足立区

2017年9月14日 (木)

谷塚

東武伊勢崎線の谷塚駅から竹ノ塚駅まで、1万1千歩の散歩。
 
 
 
谷塚駅・・・・・・・・・・東武伊勢崎線で東京都から埼玉県に入って最初の駅が谷塚駅(やつかえき)。 隣の、東京の最後の駅は竹ノ塚駅。、、、、、大正14年(1925)10月1日に開業した駅。 現在は1面2線の緩行線と、それを挟むように両外側に通過線がある高架駅。、、、、、草加市谷塚は主に住宅地であるが、高級マンション、豪邸のたぐいは見られず、所々に畑も点在しする処。 駅は通勤・通学で、朝は乗車する人、夜は降車する人が多い、メリハリの利いた駅。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・駅前ロータリーを囲むように、高層マンション・量販店・銀行・信用組合などが並ぶ東口。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・駅前の何もない大きな空き地、タクシーのこないタクシー乗り場、これぞ埼玉の歓楽街と思わせる小さな雑居ビルがある西口。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅前の空き地から見る東口の高層マンション。、、、、、、何かの間違いで建ててしまったのか?
 
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・・・・・・・・・・・・・・歓楽街(?)の裏には「谷塚西口商店会」がある。、、、、、『好きです この町』のキャッチフレーズが、わざとらしく感じた。
 
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②宝持院・・・・・・・・・・・谷塚駅から南西の方角にチョイと歩くと、真言宗豊山派寺院の長久山宝持院がある。 江戸時代初めに建立された寺院で、以来谷塚の人々の菩提寺として、宝灯を守っている。 現在の本堂は、平成4年(1992)に建てられた。 境内には四季の花々が咲くそうで、桜と銀杏が自慢できるそうだ。、、、、本尊は大和の長谷寺の十一面観音を模した 御丈八尺有余の金色に輝く大観音様。、、、、、、手入れも行き届き、美しさを感じることができる寺。
 
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③谷塚氷川神社・・・・・・・・・・・・草加市谷塚町の南端に位置する神社。 天保年間(1831~1845)に創建されたそうだが詳細は不明。 下谷塚村の鎮守さま。
 
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④谷塚の畑・・・・・・・・・・・
 
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⑤埼玉県から東京都・・・・・・・・・・・埼玉県と東京都の境を流れる毛長川を谷塚橋で越えて、足立区東伊興の町に入る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・対岸には、足立清掃工場の煙突が見える。
 
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●・・・・・・・・・・この後は、今年の5月18日に伊興の寺町を歩いているので、こちらを見てね!
 
●・・・・・・・・・・秋の色になった柿
 
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2017年9月 4日 (月)

雨の散歩

今朝、我が家から見上げる空はどんより曇り空。 NHKのお天気お姉さんは、“東京は午前中晴れ”。 ここは美人を信じ、“今は曇っているが、昼に向かい青空が出てくる”と、自分に言い聞かせ散歩に出ることにした。 もちろん傘は持たず、降られたらスグに帰れる処を歩こう。、、、、浅草橋駅のホームで、何処へ行くか悩み、迷い、降りた駅は、東武伊勢崎線の小菅駅。 駅はすでに雨の中。 “通り雨だ、スグ止むだろう”と、自分で天気予報を行い、西へ向かい散歩を開始する。 歩けども歩けども雨は止まず、途中でギブアップ。 雨中、びしょ濡れで梅島駅に到着。 びっちょり濡れた色男の、8千歩の散歩となった。
 
 
 
①小菅駅・・・・・・・・・・・『雨の降りはじめた小菅駅に降り立つ、哀愁をおびた一人の男。 じっと見つめる先には東京拘置所の塔。』、映画にありそうなオープニング・シーン。 その気になってホームに立つが、藤純子似の女性は現れず、現実に戻り散歩することにした。
 
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②雨が止むことを期待して・・・・・・・・・・・小菅駅から西の方角:日暮里舎人ライナーの扇大橋駅を目指し裏道を歩く。、、、、この頃、雨は止むと思っていたので、足立の町を余裕で写真撮影。
 
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③雨は止みそうもない・・・・・・・・・・雨粒は絶え間なく落ち、カメラは濡れてきた、ハンチングも濡れてきた、服はまだ大丈夫だ、Tシャツから出た腕は湿っている。、、、、、近くに駅はあるか? どこかにバスが走ってないか? 雨が強くなったら帰れるか、不安がよぎる。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・店の前で“Welcome”、、、、、ゴメン、飲めないのだ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・“くもじい”と“くもみ”がよろこびそうな、とんがった家。
 
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④商店街があった・・・・・・・・・梅田1丁目と2丁目の境を東西に通る、長さ350m程の「ゆめろーど千代田商店街」。 『雨宿りを兼ね喫茶店でコーヒーでも飲んで温まろう。』と、商店街を歩けど、喫茶店がない。 コンビニもない。 端から端まで雨の中を寂しく歩く哀れな男となった。、、、、、昭和の匂いが残る質屋、製麺所などの建物が残ってた。
 
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⑤ギブアップ・・・・・・・・・・雨足は強くなり、いよいよ下着を通し肌も濡れてきた。 もう、我慢できない! 帰るぞ! 近くにバス停はないようだ。 東武の梅島駅が最も近いらしいが、20分程歩かねばならない。、、、、軒先を借り雨宿りしていると、美女がスーとあらわれ、私に赤い傘を差しだし、『お兄さん、よければ、駅まで御一緒に』と声をかけてくる。、、、、てなことを想像して小降りになるのを待ったが、無駄であった。 
 
・・・・・・・・・・・・・・梅田3丁目の石不動堂。 小堂の中には石製の不動尊坐像が安置されているそうだ。、、、、、堂が大きければ、ここで雨宿りさして貰うのだがね。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・凄い降り、しばし休憩。
 
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・・・・・・・・・・・・・・走って梅島駅に飛び込む。、、、、、気がつけば、ビショビショ。 帰りの電車の中では、風邪をひくかも、風邪がこじれ肺炎になるかも、肺炎に気付くのが遅れ死ぬかも、不安が不安を呼び、長~~い、長~~い、帰り路となった。
 
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2017年8月30日 (水)

伝右川排水機場

歳をとると、なかなか眠りにつけないことがある。 そんな時、真夜中のベッドで、タブレットの地図を見ていると、♪♪坊や~良い子だねんねしな~♪♪と、眠りのお誘いがやって来る。、、、、、数日前の眠れない夜、地図を見ていたら、足立区花畑と埼玉県八潮市の境あたりで、綾瀬川が複数の河川と合流する地点があり、そこには「伝右川排水機場」があった。 一か月ほど前に寄った草加市の「神明排水機場 」は、伝右川(でんうがわ)の上流に位置する排水機場であった。 チョッピリ親しみを感じ、「伝右川排水機場」をぜひ見てみたくなり、今日の散歩はつくばエキスプレス八潮駅で下車し、排水機場を見て、六町駅に向かうことにした。
 
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八潮駅・・・・・・・・・・・我が家(浅草橋)から、コミニティバスで浅草に出て、つくばEXPで20分。 またまたやって来ました八潮駅。 
 
