足立区

2017年5月18日 (木)

伊興寺町

東武伊勢崎線竹ノ塚駅で下車し、日暮里舎人ライナーの見沼親水公園駅を目指し歩きはじめたが、途中で目的が変わり、竹ノ塚駅に戻る。 1万1千歩の散歩です。
 
 
 
竹ノ塚駅 ・・・・・・・・・・明治33年(1900)3月21日に伊興村に開業した東武伊勢崎線の駅。 この時、駅名は隣村であった竹ノ塚村の名を頂戴し、竹ノ塚駅と名乗る。 伊興村、竹ノ塚村は共に昭和7年(1932)に東京市に編入合併され足立区の一部となった。、、、、、開業から100年以上経過し、駅周辺は高架化工事の真っ最中。 ホームはまだ地上にある、高架上にホームが移るのはまだ数年先か?
 
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●・・・・・・・・・・・今日の散歩は、ここ竹ノ塚駅から北西方向に日暮里舎人ライナーの終点:見沼親水公園駅まで歩くことにした!、、、、、予定は変わるもの、今日も途中で変更!
 
 
②東岳寺・・・・・・・・・・・竹ノ塚駅から北西へ300m程(伊興本町1)、尾竹橋通りに面して、曹洞宗の南昌山東岳寺がある。 東岳寺は、慶長18年(1614)浅草鳥越に創建した。 (鳥越とは、、、、我が家の近くだ!) 関東大震災後、鳥越から現在地へ移転した。 境内は広くないが、日本庭園の趣で、本堂や細い参道の周りには多くの木が並んでいる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・初代安藤広重の墓と記念碑が境内にある。 安藤広重(1797~1858)は江戸時代後期の浮世絵師で、天保年間には御存じ「東海道五拾三次」を発表している。 墓所(写真右端)は昭和33年(1958)の再建で、記念碑(写真中央)は大正13年(1924)に建てられた。 震災後、墓も寺と共に移転してきた。、、、、、念のため、今は安藤広重ではなく、歌川広重という呼称が一般的らしい。 私は、安藤広重しか知らん!
 
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③眞國寺・・・・・・・・・・・・東岳寺から西へ400m程歩くと、立派な松の陰に本堂の屋根が見える。 伊興5丁目の日蓮宗寺院の蓮栄山眞國寺である。 創建は建武2年(1335)といわれる古刹。、、、、、山門の正面に本堂があるのだが、参道両側の松の大木に遮られ、全容が見えない。
 
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④薬師寺・・・・・・・・眞國寺から北西に150m程歩くと薬師寺がある。 あれ、奈良の薬師寺の支店かな?、、、、、こちらは、曹洞宗の医王山薬師寺で、御本尊はもちろん薬師如来である。、、、、小さな山門をくぐると、正面奥に本堂があるのだが、なんと、新緑の紅葉が茂り視界を遮る。、、、、住職の話では、秋になると多くの人が紅葉狩りに来るそうだ。 私もあとで知ったが、この寺は、知る人ぞ知る、紅葉の名所だ!
 
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●・・・・・・・・・・・薬師寺の住職が教えてくれた、、、、、寺から北東に行くと、関東大震災後、浅草から移転してきた寺院が並ぶ寺町があるとのこと。 「ぜひ、寄っていきなさい。」、、、、これにて、私の北西に向かっていた足は、北東に向かうことにした。
 
 
⑤伊興寺町・・・・・・・・・・現在は東伊興4丁目だが、以前は伊興狭間町と呼ばれていた処。
現在、18か寺あるそうだ。、、、、、ついでに、“伊興”の地名は、いろはの“い”で、いの一番に始まり、興ったところの意だ。 “狭間”は谷下の沼のある狭いところの意。、、、、今は、竹ノ塚駅から1.0km程北に行ったところで、北隣の草加市との境までは400m程である。、、、、、、いくつかの寺院を紹介する。
 
・・・・・・・・・・・・・・・街並みは、、、、、、
 
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・・・・・・・・・・・・・・易行院、、、、、、芝増上寺末の浄土宗寺院易行院。 文亀年中(1501~1503)、浅草山に起立し、浅草山谷町(現台東区清川)を経て、昭和3年(1928)に現在地へ移転した。、、、、、本堂左手に、歌舞伎で名高い花川戸助六と揚巻の墓がある。 地蔵さんと共に祀られ、夫婦円満の御利益が期待できるそうだ。、、、、、、笑点でおなじみであった五代目三遊亭円楽師匠の実家。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・・東陽寺、、、、、、曹洞宗の萬年山東陽寺は、寛永元年(1624)頃の開山で、慶長16年(1611)八丁堀に創建、寛永12年(1635)浅草八軒寺町へ移転。 震災後の昭和3年(1928)に現在地へ移転した。、、、、、、境内には、上州沼田に生まれ、江戸に上り、炭のはかり売りから業を興して莫大な財産を築いた塩原太助の墓がある。 お年寄りは、「塩原太助一代記」として講談や歌舞伎で知っているはず、若者は知らないかもね。
 
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・・・・・・・・・・・・・・法受寺、、、、、、、、浄土宗の法受寺は普賢山新幡随院と号します。 正暦3年(992)に豊島郡下尾久の地で開創、宝暦3年(1753)豊島郡谷中に移転、新幡随院法受寺と称した。 浅草にあった安養寺と合併し、昭和10年(1935)に現在地へ移転した。、、、、、境内には五代将軍徳川綱吉の生母:桂昌院の墓がある。 桂昌院は将軍の生母として大奥で絶大な勢力を振るい、女性にとって最高の位階である従一位を生前贈られている。、、、、、境内は広く、本堂を探すのに戸惑い、墓地を抜け出たところに建つ住宅風の建物の前で、僧侶に『本堂はどこですか?』と尋ねると、『ここだよ!』と返ってきた。 本堂の前で尋ねてしまった、シマッタ~~! 私は裏門(?)から入ってしまったのだ。、、、、、僧侶は快く本堂を開けて、焼香を焚いてくれた。 失礼しました!、、、、、三遊亭円朝が語る「牡丹燈籠」の中で、カランコロン、カランコロンと下駄の音をさせながら夜な夜な現れる、お露とお米の幽霊二人。 この二人が葬られたのが新幡随院法住寺(法受寺)という設定で、ゆかりの寺として石碑が建てられてる。
 
