乗降客数は33万人以上になるらしい。
 
1812140827320
 
1812140831100
 
1812140832030
 
・・・・・・・・・・・・・・京葉線。 北風が顔に打ち付け、鼻水は出る、頬はこわばる、帽子は飛びそう、こんな日に来なければよかったと、後悔するが遅すぎた。
 
1812141002160
 
・・・・・・・・・・・・・・ガーン、なんたることだ!、、、、、駅構内の夢の島公園掲示板を見ると、「第五福竜丸展示館」は来年3月まで休館。 下調べもせず、思い付きで来たのが失敗だった。 ガッカリ、この寒さの中、神は我を見放した。 どうしよう?
 
1812140832550
 
 
 
●今日は厄日だ!・・・・・・・・・・・とりあえず、夢の島熱帯植物館にでも行くか。 北風をまともに受けながら、公園に向かうと、またもやガーン。 なんたることだ、公園は整備中でいたるところで掘り返していた。、、、、ガード・ウーマンに尋ねると、「植物館は開いていますが、工事の為チョイト遠回りして下さい」と言われた。 どうも今日は厄日のようだ、こうなりゃ、植物館もあきらめて、明治通りを亀戸方向へ歩くことにした。
 
1812140851000_2
 
1812140851580
 
1812140859450
 
・・・・・・・・・・・・・植物館のドーム屋根を眺めながら、明治通りを歩く。
 
1812140905120
 
・・・・・・・・・・・・・北風に海風を混ぜ、風力もチョイト強く吹き付けてくる。 昔は股引き、今はメンズタイツ、履いてくればよかった、後悔しながら夢の島大橋(昭和55年(1980)竣工)を渡る。
 
1812140906160
 
1812140906220
 
1812140911470
 
1812140909190
 
 
 
●「蟻の町」の教会・・・・・・・・・・・夢の島大橋を渡ると、JR京葉線潮見駅に近いこと、潮見には「カトリック潮見教会があることを思い出す。 寄ってみることにした。、、、、、「カトリック潮見教会」は昭和35年(1960)に創立し、聖堂は「蟻の町のマリア」を冠している。、、、、現聖堂は昭和61年(1986)に間組の手で竣工した。
 
1812140947500
 
1812140933030
 
1812140933260
 
・・・・・・・・・・・・・蟻の町の教会、、、、、、戦後、隅田川の言問橋の西詰に、廃品回収で生計を立てていた「蟻の会」という共同体があった。 ここに住む人は、職も、家もない人たちだった。 その町に、大学教授の娘で裕福な家庭に育った北原怜子(さとこ)が訪れるようになった。 怜子は見舞いに訪れるだけでは納得できず、自ら「バタ屋」となり町にすみ、蟻の町の子供たちの世話をした。 しかし、怜子はまもなく結核を患い、28歳の若さで息を引き取った。 隅田公園(台東区)にあった「蟻の町」は、昭和35年に江東区枝川に移り、そこに怜子の願いでもあった教会が建てられた。 その後、蟻の会の人々も徐々に離れ、会は解散した。、、、、、、カトリック潮見教会には、ロザリオを手にした怜子の像、枝川にあった当時の教会の十字架がある。 
 
1812140927510
 
1812140938260
 
 
 
●汁粉が欲しい!・・・・・・・・・・・・・・時間も早いが、寒い散歩を終わらして、潮見駅から帰る。 8千歩だった。 帰ったら、汁粉が食べたいね!
 
1812140952560
 
1812140956010

2018年12月 7日 (金)

戦後の名橋、葛西橋

埼玉県から流れ下る荒川は、東京湾に出る河口付近では、右岸(西側)が江東区で、左岸(東側)は江戸川区である。 この両区を結び葛西橋が架かっている。 今日の散歩は葛西橋を歩いて渡ってみようと、江戸川区側の「葛西橋東詰」バス停からスタートし、橋を渡り、江東区東砂・南砂・北砂の裏道を歩き「北砂5丁目」バス停まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
●アレ、誰も降りないの?・・・・・・・・・・・現在の葛西橋の東詰(江戸川区)めにバス停「葛西橋東詰」がある。 亀戸から朝の通勤客を乗せ、立ってる人もいるバスだが、この停留場で下車したのは私だけだった。 橋の際で、乗降する人の少ない停留場みたいだ、降りる時チョイト申し訳ない気がしたね!
 
