江東区

2017年5月14日 (日)

押上~亀戸

押上駅から、東武亀戸線の東側(京島地区、丸八通り)を歩き亀戸駅まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
とうきょうスカイツリー駅留置線 ・・・・・・・・東武スカイツリーライン(伊勢崎線)の本線南側にはかつて東武鉄道の広大な貨物駅があった。 貨物駅は平成5年(1993)まで営業を続けていたが、その跡地は総事業費650億円を投じて整備され東京スカイツリータウンと変わった。 本線北側には5本の留置線が地上に残っている。、、、、東武鉄道は「とうきょうスカイツリー駅」(旧業平橋駅)をチョイト曳舟駅側に寄せて、本線と留置線を丸ごと高架(全長約1.0km)とし、南側の賑わいを本線の北側にもひろげる予定である。 本年(2017年)着工し、2023年までに完成させる予定らしい。、、、、、工事の進捗を見に来たが、まだ着手していないようだ。 日を改めて出直しだ!
 
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京島 ・・・・・・・・・・・来るたびに変わる京島地区。 今日も古い家が壊され、更地に変わっていた。 
 
・・・・・・・・・・・・・・東武亀戸線の踏切を渡り京島に入る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・緊急車両が通れない細い道は、まだまだ多く残っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・所々、古い建物は壊され、「不燃化促進用地」(区の要請により、UR都市機構が地区内の土地を売却希望者から買い受け、周辺の不燃化建替えに活用、道路・防災スポット等の整備の代替地としての活用など、不燃化の促進を目的とする。)の立札が立っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・こちらの玄関にはバラが咲き、あちらの玄関には洗濯物が下がり、京島を印象づける。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・木造の長屋もまだまだ健在!
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・・・・・・・・・・・・・・只今、朝8時45分。 あの、元気なキラキラ橘商店街も、まだ開店準備中。
 
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・・・・・・・・・・・・・・京島と押上の町境を通過する東武亀戸線
 
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・・・・・・・・・・・・・・京島の隣町「文花3丁目」にて、、、、、古そうな建物も残っている、、、、、
 
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③東あずま駅・・・・・・・・・昭和3年(1928)4月15日、平井街道駅として開業し、昭和20年(1945)に駅は廃止となる。 昭和31年(1956)5月20日、東あずま駅として再開業する。、、、、ところで、駅付近はかつて吾嬬町(あづまちょう)であった。 駅名としては、本来「東あづま」となるはずなのに「東あずま」となった。 理由は不明、東武鉄道の誰かのミスだろう。 直さないのも頑固でいいね!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・東武亀戸線 を走る、オレンジの車体にイエローの帯を巻いた、昭和30年代のリバイバルカラーに塗装された8000系車両
 
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2017年5月 4日 (木)

リベンジ---藤まつり

4月16日の早すぎた藤まつり にはガッカリ。 今日はリベンジで、夫婦で亀戸天神まで散歩してきた。 なんと、こんどは遅すぎたようだ、まだ花は8割程残っていたが、一部の藤棚は緑の葉だけが残り、淋しそう。、、、、、それでもGWということで人出は多く、くず餅屋さんも大行列。
 
 
 
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長く垂れさがる高貴な紫色の花は、平安時代の王朝貴族に愛された、、、、 
、、、、、、、、、 ゆく春のかたみとやさく藤の花 そをだに後の色のゆかりに  (藤原定家)
 
 
「佐渡の盆踊り歌」に出てくる藤は、、、、、、
、、、、、、、、、 馬鹿にさんすな 枯木じゃとても 藤が巻きつきゃ 花が咲く
 
 
そこで私は、、、、、、
、、、、、、、、、 赤い椿に やきもち焼いて 老いた枯れ木に 絡む藤

2017年4月16日 (日)

藤まつり

今日の散歩は夫婦で、亀戸天神の「藤まつり」に行ってきた。
 
 
 
●・・・・・・・・・・・・見事に色づいた藤が、人目を引きつけるポスター。 4月15日から5月7日まで、天神さまの「藤まつり」。、、、、、滝のように垂れ下がる紫の花を期待し亀戸の町を歩く。
 
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●・・・・・・・・・・・・・商店街も、旗を出して歓迎。、、、、、ますます期待に胸が膨らみ、帰りのくず餅休憩も期待して腹が鳴る。
 
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●・・・・・・・・・・・・鳥居も見え着いた。、、、、、『人出は、チョイと少ないね。 ゆっくり観賞できそうだ! 綺麗な写真撮るぞ!』
 
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●・・・・・・・・・・・・ありゃこりゃ・どうした、藤棚に花がない! 『天神に騙された、金返せ!』と絶叫したくなる。 
 
