豊島区

2017年4月30日 (日)

浅草橋~四ツ木

正月終えて花見を済まし、あっと言う間に黄金週間(GW)。 『GWの計画は?』と問われ、『連休前に、内科・眼科で薬を貰い、整形でリハビリ、歯も治療し、一安心。 連休中はゴロ寝で過ごし、一休み。 連休終われば、やることもなく、一生続く超大型連休へ再突入。 最後は黄泉の国への旅行で超大型連休を終える予定。』、、、、こんなGWの計画が現実のものとならないように、昨日は夫婦で都内の散歩。 今日は、浅草橋(我が家)から水戸街道(国道6号)を京成四ツ木駅まで、途中で寄り道せずにスタコラ歩いてきた。 
 
 
 
●am8:00・・・・・・・バスを待つ人、駅周辺を歩く人のいない浅草橋を発つ。、、、、、“死の町”か?
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●am8:15頃・・・・・・・蔵前・駒形付近、この辺りも歩く人は少ない。、、、、、、『どぜう』の大きな暖簾もまだ出されていない、只今準備中。、、、、、「むぎとろ」も準備中。
 
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●am8:30・・・・・・・浅草駅前を通過。、、、、4月21日から、東武鉄道に新型特急電車「リバティ」が運転された。 浅草から日光・鬼怒川はもちろんだが、会津田島まで直通運転する特急である。、、、、、、今日は満員のようだ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・ちなみに、私も4月21日に「東武鉄道リバティ記念乗車券」(6枚組)を浅草駅で購入してきた。 このお宝をコレクションに追加!
 
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●am9:00・・・・・・・スカイツリーを正面に見ながら、言問橋を渡り向島に入る。 
 
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●am9:30頃・・・・・・・向島の秋葉神社・鳩の街商店街・地蔵坂通り(通りの奥が玉の井)を通過。、、、、昭和33年(1958)、私は12歳、まだ売春防止法も知らないウブな小学生。 この年の4月1日、法律は施行され、鳩の街・玉の井の娼家は廃業する。 廃業するまでに、一度、“永井荷風の世界”を見ておきたかったね!
 
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●am9:45・・・・・・・東向島の東武博物館付近を通過。 国道に架かるガードには、東武鉄道開業時の蒸気機関車(B1形6号蒸気機関車)が保存されている。 また、国道からチョイト引っ込んだ処に、東武日光軌道線200形203号電車とロマンスカーが保存されているのも見える。 機関車・電車を見て元気づく、まだ私も若いね!
 
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●am10:00・・・・・・・四ツ木橋を渡り、荒川を越える。、、、、、四ツ木橋は、戦前から架橋工事が実施されていたが、戦中には工事は中断し、戦後工事が再開し昭和27年(1952)7月30日に現在の橋が開通した。、、、、今日は風もなく気持ちよく渡ることができた。 
 
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●am10:30・・・・・・・京成押上線四ツ木駅に到着。、、、、今日の散歩はここまで!
 
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●・・・・・・・・・・・・・今日の散歩のルートは、総延長は約7.5km。 1万4千歩。

2017年1月 6日 (金)

西日暮里~駒込

西日暮里駅から、裏通りを気ままに歩き駒込駅まで、坂と寺社巡りとなった、1万2千歩の散歩です。
 
 
 
①西日暮里駅・・・・・・・・・・・・昭和46年(1971)4月20日に開業した、山手線の駅としては最も新しい駅である。 接続する地下鉄千代田線の西日暮里駅は、昭和44年(1969)12月20日の開業である。 JRは田端~日暮里間に、千代田線との乗換駅として開業したため、隣駅との駅間距離も500m程で短い。 一般の改札口はガード下の小さな出入口のみで、地下には千代田線との連絡用の大きな乗り換え改札がある。 JRと地下鉄の“乗り換え客のための乗換駅”である。 その乗り換え客に、100m程離れた日暮里舎人ライナーからの乗り換え客も合流し、朝の駅は人の流れが絶えることはない。
 
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②ひぐらし坂と向陵稲荷坂・・・・・・・・・・西日暮里駅の西側に名門受験校開成学園がある。 その開成高校のキャンパスを挟むように、東側には「ひぐらし坂」、西側には「向陵稲荷坂」がある。
 
・・・・・・・・・・・・ひぐらし坂、、、、、駅前歩道橋に続き開成高校の東側を上っていく坂。 坂の名は、平成2年(1990)、「ひぐらしの里」に因み、地元から要望によって、愛称として命名されたそうだ。 ナン~~ダ、ソレダケ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・向陵稲荷坂(こうりょういなりざか)、、、、、、開成高校校舎と開成中学校舎の間を上る坂。 この一帯は古く道灌山であった。 坂の途中には向陵稲荷(佐竹右京大夫の屋敷に祀られていた)があり、坂の由来となる。 
 
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③道灌山・・・・・・・・・・・開成高校の北側(ひぐらし坂を上った処)からは、JRの線路を見下ろすことができる。 日暮里4丁目の道灌山だ。 この山には、かつて秋田藩主佐竹右京大夫の屋敷があった。 屋敷の見晴台からは、筑波山、国府台(市川市)などを望むことができたそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・道灌山から荒川区西日暮里4と北区田端1の区境を下る道灌山坂がある。 この坂も、地元の要望で平成18年(2006)に名付けられたそうだ。、、、、、地元の要望で命名してくれるなら、我が家の前の通りは「雅万歩横丁」と名付けてもらえないか(?) 区長に会ったら聞いてみよう。
 
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④与楽寺・・・・・・・・・・北区田端1丁目に入り、真言宗豊山派の宝珠山地蔵院与楽寺に寄った。 与楽寺の創建年代は不詳であるが、弘法大師が寺院をこの地に建立したのが始まりだと言われ、慶安元年(1648)には寺領20石の御朱印状を拝領し、京都仁和寺の関東末寺の取締役寺を務めていた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・只今、山門は基礎工事中で無い。 その姿の見えない山門前の坂を与楽寺坂という。 今はアパートとなり、面影は残っていないが、この坂の上に芥川龍之介が住んでいた。
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⑤田端八幡神社~吉祥寺・・・・・・・・・・・・与楽寺から裏道を抜けると、田端八幡神社に出た。 これより、田端八幡神社、隣の東覚寺、不忍通りを越えて文京区本駒込3の天祖神社、吉祥寺までは、平成14年6月に歩いていた。 今日はダイジェスト版で!
 