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●・・・・・・・・・・・・今日は14ヵ寺歩いたので、チョイト食あたりならぬ、坊主あたりで頭の中がゴチャゴチャ、罰あたりかも。、、、、、この後、竹ノ塚駅まで戻り帰宅。
 
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2017年5月 8日 (月)

西新井~小菅

東武伊勢崎線西新井駅から小菅駅まで、東武伊勢崎線の廃線跡を歩いてきた。 1万1千歩の散歩です。
 
 
旧東武伊勢崎線・・・・・・明治32年(1899)に北千住~久喜間を開業する。 北千住~西新井間の開業時のルートは、北千住をでると現:常磐線の上を交差して(当時、まだ荒川は無い)をとおり、荒川の対岸:足立1丁目付近から直線的(現:梅島通り+亀田トレイン通り)に西新井へ向かっていた。、、、、、大正12年(1923)に荒川放水路(現:荒川)の開削工事により、鐘ヶ淵~西新井間のルートが変更された。 北千住~西新井間は現在の小菅、五反野、梅島を経由するルートとなる。(途中の3駅は翌年(大正13年)に開業する)、、、、、明治に開業した旧ルートは、現在、道路や住宅地として転用されている。
 
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西新井駅 ・・・・・・・・・今日の散歩は西新井駅から、旧東武伊勢崎線の廃線跡をなぞり、小菅駅に向かうことにした。
 
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・・・・・・・・・・・・・・北千住よりのホームから眺めると、写真中央、線路の奥に見えるマンションの右側を旧伊勢崎は走っていた。
 
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②亀田トレイン通り・・・・・・・・・・西新井駅南側(足立区西新井栄町1)から、梅島駅の南側(足立区梅田8)までの全長約773mの道路。 この道の大部分は、平成16年(2004)に廃止された東武鉄道西新井車両工場の跡に造られている。 工場のあった地名が「亀田」で、「亀田トレイン通り」と命名された。 ここに、かつて伊勢崎線が走っていた。
 
・・・・・・・・・・・・・西新井駅から亀田トレイン通りまで続く、細長い空き地。 ここに、車両工場への引込線があったようだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・亀田トレイン通りのはじまり。 ここから、東武鉄道西新井車両工場の跡となる。 道路の左側のマンションは東武鉄道が販売、右側には亀田トレイン公園都営梅田八丁目アパート(平成23年築、316戸)が並ぶ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・亀田トレイン公園前に車輪のモニュメントがある。 もちろん、東武鉄道の寄贈である。 できれば、我が家にも一つ寄贈して欲しいのだが、置く場所に困るね!
 
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・・・・・・・・・・・・・・亀田トレイン通りの梅島駅よりは、多少カーブして終了する。 当時の線路がカーブしていたわけではなく、再開発時に道路をチョイト曲げたようだ。、、、、、振り返ると、東武鉄道のマンションが右側に見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・亀田トレイン通りを真直ぐ伸ばすと、その先に線路敷きの幅ぐらいの住宅(写真中央)がある。 その先は足立区立第九中学校(ベートーベンの母校?)の敷地となる。
 
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③梅田通り・・・・・・・・・・・・・梅島駅の南側で、亀田トレイン通りに続く梅田通り。 一方の端は日光街道と江北橋通りも交差する六差路の梅田交差点である。  この通りは線路跡を活用してつくられた。
 
・・・・・・・・・・・・・・第九中を横切って伸びてきた線路は、写真左側の梅田通りに続いていく。 右へ向かう通りは旧日光街道
 
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・・・・・・・・・・・・・・上の写真中央:マンション前に道標が建てられている。 「左東武鉄道旧線路跡」、裏側には「右旧日光街道」の文字。
 
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・・・・・・・・・・・・・複々線の線路跡かと思うほど拡幅された梅田通り。、、、、当時を語る遺構などは何もない!
 
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・・・・・・・・・・・・・・約1kmの梅田通りの南端、梅田交差点が見えた。 日光街道の陸橋が見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・・陸橋下から梅田通りを振り返る。
 
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④線路跡の住宅・・・・・・・・・・・・日光街道を横切り足立1丁目に入ると、線路跡は住宅が密集し判別が難しくなるが、航空写真を見ると住宅の並びで推測できる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・周囲の住宅とは向きが異なり、線路跡に並ぶ写真中央の住宅。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・荒川土手側でも、道路に対し斜めに向いて建っている。
 
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⑤荒川・・・・・・・・・・・・・「線路が伸びていたのはこの辺りかな?」と思われる土手の上に立ってみた。 正面に北千住の街、左手に千代田線・常磐線・つくばエキスプレスの橋梁が並行して架かる。 この橋梁付近で常磐線と交差し北千住に向かっていたのか! 一人で納得。
 
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小菅駅・・・・・・・・・・・・私は泳げないので、荒川の川底の線路跡を追いかけるのはやめた。 近くの小菅駅から帰ることにする。
 
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2017年4月17日 (月)

鹿浜

日暮里・舎人ライナー西新井大師西駅から、ほぼ真西にある芝川水門まで行き、再び西新井大師西駅まで戻る、1万2千歩の散歩です。
 
 
 
①西新井大師西駅・・・・・・・・・・・平成20年(2008)3月30日、日暮里・舎人ライナーの開通と同時に開業した駅。、、、、、駅名となっている西新井大師までは、東へ直線距離で約1km、許容範囲を超えた無理な命名だ。 お年寄りが当駅で降りてお参りに行くと、大師の門前で行き倒れるかも(?) 後悔しないように、東武大師線、東武バスを利用し、無理のない参拝をしよう。
 
