江東区

2017年10月17日 (火)

亀戸銭座

午後になって、何日ぶりかで雨が上がった。 3時過ぎから、錦糸町駅から亀戸駅まで、総武線の北側を歩いて“ミニ散歩”。
 
 
 
①錦糸町・・・・・・・・・・錦糸町駅南口は昭和36年(1961)に建てられた民衆駅ビルで、地上7階/地下1階の建物であるが、数度のリニューアル工事で古さを感じさせない駅ビルである。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・・南口からガードをくぐり、駅の北側:錦糸公園に向かう。、、、、、錦糸公園は関東大震災前の陸軍糧秣厰倉庫跡で、震災時にはここに約1万人の遺体が仮埋葬されたそうだ。 震災後、復興公園として整備された。、、、、、震災で亡くなった人を思うと、公園の中を歩くにも、チョイトいいかげんな歩きができないね!
 
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・・・・・・・・・・・・・・錦糸公園の東側:横十間川に架かる錦糸橋 。 橋を渡ると江東区亀戸の町である。
 
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②亀戸銭座・・・・・・・・・・・・錦糸橋を渡ると、横十間川沿いの左側にUR亀戸2丁目団地が見える。 この団地の敷地は、江戸時代、寛文8年(1668)から安永2年(1773)の間の約100年間、当時の通貨である寛永通宝が作られていた銭座の跡である。 銭座はその後、明治40年(1907)に日清紡績株式会社の本社工場の敷地となり続いたが、戦時中の空襲で焼け野原となった。 戦後は運動場として利用され、昭和42年(1967)に旧日本住宅公団の団地が建設された。 この時、団地の一角に野球場が造られ、地下には東京都水道局亀戸給水所の配水池も作られた。、、、、、団地建設の際は敷地内から、寛永通宝が多数発見されたそうだ。
 
・・・・・・・・・・・・・水道局亀戸給水所の正面ゲート前にある「亀戸銭座」の碑。、、、、、この付近に生息していたのが銭亀である。 甲羅には寛永通宝の模様があったとか。 本当のような、ウソの話である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・水道局亀戸給水所の正面ゲートの右隣には、 黒褐色の「日清紡績創業の地」 の碑がある。、、、、、現在の日清紡は綿紡績から、エレクトロニックス、ブレーキ、精密機器に事業をシフトし、グループ全体で23,000名以上の従業員を抱える大企業グループである。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・・亀戸銭座と日清紡績創業の地の碑がある、東京都水道局亀戸給水所は江東区亀戸2丁目にある。、、、、、空から見るとUR亀戸二丁目団地の中央に江東区営亀戸野球場が見える。 この球場の下に半地下式の配水池が造られている。  この給水所は、地域への配水を担うとともに、震災時には給水拠点となるため、配水池は縦横約 104m、高さ約 7m、貯水量 60,000m3のRC構造物である。 (施工はフジタ)、、、、、野球場は、近隣住民が騒音に悩まされないよう配慮し、ナイター使用はできないとのこと。
 
・・・・・・・・・・・・・・・団地から見た給水所。 右側のグランドの下が配水池、左手前の屋根上にカマボコが3個並んでいるのが給水所の建屋
 
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・・・・・・・・・・・・・・・給水所建屋
 
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・・・・・・・・・・・・・・配水池。 (配水池そのものは、グランドの下で見えない。 想像して!)
 
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・・・・・・・・・・・・・・・亀戸給水所を囲むように、UR亀戸二丁目団地が建っている。 昭和43年(1968)完成、鉄筋コンクリート造11階建て、総戸数806戸。
 
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③都営亀戸第二アパート・・・・・・・・・・UR亀戸二丁目団地の東側にチョコンと建つ、江東区では古い都営アパート。 昭和36年(1961)建設、全18戸。、、、、、ボロボロ!
 
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④亀戸天神・・・・・・・・・・時刻は5時過ぎ、誰もいない天神様に手を合わせて帰ることにする。
 
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亀戸駅 ・・・・・・・・・・・暗くなった亀戸駅前の裏道を歩き駅へ。
 
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2017年9月22日 (金)

浅草橋~平井

今朝のNHK天気予報で、東京の天気は、午前中は曇り、正午からは小雨、夜は雨と受け止めた。 午前中は天気ももちそうなので、我が家から総武線沿いに歩いてみることにした。 浅草橋の我が家から平井駅まで、1万4千歩の散歩です。
 
 
①浅草橋を発つ・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・高架ホーム下の店舗、駅前の飲食店、どこも、まだ閉まっている。、、、、、高級ブランドの店、三つ星レストランなんてない。 あるのはビーズ屋さん、安売り雑貨屋さん、超B級飲食店ばかり。
 
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・・・・・・・・・・・・・・朝8時、そろそろ駅から職場に向かう人も出てきた。
 
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②両国橋を渡る・・・・・・・・・・“雨降る天気”は嘘のような“爽やかな晴れ”。 
 
