足立区

2017年7月24日 (月)

小菅~綾瀬

東武伊勢崎線の小菅駅で下車し、裏通りをブラブラ、常磐線綾瀬駅まで、9千歩の散歩です。
 
 
 
①小菅駅・・・・・・・・・・現実は、刑務所の時代は遠い昔に終わり、近代的な拘置所の時代に変わった“小菅”である。、、、、、、小菅駅にホーム立った私は、目の前の東京拘置所を見ると、やくざ映画の影響か? 小菅駅で降りる若い男性は“親分に差し入れに来たチンピラか?”、若い女性は“刑があける日を待つ愛する男に会いに来たのか?”、カバンを下げたサラリーマン風の男は“正義の味方の弁護士か?”、和服の女性は“背中に登り竜が彫られた姉御か?”、小太りのおばさんは“差し入れ屋のやりてババアか?”、ハゲの親爺は“私腹を肥やした悪徳元刑務官か?”、、、、、人を見る目が狂ってしまう。 
 
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・・・・・・・・・・・・・小菅駅で下車したものの、『さて、どっちへ歩こうか?』 『今後の為に、より深く拘置所を知っておくべきか?、拘置所とは反対側を歩いてみるか?』 迷っていると、金髪の外人さんが駅に向かって来た。 『これで決まった!外人さんがやって来た、拘置所とは反対の方向へ行こう!』
 
・・・・・・・・・・・・・・東武伊勢崎線の高架下を抜け、常磐線・千代田線の高架下を抜け、足立区足立2丁目の裏道を歩く。
 
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②庚申塔・・・・・・・・・・住宅が立ち並ぶ東武伊勢崎線の線路沿い(足立2-31)に、庚申塔が二基、他に出羽三山巡礼供養塔、 「庚申塚修復記念」の石塔がある。 祠の中に建つ庚申塔には、「安永九年庚子十二月吉日五反野村講中拾二人」と刻まれている。 安永9年(1780)、この近くの五反野村の12名の人々が庚申講を結成し、主に長寿を願う行事が満願に達したのを記念してこの庚申塔を建立したそうだ。、、、、、庚申塔に札束のレプリカが供えられていたが、どういう意味かな? 本物なら頂戴してくるのだが、、、、
 
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③下山国鉄総裁追憶碑・・・・・・・・・・・・・西綾瀬1丁目の常磐線ガード脇に、初代国鉄総裁を偲ぶ碑がある。 戦前生まれの人であれば、御存じ、下山事件の下山貞則総裁を偲ぶものである。、、、、、事件のあらましは、、、、昭和24年(1949)7月5日、下山初代国鉄総裁は朝8時過ぎに大田区上池上の自宅を公用車で出勤した。 途中、銀行等に寄り、9時半頃、日本橋三越で車を降り、入店しそのまま消息が途絶えた。 翌日の午前0時半頃、常磐線:北千住~綾瀬間の東武伊勢崎線が頭上を交差する地点において汽車に轢かれた下山総裁の遺体が発見された。 検視の結果は、遺体から生活反応が見られなかった事から、列車に轢かれた時に総裁が生きていたか、死んでいたかが問題となった。 自殺か、他殺か?。 警察からは公式の捜査結果が発表されないままに捜査は打ち切られ、迷宮入りとなった。 当時は高インフレにあえぐ経済の立て直しのために緊縮財政がとられ、6月には行政機関職員定員法が施行され、これにより国鉄に対し10万人近い人員削減が求められていた。 また、同年7月15日には三鷹事件、8月17日には松川事件が発生している。、、、、、、私は、当時3歳、まだ世の中の情勢に疎く、事件には無関心であった。 ゴメン!
 
・・・・・・・・・・・・・碑は、昭和26年(1951)、事件現場付近に建立されたが、平成3年(1991)常磐線荒川橋梁改良工事に伴い、現在地に移設された。
 
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・・・・・・・・・・・・・・事件現場、、、、、写真奥は北千住側、手前が綾瀬側。 左側に常磐線が走る。 中央の電車は千代田線。 奥に常磐線・千代田線の上を交差して東武伊勢崎線が走る。 事件現場(総裁の遺体発見現場)はこの交差部分らしい。 追憶碑は手前のガードの左手奥にある。
 
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④西綾瀬の町から綾瀬の町へ・・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・農家の匂いが残る、西綾瀬3丁目を抜けて行く
 
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・・・・・・・・・・・・・どこかの里山に佇む寺の雰囲気が残る、新義真言宗の長性寺(西綾瀬3)は、寛永元年(1624)に創建した。 荒川辺八十八ヶ所霊場50番札所。
 
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・・・・・・・・・・・・・・弘道小学校(西綾瀬4)は、明治11年(1878)創立の歴史のある小学校。当初は現在の綾瀬川左岸(綾瀬4)の常磐線線路際にあった。 大正15年(1926)に現在地に移転した。 校名は論語衛需公篇の「子日人能弘道非道弘人」からとされているが、近くを水戸街道が通っており、水戸藩の藩校「弘道館」を意識したのかも?
 
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・・・・・・・・・・・・・・弘道小学校前の通り。
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・・・・・・・・・・・・・・この通りに「綾瀬村役場跡」の碑がある。、、、、綾瀬村は明治22年(1889)から昭和7年(1932)まで存在した自治体で、その後東京市足立区に吸収された。
 
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・・・・・・・・・・・・・綾瀬川に架かる五兵衛橋を渡り、西綾瀬から綾瀬に入る。、、、、、五兵衛橋は、この辺を開拓した金子五兵衛に由来している。江戸時代の初め、金子五兵衛は他の者と一緒に武蔵国入間郡金子村(現埼玉県入間市)から転入して開拓し、一帯はその名をとって五兵衛新田村となった。、、、、この橋の初代は、寛永年間(1624~1644)に綾瀬川が内匠橋から伊藤谷橋あたりまで新川として開削されたため村が東西に分断されるため、代償として長さ12間、幅9尺の土橋が幕府によって設置されました。 これが五兵衛橋の初代です。 その後、橋は何度か架け替えら、現橋は平成10年(1998)に架けられた歩道橋である。、、、、、この橋の先代の橋は、「男はつらいよ」第26作「寅次郎かもめ歌」に登場している。 マドンナ役の伊藤蘭が入学する学校が葛飾高校(架空)で、通学途中で渡る橋が五兵衛橋。、、、、一見、たいしたことない歩道橋だが、歴史あり、エピソードありで、驚きだ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・五兵衛橋を渡り綾瀬4丁目に入ると、大地主のような門構えの住宅がある。 門の前には足立区教育委員会の名で、「金子家文書」と標記した案内板が立てられていた。、、、この金子家は金子五兵衛の家である。、、、、そして、金子文書とは、新撰組近藤勇が流山で捉えられる前、慶応4年(1868)3月14日から4月1日までの19日間、あの新撰組が、金子家や近くの観音寺に分宿していた。 総勢227人もの大集団で、世情柄精神的な負担や、その世話(経費)などで大層迷惑を蒙った上に、後日明治政府から、強い叱責があったという。 近藤勇らが五兵衛新田の金子家に滞在した事は、その賄方の記録として金子家文書に残っている。 現在近藤勇として一般に知られている袖内に腕組みした写真も、金子家が所蔵しているらしい。
 