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②江北六丁目団地・・・・・・・・・・西新井大師西駅西口に隣接する、昭和46年(1971)に建てられた総戸数860戸(29棟)の旧住宅公団の団地。 近年、リニューアルしたようで外装はきれいだが、全棟5階建て鉄筋コンクリート造の団地は、団地ファンが喜びそうだ。 This is “昭和40年代の団地”。
 
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③押部八幡神社・・・・・・・・・鹿浜7丁目にある、誉田別尊(応神天皇)を祭神とする旧鹿浜村小名押部の鎮守社。 神社の創建は徳川時代中期と伝えられている。 大正12年(1923)の関東大震災で社殿が破損したが、直ちに再建し現在に至る。
 
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④阿弥陀院・・・・・・・八幡神社の隣に、天明2年(1782)の創建と言われている真言宗智山派の阿弥陀院がある。 本尊は阿弥陀如来像。、、、、、昭和40年(1965)に、鉄筋コンクリート造で本堂および庫裡の改築が行われたそうだ。
 
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⑤焼き芋・・・・・・・・・・おいおい、20℃を超えたこの暑さ、焼き芋屋さんがいる。 ちゃんと、窯に火が入っている。、、、、、芋屋さんは運転席で地図を広げ、マーケットを分析中。 売れそうな、寒い場所へ移動するのか?
 
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・・・・・・・・・・・・・・・ギョ! 芋屋さんの車の先に、ナント! 機関車が! これは、偶然か? 神の御導きか?
 
 
⑥C5075機関車・・・・・・・・・・ここは、北鹿浜公園。 公園の中に、一見して、可哀そう、痛々しい、見すぼらしい、重病の機関車が展示されていた。、、、、この蒸気機関車はC5075(中距離用小型テンダ機関車)といい、昭和4年(1929)に川崎重工兵庫工場で製造され、昭和46年(1971)まで、豊岡・奈良・亀山などの機関区に所属し200万kmも走り続けた強者である。、、、、、柵の貼り紙には、今年から2年間かけボランティアの支援を得て、補修と塗装が行われる旨、記されていた。 しっかりと修理されることを期待し、よろしく!
 
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⑦芝川・・・・・・・・・・・・・C5075機関車から500m程西へ向かうと今日の散歩の目的地「芝川」に出た。 芝川は、桶川市が源流で、上尾を抜け、見沼田圃を抜け、川口市に入り、芝川水門で荒川に注ぐ一級河川。、、、、、写真:右側は足立区鹿浜、左側は川口市領家
 
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・・・・・・・・・・・・・・振り返り、川下には赤い建物「新芝川排水機場」と左に「芝川水門」が見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・・芝川水門、、、、、、大雨などによる洪水が発生した場合、荒川の水位が高くなると芝川へ逆流が発生してしまう。それを防ぐために作られたのが芝川水門である。 普段はゲートが上がっていて、船は行き来できる。、、、、ゲート2門の水門は、昭和46年(1971)に完成した。、、、、現在は、耐震補強中である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・新芝川排水機場、、、、、、水門の隣には芝川増水時に水をポンプで荒川に排水するために昭和53年(1978)に設置された新芝川排水機場。 その排水口に新芝川排水機場樋管(樋門)があります。
 
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⑧都市農業公園・・・・・・・・・・・・芝川水門の近くに、足立区立の都市農業公園がある。 園内の一画に、江戸時代後期の農家(和井田家)、旧浅野家長屋門(俗称「谷久門」)が移築保存されている。、、、、、足立区内にあった、昔の農家で、東京にあるとは思えない農村の風景を楽しむことができる。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・この後、西新井大師西駅に戻り、帰宅。

2017年2月 3日 (金)

千住汐入大橋

南千住駅から、隅田川の上流から17番目の千住汐入大橋を渡り、旧綾瀬川の合流部を見て、東武伊勢崎線堀切駅まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
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①胡録神社・・・・・・・・・・南千住駅の北東、JR貨物の隅田川駅の先は、高層マンションばかりが建ち並ぶ汐入地区(南千住8丁目)。 その中央付近に、今から450年以上前の永禄4年(1561)8月の創立の胡録神社がある。、、、、、汐入地区の再開発は、昭和44年(1969)、東京都が荒川区東部:「汐入地区」の大規模再開発基本構想を発表した時点から始まる。 木造家屋が一軒も残ることなく、高層化されたのは平成22年(2010)の汐入東小学校が完成した時点である。

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・・・・・・・・・・・・・歴史ある神社だが、平成15年(2003)に汐入地区の再開発計画に従い、境内地を前方に遷座した。、、、、、鳥居も、玉垣も、新しくなり新築のようだ!

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・・・・・・・・・・・・・上杉謙信の家臣:高田嘉左衛門なる者は、川中島合戦に敗れ、十余名の同志とともに当地に厄難を逃れ、永住の地と定めた。 村落生活の安寧を祈願するため、両足尊(おもだるのみこと)・惶根尊(かしこねのみこと)の両祭神を享保4年(1719)に奉斎した。、、、、、歴史ある神社だが、平成15年に汐入地区の再開発計画に従い、境内地を前方に遷座した。、、、、、本殿は嘉永5年(1852)に造営され、拝殿は昭和2年(1927)に竣工された。

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・・・・・・・・・・・・・今日は節分、境内では豆まきの準備中。 境内のウメも、明日の立春前に咲き始めた。

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②千住汐入大橋・・・・・・・・・・・南岸(右岸)の荒川区南千住8丁目(汐入地区)と北岸(左岸)の足立区千住曙町を結ぶ橋。 隅田川に架かる橋の中では新しく、平成18年(2006))2月19日に開通した。 都が災害時の防災拠点として整備している白鬚西地区(墨田区)の主要連絡路であり、足立区、荒川区、葛飾区を相互に繋ぐ重要拠点として架橋された。、、、、橋長158.6mの2径間連続鋼床鈑箱桁橋。、、、、、橋のあったこの地には、かつて「汐入の渡し」があったそうだ。
 