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③両国駅付近を通過・・・・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・今日は回向院 には立ち寄らず素通り。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・・両国駅の南側、京葉道路に面した両国3丁目22番は芥川龍之介が18歳まで育った処。 芥川は回向院の隣にあった小学校に通ったそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・江戸東京博物館前から北斎通りに入る。
 
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北斎通りを行く ・・・・・・・・・・・・江戸東京博物館前から錦糸公園の先の錦糸橋(横十間川)までの通りを言う。 江戸東京博物館前から横川までは、かつての本所南割下水(ほんじょみなみわりげすい)と呼ばれた、道路の真ん中を掘り割った下水路であった。 割下水は昭和初期に暗渠化され、平成の世になり歩道などが整備され、平成6年(1994)から「北斎通り」と称した。
 
・・・・・・・・・・・・・・・すみだ北斎美術館(墨田区亀沢2)の敷地は、江戸時代に弘前藩津軽家の大名屋敷あった。 この近くには葛飾北斎が住んでいた、つまり北斎の地元にできた美術館である。、、、、、、妹島和世建築設計事務所の設計、大林組+東武谷内田建設の施工による、RC造地上4階/地下1階建ての美術館。、、、、、大変残念なことだが、私はまだ入館したことが無いので、コメントなし。
 
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・・・・・・・・・・・・・・こちらも亀沢にある、日本相撲協会が直営の相撲神社で、「野見宿禰神社(のみのすくねじんじゃ)」。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・「北斎通り」、名前は粋で、江戸趣味を感じさせるが、通りには古い建物は残っておらず、またシャレた店舗が並んでいるわけでもない。 鋼管、パイプなどを扱う会社が多く、恋人同士の散歩にはチョイと不向きである。
 
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・・・・・・・・・・・・・・北斎通りは錦糸町駅手前で大横川親水公園と交差する。 東京スカイツリーの足下から、南に江東区木場方面に流れる大横川。 その一部を暗渠化し、整備されて親水公園となっている。
 
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・・・・・・・・・・・・・錦糸町駅の北側を再開発した「アルカタワーズ」。 3棟の超高層オフィスビルと、ホテル、シンフォニーホール、商業施設ビル、高層住宅などで構成されている。 前を貫く道路は北斎通り。、、、、、、サラリーマン時代、私のデスクも一時期このビルの中にあった。 今は懐かしいビル。
 
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・・・・・・・・・・・・・・津軽稲荷神社は、津軽藩下屋敷の屋敷神として祀られていた稲荷神を、明治43年(1910)に払い下げられ、錦糸町1丁目町会の守護神とした。
 
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・・・・・・・・・・・・・・錦糸町駅北口前をしたすら東に向かう。
 
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・・・・・・・・・・・・・・ 錦糸公園の奥に建つ「Olinas」の超高層ビル。 ここは、時計の旧精工舎の工場跡地である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・錦糸公園の東側に残る、旧病院建築。 現在は、昭和19年(1944)に病院跡に移転した阪上製作所の社屋となっている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・北斎通りは両国の江戸東京博物館前より東に真直ぐ伸びて、ここ横十間川に架かる錦糸橋までである。 これより江東区亀戸の町となる。
 
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⑤亀戸駅前を行く・・・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・亀戸駅前を通り抜け、我が足は東へ向かう。
 
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・・・・・・・・・・・・・・東武亀戸線 をチョイト見て、ついでに写真も撮って、先を急ぐ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・丸八通りを横切って、亀戸中央公園を抜けると、旧中川に出る。
 
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⑥旧中川を越えれば平井駅・・・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・旧中川は江東新橋 で越える。 超えると、そこは江戸川区平井の町。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・蔵前橋通りから、チョイとそれると平井駅 に出る。 駅前に着くと、ちょうど、ポッリと落ちてきたが、まだ傘は必要なさそうだ、帰ることにした。
 
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2017年8月13日 (日)

清澄庭園

午後から、夫婦で江東区の「芭蕉記念館」、「清澄庭園」の付近を散歩してきた。
 
 
 
・・・・・・・・・・・・・都営新宿線森下駅から歩き始める。 今日は深川神明宮 の例大祭であるが、今年は“陰祭り”。、、、、、、盆休み期間中で、帰省したかつぎ手もいるのか、盛り上がりもチョイトかけるようだ。 神社も人影まばらで、寂しいね。
 
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・・・・・・・・・・・・・隅田川沿いに出て、「芭蕉記念館」に行ってみた。 芭蕉記念館は、芭蕉の資料を公開している博物館。 芭蕉が延宝8年(1680)から、深川の草庵に移り、生活を送っていたことにちなみ、この地に記念館が建てられた。、、、、、俳句を詠んだこともない夫婦が、芭蕉の弟子についていくら説明してもらってもチンプンカンプン。 判ったことは、弟子が多く、おつきあいが大変だったでしょう!
 