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・・・・・・・・・・・・・・綾瀬駅の北側(綾瀬4)に、綾瀬稲荷神社がある。 この神社は、創建年代は不詳であるが、五兵衛新田の鎮守社であったといい、明治7年(1874)に五兵衛神社と、昭和42年(1967)年に綾瀬稲荷神社と改称した。
 
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⑤綾瀬駅・・・・・・・・・・綾瀬駅に停まる電車は千代田線だけ。 千代田線は地下鉄の路線。 その線を走るのはJRの電車(常磐緩行線)。 窓から横を見ればJRの電車(常磐快速線)が通過する。 次の北千住で常磐快速線に乗り換えると、浅草橋まではJR料金。 西日暮里で山手線に乗り換えると、浅草橋までは地下鉄+JR料金。、、、、、ややっこしい!勝手にしろ!
 
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2017年6月12日 (月)

高砂~綾瀬

浅草橋の地下鉄ホームは島式ホームである。  散歩の行く先が未定のときは、とりあえず改札をとおりホームにいて、押上方面行か、泉岳寺方面行か、気が向いた方の電車に乗ろう。 てなことで、適当に乗って、適当に降りることが多い。、、、、、今日はホームに下る階段から、押上方面行に黄色い電車が止まっているのが見えた。 『アッ! 先日、孫と話していた電車だ。 幸せの京急イエローハッピートレインだ!』、反射的に飛び乗った。 『ラッキー、これで孫に自慢話ができるぞ!』、まずは証拠に電車の写真を撮っておこう。、、、、、と言うことで、終点の青砥まで行って、証拠の写真撮影。

 

①京急イエローハッピートレイン・・・・・・・・・「赤い電車」でおなじみの京浜急行の特別塗装車両である。 1000形電車を幸せの色“黄色”で塗った“KEIKYU YELLOW HAPPY TRAIN(京急イエローハッピートレイン)”は、2014年5月1日より運行されて­いる。 当初、今年の4月までので3年間の運行を予定していたが、好評で今年の4月以降も引き続き運行することが決定した。 2017年4月29日からは車体側面扉部分をこれまでの「シルバー」から「イエロー」に変更した新塗装で運行されている。、、、、車両は新1000形8両1編成を使用。 運行日時、運行区間などはナイショで、教えてくれない。

・・・・・・・・・・・・・・終点(折り返し)の青砥駅で撮影。

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・・・・・・・・・・・・・車内には只今実施中のキャンペーン「父の日ありがとうギャラリー号」と称し、子供が描いたお父さんの絵が掲示されている。

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・・・・・・・・・・・・・・イエローハッピートレインは青砥駅の先にある留置線に入線した。 私も追いかけるように次の電車で留置線に停まった電車を窓越しに見て、次の高砂駅で下車する。

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②高砂駅・・・・・・・・・・・どの電車も、高砂駅で乗務員の交替が行われている。 オヤ、女性の運転士さんだ。 ついつい見つめて散歩を忘れるところ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・今日は、高砂駅 から歩くことにした。
 
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③高砂の町・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・高砂駅から駅前踏切の通りを北へ向かう。
 
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・・・・・・・・・・・・・・まずは、昭和の床屋らしき店舗。 今は廃業か? 店の名は無い。 床屋のシンボル、目の回る看板も無い。 あるのは、アールデコ調のドアと窓。 (高砂5)
 
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・・・・・・・・・・・・・・住吉稲荷の前で、『我はどこへ向かって歩いているのだ?』。 ここで、初めて地図を見た。 どうやらこのまま北東に進むと、帝釈天にでる。 今日は、草餅を遠慮することにして、進路を北北西にとる。 (高砂8)
 
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・・・・・・・・・・・・・・これはこれは、懐かしい雰囲気のタバコ屋さん。 どうみても廃業した店と思われる。 看板の“雑貨”の“貨”の字、人偏に「上」と「貝」、いつの時代の文字か? (柴又1)
 
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・・・・・・・・・・・・・・この店の横に、これまた絶滅危惧種に指定されそうな公衆電話があった。 隣に並ぶ「ファミリープラン」の自販機と共に、まだ現役で活躍中の機器だった。 電話しながら、買えるね。 (柴又1)
 
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・・・・・・・・・・・・・・こちらは、廃屋の上に綺麗に咲く花。 町の景観大賞を受賞? (高砂7)
 
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④葛飾区新宿・・・・・・・・・・・・新宿区は“しんじゅく”、葛飾区は“にいじゅく”。 葛飾区新宿は区の中央部に位置し、中川の東岸、国道4号(水戸街道)の両側に広がる町。
 
・・・・・・・・・・・・・高砂から新宿に入る。 伊勢丹の在る新宿三丁目ではありません。
 
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・・・・・・・・・・・・・・葛飾区に昭和44年(1969)に誕生した「新宿交通公園」。  園内には歩道、車道、横断歩道や信号機といった交通公園の基本設備が整っている。 自転車やゴーカート、豆自動車、ミニSLなどで遊びながら、交通マナーをしっかりと学べるそうだ。 (新宿3)
 
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・・・・・・・・・・・・・・亀有警察署の前で、国道4号(水戸街道)を横断する。 (新宿4)
 
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・・・・・・・・・・・・・・警察署の横の道は柴又帝釈天につながる古道:帝釈道で、新金貨物線 と交差する位置に柴又踏切がある。 貨物列車は一日数本しか通らない。  (新宿4)
 
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・・・・・・・・・・・・・・踏切の先では、旧水戸街道の拡張により、移転を余儀なくされた石仏が並び出迎えてくれる。
 
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⑤中川橋・・・・・・・・・・・中川に架かるその名も中川橋、葛飾区新宿と亀有を結ぶ。 ここには、水戸街道の「新宿の渡し」があったが、明治17年(1884)に明治天皇の行幸に合わせて橋が完成した際、廃止された。 2代目の橋は、昭和8年(1933)に架設されたが、老朽化と交通量の増大に対応するため、架替工事が平成5年(1993)に着工され、事業費28億円をかけ平成20年(2008)3月10日に開通した。 橋長120.6m。
 
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⑥亀有の町・・・・・・・・・・・中川橋を渡り、真直ぐ西へ綾瀬駅に向かう。
 
・・・・・・・・・・・・・・中川橋の西詰、大型ショッピングセンターを通過。 (亀有3)
 
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・・・・・・・・・・・・・・ 亀有の町には、マンガ:『こちら亀有公園前派出所』の人気キャラクターの銅像が14体ある。 そのうちの2体がこちら。 (亀有2)
 