・・・・・・・・・・・・・田端八幡神社、、、、、、、平成4年(1992)に再建され、翌年5月に遷座祭が行われた社殿。
 
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・・・・・・・・・・・・・・東覚寺、、、、、、、昔は田端八幡神社の別当寺であった東覚寺。 今は、谷中七福神の福禄寿を祀り、商売繁盛を実践しているのか(?) 今日も七福神巡りの団体さんが参拝してる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・天祖神社、、、、、、本駒込の天祖神社。 空襲により消失した社殿も、昭和29年(1954)新築し現在に至る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・吉祥寺、、、、、、中央線の吉祥寺駅周辺には吉祥寺という寺はない。 ここ本駒込の吉祥寺門前の住人が五日市街道沿いを開発・移住したことにより、かつての地を偲び吉祥寺と命名したそうだ。
 
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⑥神明都電車庫跡公園・・・・・・・・・・本駒込4の勤労福祉会館と都営住宅に隣接する公園。 かつて、ここには都電の神明町車庫があった、その跡地である。 公園内には、都電6000形一両と、貨物車の乙2号一両が、雨ざらし状態で保存されている。、、、、、、都電6000形は290両が製造され、台数としては一番多い車両である。 保存されている6063号電車は、昭和24年(1949)3月に造られ青山車庫に配属され、その後、大久保車庫、南千住車庫を経て、昭和42年(1967)9月に神明町車庫に配属された。 3年後の、昭和45年(1970)12月に荒川車庫へ転属し、昭和53年(1978)4月に廃車となった。 きっと、私も南千住車庫の時代に乗ったことがある車両だろう。、、、、、、乙2号は、昭和16年(1941)に造られ、荒川車庫で資材運搬などで使われ、昭和46年(1971)3月に廃車となった。、、、、、、どちらの車両とも、チョイと痛々しい姿となっている。 もう少し手入れして欲しいね!
 
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⑦駒込富士神社・・・・・・・・・・・・吉祥寺から駒込駅へ向かう途中に、駒込富士神社がある。 富士神社は、天正2年(1574)本郷村名主木村万右衛門、同牛久保隼人の二人が、駿河の富士浅間社を勧請して、本郷村(元富士神社地、現:東大本郷キャンパス)に創建した。 寛永6年(1629)、本郷の地が加賀藩前田家の上屋敷に充てられ、前方後円墳のあった当地に移転した。 現社殿は昭和37年(1962)頃の再建である。、、、、、古墳が富士塚に変わったのか(?) 社殿は塚の上だ。、、、、、神社は氏子を持たず、富士講組織で成り立っていたそうだ。
 
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駒込駅 ・・・・・・・・・・今日は荒川区の西日暮里駅で下車し、北区、文京区を歩き、豊島区の駒込駅から帰宅。 
 
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2016年12月12日 (月)

王子~西巣鴨

京浜東北線王子駅から、都電沿いに都営三田線西巣鴨駅まで、1万歩、7kmの散歩です。
 
 
王子駅前停留場 ・・・・・・・・・・・新幹線の高架下に都電荒川線の王子駅前停留場がある。 JRの王子駅は、日本鉄道の駅として明治16年(1883)に開業した。 都電の王子駅前停留場は大正4年(1915)に王子電気軌道(現:都電荒川線)によって設置され、今年で101年経ったことになる。、、、、、、、“昭和の光景”が残る荒川線を、ぜひとも、文化財として登録したいね。
 
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・・・・・・・・・・・・・・JRのガードを抜け、明治通り(大坂)を上り、飛鳥山交差点から専用軌道となる。
 
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②飛鳥山停留場・・・・・・・・・・・・飛鳥山交差点から専用軌道に入ったところに、明治44年(1911)に開業した飛鳥山停留場がある。
 
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③酒類総合研究所・・・・・・・・・・・・・飛鳥山停留場近くの酒類総合研究所東京事務所に寄ってみた。 なんと貼り紙では、研究所の東京事務所は広島に移転し、広島事務所と統合された。 つまり、只今は空き家状態である。 日本橋を手掛けた妻木頼黄(つまきよりなか)の設計で、明治35年(1902)に竣工した、貴重な煉瓦造の酒造工場ははどうなるのだ? 急に心配になり、隣地に事務所を構える日本醸造協会の方に聞いてみたら、『煉瓦造の建物は当協会が管理を委託され、今後、内部を整備し一般公開します』と云うことで、一安心。
 
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④滝野川一丁目停留場・・・・・・・・・・・明治44年(1911)年8月20日に開業。
 
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⑤西ヶ原四丁目停留場・・・・・・・・・・・・・・明治44年(1911)年8月20日に開業。 開業当初は滝野川停留場と呼ばれた。
 
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⑥善養寺・・・・・・・・・・・・西ヶ原四丁目停留場から裏道を歩き豊島区西巣鴨4丁目に入ると、天台宗の善養寺がある。 天長年間(824~833)に上野山内に創立したと伝えられ、上野東叡山寛永寺末。 本堂には高さ約3mの江戸三閻魔の一つ木造閻魔王坐像(豊島区登録有形文化財)が鎮座し、手を合わせる信者の心の内を見つめている。 チョイと見、怖いが、じ~~いと見、ユーモラスな顔である。、、、、、ちなみに三大閻魔のあと二つは、杉並区松ノ木の華徳院、新宿区新宿の太宗寺 の閻魔である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・境内には、江戸時代中期に陶工・絵師として活躍した尾形乾山の墓もある。、、、、、京都生まれの乾山だが、晩年は江戸下谷の入谷村に移り住んだ。 そのころ善養寺は、下谷坂本にあり、死後善養寺に葬られたそうだ。
 
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⑦妙行寺・・・・・・・・・・善養寺の隣に法華宗陣門流の妙行寺がある。 妙行寺は寛永元年(1624)に赤坂で起立し、四谷へ移転し、明治40年(1907)に現在地へ移転した。
 
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・・・・・・・・・・・・・・境内に浅野家遥泉院供養塔がある。 妙行寺は赤穂浅野家の菩提寺で、浅野長直の室高光院(写真:中央)、浅野長広の室蓮光院の墓(右)があり、そして左端に 浅野長矩の室瑤泉院の供養塔がある。、、、、、一週間前には瑤泉院の墓に参り、今日は供養塔に参る。 私と瑤泉院は、不思議な赤い糸で結ばれていたのか?
 
