豊島区

2019年1月18日 (金)

隠れ湯のある、要町

池袋から中板橋(東武東上線)あたりまで歩くつもりで家を出た。 池袋駅で下車し、西口前の要町通りを進むと、広い通りは『どうも面白くない』。 要町で裏道に入り、迷路に遭遇、『コリャ面白い』と、行ったり来たり、結局、東上線沿線には行けず。 地下鉄有楽町線千川駅までの散歩となった。
 
 
 
●裏通りは怖そうだ!・・・・・・・明治36年(1903)4月1日、乗降客も少なそうな農村地帯の中にあった池袋信号所が駅に昇格して池袋駅が開業した。 それから、115年過ぎ、今や池袋駅は、JR東日本、東武東上線、西武池袋線、地下鉄有楽町線・副都心線・丸ノ内線のターミナル駅である。、、、その池袋駅西口(東武デパートのある出口。 西武百貨店があるのは東口)に出た、駅前でキョロキョロ見回す。 学生・社会人の時代はほとんど縁のなかった町で、雅万歩は江戸っ子のお上りさんだ!、、、、裏通りは、ラブホテル街。 黒いスーツのお兄さんにキャッチされ、ホストクラブに勧誘されたらどうしよう? チョイト心配になる、雅万歩。 やっぱり、表通りを歩こう!
 
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●単調な大通り・・・・・・・駅正面の「要町(かなめちょう)通り」を歩く。 この通りの地下に、有楽町線・副都心線が走っている。
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・・・・・・・・・・・・・要町通りに面して建つ、チョイト大きなビルは「東都自動車ビルヂング」。 昭和48年(1973)に竣工した15階建て。 1階から4階まではオフィス、5階以上はマンション。 低層階のイスラム建築に見られるような半円のデザインが印象的。
 
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・・・・・・・・・・・・・こちらは、曹洞宗の瑞鳳山祥雲寺。 祥雲寺は、天文元年(1532)江戸城主遠山隼人正景久の室(北条上総介綱成の娘、法号浄光院)の菩提所として江戸城和田倉門内に起立、浄光院と称していた。 德川家康入府により駿河台、日向金杉、小石川戸崎町と点々と移転する。 宝永6年(1709)五代将軍徳川綱吉の死に伴い御台所が出家し浄光院と号したため祥雲寺と改称した。 大正4年(1915)、現在地(池袋3)へ移転した。、、、、境内には、漫画家:石ノ森章太郎の墓がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・祥雲寺から短い坂を下り、山手通りと交差する要町交差点に出る。
 
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・・・・・・・・・・・・・交差点には、地下鉄有楽町線・副都心線の要町駅がある。 
 
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●迷路の町・・・・・・・・・・広い通りを歩いていると退屈になる、何か変わったものは、何か面白そうなものは、キョロキョロしても何もない! 要町駅を通り過ぎたあたりに、「えびす通り商店街」があったので、こちらを歩くことにした。 えびす通り商店街は、要町通りの北側(要町1丁目)を南北に伸びる商店街で、200m程歩くと「仲見世商店街」に変わる。 どちらにしても、地元密着型の商店街で、よそ者にはどうでもいいや!、、、、歩く人は少なく、閑散として、元気がない商店街のようだ!
 
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・・・・・・・・・・・・・商店街の途中に「延命地蔵尊」が祀られている。、、、、、謂れも由緒も判らず、“延命”を願い手を合わす。
 
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・・・・・・・・・・・・・延命地蔵尊から商店街に別れを告げて、商店街の裏(要町1丁目)を歩いてみた。、、、、ナント、雅万歩好みの裏道があった。 どの道も車一台が通れるくらいの幅で、鍵の手に折れ、また折れ、途中に階段があり、途中にコンクリートの塊があり、途中に「車の通り抜けできません」の看板あり、そしてまたまた折れ曲がっている。 どこの家も車は持っているが、どうやって自分の家までたどり着いたのか、歩く人でも迷路なのに、車にとっては超難問の迷路でもある!、、、、、歩く楽しみを充分味わうことができ魅力的な裏道で、行ったことないが、何となくモロッコの裏道のようだ!、、、、後で、地図を見たら、要町1丁目の町全体がこんな雰囲気、嬉しいね!
 
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・・・・・・・・・・・・・オー、ナント、迷路の中に銭湯があった。 裏道から路地を入ると「山の湯」の玄関があった。 玄関前の縁台に外人が座り、美味そうにパイプタバコをふかしている。 『今から開くのを待っているんですか?』 『これから仕事で、その前に一服』(しっかりした日本語で応えてくれた) 『ここの湯舟、少し小さいですが温まりますよ』 『あ、ここの常連さんですね』 『はい、よく来るんですよ、今日も仕事が終わったら来ます』と、言って仕事に出かけた。 外人さんにも愛されている「山の湯」は、昭和34年(1959)の創業。 地元の隠れ湯かな?、、、、私も、ひとっ風呂入って行きたくなったが、営業は15:30から、残念! 
 
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●塚は立派、社は〇〇・・・・・・・・要町1丁目の北側(高松2丁目)に富士浅間神社がある。 創建年代は不詳だが、富士塚が文久2年(1862)に築造されたことから江戸末期には創建されていたそうだ。、、、、社の建物は平屋の住宅ようで、どうでもいいや!、、、、富士塚は、高さ8m、直径21mで、表面は富士山の溶岩で覆われている。 塚上には、50基ほどの石造物がある、立派な富士塚だ! この富士塚は国指定重要有形民俗文化財。
 
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●そろそろ帰る時間!・・・・・・再び要町通りを歩き、地下鉄千川駅に到着。 千川駅は、昭和58年(1983)有楽町線の開業と共に営業を始める。、、、、、上下2層構造で、各層に島式ホーム1面2線を有する地下駅。 地下1階は改札階、地下2階が有楽町線、地下3階が副都心線。
 
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2018年12月25日 (火)

東上線の歴史をチョッピリ

東武東上線沿いに歩いてみようと思い、池袋から3駅先の大山まで、1万2千歩の散歩です。
 
・・・・・・・・・・・・・・東武東上線(正式には「東武東上本線」)は、川越の豪商、出雲大社の宮司などが発起人となり、明治36年(1903)に東上鉄道を発起したが出資者が集まらず、根津嘉一郎に会社設立を託した。 明治44年(1911)に、根津嘉一郎の下で東上鉄道が設立され、本社所在地は現在の墨田区押上の東武鉄道本社に置かれた。 “東上”の名は「東京」と「上州(群馬県渋川)」を結ぶ鉄道を意味し、名付けられた。 大正3年(1914)5月1日に池袋~田面沢(現:川越市付近)間が開業。 大正14年(1925)には、池袋~寄居間の全線が開通。
 
 
 
●地上に出るとホットする駅・・・・・・・・・・JRの池袋駅は明治36年(1903)に周囲に何もない田舎の途中駅として開業した。 この当時は、まだ山手線の丸い線路は開通していない。 それから、11年後の大正3年(1914)5月1日、東武東上線の池袋駅が開業した。、、、、現在の東武東上線の池袋駅は、東武百貨店の1階にある。 頭端式ホーム3面3線の地上駅である。 改札口は北口・中央北口・中央南口と正面の南口の4か所あるが、多くは地下の連絡通路に面しており、たまにしか訪れない私には改札を出ても、『ここは何処? 地上出口はどっち? 右に行くの?左に行くの? 誰か教えて!』
 
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●どこのお宿も混浴?・・・・・・・池袋駅を出て東上線沿いに歩く。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・昨日はクリスマスイブ、この辺りのホテルはきっと満室だったと思うね。 鶯谷もそうだが、なぜか線路沿いにあるホテル街。、、、、、どこのお宿も混浴?
 