1812070817430
 
1812070816390
 
 
 
●55年経った戦後の名橋・・・・・・・・・葛西橋(かさいばし)は、西岸の江東区東砂と東岸の江戸川区西葛西を結んで、荒川と中川に架かる。 橋上には、「葛西橋通り」(都道475号)を通す。、、、、橋の工事は昭和34年(1959)に着工し、約3年数ヵ月要し、昭和38年(1963)に完成した。 全長727.4m、幅員15.0m、最大支間長142.0mの鋼カンチレバー吊補剛桁橋である。 チョイト見、清洲橋のような吊り橋に見えるが桁橋である。 下部工は鹿島建設、上部工は横河橋梁・他が施工を担当。 総事業費約19億円也。、、、、、竣工時は荒川の最下流に架かる橋で交通量も多かったが、現在は600m程下流に清砂大橋、さらに2.0km下流には湾岸道路の荒川河口橋が架かり、混雑が緩和している。
 
1812070829220
 
1812070842590
 
1812070840570
 
1812070836340
 
・・・・・・・・・・・・・・・葛西橋は、並行して流れる荒川と中川を連続して越える。 その両川を隔てる堤防上には首都高速中央環状線が走っている。
 
1812070824250
 
1812070827591_stitch
 
・・・・・・・・・・・・・・・今朝は、うっすら靄(もや)がかかった曇り空。 橋上から眺める景色も、私の頭の中と同じで、ぼーっとしてスッキリしない。
 
1812070822240
 
1812070826050
 
1812070828130
 
・・・・・・・・・・・・・・・葛西橋は現在の橋が完成する以前には、約300mほど上流側に架けられていた、「旧葛西橋 」である。 清洲橋通りが荒川にぶつかる延長線上に旧葛西橋があった。 現在は旧橋の姿はなく、河川敷に案内板がある。
 
 
 
●東砂の相撲部屋・・・・・・・・・・・・江東区東砂に“ふんどし姿”の力士を発見。、、、、平成27年(2015)に北の湖部屋を引き継いで誕生した山響部屋の前だ。 平成29年(2017)に部屋は、現在の東砂に移転したそうだ。 稽古に励んで面白い相撲を見せて欲しいね、期待します。 (力士の名前が判らずゴメンなさい)
 
1812070851400
 
1812070852350
 
 
 
●富岡から富賀岡に、さらに富岡に!・・・・・・・・・・南砂7丁目に富賀岡八幡宮がある。、、、、横浜市金沢区富岡東に鎌倉時代の創建である富岡八幡宮がある。 これを勧請したのが南砂の元八幡と呼ばれる富賀岡八幡宮である。 さらにこれを勧請したのが、門前仲町駅の近くにある江戸最大の八幡様:富岡八幡宮だ。、、、、社殿は、幾多の水害、空襲などで大きな被害を受け、昭和36年(1961)に鉄筋コンクリート造で現社殿が再建された。
 
1812070912520
 
1812070914130
 
・・・・・・・・・・・・・・本殿の後ろに、富賀岡八幡宮の富士塚がある。 江戸時代末の天保4年(1833)までに、富士講のひとつ山吉講によって作られた富士塚。
 
1812070921080
 
・・・・・・・・・・・・・境内にある「砂村新左衛門顕彰碑」は、現在の南砂1丁目から7丁目までと東砂8丁目を含むほぼ全域の地を、湿原や洋上から、干拓と埋立てによって、万治2年(1659)、砂村新田に変えた福井県鯖江市出身の砂村新左衛門の遺徳を偲び、平成11年に建てられた。
 
1812070911380
 
 
 
●全長約3.7kmの都内最大の親水公園・・・・・・・・・・・南砂5丁目の仙台堀川公園 を抜けて行く。、、、、、樹々は秋色に染まっていた。 既に、葉のない木もある。 
 
1812070941550
 
1812070947410
 
1812070953370
 
 
 
 
●静かな裏道・・・・・・・・北砂6丁目の裏道に入る、生活の匂いはするが、人影はすくない。、、、、下町らしい、ざわつきが無く、チョイト期待ハズレの裏道。 
 
1812070956270
 
1812070957210
 
1812071005570
 
1812071006360
 
・・・・・・・・・・・・北砂6丁目を抜けると、「北砂5丁目」のバス停があった。 散歩はココまで。
 
1812071013410

2018年10月16日 (火)

閻魔大王ご縁日

毎月16日は全国的に閻魔さんのご縁日である。 今日は、浅草橋の我が家から深川のゑんま堂まで散歩することにした。 1万歩。、、、、、、ちなみに、お薬師さんは毎月8日、観音さまは毎月18日、お地蔵さんは毎月24日、弁天さまは己巳(つちのとみ)の日、お稲荷さんは午の日が、それぞれのご縁日である。 覚えておくと敬老会で役立つ知識。
 