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●・・・・・・・・・・・・どの枝にも、花はない、全てつぼみだ! 開花まであと一週間以上はかかると思う。、、、、花が垂れ下がるより、見事に期待を裏切られ、鼻水が垂れ下がる気分。
 
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●・・・・・・・・・・・『他責にするでなく 己の未熟さ故 綺麗なポスターに騙された 自分を責め』(怒りを抑え、男はカッコよく!) ここは、天神さまに賽銭118円を授けてきた。
 
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●・・・・・・・・・・・・期待外れの「藤まつり」、せめて賽銭分は楽しもう! お囃子、猿回しでチョイト挽回。
 
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●・・・・・・・・・・・一昨年の藤まつり。、、、、、古い写真見て我慢する。
 
 
●・・・・・・・・・・・“藤”がダメなら、“萩”で勝負!、、、、、天神裏、天台宗の龍眼寺は、応永2年(1396)に創建された。 境内の萩は江戸時代から著名で、萩寺と称されている。、、、、今はまだ“桜”が残っている。 こちらは、私たち夫婦を期待以上の花で迎えてくれた。
 
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●・・・・・・・・・・・・二人の散歩は、押上に出てスカイツリー・タウンに寄って帰る。
 
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2017年3月17日 (金)

亀戸~南砂町

総武本線亀戸駅から、ほぼ南に向かい地下鉄東西線南砂町駅まで、1万2千歩の散歩です。
 
 
①亀戸駅東口・・・・・・・・・・・亀戸駅の表玄関となる改札は北口である。 駅ビルでのショッピング、東武亀戸線への乗り換え、亀戸天神への参拝、“くず餅”の購入、何でもかんでも北口が便利。 ただし、会社帰りのチョイト一杯は東口が安くて便利。
 
・・・・・・・・・・・・東口は、ホームの千葉寄りから線路下の地下道を通り、京葉道路とはビル一つ隔てた裏道に出る、“裏口”である。 東口の頭上には越中島貨物線の高架橋が架かる。 改札の前は駐輪場! 
 
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②亀戸緑道公園/大島緑道公園・・・・・・・・・・・・都電29系統:葛西橋~錦糸堀~須田町と38系統:錦糸堀~境川~日本橋が運行していた、京葉道路水神森交差点から明治通り大島一丁目までは専用軌道であった。 昭和47年(1972)11月都電が廃止され、この専用軌道跡が昭和50年(1975)に亀戸緑道公園と大島緑道公園として整備された。
 
・・・・・・・・・・・・・・京葉道路水神森交差点では、かつての第二精工舎跡に建てられたショッピングモール「サンストリート亀戸」(平成9年オープン)が平成28年(2016)に閉鎖し、60階建てのタワーマンションの建設が始まった。、、、、その脇から亀戸緑道公園が始まる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・途中に竪川の運河跡があり、頭上には首都高7号小松川線が走る。 ここまでが亀戸緑道公園で、これより南側が大島緑道公園となる。、、、、、橋のあった北詰には、レールと車輪がモニュメントとして置かれている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・竪川に架かっていた「竪川人道橋」の写真。 (平成25年(2013)現地、工事現場にあった説明板にて)、、、、昭和30年頃の人道橋を渡る都電、平成23年撤去前の人道橋。
 
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・・・・・・・・・・・・・・大島緑道公園は、大島3丁目を縦断し、新大橋通りを横断し、大島四丁目団地の西側で明治通りにぶつかる。
 
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③大島四丁目団地・・・・・・・・・・・名のごとく江東区大島4丁目の旧住宅公団の団地。 地上8階~14階建ての建物が7棟、総戸数2,514戸の団地である。、、、、、私が社会人となった昭和44年(1969)3月から11月にかけ竣工した。 と、言うことは、築後48年が経過した。 間取りは2DK、2LDKが中心であるが狭そうだ! もうそろそろ建て替えの時期かな?
 
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・・・・・・・・・・・・・・団地内の緊急用電源。 遊園地の機関車ではありません!
 
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・・・・・・・・・・・・・・団地内の理髪店。 店名の「丹頂」を見て、『丹頂ヘアトニック』を思い出した!、、、、『丹頂ヘアトニック』は、戦後、金鶴香水(株)が発売した商品で、昭和38年に資生堂が「MG5」を発売するまではシェアはトップてあった。 シェア争いに負けた丹頂(株)(金鶴が社名変更した)は、「マンダム」シリーズを発売しヒットする。 社名も丹頂(株)からマンダム(株)に変更した。、、、、柳屋のポマードと共に、忘れた懐かしい名前だ。
 
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④進開橋・・・・・・・・・・進開橋(しんかいばし)は、小名木川に架かり、江東区大島1と北砂3を結ぶ。 橋上には明治通り(都道306号線)が走る。、、、、、形式はゲルバー鈑桁で、昭和42年(1967)11月に完成した。、、、、、川岸も整備され、景観になじむ橋である。
 