・・・・・・・・・・・・・・上流側から見る千住汐入大橋。 左側は足立区千住曙町。
 
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・・・・・・・・・・・・・・下流側から見る。 対岸は荒川区南千住。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・スマートな印象の橋。 幅員は20.0m。
 
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・・・・・・・・・・・・・・橋上から見る上流。 写真左側は荒川区南千住(汐入地区)。 右側は足立区千住地区。
 
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③旧綾瀬川・・・・・・・・・・・・綾瀬川は 埼玉県桶川市に端を発し、伊奈町、さいたま市、越谷、草加を経て都内葛飾区西小岩で中川に合流した後、東京湾に注ぐ、総延長47.6kmの一級河川。 昭和5年(1930)の荒川放水路完成にともない、綾瀬川は墨田区・足立区と葛飾区に分断された。 葛飾区側は荒川放水路(現:荒川)に沿って区の西側を流れ下り、西小岩で中川と合流する。 墨田区・足立区側は荒川の隅田水門から分流し、墨田区堤通2・墨田5と足立区千住曙町の区境として、隅田川に注いでいる450mの部分である。 この450mを旧綾瀬川と呼んでいる。、、、、、今日は隅田川との合流点から、荒川の隅田水門に向かって歩いてきた。
 
・・・・・・・・・・・・・・次の写真を撮影している荒川区南千住とは、隅田川を挟み対岸の旧綾瀬川合流地点。、、、、、、写真中央が合流地点で、旧綾瀬川の頭上を首都高6号向島線が走る。 また首都高の桁下に綾瀬橋のアーチが見える。、、、、、対岸の右側は墨田区、左側は足立区である。 つまり、ここは3区の境。
 
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・・・・・・・・・・・・・・おまけの話、、、、、合流点の足立区側に見える、「伊澤造船」という造船所は、明治10年(1877)に創業した古い歴史をもつ会社である。、、、、隅田川には、多くの造船所があったそうだが、現存する造船所はここ一か所だけである。
 
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・・・・・・・・・・・・・・綾瀬橋、、、、、、 旧綾瀬川が隅田川に合流する墨田区墨堤2丁目と足立区千住曙町を結ぶ。 昭和33年(1958)7月に竣工した、橋長61.5m、幅20.5m、墨堤通りを通す橋。、、、、、荒川にチョン切られ、本家の綾瀬川からは外れ、隅田川沿いに置き忘れられたかわいそうな“綾瀬橋”。 さらに、暗い人生を歩むがごとく、首都高が覆いかぶさり、存在感も薄くなり、心痛める“綾瀬川”。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・東武伊勢崎線堀切駅前の人道橋から見る旧綾瀬川。 右側の車道が、水面より低く見えるのは私だけか?、、、、、カミソリ堤防が崩壊したら“東京水没”である。 恐ろしいね!
 
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・・・・・・・・・・・・・・隅田水門、、、、、、荒川と隅田川を結ぶ旧綾瀬川の始点にある水門。 この水門は、増水時に荒川の水が隅田川に流入するのを防ぐ目的で造られた。 現水門は昭和43年(1968)に竣工した。、、、、普段、水門は開いており、船が荒川と隅田川を行き来している。、、、、、水門の脇を通るのは東武伊勢崎線の、堀切~鐘ヶ淵間である。
 
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④荒川土手から・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・隅田水門の脇抜け、荒川を越え、対岸の綾瀬川沿いに北上する首都高(向島線と中央環状線が合流する)。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・・荒川の上流には堀切橋が見える。
 
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2017年1月29日 (日)

鉄道の隅田川橋梁

隅田川の橋、上流から数え14・15・16番目は、千住大橋の下流に束になって架かる、JR常磐線・つくばエクスプレス・地下鉄日比谷線の各隅田川橋梁である。
南千住駅からあるきはじめ、千住大橋で隅田川を越えて、東武伊勢崎線の牛田駅まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
①鉄道の隅田川橋梁群・・・・・・・・・JR常磐線つくばエクスプレス地下鉄日比谷線の各隅田川橋梁が、右岸:荒川区南千住と左岸:足立区千住関屋町をとおり、並行し架橋されている。、、、、、両岸ともカミソリ堤防と、堤防ギリギリに建てられたマンション・工場で河岸に出ることが難しい。 写真撮影は困難を極め、不法侵入罪を覚悟し、チョイと内緒でパチリ・パチリ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・南千住駅から、JR貨物の隅田川駅 の脇を抜け、 南千住8丁目の高層集合住宅に向かう。、、、、、“勝手知ったる他人の家”で、なんの躊躇もなく、断りもなく、スタコラ・サッサとお邪魔し、防犯カメラに私の姿を残してきた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・高層ビルからの写真、、、、、地下鉄日比谷線の車両基地と、その後ろ(写真中央)に隅田川橋梁群が見える。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・日比谷線南千住駅から引き込み線が出ている、検査と清掃を行う千住検車区(車両基地)は昭和36年(1961)3月28日に発足した。、、、、、この敷地、もともとは国鉄の隅田川貨物駅の一部であった。 当時、常磐線で運ばれてきた石炭を、隅田川に面するこの場所から、船積みし東京の各地に運んだそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・3橋梁の揃い踏み。、、、、マンションの間からパチリ!、、、、、左から、常磐線隅田川橋梁(左:上流側)、つくばエキスプレス隅田川橋梁(中央)、日比谷線隅田川橋梁(右:下流側)。、、、、、上流の2橋梁は、JR東日本が発注した橋梁で、鋼下路曲弦ワーレントラス橋、橋長128.4mで、同じデザインで設計されている。 常磐線の橋梁は平成14年(2002)竣工、つくばエキスプレスの橋梁は平成15年(2003)竣工。 日比谷線の橋梁は、下路式ワーレントラス橋で、橋長は約131m、昭和37年(1962)竣工。
 
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・・・・・・・・・・・・・・右岸の橋梁下を上流側から順に撮影。
 
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・・・・・・・・・・・・・・上流の千住大橋(新橋)から見る隅田川橋梁群。
 
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・・・・・・・・・・・・・・下流側から見ると、、、、、どちらから見ても、3橋のトラスが重なり見ずらいね!
 