 
 
●そろそろ出勤時間・・・・・・・・・・午前8時前、ボチボチ、駅から掃き出される人が増えてくる時間。 私も散歩に出る。
 
1810160740510
 
1810160744360
 
1810160748470
 
 
●真正面に見える・・・・・・・・・・東日本橋1丁目と2丁目、町境の道路からは、正面にスカイツリーが見える。、、、、、、スカイツリーの見え具合で今日の運勢を占う人もいるかも? 今日は、全体に薄ぼんやり見える、運勢は『先を読む目が曇り波乱の一日』。
 
1810160801400
 
 
●陶器造りの神社・・・・・・・・・・・・日本橋浜町3丁目、超高層ビルの下に浜町神社がある。 神社が鎮座する地は、安政年間に徳川幕府から島津家へ土地の引き渡しがあり、土地に祀られていた天明年間に創始と云われる稲荷を島津稲荷として崇敬してきたといいわれている。 関東大震災後、浜町神社を改称していたものの、戦災により焼失、昭和28年(1953)に浜町神社として改めて建立した。 平成12年(2000)、再開発により現社殿を建立。
 
1810160824380
 
・・・・・・・・・・・・・・・浜町神社境内には、埴安大神(はにやすのおおかみ)・加藤四郎左衛門景正命・加藤民吉命を祭神とする陶栄神社がある。 埴安大神は土の神で天照大神の兄弟神とされている。 加藤命と称する2柱は、瀬戸焼の歴史の重要人物で鎌倉前期の陶工景正が「陶祖」と呼ばれ、江戸時代の陶工民吉が瀬戸に磁器をもたらした功績から「磁祖」と呼ばれている。、、、、、この神社の社殿は、昭和44年(1969)愛知県常滑市の陶工により、住吉造りを模し、総釉彩陶器製でつくられている。 また、台座には平安時代以降の陶片が使用されている。、、、、、、注連縄と賽銭箱は陶器ではなかった! 
 
1810160828000
 
 
●化粧中につき顔は出せない!・・・・・・・・・昭和3年(1928)に完成した天下の名橋、重要文化財の清洲橋 も90年経過した、小じわが目立つのか、厚化粧が剥げたのか、只今、塗装工事中。 恥ずかしくて、顔も出せないらしい。
 
1810160837300
 
1810160843150
 
 
●エレキテルの地・・・・・・・・・・・平賀源内(1728~1780)は安永5年(1777)にエレキテル(摩擦起電器)を完成させ、自宅にて電気実験を行ない安永8年(1780)に51歳にて没した。 自宅のあった江東区清澄1丁目には平賀源内電気実験の地の碑が建っている。、、、、、、死因は感電死? 本当は酒に酔い喧嘩して投獄され、破傷風で死んだそうだ。(コレ、ホントらしい。) 今でも、同類の人はいるね!
 
1810160846260_2
 
 
●田中角栄と間違えないで!・・・・・・・・・・清澄1丁目のアサノコンクリート深川工場の一角に浅野総一郎の像がある。 この地は、明治8年(1875)、工部省が日本初のセメントを製造した工場があった場所で、明治16年(1883)に浅野総一郎が払い下げを受け、その後民間のセメント工場「浅野セメント」として発展した。  浅野セメントは、戦後日本セメントに改称し、平成10年(1998)には「秩父小野田セメント」と合併して、業界最大手の「太平洋セメント」となった。
 
1810160848140_2
 
・・・・・・・・・・・・・浅野総一郎の像の脇にあった、「明治23年 当時のセメント工場全景」。、、、、、、手前に隅田川が描かれている。
 
1810160848580
 
 
●国宝級のミドリ・・・・・・・・江東区佐賀町1丁目と福住1丁目を結ぶ小さな橋は、昭和4年(1929)に竣工した鋼鉄製トラス橋の緑橋。 大島川西支川に架かり、橋長は23m程、チョイト膨れたトラスのデザインは可愛いものだ。、、、、、関東大震災の復興橋で、歴史的にも貴重な橋なので、個人的には“国宝”(チョイト大袈裟)に指定する。
 
1810160909550
 
1810160906240
 
1810160911510
 
1810160905200
 
 
●福禄寿はいずこに!・・・・・・・・・・深川2丁目の浄土宗寺院の雙修山養源院心行寺は、元和2年(1616)八丁堀に創建し、寛永10年(1633)現在地に移転した。 現本堂は昭和43年(1968)に竣工した。、、、、、深川七福神の福禄寿が六角堂に安置されているが施錠され、姿は見えず、声も聞こえず、軟禁状態。 
 