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・・・・・・・・・・・・・川越街道をこえ、北池袋駅に向かう。
 
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●浅草橋駅も負けた!・・・・・・・・・池袋の次の駅が北池袋。 併走するJR埼京線(赤羽線)の池袋~板橋間にあるが、JR板橋駅や東上線の下板橋駅に近い。、、、、昭和9年(1934)5月1日に、東武堀之内駅として開業したが、昭和20年に東京大空襲で駅舎は被災し休止となり、その後廃止となる。 昭和26年(1951)、北池袋と名を変えて復活・再開する。、、、、1面2線の島式ホームがある地上駅。 ホームの両端にラッシュ時には開かずとなる埼京線と共用の踏切がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅舎の脇に、電飾のトナカイに守られて「北池袋駅開設記念碑」が建てられている。、、、、我が家の最寄り駅:浅草橋駅はここより古い駅だが、記念碑なんて無い、負けた!
 
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●下板橋駅は板橋区に戻るのか?・・・・・・・・・・・北池袋から近い、次の下板橋駅。 下板橋駅は大正3年(1914)5月1日に開業。 相対式ホーム2面2線の地上駅で、駅舎は上りホームの川越寄りにある。、、、、駅舎・ホームともに豊島区池袋本町に所在する。 駅舎前の道路が、豊島区と板橋区の境で、旧駅舎は道路の反対側(板橋区側、現在は東上線の留置線がある)にあった。、、、、、【ないしょの話】 東武鉄道では、下板橋駅を旧駅舎のあった板橋区側の留置線の敷地内に移転し、駅舎の上部には日本大学医学部の附属病院を誘致する計画があった。 この話、日大側の都合で、どうやら頓挫しているようだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・ホームの南側に、その名も「池袋本町 電車の見える公園」がある。 わざわざ、公園名に“電車の見える”と入れる程、気合の入った公園。 これはきっと、電車が見えやすいように、展望台があるとか、丘が築かれているとか、いい写真が撮れるように工夫が凝らされた公園と期待した。、、、、、行ってガッカリ、見てガッカリ、確かに見えるが、児童の遊具がある脇に電車が走っているだけだ! “詐欺だ!”と叫びたくなった。
 
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●東上鉄道記念碑のある留置線・・・・・・・・・・・・・・下板橋駅の駅舎前(板橋区側の留置線敷地内)に「東上鉄道記念碑」がある。 東武東上線の前身である東上鉄道は、大正3年に池袋~田面沢間が開通した。 記念碑は、これを記念して大正8年(1919)5月に建てられた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・東上鉄道記念碑がある処には、数本の留置線がある。 
 
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●ドアが開かなかった駅・・・・・・・・・・・・・散歩の終点は、賑やかな駅前商店街に面する大山駅。 大山駅は昭和6年(1931)8月25日に開業した、相対式2面2線の地上駅。 かつてはホームの前後に踏切があった関係で、ホーム有効長は6両編成分であった。 そのため8両編成の電車は停車する際には2両分のドアが開かない「ドアカット」を行った。 その後、池袋寄りの踏切が地下道に改良され、ドアカットは解消された。
 
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2018年11月19日 (月)

古道を歩く、大塚道・王子道

我が家で地図を見ていたら、大塚駅前から都電荒川線沿いに一般道が飛鳥山まで伸びている。 一般道は町ごとに、折戸通り、栄通り、お岩通りなど、名がついている。 各通りは以前歩いたこともあるが、今日は大塚駅から王子駅まで通しで歩いてきた。 1万歩。
 
 
 
●レトロ感が残る駅・・・・・・・・JR大塚駅は、明治36年(1903)の池袋~田端間開通時に、池袋・巣鴨・駒込の3駅と同時に開業した。 その後、明治44年(1911)に王子電気軌道(=王電、現:荒川線)が大塚~飛鳥山間で開業する。 この時、王電の現:大塚駅前停留場は現JRの真下に乗り入れた。、、、、大塚駅ガード下の停留場、レトロな感じが残ってるね!
 
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・・・・・・・・・・・・・大塚駅ホームから見下ろす北口駅前。 右端のビル陰に大塚道がある。
 
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●流転の不動・・・・・・・・大塚駅北口前のビルの一角に「瀧不動」が祀らている。、、、かつて、大塚駅の北から南東方向に谷端川が流れていた頃、現:豊島区北大塚1-14付近の谷端川沿いに石造不動明王立像があり、地元の人々の信仰を集めていた。 川の流れが小さな滝のようになっていた場所に位置していたため「瀧不動」と呼ばれていた。 ところが、昭和10年(1935)頃に行なわれた谷端川の暗渠化工事に伴い「瀧不動」は所在場所の近隣居住者の個人所有となり、敷地内で維持管理されるようになった。 その後、昭和20年(1945)4月の空襲で直撃を受け、台座部分を残し破損した。 昭和30年(1955)頃、かつての所有者が石造不動明王坐像として再造立し、空襲の際に破損を免れた台座に据え、所有者敷地内に安置した。 その後、平成11年(1999)の所有者自社ビル建築に伴い、石造不動明王坐像も現在地に移設・安置された。、、、、いろいろ苦労を重ねた石仏のようだ。 駅前なので、行き交う人の中には手を合わせて行く姿が見られる。 きっと、ご利益あるよ!
 
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●古道だった折戸通り・・・・・大塚駅前から北上し庚申塚交差点までの「折戸通り(おりどどうり)」。 この道は、鎌倉時代頃にはあった「大塚道」で古道である。
 
・・・・・・・・・・・・・「折戸通り」の入口。 折戸は、この付近の旧地名。
 
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・・・・・・・・・・・・・通りの奥から、ガタンゴトン・ガタンゴトン、電車の走る音が聞こえる! 大塚駅前停留場を出た電車が、次の巣鴨新田停留場に向かう音だ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・通りの両側は“元気な商店街”という雰囲気はないが、そこそこの数の店舗が並んでいる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・折戸通りに面する文化の発信拠点を2つ。、、、、平成6年(1994)に完成した座席数約130の萬劇場は、年間50~60本の演劇公演が行われているそうだ。 また、2台のグランドピアノをそなえた、座席数50の音楽サロン:西巣鴨音楽堂。、、、、小劇場に小ホール、ぜひ一度は行ってみないと!
 