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②日枝神社・・・・・・・・・・荒川区南千住7丁目に、歯神:山王清兵衛を祀った祠がある。 江戸時代は山王社と呼ばれた旧中村町(千住宿)の鎮守であり、正和5年(1316)に創建されたそうだ。、、、、いずれかの藩士清兵衛が虫歯の痛みに耐えかねてこの地で切腹し、遺言によってその霊を祀ったという。 俗に山王清兵衛とよばれ、歯痛に悩む者が祈願して効き目があれば、錨をくわえた女性の絵馬を奉納する慣わしで、千住の歯神として有名であった。、、、、、今は、境内の周囲に策がめぐらされ、中に近寄ることはできない。
 
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③岡田商事引込線跡・・・・・・・・・・荒川区から千住大橋を渡り足立区に入り、墨堤通りを京成本線沿いに京成関屋駅の方に向かうと、千住関屋町で京成本線の下にレールの跡が残されているのを見ることができる。 レールの先は墨堤通りを横断し、東武伊勢崎線に向いている。 間違いなく、伊勢崎線から分岐していた跡だ!、、、、、鉄道省の時代、東武鉄道は自由に北千住駅を使うことができなかったため、大正13年(1924)、鉄道省管理の北千住駅から外れた現在の千住東に「中千住駅」を開業した。 昭和19年(1944)、さらに中千住駅から隅田川まで貨物線を伸ばし、市街の住民のウンコ(糞尿)を積んだオアイ船から、列車にウンコを積み替え、埼玉方面の農家に肥料を運んだ。、、、、現在は、岡田商事という鉄骨解体業者の敷地で、残っているレールはこの時の貨物線の跡である。
 
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2017年1月27日 (金)

京成本線隅田川橋梁~千住大橋

隅田川上流から10番目の橋は京成本線隅田川橋梁、11番目は東京電力送電橋、12番目は千住水管橋、13番目は千住大橋。 今日の散歩は、10番目から13番目までの4橋を歩いてきた。 地下鉄千代田線町屋駅から京成本線千住大橋駅まで、1万2千歩。
 
 
・・・・・・・・・・・・・・・・下の航空写真は平成4年(1992)撮影。 上水千住水管橋が写っている。
 
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①上水千住水管橋跡・・・・・・・・・・上流の尾竹橋と、下流の京成本線隅田川橋梁の間に、今は無き「上水千住水管橋」があった。 都水道局の上水管が隅田川を越えていたが、老朽化と耐震性問題により平成25年(2013)5月に撤去された。、、、、水管橋のあった位置には、かつて「一本松の渡し」があり、千住と町屋を結ぶ生活路でもあったそうだ。、、、、カミソリ堤防が行く手を阻み河岸には出られない、行き止まりの道の正面に水管橋はあったが、その痕跡は何も残っていない。、、、、、残っていれば、最上流から10番目の橋梁だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・上水千住水管橋跡と京成本線隅田川橋梁の間で、写真の行き止まりの道路下に地下鉄千代田線が走っている。 道路の先は隅田川のカミソリ堤防。
 
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②京成本線隅田川橋梁・・・・・・・・・・・・三河島水再生センターの北側で隅田川を渡る京成本線。 この付近の隅田川はカミソリ堤防で河岸が遮られ、隅田川橋梁に近づくことが難しく撮影には苦労した。、、、、、京成本線の上野~青砥間の開業は昭和6年(1931)なので、隅田川橋梁もこの頃の架橋と思われる。 橋長約125mの下路トラス橋。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・撮影の邪魔するカモメに、カラスに、ハトポッポ。 堤防は糞で汚れ、糞を踏んだ私は、糞害に憤慨した。 フ~~ン!
 
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・・・・・・・・・・・・・・右岸(荒川区南千住)から、薄曇りの下流を望む。
 
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③東京電力送電橋・・・・・・・・・・荒川区南千住と足立区千住橋戸町に架かる、東京電力の送電用の専用橋。 細めのアーチリブが華奢に見える鋼タイドアーチ桁橋で、長さ約104m。 昭和38年(1963)の竣工か(?)
 
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④千住水管橋・・・・・・・・・・・千住大橋の上流側に東京都水道局の工業用水道専用橋がある。 この工業用水は隅田川左岸の墨田区、江東区、江戸川区の地盤沈下対策を目的に供給しているもの。、、、、、千住大橋のスグ脇に架けられているため、震災復興橋としての名橋である千住大橋の姿を見るのに邪魔な存在である。 どかして欲しいね!
 
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⑤千住大橋・・・・・・・・・・・・関東大震災復興橋のひとつ。 親柱や電灯が復元されている。 下流側に昭和48年(1973)竣工の新橋がくっついている。
 
・・・・・・・・・・・・・・・旧橋は、昭和2年(1927)12月12日に竣工した鋼タイドアーチ橋。 現在は日光街道の下り線専用となっている。 設計は白鬚橋も手掛けた増田淳(1883~1947、橋梁技術者)である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・新橋は、南千住交差点から始まる橋長502.5mの3径間連続鋼箱桁橋で、昭和48年(1973)2月に開通した。 車は上り専用である。 旧橋と隣り合わせで架かるが、旧橋より高い位置に架かる。
 
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2017年1月25日 (水)

尾竹橋

隅田川上流から9番目の橋梁は尾竹橋。 地下鉄千代田線町屋駅から尾竹橋通りを歩き、尾竹橋、西新井橋を渡り、東武伊勢崎線梅島駅まで、1万2千歩の散歩です。
 
 
 