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・・・・・・・・・・・・・・亀有一里塚跡、、、、、亀有の一里塚は、千住宿から1里、江戸日本橋から3里に位置する。 亀有1丁目28の地点に、現在は一里塚跡の碑が建てられている。 隣には、助さん・格さんを従えた水戸黄門のモニュメントも建っている。、、、、チョイと、気持ち悪い首だけのモニュメントだ! 今夜、いやな夢を見そうだ、、、
 
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・・・・・・・・・・・・・・西亀有三丁目交差点から、旧水戸街道が千住方面に向かい伸びている。 そちらを歩いてみたが、特に気になる古い建物・遺構などは何もなし。
 
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綾瀬駅 ・・・・・・・・・・・京成高砂駅から1万2千歩、やっと着いた綾瀬駅。 止まっているのは千代田線の車両、どうしても昔の常磐線のイメージとは程遠く、JRの駅とは思えない。
 
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2017年6月 2日 (金)

花畑運河

つくばエキスプレス八潮駅から南下し、足立区の北東部にある花畑運河を歩きつくばエキスプレス六町駅まで、1万3千歩の散歩です。
 
 
八潮駅・・・・・・・・・・・・・・埼玉県の東南、草加市と三郷市に挟まれた八潮市は、東京都足立区・葛飾区とも隣り合わせる市である。 昭和31年(1956)に三村が合併し、「条村」・「幡村」+「止村」=「八潮村」となった。 その後、八潮村から八潮町を経て、昭和47年(1972)に八潮市となる。 市内唯一の鉄道がつくばエキスプレスで、唯一の駅が八潮駅である。 平成17年(2005)8月24日に開業した、島式ホーム2面4線の高架駅は、私が住むJR浅草橋駅より格段に大きく立派である。(比べることに無理があるかも)
 
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②垳川排水機場・・・・・・・・・・・八潮駅から南へ1km程行くと、東京都足立区と埼玉県八潮市の境となる垳(がけ)川が、中川に合流する地点に垳川排水機場がある。 中川との接続点に昭和54年(1979)に造られた排水機場。、、、、、、垳川はかつて綾瀬川本流であったが、江戸初期に綾瀬川から切り離され、江戸中期には中川とも切り離されて、川の中間部には葛西用水が流れ込み、溜池のようなものとなった。 そこで、増水時には水害防止のため、綾瀬川や中川に排水する施設として垳川排水機場がある。 ここには、5台のポンプがあり、フルに稼働すると1分間に学校のプール7個分の水を排水する能力が確保されている。、、、、、、首都圏の洪水対策は完璧だね!(チョイト心配だが?)
 
・・・・・・・・・・・・・・・写真右側は八潮市、左側は足立区。 都県境の垳川。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・垳川排水機場
 
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・・・・・・・・・・・・・・・垳川排水機場前を流れる中川。、、、、、左側の新大場川水門は葛飾区西水元と八潮市古新田の間に造られている。
 
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③花畑運河・・・・・・・・・・足立区東部(JR綾瀬駅・亀有駅のはるか北3.5km程)に位置し、東京近郊の農村地帯と都心を結ぶ舟運の利便化のため、昭和6年(1931)に中川と綾瀬川を結ぶ運河として開削された。、、、、江戸・明治の頃より、舟運は埼玉県東部の穀倉地帯からの食糧を輸送するだけでなく、東京から出された大量の糞尿を肥料として農耕地帯へ送り出していた。 それに係わる運搬船は、最盛期に3,800隻近くとなっていた。、、、、春日部・越谷近辺から中川を下ってくる船は、現在の旧中川をとおり、小名木川・隅田川・都心のルートを航行した。 一方、綾瀬川を下ってくるルートは、現在の堀切駅近くにある隅田川水門から隅田川に入り都心に直結していた。 明治44年(1911)から、荒川放水路の開削工事が始まると、放水路により中川は分断され、中川ルートは各所に水門・閘門が設けられ運行に支障をきたすこととなる。、、、、そこで、大正14年(1925)、急遽、花畑運河の開削工事が計画され、中川ルートの船を綾瀬川ルートに誘導し、渋滞解消をはかることにした。 工事は荒川放水路の竣工に半年遅れ昭和6年(1931)12月に完成した。、、、、戦後は糞尿輸送・食料輸送も減り、現在は東京湾に向かう釣り船がたまに通行するだけとなった。、、、、ここで、私が考えた今後の利用計画を内緒で披露する。 両端の水門を閉じ、釣り船の航行は止め、足立区営の巨大な釣り堀にしたらどうだろう! 
 
・・・・・・・・・・・・・中川寄りの六ツ木水門、、、、、、平成11年 (1999) 3月に竣工した幅員7.5mのローラーゲート式。 こちらは水門は常時開放され船の進入が可能。 ただし、花畑運河にかかる橋は水面からの高さが低く、干潮時でないと通航困難とのこと。
 
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・・・・・・・・・・・・・・六ツ木水門から見る、真直ぐに伸びる花畑運河。
 
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・・・・・・・・・・・・・・運河上には六ツ木水門から順に、桜木橋富士見歩道橋雪見橋月見橋と架かり、綾瀬川寄りには花畑水門がある。
 
・・・・・・・・・・・・・・桜木橋と、桜木橋から見る六ツ木水門、そして花畑水門側を望む。
 
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・・・・・・・・・・・・・・運河は両サイドをコンクリートの護岸で囲まれている。 水辺には下りることができない。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・下りられない水辺で釣りをする人。 水面にはペットボトルがプカプカ。 釣った魚で晩酌するのか? 
 
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・・・・・・・・・・・・・・・雪見橋から花畑水門側を見ると、川にはゴミが浮いている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・綾瀬川寄りの運河には、月見橋が架かり、スグ隣に花畑水門、頭上には首都高6号三郷線が走る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・綾瀬川を挟み、対岸から見る花畑水門。
 
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六町駅 ・・・・・・・・・・平成17年(2005)に開業した、つくばエクスプレスの六町(ろくちょう)駅。 駅周辺にはスーパーがあるていど、これと言うめぼしきものは無し。 あっ、そう・そう、マクドナルドがあったね、私の住む浅草橋にあったマックは数年前に撤退した、残念だが負けた!
 
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2017年5月29日 (月)

見沼代親水公園~鳩ケ谷

日暮里舎人ライナーの終着駅:見沼代親水公園駅から、北西に向かい埼玉高速鉄道の鳩ケ谷駅まで、1万3千歩の散歩です。
 
 
 
①日暮里舎人ライナー・・・・・・・・・・東京都民で70歳以上になると、年2万510円で都営地下鉄・都電・日暮里舎人ライナーと都内を走る私営バスの大半が乗り放題の「シルバーパス」を購入することができる。 私も今年からこれを利用しており、今日も、起点の日暮里から終点の見沼代親水公園まで乗車してきた。 ちなみにこの間は、9.7kmで、両端を含め13駅、運賃330円である。
 
・・・・・・・・・・・・・・起点:日暮里駅
 
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・・・・・・・・・・・・・・・一番前の座席に座り、カメラ構えて出発進行!
 