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・・・・・・・・・・・・・・浅野家の墓の後ろには、四谷怪談のお岩さんの墓がある。 こちらは、田宮家の墓で、お岩様が夫伊右衛門との折合い悪く病身となり、その後亡くなったのが寛永13年2月22日である。 爾来、田宮家ではいろいろと「わざわい」が続き、菩提寺妙行寺四代目日遵上人の法華経の功徳により一切の因縁が取り除かれたそうだ。、、、、一段高い処にお岩さんの墓があり、その手前に田宮家の墓がある。、、、、お岩さんの墓は、瑤泉院の供養塔より立派に見える。、、、、、(こちらは、四谷のお岩さん霊岸島のお岩さん
 
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⑧新庚申塚停留場・・・・・・・・・・“新”と付いているが、隣の庚申塚停留場と同時の明治44年(1911)8月20日に開業した。 なぜ(?)、“新”がついた停留場名になったのか不明。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・・西巣鴨駅より帰宅。

2016年9月28日 (水)

板橋~大塚

板橋区・北区・豊島区の3区の境に位置する、JR埼京線(正式には赤羽線)の板橋駅から、山手線大塚駅まで、1万1千歩、8kmの散歩です。
 
 
板橋駅・・・・・・・・・・・明治18年(1885)に開業した歴史ある駅。、、、、豊島区に位置するホームに降り、北区(滝野川口)のトイレに入り、板橋区(西口)の改札から出ることができる面白い駅。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅名を見て思い出した駄洒落、、、、勝ってくるぞと板橋区 ♪♪、、、引き続き思いだした、、、、物価があると江東(高騰)区。 ライバル多い台東(台頭)区。 清く貧しく葛飾区。 気がつきゃ友達、港区(皆、遠く)。 洗濯物が荒川区(アラ、乾く)。 仕事終わればサッサと北区(帰宅)。、、、、さらに、、、、足立(あたし)馬鹿よね、お馬鹿さんよね♪♪、、、、、これくらいにしておく!
 
 
②滝野川6丁目の裏道・・・・・・・・・板橋駅の西側、旧中山道(とげぬき地蔵、庚申塚、板橋駅前を抜ける旧道)と現:中山道に挟まれた滝野川6丁目の裏道を歩き回ってきた。
 
・・・・・・・・・・・・・・・まずは、埼京線踏切の脇を入る路地で、両側にスナック、居酒屋が並ぶ。 路地を抜けると板橋駅滝野川口の方に出る。
 
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・・・・・・・・・・・・・つぎは、旧中山道と中山道(国道17号線)を結ぶ「きつね塚通り商店街」。 250m程の小さな商店街で、シャッターを下ろした店もある。、、、、「きつね塚通り」の名は、かつて、この通りが王子稲荷への道だったことに由来しているそうだ。、、、、商店街に面する神召教会 は、昭和2年(1927)に建てられたプロテスタント教会。
 
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・・・・・・・・・・・・・・きつね塚通りから、さらに裏道というより路地に入る。 “路地の路地”とも言えるような、奥まった処にも、生活の匂いがする。、、、、デイ・サービスの送迎車も入れないのでお年寄りはつらいね。
 
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・・・・・・・・・・・・・旧中山道と中山道を結ぶ、もう一つの商店街「御代の台仲通り商店街」に出てきた。 こちらも、地域密着型商店街で、通りに点在する店の数も少ない。
 
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・・・・・・・・・・・・・御代の台仲通り商店街を横断し、再び商店街の裏を歩く。、、、オ~~、一昔前には割烹着姿のおばちゃんたちが、近所の噂話で盛り上がった、手押しポンプの井戸が残っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・井戸の近くの住宅には、玄関に「二日酔のため臨時休業」と、粋な案内が出ていたが、はて?、ここは何屋だ? 
 
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・・・・・・・・・・・・・木蜜地区では、新築時に、前面道路の幅を広げ緊急車両を通れるようにするため、建物を後退するよう指導されている。、、、、車両が通れるようになるには、まだまだ時間がかかるようだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・路地裏の銭湯「稲荷湯」の前に出た。 昭和5年(1929)に建てられた、This is SENNTOU。
 
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③西巣鴨・・・・・・・・・・明治通りを横切って、西巣鴨の町に入った。
 
・・・・・・・・・・・・・すがも鴨台観音堂、、、、、、大正大学の施設で、平成25年(2013)に大林組の施工で建てられた“サザエ堂”である。
 
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・・・・・・・・・・・・野菜の種子屋がここ西巣鴨には20軒以上あった。 その一軒がサザエ堂の隣に残っている。 種子問屋榎本留吉商店(現:東京種苗株式会社)。
 
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・・・・・・・・・・・・・・近くには、旧街道筋の紙屋として伊勢屋紙店もある。
 
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④都電荒川線・・・・・・・・・・・巣鴨新田停留場付近
 
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大塚駅 ・・・・・・・・・明治36年(1903)日本鉄道の駅として開業した古い駅。、、、、大塚駅は豊島区南大塚にある。 ところが隣の文京区には「大塚」の町がある。 どちらが本当の大塚か? 本来は文京区にある大塚が本家本元、豊島区には大塚駅が開業してしまったため、後に駅周辺を「南大塚」としたそうだ。 そして、南大塚は地勢上の中心地となった。 ややこしい話だが、私にはどうでもいい話。、、、、今日の散歩のまとめは、“おお、疲れた!”
 
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2016年4月29日 (金)

雑司が谷

JR目白駅から、鬼子母神のある豊島区雑司が谷をじっくりとぶらつき、地下鉄護国寺駅まで、1万歩、7kmの散歩です。



①都電 鬼子母神前
・・・・・・・・・・・・都電荒川線が通る、鬼子母神前停留場と都電雑司が谷停留場間の都道は、只今、地下道路の建設工事中。 明治通りのバイパスルートとして、渋谷区広尾5丁目から北区滝野川2丁目に至る約14kmの都市計画道路の一部区間である。 この間は道路中央の専用軌道を都電が走り、その両側に1車線の車道と歩道が整備され、都電の軌道の真下に片側6.0m/2車線のトンネルが2本造られる。 この区間を含む、豊島区高田3丁目から南池袋2丁目までの約1.4kmは、事業費が370億円で2019年度までに完成する予定。、、、、、目白通りの千登世橋から見る都電、大鳥神社の鳥居越しに見る都電、都電の景色が変わりそうだ。

・・・・・・・・・・・・・・地下鉄副都心線の雑司が谷駅前。 写真左の仮囲いの中を都電が走っている。

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・・・・・・・・・・・・・・鬼子母神前停留場、、、、、、仮の停留場でしばらくの辛抱!