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・・・・・・・・・・・・・折戸通りの終わりは庚申塚交差点
 
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●美人に弱い猿田彦・・・・・・・・・・折戸通りが巣鴨地蔵通りにぶつかる庚申塚交差点角に巣鴨庚申塚がある。 巣鴨庚申塚は江戸時代中山道の立場として栄え、旅人の休憩所として簡単な茶店もあり、人足や馬の世話もしていました。 ここは中山道板橋の宿場にも近く、地蔵通りを巣鴨駅の方から来ると、右に向かえば桜の名所:飛鳥山にでる王子道。 左に向かうと今来た大塚道(折戸通り)である。 庚申塚には、道しるべを兼ねた立派な庚申塔が建っていたそうだが、今は庚申塚に埋められていると言われている。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・現在は、庚申塚に猿田彦大神を合祀している。、、、、猿田彦大神は、天孫降臨の時に天の神々の通り道に立ちふさがっていた神で、猿とは直接的な関係はない。 その時、この猿田彦を色気で悩殺し、天孫降臨を先導させたのは、天照大神が天岩戸にこもったとき、胸乳をかき出し腰巻をズリ下げてベリーダンスをした美人の天鈿女命(あめのうずめのみこと)である。(私も同席して踊りを見たかった) この先導以来、猿田彦は「道と境界を守る神」つまり道祖神と同一視され、信仰されるようになる。、、、、庚申堂では、狛犬に変わり猿神。
 
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・・・・・・・・・・・・・すぐ近くには「庚申塚停留場
 
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●アッという間に通り抜け・・・・・・・・・・庚申塚交差点から北に「栄和通り」となる。 この交差点が、飛鳥山に向かう古道「王子道」の始まり。 栄和通りは都電に並行して、白山通り(国道17号)までの約300mである。 
 
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・・・・・・・・・・・・・白山通りを挟み「新庚申塚停留場」がある。
 
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●巣鴨の四谷怪談・・・・・・・・・白山通りから、王子道は「お岩通り」と呼び名が変わる。 お岩通りは、途中に四谷怪談のお岩様の墓があることから名付けられた。 お岩通りの端は西ヶ原4丁目。
 
・・・・・・・・・・・・写真、右端から中央奥に向かう道がお岩通り。 幽霊は出ません!
 
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・・・・・・・・・・・・・踏切の正面に、お岩様の墓がある妙行寺 。 お岩様は田宮家により丁重に弔われ一段高い処に祀られている。 階段下に田宮家の墓が並ぶ。、、、、この寺は四ツ谷にあったが明治42年(1909)に現在地に移転した。 それで、お岩様も縁がなかった、巣鴨のお地蔵様の近くに引っ越したという。
 
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・・・・・・・・・・・・・お岩通りの終点。 西ヶ原4丁目。
 
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●飛鳥山までもう少し・・・・・・・・・・・・西ヶ原4丁目から先の王子道には、愛称はつけられてない。 名無しの道は飛鳥山停留場までの続く。
 
・・・・・・・・・・・・西ヶ原四丁目停留場。 王子道は都電とクロスする。
 
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・・・・・・・・・・・・・・滝野川1丁目には、「元文五庚申」(1740)「十二月吉日」が読み取れる庚申塔が道端にある。、、、、庚申塔に綺麗な花が、ご近所のお婆さんが供えたものか? このような供え物をするお爺さんを想像するには無理があるね。
 
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・・・・・・・・・・・・・手入れの行き届いた木造住宅。 どちらも、雨戸が閉められているが、空き家ではないようだ。 将来に向け残して欲しい住宅だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・大正13年(1924)創立の桜丘中学・高等学校円形校舎が見える。、、、、、円形校舎は、建物の平面形状が円筒形になっている校舎で、昭和30年代(1955)頃に多数建設された。 円形にすることで廊下や壁が節約でき、建設コストを安く押さえることができ、狭い土地を有効活用できることから、注目されブームとなり全国で100棟以上建てられた。 しかし、その後は建設されず、築後50年以上経過した現在は残っている建物も少なくなってきた。、、、、建物が授業中に回転すると面白いね!
 
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・・・・・・・・・・・・・飛鳥山に近づき道幅は狭くなって約50m進むと、明治通りに出る。 
 
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・・・・・・・・・・・・・「飛鳥山停留場」も近い。 停留場の前は飛鳥山 。 これにて、本日の王子道の散歩は終わり。
 
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●・・・・・・・・・・・王子駅から帰宅。 
 
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2018年4月19日 (木)

目白不動 (金乗院)

雨も上がり散歩日和。 今日は、目白不動の金乗院へ、その後、雑司ヶ谷の鬼子母神に寄って池袋駅まで、1万歩の歩きです。  (注:鬼子母神の『鬼』は、一画目の点が無い字が正しい。)
 
 
 
①目白駅・・・・・・・・・・・明治18年(1885)3月1日、日本鉄道品川線の品川~赤羽間の開業から、なぜか半月ほど遅れ、3月16日に目黒駅と目白駅の2駅が仲良く開業。 明治39年(1906)11月1日には国有化され国鉄の駅となる。 平成12年(2000)に、3代目の現在の駅舎に改築された。、、、、駅に隣接して学習院大、チョイト離れて日本女子大があるせいか、駅からゾロゾロ出てくる女子大生の多いこと、嬉しいね!
 
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千登世橋・・・・・・・・・・学習院大学前を東に向かい、豊島区目白1丁目と雑司が谷との境界に架かる跨道橋。 橋上に目白通りを通し、明治通りとの立体交差になっている。 東側に連続する千登世小橋があり、都電荒川線を跨ぐ。、、、、、、長さ約28mの千登世橋は、上路2ヒンジソリッドリブアーチ橋で、昭和7年(1932)2月に竣工した幹線道路同士の立体交差。
 
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・・・・・・・・・・・・・チョイト思い出した私の若い頃(昭和54年)、こんな歌がありました、♪♪ ~ ~ あなたのやさしさに気付き もうすぐ二人の別れが来ると 胸が震え悲しかった  電車と車が並んで走る それを見下ろす橋の上 千登勢橋から落とした 白いハンカチが ヒラヒラ風に舞って 飛んで行ったのは あなたがそっとサヨナラを つぶやいた時でしたね ♪♪ (門谷憲二:作詞・西島三重子:作曲)   (注:歌の方は千登“勢”橋です。 こちらの方が何となくいいかな。)
 
 
③のぞき坂・・・・・・・・・・千登世橋の東、目白通りにめんした雑司が谷駅前から南に下る坂。(豊島区高田2) 坂上と坂下は緩やかな勾配であるが、坂の中間は非常に急な坂で、“東京一”と言われている。、、、、名のごとく、『坂下には助平が多く、女性は下から覗かれる坂』というのは真っ赤なウソ! 本当の由来は、坂の途中で急に角度を変えているため、坂上からの見通しがきかず、坂の途中まで行くと崖のように下る坂が見える。 つまり、坂の途中まで行って、覗くようにすると坂下が見通せるので「のぞき坂」となった。、、、、年寄りは、滑り止めの付いた靴を履かないと無理! 雪の降った日は死を覚悟して歩くこと!
 