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・・・・・・・・・・・・・・終点:見沼代親水公園駅
 
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・・・・・・・・・・・・・都内を走る鉄道で、東京23区の最北端の駅である。 平成20年(2008)開業。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・軌道がちょん切れた先端から埼玉県(草加市)との境までは220m程、まさしく役所が造った“都営”の交通機関である。 チョイト伸ばして草加市・川口市に乗り入れれば、儲かると思うのだが?
 
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・・・・・・・・・・・・・・東京都(足立区舎人)から眺めた埼玉県(草加市)。
 
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②舎人氷川神社・・・・・・・・・・見沼代親水公園駅の南側(足立区舎人5)にある氷川神社。 舎人氷川神社は、正治2年(1200)に大宮氷川神社を勧請して創建した、明治5年には村社となった。、、、、、現在の社殿は、天保7年(1836)の建築で、総けやき造り、柾目の素材を集めて造営された。 唐様破風流れ造りの屋根が大きく社殿を覆っている。 その特徴は社殿一面に施された昇龍・降龍・唐獅子などの彫刻美にある。 残念ながら、本殿は鉄骨の鞘堂で覆われチョイト見ずらい。
 
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③23区で最北端の家・・・・・・・・・・・見沼代親水公園駅が都内で最北端の駅であれば、住宅の最北端は、、、、、地図を見ると“都内の最北端”は奥多摩の方にあるようだ、しかし“23区の最北端”はこの地にあるようだ。 駅の北側、埼玉県側にチョイト出っ張った住宅地があり、私の推測ではこの一画が該当すると思われる。
 
・・・・・・・・・・・・・・・用水路と並行する裏道。右側のスパーは埼玉県草加市、左側の仮囲いとその先にある住宅は東京都足立区。 この付近が23区の最北端だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・地図で推測すると、こちらの新栄テントの看板が出ている建物が最北端であると、私が決めた!
 
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・・・・・・・・・・・・・・話はついでに、、、、、最北端の家から50m程西に歩くと、今度は都県境と市境がT字型にぶつかる処がある。、、、、、、写真、右側の一段高くなった駐車場は埼玉県草加市、中央の白い住宅は埼玉県川口市、左右に伸びる道路の手前側は東京都足立区である。、、、、、、今日の散歩は、駐車場と白い住宅の間を歩き川口市に入った。
 
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④普門寺・・・・・・・・・・・・・川口市本蓮1丁目に真言宗智山派の熊野山普門寺がある。 普門寺の創建年代は不詳であるが、歴史のありそうな寺だ。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・本堂は最近建てられたものと思われる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・延宝6年(1678)に建てられた観音堂。、、、、、屋根は平成2年(1990)に茅葺き屋根から銅板に替えたそうだ。
 
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⑤文化放送送信所・・・・・・・・・・・普門寺から北西へ歩き、川口市赤井という処に来ると、森の中に大きな紅白のポールが見えた。、、、、、測量用のものかな? 行ってみよう!
 
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・・・・・・・・・・・・・・正面と思われる処には、「文化放送 送信所」の表示がある。、、、、ここがらあの「文化放送・・・・・文化放送・・・・・JOQR」と流されていたのか、感動したね。、、、、でも? 東京タワー、スカイツリーと比べると極端に小さい。 こんなもので、都心の我が家まで電波が届くのか? ひょっとすると、地元向けのローカル放送用かも。 疑ってしまうね。
 
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・・・・・・・・・・門に、『この送信所には、強力な電波発射の設備がありキケンです・・・・・』と表示されている。、、、、ゲートは閉ざされ、なんだか、恐ろしい秘密兵器でもあるようだ。 北朝鮮に向けて発射してくれ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・円墳状にフェンスで囲われた送信所の周囲には見沼用水が流れ、用水沿いに遊歩道が整備されている。 バラが見事に咲いていた。
 
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⑥坂下町・・・・・・・・・鳩ケ谷地区の中心的な町。 2丁目と3丁目の町境であるバス通りを歩き、鳩ケ谷駅を目指す。、、、、、そろそろ、太陽も元気づき熱中症が気になる時刻。 歩きながら日陰を探すが、ちょうど道の方向と太陽光の方向が一致し、私を真後ろから照らす位置に太陽がある。 これじゃ探しても日陰は無いのであきらめた。 
 
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⑦鳩ヶ谷氷川神社・・・・・・・・・・・無事、熱中症にならず鳩ヶ谷駅付近に到着。 道端の案内に鳩ヶ谷氷川神社の名をみつけ、今日の散歩は、見沼代親水公園駅の氷川神社に始まり、鳩ヶ谷本町にある氷川神社終えることにした。、、、、、鳩ヶ谷氷川神社は、鳩ヶ谷宿の鎮守で、応永元年(1394)に造営された。、、、、、、明治時代には、近郷の氷川社・稲荷社・熊野社・住吉社・金比羅社・神明社・八坂社・浅間社・天神社など18社を合祀した。 その結果、各種神様を取りそろえたため、安産祈願、合格祈願、商売繁盛など、なんでもOKの神社となったようだ。 経営の多角化を実践した先見の明ある神社で、御利益が期待できそう。
 
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鳩ヶ谷駅・・・・・・・・・・・昭和42年(1967)に市制施行された鳩ヶ谷市は、平成23年(2011)に川口市に編入され消滅した。、、、、、、「陸の孤島」として交通機関の無かった市に、初めて開通した埼玉高速鉄道の鳩ヶ谷駅は、無くなることなく健在である。
 
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2017年5月18日 (木)

伊興寺町

東武伊勢崎線竹ノ塚駅で下車し、日暮里舎人ライナーの見沼親水公園駅を目指し歩きはじめたが、途中で目的が変わり、竹ノ塚駅に戻る。 1万1千歩の散歩です。
 
 
 
竹ノ塚駅 ・・・・・・・・・・明治33年(1900)3月21日に伊興村に開業した東武伊勢崎線の駅。 この時、駅名は隣村であった竹ノ塚村の名を頂戴し、竹ノ塚駅と名乗る。 伊興村、竹ノ塚村は共に昭和7年(1932)に東京市に編入合併され足立区の一部となった。、、、、、開業から100年以上経過し、駅周辺は高架化工事の真っ最中。 ホームはまだ地上にある、高架上にホームが移るのはまだ数年先か?
 
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●・・・・・・・・・・・今日の散歩は、ここ竹ノ塚駅から北西方向に日暮里舎人ライナーの終点:見沼親水公園駅まで歩くことにした!、、、、、予定は変わるもの、今日も途中で変更!
 