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・・・・・・・・・・・・・・大鳥神社の鳥居前も工事中

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②鬼子母神
・・・・・・・・・・・・鬼子母神は安産・子育(こやす)の神様として信仰されている。 日蓮宗では、鬼子母神はただ単に子供を守る神であるばかりでなく、信者・宗徒の外護神として崇められている。 女神であり、吉祥天の母である。、、、、、ここ雑司が谷の鬼子母神は、入谷の鬼子母神、千葉県市川の鬼子母神と並び、江戸三大鬼子母神の一つ。

・・・・・・・・・・・・・・鬼子母神前停留場から伸びる参道は、樹齢400年のケヤキも並ぶ石畳となっている。

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・・・・・・・・・・・・・ケヤキ並木が終わると、鬼子母神が祀られている本堂が見える。

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・・・・・・・・・・・・・・鬼子母神堂の本堂、、、、、、、鬼子母神堂は、法明寺(南池袋3)の境外仏堂。 堂は、永禄4年(1561)に現:清土鬼子母神堂で発掘した鬼子母神像を、稲荷社のあった現在地に村民が天正6年(1576)に堂を建立した。 その後、寛文4年(1664)、松平安藝守光晟の寄進により本堂が建立された。 昭和51年(1976)から3年間をかけ、江戸時代の姿に戻す解体復元の大修理が行われた。

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・・・・・・・・・・・・・・境内の大イチョウは、応永年間(1394~1428)に植えられたもので、樹齢700年に達し、「子授けイチョウ」とも呼ばれているそうだ。 樹高:30m、幹周:8m。

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③大鳥神社
・・・・・・・・・・・・大鳥神社は、もともと鷺明神と称して、正徳2年(1712)鬼子母神境内に祀られた。 明治の神仏分離後に現在地(雑司が谷3)へ遷座した。 現社殿は昭和56年(1981)に造営されたものである。、、、、、この神社も、毎年11月の酉の市では商売繁盛を願う人で賑わい。 そして最後に笑うのは、多いに商売繁盛した神社である。

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④雑司ケ谷霊園
・・・・・・・・・・・・・明治5年(1872)、神葬墓地として開設。 明治7年(1874)に共葬墓地となった都営墓地。 約10万㎡の広い霊園で、小泉八雲、泉鏡花、永井荷風、島村抱月、夏目漱石、東条英機、東郷青児など、多くの著名人が眠っている。、、、、、墓を守る人がいなくなり無縁墳墓として改葬される旨の立て札が立てられた墓も散見される。 立派な墓石の前に、改葬の立て札をみて、チョイと悲しくなるね!

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⑤雑司が谷旧宣教師館
・・・・・・・・・・旧宣教師館(雑司が谷1)は、明治40年(1907)にアメリカ人宣教師のマッケーレブが自宅兼布教活動の拠点として建てたもの。 マッケーレブは、昭和16年(1941)に帰国するまでの34年間この家で生活をしていた。 豊島区内に現存する最古の近代木造洋風建築で、明治期の宣教師館としても大変貴重なものである。、、、、、、19世紀後半のアメリカ郊外住宅の特色を残した、木造2階建ての質素な外国人住宅。、、、、、、今年3月にリニューアル工事も完了し、内外装とも美しくなった。

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⑥清土鬼子母神
・・・・・・・・・・・・雑司が谷1丁目と境を接する、文京区目白台2丁目に日蓮宗の清土鬼子母神堂がある。 清土鬼子母神堂は、雑司が谷の鬼子母神堂に祀られている鬼子母神像が、永禄4年(1561)、柳下若狭守の下男山本丹右衛門によって掘り出された場所だといわれている。 清土は当地の旧地名(雑司ヶ谷村小名清土)で、清土鬼子母神と称されている。

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護国寺
・・・・・・・・・・・・護国寺前の護国寺駅から地下鉄に乗車。

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2016年3月27日 (日)

駒込~西巣鴨

JR駒込駅から、桜の染井地区を抜けて都営三田線新板橋まで、染井吉野の発祥地を巡る、1万1千歩、8kmの散歩です。・・・・・・・途中、染井霊園で、私のカメラのシャッターが故障し撮影できず。 その後は、ただただ、ひたすら歩くだけの散歩となった。 (カメラは、メーカのサービスセンターに入院させた。)



駒込駅
・・・・・・・・・・・・明治43年(1910)に開業した山手線の駅。 土地が傾斜しているため、池袋寄りの改札口はホームから上って橋上駅舎にある、田端寄りの改札口はホームから階段を下り線路下にある。

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②駒込橋
・・・・・・・・・・駒込橋は関東大震災以降に架けられた山手線の跨線橋である。 現在の橋は地下鉄南北線の工事に伴い、平成3年(1991)に架け替えられたもので、欄干には染井吉野の桜と富士山がデザインされている。

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・・・・・・・・・・・・・・橋の北詰、「染井吉野桜記念公園」に旧橋の欄干が保存されているが、「染井よしの桜まつり」の旗挿し台として活躍中だった。、、、、、文化財をたいせつに!

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・・・・・・・・・・・・・・公園内の桜

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③妙義神社
・・・・・・・・・・・・駒込3丁目の当神社は、日本武尊が東征時に陣を構えたところで、白雉2年(651)に社が建てられ、当初は「白鳥社」と称した。 社殿は鉄筋コンクリート造だが、創建は豊島区最古の神社らしい。、、、、、文明3年(1471)から文明11年(1479)までに大田道灌が三度の出陣に際して戦勝祈願し、いずれも勝利したところから勝負の神として信仰を集めている。 夏のサマージャンボの時は、ここで一等当選を祈願するかな?