・・・・・・・・・・・・・坂上から覗くと
 
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・・・・・・・・・・・・・・下から、見上げると
 
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④金乗院・・・・・・・・・・・のぞき坂を下った豊島区高田2-12に金乗院がある。 金乗院は真言宗豊山派の寺院で、天正年間(1573~1592)の創建と言われている。 本尊は聖観世音菩薩。 当初は、蓮花山金乗院と称し、中野宝仙寺の末寺であった。 その後、神霊山金乗院慈眼寺と改め、護国寺の末寺となる。 昭和20年(1945)4月の空襲で本堂・宝物などの一切を焼失した。 現本堂は昭和46年(1971)に再建され、平成15年(2003)に全面改修された。、、、、、古くから当地に在る寺で、本堂裏の墓地には槍術の達人:丸橋忠弥、青柳文庫を創設した青柳文蔵などの墓がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・かつて目白不動堂(東豊山浄滝院新長谷寺)は、元和4年(1618)に大和長谷寺の僧が中興し、文京区関口駒井町にあった。 昭和20年(1945)5月の戦災により焼失したため、本尊の目白不動明王像を金乗院に移し、合併した。、、、、その目白不動明王像は、江戸守護の江戸五色不動(青・黄・赤・白・黒)の一として名高く、目白の号は寛永年間(1624~1644)に、三代将軍徳川家光が天海僧正の具申をうけ、鷹狩りによく出かけていた目黒不動にちなみ、こちらは目白不動と命名したといわれている。、、、、不動明王像は、現在は金乗院の不動堂に祀られている。
 
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⑤根性院・・・・・・・・・・金乗院(こんじょういん)のそばに根性院(こんじょういん)あり。、、、、、またまた、ややっこしい話だ。、、、、、金乗院(高田2-12)から東に約100mの距離に根性院(高田1-34)がある。 しかも共に真言宗豊山派の寺院。 両寺とも、意地の張り合いで名を変えぬのか? それとも、根性を試す根競べか? まぎらわしいね!、、、、根性院は、春日局の猶子榮春法印が開山となり、寛永12年(1636)に徳川幕府西の丸祈願所として神田白壁町に建立した。 その後、数回移転し、明治36年(1903)に現在地へ移転した。
 
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⑥宿坂・・・・・・・・・・・・宿坂 (しゅくざか)は、目白不動の金乗院前から上る、高田1丁目と高田2丁目の間の坂で、旧鎌倉街道の一部でもある。 この坂も、急な勾配で北に向かって上り、目白通りの高田一丁目交差点に出る。 交差点の先は、雑司ヶ谷の鬼子母神表参道に続く。、、、、坂の名は、中世の頃「宿坂の関」と呼ばれる関所が設けられていたことにちなむそうだ。、、、、、この坂も年寄りには辛い、私も、息はハアハア、ゼイゼイ、足はフラフラ。 若い二人は手をつないでニコニコ、いいな~~。
 
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⑦けやき並木・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・目白通りから表参道を歩き、都電鬼子母神前停留場へ出る。、、、、只今、都電軌道下に地下の道路トンネルを工事中の為、仮の停留場。
 
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・・・・・・・・・・・・・・停留場の先に、けやき並木の参道が見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・参道の途中に、複数の店が入っている木造の長屋が見える。 外部は改装し、シャレた造りだ!、、、、、、写真:右端奥に写っている木造アパートは、手塚治虫があの有名なトキワ荘(豊島区椎名町)を出た後の、昭和29年(1954)10月から移り住んだ並木ハウスである。 現在もアパートとして使われている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・参道の雰囲気をのこす並木。
 
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⑧鬼子母神堂・・・・・・・・・・けやき並木を抜けると鬼子母神堂の前に出る。 鬼子母神堂は、法明寺(南池袋3)の境外仏堂。 堂は、永禄4年(1561)に現:清土鬼子母神堂(現:文京区目白台)で発掘した鬼子母神像を、稲荷社のあった現在地に村民が天正6年(1576)に堂を建立した。 その後、寛文4年(1664)、松平安藝守光晟の寄進により本堂が建立された。、、、、、近年は、昭和51年(1976)から3年間をかけ、江戸時代の姿に戻す解体復元の大修理が行われた。、、、、、堂では、ススキで作ったみみずくも売られている。
 
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⑨池袋駅・・・・・・・・・・・いつも人の多い駅で、私にはどうもなじみにくい駅である。
 
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2018年4月 3日 (火)

浅草橋~大塚

我が家(浅草橋)から、湯島、本郷、春日、小石川と、ひたすら歩いて大塚駅まで、1万4千歩の散歩です。
 
 
 
● a.m.7:22・・・・・・・・・・・我が家のある浅草橋駅をあとにする。、、、、この時間に勤務先へ向かう人がもういる。 早出かな?
 
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● a.m.7:29・・・・・・・・・・・我が母校:旧台東区立柳北小学校の前を通過。 現在は蔵前小学校の仮校舎として使用中。
 
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・・・・・・・・・・・・・旧柳北小学校の隣り、都立忍岡高等学校の裏門脇に「蓬莱園跡」の碑がある。、、、、、ここ、旧柳北小学校、忍岡高校のある一帯は、かつて平戸藩松浦氏の屋敷跡で、蓬莱園と称する庭園があった。 約2,600坪の庭園は“今は無く”、高校校庭に一本の大イチョウを残すだけである。
 
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● a.m.7:32・・・・・・・・・・・浅草橋で唯一の大使館。 それは、コンゴ民主共和国大使館。、、、、、時々、近くのスーパーで大使館員が買い物しています。 浅草橋も国際的な町に変貌している。
 
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● a.m.7:36~7:53・・・・・・・・・・・「鳥越一丁目」交差点より、蔵前橋通りを歩き、昭和通り、JR京浜東北線・山手線、中央通りと交差し西に向かう。
 
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● a.m.7:55・・・・・・・・・・・蔵前橋通りは、妻恋坂交差点から清水坂下交差点まで、新妻恋坂を上ることになる。 この坂は昭和4年(1929)に震災復興道路として通じた蔵前橋通りの坂で、昔からある北側に並行する妻恋坂にちなみ命名された。、、、、ここから、ダラダラ上るのは辛いので、私は並行する妻恋坂を上る。
 
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● a.m.8:01・・・・・・・・・・・妻恋坂にある、妻恋神社に手を合わせて行く。
 
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● a.m.8:02・・・・・・・・・・・妻恋坂を上ると、清水坂にT字にぶつかる。 清水坂の下が新妻恋坂である。、、、、チョイト、ややっこしいね! どうでもいいか!
 
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● a.m.8:07・・・・・・・・・・・蔵前橋通りが本郷通りに合流する「サッカーミュージアム入口」交差点。、、、、ここより本郷通りを歩く。 (写真は右端から手前に本郷通り、中央左寄りから上ってた蔵前橋通り)
 
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● a.m.8:16・・・・・・・・・・・本郷三丁目交差点を通過。 ここから春日通りを歩く。
 
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● a.m.8:23・・・・・・・・・・・春日通りからチョイト脇にそれ、明治19年(1886)に創立した弓町本郷教会に立ち寄って行く。 現教会は昭和元年(1926)に竣工した。
 
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● a.m.8:28・・・・・・・・・・・寄り道ついでに、丸ノ内線が本郷三丁目駅から後楽園駅に向かう時、地上に顔を出す処をトンネルの上からチョイト撮影。 (写真奥が後楽園駅)
 
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● a.m.8:33・・・・・・・・・・・真砂坂を下る。、、、、、この坂の名は「東富坂」で、「真砂坂(まさござか)」は別名らしい。 明治41年(1908)に命名するとき、坂下の春日町交差点を挟み、東に上る坂を「東富坂」、西に上る坂を「富坂」としたそうだ。、、、、、私には、坂上にあった停留場「真砂町」を通る都電で通学していた時期もあった。 学生時代の思い出もあり、真砂坂の方がシックリくるね。
 
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● a.m.8:34・・・・・・・・・・・春日町交差点を通過。
 
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● a.m.8:38・・・・・・・・・・・私は、まだ若い老人なので、「アテント」、「ライフリー」などは利用していない。 しかし散歩していると、緊急のお呼びがかかる。 ここいらで、スッキリと身繕いをしようと、文京区役所に寄ってきた。、、、、出た! スッキリ、サッパリ、気分爽快!
 