①町屋の尾竹橋通り・・・・・・・・・荒川区の町屋駅前を北上し、尾竹橋で隅田川、西新井橋で荒川を越え足立区竹ノ塚方面に伸びる尾竹橋通り。 ここ町屋付近では、両側に店も並ぶ、賑わいのある大通りだ。
 
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②尾竹橋・・・・・・・・・・荒川区町屋と足立区千住桜木町を結ぶ橋。、、、、橋名は、かつてこの地にあった「尾竹の渡し」にちなむ。 尾竹の渡しとは、渡しの近くにあった茶屋の看板娘の名が「尾竹」であったといわれている。、、、、、、昭和9年(1934)3月に震災復興事業の一環として架けられた。 当時の橋は長さ132mのゲルバー桁橋であった。 【補足】ゲルバー桁橋とは、連続する桁の途中に適当にヒンジを入れて、地盤沈下などの変形による荷重を全体に及ぼさないようにした構造の橋。、、、、、現在は、橋長130.3m、幅員15.0m、3径間連続ローゼ桁橋。 平成4年(1992)の竣工。 シンプルな橋で、すっきりしている。、、、、、女性の名が橋名となった橋は、全国にたくさんあるようで、一つも思い出せない。 情けない! 
 
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・・・・・・・・・・・・・・橋上から、上流側、下流側を望む。、、、、、寒いが、風はなく、穏やかな川面である。 
 
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  • ③千住桜木・・・・・・・・・・・尾竹橋を渡ると、北千住の町の西端に位置する足立区千住桜木に入る。 ここには、下町育ちのワンパク中高年が知る、「お化け煙突 」があった。 尾竹橋通りはこの町の中を抜け、西新井橋に続く。
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    ④西新井橋・・・・・・・・・・足立区千住桜木と対岸の足立区本木・関原を結ぶ、橋長444.6mのゲルバー箱桁橋。 昭和30年(1955)に着工し、昭和36年(1961)に竣工した。 下部工は大林組の施工。、、、、、、西新井橋が最初に開通したのは大正11年(1922)の木橋である。 当時、左岸の本木・関原地区は「東京府南足立郡西新井村」の一部であった。 右岸の千住桜木地区も、同じ西新井村の一部あった。 つまり、両側とも西新井村の一部で、村内の橋として、橋名「西新井橋」はすんなり決まったようだ。
     
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    ・・・・・・・・・・・・・・昭和30年(1955)頃の西新井橋(木橋)。 後方の煙突はお化け煙突。
     
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    ・・・・・・・・・・・・・上流側を望む。 今日も富士山が遠望できた!
     
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    ・・・・・・・・・・・・・・【余談】 昭和38年(1963)の日活映画:シネマスコープ、総天然色、キャスト:吉永小百合、松原智恵子、橋幸夫、浜田光夫 『いつでも夢を』を、ぜひぜひご覧あれ!、、、、、昭和37年(1962)のレコード大賞受賞曲の映画化作品である。、、、東京下町の工場地帯を舞台として、看護婦のひかる(小百合)、夜学へ通う工員の勝利(浜田光夫)、新入り運転手の留次(橋幸夫)がおりなす、ひかるをめぐる恋の争奪戦。 日活の得意の青春映画。、、、私の好きなパターンの映画で、気持ちは小百合の相手役になりきり、エンディングとなる。、、、、、ところで、この映画のロケ地が西新井橋周辺である。 小百合が自転車で渡る木橋の西新井橋、背後に見えるお化け煙突、浜田光夫と手をつないで荒川土手を駆け降りる小百合、随所に当時の懐かしい場所が登場する、必見!
     
     
     
    ⑤梅田稲荷神社・・・・・・・・・・足立区梅田5丁目に、梅田町の鎮守である稲荷神社がある。 創建は平安時代末期らしい???
     
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    2017年1月23日 (月)

    尾久橋・日暮里舎人ライナー隅田川橋梁

    隅田川の橋梁めぐり、今日は7番目の尾久橋、8番目の日暮里舎人ライナー隅田川橋梁を見て、連続して荒川に架かる扇大橋、日暮里舎人ライナー荒川橋梁も見てきた。 JR田端駅から、日暮里舎人ライナー扇大橋駅まで、1万3千歩の散歩です。
     
     
     
    ①東灌森稲荷神社・・・・・・・・・・・・田端駅から北東に300m程歩くと、北区東田端1丁目に東灌森稲荷神社 (とうかんもりいなりじんじゃ)がある。、、、、太田道灌が江戸城築城の際、方除け守護神として、江戸周辺に七つの稲荷社を祀ったと伝えられている。 即ち柳森稲荷社烏森稲荷社椙森稲荷社・雀森稲荷社・吾妻森稲荷社・宮戸森稲荷社、そしてここの東灌森稲荷社である。、、、、、神社入口の石鳥居は吉原遊郭の尾張屋彦太郎が安政4年(1857)に奉納したもので、江戸下町に多かった稲荷信仰の一つである。、、、、、今は、地元の有志によって守られている神社のようだ!
     
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    ②尾久銀座/はっぴーもーる熊野前・・・・・・・・・・・・・荒川区東尾久4丁目の中央を南北に貫く下町の商店街が「尾久銀座」。 4丁目から東尾久5丁目に入ると「はっぴーもーる熊野前」の商店街が続ぎ、二つの商店街が約800mの長さでつながっている。 北端は、都電荒川線の「熊野前停留場」の正面である。
     
    ・・・・・・・・・・・・・・・商店街の南端(東尾久4-21)にある「尾久銀座」のアーチ。
     
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    ・・・・・・・・・・・・・・店開きの準備中! 昭和34年(1959)に設立し、50年以上経過した元気そうな商店街だ。
     
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    ・・・・・・・・・・・・・・商店街の中程のスーパーの2階に、かつて「尾久セントラル劇場」という映画館があった。 30年ほど前にすでに閉館した映画館だが、2階の外壁にはいまだ当時の看板が残されている。 「各社特選映画上映」、「毎週土曜日オールナイト」、「冷暖房完備」、懐かしい単語が並び、嬉しくなる看板である。、、、、チョイと2階へ上がってみると、入場券売り場と思われる窓と入口がある、残念だがシャッターが下りている。 ここで、三本立てのピンク映画、ヤクザ映画を観て育った学生も、今は立派な大人になっていることだろう!?
     