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④中央聖書神学校
・・・・・・・・・・・妙義神社に隣接して、日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の聖職者育成の為の学校がある。 学校の母体は昭和4年(1929)に開設された聖霊神学院だそうだ。 戦時中は閉鎖され、戦後、昭和25年(1950)に開校した。 現在はチャペル、寮、図書館などが備わり、3年制・96単位のカリキュラムによる教育が行われているそうだ。、、、、、、1700坪のキャンパスに建物が美しく配されていた。

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⑤旧丹羽家腕木門・住宅蔵
・・・・・・・・・・中央聖書神学校の西方200m程の処に、染井の植木職人として活躍した丹羽家の土地が公園となっている。、、、、、、そこには、腕木で屋根を支える腕木門と呼ばれる形式の、簡素であるが格式のある門が残されている。 津藩藤堂家下屋敷の裏門を移築したらしいが、年代は不明である。、、、、、、そして、園内にもう一つ、正面4.5m×奥行5.5m、鉄筋コンクリート造、地上2階/地下1階、切妻造妻入桟瓦葺の蔵がある。 こちらは国登録有形文化財。 この蔵は、昭和11年(1936)、旧丹羽家の八代目茂右衛門が建てた蔵。、、、、、、門・蔵ともに、状態もよく保存されていた。

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⑥西福寺
・・・・・・・・・・・駒込小学校正門前に真言宗豊山派の西福寺がある。 創建年代不詳であるが、江戸時代初期には既に創建されていたとおもわれる。 

・・・・・・・・・・・・・右手に西福寺の塀がある、小学校前の通り。 正面奥には、染井吉野の発祥地と言われている「染井よしの桜の里公園」があり、西福寺の隣奥に「染井稲荷神社」がある。、、、、、すでに、地元は花見で浮かれた状態のようだ!

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・・・・・・・・・・・・・西福寺も本堂まで提灯が連なり、法事でもあったらどうなるのか?、、、、提灯に明かりを灯し、夜桜で宴を開き仏を送ると、仏も酔ってあの世に行かず、現世に戻るかも?

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・・・・・・・・・・・・・・西福寺の墓地では、桜の大木が開花していた。

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・・・・・・・・・・・・・・墓地の一角に、徳川将軍家の御用植木師として名高かった伊藤伊兵衛政武(宝暦7年(1757)没)の墓がある。

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⑦染井稲荷神社
・・・・・・・・・・・1600年代の創建といわれている染井稲荷神社。 ご神体は十地面観音石像とのこと。 社殿は震災・戦災に遭わず、300年以上経ているそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・拝殿に奉納されている「カンシンの股くぐり」の額は貴重なものらしい。

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⑧染井よしの桜の里公園
・・・・・・・・・・・染井稲荷神社の向かい側に、豊島区が「ソメイヨシノ」の発祥の地とする公園がある。 染井の一帯は植木屋が集まって住んでいた地域で、今や全国的に植樹されている「ソメイヨシノ」は、ここ染井の地から広まった。 そのことを後に伝え残す場所として、区は銀行の跡地を取得し、近隣住民と検討を重ね計画した公園。、、、、、正確の発祥地と言うより、染井と言う地で「ソメイヨシノ」が生まれたことを記念する公園のようだ。、、、、、、公園では、祭りの準備が行われていたが、園内の桜は一分咲き!

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染井霊園
・・・・・・・・・・・園内の桜も、チョイと早いようだ! 

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●・・・・・・・・・・・・ここで、私のカメラがダウンした!

2015年10月19日 (月)

大山~要町

東武東上本線大山駅から地下鉄有楽町線要町駅まで、1万2千歩、9㎞の散歩です。


①大山駅
・・・・・・・・・・東上本線の前身:東上鉄道が池袋~田面沢間を開通させたのは大正3年(1914)である。 開通から17年後の昭和6年(1931)に開業した、相対式2面2線の地上駅。 池袋駅から3つ目の駅で、普通列車しか停車しない駅。 ホームはカーブしており、乗降時には要注意! 

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②ハッピーロード大山
・・・・・・・・・大山駅と川越街道(国道254号)を結ぶ延長560mの商店街。 今日は朝の通勤時間帯に来たので、店はまだ開いてないが、私の推測ではどうやらパチンコ屋と、個人経営の店などが多そうだ。、、、、、、商店街のある、都道については拡幅計画があるそうだが、客数の減少に危機感を持った商店街は、アーケードを設置して工事の着手を阻止しているらしい。、、、、地図を見ると、確かに、ここの商店街部分を除く前後の都道は拡幅工事が完了し、幅の広い道路となっている。

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③大山福地蔵尊
・・・・・・・・・ハッピーロード大山商店街の川越街道側の入口脇を少し入ると地蔵さまを祀っている祠が見える。(上の写真の左下隅、「大山福地蔵尊入口」の案内が見える)、、、、、、今から150年程前の江戸時代文化文政の頃、鎌倉街道(日大交差点付近)にお福さまという行者が来て、人々の難病苦行を癒し大山宿の人々に慕われた。 死後はお福地蔵として祀られた。、、、、、丸窓からはお福地蔵の顔だちも見える。

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④板橋交通公園
・・・・・・・・・・・・川越街道を横断し大山西町に「板橋交通公園」がある。 ここは、ゴーカート、自転車などに乗って交通ルールを学べることが特徴の公園らしい。まだ開園前なのか、子供は一人もおらず、いるのはゲートボールの爺さん婆さんが多数。、、、、、子供いないよ 年寄りばかり 公園いらぬ 墓地欲しい!

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・・・・・・・・・・・・・・公園の隅で、色あせ、錆びて、埃に汚れ、悲しい運命をたどる、昭和61年(1986)に廃車となった7508号の都電。 都電に付き合う、雨ざらしの都バスも哀れ。

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⑤大谷口給水所
・・・・・・・・・・・板橋区大谷口(おおやぐち)1丁目には、大谷口給水塔が建てられていたが、老朽化により平成17年(2005)に取り壊された。、、、、、給水塔の跡地には、給水塔のデザインを模した大谷口給水所が平成23年(2011)に建てられ、板橋区・豊島区などの12万人に、ポンプ圧送による給水が行われている。 建物は地上5階、地下2階、高さ33mで、地下に給水池が造られている。

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・・・・・・・・・・・・・・平成17年(2005)に取り壊された大谷口給水塔は、東京帝大教授:中島鋭治博士により設計された、高さ33m、鉄筋コンクリート造で、昭和6年(1931)に完成した。 地域のシンボル的な建物であった。

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⑥木密地域:大谷口1丁目
・・・・・・・・・・給水所のある大谷口1丁目は、中型車両がギリギリ通れるような細い道が、イナビカリ状に折れ曲がる地区である。 都、区は“木密地域”(木造住宅密集地域)として、不燃化住宅の建築などに取り組んでいる。、、、、、木部がむき出した建物は少なく、かなりの数の住宅は新築・改築したようだ。

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⑦UD邸
・・・・・・・・・・・豊島区要町1丁目の裏道で、戦前の建築と推測した木造住宅があった。 懐かしさを感じる木製の窓枠に、パテでとめたガラス窓、味があるね!