1810160925380
 
1810160923230
 
 
閻魔大王のご縁日・・・・・・・・・・“深川ゑんま堂”は、真言宗豊山派の法乗院で賢台山賢法寺と号す。 法乗院は寛永6年(1629)深川富吉町に創建、寛永18年(1641)には現在地(深川2丁目)に移転した。 江戸三閻魔の一つらしいが、昔の閻魔堂は戦災で焼けた。 現在は平成元年(1989)に再建された“ハイテク閻魔様”で、賽銭を入れるとコンピューター制御で堂内には煌びやかに照明が灯り、スポットライトが回り、願い事に応じた説教が流れてくる見世物小屋並みの、高さ3.5mの大きな閻魔がある。、、、、、、、笑っちゃいけないが、笑いたくなる、これぞ“笑い地獄”か? 歴史を感じることができない寺だ!
 
1810160927281
 
1810160929390
 
・・・・・・・・・・・・・・本日は、ご縁日。 本堂1階では、天明4年(1784)に描かれた全16枚の『地獄・極楽図』が展示され、御仏の教えを説いてくれます。
 
1810160934160_2
 
1810160934460_2
 
 
●昭和の市営食堂・・・・・・・・・・・門前仲町1丁目に、震災後の昭和7年(1932)に建てられた旧東京市深川食堂の建物が残されている。 建物は角地に建つ鉄筋コンクリート造2階建て、明るい大きな窓で開放的で、モダンなデザインである。、、、、、震災復興事業の一つとして、低所得者のための市営食堂として利用された。昭和11年(1936)食堂は閉鎖され、終戦後は職業斡旋施設として利用され、昭和51年(1976)から江東区内職補導所となり、平成18年(2006)に閉鎖された。、、、、現在は国・登録有形文化財の指定を受け、『深川東京モダン館』と称し、江東区全域を対象とした観光案内スペースとして、また、新たな文化の発信スペースとして活用している。
 
1810160946440
 
 
●お帰りは門前仲町から・・・・・・・・・・
 
1810161000281

2018年10月 1日 (月)

人助けした新大橋

日本列島を縦断した猛烈な台風24号が過ぎ去り、朝から台風一過の青空。 『さて、散歩に行くぞ!』と声を張りあげたが、チョイと待て『熱中症に御注意!』とNHKのお天気お姉さんの声。 『青空の下に出ると、なるほど、久しぶりの30℃超えは、お目々クラクラ、お肌イタイタ、日差しが強い』。 暑さに鈍くなった身体に要注意、急に心配になり、散歩は夕方にしよう!、、、、、改めて午後3時過ぎに、夕飯までの間散歩に出た。 浅草橋の我が家から中央区浜町を抜け、「新大橋」を渡り江東区森下へ、墨田区両国を周り、両国橋を渡り我が家まで、1万歩の散歩をしました。、、、、、今日の話は新大橋です。
 
 
 
●古くなった新大橋・・・・・・・・・・まず現在の新大橋は、隅田川に架かり、橋上には新大橋通り(都道50号)をとおす2径間連続斜張橋。 西岸は中央区日本橋浜町、東岸は江東区新大橋。 橋長は 170.0m、幅員は 24.0m、竣工 昭和52年(1977)3月27日。 橋の中間に黄色の塔が2本、空に向かって伸び、塔から両岸方向に出た、2本のケーブルが桁を支えている。シンプルな構造の斜張橋である。、、、、、竣工してから既に41年になる、“新”大橋ではなく、“古”大橋であるが、古さを感じさせない橋。
 
1810011556080
 
1810011559500
 
1810011612160_2
 
1810011617340
 
 
●チョイト、助平心で下からパチリ・・・・・・・・・・普段見ることが少ない橋底。 スカートの中を見る気分に似ているのかな? 両岸には耐震装置も付いている。
 
1810011558260_2
 
1810011601050
 
 
●夕日に照らされ・・・・・・・・そろそろ、夜の顔に変わる時刻? 
 