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・・・・・・・・・・・・・・芭蕉稲荷神社(常盤1-3)は、大正6年(1917)の台風による津波来襲の後、芭蕉が愛好したといわれる石造の蛙が発見され、地元の尽力で芭蕉稲荷が創建された。
 
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・・・・・・・・・・・・・隅田川と小名木川に隣接する小さな庭園は「芭蕉庵史跡展望庭園」。 隅田川を眺める芭蕉像がある。、、、、、、像の容姿は吾輩のイメージとは異なり、若作りだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・萬年橋を渡り清澄公園を歩く。 清澄公園は清澄庭園の隣にある公園。 どこにでもあるボール遊び、ピクニックなどができる解放公園である。 もとは清澄庭園と一体であった。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・清澄公園の隣は、有料の清澄庭園である。 かつては、清澄公園+清澄庭園=深川親睦園 であった。 深川親睦園は明治11年(1878)、岩崎弥太郎が、荒廃していたこの邸地を買い取り、三菱の社員の慰安や貴賓を招待する場所として庭園造成を計画し、明治13年(1880)に竣工した施設である。 弥太郎の亡きあとも造園工事は進められ、隅田川の水を引いた大泉水を造り、周囲には全国から取り寄せた名石を配して、明治の庭園を代表する「回遊式林泉庭園」が完成しました。、、、、、手入れも良く、綺麗で静かな公園は若い人のデートコースに最適。 ただし、森蔭が少なく、キッスは無理、無理、かたつむり! 
 
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・・・・・・・・・・・・・・この後は、霊巌寺などを見て深川から帰宅。

2017年7月23日 (日)

深川

江戸六地蔵巡りも、いよいよ最後、今日の散歩は第五番の霊巌寺である。 都営新宿線の森下駅で下車し門前仲町まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
①森下駅・・・・・・・・・・・都営新宿線の島式ホーム1面2線を有する地下駅。 昭和53年(1978)12月21日に都営新宿線の駅として開業し、平成12年(2000)12月12日に大江戸線が開業し乗換駅となる。、、、、、今日は日曜日、通勤客も少なく、駅は閑散としていた。
 
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②深川神明宮・・・・・・・・・慶長年間(1596~1615)、摂津の人・深川八郎右衛門が一族を引き連れて当地を開拓するにあたり、屋敷内に小祠を設けて伊勢神宮の御分霊を奉斎したことに始まる。慶長元年江戸に入った徳川家康がこの地を訪れ、八郎右衛門に地名を尋ねたところ、未だ人も少なく“地名はない”と答えたので、八郎右衛門の姓をとって「深川」とするよう命じたという。 これが「深川」の始まり。、、、、、、その後、江戸の繁栄に伴って深川も発展し、神明宮は深川の総鎮守として崇敬を集めた。、、、、、現在は、寿老神を祀り、正月の七福神巡りで参拝客を増やしている。 ガッポリ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・大正・昭和の日本画家:伊東深水は、明治31年(1898)2月4日、ここ深川神明宮の門前で生まれたそうだ。 小学一年生まで深川で過ごし、二年生の時深川を離れた。 深水の雅号は深川の水にちなんでいる。 昭和47年5月8日没。、、、、ちなみに、深水の娘:朝丘雪路は昭和10年(1935)7月23日に東京市京橋区築地で生まれた。
 
 
 
③新小名木川水門・・・・・・・・・・・・小名木川は徳川家康が造った人工の運河で中川(今の旧中川)と隅田川を結んでいる。、、、、、、最も隅田川寄り(清澄2・常盤1)には萬年橋が架かっている。 その東隣りに新小名木川水門がある。、、、、、、これまで、鋼製単葉ローラーゲート形式、高さ11mのゲートが3連の水門(昭和36年(1961)に完成)であったが、耐震化工事で、1ゲートを撤去し、2連のゲートに改修される。
 
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・・・・・・・・・・・・・・完成予想図
 
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④清洲寮・・・・・・・・・・・江東区白河に建つ、“寮”とは言っても、民間のアパート。 大林組の設計・施工で、昭和8年(1933)に竣工した、鉄筋コンクリート造4階建ての建物。 総戸数66戸、長さ70m程の建物は大きい!、、、、、、最近、改装したようだが、むき出しの水道管、木製の引き戸、玄関床のカラータイル・壁のスクラッチタイルなど、昭和レトロの匂いがプンプン。 現在もアパートとして人気のある建物で、昭和のハイカラを求め空室待ちの人もいるようだ。
 
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⑤霊巌寺・・・・・・・・・清洲寮とは背中合わせの霊巌寺は、寛永元年(1624)、霊巌島(現:中央区新川)にて創建したが、明暦3年(1657)の大火で被災し、万治元年(1658)に現在地(江東区白河1)に移転した。
 
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・・・・・・・・・・・・・・江戸六地蔵の第五番が、ここ霊巌寺にある。、、、、、水戸街道を見守る像の高さは、2.73m。 深川の地蔵坊正元が発願し、享保2年(1717)に造立された。 製作者は神田鍋町の鋳物師太田駿河守正儀。、、、、、ここの像は低い位置に置かれ、顔立ち、姿も細部までよく見ることができる。 風雨にさらされ、チョイと傷みが見られる。 早い治療が必要かも?
 