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● a.m.8:52・・・・・・・・・・・文京区役所からは、北西方向に都道436号(小石川西巣鴨線)をひたすら歩けば大塚駅である。、、、、、眼病治癒の「こんにゃく閻魔」として知られる源覚寺(小石川2)では、チョックラ手を合わせて行こう! コンニャクは持参していないので、お賽銭をチョッピリ。
 
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● a.m.9:01・・・・・・・・・・・小石川の岡埜栄泉(おかのえいせん)前を通過。、、、、、東京に岡埜栄泉は30数店あるそうだ。 どこも、名物は豆大福で、老舗と言われているが、何処が本店やら、本家やら、元祖は何処だ! 長い年月の暖簾分けで、サッパリ判らん!
 
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● a.m.9:15・・・・・・・・・・・共同印刷本社前を通過。、、、、昭和10年(1935)に建設された建物も劣化し、そろそろ建て替えの話が出ているようだ。
 
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● a.m.9:18・・・・・・・・・・・小石川消防署前を通過。、、、、、門柱の上にのっている望楼は、旧大塚消防署(小石川消防署の前身で、昭和初期の名建築であった)の望楼をデザインしている。
 
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● a.m.9:42・・・・・・・・・・・文京区から豊島区に移り、大塚駅も近づいてきた。
 
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● a.m.10:00・・・・・・・・・・・大塚駅前の天祖神社に寄ってみることにした。、、、、南口の商店街に紛れている天祖神社は大塚の氏神様。 氏子のエリアは意外に広く、南大塚、北大塚、巣鴨、西巣鴨、上池袋1丁目、東池袋2~5丁目がその範囲。、、、、、参拝客は絶えず、商売繁盛か?
 
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● a.m.10:19・・・・・・・・・・・大塚駅に到着。 ここまで14,000歩、靴もそろそろ買い替えなければならなくなってきた。
 
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2018年1月18日 (木)

巣鴨~北池袋

山手線巣鴨駅で下車し、山手線の外側の裏道を西に向かい大塚駅北口前を通過し、東武東上線北池袋駅まで、1万歩の裏道散歩です。
 
 
 
①巣鴨駅・・・・・・・・・明治36年(1903)4月1日に日本鉄道の駅として開業。 明治39年(1906)には国鉄の駅となる。 駅舎は中山道(国道17号=白山通り)に面した橋上駅舎。、、、、「巣鴨」という駅名を私が意識したのは、私の母校:京華中・高等学校が白山通り沿いにあり、昭和30年代の当時は、白山通りに18系統(志村坂上~神田橋)の都電が走っていた。 この時、都電は「巣鴨」、「水道橋」の両駅を通っていた。 通学は都電を利用し、巣鴨方面から通う生徒と、水道橋方面から通う生徒(私はこちら)に二分され、私を含め水道橋から通う生徒は、多少都会的で垢抜けしていたように思うね。 今は皆、“じじい”となって、野暮ったくなったかな。
 
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・・・・・・・・・・・・・巣鴨駅前の跨線橋が巣鴨橋。 山手線、湘南新宿ラインが橋の下を走る。 この橋の初代は、明治36年(1903)の田端線(現:山手線)開通時に架けられた。 二代目は大正13年(1924)頃の複々線化のときらしい。 現在の橋は昭和45年(1970)の架橋。
 
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②巣鴨3丁目・・・・・・・・・・「巣鴨3丁目」と言えば「とげぬき地蔵」、そしてチョイとランク落ちして「眞性寺の江戸六地蔵」。 今日は六地蔵に手を合わせ、地蔵通りから脇道に入り西へ歩いた。、、、、、特別、面白いもの、かわったもの、ビックリするものもなく、通り抜けて大塚駅に出てきた。
 
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都電大塚駅前停留場・・・・・・・・・・・・JR大塚駅高架下に設けられている停留場。 明治44年(1911)8月20日、王子電気軌道の大塚駅(現在の大塚駅前停留場)が開業した。 その後、王子電気軌道は東京市に買収され、今日、都電荒川線として残っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・都電の停留場から50m程の隣にはJRの大塚駅がある。
 
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④空蝉橋・・・・・・・・・・・大塚駅の西側に山手線を跨ぐ橋がある、橋の名は空蝉橋(うつせみはし)。 チョイト風流なこの名は、かつて近くにあった稲荷神社境内で、セミの抜け殻が付いた松の木を明治天皇がご覧になったことが由来といわれている。、、、、、初代の橋は田端線(現:山手線)の開通した明治36年(1903)で、その後大正・昭和に架け替えられた。、、、、空蝉橋の周辺はラブホテルが多い。 ご愛用するどこぞの二人は世の無常を噛みしめながらHするのかも。
 
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・・・・・・・・・・・・・・空蝉橋から北西に150m程裏道を歩くと小さな出世稲荷神社(北大塚3)がある。 この神社は、空蝉橋が造られる以前まで空蝉橋の地にあり、名の由来となった松の木があった神社で、初代の橋の工事に伴い現在地に移転した。、、、、、なぜか知らぬが、神社の境界に2本のレール(写真:矢印)が埋められていた。 鉄道工事と関係するか?
 
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⑤北大塚3丁目・・・・・・・・・狭い裏道を歩く。 
 
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⑥上池袋3丁目辺り・・・・・・・・・北大塚から、上池袋1丁目をぬけ、明治通りを横断し、上池袋3丁目に入る。 特筆すべき建物はないが、この辺りも私好みの細い道に小さな木造家屋が並ぶゴチャゴチャした町である。 家並みの先には豊島清掃工場の煙突も見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・上池袋3丁目の町の中に、日蓮宗寺院の妙経寺がある。 妙経寺は、大正元年(1912)に創建され、昭和10年(1935)に岡山最上稲荷の関東別院となった。、、、、チョイトせせこましい町の中にある寺。
 
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⑦池袋運輸区・・・・・・・・・・・上池袋2丁目にある、かつての池袋電車区。 埼京線に乗ると池袋から板橋に向かって右手に、山手線・赤羽線・埼京線などが留置されている処。、、、、、フェンスと太陽が邪魔で、写真が撮れない。 コンチクショウ!
 
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⑧北池袋駅・・・・・・・・・・東武東上線の駅。 併走するJR赤羽線(埼京線)の池袋~板橋間にある。 昭和9年(1934)5月1日に東武堀之内駅として開業。 戦後、しばらく廃止されていた駅だが、昭和26年(1951)9月1日に北池袋駅として再開した。、、、、、池袋駅の賑わいとは、まるっきり縁のない場末の駅。
 
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2017年10月 2日 (月)

上中里~西巣鴨

JR京浜東北線上中里駅から都営三田線西巣鴨駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
上中里駅 ・・・・・・・・・・・・京浜東北線の駅で、島式ホーム1面2線の地上駅。 昭和8年(1933)7月1日に開業した駅である。 駅の自慢(?)は、23区内のJR駅の中で利用客数が、越中島駅(京葉線)の約1万1千人に次いで少ないことである。 上中里駅の一日1万5千人程の乗降客数は第2位。 ちなみに3位は、尾久駅(東北本線)で約1万8千人。 ついでに4位は、三河島駅(常磐線)の約2万2千人。 おまけで5位は、潮見駅(京葉線)の約2万6千人。、、、、、駅周辺には大型スーパー、元気な商店街などが無く。 駅前コンビニも無い。、、、、、利用客は少なく、店はない、都会の秘境駅。 でも、電車はキチンと止まってくれるので、ご安心を!
 