1810011639290
 
1810011635060
 
1810011621130
 
 
●現新大橋は何代目?・・・・・・・・・・元禄6年(1694)12月7日、隅田川に3番目の橋として「新大橋」が架けられた。 「大橋」とよばれた両国橋に続く橋として「新大橋」と命名された。、、、、、その後、新大橋は幾度も、流失、崩壊し、その都度架け替えられ、回数は20回以上になったそうだ。 最後の木橋は、明治18年(1885)に架けられた。、、、、、明治45年(1912)7月19日にはピントラス式の鉄橋として現在位置に架けられた。 この橋は、戦後まで使用され、現在の橋に変わることになった。 旧新大橋は、現在、愛知県の明治村に移築保存されている。
 
・・・・・・・・・・・・・西岸の説明板に載っていた旧新大橋の写真。
 
1810011606080
 
・・・・・・・・・・・・・・東岸には旧新大橋の橋柱が保存されている。
 
1810011626390_2
 
・・・・・・・・・・・・・・関東大震災の折には、旧新大橋は他の橋がことごとく焼け落ちる中で唯一被災せずに残り、避難道として、多くの命を救った。、、、、、それからは、「人助け橋(お助け橋)」と称されている。 震災後、このとき助けられた人により、「震災避難記念碑」が西岸に建てられた。
 
1810011606470_2

2018年7月 7日 (土)

浅草橋~新小岩

7月に入り、暑い日、雨の日が続き、あいだの散歩日和の日は病院に御招待され、なかなか散歩できる日がなかった。 朝5時、ベッドの中で『今日は散歩できそうだ、歩くぞ! お通じを良くするぞ!』。 できるだけ長い距離を歩きたく、京葉道路をひたすら歩くことにした。
 
 
 
am7:55・・・・・・・土曜日のせいか、通勤する人は少なく、学生だけがパラパラ歩く浅草橋。、、、、、連日の雨によるのか(?) 神田川の水位も上昇している。
 
180707075104038
 
180707075612040
 
 
am8:00・・・・・・・「浅草橋交差点 」は、靖国通り(都道302号)の終点であり、京葉道路(国道14号)の起点(公式には浅草橋交差点から300m程東の両国橋が起点)である。
 
180707075749041
 
 
am8:00・・・・・・・両国橋 の西詰(中央区側)には、かつて江戸で最大の盛り場だった「両国広小路」の碑がある。 もともとは、明暦の大火(1657年)後、両国橋が架けられ、橋の両詰に「火除け地」として、広小路が整備された。 その後、西詰の広小路は、いつしか、見世物小屋、茶店などがひしめきあう、江戸一番の繁華街となった。 上野、浅草とともに江戸三大広小路の一つ。、、、、、新宿歌舞伎町のような繁華街として現在まで残っていれば、我が家から近く、私の人生感もチョットは変わっていたかも?
 
180707080002044
 
180707080117047
 
 
am8:10・・・・・・・両国「回向院」前を通過。
 
180707080858055
 
 
am8:10・・・・・・・回向院前から150m程東に向かうと、「横綱横丁」と称す横丁がある。 この横丁の入口の東側が、作家:芥川龍之介の生育の地であったそうだ。 芥川は明治25年(1892)、東京市京橋区入船町の牛乳搾取販売業耕牧舎を営む新原敏三・ふくの長男として生まれ、辰年辰の日辰の刻の生まれにより龍之介と命名されたと言われてる。 生後7ヶ月で生母ふくの病のため、当時本所区小泉町(ここが生育の地)に住んでいたふくの長兄、芥川道章に引き取られ、後13歳の時、芥川家の養子となったそうだ。、、、、、浅草橋の路地裏に雅万歩の誕生・生育の地の碑が建つのも夢ではないかも(?)
 
180707081218059
 
180707081155058
 
 
am8:35・・・・・・・江戸時代庶民の信仰と行楽を兼ねた成田山新勝寺の参詣は、2・3泊の手頃な旅行コースとして人気があったそうだ。 江戸市中からの参詣コースとしては、現:水戸街道の葛飾区新宿から東に向かい小岩、市川、八幡へと進む道と、日本橋小網町から水路で隅田川を下り行徳から陸路を八幡へ向かう道の2ルートがあった。 明治時代になると、浅草橋から両国橋を渡り小岩、市川を経由して向かう道を千葉街道と称するようになり、これが現在の京葉道路となったそうだ。 この京葉道路にかかる旧江東橋は東関東の水運の大動脈として、江戸時代以降、東京の市民生活を支えてきた運河の一つ「大横川」に大正15年(1926)に架けられた。 現在の江東橋は平成7年(1995)に架け替えられたものである。 現:江東橋の西詰に、旧江東橋の親柱が残されている。、、、、、江東橋付近の大横川は暗渠化され川筋は親水公園に変わった。
 
180707083418066
 
180707083513068
 
 
am8:45・・・・・・・錦糸町駅前を通過。、、、、、駅前のバス停横に「伊藤佐千夫牧舎兼住居跡」の案内と歌碑が建っている。 ここ錦糸町駅前に、明治22年(1889)から明治45年(1912)まで、明治の歌人:伊藤佐千夫の経営する牧舎と住居があったそうだ。、、、、現存していれば、新鮮な牛乳が飲める駅前のミルクスタンドとして繁昌したかも(?)
 