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②綾瀬川へ向かう・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・八潮駅から西へ歩き、首都高6号三郷線を抜け、さらに西へ。、、、、今日は朝から湿度が高い。 私の躰はすでにサウナ状態。 ダラダラと流れ落ちるは、ベトベト(悪い汗)ではなくサラサラ(いい汗)。
 
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・・・・・・・・・・・・・・日陰を歩きたいのだが、 新興住宅街には、雑草生える空き地だけ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・歩く途中に、真言宗豊山派の明王山蓮台寺があった。 蓮台寺の創建年代は不詳であるが、柿木村(現在の草加市)の村民が開基となり庵室を創建し、廃寺より寺号を頂戴したそうだ。 朱塗りの観音堂には、美しい観音像を期待したが、仏壇の扉は閉まり、期待ハズレの顎ハズレ!、、、、、、疲れと汗がドッと出た。 来たついでに、チョイとナイショで水を貰い休憩。
 
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・・・・・・・・・・・・・・綾瀬川の土手が見えた! 土手に上がり対岸見れば、足立区花畑の住宅が並ぶ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・対岸から眺める伝右川排水機場。 写真手前を流れる綾瀬川、樋門から流れ出るのは伝右川、その奥に綾瀬川(毛長川)が流れている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・上の写真を撮影した場所に八潮市から流れ込む小さな用水路。
 
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・・・・・・・・・・・・・これより綾瀬川の上流に架かる桑袋大橋を渡り、排水機場のある対岸を目指す。、、、、、途中、ザクロを見つけ、一瞬、秋を感じる。 しかし、歩けばサラサラ汗がダラダラ。 暑い!、暑い!、メチャクチャ暑い!
 
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花畑第四アパート・・・・・・・・・・・足立区花畑の綾瀬川両岸には、都営住宅が建ち並んでいる。、、、、、23区最北端の都営住宅かも(?)。 東武伊勢崎線谷塚駅、つくばEXP六町駅、八潮駅のいずれからも直線距離で約2km、歩いたら30分以上、バスは1時間に数本、滅茶苦茶不便なところのようだ!
 
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④伝右川排水機場・・・・・・・・・・・綾瀬川と綾瀬川の支流:毛長川に挟まれて合流する伝右川(でんうかわ)。、、、、、、伝右川は、埼玉県および東京都を流れる利根川水系の一級河川であるが、水質も超一級で“綾瀬川支流の中ではもっとも水質が悪い”とお墨付きがあるようだ。 その最下流にあって、草加市、八潮市に大きな被害をもたらした昭和56年(1681)の台風24号の激特事業の一環として、伝右川流域の洪水、内水被害の軽減を目的として建設された排水機場。 立軸軸流ポンプ3台で最大排水量15立方メートル/秒の能力を有している。 樋門は昭和60年(1985)、鹿島建設の施工で完成した。
 
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⑤大鷲神社・・・・・・・・・・ここ花畑の大鷲神社の創建は古く、平安時代、新羅三郎義光が奥州の役に赴く途中、社前に戦勝を祈願したと伝えられるゆかりの社だ。、、、、、私が住む台東区千束の鷲神社同様に、応徳(1084)の頃から毎年11月の酉の日に例祭が行われ賑わうそうだ。、、、、、現在の本殿は嘉永7年(1854)に上棟、明治8年(1875)竣工、総欅方3間四方唐破風造り。 正面左右に竜が浮彫りされている。 拝殿は寛永元年の建築らしい。、、、、堂々とした立派な建築である。
 
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●・・・・・・・・・・・・大鷲神社に手を合わせ、六町駅に向かったが、、、、、途中、「花畑第一小学校入口」バス停でタイムアウト。 ここからバスで駅まで行くことにしたが、ナント、乗りそこねてしまった。シマッタ! 次のバスは約1時間後、不便な処だ! 親切な方に、他のバス停へ案内していただき帰宅する。、、、、、、八潮駅からここまで、1万4千歩の散歩でした。
 
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2017年8月 7日 (月)

谷在家~竹ノ塚

台風5号が近づき天気は悪くなるようだが、午前中は“もちそうだ”。 日暮里舎人ライナーの谷在家駅から、東武伊勢崎線の竹ノ塚駅まで、1万1千歩の散歩。 
 
 
 
日暮里舎人ライナー・・・・・・・・・ 一番前の座席でカメラを構え、どこの駅で降りようか? 日暮里舎人ライナーに乗ったが、下車駅を決めていなかった。 動きだすと、先頭に座っているので、高所からの景色に見とれ撮影に追われ、終点までこのまま行きたくなったが、谷在家駅で下車することにした。
 
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②谷在家駅・・・・・・・・・・・・平成20年(2008)3月30日、ライナーの開業と同時にできた島式ホーム1面2線の谷在家(やざいけ)駅。 駅名の「谷在家」とは、この地を流れていた沼田川の谷に農地を開いたことから、“谷”と湿地の集落を表す“在家”が結びつき名付けられた。 聞きなれないと“変な地名”と言いたくなるが、練馬区には谷原在家が、世田谷区には経堂在家などの地名もあった。
 
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③谷在家の夏空・・・・・・・・・・・台風一過の暑さなら理解できるが、今日は台風直前の暑さ、朝から猛暑の気配がする。 ここまま歩くと熱中症が心配だ。 駅前で飲料水を購入し、いつ倒れても恥ずかしくないように身繕いを直し、東の方角に位置する竹ノ塚駅を目指し歩くことにした。
 
・・・・・・・・・・・・・・夏の雲が覆い、暑い!暑い! 
 
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・・・・・・・・・・・・・畑の野菜も、暑い!暑い! 水をくれ!
 
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・・・・・・・・・・・・・夏休みなのに、公園には子供がいない。 吾輩の幼き頃は、熱中症ではなく、『日本脳炎になるから家の中で遊びなさい』と言われた陽気だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・出がけに、妻が『日陰を歩いてね!』と言ったが、太陽が高く日陰を探して歩くのは、無理無理かたつむり。
 
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・・・・・・・・・・・・・・『首筋に流れる汗、ハンカチでそっと拭う若い娘』、艶っぽい姿にドッキリ!、、、、、想像しながら歩いてみるが、こんな場面に出くわさず。 吾輩一人、公園を見つけては、頭から水をかぶり、手ぬぐいに水を浸し首に巻き、再出発!
 
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④諏訪神社・・・・・・・・・・・諏訪木西公園内(西新井4丁目)にある、淵之宮氷川神社の境外末社で、祭神は建御名方命。 なにか怪しげなピンクの社殿は昭和37年(1962)の完成(?)
 
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⑤源正寺・・・・・・・・・・・・伊興2丁目の源正寺は、遠く鎌倉時代、後醍醐天皇の御代に開山した古刹で、当時は時宗玄性寺であった。 無量山源正寺は、天文20年(1551)に真言宗に改宗、源正寺と改号したといいます。、、、、、鉄筋コンクリート造の現本堂は昭和50年(1975)の竣工。、、、、、門前では三地蔵がお出迎え。
 
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⑥伊興の夏空・・・・・・・・・・・・・竹ノ塚駅の西側で、尾竹橋通りを越えて広がる伊興の町。 もうすぐ竹ノ塚駅だが、広い日本 一時間 二時間 歩いても 気温は変わらず 暑い!暑い! 
 