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②平塚神社・・・・・・・・・上中里駅隣の崖上に平塚神社はある。 神社の創立は平安後期といわれている。、、、、、平塚神社の境内は、かつて平塚城があった処である。 平塚城の城主:豊島近義は後三年の役で城に立ち寄った源義家から饗応の返礼として鎧1領を譲られた。 この鎧は清浄な地に埋め、塚を築き、平塚城の鎮守とした。 そして塚は「甲冑塚(かっちゅうづか)」とよばれ、高さが低いため「平塚」ともよばれた。 豊島近義は社殿を建て、源義家、源義綱、源義光を「平塚三所大明神」として祀り、一族の繁栄を祈願した。 これが、平塚神社の始まりである。、、、、、本郷通りから参道が拝殿へ約200m真直ぐ延びている、境内はこの参道を中心とした、細長い敷地である。 
 
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③無量寺・・・・・・・・・・平塚神社から本郷通り横断した南に旧古河庭園 がある。 その旧古河庭園の東隣りにひっそりと身を隠すように無量寺がある。 寺の山門は、庭園の入口とは正反対の側の裏道を入った処にある。、、、、、旧古河庭園を訪れる観光客は多いが、無量寺を訪れる人は少なく、知る人ぞ知る隠れた名園の寺院である。 静かで落ち着き、手入れも行き届き、四季の花咲く庭園は、ナイショでお勧めする処。 くれぐれも他言無用!
 
・・・・・・・・・・・・・無量寺は真言宗豊山派の寺院で、佛寶山西光院と号す。 創建年代は不詳だが、鎌倉時代または室町時代らしい。、、、、昔は長福寺と称していたが、慶安元年(1648)には江戸幕府より寺領8石5斗余の御朱印状を拝領し、9代将軍の幼名長福丸と同名であることを避けるため寺号を佛寶山長福寺から佛寶山西光院無量寺と改称した。 
 
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・・・・・・・・・・・・・山門に近い参道の両側には竹が植えられ、地蔵さまが迎えてくれる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・さらに参道の奥には、もう一つ門がある。 この門をくぐり、緑で覆われた参道の先に本堂が見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・・本堂前ではタヌキの“二僧”がお出迎え。 若い“尼僧”のお出迎えなら、もっと嬉しいのだが!、、、、、江戸六阿弥陀詣での第三番目の寺として、平安後期の阿弥陀如来が本堂の正面に安置されている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・本堂横の大師堂には、雷除けにご利益があるという「雷除けの本尊」:聖観音像が安置されている。
 
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・・・・・・・・・・・・・安永9年鑄造の鐘をかける鐘楼
 
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④染井の町・・・・・・・・・・・・・JR巣鴨駅の北側、染井霊園付近を抜け、西巣鴨駅に向かう。
 
・・・・・・・・・・・・・・北区・豊島区の境をに生まれた染井銀座商店街を横切り西に向かう。、、、、、、まだ準備中の店が多く、シャッターも下りている。 歩いてもつまらないんで、脇道に入る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・マンションの出始めた昭和39年(1964)に建てられた「染井マンション」(豊島区駒込6) 。
 
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・・・・・・・・・・・・・・水原秋櫻子の墓前に手を合わせ、染井霊園 を抜ける。、、、、、秋耕や あらはの墓に 手向花  (秋櫻子)
 
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・・・・・・・・・・・・・東京外語大(北区西ヶ原4)が平成12年(2000)に府中市に移転した跡地には、現在公園と老人ホームが建っている。 その跡地に沿って北西に上る坂を下瀬坂 (しもせざか)という。 長さ150m程で、かなり急な坂である。、、、、、坂の名は、明治32年(1899)、ここに設けられた「海軍下瀬火薬製造所」に由来する。、、、、、老人ホームからは、公園の先にスカイツリーを望むことができる。 眺望良好。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・新庚申塚停留所で、都電荒川線 の線路をまたぐ。
 
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⑤大都映画巣鴨撮影所跡・・・・・・・・・・荒川線新庚申塚の北側、白山通りに面した旧朝日中学校(現:巣鴨北中学校)の敷地は、巣鴨撮影所があった場所らしい。 白山通りに面した校庭跡に、大都映画巣鴨撮影所跡を示すプレートが埋め込まれている。、、、、「大都映画」、聞いたことないね? 戦後生まれの私には知らぬ社名だ!、、、、、大正8年(1919)に天活(天然色活動写真)が撮影所を開設して以来、何度か持ち主が変わったが、昭和8年(1933)に大都映画が発足し昭和17年(1942)まで存続した。 年間100本余りの映画が製作され、戦前の映画界では製作本数最多を誇っていたそうだ。
 
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●・・・・・・・・・・・・大都映画撮影所跡のプレートの隣は西巣鴨駅。 ちょうどよい、都営地下鉄で帰ることにする。

2017年7月21日 (金)

巣鴨

江戸六地蔵の四番目は、巣鴨の「地蔵通り商店街」入口脇の眞性寺にある。 今日は巣鴨駅から、都営三田線の西巣鴨駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
①巣鴨駅・・・・・・・・・・明治36年(1903)4月1日に日本鉄道の駅として開業。 島式ホーム1面2線の地上駅で、駅舎は大塚駅寄りの白山通りに面しあり、改札はここ1か所のみである。、、、、、、“おばあちゃんの原宿”駅も、朝は若い人ばかりだ。
 
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②眞性寺(江戸六地蔵)・・・・・・・・・・「巣鴨地蔵通商店街」入口(出口かも?)手前に、江戸六地蔵尊の四番目が安置されている真言宗豊山派醫王山東光院眞性寺がある。 眞性寺は、聖武天皇の勅願により行基菩薩が創建したと伝えられる古刹。、、、、、、寺は昔から中山道の出入口にあたるこの地にあり、大きな傘をかぶり杖を持つ地蔵尊が、江戸の旅人の安全を見守ってくれている。 今は“巣鴨”と云えば「とげぬき地蔵」だが、昔は“巣鴨”と云えば「六地蔵」であった。 像は正徳4年(1714)に造立された。、、、、、、地蔵さんは、300年間、この地に座りぱなしで、足もしびれているかも? 右手中指で、おでこの真ん中に、3回つばをつけると治ることを、教えてあげたいね。
 
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高岩寺 ・・・・・・・・・・・来たついでに、「とげぬき地蔵」にお立ち寄り。 曹洞宗萬頂山高岩寺は、慶長元年(1596)に江戸湯島に開かれ、その後下谷に移転し、明治24年(1891)に現在地の巣鴨に移転してきた。 本尊は「とげぬき地蔵」(秘仏)として病気の治癒改善に御利益が期待されている延命地蔵菩薩。 お年寄りには、うれしい御利益だね。、、、、「とげぬき地蔵」の由来は、、、、江戸時代、毛利家の女中が針を誤って飲み込んだ際、地蔵菩薩の御影を飲み込んだら、針が御影に刺さって吐き出されたという伝承がある。 マジックのような話だ!、、、、、本堂は昭和32年(1957)、鉄筋コンクリート造にて完成。
 