 
②東岳寺・・・・・・・・・・・竹ノ塚駅から北西へ300m程(伊興本町1)、尾竹橋通りに面して、曹洞宗の南昌山東岳寺がある。 東岳寺は、慶長18年(1614)浅草鳥越に創建した。 (鳥越とは、、、、我が家の近くだ!) 関東大震災後、鳥越から現在地へ移転した。 境内は広くないが、日本庭園の趣で、本堂や細い参道の周りには多くの木が並んでいる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・初代安藤広重の墓と記念碑が境内にある。 安藤広重(1797~1858)は江戸時代後期の浮世絵師で、天保年間には御存じ「東海道五拾三次」を発表している。 墓所(写真右端)は昭和33年(1958)の再建で、記念碑(写真中央)は大正13年(1924)に建てられた。 震災後、墓も寺と共に移転してきた。、、、、、念のため、今は安藤広重ではなく、歌川広重という呼称が一般的らしい。 私は、安藤広重しか知らん!
 
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③眞國寺・・・・・・・・・・・・東岳寺から西へ400m程歩くと、立派な松の陰に本堂の屋根が見える。 伊興5丁目の日蓮宗寺院の蓮栄山眞國寺である。 創建は建武2年(1335)といわれる古刹。、、、、、山門の正面に本堂があるのだが、参道両側の松の大木に遮られ、全容が見えない。
 
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④薬師寺・・・・・・・・眞國寺から北西に150m程歩くと薬師寺がある。 あれ、奈良の薬師寺の支店かな?、、、、、こちらは、曹洞宗の医王山薬師寺で、御本尊はもちろん薬師如来である。、、、、小さな山門をくぐると、正面奥に本堂があるのだが、なんと、新緑の紅葉が茂り視界を遮る。、、、、住職の話では、秋になると多くの人が紅葉狩りに来るそうだ。 私もあとで知ったが、この寺は、知る人ぞ知る、紅葉の名所だ!
 
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●・・・・・・・・・・・薬師寺の住職が教えてくれた、、、、、寺から北東に行くと、関東大震災後、浅草から移転してきた寺院が並ぶ寺町があるとのこと。 「ぜひ、寄っていきなさい。」、、、、これにて、私の北西に向かっていた足は、北東に向かうことにした。
 
 
⑤伊興寺町・・・・・・・・・・現在は東伊興4丁目だが、以前は伊興狭間町と呼ばれていた処。
現在、18か寺あるそうだ。、、、、、ついでに、“伊興”の地名は、いろはの“い”で、いの一番に始まり、興ったところの意だ。 “狭間”は谷下の沼のある狭いところの意。、、、、今は、竹ノ塚駅から1.0km程北に行ったところで、北隣の草加市との境までは400m程である。、、、、、、いくつかの寺院を紹介する。
 
・・・・・・・・・・・・・・・街並みは、、、、、、
 
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・・・・・・・・・・・・・・易行院、、、、、、芝増上寺末の浄土宗寺院易行院。 文亀年中(1501~1503)、浅草山に起立し、浅草山谷町(現台東区清川)を経て、昭和3年(1928)に現在地へ移転した。、、、、、本堂左手に、歌舞伎で名高い花川戸助六と揚巻の墓がある。 地蔵さんと共に祀られ、夫婦円満の御利益が期待できるそうだ。、、、、、、笑点でおなじみであった五代目三遊亭円楽師匠の実家。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・・東陽寺、、、、、、曹洞宗の萬年山東陽寺は、寛永元年(1624)頃の開山で、慶長16年(1611)八丁堀に創建、寛永12年(1635)浅草八軒寺町へ移転。 震災後の昭和3年(1928)に現在地へ移転した。、、、、、、境内には、上州沼田に生まれ、江戸に上り、炭のはかり売りから業を興して莫大な財産を築いた塩原太助の墓がある。 お年寄りは、「塩原太助一代記」として講談や歌舞伎で知っているはず、若者は知らないかもね。
 
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・・・・・・・・・・・・・・法受寺、、、、、、、、浄土宗の法受寺は普賢山新幡随院と号します。 正暦3年(992)に豊島郡下尾久の地で開創、宝暦3年(1753)豊島郡谷中に移転、新幡随院法受寺と称した。 浅草にあった安養寺と合併し、昭和10年(1935)に現在地へ移転した。、、、、、境内には五代将軍徳川綱吉の生母:桂昌院の墓がある。 桂昌院は将軍の生母として大奥で絶大な勢力を振るい、女性にとって最高の位階である従一位を生前贈られている。、、、、、境内は広く、本堂を探すのに戸惑い、墓地を抜け出たところに建つ住宅風の建物の前で、僧侶に『本堂はどこですか?』と尋ねると、『ここだよ!』と返ってきた。 本堂の前で尋ねてしまった、シマッタ~~! 私は裏門(?)から入ってしまったのだ。、、、、、僧侶は快く本堂を開けて、焼香を焚いてくれた。 失礼しました!、、、、、三遊亭円朝が語る「牡丹燈籠」の中で、カランコロン、カランコロンと下駄の音をさせながら夜な夜な現れる、お露とお米の幽霊二人。 この二人が葬られたのが新幡随院法住寺(法受寺)という設定で、ゆかりの寺として石碑が建てられてる。
 
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●・・・・・・・・・・・・今日は14ヵ寺歩いたので、チョイト食あたりならぬ、坊主あたりで頭の中がゴチャゴチャ、罰あたりかも。、、、、、この後、竹ノ塚駅まで戻り帰宅。
 
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2017年5月 8日 (月)

西新井~小菅

東武伊勢崎線西新井駅から小菅駅まで、東武伊勢崎線の廃線跡を歩いてきた。 1万1千歩の散歩です。
 
 
旧東武伊勢崎線・・・・・・明治32年(1899)に北千住~久喜間を開業する。 北千住~西新井間の開業時のルートは、北千住をでると現:常磐線の上を交差して(当時、まだ荒川は無い)をとおり、荒川の対岸:足立1丁目付近から直線的(現:梅島通り+亀田トレイン通り)に西新井へ向かっていた。、、、、、大正12年(1923)に荒川放水路(現:荒川)の開削工事により、鐘ヶ淵~西新井間のルートが変更された。 北千住~西新井間は現在の小菅、五反野、梅島を経由するルートとなる。(途中の3駅は翌年(大正13年)に開業する)、、、、、明治に開業した旧ルートは、現在、道路や住宅地として転用されている。
 
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西新井駅 ・・・・・・・・・今日の散歩は西新井駅から、旧東武伊勢崎線の廃線跡をなぞり、小菅駅に向かうことにした。
 
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・・・・・・・・・・・・・・北千住よりのホームから眺めると、写真中央、線路の奥に見えるマンションの右側を旧伊勢崎は走っていた。
 
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②亀田トレイン通り・・・・・・・・・・西新井駅南側(足立区西新井栄町1)から、梅島駅の南側(足立区梅田8)までの全長約773mの道路。 この道の大部分は、平成16年(2004)に廃止された東武鉄道西新井車両工場の跡に造られている。 工場のあった地名が「亀田」で、「亀田トレイン通り」と命名された。 ここに、かつて伊勢崎線が走っていた。
 
・・・・・・・・・・・・・西新井駅から亀田トレイン通りまで続く、細長い空き地。 ここに、車両工場への引込線があったようだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・亀田トレイン通りのはじまり。 ここから、東武鉄道西新井車両工場の跡となる。 道路の左側のマンションは東武鉄道が販売、右側には亀田トレイン公園都営梅田八丁目アパート(平成23年築、316戸)が並ぶ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・亀田トレイン公園前に車輪のモニュメントがある。 もちろん、東武鉄道の寄贈である。 できれば、我が家にも一つ寄贈して欲しいのだが、置く場所に困るね!
 