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⑧要町駅
・・・・・・・・・・・東京メトロ有楽町線・副都心線が並走する小竹向原駅~池袋駅間は、有楽町線が上層を、副都心線が下層を走る2階建て構造である。 要町駅でも、地下2階の島式ホーム1面2線を有楽町線が使用し、地下3階の島式ホーム1面2線を副都心線が使用している。、、、、、駅は昭和58年(1983)の有楽町線開通時に同時開業した。

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2015年9月29日 (火)

目白台の坂

目白台の台地上を、江戸川橋方面と落合方面を結び、目白駅前を東西に抜ける「目白通り」。 また目白台の崖下には、神田川が西から東に流れている。 崖上の目白通りから、崖下の神田川に向かい数本の坂道がある。 今日は学習院大 から日本女子大までの間にある、数本の坂を上ったり、下ったりするアップ・ダウン・コースを歩いてきた。 目白駅から早稲田停留所まで、1万2千歩、9㎞。


①西坂
・・・・・・・・・・・・目白駅と学習院大学西側の間を、山手線に沿って南南西に下り学習院下の交差点に出る坂。 古くから西坂(にしざか)と呼ばれ、学習院大にも「西坂門」の名称がある。 ところが、豊島区は平成16年(2004)に、この坂に公募で「学習院椿の坂」と命名した。、、、、、、学習院大に椿の生垣が続くことから命名したそうだが、わざわざ名を変える必要はないね! “うれない”ホステスが、“占い”で源氏名を変えるようなもの。、、、、、長さ450m、高低差15m程の緩やかな勾配の坂である。

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・・・・・・・・・・・・・・坂上(目白駅前)には、大正12年(1923)に架けられた旧目白橋の高欄の一部が残されている。 現在の目白橋は平成10年(1998)に架け替えられた。
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・・・・・・・・・・・・・・坂の下には、山手線最古の隧道のひとつで、明治18年(1885)に品川~赤羽間(山手線)が開通したときに造られたレンガ造りの新井薬師道ガードがあった。 現在の隧道(ガード)は昭和初期に道路拡張により鉄筋コンクリート造に改築された。

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②明治通り
・・・・・・・・・・学習院大の東側を掘割で抜ける都道305号で、目白通りが走る千登世橋 から神田川(高戸橋) 方向に緩やかに下っている。、、、、、“明治通り”の名が広まり、あえて、坂とは言わないようだ。
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③のぞき坂
・・・・・・・・・・・・千登世橋東側、豊島区高田2丁目にある坂。 坂上から覗き込むように急な坂で、下りは怖いし、上りは疲れる、長さ210m、最大13度の勾配は、雪が積もればゲレンデになるような坂。、、、、、助平な人は、“のぞき坂”に、坂を上る若い女性を期待するかも?

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④宿坂
・・・・・・・・・・・高田1丁目と高田2丁目の境(旧・鎌倉街道)にある坂。 坂名は宿坂 (しゅくざか)である。 目白通りの高田一丁目交差点から南に下る、長さ230m、勾配(2.3度)の急な坂道。 名の由来は、中世の頃「宿坂の関」と呼ばれる関所が設けられていたことにちなむそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・坂を下ったところに、真言宗豊山派の金乗院 がある。 江戸守護の江戸五色不動(青・黄・赤・白・黒)の随一として名高い目白不動明王が境内に祀られている。

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・・・・・・・・・・・・・金乗院の南には、同じ真言宗豊山派の南蔵院がある。 こちらは、三遊亭円朝作の「怪談乳房榎」にゆかりの寺でもある。、、、、、本堂へ上る階段は閉ざされ、さらに段上にはバラの鉢がぎっしり並べられ、手を合わせることもできない。、、、、、参る人よりバラが大切そうな寺だった。

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・・・・・・・・・・・・・南蔵院の前に、創建年代不詳の高田氷川神社がある。 社殿は空襲で被災し、現社殿は昭和29年(1954)に再建された。

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⑤名前は?の階段坂
・・・・・・・・・・・高田1丁目、宿坂と稲荷坂の間に名前不詳の階段坂がある。、、、、、、路地裏の坂か?、崖に張り付いた坂か? チョイと私好みの、なにか物語のありそうな雰囲気の坂だ!

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・・・・・・・・・・・・・坂の上から、早稲田の方角を望む。

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・・・・・・・・・・・・・坂の下には、春日局の猶子榮春法印が神田にて開山した、真言宗豊山派の根生院がある。 現在地には、明治36年(1903)に移転してきた。 裏道の小さい寺だ!

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⑥稲荷坂
・・・・・・・・・・・高田1丁目の稲荷坂も、急な傾斜の坂で、長さ150m、平均斜度3度、高低差8mである。 由来は崖地の切通し坂で、坂下では東側の富士見坂につながっている。 坂上の住宅裏に稲荷の祠があるため、古くからこの名で呼ばれている。

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⑦富士見坂/日無坂
・・・・・・・・・・・目白台2丁目交差点から下る、長さ120m、平均斜度3.8度の急な坂。 名の由来は、名前のとおり富士山が見えていた(過去形である)。

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・・・・・・・・・・・・・富士見坂の途中から分岐する階段坂は日無坂(ひなしざか)。 この坂は豊島区高田1丁目と文京区目白台1丁目の境にある。 長さ160m、かなり急な坂で、多少左右に曲がっている。 坂の名は、これもそのものズバリで、日光の当たらない狭い坂。、、、、、、、写真右に下る富士見坂、左に下るは日無坂。 

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・・・・・・・・・・・・・富士見坂の坂上(目白通り)には、昭和初期の建築と言われている「鳳山(ホーザン)酒店」がある。 いつまでも見ていたくなるような、タイムスリップした酒屋さん。

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⑧小布施坂
・・・・・・・・・・・・・・“栗は小布施(おぶせ)、坂は小布施坂(こぶせざか)” なんて、キャッチフレーズができないか? 文京区目白台1丁目は、日本女子大付属豊明小学校の西に沿って南に下る、長さ270mの、長~い、狭~い、急な坂。 明治時代に小布施新三郎という人の屋敷が近くにあったので名付けられた。

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⑨豊坂
・・・・・・・・・・・・・目白通りの日本女子大前の交番の横を南に下る豊坂(とよさか)。 坂は途中でクランク状に曲がっている。 坂下は、都電早稲田停留所から300m程のところである。 名は坂下に豊川稲荷社があるところからつけられた。