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⑤稲荷通り・・・・・・・・・・砂町銀座の北側200m程の位置(北砂3)に並行する商店街が「稲荷通り商交会」。 商店街の横綱「砂町銀座」には負けるが、序二段ぐらいの力はありそうだ。 まだ10時前でオープンしていない店も多い。
 
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・・・・・・・・・・・・・・商店街の東端に、名の由来となった「治兵衛稲荷」がある。、、、、、治兵衛稲荷神社は、当地一帯の治兵衛新田を開拓した治兵衛が村の鎮守として山城国伏見稲荷大社の分霊を慶安年間(1648-1652)勧請、創建したことに始まる。
 
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⑥砂町銀座・・・・・・・・・・・・北砂3丁目と4丁目の境にある、下町の元気な商店街。 あまりにも有名。、、、、砂町銀座の成立は、戦前、30軒位の普通の商店街として始まった。 戦争中は商店も強制疎開し、戦後焼け野原の場所へ戻り、昭和25年~30年にかけ飛躍的に店舗が増えて昭和38年頃にはほぼ現在の形(長さ700m弱、店舗数約180店)になったそうだ。、、、、こちらも、時刻は10時前、オープンしていない店が多く。 お買い物は午後からがいいかもね!
 
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南砂町駅 ・・・・・・・・・・昭和44年(1969)3月29日、東西線全線開業時に開業した、島式ホーム1面2線を有する地下駅。
 
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2017年2月24日 (金)

中央大橋・相生橋

隅田川の最上流から数えて35番目の橋は中央大橋。 上流の永代橋と中央大橋の間で、隅田川は隅田川派川(はせん、=分流)と分岐する。 その派川には相生橋が架かる。、、、、、今日の散歩は、都営浅草線宝町駅から、八丁堀、中央大橋、相生橋と歩き、東西線門前仲町駅まで、1万2千歩です。
 
 
 
①江戸湊の碑・・・・・・・・・中央区新川2丁目(旧:霊岸島)の隅田川岸に建てられた江戸港発祥跡の碑。、、、、、、慶長年間江戸幕府がこの地に江戸湊を築港し、水運の中心地とした。昭和11年(1936)まで、伊豆七島など諸国への航路の出発点であった。、、、、、当時、東京から伊豆七島へ行くには、ここからボロ船に乗って1泊、2泊の船旅であったと想像すると、船酔いに弱い私には、もうダメだ! 死を覚悟して、ナムアミダブツの旅である。
 
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②霊岸島水位観測所・・・・・・・・江戸湊の碑の前、隅田川に立つ三角に組まれたパイプと斜方12面体と呼ばれる立方体のオブジェ。 これぞ霊岸島水位観測所(無人)。、、、、、日本の標高は東京湾の平均海面を基準に測られる。その基準となる平均海面を測定していた場所が霊岸島水位観測所。 明治6年(1873)から観測を開始しているが、近年、この場所は埋め立てにより、隅田川の奥になり、観測には不向きとなった。 現在は油壺験潮所にその役割が移った。 、、、、、、ちなみに、現在の日本の水準原点は国会議事堂前にある。
 
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③中央大橋・・・・・・・・・・中央区新川(霊岸島)と中央区佃(佃島)を結び、平成5年(1993)3月に完成した。 橋長215mの鋼斜張ハープ橋。 佃の超高層マンション群を背景にした現代的なデザインだ!、、、、、橋桁製作は、かつて地元であった石川島播磨重工業。
 
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・・・・・・・・・・・・・上流(写真左側)から右奥に流れ下る隅田川。 中央の。佃島の背後に流れて行くのは派川。
 
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④大川端リバーシティ21・・・・・・・・・佃島は、佃神社周辺の旧来からの部分を除く、大半は明治以降石川島造船所に払い下げられ、昭和54年(1979)の操業停止まで造船所の敷地であった。、、、、、その後、造船所の跡地は、「大川端リバーシティ21」として、住宅市街地総合整備事業により、住宅・都市整備公団(現・都市再生機構)、東京都住宅局、東京都住宅供給公社、三井不動産によって超高層住宅を中心とした再開発が進められた。、、、、、各事業者は、個々の高さやデザインを少しずつ変えながらも全体として統一された外観で開発を進め、隅田川と調和した景観となった。、、、、、、ちなみに、一番高いマンションは、高さ180m(地上54階/地下3階)の「センチュリータワー」で、786戸が入居している。、、、、、高所恐怖症の私が54階に住むのは、死を覚悟し、怖さで眠れず、不眠症になるようなものだ。 最後は、寝ぼけて54階から墜落か?
 