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・・・・・・・・・・・・・・亀田トレイン通りの梅島駅よりは、多少カーブして終了する。 当時の線路がカーブしていたわけではなく、再開発時に道路をチョイト曲げたようだ。、、、、、振り返ると、東武鉄道のマンションが右側に見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・亀田トレイン通りを真直ぐ伸ばすと、その先に線路敷きの幅ぐらいの住宅(写真中央)がある。 その先は足立区立第九中学校(ベートーベンの母校?)の敷地となる。
 
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③梅田通り・・・・・・・・・・・・・梅島駅の南側で、亀田トレイン通りに続く梅田通り。 一方の端は日光街道と江北橋通りも交差する六差路の梅田交差点である。  この通りは線路跡を活用してつくられた。
 
・・・・・・・・・・・・・・第九中を横切って伸びてきた線路は、写真左側の梅田通りに続いていく。 右へ向かう通りは旧日光街道
 
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・・・・・・・・・・・・・・上の写真中央:マンション前に道標が建てられている。 「左東武鉄道旧線路跡」、裏側には「右旧日光街道」の文字。
 
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・・・・・・・・・・・・・複々線の線路跡かと思うほど拡幅された梅田通り。、、、、当時を語る遺構などは何もない!
 
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・・・・・・・・・・・・・・約1kmの梅田通りの南端、梅田交差点が見えた。 日光街道の陸橋が見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・・陸橋下から梅田通りを振り返る。
 
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④線路跡の住宅・・・・・・・・・・・・日光街道を横切り足立1丁目に入ると、線路跡は住宅が密集し判別が難しくなるが、航空写真を見ると住宅の並びで推測できる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・周囲の住宅とは向きが異なり、線路跡に並ぶ写真中央の住宅。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・荒川土手側でも、道路に対し斜めに向いて建っている。
 
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⑤荒川・・・・・・・・・・・・・「線路が伸びていたのはこの辺りかな?」と思われる土手の上に立ってみた。 正面に北千住の街、左手に千代田線・常磐線・つくばエキスプレスの橋梁が並行して架かる。 この橋梁付近で常磐線と交差し北千住に向かっていたのか! 一人で納得。
 
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小菅駅・・・・・・・・・・・・私は泳げないので、荒川の川底の線路跡を追いかけるのはやめた。 近くの小菅駅から帰ることにする。
 
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2017年4月17日 (月)

鹿浜

日暮里・舎人ライナー西新井大師西駅から、ほぼ真西にある芝川水門まで行き、再び西新井大師西駅まで戻る、1万2千歩の散歩です。
 
 
 
①西新井大師西駅・・・・・・・・・・・平成20年(2008)3月30日、日暮里・舎人ライナーの開通と同時に開業した駅。、、、、、駅名となっている西新井大師までは、東へ直線距離で約1km、許容範囲を超えた無理な命名だ。 お年寄りが当駅で降りてお参りに行くと、大師の門前で行き倒れるかも(?) 後悔しないように、東武大師線、東武バスを利用し、無理のない参拝をしよう。
 
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②江北六丁目団地・・・・・・・・・・西新井大師西駅西口に隣接する、昭和46年(1971)に建てられた総戸数860戸(29棟)の旧住宅公団の団地。 近年、リニューアルしたようで外装はきれいだが、全棟5階建て鉄筋コンクリート造の団地は、団地ファンが喜びそうだ。 This is “昭和40年代の団地”。
 
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③押部八幡神社・・・・・・・・・鹿浜7丁目にある、誉田別尊(応神天皇)を祭神とする旧鹿浜村小名押部の鎮守社。 神社の創建は徳川時代中期と伝えられている。 大正12年(1923)の関東大震災で社殿が破損したが、直ちに再建し現在に至る。
 
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④阿弥陀院・・・・・・・八幡神社の隣に、天明2年(1782)の創建と言われている真言宗智山派の阿弥陀院がある。 本尊は阿弥陀如来像。、、、、、昭和40年(1965)に、鉄筋コンクリート造で本堂および庫裡の改築が行われたそうだ。
 
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⑤焼き芋・・・・・・・・・・おいおい、20℃を超えたこの暑さ、焼き芋屋さんがいる。 ちゃんと、窯に火が入っている。、、、、、芋屋さんは運転席で地図を広げ、マーケットを分析中。 売れそうな、寒い場所へ移動するのか?
 
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・・・・・・・・・・・・・・・ギョ! 芋屋さんの車の先に、ナント! 機関車が! これは、偶然か? 神の御導きか?
 
 
⑥C5075機関車・・・・・・・・・・ここは、北鹿浜公園。 公園の中に、一見して、可哀そう、痛々しい、見すぼらしい、重病の機関車が展示されていた。、、、、この蒸気機関車はC5075(中距離用小型テンダ機関車)といい、昭和4年(1929)に川崎重工兵庫工場で製造され、昭和46年(1971)まで、豊岡・奈良・亀山などの機関区に所属し200万kmも走り続けた強者である。、、、、、柵の貼り紙には、今年から2年間かけボランティアの支援を得て、補修と塗装が行われる旨、記されていた。 しっかりと修理されることを期待し、よろしく!
 
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⑦芝川・・・・・・・・・・・・・C5075機関車から500m程西へ向かうと今日の散歩の目的地「芝川」に出た。 芝川は、桶川市が源流で、上尾を抜け、見沼田圃を抜け、川口市に入り、芝川水門で荒川に注ぐ一級河川。、、、、、写真:右側は足立区鹿浜、左側は川口市領家
 
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・・・・・・・・・・・・・・振り返り、川下には赤い建物「新芝川排水機場」と左に「芝川水門」が見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・・芝川水門、、、、、、大雨などによる洪水が発生した場合、荒川の水位が高くなると芝川へ逆流が発生してしまう。それを防ぐために作られたのが芝川水門である。 普段はゲートが上がっていて、船は行き来できる。、、、、ゲート2門の水門は、昭和46年(1971)に完成した。、、、、現在は、耐震補強中である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・新芝川排水機場、、、、、、水門の隣には芝川増水時に水をポンプで荒川に排水するために昭和53年(1978)に設置された新芝川排水機場。 その排水口に新芝川排水機場樋管(樋門)があります。
 
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⑧都市農業公園・・・・・・・・・・・・芝川水門の近くに、足立区立の都市農業公園がある。 園内の一画に、江戸時代後期の農家(和井田家)、旧浅野家長屋門(俗称「谷久門」)が移築保存されている。、、、、、足立区内にあった、昔の農家で、東京にあるとは思えない農村の風景を楽しむことができる。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・この後、西新井大師西駅に戻り、帰宅。