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・・・・・・・・・・・・・・八代将軍徳川吉宗の孫にあたる松平定信(1758~1829)は、天明7年(1787)に老中となり、寛政の改革を行った。 その定信の墓所も、ここ霊巌寺にある。、、、、、突然ですがここで問題、松平定信が命名した超有名な菓子屋の名が現在も残っている、その菓子屋の名は?、、、、、答えは、全国に展開した「風月堂」である。 江戸時代、風月堂の本家となる、江戸・京橋鈴木町の「大坂屋」は定信に重用され、松平家の御用菓子商に指定され屋号も「凮月堂清白」(“風”の字は、“几”中が“百”)の5文字を頂戴した。 現在は、本家筋が上野凮月堂、暖簾分けされたのは神戸凮月堂、東京(銀座)凮月堂、長野凮月堂、甲府凮月堂などなど。 ちなみに、私も好きな銘菓「ゴーフル」は全国の凮月堂で売られている。
 
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⑥永代寺・・・・・・・・・・霊巌寺から南へ約1.2km、深川不動尊の参道脇に永代寺がある。 永代寺は寛永元年(1624)に、永代島に創建された。 江戸時代には富岡八幡宮の別当寺で、江戸六地蔵の第六番として栄えたが、明治元年(1868)の神仏分離により廃寺となった。 享保5年(1720)に造立した六地蔵はこの時取り壊された。 現在の永代寺は、明治29年(1996)に旧永代寺の塔頭の吉祥院が名称を引き継ぎ、再興したものである。
 
・・・・・・・・・・・・・現在の永代寺は、お不動様の参道に面した一画にある。本堂の上に塔がのる珍しい寺だ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・境内の隅に、取り壊された六地蔵に代わる地蔵様として、子育地蔵+取持地蔵の二体ペアにて仕込み中である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・今日はついでに、旧永代寺の寺域を歩いてみた。 旧永代寺は広く(約2万2千坪)、まず富岡八幡宮は永代寺が別当寺であった。 境内では骨董市が開かれていた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・旧永代寺が廃寺となった後、その一画に、明治11年(1878)に成田不動の分霊が引っ越してきたのが現在の深川不動尊である。、、、、旧永代寺には11の塔頭があり、その一つ吉祥院が現在の永代寺である。、、、、、地蔵さんは、どうやら不動さんに母屋を取られたようだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・富岡八幡宮と深川不動尊、永代寺などの周辺に、深川公園が点在する。 この公園も旧永代寺の跡地である。、、、、、公園の中に立つ「富岡八幡宮別当永代寺跡」の碑。、、、、、燈明塔も旧永代寺跡に立っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・ここでまた問題です。、、、、「門前仲町」の“門前”とは?、、、、もう、お判りですね、豆助!  そう、門前は永代寺の門前のことだったのです。 
 
 
 
●・・・・・・・・・・・・・これにて、江戸六地蔵を全て巡ったことにする。 門前仲町から都バスで浅草橋へ帰ることにした。、、、、「東京都シルバーパス」を持っていると、都内の主要バス、都営地下鉄は、年2万円ほどで乗り放題。 ありがたいね!

2017年6月18日 (日)

四ツ目通り

JR総武線錦糸町駅から、四ツ目通り沿いに南下し地下鉄東陽町駅をとおり過ぎ、江東区塩浜にある地下鉄東西線の車両基地まで、1万2千歩の散歩です。
 
・・・・・・・・・・・・四ツ目通りとは、、、、、江東区東陽3丁目を起点として、江東区を北上し地下鉄住吉駅、JR錦糸町駅をとおり、墨田区京島1丁目まで、総延長約5.5kmの都道である。 名の由来は、、、、、昔、堅川の北岸、現在の両国2~4丁目辺り(旧:相生町)に囲碁の名家:本因坊家があった。 その相生町の1、2丁目のブロックを碁盤の目に因んで一ツ目と呼び、3~5丁目を二ツ目と呼んだ。 その一ツ目の入口にかかる竪川の橋を一之橋と称し、二ツ目の入口にかかる橋を二之橋と称した。 その後三之橋、四之橋、五之橋が架けられた。 それぞれの橋上をとおる通りは、橋の名と同じ数字の“一ツ目通り”から順に“五ツ目通り”までの名が付けられた。 しかし現在、一ツ目通りは一ノ橋通り、二ツ目通りは清澄通り、三ツ目通りと四ツ目通りは今もその名を引き継ぎ、五ツ目通りは明治通りとなる。
 
 
 
①錦糸町駅・・・・・・・・・・明治27年(1894)12月9日、総武鉄道の本所駅として開業し、明治40年(1907)に国有化される。 大正4年(1915)に錦糸町駅に改称する。 歴史ある駅だ、南口の駅ビル「テルミナ」は昭和36年(1961)に竣工した。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・築50年経過した駅ビル「テルミナ」、、、、、、、駅前のバス停辺りは、明治43年(1910)頃まで歌人:伊藤佐千夫の住居兼牧舎があったそうだ。 錦糸町で酪農ができた時代があったなって、夢のような話。
 
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・・・・・・・・・・・・・錦糸町駅前交差点から見る四ツ目通り。
 