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⑤相生橋・・・・・・・・・・・・右岸の中央区佃と左岸の江東区越中島を結ぶ橋。、、、、明治36年(1903)、築地・深川地区と佃を結ぶため、川の中程にあった中之島を利用し、2本の橋で架橋された。 この時、佃寄りの長い橋を「相生大橋」、越中島寄りの短い橋を「相生小橋」と命名した。 「相生」の名は、「相生の松」になぞらえた。、、、、関東大震災後は、大正15年(1926)に鉄鋼ゲルバー橋が再架橋された。、、、、昭和55年(1980)には小橋(越中島側)が埋め立てられ、中之島は地続きとなった。 さらに、平成10年(1998)には、老朽化した相生橋を、現在の橋に架け替えた。、、、現在の橋は、3径間鋼トラス桁橋で、橋長は149.1m、幅員は22.0m、昭和63年(1988)に着工し平成10年(1998)12月に開通した。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・相生橋を渡り、江東区越中島に入ると、橋の際に東京海洋大学がある。 50歳以上の人には東京商船大学 と言った方が判りやすいね。 今日は正門前を通過。
 
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⑥黒船稲荷神社・・・・・・・・・・・江東区牡丹にある黒船稲荷神社は、応徳3年(1087)浅草黒船町に創建、享保17年(1733)に現在地へ遷座した。、、、、、ここは、江戸戯作界の第一人者、四世鶴屋南北の住居跡である。 住んでいた痕跡は皆無、案内板があるだけ、できたら表札ぐらい残しておいて欲しいね。
 
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2017年2月21日 (火)

隅田川大橋・永代橋

人形町・水天宮を抜け隅田川大橋を渡り、江東区側の川岸を歩いて永代橋へ、再び隅田川を越えて日本橋まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
①水天宮・・・・・・・・・・チョイと水天宮にお立ち寄り。、、、、水天宮は、久留米藩主有馬頼徳公が現:港区赤羽の藩邸内に久留米市水天宮の分霊を文政元年(1818)に勧請して創建した。 その後、藩邸の移動に伴い、青山へ遷座し、さらに明治5年(1872)11月1日、現在の日本橋蛎殻町に遷座した。、、、、、平成28年(2016)4月より、建て替えられた新社殿への参拝が開始しされた。 新社殿は地下1階と1階が駐車場で、2階の人工地盤の上に社殿が建てられている。また、参集殿のある6階建ての下に参道の階段が設けられている。 これらの建物を地震から守るため境内全体を免振構造としている。 設計・施工は竹中工務店。
 
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②日清製粉晴東寮・・・・・・・・・日本橋蛎殻町にある寮。 スクラッチタイル風の貼りものをした、木造3階建ての建物。 建築年代は不詳ですが、『古そうだ!』
 
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③高尾稲荷・・・・・・・・・・中央区日本橋箱崎のIBM箱崎ビルの前に祀られている高尾稲荷。、、、、、、万冶2年(1659)江戸の花街新吉原(現:台東区千束)の遊女で二代目高尾太夫(仙台高尾ともいう)、傾城という娼妓の最高位にあり、容姿端麗にして艶名一世に鳴りひびき、和歌俳諧に長じ、書は抜群、諸芸に通じ、比類のない全盛をほこったといわれる、当時19歳の太夫。  その高尾が仙台藩主伊達綱宗候に寵愛され大金をつんで見請けされたが、彼女にはすでに意中の人あり、操を立てて候に従わなかったため、ついに怒りを買って隅田川の楼船上にて吊り斬りにされ、川中に捨てられた。 その遺体が当地に漂着し、引き揚げられた。 そこで、彼女の神霊高尾大明神を祀ったのを起源としている。、、、、若いピチピチのもったいない美女の哀れな話、懇ろに手を合わせ、お賽銭も奮発し20円にした。、、、、、高尾太夫の辞世、「寒風に もろくも朽つる 紅葉かな」 
 
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④隅田川大橋・・・・・・・・・・箱崎JCTから東に向かう首都高9号深川線が隅田川を越える橋が隅田川大橋である。 橋は2層構造で上が首都高、下が一般道の水天宮通り。、、、、、歩行者にとっては、車道と人道が完全に分離され安全で歩きやすいが、頭上に首都高が走り巨大な柱が上に向かって伸び、他の橋のように欄干によりかかり景色を眺める解放された雰囲気にはなりにくい。、、、、、、ついでの話、橋の下(地下)には地下鉄半蔵門線が通っている。、、、、、橋長385.3mの3径間連続鋼床鈑箱桁橋、昭和54年(1979)10月完成。、、、、、清洲橋、永代橋、両国橋などの昭和初期の優美な橋とは異なり、機能主義の武骨な昭和後期の橋である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・箱崎JCTから隅田川大橋に向かう首都高
 