2017年2月 3日 (金)

千住汐入大橋

南千住駅から、隅田川の上流から17番目の千住汐入大橋を渡り、旧綾瀬川の合流部を見て、東武伊勢崎線堀切駅まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
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①胡録神社・・・・・・・・・・南千住駅の北東、JR貨物の隅田川駅の先は、高層マンションばかりが建ち並ぶ汐入地区(南千住8丁目)。 その中央付近に、今から450年以上前の永禄4年(1561)8月の創立の胡録神社がある。、、、、、汐入地区の再開発は、昭和44年(1969)、東京都が荒川区東部:「汐入地区」の大規模再開発基本構想を発表した時点から始まる。 木造家屋が一軒も残ることなく、高層化されたのは平成22年(2010)の汐入東小学校が完成した時点である。

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・・・・・・・・・・・・・歴史ある神社だが、平成15年(2003)に汐入地区の再開発計画に従い、境内地を前方に遷座した。、、、、、鳥居も、玉垣も、新しくなり新築のようだ!

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・・・・・・・・・・・・・上杉謙信の家臣:高田嘉左衛門なる者は、川中島合戦に敗れ、十余名の同志とともに当地に厄難を逃れ、永住の地と定めた。 村落生活の安寧を祈願するため、両足尊(おもだるのみこと)・惶根尊(かしこねのみこと)の両祭神を享保4年(1719)に奉斎した。、、、、、歴史ある神社だが、平成15年に汐入地区の再開発計画に従い、境内地を前方に遷座した。、、、、、本殿は嘉永5年(1852)に造営され、拝殿は昭和2年(1927)に竣工された。

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・・・・・・・・・・・・・今日は節分、境内では豆まきの準備中。 境内のウメも、明日の立春前に咲き始めた。

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②千住汐入大橋・・・・・・・・・・・南岸(右岸)の荒川区南千住8丁目(汐入地区)と北岸(左岸)の足立区千住曙町を結ぶ橋。 隅田川に架かる橋の中では新しく、平成18年(2006))2月19日に開通した。 都が災害時の防災拠点として整備している白鬚西地区(墨田区)の主要連絡路であり、足立区、荒川区、葛飾区を相互に繋ぐ重要拠点として架橋された。、、、、橋長158.6mの2径間連続鋼床鈑箱桁橋。、、、、、橋のあったこの地には、かつて「汐入の渡し」があったそうだ。
 
・・・・・・・・・・・・・・上流側から見る千住汐入大橋。 左側は足立区千住曙町。
 
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・・・・・・・・・・・・・・下流側から見る。 対岸は荒川区南千住。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・スマートな印象の橋。 幅員は20.0m。
 
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・・・・・・・・・・・・・・橋上から見る上流。 写真左側は荒川区南千住(汐入地区)。 右側は足立区千住地区。
 
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③旧綾瀬川・・・・・・・・・・・・綾瀬川は 埼玉県桶川市に端を発し、伊奈町、さいたま市、越谷、草加を経て都内葛飾区西小岩で中川に合流した後、東京湾に注ぐ、総延長47.6kmの一級河川。 昭和5年(1930)の荒川放水路完成にともない、綾瀬川は墨田区・足立区と葛飾区に分断された。 葛飾区側は荒川放水路(現:荒川)に沿って区の西側を流れ下り、西小岩で中川と合流する。 墨田区・足立区側は荒川の隅田水門から分流し、墨田区堤通2・墨田5と足立区千住曙町の区境として、隅田川に注いでいる450mの部分である。 この450mを旧綾瀬川と呼んでいる。、、、、、今日は隅田川との合流点から、荒川の隅田水門に向かって歩いてきた。
 
・・・・・・・・・・・・・・次の写真を撮影している荒川区南千住とは、隅田川を挟み対岸の旧綾瀬川合流地点。、、、、、、写真中央が合流地点で、旧綾瀬川の頭上を首都高6号向島線が走る。 また首都高の桁下に綾瀬橋のアーチが見える。、、、、、対岸の右側は墨田区、左側は足立区である。 つまり、ここは3区の境。
 
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・・・・・・・・・・・・・・おまけの話、、、、、合流点の足立区側に見える、「伊澤造船」という造船所は、明治10年(1877)に創業した古い歴史をもつ会社である。、、、、隅田川には、多くの造船所があったそうだが、現存する造船所はここ一か所だけである。
 
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・・・・・・・・・・・・・・綾瀬橋、、、、、、 旧綾瀬川が隅田川に合流する墨田区墨堤2丁目と足立区千住曙町を結ぶ。 昭和33年(1958)7月に竣工した、橋長61.5m、幅20.5m、墨堤通りを通す橋。、、、、、荒川にチョン切られ、本家の綾瀬川からは外れ、隅田川沿いに置き忘れられたかわいそうな“綾瀬橋”。 さらに、暗い人生を歩むがごとく、首都高が覆いかぶさり、存在感も薄くなり、心痛める“綾瀬川”。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・東武伊勢崎線堀切駅前の人道橋から見る旧綾瀬川。 右側の車道が、水面より低く見えるのは私だけか?、、、、、カミソリ堤防が崩壊したら“東京水没”である。 恐ろしいね!
 
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・・・・・・・・・・・・・・隅田水門、、、、、、荒川と隅田川を結ぶ旧綾瀬川の始点にある水門。 この水門は、増水時に荒川の水が隅田川に流入するのを防ぐ目的で造られた。 現水門は昭和43年(1968)に竣工した。、、、、普段、水門は開いており、船が荒川と隅田川を行き来している。、、、、、水門の脇を通るのは東武伊勢崎線の、堀切~鐘ヶ淵間である。
 
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④荒川土手から・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・隅田水門の脇抜け、荒川を越え、対岸の綾瀬川沿いに北上する首都高(向島線と中央環状線が合流する)。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・・荒川の上流には堀切橋が見える。
 
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2017年1月29日 (日)