・・・・・・・・・・・・・町名は“伊興”に変わり、気温もより高く、汗はダラダラ、ここも暑い!暑い!
 
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・・・・・・・・・・・・・蝉が合唱する若宮八幡宮。、、、、境内の白砂が日光を反射しまぶしいね!
 
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・・・・・・・・・・・・伊興の町は細い道路がクネクネ。 その中に、小さな都営アパート、区営アパートが点在し、吾輩のようなよそ者には方向感覚を失わせ迷路のようだ!、、、、、駅まで近いと判っていても、へそ曲がりの道と、暑さが、イライラさせる。
 
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⑦実相院・・・・・・・・・・真言宗豊山派の実相院(伊興4)は、寶光山実相院横沼寺と号す。実相院は、天平年間行基菩薩による開山といわれている。 西新井薬師総持寺の末寺。 本尊聖観世音菩薩は、古くから子育て観音として信仰をあつめているそうだ。、、、、、母乳の不足に悩むお母さんが、御供米を戴き皆御利益を賜ったそうだ。 乳をうらやむお父さんは罰が当たるかも?
 
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竹ノ塚駅 ・・・・・・・・・・・高架化工事、真っ最中の竹ノ塚駅到着。
 
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2017年8月 3日 (木)

西新井~竹ノ塚

『今日も気温は30℃以下で熱中症の心配なし』と、天気予報を聞いて散歩に出た。 昨日同様に、今日は向島辺りから水戸街道を“タップリ歩いてやろう”と東向島駅に向かう。 押上で東武伊勢崎線に乗り換えるのだが、“東武”に乗り入れている“東急”で信号トラブルが発生し、ダイヤは滅茶苦茶。 とりあえず、着た電車に乗り行先変更。 西新井駅で下車し、日光街道に向かい歩き始めた。 1時間程歩いてから方向を確認したら、“とんでも八分 歩いて十分”、向かっている方向が違う! これでは、一日がかりの散歩になってしまう、急ぎ軌道修正し、竹ノ塚駅に出て帰宅。、、、、と言うことで、西新井駅から竹ノ塚駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
西新井駅 ・・・・・・・・・・・島式ホーム3面6線の地上駅で、橋上駅舎を有している。 伊勢崎線は上下線別に、2面4線を使用する。 残る1面2線は大師線用。、、、、、、1899年(明治32年(1899)8月27日に開業。
 
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・・・・・・・・・・・・・・東口の駅ビル「トスカ東館」は昭和56年(1981)に完成した。、、、、吾輩の住む浅草橋には、今だ“駅ビル”と言えるような施設なし。 あるのは高架下の小さなビーズ屋、衣料品屋程度。 負けたね!
 
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・・・・・・・・・・・・・・大師線では、昨年3月から、昭和30年代の東武鉄道の標準色である、インターナショナルオレンジの車体にミディアムイエローの帯を回したリバイバルカラーの8000系車両で運行している。、、、、、、この塗装の車両は、昭和33年(1958)から昭和39年(1964)頃まで、東武鉄道の20m級通勤車両として使用されていた。 懐かしのカラーだ。
 
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②環七通り・・・・・・・・・・・・西新井駅の北東で環七通りを横断し足立区島根3丁目に入る。、、、、、さすが“環七通り”だ、中央分離帯があり、交差点か歩道橋でないと、向かい側に横断できない。 ズルッコシイ横断は禁止!
 
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③来迎寺・・・・・・・・・・・環七を横断し島根3丁目に入ると、多宝塔の上部が住宅の後ろに見えた。 この辺りは、見るべきものもなさそうなので、行ってみよう!、、、、、来迎寺は建久6年(1195)に創建され、その後江戸時代天和年間(1681~1684)に尊宥和尚が再興した。 当初は、西新井大師総持寺の末寺にして、近来は大和長谷寺の直末となっている。、、、、、境内には、樹齢数百年の榎と松の古木が、本堂を隠すように枝を出す。 また、古い庚申塔が数基、子育地蔵尊、宝篋印塔、六地蔵尊なども点在する。 山門と多宝塔は近年の建造。、、、、、寺を出たとたん、右手の甲が痒~い、かゆ~い、やぶ蚊にやられた、あ~もうダメ、かゆ~い!
 
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④樹齢300年の黒松・・・・・・・・・来迎寺から国土安穏寺に向かう途中に、大きな黒松がある。、、、、、、地元嶋根村の旧家桐田家の黒松である。 こちらのお宅には将軍の鹿狩り(ししがり)の際に、村の御用勢子人足が使用した旗が保存されていると言う。、、、、、我が家には、父が大東亜戦争に出征したときの日の丸ぐらいしか残っていない。 チョイと旧家とは言えないね。
 
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⑤国土安穏寺・・・・・・・・・・・日蓮宗、天下長久山国土安穏寺(こくどあんのんじ)と称す。 創建は、応永17年(1410)、開基は、千葉太郎満胤(室町時代の武将、千葉氏14代当主)である。 当初は、長久山妙覚寺と称した。 江戸時代に、将軍秀忠および家光が、当所巡遊の折の御善所となり、八世日芸聖人の大宇都宮釣天井予言の功により、寛永元年(1624)、現寺号を賜り、徳川家祈願所位牌安置所となる。 これより寺は、葵紋の使用を許された。、、、、、、 現在の諸堂宇は、明和年間(1764~1772)に建てられた鐘楼を除き、昭和以降の造営である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・国土安穏寺の境内を出たとたん、今度は両手、両腕が痒~い、右手で左腕を搔き、左手で右腕を搔く。 あ~、目茶目茶かゆ~い。 手の甲・腕の表面に、うっすら丸い膨らみが、数か所できている。 アッチャコッチャ、掻きながら歩く、この辛さ、南無阿弥陀仏、南妙法蓮華経、アーメン、念仏を三度唱えても効き目なし。、、、、、足立区島根はヤブ蚊の原産地か?
 
 
⑥普門寺・・・・・・・・・・・国土安穏寺から北へ100m程(足立区島根4)に、真言宗豊山派の普門寺がある。 この寺は、延慶年間(1308~1310)の草創で、嶋根村名主の菩提所。、、、、、門は閉ざされ、石敷きの参道には雑草が伸び、ひょっとすると、ここもヤブ蚊の産地か? 両手搔き搔き、危険を察知し遠ざかる。 
 
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・・・・・・・・・・・・・この辺りは、かつて空いた田畑に都営団地を建てたのか、不整形の敷地に中低層の小規模都営住宅が点在する。 方向感覚を狂わす、曲がりくねる道路を行く。
 
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⑦鷲神社・・・・・・・・・・西新井駅と竹ノ塚駅の中間ぐらいの足立区島根4丁目25に鷲神社(わしじんじゃ)がある。 “鷲神社”を“おおとりじんじゃ”と読むのは浅草育ちの人間だけか?、、、、、社伝によると鷲神社は文保2年(1318)の中興で、古代の海岸線とされる所が南にあり島の根の様にでた当地に祭神が船で到着したことから浮島明神とも呼ばれたそうだ。、、、、、社殿は昭和31年(1956)に再建した。 吾輩の好きなデザインで気に入った!
 