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・・・・・・・・・・・・・上流側の清洲橋を見る。
 
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・・・・・・・・・・・・・下流側の永代橋、佃島を見る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・隅田川大橋を挟む巨大なビル2棟。 手前(左端)はIBM箱崎ビル。(地上25階建て、1989年竣工) 中央のビルはリバーゲートビル。(地上20階建て、1994年竣工)
 
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⑤豊海橋・・・・・・・・・・隅田川大橋と下流の永代橋の間で、神田川から分岐した日本橋川が合流する。 その日本橋川が隅田川に合流する直前に豊海橋(とよみばし)が架かる。、、、、、豊海橋は昭和2年(1927)に震災復興橋として架設された。 この橋は、永代橋を意識し、梯子を横にしたような骨太な重量感あるデザインで設計された。、、、、、橋長約46m、設計は福田武雄、施工は横河橋梁製作所。
 
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⑥永代橋・・・・・・・・・・・隅田川の上流から34番目の橋は永代橋である。 この橋も震災復興橋の一つで、国の重要文化財。、、、、橋は西岸の中央区新川と東岸の江東区佐賀・永代を結ぶ。 橋長184.7m、幅員25.0m、中央径間はスチールアーチ橋で両側は鋼桁橋。 大正13年(1923)12月に着工し、大正15年(1926)12月20日に竣工した、工期は短く約2年である。 工事費は2,924,000円也。、、、、、優美な清洲橋に対して、「帝都東京の門」と言われた永代橋はドイツのライン川に架かっていたルーデンドルフ鉄道橋をモデルにし、現存する最古のタイドアーチ橋で、かつ日本で最初に径間長100mを超えた橋でもある。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・・永代橋の下流で、隅田川は分流の隅田川派川(すみだがわはせん)と分岐する。 写真:右に向かうのは隅田川、左に向かうのは隅田川派川、その間は超高層マンション群のある佃島。、、、、、いつの間にか、超高層ビルも増え、私の知る60年前の漁師の島“佃島”のイメージはこの写真から想像できないね。
 
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2017年2月17日 (金)

清洲橋

今日の散歩は、32番目の清洲橋へ行く。 浅草橋の我が家から、明治座前をとおり清洲橋へ、橋を渡り江東区に入ると、清澄通り沿いに北上し、両国からは京葉道路を歩き、両国橋を渡り浅草橋に戻る、1万4千歩の散歩です。
 
 
 
①浅草橋から清洲橋へ・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・・家を出て、3分後、浅草橋駅を通過。、、、、、、『今日は、歩くぞ!』 
 
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・・・・・・・・・・・・・・朝8時ジャスト、浅草橋交差点を横断する。、、、、、まだ車も少ない時間帯、通勤する人も余裕の歩き。
 
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・・・・・・・・・・・・・都営浅草線東日本橋駅を通過。、、、、、、まだ8時10分だ! あまり早い出社は、若い人に嫌われるよ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・浜町の笠間稲荷神社に立ち寄っていく。、、、、、安政6年(1859)創建の神社は、すでに扉を開き、朝の参拝客受け入れ準備OK! 私も、道中の安全を願い、賽銭箱に100円入れて『よろしく!』
 
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・・・・・・・・・・・・・・8時25分、明治座前。、、、、、甘酒横丁の店もまだ開いてないので、寄り道せず先へ。 
 
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・・・・・・・・・・・・・清洲橋通りと新大橋通りが交差する浜町中ノ橋交差点。、、、、、直進すれば清洲橋、左折すれば新大橋。 今日は迷わず直進。、、、、、信号待ちの間、通勤するOLを見て、小さな声で口ずさんでしまった。 ♪♪ 若い娘が~ウッフン お色気ありそで~ウッフン ♪♪ スリー・キャッツの「黄色いさくらんぼ
 
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・・・・・・・・・・・・・・清州橋西詰の小さな神社は、昭和29年(1954)に建立された金刀比羅宮。、 、、、、、、近くの人形町は、江戸時代初期の吉原であった。 明暦の大火で吉原は浅草千束に移り、その後、現:人形町は葭町(よしちょう)として、町芸者を生み出し、花街として発展してていった。 現在では、料亭1軒、芸者10名程も規模となったが 、見番:「東京葭町組合」も現存している。、、、神社の玉垣には、その葭町の料亭・芸妓名が標され、華やかなりし時代を思い起させる。
 
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②清洲橋・・・・・・・・・・・・中央区日本橋中洲と江東区清澄を結ぶ橋で、「清洲橋」と命名された。 大正14年(1925)に着工し、昭和3年(1928)に竣工した関東大震災復興橋の一つである。 構造形式は自碇式チェーン吊り橋、橋長は186.3m、幅員は22.0m。 設計:鈴木精一(内務省復興局技師)、施工:東京市復興局、橋桁製作:神戸川崎造船所。 総工費321万円。、、、、、、近代橋梁技術により、洗練された曲線、造形が優美な美しさを表現している。
 