鉄道の隅田川橋梁

隅田川の橋、上流から数え14・15・16番目は、千住大橋の下流に束になって架かる、JR常磐線・つくばエクスプレス・地下鉄日比谷線の各隅田川橋梁である。
南千住駅からあるきはじめ、千住大橋で隅田川を越えて、東武伊勢崎線の牛田駅まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
①鉄道の隅田川橋梁群・・・・・・・・・JR常磐線つくばエクスプレス地下鉄日比谷線の各隅田川橋梁が、右岸:荒川区南千住と左岸:足立区千住関屋町をとおり、並行し架橋されている。、、、、、両岸ともカミソリ堤防と、堤防ギリギリに建てられたマンション・工場で河岸に出ることが難しい。 写真撮影は困難を極め、不法侵入罪を覚悟し、チョイと内緒でパチリ・パチリ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・南千住駅から、JR貨物の隅田川駅 の脇を抜け、 南千住8丁目の高層集合住宅に向かう。、、、、、“勝手知ったる他人の家”で、なんの躊躇もなく、断りもなく、スタコラ・サッサとお邪魔し、防犯カメラに私の姿を残してきた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・高層ビルからの写真、、、、、地下鉄日比谷線の車両基地と、その後ろ(写真中央)に隅田川橋梁群が見える。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・日比谷線南千住駅から引き込み線が出ている、検査と清掃を行う千住検車区(車両基地)は昭和36年(1961)3月28日に発足した。、、、、、この敷地、もともとは国鉄の隅田川貨物駅の一部であった。 当時、常磐線で運ばれてきた石炭を、隅田川に面するこの場所から、船積みし東京の各地に運んだそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・3橋梁の揃い踏み。、、、、マンションの間からパチリ!、、、、、左から、常磐線隅田川橋梁(左:上流側)、つくばエキスプレス隅田川橋梁(中央)、日比谷線隅田川橋梁(右:下流側)。、、、、、上流の2橋梁は、JR東日本が発注した橋梁で、鋼下路曲弦ワーレントラス橋、橋長128.4mで、同じデザインで設計されている。 常磐線の橋梁は平成14年(2002)竣工、つくばエキスプレスの橋梁は平成15年(2003)竣工。 日比谷線の橋梁は、下路式ワーレントラス橋で、橋長は約131m、昭和37年(1962)竣工。
 
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・・・・・・・・・・・・・・右岸の橋梁下を上流側から順に撮影。
 
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・・・・・・・・・・・・・・上流の千住大橋(新橋)から見る隅田川橋梁群。
 
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・・・・・・・・・・・・・・下流側から見ると、、、、、どちらから見ても、3橋のトラスが重なり見ずらいね!
 
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②日枝神社・・・・・・・・・・荒川区南千住7丁目に、歯神:山王清兵衛を祀った祠がある。 江戸時代は山王社と呼ばれた旧中村町(千住宿)の鎮守であり、正和5年(1316)に創建されたそうだ。、、、、いずれかの藩士清兵衛が虫歯の痛みに耐えかねてこの地で切腹し、遺言によってその霊を祀ったという。 俗に山王清兵衛とよばれ、歯痛に悩む者が祈願して効き目があれば、錨をくわえた女性の絵馬を奉納する慣わしで、千住の歯神として有名であった。、、、、、今は、境内の周囲に策がめぐらされ、中に近寄ることはできない。
 
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③岡田商事引込線跡・・・・・・・・・・荒川区から千住大橋を渡り足立区に入り、墨堤通りを京成本線沿いに京成関屋駅の方に向かうと、千住関屋町で京成本線の下にレールの跡が残されているのを見ることができる。 レールの先は墨堤通りを横断し、東武伊勢崎線に向いている。 間違いなく、伊勢崎線から分岐していた跡だ!、、、、、鉄道省の時代、東武鉄道は自由に北千住駅を使うことができなかったため、大正13年(1924)、鉄道省管理の北千住駅から外れた現在の千住東に「中千住駅」を開業した。 昭和19年(1944)、さらに中千住駅から隅田川まで貨物線を伸ばし、市街の住民のウンコ(糞尿)を積んだオアイ船から、列車にウンコを積み替え、埼玉方面の農家に肥料を運んだ。、、、、現在は、岡田商事という鉄骨解体業者の敷地で、残っているレールはこの時の貨物線の跡である。
 
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2017年1月27日 (金)

京成本線隅田川橋梁~千住大橋

隅田川上流から10番目の橋は京成本線隅田川橋梁、11番目は東京電力送電橋、12番目は千住水管橋、13番目は千住大橋。 今日の散歩は、10番目から13番目までの4橋を歩いてきた。 地下鉄千代田線町屋駅から京成本線千住大橋駅まで、1万2千歩。
 
 
・・・・・・・・・・・・・・・・下の航空写真は平成4年(1992)撮影。 上水千住水管橋が写っている。
 
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①上水千住水管橋跡・・・・・・・・・・上流の尾竹橋と、下流の京成本線隅田川橋梁の間に、今は無き「上水千住水管橋」があった。 都水道局の上水管が隅田川を越えていたが、老朽化と耐震性問題により平成25年(2013)5月に撤去された。、、、、水管橋のあった位置には、かつて「一本松の渡し」があり、千住と町屋を結ぶ生活路でもあったそうだ。、、、、カミソリ堤防が行く手を阻み河岸には出られない、行き止まりの道の正面に水管橋はあったが、その痕跡は何も残っていない。、、、、、残っていれば、最上流から10番目の橋梁だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・上水千住水管橋跡と京成本線隅田川橋梁の間で、写真の行き止まりの道路下に地下鉄千代田線が走っている。 道路の先は隅田川のカミソリ堤防。
 
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②京成本線隅田川橋梁・・・・・・・・・・・・三河島水再生センターの北側で隅田川を渡る京成本線。 この付近の隅田川はカミソリ堤防で河岸が遮られ、隅田川橋梁に近づくことが難しく撮影には苦労した。、、、、、京成本線の上野~青砥間の開業は昭和6年(1931)なので、隅田川橋梁もこの頃の架橋と思われる。 橋長約125mの下路トラス橋。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・撮影の邪魔するカモメに、カラスに、ハトポッポ。 堤防は糞で汚れ、糞を踏んだ私は、糞害に憤慨した。 フ~~ン!
 
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・・・・・・・・・・・・・・右岸(荒川区南千住)から、薄曇りの下流を望む。
 
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③東京電力送電橋・・・・・・・・・・荒川区南千住と足立区千住橋戸町に架かる、東京電力の送電用の専用橋。 細めのアーチリブが華奢に見える鋼タイドアーチ桁橋で、長さ約104m。 昭和38年(1963)の竣工か(?)
 
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④千住水管橋・・・・・・・・・・・千住大橋の上流側に東京都水道局の工業用水道専用橋がある。 この工業用水は隅田川左岸の墨田区、江東区、江戸川区の地盤沈下対策を目的に供給しているもの。、、、、、千住大橋のスグ脇に架けられているため、震災復興橋としての名橋である千住大橋の姿を見るのに邪魔な存在である。 どかして欲しいね!
 
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⑤千住大橋・・・・・・・・・・・・関東大震災復興橋のひとつ。 親柱や電灯が復元されている。 下流側に昭和48年(1973)竣工の新橋がくっついている。
 
・・・・・・・・・・・・・・・旧橋は、昭和2年(1927)12月12日に竣工した鋼タイドアーチ橋。 現在は日光街道の下り線専用となっている。 設計は白鬚橋も手掛けた増田淳(1883~1947、橋梁技術者)である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・新橋は、南千住交差点から始まる橋長502.5mの3径間連続鋼箱桁橋で、昭和48年(1973)2月に開通した。 車は上り専用である。 旧橋と隣り合わせで架かるが、旧橋より高い位置に架かる。
 
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