180707084504078
 
180707084307073
 
 
am8:50・・・・・・・錦糸町駅の東350m程の処に、京葉道路に面し都営江東橋4丁目アパートがある。 昭和52年(1977)に完成した総戸数220戸の都営住宅。 施工は飛島建設。、、、、、この都営住宅の1階は都営バスの車庫となっている。 完成当時は斬新な構造の車庫で、内部にはターンテーブルも供えられているそうだ。、、、、、ここがバスの車庫となる以前は都電の車庫であった。 昭和47年(1972)の都電廃止で、都営住宅と都バスの車庫に生まれ変わった。
 
180707084859082
 
 
am8:55・・・・・・・錦糸町と亀戸の間に流れる運河:横十間川に架かる橋が松代橋である。 現在の橋は昭和44年(1969)に架けられた1径間鋼製桁の橋である。 以前は、昭和5年(1930)に完成した鋼製桁の震災復興橋が架けられていた。 上流側にはJR横十間川橋梁が架かる。、、、、、橋名は西岸にあった旧町名に由来するらしい。
 
180707085204085
 
180707085325091
 
 
am9:00・・・・・・・JR東日本の総武本線貨物支線である越中島支線の下を抜け、亀戸駅の南を通過する。
 
1807070901150101
 
1807070904260106
 
 
am9:15・・・・・・・亀戸駅を過ぎ、亀戸6丁目に入ると、、、、、、私の親友が経営する不動産屋の前に来た。 チラリ、店先を覗くと親友御夫妻の姿が見える、まだお客が来ていないようだ。 チョイト寄って行こう!、、、、気持ちは短時間で失礼するつもりで寄ったが、『友有り、遠方より歩いて来たる。 亦た久しぶりや。』 お茶もいただき、私のバカ話は止まらず、小一時間話し込んでしまった。 お仕事の邪魔をしてしまい、失礼しました。
 
1807070914380111
 
 
am10:00・・・・・・・散歩を続ける。 向かうは東へ!
 
1807071002040113
 
1807071009550116
 
 
am10:15・・・・・・・中川新橋を渡り旧中川を越える。 江東区亀戸と江戸川区平井を結ぶ橋。
 
180707101526001
 
180707101612002
 
 
am10:25・・・・・・・江戸川区小松川の再開発地区に建ち並ぶマンション群を見ながら歩く。
 
180707102220003
 
 
am10:30・・・・・・・荒川に架かる小松川大橋 を渡る。 この橋は下り線と上り線が方向別に架橋されている。 上流側(下り)が小松川橋、下流側(上り)が新小松川橋です。 下りの小松川橋が昭和44年(1969)に開通し、上りの新小松川橋は昭和47年(1972)に開通した。 全長500m程の橋である。、、、、、橋上は風が強く、帽子を押さえながら渡って来た。、、、、、荒川は川幅イッパイに流れ、河川敷も水の下である。 上流ではだいぶ降ったようだ。
 
180707102754006
 
180707103300012
 
 
am10:40・・・・・・・小松川大橋を渡り、江戸川区松島の小松川署前を通過する。、、、、、ここまで、浅草橋交差点から7kmである。(日本橋からは9km)
 
180707104035015
 
 
●・・・・・・・・・・・・・・・京葉道路の散歩は小松川署の先で終了とした。 これより裏道を歩き新小岩駅に出て帰宅する。
 
180707104924019
 
 
 
●・・・・・・・・・・・・・・・今日は1万6千歩の散歩でした。

2018年6月27日 (水)

扇橋閘門

隅田川と旧中川を結ぶ運河:小名木川の中程に扇橋閘門がある。 今朝、ベッドの中で地図を見ていたら、閘門に行ってみたくなった。 JR総武線錦糸町駅から南に歩き、扇橋閘門へ行ってガッカリし、西へ歩き都営大江戸線清澄白河駅まで、直線距離で3km程の工程を、1万1千歩を要して歩いた。(ひょっとすると、私は脚が短いのかも?)
 
 
 
①錦糸町駅・・・・・・・・・・・明治27年(1894)12月9日に、私鉄:総武鉄道の本所駅として開業。、、、、一日に30万以上が乗降する、JR、東京メトロが乗り入れるターミナル駅。 ちなみに、私が住む二駅隣の浅草橋駅の乗降客は17万人程。 負けた!
 