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・・・・・・・・・・・・・・清洲橋のモデルとなった、当時最高に美しいと評判だったドイツケルンのヒンデンブルグ橋。 ウ~~ン確かに似ている、写真はケルン市のホームページより拝借。
 
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・・・・・・・・・・・・・・上流(新大橋方向)を望む。
 
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③清洲橋から我が家へ・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・時刻は9時45分、清洲橋通りの北側の裏道を歩き深川稲荷神社の前を通る。 小さな神社だが、布袋尊が祀られ深川七福神の一つである。 深川稲荷神社は、寛永7年(1630)の創立。、、、、、、、以前、七福神めぐりで立ち寄った神社だが、布袋尊の姿を思い出せなかった。 私も老いたか?
 
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・・・・・・・・・・・・・・・清澄通りを北上し、小名木川を渡り、森下交差点の手前で、深川神明宮にもお立ち寄り。 こちらは七福神の寿老人が祀られている。、、、、神社の門前には、日本画家で朝丘雪路の父である伊東親水の誕生地跡の案内が立っていた。 『江戸っ子だってね。 深川の生まれよ!』
 
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・・・・・・・・・・・・・・・再び清澄通りに戻り、墨田区に入る。 堅川を二之橋で越えて、京葉道路に出る。、、、、、堅川の上を首都高が覆い、暗い川だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・両国6丁目、京葉道路に立つ本所松坂町跡の碑。 関東大震災後の区画整理で、本所松坂町の名が消えるのを惜しみ、、『おいらの松坂町の名が消えるぞ』、江戸っ子なら後世に残る石に刻んで町名を残そうと、考えたようだ。 昭和4年(1929)11月1日の日付が彫られていた。
 
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・・・・・・・・・・・・・両国橋を渡り、柳橋を渡り、我が家のある浅草橋へ。 『ただいま』とドアを開けたのは10時45分。
 
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2017年2月16日 (木)

両国大橋・新大橋

我が家(浅草橋)から、両国橋を渡り下流の両国大橋へ、さらに下流の新大橋へ、新大橋を渡り浜町河岸付近をぶらつき我が家まで、1万2千歩の散歩です。、、、、隅田川の最上流から数えて、いよいよ30番目の両国大橋と、31番目の新大橋。
 
 
 
①両国大橋・・・・・・・・・・「両国大橋」こんな橋あったかな? 「両国橋」の間違いでは? 地元の人でも知らない人もいるが、名は知らねども、大川に架かる両国大橋、知らねばドライバーとは言えまい。、、、、両国大橋は、隅田川に架かる首都高の橋で、橋上は「両国ジャンクション」である。 箱崎から北上し、6号向島線と7号小松川線に分岐する地点である。、、、、西岸は中央区日本橋浜町、東岸は墨田区両国に架かる、巨大で立体的な構造が面白い橋梁である。 昭和44年(1969)12月に完成し、供用開始は首都高の開通に合わせ昭和46年(1971)3月21日。 設計は首都高速道路公団工務部、施工は石川島播磨重工業・日本橋梁・大林組。、、、、、、構造物としては面白いが、景観上は邪魔だね、どかせるものならどかして欲しい!
 
・・・・・・・・・・・・・・・両国橋から見る両国大橋。 右側は中央区、左側は墨田区。
 
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・・・・・・・・・・・・・・上流(両国橋側)の隅田川テラスから見る。 対岸は、♪♪ 浮いた浮いたと 浜町河岸に 浮かれ柳の はずかしや 人目しのんで 小舟を出せば すねた夜風が 邪魔をする ♪♪、の浜町河岸
 
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・・・・・・・・・・・・・お股から失礼して、お尻を拝見!
 
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・・・・・・・・・・・・・・墨田区側から下流(新大橋)方向を見る。
 
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②御臨幸記念碑・・・・・・・・・・中央区立日本橋中学校の校庭横に、浜町河岸に向いて「御臨幸記念碑」が建てられている。、、、、、、記念碑は、大正12年(1923)の関東大震災で被災した東京が見事に復興したした様子を、昭和5年(1930)に昭和天皇が日本橋中学校(当時は千代田小学校)の校庭に立ち寄り視察した記念に、昭和8年(1933)に建立された。 羽ばたく鳳凰をデザインし、菊の御紋を彫った、高さ3m程の立派な碑である。、、、、、、当時の天皇の威光を感じる。
 