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②田螺稲荷神社・・・・・・・・・四ツ目通りから80m程西に入った処(江東橋3)、ビルの谷間に祀られている田螺(たにし)稲荷神社。 かつては田中稲荷と呼ばれていたらしいが、江戸時代、周辺に大きな火災があり、周りの家が次々と燃えていく中、神社の池から田螺が続々と這い出してお稲荷さんの壁に張り付き、神社を守ったらしい。 以来、「火防せ」の神様「田螺神社」として信仰を集めるようになったそうだ。、、、、、今では、周りは飲み屋とラブホテルが並ぶ夜の街。 火災にはより注意が必要。
 
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③四之橋・・・・・・・・・・四ツ目通りの名の謂れとなった堅川に架かる四之橋。 堅川は埋め立てられ、頭上には首都高が走り、四之橋は車専用となり、歩行者は両端から橋の下に下り、橋桁を金網越しに見上げて横断する車優先の構造となった。、、、、、
四之橋が初めて架けられたのは、万治2年(1659)である。  現橋は昭和46年(1971)に竣工した、3径間鋼製桁で、橋長は35m。
 
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④住吉駅・・・・・・・・・・・四ツ目通りが新大橋通りと交差する位置に都営新宿線と東京メトロ半蔵門線の住吉駅がある。 昭和53年(1978)12月21日に都営地下鉄新宿線の駅が開業し、25年後の平成15年(2003)3月19日に営団地下鉄の半蔵門線の駅が開業した。、、、、、私は、この駅で乗降した記憶がなく。 未知の駅である。
 
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⑤日先神社・・・・・・・・・・四ツ目通りからチョイと西へ入ると猿江1丁目に、江戸名所図会にも描かれた江戸屈指の規模をもつ摩利支天だった日先神社(ひのさきじんじゃ)がある。 今や、見るも悲しき、小さな神社となってしまった。、、、、、宮司自ら、富岡八幡宮に出向き、商売繁盛を祈願してくるといいかもね!
 
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⑥猿江神社・・・・・・・・・・猿江2丁目にある神社。 正確な創立年代は不明であるが、康平年中(1058、平安時代中期)頃には近在の信仰を一身に集めた稲荷社であったらしい。、、、、、鉄筋コンクリート造の社殿は昭和6年(1931)に建立され、鉄筋コンクリ―ト造の寺社としては国内最古である。 また、玉垣のある石造燈籠も昭和6年(1931)に造られた。、、、、、社殿は国の文化財に登録してあげたいね。
 
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小名木川の2橋・・・・・・・・・・・・・猿江神社の南を流れる小名木川。 ここに小松橋、小名木川橋が架かっている。
 
・・・・・・・・・・・・・小松橋、、、、、、江東区猿江1と扇橋2を結び、区道を通す。 小松橋の形式は曲弦ワーレントラス橋で、昭和5年(1930)に工事費160,137円で架けられた。 今の時代なら安いのだが、関東大震災後の工事費としては高いのか?安いのか?判らん!
 
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・・・・・・・・・・・・・・小名木川橋、、、、、、、こちらは、四ツ目通りをとおし江東区猿江2と扇橋3を結ぶ橋。 昭和4年(1929)に工事費 363.902円にてゲルバー鈑桁で旧橋は架けられた。 その後、昭和63年(1988)に、3径間連続鋼床版鈑桁のげ現橋に架け替えられた。
 
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⑧豊住橋・・・・・・・・・・・四ツ目通り、江東区千石2丁目と東陽6・7丁目を結ぶ 仙台堀川に架かる橋。 橋の下は親水公園のように改良されている。、、、、、、橋を渡ると東陽町駅も近い。
 
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⑨江東区役所・・・・・・・・・・・本庁舎は昭和48年(1973)に建設され、平成25年(2013)には耐震補強工事も完了した。、、、、、、江東区は耐震対策も重要だが、荒川・隅田川の堤防決壊すると、1階は完全に水没するそうだ。 全区民を対象にした浸水対策も実施しなければならず、チョイと気が抜けないね。
 
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⑩東陽町駅・・・・・・・・・・・昭和42年(1967)9月14日に営団地下鉄東西線の終着駅として開業。
 
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・・・・・・・・・・・・・ここ東陽町駅前交差点が四ツ目通りの起点である。、、、、錦糸町から南下してきた道はさらに南へ続く。
 
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⑪四ツ目通りの先は?・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・道幅は少々狭くなり、東陽橋で汐浜運河をこえ、江東区塩浜地区へ向かう。 
 
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・・・・・・・・・・・・・運河をこえると、道は東西線の車両基地に突き当たる。
 
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2017年5月14日 (日)

押上~亀戸

押上駅から、東武亀戸線の東側(京島地区、丸八通り)を歩き亀戸駅まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
とうきょうスカイツリー駅留置線 ・・・・・・・・東武スカイツリーライン(伊勢崎線)の本線南側にはかつて東武鉄道の広大な貨物駅があった。 貨物駅は平成5年(1993)まで営業を続けていたが、その跡地は総事業費650億円を投じて整備され東京スカイツリータウンと変わった。 本線北側には5本の留置線が地上に残っている。、、、、東武鉄道は「とうきょうスカイツリー駅」(旧業平橋駅)をチョイト曳舟駅側に寄せて、本線と留置線を丸ごと高架(全長約1.0km)とし、南側の賑わいを本線の北側にもひろげる予定である。 本年(2017年)着工し、2023年までに完成させる予定らしい。、、、、、工事の進捗を見に来たが、まだ着手していないようだ。 日を改めて出直しだ!
 