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    ・・・・・・・・・・・・・・「尾久銀座」の北端は、「はっぴーもーる熊野前」の南端である。 二つの商店街のアーチが重なる。
     
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    ・・・・・・・・・・・・「はっぴーもーる熊野前」の商店街は、万国旗の飾り付けでお出迎え。 まだ開店前で人通りも少なく寂しいが、昼過ぎには活気ある商店街になるだろう。
     
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    ・・・・・・・・・・・・・・商店街の北の端。 アーチの前は都電「熊野前停留場」。
     
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    ③尾久橋/日暮里舎人ライナー隅田川橋梁・・・・・・・・・・・・・上流側に尾久橋通り(都道58号)を通す尾久橋(おぐばし)が架かる。 下流側に日暮里舎人ライナーの隅田川橋梁が並行して架かる。 
     
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    ・・・・・・・・・・・・・・尾久橋は荒川区東尾久と北岸の足立区小台を結ぶ、全長176.0 m、幅24.0 mの、3スパン連続鋼床版箱桁橋。 昭和43年(1968)に完成。、、、、、隣の日暮里舎人ライナーの隅田川橋梁は、平成20年(2008)の全線開業に合わせ完成した。
     
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    ・・・・・・・・・・・・・・尾久橋から、上流側(小台橋)、下流側(尾竹橋方向)を望む。
     
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    ・・・・・・・・・・・・・・・尾久橋を渡った先に、日暮里舎人ライナーの「足立小台駅」が見える。
     
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    ④扇大橋/日暮里舎人ライナー荒川橋梁・・・・・・・・・・・・・尾久橋に連続して扇大橋が架かる。 また、隣を走る日暮里舎人ライナーも隅田川橋梁に続き荒川橋梁となる。、、、、左岸側(足立区扇側)では、扇大橋の上を首都高中央環状線がクロスし、さらにその上を日暮里舎人ライナーが通る。 よって、荒川橋梁は怖いくらいの高さにある。
     
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    ・・・・・・・・・・・・・・扇大橋(おおぎおおはし)は、3径間連続鋼ゲルバー式桁/連続箱桁橋、橋長445.4m、幅員26.0m、昭和49年(1974)の竣工。、、、、、、、日暮里舎人ライナー荒川橋梁は、4径間鋼箱桁、橋長610.8m、幅員12.8m。 平成18年(2006)に竣工した。
     
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    2017年1月21日 (土)

    小台橋・江北橋

    隅田川最上流から6番目の橋である「小台橋」を目指し、田端駅から歩いた。 駅から北へ向かい、明治通りを越えたら「旧小台通り」を抜けて小台橋を渡る。 橋を渡ると、荒川区西尾久から足立区小台に変わり、先日渡った豊島橋の先にある江北橋で荒川を越えて、日暮里舎人ライナーの扇大橋駅まで、1万3千歩の散歩です。
     
     
     
    ①旧小台通り・・・・・・・・・・・・・荒川区西尾久の町の中央部を南北に抜ける全長780m程の昔ながらの商店街。
     
    ・・・・・・・・・・・・・・商店街の南端(西尾久1-24先)。「小台・銀座」のアーチと「旧小台通り」の道標。
     
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    ・・・・・・・・・・・・・・・只今、朝の8時40分、まだ店も開いてない。 人通りも少ない。
     
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    ・・・・・・・・・・・・・・商店街の中ほどで、ここから街路灯も変わり、別な商店街となるようだ。 道筋の雰囲気は変わらない。
     
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    ・・・・・・・・・・・・・・・商店街の中にある病院。 明治42年(1909)に「佐藤医院」として創設し、大正7年(1918)に「佐藤病院」に改称した。、、、一般病棟60床、療養病床38床の地域の中核病院か(?)
     
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    ・・・・・・・・・・・・・・商店街の地元スーパーは、開店の準備の品揃え中。
     
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    ・・・・・・・・・・・・・・商店街の北端は都電小台停留場前。 右側の細い道が旧小台通り、左の広い道は田端駅前から小台橋に通じる都道458号。
     
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    ②寶蔵院・・・・・・・・・・・小台橋の南詰にある新義真言宗の寶蔵院は金亀山寶蔵院地正寺と号す。 寛永10年(1633)に創建したといわれている。、、、、、本堂前にウメの花がほころんでいた。
     
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    ③小台橋・・・・・・・・・・・足立区小台は隅田川が大きく蛇行する位置にあり、北側の荒川と南側の隅田川に挟まれた中州状のところである。 その小台地区と荒川区西尾久を結ぶ橋が小台橋(おだいはし)。 小台橋が最初に架けられたのは、昭和8年(1933)で、関東大震災後の復興事業であった。、、、、、現橋は平成4年(1992)に、橋長122.0mの鋼ニールセンローゼ桁橋として架けられた。  【補足】 桁とアーチ部材の両方で、橋を曲げようとする力に対応する構造の橋をローゼ橋と呼ぶ。 桁とアーチの間に、斜めに張ったケーブルを配置した形式をニールセン・ローゼ橋(Nielsen Lohse Bridge)と呼ぶ。
     
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    ・・・・・・・・・・・・・・上流側、下流側を望む。 荒川区側は親水堤防、足立区側は切り立ったカミソリ堤防となっている。、、、、、いずれ、足立区も親水堤防に改良してくれるだろう?
     