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・・・・・・・・・・・・・境内社の三峯神社前の石の鳥居(写真:左)は享和2年(1802)の建立。 隣の大きな御影石の灯籠は、昭和61年(1986)に建てた、高さ4.7m、重量35トン。
 
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・・・・・・・・・・・・・参拝を済ませ、『はて、我は今どこに?』 地図を出してみた。 ナント、西新井駅と竹ノ塚駅から同距離程の地点で、日光街道に出るにはチョイと時間がかかりそう。 無計画にブラブラ歩いたからだ! 我が家の昼食に間に合うよう、これより竹ノ塚駅に出ることにした。、、、、、、まだ、ヤブ蚊の後遺症も残り、手搔き、腕搔き、恥をかき、竹ノ塚駅を目指す。
 
 
⑧炎天寺と六月八幡神社・・・・・・・・・・・・竹ノ塚駅に向かう途中、足立区六月(ろくがつ)3丁目に、真言宗豊山派の幡勝山成就院炎天寺がある。、、、、、この寺の名:炎天寺、昔の地名:六月村の由来には、できすぎの話がある。:::『時は天喜4年(1056)八幡太郎源義家が奥州干渉(後三年の役)への向途、暑さにうだりながらこの地にやってきた時、やにわにその弱みを急襲したのが野臥で、さすがの源氏の精鋭部隊も苦戦を強いられた。 そこで義家が石清水の八幡神に撃退を祈念したところたちまち形成逆転して大勝利、そこで義家は岩清水八幡を勧請して祀り、さらに討死者を弔うための一寺を建立し、源氏の白幡のお陰で勝ったので山号を「幡勝山」、願いが叶ったので院号は「成就院」、時あたかも盛夏六月のこととて寺号は「炎天寺」と名づけ、村人には「六月村」の村名を与えた。旧暦六月は真夏8月なのだ。』、、、、、作られたような話だが、信じよう!
 
・・・・・・・・・・・・・現在の六月村の交差点(六月3)。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・炎天寺(写真:左)と六月八幡神社(写真:右)。 当然だが、炎天寺は六月八幡神社の別当寺であった。
 
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・・・・・・・・・・・・・・炎天寺には、小林一茶も関係している。、、、、江戸後期、俳人:小林一茶は当地で、「蝉鳴くや 六月村の 炎天寺」、「むら雨や 六月村の 炎天寺」など、数句を詠んだといわれている。、、、、炎天寺では、毎年、「一茶まつり」を催し、句を詠んでいるそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・吾輩も一句、「炎天に 両手搔き搔き イライラと」、、、、迷句?
 
 
⑨竹の塚第2団地・・・・・・・・・・・・昭和40年(1965)頃に、駅の南側、線路沿いに建てられた住宅公団の住宅。 土地の使い方にも余裕が見られる、50年前の団地。
 
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竹ノ塚駅 ・・・・・・・・・・・・竹ノ塚駅は伊勢崎線の開業から約7ヶ月後にあたる明治33年(1900)3月21日に開業した。 現在は高架化工事が進められている。、、、、、平成27年(2015)の乗降客数は約72000人/日で、伊勢崎線内の駅では6番目である。 ちなみに7番目は西新井駅である。 西新井駅には急行・準急・普通が停まり、竹ノ塚は普通だけしか停まらない。 こんなことアリ? もちろん、アリ。
 
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2017年8月 2日 (水)

浅草橋~北千住

今朝の天気予報では、『今日は曇り一時雨、気温は低く30℃以下、熱中症の心配なし』。 『ヨシ、今日は健康の為、タップリ歩いてくる!』と、我が家(浅草橋)をでて、北に向かい北千住駅まで、1万5千歩の散歩です。
 
 
 
①左衛門橋通り・・・・・・・・・・・台東区内を南北に通る左衛門橋通り(さえもんばしどおり、正式名:台第52号線)は、神田川に架かる左衛門橋 (台東区浅草橋1丁目)から、台東区入谷1丁目までである。 我が家から100m程で、左衛門橋通りの「浅草橋地区センター」バス停に出られる。、、、、、ここから、今日の散歩はスタート!
 
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・・・・・・・・・・・・・・バス停の前には、我が母校「旧台東区立柳北小学」と「柳北公園」がある。、、、、、校舎も、公園も、関東大震災の復興事業として、昭和初期に整備された。 吾輩が小学生の頃は夕飯の時刻まで、毎日のように遊んだ公園だが、今は遊ぶ子供も少なく、園内の遊具なども片隅に寄せられてしまった。
 
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・・・・・・・・・・・・・蔵前橋通りを越え、台東区小島の町。  横に入ると、如意輪観音が祀られているが、由緒は?
 
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・・・・・・・・・・・・・・春日通りとの交差点では、夏休み中の登校日か? 学校に向かう子供たちがいた。、、、、、吾輩が小学生の頃は、この日は夏休みの宿題の途中経過を持っていく日で、何も出来ていない宿題帳を見せる、いや~な日だった。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・元浅草4丁目には、左衛門橋通りに面して、江戸時代初期(徳川家光の頃)に開山した、浄土宗の誓教寺 がある。 墓地には、フランスの印象派の画家に大きな影響を与えた、浮世絵師:葛飾北斎の墓がある。、、、、、チョイト、手を合わせて行く。
 
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・・・・・・・・・・・・・・地下鉄銀座線が道路下を通り、仏壇屋が並ぶ浅草通りを横断し、左衛門橋通りは台東区松が谷に入る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・左衛門橋通り沿いに多くの寺院が並んでいる。 その内の一か寺。、、、、、日蓮宗の妙音寺は、安立院日雄聖人(元和5年寂)が開山し、慶長15年(1611)に馬喰町に創建した。 明暦の大火により、馬喰町から現在地へ移転した。、、、境内には弁財天も祀られている。、、、、“弁財天”と聞くと、オールヌードで琵琶を演じる姿が頭に浮かび、なにやら胸がドキドキしてしまう。 ここでは、残念だが姿を拝見できなかった!
 
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・・・・・・・・・・・・・・妙音寺の先(東上野6)には、親鸞聖人の門弟が建保2年(1214)下総国横曽根に創建し、慶長7年(1602)に江戸へ移転した坂東報恩寺がある。江戸では三回移転し、文化3年(1806)に現在地へ移転した。、、、、、本堂は鉄筋コンクリート造だが、チョイと古いかも?
 