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京島 ・・・・・・・・・・・来るたびに変わる京島地区。 今日も古い家が壊され、更地に変わっていた。 
 
・・・・・・・・・・・・・・東武亀戸線の踏切を渡り京島に入る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・緊急車両が通れない細い道は、まだまだ多く残っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・所々、古い建物は壊され、「不燃化促進用地」(区の要請により、UR都市機構が地区内の土地を売却希望者から買い受け、周辺の不燃化建替えに活用、道路・防災スポット等の整備の代替地としての活用など、不燃化の促進を目的とする。)の立札が立っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・こちらの玄関にはバラが咲き、あちらの玄関には洗濯物が下がり、京島を印象づける。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・木造の長屋もまだまだ健在!
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・・・・・・・・・・・・・・只今、朝8時45分。 あの、元気なキラキラ橘商店街も、まだ開店準備中。
 
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・・・・・・・・・・・・・・京島と押上の町境を通過する東武亀戸線
 
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・・・・・・・・・・・・・・京島の隣町「文花3丁目」にて、、、、、古そうな建物も残っている、、、、、
 
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③東あずま駅・・・・・・・・・昭和3年(1928)4月15日、平井街道駅として開業し、昭和20年(1945)に駅は廃止となる。 昭和31年(1956)5月20日、東あずま駅として再開業する。、、、、ところで、駅付近はかつて吾嬬町(あづまちょう)であった。 駅名としては、本来「東あづま」となるはずなのに「東あずま」となった。 理由は不明、東武鉄道の誰かのミスだろう。 直さないのも頑固でいいね!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・東武亀戸線 を走る、オレンジの車体にイエローの帯を巻いた、昭和30年代のリバイバルカラーに塗装された8000系車両
 
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2017年5月 4日 (木)

リベンジ---藤まつり

4月16日の早すぎた藤まつり にはガッカリ。 今日はリベンジで、夫婦で亀戸天神まで散歩してきた。 なんと、こんどは遅すぎたようだ、まだ花は8割程残っていたが、一部の藤棚は緑の葉だけが残り、淋しそう。、、、、、それでもGWということで人出は多く、くず餅屋さんも大行列。
 
 
 
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長く垂れさがる高貴な紫色の花は、平安時代の王朝貴族に愛された、、、、 
、、、、、、、、、 ゆく春のかたみとやさく藤の花 そをだに後の色のゆかりに  (藤原定家)
 
 
「佐渡の盆踊り歌」に出てくる藤は、、、、、、
、、、、、、、、、 馬鹿にさんすな 枯木じゃとても 藤が巻きつきゃ 花が咲く
 
 
そこで私は、、、、、、
、、、、、、、、、 赤い椿に やきもち焼いて 老いた枯れ木に 絡む藤

2017年4月16日 (日)

藤まつり

今日の散歩は夫婦で、亀戸天神の「藤まつり」に行ってきた。
 
 
 
●・・・・・・・・・・・・見事に色づいた藤が、人目を引きつけるポスター。 4月15日から5月7日まで、天神さまの「藤まつり」。、、、、、滝のように垂れ下がる紫の花を期待し亀戸の町を歩く。
 
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●・・・・・・・・・・・・・商店街も、旗を出して歓迎。、、、、、ますます期待に胸が膨らみ、帰りのくず餅休憩も期待して腹が鳴る。
 
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●・・・・・・・・・・・・鳥居も見え着いた。、、、、、『人出は、チョイと少ないね。 ゆっくり観賞できそうだ! 綺麗な写真撮るぞ!』
 
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●・・・・・・・・・・・・ありゃこりゃ・どうした、藤棚に花がない! 『天神に騙された、金返せ!』と絶叫したくなる。 
 
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●・・・・・・・・・・・・どの枝にも、花はない、全てつぼみだ! 開花まであと一週間以上はかかると思う。、、、、花が垂れ下がるより、見事に期待を裏切られ、鼻水が垂れ下がる気分。
 
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●・・・・・・・・・・・『他責にするでなく 己の未熟さ故 綺麗なポスターに騙された 自分を責め』(怒りを抑え、男はカッコよく!) ここは、天神さまに賽銭118円を授けてきた。
 
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●・・・・・・・・・・・・期待外れの「藤まつり」、せめて賽銭分は楽しもう! お囃子、猿回しでチョイト挽回。
 
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●・・・・・・・・・・・一昨年の藤まつり。、、、、、古い写真見て我慢する。
 