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③新大橋・・・・・・・・・・・・西岸(右岸)の中央区日本橋浜町と東岸(左岸)の江東区新大橋を結ぶ橋。、、、、、新大橋が最初に架けられたのは、元禄6年12月7日である。 当時、「大橋」と呼ばれていた両国橋は既に架けられており、両国橋に続く大橋として「新大橋」と名付けられたそうだ。、、、、、、江戸時代は木橋であったが、明治45年(1912)にトラス式の鉄橋に架け替えられた。 この鉄橋は震災。・戦災に耐え昭和50年(1975)まで使用されたが、その後は、愛知県の明治村に移築・保存され、老後の余生をのんびり送っている。、、、、、現在の橋は、2径間連続斜張橋、橋長は170.0m、幅員は24.0m、昭和51年(1976)に着工し、昭和52年(1977)3月27日に竣工した。 施工は石川島播磨重工業。、、、、、2本の黄色の塔が印象的で、シンプルな美しい橋である。
 
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・・・・・・・・・・・・・下流(清洲橋方向)を望む。
 
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・・・・・・・・・・・・・・旧橋のアールヌーボー調の親柱が東詰に保存されている。
 
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2017年1月 1日 (日)

亀戸七福神

穏やかな天気の元日となり、我が家でも、午後から初詣に行こうと話がでた。 夫婦と娘の三人で亀戸七福神を巡ってきた。
 
 
 
①延命長寿の寿老人・・・・・・・・・・曹洞宗の常光寺は西帰山と号し、亀戸4丁目にある。 境内の一角の小さなお堂に寿老人は祀られている。 お堂の中、ガラス越しに寿老人が見える。 まだ新しそうな木像で、チョイとありがたみに欠けるが、新年早々のお参りにケチをつけず、素直に延命長寿のお願をしてきた。、、、、、いまさら無理は承知の上で心境は、「酒は飲みとげ 浮気をし遂げ 儘(まま)に長生き し遂げたい」
 
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②芸道富有の弁財天・・・・・・・・・・・真言宗智山派の東覚寺(亀戸4)は、玄覚法印が享禄4年(1531)創建した。 こちらの寺には、弁財天が祀られている。、、、、芸の道は険しいが、色の道はいと易し、「今はサシスセ 昔はいろは すたらぬはずだよ 色の道」  私も、誰に教わることもなく、独学で身につけた色の道、まだ未熟かも?
 
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③愛敬富財の恵比寿神、有富蓄財の大国神・・・・・・・・・・香取神社(亀戸3)は、スポーツの神様と言われ、拝殿前の行列は1時間待ちである。
 
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・・・・・・・・・・・・・神社の境内東側にある境内社:福神社には、恵比寿神と大国神の二神が祀られている。、、、、、、もともと亀戸七福神は、ここの二神を中心に、近くの寺社に残り五神を配して成立したものらしい。、、、、、、商売は繁盛し、蓄財できる、ありがたい神様である。
 
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・・・・・・・・・・・・・拝殿わきには二神の石像があり、悪い処をなでると病気が治ると言われ、私も腰痛の腰と今朝寝違えた首をなでてきた。
 
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④勇気授福の毘沙門天・・・・・・・・・・・・真言宗智山派の普門院(亀戸3)は、大永2年(1522)に豊島郡石浜(現:荒川区)に創建された。 元和年間(1615~1624)に現在地に移転した。 ここの毘沙門堂に毘沙門天は祀られている。、、、、、本堂前には、壊れた家具、植木などが雑然と置かれ、チョイと気になる荒廃ぶりだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・今日の毘沙門堂の中は暗く、毘沙門天の姿を確認できず。 (昨年撮影した毘沙門天のボケた写真で我慢して。) 
 
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⑤人望福徳の福禄寿・・・・・・・・・・亀戸天神の北側に位置する天祖神社、創立年代は不詳であるが、推古天皇の時代に創建されたそうだ。 天正年間(1573~1592)に悪病が大流行し、織田信長がこの神社で流鏑馬の行事を行わせたところ、たちまち収まったと伝えられている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・榊に隠れチョイと見えづらいが、気味が悪くなるようなリアルな像である。、、、、、、金持ちに好かれ、美人に慕われる、そんな人徳のある人に私はなりたいと、懇願してきた。
 
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⑥清簾度量の布袋尊・・・・・・・・・・・・さて最後は、亀戸3丁目の天台宗龍眼寺である。 龍眼寺は、応永2年(1396)に創建したと伝えられている。 本堂前の布袋堂に、大きな腹で大儀そうに座り込んでる布袋尊がいる。 『布袋様、メタボ検診を受けることを、おすすめします。』
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・七福神めぐりのあとは、亀戸天神に参る。 
 
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2016年10月16日 (日)