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・・・・・・・・・・・・・・報恩寺から100m程北には、伊能忠敬の墓、幡随院長兵衛の墓、谷文晁の墓などがある、浄土宗増上寺の末寺:源空寺がある。 この寺も、明暦3年(1657)の大火に遭って類焼し、現在地に移転した。、、、、、本堂は最近、美しいフォルムの建物に替わった。
 
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・・・・・・・・・・・・・・松が谷二丁目交差点で「かっぱ橋本通り 」を横切ると、秋葉神社 の鳥居が見える。 ここも、チョイと手を合わせて行くことにした。、、、、左衛門橋通りには寺社が多く軒を連ね、賽銭も底をつく。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・言問通りを越えると入谷に入り、入谷1丁目で左衛門橋通りも終わる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・入谷1丁目には、昭和4年(1929)に建てられた、明治33年(1900)創業の酒屋「水上酒本店」の建物がある。 木造3階建てのどっしりした建物である。
 
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②日光街道・・・・・・・・・・・・・左衛門橋通りは入谷で終わり、50m程西側に国道4号線(昭和通り、日光街道)が通っている。 我が脚は、引き続き日光街道に移り北上する。
 
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・・・・・・・・・・・・・・明治通りと交差する大関横丁交差点をとおり、常磐線のガードをくぐり、旧「王子電気軌道」本社ビルであった梅沢写真館の前を進む。、、、、チョイと雲行きが怪しくなってきたが、“雨降らば降れ 風吹かば吹け”の境地で先へ行く。
 
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・・・・・・・・・・・・・・荒川区南千住1にある、曹洞宗寺院の円通寺 には、吾輩がこよなく愛する明治時代の几号水準点があるのだが、今日は素通りすることにした。、、、、戊辰戦争の際に傷ついた寛永寺の黒門、彰義隊の志士の墓もある。 
 
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・・・・・・・・・・・・・『中山式の腹巻』、『中山式の快癒器』と聞いてピンときた人は、かなりの年配だろう。 戦後、雑誌、新聞などで盛んにPRされた健康器具である。 幼き頃から病弱であった創業者の中山武欧氏の発明で、医療器具として大いに売れたそうだ。 もちろん、現在も製造されている。 その製造・販売元がこちらの会社「中山式産業(株)」(荒川区南千住6)だ。、、、、、屋上の看板のロゴが、昔と変わらぬ字体で懐かしいね!、、、、会社のhpより、発売当初の快癒器の写真を拝借しました。
 
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・・・・・・・・・・・・・日光街道に面する素盞雄神社では、境内に面白いものがあった。、、、、、氏子61ヶ町の手ぬぐいに風鈴を添えた旗を境内に飾り、涼を呼んでいた。 粋でいいね、気に入った!
 
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・・・・・・・・・・・・・・隅田川に架かる千住大橋 が見えた! この橋を渡れば足立区、北千住駅は近い。 でも、その前に京成本線の千住大橋駅がある。 駅は高架下にあり、日光街道に面して高架下に店舗があるはず(?) アレ・レ・無い! シャッターが降りてる?
 
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・・・・・・・・・・・・・北千住駅に近づくと、小粒の雨が落ちてきた。 駅まで急ぐ。、、、、、ほぼ濡れずに駅に到着。
 
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2017年7月24日 (月)

小菅~綾瀬

東武伊勢崎線の小菅駅で下車し、裏通りをブラブラ、常磐線綾瀬駅まで、9千歩の散歩です。
 
 
 
①小菅駅・・・・・・・・・・現実は、刑務所の時代は遠い昔に終わり、近代的な拘置所の時代に変わった“小菅”である。、、、、、、小菅駅にホーム立った私は、目の前の東京拘置所を見ると、やくざ映画の影響か? 小菅駅で降りる若い男性は“親分に差し入れに来たチンピラか?”、若い女性は“刑があける日を待つ愛する男に会いに来たのか?”、カバンを下げたサラリーマン風の男は“正義の味方の弁護士か?”、和服の女性は“背中に登り竜が彫られた姉御か?”、小太りのおばさんは“差し入れ屋のやりてババアか?”、ハゲの親爺は“私腹を肥やした悪徳元刑務官か?”、、、、、人を見る目が狂ってしまう。 
 
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・・・・・・・・・・・・・小菅駅で下車したものの、『さて、どっちへ歩こうか?』 『今後の為に、より深く拘置所を知っておくべきか?、拘置所とは反対側を歩いてみるか?』 迷っていると、金髪の外人さんが駅に向かって来た。 『これで決まった!外人さんがやって来た、拘置所とは反対の方向へ行こう!』
 
・・・・・・・・・・・・・・東武伊勢崎線の高架下を抜け、常磐線・千代田線の高架下を抜け、足立区足立2丁目の裏道を歩く。
 
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②庚申塔・・・・・・・・・・住宅が立ち並ぶ東武伊勢崎線の線路沿い(足立2-31)に、庚申塔が二基、他に出羽三山巡礼供養塔、 「庚申塚修復記念」の石塔がある。 祠の中に建つ庚申塔には、「安永九年庚子十二月吉日五反野村講中拾二人」と刻まれている。 安永9年(1780)、この近くの五反野村の12名の人々が庚申講を結成し、主に長寿を願う行事が満願に達したのを記念してこの庚申塔を建立したそうだ。、、、、、庚申塔に札束のレプリカが供えられていたが、どういう意味かな? 本物なら頂戴してくるのだが、、、、
 
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③下山国鉄総裁追憶碑・・・・・・・・・・・・・西綾瀬1丁目の常磐線ガード脇に、初代国鉄総裁を偲ぶ碑がある。 戦前生まれの人であれば、御存じ、下山事件の下山貞則総裁を偲ぶものである。、、、、、事件のあらましは、、、、昭和24年(1949)7月5日、下山初代国鉄総裁は朝8時過ぎに大田区上池上の自宅を公用車で出勤した。 途中、銀行等に寄り、9時半頃、日本橋三越で車を降り、入店しそのまま消息が途絶えた。 翌日の午前0時半頃、常磐線:北千住~綾瀬間の東武伊勢崎線が頭上を交差する地点において汽車に轢かれた下山総裁の遺体が発見された。 検視の結果は、遺体から生活反応が見られなかった事から、列車に轢かれた時に総裁が生きていたか、死んでいたかが問題となった。 自殺か、他殺か?。 警察からは公式の捜査結果が発表されないままに捜査は打ち切られ、迷宮入りとなった。 当時は高インフレにあえぐ経済の立て直しのために緊縮財政がとられ、6月には行政機関職員定員法が施行され、これにより国鉄に対し10万人近い人員削減が求められていた。 また、同年7月15日には三鷹事件、8月17日には松川事件が発生している。、、、、、、私は、当時3歳、まだ世の中の情勢に疎く、事件には無関心であった。 ゴメン!
 
・・・・・・・・・・・・・碑は、昭和26年(1951)、事件現場付近に建立されたが、平成3年(1991)常磐線荒川橋梁改良工事に伴い、現在地に移設された。
 
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・・・・・・・・・・・・・・事件現場、、、、、写真奥は北千住側、手前が綾瀬側。 左側に常磐線が走る。 中央の電車は千代田線。 奥に常磐線・千代田線の上を交差して東武伊勢崎線が走る。 事件現場(総裁の遺体発見現場)はこの交差部分らしい。 追憶碑は手前のガードの左手奥にある。
 
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④西綾瀬の町から綾瀬の町へ・・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・農家の匂いが残る、西綾瀬3丁目を抜けて行く
 
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・・・・・・・・・・・・・どこかの里山に佇む寺の雰囲気が残る、新義真言宗の長性寺(西綾瀬3)は、寛永元年(1624)に創建した。 荒川辺八十八ヶ所霊場50番札所。
 
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・・・・・・・・・・・・・・弘道小学校(西綾瀬4)は、明治11年(1878)創立の歴史のある小学校。当初は現在の綾瀬川左岸(綾瀬4)の常磐線線路際にあった。 大正15年(1926)に現在地に移転した。 校名は論語衛需公篇の「子日人能弘道非道弘人」からとされているが、近くを水戸街道が通っており、水戸藩の藩校「弘道館」を意識したのかも?
 