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④中央卸売市場豊島市場・・・・・・・・・・国道17号(白山通り)を挟み、高岩寺の北側に中央卸売市場豊島市場がある。 この地は、もともと伊勢国津藩主藤堂和泉守家の抱屋敷の一部であったが、明和6年(1769)に伊奈半左衛門預りの幕府御用林となった後、寛政10年(1898)頃に幕府に仕えた渋江長伯が管理する巣鴨薬園となった。 薬園というのは、薬用植物を栽培し、疾病治療の用に供する施設のことであり、日本にはすでに8世紀前半期には存在していた。 昔の製薬工場だ!、、、、、明治維新後、巣鴨御薬園は廃止され、昭和12年(1937)東京市中央卸市場豊島分場が開設された。 その後は、現在の東京都中央卸売市場豊島市場となった。、、、、、築地のイメージで市場内を歩いてみたが、扱うのは“野菜”と“果物”。 “魚”はなし。 セリも終わったようで、そろそろ店仕舞いの時刻のようだ!
 
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⑤本妙寺・・・・・・・・・・・中央卸売市場裏に法華宗陣門流の東京別院:本妙寺がある。、、、、、元亀2年(1571)駿府に創建し、天正18年(1590)江戸清水御門内に移転、その後幾度か移転を繰り返し本郷へ移った。 本郷では江戸市中を焼いた明暦3年(1657)の大火の火元として名をはせた。 明治44年(1911)、本郷から現在地(豊島区巣鴨5)へ移転した。 戦災で被災し古い建物は残っていない、本堂も戦後の再建である。、、、、、寺の古さを物語るは、著名人の墓所がズラリ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・明暦の大火(振袖火事) 供養塔、、、、、明暦3年(1657)1月18日未刻(午後2時頃)に出火し、折からの強風に煽られて、江戸城本丸・二の丸をはじめ江戸市中の6割余りを焼きつくし、死者約十万人に達した大火が「明暦の大火」。 そして火元となったのが本郷にあった本妙寺で、原因は本妙寺の檀家の娘の供養のために燎火に投じた振り袖が舞い上がって本堂の屋根に飛火したことによるものとされ、俗に「振袖火事」といわれています。、、、、供養塔が本堂脇にある。
 
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・・・・・・・・・・・・・関宿藩主 久世大和守歴代の墓、、、、、、、千葉県の北のはずれ、関東の交通の要衝、下総関宿城主の歴代の墓がある。 初代、四代、七代は老中職をつとめた。
 
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・・・・・・・・・・・・・名奉行 遠山左衛門尉景元の墓、、、、、、御存じ、江戸後期の北町奉行、他に大目付、南町奉行等をつとめた、“遠山の金さん”の墓。、、、、では、ここで問題。 テレビで金さんを演じた役者の名を五人あげろ?、、、、答え(古い順)、市川新之助、中村梅之助、市川段四郎、橋幸夫、杉良太郎、高橋英樹、松方弘樹、松平健。
 
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・・・・・・・・・・・・・・剣豪 千葉周作の墓、、、、、、江戸後期の剣豪、北辰一刀流開祖、神田お玉ヶ池、千葉道場(玄武館)主。 漫画:赤胴鈴之助は千葉周作の門下生。
 
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・・・・・・・・・・・・・天野宗歩の墓、、、、、、江戸末期の将棋の名人で棋聖位に着く。 将棋の駒の形をした墓石。、、、、近頃の将棋ブームにあやかり、墓参する人も増えたかな?
 
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・・・・・・・・・・・・・囲碁 本因坊歴代の墓、、、、、、徳川家康が碁を好み、京都にいた初代の本因坊算砂日海を江戸へ呼び寄せた。 三世の道悦までは没後京都の寂光寺に葬ったが四世の道策から二十一世の秀哉までの歴代本因坊が本妙寺に葬られている。、、、、こちらは囲碁ファンの聖地。
 
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・・・・・・・・・・・・・清水建設慰霊塔、、、、、、、創業文化元年(1804)に創業し、200年以上の歴史を有するスーパーゼネコン清水建設の慰霊碑があった。 永い会社の歴史の中で清水建設に係った縁者を供養するため建てた慰霊塔である。、、、、、私も同業の世界に居た一人として、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、合掌。
 
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妙行寺・善養寺 ・・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・本妙寺門前の道:「朝日通り商店街」は、名ばかりで商店が無くなった。 朝日通り商店街を北へ進み、都電荒川線を越える。
 
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・・・・・・・・・・・・都電の踏切を渡ると、昨年歩いた妙行寺と善養寺などのお寺が並ぶ。、、、、、妙行寺には、四谷怪談のお岩の墓、浅野家遥泉院の供養塔がある。 善養寺では閻魔大王がお出迎えしてくれる。
 
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⑦A邸・・・・・・・・・・こちらは西巣鴨にある、3階建ての元医院。 戦前の建物か?、、、、、残念であるが、建物の詳細は不明。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・お盆も近づてきたせいか、今日の散歩は墓巡りとなった。、、、、誰か、私を墓の中から呼んでいるのかも? まだ、この世に未練があるので、あと20年は生かして欲しいね!

2017年4月30日 (日)

浅草橋~四ツ木

正月終えて花見を済まし、あっと言う間に黄金週間(GW)。 『GWの計画は?』と問われ、『連休前に、内科・眼科で薬を貰い、整形でリハビリ、歯も治療し、一安心。 連休中はゴロ寝で過ごし、一休み。 連休終われば、やることもなく、一生続く超大型連休へ再突入。 最後は黄泉の国への旅行で超大型連休を終える予定。』、、、、こんなGWの計画が現実のものとならないように、昨日は夫婦で都内の散歩。 今日は、浅草橋(我が家)から水戸街道(国道6号)を京成四ツ木駅まで、途中で寄り道せずにスタコラ歩いてきた。 
 
 
 
●am8:00・・・・・・・バスを待つ人、駅周辺を歩く人のいない浅草橋を発つ。、、、、、“死の町”か?
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●am8:15頃・・・・・・・蔵前・駒形付近、この辺りも歩く人は少ない。、、、、、、『どぜう』の大きな暖簾もまだ出されていない、只今準備中。、、、、、「むぎとろ」も準備中。
 
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●am8:30・・・・・・・浅草駅前を通過。、、、、4月21日から、東武鉄道に新型特急電車「リバティ」が運転された。 浅草から日光・鬼怒川はもちろんだが、会津田島まで直通運転する特急である。、、、、、、今日は満員のようだ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・ちなみに、私も4月21日に「東武鉄道リバティ記念乗車券」(6枚組)を浅草駅で購入してきた。 このお宝をコレクションに追加!
 
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●am9:00・・・・・・・スカイツリーを正面に見ながら、言問橋を渡り向島に入る。 
 
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●am9:30頃・・・・・・・向島の秋葉神社・鳩の街商店街・地蔵坂通り(通りの奥が玉の井)を通過。、、、、昭和33年(1958)、私は12歳、まだ売春防止法も知らないウブな小学生。 この年の4月1日、法律は施行され、鳩の街・玉の井の娼家は廃業する。 廃業するまでに、一度、“永井荷風の世界”を見ておきたかったね!
 