180627075619002
 
180627080104014
 
180627080316015
 
・・・・・・・・・・・・・錦糸町駅ホームから撮った錦糸町交差点。 右の高い建物はJRAの馬券売り場、左手前の改装工事中のビルは「東京楽天地」
 
180627075517001
 
 
②江東観世音・・・・・・・・・・錦糸町駅前の丸井の裏(南側)に、天台宗の五徳山江東寺がある。昭和15年(1940)に水澤観世音(伊香保町)の別院として創建された。 本尊は千手観世音であるが、境内には清昌稲荷、出世弁財天、水洗観音、地蔵尊、馬頭観音、戦災慰霊碑などいろいろ取り揃え祀られている。、、、、、馬券買う前に馬頭観音に手を合わせて行くと、御利益あるかも?
 
180627081710031
 
・・・・・・・・・・・・・・江東寺の向かいに、チョイト古い建物「ニュー錦糸町ビル」がある。 1・2階は店舗、3階から上は住宅となっている。 昭和43年(1968)に建てられたそうだ。
 
180627081626028
 
 
③日先神社・・・・・・・・・・新大橋通りを横断し江東区猿江1丁目に、江戸名所図会にも描かれ江戸屈指の規模をもつ摩利支天だった日先神社(ひのさきじんじゃ)がある。 今や、見るも悲しき、小さな神社となってしまった。 摩利支天とは仏教の神様であり、太陽の前に先立ち進むと言われ、明治­以降に日先神社と改称したようだ。
 
180627084555048
 
 
④猿江神社・・・・・・・・・・日先神社から100m程南に行くと猿江2丁目に猿江神社がある。 正確な創立年代は不明であるが、康平年中(1058、平安時代中期)頃には近在の信仰を一身に集めた稲荷社であったらしい。、、、、、鉄筋コンクリート造の社殿は昭和6年(1931)に建立され、鉄筋コンクリ―ト造の寺社としては国内最古である。 また、玉垣のある石造燈籠も昭和6年(1931)に造られた。、、、、、猿江神社の社殿も国の文化財に登録してあげたいね。 参考に、国登録有形文化財である鉄筋コンクリート造の神田明神 の社は、昭和9年(1934)に造営された。
 
180627090030066
 
180627085611059
 
180627085737061
 
180627085300056_2
 
 
⑤扇橋閘門・・・・・・・・・・いよいよ、本日の目的地:扇橋閘門(こうもん)に来た。 閘門とは水位の異なる河川や運河、水路などで船を上下させるための装置である。 閘門の特徴は、固定された閘室(前後を仕切った空間)内の水位を変えることで、船舶の航行を可能にするための施設。 誰もが知る、有名な閘門はパナマ運河である。、、、、、小名木川の扇橋閘門のある江東区は、東側が地盤が低く西側が高い地形になっており、昭和46年(1971)策定の江東内部河川整備計画にて、東側を常に一定に保つ水位低下区域としてまた西側の感湖部を耐震区域として整備することになった。 この閘門は、両区域の接点にあたる小名木川の中間に造られている。 30億円の事業費と5年以上の歳月を費やして昭和52年(1977)に完成した。
 
・・・・・・・・・・・・・ありゃりゃ、閘門は工事中。 来年の春までダメだ! 残念・無念。、、、、、4年前の閘門は、コチラ
 
180627092449095
 
180627092631099
 
180627092356093
 
1806270930230112
 
 
⑥閘門の隣りに架かる2橋・・・・・・・・・・・・扇橋閘門を挟む小松橋(旧中川側)と新扇橋(隅田川側)。
 
・・・・・・・・・・・・・まずは、小松橋、、、、、、昭和4年(1929)3月に着工し、昭和5年(1930)1月に完成した震災復興橋。 工期10カ月とは超突貫工事?
 