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・・・・・・・・・・・・・・弘道小学校前の通り。
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・・・・・・・・・・・・・・この通りに「綾瀬村役場跡」の碑がある。、、、、綾瀬村は明治22年(1889)から昭和7年(1932)まで存在した自治体で、その後東京市足立区に吸収された。
 
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・・・・・・・・・・・・・綾瀬川に架かる五兵衛橋を渡り、西綾瀬から綾瀬に入る。、、、、、五兵衛橋は、この辺を開拓した金子五兵衛に由来している。江戸時代の初め、金子五兵衛は他の者と一緒に武蔵国入間郡金子村(現埼玉県入間市)から転入して開拓し、一帯はその名をとって五兵衛新田村となった。、、、、この橋の初代は、寛永年間(1624~1644)に綾瀬川が内匠橋から伊藤谷橋あたりまで新川として開削されたため村が東西に分断されるため、代償として長さ12間、幅9尺の土橋が幕府によって設置されました。 これが五兵衛橋の初代です。 その後、橋は何度か架け替えら、現橋は平成10年(1998)に架けられた歩道橋である。、、、、、この橋の先代の橋は、「男はつらいよ」第26作「寅次郎かもめ歌」に登場している。 マドンナ役の伊藤蘭が入学する学校が葛飾高校(架空)で、通学途中で渡る橋が五兵衛橋。、、、、一見、たいしたことない歩道橋だが、歴史あり、エピソードありで、驚きだ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・五兵衛橋を渡り綾瀬4丁目に入ると、大地主のような門構えの住宅がある。 門の前には足立区教育委員会の名で、「金子家文書」と標記した案内板が立てられていた。、、、この金子家は金子五兵衛の家である。、、、、そして、金子文書とは、新撰組近藤勇が流山で捉えられる前、慶応4年(1868)3月14日から4月1日までの19日間、あの新撰組が、金子家や近くの観音寺に分宿していた。 総勢227人もの大集団で、世情柄精神的な負担や、その世話(経費)などで大層迷惑を蒙った上に、後日明治政府から、強い叱責があったという。 近藤勇らが五兵衛新田の金子家に滞在した事は、その賄方の記録として金子家文書に残っている。 現在近藤勇として一般に知られている袖内に腕組みした写真も、金子家が所蔵しているらしい。
 
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・・・・・・・・・・・・・・綾瀬駅の北側(綾瀬4)に、綾瀬稲荷神社がある。 この神社は、創建年代は不詳であるが、五兵衛新田の鎮守社であったといい、明治7年(1874)に五兵衛神社と、昭和42年(1967)年に綾瀬稲荷神社と改称した。
 
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⑤綾瀬駅・・・・・・・・・・綾瀬駅に停まる電車は千代田線だけ。 千代田線は地下鉄の路線。 その線を走るのはJRの電車(常磐緩行線)。 窓から横を見ればJRの電車(常磐快速線)が通過する。 次の北千住で常磐快速線に乗り換えると、浅草橋まではJR料金。 西日暮里で山手線に乗り換えると、浅草橋までは地下鉄+JR料金。、、、、、ややっこしい!勝手にしろ!
 
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2017年6月12日 (月)

高砂~綾瀬

浅草橋の地下鉄ホームは島式ホームである。  散歩の行く先が未定のときは、とりあえず改札をとおりホームにいて、押上方面行か、泉岳寺方面行か、気が向いた方の電車に乗ろう。 てなことで、適当に乗って、適当に降りることが多い。、、、、、今日はホームに下る階段から、押上方面行に黄色い電車が止まっているのが見えた。 『アッ! 先日、孫と話していた電車だ。 幸せの京急イエローハッピートレインだ!』、反射的に飛び乗った。 『ラッキー、これで孫に自慢話ができるぞ!』、まずは証拠に電車の写真を撮っておこう。、、、、、と言うことで、終点の青砥まで行って、証拠の写真撮影。

 

①京急イエローハッピートレイン・・・・・・・・・「赤い電車」でおなじみの京浜急行の特別塗装車両である。 1000形電車を幸せの色“黄色”で塗った“KEIKYU YELLOW HAPPY TRAIN(京急イエローハッピートレイン)”は、2014年5月1日より運行されて­いる。 当初、今年の4月までので3年間の運行を予定していたが、好評で今年の4月以降も引き続き運行することが決定した。 2017年4月29日からは車体側面扉部分をこれまでの「シルバー」から「イエロー」に変更した新塗装で運行されている。、、、、車両は新1000形8両1編成を使用。 運行日時、運行区間などはナイショで、教えてくれない。

・・・・・・・・・・・・・・終点(折り返し)の青砥駅で撮影。

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・・・・・・・・・・・・・車内には只今実施中のキャンペーン「父の日ありがとうギャラリー号」と称し、子供が描いたお父さんの絵が掲示されている。

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・・・・・・・・・・・・・・イエローハッピートレインは青砥駅の先にある留置線に入線した。 私も追いかけるように次の電車で留置線に停まった電車を窓越しに見て、次の高砂駅で下車する。

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②高砂駅・・・・・・・・・・・どの電車も、高砂駅で乗務員の交替が行われている。 オヤ、女性の運転士さんだ。 ついつい見つめて散歩を忘れるところ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・今日は、高砂駅 から歩くことにした。
 
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③高砂の町・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・高砂駅から駅前踏切の通りを北へ向かう。
 
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・・・・・・・・・・・・・・まずは、昭和の床屋らしき店舗。 今は廃業か? 店の名は無い。 床屋のシンボル、目の回る看板も無い。 あるのは、アールデコ調のドアと窓。 (高砂5)
 
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・・・・・・・・・・・・・・住吉稲荷の前で、『我はどこへ向かって歩いているのだ?』。 ここで、初めて地図を見た。 どうやらこのまま北東に進むと、帝釈天にでる。 今日は、草餅を遠慮することにして、進路を北北西にとる。 (高砂8)
 
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・・・・・・・・・・・・・・これはこれは、懐かしい雰囲気のタバコ屋さん。 どうみても廃業した店と思われる。 看板の“雑貨”の“貨”の字、人偏に「上」と「貝」、いつの時代の文字か? (柴又1)
 
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・・・・・・・・・・・・・・この店の横に、これまた絶滅危惧種に指定されそうな公衆電話があった。 隣に並ぶ「ファミリープラン」の自販機と共に、まだ現役で活躍中の機器だった。 電話しながら、買えるね。 (柴又1)
 
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・・・・・・・・・・・・・・こちらは、廃屋の上に綺麗に咲く花。 町の景観大賞を受賞? (高砂7)
 
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④葛飾区新宿・・・・・・・・・・・・新宿区は“しんじゅく”、葛飾区は“にいじゅく”。 葛飾区新宿は区の中央部に位置し、中川の東岸、国道4号(水戸街道)の両側に広がる町。
 