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・・・・・・・・・・・・・坂の上には、目白通りに面して日本女子大のキャンパスがある。 可愛い女の子がキャンパスに吸い込まれて行く。 

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・・・・・・・・・・・・・坂の途中には、チョイと歴史ありそうな日本女子大豊坂別館が建っている。

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・・・・・・・・・・・・・坂を下り、チョイと横に曲がると、「目白ハウス」と呼ばれる、スクラッチタイル貼りのアパート風の建物がある。 

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・・・・・・・・・・・・・・坂の下(目白台1丁目)の道路脇に、豊坂の由来となった豊川稲荷神社の小さな社を見ることができる。

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2015年6月30日 (火)

板橋~西巣鴨

板橋駅で下車し、毎度のことだが、「さて、どっちへ歩くか?」、、、、、中山道の方向に歩いてみるか、、、、板橋3丁目で方向感覚を失い、、、、もとの板橋駅近くに戻ってしまった、、、、、結局、西巣鴨まで歩いて、1万1千歩、8kmの散歩です。


板橋駅
・・・・・・・・・・・日本鉄道の駅として、明治18年(1885)に開業した歴史ある駅。 1面2線の地上駅。・・・・・・・・・・西口(板橋口)は板橋区、東口(滝野川口)は北区、そしてホームの池袋寄りは豊島区にある。 豊島区のホームに降り、北区のトイレに入り、板橋区の改札から出ることができる、面白い駅である。

・・・・・・・・・・・・・・私は豊島区で下車する。 出口は、はるか先、ホームの反対側の端にある。

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・・・・・・・・・・・・・・かつて、板橋駅では貨物の取り扱いを行っていた。 当時の面影が残る、雑草の生えた貨物引き込み線の跡。 中央のマンションがある位置に、コンクリート工場があり、引き込み線はそこまで伸びていた。

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・・・・・・・・・・・・・・ホーム脇には、保線用の車両が止められている。 マルタイは、線路の高さを調整しながら砂利を付き固める車両。 車両はオーストリアのプラッサー&トイラー社から輸入した高価な機械。

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・・・・・・・・・・・・・・東口(滝野川口)は北区。 駅の斜向うに近藤勇の墓 がある。

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・・・・・・・・・・・・・・西口(板橋口)は板橋区。

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②板橋宿
・・・・・・・・・・中山道(写真左の国道17号)の板橋郵便局前から、旧中山道の商店(写真右の商店街)が並んでいる。、、、、、今日は、この商店街の右奥の裏道を歩いてみようと思った。

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・・・・・・・・・・・・・・観明寺・・・・・・・・・商店街入口近くにある、真言宗豊山派の観明寺。 暦応元年(1338、=将軍:足利尊氏の時代)の創建。 千葉の成田山新勝寺から不動尊の分身を勧請し、現在は出世不動と呼ばれている。 参道入口にある庚申塔は、寛文元年(1661、=江戸時代初期)に造立されたもので、青面金剛像が彫られたものとしては、都内最古と言われている。

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・・・・・・・・・・・・T邸・・・・・・・・・・観明寺の隣り、商店街に面して建つ住宅。 塔のようなものもある独特の姿の住宅。 元は安田貯蓄の建物(明治時代の建築)で、大正元年に買い取り、歯科医院として使用していた。、、、、、、玄関には白く塗りつぶした看板が残っている。

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・・・・・・・・・・・・・花の湯・・・・・・・・・・T邸から1軒飛んで隣りに、大型唐破風の銭湯「花の湯」がある。 建物は比較的新しく、昭和42年(1967)に宮大工が建てたそうだ。、、、、、この銭湯の脇を通り抜け、商店街の裏を歩くことに、、、、、、

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③板橋3丁目の町
・・・・・・・・・・・・・板橋宿の商店街の東側が板橋3丁目である。 この裏通りは、私好みの路地が入り組んで、方向感覚が鈍ってしまった!

・・・・・・・・・・・・・・一雨降りそうな雲行きだが、この道を入ってみよう、、、、、、奥には、戦後の「昭和」の匂いが残っていた!

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・・・・・・・・・・・・・柳ビル・・・・・・・・・・3丁目の中程で遭遇したビル。 前を通ると、屋台が目に入った! 床屋さんは営業中だが、両隣は商売していないようだ。 チョイと上を見上げると、手摺はボロボロ、穴もあいてる、ひどい劣化! 住んでいる人も少ないみったいだ! 昭和40年頃の建築か?、、、、、気になる建物が一つ増えた! 

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・・・・・・・・・・・・・煉瓦塀・・・・・・・・・・板橋3丁目、王子新道のある、この辺りは、加賀藩下屋敷があったところだ。 なにか関連があるのか、それとも宿場町の遊郭か、それとも旧陸軍の関連施設があったのか、想像は尽きないが、立派な煉瓦塀があった。 塀の内側には大きなビルが建っているが、これまた、マンションか、オフィスか、、、、謎の多い、煉瓦塀である。

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④圧磨機圧輪記念碑
・・・・・・・・・・・板橋3丁目を抜け、加賀1丁目の加賀西公園の隅に、円盤状の石を組み合わせた、石の動輪のようなモニュメントがある。 これは、石神井川の際にあった旧加賀藩下屋敷の一部を陸軍の「砲兵校舎工廠」として、ここで火薬を製造した時の圧磨機の圧輪をそのまま記念碑として転用したものである。、、、、、、“バカでかい碾き臼のようなもので、これで蕎麦を挽いたら、うどん粉になるかも”と、考えるのは私だけ!

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⑤漆坊弁財天
・・・・・・・・・・板橋4丁目にある六叉路のような交差点のど真中に、ロータリー状の中央に「漆坊弁財天」として、個人によって再興された神社がある。、、、、その由来記には、『此の地三五の原に住んでいました私に、昭和三年の戌夜 与は此処加賀の下屋敷六万五千坪の弁天であるが今は跡形もなくなっている。そなたは此の地に再興せよとのお告げがありましたのでお祀りいたしました。   昭和十年区画整理の行なはれましたとき移転するようにと云われましたが、地主板谷様と話し合いの上 末代まで此の地でこの弁天様をお守りするよう申され今日に至りました。  その後私が屋敷内の草取りをしておりますと、熊手と斧を持った翁が来て、おばさん此の弁天様は漆弁天とあるが漆ボウ弁財天と申すのだ。そのボウは田宮坊来郎の坊である。今後は漆坊弁財天とせよと申され姿が見えなくなりました。   本富に有難い弁天様で幸運及び厄除けの御祈祷を致しています。   先達 岩本 一江』と、記されている。、、、、、、つまり、個人の一軒家がロータリーの中央に鎮座している、珍しい家だ! 