浅草橋~浅草橋

我が家(浅草橋)から、浜町の裏通りを歩き、清洲橋を渡り、清澄庭園を見て、清洲通りを両国方面に歩き、両国橋・柳橋を渡り、我が家に戻った。 1万4千歩、10km。

 
 
浅草橋 ・・・・・・・・・・・日曜の朝8時、駅に近い我が家だが、街中に人影はない。 高架の浅草橋駅ホーム下を歩く人も少ない。、、、、、静かな町である。 
 
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薬研堀不動尊 ・・・・・・・・・・神田川を越えると、中央区東日本橋のお不動さん。 正式には、真言宗智山派薬研堀不動院(現:川崎大師東京別院)。 現在地に堂宇が建立されたのは天正13年(1585)である。、、、、、薬研堀、七味唐辛子の発祥地としても有名である。 今は、唐辛子屋さんは浅草へ移転し、店を開いている。
 
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③新田新作・・・・・・・・・・・・今日の散歩では、この名を3回見ることとなった。、、、、、ネットの「コトバンク」には、以下のように書かれている。、、、、、『 生年:明治37(1904)年4月1日  没年:昭和31(1956)年6月25日  出生地福井県  学歴:小学校卒  経歴:17歳で上京し、終戦直後裸一貫から日本橋浪花町に新田建設を興して成功した。昭和22年戦災で焼失した日本橋浜町の劇場・明治座の復興期成会を組織し、三田政吉の協力を得て、25年明治座を再建して社長に就任。またスポーツ復興にも尽力し、25年元関脇の力道山を引きとってアメリカで1年間修業をさせ、28年新田建設の敷地内に日本初のプロレス道場リキジムを開設。力道山を中心としたプロレスブームの立役者となった。 』、、、、、国粋会の侠客であり、明治座・新田建設の社長として実業家であり、相撲・プロレスを興すスポーツ好きであり、馬を持つほど競馬も好きだったそうだ。
 
・・・・・・・・・・・・・・明治座前の公園に、昭和20年(1945)の空襲で命を奪われた人々を慰める明治観音堂がある。 この堂は、昭和25年(1950)12月に新田新作が建立したものである。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・明治座の裏には、新田新作の家族が営業する純和風のカウンターバー「新田」がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・3つ目は清洲橋の西詰(中央区日本橋中洲)に、昭和29年(1954)に建立された金刀比羅宮がある。、、、、、神社の鳥居には、「昭和二九年 新田新作」と刻まれている。 また、玉垣にも、料亭など名とともに新田新作の名が刻まれている。(写真中央の鳥居に刻まれた名の右奥にある玉垣) 
 
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④荒汐部屋・・・・・・・・・・・・・日本橋浜町2丁目、前頭の蒼国来を頭に12名の力士が在籍する相撲部屋、 早朝から稽古が始まっている。、、、、、窓も大きくあけられ、熱心なファンや、金髪女性も覗いてる。、、、、、「デブは嫌いよ 力士は好きよ もっと好きなの太っ腹 」
 
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清洲橋 ・・・・・・・・・・・・清洲橋を渡り、江東区に入る。
 
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⑥清澄公園/清澄庭園・・・・・・・・・・地続きに隣り合う“公園”に“庭園”、元は一つで、明治11年(1878)に岩崎弥太郎が一帯の約3万坪を取得して、社員の慰安・貴賓の招待に、明治13年(1880)に「深川親睦園」を開園した。 池泉回遊式の広大な庭園には、西洋館、日本館などの立派な建物も造られた。、、、、、しかし、関東大震災では被害を受けた。 震災の翌年、比較的被害の少なかった東側半分が東京市に寄付された。 昭和7年(1932)、東京市は公園として開園した。 これが「清澄庭園」である。、、、、、昭和52年(1977)、西側半分を東京都は開放公園とした、こちらが「清澄公園」である。、、、、、、ちなみに、“公園”はただ、“庭園”は150円也。
 
・・・・・・・・・・・・・清澄公園
 
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・・・・・・・・・・・・・・清澄庭園
 
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・・・・・・・・・・・・・・園内では、ほとんどの人が、スマホを片手に、ポケモンGO(?)
 
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⑦清洲通り・・・・・・・・・・・・清洲庭園から、清洲通りを北上し、小名木川に架かる高橋 を渡り、首都高7号線の下で堅川を越え、両国に入る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・勝海舟の誕生地の前に建つ学校、芥川龍之介の母校である両国小学校、そして回向院を通過。、、、、、今日は小学校の運動会、正門前では怪しき人物が入らぬように、先生が立っていた。 私は、こういう場面に弱く、何も悪いことしていないのだが、みょうに落ち着かない。 「三十六計逃げるに如かず」
 
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⑧両国橋・・・・・・・・・・・・渡れば、我が家まで10分。、、、、、『ただいま!』
 
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