・・・・・・・・・・・・・高砂から新宿に入る。 伊勢丹の在る新宿三丁目ではありません。
 
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・・・・・・・・・・・・・・葛飾区に昭和44年(1969)に誕生した「新宿交通公園」。  園内には歩道、車道、横断歩道や信号機といった交通公園の基本設備が整っている。 自転車やゴーカート、豆自動車、ミニSLなどで遊びながら、交通マナーをしっかりと学べるそうだ。 (新宿3)
 
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・・・・・・・・・・・・・・亀有警察署の前で、国道4号(水戸街道)を横断する。 (新宿4)
 
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・・・・・・・・・・・・・・警察署の横の道は柴又帝釈天につながる古道:帝釈道で、新金貨物線 と交差する位置に柴又踏切がある。 貨物列車は一日数本しか通らない。  (新宿4)
 
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・・・・・・・・・・・・・・踏切の先では、旧水戸街道の拡張により、移転を余儀なくされた石仏が並び出迎えてくれる。
 
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⑤中川橋・・・・・・・・・・・中川に架かるその名も中川橋、葛飾区新宿と亀有を結ぶ。 ここには、水戸街道の「新宿の渡し」があったが、明治17年(1884)に明治天皇の行幸に合わせて橋が完成した際、廃止された。 2代目の橋は、昭和8年(1933)に架設されたが、老朽化と交通量の増大に対応するため、架替工事が平成5年(1993)に着工され、事業費28億円をかけ平成20年(2008)3月10日に開通した。 橋長120.6m。
 
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⑥亀有の町・・・・・・・・・・・中川橋を渡り、真直ぐ西へ綾瀬駅に向かう。
 
・・・・・・・・・・・・・・中川橋の西詰、大型ショッピングセンターを通過。 (亀有3)
 
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・・・・・・・・・・・・・・ 亀有の町には、マンガ:『こちら亀有公園前派出所』の人気キャラクターの銅像が14体ある。 そのうちの2体がこちら。 (亀有2)
 
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・・・・・・・・・・・・・・亀有一里塚跡、、、、、亀有の一里塚は、千住宿から1里、江戸日本橋から3里に位置する。 亀有1丁目28の地点に、現在は一里塚跡の碑が建てられている。 隣には、助さん・格さんを従えた水戸黄門のモニュメントも建っている。、、、、チョイと、気持ち悪い首だけのモニュメントだ! 今夜、いやな夢を見そうだ、、、
 
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・・・・・・・・・・・・・・西亀有三丁目交差点から、旧水戸街道が千住方面に向かい伸びている。 そちらを歩いてみたが、特に気になる古い建物・遺構などは何もなし。
 
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綾瀬駅 ・・・・・・・・・・・京成高砂駅から1万2千歩、やっと着いた綾瀬駅。 止まっているのは千代田線の車両、どうしても昔の常磐線のイメージとは程遠く、JRの駅とは思えない。
 
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2017年6月 2日 (金)

花畑運河

つくばエキスプレス八潮駅から南下し、足立区の北東部にある花畑運河を歩きつくばエキスプレス六町駅まで、1万3千歩の散歩です。
 
 
八潮駅・・・・・・・・・・・・・・埼玉県の東南、草加市と三郷市に挟まれた八潮市は、東京都足立区・葛飾区とも隣り合わせる市である。 昭和31年(1956)に三村が合併し、「条村」・「幡村」+「止村」=「八潮村」となった。 その後、八潮村から八潮町を経て、昭和47年(1972)に八潮市となる。 市内唯一の鉄道がつくばエキスプレスで、唯一の駅が八潮駅である。 平成17年(2005)8月24日に開業した、島式ホーム2面4線の高架駅は、私が住むJR浅草橋駅より格段に大きく立派である。(比べることに無理があるかも)
 
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②垳川排水機場・・・・・・・・・・・八潮駅から南へ1km程行くと、東京都足立区と埼玉県八潮市の境となる垳(がけ)川が、中川に合流する地点に垳川排水機場がある。 中川との接続点に昭和54年(1979)に造られた排水機場。、、、、、、垳川はかつて綾瀬川本流であったが、江戸初期に綾瀬川から切り離され、江戸中期には中川とも切り離されて、川の中間部には葛西用水が流れ込み、溜池のようなものとなった。 そこで、増水時には水害防止のため、綾瀬川や中川に排水する施設として垳川排水機場がある。 ここには、5台のポンプがあり、フルに稼働すると1分間に学校のプール7個分の水を排水する能力が確保されている。、、、、、、首都圏の洪水対策は完璧だね!(チョイト心配だが?)
 
・・・・・・・・・・・・・・・写真右側は八潮市、左側は足立区。 都県境の垳川。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・垳川排水機場
 
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・・・・・・・・・・・・・・・垳川排水機場前を流れる中川。、、、、、左側の新大場川水門は葛飾区西水元と八潮市古新田の間に造られている。
 
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③花畑運河・・・・・・・・・・足立区東部(JR綾瀬駅・亀有駅のはるか北3.5km程)に位置し、東京近郊の農村地帯と都心を結ぶ舟運の利便化のため、昭和6年(1931)に中川と綾瀬川を結ぶ運河として開削された。、、、、江戸・明治の頃より、舟運は埼玉県東部の穀倉地帯からの食糧を輸送するだけでなく、東京から出された大量の糞尿を肥料として農耕地帯へ送り出していた。 それに係わる運搬船は、最盛期に3,800隻近くとなっていた。、、、、春日部・越谷近辺から中川を下ってくる船は、現在の旧中川をとおり、小名木川・隅田川・都心のルートを航行した。 一方、綾瀬川を下ってくるルートは、現在の堀切駅近くにある隅田川水門から隅田川に入り都心に直結していた。 明治44年(1911)から、荒川放水路の開削工事が始まると、放水路により中川は分断され、中川ルートは各所に水門・閘門が設けられ運行に支障をきたすこととなる。、、、、そこで、大正14年(1925)、急遽、花畑運河の開削工事が計画され、中川ルートの船を綾瀬川ルートに誘導し、渋滞解消をはかることにした。 工事は荒川放水路の竣工に半年遅れ昭和6年(1931)12月に完成した。、、、、戦後は糞尿輸送・食料輸送も減り、現在は東京湾に向かう釣り船がたまに通行するだけとなった。、、、、ここで、私が考えた今後の利用計画を内緒で披露する。 両端の水門を閉じ、釣り船の航行は止め、足立区営の巨大な釣り堀にしたらどうだろう! 
 
・・・・・・・・・・・・・中川寄りの六ツ木水門、、、、、、平成11年 (1999) 3月に竣工した幅員7.5mのローラーゲート式。 こちらは水門は常時開放され船の進入が可能。 ただし、花畑運河にかかる橋は水面からの高さが低く、干潮時でないと通航困難とのこと。
 
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・・・・・・・・・・・・・・六ツ木水門から見る、真直ぐに伸びる花畑運河。
 
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・・・・・・・・・・・・・・運河上には六ツ木水門から順に、桜木橋富士見歩道橋雪見橋月見橋と架かり、綾瀬川寄りには花畑水門がある。
 
・・・・・・・・・・・・・・桜木橋と、桜木橋から見る六ツ木水門、そして花畑水門側を望む。
 
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・・・・・・・・・・・・・・運河は両サイドをコンクリートの護岸で囲まれている。 水辺には下りることができない。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・下りられない水辺で釣りをする人。 水面にはペットボトルがプカプカ。 釣った魚で晩酌するのか? 
 