 
●・・・・・・・・・・・“藤”がダメなら、“萩”で勝負!、、、、、天神裏、天台宗の龍眼寺は、応永2年(1396)に創建された。 境内の萩は江戸時代から著名で、萩寺と称されている。、、、、今はまだ“桜”が残っている。 こちらは、私たち夫婦を期待以上の花で迎えてくれた。
 
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●・・・・・・・・・・・・二人の散歩は、押上に出てスカイツリー・タウンに寄って帰る。
 
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2017年3月17日 (金)

亀戸~南砂町

総武本線亀戸駅から、ほぼ南に向かい地下鉄東西線南砂町駅まで、1万2千歩の散歩です。
 
 
①亀戸駅東口・・・・・・・・・・・亀戸駅の表玄関となる改札は北口である。 駅ビルでのショッピング、東武亀戸線への乗り換え、亀戸天神への参拝、“くず餅”の購入、何でもかんでも北口が便利。 ただし、会社帰りのチョイト一杯は東口が安くて便利。
 
・・・・・・・・・・・・東口は、ホームの千葉寄りから線路下の地下道を通り、京葉道路とはビル一つ隔てた裏道に出る、“裏口”である。 東口の頭上には越中島貨物線の高架橋が架かる。 改札の前は駐輪場! 
 
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②亀戸緑道公園/大島緑道公園・・・・・・・・・・・・都電29系統:葛西橋~錦糸堀~須田町と38系統:錦糸堀~境川~日本橋が運行していた、京葉道路水神森交差点から明治通り大島一丁目までは専用軌道であった。 昭和47年(1972)11月都電が廃止され、この専用軌道跡が昭和50年(1975)に亀戸緑道公園と大島緑道公園として整備された。
 
・・・・・・・・・・・・・・京葉道路水神森交差点では、かつての第二精工舎跡に建てられたショッピングモール「サンストリート亀戸」(平成9年オープン)が平成28年(2016)に閉鎖し、60階建てのタワーマンションの建設が始まった。、、、、その脇から亀戸緑道公園が始まる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・途中に竪川の運河跡があり、頭上には首都高7号小松川線が走る。 ここまでが亀戸緑道公園で、これより南側が大島緑道公園となる。、、、、、橋のあった北詰には、レールと車輪がモニュメントとして置かれている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・竪川に架かっていた「竪川人道橋」の写真。 (平成25年(2013)現地、工事現場にあった説明板にて)、、、、昭和30年頃の人道橋を渡る都電、平成23年撤去前の人道橋。
 
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・・・・・・・・・・・・・・大島緑道公園は、大島3丁目を縦断し、新大橋通りを横断し、大島四丁目団地の西側で明治通りにぶつかる。
 
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③大島四丁目団地・・・・・・・・・・・名のごとく江東区大島4丁目の旧住宅公団の団地。 地上8階~14階建ての建物が7棟、総戸数2,514戸の団地である。、、、、、私が社会人となった昭和44年(1969)3月から11月にかけ竣工した。 と、言うことは、築後48年が経過した。 間取りは2DK、2LDKが中心であるが狭そうだ! もうそろそろ建て替えの時期かな?
 
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・・・・・・・・・・・・・・団地内の緊急用電源。 遊園地の機関車ではありません!
 
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・・・・・・・・・・・・・・団地内の理髪店。 店名の「丹頂」を見て、『丹頂ヘアトニック』を思い出した!、、、、『丹頂ヘアトニック』は、戦後、金鶴香水(株)が発売した商品で、昭和38年に資生堂が「MG5」を発売するまではシェアはトップてあった。 シェア争いに負けた丹頂(株)(金鶴が社名変更した)は、「マンダム」シリーズを発売しヒットする。 社名も丹頂(株)からマンダム(株)に変更した。、、、、柳屋のポマードと共に、忘れた懐かしい名前だ。
 
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④進開橋・・・・・・・・・・進開橋(しんかいばし)は、小名木川に架かり、江東区大島1と北砂3を結ぶ。 橋上には明治通り(都道306号線)が走る。、、、、、形式はゲルバー鈑桁で、昭和42年(1967)11月に完成した。、、、、、川岸も整備され、景観になじむ橋である。
 
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⑤稲荷通り・・・・・・・・・・砂町銀座の北側200m程の位置(北砂3)に並行する商店街が「稲荷通り商交会」。 商店街の横綱「砂町銀座」には負けるが、序二段ぐらいの力はありそうだ。 まだ10時前でオープンしていない店も多い。
 
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・・・・・・・・・・・・・・商店街の東端に、名の由来となった「治兵衛稲荷」がある。、、、、、治兵衛稲荷神社は、当地一帯の治兵衛新田を開拓した治兵衛が村の鎮守として山城国伏見稲荷大社の分霊を慶安年間(1648-1652)勧請、創建したことに始まる。
 
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⑥砂町銀座・・・・・・・・・・・・北砂3丁目と4丁目の境にある、下町の元気な商店街。 あまりにも有名。、、、、砂町銀座の成立は、戦前、30軒位の普通の商店街として始まった。 戦争中は商店も強制疎開し、戦後焼け野原の場所へ戻り、昭和25年~30年にかけ飛躍的に店舗が増えて昭和38年頃にはほぼ現在の形(長さ700m弱、店舗数約180店)になったそうだ。、、、、こちらも、時刻は10時前、オープンしていない店が多く。 お買い物は午後からがいいかもね!
 