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⑥埼京線
・・・・・・・・・・・・ぐるりと板橋3・4丁目を回り、中山道(国道17号)が埼京線を跨ぐ跨線橋の上に出た。 
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●・・・・・・・・・・・・・・・・・・このあと西巣鴨駅まで歩き帰宅。

2015年3月25日 (水)

千石~大塚

昨日、外出先から帰り洗面台にて顔を洗うとき、突然、私の愛するスマホが手から滑り落ち、水深10㎝程の深みにジャボン! 私は、急遽、洗うのをやめ救出したが、遅かりし、スマホは電源も絶え、画面はマックロケノケ! 急ぎ、auショップへ搬送し、可愛いい店員さんに診察してもらったが、時すでに遅し、スマホはSDカードとICカードを残し、息絶えた。 惜しいことをした、“南無阿弥陀仏のオダブツ”、“アーメン・ソーメン・ラーメン”。 懇ろに弔った後、スマホの後妻を娶るため、可愛い店員さんに教えてもらった、「au 安心ケータイサポートプラス」なるサポートセンターへ連絡したところ、2日以内に、同色の同機種が我が家に送られてくるそうだ。 保証期間・ポイントの積み立てなどもあり、ナント!、約600円程で交換機が手に入る、ユーザには嬉しいサービスである。 、、、、、本日の午前中に、交換機が御到着し、昼からは再設定に作業に大忙し。 やっとこさで、19時に回復した。・・・・・・・・・日本流のサービスに感心したね。 ついでに、“女房”にもこういうサービスがあり、老いて使用不能になったら、若いピチピチの女房が2日以内に送られてくると嬉しいね!(これは、内緒の話で、冗談です。 チョイと口が滑っただけ!) 

・・・・・・・・・・・・・と言うわけで、今日午前中の、都営三田線千石駅 からJR大塚駅までの散歩は、スマホを持たずチョイと不安であった。


①巣鴨大鳥神社
子育稲荷神社・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・千石駅前の千石一丁目交差点から、店の数も少なく寂れた、「千石本町通り商店街」を北西に向かっう、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・商店街の先に「巣鴨大鳥神社」と「子育稲荷神社」がある。 巣鴨大鳥神社は、貞享5年(1687)に稲荷社として創建され、嘉永2年(1849)に子育稲荷社と改称した。 元治元年(1864)には境内社の大鳥神社にて「酉の市」が始まったといわれ、巣鴨大鳥神社と呼ばれている。、、、、、なんだか、“神社”とは呼べないような粗末な神社だ。

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②童心社・・・・・・・・・・・・千石3丁目と4丁目の境となる裏通りに面し、児童書籍の出版元「童心社」がある。 昭和32年(1957)に、紙芝居出版社として童心社が創立された。 現在は、紙芝居、絵本の出版元として、営業している。 おそらく、戦後に子供を育てた親たちは、こちらの絵本を読み聞かせたことがあるに違いない。 私も、飾られていた絵本の表紙を見て、懐かしく感じた一人だ!・・・・・・・・平成18年(2006)に、地上4階建ての、近代的な現社屋を建設し移転した。

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③千石の長屋・・・・・・・・・千石3丁目と4丁目の境の裏通りには、長屋も残っている。 それぞれ木造2階建ての4軒長屋である。 

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④伊勢五
・・・・・・・・・・・長屋の並ぶ通りには、江戸時代から続く米屋さんがある。 建物は、明治初頭の建築で、往時の町家の姿をよく留めていることで、国の登録文化財に指定されている。 

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⑤IT邸
・・・・・・・・・・・こちらは千石3丁目の住宅。  昭和5年(1930)建築であるが、チョット見では、昭和初期の建物と思えないほど手入れも良く、古さを感じさせない。 タイル貼りの門柱もいいね!

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⑥天理教本羽分教会教職舎・・・・・・・・・・・・千石3丁目の天理教分教会に、大正3年(1914)建築の洋館がある。 この建物の由緒は不明だが、外観は大きな改造なされていないようで、建設時の姿が残っている建物のようだ。

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⑦丸山町南住宅
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・・・・・・・・・・・・・千石3丁目(旧丸山町)を東側から歩いてくると、猫又坂の北側に大きなマンションがある。

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・・・・・・・・・・・・・・大きなマンションの先は谷となり、階段で下ることになる。 上からは、池袋の高層ビルも見える。、、、、、、、この階段の左側に2棟の古いマンションがある。

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・・・・・・・・・・・・・・・「古いマンション」とはチョイと失礼なので、「昭和の香り漂うマンション」がある。 「丸山南住宅」と称し、2棟残っている。 昭和30年(1955)、高度経済成長期のスタート時期に、鉄筋コンクリート造4階建て(全32戸)建てられた。 建設当時は、弁護士、官僚などが住んだ高級マンションだったそうだ。

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⑧猫又坂・・・・・・・・・・千石2丁目と3丁目の間で、不忍通りが千石1丁目交差点から千石3丁目交差点に向かう、170m程の下り坂である。 坂の由来は、坂下を流れていた千川に架かる橋が、狸橋/猫貍橋/猫又橋などと呼ばれていたことにちなむそうだ。

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⑨日本基督教団 巣鴨教会
・・・・・・・・・・・・・南大塚1丁目、巣鴨教会は明治9年(1876)に設立された、歴史はチョウ古い教会である。 ただし、現建物は昭和48年(1973)の完成である。

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・・・・・・・・・・・教会の庭には山田耕作の「からたちの花」の碑がある。 なんで?、、、、、山田耕作は10歳の時、キリスト教の伝道活動をしていた実父を亡くした。 耕作は父の死後、遺言に従い巣鴨宮下(現南大塚)にあった自営館という施設に入館する。 この自営館こそ、今の巣鴨教会の前身で、苦学生に仕事を与え、自活させながら学校へ通わせるための施設であった。 耕作は13歳まで、自営館の活版工場で働き、過ごした。 この時の耕作の思い出を北原白秋が作詞したのが「からたちの花」である。   ♪♪ からたちの花が咲いたよ 白い白い 花が咲いたよ  からたちのとげはいたいよ ~~~ ♪♪

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