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・・・・・・・・・・・・・・・雪見橋から花畑水門側を見ると、川にはゴミが浮いている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・綾瀬川寄りの運河には、月見橋が架かり、スグ隣に花畑水門、頭上には首都高6号三郷線が走る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・綾瀬川を挟み、対岸から見る花畑水門。
 
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六町駅 ・・・・・・・・・・平成17年(2005)に開業した、つくばエクスプレスの六町(ろくちょう)駅。 駅周辺にはスーパーがあるていど、これと言うめぼしきものは無し。 あっ、そう・そう、マクドナルドがあったね、私の住む浅草橋にあったマックは数年前に撤退した、残念だが負けた!
 
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2017年5月29日 (月)

見沼代親水公園~鳩ケ谷

日暮里舎人ライナーの終着駅:見沼代親水公園駅から、北西に向かい埼玉高速鉄道の鳩ケ谷駅まで、1万3千歩の散歩です。
 
 
 
①日暮里舎人ライナー・・・・・・・・・・東京都民で70歳以上になると、年2万510円で都営地下鉄・都電・日暮里舎人ライナーと都内を走る私営バスの大半が乗り放題の「シルバーパス」を購入することができる。 私も今年からこれを利用しており、今日も、起点の日暮里から終点の見沼代親水公園まで乗車してきた。 ちなみにこの間は、9.7kmで、両端を含め13駅、運賃330円である。
 
・・・・・・・・・・・・・・起点:日暮里駅
 
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・・・・・・・・・・・・・・・一番前の座席に座り、カメラ構えて出発進行!
 
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・・・・・・・・・・・・・・終点:見沼代親水公園駅
 
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・・・・・・・・・・・・・都内を走る鉄道で、東京23区の最北端の駅である。 平成20年(2008)開業。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・軌道がちょん切れた先端から埼玉県(草加市)との境までは220m程、まさしく役所が造った“都営”の交通機関である。 チョイト伸ばして草加市・川口市に乗り入れれば、儲かると思うのだが?
 
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・・・・・・・・・・・・・・東京都(足立区舎人)から眺めた埼玉県(草加市)。
 
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②舎人氷川神社・・・・・・・・・・見沼代親水公園駅の南側(足立区舎人5)にある氷川神社。 舎人氷川神社は、正治2年(1200)に大宮氷川神社を勧請して創建した、明治5年には村社となった。、、、、、現在の社殿は、天保7年(1836)の建築で、総けやき造り、柾目の素材を集めて造営された。 唐様破風流れ造りの屋根が大きく社殿を覆っている。 その特徴は社殿一面に施された昇龍・降龍・唐獅子などの彫刻美にある。 残念ながら、本殿は鉄骨の鞘堂で覆われチョイト見ずらい。
 
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③23区で最北端の家・・・・・・・・・・・見沼代親水公園駅が都内で最北端の駅であれば、住宅の最北端は、、、、、地図を見ると“都内の最北端”は奥多摩の方にあるようだ、しかし“23区の最北端”はこの地にあるようだ。 駅の北側、埼玉県側にチョイト出っ張った住宅地があり、私の推測ではこの一画が該当すると思われる。
 
・・・・・・・・・・・・・・・用水路と並行する裏道。右側のスパーは埼玉県草加市、左側の仮囲いとその先にある住宅は東京都足立区。 この付近が23区の最北端だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・地図で推測すると、こちらの新栄テントの看板が出ている建物が最北端であると、私が決めた!
 
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・・・・・・・・・・・・・・話はついでに、、、、、最北端の家から50m程西に歩くと、今度は都県境と市境がT字型にぶつかる処がある。、、、、、、写真、右側の一段高くなった駐車場は埼玉県草加市、中央の白い住宅は埼玉県川口市、左右に伸びる道路の手前側は東京都足立区である。、、、、、、今日の散歩は、駐車場と白い住宅の間を歩き川口市に入った。
 
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④普門寺・・・・・・・・・・・・・川口市本蓮1丁目に真言宗智山派の熊野山普門寺がある。 普門寺の創建年代は不詳であるが、歴史のありそうな寺だ。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・本堂は最近建てられたものと思われる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・延宝6年(1678)に建てられた観音堂。、、、、、屋根は平成2年(1990)に茅葺き屋根から銅板に替えたそうだ。
 
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⑤文化放送送信所・・・・・・・・・・・普門寺から北西へ歩き、川口市赤井という処に来ると、森の中に大きな紅白のポールが見えた。、、、、、測量用のものかな? 行ってみよう!
 
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・・・・・・・・・・・・・・正面と思われる処には、「文化放送 送信所」の表示がある。、、、、ここがらあの「文化放送・・・・・文化放送・・・・・JOQR」と流されていたのか、感動したね。、、、、でも? 東京タワー、スカイツリーと比べると極端に小さい。 こんなもので、都心の我が家まで電波が届くのか? ひょっとすると、地元向けのローカル放送用かも。 疑ってしまうね。
 
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・・・・・・・・・・門に、『この送信所には、強力な電波発射の設備がありキケンです・・・・・』と表示されている。、、、、ゲートは閉ざされ、なんだか、恐ろしい秘密兵器でもあるようだ。 北朝鮮に向けて発射してくれ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・円墳状にフェンスで囲われた送信所の周囲には見沼用水が流れ、用水沿いに遊歩道が整備されている。 バラが見事に咲いていた。
 
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⑥坂下町・・・・・・・・・鳩ケ谷地区の中心的な町。 2丁目と3丁目の町境であるバス通りを歩き、鳩ケ谷駅を目指す。、、、、、そろそろ、太陽も元気づき熱中症が気になる時刻。 歩きながら日陰を探すが、ちょうど道の方向と太陽光の方向が一致し、私を真後ろから照らす位置に太陽がある。 これじゃ探しても日陰は無いのであきらめた。 
 
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⑦鳩ヶ谷氷川神社・・・・・・・・・・・無事、熱中症にならず鳩ヶ谷駅付近に到着。 道端の案内に鳩ヶ谷氷川神社の名をみつけ、今日の散歩は、見沼代親水公園駅の氷川神社に始まり、鳩ヶ谷本町にある氷川神社終えることにした。、、、、、鳩ヶ谷氷川神社は、鳩ヶ谷宿の鎮守で、応永元年(1394)に造営された。、、、、、、明治時代には、近郷の氷川社・稲荷社・熊野社・住吉社・金比羅社・神明社・八坂社・浅間社・天神社など18社を合祀した。 その結果、各種神様を取りそろえたため、安産祈願、合格祈願、商売繁盛など、なんでもOKの神社となったようだ。 経営の多角化を実践した先見の明ある神社で、御利益が期待できそう。
 
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鳩ヶ谷駅・・・・・・・・・・・昭和42年(1967)に市制施行された鳩ヶ谷市は、平成23年(2011)に川口市に編入され消滅した。、、、、、、「陸の孤島」として交通機関の無かった市に、初めて開通した埼玉高速鉄道の鳩ヶ谷駅は、無くなることなく健在である。
 
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