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●am9:45・・・・・・・東向島の東武博物館付近を通過。 国道に架かるガードには、東武鉄道開業時の蒸気機関車(B1形6号蒸気機関車)が保存されている。 また、国道からチョイト引っ込んだ処に、東武日光軌道線200形203号電車とロマンスカーが保存されているのも見える。 機関車・電車を見て元気づく、まだ私も若いね!
 
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●am10:00・・・・・・・四ツ木橋を渡り、荒川を越える。、、、、、四ツ木橋は、戦前から架橋工事が実施されていたが、戦中には工事は中断し、戦後工事が再開し昭和27年(1952)7月30日に現在の橋が開通した。、、、、今日は風もなく気持ちよく渡ることができた。 
 
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●am10:30・・・・・・・京成押上線四ツ木駅に到着。、、、、今日の散歩はここまで!
 
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●・・・・・・・・・・・・・今日の散歩のルートは、総延長は約7.5km。 1万4千歩。

2017年1月 6日 (金)

西日暮里~駒込

西日暮里駅から、裏通りを気ままに歩き駒込駅まで、坂と寺社巡りとなった、1万2千歩の散歩です。
 
 
 
①西日暮里駅・・・・・・・・・・・・昭和46年(1971)4月20日に開業した、山手線の駅としては最も新しい駅である。 接続する地下鉄千代田線の西日暮里駅は、昭和44年(1969)12月20日の開業である。 JRは田端~日暮里間に、千代田線との乗換駅として開業したため、隣駅との駅間距離も500m程で短い。 一般の改札口はガード下の小さな出入口のみで、地下には千代田線との連絡用の大きな乗り換え改札がある。 JRと地下鉄の“乗り換え客のための乗換駅”である。 その乗り換え客に、100m程離れた日暮里舎人ライナーからの乗り換え客も合流し、朝の駅は人の流れが絶えることはない。
 
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②ひぐらし坂と向陵稲荷坂・・・・・・・・・・西日暮里駅の西側に名門受験校開成学園がある。 その開成高校のキャンパスを挟むように、東側には「ひぐらし坂」、西側には「向陵稲荷坂」がある。
 
・・・・・・・・・・・・ひぐらし坂、、、、、駅前歩道橋に続き開成高校の東側を上っていく坂。 坂の名は、平成2年(1990)、「ひぐらしの里」に因み、地元から要望によって、愛称として命名されたそうだ。 ナン~~ダ、ソレダケ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・向陵稲荷坂(こうりょういなりざか)、、、、、、開成高校校舎と開成中学校舎の間を上る坂。 この一帯は古く道灌山であった。 坂の途中には向陵稲荷(佐竹右京大夫の屋敷に祀られていた)があり、坂の由来となる。 
 
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③道灌山・・・・・・・・・・・開成高校の北側(ひぐらし坂を上った処)からは、JRの線路を見下ろすことができる。 日暮里4丁目の道灌山だ。 この山には、かつて秋田藩主佐竹右京大夫の屋敷があった。 屋敷の見晴台からは、筑波山、国府台(市川市)などを望むことができたそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・道灌山から荒川区西日暮里4と北区田端1の区境を下る道灌山坂がある。 この坂も、地元の要望で平成18年(2006)に名付けられたそうだ。、、、、、地元の要望で命名してくれるなら、我が家の前の通りは「雅万歩横丁」と名付けてもらえないか(?) 区長に会ったら聞いてみよう。
 
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④与楽寺・・・・・・・・・・北区田端1丁目に入り、真言宗豊山派の宝珠山地蔵院与楽寺に寄った。 与楽寺の創建年代は不詳であるが、弘法大師が寺院をこの地に建立したのが始まりだと言われ、慶安元年(1648)には寺領20石の御朱印状を拝領し、京都仁和寺の関東末寺の取締役寺を務めていた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・只今、山門は基礎工事中で無い。 その姿の見えない山門前の坂を与楽寺坂という。 今はアパートとなり、面影は残っていないが、この坂の上に芥川龍之介が住んでいた。
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⑤田端八幡神社~吉祥寺・・・・・・・・・・・・与楽寺から裏道を抜けると、田端八幡神社に出た。 これより、田端八幡神社、隣の東覚寺、不忍通りを越えて文京区本駒込3の天祖神社、吉祥寺までは、平成14年6月に歩いていた。 今日はダイジェスト版で!
 
・・・・・・・・・・・・・田端八幡神社、、、、、、、平成4年(1992)に再建され、翌年5月に遷座祭が行われた社殿。
 
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・・・・・・・・・・・・・・東覚寺、、、、、、、昔は田端八幡神社の別当寺であった東覚寺。 今は、谷中七福神の福禄寿を祀り、商売繁盛を実践しているのか(?) 今日も七福神巡りの団体さんが参拝してる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・天祖神社、、、、、、本駒込の天祖神社。 空襲により消失した社殿も、昭和29年(1954)新築し現在に至る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・吉祥寺、、、、、、中央線の吉祥寺駅周辺には吉祥寺という寺はない。 ここ本駒込の吉祥寺門前の住人が五日市街道沿いを開発・移住したことにより、かつての地を偲び吉祥寺と命名したそうだ。
 
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⑥神明都電車庫跡公園・・・・・・・・・・本駒込4の勤労福祉会館と都営住宅に隣接する公園。 かつて、ここには都電の神明町車庫があった、その跡地である。 公園内には、都電6000形一両と、貨物車の乙2号一両が、雨ざらし状態で保存されている。、、、、、、都電6000形は290両が製造され、台数としては一番多い車両である。 保存されている6063号電車は、昭和24年(1949)3月に造られ青山車庫に配属され、その後、大久保車庫、南千住車庫を経て、昭和42年(1967)9月に神明町車庫に配属された。 3年後の、昭和45年(1970)12月に荒川車庫へ転属し、昭和53年(1978)4月に廃車となった。 きっと、私も南千住車庫の時代に乗ったことがある車両だろう。、、、、、、乙2号は、昭和16年(1941)に造られ、荒川車庫で資材運搬などで使われ、昭和46年(1971)3月に廃車となった。、、、、、、どちらの車両とも、チョイと痛々しい姿となっている。 もう少し手入れして欲しいね!
 
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⑦駒込富士神社・・・・・・・・・・・・吉祥寺から駒込駅へ向かう途中に、駒込富士神社がある。 富士神社は、天正2年(1574)本郷村名主木村万右衛門、同牛久保隼人の二人が、駿河の富士浅間社を勧請して、本郷村(元富士神社地、現:東大本郷キャンパス)に創建した。 寛永6年(1629)、本郷の地が加賀藩前田家の上屋敷に充てられ、前方後円墳のあった当地に移転した。 現社殿は昭和37年(1962)頃の再建である。、、、、、古墳が富士塚に変わったのか(?) 社殿は塚の上だ。、、、、、神社は氏子を持たず、富士講組織で成り立っていたそうだ。
 
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駒込駅 ・・・・・・・・・・今日は荒川区の西日暮里駅で下車し、北区、文京区を歩き、豊島区の駒込駅から帰宅。 
 
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