180627090635074
 
180627090227069
 
・・・・・・・・・・・・・新扇橋、、、、、、旧橋は昭和4年(1929)に架けられたトラス橋であった。 昭和48年(1973)に、ランガー桁の現橋に架け替えられた。
 
1806270929080110
 
1806270928400107
 
 
⑦清澄白河駅・・・・・・・・・扇橋閘門から、清洲橋通り、霊巌寺 に立ち寄り、大江戸線清澄白河駅から帰宅。、、、、、、、清澄白河駅は、都営地下鉄大江戸線と東京メトロ半蔵門線の駅である。 平成12年(2000)12月12日、“12”並びの日、大江戸線全線開通と同時に開業した駅。 島式ホーム2面3線を有する地下駅で、中央の線は折り返し用で、両側にホームがある。 当駅から木場公園の地下に造られた木場車両検修場への引き込み線が存在するため、当駅発着の列車も多い。
 
1806271008560126_2
 
1806271013320130
 
1806271014130132

2018年6月25日 (月)

東武亀戸線

今日の東京は30℃を超える暑さ、まだ熱中症で死にたくない。 チョイト身体が慣れるまで炎天下の散歩はひかえよう、自重・自重! でも、15時過ぎになると、そろそろ歩いてくるかと家を出た。 何度も歩いている散歩コースの一つ、東武亀戸線の線路沿いに、曳舟から亀戸まで歩いてきた。 1万歩の散歩です。、、、、東武亀戸線、過去の散歩→→→2年前の散歩 3年前の散歩
 
 
 
①曳舟駅・・・・・・・・・亀戸線は明治37年(1904)4月5日に、亀戸~曳舟間の3.4kmが開業した。 曳舟駅は、その2年前明治35年(1902)に現:伊勢崎線の駅として開業している。、、、、、亀戸線の起点駅である。
 
・・・・・・・・・・・・亀戸線は2両編成でワンマン運転。 曳舟駅では運転手さんも前から後ろへ移動。
 
180625152844014
 
180625152915019
 
・・・・・・・・・・・・・・曳舟駅の改良工事は進み、明るくなったコンコース、東口には駅ビルが建ち昨年、ベッド数200床の「東京曳舟病院」が開院した。
 
180625153612031
 
180625153857036
 
 
②曳舟駅~小村井駅・・・・・・・・・・・線路の北側は、木造住宅が密集し防火上危険な、いわゆる“木密地区”である墨田区京島。
 
・・・・・・・・・・・・・高架の曳舟駅から地上へ下り、京島地区へ入る亀戸線。
 
180625153939037_1
 
180625154701043_2
 
180625154914048
 
・・・・・・・・・・・・・・昭和30年代の塗装を再現したリバイバルカラー:緑の2両編成も走る亀戸線。
 
180625155651066
 
180625160207076
 
・・・・・・・・・・・・・・木造住宅の並ぶ路地裏を線路沿いに歩く。
 
180625155828072
 
1806251625220123
 
・・・・・・・・・・・・・そろそろ木造の密集地区“墨田区京町”から外れ、ここは“墨田区文花”。
 
1806251626430128
 
1806251628120134
 
 
③小村井駅・・・・・・・・・・・曳舟から1.4kmの小村井(おむらい)駅。 駅前には明治通りが通る。
 
1806251634590149
 
1806251633460139
 
1806251632050137
 
1806251635280152
 
 
④東あずま駅・・・・・・・・・・小村井駅から600mで東あずま駅。 構内踏切がある駅。
 
1806251645240170
 
1806251644040165
 
1806251645520173
 
 
⑤東あずま駅~亀戸水神駅・・・・・・・・東あずま駅と次の亀戸水神駅の間は約700m。 この間で、隅田川と旧中川を結ぶ運河である北十間川と交差する。 
 
1806251653150179
 
・・・・・・・・・・・・・・亀戸に近づいてくると、マンション、ビルの間を走る亀戸線。
 
1806251656050189
 
 
⑥亀戸水神駅・・・・・・・・・・かの有名な亀戸天神、チョイト有名な亀戸香取神社の、どちらとも異なるマイナーな亀戸水神宮に近い駅。 
 
1806251659340194
 
1806251659560195
 
 
⑦亀戸水神駅~亀戸駅・・・・・・・・・・この駅間も700m程と短い距離である。、、、、、、亀戸水神駅から100m程亀戸駅に寄ったあたりに、旧亀戸水神駅の跡が残っている。 線路脇にコンクリートの基礎のようなものが等間隔に並んでいる。 ここが、空襲で被災するまで使われていた亀戸水神駅である。
 
1806251704150205
 
・・・・・・・・・・・・・・JR総武線が見えたら亀戸駅はスグソコ!
 
1806251708070211
 
 
⑧亀戸駅・・・・・・・・・・・・・総武線の盛土下に亀戸線のホームが見える。
 
1806251708480216
 
・・・・・・・・・・・・・改札の先に到着した亀戸線が見える。、、、、、『亀戸、亀戸、終点です』
 
1806251714130217
 
1806251714410220
 
1806251718340223

より以前の記事一覧

フォト
2019年5月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

お知らせ