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南砂町駅 ・・・・・・・・・・昭和44年(1969)3月29日、東西線全線開業時に開業した、島式ホーム1面2線を有する地下駅。
 
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2017年2月24日 (金)

中央大橋・相生橋

隅田川の最上流から数えて35番目の橋は中央大橋。 上流の永代橋と中央大橋の間で、隅田川は隅田川派川(はせん、=分流)と分岐する。 その派川には相生橋が架かる。、、、、、今日の散歩は、都営浅草線宝町駅から、八丁堀、中央大橋、相生橋と歩き、東西線門前仲町駅まで、1万2千歩です。
 
 
 
①江戸湊の碑・・・・・・・・・中央区新川2丁目(旧:霊岸島)の隅田川岸に建てられた江戸港発祥跡の碑。、、、、、、慶長年間江戸幕府がこの地に江戸湊を築港し、水運の中心地とした。昭和11年(1936)まで、伊豆七島など諸国への航路の出発点であった。、、、、、当時、東京から伊豆七島へ行くには、ここからボロ船に乗って1泊、2泊の船旅であったと想像すると、船酔いに弱い私には、もうダメだ! 死を覚悟して、ナムアミダブツの旅である。
 
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②霊岸島水位観測所・・・・・・・・江戸湊の碑の前、隅田川に立つ三角に組まれたパイプと斜方12面体と呼ばれる立方体のオブジェ。 これぞ霊岸島水位観測所(無人)。、、、、、日本の標高は東京湾の平均海面を基準に測られる。その基準となる平均海面を測定していた場所が霊岸島水位観測所。 明治6年(1873)から観測を開始しているが、近年、この場所は埋め立てにより、隅田川の奥になり、観測には不向きとなった。 現在は油壺験潮所にその役割が移った。 、、、、、、ちなみに、現在の日本の水準原点は国会議事堂前にある。
 
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③中央大橋・・・・・・・・・・中央区新川(霊岸島)と中央区佃(佃島)を結び、平成5年(1993)3月に完成した。 橋長215mの鋼斜張ハープ橋。 佃の超高層マンション群を背景にした現代的なデザインだ!、、、、、橋桁製作は、かつて地元であった石川島播磨重工業。
 
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・・・・・・・・・・・・・上流(写真左側)から右奥に流れ下る隅田川。 中央の。佃島の背後に流れて行くのは派川。
 
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④大川端リバーシティ21・・・・・・・・・佃島は、佃神社周辺の旧来からの部分を除く、大半は明治以降石川島造船所に払い下げられ、昭和54年(1979)の操業停止まで造船所の敷地であった。、、、、、その後、造船所の跡地は、「大川端リバーシティ21」として、住宅市街地総合整備事業により、住宅・都市整備公団(現・都市再生機構)、東京都住宅局、東京都住宅供給公社、三井不動産によって超高層住宅を中心とした再開発が進められた。、、、、、各事業者は、個々の高さやデザインを少しずつ変えながらも全体として統一された外観で開発を進め、隅田川と調和した景観となった。、、、、、、ちなみに、一番高いマンションは、高さ180m(地上54階/地下3階)の「センチュリータワー」で、786戸が入居している。、、、、、高所恐怖症の私が54階に住むのは、死を覚悟し、怖さで眠れず、不眠症になるようなものだ。 最後は、寝ぼけて54階から墜落か?
 
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⑤相生橋・・・・・・・・・・・・右岸の中央区佃と左岸の江東区越中島を結ぶ橋。、、、、明治36年(1903)、築地・深川地区と佃を結ぶため、川の中程にあった中之島を利用し、2本の橋で架橋された。 この時、佃寄りの長い橋を「相生大橋」、越中島寄りの短い橋を「相生小橋」と命名した。 「相生」の名は、「相生の松」になぞらえた。、、、、関東大震災後は、大正15年(1926)に鉄鋼ゲルバー橋が再架橋された。、、、、昭和55年(1980)には小橋(越中島側)が埋め立てられ、中之島は地続きとなった。 さらに、平成10年(1998)には、老朽化した相生橋を、現在の橋に架け替えた。、、、現在の橋は、3径間鋼トラス桁橋で、橋長は149.1m、幅員は22.0m、昭和63年(1988)に着工し平成10年(1998)12月に開通した。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・相生橋を渡り、江東区越中島に入ると、橋の際に東京海洋大学がある。 50歳以上の人には東京商船大学 と言った方が判りやすいね。 今日は正門前を通過。
 
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⑥黒船稲荷神社・・・・・・・・・・・江東区牡丹にある黒船稲荷神社は、応徳3年(1087)浅草黒船町に創建、享保17年(1733)に現在地へ遷座した。、、、、、ここは、江戸戯作界の第一人者、四世鶴屋南北の住居跡である。 住んでいた痕跡は皆無、案内板があるだけ、できたら表札ぐらい残しておいて欲しいね。
 
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