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    ④江北橋・・・・・・・・・・・江北橋(こうほくはし)は、荒川にかかる橋で、右岸(南岸)は足立区宮城、左岸(北岸)は足立区江北で、都道307号を通す。 大正12年(1923)4月21日に、木桁橋で開通したが、同年9月に関東大震災で破壊し、大正14年(1925)に架け替えられた。 現橋は、昭和47年(1972)に架け替えられたものである。、、、、、、鋼カンチレバーランガー桁橋で、橋長は449m   【補足】 桁を曲げ剛性がないアーチにより支持した形式の橋梁をランガー橋と呼ぶ。、、、、都心部では長い橋の一つで、渡り終えるまでチョイと時間がかかり、頬にあたる北風がやたら冷たく感じ、久しぶりに顔面神経麻痺の再発を恐れた! どうやら再発は免れたみたいだ。、、、、、【蛇足】 顔面神経麻痺は、冷たい風が顔の一方にあたることで発症するそうだ。 私は過去3回経験しているので、間違いなし!
     
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    ・・・・・・・・・・・・・・江北橋の上流側には、首都高中央環状線の五色桜大橋(ごしきざくらおおはし)が架かっている。 2層構造のダブルデッキニールセンローゼ橋で、純白の二本線が真横に伸び、カッコいいね! 平成14年(2002)12月25日開通。
     
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    ・・・・・・・・・・・・・・江北橋を渡り、荒川左岸から見る富士山。、、、、、私は、どうも典型的な日本人で、富士山を見ると嬉しくなり、カメラでパチリ!
     
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    2017年1月18日 (水)

    豊島橋・首都高中央環状線隅田川橋梁

    隅田川の上流から数えて、4番目の豊島橋、5番目の首都高中央環状線隅田川橋梁を見てきた。 王子駅から首都高中央環状線沿いに歩き、豊島五丁目団地を覗き豊島橋を渡り足立区に入り、川岸をしばらく歩き、王子駅に引き返す、1万4千歩の散歩です。
     
     
     
    ①首都高中央環状線隅田川橋梁・・・・・・・・・・・・・隅田川右岸の北区堀船と左岸の足立区宮城との間に架かり、平成14年(2002)12月に王子線(板橋JCT~江北JCT間)が開通した。 この開通に合わせ隅田川橋梁も架橋されたと推測される。、、、、、隅田川の上を、上下2層の連続トラス橋で越え、“橋梁”と言うより、“高架橋”と言う感じである。、、、、、今日は、王子駅から豊島橋の先まで首都高沿いに歩いてきた。
     
    ・・・・・・・・・・・・・・飛鳥山をトンネルで抜け、石神井川沿いに隅田川へ向かう首都高。
     
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    ・・・・・・・・・・・・・・・石神井川と隅田川の合流点。 頭上を首都高が走る。
     
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    ・・・・・・・・・・・・・・・隅田川を越える首都高中央環状線隅田川橋梁。
     
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    ・・・・・・・・・・・・・・川を越えると左岸(写真左側)沿いに、足立区宮城を抜ける。
     
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    ・・・・・・・・・・・・・・・・豊島橋東詰の上を直進し、、、、
     
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    ・・・・・・・・・・・・・・・首都高は写真:奥へ進み、江北橋に並行して荒川を越える。 写真左、隅田川が左奥から大きく蛇行し豊島橋に流れ来る。(この付近に、昔、渡しがあったようだ。)
     
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    ②下道地蔵尊・・・・・・・・・ずらりと18体の石仏が並ぶ下道地蔵尊。、、、、、 このへんは、明治以前は豊島村・領家集落の北の外れで、川と田んぼが広がる田舎であった、この辺には多くの石仏がたたずんでいたと思われる。 都市化とともに、各処にあった石仏が集められ、今となった。、、、、、“下道(しもみち)”とは、この辺りから下(しも、現:北区志茂)に向かう道があったことから地名として、このように呼ばれていたそうだ。
     
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    ③豊島五丁目団地・・・・・・・・・・隅田川が大きく曲がる北区豊島5丁目に建つ公団住宅。、、、、鉄筋コンクリート造、14階建て、総戸数4959戸(12棟)、昭和47年(1972)8月~昭和48年(1973)10月の竣工である。、、、、、この団地は、日産化学工業王子工場の跡地に開発された大規模団地である。
     
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    ・・・・・・・・・・・・・・団地内のショッピングモールを覗いてみた。、、、、おや! 閉店した店もあるようだ。
     
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    ・・・・・・・・・・・・・・チョイと“A”型の平面をした高層棟を見学することに、、、、、奇数階止まりのエレベータで9階でおりた瞬間、エレベータのロープが切れていたらと考え、ぞ~~っとした。 9階の窓のない廊下から外を見ると、もし風で飛ばされたらと考え、また、ぞ~~っとした。 廊下のつなぎ目の鉄板の上を歩き、もし錆びていたらと考え、またまた、ぞ~~っとした。 私の若い頃は、ゼネコンで集合住宅の現場を担当し、足場の上も平気で歩いていたが、歳をとり高所恐怖症になってしまった。 自分の足元が不安な場所、足元が不安になる想像をすると、怖いのだ。、、、、、もう私は、高層住宅に住めそうもないね!
     
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    ④豊島橋・・・・・・・・・・・・豊島橋(としまはし)は、隅田川を挟む、北区豊島と足立区宮城を結ぶ橋。、、、、、もともと現在の橋の上流300mほどの隅田川が大きく蛇行する処に、鎌倉時代から続くと渡しがあったそうだ。 この場所に、大正14年(1925)、木橋の豊島橋が架けられた。 昭和35年(1960)に下流の現在の位置にゲルバー式鋼製桁橋が改架された。 そして、平成7年(1995)に地盤沈下と老朽化によって再度改架されることとなり、7年の工事期間を経て平成13年(2001)に現在の橋が架けられた。、、、、、、、単純下路式鋼ローゼ桁橋で、橋長は106.7mである。、、、、、、シンプルな桁で瘦せ型の女性のようなデザインの橋だ!
     
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